2009年8月30日日曜日
説教とは何か
「祭りも既に半ばになったころ、イエスは神殿の境内に上って行って、教え始められた。ユダヤ人たちが驚いて、『この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう』と言うと、イエスは答えて言われた。『わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。モーセはあなたたちに律法を与えたではないか。ところが、あなたたちはだれもその律法を守らない。なぜ、わたしを殺そうとするのか。』群衆が答えた。『あなたは悪霊に取りつかれている。だれがあなたを殺そうというのか。』イエスは答えて言われた。『わたしが一つの業を行ったというので、あなたたちは皆驚いている。しかし、モーセはあなたたちに割礼を命じた。――もっとも、これはモーセからではなく、族長たちから始まったのだが――だから、あなたたちは安息日にも割礼を施している。モーセの律法を破らないようにと、人は安息日であっても割礼を受けるのに、わたしが安息日に全身をいやしたからといって腹を立てるのか。うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい。』」
今日は長めに読みました。描かれている場所はエルサレムです。そこで祭りが行われていました。先週の個所で、イエスさまが兄弟たちに「わたしは行かない」とはっきりとおっしゃっていた、あの祭りです。ところが、イエスさまは、兄弟たちが出かけた後、こっそり隠れるようにして上られたのです。
「行かない」と言っておきながら行かれたのであれば、嘘をついたと思われても仕方がありません。しかしこの件については、兄弟たちに対する配慮と愛情をイエスさまがお持ちであったと考えるほうがよいでしょうと、先週の最後に申し上げました。イエスさまは命を狙われていたのです。兄弟たちを巻き添えにしたくないとお考えになったに違いありません。
しかし、理由はこれだけではなさそうです。少なくとももう一つあることに気付きました。それは、これまでのイエスさまの行動から推測できることです。カナという町で行われた結婚式で、母マリアが「ぶどう酒がなくなりました」(2・3)と言ったとき、イエスさまは「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」(2・4)とお答えになりました。ここに「わたしの時はまだ来ていません」という重要な言葉が出てきます。
イエスさまはだれかの依頼や指図や命令に従って行動なさることをお嫌いになったのです。どんなことであれ、イエスさまはすべてのことを御自分の意志で行われたのです。しかもイエスさまは、ただ単に「御自分の意志に従って」ということではなく、父なる神の御意志に従いつつ、イエスさま御自身の意志で行動なさったのです。イエスさまの「時」は、イエス・キリスト御自身と、御子の父なる神だけがご存じだったのです。
そして今日の個所でイエスさまは、驚くべき行動をおとりになりました。エルサレム神殿の境内にお立ちになって、堂々と説教をお始めになったのです。すでにこのことだけではっきり分かることがあります。それは、イエスさまは御自分の命など少しも惜しいとは思っておられなかったのだということです。命を狙っていた人々の目の前にお立ちになり、最も目立つ行動をおとりになったのです。
そのこと――自分の命など少しも惜しいと思わないこと――が善いことなのか悪いことなのかは、私には分かりません。もし私がこの場面に居合わせていたイエスさまの弟子の一人であったとしたら、「イエスさま、そのような無謀なことはおやめください。御自分の命をもっと大切にしてください」と言って止めようとしたかもしれません。しかしおそらくイエスさまはそのような言葉を聴き入れてくださらなかったでしょう。イエスさまは、だれの依頼も指図も命令もお受けにならない方なのです。ただおひとり、父なる神の御意志のみに従って行動なさる方なのです。だれが止めても止まらない。すべての人々はイエスさまのお姿をただ見守るしかありません。
イエスさまの説教を聞いたユダヤ人たちが、ある意味で興味深い感想を述べています。「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」。ここで彼らが言う「学問をする」とは、ユダヤ教のラビ(教師)になる人々が当時通ったとされるエルサレム神殿附属の律法学校に在学して聖書を勉強することを意味していると考えられます。この学校の卒業生として我々が知っている一人は使徒パウロです。その学校でのパウロの教師の中にガマリエルという名の人がいたことなども使徒言行録に記されています。
その学校で教えられていることは聖書であり、ユダヤ教の信仰もしくは神学と呼んでもよいものでした。ですから、ユダヤ人たちが言っている「学問をする」は、今のわたしたちが「神学校で学ぶ」という言葉で言おうとしていることと内容的には同じであるということが分かります。つまり彼らは「この人は、神学校で学んだわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」と言っているのです。
彼らが述べていることは、なるほど事実です。イエスさまがエルサレム神殿の律法学校に通われた形跡はありません。それでは、どうしてイエスさまは、そういうところで学ばれたことがなかったにもかかわらず、人々が驚くほどに聖書をよくご存じだったのでしょうか。
もちろん最初に考えなければならないことは、イエス・キリストは神の御子であり、全知全能の方なのだから、学校などに通わなくても、あるいは教会などに通わなくても、聖書に書かれていることなど全部知っておられる方なのだ、というようなことです。このような事情であるという可能性を、別に否定する必要はありません。
しかしまた、もう一つの見方として、全く不可能とは言い切れない見方がありうると、私は考えています。それは、イエスさまが聖書を学ばれた場所は、おそらく幼い頃から両親や兄弟と共に通っておられた会堂(シナゴーグ)であるという見方です。このことを私があえて申し上げる理由は、教会の皆さんにお伝えしておきたいことがあるからです。
今年わたしたち松戸小金原教会ですでに二回行った教会勉強会のテーマは「聖書をどう語るか」というものでした。三回目の学びを10月11日から12日までの一泊修養会で行います。
これまで学んできたことは、教会の特に礼拝の中で行われる説教ないし奨励のわざは、牧師だけの務めではなく信徒の務めでもあるということでした。しかし、このことを考えていこうとする場合にどうしても避けて通ることのできない問題が「わたしは神学校に通ったわけでもないのに、どうして?」ということでしょう。この問いに明確な答えが与えられないかぎり、わたしが多くの人の前で聖書の話をすることなど絶対に不可能である、と確信しておられる方々もおられるのではないでしょうか。
しかし、ここはどうかご安心いただきたいのです。教会に通っておられるすべての方々が聖書の話をすることができます。ぜひお考えいただきたいことは、わたしたちは一体、教会というこの場所に何年通っているのだろうかということです。もちろん、ある方々は半年、一年、三年、五年といったところです。しかし、長い方々は三十年、五十年、七十年です。「わたしは長いばかりでちっとも・・・」と謙遜なさる方は多いのですが。しかし、わたしたちはこれまでに一体、何回の礼拝、何回の説教を聴いて来たのでしょうか。指折り数えてみていただきたいのです。
たとえば私がこの教会に参りましたのが5年半前です。主の日の朝の礼拝でまもなく三百回の説教を行ってきた計算になります。次の質問は、私にとっては恐ろしいものです。私がこれまで皆さんにお話ししてきたことは、皆さんの心の中に全く何も残っていないでしょうか。もしそうでしたら私はかなり真剣に苦しまなければなりません。
なるほど教会は学校ではありません。ここに通っても資格や学位を取得できるわけではありません。成績表も教会にはありません。礼拝の説教は大学や神学校の講義とは区別されるものです。しかし、それにもかかわらずわたしたちは、ここ、教会で、かなり多くのことを学んできたはずです。何年も何十年も通って来られた皆さんが、いま、ここで聞いたことを、多くの人々に語り伝えていくこと。それこそが説教なのです。
二つの例を挙げておきます。一つは、その姿を私はまだこの松戸小金原教会に来てから見たことがないということを残念に思っていることです。かつてはどこの教会にもいたものですが、牧師の祝祷の口真似が上手な子どもたちがいます。教会ごっこのような遊びをしている中で、牧師よりもよほど上手に祝祷の言葉をそらんじることができる子どもたちがいます。説教などは聞いても何のことやらちんぷんかんぷん分からない。それでも子どもたちは礼拝の中でたしかに何かを聴き、たしかに何かを憶えて帰るのです。教会の子どもたちとは、そういう存在なのです。
もう一つは、地方裁判所で長年、書記官を務めた方から教えていただいた話です。その方によると、まだ最近のことだが、書記官を長く務めた人々は、司法試験の合格者でなくても裁判官の席に着いて事裁きを行うことができるという新しい制度ができたということでした。そのお話を伺いながら、法に基づく判断において大切なことは知識だけではなく、経験こそが物を言うのだと教えられました。とても良い制度だと思いました。これと同じことが、聖書にも説教にも当てはまるのです。
脱線しすぎたかもしれません。イエスさま御自身が「わたしが聖書を学んだのはシナゴーグである」とおっしゃったわけではありません。イエスさまがおっしゃったのは、「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである」ということです。これもまた確かな真実です。イエスさまが聖書をご存じであられるのは、いつ、どこで、だれから学んだというようなこととは関係ないとおっしゃっているのです。「わたしをお遣わしになった方」、すなわち、父なる神がわたしに「語れ」と命じておられることを、わたしは語っているのだと、おっしゃっているのです。
しかし、このことも、わたしたちに当てはまるところがあるでしょう。私の場合も、生まれてから44年間、教会に通ってきたことになりますが、いつ、どこで、だれが私に聖書を教えてくださったかというようなことを全く憶えていません。それが何先生の説教であったかというようなことは完全に忘れています。私はそれでよいと思っています。自分に九九(くく)を教えてくれた小学校の教師の名前を憶えているという方がどれくらいおられるでしょうか。それを誰が教えてくれたかは、忘れてもよいことではないでしょうか。
説教にも同じことが言えるのです。主なる神が、聖書を通して、代々の教会を通して、このわたしに真理を教えてくださったのです。それこそが説教の正しい聴き方なのです。
(2009年8月30日、松戸小金原教会主日礼拝)
これは純粋な愚痴ですが同時に提案でもあります
インターネットを自分でも使いながら、インターネット上のブログに「インターネット批判」を今さらながら書くことの無意味さは知っているつもりです。でも、これ(インターネット)は本当にヤバいものであるという自覚なしにいることもできません。
インターネットは「全知全能」(何でも知っているし、何でもできる存在)ではありえませんが、そのようなものに何とか近づいてみせようという強い意志を持っているかのようです。一人一人の目の前に置かれているものは「ただパソコンのみ」(sola machina)なのですが、じっと動かないままでもほとんどのことが間に合ってしまうような錯覚に陥ります。
ちょっと前まで使っていた不便な(CPUが遅いなど)パソコンには依存心を抱く余地がないほどイライラさせられっぱなしでしたが、ハード面が快適になればなるほど、その便利さの深みにはまります。
・パソコンに近づかないこと。
・ブラウザやメールソフトを開かないこと。
・届いているメールも無視すること。
仮にそのようにでもすれば(お酒を飲む人に医者が定期的な「休肝日」を勧めるのに似ているかもしれません。「休コン(ピュータ)日」ですかな)、上記のような錯覚から一時的に解放されてはっと“我に返る”ものがあるような気がしますが、私の体験からいえば、一日も経てば錯覚の状態に戻ってしまいます。
「中毒」や「依存」という表現が、やはりいちばん近い。錯覚は、さらに「倒錯」でもある。
前にも書きましたが、私はかつてパソコンもメールも使っていなかった頃、年賀状を除けば一年にせいぜい5通、多くて10通くらいしか手紙もハガキも書かない人間でした。非常識で失礼な人間だと思われても仕方がないほどに。とにかくそういうことが億劫で、筆不精でした。
それが、今や毎年2千ないし3千通くらいのメールを書くようになりました。その状態が全く切れ目なく10年以上続いています。
ひそかに願っていることは、10年前の状態に戻ればいいのに、ということです。ただし、「手紙やハガキに戻せ」という意味ではありません。そうではなくて、届いたメールにすぐに返信しなくても許されるルールが社会通念になることです。じっくり時間をかけて返事してもよいし、または返事しなくてもよいルール。う~む、ありがたい。
受け取って最も不愉快なメールは、自動的に「開封確認通知」を迫るあれです。メールを「○月○日○時○分○秒」に開封したことをチェックされる。会社等の経営者が従業員の出社時刻をタイムカードで管理しているあれと基本構造が同じです。あのメールが特に同僚である人から送られてくると「あなたはいつから私の上司になったのか」と言いたくなります。慇懃無礼とはあれのことかといつも思う。私は必ず「開封確認を通知しない」を選択するようにしています。送られてきたメールを開封するかどうかは私が決めることであって、監視など一切されたくありません。
また、こちらが書いたメールの送信時刻が相手のパソコンに表示されるのも、実はかなり不愉快です。我々人間の情報交換に関する行動を時系列で管理することを容易にする表示ですから、GPSで個人の行動を逐一見張られているのに匹敵するほどではないでしょうか。
具体的に言えば、「急いで返信してあげなきゃ」という気持ちで未明や明け方までかかって必死で書いて送ると、「関口さん、夜更かしはダメですよ」と咎められる。私の体を心配して言ってくださっている方が多いので、ほとんどの場合は有り難く拝聴しますが、「あんなにがんばって書かなきゃよかった」と後悔するときもあります。
「牧師を引退したらパソコンを棄てることができる。晴れて自由の身だ」。こんな言い方をすると10年前は変な顔をされるだけでしたが、今では納得してもらえるはずです。
他方、「わたしはパソコンもインターネットも使わない“主義”である」と言い張る牧師たちに対しては、今となっては「職務怠慢」の嫌疑をかけなければならないほどです。
2009年8月29日土曜日
ファン・ルーラーと太宰治
ファン・ルーラーと太宰治。この二人の名前を並べて書くこと自体がすでにかなり強引であるということは否定しません。しかし、私はいま、いろんなことを考えさせられています。
「1908年(明治41年)生まれ」のファン・ルーラーと「1909年(明治42年)生まれ」の太宰は一歳違いの同世代です。現にファン・ルーラーの「生誕百年」の祝いは昨年12月に行われ、太宰のそれは今年行われています。ともかく辛うじて分かることは、両人が「ちょうど百年前に生まれた」という点で一致しているということくらいです。
彼らが「世に知られる」時期も重なっています。太宰の『斜陽』が大ヒットするのは1947年です。同年ファン・ルーラーは神学博士号を取得してユトレヒト大学教授になりました。それまでのファン・ルーラーは教会の牧師でした。「本を書く仕事」という観点から見れば、(牧師の本業は「本を書くこと」ではありません)、牧師時代の文筆業を「下積み」と呼び、大学教授になったときをもって「メジャーデビューした」と把えることは全く不可能な見方でもないだろうと思います。
ただし、翌1948年に太宰は自分の命を絶ちました。三鷹の川で。ファン・ルーラーが「さあこれからが私の出番である」と前向きに立っていた頃に、太宰は入水しました。「世に知られる」時期はほぼ等しい関係であるにもかかわらず、一方は希望に満ちて立ち、他方は絶望して倒れました。
オランダは、第二次大戦における「戦勝国」ではありません。戦前「中立国」の理念を掲げたところ、ナチス・ドイツ軍が侵攻してきました。ナチスの暴力的支配が国土から撤退した日が彼らにとっての終戦です。
日本は「敗戦国」です。太宰の死と第二次大戦との関係は、皆無かどうかは分かりませんが、(三島の死とは異なり)きわめて希薄であると思われます。
それでは太宰は何に絶望したのか。すべては藪の中です。猪瀬直樹氏の『ピカレスク 太宰治伝』(小学館、2000年)はだいぶ前に読みました。猪瀬氏の言うとおりでしょうか。
しかし、最晩年の「如是我聞」(1948年)の中に、私にとってはとても気になる言葉が出てきます。太宰の愛読者たちにはお馴染の言葉なのかもしれません(漢字と仮名遣いを現代的なものに改めました。原文にある改行は削除しました)。
「全部、種明しをして書いているつもりであるが、私がこの如是我聞という世間的に言って、明らかに愚挙らしい事を書いて発表しているのは、何も『個人』を攻撃するためではなくて、反キリスト的なものへの戦いなのである。彼らは、キリストと言えば、すぐに軽蔑の笑いに似た苦笑をもらし、なんだ、ヤソか、というような、安堵に似たものを感ずるらしいが、私の苦悩の殆ど全部は、あのイエスという人の、『己れを愛するがごとく、汝の隣人を愛せ』という難題一つにかかっていると言ってもいいのである。一言で言おう、おまえたちには、苦悩の能力が無いのと同じ程度に、愛する能力に於ても、全く欠如している。おまえたちは、愛撫するかも知れぬが、愛さない。おまえたちの持っている道徳は、すべておまえたち自身の、或いはおまえたちの家族の保全、以外に一歩も出ない。重ねて問う。世の中から、追い出されてもよし、いのちがけで事を行うは罪なりや。私は、自分の利益のために書いているのではないのである。信ぜられないだろうな。最後に問う。弱さ、苦悩は罪なりや。」
(『太宰治全集』第10巻、筑摩全集類聚、筑摩書房、類聚版第一刷1979年、361~362ページ)。
これを読むかぎり、ですが、鼻息の荒さが似ています!ファン・ルーラーと太宰は、義憤の抱き方というべきものが似ています。そっくりと言っても過言ではないくらいに。
太宰の実存とキリスト教の関係は太宰研究者の間でも議論され続けているようです。太宰が「全部、種明しをして書いている」と言いつつ明示している「反キリスト的なものへの戦い」という側面を真剣に取り上げてくださる方はおられないでしょうか。
太宰が死の直前に、あまりにもストレートすぎる義憤と共に告白した「反キリスト的なものへの戦い」の中身は何なのか。これを問うことは太宰をとらえる視点を単純化することにはならず、むしろより多角的で総合的な視点を与え、太宰研究に、いや、もっと言えば「現代日本思想史研究」により豊かな実りをもたらすのではないだろうかと思うのです。
「そういうことはお前がやれ」と(「マッタク、アホラシイ」とため息まじりに)言われるかもしれませんが、私が木に竹を接いだような太宰研究を始めるよりも、もっとふさわしい人がいるでしょう。私に思い当たることは全部書いておきます。
2009年8月28日金曜日
日記を小説のように/小説を日記のように
「これは暇つぶしです」と言うと「おまえはそんなに暇なのか」と怒り出す人が必ずいますので、「これもまた広い意味での牧師の仕事の一環です」と言い張ることにしているのですが、クソ真面目に受け取る人々は(クソは余計ですね、すみません)私の書くすべてが真実であると思ってくださるようですから迂闊なことは書けません。
9割はジョークです(ということにしておきます)。残りの1割は(ナンデショウ?)。
ですから、どうかあまり重く受けとめないでください。
ここに書くほとんどが私小説的な内容になってしまうことには自分なりの理由があります。
太宰治の作品の多くも私小説的なものですが、彼がある人々から「自己愛が強すぎる」という趣旨の批判を受けたことは知っています。きっと私も同じように見られているのでしょうけれど、私ほど自分のことを好きでない人間は少ないのではないか、というくらいの自覚を持って生きているのですが、このことは無理に知らせないかぎり自分以外の誰も知る由もないことです。
自分のことばかり書いてきた(かのように読めるようなことしか書けなかった)理由は、他人の文章の借用や盗用を極端なほどに避けてきたからです。他人に関する個人情報を紹介することについてかなり神経を尖らせ、細心の注意を払ってきました。よほど入念な仕方でご本人の許可ないし快諾を得ることができたときでさえ、公開を踏みとどまってきました。
インターネットには他人のことは何も書けないし、書いちゃあいけないと自分に言い聞かせてきました。ここに自由に書けるのは、結局のところ、自分に関する事実と、公表された他者の文書に対する自分の意見と、私の脳内の妄想のようなことだけです。
私が提案したい命題は「インターネット時代においてはすべては私小説化していく」というものです。
「牧師はいつも遊んでいる」だなんて非難を受けたくないぜ、と憤慨の思いが募ってくるときには今日一日こなした仕事のすべてをリストアップしたくなる衝動にかられますが急ブレーキを踏んで自制します。牧師の仕事の多くの部分は「個人にかかわること」だからです。「ハイ、今日も一日、ヒマでした。アハハ」と、別のことを書き込むのです。
「日記を小説のように/小説を日記のように」書いていくことが日課になりそうです。
2009年8月27日木曜日
太宰先生ありがとう
柄にもなく今日は、日暮れ時から太宰治なる巨人にのめりこんでいます。今はまだ読んでいる最中ですが、最晩年に書かれた「叙是我聞」(にょぜがもん、1948年)です。初めて読んでいます。内容の紹介は割愛しますが、面白くて面白くて。「これだ!」と感動しています。
先輩文学者を批判する言葉の激しさに引き込まれます。その激しさたるや、これに腹を立てた人によって実は暗○でもされたのではないかしらんと邪推したくなるほどです。
私もかねがね、これに太宰が書いているのと同じくらいの調子で、ある人々を批判したいと願ってきましたので参考になります。なかなか書き言葉にならないことと、勇気がないことで、その批判をまとめて公表することができずに来ましたが、太宰の文章を読んで批判文書というのはこういうふうに書けばいいのだと得心させられています。
太宰がほとんど憎悪の対象と思っているらしい人の姿が、私が長年問題を感じてきた人々の姿と、さまざまな点で符号します。歴史は繰り返しませんが、人間は同じ過ちを何度でも犯すということを確信します。
太宰先生、これを遺してくれたことを感謝し、尊敬します。半年ほど前にヤフオクで『太宰治全集』(筑摩全集類聚)を安く落札したまま放置していました。もうちょっとちゃんと読みますので許してください。
2009年8月25日火曜日
緊張の日々を過ごしています
恥ずかしい話ですが、今年の私は非常に緊張しています。自己中心的な言い方になってしまうこと自体も嫌なのですが、自分の「壁」を乗り越えられるかどうかを心配しています。本当に恥ずかしい話なのですが、自分への戒めとして書いておきます。
牧師の仕事に就いてから現在の松戸小金原教会で四つめの仕事場になるのですが(兼任の教会を含めると二つ増えて六つめになります)、実をいえば、一つの教会で6年以上働くことができたことがありません。経歴は公開しているとおりで偽りはありません。最長で6年、最短は10ヶ月でした。教会の名誉のために申し上げますが、すべては私の不徳の致すところでした。ご迷惑をおかけした皆様にお詫びしたい思いでいっぱいです。
それでは、今年の私がなぜ緊張しているのか。それは、もちろん、松戸小金原教会に来て今年が6年目だからです。「壁」とは、この6年という時間です。
幸い現在、教会内には大波も小波もありません。平穏無事、和気藹々そのものです。明るくて温かくて優しい雰囲気で包まれています。
私の夢は、この「壁」を乗り越えることができた「来年の私」を一目見てみたいということです。
2009年8月24日月曜日
やっと追いつきました
「今週の説教」のブログ更新とメールマガジン発行が長らく滞っていましたが、本日やっと遅れを取り戻すことができました。これからもどうかよろしくお願いいたします。
今週の説教 ブログ(デザインを新しくしました)
http://sermon.reformed.jp
今週の説教 メールマガジン(添付PDFをA4判に変更しました)
http://groups.yahoo.co.jp/group/e-sermon/
2009年8月23日日曜日
わたしの時はまだ来ていない
ヨハネによる福音書7・1~13
「その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。イエスの兄弟たちが言った。『ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい。』兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである。そこで、イエスは言われた。『わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである。』こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。しかし、兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエス御自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた。祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し、『あの男はどこにいるのか』と言っていた。群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。『良い人だ』と言う者もいれば、『いや、群衆を惑わしている』と言う者もいた。しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者はいなかった。」
ヨハネによる福音書に基づいてわたしたちの救い主イエス・キリストの生涯を学んでいます。先週までに学んだところに書かれていたことは、イエスさまがなされたわざと語られた御言葉がユダヤ教徒たちの逆鱗にふれるものとなり、彼らから命を狙われるようになったということです。詳しい内容は繰り返さないでおきます。
そして、今日開いていただいた個所から分かりますことは、イエスさまがユダヤ教徒たちから命を狙われるようになられたときにどのような行動をお取りになったのかです。三つのことが分かります。
第一に、イエスさまはユダヤ人が御自分を殺そうとしていることをご存じだったので、ユダヤ人の目を避けて行動なさることによって危険を回避されたということです。命を狙っている人々の目の前に出て行くような危ないことはなさらなかったということです。しかし第二にイエスさまは、ユダヤ人たちから逃げたわけではなく、ひそかにではありましたが、エルサレムに上って行かれたということです。第三に、イエスさまは、御自分の兄弟たちにさえ本当のことをお教えにならなかったということです。イエスさまが兄弟たちに「わたしは、この祭りには上って行かない」とおっしゃったあと、実は上って行かれたということになりますと、イエスさまは嘘をつかれたという話にも読めてしまいます。イエスさまがおっしゃったことを嘘と呼んでよいかどうかはあとでもう一度考えますが、このあたりが今日の個所の面白い要素でもあります。
イエスさまはガリラヤを巡っておられました。ガリラヤはイエスさまが伝道の最初の拠点を据えられた地域の総称です。都会ではなく田舎です。農村であり漁村です。イエスさまの命を育んできた家族や親しい友人たちが住んでいるところ、それがガリラヤです。
これに対してユダヤは都会です。ユダヤの中心には首都エルサレムがあります。エルサレムの中心にはエルサレム神殿があります。そしてその神殿の中心にはイエスさまの命を狙うユダヤ教団の指導者たちがいたのです。だからイエスさまは、ユダヤ人から命を狙われるようになってからは、少なくとも表向きは、ユダヤに近づこうとなさらなかったのです。
ところが、そのように慎重な行動を取っておられたイエスさまに向かって、事情を知らないイエスさまの兄弟たちが「ユダヤに行きなさい」と勧めました。彼らが言っている言葉は、次のように言い換えることができるでしょう。
「イエス兄さんはユダヤに行くべきだ。兄さんは、自分の言っていることやしていることに自信を持っているのだろう。悪いことをしているわけではなくて、良いことをしているつもりなのだろう。だったら、広い都会に出て行って、たくさんの人の前でアピールすべきである。こんな小さな田舎町で引きこもっているべきではない。一発当ててきてください」。
兄弟が有名人になってくれることによって自分たちにもいろんなメリットが生まれるかもしれないというような期待や野心が含まれていたかどうかは分かりません。しかし、彼らの言い分は全く理解できないというようなものではありません。とくに「公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない」という点は事実であり、真理です。いま日本の政治家たちは来週の選挙のために必死です。彼らの仕事は公に知られることであり、自分を世にはっきり示すことです。ひそかに行動する政治家がいるとしたら、矛盾した存在であり、また不気味な存在でさえあります。「公に知られること」や「自分を世にはっきり示すこと」が悪いことであると言われてしまいますと、彼らは困ってしまうでしょう。
宗教の場合はどうでしょうか。兄弟たちがイエスさまに期待したことは、間違っているでしょうか。ここで少し脱線することをお許しください。東京に教文館というキリスト教専門の書店があります。その書店のホームページに「先月のベストセラー」を紹介しているコーナーがあります。私も先月、カルヴァンについて書いた一冊の本(共著)を出版したばかりですので、興味をもって見てみました。なんと残念なことに、わたしたちの本は二十位以内に入ることもできませんでした。先月の第一位に輝いたキリスト教書のタイトルは『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか』というものでした。
実はかなりがっかりしました。「なぜ日本にキリスト教は広まらないのか」という本は売れている。この問題に悩んでいる人が多いからでしょう。しかしカルヴァンについての学術的研究書は売れない。これが現在の日本のキリスト教界の実情なのだと知らされるものがありました。
誤解されたくありませんので、はっきり申し上げておきたいのですが、わたしたちが本を出版した目的ないし動機は、有名になりたいからとかお金儲けをしたいからというようなことではありません。カルヴァンについての本を書いても有名人にはなりませんし、お金儲けはできません。それは誰でも知っていることです。
しかし、そういうこととはどうか区別していただきたいのですが、それでもなお、たとえば、本を出版するというようなことの目的ないし動機の中に、この個所でイエスさまの兄弟たちが言っている「公に知られること」や「自分を世にはっきり示すこと」が全く含まれていないのかと問われるとしたら、「いえいえ、そんなことはありません」と答えるでしょう。
「伝道」とは、神の言葉を「公に」宣べ伝えることです。「ひそかに行動すること」の正反対です。人目につくようなことをすることが伝道です。「公に知られること」や「自分を世にはっきり示すこと」が伝道と無関係であるはずがないのです。隠れてひそかに行動することが伝道ではないのです。
しかし、このことを確認したうえでなお申し上げねばならないことがあります。今日の個所に注目すべき言葉が記されています。「兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである」。この御言葉は、イエスさまの兄弟たちの発言を受けて書かれています。つまり、彼らがイエスさまに「公に知られること」や「自分を世にはっきり示すこと」を勧めたことがイエスさまに対する不信仰の証拠であると言われているのです。
しかし、このように言われていることは、わたしたちにとっては、驚くほどのことではありません。むしろ至極当然のことを言っています。先ほども申し上げましたとおり、牧師たちが説教したり本を書いたりすることの中に「公に知られること」や「自分を世にはっきり示すこと」が含まれていないのかと問われれば「そんなことはない」と答えなければなりません。しかし、「それがあなたの人生の目的なのか」と問われるとしたら「断じてそうではない」とも答えなければならないのです。
私の話をしたいわけではありません。「伝道とは何なのか」という話をしているつもりです。いまの日本に「有名になりたいから牧師になる」という人はいないと思いますが(牧師になっても有名人にはなれません)、もしそういう人がいるとしたら本当に困った存在です。そういうのを本末転倒というのです。イエスさまは、そういう人が大嫌いなのだと思います。御自分もそのような目で見られることをお嫌いになりました。ただ有名になりたいだけの人は、伝道の仕事には向いていないのです。
そして、その次にイエスさまがおっしゃったことが「わたしの時はまだ来ていない」ということであったわけです。ここでの「時」に最も近い意味は、チャンスです。機会であり、時機です。もっと大胆に訳せば、「出番」とか「出る幕」です。「いまはまだ私の出番ではないのだ」と、こんな感じのことをイエスさまがおっしゃったのだと理解することができます。
しかし、もちろん、兄弟たちとしては、そのような言葉をイエスさまの口から突然聞いたときには、すぐに理解できるものではなかったと思われます。「わたしの出番はまだ来ていない。だからわたしはユダヤには行かない」と、そんなふうなことを言われても、意味不明の言葉で煙に巻かれた、というくらいのことしか感じなかったのではないでしょうか。たぶんそうだと思います。
しかし、わたしたちは、イエスさまがおっしゃった「わたしの時」という言葉の意味をはっきりと知っています。それはもちろん、わたしたちがよく知っているイエスさまの最期の一週間、なかでも全人類の罪の身代わりに十字架の上にはりつけにされ、贖いの死を遂げてくださったあの金曜日です。イエスさまのご生涯の目的は、有名になることでも、金儲けをすることでもありませんでした。あの十字架を目指して生きること、罪人を救うために十字架のうえで御自分の命をささげること、それがイエスさまの目標でした。十字架こそが、イエスさまの「時」であり、「出番」でした。イエスさまは有名になることにも金儲けをすることにも無関心でした。ただひたすら、御自身の命が人類の救いのために用いられる日を目指して生きておられたのです。
しかしまたイエスさまは、冒頭に申し上げたとおり「わたしは、この祭りには上って行かない」とおっしゃったあと、実はひそかにおひとりでユダヤに上って行かれたという話が続いているというのが、今日の個所の面白い点でもあります。イエスさまが兄弟たちに嘘をつかれたと言いますと、人聞きが悪すぎるかもしれません。しかしわたしたちはよく考えてみるべきです。イエスさまがつかれた嘘は兄弟たちに対する配慮や愛情から出たものではないだろうかとも考えさせられます。イエスさまはユダヤ人たちから命を狙われる身でした。イエスさまが彼らに逮捕されることになれば、兄弟たちの身にも当然いろいろな不都合が生じます。ユダヤ人たちから兄弟たちが共謀者呼ばわりされることもありえます。イエスさまとしては兄弟たちをかばう必要があったのではないでしょうか。このときのイエスさまのお気持ちはどのようなものだったかを思い巡らしてみることが大切であると思います。
(2009年8月23日、松戸小金原教会主日礼拝)
2009年8月17日月曜日
停滞していた仕事が少し前進しました
私設ブログ「今週の説教」の更新がこのところ滞っていましたが、とりあえず今夜、これまでのいくつかの礼拝説教のMP3音声を公開することができました(7月12日分と8月9日分の音声が無いのは、他の教会で説教したからです)。
「今週の説教メールマガジン」のほうは、2009年7月5日号(第273号)の配信を最後に、ストップしたままです。こちらも何とかしなければなりません。
これほど長期の停滞状態に陥ってしまったのは、今からちょうど5年前の2004年9月に礼拝説教をブログとメールマガジンで公開しはじめて以来、初めてのことです。
原因は、はっきりと自覚しております。7月初旬に勃発した(より正確には「発覚した」)あるひとつの出来事がきっかけとなって、身辺(わが家や松戸小金原教会の内部ではありません)が急激に変化し、精神的・心理的な面でも非常に大きな負担がかかる状況の中へと巻き込まれてしまったことにあります。しかし、先週の後半あたりから少しずつですが、落ち着きを取り戻しはじめています。
これから何とか踏ん張って、元のペースを取り戻すつもりです。とくにメールマガジンのほうは、記念すべき「第300号」まで残り27回ですので(といっても到達は半年先のことですが)、こんなところで頓挫している場合ではありません。
ついでに紹介。私設ブログ「改革派教義学~カルヴァンからファン・ルーラーまで~」に、20世紀初頭のオランダで活躍した教義学者ヘルマン・バーフィンク(Herman Bavinck [1854-1921])の著書の一覧表をアップしました。まだ日本語に訳せていない部分がたくさんありますが、これだけでもごく大雑把な流れくらいは分かるはずです。
バーフィンク文献目録(改革派教義学~カルヴァンからファン・ルーラーまで~)http://dogmatics.reformed.jp/bavinck_bibliography.html
2009年8月16日日曜日
永遠の命の言葉
ヨハネによる福音書6・60~71
「ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。『実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。』イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。『あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。』イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。『こういうわけで、わたしはあなたがたに、「父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない」と言ったのだ。』このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、『あなたがたも離れて行きたいか』と言われた。シモン・ペトロが答えた。『主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。』すると、イエスは言われた。『あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。』イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた。」
今日の個所には、わたしたちにとって残念であると感じられることが、繰り返し書かれています。それは、イエスさまの説教を聴いた弟子たちの多くがイエスさまから離れて行ったということです。また、イエスさまは最初から、イエスさまのお語りになる御言葉を信じて受け入れることができる人と、信じることも受け入れることもできない人とがいるということをご存じであったということです。そして、イエスさま御自身がお選びになった十二人の弟子たちの中にさえ、イエスさまを裏切ろうとしていた人がいたということです。
このことを読みながら思わず考え込んでしまいますことは、イエスさまはなぜ、そのような御言葉をお語りになったのだろうかということです。イエスさまはなぜ、誰にでも受け入れることができ、すべての人が信じることができるような御言葉をお語りにならなかったのだろうかということです。
このことは、教会の牧師の仕事をしている者にとっては、かなり深刻な問題でありえます。また、牧師でなくても教会の働きに積極的に参加してくださっている方々にとっても、大きな問題でありえます。なぜなら、教会の働きの中心は、イエス・キリストの御言葉をこの方がお語りになったとおりに宣べ伝えることだからです。別の言い方をしますと、教会がなすべきことはイエスさまの側に立つことだからです。
そのとき何が起こるかと言いますと、イエスさまが多くの弟子たちから受けた反発を、イエスさまの側に立っている教会も同じように受けるということです。なぜなら、イエスさまがお語りになった多くの人々から嫌われた言葉を、教会もイエスさまと同じように語るからです。教会がイエスさまの側に立つということは、多くの人々から嫌われたイエスさまの側に立つことによって、イエスさまと同じように多くの人々から嫌われるようになるということを意味しているのです。
しかし、果たしてそのようなことがわたしたちに可能でしょうか。わたしたちは、人から嫌われるということにどれくらい耐えられるでしょうか。このことは、ここに集まっているわたしたちだけに当てはまることではないと思いますが、おそらくは、なるべくなら人から嫌われないようにしたい。そのように思うことのほうが、わたしたちにとって当然の願いではないでしょうか。
しかし、そういうわけには行きませんというのが、どうやら今日の個所がわたしたちに教えていることです。そしてこのことは、わたしたちも体験的に知っていることでもあります。それは、イエスさまを信じることと同時に求められることがある、それは、イエスさまを信じない人々から嫌われる覚悟をしなければならないということです。
イエスさまは、なぜ嫌われたのでしょうか。ここに記されていることは、多くの人々はイエスさまがお語りになった言葉を聴いたとき、聴くに堪えないひどい話であると感じたということです。その内容は、これまで学んだ個所に記されていました。イエスさまは、御自身を指差して「わたしは命のパンである」(6・48など)とお語りになりました。そして「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」(6・53)と言われました。この御言葉を聴いた多くの人々が、これをとても気持ちの悪い話であると受け取ったのです。
しかし、この御言葉の真の意図は、イエスさまと真の意味で一体化することの必要性であると私は説明したつもりです。それは、イエスさまとの距離がゼロになること、イエスさまがこのわたしの心と体の中で生きて働くようになることです。イエスさまがわたしたちの外側におられるままであり、わたしたちがそのイエスさまのお姿を遠目に、ないし客観的に眺めている状態にあるままであるときには、わたしたちはまだ救われていないのです。わたしたちに求められているのはイエスさまと真に一体化するということであり、そしてまたそれこそが先ほど申し上げたイエスさまの側に立つということの、さらに先にある目標です。
これは決して抽象的な話ではないと私は信じております。なぜなら、教会がイエスさまの側に立つこと、そして究極的にはイエスさまとわたしたち教会の者たちが完全に一体化するということが意味していることは、イエスさまがその生涯において味わわれた苦しみをわたしたち自身も味わうということに他ならず、また、イエスさまがお感じになる喜びをわたしたち自身も喜ぶということに他ならないからです。もっと単純な言葉で言い直せば、イエスさまと共に生き、イエスさまと共に死ぬことがわたしたちに求められているのだ、ということです。
ここから先は少し言いにくい話をします。それは、私がこれまでに教会の牧師として体験してきたことです。このことは松戸小金原教会に限ったことではありませんが、教会というこの場所には実は非常に多くの人々が集まっています。ただしこれは一度だけとか、二度三度だけ、という方も含めての話です。私がこの教会に来てからの五年半の間だけを数えても、たった一度だけこの教会の礼拝に出席なさったという方は百人以上になります。しかし、とどまってくださる方はわずかです。その後、他の教会に出席なさっているということであるならば、わたしたちは慰められます。しかし、実際はどうでしょうか。一度の礼拝出席だけで、これは私の居るべき場所ではないとお感じになって、このようなところに二度と足を運ぶことはありえないと確信なさった方もおられるかもしれません。そのように考えますと、わたしたちは非常に大きな責任を痛感させられます。あのときわたしは何を語り、何をしたのか、わたしたちのどこに人をつまずかせる要素があったのかと自責の念にかられるばかりです。もっと魅力的で、もっと人の心にとどく言葉を語れる牧師となり、そのような教会になれたらよいのに、と思わされます。
しかしまた、そのような自問自答のなかで苦しみを感じながらも、いくらか言い訳がましい思いを持たないわけでもありません。それが、先ほどから申し上げていることです。わたしたち教会がなすべきことは、イエスさまの語られた言葉をそのまま宣べ伝えることであるという点です。その肝心のイエスさま御自身の御言葉そのものの中にもし人を躓かせる要素があるのだとしたら、その御言葉をそのまま宣べ伝えることが求められている教会のほうだけが責任をとらされるというのは、少し厳しすぎるところもあるのではないかということです。
もう少し別の言い方もしておきます。イエスさまが人々から嫌われた理由は、お語りになった言葉が誤解されやすいものであったということもさることながら、その内容において人々に一つの大きな決断を迫るものであったという点にあったと言わなければなりません。イエスさまが迫られたのは、「このわたしを信じなさい」ということです。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰をもつことへの決断です。信じるか信じないかという二者択一、「あれかこれか」をイエスさまは迫られました。信じることと信じないことの中間はありません。どちらでもないという未決定の状態、モラトリアムの状態はありません。イエスさまは、イエスさまのことを信じようとしない人々や、信仰と不信仰の中間にとどまろうとした人々に対して「信じること」を迫ったゆえに、嫌われたのです。
これは「敵か味方か」という話とは違うものです。聖書には「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」(マルコ9・40)、あるいは「あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである」(ルカ9・50)というイエスさま御自身の御言葉が出てきます。これも大切な真理ではあります。しかし「敵か味方か」という話と「イエスさまを信じるか信じないか」という話は別の話です。「信じないが敵でもない」という人々が存在するということを受け入れることと「無理して信じなくてもよい」とわたしたちが語ることは違うことなのです。わたしたち教会は「信じない人々は敵である」とは語りません。しかし、だからといって「信じる必要はない」とは、決して語りません。なぜなら、イエスさまが人々に迫られたことは「信じること」だけだったからです。
多くの弟子たちがイエスさまから離れてしまったとき、イエスさまは十二人の弟子たちに「あなたがたも離れて行きたいか」と質問なさいました。この御言葉に何となくではありますが、イエスさまがお感じになったかもしれない“寂しさ”のようなものを読み取ることは、あまりにも人間的すぎるでしょうか。イエスさまという方の本質を考えてみれば、たとえ弟子が一人もいなくなったとしても「寂しい」などとお感じになるような方ではなく、御自身おひとりですべてのことをなさる方であると考えるほうが正しいでしょうか。もしかしたら、そうなのかもしれません。
しかしその一方で、イエスさまはたしかに十二人の弟子たちをご自身でお選びになったという事実も無視することができません。おひとりで何でもなさることがおできになる全能の神であられる救い主イエス・キリストが、御自身の働きを助けてくれる仲間を、たしかに必要となさったのです。
ペトロが「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と答えたとき、イエスさまはきっととても心強くお感じになったであろうと私は信じます。しかしまた、その十二人の弟子たちの中に、イエスさまが「その中の一人は悪魔だ」(70節)とまで言われた裏切り者のユダが含まれていたことをご存じであったイエスさまが深く悲しんでおられたであろうとも信じます。
イエスさまはわたしたち一人一人にも、いま、決断を迫っておられます。「わたしを信じなさい」と。わたしをあなたのものにしなさい、そして「わたしに従いなさい」と。
(2009年8月16日、松戸小金原教会主日礼拝)