2008年3月30日日曜日

教会の奉仕について(総論)

少し前のことになりましたが、3月16日(日)に松戸小金原教会で毎年恒例の「教会勉強会」の第一回目を行いました。発題は関口康、タイトルは「教会の奉仕について(総論)」でした。



レジュメ(修正版) http://ysekiguchi.reformed.jp/pdf/2008-03-16_Ecclesiologie.pdf



「教会の奉仕について(総論)」目次



 1、「教会の奉仕」とは何のことか



 2、教会の目的は「教会の外」にある



 3、「教会の外」は悪魔の巣窟ではない



 4、「キリスト者の社会奉仕の主体ないし母体としての教会の確立」という課題



 5、具体的な奉仕の基準としての「律法」



※2007年度発題 「主の日と週日」



レジュメ(修正版) http://ysekiguchi.reformed.jp/pdf/2007-03-18_Ecclesiologie.pdf





礼拝と説教の楽しみ


使徒言行録20・1~16

今日は三つの段落を続けて読みました。使徒パウロの第三回伝道旅行の様子の続きです。しかし、何と言えばよいのでしょうか、この個所に取り立てて注目すべき内容を探すのは少し難しい気がしなくもありません。

主に記されていることは、パウロが実際にたどった道順です。また、パウロと共に旅をした人々の名前です。わたしたちの多くにとっては知る由もない外国の地名や人名が並べられるばかりの、実に坦々とした旅行記が残されているだけであるという印象を否むことができません。

しかし、私自身はこの個所をけっこう興味深く読むことができました。ただし、全部ではありません。二個所ほどです。その一つは2節に書かれていることです。マケドニア州でパウロが「言葉を尽くして人々を励ました」と記されている点です。

「この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、そこで三か月を過ごした。パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。この人たちは、先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。」

パウロが「言葉を尽くして人々を励ました」と書いていることの、どの点が面白いのでしょうか。原文を見る必要があります。「言葉を尽くして」の原文を直訳すれば「たくさんの言葉(ロゴー・ポロー)を用いて」です。

当然のことですが、「たくさんの言葉」を用いて語るには、それだけの時間が必要です。しかもこの文脈で「言葉」(ロゴス)と呼ばれているのは、ただ単なるおしゃべりや立ち話のことではなく、明らかに説教のことです。それは信仰者たちを励ますことを目的とした説教のことです。説教とは、今ここで私が行っているこれです。聖書に記されていることを解釈し、説明すること。それによって集まっている方々を励ますことです。

これで分かること、それは、パウロが実際に行った説教の様子、ないしスタイルです。それは、ここに書かれていることを見るかぎり「言葉を尽くして」語られたものであり、すなわち、「たくさんの言葉を用いて」語られたものであって、言い方を換えれば、明らかに非常に長い時間をかけて語られたものであり、要するに“長々とした説教”であったということです。

今申し上げました点と関連づけて読むとよく分かるのが、私が面白いと感じたもう一つの点です。それは今日お読みしました二つめの段落に書かれていることです。その内容は実に衝撃的なものです。パウロの長々とした説教がついに“犠牲者”を生んでしまったのです!

「週の初めの日、わたしたちがパンを割くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。『騒ぐな。まだ生きている。』そして、また上に行って、パンを割いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。」

「週の初めの日」に「パンを割くために」行われた集会は、今わたしたちが行っている日曜日の朝の礼拝と本質的に同じであると考えてよいものです。礼拝という字そのものは用いられていません。しかし、そのときの集会の目的として言及されている「パンを割く」という行為は、主イエス・キリストがお定めになった“聖餐”を指していると考えるべきでしょう。そして、その集会でパウロが行った「話」(ロゴス)とは、これもまた、礼拝の中で行われる“説教”のことを指していると考えるべきでしょう。わたしたちの信仰理解においては、説教と聖餐というこの二つの要素こそが“礼拝”を成り立たせるものです。

ところが、です。パウロの「話」、すなわち説教は「夜中まで続いた」と言われています。 そしてその話はなんと「夜明けまで」続いたというのです。つまり、考えてよさそうなことは、この日の“礼拝”は、ほとんど丸一日(24時間!)続けられたものであったということです。朝から始まった集会が次の日の明け方まで(!)続けられたというのですから。しかも驚くべきことは、ここに書かれていることを読むかぎり、その間パウロは、一睡もせずに、ずっとしゃべり続けていた(!?)ということです。

ここで第一の点と結びつくわけです。パウロは「言葉を尽くして」、すなわち「たくさんの言葉を用いて」語りました。というと、まだ聞こえが良いものがあるわけですが、実際には“非常に長々とした説教”を行っていたことが、分かってくるわけです。

そして、その歴史的な事実が記録として残されているのが今日読んだ個所の7節以下の記事であると理解することができるわけです。パウロという人は時として“24時間営業”ならぬ“24時間説教”(!?)を行うこともあったということです。しかし、驚くべきことは、それだけではなく、まだあります。

パウロの説教の最中に起こった“事件”とは、エウティコという一人の青年が、礼拝が行われていた三階の部屋の窓に腰かけていたところ、「ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった」というものでした。

はっきり言っておきますが、居眠りしたエウティコには罪はありません。罪があるとしたら、24時間も説教し続けたパウロのほうです。私にも他の牧師たちの説教を聴く機会がたくさんありますが、内容によっては30分、いえ、20分の説教でも居眠りすることがあります。24時間も語り続ける説教者がいるなら、部屋の扉を蹴飛ばして出て行ってもよいと私は思います。

そんな私ですから、居眠りしたエウティコには、深く心から同情いたします。そして、エウティコが三階の窓から落ちて死んでしまったという事件の“犯人”はパウロであると言いたくなります。

説教者は、どう考えても、24時間も語り続けてはなりません。それは、その説教を聴く人々への配慮が足りないと言われても仕方がない行為です。あるいは、それを聴く人々は生身の人間であるということを忘れているかのような行為です。手厳しく言えば、「自分のことしか考えていない」と言われても仕方がない、そして「説教者として失格である」と言われても仕方がない説教です。

ところが、です。先ほど「驚くべきことはまだある」と申しました。それは何でしょうか。この個所を読みながら私が驚くことは、エウティコ以外の全員について、すなわち、ほとんど24時間語り続けているパウロについても、またそのパウロの説教を聴いている人々についても、「居眠りした」とも「一時的に仮眠をとった」とも書かれていない点です。要するに、そこにいたほぼ全員が、24時間一睡もせずに(!?)礼拝を行い続け、パウロの説教を聴き続けたように描かれているのです。

私はどこに驚くのでしょうか。ほとんど丸一日、延々と語り続ける説教者パウロも相当なツワモノです。しかし、それを一睡もせずに聴き続ける人々のほうも、十分な意味での敬意に価するということです。

また、パウロのほうも、汲めど尽きせぬ話題というか、内容というか、知識というか、何とかして伝えたい「言葉」(ロゴス)を持っていたからこそ、そのような“24時間説教”ないし“24時間礼拝”(!?)を行うことができたのです。おそらくその説教は、眠らずにでも聴き続けていたいような、魅力的で面白い話だったのです。語るパウロも、聴く人々も、その礼拝とその説教を心から楽しんでいたに違いありません。パウロの“説教力”の凄まじさを感じます。

しかし今日の個所には、ある見方をすれば、ゾッとするようなことも書かれています。エウティコが三階の窓から落ちて死んでしまったとき、パウロは説教を一時的に中断し、階下に降りてエウティコを抱きかかえました。ところがパウロは、この青年の様子を見て「騒ぐな。まだ生きている」と言っただけで、すぐにまた元の部屋に戻り、自分の説教と礼拝を続行したというのです。

松戸小金原教会でも、先日(2008年2月17日)は、礼拝の途中に説教者自身が倒れてしまいましたので(私のことです)、それ以降は通常の礼拝を続行することができなくしてしまいましたことの責任を痛感し、まことに申し訳なく思っています。しかし、その後すぐに祈祷会の形式に切り替えてくださったことに心から感謝しています。礼拝が途中で中止されるということは、教会にとっては大きな出来事であると思います。

これから申し上げますことは、私自身、非常に難しい問題であると感じていることです。それは、もし礼拝中に何か大きな出来事が起こり、その礼拝を中断せざるをえなくなったとき、それ以降の時間をどのように用いるべきだろうかという問題です。特に問題になることは、わたしたちがその礼拝自体を途中でやめてしまうことができるのかという点です。この問題は、説教者自身や教会役員たちだけではなく、その礼拝に出席しているすべての人が悩むに違いないことです。

たとえば、礼拝中に大きな地震や災害が起こる。隣の家が倒れる。会堂まで倒壊する。火事が起こる。教会員や牧師の家族が亡くなる。わたしたちに襲いかかる不慮の事故は、他にもたくさんあるでしょう。あるいは戦争。

エウティコはその礼拝の出席者でした。その人が礼拝の最中に突然、死んでしまった。それは、たいへん大きな出来事です。ところが、そのような非常に大きな事件であったにもかかわらず、そのことをパウロは“その時点以降の礼拝を中止してもよい”とする理由にはせずに、説教と礼拝を続行したのです。もちろん、エウティコが息を吹き返すことを確信しつつ。しかし、生死の境目にいる人を“横に置きながら”、その礼拝は最後まで続けられたのです。

この問題はあまりにも大きすぎて短い時間では語りつくすことができそうもありません。しかし、このパウロの判断の中にはわたしたちに対する重要な問いかけがあると感じます。

礼拝の最中に不幸な出来事が起こった。あるいはもう少し範囲を広げて、わたしたちの信仰生活の途中に不幸な出来事が起こった。そのときに、です。

「もう礼拝どころではない。我々は今、こんなことをしている場合ではない」と考えるべきでしょうか。

それとも「だからこそ神を礼拝しようではないか!だからこそ神の御言葉を聴こうではないか!」と考えるべきでしょうか。

ここに、大きな分かれ道があると思われるのです。

(2008年3月30日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年3月28日金曜日

それにしても翻訳は難しい!(5/5)

再び翻訳の話に戻ります。私は後者(訳例 2)ですっかり満足しているというわけでもありません。前者(訳例 1)には利点もあります。ファン・ルーラーは明らかに、「聖餐式」と「家庭の食卓」、「教会の礼拝」と「芸術」、「魂の救い」と「日々の雑事」を対比的にとらえているからです。それは「教会の内(intra)と外(extra)」の対比であると言ってよいでしょう。ファン・ルーラーがこの対比を行っているということを明確に表現できるのは前者(訳例 1)のほうかもしれません。ああ、翻訳とはなんと難しいものなのでしょうか!しかし、「だからこそ」です。そう、翻訳は「難しいからこそ面白い」のです!「翻訳」にはそれに取り組む者たちの想像力を著しく刺激し、膨らませていくものがあります。日々の雑事に追われて翻訳に取り組めないでいると、私の頭は、一種の“脳死状態”に陥っているのではないかと感じるほどポケーとしてしまいます。



それにしても翻訳は難しい!(4/5)

この一文の中でファン・ルーラーが語ろうとしていることは、キリスト者の信仰的実践(praxis pietatis)にとって最も大きな意味がある「神のすべてのみわざを見つめる目」が向けられるべき対象は何かということです。その目は、教会の壁の内(intra muros ecclesiae)における神のみわざ(聖餐式、教会の礼拝、魂の救い)を見つめるだけで終わってよいものではなく、教会の壁の外(extra muros ecclesiae)における神のみわざ(家庭の食卓、芸術、日々の雑事)をも見つめるものでなければならないということです。言葉を換えて言うならば、ファン・ルーラーが勧めていることは、キリスト者である者ならばこそ、「教会」に対して《内向きな》態度をとることだけに終始してもよいようなものではありえず、むしろ常に《外向きな》態度をとり続けるべきであるということです。“世俗化”(ontkerkelijking=脱教会化=教会と国家の分離)の不可逆的プロセスの中にある現代社会においてキリスト者が陥りやすい「教会への引きこもり」を、ファン・ルーラーは警戒しました。世間の中へと堂々と出ていき、「政治的な」責任を負う勇気を持ちなさいと訴えました。キリスト者が「不信仰な世間の人々」をあまりにも邪悪なものとみなして嫌悪感や恐れを抱き、その人々から遠ざかり、教会の砦に立てこもり続け、外側へと一歩も出て行こうとしないこと、なかでも「政治的な事柄」に関わろうとしないことは、「この世界と人類を創造された神への冒涜である」とさえ語りました。ファン・ルーラーの「宣教(アポストラート)の神学」が示すベクトルは、「教会への引きこもり」とはちょうど正反対の方向を向いているのです。



2008年3月27日木曜日

それにしても翻訳は難しい!(3/5)

一例を挙げてみます。ファン・ルーラーの文章について、いくつかの訳例を作ってみました(いずれも私訳です)。



(原文)



Voor de praxis pietatis van de enkele christen is het van de grootste betekenis, dat hij in zijn omgang met God oog heeft voor alles, wat God doet: niet alleen voor het avondmaal, maar ook de maaltijd thuis; niet alleen voor de liturgie van de kerk, maar ook voor de kunst; niet alleen voor de redding van zijn ziel, maar ook voor de dingen van het dagelijkse leven. (A. A. van Ruler, De waardering van de rede [1958] , Verzameld Werk, deel 1, 78.)



(訳例 1)



神との交わりにおいて神のなされるすべてのみわざを見つめる目を持つことは、キリスト者個人の信仰的実践(または敬虔の修練 praxis pietatis)にとって最も重要なことである。その目は、「聖餐式」だけではなく「家庭の食卓」をも、「教会の礼拝」だけではなく「芸術」をも、「魂の救い」だけではなく「日々の雑事」をも、見つめるのである。



(訳例 2)



「聖餐式」や「教会の礼拝」や「魂の救い」などは重要ではないと言いたいわけではない。しかし、キリスト者の信仰的実践(または敬虔の修練 praxis pietatis)は、そのようなことだけに終始するものではないのである。キリスト者の信仰的実践にとって最も重要なことは、神との交わりにおいて神がなされるすべてのみわざを見つめる目を持つことである。その目は、「家庭の食卓」や「芸術」や「日々の雑事」をも見つめるのである。



前者(訳例 1)のほうが「原文に忠実な訳」であるつもりで書きました。原文の構文を守りつつ、原文の各単語と日本語の辞書的意味との「一対一」の“パッチワーク”を行ってみました。しかし、この文章は、日本語として理解できるものでしょうか。これを読んで「ファン・ルーラー先生の意図が分かりました!」とすぐに返事できる方がいるとしたら、その方はかなりの天才です。これに対して私自身は、許されるならば後者(訳例 2)の方向に進んでいきたいと願っています。これでもまだまだ日本語として理解しにくい文章であることは承知しています。しかし、「著者(ファン・ルーラー)の意図を明らかにする」という一点においては、前者よりも後者のほうがよいと信じています。



それにしても翻訳は難しい!(2/5)

しかし、「翻訳」は難しい!オランダ語が難しいのではありません。日本語が(!)難しいのです。私が心から尊敬する翻訳者であり・翻訳理論研究者である山岡洋一(『翻訳とは何か 職業としての翻訳』の著者、『翻訳通信』主筆)のおっしゃるとおり、「英文和訳は翻訳ではない」のです。「翻訳とは日本語」なのです。原文の各単語に日本語の辞書的な意味を「一対一で」当てていくだけの“パッチワーク”は「翻訳」ではないのです。山岡氏はヘーゲルの翻訳者を例に挙げて説明しておられます。金子武蔵氏のやり方は「独文和訳」ではあっても「翻訳」ではありません。日本語としては支離滅裂だからです。長谷川宏氏のやり方こそが「翻訳」なのです。長谷川氏の訳文は、まさに日本語だからです。私が常に悩んでいることはこの問題です。私の見方では、キリスト教出版界、特に「神学」の世界においては、今書いたような「翻訳」についての考え方がいまだに定着していません。新共同訳聖書に採用された動的等価訳(dynamic equivalence)という方法でさえ、いまだに「あれは意訳である」という言葉で批判する人が少なくありません。その場合の「意訳」とは「原典に忠実でない、いいかげんなもの」という意味です。殺し文句の一種です。「原典に忠実な訳」と謳われているものはたいていパッチワークのままです。金子武蔵型です。日本語としては支離滅裂です。「ファン・リューラー」名で教文館から出版されたもののうち特に『伝道と文化の神学』(長山道訳)に関しては、残念ながらこの点が全く当てはまります。『伝道と文化の神学』を買って読んだ人々に「ファン・リューラーの神学とはなんと支離滅裂なものであり、我々にとって理解不可能なものなのか」と思われ、関心を失ってしまわれることを非常に懸念しています。ファン・ルーラーを知りたい人は、どうかあの本は読まないでください。あのような支離滅裂なものが世に出ることは、著者ファン・ルーラーに対しても、世界のファン・ルーラー研究者たちに対しても、日本の「ファン・ルーラー研究会」に対しても、世界中のファン・ルーラーの愛読者たちに対しても、失礼なことであり、迷惑なことです。長山訳は「原典に忠実な訳」であるがゆえに、日本語としては支離滅裂なのです。つまり、山岡洋一氏が見れば「翻訳ではない」と判断されるものなのです(私は長山氏を個人的に知っており、尊敬しており、将来に期待を寄せているゆえに、あえて厳しい言葉を用いて氏の訳業を批判してきました。私怨等は皆無です)。



それにしても翻訳は難しい!(1/5)

断片化の日々は続いています(「拡散化」とも言いたいです。実態は「散逸化」ですが)。しかし、日記は書き続けることに意義がある。手書きの日記については字義どおりの三日坊主だった私が、このブログを三ヶ月も続けている。この手軽さというか気軽さはすごいと思います。ニフティの「ココログ」の使いやすさを宣伝しておきます。神戸改革派神学校の二年次に編入し、牧田吉和教授のもとでファン・ルーラーの著作を読みはじめたのは、1997年4月のことです。来月でちょうど11年になります。ただし私の場合、当然のことながら最初は英語版のテキストしか読むことができませんでした(当時は英語も苦手でしたが)。米国カルヴァン神学校のジョン・ボルト教授編訳の英語版論文集です。牧田教授はオランダ語版をもって、神学生たちはボルト訳の英語版をもって、ファン・ルーラーをテキストにしての組織神学セミナーが始まったのです。11年前は、オランダ語原典を読むことは私には永久に無理だと思っていました。しかし、英語版に多くの誤訳があることなどが分かってきますと、やはりオランダ語原典を読む必要がある、いや“読まざるをえない”と、強く迫られるものを感じるようになりました。それが私の蘭学事始となったのです。



2008年3月23日日曜日

十字架につけられたイエスは墓におられない


マタイによる福音書28・1~10

今日はイースター礼拝です。わたしたちの救い主イエス・キリストの復活をお祝いする礼拝です。それを今日は昨年同様、召天者記念礼拝として行っています。ご遺族の方々が出席してくださっています。遠方からお集まりくださり、ありがとうございます。

また、先ほどは林昭子姉の洗礼式を執行することができました。林さんも二年半前に御主人・暁さんを亡くされました。林暁さんの洗礼式は、国立がんセンター東病院(千葉県柏市)の一室で行いました。葬儀は教会で行いました。それを機に昭子さんが教会に通うようになられ、そして今日、ついに洗礼をお受けになりました。林さん御夫妻を信仰へと導いてくださった神の大きな恵みを覚えて、心より感謝いたします。

イースター礼拝は、イエス・キリストの復活をお祝いする礼拝であると最初に申し上げました。しかし、イースター礼拝の目的はそれだけではありません。復活するのはイエス・キリストだけではありません。「キリストに属しているすべての人々」もまた、終わりの日に復活するのです!わたしたち自身も、イエス・キリストと共に復活するのです!

ですから、ここで重要なことは、イースター礼拝の目的は、イエス・キリストの復活をお祝いすることだけではないということです。今日わたしたちがお祝いしていることは、イエス・キリストが二千年前に死者の中から復活されたという歴史的事実だけではありません。わたしたちも復活するのだという約束と希望が、イエス・キリストの復活において与えられたことをも、お祝いしているのです。

キリスト教信仰によると、わたしたちよりも先に召された人々は、また戻ってきます。わたしたちもいつか、この地上の人生を終える日が来ます。しかし、また戻ってきます。この世界も、この地上も、終わりの日に回復されます。もう二度と会いたくないと思っていた人も、また戻ってきます。ですから、「ああ、あの人がいなくなってくれてホッとした」というような考え方は、わたしたちの信仰には合致しません。

なぜ合致しないのでしょうか。まさにイエス・キリストを十字架につけて殺した人々は、イエス・キリストがいなくなってくれてホッとしたのだと思います。彼らにとって都合の悪い話ばかりする人の口を何とかして封じ込めようとしたのですから。殺して死んで口を封じることができた。ああよかった。もう大丈夫。もう二度とあのイエスという男の顔を見ることもないし、あの男の声を聞くこともない。あのイエスはもう二度と会堂でも広場でも説教することができない。もう死んだのだから。いなくなったのだから。そのように考えて、彼らはまさにホッと胸をなでおろしたのだと思います。

しかし皆さん、本当にそのような結末で良いでしょうか。物陰でコソコソと悪いことをしたり、人前でいばり散らしたりしている人々が生き残る。多くの人々の前で、神の言葉に基づいて説教をしてきた救い主イエス・キリストが、死によって口を封じられる。そこに何か寂しいもの、物悲しいものがないでしょうか。

ところが、聖書の話は、そこで終わらないところに魅力があります。イエス・キリストは、死によって口を封じられてサヨウナラで終わりません。死人の中から復活して、再び説教をお始めになったのです。これこそが聖書の教えです。

「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」

今日の聖書の個所に記されていることを「ここに書かれているとおりです。どうぞこのまま信じてください」と勧めても、おいそれとは行かないと感じる方は、おそらく多いだろうと思っています。婦人たちがイエスさまのお墓に行くと、タイミングよく「地震」が起こる。「天使」が登場する。その天使が墓の石を転がす。不思議の国のおとぎ話のようだと思われても仕方がないことばかり書かれています。

しかし、とにかく事実として起こったらしいことは、比較的はっきりしています。婦人たちがイエスさまの墓に行ったときには、墓の蓋の石が動いていたということです。墓の入り口は開いていたということです。その石を、とにかくだれかが動かしたのです。

また、それを動かしたのが誰かということも、明らかにされているわけです。「天使」が動かしたのです。しかも、その「天使」が、石を動かした後もその場に残っていて、婦人たちに言葉を語りかけてきたということも記されています。

「天使」の姿は婦人たちに見えたのでしょうか。稲妻のように輝く姿、雪のように白い衣を着ていたとあるわけですから、とにかくそこに何かが見えていなければ、このようなことが書かれることはなかったでしょう。

ですから、そこで起こった出来事は、「天使」が人間の目に見える存在として現われて、イエスさまの墓の前にあった重い石を物理的に動かしたということです。地震は、重い石を動かしたときの地響きだったかもしれません。

信じることができないという人は、どの部分を信じることができないでしょうか。「地震」でしょうか。「天使」でしょうか。これらの点が躓きの要素になるでしょうか。この個所に登場する「天使」は、人の目に見えているのですから。また「地震」は、人の体に感じられているのですから。超自然的な出来事は、何一つ起こっていないのです。

「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われたとおり、復活なさったのだ。』」

天使が、婦人たちに話しかけてきました。ここに至って、「この個所は絶対に信じることができない。天使が人間に話しかけてくるはずがない。そもそも天使など存在するはずがない」と、そのように思われるでしょうか。

そのようにお考えになる方がおられても構わないと私は思います。天使の存在を信じることができないというだけでしたら簡単に克服できる方法があります。目をつぶればよいのです。目をつぶって「天使」の語る言葉に耳を傾けてみてください。目をつぶりますと、だれが語っているかということが決定的な問題でなくなります。その代わりに、何が語られているかが問題になります。

ここで再び、林暁さんのことを思い起こします。目が全く見えない状態の中で私の語る言葉に耳を傾けてくださいました。林さんはまさか、私のことを「天使」であるとは思わなかったでしょう。しかし、私がどんな体つきをしているかとか、どんな服を着ているかというようなことは、林さんにとっては全く関係ないことだったに違いありません。

天使の存在を信じることができない人は、目をつぶってみてください。そして、そこで語られている言葉に耳を傾けてみてください。

「十字架につけられたイエスは墓におられない。復活なさったのだ!」

「さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」確かに、あなたがたに伝えました。』婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。『恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。』」

ここに記されていることは、次の四つに分けて考えることができるでしょう。

第一は、婦人たちが天使のお告げを聞いたこと。

第二は、婦人たちがそのお告げを他の弟子たちに伝えようとしたこと。

第三は、しかし、天使のお告げを他の弟子たちに伝える前に、婦人たち自身がまず復活されたイエスさまに直接出会ったこと。その際、イエスさまは彼女たちに「おはよう」とおっしゃったこと。

第四に、婦人たちは復活されたイエスさま御自身から天使が告げたのと同じ内容の言葉を聞いたことです。その内容は「ガリラヤに行くと、そこでイエスさまにお会いすることができる」ということでした。

この四つの内容の一つ一つについて丁寧に見て行くと、それぞれ興味深い内容を明らかにしていくことができると思います。しかし、その時間は残っていません。最後の第四の内容だけを見ておきます。大切な点は、復活されたイエスさまと弟子たちが出会う場所が「ガリラヤ」であると言われていることです。なぜ「ガリラヤ」なのでしょうか。

「ガリラヤ」とは、イエスさまがエルサレムでユダヤ教の指導者たちと直接対決なさる前に、神の国の福音を宣べ伝えておられた広い地域を指しています。イエスさまがいつも笑顔で、多くの人々を助け、励まし、愛しておられた場所、それが「ガリラヤ」です。

そこに行けば、イエスさまに出会うことができる。十字架の上で罪人の身代りに死んでくださり、救いのみわざを成し遂げてくださったお方に出会うことができる。そしてそこでこそ、イエスさまは神の御言葉を語り続けてくださる。ガリラヤでイエスさまに助けていただいた人々は、希望を見出し続けることができる。

イエス・キリストを十字架につけて殺すことによって口を封じようとした人々の策略と野望はイエス・キリストの復活によって打ち砕かれたのです。「ああ、あのイエスがやっと死んでくれた。もう二度とあの顔を見ることもないし、声を聞くこともない」と安心した人々は、再び不安の中に置かれることにもなりました。

正しい人・善い人が殺されることを、間違っている人・悪い人が悔い改めも反省もせぬまま喜んで生きている社会が住みやすいでしょうか。それは、正しい人が語る言葉が暴力をもって封じ込められ、間違っている人の語る言葉がのうのうと蔓延っている社会です。それこそが現実であると言って納得できるものでしょうか。そういうことに、わたしたちが納得してもよいでしょうか。

聖書が教えるイエス・キリストの復活の真実は、そのような社会にノーを突きつけます。間違っている人・悪い人が墓の中に閉じ込めた救い主は、復活され、墓の蓋を開けてその中から出てこられました。どんな権力にも、どんな暴力にも屈することなく。

復活を信じるとは、いわばそういうことです。イエス・キリストの説教は、わたしたち人間にとって、いつも耳触りのよい、都合のよい内容であるばかりではありませんでした。人間に罪があるからです。あなたの罪を悔い改めること、そして真の神を信じ、あなたの隣人を心から愛すること、そのことをイエス・キリストは語り続けられました。

イエス・キリストの御言葉は、復活の出来事を経て、今も語り続けられています。

永遠に生きておられるキリスト御自身によって、

キリストの体なるこの教会を通して、

キリストを信じるわたしたち一人一人によって。

どんな力も、それを妨げることはできません。

それこそが、今日のイースター礼拝において確認しておきたいことです。

(2008年3月23日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年3月20日木曜日

ただいま断片化中(3/3)

「牧師の仕事かそれとも神学研究か」は、現実的には《あれか・これか》の選択肢なのかもしれません。両立させることは不可能かもしれません。しかし、です。たとえそれが今や不動の現実であるとしても、そんな“現実”の前に易々と屈服したいとは思いません!体のどこかがへし折れることなど、大した問題ではないのです。私は「神学し続ける牧師」でありたいと願っています。だからといって牧師であるかぎり、どんなに間違っても引きこもるわけにはいきません。「引きこもり」と「牧師」は対立概念であると信じるからです。牧師であるかぎり思想の断片化は避けられません(ありとあらゆる事柄に首を突っ込む仕事です)。しかし、機動性を失わない牧師であるままで神学研究を続けたいのです。その点では、昨年から利用しているノートパソコン(VAIOです)や無線LANやUSBメモリーの存在感は大きいです。私がこれまで書いてきた20年分くらいの文書や、その他の大量のデータを常に持ち歩くことができる現在の状況は、私にとっては“奇跡”という以外に表現のしようがありません。



2008年3月16日日曜日

十字架上で示された神の愛


マタイによる福音書27・32~50

来週はイースター礼拝です。われらの救い主イエス・キリストが十字架上の死の苦しみを乗り越え、克服されて、三日目に復活されたことをお祝いする日です。楽しく過ごしてよい日です。しかし、イースター礼拝を前にしてわたしたちが直視しなければならないのは、イエス・キリストの十字架上の死の場面です。イエス・キリストは、間違いなく一度死の苦しみを味わわれました。死がなければ復活はありません。受難週を過ごさなければイースターは来ません。キリストが死んでくださったからこそ、キリスト者に新しい命が与えられたのです。

今日の個所に描かれているのはイエス・キリストを十字架につけた人々の残忍な行為の数々です。しかしまた同時に、その人々の前で示されたイエス・キリスト御自身の態度が描かれています。「もしわたしが同じ目に遭ったらどうだろう」と考えてみることは、この個所を読む態度としてふさわしいものです。もしわたしならば、とても耐えることができない。人間の忍耐の限界をはるかに超えている。そのように感じながら読むことが大切なのです。

「兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。」

ローマの兵士たちが、シモンにも十字架を無理に担がせたことは、考えてみると、これもやはり、キリストを苦しめるものであったことは明らかです。なぜでしょうか。それはキリスト御自身の立場に立って考えてみると分かることです。

救い主の仕事は人を救うことです。人を救うとは、苦しみや悲しみや痛み、そして罪の中から救い出すことです。簡単に言えば、人を楽(らく)にすることです。重荷を負って苦しんでいる人の背中や肩からできるかぎり重荷を取り去り、軽くしてあげることです。

ところが、兵士たちは、キリストの目の前で、キリスト御自身が背負っている十字架を、直接的には何の関係もないシモンにも背負わせました。人を楽にする仕事をしてこられたキリストの目に、御自身一人で背負ってこられた十字架を無理やり背負わせられて苦しむシモンの姿を見せつけることは、キリストの心を痛めつける行為であり、嫌がらせ以外の何ものでもありません。

「そして、ゴルゴタという所、すなわち『されこうべの場所』に着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。」

兵士たちがキリストに飲ませようとした「苦いものを混ぜたぶどう酒」とは、痛み止めの薬の役割を果たすものであったと考えられます。それは彼らのキリストに対する憐みの行為であると見ることもできるかもしれません。あるいは、激しい痛みに苦しむ人間の姿は、それを見る者にも苦痛を与えるものです。彼ら自身がそれを直視することに耐えられなかった。だからこそ痛み止めの薬を与えようとしたのだ、と考えることができるかもしれません。

ところがキリストは、それを飲むことを拒否なさいました。「なめただけで」とありますのは、棒か何かで口の中に無理やり突っ込まれたからだと思われますので、正しい日本語に置き換えるとしたら、「なめさせられただけで」ではないかと思われます。

なぜキリストはそれを拒否されたのでしょうか。考えられることは一つです。キリストは十字架の上で味わわれるべき苦しみを、余すところなくすべて御自身の体と心にお引き受けになろうとされたのです。人から憐れまれることを拒否なさった、と言ってもよいかもしれません。あるいは、人々の目に御自身が味わっておられる苦しみのすべてをお見せになろうとされたと言うべきかもしれません。

そのことはまた、とりもなおさず、人間が犯す罪の大きさ、深さをすべての人々の前で明らかになさろうとされたということにもなるでしょう。目を大きく開いてこのわたしを見よ。わたしの苦しみこそがあなたがたの罪の現実そのものなのだ。そのようにキリストは、十字架の上で、御自身の身をもって示されたのだと考えることができるでしょう。
 
「彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。」

兵士たちは十字架にはりつけにされたキリストの目の前で、「くじ」を引きました。これは当時の遊びです。激しく苦しんでいる人の前で遊ぶ。これもまた、キリストの心と体を痛めつけることになる行為と見ることができるでしょう。たとえば、この頃の政治家たちも、この種のことではしょっちゅう槍玉にあげられます。大地震が起こって避難している人々が大勢いるのにゴルフで遊んでいた。船が遭難して行方不明者がいるのに酒を飲んでいた。そういう態度を見ると、激しく腹を立てる人がいるのです。とても不愉快に感じる人がいるのです。

「イエスの頭の上には、『これはユダヤ人の王イエスである』と書いた罪状書きを掲げた。」

キリストの頭の上に掲げられた言葉が「罪状書き」として書かれたものであることも、キリストに対する侮辱そのものです。彼らの気持ちをあえて言葉にするとしたら、「こいつがユダヤ人の王なんだってさ、あはは」というくらいのところでしょう。学校のいじめの方法でよく知られているものとして、同級生の背中に「バカ」と張り紙をするというのがあるのとあまり変わりがありません。いずれにせよ人を馬鹿にし、笑い物にする行為です。

「折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。」

キリストの十字架は二人の強盗の間に立てられました。同じようなものとして扱われたわけです。そして実際、キリストは、まさに強盗が受けるのと同じ刑罰をお受けになり、多くの人々から激しく侮辱されることによって、地獄の苦しみを味わわれたのです。

「そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。『神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。』同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。『他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。「わたしは神の子だ」と言っていたのだから。』一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。」

滑稽なことは、そこを通りかかった人々と、ユダヤ教団の指導者である祭司長や律法学者や長老たちが、同じようなことを言っているところです。指導的な立場に立ちながら、知性のかけらもない、恥を知らない人々の姿が描かれていると見てよいでしょう。

ただし、両者に共通している要素には注目すべき点があります。それは、通りがかりの人々が言った「自分を救ってみろ」、またユダヤ教団の指導者たちが言った「他人は救ったのに、自分は救えない」という点です。

これは注目に価します。彼らの言っている言葉の一部には真理があると、私には感じられます。彼らは、おそらく意図せずして、真理を言い当てているのです。

どの点がそうでしょうか。「自分は救えない」がそれであると思います。ただし、真理はこの言葉と全く一致しているわけではありません。真理は「自分は救わない」です。救い主の仕事は人を救うことだからです!人の重荷を軽くし、人を楽にすることだからです!人の重荷を軽くするとは、その人の代わりに自分が重荷を背負うことです。逆もまた然り。人を苦しめるとは、自分が背負っている重荷をおろして、人に背負わせることです。

2月17日の出来事があり、少し体力の限界を感じましたので、東関東中会の一つの委員会の仕事を降ろさせてもらおうと、委員長に相談しましたところ、「だめだよー」と言われました。「関口さんが辞めたら、私の仕事が増えるから」と。泣きそうな顔で言われたので辞めないことにしました。

単純すぎる説明かもしれません。しかし、わたしたちが味わっている苦しみとは、そのようなものであると思います。誰かある特定の人が大きな重荷を担ってくれているおかげで、楽をすることができる人々もいる。だれかが自分の重荷をすっかりおろしてしまえば、他の人にその重荷が回って来る。

救い主イエス・キリストは、本来ならば全人類が担うべき自分自身の罪の罰を、身代りに引き受けてくださいました。自分が楽をすることを、一切お考えになりませんでした。救い主は、自分を「救え」なかったのではなく、「救わ」なかったのです。人を助けること、人を楽にすることを、心から願われたのです。

このキリストの前で「今すぐ十字架から降りるがよい。そうすれば、信じてやろう」と罵るユダヤ教団の指導者たちの姿は、ぶざまです。彼らの関心は自分を救うこと、つまり、いかに自分の重荷をおろせるか、いかに自分が楽をするかということにしか無かったことが、図らずも暴露されています。人の重荷を背負いましょう、人を楽にしてあげましょう、ということには、これっぽっちも関心がない。要するに、自分のことしか考えていない、自己中心的で、自己愛のきわめて強い人々であったことが分かります。

自分を「救え」ないのではなく、自分を「救わ」ない救い主イエス・キリストの中に、真の神の愛が示されています。自分を犠牲にし、自分の心や体はボロボロにしながらも、世のため、人のために命を投げ出すイエス・キリストのお姿に本当の愛、真実の愛のあり方が示されているのです。

これは、わたしたちもできることでしょうか。イエス・キリストのように、わたしたちも生きることができ、死ぬことができるでしょうか。全く同じことはできない、ということを率直に認めるべきです。わたしたちはやはり、できれば自分が楽になりたいでしょう。だれかが苦しんでいても、見て見ぬふりをするでしょう。あるいは、苦しんでいる人の前でへらへら笑っていることもある。人を口汚く罵り、見くだした態度をとることもある。そしてまた、苦しんでいる人の前で「わたしもたいへんだ。あなただけが苦しいわけではない」と言いたくなることもあるでしょう。

これは、皆さんがそうであると言っているのではなく、私がそうだと言っているのです。自分にしか関心がない、自己愛の強い人間であるという点も、私自身のことを言っているのです。

しかし、それでよいと開き直るべきではありません。常に深く反省し、悔い改めるべきです。わたしたちはキリストと同じように生きることも、死ぬこともできません。しかし、キリストを模範にして生きること、死ぬことが、わたしたちに求められているのです。

(2008年3月16日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年3月14日金曜日

アジア・カルヴァン学会のブログを更新しました

「アジア・カルヴァン学会第五回講演会」の報告(執筆者 野村信代表)を同学会公式ブログに掲載しました。講演者とコメンテーターの写真付きです。



アジア・カルヴァン学会公式ブログ http://society.protestant.jp/



2008年3月12日水曜日

「日本改革教会協議会」と「アジア・カルヴァン学会」

昨日は「日本改革教会協議会」(会場・日本基督教団白金教会、JR目黒駅から徒歩3分)に出席した後、JR山手線に乗り、「アジア・カルヴァン学会講演会」(会場・立教大学、JR池袋駅から徒歩10分)に出席しました。前者のテーマは「礼拝式文について」、後者は「ルターとカルヴァンの聖書解釈について」でした。二つのグループは組織も課題も目的も異なるものですが、どちらも「カルヴァンの伝統」に立っているという点だけは明言できると思います。もともと私は後者でコメンテーターを務める予定だったのですが、前者への出席が要請されたため、コメンテーターの仕事はお断りせざるをえませんでした。しかし、私の代わりに(「代わりに」などと申してよいかどうかは分かりません)急遽コメンテーターをお引き受けくださったのが、なんと加藤武先生(立教大学名誉教授)。私が引き下がったことで出席者への恩恵が倍増して、ほっとしました。加藤武先生のお訳しになった教文館刊『アウグスティヌス著作集』の「キリスト教の教え」は、加藤常昭先生はじめ多くの人々に「名訳」と絶賛されたものです。ちなみにこのアウグスティヌスの「キリスト教の教え」の中にかの有名なfrui(享受)とuti(使用)の区別が出てきます。アウグスティヌスによると、frui(享受)してよいのは「神」のみであり、神以外の「事物」はuti(使用)するのみである。このアウグスティヌスの思想はカルヴァンと改革派教会の神学においても色濃く継承され、たとえばウェストミンスター小教理問答第一問の答えとして有名な「人生の主たる目的は、神の栄光を表わし、永遠に神を喜ぶこと(enjoy God=frui Dei=神を享受すること)である」などに表現されてきました。ところが、この区別をファン・ルーラーは「キリスト教会が犯した最大の過ち」と呼んで激しく批判しました。とくに1950年代から1960年代にかけて公表された論文に同様の発言が繰り返し出てきます。そしてファン・ルーラーは、「人生の目的」(bestimming van de mens)とは、神が創造された世界を喜ぶこと(frui mundo)であり、かつ自分自身を喜ぶこと(frui sui)であると、アウグスティヌスに反対して(!)主張しました。私などは、アウグスティヌス先生を批判することなどあまりにも恐れ多くて想像すらしたことがありませんでしたので、ファン・ルーラーのアウグスティヌス批判に初めて接したときは、卒倒しそうなくらい動揺しました。しかし今では、ファン・ルーラーの論調に慣れてきた面もありますが、「よくぞ言ってくださった」という思いです。



2008年3月9日日曜日

町に信頼される教会をめざして


使徒言行録19・21~40

「そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。『諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界をあがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。』これを聞いた人々はひどく腹を立て、『エフェソ人のアルテミスは偉大な方』と叫びだした。そして、町中が混乱してしまった。」

今日の個所に紹介されていますのは、使徒パウロの第三回伝道旅行の途中、エフェソに滞在していた頃に起こった出来事です。パウロたちがキリスト教信仰を熱心に宣べ伝えた結果、エフェソに大きな暴動が起こったのです。それは町中を大混乱状態に陥れる非常に困った事件でした。そして、その暴動によって町があまりにもひどい状態になったので、町の役人が暴動の鎮圧に乗り出してようやく騒ぎが収まったという話です。

しかし、いま私が申し上げましたのは、事件の途中経過を省略して、最初と最後だけをくっつけただけの説明です。誤解されては困ることがあります。それは、このエフェソの暴動の犯人はパウロではないということです。パウロたちは、本当にただキリスト教信仰を宣べ伝えただけです。しかしその教えの内容を故意に曲げて受けとめる人々、あるいは全く誤解して受けとめる人々が現われたのです。そして過剰反応する人々が現われました。あのような信仰を宣べ伝えられると自分たちの立場が危なくなると考えた人々が現れたのです。そしてその人々がキリスト教信仰と伝道者パウロに対して非常に腹を立てました。その結果として暴動が起こったのです。ですから、パウロたちには暴動そのものに対しては何の責任もありません。暴動は犯罪です。その責任はそれを起こした犯人にあるのです。

暴動の発端は、アルテミス神殿の模型を作っていたデメトリオという銀細工師がパウロの「手で造ったものは神ではない」という言葉に反応したことです。たしかにこのようにパウロは語りました。使徒言行録17・29の言葉です。アテネでの説教です。「わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません」。考えられることは、アテネでパウロが確かに語った言葉が、数年の時を経て、エフェソのデメトリオの耳に届いたのではないかということです。

しかし、パウロが語ったのは、いわばそれだけです。そして、それは確かな事実であり、真実です。手で造ったものが神であるはずがないのです。これはキリスト教を信仰を受け入れている人々だけの真理ではなく、誰にでも受け入れることができる普遍的な真理なのです。パウロは、単純で当たり前の真理を語っただけです。少年は、王さまが裸だったから「裸である」と言っただけです。パウロが語ったのも同じようなことです。手で造ったものは神ではない。別の言い方をするなら、人間が神を造ることはできないということです。

しかし、デメトリオは、このパウロの言葉に対して非常に強く反応しました。キリスト教信仰とやらがこの町に流行しはじめると、「我々の仕事の評判が悪くなってしまう」し、「偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされる」し、「この女神の御威光さえも失われてしまう」と考えました。私は、このデメトリオは、相当頭の切れる人であると感じられます。計算高く、物事の動きや流れを先読みすることができる能力がある、経済学者のような人です。しかしまたこの人はけっこう思い込みの激しいタイプの人でもあったようにも感じられます。パウロが言っていないことまでパウロが言ったかのように言いふらす。パウロは、神殿そのものへの批判や神殿の模型を作ることへの批判までは語っていません。デメトリオはパウロが言っていないことをまるでパウロが言ったかのように解釈し、勝手に怒っているのです。

魔術を行っていた人々がキリスト教信仰を受け入れた結果、不要になった銀貨五万枚の魔術の書物を焼き捨てたという出来事も、彼らに対してパウロが「そんな書物は、捨てなさい。焼きなさい」と勧めたということまでは書かれていません。そのように勧めたかもしれませんが、勧めなかったかもしれません。パウロが勧めたという事実があったとしても、それはそれで何の問題もありませんが、もし勧めていなかったとしたらパウロ一人に責任を押しつけられるのは理不尽です。

しかし、このように言いながらも私は、同時に別のことも考えています。それは何か。わたしたちの語る言葉には表面と裏面がある。そのことは否定できないということです。

わたしたちはただひたすら真の神を宣べ伝えているだけであり、真の宗教を宣べ伝えているだけです。教会の伝道の本来の目的は他の宗教の批判をすることではなく、他の人々が信じている神々を否定することではありません。しかし、今申し上げたことは、いわば言葉の表面です。わたしたちの言葉を聞く人々は、それほど素直に聞いてくれるわけではありません。言葉の裏側を必ず読み取ります。こちらが言っていないことまで勝手に読み取ってくれるのです。

伝道にはそのような要素がどうしても避けられません。わたしたちの言葉を聞く人々の中には「それではお前は我々がこれまで信じてきた神は偽物だと言うのか。我々の宗教は嘘っぱちだと言うのか。我々が代々守ってきた宗教を否定するお前は、我々の宗教施設や行事によって経済的に支えられてきた人々の生活を脅かすつもりなのか」と、そのような反応を起こす人が必ず現われるのです。

微妙な点があります。わたしたちが語る言葉の裏側にあるものをそこまで読み取る人々に対して「それは読み込みすぎである。我々はそこまで言っているわけではない」などと言って済ませることができるでしょうか。あるいは、今日の個所に登場するデメトリオがパウロの言葉の中に見抜いた事柄を、パウロ自身が、あるいは他の人々が「あなたは考えすぎである。我々はそこまでは言っていない」と言って済ませることができるでしょうか。それは無理なことではないか。そのようにも、私は考えるのです。

かくして、暴動は始まりました。実際のパウロはそのようなことを一言も言っていない言葉をまるでパウロが言ったかのように決めつけられることによって。しかしまた、暴動は、パウロがたしかに発した言葉の裏側を鋭く読み取る力がある人によって(避けがたく!)始められたものであるとも思われるのです。

「彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕え、一団となって野外劇場になだれ込んだ。パウロは群衆の中へ入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。」

暴動はとても激しいものだったようです。興味深く感じるのは、「大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった」(32節)と書かれている点です。意味も分からずただ騒いでいただけの人々がたくさんいました。群集心理とは、まさにこのことです。

そういうときに、です。今日の個所を読みながら私が最も感銘を受ける点は、パウロの弟子たちや友人たちの動きです。「パウロは群衆の中へ入っていこうとした」と記されています。ところが、です。彼らは、おそらく体を張って、あるいは言葉を尽くして、パウロの突入を止めました。私はなぜ、このような点に“感銘”を受けるのでしょうか。理由ははっきりしています。そこに暴動が起こっているところのど真ん中に、たった一人で乗り込んでいこうとするパウロの行為は、愚かな人(要するにバカ)のすることだからです。そのようなことは、少しも誉められるべきものではないからです。このような愚かな行為は、誰かが(体を張ってでも!)止めなければならないのです。

何度も申し上げてきましたとおり、パウロという人は非常に強い人でした。正義感にも満ちあふれていました。だから、暴動の最中の群衆の中にでも堂々と入っていこうとしたのでしょう。そして彼が皆の前で始めようとしたことは、おそらく説教です。自分の口で率直な言葉を語れば、なかには理解してくれる人も出てくるかもしれないとでも思ったのでしょうか。あるいは、ひょっとしたら、さらに楽観的に考えた可能性もあります。もしかしたら、このわたしに託された神の力によってこの暴動をやめさせることができるかもしれない、と考えたかもしれません。

このようなやり方は、うんと悪く言えば、傲慢な態度にも通じます。正義感という名の傲慢です。結局のところ、自分の力を過信することです。パウロの弟子たちと友人たちは、パウロの姿にそのようなものを見出したのではないでしょうか。

パウロの無謀な突入を止めた彼らの判断は、非常に正しいものであったと、私には思われます。わたしたちの多くは、パウロを模範と考えます。私もパウロを尊敬しています。しかし、パウロが聖霊に導かれて生きる者であるならば、パウロの弟子たちもその点では同じです。群衆の中に突入しようとしたパウロの判断は聖霊に導かれているものだったかもしれませんが、それを言うならば、パウロの突入を止めた彼の弟子たちの判断も聖霊に導かれているものです。パウロだけがそうだと語ることはできません。

彼らがパウロに何を言ったかは分かりません。「パウロ先生、お願いですからやめてください。あなたが行くと火に油を注ぐようなものです。暴動は収まるどころかますます激化するでしょう。今あなたのなすべきことは、一刻も早く暴動を鎮めることです。そのためにこそ、どうか群衆の中に入っていかないでください。無謀なことはしないでください」。もし私ならば、そのように言ったかもしれません。

事実、この暴動はエフェソの町の役人が登場し、「本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある」という脅し文句付きで諭されることによって初めて鎮静化されるに至りました。政治の力に委ねられる必要があったのです。

今日の個所を読みながら考えさせられたことは、教会と伝道者は賢くなければならないということです。わたしたちが日々携わっている伝道のわざは、今すぐにでも喧嘩に巻き込まれてしまいかねない要素で満ちあふれています。わたしたちが真の神を宣べ伝えるや否や、他の宗教の人々や他の存在を信じている人々が「我々の存在を否定された」というようなことを感じて、怒り出すからです。

しかし、そのときにわたしたちにできることは、必要以上に火に油を注がないことです。けんかしないでください。たとえ売られたけんかであっても、どうか買わないでください。この場面ばかりはパウロを見習わないでください。パウロの弟子や友人たちの側の言い分に耳を傾け、聞き従ってください。今の日本では、暴動までは起こらないかもしれませんが、教会とキリスト者は、今すぐにでも町や家族の中から孤立させられてしまいます。町から孤立した教会に、町への伝道ができるでしょうか。家族の中で孤立したキリスト者に、家族への伝道ができるでしょうか。そこに大きな疑問があるのです。

町に信頼される教会をめざすためには、言いたいことも、したいことも、少々我慢する必要があるのです。わたしたちには「何もしない」という方法もあるのです。すべてを神に委ねること、自分は引き下がることが、すべてを解決してくれるときもあるのです。

(2008年3月9日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年3月7日金曜日

インプットとアウトプット

昨日の日記に、「ファン・ルーラーの著作を読んでいるときがいちばん幸せを感じられる」という趣旨の言葉を、確かに書きました。これは正直な気持ちです。しかし、こういう言葉は誤解を生みやすいものかもしれません。その前後に行ったこと、すなわち、入院している方の訪問、牧師館の大掃除、中会の委員会などには「幸せを感じられない」という意味ではありません。これとあれを見比べて、こちらはつらいがあちらは楽しいと言いたいわけではありません。しかし強いて言うならば、ファン・ルーラーの著作を読むことは私にとって「疲れ果てた体と心を温泉で癒すこと」に似ているかもしれません。ファン・ルーラー自身にもその自覚があったようです。たとえば、月曜日に訳していた論文「教義の進化」(De evolutie van het dogma)の中に「教義それ自体に贅沢や遊びの要素がある」(Het dogma heeft iets aan zich van luxe en spel)という名言が見られるように、です(A. A. van Ruler, Verzameld werk, deel 1, Boekencentrum, 2007, p. 285)。そのとおり!神学、とりわけ教義学には確かに「贅沢や遊びの要素」があります。旅行よりもスポーツよりも楽しい要素があります。そう感じるのは、おそらく私にとって神学の学びは「インプットの側面」だからです。生のエネルギーの充填です。それに対して、教会や中会や大会などの仕事は「アウトプットの側面」です。神学の学びが本当にただの学びだけで終わるとしたら、限りなく空虚そのものです。神学は、《地上の世界》と《地上の教会》と《地上の人間》の諸現実の中で(試行錯誤のうちに)実践されることによって検証されなければなりません。しかし、インプットなしのアウトプットは息切れの原因です。ガソリンを入れないで自動車を走らせようとするようなものです。牧師のガソリンは神学です(「牧師の」だけではないことは分かっていますが、今は私自身のこと(愚痴のようなことですが)を書いている場面なので)。新しく設立されたばかりの東関東中会には、東部中会のような「神学研修所」はありません。活力の源が近くにないことは、牧師が力を失う原因になります。神戸改革派神学校は、距離が遠すぎて手が届きません。松戸小金原教会の牧師館から自動車で一時間弱も走れば「東京キリスト教学園」(東京基督教大学・東京基督神学校・共立基督教研究所。いずれも千葉県印西市)、また二時間強走れば(外環自動車道を利用してのことです)私の出身校「東京神学大学」(東京都三鷹市)に到着します。関東地方に「改革派教義学」と「ファン・ルーラー」をキーワードとする具体的な人間関係を作っていきたいと願っています。そして各地でファン・ルーラーの読書会が開かれることを期待しています。もし私にもお助けできることがあれば、何でも喜んでさせていただきます。これまでの実績としては、2004年9月から3月までの半年間、「東京キリスト教学園」で学生有志のファン・ルーラー研究会を開くことができました(講師は関口 康)。学生さんたちは、とても熱心に、また楽しそうに参加してくださいました。メーリングリストは9年も続けてきましたが、インターネット上のやりとりには、この熱気を感じることが難しいのです。



2008年3月6日木曜日

いろいろやっていました

一週間ほど日記を書けませんでした。パソコンの前には毎日いたのですが、いろいろあって忙しかったことと、特に書き残したい言葉が見つからない日が続いていたことが原因です。先週金曜日は、入院しておられる方を訪問しました。土曜日は、牧師館内外の大掃除を行いました。腰痛を起こすほど夢中で片付けました。おかげで、身辺がかなりすっきりしました。今週火曜日は「東関東中会伝道委員会」がありました。書記である私にとっては、負担や責任が小さくありません。昨日水曜日は、水曜礼拝。その中で、気持ちの上で最も充実感があったのは今週月曜日です。久々にファン・ルーラーの論文の翻訳に没頭することができました。「私は生きている」と実感できる瞬間です。心に喜びがあふれます。奇妙なやり方かもしれませんが、ファン・ルーラーの二つの論文を同時並行的に訳していく方法を採りましたところ、自分でも驚くほどスムーズに訳筆を進めることができました。二つの論文とは、1958年の「理性の評価」(De waardering van de rede)と1959年の「教義の進化」(De evolutie van het dogma)です。どちらも昨年9月に刊行が始まった新しい『ファン・ルーラー著作集』(Verzameld werk)の第一巻に収録されています。この二つは、執筆された時期が近いためでしょう、内容や方向において重なるところが多くありますが、なおかつ、後者には前者からのさらなる発展の要素も見られ、思索の深まりや広がりを感じることができました。二つの論文を同時に翻訳するという芸当は、少なくとも私にとっては、パソコンを持っていなかった頃には全く考えられないことでした。便利な時代になったものです。



2008年3月2日日曜日

信仰の価値


使徒言行録19・1~20

パウロの伝道旅行は、すでに三回目に突入しています。第三回旅行が始まったばかりの頃に起こった出来事が今日の個所に記されています。

「アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、彼らに、『信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか』と言うと、彼らは、『いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません』と言った。パウロが、『それなら、どんな洗礼を受けたのですか』と言うと、『ヨハネの洗礼です』と言った。そこで、パウロは言った。『ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。』人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。この人たちは、皆で十二人ほどであった。」

最初の段落に記されていますのは、先週学んだ個所に初めて登場しました伝道者アポロに関する出来事です。雄弁で熱心な伝道者であったアポロはエフェソの町で伝道しました。ところが、このアポロが宣べ伝えた教えにはパウロが宣べ伝えてきたものとは異なる要素が含まれていたということが、先週の個所に明らかにされていました。

アポロはイエス・キリストについては正確に語っていました。ところが洗礼については「ヨハネの洗礼しか知らなかった」と言われています。ヨハネとは、イエス・キリストが公生涯をお始めになる前に活躍した預言者です。「ヨハネの洗礼」とは、救い主がこれからお出でになることを知っていた預言者ヨハネが、救い主をお迎えするために各人が自分の罪を悔い改め、身と心を清める必要があると教え、そのために多くの人に授けた洗礼です。それでヨハネの洗礼は「悔い改めの洗礼」と呼ばれていました。

これに対して、イエス・キリストの御名による洗礼とはどういうものでしょうか。その特徴がパウロの言葉の中に出てきます。「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」。信仰に入るとは「洗礼を受ける」ということと同義語です。つまり、パウロが行なっていた洗礼は、それを受けると聖霊を受けるものであるということです。

「聖霊を受ける」とは、どういうことでしょうか。面倒な説明は省略して結論だけを申します。「聖霊」とは、わたしたちの信仰理解では三位一体の神御自身です。ですから、「聖霊を受ける」とは「(聖霊なる)神(!)を受け取る」ということです。「神を受け取る」という表現自体は、奇妙に聞こえるものかもしれません。しかし洗礼と同時に起こる出来事は、まさにそのようにしか表現できないものです。聖霊なる神がわたしの中に入ってこられるのです!わたしの中に神が住んでくださるのです!そのような実に驚くべき出来事が、洗礼を受けて信仰生活を始めるときに起こるのです。

しかし、アポロから洗礼を受けた人々は、そういうことを全く知りませんでした。聖霊の存在そのものを「聞いたこともない」とさえ言っていました。それでおそらくパウロはびっくりしたでしょうし、危機感を覚えたでしょう。なぜなら、アポロから洗礼を受けたエフェソの人々が信じていることは聖霊の働きを抜きにしたものであり、それはパウロが宣べ伝えてきた信仰とは異なるものであるということに気づいたからです。

聖霊の働きを抜きにした信仰とはどういうものでしょうか。使徒言行録に具体的な描写はありません。しかし想像することは可能です。聖霊は神御自身です。そうであるならば、「聖霊を受けた」と信じている人々はわたしの存在の中に神御自身が住んでおられることを信じているのです。そして聖霊は、神として御自身の御言葉をお語りになります。その際、聖霊は、わたしの心の中で、わたし自身の言葉とは別の言葉を、特にしばしばわたし自身の言葉に逆らった仕方でお語りになるのです。

変なことを申し上げているように聞こえているかもしれません。しかし、これはわたしたち自身も体験したことがあることです。たとえば、今朝、皆さんの中に「今日は教会に行くのがつらいなあ」とお感じになった方がおられませんでしょうか。それはおそらく、皆さん自身の言葉です。人間の言葉です。しかし、そのすぐあとに、「いや、でも、今日はやっぱり教会に行こう」と思い直された方はおられませんでしょうか。それも皆さん自身の言葉かもしれません。しかし、ひょっとするとそれこそが聖霊なる神御自身が皆さんに語りかけてくださった言葉かもしれないのです。

あるいは先週、皆さんの中に罪の誘惑を受けた人がおられませんでしょうか。悪いことをしていると分かっている。でもこれは仕方がないことだ、みんなやっていることだし、これくらいは大丈夫だと、自分で自分に言い聞かせている。これはおそらく皆さん自身の言葉です。しかし、すぐあとに「いや、でもやっぱりやめよう。罪を犯してはならない」という言葉が聞こえてきたという方はおられませんでしょうか。それは、ひょっとすると、聖霊なる神御自身の言葉かもしれません。そのようにあなたの心の中であなた自身に語りかけてくる別の言葉があるとお感じになった方はおられませんでしょうか。それを感じたことがある方は、おそらくすでに「聖霊を受けている」のです。

そして「聖霊を受けた人」は「預言」や「異言」を語り始めました。この文脈で「預言」と「異言」は同じ意味です。神の言葉としての「説教」のことです。わたしの内なる神の言葉、すなわち聖霊の声を聞いたことがある人だけが「説教」を語ることができるようになるのです。

ところが、アポロの授けた洗礼には聖霊なる神への信仰という要素がありませんでした。すると、どうなるか。罪への誘惑にあったときに、「いや、でもやっぱりやめよう」という言葉が心に響くことがあっても、それはあくまでも自分自身の言葉であり、わたしの意志や努力の結果であり、自分でなした悔い改めの結果であると考えざるをえないでしょう。そうしますと、罪の誘惑に負けることなく、踏みとどまることができた場合にも「それは私ががんばったからである」と、自分で自分を誉めることになるでしょう。アポロの宣べ伝えた信仰の本質は、結局のところ、自分を誇るものになるでしょう。

しかし、パウロが宣べ伝えた信仰は、そのようなものではありませんでした。パウロの場合は、罪を行わないように踏みとどまることができたのは、わたしががんばったからではなく、神が踏みとどまらせてくださったからであるということになるのです。そこには神への感謝があります。そして、その感謝のもとで自分の弱さと罪深さを自覚させられ、どこまでも謙遜にさせられます。まさにそれがパウロの宣べ伝えた信仰です。キリスト教信仰の目標は、自分を誇ることではなく、神に一切の栄光をお帰しすることであり、神に感謝することだからです。アポロの宣べ伝えた信仰は、パウロの伝道によって修正され、書き換えられる必要があったのです。

「パウロは会堂に入って、三か月間、神の国のことについて大胆に論じ、人々を説得しようとした。しかしある者たちが、かたくなで信じようとはせず、会衆の前でこの道を非難したので、パウロは彼らから離れ、弟子たちをも退かせ、ティラノという人の講堂で毎日論じていた。このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。」

パウロはエフェソの会堂で三か月間御言葉を宣べ伝えました。ところが、会堂に集まる人々の中に、パウロの言葉を受け入れず、またあからさまに攻撃してきた人々がいました。しかしそこでパウロは、これまでのように腹を立てたり、けんか腰で怒鳴りつけたりしたかと言いますと、そういうことは書かれていません。むしろ、どちらかというと御言葉を受け入れない人々の前からは静かに身を引き、いわばその代わりに、御言葉を受け入れる人々のところに行って伝道を続けるというやり方がとられたかのように描かれています。パウロの側にこれまでの強引なやり方に対する反省があったとまで言ってよいかどうかは微妙です。しかし、幾分か、パウロの穏やかな様子が伝わってくるような気がします。

わたしたちも考えておくほうがよさそうなことは、同じ伝道をするなら聞く耳を持っている人々に対して積極的に行うほうが楽しいし、有意義であるということは否定できないということです。反対する人々は、何が何でも反対します。それが真理であるかどうかは全く関係ないと思っている人々がいます。最初から聞く耳を持つ気がない。そういう人々の耳をこじ開けて受け入れさせることは至難の業ですし、神経をすり減らすばかりです。パウロは少し自分の健康を気にするようになったのかもしれません。聞く耳を持っている人々に御言葉を語る。その場合には、どれだけ語っても疲れることはありません。

「神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった。ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たちの中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、『パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる』と言う者があった。ユダヤ人の祭司長スケワという者の七人の息子たちがこんなことをしていた。悪霊は彼らに言い返した。『イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。』そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した。このことがエフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになった。信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した。また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨五万枚にもなった。このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。」

今日の最後の段落に記されていることの要点を短く述べておきます。これもエフェソでの出来事です。パウロの伝道によってキリスト教信仰を受け入れた人々の中に、それ以前は魔術を行っていた人々がいました。しかし、信仰を受け入れた日からその魔術の書物が不要になりました。その書物の値段は、なんと銀貨五万枚(現在の五億円に相当か)ほどであったというのです。です。それを捨てる決心が、彼らの心に芽生えたのだということです。逆にいえば、キリスト教信仰には、五億円を捨てても惜しくないほどの価値があるのだということです。

信仰はお金で買うことはできませんし、信仰によって受け取る聖霊もお金で買うことができないものです。信仰による救いをお金で獲得できるわけではありませんし、聖霊なる神をお金で雇うことができるわけでもありません。信仰も聖霊も無料(ただ)で受け取るものです。しかし、お金で買うことができないもの(プライスレス)は、「だから無価値である」というわけではないのです。信仰には、計り知れないほどの価値があります。魔術のようなものに惑わされないための知恵と判断力を与えられます。霊感商法のような宗教的詐欺行為、あるいは占いやおみくじのようなものにも惑わされません。罪の誘惑に易々と乗りません。

キリスト教信仰は、本当に大切なものは何であるかを知っています。神と隣人を愛することが大切です。そのためにわたしたちは生きているのです。神と隣人のために自分の命をささげることこそが最も大きな愛であるということを、わたしたちは知っているのです。この価値ある信仰に生きているわたしたちは、幸せです。

(2008年3月2日、松戸小金原教会主日礼拝)