2008年8月24日日曜日
伝道を楽しめ
使徒言行録28・1~16
「わたしたちが助かったとき、この島がマルタと呼ばれていることが分かった。島の住民は大変親切にしてくれた。降る雨と寒さをしのぐためにたき火をたいて、わたしたち一同をもてなしてくれたのである。」
パウロの乗った難破船は、地中海に浮かぶ一つの島に辿りつきました。その船に乗っていた276人全員の命が助かりました。彼らは大きな喜びに満たされたに違いありません。
その島に着いたばかりのときには、そこがどこの陸地であるかが彼らには分かりませんでしたが(27・39)、まもなくそこがマルタ島であることが分かりました。なんと、その島に住人がいたのです。
島の名前は、その住人たちが教えてくれたのでしょう。流れ着いた島の住人の言葉が分かるというのは有難いことです。そして何よりそこに人が住んでいたこと自体が幸いです。人の住んでいないジャングル島に着く可能性もありえたはずです。
積み荷も船具も、そして最後の食糧も、彼らには残っていませんでした。飢えと寒さの中、冷たい雨まで降っていました。惨めさと絶望の状態にあり、ガタガタ震えていた彼らを、野獣ではなく人間が、温かいたき火をもって助けてくれたのです。
人が人を助ける姿には、本当に心温まるものがあります。知らない人は縛り上げて奴隷にするとか、「人を見れば泥棒と思え」と教えられているとか。そのような可能性も決して無かったわけではないでしょう。
マルタ島の人々は、あとで見るように、宗教的・文化的に言えばパウロにとってもわたしたちにとってもかなり違和感を覚えるような人々だったかもしれません。しかし、彼らには彼らなりの文化があり、困っている人を助けることにおいて明確な良心があったと言うべきです。間違いなく言えることは、彼らはパウロたちにとって命の恩人であるということです。そのことを決して見落とすべきではありません。
「パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、その手に絡みついた。住民は彼の手にぶら下がっているこの生き物を見て、互いに言った。『この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、「正義の女神」はこの人を生かしておかないのだ。』ところが、パウロはその生き物を火の中に振り落とし、何の害も受けなかった。体がはれ上がるか、あるいは急に倒れて死ぬだろうと、彼らはパウロの様子をうかがっていた。しかし、いつまでたっても何も起こらないのを見て、考えを変え、『この人は神様だ』と言った。」
初めての島でたき火に当たっていたパウロが、さっそく災難に遭いました。パウロの手に蝮が巻きついてきたのです。海の難は去り、次は毒蛇の難です。それを見たマルタ島の住人たちはパウロを「人殺し」であると考えました。これは悪人に対する神の裁きであり、ばちが当たったのであると考えたのです。そのような考え方が彼らの宗教であり、彼らの文化であったと見るべきです。
しかし、パウロ自身はいたって冷静でした。驚くことも騒ぐこともせず、蝮を火の中に払い落して退治しました。災難から逃れ、何事もなかったように立っていることができました。すると、マルタ島の人々は、パウロのことを「この人は神様だ」と言いはじめたというのです。
人殺しにされたり、神様にされたり。パウロとしてはそれこそが、蝮にかまれるよりも災難だったかもしれません。しかし、それもまた彼らの宗教であり、文化であったと見るべきです。重要なことは、そこはエルサレムでもなければアンティオキアでもなかったということです。そのときパウロは異なる宗教の持ち主のど真ん中に立っていたのです。
さて、私はこの個所を読みながら、四つの問いを抱きました。第一の問いは、このときパウロが蝮に襲われても大丈夫だったことについて、わたしたちはどのように考えるべきだろうかということです。
もちろん、パウロの信じる神さまがパウロの命を蝮の毒から守ってくださったと言っても間違いではないでしょう。しかしまた、私にとって重要だと思える点は、このパウロの冷静な態度です。蛇に襲われた。蜂が飛んできた。そのとき重要なことは、とにかく冷静であること、そして相手の動きから決して目をそらさないことです。
熊が襲ってきた場合は「目を見てはならない」と言われますが、動きから目をそらしてはなりません。忘れてはならないことは、相手も生き物であるということです。こちらが怯えてあわてて騒げば、向こうもびっくりして攻撃を仕掛けてきます。暴れると噛みついてくるのです。
第二の問いに移ります。それではこのときパウロが冷静でありえた理由は何だろうかということです。それはやはり彼の強さにあったと言うべきです。パウロの強さの理由は、はっきりしています。単純に言えば、彼は神さま以外の何も恐れなかった人なのです。
これまで見てきましたように、パウロは人間というものを全く恐れませんでした。襲いかかろうと構える群衆のなかで、一人で立ち、一人で語ることができました。暴力も恐れませんでした。法廷も恐れませんでした。死刑宣告も恐れませんでした。
また彼は、人間だけではなくどんなことも恐れませんでした。海も恐れませんでした。暗闇も空腹も恐れませんでした。彼が唯一恐れたのは神です。そして真の救い主イエス・キリストです。その方以外のどんな存在も恐れませんでした。そのパウロにとって蝮などは、ちっとも恐くなかったのです。
第三の問いは、パウロが蝮にかまれたことを見てパウロを「人殺し」だと考えたマルタ島の人々の考え方を、わたしたちはどのように受けとめるべきだろうかということです。
はっきり言っておきます。彼らの考え方は、どれほど公平に見ても、パウロの信じていたキリスト教信仰と相容れるものではありえません。わたしたちは、彼らのような考え方についていくことはできません。誰かに災難が降りかかった。それは悪人に対する神の裁きであり、ばちが当たったのである。このように語ることは、わたしたちには許されていません。
この点は、どこまでも拡大していくことができるでしょう。戦争の被害に遭った。地震の被害に遭った。それは神の裁きである。そのように言いはじめますと、責任の所在がぼやけます。地震の場合でさえ、人災の可能性があるからです。そのように言うことは、「神の名をみだりに唱えること」に通じるでしょう。
しかし、です。ここで私は、第四の問いを発しておきます。それは先週申し上げたこととよく似たようなことです。それは、この場面でパウロが語っていない言葉があるということです。なぜパウロはその言葉を語っていないのだろうかという問いです。
パウロが語っていない言葉とは何でしょうか。すぐに気づいていただけると思います。マルタ島の人々がパウロのことを「人殺し」であると言い、その次に「この人は神様だ」と言いました。しかし、ここで驚くべきことは、そのときパウロが彼らに対して「わたしは人殺しではない」とか「わたしは神ではない」と反論していない(!)ということです。議論もしていません。微笑み(最低でも苦笑い)をもって受け流している感じです。
議論するのが面倒くさかったからでしょうか。もしかしたらそうなのかもしれません。しかしこれまでのパウロの言動と比較してみると、どこか違いを感じます。
もっと食ってかかってよさそうな場面です。噛みつくような調子でむきになって反論しそうな場面です。「わたしは人殺しではないが、神でもない。人間を神と呼んではならない。あなたがたの考え方は間違っている。今すぐその考えを捨てなさい」。もしこの場面でパウロがそのように語っていたとしても、わたしたちが驚くことはないでしょう。しかしパウロはここでは一切反論していません。
その理由は何でしょうか。そのことについては何も書かれていません。ただ、考えさせられることは、パウロも少し変わってきているようだということです。
アテネでの演説を思い起こしてくださる方もおられるでしょう。アテネの至るところに偶像があるのを見て憤慨したパウロは、誰が聞いてもアテネの人々を痛烈に批判しているように受けとれる言葉を語りました。皮肉な言い回しで、目の前にいる人々に噛みつき、こき下ろしました。おそらくそれがパウロの正義であり、語らずにはおれない言葉でした。その結果アテネの伝道は明らかに失敗に終わりました。「それでも構わない。言いたいことを言えたので私は満足である」と、パウロは考えていたのではないでしょうか。
しかし、そのパウロが、ここマルタ島では、「この人は神様である」と言われても黙っています。いい気持ちになっていたはずがありません。キリスト教信仰とは全く相容れない思想です。それでも反論していません。“新しいパウロ”とまで呼ぶのは言い過ぎかもしれませんが、ここに至って異教的な人々に対する接し方が変わってきたように見えるのです。
わたしたちの教訓にすべきことがあると感じます。何でもかんでも言い返すのではなく、少し黙ることも大切ではないでしょうか。そのように考えさせられます。
そして、実際のパウロが次にとった行動はとても興味深いものです。
「さて、この場所の近くに、島の長官でプブリウスという人の所有地があった。彼はわたしたちを歓迎して、三日間、手厚くもてなしてくれた。ときに、プブリウスの父親が熱病と下痢で床についていたので、パウロはその家に行って祈り、手を置いていやした。このことがあったので、島のほかの病人たちもやって来て、いやしてもらった。それで、彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた。」
マルタ島の長官プブリウスの父親が、病気で寝ていました。パウロは、その家に行って苦しんでいるその父親を助けました。そうしたところ、島の人々がパウロのもとに集まるようになり、深く敬意を表してくれるようになりました。そして船出のときには必要な物を持って来てくれるほどまで仲良くなったのです。
ここにはわたしたちの伝道を考えるうえで、とても重要なヒントがあるように思われてなりません。問わなければならないことは、町の人々を批判し、皮肉を言い、けんかして、どうして伝道ができるだろうかということです。
私自身は、アテネでのパウロの気持ちが全く分からないわけではありません。偶像など見るのも嫌なところがあります。しかし、パウロの時代において、彼が初めて行った町が“異教的”であるというのは考えてみると当たり前のことだったわけです。
わたしたち日本の教会の場合も、それと似たようなことが言えるでしょう。この町に一つしかない改革派教会にとって、この町の多くの人が改革派教会の存在を知らないのは当たり前のことなのです。
しかし、その場面でわたしたちが感情を表に出し、「この町は異教的である。改革派的ではない」などと言っては、むきになって立ち向かい、相手を怒らせ、もめごとの種を撒き散らしていくことが伝道なのでしょうか。そうすることが教会の使命であると言わなければならないのでしょうか。もう少し違ったやり方はないのでしょうか。
このマルタ島でのパウロのように、苦しんでいる人のために祈り、手を置いていやすというようなやり方は、どうでしょうか。それは、単純に人の役に立つことをすることです。困っている人を助けることです。相手に喜んでもらえること、楽しいことをすることです。
大切な点は、わたしたちがそれを“教会の外側”にいる人々に向かってすることです。わたしたち自身がどんな人にも親切にふるまい、信頼される人間になり、「あの人が通っている教会ならば、わたしもぜひ通いたい」と思ってもらえるようになることです。時間がかかるかもしれません。しかし、それこそが最も理にかなった伝道の方法なのです。
(2008年8月24日、松戸小金原教会主日礼拝)