2008年8月21日木曜日

日本のファン・ルーラー研究会がオランダで

昨年2007年9月26日ユトレヒト・ヤンス教会で行われた「ファン・ルーラー著作集出版記念祝賀会」の席上、ファン・ルーラーの二男ケース・ファン・ルーラー氏が日本の「ファン・ルーラー研究会」について紹介してくださったときのラジオ音声が、インターネット上に公開されています。



「出版記念祝賀会」のラジオ音声(ケース氏の音声は「12:00」あたりから始まります)
http://www.eo.nl/media/spelert.jsp?aflid=8948162



そして、つい最近のことですが、このケース・ファン・ルーラー氏の発言のテキスト(全文)が、『ファン・ルーラー著作集』を扱っている出版社(ブーケンセントルム社)のホームページで公開されました。それを以下、拙訳にてご紹介いたします。微妙な気持ちにさせられる部分もあります。「誤解」がとかれる日の到来を期待しています。



写真で見る「出版記念祝賀会」(ここでケース氏のテキストを入手できます)
http://www.aavanruler.nl/index.php?cId=236



■ 『ファン・ルーラー著作集』出版感謝祝賀会でのケース・ファン・ルーラー氏のことば(関口 康 訳)



何人かの方々のお話を伺いながら思い出されたことは、ハンス・ハッセラー氏のことです。二つの思い出があります。



第一は、私が最初に受けた予備試験がハッセラー氏によるものであったことです。3時に始まり、それはそれは長く続き、やがて暗くなり(10月か11月でした)私の記憶では7時半を過ぎていました。



第二は、スポーツのことです。父がサッカーを非常に愛したことについては、すでに他の方々が話してくださいました。しかし、それは真理の半面にすぎません。父が重んじたもう一つの球技は、ビリヤードでした。我が家にはビリヤード台がありました。多くの日曜日の午後、父とわたしたち家族と友人たちがビリヤードに熱中しました。さらにハッセラー氏や他の教授たちまで加わりました。彼らはビリヤードをするために来ているのではないかと思うほどでした。



紳士淑女の皆様、私はファン・ルーラーの子どもを代表して謹んでご挨拶申し上げます。私の名前はケースと申します。この美しいロマネスク様式の教会で、1960年代に学生運動が起こりました。父は当時、この教会に通っていました。私も父と共に毎週通っていました。ここで父の『著作集』の第一巻を紹介させていただける機会を与えられましたことを感謝しております。



ファン・ルーラーの子どもとして最初に応答することができますことは名誉なことです。次にお話しになるバース・プレシール氏は、私もよく覚えておりますが、学生でいらした頃、父の情報カード整理箱の中身を並べたり補充したりしておられました。情報カード整理箱は計画の開始と共にカンペンに運ばれました。ディルク・ファン・ケーレン氏が上手に使いこなしておられます。私個人はファン・ルーラー協会(Stichting Van Ruler)の会長という立場でこの計画に関与することになるかもしれないという特別な経験をさせていただいております。



出版準備会に参加させていただいた初めの頃は、専門家たちが何か非常に曇った表情で私の父について聞いたり話したりしておられることに、しばしば疎遠なものを感じておりました。それは時おり私に、昔の感覚を思い起こさせるものでした。当時私は(新米の神学者としての)父の講義が、父とは異なる立場の人々のところまで飛んで行って、彼らを高く評価するものである(私にとって父は「ふつうの」人でもありました)と感じていました。第一巻の準備の際に、わたしたちは定期的に講義のテキストを送りました。私が特別に魅了され、かつ記憶に残っているのは、1956年の『エルセフィアー』誌に父が書いた論文です。真理について論じたものであり、「真理はいまだ已まず」というタイトルがついています。



その論文の中で父は、真理をめぐる対話における共産主義者たちの貢献に全く魅了されていると告白しています。父は、真理とは物質的現実と等しいものであるという彼らの見方を、自分の命題である「真理はいまだ已まず」に取り入れたのです。内容的に全く魅了されたのであり、時代の中で際立っていたのです。その論文は第一巻の68ページ以下にありますので、すべてお読みいただくことができます。それは祭日の午後のことでした。しかし、私はここでいかなる仲たがいについても言及するつもりはありません。そのようなことを皆さんにお考えいただくことは、少しも楽しいことではありません。それは昔話であり、父が教授をしていた頃の話ではないでしょうか。今とは違います。



この種の仲たがいは世界中のどこにでもあると言っておきます。それは、どうやら日本にもあるようです。わたしたち家族は、何年か前に日本のプロテスタント神学者のグループと会いました。彼らは父の本を日本語に翻訳するための特別で敬意を表すべき計画をもっています。彼らは近いうちに著作集を刊行するための計画までもっています。ついでに申せば、二年前に彼の前任者がオランダに来たときに(私の息子のドゥーウェと姪のロサリーと共に)私も会っていたらしいのです。彼らのリクエストがありました。私はファン・ルーラーの生活や知る価値のある事柄についての彼らの無邪気な考えを重んじるつもりでした。彼らは私の父が飼っていた小犬のことにまで興味を示してくれました。そのレベルのことを私は考えていました。



皆さんが期待されるでありましょうことは、多くの礼儀作法と共に開始される日本式の会話がなされただろうということでしょう。それはまさに真実でした。わたしたちは(ホテルの寝室でした)まだ座ってもいませんでしたのに、炎のような口ぶりで最初に問いかけられたことは「ファン・ルーラーは自分の神学のなかで『存在』(het Zijn)という言葉をどのような意味で語ったのでしょうか。この件についてお聞かせいただけませんでしょうか」というものでした。



それ以外の点では、すべては順調に運びました。しかし、そのグループは『われ信ず』という父の本をファン・ルーラー家の承諾なしに日本語に訳した日本の他のグループと争っています。



それは日本のなかでの問題です。ここユトレヒトにおいては、大きな一致と感謝において、私の父の著作集の素晴らしい第一巻を見ています。本当にうれしく思っています。



ニコ・ドゥ・ヴァール社長のもとにあるブーケンセントルム出版社の皆さま、ファン・デン・ブリンク教授ならびに出版会の皆さま、そして編集者のディルク・ファン・ケーレン氏に心からの感謝を申し上げます。ありがとうございます。