2013年3月30日土曜日

「第5回 カール・バルト研究会」を行いました



2013年3月29日(金)午後9時から11時まで、「第5回カール・バルト研究会」を行いました。参加者は4名でした。以下、五十音順、敬称略。

小宮山裕一(茨城県)
関口 康(千葉県)
中井大介(大阪府)
藤崎裕之(北海道)

テキストは『教義学要綱』の「3.信仰とは認識を意味する」でした。毎度のことながら、活発で充実した議論を行うことができました。いやーほんとに面白いですね。

次回(第6回)は2013年4月12日(金)午後5時から7時まで。テキストは「4.信仰とは告白を意味する」(Glauben heisst Bekennen)です。

2013年3月29日金曜日

なぜ翻訳が思うように進まないのか(イタイ釈明文)


昨日は「日本語版『ファン・ルーラー著作集』草稿集」という新しいウェブサイトを公開しました。

翻訳作業が遅々として進まないのは、ぼくなりの理由があるんです。

ほんとは恥ずかしいのですが、新しいウェブサイトに「訳者略歴」というページを設けました。

訳者略歴
http://aavanruler.blogspot.jp/p/blog-page_406.html

その中の「論文」や「翻訳」のリストをご覧いただくと、2007年以降、なんとぼくは毎年2本ずつくらいのペースで紀要論文や雑誌論文を書いていたらしいことが、お分かりいただけます。

とにかく勉強が苦手で、何ごとにもルーズで(今でも基本はルーズで周囲に迷惑をかけています)、不真面目な不良学生だった関口康がこんなことになるとは、誰が予想していたでしょうか。

毎週日曜日の礼拝説教も、40字×40行にフォーマットした3枚のA4サイズのタブラ・ラーサの上に毎回ちゃんと書きおろしています。

あとは、えっとですね、メールでしょ、ブログでしょ。それから、ここ2年くらいはFacebook。

あ、もちろん、パソコンの前だけにいるわけじゃないですよ。いろいろやってます。

サボってるつもりはないけど、日本語版『ファン・ルーラー著作集』が進まない。

あっ、そういえば、もうすぐオランダから帰ってくる、今年40歳になられるはずの、超イケメンの神学者がおられるなあ...。

あの先生に丸投げしようかな(笑)。

「あとよろしく~」とかね(笑)。

そのためにオランダに行ってくださったのだからね(笑)。

ほんと、お願いしますね。

* * * * *

ぼくらの小学生の頃、というと1970年代ですけど、給食の時間に教えてもらった「三角食べ」を、ぼくはいまだに守っている人間です。

給食の場合は「パン」と「牛乳」と「おかず」。

和食でいえば「ごはん」と「味噌汁」と「おかず」。

その三つを“順序よく食べること”が「三角食べ」だと教わりました。

それです、ぼくの状況に強引に当てはめていえば。

(1)「教会の牧師の仕事(なかでも説教と牧会と教会会議)」と、

(2)「論文を書いたり講演したりする仕事」と、

(3)「ファン・ルーラーの翻訳」。

この三つを「三角食べ」のように“バランスよく味わうこと”が、ぼくには必要不可欠だし、そうせざるをえないです。

どれか一つに絞れば、その部分は飛躍的に前進できるのかもしれませんが、ぼくらしくないですね。違和感ありすぎます。

ぼくはたぶん、商売ということに縁がないのでしょうね。「旬(しゅん)」とか「タイミング」とか「ヒット」とか、そういう世界から完全に隔絶されたところにいるような気がします。

ごめんなさい。

* * * * *

と、ここまで書いたことを読み直してみて、誤解されてしまうかもしれないと思うところありますので、ちと修正。

(3)ファン・ルーラーの「翻訳」は、ほんとうのところを言わせてもらえば、ぼくの仕事と思っているわけではないのです。「翻訳」したいのではなく、ファン・ルーラーの本を読みたいだけです。翻訳そのものは、ぼくはあんまりしたくありません。オランダ語、苦手ですから(笑)。

また、ぼくはまるで「ファン・ルーラー主義者」か「ファン・ルーラーマニア」であるかのように見えているかもしれませんが、実際のぼくを知っている人は、そんなふうでもないことを知っておられます。

ぼく自身は、ただひたすら、「ファン・ルーラーのバルト主義批判」の一連の議論の有効性を評価しているだけで、アメリカ改革派教会の神学者アラン・ジャンセン先生の「カール・バルトの影響が残っているかぎり、ファン・ルーラーが読まれる必要がある」という発言に同意し、同主旨のことを訴えているだけです。

逆に言えば、カール・バルトの神学の影響が消失する日が来たら、わざわざファン・ルーラーの神学を持ち出す必要はないかもしれない、とさえ思っています。

2013年3月28日木曜日

「日本語版『ファン・ルーラー著作集』草稿集」開設のお知らせ

各位

新しいブログを開設しましたので、謹んでお知らせいたします。

タイトルは「日本語版『ファン・ルーラー著作集』草稿集」としました。

日本語版『ファン・ルーラー著作集』草稿集
http://aavanruler.blogspot.jp/

あーだこーだ、釈明文を「はじめに」に書きましたので、お読みいただけますとうれしいです。

最後に言わせてください。

「ぼくのことは嫌いでも、ファン・ルーラーのことは嫌いにならないでください。」

皆さんに少しでも認めていただけるように、これからも私なりに頑張っていきたいと思います。

よろしくお願いします。

「ファン・ルーラー著作集草稿」序文

「ファン・ルーラー著作集草稿」のウェブサイトへようこそ。

このサイトで公開するのは、20世紀オランダのプロテスタント神学者アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])の論文や説教を関口康が個人的に翻訳したものです。

以前にも別のURLで似たようなウェブサイトを公開していましたが、新しいアドレスに引っ越し、訳文を増やしました。

自分自身の翻訳だけに限定するのは、自分の文章ならばいくらでも修正可能であると思うからで、排他的に自分以外の人の仕事を認めないというような意図は皆無です。どうかご理解ください。

そして、「草稿」と呼ぶのは、現時点では何一つ確定していないということです。何のこだわりもありません。ファン・ルーラーのオランダ語テキストに基づく根拠ある修正提案ならば、どんな小さな点でも喜んで応じます。日本語版『ファン・ルーラー著作集』が印刷・製本される前にご指摘いただけるのは、有難いことです。

しかし、長いお付き合いをしていただいている方がこのサイトをご覧になると、新しい訳文がほとんど含まれていないことに、がっかりされると思います。申し訳ございません。

「正確さ」と「読みやすさ」という、実は根本的に相矛盾する翻訳上の難問を解決するための努力を続けてきたつもりです。

しかし、道なお遠し、と感じています。時間も、能力も、経済的裏打ちも、致命的に不足しています。

アメリカのファン・ルーラー研究者アラン・ジャンセン博士が「ファン・ルーラーを読むためにオランダ語を学ぶ価値がある」と書いています。私も同意見です。

学生たちよ、果敢に挑戦せよ!

2013年3月28日

関口 康

yasushi.sekiguchi@gmail.com

2013年3月27日水曜日

老人からは「若い」と罵られ、子どもからは「ジジイ」と罵られ

「書籍の“自炊”で新たなルール検討へ」(NHKニュースウェブ、2013年3月27日7:40)

書籍をスキャナーなどで読み取り、自分で電子書籍にして楽しむいわゆる「自炊」と呼ばれる作業を、著作者の許可を得ずに有料で代行する業者が問題になっていることから、作家や漫画家らの団体は、代行業者から著作権使用料を徴収するなどの、新しいルール作りに乗り出すことを決めました。

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たかをくくってました。

今の勢いを考えると、数十年後、紙の本はほんとに消えるのかもしれませんね。

で、電気代を支払えなくなって(高すぎて)電子書籍も読めなくなるというオチ。

そういう小説でも書こうかな(笑)。

あ、でも、最近、老眼すぎて、紙の本が読めなくなってきました。

ルーペを常備しています。

Facebookも、ブラウザを125%に拡大しなくてはつらい状態です。

あらゆる意味で過渡期なんでしょうね、ぼくら世代は。中継ぎ。

老人からは「若い」と罵られ、子どもからは「ジジイ」と罵られ。

自炊なら、ちゃんとしてますよ。今日も買い物行かなくちゃ(笑)。

あ、そうそう。

こないだ、息子の友人(4月から高3)と牧師室で話している最中のこと。

妻からぼくの携帯に「買い物に行って来てください」とメールが来た。

ぼくが「やれやれ、鉄人28号みたいだ」とつぶやいたら、その彼が笑いました。

彼がなんで笑ったのかは、すぐに分かりました。

彼曰く、「鉄人28号というのは、一般教養として知っています」。

相当じいさんだと思われてしまいました。

そりゃそうだよね(笑)。

2013年3月25日月曜日

一つの見解が時代遅れになりうるか(1956年)

私が気になるのは、討論する人々がしばしば、ある特定の見解に対抗するための論拠として「それはすでに拒否された時代遅れの見解である」と言い出すことである。「それは19世紀的である」だの「それは中世的である」だのとレッテルを貼る。その人たちはその口ぶりで、その特定の表現方法、その特定の思想、そしてその特定の問題提起さえも、それはすでに片付いたものだと言っている。

こういうやり方は、実際にはデマの理由づけに利用されるだけではない。大衆的な集会の中では当然そういった論拠が際立つことがある。自分自身が大きな全体の部分であることに、だれもがひどく怯えている。自分がこの時代の高みにいる全体でないことに怯えている。だから、大衆集会のような場所では、ある特定の見解を名指しして「それは時代遅れである」と言うだけで、ある程度は事が足りてしまう。

しかし、冷静で真剣な討論や対話においてさえ、学識豊かな人々でさえ、こういうことを抜け抜けと論拠として持ち出してくる。そしてその人々は、特別な意識などは持たずになんとなくぼんやり生きているような人々に、我々は今まさに新しい真理を発見し、それを今まさに語っているのだという印象を与えようとする。

そのようにただ装っているだけの人々もいるので、そういう態度はまだ我慢できるものがある。集団心理というあの奇妙な現象にも当てはまるものがある。しかし、昔の人はそういうのが良いと思っていたようなこと(良いと思わない人はこんなことをしない)を、今の我々は全くばかげていると思っている。そういう話し方を聞かされると、どんな人でもまるで1920年代か30年代の写真を見せられているような気分になるだろう。

どうしてそうなるのかを考えているときの私は、面白がっているわけではない。そういうことを考えるのは社会学者や心理学者の仕事である。私が言っているのは、それは事実であるということだけである。絶えず自分を変化させていく現象もある。服装や家具や本のカバーのように。

そういう分野のことであれば、もう純粋に「それは時代遅れである」というただひたすらそれだけの理由で非難されることは、よくあることだし、我慢もできる。よく考えてみれば、人間が時代の流れの中で多種多様な反応をしてきたのは奇妙なことではある。しかし、そういう人間の反応は遊びの一種としてとらえることができる。そこに文化の本質が表れているとも言えるだろう。

しかし、そういうことと同じような反応の仕方で真理をあつかう問題を引き受けることができるだろうか。何世紀もの間、考えられ、語られてきたことのすべては、生身の人間によって生き生きと感じ尽くされてきたことなのだ!人類はこの世界を味わい抜いてきた。我々が体験しているこの私自身とこの世界は、現在は全く違ってきている。しかし、我々生身の人間は、昔の人間とは全く違うものになったのだろうか。事実と真理についての生々しい側面は話題にすることができなくなったのだろうか。それもそうだが、そもそも我々は「時代遅れになった様々な見解」に真剣に耳を傾けるべきではないだろうか。真理認識とは常に社会的な取り組みである。私がいま述べたことには二つの意味がある。現在生きている他の人々と共に、すなわち「横」の関係において、我々は真理を認識することができる。しかしそれだけではない。すべての先祖たちと共に、すなわち「縦」の関係において、我々は真理を認識することができる。

ここで気をつけるべきことがある。一つの問題提起や解決策に対して「それは時代遅れである」というレッテルを貼る人は、たいていの場合、いくつもある面倒な問題から逃げているだけなのだ。彼らの考え方は現代人の考え方と必ずしも一致しているわけではない。人々はそのことにも気づいている。しかし、彼らがしゃべりはじめると、自分たちのことを配慮してもらったと感じる人々が出てくる。彼らは、いとも簡単に「これは時代遅れである」というばかげた主張によってテーブルを片付ける。これほど安易なやり方が他にあるだろうか。彼らは、自分の時代の高みに喜んで立ちたがる、悲しいまでの人間の情熱に乗じているだけである。虚偽ではなく真理に立って生きることに無関心な、この時代の。

もちろん、我々の認識の多種多様な諸分野相互の違いはたしかにある。私に言いうるのは、厳密な学問はより高い蓋然性を有する過去の主張を土台にしているので、「それは時代遅れである」などと決めつけるのは間違っているということである。我々は、具体的な論拠を示すために過去の時代の思想を重んじるのである。

しかし、我々の人文科学が進歩すればするほど、人間の存在、社会、歴史、倫理、宗教についての問いへの取り組みが盛んになればなるほど、「それは時代遅れだから、もはや考える必要はない」などという言葉を口にすることはできなくなるだろう。

我々は過去に対して寛容でなければならない。そして我々の先祖と共に、我々の前に持ち上がるありとあらゆる問題提起とそれらについての可能な解決策は何なのかという問題に真剣に取り組まなくてはならない。実際それは事態の推移の中で明白な事実でもあった。これは一つのたとえであるが、1930年代の人々が苦悩した「そもそも存在とは何なのか」という問いは、中世においては絶望的に古くなり、それをカントが全く論破してしまった哲学の問題であった。認識論と心理学は真理に近づくための唯一許容された方法だった。「存在問題」は、今では哲学の空気にすぎない。

もう一つのたとえであるが、国家の問題がある。たぶんかつては重要だった問題である。それは「国家の土台は神にある」と相変わらず主張する、完全に時代遅れの思想である。この思想が語ろうとしていることは何であるかを真面目な現代人は知らない。人間はなぜ存在するのかという問いに関して昔の時代のすべての異教徒とすべてのキリスト者が明瞭に語ったことは、神と国家は親密にからみ合った関係にあるということだった。そのことに目が開かれないだろうか。まあ、これも時代遅れの見解なのだが。

Elseviers Weekblad, 22 december 1956, p. 14.
A. A. van Ruler, Blij Zijn als Kinderen, een boek voor volwassenen, J. H. Kok B. V. Kampen, 1972, p. 13-15.
A. A. van Ruler, Van schepping tot Koningrijk, Nederlands Dagblad, 2008, p. 25-27.
A. A. van Ruler Verzameld Werk Deel 1, Uitgeverij Boekencentrum, Zoetermeer, 2007, p. 73-74.

神の国と歴史(1947年)

(ユトレヒト大学神学部教授就任記念講演、1947年11月3日)

どの学問分野にも当てはまることだろうが、現代思想の分裂に直面して、自分自身が取り組んでいる学問的な専門分野と学問全体や文化との関係を明らかにする必要を感じているのは、他のどこにも増して神学部である。神学の仕事とは、神の前で、世の中で、人間であるとは何を意味するのかを問うことである。この問題は神学の問題だけではなく哲学の問題でもある。しかし、神学には神学なりの固有の問い方がある。我々神学者は、我々らしい方法を用いて、現代社会を揺さぶっている学問の危機という問題にかかわるのである。

自分自身の専門分野と学問全体や文化との関係を考え抜くことの必要性は、私自身がこれから担当することになる聖書神学とオランダ教会史と宣教学という三つの講義の準備をしてきた中で、強く自覚させられたことである。今は、神学とはそもそも学問なのかと問われている時代である。そしてまた、学問と文化の関係が危機的状況に陥っている時代でもある。そのような時代の中で神学者が取り組むべきことは、神学と学問と文化を結び合わせ、まとめあげることである。

私が苦心したのは、聖書神学とオランダ教会史と宣教学という三つの講義をどうすれば調和させることができるだろうかという問題であった。具体的に言えば、信仰の父アブラハムと、ユトレヒト大学神学部の歴史的創設者であるヒスベルトゥス・フーティウスと、オランダ改革派教会の宣教地であるパプア・ニューギニアの人々を全く同じ一つの視野の中で同時に見つめるためにはどうしたらよいのかという問いであった。それはまた、夢追い人と揶揄されたフードマーカーの言葉を持ち出していえば、「使徒の福音」と「国家神学」と「全世界のキリスト教化」との関係は何かという問いでもあった。

このような我々の問題意識に対し、その必要を満たし、今後の方向を示し、さらにしっかりと全体をまとめていくための出発点として、「神の国」と「歴史」との関係を問うこと以上に良いことはありえないと、私は思い至った。「神の国」と「歴史」の関係を問うとき、我々の意識の中では、聖書と教会と宣教が、それぞれにふさわしい位置づけと役割をもっている。また、神学者が歴史の問題に真剣に取り組むならば、そのとき初めて、神学と他の学問との関係を明らかにすることができるのである。

(続く)

【出典】
A. A. van Ruler, Verwachting en voltooiing.
A. A. van Ruler, Verzameld Werk.


2013年3月24日日曜日

聖書に専念せよ


テモテへの手紙一4・11~16

「これらのことを命じ、教えなさい。あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたものです。これらのことに努めなさい。そこから離れてはなりません。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。」

いまお読みしました個所、なかでも11節の御言葉は、私にとっては非常に思い出深い御言葉です。しかし、その思い出には証拠が残っていません。まさに記憶の中だけのことになってしまいました。そして、その記憶も、もしかしたら正確でないかもしれません。

実を言いますと、この御言葉は、私がおそらく生まれて初めて(?)自分のものとして手に入れた(このあたりの事実関係が怪しいのですが)旧約と新約の両方がある聖書の最初の空白のページに、当時私が通っていた教会の牧師が筆で書いた文字として記されていたものでした。

それはたしか私が中学か高校の頃から持っていた聖書です。たぶん親が買ってくれたのだと思います。なぜその聖書を中学か高校の頃に買ったと分かるのかといえば、私は高校を卒業してすぐに東京神学大学に入学しましたが、入学当初にはかなりボロボロだったので、同じ年に入学した一人の人から「おお、しっかり勉強してきたな」と冷やかされました。そんなふうに言われたことを覚えていますので、その聖書を買ったのが中学か高校の頃だったらしいことは分かります。

しかし、その聖書はもう私の手元にありません。ボロボロになったので捨てました。いつ捨てたかは覚えていませんが、捨てた記憶がはっきり残っています。捨ててしまってもう手元にありませんので、その聖書にこの御言葉が記されていたということの証拠がありません。しかし、その記憶だけは鮮明に残っています。当時の口語訳聖書からの引用でした。「あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい」。そのように書かれた牧師の字が、私の聖書の最初のページに書いてあったのです。

なぜ私がそのことを覚えているのかといえば、とにかく自分の聖書を開くたびに、その御言葉が目に入っていたからであることはもちろんです。しかし、もう一つ、この御言葉を見るたびに、なんとも表現しがたい悔しい思いを味わっていたからです。だからよく覚えています。もっといえば、この御言葉を見るたびに、苛立つ気持ちがあったのです。

その理由の一つは、私が洗礼を受けた年齢が早かったことにあります。私は小学校に入る前のクリスマス、6歳の誕生日を迎えたばかりの頃に、幼児洗礼ではない成人洗礼を受けました。そういう洗礼を認めてくれる教会だったので、そういうことになりましたが、改革派教会の洗礼の考え方とは違うところがありますので、皆さんに同じことを勧める意図はありません。

しかし、私は洗礼を自分で志願して受けたことだけは間違いありません。志願した日の記憶がはっきり残っています。自分で洗礼を受けたいと言いました。だから責任は自分にあるのです。

しかしその後、中学生か高校生になった頃の私に立ち向かってきたのが、この御言葉でした。「年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、信者の模範になりなさい」。

そんなこと言われてもどうすればよいのか分からないというのが、正直な思いでした。私が幼いころに通っていた教会は、わりと規模の大きな教会でしたので、いろんな人がいました。年齢層は、上は80歳か90歳くらいの方々から、下は0歳児まで。その中で「信者の模範になりなさい」と言われても困る。心底、途方に暮れる思いになりました。真剣に悩んだ言葉なのですから、忘れることなどできるものですか。

この御言葉を書いてくれた牧師は、私がそこまで思い詰めるとは思っていなかったのではないかと思います。しかし、それはその牧師自身の言葉ではなくて聖書の御言葉なのですから、牧師の手からは離れています。だからその牧師には責任はありません。

しかし、今日のこの夕拝説教の聖書個所を決めるために、この個所を改めて読み直してみて、はっと気づかされるものがありました。しかし、それは別に、びっくりするようなことではありません。考えてみれば当たり前のことです。

それは単純な話です。この御言葉はやはり、使徒パウロが若き同労者テモテに書き送ったものであるということです。そして、テモテの仕事は伝道であり、教会の牧師としての仕事であるということです。「年が若いということで軽んじられてはならない」のは伝道者のことであり、教会の牧師のことです。「言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で信者の模範になること」が求められているのは教会の牧師です。誰にでも当てはめることができる話ではないのです。

そして、今回特に気づかされたことは、この二つのこと(若さゆえに軽んじられてはならないこと、信者の模範になるべきこと)は、すぐ後に記されている「わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい」という御言葉から切り離すことはできない、ということです。

たとえて言うなら、テモテは神学校を卒業したばかりの伝道者であり、教会の牧師の仕事を始めたばかりです。その彼は、当然のことながら信者の模範になることが求められてはいました。しかし、どんな仕事でも、それを始めたばかりの人にできることとできないことがあるわけです。テモテには、まだできないことがあったのです。

できることとできないこととがある中で、パウロがテモテに求めたのは「わたしが行くときまで聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい」ということでした。経験不足のテモテにできないことを「しなさい」とパウロは言いませんでした。今のあなたにできることをしなさいと言っているのです。それは聖書に専念することです。御言葉の説教に集中することです。

それは若い今のあなたにもできることです。御言葉の教師として召された者である以上、そのことができないようでは困ります。しかし、教会の中には説教以外にもいろいろな課題があります。説教以外の部分の中には、経験豊富な牧師でなくてはできないことがあるかもしれません。もしそれをまだできないのならば、無理をしなくてもいいし、背伸びしなくてもいいです。その部分は、わたしが行ったときにフォローし、カバーするので、大丈夫だから、安心しなさいと言っているのです。

これで分かるのは、パウロが書いていることは無理難題ではなく、むしろ現実的なことであるということです。ついでに言えば、経験不足の若い牧師を軽んじる傾向がある教会に対する苦言も含まれています。パウロが最も恐れているのは、牧師の失敗や過ちによって教会が壊れてしまうことです。そうならないように、経験不足の若いテモテをかばい、支え、励ますことがパウロの意図です。

(2013年3月24日、松戸小金原教会主日夕拝)

2013年3月23日土曜日

牧田吉和先生の『ドルトレヒト信仰規準研究』の書評が『季刊 教会』最新号に掲載されました

全国のキリスト教書店で販売されている雑誌『季刊 教会』最新号(第90号、2013年春季号)に、牧田吉和先生がお書きになった『ドルトレヒト信仰規準研究』(一麦出版社、2012年)についてぼくが書いた書評が掲載されました(75~76ページ)。

「書評」のような小さな書き物は、書きっぱなしで眠らせておくよりも、ブログなどに貼りつけて晒すほうが、いろんな人に読んでもらえると思いますので、以下、公開いたします。

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<本のオアシス>

『ドルトレヒト信仰規準研究』牧田吉和著 一麦出版社 2012年

関口 康

牧田吉和先生の『ドルトレヒト信仰規準研究』は、日本国内のすべてのキリスト教会において熟読されるべき一書であると確言できる。本書は「読者の理解しやすさを念頭に置き」(二十四頁)、ドルトレヒト信仰規準の側に立つ人々(本書の表現を借りれば「コントラ・レモンストラント」)を「カルヴィニスト」と呼び、この信仰基準によって排斥された側の人々(「レモンストラント」)を「アルミニウス主義者」と呼んでいる。私も牧田先生に倣って、なるべく分かりやすく書くことにしよう。

本書は自称ないし他称の「カルヴィニスト」だけに読まれるべきではない。「アルミニウス主義者」であることを自覚している人々や何らかの影響を受けている人々に読んでもらいたい。アルミニウス主義に関して部外者の私は正確なことを知らないが、たとえばメソジスト、ホーリネス、ナザレン、アライアンス、フリーメソジスト、ペンテコステなどの方々は、アルミニウス主義と何らかの関係があるのだろうか。もし今でも関係が続いているようなら本書を読んでほしい。そして、本書が描いている「カルヴィニズム」と、歴史的な過去に「アルミニウス主義者」が描いてきた「カルヴィニズム」とが、どこまで合致し、どこからは合致していないかを検証していただきたい。

今の文章を書いているうちに、どんどん話が難しくなってしまっている。私が言いたいことは、昔の教会の人々が「カルヴィニストとはこういう立場であり、アルミニウス主義者とはこういう立場である。アルミニアンはアルメニアンではありませんので間違えないでください」と説明していたことを覚えておられる方々は、その記憶の内容と、この本に書かれていることとを比較してみてください、ということである。予想を言わせていただけば、合致している部分よりも合致していない部分のほうが少なくないことに多くの読者がお気づきになるはずである。もし気づかないとしたら、残念ながら本書を読みきれていない。二か所だけ指摘しておこう。

「いずれにしても、『レモンストラント五条項』の一つひとつの条項に、『ドルトレヒト信仰規準』の側でも一つひとつ独立して対応し、それがそのまま『カルヴィニズムの五特質』となっているように考えられやすいのであるが、それは誤解である。あえて言えば、『ドルトレヒト信仰規準』の場合には、形式的には四条項の構成になっているのであるが、実質的内容を整理すると『カルヴィニズムの五特質』として類型化することができるということにすぎない」(一四六頁)。

「『ドルトレヒト信仰規準』は予定論を扱い、カルヴィニズムは確かに予定論の教えをも含むものであるが、予定論がカルヴィニズムの全体を表現するものではない。したがって、『ドルトレヒト信仰規準』をもって『カルヴィニズムの五特質』と表現することは、カルヴィニズムを偏向して理解させることになり、カルヴィニズムの矮小化に導くことになる」(一三九頁)。

このような「誤解」に基づく解説を聞いてこられた方々は多いのではないだろうか。本書の立場は一教師の個人的見解にすぎないなどと片付けないでもらいたい。牧田先生は現在は高知県の教会の牧師であるが、日本キリスト改革派教会第三十二回定期大会(一九七七年)から六十一回定期大会(二〇〇六年)までの二十九年間、大会憲法委員会第一分科会に属され、五十二回定期大会(一九九七年)から六十一回(二〇〇六年)までの十九年間、委員長であった。また一九八一年から二〇〇七年までの二十六年間、神戸改革派神学校で組織神学を教えられ、一九八七年から二〇〇七年までの二十年間、(大会における投票によって選任された)神学校長であった。本書の発行所は「神戸改革派神学校カルヴァンとカルヴィニズム研究所」である。一教派の「公式見解」とまでは言えないが、一教派の行方を決するきわめて重大な見解であるとは言える。

ともかく、長年の「誤解」の修正が本書の主旨であることは間違いない。加えて、カール・バルトによるこの信仰規準に対する批判への「応答」も意図されている。私は本書の登場によって日本国内の全キリスト教会における予定論の議論が活性化されることを期待している。堅牢で信頼に足る研究書をまとめられた牧田先生に感謝したい。

(日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)

律法の成就 啓示と現実の関係についての教義学的研究(1947年)



第八章  律法の成就

最終章にたどり着いた。本章の課題は、律法の成就に関する新約聖書の証言内容を要約すること、そして、本書の目標である啓示と現実の関係についての教義学的研究の全貌を暫定的に提示することである。

本書第一部で主張したことは、我々の問題を解決するために教義学という方法を用いることは十分に正当なことなので、その正当性を取り返さなければならないということであった。第六章や第七章も同様であったように、教義学者が聖書釈義や聖書神学の専門家たちと対話すると、黙って聴き従うことに困難を覚える。対話のもう一方の側の聖書学者はどうだろうか。彼は時々、自分の同僚である教義学者の書物から引用する。ただし、彼は一つの点で自分の家のルールを厳守する。彼はなるべく几帳面に、共観福音書とパウロ書簡とヨハネ文書とその他の文書を区別する。しかし、この区分には決定的な意味は無いのである。本書がこの結論部分で主張しなければならないことは新約聖書の統一性であり、もっと多くの神の真理である!生ける神は律法を用いて何をなされ、かつ律法において何を語られたのかを、新約聖書はどのように証言しているのだろうか。今こそ我々はその問題に意識を集中しなければならない。

本書第二部で主張したことは、我々の教義学的研究の全貌を提示する際に、この全貌はあくまでも暫定的なものにすぎないという点を強調しなければならないということであった。生ける神が律法を用いて何をなされ、かつ律法において何を語られたかを説明するのは容易なことではない。神の言葉の統一性を疑問視する声は、神学が高度に学術化した今日的な文化状況に至って初めてあがったものではない。我々はどんなときでもその問題に取り組まなければならないのである。またもう一つ考えなければならないことがある。この問題については、キリスト教会の長い歴史的格闘を経て出されてきた実に多くの異なる答えがある。この事情を知っている者たちは、地上に打ち建てられる神の国の中でモーセの律法に与えられる意義は何かという問いに対して十分かつ正確な答えを出しうるというような幻想を抱くことはないだろう。モーセの律法は神のみわざの中で、いろんな意味で謎に満ちた役割を果たすのである。いくつかの重要な視点を設けて、できるだけ多くの問題を提起するほうが、性急な答えを安易に出すよりも、はるかによいことなのである。

このような遠慮は必要なことでもある。我々が取り組んでいるこの問題には実に多岐にわたる問題点があるからである。我々はすでに三位一体論やキリスト論の問題を扱った。モーセの律法の意義についての問いに対する答えは、キリスト論に対しても三位一体論に対しても、新しい問いを提起している。その問いの趣旨を今すぐに説明することはできない。その問いの中身を明らかにすること自体はこの文脈の関心事ではない。多くの問題と共にその問いもあると言っているのである。私が考えているのは和解論であり、義認論であり、聖化論である。聖書論も然り。礼拝論や教会規程論、ひいては教会論全体が我々の視野にある。聖礼典の問題は重苦しいものでさえある。問うべきことはいくらでもあるのだ。律法論(de locus de lege)は他の教理と内容的に絡み合っている。その様相はこの一冊の教義学書の中で片付けることなど考えられないほどである。

本書の目標設定上の限定からしても、本書の教義学的性格からしても、教会史的考察の部分なしで本書を完結させることはありうることである。私が最も願っていたことは、社会の中での教会の制度と、教会をとりまく社会の制度との中でモーセの律法はどのような役割を持っているのかという問題を考え抜くことであった。しかし、このことは技術的に不可能であった。読者各位には、そこでどのようなことが話題にされるべきかを想像していただく他はない。我々の研究は公同教会に属する一教派だけに関係していればよいものではなく、主要なすべての教派に関係しているものでなければならない!さらに我々はこの問題について礼拝学的にも教会職制論的にも聖礼典的にも倫理的にも神秘的にも政治的にも文化的にも考え抜かねばならない!考えるべきことは教理史の問題ではないし、教会史の問題でもない。我々の関心は神の律法の歴史的性格と現実的価値にあるのである。とにかく一度、本書を終わらせなければならない。今書いているのは教義学の研究書である。これは教会史の情報についての価値判断の基準を探す仕事である。本書の中に聖書釈義と聖書神学に関する章を設けた理由は、聖書は教会よりも上に打ち建てられたものであるということ、そして教義学は証拠聖句によって導かれるものであるという我々の見解に関係している。

(つづく)