「お笑い芸人」なる職種の人々の出るテレビ番組が、今日ほど耐えられないと思った日はなかったかもしれません。
うちの子たちがテレビを見たい盛りの年頃でもあるので、ついスイッチを入れっ放しになり、結局付き合ってしまうのですが、今夜ばかりは「小学1年(!)の子供と母親(40)が二人で踏み切りをくぐった」と伝える短いニュースの直後にあのゲラゲラ声を聞くと、さすがに頭に血が上りました。
人間には「悼む」とか「喪」というような次元がどうしても必要です。なぜその子はお母さんについていったのか。そのときその子はどんなことを考え、何を思い出していたのかと想像するだけで胸がしめつけられます。しかしまた、そのような一つ一つを落ち着いて考える時間がわたしたちには必要です。
と思った次の瞬間にゲラゲラゲラ。その押し付けがましい大音量の笑い声の圧力によって「喪」の思いがあっという間に相対化されてしまいます。悪意さえ感じます。
そういう笑い声に支配されている番組なんか見なきゃいいと言われるだけでしょうけれど、最近はあんなのが出てこない番組を探すのが難しいと感じるほどです。
「悼み」や「喪」の思いを大切にしたい日もあります。たとえ見知らぬ人の死であっても。
だから、思いました。今日から私は、意識的にテレビを見ない日を作ります。
あの鬱陶しいゲラゲラ声から、私は早く解放されたい。