2009年8月15日土曜日

「国旗・国歌法 成立10年 踏み絵としての斉唱」の論旨に賛成 追記

磯村健太郎氏が書いていることをよくお読みいただくと、「君が代の歌詞は天皇制をたたえる内容であり、入学・卒業を祝う場にはそぐわないと思っている。有無を言わせずに強いられると、まるで天皇を『神』とする宗教のように感じてしまう」のは、磯村氏自身ではなく、「音楽教員で、英国国教会系の日本聖公会の信徒」である「東京都の公立小学校に勤める岸田静枝さん(59)」であるということを理解していただけます。



もちろん「君が代の歌詞は天皇制をたたえる内容であり」という要約の仕方が乱暴すぎるという批判が出てくるかもしれないわけですが、この記事の趣旨からいえば、重点はそこにはなく、むしろ「有無を言わせずに強いられると、まるで・・・のように感じてしまう」という点の問題性を告発しているものであるということも理解していただけるはずです。



私の読み方が間違っていなければ、磯村氏が代弁している岸田氏の主張の中心にあるのは、言ってみれば、肌感覚レベルの事柄です。「・・・そぐわないと思っている」とか「まるで・・・のように感じてしまう」という表現に表れているとおりです。



つまりここで問題とされていることは、ある特定の宗教・思想・信条等を国家ないし警察権力をもって強制されることによって国民の中に起こる、さまざまな感情的反発の中身です。そして日本国民の中には「日の丸・君が代」が「踏み絵」であると“感じる”人もいるということです。



私はこの“感覚”を共有できる人間ですので、記事に賛成しました。