2016年6月4日土曜日

私の父も高校教員でした


売りにしたことはないが、隠したこともなく、以前も書いたことがあるので書くが、中学校以降(大学、神学校卒業まで)の私の学業成績は常時下位で、どうしようもない状態だった。教員から好かれたことはなく、私も学校なるものが苦手だった。いま学校で教員をしていることが自分で不思議でたまらない。

ただ、ひとつ思い当たる、私と学校を結ぶポジティヴな線は、私の父が高校の教員だったことだ。公立の農業高校の園芸科の教員だった。聖書科と園芸科のたぶん共通点は、いわゆるセンター試験(旧共通一次試験)の科目とは無関係なところ。その目線からは、やや(いやかなり)軽んじられやすいところ。

50歳になったいまだからこそ言えるが、私は父を尊敬している(まだ父は元気でいてくれる)。生徒の前での父の姿は知る由もなく、疲れ果てて帰宅した姿ばかりを記憶しているが、父の心の矜持は子どもなりに感じとっていた。父から園芸を学んだことは一度もないし、私には全く関心がない分野だったが。

私は大学入学以降は、一年に数日の休暇以外は実家に帰っていない。1984年以降、その状態が32年になる。べつに実家と仲が悪いわけではない。高校からストレートで神学大学に行き、卒業後25年、教会の牧師として実家から遠い町を転々としていただけだ。今も実家の岡山からとても遠い千葉にいる。

物理的距離が遠い実家との連絡手段は、今は実はネットだ。私のブログもツイッターもフェイスブックも、第一義的には、父への連絡のつもりで書いている。それを公開し、ハタの方々に読んでいただいているというわけだ。献呈辞をつけるとしたら(つけないが)、「父へ。感謝の心をこめて」となるわけだ。