2009年2月25日水曜日

「改革派神学研修所 東関東教室メールマガジン」創刊

このたび「改革派神学研修所 東関東教室メールマガジン」を創刊させていただきました。



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2009年2月22日日曜日

喜びを絶やさぬために


ヨハネによる福音書2・1~12

「三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、『ぶどう酒がなくなりました』と言った。イエスは母に言われた。『婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。』しかし、母は召し使いたちに、『この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください』と言った。そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトテレス入りのものである。イエスが、『水がめに水をいっぱい入れなさい』と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、『さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい』と言われた。召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。『だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。』イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された。」

今日の個所に紹介されていますのは、全く驚くべき奇跡物語です。わたしたちの救い主イエス・キリストが、ただの水をぶどう酒に変えてくださったという話です。

「このような話はとても信じることができません。このような話が出てくるから聖書は苦手です」とお感じになる方がおられるかもしれません。いえいえ、そのような気持ちはここにおられるどなたかのものであると言いたいわけではなく、他ならぬ私自身がかなりそれに近い思いを持っております。

このようなことをはっきり申しますと困ってしまわれる方がおられるかもしれません。しかしわたしたちは、どんなときでもなるべく正直であるべきです。聖書に出てくる話、とくに奇跡に関する話は全く驚くべきものであり、ほとんど信じがたい事柄なのであるということを率直に認めなければならないと私は考えております。

しかし、です。私は今、皆さんの前で「今日の個所に書いていることを私は全く信じることができません」と申し上げているわけではありませんし、「これは全くのでたらめです」と主張しているわけでもありません。ほとんど信じがたい事柄、簡単に信じることができない事柄を聖書の中に探していくとしたら、それは枚挙にいとまがありません。今わたしたちはヨハネによる福音書を読んでいるわけですが、最初のほうに書かれている「言は肉となった」という点は、どうでしょうか。ほとんど信じがたい内容を探せと言われるなら、このこと、すなわち「神が人間になられた」ということからしてそうであると言わなければならないでしょう。

比較の問題ではないかもしれません。しかし、よくよく考えてみなければならないことは、「神が人間になられた」という話と「水がぶどう酒に変わった」という話とのどちらのほうが信じやすいものかということです。事柄の重大さを思えば、前者、すなわち「神が人間になられた」という話と比べれば後者、すなわち「水がぶどう酒に変わった」という話などは、別にどうということはない、他愛のないことであるとも思われるのです。

「神が人間になられた」という話のほうが、はるかに深刻です!こちらのほうこそが、まさに前代未聞の出来事であり、ほとんど信じがたいことであり、ありえないことです。しかしまた同時に、これこそが、新約聖書が全力を挙げて主張している事柄なのです!

ですから、私は自分自身の持っている感覚に対して絶望しているつもりはありません。水がぶどう酒に変わったという話を聞くと困ってしまう自分がいることを否定はしません。しかし、この程度のことを信じることができないと言い出すならば、もっと重大な聖書の真理を信じることができなくなるではないかと、この点が心配になってくるのです。

そして、です。今日の個所を読みながら思い当たることは、ここに書かれていることは明らかに楽しいことであり、愉快なことであるということです。イエスさまがなさったことは、まさにそういうことです。宴会が盛り下がらないように、白けてしまわないように、集まっているみんながいつまでも楽しい雰囲気に包まれたままでいることができるようにしてくださった。そのことに尽きるのです。要するに、イエスさまが宴会の盛り上げ役を買って出てくださったのです。それはある見方をすれば、救い主ともあろうお方がそんなことのために御自身の大事な力をお使いになったのかと、あきれたり、腹を立てたりする人がいるかもしれないと思うほどです。

しかも、ここで問題になっているのはお酒です。イエスさまがお酒の瓶を小脇に抱えて走っておられる姿などはあまり想像したくありません。しかし、言うならば、そのようなことに限りなく近いことが行われたのです。ただし、それをイエスさまは「水をぶどう酒に変える」という奇跡的なみわざを通して行ってくださったのです。

ですから、イエスさまが行ってくださったこの奇跡には、非常に明確な目的があったというべきです。この場所は宴会の席でした。結婚式の披露宴が行われている最中でした。そのような喜びの席、楽しい席に集まっている人々を喜ばせ続けること、楽しませ続けることのために、イエスさまはご自分のお力をお用いになり、この奇跡を行ってくださったのです。つまり、ここで分かることは、イエスさまというお方は、まさに全力を尽くして人々を喜び楽しませてくださる、そのようなお方なのだということです。

内容の詳細についても若干ふれておきたいと思います。その場所にはイエスさまの母が同席していたということが分かるように書かれています。もちろん、これはマリアです。ところが、です。実を申しますと、私自身は今回調べておりまして初めて知ったことなのですが、ヨハネによる福音書にはマリアの名前が一度も出てこないのです。「イエスの母」と書かれているだけです。その理由は分かりませんが、他の福音書とヨハネによる福音書の違いという問題を考えていく際に重要な点ではないかと思わされます。しかし、これはもちろん間違いなくマリアです。

そのマリアがイエスさまに「ぶどう酒がなくなりました」と言いました。しかし、このマリアの言葉には当然含みがあるわけです。わたしたちも言うではありませんか。「コピー用紙がなくなりました」とか「灯油がなくなりました」とか。そう言われると「だから何なんですか?」と、ぶっきらぼうに答えたくなる!マリアも同じです。「なくなりました」と言っているだけですが、当然のように続きがあるのです。

おそらくイエスさまもマリアの言葉に対して明らかに不愉快な思いを抱かれたのです。イエスさまは「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」とお答えになりました。ぶっきらぼうな調子に訳せば「だから何なんですか?」です。「わたしの出る幕でしょうか?」です。「このわたしに、酒屋まで行ってぶどう酒を買って来いとでも言いたいのですか?」です。

イエスさまのお気持ちは、こともあろうに、母親に対して「婦人よ」と言っておられるところに顕著に表れています。皆さんの子どもさんが皆さんに「婦人よ」だなんてことを言おうものなら、うんと腹が立つことでしょう。「あなたの口から、そんなことを言われる筋合いはない!」とか何とか。

しかし、です。もう少し真面目な説明をいたしますと、ここでイエスさまが強く退けておられることは、救い主であるこのわたしが何かを行う場合には、誰から依頼されたからそうするとか、誰から命令されたからそうするというのではないということです。イエスさまが何かをなさるときは、あくまでも御自分の意志と決断において行うのであるということを表明しておられるのだということです。たとえそれが母マリアであろうとも、です。

わたしたちが受け入れるべき端的な事実は、イエス・キリストは母マリアの救い主でもあられるということです。母だから特別扱いであるというわけではないのです。そのような特別扱いを他の誰よりもイエスさま御自身が退けられたのです。

しかしイエスさまは、だからといって何もなさらなかったのかというと、決してそうではありませんでした。この点も重要です。イエスさまは、御自分の意志と決断において、全力を尽くして人助けをしてくださる、そういうお方なのです。

イエスさまがなさったこと、それは「召し使い」と呼ばれている宴会の給仕役の人々に、そこに置いてあった石の水がめに水を入れてくるように依頼することでした。その水がめについて「ユダヤ人が清めに用いる石の水がめ」とわざわざ詳しく説明されている意図は、それは汚れていない、きれいなものだったということを示すためであると考えられます。このことによって、たとえば、「この水がめの中には実は少量のぶどう酒が入っていたのである」とか、「古いぶどう酒がこびりついていたのである」というような勝手な解釈は完全に禁じられます。ここに書かれていることは、使いきったシャンプーのボトルの中に水を入れて振ればあと一回使える、というような話ではありえないのです!

そのときくまれてきたのは、正真正銘の普通の水でした。水がめの中には種も仕掛けもありませんでした。ところが、宴会の世話役がそれの味見をしたときに、「これはぶどう酒である」ということ、しかも「良いぶどう酒」であるということに気づいたのです。

そして世話役は花婿を呼んで言いました。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出す」。しかし、あなたはそれの正反対のことをした。それは素晴らしいことだと、絶賛したのです。そしてこの奇跡(しるし)を行ってくださることによって、「イエスがその栄光を現された」とヨハネは結論づけています。

しかし、ここでわたしたちは、ひとつのことに気づく必要があります。それは、イエスさまがなさったことは、たしかにそれによって御自身の栄光を現されたのですが、同時にそれが花婿の栄光になったのだということです。結婚式の主人公は花婿であり花嫁です。新郎新婦です。イエスさまではありません。もしその場が白けてしまったら、彼らの名誉が傷つけられてしまいます。あとで何を言われるか分かりません。何十年もその落ち度を語り継がれることさえありえます。その事態に陥らないように、イエスさまが彼らのことをこっそり助けてくださったのです!

この点は重要です。おそらくこのとき、ぶどう酒がなくなったことを知っていたのは、ごく少人数の主催者とマリアだけでした。イエスさまは、その宴会が危機的事態に陥っていることをお知りになったとき、誰も知らないうちに事態を打開され、喜びがいつまでも絶えないように、祝宴が滞りなく続行できるように、助け船を出してくださったのです。

このことはわたしたち教会も大いに学ぶべきです。わたしたちが人助けをする場合には、「わたしたちがやってあげた」というような恩着せがましい態度は、おくびにも出すべきではありません。助けたことの形跡を消すべきです。こっそりと助けるべきです。助けた相手自身の名誉と尊厳を守るべきです。

イエスさまというお方は、御自分のもっておられる特別な力を誇示することによって、人を恐怖に陥れ、御自分の前に人々を屈服させ、御自分の言うことを聞かせるというようなことには、おそらく興味すらありませんでした。そのようなことはイエスさまの本質に反することです。イエスさまのすべてのみわざの目的は人々に喜びをもたらしてくださること、窮地に追い込まれた人を助けること、人間の名誉と尊厳を守ることにあるのです。

まさにそのために「言が肉になった」、すなわち、神の御子が人間になってくださったのです。今日の個所は、そのように理解することができるのです。

(2009年2月22日、松戸小金原教会主日礼拝)

ファン・ルーラー研究会結成10周年記念メッセージにかえて

昨日(2月20日)はファン・ルーラー研究会の「結成10周年記念日」でした。そのようなおめでたい日にもかかわらず、夜遅くまで外出しておりましたので(青山学院大学で「カルヴァン生誕500年記念集会実行委員会」を行っておりました)、毎年恒例の「記念メッセージ」を日付が変わるまでの間に書くことができませんでした。どうかお許しください。

さて、このたび結成10周年の記念として、ファン・ルーラーの文章をひとつ翻訳しましたので、謹んでご紹介いたします。予定論の講義です。おそらく本邦初訳です。訳文を石原知弘先生(アペルドールン神学大学修士課程)にチェックしていただきました。石原先生に心より感謝いたします。

ファン・ルーラー研究会、これからも続けていきます。皆さま、どうかよろしくお願いいたします!

2009年2月21日

関口 康

2009年2月20日金曜日

「国際ファン・ルーラー学会」のフォトアルバムが公開されました

Ocunywhej47scnbm3603ks3kskxl01このたびオランダの新しい『ファン・ルーラー著作集』の出版社の特設サイトに、昨年12月10日(水)アムステルダム自由大学で行われた「国際ファン・ルーラー学会」(Internationaal Van Ruler-congres 2008)の様子を知らせるフォトアルバムが公開されました。私のスピーチしている写真も紹介されています。たいへん光栄に思いました。正直言って嬉しいです。



特設サイト
フォトアルバム
スピーチ冒頭の動画(You Tube)
スピーチ全体の音声
スピーチ全文
オランダ日報Nederlands Dagbladの記事



○ フォトアルバムの見方
「Album bekijken」(アルバムを見る)をクリックすると開くページに縮小サイズの各写真があります。各写真をクリックすると拡大します。



最もエキサイティングな思いをもって拝見したのは、最後のモルトマン先生(独)とファン・アッセルト先生(蘭)とロムバルト先生(南ア)とファン・ケーレン先生(蘭)が楽しそうに映っておられる写真です。まさに「国際会議」です。私の名前は紹介されていませんが(ここだけちょっと残念)、「groet uit Japan」(日本からの挨拶)と書いていただいています。もちろん十分満足しています。たった5分くらいのスピーチだったのですから。



明日は「ファン・ルーラー研究会結成10周年記念日」です。ほんのささやかなサプライズを計画しています。お楽しみに。



2009年2月19日木曜日

説教訓練におけるブログ活用の可能性

最近気になっていることは、私の説教のブログ「今週の説教」の「人気記事ランキング」です(同ブログの画面右の真ん中あたりにあります)。残念ながらこのランキング表示の仕組みがよく分かっていないのですが、表示されているのは当然、アクセス数のランキングでしょう。たとえば、本日時点の順位は、以下のようなものです(このランキングは常に変動しています)。



1位:「世の罪を取り除く神の小羊」
2位:「初めに神は天地を創造された」
3位:「わたしはどうしたら救われるのか」
4位:「人生は礼拝のために、礼拝は人生のために」
5位:「苦しみを乗り越える力、それがキリスト」
6位:「あなたの涙がぬぐわれる日」
7位:「死と葬儀―あなたを独りで死なせない―」
8位:「来なさい、そうすれば分かる」
9位:「あなたの人生の目標は何ですか」
10位:「親身になってあなたを思ってくれる人は誰ですか」



「こういうことが分かって、だから何なのですか」と問われると言葉につまってしまう私がいます。しかし、いろいろ考えさせられることはあります。学校や事業の成績はもちろん、テレビ番組の視聴率、映画の入場者数、音楽のCD売り上げやダウンロード数。まさにありとあらゆるものが「順位」で計られ、競争している時代です。あるいは、大学の教師たちの講義やゼミの内容、さらに宿題やテストの出し方に至るまでを学生たちから厳しく評価され、その克明な評価結果がインターネット上に公開されている時代です。牧師たちも少しくらいは「競争」の中に身を置くべきかもしれません。



ただし、「甘いねえ」と言われそうなことは、この「人気記事ランキング」で分かるのは他の牧師の説教との比較ではないということです。すべてが自分の手で書いた説教原稿なのですから、ある説教が他の説教に「負けた」(?)からといって「悔しい」という思いは起こりません。


しかし、なんというか、ランキングというのは、実にシビアで面白いものだなあと思います。なるほどたしかに、私なりに思い入れのある説教が「生き残って」います。


このような様子を見るかぎりではありますが、かつて直感したことが今や確信に変わりつつあります。それは牧師たちが自分の説教をブログで公開すること、そして「人気説教ランキング」を公開することは、きわめて実質的かつ効果的な「説教訓練」になるに違いないということです。


「説教の塾」に通っていない私ですが、塾長先生からの手厚いご指導をいただくことよりもはるかにシビアな審判をインターネットの世界においては期待できると思うのです。


コメント欄やトラックバック欄は最初から意図的に閉じているのですが、だからこそ、この「人気説教ランキング」が物を言います。ランキングを見ながら説教者が真剣に考えるべきことは、「なぜこの説教は読まれるが、他の説教は読まれないか」です。


原稿の出来不出来は、書いた人が最もよく分かっているはずです。しかしまた、説教者自身は「良い」と思って書きかつ語ったことが、それを読むないし聴く人々にとっては「良くない」と判断されることもありえます。そのことを「人気説教ランキング」から非常にシビアな仕方で教えてもらえるのです。


このことが分かるだけで、本当にただそれだけで、改善されていく説教もあるのではないかと思わされます。しかしもちろん評価できる点だけではなく、問題点もあるでしょう(私はまだほとんど問題を感じていませんが)。21世紀の説教学の教科書には、ぜひとも「説教のブログ公開」に関する一章を設けていただき、学的に検証していただきたいものです。


ちなみに私は、この「人気記事(説教)ランキング」を別のことに生かすことができないものかと密かに考えています。たとえば、ベスト10までにランキングされているものをきちんと校正したうえで印刷所に印刷・製本してもらい、絵の上手な方にきれいな表紙イラストを書いていただいて、『関口康説教パンフレット』(仮称)として、一冊300円とか400円くらいの値段(高い?)をつけて、インターネットで販売するとか、まあそんな感じのことです。


私は自分が書いたものを一冊の本にして売ったことがまだありませんので、不安ばかりが募りますが、そういうこともいつの日かやってみたいという気持ちがあることを正直に書いておきます。


2009年2月18日水曜日

人生の目的

ブログを一年以上も書いてくると、前に何を書いたかを忘れてしまいます。繰り返しになっていることがあるかもしれません。でも、それはたぶん恥じることではなくて、私が結局最後に言いたいことは何かが、自分の中でよりクリアに言葉化されていくプロセスなのでしょう。



ここに何万字書いても原稿料をもらえるわけではありませんが、ここには字数制限もないし、編集長の方針に合わせる必要もない(私自身が編集長であるという意味です)。読まれる当てもありませんが、ただの暇つぶしで書いていることでもなく、ある方(それは「あなた」です)に読んでいただける日を待ち望みながら書いているものでもあります。



私は何を言いたいのか。それがはっきりと分かるくらいならブログなど書きはしないわけですが、私は何を言おうとしているのかとintend toという感じのニュアンスが加わってくるのであれば、ちょっとくらいは見えているものがあります。ただ単なる「自分探し」のようなことをしているわけではないつもりです。もう少し対社会性を有したいと思う。しかし、自分自身で大した実地調査や時間をかけた取材をしているわけでもないのに、政治や社会の問題に直接コメントするような評論家然とした書きっぷりも、なるべく避けてきたつもりです。私が直接かかわっている事柄は、狭くて小さいものです。



ずっと考えてきたこと、というか意識的に目指してきたこと、しかしそれは「ブログで」目指してきたことというのではなく、大学に入学してからの「人生で」目指してきたことについては、少なくとも一つだけははっきりしています。これを前にここ(ブログ)に書いたかどうかを忘れたなあと、さっきから苦にしているわけです。もし一度でも書いたことがあってそれを忘れて同じことを繰り返し書いてしまったら悔しいなあと。一年分のすべてを読み返す時間はないし(その気力もない)。



まあしかし、繰り返して書いて悪いわけでもないので、よし、書きましょう。今やっとそういう気になりました。



「人生で」目指してきたことは、我々キリスト者にとっての「日曜日」を苦痛なものにしないために、「今日も教会の礼拝に出席することに意味があった」と思ってもらえるような説教ができるようになりたいという、このことだけです。あ、ついに書いてしまった。


「日曜日を迎えるのがツライ(なぜなら、またあの教会に行かねばならないから)」と感じているキリスト者は、今はどれくらいいるのでしょうか。トレンドは、教会とは「ぼらんたりいあそしえいしょん」なのだそうですから、教会なんて「出入り自由」だと思っている人は多いはず。自主的・自発的に行きたい気分のときに、行きたい教会に行けばよい。行きたくない教会には当然(naturally)行かない。行きたい教会を選んで行くか、行きたくなければ「行かなければいい」と思っているかのキリスト者は多いのではないでしょうか。逆に、ツライケド、ツラクテモ、また「あの教会」に行かねばならないと思っているキリスト者は、今では少なくなっているのかもしれません。


しかし、です。「え?教会は『出入り自由』なのですか、はあ、そうですか」と、怒っているというよりも、笑っちゃうほど、ただただあきれる気持ちになること、しばしばです。教会は「ぼらんたりいあそしえいしょん」などでは決してありません。その種のガクセツを熱心に提唱する学者たちは何か勘違いしておられるようです。


とはいえ・・・いや「だからこそ」です、苦痛で苦痛でたまらないのに、イヤでもオウでも、目をつぶり、鼻をつまみ、耳をふさいででも、日曜日の朝の数時間を「教会の礼拝」というあの独特の時空の中で過ごさせられなければならないという(やや拷問めいた)目に遭わされている人々への同情が全く無いわけではありません。


私の関心は、昔から「その人々の救済」にあります。その人々に少しでもハッピーな日曜日を過ごせるようになってほしい。「今日は意味ある(「意味ある」です)日曜日を過ごすことができた」と思ってもらえるような説教ができるようになりたい。


私が取り組んできたいわばすべてのことは、その中心的関心事の周りをただひたすら、ぐるぐるぐるぐる回り続けてきたのです。神学も、オランダ語も、他のあらゆることも。


ですから、私にとっては「神学」そのものも、また「オランダ(語)」そのものも、あらゆる取り組みや関わりも、単なる手段(means)にすぎず、通過点にすぎません。それ自体が目的(purpose)であると考えたことは一度すらありません(私のことを身近に感じてくださっている方々は、私がそういう人間であることをよく知っています)。


その意味で私は「神学者」というような者になりたいと思ったことは一度もないのです(なれるとも思っていませんが)。「説教者」とも「伝道者」とも、実はあまり呼ばれたくありません。では何と呼ばれたいのか。これがまた難しいのですが、いろいろありすぎて難しいわけではなく、適切な表現が見当たらないので難しい。


強いて言えば「教義学者」(≠「神学者」)と呼ばれる者になれるものならなってみたいのかもしれませんが、そんな大袈裟な感じのでもなくて、もう少し手前のところでいい。うまく日本語に訳せませんが、「カテキズム教師」くらいかなと思わなくもない。


「日曜学校教師」でもいいのですが、それを職業的に最高度に極めた形のものになりたいのかもしれない。日曜日に教会に来る人々に、キリスト教信仰の核心部分を「その喜びに至るまで」精密かつ分かりやすく解説できるようになりたい。その働きを通して、(日曜日を苦痛に思ってきた!)多くのキリスト者たちに、「今日は意味のある日曜日を過ごせた」と思ってもらえるようになりたい。まあ、とりあえず、そんなところです。


2009年2月15日日曜日

あなたはもっと偉大なことを見る


ヨハネによる福音書1・43~51

「その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、『わたしに従いなさい』と言われた。フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。フィリポはナタナエルに出会って言った。『わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。』するとナタナエルが、『ナザレから何か良いものが出るだろうか』と言ったので、フィリポは、『来て、見なさい』と言った。イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。『見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。』ナタナエルが、『どうしてわたしを知っておられるのですか』と言うと、イエスは答えて、『わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た』と言われた。ナタナエルは答えた。『ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。』イエスは答えて言われた。『いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。』更に言われた。『はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り下りするのを、あなたがたは見ることになる。』」

今日の個所に記されていることは先週の個所と内容的に同じです。わたしたちの救い主イエス・キリストが弟子をお集めになっている場面です。

先週の個所で弟子になったのは三人です。ただし、一人の名前は分かりません。名前が紹介されているのはアンデレとシモンだけです。シモンについては、先週は触れることができませんでした。シモンはアンデレの兄です。先週の個所にアンデレがシモンをイエスさまのところに連れて行ったと記されています(42節)。そしてイエスさまはシモンに「岩」という意味のケファという名前を与えられました。この「ケファ」はアラム語です。このケファのギリシア語訳が「ペトロ」です。

このペトロこそ他の福音書ではいちばん最初に弟子になった人(一番弟子)として紹介されている人です。ところが、ヨハネによる福音書でペトロは、まるで弟アンデレよりも後に弟子になったかのように記されています。ヨハネによる福音書と他の三つの福音書との食い違いは他にもたくさんあります。どちらが歴史的事実に近いかは、わたしたちには判断できません。

今日の個所で弟子になるのは二人です。この人々の名前は紹介されています。フィリポとナタナエルです。書かれていることによりますと、まずフィリポが弟子になりました。そして、弟子になったフィリポがナタナエルを誘いました。その結果としてナタナエルが弟子になったのです。

今申し上げたことを聞いて、あることにお気づきになった方がおられるかもしれません。それは、先ほど申し上げました、シモン・ペトロが弟子になる次第とナタナエルが弟子になる次第とが似ているということです。共通しているのは、二人とも誰かに誘われて弟子になったように紹介されている点です。おそらくそれが歴史的な事実だったのでしょう。しかしまた、このことが歴史的事実であるかどうかというようなことよりももっと大事なことが語られているようにも思えます。

それは要するに、イエスさまの弟子になった人は他の人にイエスさまの弟子になるように勧める役割を担うのだということです。イエスさまの弟子になった人には新しい弟子を探しに行く仕事を与えられるのだということです。そのことが二回も繰り返して語られているのです!

実は、これこそがまさに「伝道」です。伝道とは、イエスさまの弟子になる人を探しに行く仕事です。見つかったら弟子の仲間に加わってほしいと誘うこと、弟子になるように勧めることが、彼らの仕事なのです。

会社のなかで営業の仕事をしておられる方がおられます。お客さんになってくれる人を探しに行くこと、見つかったらその人に熱心に商売すること、それが営業です。この営業と「伝道」は、明らかに似ています。全く同じとは言えないかもしれませんが、似ているとは言えるでしょう。

「いいえ、それは違います。伝道は商売ではありません。伝道と営業を一緒くたにしてもらっては困ります」と文句を言われることが時々あります。しかし、そういう言い方は営業の仕事をしておられる方々に失礼です。今は大学の教師たちが入学してくれる学生を探しに行く時代です。病院の医師たちが患者になってくれる人を探しに行くという話は、さすがに聞いたことはありません。しかし、病院の中の案内表示などに「患者様」という字を見かけることは多くなりました。ほとんど「お客様」と言いたそうに見えます。

教会がしていることは、会社や大学や病院がしていることとは違うと言わなければならないのでしょうか。そのように言いたい気持ちがわたしたちの心の中のどこかにあるかもしれません。しかし、もし違いを言わなければならないのだとしたら、わたしたちは次のように言わなければなりません。それは「教会がすることは、会社や大学や病院がすること以上でなければならない」ということです。「伝道は営業ではない」というのなら、伝道は営業以上のものでなければならない。イエスさまの弟子たちは、会社の営業担当者以上に熱心に、弟子探しをしなければならないのです。

今日の個所に書かれていること、そのなかでもイエスさまとフィリポ、またフィリポとナタナエル、そしてイエスさまとナタナエルとの間でそれぞれ交わされている会話の内容は、必ずしも分かりやすいものではありません。はっきり言いますと、ちんぷんかんぷん全く分かりませんと言いたいほどです。

イエスさまは、フィリポに「わたしに従いなさい」と言われました。このイエスさまの呼びかけに対するフィリポの答えは記されていませんが、おそらくすぐに従いました。

そのフィリポが次にしたことはナタナエルを誘うことでした。フィリポがナタナエルに言ったのは「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った」ということでした。律法と預言者とは(旧約)聖書のことです。(旧約)聖書に預言されている救い主メシアと出会ったのだと言ったのです。

ところが、ナタナエルは、フィリポが「それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」と言うのを聞いて「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言いました。この「ナザレから何か良いものが出るだろうか」という言葉は、当時のことわざのようなものだったかもしれないと考える人がいますが、明確な根拠はありません。間違いなく言えることは、ナタナエルは「ナザレ」を軽く見ていたのだということです。

その意味では、なるほどたしかに、人間としてのイエスさまは、地方出身者であったと言わなければなりません。名もなき村の大工の子どもでした。人も羨むような町の出身者であるわけではない。特別に際立った仕事や立場にある親の子どもでもない。その意味でのただの人、普通の人が、真の救い主メシアであると言われても、おいそれと信じることはできないと、ナタナエルは感じたのです。彼の気持ちは、よく分かるものです。

しかし、このナタナエルに対してフィリポが言った言葉が「来て、見なさい」でした。ここですぐに思い出してくださる方がおられるでしょう。それは、先週の個所に出てくるイエスさまの言葉、「来なさい。そうすれば分かる」(39節)です。イエスさまは「来れば分かる」と言われました。フィリポは「来て見なさい」と言いました。共通しているのは「来ること」が重要であるという点です。つまりここで分かることは、フィリポが言っている言葉は、イエスさまがおっしゃったことに似ているということです。

ただし、ほんのちょっとではありますが、イエスさまのお言葉とフィリポの言葉の間にはニュアンスの違いもあるということを指摘しておきます。それは次の点です。

イエスさまが「来なさい」とおっしゃる場合に求められていることは明らかに「イエスさまのところに行くこと」です。この点には疑いの余地はありません。しかし、フィリポが「来なさい」と語っている場合は、論理的に言えば「フィリポのところに行くこと」を意味することになります。なぜならフィリポは「イエスさまのところへ行きなさい」とは語っていないからです。「来なさい」と語っているのです。

この読み方は決して間違っていません。フィリポがナタナエルに求めたことは、明らかに「このわたしフィリポのいるところに来なさい」ということです。そしてもちろん同時に「イエス・キリストと共にいるこのわたしフィリポのいるところに来なさい」ということです。

そして先週の個所に記されていたことは、イエスさまにはフィリポが弟子になるよりも前に三人の弟子がいたということです。フィリポは四人目でした。つまりナタナエルが弟子になるよりも前に、イエスさまと合わせて五人の集まりがあったということです。それをわたしたちはほとんど「教会」と呼びたいところです。「たった五人しかいなかった」なのか「なんと五人もいた」なのかはともかくです。ナタナエルはその集まり(教会!)の六人目のメンバーになることをフィリポから勧められたのです。

ここでやっとその意味が分かってくるのは、繰り返し出てくる、なんだか気になる言葉です。それは29節と35節と43節に出てくる「その翌日」です。この言葉を字義どおりにとるならば、興味深い結論が見えてきます。イエスさまの教会が誕生してからナタナエルを加えて「六人の教会」になるまでの期間は、わずか二日間であったということです!

このスピードは速いというべきです。わたしたちの教会は二日で五人増えるでしょうか。五人増えるのに、いったい何年かかるのでしょうか。私はこのことをまるで他人事のように言っているのではなく、痛みと苦しみを感じながら申し上げています。しかし、否定的な思いからではなく肯定的な思いから、そして大きな希望をもって申し上げています。

私はどのような希望を持っているのでしょうか。それは、人々を弟子にしてくださるのはイエス・キリスト御自身であるという希望です。教会にできることは、「来て、見なさい」と呼びかけることだけです。わたしたちにできることを続けていくこと、それが、そしてそれだけが「伝道」です。「伝道」を諦めず、中断せず、放棄しないで続けていくなかで、奇跡が起こるのです!

実際問題として、ナタナエルはフィリポの弟子になったのではなく、イエスさまの弟子になったのです。シモン・ペトロもそうです。アンデレに誘われたからといってアンデレの弟子になったわけではありません。イエスさまの弟子になったのです。

ナタナエルがイエスさまを信じた理由は、イエスさまが「いちじくの木の下にあなたがいるのを見た」と言われた言葉を聞いたからでした。これが何を意味しているのかは全く分かりません。おそらくナタナエルは、自分のしたことをぴたりと言い当てたイエスさまに、何らかの特殊な能力、予知能力のようなものがあると感じたのです。今ならば超能力者とか霊能者とか呼ばれるような存在に見えたのです。だからイエスさまを信じたのです。

しかし、イエスさまはナタナエルに「もっと偉大なことをあなたは見ることになる」と言われました。イエスさまがお見せになろうとしたことは、オカルト的な超能力のようなものではありませんでした。人がそのような理由でイエスさまを信じるようになることを、むしろ激しくお嫌いになりました。キリスト教信仰はカルトでもオカルトでもないのです。

「もっと偉大なこと」とは何でしょうか。それはこれから見ていくことです。イエス・キリストは、十字架の上で「神の小羊」になってくださり、それによってわたしたちを罪の闇の中から救いの光のもとへと救い出してくださいました。わたしたちが救われること、それこそが「もっと偉大なこと」、最も偉大なこと、世界最大の奇跡なのです!

(2009年2月15日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年2月13日金曜日

アナクロニズムではなく「希望の神学」として

私が言いたいことは、技術社会そのものの否定とか、テレビそのものの否定ではないのです。まだ十分うまく言えませんが、嫌だと感じていることはテレビの「一方通行性」です。その押しつけがましさや強圧性です。

インターネットは、この点が全く違います。そもそも「テレビが嫌だ」と私はインターネットのブログに書いているわけです。つまり、技術社会の英知の賜物をある意味最大限利用しながらの発言でもあるわけです。

インターネットの場合は、まさに「嫌なら見なきゃいい」し、批判したい相手がいれば、自分でどんどん書き込んだりできます(私はそういうことは滅多にしませんが)。 ある程度の「双方向性」が確保されています。

前の記事に書いたことも、「地デジ切り替えの日に、いっそテレビそのものを捨てて、インターネット一本にしようかなと思わなくもない」という意味です。 インターネットを無批判に礼賛する意図はありませんが、この横暴なテレビよりはインターネットのほうが「人にやさしい」と感じます。

そもそも私には「技術社会には神を冒涜する要素が著しい。そのため神を信じる者たちは古い時代への回帰を志向すべきである。みんなで一緒に古き良き時代に帰りましょう!」というような発想そのものが皆無です。



そのような過去への回帰願望やアナクロニズムは「神学的に」間違っているとさえ考えています。それどころか、我々は事柄をもっともっと前へと・先へと進めていくべきであって、後戻りも後ずさりもすべきではないと思っています。人間に可能なことならば何でも(重大な犯罪以外は)積極的に行うべきであると信じています。この点で私は「希望の神学」です。

団塊世代より少し上の戦争体験者たちが何か誇らしげに「今の若い人は、あの戦争の苦労を知らないし、便利になった世の中に生きてきたから、だらしない」みたいなことを言っているのを聞くたびに、内心でむかっ腹を立てています。



あるいは、テレビからよく聞こえてくる「昭和生まれ」と「平成生まれ」の性格の違いとか、そういう説明を聞くと馬鹿らしく思えます。天皇の代が変わったら、この国の人間一人一人の個人的な性格まで変わるとでも言いたいのでしょうか。くだらない。まさに非科学的言説そのものです。血液型占いに匹敵するくらい馬鹿げています。関係ありえないことを強引に関係づけ、何度も何度も繰り返し映像と音声とゲラゲラ笑いで押しつけてくる、そういうテレビのやり方が嫌いです。


テレビの(時代遅れ的な)強圧性は、チャンネルの少なさ、つまり選択肢の少なさに起因しているとも思います。インターネットにはチャンネル(選択肢)はたくさんあるではありませんか。

「テレビ帝国主義」とまでは言いませんが、「科学忍者隊ガッチャマン」に出てくる、何か悪いことをするために公共電波をジャックする(今なら「ハックする」と言うかな)ベルク・カッツェが凶悪な人だったので、「悪い人ほどテレビに出たいんだなあ」と、子どもの頃から理解しておりました(「テレビに出ている人のすべては悪い人である」と言っているわけではありません)。

水曜日は、日本キリスト改革派教会東関東中会が独自で企画する最初の2・11集会、「東関東中会 第一回平和の集い」(講師 袴田康裕先生)でした。私は主催者の一人でした。けっこう盛り上がった有意義な集会でした。


2009年2月12日木曜日

この支配からの卒業

子どもたちのせいにするつもりはありませんが、ここ10年くらい私はテレビなどほとんど全く見ていませんでしたのに、何となくつられて昨年くらいから見るようになりました。テレビなど見る暇もなく、まさに10年間、家では時間の許すかぎりメールを書いていました。ニュースもウェブで得ることで十分でした。実際今は、ウェブとテレビがほぼ同時に、同じ出来事を報じているようです。



何よりテレビのあのうるささが嫌でした。人のことは言えませんが、相当下品だという自覚のあるこの私でさえ「テレビは下品だ」と思う。ファン・ルーラーは、息子さんの話によるとテレビをよく見ていたようですが、見るのはサッカー番組でした。昔のサッカー番組は今と比べるとはるかに「上品」なものだったと思います。というか、つまらない。最近のビデオカメラで親が我が子の運動会を撮っているのと同レベル(かそれ以下)の映像がテレビで流れていたはずです。私の子どもの頃の(「昔の」とそろそろ言える1970年代くらいの)サッカー番組でも臨場感ゼロ。カメラが遠すぎて、選手一人一人が小さくて、表情とかも全く見えなくて、キーパー以外の20人が右に左にぞろぞろ移動している姿がかろうじて見えるというようなもので、退屈でしたが、サッカーが好きな人にとっては、あんなのでも面白かったのでしょう。



しかし、メールといい、ウェブといい、ずっとこれだけを続けていると、心理的な放出感というか「出ていく感」のようなものが募り、だんだん寂しくもなりました。シーンとした無音状態の中で、自分が叩くキーボードのカチカチ音だけがこだまする。独り言はなるべく言いたくないので、だれかにしゃべっていてもらいたくなる気持ちも起こる。そんなときに、たまーにテレビをつけてみる。でも、すぐにうるさくなって消すといった感じでした。テレビに出ている人々独特の「したり顔」というか「『わたしたちは勝ち組です』顔」みたいなのを見ていると不愉快になるという面もありました。



見るものを変えればいいという話なのかもしれません。「そんなに嫌ならNHK見れば?」とか「放送大学見れば?」とか。たしかに、テレビそのものを悪者にするつもりは私にもありません。テレビに出てくる人々を「見下げる」つもりもない(逆でしょ、と思う。たぶん彼らから見下げられているのは我々のほうです)。



しかし、そのうちテレビそのものと訣別したい。「もうええわ」と心底思う。尾崎豊っぽく(?)いえば、「テレビなるものの支配」から卒業したい。尾崎氏と私、同い年です(1965年11月生まれであることも同じ)。バットでぶち割るわけにはいきませんが(環境破壊だ)、これで終わりという儀式でもしたい気持ちです。「すべて地デジに変わる日」をもってテレビそのものからお別れするというのも、一つの選択肢かもしれません。



意識的にテレビを見ない日を作ろうと今日はさすがに思った

「お笑い芸人」なる職種の人々の出るテレビ番組が、今日ほど耐えられないと思った日はなかったかもしれません。



うちの子たちがテレビを見たい盛りの年頃でもあるので、ついスイッチを入れっ放しになり、結局付き合ってしまうのですが、今夜ばかりは「小学1年(!)の子供と母親(40)が二人で踏み切りをくぐった」と伝える短いニュースの直後にあのゲラゲラ声を聞くと、さすがに頭に血が上りました。



人間には「悼む」とか「喪」というような次元がどうしても必要です。なぜその子はお母さんについていったのか。そのときその子はどんなことを考え、何を思い出していたのかと想像するだけで胸がしめつけられます。しかしまた、そのような一つ一つを落ち着いて考える時間がわたしたちには必要です。



と思った次の瞬間にゲラゲラゲラ。その押し付けがましい大音量の笑い声の圧力によって「喪」の思いがあっという間に相対化されてしまいます。悪意さえ感じます。



そういう笑い声に支配されている番組なんか見なきゃいいと言われるだけでしょうけれど、最近はあんなのが出てこない番組を探すのが難しいと感じるほどです。



「悼み」や「喪」の思いを大切にしたい日もあります。たとえ見知らぬ人の死であっても。



だから、思いました。今日から私は、意識的にテレビを見ない日を作ります。



あの鬱陶しいゲラゲラ声から、私は早く解放されたい。



2009年2月11日水曜日

私の書斎、久しぶりの再公開

Dogmatics_2カイパー、バーフィンク、トレルチ、バルト、ノールトマンスに関しては、神戸改革派神学校の図書館には、パーフェクトかどうかは確認していませんが、たぶんほぼ全部揃っているのではないかと思います。



だから、私は神学生たちのことをとても羨ましいと感じているのですが、在学中にオランダ語の本に没頭する神学生が、残念ながら少ないのです。「宝の持ち腐れだ!」と言いたくなる面もあるのですが、3年3か月のうちにやらなければならないことが山ほどありすぎるので、彼らを責めるのは酷というものです。ただし神戸にはファン・ルーラーのものがあまりありません。これからの課題です。



(1) 私の書斎には、カイパーが住んでいません。『カルヴィニズム』の英語版と日本語版くらいしかありません。



(2) バーフィンクのものとしては、『改革派教義学』(GD)全4巻の原著オランダ語版の全部と英語版の一部をもっています。また、聖恵授産所出版部から『信徒のための改革派組織神学』という題で出ているMagnalia Dei(神の大いなるみわざ)の原著と日本語版(ただし下巻のみ)と、『啓示の哲学』(Wijsbegeerte der Openbaring)の原著と日本語版は持っています。このMagnalia Deiと『啓示の哲学』は、どちらも非常に重要な書物なのですが、残念ながら日本の教会においては全く軽んじられています。見た目(装丁)で負けているというか。



(3) トレルチは、昔の『著作集』(Gesammelte Schriften、GS)全四巻はありますが(※出戻り品)、現在刊行中の新しい著作集はありません。日本語版の著作集は全部あります。



(4) バルトは、『教会教義学』(KD)の原著と日本語版の全巻が揃っています。と言いたいところですが、原著が一冊だけ欠けています(残念!)。英語版(Church Dogmatics、CD)は持っていません。日本語版『カール・バルト著作集』も一冊欠け。ドイツ語版の著作集は10冊くらいあるだけです。バルトを取り上げた博士論文のうちオランダ語のものを集めているところですが、まだ10冊くらいです。



(5) ノールトマンスは、原著『著作集』(VW)が全部揃っています。と言えません。これも一冊欠けています。ノールトマンス研究書(博士論文)が、5冊ほどあります。



こんな感じの、かなり残念賞な書斎なのでした。



しかし、ファン・ルーラーに関しては、出版されたものについては、95%くらいは所有しています。



まさに「少しずつ少しずつ」です。お互い励まし合って行きたいものです。



2009年2月8日日曜日

来なさい、そうすれば分かる


ヨハネによる福音書1・35~42

「その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、『見よ、神の小羊だ』と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、『何を求めているのか』と言われた。彼らが、『ラビ――「先生」という意味――どこに泊まっておられるのですか』と言うと、イエスは、『来なさい、そうすれば分かる』と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、『わたしたちはメシア――「油注がれた者」という意味――に出会った』と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、『あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――「岩」という意味――と呼ぶことにする』と言われた。」

今日の個所から始まる場面は、わたしたちの救い主イエス・キリストが御自身の弟子をお集めになった場面です。私は今、「イエス・キリストが弟子をお集めになった」と申しました。しかし、今日の個所に書かれていることをよく読みますと、「イエスさまがお集めになった」というよりも「バプテスマのヨハネが、自分の弟子であった人々をイエスさまに委ねた」という言い方のほうが適切であることが分かります。

イエスさまを見たヨハネは、二人の弟子たちの前で「見よ、神の小羊だ」と言いました。それを聞いた人々はその日から、ヨハネではなくイエスさまのほうに従う者になりました。このとき起こったことは、ヨハネのもとからイエスさまのもとへの弟子たちの移動です。ヨハネはいわば引退を決意したのです。わたしの果たすべき役割は終わった。これからはイエス・キリストの時代が始まるのだと、そのようにヨハネははっきりと自覚したのです。

大きな役割を果たしてきた人が引退する。それはある意味で時間の流れが作り出すことです。時間はすべての人に平等に与えられています。しかも、時間は、誰もそれに逆らうことができない大きな力を持っています。時間の前ですべての人の働きは相対化されます。一つの仕事に永遠にとどまることができる人はいません。いつか引退する日が来るのです。

そのことを知っている人は、自分の弟子が他の人の弟子になることを寂しがったり悔しがったりしません。自分の弟子たちを私物化しません。そもそも弟子たちを自分の所有物だとか、自分の子分のようなものだとは思っていません。喜んで他の人に委ねるのです。

ヨハネの弟子たちのほうも、後ろを振り返ることはありませんでした。まさにその日をもって、ヨハネに別れを告げ、イエスさまの弟子になりました。まさに「イエスに従う者」になったのです。

イエスさまは、そのことをお知りになったとき、二人の新しい弟子に「何を求めているのか」とお尋ねになりました。イエスさまの質問は、What do you want? です。つまり、この御質問の趣旨は「あなたがたは何をしたいのか」です。ですからもう少し噛み砕いて訳せば、「あなたがたは、わたしに何をしてほしいと願っているのか」ともなるでしょう。しかしまた同時に、「あなたがたは、わたしと共に、何をしたいと願っているのか」というニュアンスも含まれている。そのように言ってよいと思います。

イエスさまと彼らのやりとりは、いわばごくふつうの何気ない会話のようでもあります。しかし、少し丁寧に分析してみますと、イエスさまの御質問は非常に重要な意義を持っているような気もしてきます。このようなとらえ方は、決して大げさなものとも思えません。実際に言えることは、このイエスさまの問いは、二千年前の弟子にだけ投げかけられたものではなく、今のわたしたちにも投げかけられているのだ、ということです。

わたしたちはイエス・キリストに何を願い、何を期待しているのでしょうか。あるいはまた、わたしたちはイエス・キリストと共に何をしたいと願っているのでしょうか。「何も期待していないし、何もしたくない」というのでは、やはりちょっと困ります。あるいは「イエス・キリストに何かをしてほしいとは願っているが、わたしは何もしたくない」というのでも困ります。イエス・キリストはわたしたちに救いの恵みを与えてくださいます。しかし、恵みを与えられた者は、イエス・キリストと共に働き、多くの人々とその恵みを分かち合う者にならなくてはならないのです。

ヨハネの弟子であった二人は、イエスさまの問いかけの意図が分かったのでしょうか。分かったようでもあり、分からなかったようでもあります。彼らの答えは「先生はどこに泊まっておられるのでしょうか」というものでした。特別伝道集会の講師として来てくださった先生に「泊まっておられるホテルはどこでしょうか」と尋ねているようなものです。いくらか拍子抜けの気持ちをお持ちになったかもしれません。その先生が教会のみんなに聞きたいことは、そんなことではないはずです。「このわたしにどんな話をしてほしいのか」でしょう。「今、この教会が抱えている問題は何であり、その問題をあなたがたはどのように解決したいと願っているのか」でしょう。

しかし、イエスさまは、彼らの問いかけに腹をお立てになることはありませんでした。きちんとお答えになりました。「来なさい、そうすれば分かる」。そしてその日、彼らは、イエスさまの泊まっておられる場所に、一緒に泊まらせていただくことになりました。

「来なさい、そうすれば分かる」。このお答えそのものの中に、ものすごく特別な意味が含まれていると考えることはできないかもしれません。あまりにも多くのことを読み取りすぎないほうがよいかもしれません。しかし、いろいろと考えさせられることはあります。ともかくはっきりしていることは、二人の弟子たちは、この日はまだ、イエスさまの弟子になったばかりであったということです。つまり、彼らにとっては、イエスさまのことをまだ何も知らなかった日です。まだ何も知らない、何も分かっていない彼らをイエスさまは「来なさい、そうすれば分かる」と言ってお招きになり、御自身がお泊りになっていた場所に彼らをお泊めになったのです。

もしそうだとしたら、その夜、イエスさまと彼らの間でなされたことは、はっきりしています。おそらく彼らは、夜を徹してイエスさまのお話を聞き、互いに語り合ったのです。そして、「泊まる」ということには一緒に食事をすること、一緒に休むことが必ず含まれています。つまり、彼らは文字どおり「寝食を共にした」のです。イエスさまの弟子になるとは、イエスさまと寝食を共にする仲間になることを意味しているのです。

教会もまた、まさにそのようなところです。わたしたちは、ふだんから寝食を共にしているわけではないかもしれません。しかしたとえばわたしたちの教会が一年に一度行ってきた一泊修養会のような機会があります。また、東関東中会ではまだ行われていませんが、東部中会時代には、毎年夏に二泊三日の信徒修養会がありましたし、青年会や学生会が、やはり二泊三日、あるいは三泊四日で行う修養会などもありました。

そのような集会に参加しなくても、毎週日曜日の礼拝に出席しなくても、自分ひとりで聖書やいろんな本を読みさえすれば、「分かる」ようになるでしょうか。わたしたちが体験的に知っていることは、そうではないということです。そこに行かなければ、実際に参加しなければ、決して理解できないものがあるということを、わたしたちは知っています。

外国旅行がそうでしょう。ガイドブックを見るだけでは、本を読むだけでは、その国の様子は、ほとんど分かりません。大切なことは、とにかく行ってみること、参加することです。「そうすれば分かる」。イエスさまのお言葉は、意味深長です。

これはどんなことにでも当てはまります。学校に行くこと、仕事に就くこと、結婚すること、子育てをすることなども、そうでしょう。わたしたちの人生は、実際に体験してみなければ分からないことだらけです。外側から客観的に眺めているだけでは、そこにある苦労も、そして喜びも、ほとんど分かりません。

「いや、そうではない」と、わたしたちは反発を感じるかもしれません。イエスさまは「来なさい」と言われる。しかし、それではサービスが足りないではないか。イエスさまのほうがわたしのところに来るべきである。今の時代はどんなことにでも宅配サービスがあるではないか。そのような考えがあることも尊重しなければならないでしょう。

この点についてはイエスさまもよく分かっておられました。病気の人に「来なさい」とは決しておっしゃいませんでした。イエスさまのほうから出向いて行かれました。また、今日の個所には言及されていませんが、ヨハネによる福音書のこれまでの個所には、次のように書かれていました。「言は肉となってわたしたちの間に宿られた」(1・14)。

これがイエスさまの基本姿勢です。「他人を自分のもとに呼びつける存在」というような、どこかしら邪悪なイメージをイエスさまに抱くことは完全に間違っています。矢印の方向が反対です。イエスさまがわたしたちのところに来てくださったのであって、わたしたちがイエスさまに呼びつけられるのではないのです。この点は誤解すべきではありません。

しかし、です!宅配サービスはたいへん便利なものではありますが、問題もあります。そこで起こる問題は、あらゆる事柄がほとんど個人化ないし個人主義化されてしまうことです。おいしいものをみんなで味わうのではなく独り占めするという事態が起こるのです。

しかし、信仰とは多くの人々と共に分かち合うものです。イエスさまがわたしひとりの家に来てくださるということをわたしたちが喜びはじめるとき、その人の信仰から「教会の交わり」の持つ意義が抜け落ちてしまいがちです。この点に関しては、今日の個所でイエスさまが「来なさい」と呼びかけておられる相手は、一人ではなく、二人であったという事実が重要な意味を持ちます。

イエスさまのもとには、複数の弟子たち、そして大勢の弟子たちが集められるのです。イエスさまがおられるところには「交わり」があります。イエスさまが「交わり」をつくりだしてくださるのです。イエスさまのもとに行くとは、イエスさまただおひとりのところに行くことだけではなく、イエスさまのもとに集まっている弟子たちのところに行くことをも意味しているのです。

その点から言えば、教会はなんら「縦社会」ではありません。言葉の最も正しい意味での「横社会」です。わたしたちは絶対的権力を持つ専制君主のような存在に呼びつけられ、物も言わずに集まっているわけではありません。わたしたちは、イエスさまと共に生きる楽しみを共有しつつ、この交わりそのものから多くの恵みをいただいているのです。

とても幸いなことに、この教会のなかの誰一人として「わたしは呼びつけられている」と感じておられる方はおられません。わたしたちは何ら受動的ではありません。主体的・積極的に集まっています。乱暴な言い方かもしれませんが、わたしたちはここに“来たいから来ている”のです。“やりたいことをやっている”のです。皆さんが今、そのような顔をしておられます。皆さんの顔は、恐怖に怯える顔ではなく、喜び楽しんでいる顔です。

「ふだん、家ではわたしひとりである」と感じておられる方にとっては、交わりこそが救いであるとお分かりになるときもあるでしょう。それは、どんなに打ち消そうとしても打ち消すことができない際限なき孤独感からの救いです。わたしたちも、教会でお互いに励まし合っているときには感じないことであっても、ひとりの家に帰ると「誰もわたしを必要としていないのではないか」という不安にとらわれてしまうことが、きっとあるはずです。その失望感、空虚感、人生の無意味感は、本当に苦しいものです。

その中から救い出されるために、わたしたちにできることがあることを知る必要があります。それは、「来なさい」というイエスさまの呼びかけに応じることです。

「そうすれば分かる」。何が「分かる」のでしょうか。救いの恵みを分かち合いながら共に喜んで生きている教会の仲間に加えられることの喜びが分かるのです!

(2009年2月8日、松戸小金原教会主日礼拝)

丸山眞男を読んだことがない

私の交友関係によるところも大きいのですが、「私は丸山眞男の本を読んだことがない」という言葉を語ることに、つい最近までかなりの躊躇や抵抗がありました。人前でカミングアウトできずに来ました。しかし。



あはは、実は私、丸山氏の本を全く読んだことがありません。買ったこともありません。本を手に取って頁をめくったことくらいはありますが、3ページも、いや、2ページも読んだことがありません。



「嫌いなのか」と問われたら「別に嫌いではない」とたぶん答えますが、現時点では「ほとんど関心がない」としか答えられません。



理由は自分でも分かりません。難しい本ならけっこう読んできたほうだと思っています。最近はオランダ語の本を読むことがあまり苦にならなくなりました。日本語の本もわりと読んでいるつもりです。



しかし「丸山眞男を読んだことがない」。やっとこういうことを口に出して言えるようになったことを(その際おそらく私は「何かの呪縛から解放される」というプロセスを通り抜けているはずです)私の神に感謝しています。



解放のきっかけは、親友である(と私は思っている、ちょっと年上の)大学教員の言葉です。「ぼくはジャック・デリダを読んだことがない。」



ああ、こんなふうに言える文化系の知識人に会ってみたかったのだと、そのとき感じました。ちなみに私は、デリダのほうは20年くらい前から、関心をもって読んできました。



2009年2月3日火曜日

「改革派神学研修所 東関東教室ホームページ」を立ち上げました

このたび「改革派神学研修所 東関東教室」(世話人 安田恵嗣、三川栄二、持田浩次、小林義信、関口 康)は、東関東教室のホームページを立ち上げましたので、謹んでご連絡申し上げます。



改革派神学研修所 東関東教室ホームページ
http://higashikanto.reformed.jp/



このホームページアドレス(URL)を教会の皆様にお知らせいただけますと助かります。また各教会のホームページにリンクしていただきたく、よろしくお願いいたします。



2009年2月1日日曜日

世の罪を取り除く神の小羊


ヨハネによる福音書1・29~34

「その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。「わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである」とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。』そしてヨハネは証しした。『わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、「“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。』」

今日の個所にも、イエス・キリストに洗礼を授けた人、バプテスマのヨハネによる証しが続いています。先週の個所でヨハネはこう言っていました。「その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」(27節)。これはヨハネの謙遜であると共に、彼の信仰でもあると私は申しました。しかし、先週申し上げたことはあまり繰り返さないでおきます。

同じことが今日の個所にも表現されています。しかし、この個所に書かれている内容は非常に難解です。どのように理解すればよいか分からない言葉が、たくさん出てきます。そういう場合の一つの逃げ道は、難しいところを後回しにすることです。少しでもぴんと来るところ、理解可能な言葉を探して、そこから読みはじめるとよいでしょう。ヨハネが語っている結論部分には、理解できるものがありそうです。それは34節です。「わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである」。

これで分かることは、ヨハネの証しの要点はイエス・キリストは神の御子であるということだということです。そして、神の御子なるイエス・キリストは端的に「神」であるということです。これは先ほどの点の繰り返しです。ヨハネにとって、イエス・キリストは単なる尊敬の対象ではありませんでした。信仰の対象であり、礼拝の対象でした。

この点はわたしたちも同じです。教会はイエス・キリストを礼拝してきました。イエス・キリストに向かって祈ってきました。この点を外して教会は成り立ちません。わたしたちの礼拝はキリスト礼拝であり、わたしたちの信仰はキリスト信仰です。それはキリストを抜きにした単なる神信仰ではないと言ってもよいでしょう。

キリストを抜きにした単なる神信仰とは、何のことでしょうか。いろんな例を挙げることができます。たとえば、旧約聖書の時代から今日まで存在し続けているユダヤ教の信仰はまさにそういうものです。あるいはイスラム教。あるいは日本の神道などもそうであると言えるでしょう。あるいはこれは信仰と呼んでよいものかどうかは微妙ですが、古代のギリシア神話に出てくる神々への祀りなども、キリストを抜きにしているという点で同じであると言えるでしょう。

私が申し上げたいことは、わたしたちの教会の信仰はそういうものではないということです。わたしたちの信仰は、どこで切ってもキリストが出てくる、キリストを抜きにしては全く成り立たない信仰です。

この信仰はバプテスマのヨハネから始まった、と語ることはできません。わたしたちが持っているこの聖書には、ヨハネによる福音書だけではなく他の三つの福音書があります。それらの中に記されていることによりますと、バプテスマのヨハネよりも前に、イエス・キリストを産む役割を果たしたマリアと夫ヨセフが、あるいはベツレヘムの羊飼いたちが、あるいは東の国から来た占星術の学者たちが、イエス・キリストを神の御子と信じ、御子を礼拝しました。真のキリスト教信仰はベツレヘムから始まったのです。

しかし、ベツレヘムのイエスさまは、まだお生まれになったばかりの赤ちゃんでした。将来この方がどのような働きをなさるのかなど誰にも分かりませんでした。バプテスマのヨハネが登場するのは、もっと後のことです。少なくともイエスさまは成人しておられました。そしてヨハネはその目でイエスさまを見たのです。そうです、ヨハネはイエスさまのお姿を「見て信じた」のです。

ヨハネによる福音書には、ずっとあとのほうに「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」(20・29)というイエス・キリストの言葉が記されています。この言葉をイエスさまは弟子のトマスに対して語っています。この言葉の意味については、その個所を学ぶときに説明しますので今は割愛します。今ここで重要な点は、バプテスマのヨハネは「見ないのに信じた」人ではなく、「見て信じた人」であるということです。

しかし私はこのことを何か悪い意味で、あるいは批判的な意図から申し上げているわけではありません。「見ないのに信じる信仰」が「幸いである」と言われているのですから、論理的には「見て信じる信仰」は「幸いではない」ということになってしまうかもしれませんが、だからと言って「見て信じる信仰」は「信仰ではない」とか「真の信仰ではない」と言われているではないのです。

自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたこと、自分の手で触って確認したことを、自分自身で信じること、またそれをそのまま人に伝えることも、正しい意味での「信仰」です。それはまた、正しい意味での「伝道」であり、「証し」でもあるのです。

それでは、ヨハネはイエスさまの何を見たから信じたのでしょうか。そのことが32節に記されています。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た」。これはとても不思議な言葉です。聖書の中で「霊」は見えないものであることになっています。見えないはずの霊がヨハネには「見えた」と言っているように読めますが、この読み方は正しいでしょうか。

もちろんそのようにしか読めない面があることを認めなければならないかもしれません。しかしもう一つの読み方があるように思われます。それは、ヨハネが見たのは、とにかくイエスさま御自身のお姿であったということです。霊そのものがヨハネの目には見えたというよりも、霊に満たされたイエスさまのお姿を見て、イエスさまに霊が豊かに注がれたことをヨハネが信じたと理解することができないでしょうか。

この点にこだわってみたいと思ったことには理由があります。イエスさまに注がれた“霊”とは聖霊です。聖書の中で「聖霊」は、イエスさまだけに注がれたものではありません。イエスさまを信じて生きた人々、そしてまた、わたしたち自身を含むイエスさまを信じて生きているすべての人々にも注がれました。この点ではイエスさまとわたしたちの間には共通点もあると言えるのです。イエスさまに注がれたと言われている“霊”とわたしたちに注がれる“霊”は、別の霊ではなく、同じ霊なのです。

しかし、ここで考えてみなければならないことは、わたしたちにも「聖霊」が注がれているというならば、そのことをわたしたちはどのようにして確認することができるのかという問題です。

「見た」だの「見えた」だのと、まるで液体か気体かでもあるような、まるで地上の物質であるかのようなものとして聖霊が存在し、そのようなものがわたしたちの中に流し込まれる様子を、はい、わたしは確かにこの目で観察し、確認しました、それがわたしたちに聖霊が注がれていると語ることができる動かぬ証拠であり、証しですと言わなければならないのでしょうか。そのような言い方や考え方は、わたしたちにはむしろ、全く不可能なものであると言わなければならないでしょう。

それとも、イエスさまに注がれた“霊”だけが目に見えるものであり、イエスさま以外のただの人間、普通の人間に注がれる“霊”は、目に見えないものであると言わなければならないのでしょうか。こんなふうに考え始めますと、だんだんおかしな話になってくるように思われてなりません。

そして、わたしたちに分かることは、わたしたち自身のことです。わたしたちは、信仰をもって生きている人々には聖霊が注がれている、と信じています。逆のことは、あまり言いたくありませんが、論理としては言わざるをえません。信じていない人には、聖霊は注がれていない。そうしますと、わたしたちにできることは、両者を見比べることです。信じている人と信じていない人の違いを見分けることです。

違いなどどこにもありませんと言わなければならないかもしれません。いえいえ、それどころか、信じている人より信じていない人のほうが優れているように見える。そういうことも実際にはあるかもしれませんが、それではいくらなんでも寂しいでしょう。「やはり違いがある」、そう言いたいでしょう。

ヨハネには、その違いを見分けることができたのです。“霊”が注がれ、満たされているイエスさまの姿を見て、「この方こそ神の御子である」ということを!

そういう目をもし手に入れることができるなら手に入れたいものだと私は願っています。しかし、もっと願うことは、私自身の姿が、他の人々の目から見て「あの人は信じている人である」と見えるようであって欲しいということです。「信じているあの人は、あのように、何か楽しそうであり、幸せそうでもある。あの人のように、楽しそうな、幸せそうな人生を送ることができるなら、わたしも信じてみたい」と思ってもらえるような人間に、もしなれるものならなってみたいと願うばかりです。

全くそうでないような人間は、牧師としてはおそらく失格なのです。「神を信じたらあんなふうな暗い人間になってしまうのか。ヤダヤダ」と思われるような人間であるならば。

イエス・キリストのお姿を見て信じたヨハネが語った言葉は、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(29節)ということでした。なぜ「小羊」なのかという点に、残念ながら今日は、時間の関係でほとんど触れることができません。ここで「小羊」とは旧約聖書に出てくる過越祭の際に神にささげられる犠牲の小羊のことです。イエス・キリストは、十字架の上で御自身の命を犠牲にしてくださった、まさに過越の小羊である。そのことをヨハネは預言しているのです。この点を指摘するだけにとどめておきます。

このことをヨハネは、イエスさまに「聖霊」が注がれる様子を見たので信じるに至ったと語っているわけです。これを逆に言えば、または別の言い方をすれば、「聖霊」がある人のうちに注がれることと「罪」の問題とが深い関係にある、ということでもあるのです。

ヨハネの目がとらえた事実をわたしたちは次のように考えることはできないでしょうか。ヨハネは、聖霊に満たされたイエスさまを見て、この方こそ「世の罪を取り除く」役割を果たすために来てくださった神の御子であると信じるに至った。世の罪を取り除くために来られた方自身には罪がない。聖霊の注ぎと罪の支配の度合いは、反比例の関係にある。

わたしたちの場合には、イエスさまとは違って、「罪がない」とは言えません。しかし、信じることができるようになり、聖霊に満たされて生きることができるようになったときには、イエス・キリストの力によって罪の支配のもとから救い出されている。少しずつではあるかもしれないけれども、罪を取り除かれている。信じている人と信じていない人の違いは、罪の支配下にあるかどうかである。ヨハネ(この福音書の著者ヨハネ!)の言葉を借りれば「闇」の中にとどまり続けているかどうかです。

わたしたちはいつまでも「闇」の中にとどまり続けているわけではありません。すでに「光」のもとにあります。イエス・キリストを信じる人には聖霊が注がれています。それによってわたしたちは底抜けに明るい人(輝く笑顔の人!)へと造りかえられるのです。

もし違いがあるとすれば、このあたりにあると言いたい。言わせていただきたい。いや、そのように言えるようになりたい。私はそう願うのです。

(2009年2月1日、松戸小金原教会主日礼拝)