2020年12月27日日曜日

枯れた骨の復活

日本基督教団四谷新生教会(東京都新宿区四谷1-14)

集会案内

四谷新生幼稚園

説教「枯れた骨の復活」

エゼキエル書37 章1~6 節

関口 康

「枯れた骨よ、主の言葉を聞け。これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る」

2020 年最後の主日礼拝の今日、皆様にお開きいただきました聖書の箇所は、旧約聖書の三大預 言書のひとつであるエゼキエル書の37 章1 節から6 節までです。この箇所に記されていること に基づいて皆様にとって意味のある言葉を語らせていただくことが今日の目標です。

最初に個人的なことを申し上げるのをお許しください。私は現在、日本キリスト教団昭島教会の牧師であると共に、明治学院中学校東村山高等学校とアレセイア湘南中学校高等学校の聖書科非常勤講師をさせていただいています。

どちらの学校もまだ始めたばかりで、長年の流れのようなことはまだ言えないのですが、今年に限っては、たまたま両方の学校で同じ高校2 年生の聖書の授業を担当しています。まだやっと 1 学期と2 学期が終わったところで、3 学期が残っていますので、彼らの評価にかかわるようなこ とは一切お話しできません。しかし、どういう内容の授業であるかはお話しできると思います。

どちらの学校でも高校2 年生は、1 年間かけて旧約聖書を学ぶことになっています。ただし、それぞれの学校でカリキュラムが違いますので、授業の内容も全く違います。どちらの学校のことかは伏せますが、一方の学校で私が教えているのは、神学校レベルの「ガチの」旧約聖書緒論そのものです。私が勝手にしているのではなく、その学校でずっと前から行われていることです。

その授業で参考文献としてほぼ毎回書名を明示して引用しているのが、かつて四谷新生教会で伝道師をされていた左近淑先生の『旧約聖書緒論講義』(『左近淑著作集第3 巻』教文館、1995 年)です。まずここで皆様と接点があります。

しかし、それが左近先生の『旧約聖書緒論講義』の欠点だと言いたいわけではありませんが、今日の箇所のエゼキエル書についてはほとんど全く解説がありません。私はあの左近先生の講義を東京神学大学の教室で「ナマで」聴いた世代のひとりですが、実際の教室の中でもエゼキエル書については、全く語られませんでした。書物になっているものでも「記述預言者からイザヤ、エレミヤだけを見ます。あとは時間がありませんのでお話しできません」(同上書、258 ページ)とはっきり書かれています。半分冗談で申し上げますが、東京神学大学の卒業生の中に左近先生の口からエゼキエル書の話を聴いたことがある人は、だれもいないかもしれません。

しかし、いま私が高等学校で旧約聖書を教える立場にあって、「三大預言書についてはイザヤとエレミヤだけお話しします、あとは時間がありませんのでお話しできません」と言って済ませるわけには行きません。それで困ってしまいまして、エゼキエル書について左近先生の旧約緒論と同じレベルの別の参考文献を探すことになりました。それで見つけたのが、千葉大学で聖書学を教えておられる加藤隆先生の『旧約聖書の誕生』(筑摩書房、2008 年)です。

その内容は、私はとても素晴らしいと思っています。個人的な話が長くて申し訳ありませんが、私は東京神学大学では組織神学を専攻しましたが、ヘブライ語の授業を一度も受けたことがなく、実はヘブライ語を一文字も読めません。それでよく牧師などやっているなと叱られそうですが、とにかく全く読めないので旧約聖書の知識は専門家に頼るしかありません。その意味で私は加藤隆先生の『旧約聖書の誕生』について評価する立場にありません。間違いを指摘することなどは全くできません。しかし、とにかくエゼキエル書については加藤隆先生の書物に基づいて授業をしました。今年度はその授業は終わって期末試験も終わりましたので、今日皆さんにお話しすることも基本的に加藤先生の書物に基づいているということをあらかじめ明示しておきます。

ここからが今日の本題です。「加藤先生の解説によると」といちいち言わないでお話しします。

エゼキエル書は全体で48 章あります。預言者エゼキエルは、紀元前597 年にバビロンに最初に捕囚となって連れ去られた人々の中に混じっていました。

バビロン捕囚は、詳しく言えば2 度起きます。それを「第一次捕囚」と「第二次捕囚」と分け て言います。「第一次捕囚」が紀元前597 年で、このときエゼキエルがユダ王国から新バビロニア 帝国の首都バビロンへと連れ去られた捕囚の中のひとりだったというわけです。そしてその後、「第二次捕囚」が起こるのが、第一次捕囚の10 年後の「紀元前587 年」であるというのが加藤隆先生の説明です。ただし別の本、たとえば富田正樹先生の『キリスト教資料集』を見ると第二次捕囚に当たる事件が起こった年が1 年違いの「紀元前586 年」と書かれています。どちらが正しいかは私には分かりませんので、高校生には両方教えておきました。「加藤説と富田説がある」と言っておきました。

紀元前597 年の第一次捕囚で起こったのは、新バビロニア帝国のネブカドネザル王によるエルサレム占領です。そして、ユダヤ人のうちのすでに指導者だった人たち、あるいは将来指導者になりうる層の人たちが、新バビロニア帝国の首都バビロンに連行されます。連行された人数は、エレミヤ書52 章28 節には「3 千人ほど」と記され、列王記下24 章14 節には「1 万人ほど」と記されています。どちらが正しいかは、これも私には分かりません。この中にエゼキエルがいました。

第一次捕囚のときは、ユダ王国はまだ滅ぼされません。バビロニアに忠誠を示す王が立てられます。それがユダ王国最後の王となるゼデキヤです。しかし、とにかくまだ建物が壊されたり、人が殺されたりするような状態になっていなかったことが関係して、ユダヤ人の多くはこの災難は一時的なものに過ぎないと思い、要するに「ナメて」いました。その様子を見たエゼキエルは黙っていられず、ユダヤ人たちを激しく非難し、エルサレムの滅亡とイスラエルの破滅を予告します。しかし、第一次捕囚の人たちはエルサレムや王国が滅びることはないと考え、エゼキエルの言葉に耳を貸しませんでした。

しかしその後、第二次捕囚が起こります。加藤説では紀元前597 年、富田説では前596 年です。それはバビロンの傀儡として立てられたはずのゼデキヤ王が状況判断を誤って、バビロンに反旗を翻して戦争を仕掛けて行ったことへの逆襲でした。エルサレムは破壊され、ソロモンが建てた第一神殿は破壊され、ゼデキヤ王は両眼をつぶされ、青銅の足枷をはめられ、バビロンに連行されました。

その状態になって初めて人は絶望しました。「ナメて」いた人たちの顔色が変わりました。その絶望するユダヤ人の姿を見たエゼキエルは「ほら見たことか、ざまあみろ、私の言うことを聞かなかったからこうなったのだ」とは言いませんでした。そうではなく、エゼキエルは、ただちに彼らを励ます希望のメッセージを語りはじめました。「エゼキエル、かっこいいだろ」と高校生に言ったら、うなずいてくれました。自分自身も捕囚の苦難の中に巻き込まれている立場にありながら、絶望する人たちを非難して追い打ちをかけるのではなく、全力で希望のメッセージを語るエゼキエルの姿を想像するだけで、元気になるものがあります。

しかし、現実のエゼキエルは、まさに自分自身も捕囚されている状態なので、具体的な行動をとることができるわけでもない。ただ言葉を語るのみ、そして、ただ「幻」を見るのみにすぎませんでした。

そのエゼキエルが見た「幻」のひとつが、今日の聖書の箇所の「枯れた骨の復活」の幻でした。

神はエゼキエルに、枯れた骨が無数にある谷をお見せになり、これらの骨が生き返るように、と預言するようにお命じになります。そのとおりにエゼキエルが預言すると、骨が近づき、筋と肉が生まれ、それを皮膚が覆い、さらに霊が入ります。そのようにして、イスラエルの全家が生き返ります。

「死者の復活など信じられない」という意見があるのは当然です。死んだ人は生き返りません。

しかし、エゼキエルが見た「幻」の内容は、それが科学的に起こりうるかどうかなどいう次元の話とは全く異なるものです。自分の故郷を失い、家族や同胞が殺され、ひとつの国の滅亡を体験して絶望する人々に、それでも未来がある、国は立てなおされる、という希望のメッセージを、神が預言者エゼキエルに語らせたのです。

今の私たちにも「希望のメッセージ」が必要ではないでしょうか。ほとんど国の体をなしていない政治の腐敗に、新型コロナウィルス感染症が追い打ちをかけてきました。多くの人が「絶望」しています。

その中で、教会が、わたしたちが絶望に追い打ちをかけるような非難の言葉を繰り返しているだけであるわけには行きません。今こそ「希望のメッセージ」を語るときです。「死者の復活」を語るときです。

そのように思いましたので、皆様にお伝えいたします。四谷新生教会の皆様の上に、神の恵みと祝福が来年も豊かにありますようにお祈りいたします。

(2020 年12 月27 日、日本キリスト教団四谷新生教会 主日礼拝)

2020年12月24日木曜日

からし種シアター「きよしこの夜が生まれた日」

昭島教会と深い関係にある劇団「からし種シアター」からのクリスマスプレゼントです。クリスマスにふさわしいお話「きよしこの夜が生まれた日」を12月24日~27日まで4日間期間限定で無料配信をいたします。ぜひご覧ください。どうぞ良いクリスマスと新年をお迎えください。



よきクリスマスイヴをお過ごしください


2020年12月24日(木)17時30分、「新型コロナウィルス感染防止のためクリスマスイヴ礼拝は中止しますが、礼拝堂への入場は可能です」と記した看板を教会玄関前に出し、室内の照明と暖房をつけ、音楽CDで音楽を流し始める。どなたでも静かに祈りをささげることができる場所をご提供。18時から20時まで。

暖房が効いていて、あったかいです。穏やかな音楽が流れています。仕事帰りの方々が少しずつお見えになっています。

2020年9月27日日曜日

キリストの住まい


エフェソの信徒への手紙3章14~21節

関口 康

「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかり立つ者としてくださるように。」

9月最後の日曜日。今週から10月。2020年も残り3か月。今年はいつにも増して時間が経つのが早い気がしてなりません。しかしそれは、感染症対策との関係で自分が願うような働きができていない焦りと結びついていると感じます。教会の皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。

いっそこのまま黙っているほうがいいかもしれません。しかし、私個人の問題ではなく教会の問題ですので申し上げます。主任牧師就任式を、まだ行っていません。

教会総会は書面で行いました。教区、教団、法務局への登記は完了しました。同じ手続きをしないかぎり、くつがえることはありません。なかったことにしようという話は、今のところ私の耳に入っていません。

主任牧師就任式は、それをしなければ主任牧師になったことにならないわけではありません。無理にしなくてもいいかもしれません。なぜするのかといえば、いわば結婚式と同じです。結婚式をしない婚姻関係は十分ありえます。しかし、結婚式を行う人もいます。神と教会の前で誓約すること。その関係を公にすること。それが主任牧師就任式の意味です。

過去の記録を確認したところ、昭島教会で教区の代表者による主任牧師就任式が行われたのは過去4回です。

最初からおられる石川献之助牧師が日本キリスト教団昭和町伝道所を開設された1951年の2年後の1953年の昭和町教会設立式が主任牧師就任式を兼ねるので、それが最初です。2回目が長山恒夫牧師の就任式で1989年。3回目が飯田輝明牧師の就任式で1997年。石川先生が主任牧師にお戻りになったときの就任式が4回目で2006年。

14年ぶりの今年(2020年)のうちに、5回目の主任牧師就任式を行うことができるでしょうか。日程を決めることができずにいます。役員会でさっさと決めて行えばいいではないかと思われるかもしれませんが、機運の問題、気持ちの問題を無視できません。オンラインで行うというのも、ひとつの手かもしれません。

就任式をしてほしいと、おねだりしているわけではありません。教団のルールがそうだから、と言いたいのでもありません。ただ、お互いに困るのは、なんとなくうやむやのままであることだと思います。もしよろしければ、我々の関係を公にしましょう。「私たち一緒に住んでいます」と堂々と言える関係でありたいと願っています。

今日開いていただいた聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙3章14節から21節までです。しかし、最近の聖書学者の多くが、エフェソの信徒への手紙は使徒パウロが書いたものではなく別の人がパウロの名前を用いて書いた手紙であると主張しますので、すんなりと話を始めることができません。

私が35年ほど前に、東京神学大学で初めてエフェソの信徒への手紙についての学術的な講義を受けたのは竹森満佐一教授からです。そのときの竹森先生の言葉をはっきり覚えています。

「この手紙はパウロが書いたものではないと言う人は多い。しかし、他のパウロの手紙に似ていることを否定する学者はだれもいない。似てるんでしょ。だったら『パウロが書いた』でいいんですよ」とおっしゃいました。すっきりした気持ちになったことを覚えています。

私はその竹森先生の線でお話ししたいと願っています。今日の箇所に記されているのは、使徒パウロの祈りです。パウロの名前を用いて書かれた別の人の祈りであるとか言い始めると、価値が下がります。

しかしそれでも、なるほど大切なのは「誰の」祈りなのかより「何が」祈られているかのほうだと思います。内容が大切です。そして、確実に言えるのは、これは西暦1世紀のキリスト教会で大変重んじられた祈りの言葉である、ということです。

エフェソの信徒への手紙や、次のフィリピの信徒への手紙などは、当時の多くの教会で回覧され、礼拝の中で読まれていたと言われます。手紙というより回覧文書です。そのようなものとして当時の教会で重んじられ、2千年後の今日まで伝えられてきました。

この祈りの中で注目していただきたい言葉を、今日の週報の「今週の聖句」に書き抜きました。それが16節と17節です。マークしていただきたいのは「御父」と「その霊」と「キリスト」と「信仰」と「あなたがたの心」です。

父なる神が、聖霊によって、信仰によって、御子なる神なるキリストを、あなたがたの心の内に住まわせるようにしてください、と祈られています。

教会の歴史や神学を学べば学ぶほど次第に分かってくるのは、わたしたちの神が父・子・聖霊なる三位一体の神であるということが教会の教義として定められたのは西暦4世紀であるというようなことです。「三位一体」という言葉自体は聖書に出てこないことも事実です。

しかし、だからといって、父・子・聖霊なる三位一体の神が西暦4世紀に誕生したわけではありません。教会の教義になる前から、父・子・聖霊は神でした。私たちは母の胎から出る前から存在しました。名がつけられ、出生届が提出された瞬間に人間になったわけではありません。それと同じです。

三位一体の神と私たちとの関係が祈られています。直線的な関係です。父なる神から私たちへと、聖霊なる神の働きによって私たちの中に信仰が生まれ、その信仰によって私たちの心の中にキリストが宿ってくださるという話です。

言葉にしようとすると、どこまでも難しくなります。しかし、感覚的には理解できる話です。私たちの信仰は、神が私たちに与えてくださったプレゼントである、ということです。そして、信仰が与えられている私たちの心の中にキリストが住んでおられるのです。

言い方を換えれば、「キリストの住まい」は私たちの心であるということです。キリストがおられるのは、山のあなたの遠い空の向こう側ではない。今ここに、わたしたちの胸の奥におられるのです。

そして、「キリストが私たちの心に住む」とは、キリストと私たちが愛し合い、その関係を公にすることを意味します。好きになった人のことを「意中の人」と言うではありませんか。心の中に思い定めた人。

私たちの「意中」に、キリストがおられるのです。私たちの胸いっぱいにキリストがおられます。そして、すでに一緒に住んでいるならば、そのことを隠すわけには行きません。それが信仰を告白し、洗礼を受けることの意味です。

愛がなければ騒がしいどら、やかましいシンバルです。信仰と希望と愛、その中で最も大いなるものは愛です(コリントの信徒への手紙一13章)。

キリストがわたしたちを愛してくださり、わたしたちがキリストを愛する、その関係がすでに始まっている。それが「キリストが私たちの心に住む」ということです。

(2020年9月27日、日本キリスト教団昭島教会 主日礼拝)

2020年8月23日日曜日

力を合わせて働く


コリントの信徒への手紙一3章1~9節

関口 康

「大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」

今日も暑い中お集まりくださり、ありがとうございます。新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から、教会も多くの点で自主規制を余儀なくされています。それでも日曜の教会学校と主日礼拝、また木曜の聖書に学び祈る会の出席人数は、徐々にですが、元通りになってきています。

しかし、このことを申し上げるのも、事柄を急かす意味も、裁く意味も全くありません。どうかご自愛ください。決して無理をしないでください。「責任逃れでそのように言うのだろう」とか言わないでください。そういう問題ではないと、どうかご理解ください。

教会というものの本質を考えると、教会に集まるわたしたちひとりひとりの命が教会の命です。わたしたちひとりひとりが教会です。その意味では「教会は人の集まり」です。いろんな意味で言われる言葉です。「教会もまた、複雑に絡み合った人間模様が展開される場である」というような意味で「教会は人の集まりにすぎない」とまるで吐き捨てるように言われる場合もあります。しかし、今申し上げているのは、その意味ではありません。

人がいなければ教会ではありません。わたしたちの生身の命の集まりが教会です。イエスさまも弟子の存在をお求めになりました。イエスさまひとりだけがいて、それで教会だということはありません。人がいて、それで初めて教会です。だからこそ、わたしたちひとりひとりが自分の命を大切にすることは教会を守ることを意味しています。その意味でくれぐれもご自愛くださいと申し上げています。

しかし、これからどうすればよいかは本当に分かりません。手をこまねいているわけには行きませんが、途方にくれます。

近所のコンビニエンスストアに、毎日のように行っています。贅沢するつもりはありません。最近はコンビニでなんでも買えますので、特に学校が夏休みの間は、野菜や豆腐などを買っては自分で料理をしています。

今お話しするのは、料理自慢ではなく、コンビニのアルバイトの人のことです。インドの南端から東の海にスリランカという国の島がありますが、そこから来た男子学生がいます。私が牧師であることを明かしたら「ぼくもクリスチャンです」と教えてくれて、意気投合しました。

話すと言っても、レジ中の一言二言です。昨日「ご家族は大丈夫ですか」と尋ねたら、「はい、大丈夫です」と返ってきました。「向こうはどう」と尋ねたら、それだけで通じて「国全体で感染者が200人ほどしかいません」と返って来たので、それはすごいと驚きました。「日本から帰ってくるなと言われるでしょ」と尋ねたら「はい、言われます」と笑ってくれました。

後ろにお客さんが並んでいますので、それ以上の会話はできません。帰宅してその会話を思い出しているとき考えさせられたのは、コロナの話題は国籍を越えるということでした。これほど例外なく全世界の全人類が共有し、共感できる話題はありません。互いを思いやり、心配しあう心のつながりが、全く思いもよらぬ仕方で生まれてきた気がしてなりません。

今日朗読していただいた聖書の箇所も日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧2020』に従って選びました。このことを毎回言うのは、特に今年に関してはコロナとの関係で聖書の箇所を選んだわけではないと申し上げたいからです。2020年版の発行日は「2019年12月1日」ですので、コロナとは無関係に編集委員会が作成したものです。

しかし、毎週感じるのは、その日の聖書の箇所はわたしたちの状況によく当てはまっているということです。ただし、今日の箇所に関してはよく当てはまってよいかどうかは考えどころです。

コリントの信徒への手紙一3章1節から9節までを先ほど司会者に朗読していただきました。この箇所に記されていることを今のわたしたちの言葉づかいで説明するとしたら、使徒パウロがいわば開拓伝道者として設立したコリント教会が、パウロがその教会の牧師を辞職して次の任地に移動したのち、次に来た牧師がアポロという名前でしたが、教会が分裂してパウロ派とアポロ派ができてしまったという話です。ひとつの教会の中で両派がけんかしている状態です。

しかもそれを、よりによって設立者であるパウロ自身が口をはさむ仕方で「ある人が『わたしはパウロにつく』と言い、他の人が『わたしはアポロに』などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか」(4節)というような強烈な言葉でずけずけと教会を責めている箇所ですので、教会というものの現実をよく知る人であればあるほど複雑な気持ちで読まざるをえないところです。

しかし、今回改めてこの箇所を読み直してみて気づかされたのは、6節と7節に記されている「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」という使徒パウロの言葉は、なにかこう、どこか下世話に響く言い方をお許しいただけば「きれいごと」のようなことでは決してないということです。

私個人の気持ちを言わせていただけば、「あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか」とパウロのような人から言われても「私はただの人だよ。文句あるか」と返したくなるところがあります。どの牧師が好きとか、どの牧師につくとか、そういうことは阻止されるようなことではないし、阻止したところで無駄な抵抗です。「どうぞご自由に」としか言いようがありません。

いま申し上げたのは私の気持ちですが、パウロも同じ気持ちだったのではないかと想像します。「わたしは植えた」と言っているのですから。コリント教会の創立者はこの私であると明言しているのですから。「アポロは水を注いだ」とも言っています。各教師の働きの努力を、パウロ自身が否定しているわけではありません。

問題なのは、なんだかんだ理由をつけて、教会の中でけんかすることです。そんなことをしていると、教会は四分五裂、雲散霧消です。跡形もなく消滅してしまいます。そうならないために「成長させてくださる神」を共に信じようではありませんかというのが今日の箇所の主旨です。

教会を失うことが最大の損失です。「失ってみれば分かる」という言い方はしたくありません。コンビニの彼が教会に来てくれるかどうかは分かりません。しかし、いろんな機会を得ながら、友達を増やしていくことが今の危機を乗り越える道ではないかと思う次第です。

教会のみんなで、力を合わせて伝道しましょう。

(2020年8月23日、日本キリスト教団昭島教会 主日礼拝)

2020年8月9日日曜日

聖餐を待ち望む


コリントの信徒への手紙一11章23~29節

関口 康

「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」

今日の聖書の箇所も、いつもと同じく、日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧』に基づいて選びました。説教題も、『日毎の糧』どおり「聖餐」とする予定でした。しかし、今のわたしたちの状況を考えて、言葉を少し伸ばして「聖餐を待ち望む」としました。

今のわたしたちの状況とは、「新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から」多人数の集会の中で飲食をふるまうのを控えるべきであるという考えのもと、原則として毎月第1日曜の礼拝と、キリスト教の三大祝祭としてのクリスマス、イースター、ペンテコステの各礼拝とで行っている聖餐式を、今年3月から半年間も中止したままである、ということです。

その間、イースター(4月12日)もペンテコステ(5月31日)も過ごしました。両日とも聖餐式を行わなかったどころか、各自自宅礼拝でした。礼拝堂にみんなで集まっての礼拝をしませんでした。

そのような状況の中で、今日私は「聖餐を待ち望む」という題でお話しします。さっそく誤解が起こりそうなので申し上げます。今日の説教題には、半年も行えていないわたしたちの聖餐式を今すぐ再開すべきだと急かす意味はありません。そのようなことは全く考えていません。

「コロナ禍が過ぎ去るまで、忍耐して待ちましょう」と言えば、もちろんそのとおりです。それ以外に言いようがありません。しかし、いつ過ぎ去るのでしょうか。

そんなことは気にしないで、どんどんやりましょうと言うべきでしょうか。不安と恐れをもつ人々のほうが悪いでしょうか。そのようなことは、私は全く考えもしませんので、聖餐の再開を急かす意味も意図もありません。

否定的な言葉ばかり並べるのは、みなさんをがっかりさせるだけで申し訳ないです。なんとか肯定的な言葉も語りたいです。

それで申し上げたいことですが、このたび図らずも、わたしたちがもしかしたら見落としていたかもしれないけれども、考えてみれば当たり前すぎるほど当たり前の事実を、再認識できたのではないだろうか、ということです。

それは何かと言いますと、端的に「聖餐とは飲食である」ということです。だからこそ、それを行うのを今わたしたちは取りやめています。飲食でないならば、取りやめる必要はありません。

聖餐は「飲食」です。その「飲食」を教会は、イエス・キリストが弟子たちと共に行われた最後の晩餐を記念する仕方で、なんと2千年ものあいだ続けてきたと、わたしたちは信じています。

ひとつのことだけを強調して言うと、まるでなにか極端なことを言っているのではないかと思われてしまうかもしれません。しかし、事実です。教会は「飲食」の場であり、礼拝は「飲食」の時間です。教会における「飲食」の要素は、あってもなくても構わないような、どうでもよいものではありません。密接不可分の関係にあります。

いちいち箇所を挙げて説明するのは割愛しますが、西暦1世紀の教会の活動の様子が描かれているのが、新約聖書の使徒言行録です。読むと必ず分かるのは、最初のキリスト者たちは礼拝のために日曜日に集まるたびに、イエス・キリストが最後の晩餐でなさったように、パンを割いて、それをみんなで食べていたことです。そのことが繰り返し記されています。

今日の箇所に記されているのも、当時の教会で行われていた「飲食」の様子です。それについてパウロが、自分の目で見ておかしいところがあるので改めたほうがいいとか、こうすべきだとか、やや厳しい内容を含む意見を述べている箇所です。

当時の教会でどのような礼拝が行われ、そこで「飲食」が行われていたかについて、聖書の研究者が言うことには諸説あるようです。

私なりに理解しているところを申せば、今のわたしたちが「聖餐」と呼ぶ部分と「愛餐」と呼ぶ部分は、当時から分かれていました。どこが違うかといえば、飲食の量の違いであるとしか言いようがありません。ちょっと食べるか、いっぱい食べるかの違いです。しかし、それだけ言うと誤解を招くでしょう。

今日の箇所で大事なのは、パウロが「空腹の人は、家で食事を済ませなさい」(33節)と書いていることです。これは「聖餐」だけではなく「愛餐」にも当てはまることだと思われます。しかし、もしそうなら、疑問がわいてきます。だって普通、飲食の席に人を誘うときは「家で食事しないで、お腹をすかして来てくださいね」と言うではありませんか。パウロが言っているのは正反対です。

これで分かるのは、パウロが言おうとしているのは、教会に通う目的は、教会でお腹いっぱい食べるためではない、ということです。そうではなく、たとえ少量であっても、あるいは実際には家でごはんをしっかり食べて来て、お腹に入るところはもうどこにもないほどであっても、そのこととは別に、教会で「飲食」をすること自体に意味がある、ということです。

彼らがなぜ、それほどまでに「飲食」を重んじていたかといえば、それがイエス・キリストのご生涯を現していると、彼らが信じたからです。

私は今ここに、パンとぶどうジュースを持ってきました。礼拝の直前に、あそこのコンビニで買いました。残念ながら白ブドウのジュースしかありませんでした。そして、申し訳ありませんが、皆さんに分けるためではなく、私があとでひとりで食べます。

そんなものをなぜ持ってきたのかといえば、こんなふうにイエスさまがなさったのではないかと想像していただくためです。

最初に、このようにしてパンを割って「これが私の体だからね。私の命をあなたがたにあげるからね」とおっしゃったのではないでしょうか。

次に、ぶどうの杯を取り上げて「これが私の血だからね。私の命をあなたがたにあげるからね」とおっしゃったのではないでしょうか。

もちろん特に最後の晩餐に関していえば、十字架上での処刑前夜という状況だっただけに深刻な場面だったとは思います。しかしそれでもなんとなくユーモラスな雰囲気があったのではないかと想像できます。イエスさまは、笑顔だったのではないでしょうか。

しかしイエスさまは、小さなパンやわずかなぶどう液を見せつけてありがたがらせるようなことをなさったわけでは決してなく、食べるにも困っている人たちや、寂しい人たちや、世で差別されている人たちを積極的に招いて、あるいはイエスさま自ら訪問されて、共に「飲食」をすること自体でその人々を励まし助けることに、ご自身の一生をささげて取り組まれた救い主です。

イエスさまのお姿をまざまざと思い起こすための「飲食」、それが「聖餐」であり「愛餐」です。逆に言えば、そうでないような「飲食」であれば、教会で行う意味はありません。「空腹の人は家で食事を済ませなさい」とパウロが書いているとおりです。

「聖餐」の再開を待ち望みます。それがいつかは分かりません。しかし「聖餐」の再開の目的は、イエスさまのお姿をまざまざと映し出し、喜びと救いの恵みにあふれる教会本来の姿を取り戻すことです。その日を心から待ち望みます。

(2020年8月9日、日本キリスト教団昭島教会 主日礼拝)

2020年7月26日日曜日

破局からの救い


使徒言行録27章33~44節

関口 康

「だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。」

今日の箇所に記されている出来事は、先週の箇所に記されていたことと時間的にも内容的にもつながっています。

使徒パウロが2回目の伝道旅行を終えてエルサレムに戻ったとき、40人以上のユダヤ人たちがパウロに襲い掛かりました。しかし、客観的に見てパウロに罪はないと考えたローマ軍の千人隊長がパウロを助け、なんと470人もの兵士にパウロを守らせて、エルサレムの隣町カイサリアまでパウロを護送したというのです。

そして、カイサリアに着いたパウロは、ローマ総督フェリクスの前で弁明を求められたので、そこで自分は悪いことをしていないと言い、死者の復活というユダヤ教のファリサイ派の人々も受け入れているのと同じ信仰を叫んだだけだと言ったというのが、先週の箇所に記されていたことのあらすじです。

その続きの話が今日の箇所に記されています。カイサリアのフェリクスのもとで弁明を終えたのち、パウロはさらに、なんとローマ皇帝に謁見することが許可され、ローマまで護送してもらえることになりました。

「してもらえる」という言い方を意図的にしています。客観的あるいは相対的に見て一般市民のひとりにすぎないパウロが、ローマ軍を護衛につけてローマ皇帝のもとまで連れて行ってもらえるというのは、驚くばかりのことであり、奇跡に近いと考えるほうがよいと思うからです。

西暦60年代から70年代にかけて、ユダヤとローマ帝国の間で、歴史家が「第一次ユダヤ戦争」と呼ぶ戦争が起こりました。しかし、その戦争のことは使徒言行録には描かれていません。今日の箇所を含む使徒言行録に描かれているのは、すべて西暦60年代より前の出来事です。

そのことが意味するのは、イエスが十字架につけられた西暦30年頃から30年も経たないうちにキリスト教会がローマ帝国の目から見て無視できない存在になっていたということです。その約300年後の西暦4世紀にはキリスト教がローマ帝国の国教になります。そのような実際の歴史的な流れを考えながら読むと、今日の箇所はとても興味深いものになるでしょう。

それでは今日の箇所に描かれていることは何でしょう。ローマ軍の兵士たちとパウロを乗せた船が地中海で暴風に遭い、漂流しはじめたというのです。せっかくローマ皇帝に謁見できる運びになったのに、途中で交通事故に巻き込まれて足止めを食らいました。足止めどころか、海の上で全員が死んでしまう危険性がありました。しかしその中で、パウロが活躍したというのです。

今日の箇所の少し前の27章20節に「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた」と書かれています。その船に乗っていた人の数は276人でした(37節)。これだけの人々が暗闇の海の上で絶望的状況に追い込まれました。

その中で「パウロが活躍しました」と先ほど言いました。しかし、客観的に見て、そのときのパウロは、その船の中でどう考えても指導的な立場にあったとは言えません。そこにはローマ軍の百人隊長もいるし、軍人たちもいました。船長もいれば、船員たちもいました。しかし、その人々は、難破船の中で、ただおろおろしているだけでした。

ひとり、パウロが語りはじめました。客観的に見れば一般市民であり、旅人であり、この時点では囚人のパウロです。何も持たず、足には足かせを付けられていたことでしょう。そんな無力で何も持たないパウロが、鎧やかぶとや剣をもった兵士たちに対し、力強い言葉で励ました、というのです。何かとんでもないことが起こっていると、認識すべきでしょう。

漂流14日目の夜にどこかの陸地に近づいたことが分かった船員たちが、暗礁に乗り上げるのを恐れて船から逃げだそうとしました。しかしそのときパウロが、百人隊長と兵士たちに「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と言って船員たちが逃げ出すのを阻止した、という逸話が描かれています。

パウロは勉強家だったようですので、もしかすると、船を動かす技術や海についての専門的な知識を持っていたかもしれませんが、そうかどうかは全く定かではありません。そのような知識は一切持っていなかったかもしれません。

しかし、パウロに分かったことがあったのです。危機的な状況の中で、人間が何を考えるか、どのような行動をとるかが。この中で、ずるい人はだれか、逃げ出す人はだれか、だます人はだれかが。

なぜ分かったかといえば、それはパウロが教会の牧会者だったからだ、としか私には言いようがありません。牧師の立場で教会をシビアに見ていくと、同じことがあてはまると、パウロの目には見えていたのだと思います。

そしてパウロがみんなに呼びかけたのは、一緒に食事をしましょうということでした。そしてその食事の前に、パウロが感動的なメッセージを語っています。

「今日で14日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」

こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた、と記されています。総勢276人の大宴会の始まりです。

このときパウロは、教会の聖餐式や愛餐会を思い浮かべていたのではないでしょうか。コロナ禍の今、わたしたちが、その「教会の食事」を一緒にできないのが残念でなりません。

それでみんなが元気になりました。「十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした」と記されています。残りの食べ物は無い、ということは、彼らが背水の陣を敷いたことを意味しています。

私にとって興味深いことがあります。それはパウロが彼らに「神を信じなさい」と言わないことです。「わたしは神を信じています」(25節)とは言いました。しかし、ローマ軍の兵士たちにパウロが語ったのは「元気を出しなさい」であり、「何か食べてください」という言葉でした。

これはわたしたちにとってとても大切なことです。人の不安や不幸に乗じて特定の宗教を一方的に押し付けられると、わたしたちだって警戒心を持つではありませんか。「伝道のチャンスだ」などと思わず、窮地を乗り越えることにおいて互いに協力しあうことに集中するのが大事です。

結果として「キリスト教の人たちは信頼できる」と思ってもらえたら、その中に「教会に行ってみようかな」と心を動かしてくださる方が、あるいは引き起こされるかもしれません。しかし、それはあくまでも結果論です。

(2020年7月26日、日本キリスト教団昭島教会主日礼拝)

2020年7月19日日曜日

復活の希望


使徒言行録24章1~23節

関口 康

「彼らの中に立って、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ』と叫んだだけなのです。」

今日の個所で語っているのは使徒パウロです。場所はカイサリアという町です。その直前までエルサレムにいました。パウロをエルサレムからカイサリアまで連れてきたのは、千人隊長クラウディウス・リシアと、リシアが召集した歩兵200名、騎兵70名、補助兵200名、合計470名でした(23章23節)。

この兵士たちは、エルサレムでパウロに対して「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない」(22章22節)とわめき立てていた40人以上のユダヤ人たちの手からパウロを助け出し、カイサリアにいたローマ総督フェリクスのもとへパウロを護送しました。

クラウディオ・リシアがフェリクス宛てに書いた手紙の内容が、23章26節以下に記されています。

「クラウディオ・リシアが総督フェリクス閣下に御挨拶申し上げます。この者がユダヤ人に捕らえられ、殺されようとしていたのを、わたしは兵隊たちを率いて救い出しました。ローマ帝国の市民権を持つ者であることが分かったからです。そして、告発されている理由を知ろうとして、最高法院に連行しました。

ところが、彼が告発されているのは、ユダヤ人の律法に関する問題であって、死刑や投獄に相当する理由はないことが分かりました。しかし、この者に対する陰謀があるという報告を受けましたので、直ちに閣下のもとに護送いたします。告発人たちには、この者に関する件を閣下に訴え出るようにと、命じておきました。」

いま申し上げているのは、パウロがなぜカイサリアのローマ総督フェリクスの前に立つことになり、そこでパウロが自分の立場を説明しているのかについての背景説明です。

今日の朗読箇所の直前に、大祭司アナニアの顧問弁護士であるティルティロが語っています。最初のほうはお世辞です。面倒くさいので割愛します。問題は24章4節以下です。

「さて、これ以上御迷惑にならないよう手短に申し上げます。御寛容をもってお聞きください。実は、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の主謀者であります。この男は神殿さえも汚そうとしましたので逮捕いたしました。閣下御自身でこの者をお調べくだされば、私どもの告発したことがすべてお分かりになるかと存じます」。

この箇所の内容から分かるのは、ティルティオはパウロを「疫病のような人間」であると言っています。もちろん批判の言葉として語られたものであって、誉め言葉ではありません。しかし、パウロの影響力の大きさを指して「疫病のよう」と言われているとしたら、周囲に脅威を与える存在だったことを意味するでしょう。

わたしたちはどうだろうと考えさせられます。疫病呼ばわりはごめんですが、社会の中で全く影響力がない存在であるとしたら寂しいかぎりだと思わなくはありません。

今日の箇所の10節以下がパウロの言葉です。

「私は、閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じ上げておりますので、私自身のことを喜んで弁明いたします。確かめていただけば分かることですが、わたしが礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ12日しかたっていません。

神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。

しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。」

パウロの言うとおりだと思います。パウロがエルサレムでしたことがあるとすれば、今のわたしたちと同じように、普通にただ礼拝しただけです。聖書のお話を聞き、祈りをささげる。ただそれだけです。客観的に見れば、静かなものです。それが、しかし「疫病」呼ばわりになったり「扇動者」呼ばわりになったりです。

パウロが総督フェリクスの前で語ったのはキリスト教信仰の核心部分である「死者の復活」という点でした。「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望」と言われている中の「正しい」とか「正しくない」というのは神との関係を指していますので、神を信じて生きている者も神を信じていない者も、という意味になります。

この「死者の復活」という信仰は、ユダヤ教のファリサイ派の人々は信じていることでした。パウロが言おうとしているのは、キリスト教徒が「死者の復活」を信じるからといって、ユダヤ人たちから異端視される理由にならないということです。

しかし、パウロの場合は、それは先祖から受け継いだ信仰だからという理由で「死者の復活」を信じたわけではありません。パウロは、イエス・キリスト御自身が彼の目の前に本当に現れたと信じたのです。

わたしたちはどうでしょうか。わたしたちは「死者の復活」という言葉にどう反応したらよいでしょうか。何を信じるべきでしょうか。何を期待すべきでしょうか。

それは、亡くなった人がたまに夢の中に現れてくれることでしょうか。あるいは、亡くなった人が地上に遺した業績を見つめながら故人の在りし日をしのぶことでしょうか。亡くなった人の体をミイラにして、かびないように保存することでしょうか。遺伝子を取り出して保存して将来その人のクローンを作ることでしょうか。立派な銅像を建てることでしょうか。

どのように信じることも、あるいは信じないことも、ある意味で自由です。ダメと言われても困るというか、人は信じたいことを信じたいように信じます。それを止めることはできませんし、止めてもとがめても効果はありません。自分の考えと違うとなれば、信じること自体をやめるか、自分の考えと近いことを言う人たちのところに行くだけです。

パウロは、自分が見たことを見たように語っただけです。初代のキリスト教徒が「死者は復活する」と信じた内容も、権力者たちが十字架にかけて殺害したイエスは生きている、ということです。権力者たちに対する抵抗の意思表示、すなわち挑戦状の意味がありました。

万人に対する生殺与奪権を持っていると思い込んでいる権力者たちが、どれほど自己保身のために邪魔になる存在を滅ぼし尽くそうとしても、それは無駄な抵抗であるということです。

イエスは生きている、イエスによって裁かれるのはお前たちだ、ということです。

(2020年7月19日、日本キリスト教団昭島教会主日礼拝)

2020年6月28日日曜日

天のエルサレム

説教壇にアクリル板を設置し、マスク着用で説教しています

ヘブライ人への手紙12章18~29節

関口 康

「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。」

来週の礼拝から原則的に元通りに戻すことにしました。教会学校も来週から再開します。聖書に学び祈る会も今週木曜から再開します。それが最善の選択だという確信はありません。様子を見ながら状況に対応していきたいと考えています。

今日の聖書の箇所はヘブライ人への手紙12章18節から29節までです。いつものとおり日本キリスト教団の聖書日課に基づいて選びました。内容的に難しい箇所です。何を言っているのか分からないとさえ思えます。しかし、難しいから避けるのではなく、皆さんと一緒に難題に取り組む気持ちでお話しします。

最初に申し上げるのは、「ヘブライ人への手紙」というタイトルの問題です。先週の説教で「ヨハネの手紙一」を取り上げたときに申し上げたのと同じようなことを言わなくてはなりません。それは、「ヘブライ人への手紙」は「手紙」ではない、ということです。

ただし、「ヨハネの手紙一」と違い、「ヘブライ人への手紙」には13章20節から最後までに「結びの言葉」があります。この点だけ見れば手紙のようでもあります。しかし、書いた人の名前もなければ、宛て先も記されていません。もともとは前書きがあったが、失われたのだという仮説が唱えられたことがあったようですが、根拠はありません。

手紙でないなら何なのかを考えるヒントがあります。それが今指摘した13章20節以下の「結びの言葉」の中の「兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受け入れてください」(22節)です。「勧めの言葉」の原意は、今の教会の「説教」と同じです。つまり、この書物の内容は「手紙」ではなく「説教」であると著者自身が述べています。

次に申し上げるのは、この書物の著者はだれかです。これも13章22節以下の結びの言葉の中に「わたしたちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします」(23節)と記されていることで、テモテは使徒パウロの弟子であることがよく知られているために、「ヘブライ人への手紙」はパウロが書いたものだと昔から考えられてきました。

特に重大な事実は、この書物が新約聖書の一書として加えられることが確定したとき(西暦4世紀)、加えられた理由が「使徒パウロの書簡だから」ということだった、ということです。しかし、そう考えるのは無理であると、今は大方考えられています。

このような話をするのも、聖書の学術的な説明をしたいわけではありません。使徒パウロの手紙であることがはっきりしている、たとえばローマの信徒への手紙やガラテヤの信徒への手紙の中に書かれていることとの関係や調和を考えながら「ヘブライ人への手紙」を読む必要はない、ということを申し上げたいだけです。著者はパウロではありません。

もうひとつ申し上げるのは「ヘブライ人への手紙」が書かれた時期です。結論だけ言えば、西暦1世紀の終わりごろ、80年代から90年代ではないかと言われています。冗談めかして言うことではありませんが、使徒パウロが書いたものだとしたら、パウロは何歳まで生きたのだろうという話になります。

年代の話をするのは、それがこの書物の最も重要なテーマだからです。そうであるということの根拠をいくつか挙げておきます。

「この救いは、主が最初に語られ、それを聞いた人々によってわたしたちに確かなものとして示され」(2章3節)。

「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」(12章4節)。

「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい」(13章7節)。

今あげた3か所に共通しているのは、この書物の著者が語りかけている相手が、キリスト教会のいわゆる第二世代というべき人々である、ということが分かるように書かれているということです。第一世代の多くは殉教の死を遂げました。しかし、あなたがたはそうでない、なぜなら、あなたがたは「まだ血を流していない」からだと言われているわけです。

この書物の中で特に有名なのは、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(11章1節)から始まり11章全体に及ぶ、旧約聖書物語の要約です。

カイン、アベル、エノク、アブラハム、サラ、イサク、ヤコブ、エサウ、ヨセフ、モーセ、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエルらの名前が、次々に挙げられます。

そのうえで、「このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(12章1~2節)と語られます。

つまり、この書物が書かれた、あるいは宣教として語られたときの背景ないし文脈には、教会の世代交代に際して、第一世代の人々の熱心な信仰を第二世代の人々にぜひ受け継いでもらいたいという強い願いがあった、ということです。それは、ほとんどそのひとつのこと(信仰継承!)を言うためだけに、この書物が書かれた、と言ってもよいほどです。

しかし、どうでしょうか。反論するわけではありませんが、キリスト教会の第二世代の人々は本当にだらしなかったのでしょうか。第一世代の人々の目から見ると、そのように見えたかもしれません。しかし本当にそうだったのでしょうか。第一世代の人々が、我々の信仰を受け継いでくれない、教会を受け継いでくれないと、第二世代の人々に対して腹を立てたり落胆したりするあまり、厳しすぎる言い方になってしまっている嫌いがなかったでしょうか。

どんなことであれ、先輩が後輩に厳しい目を向けるのはある意味でやむを得ないことです。しかし、わたしたちが知っている事実は、教会の歴史は第一世代だけで途絶えはしなかった、ということです。なんと二千年も続いたし、これからも続くであろう、ということです。

わたしたちはどうでしょうか。叱られれば委縮するだけです。互いに責め合うのではなく、愛をもって信仰を継承し、教会の世代交代を果たしていこうではありませんか。

「感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えること」(28節)が大事です。キーワードは「感謝」と「敬意」と「喜び」です。つまり《楽しい教会》であることがどうやら大切です。

その思いで、再来年(2022年)の昭島教会創立70周年を共に迎えようではありませんか。

(2020年6月28日、日本キリスト教団昭島教会 主日礼拝)

間隔をあけて座るようにしています

2020年6月21日日曜日

信仰の道

説教壇にアクリル板を設置し、マスク着用で説教しています

ヨハネの手紙一2章22~29節

関口 康

「初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。初めから聞いていたことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもあるでしょう。」

今日も変則的に短縮した形で礼拝を行っています。説教も短くします。

ご承知のとおり、今年度の私は2つの学校で聖書を教えています。ひとつの学校は校舎での対面授業を再開しています。もうひとつの学校はインターネットを用いたオンライン授業をしてきましたが、まもなく対面授業を再開します。

現時点で私が対面授業に出かけているのは週1日だけです。片道3時間かかり、その間のほとんどの時間を、電車とバスの中で過ごします。一昨日出かけたときは朝5時台の電車で、立川から新宿まで座れませんでした。帰りの午後2時台の電車も新宿まで座れませんでした。座りたかったと言いたいのではなく、東京の交通機関はすっかり元に戻っているということを報告しようとしているだけです。

しかし、もう危険は去ったのでしょうか。毎週言うようなことではありませんが、昨日も「国内で64人、そのうち東京は39人の感染者が確認された」と報道されていました。世界保健機関(WHO)の事務局長は昨日の時点で「一昨日、世界で過去最大の15万人超の新規感染者が確認された」と表明し、「流行は加速している」とまで言いました。そのような報道と東京あるいは日本全国の現実は全く矛盾していると、私には思えてなりません。

しかし、「とにかく様子を見る他はないだろう」としか言いようがありません。私が自分のしていることを誇張したいわけではありませんが、もしかしたら今集まっているわたしたちの中で、最も長時間の電車やバスの中にいたり、千人以上の学校の中に長時間いたりするという意味で、最も危険な存在かもしれません。どこで何を拾ってくるか分かりません。

そのように思うのであれば、私は今ここに立つべきではないかもしれません。しかしそういうわけにも行かないという現実の前に立たされているという点で多くの方々と同じ立場でいる気持ちです。「マスクで鼻と口を覆い、教会のみなさんになるべく近づかないようにする牧師」というのは、概念矛盾のようなものでしかなく、申し訳なく思うばかりです。

しかし、こういう話をずっと続けるつもりはありません。今日開かれている聖書の御言葉についてお話しします。

これは「ヨハネの手紙一」というタイトルの書物です。事実なのではっきり言いますが、この書物のどこにも、ヨハネの名前は出てきません。もうひとつの事実は、この書物はどう考えても、新約聖書の中の他の手紙と同じ意味での「手紙」ではないということです。送り主の名前も宛て先もなければ、結びの言葉もありません。

そのような書物がなぜ「ヨハネの手紙」と呼ばれているのでしょうか。これも事実ですのではっきり言いますが、新約聖書の最初に四つある福音書の最後の「ヨハネによる福音書」と内容的に重なり合う要素が多いということが昔から知られてきたからです。

しかし、それ以上のことははっきりとは言えません。かろうじて言えるのは、この「ヨハネの手紙一」と呼ばれる書物は、ヨハネによる福音書の内容をよく知っている人によって書かれている、ということです。それ以外の可能性はありません。ヨハネによる福音書を知らない人に、ここまで一致する内容の文書を書くのは不可能です。

なぜこんな話をしているのかといえば、先ほど朗読した箇所の中の「初めから聞いていた」の意味を明らかにしたいからです。ヨハネによる福音書が書かれた年代は、比較的はっきり分かっています。それは西暦1世紀の終わり頃から2世紀の初め頃です。早くとも西暦90年より後だろうと考えられています。

そうしますと、今申し上げたことが何を意味するかといえば、先ほど申し上げたとおり、ヨハネによる福音書を知っている「ヨハネの手紙一」は、明らかにヨハネによる福音書よりも後に書かれた、ということです。ということは、ヨハネの手紙一はおそらく西暦2世紀に書かれたものであろうということです。その意味は、イエスさまが十字架の上で処刑された西暦30年前後から数えれば、70年ほど後に書かれたものだということです。

学術的な説明をしたいわけではありません。「初めから聞いていたことを心にとどめなさい」(24節)と記されている「初め」の意味を申し上げたいだけです。この「初め」はこの書物の中に何度も繰り返し出てきます。

この「初め」は「私は3年前に初めてイエスさまを信じ、洗礼を受けました」というような意味の、わたしたちひとりひとりの個人的な信仰生活の「初め」ではなく、十字架につけられて死んだあのイエスこそ真の救い主キリストであると、初めの教会が公に信仰を告白したときを指していると考えられます。

そうだとすると、この書物が「心にとどめなさい」と呼びかけている「初め」は、この書物が書かれたときよりも70年ほど前を指している、ということです。

そしてもうひとつ言えるのは、この「ヨハネの手紙一」の中でこれも繰り返し述べられているのは、キリスト教の内部にいわゆる異端が発生し、教会が分裂し、崩壊しかかっていたことに対する警告として「初めから聞いていたことを心にとどめなさい」と言っている、ということです。その意味は、教会の根源的な信仰告白に立ち返ってほしいという強い願いであるということです。

それがどんな異端だったのかというようなことを具体的に説明するのは、やめておきます。本文をお読みください。歴史的な事実だけ言えば、もしその異端との争いに敗れていたら、キリスト教会はその時点で消滅し、その後のキリスト教の歴史は無かっただろうと言われるほどの悪影響をもたらした一大勢力でした。70年続いたキリスト教会の歴史がそこで終わっていたかもしれない、ということです。

悪いほうの話をわたしたちの現実に引き寄せ過ぎないようにします。そういうことをすると暗い気持ちになるだけです。

それよりも、再来年の2022年に昭島教会の創立70周年を迎えるではありませんか。「イエス・キリストこそ真の救い主である」と、この教会としての初めての信仰告白がなされてから、まもなく70年です。わたしたちにとって今は「ヨハネの手紙一」の状況さながらである、ということです。

右にも左にもそれず、これまでと同じひとつの信仰の道を歩んでいこうではありませんか。これからも昭島教会のともしびを高く掲げ続けようではありませんか。

(2020年6月21日、日本キリスト教団昭島教会 主日礼拝)

間隔をあけて座るようにしています


2020年5月31日日曜日

聖霊の賜物(2020年5月31日 ペンテコステ礼拝宣教)


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ヨハネによる福音書 14 章 15 節~27 節

石川献之助

私たちは三位一体の神を賛美し礼拝しているのだという事を、聖霊降臨節(ペンテコステ)にあたって、新たに心に留めたいと思います。

それは後から付け加えられた恵みというのではなく、もとから救い主イエスと共におられたのです。その聖霊が、主イエスが昇天された後、主イエスを信じる弟子たちが集まっているその上に下り、新たなる現実となったのであります。

聖霊降臨の出来事を伝える聖書の箇所として、使徒言行録 2 章1節~も合わせてお読み下さることをお勧めします。今朝はヨハネによる福音書のテキストを与えられました。

ヨハネによる福音書 14 章 16 節~17 節には「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である。」と書かれています。これから起こることに戸惑い、不安でいっぱいの弟子たちに、主イエスは聖霊を与える約束をして下さっています。

この「弁護者」という言葉ですが、ギリシャ語ではパラクレートスといい、口語訳聖書では「助け主」と訳されています。パラクレートスとは、常に困難や苦悩、疑惑、あるいは当惑のもとにある人を助けるために招きいれられる者を意味します。聖霊は私たちに真理を教え、そして真理のための戦いを進めることが出来るようにする弁護者として働いてくださるのです。

主イエスは私たちに何を遺して下さったのでしょうか?それは救いの愛であります。主イエスは十字架という値を払われて、人間の救いの業を完成され、弟子たちに律法ではなく愛を示すために聖霊をおくられた、そこにペンテコステの出来事の意味があるのです。聖
霊に満たされた、主イエスに従う弟子たちの集まりを「教会」と呼び、それは喜びと救いを中心とした交わりなのであります。

私は今、主イエスの心の内を思い起こしています。十字架の出来事の前、主イエスは冷たい洞穴みたいな所に裸でなげこまれて、さぞ寒かったろう、さぞ悲しかったろう、弟子から捨てられたという思いも抱かれたかもしれない。ペテロが群衆に向かって「彼を知らない」「彼とは関係ない」と三度否定したその声を、主イエスは悲しく心に留めたことでしょう。

その後、復活の己を表された主イエスは、弟子ペテロに向かって「あなたはわたしを愛するか?」と三度尋ねました。復活の主イエスが初めて己を表して言われたことは、「わたしを愛するか?」ということ。三度も言われたということ。

しかし、そのペテロに復活の主イエスは、「わたしの子羊を養いなさい」と言われました。「あなたに助け主をおくる」といわれた主イエスの心を思うわけであります。シモン・ペテロは主イエスの深い愛と許しにふれ、新しいペテロに創りかえられて、主イエスに従う決心をしたのであります。

服従というと一般に律法と考える方が多いかもしれません。主イエスは愛するという行為を遺していかれました。自分を捨てて隣人を愛するという行為としての愛は、服従ということであります。神に服従するということであります。

そのことは一見、最後神に服従して己を捨てたと思われやすい。父なる神に服従した、服従としての愛、それは単に喜びを犠牲にして悲しみにかえるようなことではないのです。そうではなくて、神に服従するということは、十字架のイエス様に従うということなのですね。

聖霊に満たされるということは、それ自体喜びであります。聖霊に励まされて、主イエスの愛を新しく受けながら、信仰の生涯を果たしていく道を私たちは与えられているのです。

私たちは9回の尊い主日礼拝を、自宅礼拝という形で分散して守ってきました。小さい自宅での礼拝の中にあっても、心静かに主の愛を身近に感じ、上よりの慰めを得る時が与えられたことは感謝です。一人ひとりが御言葉に向き合い、祈りの中で、讃美の中で、主イエスの御心に豊かに与る恵みの時でもありました。

ペンテコステの聖日は、教会の誕生日だとも言われますが、復活の主イエスの信仰が今年も強められる日であることを覚えたいと思います。主にある教会の交わりの豊かさや楽しさを思い起こし、礼拝の再開を待ちたいと思います。

このような苦難が恵みに変えられていきますように、この昭島教会が一つとなり、ますます主イエスの教会となっていくことができますようにと、祈るばかりです。新しい一週間も、神様の恵みの内を歩んでいきましょう。

(2020年5月31日 各自自宅礼拝)

2020年5月24日日曜日

キリストの昇天(2020年5月24日 礼拝宣教)





下記の宣教文の「朗読」(音声12分17秒)はここをクリックしてください



「今日の挨拶(関口康)」(音声1分3秒)はここをクリックしてください



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ヨハネによる福音書7章32~39節



関口 康



「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」



各自自宅礼拝に教会の週報と宣教文をお届けするのは、今の苦しい時をみんなの祈りの力で乗り越えたいと願っているからです。顔を合わせ、手を取り合うことが今はできなくても、心の中で教会を感じ、共に祈ることにおいて互いに励まし合う関係を、なんとかして少しでも形にあらわすことを続けていきたいからです。



私が昭島教会の皆さんと出会ったのはまだわずか2年前です。それ以前の65年間の歩みを知りません。それでも私に分かるのは、この教会の皆さんは祈りの力によって多くの困難を忍耐強く乗り越えてこられた方々であるということです。



そうでなければ、教会というものは、あっという間に壊れてしまうところがあります。否定的なことは言いたくありません。昭島教会の存在はおひとりおひとりの祈りと努力の結晶です、と申し上げたいだけです。



今日の聖書の個所も、日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧』に基づいて選びました。このときイエスさまはエルサレムにおられました。エルサレム神殿の境内で神さまのみことばを宣教なさいました。すると「人々がイエスを捕らえようとした」(7章30節)というのです。イエスさまの宣教を妨害しようとしたというのです。



しかしイエスさまは、少しも怯むことなく宣教をお続けになりました。そのうえでイエスさまはご自身が十字架にかけられることを覚悟しておられました。そのようなことは普通の人には堪えられないことです。しかし、イエスさまがそれを堪えることがおできになったのは、ご自身が父なる神さまからこの世に対して遣わされた方として、宣教の使命を強く自覚しておられたからです。神さまの御言葉を宣べ伝えるために、わたしはこの世に生を受けたのであり、そのために生きているのだということを確信しておられたからです。



教会はどうでしょうか。個人としてのわたしたちひとりひとりは、神さまの御言葉を宣べ伝えるために私は生まれたというほどの強い自覚を持つことは考えにくいところがあります。そこまでの思いを抱くことができる方がおられるなら尊重されるべきですが、そうでないことを責められる関係にまではないでしょう。



しかし、ひとりひとりは弱さを抱える存在であっても、イエスさまのからだとしての教会へと加えられ、信仰と祈りにおいて互いに支え合い、高め合う関係を得るならば、さまざまな障害や妨害を共に乗り越えて、宣教を続けていくことができるようになるでしょう。



それは単なる想像や希望的観測といったものではなく、現実の教会が現実に体験してきた事実です。もしそうでないとしたら、わたしたちは、他の誰でもなく自分自身のことを振り返ってみて、なぜ私はこんなに長い信仰生活を続けてくることができたのか、自分で説明がつかなくなるでしょう。



私が忍耐強かったからでしょうか。私の信仰が強かったからでしょうか。だから私はこんなに長く信仰生活を続けられたのでしょうか。「まさかそんなわけがない。ありえない」と、おそらくだれもが考えるのではないでしょうか。むしろ逆に「あんなに弱かったこの私が、どうしてこんなに」という思いを、ほとんどの方が抱くのではないでしょうか。



わたしたちのうちに宿ったこの不思議な力は、神さまから与えられたものです。それは、イエスさまを救い主とする信仰の力でもありますが、同時にその信仰をもって共に生き、祈りをもって互いに支え合う「教会」の存在を抜きにしては考えられない力です。



このように考えていきますと、わたしたちは「教会」を、単純に「人間の集まりだ」と言うだけで済ませてはならないことが分かってきます。なぜそう言えるのかといえば、家や村や町や国、あるいは会社や学校や社会と少しも変わらない意味で「教会もまた人間の集まりにすぎない」と言って済むならば、わたしたちに与えられた不思議な力の源は何なのかを全く説明できなくなってしまうからです。



たとえば、私の性格が「しつこい」からこんなに長く教会生活を続けることができたのでしょうか。そのように冗談か自嘲で言うのは構わないと思いますし、家族や悪友は遠慮なくそんなふうに言うかもしれません。しかし、そんなことではとても説明がつかないことです。



今日の箇所の37節以下で、イエスさまがとても大事なことをおっしゃっています。それをイエスさまは「立ち上がって大声で言われた」(37節)と書かれています。



「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。

わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、

その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(!!)



続く箇所に、「生きた水」とは“霊”、すなわち「聖霊」を指すと説明されています(39節)。そして、その水はイエスさまのところで飲んだものだというわけです。



つまり「その人の内から生きた水が川となって流れ出る」とは、父なる神さまから出て、イエスさまを通って、聖霊によってわたしたちの中に流れ込んだ何かが、さらにわたしたちから流れ出て多くの人々に及び、時代と世代を越えて受け渡されていくことを指していると言えます。



それは何でしょうか。それはもちろん神さまの力です。そして信仰の力も加わるでしょう。しかし、それだけでなく、「教会」の存在が含まれると言わなくてはなりません。神さまと個人の関係だけでは説明できません。



個人の力がいかに弱く、もろく、はかないものであるかは、だれから指摘されなくとも、わたしたち自身が最も自覚していることではありませんか。このように言うのは、教会を押し付けたいからではなく、教会のみんなで力を合わせることの心強さを、今の苦しいときにこそ思い起こしたいからです。



イエスさまは、今は、わたしたちの目に見えない天の父のみもとへと挙げられています。それを「昇天」(しょうてん)と言います。わたしたちが地上の人生を終えて天へと召されることを指す「召天」(しょうてん)とは区別されますが、無関係ではありません。



イエスさまは本来、神であられる方として、天へとお戻りになったのです。わたしたちは、人間として、人間のままで、天へと国籍が移され、永遠に神と共に生きる者となるのです。



この信仰に支えられつつ、希望と喜びをもって、今週も共に歩んでまいりましょう。



(2020年5月24日 各自自宅礼拝)




2020年5月17日日曜日

キリストの勝利(2020年5月17日 礼拝宣教)





ヨハネによる福音書16章25~33節



関口 康



「あなたがたには世で苦難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」



このところ毎回最初に申し上げることが「今日も各自自宅礼拝です」という言葉であるのは、なんとも言えない気持ちです。一日も早く今の避難状況を脱し、元通りみんなで教会に集まって主日公同礼拝を行いたいと願うばかりです。



しかし、申し訳ないことに、今の私はテレビを観ることができずにいます。テレビがないわけではありません。教会の大きなテレビを牧師館にお借りしています。しかし、スイッチを入れることができません。



教会のテレビをお借りしたきっかけを覚えています。2018年6月末から7月初めにかけて西日本を襲った豪雨災害でした。私の実家が岡山にあることは皆さんに明かしているとおりです。「ご実家は大丈夫ですか」と、多くの方々が心配してくださいました。



「ええ、まあ、たぶん大丈夫だと思います。何かあれば連絡が来るでしょう」とお答えしたとき、うっかり「テレビを観ていないので」と口を滑らしてしまいました。それでみなさんに驚かれまして、テレビをお借りすることになりました。



なぜテレビを観なくなってしまったのか、直接の原因は分かりません。うそばかりをつく政治家と、その人たちの言いなりになっているとしか思えない人たちばかりが出演しているように見えるテレビに堪えられなくなった気がします。



私が得ている情報はインターネットだけです。それが信頼できるかどうかは分かりません。しかし、だからといってテレビは信頼できるとは全く思えません。これ以上のことは、私に問われても押し問答になるだけです。「ごめんなさい」と謝るしかありません。



今日選んだ聖書の箇所はヨハネによる福音書16章25節から33節までです。イエスさまが十字架にかけられる前の夜、弟子たちと共に囲まれた「最後の晩餐」での言葉です。



「わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く」(28節)とイエスさまがお語りになっています。「わたしは、今、世を去る」とはっきりと。



それで弟子たちは「あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます」(30節)と答えますが、その弟子たちにイエスさまが「今ようやく、信じるようになったのか。だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている」(31節)とお返しになります。



しかし、ちょっと待ってください。いま読んでいるのは新共同訳聖書です。「あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする」は翻訳のひとつの可能性ですが、「あなたがたが帰ってしまい(?)、わたしをひとりきり(?)にする」と言われますと、寂しくて仕方がないイエスさまが、しょんぼりして、恨みがましい目を弟子たちに向け、すねておられるようです。しかし、本当にそうでしょうか。



そのことが気になりましたので何冊か英語聖書を調べました。新共同訳聖書(新約1987年)が誕生する前、日本の教会で長く用いられた口語訳聖書(新約1954年)に強い影響を与えた英語聖書「改定標準訳」(Revised Standard Version)(1946年)はWhen you will be scattered, every man to his home, and will leave me alone.と訳していました。これが新共同訳聖書に最も近いと思います。



しかし、「改定標準訳」よりもずっと古い「欽定訳」と呼ばれる英語聖書(King James Version、1611年発行)はevery man to his ownと訳していました。his ownはhis homeよりも広い意味です。「自分の家」ではなく「自分自身」または「自分のもの」という意味です。



また私は完全に独学ですが、23年前(1997年)からオランダ語を学んでいます。オランダ語聖書を調べたところ、英語の欽定訳と同じ意味の「自分自身」(het zijne(ヘット・ゼイネ))、あるいは「自分の道」(eigen weg(エイヘン・ヴェフ))と訳している例もありました。



ギリシア語原文のことを先に言うべきだったかもしれません。鋭い方は、もうお気づきでしょう。原文には「家」を意味する言葉はありません。「欽定訳」と呼ばれる17世紀の英語聖書はギリシア語原文に忠実です。「家」(home)に当たる言葉はないので「自分自身」(his own)と訳したのでしょう。



私の勉強や知識をひけらかしているのではありません。このときイエスさまが上目遣いで「おれをひとりぼっちにするのか。自分の家に逃げ帰るのか」とおっしゃったのどうかを、はっきりさせたいだけです。



違います。イエスさまはそのようなことをおっしゃっていません。「今、世を去って、父のもとに行く」は、わたしは死ぬという意味です。だから、「我々は散会する。各自で行動する。私はひとりで残る」とおっしゃっているだけです。



そうでないかぎり「勇気を持ちなさい」という言葉につながりません。もしイエスさまが「おれをひとりぼっちにするのか」の直後に「勇気を持ちなさい」とおっしゃったとすれば支離滅裂ですし、皮肉か嫌味を言っておられるかのようです。そんなわけがないのです。



「しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださる」(32節)、そして「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」(33節)と、イエスさまが続けておられます。



その意味は、わたしはひとりで十字架につく、しかし、父なる神さまがわたしと共にいてくださるので、わたしはひとりではないということです。「神が共にいてくださること」以上の「力」も「強さ」もないのだから、わたしは勝利者であるということです。



そして、勝利者であるわたしイエス・キリストを信じて、これからあなたがたは「各自で」生きていくのだ。そのための「勇気を持ちなさい」ということです。



今日の箇所に描かれたイエスさまと弟子たちの関係には、わたしたちが置かれている状況と重なり合うものがあります。



このときのイエスさまも「散会」が永久に続くという意味でおっしゃっているのではありません。わたしがひとりで十字架につく。その間は避難していなさい、安全なところにいなさい、という意味です。また集まることができるその日まで。



わたしたちも、イエスさまが弟子たちに求めた「勇気」を、持とうではありませんか。



(2020年5月14日 各自自宅礼拝)

2020年5月10日日曜日

聖霊の結ぶ実


ヨハネによる福音書15章18~27節

関口 康

「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。」

感染症対策としての「各自自宅礼拝」が2か月目です。今日は「母の日」です。みんなで教会に集まれない中で迎える「母の日」に悔しさを覚えるのは私だけではないと思います。

もっとも私自身は帰省すらめったにしない親不孝者なので、皆さんの参考になりません。私の両親は私が生まれる前からキリスト者ですので、息子を「神さまにささげた」と信じていてくれます。それを言い訳にして、実家にはすっかりご無沙汰しています。

しかし、皆さんはぜひお母さまを大切にしてください。私以上に、お母さまを大切にしてください。それだけに、帰省が規制されている今の状況が残念でなりません。

今日の聖書の箇所も、いつもと同じように、日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧』に基づいて選びました。「母の日」との関係は見当たりません。しかし、「父」と呼ばれる存在について記されている箇所です。ここに記されているのは、イエスさまの言葉です。イエスさまの「父」は神さまであると、イエスさまご自身が明らかになさっています。

再び私の個人的な話になるのをお許しいただきたいです。今日の箇所を含むヨハネによる福音書15章は、私にとって特別な意識を持たざるをえない章です。私が生まれたときから高校卒業まで家族と一緒に通っていた教会で、少なくともその当時、日曜の朝の礼拝でも、夕礼拝でも、教会学校でも、水曜の夜の祈祷会でも、教会附属幼稚園でも、いつも必ず同じ「ヨハネによる福音書15章1節から11節まで」が朗読されていたからです。

教会学校で歌われるこどもさんびかの1節の歌詞は、「主イエスはまことのぶどうの木、わたしはつながる小枝です、育てる神さま手入れして、実らぬ小枝を切り捨てる」でした。最後の「切り捨てる」という言葉が恐ろしかったことが忘れられません。しかし、たしかにイエスさまがお語りになったとおりのことが歌われています。

聖書の中のひとつの箇所が、20年近く(その後のことは知りません)、どの集会でも開かれていた教会というのは例が少ないかもしれません。その真似をするつもりはありませんが、その教会の当時の様子を批判する意味もありません。私にとってのヨハネによる福音書15章は、潜在意識に埋め込まれていると言えるほどだと、申し上げています。

今日の箇所の内容は、イエスさまが神さまを「父」とお呼びになったこと、そしてイエスさまは「父なる神の子」であられることです。そのことをイエスさまご自身が明らかにしておられます。しかも、両者の「親子関係」は単なる比喩ではありません。イエスさまの本質を表しています。「神さまの子ども」は「神」です。イエスさまが「神さま」です。

そうであるということを、ヨハネによる福音書は、最初の章から語っています。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(1章18節)と記されています。この「父のふところにいる独り子である神」がイエス・キリストです。

だからこそ二千年のキリスト教会は、「神のみこころ」を知ることと「イエス・キリストの教えに従うこと」は等しい関係にあることを信じてきました。そして、イエス・キリストの教えは新約聖書に記されています。教会が新約聖書を重んじてきたのは必然的です。
しかし、私が今日お話しすべきことは、この先の事柄です。話をここで終わらせることはできません。テレビ越しか、ガラス越しか、とにかくかなり隔たりがあります。

「神のみこころ」を知るために「イエス・キリストの教えに従うこと」が、わたしたちに求められています。それはそのとおりです。しかし、ここで起こる問題があります。それは、今のわたしたちは西暦1世紀と同じ状況の中に生きていない、ということです。

「歴史は繰り返す」とも言われます。しかし、それこそ比喩です。時間そのものは逆戻りしません。時間も歴史も不可逆です。もしそうでないなら非常に恐ろしいことになります。何年何十年生きようと、もし時間が不可逆的なものでないなら、人生のすべてが無かったかのように消去されることを意味します。そのようなことがあってはなりません。

教会の歴史も同じです。昭島教会68年、日本のプロテスタント教会160年、キリシタンの歩みと合わせれば日本のキリスト教史470年、そして世界のキリスト教会の二千年の歩みが、まるで無かったかのように消し去られるようなことがあってはなりません。

イエス・キリストの教えに従うことの意味は、わたしたちが二千年前に逆戻りすることではありません。正反対です。わたしたちは「今ここで」、神さまのみこころを知るために、聖書を通してイエス・キリストの教えを学ぶのです。

西暦1世紀と、21世紀との隔たりを埋めてくださるのが「聖霊」です。「聖霊」ご自身も神さまです。イエスさまご自身の言葉でいえば、「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊」(26節)が「聖霊」です。

しかも、「聖霊」はわたしたちの心と体(合わせて「存在」)の内側に宿って(内住して)くださる方です。言い方を換えれば、わたしたちの存在は一切否定されません。「あなたが悩んでいることは無価値なので、悩むのをやめなさい」とは言われません。「思考停止することが信仰である」とは言われません。そういう信じ方は異端に通じます。

わたしたちの理性も感情も、悩みも苦しみも、汗も涙も、世界の叡智も、最新の技術も、活かされたままです。そのわたしたちへと、「神のみこころ」と等しい「イエス・キリストの教え」を「聖霊」が届けてくださいます。わたしたちは自分の家で(各自自宅礼拝で)、「神のみこころ」が届くのを待つことができるのです。

「聖霊の結ぶ実」はわたしたちの人生そのものです。とってつけたような、違和感のあるものではありません。わたしたちの人生そのものが、神の恵みであり、奇跡なのです。

(2020年5月10日、日本キリスト教団昭島教会「各自自宅礼拝」)

2020年5月4日月曜日

オンライン授業の練習 関口康牧師

(おまけ動画)関口康牧師が非常勤講師をしている学校でオンライン授業が行われることになり、その練習をしている最中に、牧師のお仲間から「受け取ったら腕立て伏せをしなくてはいけない」連絡が届いた。公式ルールは6回だそうが、8回でダウン。体力をつけねば。



 

2020年5月3日日曜日

弟子への委託(2020年5月3日 礼拝宣教)




石川献之助牧師

「今日の挨拶(関口康)」(音声1分)はここをクリックするとダウンロードできます NEW !



「礼拝開始チャイム」はここをクリックするとダウンロードできます NEW !



下記の宣教文のPDF版はここをクリックするとダウンロードできます



ヨハネによる福音書21章15節~25節



石川献之助



皆さん、私は今日も神様に守られて元気に生きています!




おかげさまで今週の6日には93歳の誕生日を迎えようとしています。この歳まで生きると「天国は近づいている」と思わされることが多いものですから、毎朝目を覚ました時に、新しい一日を生かされているという実感と共に、神様への感謝の思いを抱かずにはいられません。



自粛生活の中で身体が弱らないように、家の中での歩行練習やひと気のない場所での散歩などに努め、また食事を残さないようにいただくなど、自分を励まして過ごしています。それは再び兄弟姉妹が教会に集い、共に礼拝が出来る日を待ち望んでいるからです。



どうぞこの難しい時代を、祈りと思いをひとつにして、主に支えられて共に歩んでいきたいと心から願っています。



先週は、関口先生によって、ヨハネによる福音書21章1節から14節の聖書箇所を学びました。甦られた主イエスが、7人の弟子達のもとへ現れて、共に食事をなさったところです。



本日はその後15節からの御言葉が与えられています。食事を終えたのちに「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と主イエスは言われました。



この後続けて主イエスは3回同じ質問をされています。主イエスは十字架にかかる前にイエスの事を3度知らないと言ったペテロ(ペトロ)<マタイ26章69節~75節>に、主への愛を宣言させることにより、「知らない」と言った記憶をぬぐいさらせようとしたのだという見方をする人もあります。主イエスのペテロへの温かい思いが表れている箇所であります。



このペテロへの「わたしを愛しているか」という主イエスの投げかけは、「もしあなたが私を愛するなら私の群れを牧するために生涯を献げなさい」という、ペテロへの委託の言葉であったのであります。主イエスは十字架による死によって終わったのではなく、甦られてこれから始まる神の国の救いの成就のために、弟子たちに臨まれたのであります。



私はかつてローマに旅行しバチカンの前を通った時、そこにペテロの立派な像が建てられているのを見て、ペテロの信仰の偉大さを感じました。しかしその後で、彼が十字架にかけられて殉教の死を遂げたことを思い起こしました。彼は十字架にくぎ付けにされそうになった時、自分は主と同じような仕方で死ぬ価値はないと、十字架に逆さにつけて欲しいと頼んだという話は伝え聞くところであります。



これまでのペテロの人生は、その時の都合でyesとnoとを繰り返すようなものでありました。しかし、ペテロは甦りの主イエスに出会って、信仰に目が開かれ、人生が新しくされ、新しい務めに目覚めたのであります。



復活の主イエスに出会うということは、自分が新しい人に創りかえられるという出来事であり、生涯変わらない真実に出会うということであります。私も振り返れば67年間、主イエスに捉えられて、この思いで牧師の務めを一筋に果たしてきました。



さて、この「わたしを愛しているか」という主イエスの御言葉は、私たち一人ひとりへもなげかけられていることを感じます。私たちは主イエスのこの問いかけにどのように応えていけるのでしょうか。

ペテロのように生涯を伝道に献げる道のみならず、私たち一人ひとりにも新しい道が与えられています。



私たちは主イエスに招かれた者として、喜んで応答していく者でありたい。

ペテロもそうであったように、私たちも復活の主イエスの愛に新しくされて歩む信仰の日々を送りたいと思います。



(2020年5月3日、日本キリスト教団昭島教会「各自自宅礼拝」)

2020年4月26日日曜日

復活顕現(2)


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ヨハネによる福音書21章1~14節

関口 康

「イエスは『さあ、来て、朝の食事をしなさい』と言われた。弟子たちはだれも、『あなたはどなたですか』と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである」

今日も「各自自宅礼拝」です。4週目になります。4月の日曜日は、一度も礼拝堂にみんなで集まりませんでした。木曜日の「聖書に学び祈る会」も行いませんでした。しかし、そのことに、政府の緊急事態宣言に従わざるをえないからそれに従ったという意味はありません。すべてはわたしたちの自由な意志をもって採った行動です。

緊急事態宣言が解かれたら必ず集会を再開しなければならないということでもありません。教会は教会で、個人は個人で自主的に判断することです。そもそもわたしたちは政府の命令に従って礼拝をしているのではありません。「閉じなさい」とも「開けなさい」とも言われる関係にありません。わたしたちにとっては自明のことですが、忘れないでいましょう。

今日の聖書の箇所に登場するのは、先週の箇所と同様、よみがえられたイエスさまと弟子たちです。そこにいたのは「シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人」(2節)でした。

さて、何人でしょう。「ゼベダイの子たち」の人数は、マタイによる福音書4章21節に記されています。しかし、新共同訳聖書には親切に、21章1節からの段落に「イエス、七人の弟子に現れる」という小見出しをつけてくれています。正解は「7人」です。

この7人が仲良しで、常に行動を共にしていたということなのかどうかは分かりません。とにかくこの日は7人が一緒にいました。するとその中のリーダーであるペトロが「わたしは漁に行く」と言いました(3節)。

このペトロの言葉は、今のわたしたちの気持ちを代弁してくれているものかもしれません。どういうことでしょうか。

今のわたしたちは、世界的な感染症が爆発的に広がりつつある中で、感染の危険を避けるために、また感染拡大を防ぐために各自の自宅にとどまっています。そのことと今日の箇所に記されていることがどのように関係するのかを言わなくては、いま私が申し上げたことの意味を理解していただくことはできないでしょう。

このときのペトロたちと今のわたしたちの共通点は「避難している状況である」ことです。ペトロたちは、イエスさまが十字架上の死をお遂げになり、三日後によみがえられ、お姿を弟子たちの前に現されたにしても、一歩でも家の外に出れば、「イエスの弟子である」という理由で逮捕され、拷問を受け、処刑される危険が待ち受けている状況でした。彼らは「避難」しなければなりませんでした。この点が、今のわたしたちと共通しています。

しかし、だからこそわたしたちは、このときペトロが「わたしは漁に行く」と言ったことの意味を理解し、納得できるのではないでしょうか。

「避難生活が続くと必ず不足するものがある」と言えば、ぴんとくるでしょう。そうです、お金と食糧です。その収入を得るための仕事です。その面で彼らは追い詰められたのです。人が生きるかぎり必要なものです。それで、他にどうしようもなくなって、ペトロが出した結論が「わたしは漁に行く」でした。なぜなら、ペトロはもともと漁師だったからです。

しかし、ペトロが出した結論は、彼自身にとっても他の弟子たちにとっても危険な意味を持っていました。何が「危険」でしょうか。

今日の箇所の7人の弟子のうち4人(ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ)について聖書が記しているのは、彼らが「網を捨てて」(マタイ4章20節、マルコ1章18節)あるいは「すべてを捨てて」(ルカ5章11節)イエスに従ったことです。

イエスさまは、ペトロたちに「人間をとる漁師にしよう」とおっしゃいました(マタイ4章19節)。それは、漁師の仕事をやめて、イエスさまと共に、神の言葉を宣べ伝え、信仰共同体を牧する働きに専従することを意味しています。

そのペトロが「わたしは漁に行く」と言いました。他の弟子たちも「わたしたちも一緒に行こう」と言いました。その意味が「わたしは網を捨てることをやめます。人間をとる漁師であることをやめて、漁師の仕事に戻ります」ということだけだったかどうかは彼ら自身に教えてもらうしかありません。しかし、その意味が含まれていなかったとは言い切れません。

「そうすることも彼らの自由である」と言えばそのとおりです。しかし、避難生活が長期化し、食べるにも窮し、如何ともしがたい状況に追い詰められ、「網を捨てることをやめる」選択を迫られてそうすることを「すべては自由意志の所産であり、すべては自己責任である」とだけ言うのは、あまりにも冷たすぎるでしょう。

わたしたちも今まさに「避難」を余儀なくされていますので、他の人からどのような言葉を投げかけられると自分の心が傷つくかがよく分かると思います。

ペトロが「わたしは漁に行く」と言わざるをえなかったとき、彼の心の中に、「網を捨て、すべてを捨てて」イエスさまに従ったこと自体を、自分で否定することになるのではないかという思いが一瞬でもよぎらなかったでしょうか。私は、まるで自分の心をえぐられているように思わずにいられません。

ペトロたちは、漁に出かけました。船に乗って沖に漕ぎ出しました。その彼らのところに、イエスさまが来てくださったというのです。イエスさまと彼らの出会いの様子は、ぜひ今日の聖書の箇所をお読みください。すべては「よみがえられたイエスさま」の出来事ですので「非現実的なことが書かれてある」と感じる方もおられるでしょう。よみがえられたイエスさまが弟子たちと一緒に、おいしそうに食事をなさったというのですから。

しかし、なぜでしょうか。私はいま、このことを申し上げながら涙が止まりません。避難生活を余儀なくされ、「各自自宅礼拝」を守っているわたしたちと共にイエスさまがいてくださることが実感できるからです。

そして、みんなで集まることができなくても、礼拝堂の中でひとりでいても、イエスさまと共に魚を食べ、パンを食べる信仰の仲間としての昭島教会の存在を、今ここで、自分の目で見ているように感じることができるからです。

わたしたちと共に、イエスさまがおられます。わたしたちの生活の場にイエスさまが来てくださいます。必要は満たされます。自暴自棄は禁物です。希望をもって過ごしましょう。

(2020年4月26日、日本キリスト教団昭島教会「各自自宅礼拝」)

2020年4月22日水曜日

イースター賛美 その2 長井志保乃さん

昭島教会オルガニストの長井志保乃さんによるイースター賛美演奏の「その2」です。長井さん、ありがとうございます!

 

2020年4月19日日曜日

復活顕現(1)


PDF版はここをクリックしてください

ヨハネによる福音書20章19~31節

関口 康

「そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた」

今日は「各自自宅礼拝」の第3週目です。世界的な感染症の拡大防止対策として日曜日に教会にみんなで集まることを中止している状態が続いています。集まりたい気持ちを抑えて我慢しているわけですから、「寂しい」とか「会いたい」とか言わないでおきます。お互いにつらい思いになるだけですから。

今日の箇所に登場するのは、よみがえられたイエスさまと弟子たちです。あらかじめ申し上げますが、イエスさまは、こののち再び弟子たちの前からいなくなられます。復活の主が弟子たちに見えるお姿を現されたのは、使徒言行録1章3節(新約聖書213ページ)によると「40日間」だけでした。

聖書と教会は、それを「復活」と呼んできました。つまり「復活」は、永続的な状態ではなく、一時的な状態です。目標ではなく通過点です。そんなふうにはっきり言ってよいのかと戸惑う方がおられるかもしれませんが、聖書と教会の伝統に逆らって言っていることではありません。

また、もうひとつ言えば、今日の箇所に登場するイエスさまは、弟子たちが呼び寄せたわけではありません。十字架にかけられて死んだイエスさまとお会いできなくなったのが寂しくなった弟子たちが、ひとつに集まって祈ることによってイエスさまを復活させた、というような話ではありません。それは降霊術という魔術の一種ですが、「復活」とはそういうことではありません。

今日の箇所を注意深く読みますと、「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて」の次に「自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」(19節a)と記されていることに気づきます。そのうえで、間髪入れず「そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた」(19節b)とあり、「そう言って、手とわき腹とをお見せになった」(20節)と続いています。

このとき起こったことを、わたしたちはどのように想像すればよいのでしょうか。最も不思議に思えるのは、手もわき腹もあるイエスさまが、戸に鍵がかかっていた家の中に現れ、弟子たちの真ん中にお立ちになった、という点です。

途中の文章が抜けているのでしょうか。「イエスは外から戸を叩き、弟子たちが戸を開けた」(?)のでしょうか。そういうことならばある意味で納得できますが、どうやらそうではありません。しかし、そのイエスさまは、手もわき腹もある、物理的なご存在のようでもあられます。

こういうことを考えるのが面倒になると「すべてウソだ、デタラメだ」と言って片づけるほうがよほどすっきりするかもしれません。しかし、世界のベストセラーである聖書に対してあまり乱暴になりすぎないほうが健全です。今日の箇所を含めて「聖書が何を言おうとしているのか」を考えることが大切です。

今日の箇所に限っていえば、物理的には不可能と思えることであっても、とにかくイエスさまが弟子たちの前にお姿を現されて、ご自分の手とわき腹をお見せになったということを、単純に拒絶するのではなく、その意味を考えることが大切です。

私は今日、三つの意味を申し上げたいと思います。

第一の意味は、イエスさまは弟子たちに、ご自分は今も生きていてあなたがたと共にいるということを、とにかくお伝えになろうとしたということです。それが「復活」の意味です。

第二の意味は、イエスさまは弟子たちに、ご自分の手とわき腹に残る十字架の釘あとをお見せになろうとした、ということです。「私はお前たちのせいで、こんなひどい苦しみを味わったのだ。どうしてくれる」と恨まれてのことではありません。そうではなくイエスさまは、ご自身はこの世の苦しみから全く解放されて、苦しむ人類を高みから眺めておられるようなご存在ではない、ということをお示しになったのです。それが「手とわき腹をお見せになった」意味です。

第三の意味は、この日が「週の初めの日」だったこととやはり関係があります。それは日曜日です。ユダヤ教安息日である土曜日の翌日です。その日に弟子たちが集まっていたのは、ユダヤ人の追及から避難していただけでなく、イエスさまを信じる新しい共同体の礼拝が行われていたと考えるべきです。そこにイエスさまが来てくださったのです。弟子たちが祈りによってイエスさまを呼び出したのではありませんが、イエスさまが弟子たちの礼拝に来てくださったのです。

ここで再び、今のわたしたちの状況へと思いを向けたいと思います。教会の礼拝堂にみんなで集まることができない状態です。今こそわたしたち自身のために、そして全世界の全人類のために祈りを合わせなければならないときなのに、目に見える形で集まることが叶いません。

しかし、そのわたしたちと共に、イエス・キリストは今も生きておられます。今はもう手にもわき腹にも十字架の釘あとが残っていないイエスさまではありません。苦しむわたしたちと同じ姿で、わたしたちと共にイエスさまは今も生きておられます。

そのイエスさまは、日曜日に集まることができない今のわたしたちのところには来てくださらないでしょうか。わたしたちが今行っている「各自自宅礼拝」には来てくださらないでしょうか。そのようなことは決してありません。戸に鍵がかかっている家の中にも来てくださるイエスさまですから、場所や環境をお選びになることはありません。

しかしまた、最初に申し上げたとおり「復活」は、永続的な状態ではなく、一時的な状態です。目に見えるイエスさまのご存在が、今のわたしたちの前にお姿を現し続けられるわけではありません。そうでなくても、わたしたちの信仰が失われるわけではありません。苦しむわたしたちとは無関係な高みにいますイエスさまになられたわけではない、と信じることができるからです。

世界はこれからどうなるでしょうか。わたしたちの命はどうなるでしょうか。不安だらけの日々を過ごしていることを否定できません。しかし、絶望しないでいましょう。自暴自棄にならないようにしましょう。落ち着いて生活しましょう。十字架と復活の主イエス・キリストが、わたしたちと共におられます。その事実に目を向けましょう。

(2020年4月19日、日本キリスト教団昭島教会「各自自宅礼拝」)

2020年4月13日月曜日

慰めのことば


納棺式のときにも申し上げましたが、キリスト教に基づく葬儀は地上に残されたわたしたち自身の慰めのために行うものです。

亡くなられた方の魂は、神のみもとで全き平安のうちにあります。その状態に至っていないので早くそうなるようにがんばってくださいと、故人を応援する意味はありません。

それでは「神のみもと」とはどこでしょうか。告別式で難しい神学議論のような話をするのは、不謹慎でもあり、場違いでもあります。しかし、今のわたしたちにとって真剣な問いであるはずです。

長い人生を共に歩んでこられたお連れ合いであり、お母さまであり、おばあちゃまは、今はどこにおられるのでしょうか。もちろんここにおられます。この部屋の中に。わたしたちの目の前に。しかし、おからだとは、こののちお別れします。それからどうなるのでしょうか。どこにもおられなくなるのでしょうか。

先生の略歴を読ませていただきました。分野は全く違いますが、私の父も学校の教員でした。私もいま、教会で牧師をしながら学校で聖書を教えています。今の私にほんの少し分かるのは、教員生活はたいへんだということです。

たいへんな働きをされてきた方だからどう、そうでない方だからどうと、差をつける意図はありません。それでも思うのは、これほど大きな働きをなさった方が地上の人生の終わりと共にどこにもおられなくなると考えなくてはならないとしたら、「人生とはなんと虚しいものか」と言いたい気持ちを抑えられなくなるだろうということです。

それでも学校教員の場合は、自分がいなくなっても自分の遺志を受け継いでくれる教え子たちの記憶の中で生き続けることができそうだから、まあいいやと思えるところがあるので救われる面があります。しかし、そんな話で納得できるでしょうか。

昨日は、キリスト教のカレンダーで言うところのイースターでした。十字架につけられて死んだイエス・キリストが三日後に復活したことを喜び祝う日、それがイースターです。

死者が復活するなどと、どうしてそんなとんでもないことを信じられるのかと問われることが実際にあります。しかし、特殊で限定的な人々だけが抱いている思想ではありません。アメリカの大統領やドイツの首相のような人が「イースターおめでとうございます」と言うわけです。

脱線しているつもりはありません。まさに本題を申し上げています。先生は今どこにおられるのでしょうか。「神のみもと」とはどこでしょうか。それは聖書を何度読んでも、はっきり分かるものではありません。「神のみもととは、神のみもとである」と、同じ言葉が繰り返されるだけのところがあります。

しかし、聖書の教えには明確な方向性があります。キリストが死者の中から復活したという教えの意味は、この地上にもう一度戻ってくるということです。そしてこの地上が「神のみもと」になるということです。風船が空高く舞い上がって見えなくなって終わりではなく、地上に戻ってくるのです。

このあと皆さんとひとつの祈りを唱えます。それは「主の祈り」と呼ばれる祈りです。この祈りの中の「御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく地にもなさせたまえ」という祈りも同じ思想です。

この祈りの意味は「神のみもとである天国が、地上に来ますように。地上の世界が天国のようになりますように。天国で神のみこころが実現しているように、地上においても神のみこころが実現しますように」ということです。大切なのは地上です。わたしたちがいま生きているこの現実の世界です。ここが「神のみもと」であり、ここに「神のみこころ」が実現するのです。

先生の略歴の中に「組合活動の中で知り合って結婚し」と記されているのを読ませていただき、感動しました。労働の問題、社会の問題、政治の問題に真剣に取り組むことは地上の世界と人生をよりよいものへと変えていく明確な意思表示です。その取り組みと願いが、人生の終わりと共に消え去ってしまうことは決してありません。

先生の大きな働きを、わたしたちは受け継いでいきます。先生のご存在が失われることはありません。先生は今ここにおられます。これからもいつもわたしたちと共におられます。そのことを申し上げて、告別の言葉とさせていただきます。

(2020年4月13日、葬儀説教)

2020年4月12日日曜日

復活節の喜び(2020年4月12日 イースター礼拝宣教)

ヨハネによる福音書 20 章 1 節~18 節



石川献之助



今日は 2020 年のイースターの復活節の記念の聖日であります。



私はこの日をどんなに大切に思っているか。私は小さい時から教会の牧師である父と、ま

たその生き方に共鳴してその助け手となった母の間で育ち、「献之助」という名前をつけられて、自分が選択をするよりも両親の信仰に基づいて、あるいはその信仰を通して私の生涯をこの福音の宣教の務めに生きる教会の働きに生涯を捧げる者として、その名前を付けてくださったそういう命運のもとに、今年92 歳という長い生涯を、ただそのひとつの方向に生きてまいりました、福音の宣教を託されている者であります。



この昭島教会は、私に託された主の命令に基づいた、あるいは恩恵にもとづいた務めでありますけれども、すでに高齢ゆえ不自由な体でありまして、教会の役割を進んで担ってくださる昭島教会の役員の方々のみならず、後任の伝道者としての務めを引き受けてくださった関口先生のその業によって補われながら今を歩んでおります。



すでに皆様のお手元に郵送された週報の 2 ページの上の右のほうに 「3511 号」と書かれております。なんと戦後の日本の、散々に戦争で痛めつけられた昭島の地で、本当にこの世に生きていく生活の困難を背負っている昭島の市民の方々に福音を述べ伝え、生きる希望と、そして福音によってもたらされる永遠の命の希望を述べ伝えるために、私は弱冠 25 歳でこの昭島の地において開拓伝道の業を始めました。実にそれから 67 年の時を経て、この 3511 回目の礼拝でお話を委ねられている者であります。



そしてこの復活節というものは、私どもの救い主イエスキリストの三十有余年の御生涯の最後、実に世界の罪深い者の、全ての者の救いのために、十字架にかけられて遂げたその尊い死の後、三日目にそのイエスが甦られたことを記念する日であると聖書にしるされております。



そのテキストに基づいて、この復活の出来事を伝えるそのような記録は世界でも他にはないわけでありますから、本当にその事実を伝える知らせとして、最初の事をしるしたヨハネによる福音書の 20 章1節以下の記録を心に留めたいと思います。そして、その知らせは 2000 年余り経ちました、2020 年の今も私たちのもとに届けられているのであります。



これは本当に尊い知らせだと思います。この知らせに基づいて、私どもの信ずる主イエス・キリストが十字架の上において死なれたはずのそのイエス・キリストが、三日目に甦ってしかも最初に己をあらわされたその主イエス・キリストのそのような記録が書かれているわけであります。



そしてそれは、普通は長い時の経過が全てをぬりかえてしまうはずでありますが、でも変わらずに、永遠の命を私たちに約束されたイエス・キリストは、十字架の死を経て三日目に甦られた「甦りのイエス」にかわられた、イエスについて記念をすることを心に深く銘記して、新しい命に生きるそのような神の最も偉大なる御業について、私たちは神に感謝しその信仰を新しくする日として、世界中でこのイースターの日を中心に、この安息日の日曜日の礼拝をおこなっているわけであります。



本当にこのことは私たちの良識を越えたことでありまして、信仰によって聖霊の導きのもとにそのことを認識させられたときに、人間として創られ、生まれ、そして生きてきた人間は、そこに希望を、永遠の命の希望を告げられて、そしてこの日、感謝と喜びの内に礼拝を行っているのであります。



このことを告げたヨハネによる福音書の 20 章の始めに、キリストの御言葉の中で最初に弟子たちにイエス・キリストが己を復活の御姿をもって、再び愛の方として私どもの救い主としてご自身をお示しになったこの箇所を心に留めることこそ、イースターの礼拝の中心であるということを覚えていきたいと思います。それでこの礼拝においては、ヨハネによる福音書の 20 章の1節から18 節までの御言葉が今読まれたわけであります。



そして私はこのことを毎年このイースター礼拝の度に心に留めたわけでありますが、今日はこの礼拝において、この教会を中心にあつまっている兄弟姉妹は、新型コロナウイルスの世界的な脅威にさらされているこの地球の上での、人類の歴史上初めてという試練の中に置かれ、私たちは集まることの危険ゆえ、為政者の意向に従って霧散して、私たちの教会ではそれぞれの置かれている場所でひとり祈ることによってこの復活節の主日礼拝を執りおこなうことを皆さんにお知らせしました。



そして今、形は違っても復活節の喜びを分かち合うという、讃美と感謝と喜びの信仰を更新する、そういう礼拝を守っているわけであります。



私たちはそのことを忘れることなどありません。そしてその信仰に生きている兄弟姉妹たちが全世界で、ある報告によれば 20 億という多数の人々がその信仰に生きているわけであります。



イエス様は復活されて生きて私たちと共にある、私たちの歴史を共に生きていて下さるということを新たに知らしめられる、そういう希望の日であるということをもう一度思い起こす、そういう日であるということを新たに皆さんと一緒に心に留めたいと思う次第であります。このイースターの理解と喜びとは、時の経過によって増し加えられることさえあれ、決して薄れることはないと思います。



私は過日イースター礼拝で引用した具体的な例をひとつ挙げて、そのことを新たにしたいと思うのであります。一度人間としてこの世の歴史の中に生まれてきた私たち一人ひとりでありますけど、一度生まれ、そしてその命は私たちの目に見えないたくさんの罪の結果として、必ず神様の厳しい裁きのもとに人類は希望を失っていくわけでありますが、そこに救い主としてのイエス様が遣わされ、そして全ての人々の罪の許しを十字架にかかり、達成されたのであります。



それで日本の現実の中におかれている、そのような希望の無い人々の救いのために、その周辺の人々に声をかけて、特に 2500 名のお医者さんと看護師の方々が集まる前でその限りある人生を望みなく終わっていくそういう人類の救いのために復活のイエス様の希望が与えられているということについて、研究会において報告されたお話です。



沢山の人々が地上の命を終えて亡くなっていく愛する者の死は、なおとても耐えがたいものであります。そしてイエス様によって信仰を与えられた私たちも同じような命運のもとにあるわけですが、イエスキリストによって永遠の命の希望を与えられることによって、この世の生活を積極的にあるいは喜びに希望に満たされてそして生きていく、そういう者がそれでも命の終わりの時を持つわけであります。



けれどもその中で、ある親子のお別れの言葉を紹介したいと思います。それはお父さんが臨終の時が来たことを悟って、はっきりと小さな声ではあるけれども「いってくるね」といって亡くなったということです。そして娘さんの方は「いってらっしゃい」と答える臨終の光景が紹介されていたのであります。



この紹介された家庭は、クリスチャンとして復活の信仰を与えられていた人たちでありましたから、亡くなるお父さんは「いってくるね」と言い、そして娘さんは「いってらっしゃい」と言う。しっかりとしたごく自然な言葉を遺して終わりの時を迎えた。この報告は多くの人を感動させました。



今、私たちは、新型のコロナウイルスの世界的な宇宙的な感染拡大の報道のもとに人類の将来を心配しています。けれども、この言葉を通してイエス様が与えて下さった永遠の命の希望は、本当に全ての人に希望を与えるものであるということを深く教えられました。



同じ信仰に生きている、またその復活の事実を聖書を通して教えられている、その中に、希望を持っている私たちは、そのように自分の人生を送り、また愛する家族の死を看取り、隣人として生きているたくさんの人々にこの福音を述べ伝えていくことの大切さを深く教えられた次第です。



私たちはいつものように教会に集まって、恵みの時を持つことは出来ません。けれどもこうして分散してコロナウイルスに負けないように、自宅で礼拝を守っています。



週報の中に今日与えられた聖句として、「弟子たちは主を見て喜んだ」とあります。十字架にかかって亡くなったはずの主イエスキリストが生きていらっしゃる、その復活の姿を見て喜んだという、これは事実の報告でありまして、私たちもこの言葉を改めて日々の人生の希望として、イエス様に感謝して、イエス様と共にこの復活の信仰を新しく日々の力として、命として、この年も生きていきたいと深く思わされた次第です。



それでは一言お祈りをいたします。



天の父なる神様 あなたがこの 僕しもべに、昭島市を中心とした戦争に希望をくじかれた日本の一角の地に、死によって貧しくなり、希望を失い彷徨っている人々にこのイエスキリストの復活の希望の福音を述べ伝えるという務めを与えられて、67 年という歳月が経ちました。



あなたはこの宣教の務めは何年経ってもそれは新しく、その福音を必要とする罪深い人類の歴史が続いていくことを思う時に、どうぞこの教会を守り、育て、励まし、どうかその福音を述べ伝えていく教会でありますように、心からお祈りいたします。



あなたは主であられ、そして永遠に生きていて下さいますから、私たちはそのことを信じていますけれども、色々な歴史的な過程の中で、どうぞ心強くどんなときにもこの復活のイエス様の希望を人々に伝える務めに励み、どうかこの教会が育ち、またその使命感を持ち続けていくことが出来ますように。私たちの周りの人々にその務めを果たす者として、歩めますように。



この試練が本当に私たちの希望となり、いつも務めとして新しく更新させられて私たちの希望として持ち続けられていきますように。どうぞ主イエス様が、教会員一人ひとりの現実に隣人として伴っておられることを忘れずに、かえって強められてこの困難を乗り越えて、この教会が新しくされる時でありますように。



今日このような形で行われる礼拝にも、復活節の礼拝を行えたことを深く感謝いたします。私たち自身が本当に復活の信仰を希望として、これからの生涯を生きていくことが出来ますように、祈るべきことは沢山ありますけれども、この大切な祈りをイエス様のお名前を通して御前にお捧げいたします。



アーメン



 礼拝(上)

 
 


礼拝(下)

 
 


祝会(上)

 
 


祝会(下)

 





2020年4月11日土曜日

イースター礼拝(4月12日)予告

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-5)

明日(4月12日日曜日)の昭島教会イースター礼拝は「各自自宅礼拝」です。看板に「2020年4月5日より各自自宅にて礼拝を守っております 感染防止のため」と記しました。明朝10時30分にいつもどおり礼拝開始のチャイムを鳴らします。思いをひとつにして世界の救いを祈ります。

2020年4月5日日曜日

十字架への道



ヨハネによる福音書18章28~40節

関口 康

「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」

おはようございます。今日の礼拝に付ける名前をどうするかで悩みました。「各自自宅礼拝」と週報に書きました。意味が分かるようで分かりません。いま世界で起こっている未曾有の事態に対してひとつの意思表示をしたいと願って付けた名前です。

今日の礼拝は「休会」ではありません。わたしたちは、いま礼拝を行っています。今日の礼拝は「開会」されています。

イエス・キリストが死者の中からよみがえられた週の初めの日としての日曜日を「主の日」と聖書が呼び、世の終わりまでその日をキリスト教安息日(Christian Sabbath)として守り続けることは教会の本質に属することであり、状況に応じてどうにでもなるという次元の事柄ではありません。

そして、安息日の本質は、神を礼拝することにおいて「魂の」安息を得ることです。その意味での安息を得るために、教会は主の日毎に目に見える形ある礼拝を行ってきました。

それは教会の歴史的な伝統でもあります。しかし、それだけではなく、「神が」命じておられることであると信じているからこそ、わたしたちは万難を排して、たとえどんなことがあっても、主の日ごとの礼拝を守ってきました。

しかし、そのことと、だからといって教会に属する者たちは、たとえ病気で苦しんでいるときも、死の恐怖と直面する事態の中にあるようなときも、体を打ち叩き、心を奮い立たせて、教会の礼拝堂というこの建物に必ず集まって、定例集会としての主日公同礼拝に、何がなんでも出席しなければならないというようなことを言い出すこととは、全く別問題です。

そのようなことを要求する教会がもしあるとしたら、イエス・キリストがお語りになった大切な言葉を忘れています。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」(マルコによる福音書2章27節~28節)と、イエスさまがはっきりおっしゃいました。

「安息日の主でもある人の子」であられるイエス・キリストが、病で苦しむ人々と共に、死の恐怖に直面している人々と共に必ずいてくださるということを、その人々にはっきり分かるように伝える責任が、イエス・キリストの教会にあります。

それでは、今日、2020年4月5日の東京に位置するイエス・キリストの教会の取るべき姿勢は何なのかということを、わたしたちは考えざるをえません。少しも大げさでなく、全人類がいま死の恐怖の前に立たされています。全人類のだれもいまだに治療法を知らない感染症の病原が、わたしたちのすぐ近くに迫っています。

今日、教会の礼拝堂に集まっていない人々は、礼拝をサボっているわけではありません。少しも大げさでなくわたしたちは、各自のいま考えうる最良の避難所に避難している状態です。それが「自宅」です。その意味で「各自自宅礼拝」です。

そして、牧師である私にとっての「自宅」は、牧師館がある「教会」です。だから、私は教会が自宅だから、教会で礼拝をしています。しかしだからといって、私がいまささげている礼拝は、たとえ牧師がひとりでささげる礼拝であっても、教会堂の建物の中で行えば、それが礼拝であるという意味を持つものではありません。

そして私は、私の避難所である教会でひとりで礼拝をささげている様子を録画して、インターネットで公開しようとしています。しかし、だからといって私はこれを「インターネット礼拝」であると考えていません。

私は「インターネット礼拝」というのに反対なのです。インターネットが苦手な方やアクセスするためのパソコンやプロバイダに支払う費用を捻出することに経済的な困難を覚えている方を切り捨てることになると思っています。「今はみんなで集まることができないのでインターネット礼拝をいたしましょう」というようなすっきりした三段論法に乗せられることに対して強い警戒心がある、とても飲み込みが悪い人間です。

ですから、この際はっきり言っておきます。私が今しているのは「インターネット礼拝」ではありません。私の「自宅」である教会で、私がひとりでささげている「私の各自自宅礼拝」を録画して公開しようとしているにすぎません。

先ほど朗読した聖書の箇所は、いつもしているのと同じように、日本キリスト教団の聖書日課に従って選んだ箇所です。ヨハネによる福音書18章28節から40節まで(新共同訳 新約聖書205ページ)です。

わたしたちの救い主イエス・キリストが十字架にかけられる前の夜、十二人の弟子たちと共に「最後の晩餐」を囲まれ、その後ゲツセマネの園で弟子たちと共に祈りをささげられたのち逮捕され、祭司長たちと最高法院の議員たちのもとに連行されて裁判をお受けになり、さらにそののちローマ総督ポンティオ・ピラトのもとにも連行されて、ピラトの尋問をお受けになるその場面です。

イエスさまは、祭司長たちと最高法院の議員たちのところでは、何を尋ねられてもほとんど何もお答えになりませんでしたが、「あなたはメシアなのか」と尋ねられたときだけ「それはあなたが言ったことです」とお答えになりました。しかし、イエスさまのお答えに「わたしはメシアではない」と、そのこと自体を否定する意味はなく、むしろ肯定されました。

今日の箇所に出てくるピラトのところでも、イエスさまは同じ態度を貫かれました。ピラトがイエスさまに「お前がユダヤ人の王なのか」(33節)と問うたとき、イエスさまは「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか」(34節)と答えておられます。

そしてそのうえで、イエスさまは「わたしの国は、この世には属していない」(36節)とお答えになりました。するとピラトが「それでは、やはり王なのか」(37節)と問うてきましたが、イエスさまは「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た」(37節)とお答えになりました。

難しいといえば難しい、なんだかよく分からないやりとりではあります。しかし、イエスさまの意図は明確です。「そもそも国とは何か」という果てしなく大きな問題が背後にあります。

国と国を隔てる国境は、だれがどのようにして決めたのか。その国のリーダーである王、ないし同等の立場にある人は、何の権限でみずから王の名をなのり、実力を行使するのか。このようなことをいろいろ考えなくては「国とは何か、王とは何か」という問いかけに答えることはできません。

イエスさまはユダヤを武力で支配していた王たちと同じ意味での「王」ではありませんでした。ユダヤを支配下に置くローマ帝国の王たちと同じ意味の「王」でもありませんでした。しかし、だからといってイエスさまは、ご自身が「王」であることを否定しておられません。

「それでは、やはり王なのか」というピラトの問いかけに対して、「わたしは真理について証しするために生まれ、そのためにこの世に来た」とお答えになったのは、ご自身が「王」であることを否定する意味ではなく、地上ではなく天におられる世界の創造者である神のひとりごとしてお生まれになった、神の真理を世界に示す「王の王」(King of kings)であるということを明確に示されたのです。言葉を濁してわけの分からないことをおっしゃったわけではありません。

そうでないからこそ、このイエスさまの答えは当時の権力者たちを怒らせるまさに直接の原因になり、十字架につけられる理由になりました。イエスさまが自分はメシアであるとしたことと、そして安息日論争は、イエスさまを十字架にかけるに値する冒とく罪を犯したと告発された原因そのものでした。そうであることをイエスさまは分かっておられました。ご自分がメシアであり、王の王であるという真理をはっきり示されることにおいてイエスさまは十字架につけられました。

そのようなイエスさまのお姿に「なんてばかなことを」と、わたしたちは思いません。世界と国の支配的立場にある人々のすべてがおかしいとまでは、私は思いません。しかし、あまりにもおかしなことばかり言い、うそとごまかしを押し通し、人々を助けるどころか犠牲にし、ひどい目にあわせる支配者が、わたしたちの眼前にいると感じるとき、十字架につけられたイエスさまのお姿のほうに、むしろ魂の平安を見出します。「なんてまっすぐな方だろう」と。

そして、そのようなイエスさまと共に生きていこうとするとき、この地上の人生にもまだ希望があると感じることができます。うそとごまかしだけで世界が成り立っているわけではないことが分かるからです。

今日の礼拝をこのような形にしたのは、政府の要請に従ったのではありません。社会の要請でもないし、医者や専門家の要請でもありません。そうすることが必ず間違っていると言いたいのではありません。そうではなく、「だれに従うのか」という問いは、教会の本質ないし存在理由にかかわることだと申し上げています。

イエス・キリストの教会が従うのは、イエス・キリストだけです。その結果として、国や社会の要請と合致する場合ももちろんありますし、そうであることを願うばかりです。教会が伝道というわざを行うのは、教会に集まる人が増えればいいというような勢力拡張の意図からするのではなく、イエス・キリストにおいて示された真理を多くの人々と共有できる社会や国になりますように、という願いがあるからです。

ですから、わたしたちは、今日は各自の自宅で礼拝をささげています。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」とおっしゃった安息日の主イエス・キリストの要請に従って、全人類を脅かす死に至る病から身を守るために、各自の自宅に避難しています。

今日の礼拝は「休会」ではありません。学校でたとえれば、「保健室登校」や「出席停止」です。それは欠席にはなりません。その趣旨をご理解いただきたいと願っています。

(2020年4月5日、日本キリスト教団昭島教会 主日礼拝)

2020年4月3日金曜日

【謹告】昭島教会と共に歩んでくださっている皆様へ

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-5)

昭島教会と共に歩んでくださっている皆様へ

主イエス・キリストの聖なる御名を賛美いたします。

いつも昭島教会のためにお祈りいただき、ありがとうございます。

本教会は、新型コロナウィルス感染防止対策として、4月5日(日)主日礼拝につきましては、教会に集まってくださった方がおられた場合は、玄関で週報をお渡しし、そのままお帰りいただく形をとることにしました。

礼拝でお祈りするのは牧師だけです。皆様はどうかご自宅でお祈りください。

また、毎週木曜日の「聖書に学び祈る会」も、新型コロナウィルス感染の危険が去るまで休会することにいたします。

今後のことにつきましても、当ホームページ(http://akishimakyokai.blogspot.com/)
で情報を公開いたしますので、URLをご登録いただき、ご活用いただきたくお願いいたします。

質問やご意見は、教会メールアドレス(akishimakyokai@gmail.com)にお送りくだされば、牧師がお応えいたします。

いずれにしましても、決してご無理のないよう、ご自宅でお過ごしになることを願っています。

なお、専門家の貴重なご意見をいただきましたので、以下、ご紹介いたします。

(1)マスクの着用は正しく行ってください。「マスクはしっかりつける、近くでお話ししない」等のルールは、しっかり伝えて、もしできていないような場面を見たら、その場できちんと「やさしく」注意してくださいね。

(2)手洗いをしっかり行い、各自が清潔なハンカチで拭いてください。タオルの共用は絶対ダメです。

(3)なるべく使い捨てのペーパーを使ってください。ペーパータオルの入手が難しいので、テッシュペーパーでも構いません。個人のハンカチが汚染されていたら、意味がありませんので。

(4)ドアノブ、手すり等の消毒も徹底して行ってください。

【参考】消毒薬の作り方(動画)

以上、ご理解・ご協力のほど、なにとぞどうかよろしくお願いいたします。

2020年4月3日

日本キリスト教団昭島教会
主任牧師 関口 康

2020年3月30日月曜日

キリストの沈黙(東京プレヤーセンター)

礼拝後の記念撮影。説教者は前列左から2番目

マタイによる福音書26章63~64節

関口 康

「イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。『生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。』イエスは言われた。『それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗ってくるのを見る。』」

みなさんこんにちは。日本キリスト教団昭島教会の関口康です。今日はよろしくお願いします。

東京プレヤーセンターの「365日礼拝」で説教させていただくのは、今日が2回目です。前回はなんと4年も前の、2016年4月16日でした。

「あれから40年!」という落語がありました。40年ほどではありませんが、前回からの4年の間に、私の身に大きな変化がありました。個人的な近況報告は場違いかもしれませんが、今日の話に関係すると思うところがありますので、最初に触れることをお許しください。

第一の変化は、引っ越ししました。4年前は千葉県柏市に家族と共に住んでいました。今は昭島教会の牧師館にひとりで住んでいます。2人の子どもが2年前にそれぞれの学校を卒業し、就職しました。同じタイミングで私が昭島教会の牧師になりました。妻も自分の職業を持っています。家族の職場が昭島市から遠いので、私が単身赴任することにしました。

第二の変化は、いま申し上げたとおり、2年前に昭島教会の牧師になりました。前回は千葉英和高等学校で聖書を教える常勤講師でした。今回は昭島教会の牧師であると共に、明治学院中学校東村山高校の非常勤講師です。非常勤講師は1年契約です。契約期間は明日3月31日までです。契約が更新されるかどうかは明後日4月1日まで非公開です。更新されそうかどうかは私の顔でご想像いただきたいです。今日はマスクをしているのが残念ですが。

さらに、第三の変化としてカウントするのは早いのですが、と言いますのは、これも公開可能になるのは明後日4月1日だからですが、もうひとつ別の学校でやはり聖書を教える非常勤講師をすることが内定しています。学校の名前を言うのもフライングですので、やめておきます。

それより前に、これはすでに確定していることですので第三の変化だと言えますが、2年前の2018年4月から昨年2019年3月まで1年間、牧師をしながらアマゾン八王子フルフィルメントセンターで肉体労働のアルバイトをしました。30年前に東京神学大学を卒業してから教会の牧師しかしたことがありませんでしたので、この第三の変化が人生最大の意味を持っています。

個人的な近況報告が長くなって申し訳ありません。申し上げたかったのは、前回と比べて今回の私は非常にパワーアップしています、ということです。最も大きな変化は、アマゾンで筋肉がつきました。クマと戦っても勝てそうな気がします。

さて、今日朗読していただいた聖書の箇所は、マタイによる福音書26章の63節と64節です。ここに記されているのは、わたしたちの救い主イエス・キリストが十字架にかけられる前の夜、弟子たちと共に最後の晩餐をなさった後に逮捕され、大祭司カイアファの屋敷に集まった祭司長たちと最高法院の議員による裁判をお受けになった場面です。

今わたしたちは「受難節」を過ごしています。それで、この箇所を選ばせていただきました。大事な点は、イエスさまが「黙り続けておられた」(63節)と記されているところです。

直前の節に「そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。『何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか』」(62節)と記されているとおり、イエスさまは何を言われても、沈黙しておられました。

大祭司が「お前はメシアなのか」と尋ねてきたときだけ、「それは、あなたが言ったことです」(63節)と答えておられます。これで分かるのは、イエスさまは一切口を閉ざして、ひとことも何も言うまいと心に誓っておられたわけではない、ということです。

もし言うべきことがあれば言う姿勢でおられました。しかし、言うべきでないことについては、沈黙なさっていました。

なぜイエスさまが沈黙なさっておられたかは、イエスさまに教えていただく以外にありません。しかし、思い当たることがないわけではありません。それを一言でいうと、あくまでも私なりの理解ですが、このときイエスさまはだれかをかばっておられたということです。

それはもちろん、イエスさまが何かをお語りになることによって不利な立場に立つ人々です。その人々は、大きく分けるとふたつのグループに分かれると私は理解します。

第一のグループはイエスさまの弟子たちです。今日の朗読箇所の前後に記されているとおり、使徒ペトロがイエスさまの裁判の様子を見に、大祭司カイアファの屋敷の庭まで来ていました。そのことを、イエスさまはご存じでした。マタイによる福音書は記していませんが、ルカによる福音書に「主は振り向いてペトロを見つめられた」(22章61節)と記されています。だからこそ、ペトロは号泣したのです。

自分が近くにいることをイエスさまはご存じだったと分かったので泣いたのです。イエスさまのことを三度も「知らない」と言っているペトロの声が聞こえていたかもしれないのに、「おい、お前、おれだけ置いて逃げるな、卑怯者」とペトロにおっしゃらなかったイエスさまのお気持ちが分かったからこそ、ペトロは泣いたのです。

しかし、それだけではありません。もうひとつのグループがあると私は理解します。皆さんを驚かせてしまうかもしれません。もうひとつのグループは、その場所にいた祭司長と最高法院の議員たちです。その人々に対して、イエスさまは「かばう気持ち」をお持ちでした。だからこそ、イエスさまは沈黙しておられました。

どういうことでしょうか。イエスさまを苦しめている相手を、イエスさまがかばっておられたと私は言っています。そんなことがありうるでしょうか。しかし、わたしたちもそういうことを全く考えたことがないだろうかと自分の胸に手を当てて考えてみるとよいのです。ただし、そこで必ず、別の次元の事柄が入り込んで来るだろうと思います。

私を苦しめている人々がいる。しかし、その人々が、まさにいま、私を苦しめることにおいて罪を犯している。私が何かを言えば言うほど、その人々がうそをつき、でたらめを重ねる。偽証の罪を増やしていくことになる。その罪をこれ以上その人々が犯さないように、私は沈黙する。こういうことをわたしたちが、いまだかつて一度も考えたことがないだろうかと、自分の記憶を探ってみたらよいのです。私は「ある」と思います。

この文脈で私の話に戻すのはよろしくないかもしれません。しかし、もうひとつ変化がありました。第四の変化です。それは、千葉英和高校で働いた翌年の2017年4月から2018年3月までの1年間、「無職」を味わったことです。それは苦しい一年でした。

しかし、なぜそうなったのかについては割愛します。私が自分を正当化しようと思えばいくらでもできます。あえて「沈黙」します。考えてもみてください。教会の牧師たちが苦しみに合うことがあるとしたら、ほとんどは「教会で」受ける苦しみです。しかし、そんな話を牧師である者が教会の外に出すことはできません。神の御前で恥ずかしいことです。そこで牧師は、教会を「かばう」必要があります。

かっこうつけたいのではありません。イエスさまと自分を横に並べて誇るつもりもありません。「沈黙」には自分を守る意味もあります。「あの人が悪い」「あの教会が」「あの牧師が」と言い出せば、きりがありません。相手も必ず反論してくるでしょう。報復が起こるでしょう。

そういうのを「泥仕合」と言います。私の手元にある『広辞苑』は古い第4版だけです。その中に「泥にまみれて争うこと。転じて、互いに相手の秘密や弱点や失敗を暴露し合う、みにくい争い」と定義されています。

この「みにくい争い」をイエスさまは、祭司長や最高法院の議員にさせたくなかったのです。その人々も「神に仕える」立場にある人々です。その人々の泥仕合は「神の前で」恥ずかしいことです。だからこそ、イエスさまは「沈黙」なさったのです。そのように私は理解します。

イエスさまは弟子たちをかばい、御自分を十字架につけて殺そうとしている人々さえもかばい、おひとりで十字架を背負われました。「そこに愛がある」と、最初の教会の人たちが信じました。新約聖書の著者たちもそのように信じました。わたしたちはどのように信じるべきでしょうか。「それは各自で決めることです」としか、私には言いようがありません。

しかし、これもかっこうつけて言うつもりはありませんが、わたしたちがやはり、自分の胸に手を当てて思い出す必要があります。いまだかつてただの一度でも、「泥仕合」で問題が解決したことがあったでしょうか、なかったのではないでしょうか、ということを。「互いに相手の秘密や弱点や失敗を暴露し合う、みにくい争い」(広辞苑第4版の「泥仕合」の定義)のことです。

一時的には、すっきりした、せいせいした、溜飲が下がった爽快感を味わえるかもしれません。しかし、その次の瞬間は地獄です。いずれ報復されることを覚悟しなければならないでしょう。何の解決にもならないことは目に見えています。

東京プレヤーセンターで私の3回目の出番があるかどうかは分かりません。しかし、もし次回のチャンスをいただくことができるなら、さらにパワーアップして帰って来たいと願っています。

(2020年3月30日、東京プレヤーセンター礼拝、御茶ノ水クリスチャンセンター404号室)

2020年3月22日日曜日

香油を注がれた主

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-5)

ヨハネによる福音書12章1~8節

関口 康

「イエスは言われた。『その人のするままにさせておきなさい。』」(7節)
 
おはようございます。今日もマスクをしたままでお許しください。そして先週と同じように、時間を短縮してお話しいたします。

今わたしたちは受難節を過ごしています。わたしたちの救い主イエス・キリストの御受難を覚える季節です。しかしまた、折しもわたしたち自身が苦しみを味わっています。

わたしたちが味わっているのは「不安」の苦しみです。それは決して小さいものでも軽いものでもありません。世界がこれからどうなっていくかをだれひとり知りません。

だからこそ、今のわたしたちに最も必要なのは「心の平安」です。それは安心であり、平和です。そして、安心してもよいだけの「根拠」です。それが無い、あるいは分からないから、偽りの情報に翻弄されたりしています。

しかし、なんとかして、自分の心に強く言い聞かせてでも、落ち着きましょう。冷静であることが大事です。

いま私の心にしきりに去来する言葉があります。それは、16世紀ドイツの宗教改革者マルティン・ルターが言ったとされながら出典は不明であるとされている「たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、私は今日りんごの木を植える」という言葉です。

「世界が滅ぶ」などという言葉を今の状況の中で使いたくありませんが、大事なのは後半です。「私は今日りんごの木を植える」です。出典が不明である以上、マルティン・ルターの言葉だと断言することはできませんが、とにかく大事なことが言われているのは確かです。

どれほど不安なときも、明日世界が滅亡することが分かったとしても、そんなことはどうでもいいことだと軽く考えて、そんなことよりも神さまのおられる天国だけを見上げていればよいのだ、それでいいのだというようなことを私が言いたいわけではありません。そんな考えはよぎりもしません。

そうではありません。「わたしは今日りんごの木を植える」のです。落ち着いて、日常的な地上の事柄に取り組み、汗を流すのです。労働のたとえが含まれているかもしれません。働いて疲れて横になれば、ぐっすり眠ることができるでしょう。

今日朗読していただいた聖書の箇所に記されているのは、「過越祭の六日前に」(1節)イエスさまがベタニアという村に行かれ、ひとつの家庭に迎えられ、食事をなさった場面です。

そこにマルタ、マリア、ラザロの3人姉弟がいました。末の弟のラザロについては、病気にかかり一度死んだのにイエスさまによってよみがえらされたという驚くべき出来事があったことが、ヨハネによる福音書の11章1節以下にかなり詳しく記されています。

マルタとマリアについては、ルカによる福音書10章38節から42節に出てくる話がよく知られています。今日の箇所にも記されていますが、マルタは「給仕」の役回りだったようです。

そして妹のマリアは、ルカによる福音書に描かれていることとしては、お姉さんが給仕している最中でもイエスさまの前に座り込んで、じっと話を聞く。それでお姉さんの怒りを買ってしまうタイプの人でした。

この3人姉弟をイエスさまは心から愛しておられました。「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた」(11章5節)と、ひとりひとりの名前を挙げて記されているとおりです。

そして、その3人と共にイエスさまは「過越祭の六日前に」食事をなさいました。六日後が過越祭であることは、イエスさまはもちろんマルタもマリアもラザロも知っていました。過越祭にもイエスさまは食事をなさいました。それが、12人の弟子たちと共に過ごされた「最後の晩餐」です。

ベタニアの3人姉弟の家で食事の前だったか、最中だったか、終わってからだったかは今日の箇所だけでは分かりませんが、マリアが半ば唐突に「純粋で非常に高価なナルドの香油」を一リトラ(約326グラム)持ってきて、イエスさまの足に塗り、自分の髪でぬぐいました(3節)。

もし食事の前あるいは最中だったとしたら、強烈な香りで食事がぶち壊しになったと考えられなくもありません。もしそうだとしたら、そういうことを後先考えず、迷惑をかえりみず、唐突にできてしまうマリアは、なんらかの配慮が必要な存在だったかもしれません。

そこで腹を立てたのがイスカリオテのユダでした。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」(5節)と言いました。

「1デナリオン」は、当時の労働者の1日の賃金です。それの300日分です。ひとりの労働者のほぼ年収です。

なぜ、それほど高価な香油がその家にあったのかは分かりません。憶測はよろしくありませんが、いろいろ想像できなくはありません。

それをマリアはイエスさまにささげました。お金に換えて別のものにしてではなく、ナルドの香油そのものをイエスさまのために使いました。「なぜそんなことをするのか、もったいない」とユダのようなことは考えないで。「純粋で非常に高価なナルドの香油」そのものをイエスさまに、マリアはささげました。

もっとも、ユダは「貧しい人々のことを心にかけていたから」そのように言ったわけではないと、ヨハネによる福音書は説明しています(6節)。別の理由があったのだ、と。しかし、この点を掘り下げていきますと別の話になりますので、今日は割愛いたします。

そのときイエスさまは、「この人のするままにさせておきなさい」とおっしゃいました。「わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのだから」(7節)と。

お金の使い道の話にしてしまうのは単純すぎるかもしれません。しかし、こういう使い方なら意味があるが、そういうことなら意味がないと、わたしたちもしょっちゅう考えたり議論したりします。

イエスさまのために使うのは無駄でしょうか。イエスさまへの愛と敬意、そして信仰のために、価値あるものを差し出すことは無意味でしょうか。イエスさまは、マリアのささげものを喜んでくださいました。わたしたちのささげものをも喜んでくださるでしょう。

他人(ひと)がすることを「それは無駄だ無意味だ」と非難することは、わたしたちもついしてしまうことです。社会や個人の経済が不安定なときはなおさらです。しかし、ここで最初の話に戻します。社会や個人が不安なときにこそ必要なのは「心の平安」です。

今日わたしたちが教会に集まってきたのは、それを得るためだったのではありませんか。私もそうです。他のどんな方法でも得ることができない「心の平安」を、ここ(教会!)に来れば得ることができると思ったからこそ集まってきたのではありませんか。私もそうです。

どうやら今日わたしたちが植えている「りんごの木」は「教会に来ること」でした。それが無駄だ無意味だと、イエスさまは決しておっしゃいません。

今申し上げていることに、今日の礼拝出席をお控えになっている方々を責めたり裁いたりする意味は全くありません。教会としての姿勢は「決して無理をしないでください」と毎週の週報に繰り返し書いているとおりです。

自宅で待機しておられる方々のために、そして全人類のために、共に祈ろうではありませんか。

(2020年3月22日、日本キリスト教団昭島教会主日礼拝)