2008年3月12日水曜日

「日本改革教会協議会」と「アジア・カルヴァン学会」

昨日は「日本改革教会協議会」(会場・日本基督教団白金教会、JR目黒駅から徒歩3分)に出席した後、JR山手線に乗り、「アジア・カルヴァン学会講演会」(会場・立教大学、JR池袋駅から徒歩10分)に出席しました。前者のテーマは「礼拝式文について」、後者は「ルターとカルヴァンの聖書解釈について」でした。二つのグループは組織も課題も目的も異なるものですが、どちらも「カルヴァンの伝統」に立っているという点だけは明言できると思います。もともと私は後者でコメンテーターを務める予定だったのですが、前者への出席が要請されたため、コメンテーターの仕事はお断りせざるをえませんでした。しかし、私の代わりに(「代わりに」などと申してよいかどうかは分かりません)急遽コメンテーターをお引き受けくださったのが、なんと加藤武先生(立教大学名誉教授)。私が引き下がったことで出席者への恩恵が倍増して、ほっとしました。加藤武先生のお訳しになった教文館刊『アウグスティヌス著作集』の「キリスト教の教え」は、加藤常昭先生はじめ多くの人々に「名訳」と絶賛されたものです。ちなみにこのアウグスティヌスの「キリスト教の教え」の中にかの有名なfrui(享受)とuti(使用)の区別が出てきます。アウグスティヌスによると、frui(享受)してよいのは「神」のみであり、神以外の「事物」はuti(使用)するのみである。このアウグスティヌスの思想はカルヴァンと改革派教会の神学においても色濃く継承され、たとえばウェストミンスター小教理問答第一問の答えとして有名な「人生の主たる目的は、神の栄光を表わし、永遠に神を喜ぶこと(enjoy God=frui Dei=神を享受すること)である」などに表現されてきました。ところが、この区別をファン・ルーラーは「キリスト教会が犯した最大の過ち」と呼んで激しく批判しました。とくに1950年代から1960年代にかけて公表された論文に同様の発言が繰り返し出てきます。そしてファン・ルーラーは、「人生の目的」(bestimming van de mens)とは、神が創造された世界を喜ぶこと(frui mundo)であり、かつ自分自身を喜ぶこと(frui sui)であると、アウグスティヌスに反対して(!)主張しました。私などは、アウグスティヌス先生を批判することなどあまりにも恐れ多くて想像すらしたことがありませんでしたので、ファン・ルーラーのアウグスティヌス批判に初めて接したときは、卒倒しそうなくらい動揺しました。しかし今では、ファン・ルーラーの論調に慣れてきた面もありますが、「よくぞ言ってくださった」という思いです。