2013年4月24日水曜日

日本キリスト改革派教会の 「前史」を学ぶ意義


1946年に創立した日本キリスト改革派教会は、2016年に70周年を迎えます。

我々の教派の通史を学べる本としては、1996年に大会「歴史資料編纂委員会」が発行した『日本基督改革派教会史 途上にある教会』(発売元 聖恵授産所出版部)があります。しかし残念なことに本書には創立30周年までの歴史しか書かれていません。本書が発行された1996年は教派創立50周年の年でした。30周年までしか書くことができなかった背景に存命の方々に対する配慮や遠慮があったことは間違いありません。

しかし、そうした限界にもかかわらず、『日本基督改革派教会史』は非常に興味深いものです。特に注目に値するのは、第一章(タイトルは「創立以前」)と第二章(「創立への胎動」)に描かれた「前史」の部分です。

「前史」がなぜ重要なのでしょうか。その理由が「はじめに」の中に次のように書かれています。

「日本基督改革派教会は、太平洋戦争の敗戦によって、戦前の天皇制国家が崩壊しつつある時代に誕生した。その意味では、厳密にいうと、教派としての歴史は〈戦後〉のあゆみに限られる。戦後になって出現した日本基督改革派教会、そして、それがめざすキリスト教の路線は、それまでのどの日本のキリスト教会も取らなかった独自のものであり、その独自性は、神学や信条の方法から、教会のあり方の全ての部分にまでおよんでいる。けれども、そうした独自な教会の路線が、どのようにして生み出されたかを、つぶさに検討してみると、日本基督改革派教会の行き方・考え方には、歴史的なつながりがあり、日本の教会史が成熟してゆく過程で、どうしてもそうならざるを得なかった、〈必然性〉とも〈期待〉ともいうべき経過をたどったことが理解されるのである。その意味では日本基督改革派教会が誕生するにいたる〈前史〉の部分を避けるわけにはいかない」(13頁)。

さらに、第一章の冒頭には次のように書かれています。

「日本における改革派教会のあゆみは、プロテスタント・キリスト教会の揺籃期にまでさかのぼる。つまり日本基督改革派教会は、その創立以前にかなりながい〈前史〉をもっていると私たちは考える」(19頁)。

改革派教会の「前史」といえば、考え方次第では16世紀スイスの宗教改革者ジャン・カルヴァンまでさかのぼることもできないわけではありません。しかし、『日本基督改革派教会史』はそのような大げさな書き方を望んでいません。その代わりに本書が採用する方法は、「日本における」改革派教会の歴史から出発することです。

「日本における」改革派教会の歴史は、ペリーの黒船来航(1853年)とその翌年の日米和親条約(1854年)の18年後に当たる1872年に横浜に誕生した日本初のプロテスタント教会である「日本基督公会」まで遡ります。『日本基督改革派教会史』の「前史」も「日本基督公会」の創立から始まります。

「日本基督公会」という名称には「改革派教会」という文字は見当たりません。しかし、この教会の創立を指導した複数のアメリカ人宣教師の所属は「アメリカオランダ改革派教会」(ダッチ・リフォームドチャーチ・イン・アメリカ)か「アメリカ合衆国長老教会」(プレスビテリアンチャーチ・イン・ザ・ユナイテッドステイツ・オブ・アメリカ)でした。つまり、この複数のアメリカ人宣教師の信仰と神学が色濃く「改革派的なるもの」でした。

独立した教派としての日本キリスト改革派教会は1946年に始まります。しかし、「日本における改革派教会」は1872年に始まるのです。

さて、これから書くことは『日本基督改革派教会史』に記されていることではありませんが、このたび調べて分かったことです。

日本に宣教師を送りだしてくださることによって「日本における改革派教会」の産みの親のひとりになってくださった「アメリカオランダ改革派教会」(ダッチリフォームドチャーチ・イン・アメリカ)は「アメリカにおけるオランダ改革派教会」という意味です。なぜこういう名前なのかといえば、18世紀末(正確には1789年)に始まり、19世紀中盤に活発になったオランダ人のアメリカ大陸への移民の中に「オランダ改革派教会」の熱心な教会員が多くいたからです。

この人々は改革派神学を熱心に学び、オランダの「国家訳」と呼ばれる聖書を使用し、ハイデルベルク信仰問答を暗誦し、ジュネーヴ詩編歌のオランダ語版を歌っていました。

また彼らは、カルヴァンの教えに立つオランダのユトレヒト大学神学部の教授フーティウス(ヴォエティウス)やその弟子たちの本を繰り返し読んでいました。驚かれるかもしれませんが、彼らが重んじたフーティウスという神学者は、改革派教会の信徒に対し、舞踏、演劇、暴飲暴食、贅沢な家具、華やかな髪飾り、化粧、賭博、礼拝賛美でのオルガン使用などを禁止しました。

フーティウスによると、改革派教会の信徒たる人は毎週日曜日の礼拝に通い、聖餐に与り、ハイデルベルク信仰問答を学び、聖書を読み、詩編歌を歌うだけで満足すべきではありませんでした。外面的なことだけではなく、内面的なことを重んじることが必要でした。禁欲的に自己自身の霊性を高め、静かに祈り、黙想し、自らの永遠の終末に備え、神の大いなるみわざに感謝することこそが信者にふさわしいと教えました。

「日本における改革派教会」を生み出したアメリカの宣教師たちの信仰の特質が禁欲主義的なものであったことは、よく知られています。その禁欲主義の精神的淵源をたどれば、どうやらそれは、オランダ的な性格を持つ「改革派敬虔主義」(リフォームド・パイエティズム)と形容される伝統につながるようです。

日本キリスト改革派教会はこの「日本における改革派教会の伝統」をいまでも継承しています。それは私たちにとっては誇るべき長所ですが、短所になる場合もあります。それについて具体的に書く紙面はもうありませんが。教派の「前史」を知ることは、教派の特色や性格を知り、「改善点」を見出すために重要なのです。

(松戸小金原教会月報『まきば』第395号(2013年4月28日発行)掲載)