2009年8月30日日曜日

説教とは何か

ヨハネによる福音書7・14~31

「祭りも既に半ばになったころ、イエスは神殿の境内に上って行って、教え始められた。ユダヤ人たちが驚いて、『この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう』と言うと、イエスは答えて言われた。『わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。モーセはあなたたちに律法を与えたではないか。ところが、あなたたちはだれもその律法を守らない。なぜ、わたしを殺そうとするのか。』群衆が答えた。『あなたは悪霊に取りつかれている。だれがあなたを殺そうというのか。』イエスは答えて言われた。『わたしが一つの業を行ったというので、あなたたちは皆驚いている。しかし、モーセはあなたたちに割礼を命じた。――もっとも、これはモーセからではなく、族長たちから始まったのだが――だから、あなたたちは安息日にも割礼を施している。モーセの律法を破らないようにと、人は安息日であっても割礼を受けるのに、わたしが安息日に全身をいやしたからといって腹を立てるのか。うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい。』」

今日は長めに読みました。描かれている場所はエルサレムです。そこで祭りが行われていました。先週の個所で、イエスさまが兄弟たちに「わたしは行かない」とはっきりとおっしゃっていた、あの祭りです。ところが、イエスさまは、兄弟たちが出かけた後、こっそり隠れるようにして上られたのです。

「行かない」と言っておきながら行かれたのであれば、嘘をついたと思われても仕方がありません。しかしこの件については、兄弟たちに対する配慮と愛情をイエスさまがお持ちであったと考えるほうがよいでしょうと、先週の最後に申し上げました。イエスさまは命を狙われていたのです。兄弟たちを巻き添えにしたくないとお考えになったに違いありません。

しかし、理由はこれだけではなさそうです。少なくとももう一つあることに気付きました。それは、これまでのイエスさまの行動から推測できることです。カナという町で行われた結婚式で、母マリアが「ぶどう酒がなくなりました」(2・3)と言ったとき、イエスさまは「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」(2・4)とお答えになりました。ここに「わたしの時はまだ来ていません」という重要な言葉が出てきます。

イエスさまはだれかの依頼や指図や命令に従って行動なさることをお嫌いになったのです。どんなことであれ、イエスさまはすべてのことを御自分の意志で行われたのです。しかもイエスさまは、ただ単に「御自分の意志に従って」ということではなく、父なる神の御意志に従いつつ、イエスさま御自身の意志で行動なさったのです。イエスさまの「時」は、イエス・キリスト御自身と、御子の父なる神だけがご存じだったのです。

そして今日の個所でイエスさまは、驚くべき行動をおとりになりました。エルサレム神殿の境内にお立ちになって、堂々と説教をお始めになったのです。すでにこのことだけではっきり分かることがあります。それは、イエスさまは御自分の命など少しも惜しいとは思っておられなかったのだということです。命を狙っていた人々の目の前にお立ちになり、最も目立つ行動をおとりになったのです。

そのこと――自分の命など少しも惜しいと思わないこと――が善いことなのか悪いことなのかは、私には分かりません。もし私がこの場面に居合わせていたイエスさまの弟子の一人であったとしたら、「イエスさま、そのような無謀なことはおやめください。御自分の命をもっと大切にしてください」と言って止めようとしたかもしれません。しかしおそらくイエスさまはそのような言葉を聴き入れてくださらなかったでしょう。イエスさまは、だれの依頼も指図も命令もお受けにならない方なのです。ただおひとり、父なる神の御意志のみに従って行動なさる方なのです。だれが止めても止まらない。すべての人々はイエスさまのお姿をただ見守るしかありません。

イエスさまの説教を聞いたユダヤ人たちが、ある意味で興味深い感想を述べています。「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」。ここで彼らが言う「学問をする」とは、ユダヤ教のラビ(教師)になる人々が当時通ったとされるエルサレム神殿附属の律法学校に在学して聖書を勉強することを意味していると考えられます。この学校の卒業生として我々が知っている一人は使徒パウロです。その学校でのパウロの教師の中にガマリエルという名の人がいたことなども使徒言行録に記されています。

その学校で教えられていることは聖書であり、ユダヤ教の信仰もしくは神学と呼んでもよいものでした。ですから、ユダヤ人たちが言っている「学問をする」は、今のわたしたちが「神学校で学ぶ」という言葉で言おうとしていることと内容的には同じであるということが分かります。つまり彼らは「この人は、神学校で学んだわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」と言っているのです。

彼らが述べていることは、なるほど事実です。イエスさまがエルサレム神殿の律法学校に通われた形跡はありません。それでは、どうしてイエスさまは、そういうところで学ばれたことがなかったにもかかわらず、人々が驚くほどに聖書をよくご存じだったのでしょうか。

もちろん最初に考えなければならないことは、イエス・キリストは神の御子であり、全知全能の方なのだから、学校などに通わなくても、あるいは教会などに通わなくても、聖書に書かれていることなど全部知っておられる方なのだ、というようなことです。このような事情であるという可能性を、別に否定する必要はありません。

しかしまた、もう一つの見方として、全く不可能とは言い切れない見方がありうると、私は考えています。それは、イエスさまが聖書を学ばれた場所は、おそらく幼い頃から両親や兄弟と共に通っておられた会堂(シナゴーグ)であるという見方です。このことを私があえて申し上げる理由は、教会の皆さんにお伝えしておきたいことがあるからです。

今年わたしたち松戸小金原教会ですでに二回行った教会勉強会のテーマは「聖書をどう語るか」というものでした。三回目の学びを10月11日から12日までの一泊修養会で行います。

これまで学んできたことは、教会の特に礼拝の中で行われる説教ないし奨励のわざは、牧師だけの務めではなく信徒の務めでもあるということでした。しかし、このことを考えていこうとする場合にどうしても避けて通ることのできない問題が「わたしは神学校に通ったわけでもないのに、どうして?」ということでしょう。この問いに明確な答えが与えられないかぎり、わたしが多くの人の前で聖書の話をすることなど絶対に不可能である、と確信しておられる方々もおられるのではないでしょうか。

しかし、ここはどうかご安心いただきたいのです。教会に通っておられるすべての方々が聖書の話をすることができます。ぜひお考えいただきたいことは、わたしたちは一体、教会というこの場所に何年通っているのだろうかということです。もちろん、ある方々は半年、一年、三年、五年といったところです。しかし、長い方々は三十年、五十年、七十年です。「わたしは長いばかりでちっとも・・・」と謙遜なさる方は多いのですが。しかし、わたしたちはこれまでに一体、何回の礼拝、何回の説教を聴いて来たのでしょうか。指折り数えてみていただきたいのです。

たとえば私がこの教会に参りましたのが5年半前です。主の日の朝の礼拝でまもなく三百回の説教を行ってきた計算になります。次の質問は、私にとっては恐ろしいものです。私がこれまで皆さんにお話ししてきたことは、皆さんの心の中に全く何も残っていないでしょうか。もしそうでしたら私はかなり真剣に苦しまなければなりません。

なるほど教会は学校ではありません。ここに通っても資格や学位を取得できるわけではありません。成績表も教会にはありません。礼拝の説教は大学や神学校の講義とは区別されるものです。しかし、それにもかかわらずわたしたちは、ここ、教会で、かなり多くのことを学んできたはずです。何年も何十年も通って来られた皆さんが、いま、ここで聞いたことを、多くの人々に語り伝えていくこと。それこそが説教なのです。

二つの例を挙げておきます。一つは、その姿を私はまだこの松戸小金原教会に来てから見たことがないということを残念に思っていることです。かつてはどこの教会にもいたものですが、牧師の祝祷の口真似が上手な子どもたちがいます。教会ごっこのような遊びをしている中で、牧師よりもよほど上手に祝祷の言葉をそらんじることができる子どもたちがいます。説教などは聞いても何のことやらちんぷんかんぷん分からない。それでも子どもたちは礼拝の中でたしかに何かを聴き、たしかに何かを憶えて帰るのです。教会の子どもたちとは、そういう存在なのです。

もう一つは、地方裁判所で長年、書記官を務めた方から教えていただいた話です。その方によると、まだ最近のことだが、書記官を長く務めた人々は、司法試験の合格者でなくても裁判官の席に着いて事裁きを行うことができるという新しい制度ができたということでした。そのお話を伺いながら、法に基づく判断において大切なことは知識だけではなく、経験こそが物を言うのだと教えられました。とても良い制度だと思いました。これと同じことが、聖書にも説教にも当てはまるのです。

脱線しすぎたかもしれません。イエスさま御自身が「わたしが聖書を学んだのはシナゴーグである」とおっしゃったわけではありません。イエスさまがおっしゃったのは、「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである」ということです。これもまた確かな真実です。イエスさまが聖書をご存じであられるのは、いつ、どこで、だれから学んだというようなこととは関係ないとおっしゃっているのです。「わたしをお遣わしになった方」、すなわち、父なる神がわたしに「語れ」と命じておられることを、わたしは語っているのだと、おっしゃっているのです。

しかし、このことも、わたしたちに当てはまるところがあるでしょう。私の場合も、生まれてから44年間、教会に通ってきたことになりますが、いつ、どこで、だれが私に聖書を教えてくださったかというようなことを全く憶えていません。それが何先生の説教であったかというようなことは完全に忘れています。私はそれでよいと思っています。自分に九九(くく)を教えてくれた小学校の教師の名前を憶えているという方がどれくらいおられるでしょうか。それを誰が教えてくれたかは、忘れてもよいことではないでしょうか。

説教にも同じことが言えるのです。主なる神が、聖書を通して、代々の教会を通して、このわたしに真理を教えてくださったのです。それこそが説教の正しい聴き方なのです。

(2009年8月30日、松戸小金原教会主日礼拝)

これは純粋な愚痴ですが同時に提案でもあります

インターネットを自分でも使いながら、インターネット上のブログに「インターネット批判」を今さらながら書くことの無意味さは知っているつもりです。でも、これ(インターネット)は本当にヤバいものであるという自覚なしにいることもできません。



インターネットは「全知全能」(何でも知っているし、何でもできる存在)ではありえませんが、そのようなものに何とか近づいてみせようという強い意志を持っているかのようです。一人一人の目の前に置かれているものは「ただパソコンのみ」(sola machina)なのですが、じっと動かないままでもほとんどのことが間に合ってしまうような錯覚に陥ります。



ちょっと前まで使っていた不便な(CPUが遅いなど)パソコンには依存心を抱く余地がないほどイライラさせられっぱなしでしたが、ハード面が快適になればなるほど、その便利さの深みにはまります。



・パソコンに近づかないこと。



・ブラウザやメールソフトを開かないこと。



・届いているメールも無視すること。



仮にそのようにでもすれば(お酒を飲む人に医者が定期的な「休肝日」を勧めるのに似ているかもしれません。「休コン(ピュータ)日」ですかな)、上記のような錯覚から一時的に解放されてはっと“我に返る”ものがあるような気がしますが、私の体験からいえば、一日も経てば錯覚の状態に戻ってしまいます。



「中毒」や「依存」という表現が、やはりいちばん近い。錯覚は、さらに「倒錯」でもある。



前にも書きましたが、私はかつてパソコンもメールも使っていなかった頃、年賀状を除けば一年にせいぜい5通、多くて10通くらいしか手紙もハガキも書かない人間でした。非常識で失礼な人間だと思われても仕方がないほどに。とにかくそういうことが億劫で、筆不精でした。



それが、今や毎年2千ないし3千通くらいのメールを書くようになりました。その状態が全く切れ目なく10年以上続いています。



ひそかに願っていることは、10年前の状態に戻ればいいのに、ということです。ただし、「手紙やハガキに戻せ」という意味ではありません。そうではなくて、届いたメールにすぐに返信しなくても許されるルールが社会通念になることです。じっくり時間をかけて返事してもよいし、または返事しなくてもよいルール。う~む、ありがたい。



受け取って最も不愉快なメールは、自動的に「開封確認通知」を迫るあれです。メールを「○月○日○時○分○秒」に開封したことをチェックされる。会社等の経営者が従業員の出社時刻をタイムカードで管理しているあれと基本構造が同じです。あのメールが特に同僚である人から送られてくると「あなたはいつから私の上司になったのか」と言いたくなります。慇懃無礼とはあれのことかといつも思う。私は必ず「開封確認を通知しない」を選択するようにしています。送られてきたメールを開封するかどうかは私が決めることであって、監視など一切されたくありません。



また、こちらが書いたメールの送信時刻が相手のパソコンに表示されるのも、実はかなり不愉快です。我々人間の情報交換に関する行動を時系列で管理することを容易にする表示ですから、GPSで個人の行動を逐一見張られているのに匹敵するほどではないでしょうか。



具体的に言えば、「急いで返信してあげなきゃ」という気持ちで未明や明け方までかかって必死で書いて送ると、「関口さん、夜更かしはダメですよ」と咎められる。私の体を心配して言ってくださっている方が多いので、ほとんどの場合は有り難く拝聴しますが、「あんなにがんばって書かなきゃよかった」と後悔するときもあります。



「牧師を引退したらパソコンを棄てることができる。晴れて自由の身だ」。こんな言い方をすると10年前は変な顔をされるだけでしたが、今では納得してもらえるはずです。



他方、「わたしはパソコンもインターネットも使わない“主義”である」と言い張る牧師たちに対しては、今となっては「職務怠慢」の嫌疑をかけなければならないほどです。



2009年8月29日土曜日

ファン・ルーラーと太宰治

ファン・ルーラーと太宰治。この二人の名前を並べて書くこと自体がすでにかなり強引であるということは否定しません。しかし、私はいま、いろんなことを考えさせられています。



「1908年(明治41年)生まれ」のファン・ルーラーと「1909年(明治42年)生まれ」の太宰は一歳違いの同世代です。現にファン・ルーラーの「生誕百年」の祝いは昨年12月に行われ、太宰のそれは今年行われています。ともかく辛うじて分かることは、両人が「ちょうど百年前に生まれた」という点で一致しているということくらいです。



彼らが「世に知られる」時期も重なっています。太宰の『斜陽』が大ヒットするのは1947年です。同年ファン・ルーラーは神学博士号を取得してユトレヒト大学教授になりました。それまでのファン・ルーラーは教会の牧師でした。「本を書く仕事」という観点から見れば、(牧師の本業は「本を書くこと」ではありません)、牧師時代の文筆業を「下積み」と呼び、大学教授になったときをもって「メジャーデビューした」と把えることは全く不可能な見方でもないだろうと思います。



ただし、翌1948年に太宰は自分の命を絶ちました。三鷹の川で。ファン・ルーラーが「さあこれからが私の出番である」と前向きに立っていた頃に、太宰は入水しました。「世に知られる」時期はほぼ等しい関係であるにもかかわらず、一方は希望に満ちて立ち、他方は絶望して倒れました。



オランダは、第二次大戦における「戦勝国」ではありません。戦前「中立国」の理念を掲げたところ、ナチス・ドイツ軍が侵攻してきました。ナチスの暴力的支配が国土から撤退した日が彼らにとっての終戦です。



日本は「敗戦国」です。太宰の死と第二次大戦との関係は、皆無かどうかは分かりませんが、(三島の死とは異なり)きわめて希薄であると思われます。



それでは太宰は何に絶望したのか。すべては藪の中です。猪瀬直樹氏の『ピカレスク 太宰治伝』(小学館、2000年)はだいぶ前に読みました。猪瀬氏の言うとおりでしょうか。



しかし、最晩年の「如是我聞」(1948年)の中に、私にとってはとても気になる言葉が出てきます。太宰の愛読者たちにはお馴染の言葉なのかもしれません(漢字と仮名遣いを現代的なものに改めました。原文にある改行は削除しました)。



「全部、種明しをして書いているつもりであるが、私がこの如是我聞という世間的に言って、明らかに愚挙らしい事を書いて発表しているのは、何も『個人』を攻撃するためではなくて、反キリスト的なものへの戦いなのである。彼らは、キリストと言えば、すぐに軽蔑の笑いに似た苦笑をもらし、なんだ、ヤソか、というような、安堵に似たものを感ずるらしいが、私の苦悩の殆ど全部は、あのイエスという人の、『己れを愛するがごとく、汝の隣人を愛せ』という難題一つにかかっていると言ってもいいのである。一言で言おう、おまえたちには、苦悩の能力が無いのと同じ程度に、愛する能力に於ても、全く欠如している。おまえたちは、愛撫するかも知れぬが、愛さない。おまえたちの持っている道徳は、すべておまえたち自身の、或いはおまえたちの家族の保全、以外に一歩も出ない。重ねて問う。世の中から、追い出されてもよし、いのちがけで事を行うは罪なりや。私は、自分の利益のために書いているのではないのである。信ぜられないだろうな。最後に問う。弱さ、苦悩は罪なりや。」
(『太宰治全集』第10巻、筑摩全集類聚、筑摩書房、類聚版第一刷1979年、361~362ページ)。



これを読むかぎり、ですが、鼻息の荒さが似ています!ファン・ルーラーと太宰は、義憤の抱き方というべきものが似ています。そっくりと言っても過言ではないくらいに。



太宰の実存とキリスト教の関係は太宰研究者の間でも議論され続けているようです。太宰が「全部、種明しをして書いている」と言いつつ明示している「反キリスト的なものへの戦い」という側面を真剣に取り上げてくださる方はおられないでしょうか。



太宰が死の直前に、あまりにもストレートすぎる義憤と共に告白した「反キリスト的なものへの戦い」の中身は何なのか。これを問うことは太宰をとらえる視点を単純化することにはならず、むしろより多角的で総合的な視点を与え、太宰研究に、いや、もっと言えば「現代日本思想史研究」により豊かな実りをもたらすのではないだろうかと思うのです。



「そういうことはお前がやれ」と(「マッタク、アホラシイ」とため息まじりに)言われるかもしれませんが、私が木に竹を接いだような太宰研究を始めるよりも、もっとふさわしい人がいるでしょう。私に思い当たることは全部書いておきます。



2009年8月28日金曜日

日記を小説のように/小説を日記のように

私がブログに何かを書くたびに“心配”してくださる方々がいるので、うれしいやら、慌てるやらです。

「これは暇つぶしです」と言うと「おまえはそんなに暇なのか」と怒り出す人が必ずいますので、「これもまた広い意味での牧師の仕事の一環です」と言い張ることにしているのですが、クソ真面目に受け取る人々は(クソは余計ですね、すみません)私の書くすべてが真実であると思ってくださるようですから迂闊なことは書けません。

9割はジョークです(ということにしておきます)。残りの1割は(ナンデショウ?)。

ですから、どうかあまり重く受けとめないでください。

ここに書くほとんどが私小説的な内容になってしまうことには自分なりの理由があります。

太宰治の作品の多くも私小説的なものですが、彼がある人々から「自己愛が強すぎる」という趣旨の批判を受けたことは知っています。きっと私も同じように見られているのでしょうけれど、私ほど自分のことを好きでない人間は少ないのではないか、というくらいの自覚を持って生きているのですが、このことは無理に知らせないかぎり自分以外の誰も知る由もないことです。

自分のことばかり書いてきた(かのように読めるようなことしか書けなかった)理由は、他人の文章の借用や盗用を極端なほどに避けてきたからです。他人に関する個人情報を紹介することについてかなり神経を尖らせ、細心の注意を払ってきました。よほど入念な仕方でご本人の許可ないし快諾を得ることができたときでさえ、公開を踏みとどまってきました。

インターネットには他人のことは何も書けないし、書いちゃあいけないと自分に言い聞かせてきました。ここに自由に書けるのは、結局のところ、自分に関する事実と、公表された他者の文書に対する自分の意見と、私の脳内の妄想のようなことだけです。

私が提案したい命題は「インターネット時代においてはすべては私小説化していく」というものです。

「牧師はいつも遊んでいる」だなんて非難を受けたくないぜ、と憤慨の思いが募ってくるときには今日一日こなした仕事のすべてをリストアップしたくなる衝動にかられますが急ブレーキを踏んで自制します。牧師の仕事の多くの部分は「個人にかかわること」だからです。「ハイ、今日も一日、ヒマでした。アハハ」と、別のことを書き込むのです。

「日記を小説のように/小説を日記のように」書いていくことが日課になりそうです。


2009年8月27日木曜日

太宰先生ありがとう

柄にもなく今日は、日暮れ時から太宰治なる巨人にのめりこんでいます。今はまだ読んでいる最中ですが、最晩年に書かれた「叙是我聞」(にょぜがもん、1948年)です。初めて読んでいます。内容の紹介は割愛しますが、面白くて面白くて。「これだ!」と感動しています。



先輩文学者を批判する言葉の激しさに引き込まれます。その激しさたるや、これに腹を立てた人によって実は暗○でもされたのではないかしらんと邪推したくなるほどです。



私もかねがね、これに太宰が書いているのと同じくらいの調子で、ある人々を批判したいと願ってきましたので参考になります。なかなか書き言葉にならないことと、勇気がないことで、その批判をまとめて公表することができずに来ましたが、太宰の文章を読んで批判文書というのはこういうふうに書けばいいのだと得心させられています。



太宰がほとんど憎悪の対象と思っているらしい人の姿が、私が長年問題を感じてきた人々の姿と、さまざまな点で符号します。歴史は繰り返しませんが、人間は同じ過ちを何度でも犯すということを確信します。



太宰先生、これを遺してくれたことを感謝し、尊敬します。半年ほど前にヤフオクで『太宰治全集』(筑摩全集類聚)を安く落札したまま放置していました。もうちょっとちゃんと読みますので許してください。



2009年8月25日火曜日

緊張の日々を過ごしています

恥ずかしい話ですが、今年の私は非常に緊張しています。自己中心的な言い方になってしまうこと自体も嫌なのですが、自分の「壁」を乗り越えられるかどうかを心配しています。本当に恥ずかしい話なのですが、自分への戒めとして書いておきます。



牧師の仕事に就いてから現在の松戸小金原教会で四つめの仕事場になるのですが(兼任の教会を含めると二つ増えて六つめになります)、実をいえば、一つの教会で6年以上働くことができたことがありません。経歴は公開しているとおりで偽りはありません。最長で6年、最短は10ヶ月でした。教会の名誉のために申し上げますが、すべては私の不徳の致すところでした。ご迷惑をおかけした皆様にお詫びしたい思いでいっぱいです。



それでは、今年の私がなぜ緊張しているのか。それは、もちろん、松戸小金原教会に来て今年が6年目だからです。「壁」とは、この6年という時間です。



幸い現在、教会内には大波も小波もありません。平穏無事、和気藹々そのものです。明るくて温かくて優しい雰囲気で包まれています。



私の夢は、この「壁」を乗り越えることができた「来年の私」を一目見てみたいということです。



2009年8月24日月曜日

やっと追いつきました

「今週の説教」のブログ更新とメールマガジン発行が長らく滞っていましたが、本日やっと遅れを取り戻すことができました。これからもどうかよろしくお願いいたします。



今週の説教 ブログ(デザインを新しくしました)
http://sermon.reformed.jp



今週の説教 メールマガジン(添付PDFをA4判に変更しました)
http://groups.yahoo.co.jp/group/e-sermon/





2009年8月23日日曜日

わたしの時はまだ来ていない


ヨハネによる福音書7・1~13

「その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。イエスの兄弟たちが言った。『ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい。』兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである。そこで、イエスは言われた。『わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである。』こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。しかし、兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエス御自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた。祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し、『あの男はどこにいるのか』と言っていた。群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。『良い人だ』と言う者もいれば、『いや、群衆を惑わしている』と言う者もいた。しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者はいなかった。」

ヨハネによる福音書に基づいてわたしたちの救い主イエス・キリストの生涯を学んでいます。先週までに学んだところに書かれていたことは、イエスさまがなされたわざと語られた御言葉がユダヤ教徒たちの逆鱗にふれるものとなり、彼らから命を狙われるようになったということです。詳しい内容は繰り返さないでおきます。

そして、今日開いていただいた個所から分かりますことは、イエスさまがユダヤ教徒たちから命を狙われるようになられたときにどのような行動をお取りになったのかです。三つのことが分かります。

第一に、イエスさまはユダヤ人が御自分を殺そうとしていることをご存じだったので、ユダヤ人の目を避けて行動なさることによって危険を回避されたということです。命を狙っている人々の目の前に出て行くような危ないことはなさらなかったということです。しかし第二にイエスさまは、ユダヤ人たちから逃げたわけではなく、ひそかにではありましたが、エルサレムに上って行かれたということです。第三に、イエスさまは、御自分の兄弟たちにさえ本当のことをお教えにならなかったということです。イエスさまが兄弟たちに「わたしは、この祭りには上って行かない」とおっしゃったあと、実は上って行かれたということになりますと、イエスさまは嘘をつかれたという話にも読めてしまいます。イエスさまがおっしゃったことを嘘と呼んでよいかどうかはあとでもう一度考えますが、このあたりが今日の個所の面白い要素でもあります。

イエスさまはガリラヤを巡っておられました。ガリラヤはイエスさまが伝道の最初の拠点を据えられた地域の総称です。都会ではなく田舎です。農村であり漁村です。イエスさまの命を育んできた家族や親しい友人たちが住んでいるところ、それがガリラヤです。

これに対してユダヤは都会です。ユダヤの中心には首都エルサレムがあります。エルサレムの中心にはエルサレム神殿があります。そしてその神殿の中心にはイエスさまの命を狙うユダヤ教団の指導者たちがいたのです。だからイエスさまは、ユダヤ人から命を狙われるようになってからは、少なくとも表向きは、ユダヤに近づこうとなさらなかったのです。

ところが、そのように慎重な行動を取っておられたイエスさまに向かって、事情を知らないイエスさまの兄弟たちが「ユダヤに行きなさい」と勧めました。彼らが言っている言葉は、次のように言い換えることができるでしょう。

「イエス兄さんはユダヤに行くべきだ。兄さんは、自分の言っていることやしていることに自信を持っているのだろう。悪いことをしているわけではなくて、良いことをしているつもりなのだろう。だったら、広い都会に出て行って、たくさんの人の前でアピールすべきである。こんな小さな田舎町で引きこもっているべきではない。一発当ててきてください」。

兄弟が有名人になってくれることによって自分たちにもいろんなメリットが生まれるかもしれないというような期待や野心が含まれていたかどうかは分かりません。しかし、彼らの言い分は全く理解できないというようなものではありません。とくに「公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない」という点は事実であり、真理です。いま日本の政治家たちは来週の選挙のために必死です。彼らの仕事は公に知られることであり、自分を世にはっきり示すことです。ひそかに行動する政治家がいるとしたら、矛盾した存在であり、また不気味な存在でさえあります。「公に知られること」や「自分を世にはっきり示すこと」が悪いことであると言われてしまいますと、彼らは困ってしまうでしょう。

宗教の場合はどうでしょうか。兄弟たちがイエスさまに期待したことは、間違っているでしょうか。ここで少し脱線することをお許しください。東京に教文館というキリスト教専門の書店があります。その書店のホームページに「先月のベストセラー」を紹介しているコーナーがあります。私も先月、カルヴァンについて書いた一冊の本(共著)を出版したばかりですので、興味をもって見てみました。なんと残念なことに、わたしたちの本は二十位以内に入ることもできませんでした。先月の第一位に輝いたキリスト教書のタイトルは『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか』というものでした。

実はかなりがっかりしました。「なぜ日本にキリスト教は広まらないのか」という本は売れている。この問題に悩んでいる人が多いからでしょう。しかしカルヴァンについての学術的研究書は売れない。これが現在の日本のキリスト教界の実情なのだと知らされるものがありました。

誤解されたくありませんので、はっきり申し上げておきたいのですが、わたしたちが本を出版した目的ないし動機は、有名になりたいからとかお金儲けをしたいからというようなことではありません。カルヴァンについての本を書いても有名人にはなりませんし、お金儲けはできません。それは誰でも知っていることです。

しかし、そういうこととはどうか区別していただきたいのですが、それでもなお、たとえば、本を出版するというようなことの目的ないし動機の中に、この個所でイエスさまの兄弟たちが言っている「公に知られること」や「自分を世にはっきり示すこと」が全く含まれていないのかと問われるとしたら、「いえいえ、そんなことはありません」と答えるでしょう。

「伝道」とは、神の言葉を「公に」宣べ伝えることです。「ひそかに行動すること」の正反対です。人目につくようなことをすることが伝道です。「公に知られること」や「自分を世にはっきり示すこと」が伝道と無関係であるはずがないのです。隠れてひそかに行動することが伝道ではないのです。

しかし、このことを確認したうえでなお申し上げねばならないことがあります。今日の個所に注目すべき言葉が記されています。「兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである」。この御言葉は、イエスさまの兄弟たちの発言を受けて書かれています。つまり、彼らがイエスさまに「公に知られること」や「自分を世にはっきり示すこと」を勧めたことがイエスさまに対する不信仰の証拠であると言われているのです。

しかし、このように言われていることは、わたしたちにとっては、驚くほどのことではありません。むしろ至極当然のことを言っています。先ほども申し上げましたとおり、牧師たちが説教したり本を書いたりすることの中に「公に知られること」や「自分を世にはっきり示すこと」が含まれていないのかと問われれば「そんなことはない」と答えなければなりません。しかし、「それがあなたの人生の目的なのか」と問われるとしたら「断じてそうではない」とも答えなければならないのです。

私の話をしたいわけではありません。「伝道とは何なのか」という話をしているつもりです。いまの日本に「有名になりたいから牧師になる」という人はいないと思いますが(牧師になっても有名人にはなれません)、もしそういう人がいるとしたら本当に困った存在です。そういうのを本末転倒というのです。イエスさまは、そういう人が大嫌いなのだと思います。御自分もそのような目で見られることをお嫌いになりました。ただ有名になりたいだけの人は、伝道の仕事には向いていないのです。

そして、その次にイエスさまがおっしゃったことが「わたしの時はまだ来ていない」ということであったわけです。ここでの「時」に最も近い意味は、チャンスです。機会であり、時機です。もっと大胆に訳せば、「出番」とか「出る幕」です。「いまはまだ私の出番ではないのだ」と、こんな感じのことをイエスさまがおっしゃったのだと理解することができます。

しかし、もちろん、兄弟たちとしては、そのような言葉をイエスさまの口から突然聞いたときには、すぐに理解できるものではなかったと思われます。「わたしの出番はまだ来ていない。だからわたしはユダヤには行かない」と、そんなふうなことを言われても、意味不明の言葉で煙に巻かれた、というくらいのことしか感じなかったのではないでしょうか。たぶんそうだと思います。

しかし、わたしたちは、イエスさまがおっしゃった「わたしの時」という言葉の意味をはっきりと知っています。それはもちろん、わたしたちがよく知っているイエスさまの最期の一週間、なかでも全人類の罪の身代わりに十字架の上にはりつけにされ、贖いの死を遂げてくださったあの金曜日です。イエスさまのご生涯の目的は、有名になることでも、金儲けをすることでもありませんでした。あの十字架を目指して生きること、罪人を救うために十字架のうえで御自分の命をささげること、それがイエスさまの目標でした。十字架こそが、イエスさまの「時」であり、「出番」でした。イエスさまは有名になることにも金儲けをすることにも無関心でした。ただひたすら、御自身の命が人類の救いのために用いられる日を目指して生きておられたのです。

しかしまたイエスさまは、冒頭に申し上げたとおり「わたしは、この祭りには上って行かない」とおっしゃったあと、実はひそかにおひとりでユダヤに上って行かれたという話が続いているというのが、今日の個所の面白い点でもあります。イエスさまが兄弟たちに嘘をつかれたと言いますと、人聞きが悪すぎるかもしれません。しかしわたしたちはよく考えてみるべきです。イエスさまがつかれた嘘は兄弟たちに対する配慮や愛情から出たものではないだろうかとも考えさせられます。イエスさまはユダヤ人たちから命を狙われる身でした。イエスさまが彼らに逮捕されることになれば、兄弟たちの身にも当然いろいろな不都合が生じます。ユダヤ人たちから兄弟たちが共謀者呼ばわりされることもありえます。イエスさまとしては兄弟たちをかばう必要があったのではないでしょうか。このときのイエスさまのお気持ちはどのようなものだったかを思い巡らしてみることが大切であると思います。

(2009年8月23日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年8月17日月曜日

停滞していた仕事が少し前進しました

私設ブログ「今週の説教」の更新がこのところ滞っていましたが、とりあえず今夜、これまでのいくつかの礼拝説教のMP3音声を公開することができました(7月12日分と8月9日分の音声が無いのは、他の教会で説教したからです)。



「今週の説教メールマガジン」のほうは、2009年7月5日号(第273号)の配信を最後に、ストップしたままです。こちらも何とかしなければなりません。



これほど長期の停滞状態に陥ってしまったのは、今からちょうど5年前の2004年9月に礼拝説教をブログとメールマガジンで公開しはじめて以来、初めてのことです。



原因は、はっきりと自覚しております。7月初旬に勃発した(より正確には「発覚した」)あるひとつの出来事がきっかけとなって、身辺(わが家や松戸小金原教会の内部ではありません)が急激に変化し、精神的・心理的な面でも非常に大きな負担がかかる状況の中へと巻き込まれてしまったことにあります。しかし、先週の後半あたりから少しずつですが、落ち着きを取り戻しはじめています。



これから何とか踏ん張って、元のペースを取り戻すつもりです。とくにメールマガジンのほうは、記念すべき「第300号」まで残り27回ですので(といっても到達は半年先のことですが)、こんなところで頓挫している場合ではありません。



ついでに紹介。私設ブログ「改革派教義学~カルヴァンからファン・ルーラーまで~」に、20世紀初頭のオランダで活躍した教義学者ヘルマン・バーフィンク(Herman Bavinck [1854-1921])の著書の一覧表をアップしました。まだ日本語に訳せていない部分がたくさんありますが、これだけでもごく大雑把な流れくらいは分かるはずです。



バーフィンク文献目録(改革派教義学~カルヴァンからファン・ルーラーまで~)http://dogmatics.reformed.jp/bavinck_bibliography.html



2009年8月16日日曜日

永遠の命の言葉


ヨハネによる福音書6・60~71

「ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。『実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。』イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。『あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。』イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。『こういうわけで、わたしはあなたがたに、「父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない」と言ったのだ。』このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、『あなたがたも離れて行きたいか』と言われた。シモン・ペトロが答えた。『主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。』すると、イエスは言われた。『あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。』イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた。」

今日の個所には、わたしたちにとって残念であると感じられることが、繰り返し書かれています。それは、イエスさまの説教を聴いた弟子たちの多くがイエスさまから離れて行ったということです。また、イエスさまは最初から、イエスさまのお語りになる御言葉を信じて受け入れることができる人と、信じることも受け入れることもできない人とがいるということをご存じであったということです。そして、イエスさま御自身がお選びになった十二人の弟子たちの中にさえ、イエスさまを裏切ろうとしていた人がいたということです。

このことを読みながら思わず考え込んでしまいますことは、イエスさまはなぜ、そのような御言葉をお語りになったのだろうかということです。イエスさまはなぜ、誰にでも受け入れることができ、すべての人が信じることができるような御言葉をお語りにならなかったのだろうかということです。

このことは、教会の牧師の仕事をしている者にとっては、かなり深刻な問題でありえます。また、牧師でなくても教会の働きに積極的に参加してくださっている方々にとっても、大きな問題でありえます。なぜなら、教会の働きの中心は、イエス・キリストの御言葉をこの方がお語りになったとおりに宣べ伝えることだからです。別の言い方をしますと、教会がなすべきことはイエスさまの側に立つことだからです。

そのとき何が起こるかと言いますと、イエスさまが多くの弟子たちから受けた反発を、イエスさまの側に立っている教会も同じように受けるということです。なぜなら、イエスさまがお語りになった多くの人々から嫌われた言葉を、教会もイエスさまと同じように語るからです。教会がイエスさまの側に立つということは、多くの人々から嫌われたイエスさまの側に立つことによって、イエスさまと同じように多くの人々から嫌われるようになるということを意味しているのです。

しかし、果たしてそのようなことがわたしたちに可能でしょうか。わたしたちは、人から嫌われるということにどれくらい耐えられるでしょうか。このことは、ここに集まっているわたしたちだけに当てはまることではないと思いますが、おそらくは、なるべくなら人から嫌われないようにしたい。そのように思うことのほうが、わたしたちにとって当然の願いではないでしょうか。

しかし、そういうわけには行きませんというのが、どうやら今日の個所がわたしたちに教えていることです。そしてこのことは、わたしたちも体験的に知っていることでもあります。それは、イエスさまを信じることと同時に求められることがある、それは、イエスさまを信じない人々から嫌われる覚悟をしなければならないということです。

イエスさまは、なぜ嫌われたのでしょうか。ここに記されていることは、多くの人々はイエスさまがお語りになった言葉を聴いたとき、聴くに堪えないひどい話であると感じたということです。その内容は、これまで学んだ個所に記されていました。イエスさまは、御自身を指差して「わたしは命のパンである」(6・48など)とお語りになりました。そして「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」(6・53)と言われました。この御言葉を聴いた多くの人々が、これをとても気持ちの悪い話であると受け取ったのです。

しかし、この御言葉の真の意図は、イエスさまと真の意味で一体化することの必要性であると私は説明したつもりです。それは、イエスさまとの距離がゼロになること、イエスさまがこのわたしの心と体の中で生きて働くようになることです。イエスさまがわたしたちの外側におられるままであり、わたしたちがそのイエスさまのお姿を遠目に、ないし客観的に眺めている状態にあるままであるときには、わたしたちはまだ救われていないのです。わたしたちに求められているのはイエスさまと真に一体化するということであり、そしてまたそれこそが先ほど申し上げたイエスさまの側に立つということの、さらに先にある目標です。

これは決して抽象的な話ではないと私は信じております。なぜなら、教会がイエスさまの側に立つこと、そして究極的にはイエスさまとわたしたち教会の者たちが完全に一体化するということが意味していることは、イエスさまがその生涯において味わわれた苦しみをわたしたち自身も味わうということに他ならず、また、イエスさまがお感じになる喜びをわたしたち自身も喜ぶということに他ならないからです。もっと単純な言葉で言い直せば、イエスさまと共に生き、イエスさまと共に死ぬことがわたしたちに求められているのだ、ということです。

ここから先は少し言いにくい話をします。それは、私がこれまでに教会の牧師として体験してきたことです。このことは松戸小金原教会に限ったことではありませんが、教会というこの場所には実は非常に多くの人々が集まっています。ただしこれは一度だけとか、二度三度だけ、という方も含めての話です。私がこの教会に来てからの五年半の間だけを数えても、たった一度だけこの教会の礼拝に出席なさったという方は百人以上になります。しかし、とどまってくださる方はわずかです。その後、他の教会に出席なさっているということであるならば、わたしたちは慰められます。しかし、実際はどうでしょうか。一度の礼拝出席だけで、これは私の居るべき場所ではないとお感じになって、このようなところに二度と足を運ぶことはありえないと確信なさった方もおられるかもしれません。そのように考えますと、わたしたちは非常に大きな責任を痛感させられます。あのときわたしは何を語り、何をしたのか、わたしたちのどこに人をつまずかせる要素があったのかと自責の念にかられるばかりです。もっと魅力的で、もっと人の心にとどく言葉を語れる牧師となり、そのような教会になれたらよいのに、と思わされます。

しかしまた、そのような自問自答のなかで苦しみを感じながらも、いくらか言い訳がましい思いを持たないわけでもありません。それが、先ほどから申し上げていることです。わたしたち教会がなすべきことは、イエスさまの語られた言葉をそのまま宣べ伝えることであるという点です。その肝心のイエスさま御自身の御言葉そのものの中にもし人を躓かせる要素があるのだとしたら、その御言葉をそのまま宣べ伝えることが求められている教会のほうだけが責任をとらされるというのは、少し厳しすぎるところもあるのではないかということです。

もう少し別の言い方もしておきます。イエスさまが人々から嫌われた理由は、お語りになった言葉が誤解されやすいものであったということもさることながら、その内容において人々に一つの大きな決断を迫るものであったという点にあったと言わなければなりません。イエスさまが迫られたのは、「このわたしを信じなさい」ということです。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰をもつことへの決断です。信じるか信じないかという二者択一、「あれかこれか」をイエスさまは迫られました。信じることと信じないことの中間はありません。どちらでもないという未決定の状態、モラトリアムの状態はありません。イエスさまは、イエスさまのことを信じようとしない人々や、信仰と不信仰の中間にとどまろうとした人々に対して「信じること」を迫ったゆえに、嫌われたのです。

これは「敵か味方か」という話とは違うものです。聖書には「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」(マルコ9・40)、あるいは「あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである」(ルカ9・50)というイエスさま御自身の御言葉が出てきます。これも大切な真理ではあります。しかし「敵か味方か」という話と「イエスさまを信じるか信じないか」という話は別の話です。「信じないが敵でもない」という人々が存在するということを受け入れることと「無理して信じなくてもよい」とわたしたちが語ることは違うことなのです。わたしたち教会は「信じない人々は敵である」とは語りません。しかし、だからといって「信じる必要はない」とは、決して語りません。なぜなら、イエスさまが人々に迫られたことは「信じること」だけだったからです。

多くの弟子たちがイエスさまから離れてしまったとき、イエスさまは十二人の弟子たちに「あなたがたも離れて行きたいか」と質問なさいました。この御言葉に何となくではありますが、イエスさまがお感じになったかもしれない“寂しさ”のようなものを読み取ることは、あまりにも人間的すぎるでしょうか。イエスさまという方の本質を考えてみれば、たとえ弟子が一人もいなくなったとしても「寂しい」などとお感じになるような方ではなく、御自身おひとりですべてのことをなさる方であると考えるほうが正しいでしょうか。もしかしたら、そうなのかもしれません。

しかしその一方で、イエスさまはたしかに十二人の弟子たちをご自身でお選びになったという事実も無視することができません。おひとりで何でもなさることがおできになる全能の神であられる救い主イエス・キリストが、御自身の働きを助けてくれる仲間を、たしかに必要となさったのです。

ペトロが「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と答えたとき、イエスさまはきっととても心強くお感じになったであろうと私は信じます。しかしまた、その十二人の弟子たちの中に、イエスさまが「その中の一人は悪魔だ」(70節)とまで言われた裏切り者のユダが含まれていたことをご存じであったイエスさまが深く悲しんでおられたであろうとも信じます。

イエスさまはわたしたち一人一人にも、いま、決断を迫っておられます。「わたしを信じなさい」と。わたしをあなたのものにしなさい、そして「わたしに従いなさい」と。

(2009年8月16日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年8月15日土曜日

「国旗・国歌法 成立10年 踏み絵としての斉唱」の論旨に賛成 追記

磯村健太郎氏が書いていることをよくお読みいただくと、「君が代の歌詞は天皇制をたたえる内容であり、入学・卒業を祝う場にはそぐわないと思っている。有無を言わせずに強いられると、まるで天皇を『神』とする宗教のように感じてしまう」のは、磯村氏自身ではなく、「音楽教員で、英国国教会系の日本聖公会の信徒」である「東京都の公立小学校に勤める岸田静枝さん(59)」であるということを理解していただけます。



もちろん「君が代の歌詞は天皇制をたたえる内容であり」という要約の仕方が乱暴すぎるという批判が出てくるかもしれないわけですが、この記事の趣旨からいえば、重点はそこにはなく、むしろ「有無を言わせずに強いられると、まるで・・・のように感じてしまう」という点の問題性を告発しているものであるということも理解していただけるはずです。



私の読み方が間違っていなければ、磯村氏が代弁している岸田氏の主張の中心にあるのは、言ってみれば、肌感覚レベルの事柄です。「・・・そぐわないと思っている」とか「まるで・・・のように感じてしまう」という表現に表れているとおりです。



つまりここで問題とされていることは、ある特定の宗教・思想・信条等を国家ないし警察権力をもって強制されることによって国民の中に起こる、さまざまな感情的反発の中身です。そして日本国民の中には「日の丸・君が代」が「踏み絵」であると“感じる”人もいるということです。



私はこの“感覚”を共有できる人間ですので、記事に賛成しました。



2009年8月9日日曜日

らくだは針の穴を通れない ~誰のための人生か~


ルカによる福音書18・18~30

「ある議員がイエスに、『善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか』と尋ねた。イエスは言われた。『なぜ、わたしを「善い」と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。「姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え」という掟をあなたは知っているはずだ。』すると議員は、『そういうことはみな、子供の時から守ってきました』と言った。これを聞いて、イエスは言われた。『あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。『財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。』これを聞いた人々が、『それでは、だれが救われるのだろうか』と言うと、イエスは、『人間にはできないことも、神にはできる』と言われた。すると、ペトロが、『このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました』と言った。イエスは言われた。『はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。』」

今日は千城台教会の講壇に初めて立たせていただきます。皆さんに開いていただいた聖書の個所には、共観福音書のすべてに紹介されている出来事が記されています。共観福音書とは、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書のことです。つまり、わたしたちが新約聖書というこの形の本を開いて読んでいきますと同じ話を三度繰り返して読むことになるわけです。これは三度でも何度でも繰り返して読む価値がある、大変重要な話であるということにしておきましょう。

登場人物は、イエスさまの他には、二人います。一人は「議員」と呼ばれています。ユダヤの最高法院(サンヘドリン)の議員です。もう一人はイエスさまの弟子のペトロです。しかし今日は、時間の関係で「議員」のほうに絞ってお話しいたします。

最初に考えていただきたいことは、彼が「議員」であったということの意味です。彼が属していたユダヤの最高法院(サンヘドリン)は、当時のユダヤ社会を支配していた最高権力者会議です。その会議はわずか70人で構成されていました。より正確に言えば議長と副議長を含めた72人であったとも言われています。

一つの国をたった72人で支配する。想像するだけでぞっとするものを私は感じます。ひとりの支配者による独裁政権とは違います。しかし、少数者が権力を握って離さない状態がそこにあり、権力のほとんど一極集中と言ってよい状態があったと考えることができるでしょう。

つまり、ここに出てくる「議員」は、そのまさに最高権力者会議のメンバーズリストに名を連ねていた一人であるということです。この点は要チェック事項です。なぜなら、彼が「議員」であったというこの点は、イエスさまとこの人の言葉のやりとりを理解する上でかなり重要な意味を持っていると思われるからです。ぜひ考えてみていただきたいことは、この「人」と話しをすることは、事実上その「国」と話しをするということに等しいということです。いまの日本の国会議員722人(衆議院480人、参議院242人)が日本国民を代表する存在になりえているかどうかは不明です。しかし、あの人々がそうなりえているかどうかはともかく、あの人々こそが、日本国民を代表する存在にならなければならないはずです。それが「議員」の役割でしょう。

その「議員」がイエスさまのところに来て、一つの質問をしました。「何をすれば、永遠の命を受け継ぐことができるのでしょうか」。この質問の意図をわたしたちがおそらく最も理解しやすいであろう言葉で言い換えるとしたら「どうすれば天国に行けるのでしょうか」です。その場合の「天国」とはいわゆる死後の世界です。わたしたち人間が死んだあとに行く場所のことです。つまり、この「議員」はイエスさまのところに来て何をしているのかというと、要するに、自分の死後の相談をしているのです。彼が心配していることは、自分の死後の行く先です。

しかも、ここでこそチェックしておきたいことは、マタイによる福音書の中でこれと同じ出来事を紹介している記事の中で、この議員が「青年」と呼ばれている点です(マタイ19・20)。どうやら彼は若い人でした。つまりこれは、若い人が自分の死後の行く先を心配している話であるということです。高齢者がそのような心配を抱くという話であれば、まだ理解できるものがあります。同情に値します。しかし、この議員にはこの地上でしなければならないことが、まだまだたくさん残っていた。その彼が、自分の死後の行く先が心配になってイエスさまのもとに相談に来たという、考えてみるとかなり奇妙な情景を思い浮かべることができそうなのです。

その彼に対して、イエスさまが最初にお答えになったことは、「姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え」という掟をあなたは知っているはずだ」です。これはモーセの十戒の特に後半部分です。いわゆる隣人に対する愛の戒めです。地上生活を正しく営むための倫理の命題と言ってもよいものです。すると、この議員は「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言いました。おそらく彼は、子どもの頃から高度の宗教教育を受けて来たのです。わたしは間違ったことをしてこなかった。神さまから嫌われる理由は無い、と言いたかったのでしょう。

ところが、です。イエスさまは彼に「あなたに欠けているものがまだ一つある」とお続けになりました。「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

注目していただきたいのは、イエスさまが彼に欠けているものは「一つ」であると言っておられることです。しかし実際には二つのことをおっしゃっているようにも読めます。それは「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやること」と「わたしに従うこと」の二つです。しかしこの二つが「一つ」であると言われていることが重要です。イエスさまは、御自身に従うことと、持っている物を換金して貧しい人々に分けてやることとは、同じ一つのことであると言っておられるのです。

この話を聞いて、彼は「非常に悲しんだ」と記されています(24節)。マタイとマルコには「悲しみながら立ち去った」と記されています(マタイ19・22、マルコ10・22)。そして、彼が悲しみながら立ち去った理由も共観福音書のすべてに記されています。「大変な金持ちだったから」です。

しかし、どうでしょう。私はこの結末を読むたびに、「ちょっと待った!」と彼を後ろから呼びとめたくなります。そしてこの人に「あなたはイエスさまに何を相談しにきたのですか」と聞いてみたくなります。他にもたくさん問うてみたいことがあります。小一時間、問い詰めたい思いです。

あなたは確かに金持ちなのかもしれません。若いのに多くの財産を持っている。その財産が自分で稼いだものなのか、親から受け継いだものかは問わないでおきましょう。しかしどうしても気になることがあります。それは、「どうしたら永遠の命を受け継ぐことができるのか」というあなたの問いの中心にある事柄はただ単に自分の死後の行く先だけなのでしょうかということです。どうやらあなたは、ともかく自分だけは地上で幸せな人生を送り、さらに死んだあとまでも天国で幸せに暮らしたいと願っておられるようです。しかし、そのあなたの周りには地上の苦しみを味わっている国民が大勢います。いやしくも「議員」を名乗っているあなたの視野に国民の姿は全く入っていないのでしょうか。全く無視ですか。あなたは自分さえ良ければいいのですか。

そして最後に一つ付け加えたいことは「あなたの求めている天国には、お金は持っていけませんよ」ということです。あるいは「お金で天国を買うこともできませんよ」とも言ってみたい。このようなことを言いながら、だんだん腹が立ってくるかもしれません。

しかし、今申し上げたことはすべて私の考えです。イエスさまが同じことをお考えになったかどうかは分かりませんし、腹を立てられたかどうかも分かりません。しかし、断言できることがあります。それは、イエスさまがこの議員に対しておっしゃったことは大変厳しい内容をもっているということです。そしてその際どうしても無視できないことは、彼が国民の代表者であるべき人であったということです。彼が本当はしなければならないことは、自分の死後の心配などそっちのけで、国民の日常生活を心配することであったということです。この私の見方は間違っているでしょうか。

続けてイエスさまがおっしゃっていることは、ユーモアというよりは痛烈な皮肉です。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」このイエスさまの御言葉の解釈をめぐって必ず問題になるのは、「財産のある者が神の国に入ること」は「難しいことであるが可能なことである」ということなのか、それとも「全く不可能なこと」なのかという点です。

それで必ず問題になるのが「らくだが針の穴を通ること」は「可能」か「不可能」かという点です。驚くべきことに「可能」であると解釈する人々がいます。ただし、その解釈には特殊な手続きが必要です。その人々は、「針の穴」とは実はエルサレム神殿の一つの門の名前であるとします。ところが、その門は狭く窮屈なので、らくだたちは身をかがめて通る必要がある。しかし、全く通れないわけではない。求められるのは頭を下げること、すなわち謙遜な態度で通ることであると。

しかし、私が信頼を置いている注解書は、そのような解釈は無理であると主張しています。イエスさまがおっしゃっているのはラビたちも用いた誇張表現である。イエスさまが用いられた誇張表現の例としては「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」(マタイ7・3)などを挙げることができると。

私に言えることは、素朴に読めば「らくだは針の穴を通れない」としか読めないということです。そして、イエスさまが彼に語ろうとなさったことはこうであると私は理解します。もしあなたの視野と関心の中に「貧しい人々」が全く入っていないならば、あなたがた「議員」に託されているこの国が「神の国」になることは「不可能」である。従って、あなたは「神の国」に入ることはできない。

この話をわたしたちにとっての希望のメッセージとして受け取るためには、いま申し上げたことをちょうど正反対に言い直せばよいだけです。つまり、「財産のある人々」は「貧しい人々」の現実に目を向けなさいということです。これは使徒パウロがローマの信徒への手紙(14~15章)に書いている「強い者が弱い者を担うべきである」という教えにも共通しています。逆はありえません。弱い者が強い者を担うことはできません。強い者、あるいは財産を持っている人々が全力を尽くして弱い者、貧しい人々を助け、共に生きる道を探らなければならないのです。

(2009年8月9日、日本キリスト改革派千城台教会主日礼拝)


2009年8月8日土曜日

「国旗・国歌法 成立10年 踏み絵としての斉唱」の論旨に賛成

今日の朝日新聞の朝刊(13版)の文化欄(25面)に掲載されている「国旗・国歌法 成立10年 踏み絵としての斉唱」という記事を読みました。まことにそのとおりと思いましたので、連帯の意志を表します。



この記事は東京都の公立小学校に勤めるキリスト者の音楽教員(59歳)の苦悩を紹介しています。記者は磯村健太郎氏です。



「君が代の歌詞は天皇制をたたえる内容であり、入学・卒業を祝う場にはそぐわないと思っている。有無を言わせずに強いられると、まるで天皇を『神』とする宗教のように感じてしまう。君が代のピアノ演奏を命じられることは棄教を迫られるのに等しく、思想・良心の自由とともに、いわば信教の自由の問題にもかかわる問題であるという」。



「それでも、心は揺れた」とあります。「戒告と減給の処分を計4回受けたが、次に予想される停職1ヵ月の処分は避けたかった。定年を来春に控えた彼女にとって児童と過ごす時間は宝物のよう。わずかの間でも引き離されるのは耐えられなかった」。



心は「揺れない」わけではなく「揺れる」。これは信仰の弱さの表れであるとか、首尾一貫性の無さであるというような冷酷な言葉で批判的に追及されるべきことではありません。日本で公務に就いているキリスト者たちの思いを正しく表しているものと思いました(私が生まれる前からキリスト者であった我が両親も公務員でしたので、微妙なニュアンスまで手に取るように分かります)。



「そこで05年4月以降は入学式と卒業式の当日、休みを取ったり、君が代斉唱が終わったあとに途中入場したりした。式典で起立や演奏を拒否したのではないため、処分はなかった。しかし『私は子どもたちを式場に残したまま逃げたのです』と自分を責め続けている」。



そして、この記事は次の言葉で締めくくられています。「(校長の職務)命令に痛みを感じる者がわずかでもいる限り、その心に思いを巡らすことが民主主義には決定的に大切であるはずだ」。



日の丸・君が代の問題は、「信教の自由」という観点から見られるときこそ、問題の核心が端的に姿を表します。我々キリスト者が「信教の自由」を主張するときには、強い自戒と反省の思いを抱いています。なぜならそれは、欧米の歴史の中では主として「キリスト教会の(悪しき)政治的支配力から解放されたい」という市民の願いによって獲得されたものでもあるからです。そのことを我々教会の者たちは、知らずにいるわけではありません。



しかしまた、我々には「そうであるからこそ」言えることもあると思っているのです。「宗教を有無を言わせずに強いられること」に耐えがたい思いを抱き、徹底的に抵抗することこそが(「古代」や「中世」の人間ではなく)「近代」ないし「現代」の人間の特徴であるということをおそらくどこよりも誰よりも深く自覚しているのはキリスト教会自身なのです。



最近は少しぐらいは傾向が変わってきているらしいと聞くことがあるのですが、私の幼い頃(「昭和」で言えば40年代から50年代にかけての記憶)の日本にはキリスト教に対する偏見や反発が非常に強くありました。その中で私は教会の日曜学校をほとんど休んだことがない人間でしたが、それこそまるで常に被告人席に座らされているかのような気分に苛まれながら、小さく丸まって生きていました。マイノリティとしての悲哀を味わった、というようなどこかしらC調な言い方では説明し尽くせないほどの精神的なダメージを少なからず負いながら生きていました。



もちろん、立場を逆にしてみれば、キリスト教が支配的な国の中では、他の宗教の人々が小さく丸まって生きることを強いられていた(いる)かもしれない。しかし、まさにそのときにこそ「民主主義」が本来の機能を発揮すべきです。民主主義が許さないのは、特定の宗教・思想・信条を「国家ないし警察権力をもって」有無を言わさず強制することです。現在の日本の公立学校の教員たちに強いられていることは、まさにそれです。



私自身は「右翼」でも「左翼」でもないと思っています。というか右翼の人からも左翼の人からも違和感を覚えられる存在に見えるでしょう(「中道」でもないので宇宙人に見えるかもしれません)。しかし、現在の日本政治のあり方に対しては手放しに肯定している面(いろんな点で便利になり、生活していくことにほとんど不自由を感じていないゆえに)と、根源的な次元で否定している面(日の丸・君が代などを強制しようなどという、ありえないほどいかがわしい面が残り続けているゆえに)とがあります。



私は日本国内からほとんど出たことがありませんが、ふだんは「日本の」旗や歌とは全く無関係なところで生活していますので(はっきり言ってどうでもいいと思っているところがある)、「国旗・国歌」なるものに関して「ポジティヴな代案」を提出できる立場にはいません。独立国家には自国のシンボルとなる旗や歌が必要不可欠なのだという言葉を聞いても何の説得力も感じませんが、何が何でも必要であるということであるならば、天皇賛美(それは宗教です)につながらない全く別のものに変えてほしいと願っています。



だんだん自分の身の上話になってしまいました。すみません。この記事をお書きになった磯村健太郎氏にも感謝します。



拡散はまずい、収斂せよ

TwitterとFacebookを始めてみて一週間経ちました。今の感想は微妙です。



意識がどんどん拡散していくのを実感しました。いま「実感」と書きましたが、正しくは「痛感」です。パソコンの前にいるときには、メールと、ブログと、mixiと、Twitterと、Facebookと、ついでにWassrというのも加わって6ポイントを順繰りにチェックし続けている状態になり、小さなパニックでした。メールの返信やブログの更新に支障をきたすほどでした。



もう少し慣れれば変わってくるものがあるのかもしれませんが、いまの状態のままが続くようだと私のキャパを超えます。「ダメだこりゃ」です。パソコンの命は「いかに一極集中しうるか」にかかっていると考えている私としては、意識が拡散されていく方向へと自分を追いこんでしまうことは、ポリシーに反します。



まあ、もう少し実験したり様子を見たりしてみたいとは思っていますが、結局はメールとブログだけのところまで戻ってしまいそうな気がしています。



欲を言えば、本当は私はそろそろネットから・・・いえ、これは言わないでおきます。



2009年8月7日金曜日

理想と現実

ちょっと大げさなタイトルを付けました。先ほどのことですが、Facebookにファン・ルーラーに関するページが無いことが分かりましたので、さっそく新設しておきました。表題は「Arnold Albert van Ruler」です。興味がある方はぜひ探してみてください。



この話題、「Facebookが何のことか分からない」という方は無視してくださって結構です。私としても、新しいページを設置はしましたが、「管理人」のようなことを自任するつもりは全くありません。ぜひいろいろ教えてください、という気持ちです。



それに、Facebookに期待したいのは、何と言ってもやはり「国際的な」関係構築でしょう。日本語のやりとりにはあまり向いていない感じです。外国語のコミュニケーションが得意でない私は、ただ傍観するのみです。



ところで、これはまだ私見ですが、「ファン・ルーラー研究会」(Van Ruler Translation Society)を今後どのように続けていくべきかを考えています。



いまからちょうど10年前(1999年)にメーリングリストの形でスタートした研究会ですが、メーリングリストを介しての神学議論は、あまりにもダイレクトすぎるからでしょう、心理的にショックが大きすぎるものがあることを互いに認識し、現在はメールのやりとりを停止しています。



しかし、ファン・ルーラー研究会そのものは解散したわけでも消滅したわけでもなく、今でも存続しています。我々の最終目標である日本語版『ファン・ルーラー著作集』(仮称)の出版が実現するまで、研究会は存続するでしょう。とはいえ、メーリングリストでのやりとりを再開することはかなり難しいだろうと私は考えています。



それではどうするか。最も理想に近いのは、FacebookのようなSNS(ソーシャルネットワークサーヴィス)を利用したやりとりかなと思っています。ただし我々の研究会の本質は「翻訳会」(Translation Society)ですから、もっぱら日本語でやりとりできるSNSであることが重要な意味を持ちます。



mixiが利用できるかと少し期待しましたが、匿名性が高く、馴染まないものがあると分かりました(mixiそのものを批判しているのではありません。「ファン・ルーラー研究会」の活動の場にはなりにくいと言っているだけです)。



どうしたものかと悩んでいます。



脱稿

ストライキしていたわが脳みそくんを叱咤激励しながら、ようやく今日、一つの原稿を書き上げて編集者に送ることができました。ファン・ルーラーについて書いたものですが、ある大学の出版会が発行する教材誌に掲載していただける予定です。しかし、この安堵感も束の間、もう一つ、ピリピリしながら待たれている原稿が残っています。がんばらねば。


2009年8月6日木曜日

それではブログとは何なのか

Twitterに自分のアカウントを登録し、他の何人かのつぶやきのフォローを始めました。勝間和代さんのつぶやきが非常に面白くてハマり気味です。「仕事ができる人ほど多くつぶやく」という命題を思いつきました。「つぶやきが少ない人は仕事ができない」という逆命題が真理かどうかは不明です。



Twitterを始めてから考えさせられたことは、「これ(Twitter)とブログの違いは何だろうか」ということです。単に字数が140字に制限されているだけで、ブログと同じだろうと予想していましたが、実際に始めてみると明らかに何か違うものを感じます。チャットとも全く違います。



いろんな見方があることは尊重します。しかし現時点の私の率直な感想を書きとめておきますと、伝統的な意味での「日記」(diary)というカテゴリーに最も近づいたのが、実はこのTwitterではないかと思いました。



前にも「ブログは『日記』ではありえない」というタイトルのもとに書いたことがあるとおり、このブログに「関口 康 日記」と名付けているにもかかわらず、これを「日記」であると考えることは私にはどうしてもできません。前に書いたことの趣旨は、「日記」には個人情報など「最高機密事項」を書くことがありうるが、不特定多数に閲覧可能なブログというこの場所にそういうことを書くことはありえないだろうということでした。



この点ではTwitterも同じです。Twitterに「最高機密」を書いてしまう愚に陥らないように気をつけなければなりません。しかし、この点(最高機密をこんなところに書いてはならないこと)を除いては、Twitterは、私のカテゴリー表の中では限りなく「日記」に近いものです。どうやら私は、こういうものを長年求めていたのです。



しかし、今書いたことが分かった時点でふと考えさせられたことは、「それではブログとは何なのか」です。



さっそく私の中で始まってしまったのは、短くつぶやきたいときはTwitter、長くつぶやきたいときはブログ、というふうな使い分けです。それは明らかに、Twitterとブログはベツモノであると私の感性が認識した証左です。



ブログに一行、二行といった短い文章しか書かないと、どうも見てくれが悪い。ある程度の分量を書かないと、格好がつかない。これに対してTwitterの字数制限は140字ですから、分量ある文章を書きたくても書けません。



まだ確信には至っていませんが、ひょっとしたらこんな(↓)感じかな、とも思いました。



Twitterに書くのは「歌詞」、ブログに書くのは「その歌詞の解説」。



う~ん、違うか。



2009年8月5日水曜日

当然の成り行き

いま相当スランプです。何も書きたくないし、何も考えたくない。わが脳みそがご主人さまに逆らってストライキを起こしています。



原因は分かっています。今年の前半ものすごく忙しかったですから。昨年立てた予定では、のんびり過ごす一年のはずでした。それが、あれよ、あれよ。予定外の仕事がどっかんどっかん目の前に積み上げられて行きました。



「150年に一度」とか「500年に一度」という仕事ばかりで、未体験ゆえの手探り作業の連続でしたので、十分な働きができたかどうかは分かりませんが(どの程度が「十分な」働きなのかが比較する前例が無いので分からない)、とにかくみんなで力を合わせてやり遂げました。



その喧噪状態から「解放された」と言える状態にやっとなったのが先週の土曜日でした。



案の定、今週はがっくりです。頭の中に力がわき上がって来ません。脳みそが偉そうにどっかりあぐらをかいて「おれは何も考えないぞ」と腕組みしながら頑張っています。



しかし、ありゃりゃ、私がその状態になった途端に私設ブログのすべてのアクセス数が急激にダウンしております。昨日は今年前半の好調時の2割ほどのアクセスしかありません。



書き続けるかぎり、読んでいただけるものもある。書けなくなったら読者も失う。当然の成り行きですが、「人生とは厳しいものである」と、わが貧しき脳のかい主が、恨めしそうにつぶやいています。



2009年8月2日日曜日

キリストの肉と血


ヨハネによる福音書6・41~59

「ユダヤ人たちは、イエスが、『わたしは天から降って来たパンである』と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。『これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、「わたしは天から降って来た」などと言うのか。』イエスは答えて言われた。『つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者の書に、「彼らは皆、神によって教えられる」と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。』それで、ユダヤ人たちは、『どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか』と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。『はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。』これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。」

いまわたしたちは、ヨハネによる福音書の6章を学んでいます。わたしたちの救い主イエス・キリストが五つのパンと二匹の魚で五千人の空腹を満たしてくださいました。またその後イエスさまは湖の上を歩いて行かれ、嵐の中の弟子たちを励ましてくださいました。そしてイエスさまは弟子たちの前で「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」と言われました。

これらの話は全部つながっています。そのように読むことができます。どのようにつながっているかを説明するのは難しいことではあります。きちんと納得していただけるほどきちんとお話しすることは、今日はできません。キーワードだけを申し上げておきます。それは、先週も用いた表現ですが、「イエス・キリストとの距離感」です。あるいは「親密度」と言っても構いません。言いたいことは「近づくこと」であり「距離がないこと」です。

友人、恋人、夫婦、親子と、いろんな人間関係がありますが、満足や納得が得られる関係になっていくためにどうしても必要なことは、「近づくこと」です。「距離がないこと」です。この「距離感」という点が、6章で紹介されているイエス・キリストと群衆との関係、ないしイエス・キリストと弟子たちとの関係においても問題になっていると考えられます。そのような言葉が書かれているわけではありませんが、事柄をよく考えてみれば、そのようなことだと分かっていただけるはずです。

「食べる」とは、口の中に入れることです。外のものを中に入れることです。そして、その日そのときまではこのわたしと縁もゆかりも無かったものが、このわたしの中に入り、このわたしと一体化することです。言葉にすると大げさな言い方になってしまうかもしれませんが、そこで起こっていることをじっくり考えていただくと、大げさでも何でもなく、そのとおりのことが起こっていることに気づいていただけるでしょう。

イエスさまがお求めになったのは、イエスさまの肉を食べるということであり、イエスさまの血を飲むということでした。「もうやめてください。勘弁してください」と大きな声で言いながら耳をふさぎたくなるようなことをイエスさまは言われました。しかしわたしたちがそのような感想を述べたくなるのは、イエスさまがお考えになっていることとは全く異なる事柄を思い浮かべているからです。

しかしそのことがイエスさまから求められているのですから、イエスさまを信じて生きようとしている者たちはイエスさまのその求めに何とかして応えなければなりません。イエスさまの肉を食べること、イエスさまの血を飲むことを達成しなければなりません。

それは、繰り返しますが、事柄の内容からすれば、イエスさまとの距離感の問題です。イエスさまを、このわたしの中に入れることです。あるいは、入っていただくことです。このわたしとイエスさまが一体化することです。イエスさまとこのわたしは一つの存在として永遠に離れない関係になっていると、信じることができる状態に達することです。肉を食べ、血を飲むとはそういうことです。

今日の個所は、イエスさまが御自分を指して「天から降って来たパンである」とおっしゃったことにユダヤ人が反発したという話から始まっています。あいつはヨセフの息子ではないか。あいつの父ちゃんも母ちゃんもよく知っている。なんであいつが「わたしは天から降って来た」などと言ってるんだ。バカじゃないだろか。デタラメも休み休みに言えと、小馬鹿にして笑っている人あり、むきになって怒っている人ありの状況だったと思われます。

しかし、このような反発の仕方にはいろいろな問題を感じさせられます。まず何よりも先に言えることは、イエスさまは事実を述べておられるのですから、それを笑ったり怒ったりすることは失礼に当たるという点があります。しかし、それだけではなく他にもいろんなことを考えさせられます。

その一つは、「天から降って来る」という言葉づかいを否定してしまうならば、宗教など一つも成り立ちようがないということです。聖書において「天」とは、神がおられるところを意味しています。ですから「天から降って来る」とは「神のもとから来る」とか「神によって遣わされる」と言うことと同じです。これを笑ったり怒ったりしはじめるとしたら宗教は成り立ちません。教会も牧師も存在する意義さえありません。

しかし他方でわたしたちは、逆の方向を向いている「天に昇っていく」という言葉のほうは、使いたくて使いたくて仕方がありません。宗教や信仰というようなものを全くもっていないし、信じてもいないと言っているような人々でも「天国に行きたい」という願いをもっているはずです。「ご冥福をお祈りいたします」などとも言う。冥福の「冥」は冥土の「冥」でしょう。「冥土」とはどこでしょうか。聖書で言うところの「天国」のようなところでしょう。そういうところがあるということ、そういうところにわたしたち人間が行く日が来るということは、非常に多くの人が認めたり願ったりしています。

しかし、その反対の方向の話になると、急に心を閉ざす人がいる。自分や他人が「天に行く」話は受け入れても「天から来る」人の話は受け入れない。よく考えてみれば、二つの話は本質的にほとんど違いがないということにお気づきいただけるはずです。事柄の中心にあることは天と地の関係です。すなわち、天上なるものと地上なるものとの関係、神とこの世界との関係です。天と地の間には相互関係があり、行ったり来たりできる関係があります。両者の間にコミュニケーションがあるのです。行くことができるなら、来ることもできるでしょう。「天から降って来た」という言葉を聴いて笑う人々は、宗教や天国といったすべてのことを否定しているのと同じなのです。

イエスさまが、パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを割いてお渡しになりました。「パンを割いて弟子たちに手渡すこと」を、わたしたちの教会でも行っています。礼拝の中で行うあの聖餐式です。聖餐式のたびに牧師が読む言葉は「これはわたしの体です」、「これはわたしの血です」というイエスさまのみことばです。このみことばをイエスさまは、十字架にかけられる前の夜、弟子たちにパンとぶどう酒を手渡されながら言われました。そのときイエスさまが願っておられたことは、御自身の命を与えてくださることでした。イエスさまは愛する弟子に御自身の命を与えてくださったのです。

そしてとても大事なことは、イエスさまが愛してくださったのは今から二千年前の弟子たちだけではなく、その後の長い歴史の中でイエスさまを信じる信仰をもって生きてきたすべての人でもあり、これからイエスさまを信じて生きていこうとしている人でもあるということです。その中にはここにいるわたしたちももちろん含まれているのです。ですから、聖餐式のたびにわたしたちが知ることができるのはイエスさまの深い愛です。わたしたちはイエスさまに愛されているのです。

「わたしは神さまを信じている」と自覚できる人は、洗礼を受けましょう。また、幼児洗礼を受けている人の場合は、信仰告白をしましょう。そうすることによって、神さまが喜んでくださいます。そして洗礼を受けた人、信仰告白をした人は「聖餐式」に参加しましょう。

聖餐式はお祝いです。お祝いのときに暗い顔をしていることはマナー違反です。お祝いの席には明るい笑顔で参加しなければなりません。イエスさまは、わたしたち罪人が本当は受けなければならなかった神の罰を身代わりに受けてくださいました。イエスさまがわたしたちの代わりに十字架にかかってくださり、死んでくださったことによって、わたしたちの罪がゆるされました。わたしたちは、イエス・キリストが十字架の上で示してくださった愛によって救われたのです。わたしたちに求められることは、それらのことを喜びつつ聖餐式に参加することです。

聖餐式では、パンとぶどう酒が配られます。今日はとくに、ぶどう酒の話をします。前にもお話ししたことがありますように、ぶどう酒の代わりにぶどうジュースを用いている教会も、たくさんあります。どちらでなければならないという決まりはありません。大切なことはお酒かジュースかではなく、色であると言われます。イエスさまは「これはわたしの血です」と言われながら、ぶどう酒を配られました。それは、ぶどう酒が血の色の飲み物だったからです。

「赤い飲み物ならなんでもいいのか。たとえばトマトジュースでもいいのか」というような質問が出てくるでしょうか。難しい問題です。イエスさまが最後の晩餐のときに用いられたのが「ぶどう酒」だったので、教会は伝統的にぶどうを用いて来たのです。そしてぜひ安心してほしいことは、わたしたちの教会の聖餐式のぶどう酒は「これはわたしの血です」と言いながら配られるものであっても、血なまぐさい臭いがするわけではないということです。聖餐の食卓には、ぶどうのさわやかで豊かな香りがあふれています。それは、人の心を幸せにする、祝いの席にふさわしい香りです。

(2009年8月2日、松戸小金原教会主日礼拝)