2017年9月24日日曜日

「字ばかり書いていた」日々を思い起こす

うちからみる東京スカイツリー。右下45度に小さな東京タワー(2017年9月23日撮影)

昨年度1年間の学校教員生活のためか、意識の中ではすっかり遠い過去になってしまったが、私が日本基督教団に「戻って」2年に満たない。日本キリスト改革派教会に対する批判があって「戻った」わけではないので、思い出すのは良いことばかりだ。書けることは忘れないうちに書いておこうと思っている。

もっとも、私は日本キリスト改革派教会への加入の際、同教会の大会の教師試験を受けたわけではなく、東部中会の加入試験を受けただけだ。加入時にはすでに日本基督教団の正教師だったので、私の教師任職(按手)は日本基督教団のものであって、日本キリスト改革派教会で「再按手」されたわけではない。

日本キリスト改革派教会での19年半のうちの最初の1年半は神戸改革派神学校の学生だった。その後17年は東部中会の2つの教会の牧師だったが、大半の労力を「新中会設立」に注ぐことになった。私が願ったわけではない。しかし私は「新中会設立のために日本キリスト改革派教会にいた」ようなものだ。

「中会」とは英語のpresbytery(ブレスビテリ)の訳語だ。東部中会は英語でEast Presbyteryと訳される。Tobu Presbyteryと書く人もいた。日本基督教団の中に「連合長老会」を作っている教会群があるが、「連合長老会」もpresbyteryの訳語だと思う。

誤解がないように書くが、日本キリスト改革派教会東部中会の「新中会設立」計画は、私が加入するよりずっと前から立案され、実現に向けた努力が重ねられていた。私が「新中会設立」のために大それたことをしたなどとは思っていない。いわば偶然立ち会った。しかし、そんな私でも多くの苦労を体験した。

私が東部中会に加入した1998年7月の8年後の2006年7月に我々は「東関東中会」を設立した。英訳すればEast Kanto Presbyteryだ。私は常任副書記として初代四役の末席に着いた。それ以前の新中会設立準備委員会のような組織でもずっと書記だった。字ばかり書いていた。

そのとき味わった苦労は日本基督教団でもきっと役に立つだろうと思っている。「いかに」役に立つかはまだ分からないし、言えない。光の面だけでなく陰ないし闇の面も(十分すぎるほど)学んだので、「改革派教会」や「長老教会」のあり方を絶対視するつもりはない。地上の制度に完全無欠はありえない。



小金教会の主日礼拝に出席しました

日本基督教団小金教会(千葉県松戸市小金174)

今日(2017年9月24日日曜日)は日本基督教団小金教会(千葉県松戸市)の主日礼拝に出席しました。今泉幹夫牧師の力強い説教と美しい会衆賛美に励まされました。午後の勉強会にも参加し、旧日本基督教会の伝統を継承する改革長老教会としての歩みに接し、感激しました。ありがとうございました。

2017年9月16日土曜日

「丁寧な牧会」とは何かと考えている


毎週教会に通っても聖餐式で無視されるのが不服で受洗(6歳)。毎週説教を聴いても理解できないのが不服で神学部入学(18歳)。日本の教会にファン・ルーラーの神学が十分紹介されていないのが不服で翻訳開始(31歳)。自分の翻訳が一向に日常の日本語にならないのが不服でブログ開始(42歳)。

字にしてみると自分の過去の判断と行動に共通点があることに気づく。どうやら私は不満だらけで生きてきたらしい。教師や先輩から嫌われる要素を持ち続けてきたらしい。批判でも文句でもなかった。いわば自分が納得したいだけだった。せめて「分かった」と言えることでなければ承服できなかっただけだ。

分からないことがあれば悔しくなって自分で調べたいと思わないだろうか。自分の文章や翻訳が極度に専門家の人たちの間だけの言葉で(その人々でさえ分かったふりをしているだけかもしれない)日常の日本語でないと思えばもっとよく考えて「普通の言葉」で書けるようになりたいと思わないだろうか。

某キリスト教雑誌のインタヴュー記事で「丁寧な牧会」という言葉を見た。それは「頻繁に信徒訪問するとか、信徒のケアをすることだけではありません。大切なのは牧会の目的です」と。その中にすべてを普通の言葉で語れるようになることが含まれていると私は思う。「普通」とは何かと問われるだろうが。

謎の要素があるほうが宗教性を担保できるという意見もあろう。平易であることを愚かであることと同義語のように受けとる向きもあろう。学術論文の文体でなければ何かを言いえたことにならないとみなされる分野や領域で働いている人々もいよう。しかし、そこにとどまっていていいのかと言いたくなる。

同じ感覚を持つ同世代以下の牧師が少なくないと感じる昨今であるが、「私は牧師らしくない」と自覚している。私もそうだ。たいていそういうことをだれかに言われた経験がある。良い意味だけでなく悪い意味でも。しかし、非神話化と偶像破壊を熱心に推し進めてきた世代の人々からそれを言われると閉口する。

閉口したままでしゃべろうとすると、もごもごになる。もごもごもごもご、もごもごもごもご。これで分かれと言われても無理だというのは分かる。もごもごもごもご、もごもごもごもご。うう、これでは伝わらない。どうしたらいいのだ。口を開いてしゃべるしかないか。でもそうすると、もごもごもごもご。

2017年9月12日火曜日

Gmailを無料で使い続ける方法

長年使用した自作デスクトップ(2015年10月撮影 現在は故障中)

Gmailのクラウドストレージの無料分が満杯になった。メール4万通強。有料版に移行したい気持ちを抑え、全メールをエクスポートしてmbox形式のメールを読み取れるサンダーバードにインポートし、Gmailのクラウドストレージを空にした。サンダーバードでは受信せず、読み取り専用で使う。

サンダーバードにインポートした過去のメール4万通強を懐かしく読み返している(全部は無理である)。最初からGmailではなくNiftyが長かった。Gmail開始時に過去の全メールをGmailに保存した。私が送信したもので残存する最古のメールの日付は1999年12月31日だと分かった。

「1999年12月31日(金)」のメールの宛先は「ファン・ルーラー研究会」のメーリングリスト。内容は業務連絡だ。ウィンドウズ98にPC雑誌付録のウィンドウズ2000試用版をうっかり上書きしてしまい、モデムとプリンターが動かなくなった。皆さんは気を付けてくださいね、とか書いている。

同日「1999年12月31日」清弘剛生先生から投稿があった。ファン・ルーラーのwelbehagenはエフェソ1章5節などのευδοκιαの訳だという発見の知らせ。「御心」「御旨」と訳される。しかしpleasureだ、神の喜びや満足や好意や善意が満ち溢れている!と教えてくださった。

「ファン・ルーラー研究会」のメーリングリストは1999年2月に始めたので、最初の10か月分のメールが私の手元に残っていない。清弘先生と私で初めてファン・ルーラーの論文「地上の生の評価」(1960年)を全訳したときの通信記録がない。当時、清弘先生は大阪、私は山梨。メンバー30名弱。

最近はSNSのやりとりが多くなり、メールはあまり使わなくなった。メールを使い始めた頃は周囲にずいぶん嫌がられた。「パソコンをいじっている」としか見てもらえなかった。「神学をやっている」と言っても誰にも信じてもらえなかった。実際どうだったかは当時のメールを全部読んでもらうしかない。

2017年9月8日金曜日

国際基督教大学高等学校で講演させていただきます

国際基督教大学高等学校ホームページからお借りしました

来月のことですが、2017年10月11日水曜日、国際基督教大学高等学校(東京都小金井市)の3年生向けキリスト教講演会で私が講演させていただくことになりました。情報公開許可をいただきました。ICU高校生の皆さんに早くお会いしたいです!

2017年9月7日木曜日

宝路

「よし、ぼくもキリスト新聞社の聖書ラノベ新人賞に応募するぞ!」と書き始めたが、ちょうど1千字で挫折した。そもそも「ラノベ」が何かが分からない。応募条件の1万字はシロウトには途方もない。企画が盛り上がりますように。

聖書ラノベ新人賞
http://talkmaker.com/info/303.html




「宝路」by 関口康


「すまん走路、お父さん来月から本社勤務になった。一応栄転だが。引っ越しだ。」

二日間ぼくは泣き続けた。友達と別れるのが寂しかった。このときほど父を恨んだことは後にも先にもない。
 
父の会社は、キャンプ用品の製造と販売を専門とするメーカーだった。個人の注文だけでなく軍事施設からの注文が多かったので大企業へと成長した。海外支店もいくつかあった。父は本社で製造部門を長年担当した後、社長の信頼を得て海外支店長になった。

そこでぼくは生まれた。早い話が帰国子女だ。おかげで、両親の母国語と現地の言葉と現地の学校で教わった別の外国語を自由に使える。「走路(そうろ)」という名前は親がつけた。

ぼくの将来の夢は、法律の勉強をして自分が政治家になるか、母国を背負う政治家を生み出す教師になることだった。

両親からよく聞かされたのは、母国を強くしなければならないということだった。国土が狭く、地理的拡大の可能性は乏しい。しかし歴史と知恵がある。軍事力を強化し、国土と国民を守り、わが国を世界一の経済大国にする。それが我々の「使命」であると。

ぼくもそう思っていた。外国で生まれ育ったぼくが目の当たりにしたのは国籍や肌の色や言葉が違うだけで差別し合う人々の姿だった。しかし、それはやむをえないことだと思っていたし、その感覚は今も変わっていない。

父の仕事柄、軍事関係者が頻繁にうちに来ていた。戦争が始まればキャンプ用品はよく売れる。特にテントは破壊された自宅代わりになるし、避難先移動中の家になる。しかし、軍に一括購入してもらえれば何年も遊んで暮らせる収入を得られる。その人々が父と酒を酌み交わしながら、母の手料理をつついていた。

母は軍人が嫌いではなかった。彼らと話している母の表情がぼくは嫌だった。彼らの顔や会話は憶えているし、子どものぼくをかわいがってくれた。

ぼくが勉強面でチャンピオンになり、国内最難関の学校に入学し、法律の勉強を始めることができたのも、父の仕事と無関係ではない。軍のおかげだと言わなくてはならないかもしれない。家庭が裕福でないと学校には入れない。同窓生も裕福な家庭の出身者ばかりだった。

そしてぼくは子どもの頃から複数の外国語を使えたし、国際交流が苦でなかった。栄養豊富な美味しいものを食べさせてもらったので、身体が頑丈でスポーツが得意だった。マラソンだってボクシングだってできたし、今も別の意味で続けている。

(未完)

2017年9月6日水曜日

考える余地はいくらでも残っている


何年か後の私が2017年の私を思い返したときに何を思うのだろうかということに若干興味がある。どのみち今のままではありえない。人にも言われたが、あとは私の決断次第らしい。「らしい」とまだ書くところが未練がましく見苦しい。「覚えやすいがややこしい」はハメハメハ。ハメハメハメハメハ~。

しかしこの期に及んでも、良い方向に現時点で進んでいるし、必ず進んでいくと思っているのは、自分を客観視できない身の程知らずの意識高い系だからかどうかは分からない。牧師にありがちかもしれないが、よってたかって「あるある~」とか言われましてもね。希望の神学は意識高い系でした、みたいな。

神学の本質はタブーなき思考にある。「神しか考えてはならない」のではなく「神まで考えてしまう」のが神学だ。人間の理性は謎解きをやめようとしない。考えるだけならリミッターは要らない。ただし大切なのは自己満足に陥らないことだ。それと「神まで考えてしまう」ことは学位や就職と直接関係ない。

「考えすぎで疲れる」と言われる意味がよく分からない。その経験がない。目と肩と腰に激痛が起こることはあるので、その意味の「疲れ」なら分かる。しかし「考えすぎ」で何が疲れるんだろうと思ってしまう。逆に、どこかでリミッターがかかっているからショートしてしまうのではないかと思ってしまう。

誰かを責める意図は全くない。他人の疲れを論評する立場にない。私に限っては「考えが足りなくて疲れる」ことはあっても「考えすぎで疲れる」ことはない。20年でも30年でも毎日背表紙を見つめているだけの本がある。せめて自分が買った本くらい全部読んで人生を終わりたいので、私は当分死ねない。

2017年8月31日木曜日

サブカル語翻訳の限界(下)



(上から続く)

私も日本基督教学会の末席を汚す一会員だが、キリスト新聞社『ミニストリー』最新号(34号、2017年8月)掲載拙文「サイボーグ009にみるロゴス・キリスト論の諸相」(「空想神学読本」)を学術論文としてカウントする考えはないので諸氏の御安心を請う。全力で書いたのでご一読いただきたい。

前にも書いたが、雑誌は「旬の」特集記事や「著名人の」連載記事がもちろんメインだが、それだけでなく、表紙でも宣伝してもらえず広告にも載らないような「埋め草」の部分が意外に重要なのだ。埋め草をサラサラと書けるライターが編集部にとって意外に貴重なのだ。私は「うめくさサラ」と名乗りたい。

あまり遠い過去にしすぎると傷つく方がおられるので控えめに言うが、「かつて」ある世代の人々が口を開けば戦争の話になった。幼少期の体験が焼き付いているからだ。それと同じことが、我々の世代にとってはマンガやアニメだし、今の生徒・学生たちにとってのネットに当てはまるとしか言いようがない。

「お花畑」という罵倒語をよく見かけるが、必ずしも事実ではない。まぶたを閉じれば腕も足も破壊されたマジンガーZや憎々しいバルタン星人を彷彿する人は、おそらく少なくない。過度にトラウマになるようなものは有害指定されて見せてもらえなかった(見たかったわけではない)。それの何が悪いのか。

たぶん今の20代以下の人たちは、60歳になろうと70歳になろうと、まぶたを閉じればピカチューとサトシとロケット団を彷彿するのではないか。あったかい温泉につかりながら「ポケモンゲットだぜ」と口ずさむのではないか。オトナになるとそういうのは一切忘れて演歌をうたうようになるのだろうか。

戦争体験を語り継ぐことが悪いと思っているのではない。血と死の場に居合わせた人だけがこの世のリアルを知っていて、そうでない人はそうでないかのような言われ方には承服できないと思っているだけだ。端的に言ってそれは事実ではない。それぞれの世代のそれぞれのリアルがある。互いに尊重すべきだ。

しかし今書いたことのすべてが私に当てはまるわけではない。戦争のことではない。まぶたを閉じればマジンガーZやバルタン星人を彷彿しないわけではない。しかし、アブラハムやモーセやサムエル、イエス・キリストやパウロやステファノ「も」彷彿する。アニメの主題歌だけでなく讃美歌「も」彷彿する。

その状態を正確に言葉にするのは不可能だが、マンガやアニメや特撮の登場人物と「聖書の」登場人物が同一の地平に共存しているかのようだ。だから私個人に限っては(他の人はそうではないという排他的な意味はない)聖書や宗教を無理にサブカル語に翻訳する必要を感じない。一元化する必要を感じない。

通時性と共時性の関係でいえば、「過去」に属する(?)聖書の登場人物や出来事を「現在」に属する(?)サブカルの登場人物や出来事へと翻訳する必要を見出すのは両者を通時的にとらえている人々であると思われるが、両者が共時的に共存しているかのような感覚を持っている人に翻訳の必要はないのだ。

今書いていることにマンガやアニメや特撮の制作者の意図は全く関係ない。聖書の登場人物や出来事とサブカルの登場人物や出来事が共時的に共存しているかのような感覚を持っている人にとっては両者を一元化する必要がないと言っているだけだ。イエス・キリストとマジンガーZが同一地平上に立っている。

嫌われることを覚悟せざるをえないが、ロックやパンクで「神の愛」を歌うのを聞くのが苦手だったりする。これも理由は似ている。一元化する必要を感じない。ロックやパンクは「人の愛」を歌っていてくれるのがいちばん安心する。アニメの主題歌とロックとパンクと讃美歌は別ジャンルだと私には思える。

長くなったので結論を急ぐ。聖書や宗教のサブカル語翻訳にせよ、ロックやパンクで「神の愛」を歌うことにせよ、そこで行われる一元化の前提理解として「聖書」と「現在」は共存しえない対立関係にあるという思想が潜んでいると私には思える。それが私にとって最大の疑問だ。対立関係ではないと思うよ。

対立関係だと思っているから一方が他方を打ち消そうとする。「聖書」か「現在」か、「神の愛」か「人の愛」か、「讃美歌」か「ロック」か。どちらもどちらも大好きよ私の心は決められない(恋のアメリカンフットボールby Finger5)と思うから無理やり一元化しようとする。なんでそうなるの。

戦争のことにも触れておく。「戦争体験の美化」という言葉まで持ち出すと反発を避けられそうにない。戦場に立ち会ったことや、目の前で人が亡くなったことがリアルでないとは言わない。しかし、それを追体験することが無体験世代に求められているのだろうか。もし求められているとしたら、どうやって。

ネットであやしげな殺人動画などを見始めて「これがリアルだ」とか思い込むのは激しく危険なことだし、そういう問題ではないとしたら、だったらどうするのかという話になるだろう。徴兵制を言う人たちが戦場のリアルを知らないから今の子どもはだめだ、などという。それは違うと私は当然思うし、言う。

ちなみに私の父はナチス台頭の年生まれだ。敗戦の年に小学6年生だった世代。戦場や軍隊の体験があるのはもう少し上の世代の人たちだ。その人たちの体験や証言を否定する意図は毛頭ない。無体験世代の我々の「リアル」も、その人たちの「リアル」と比較して何ら遜色ないぜよと言いたがっているだけだ。



2017年8月30日水曜日

「日本基督教団信仰告白の研究」を完成させたい

「日本基督教団信仰告白の研究」(1995年、未完成)

「日本基督教団信仰告白の研究」と題する約1万字の文章が手元にある。1995年に私が書いた。当時30歳。日本基督教団南国教会(高知県南国市)の牧師だった頃。未完成のまま放置した。1997年に日本基督教団を離れ、2016年に日本基督教団に戻った。しかし私には元々こういう関心があった。

その関心は途絶えたことがない。さすがに日本基督教団の外にいたときに「日本基督教団信仰告白の研究」を書こうとは思わなかったが、絶えず念頭にあった。そして今は正真正銘、日本基督教団教師である。20年以上眠らせていた未完成稿を全面的に書き直し、なんとか完成にこぎつけたいと今願っている。

「日本基督教団信仰告白の研究」を書いた1995年の私がまだ知らなかったのはファン・ルーラーを含むオランダのプロテスタント神学である。私は1997年からファン・ルーラーの研究を始めた。これらはすべて私の中で連動している。どのような関係にあるかを今後明らかにしていく必要があるだろう。

2017年8月29日火曜日

サブカル語翻訳の限界(上)


どこかで読んだことのほぼ受け売りだが、マンガにせよアニメにせよ流行音楽にせよ共通の記憶を持っているのは実は狭い範囲の人たちでありそれ以上ではないのでサブカルベースで語り合うことには限界があるというのはそのとおりだ。私が子どもと一緒に見たビーロボカブタックの話も通用する範囲は狭い。

ビーロボカブタックの登場人物が、高円寺くん、吉祥寺くん、荻窪くん、三鷹さん、小金井さんとすべてJR中央線の停車駅の名前であることや、カブタックがスーパーモードからノーマルモードへと戻るとき「もとに戻っちゃったカブー」と言うことなどは、私は今でもニヤニヤできるが、知らない人は多い。

マスクがトンボの形の審判ロボ、キャプテントンボーグの決め台詞が「一つ贔屓(ひいき)は絶対せず、二つ不正は見逃さず、三つ見事にジャッジする」であることなどは、私にとっては忘れることがありえないほどの強烈な記憶であり、今や私の座右の銘ですらあるが、知らない人が多いので閉口する他ない。

聖書や宗教をサブカル語に翻訳することは悪くない。しかし、上記のような限界があるので、期待するほどの広がりも深まりも起こらない。分かる人には分かるが、分からない人には分からない。書かずもがなのことではあるが、「翻訳者」がこういう自覚を持っていないわけではないことは、分かってほしい。

しかしもうひとつ書いておこう。限界があるからといって、「ほら見たことか。言わんこっちゃない」と、その努力をしたことがないし、しようとしない人が、努力している人の試みを否定するのを支援する意図は私にはない。おそらくそれが最悪の帰結である。できることはなんでもやってみようではないか。

それを言ったらおしまいよかもしれないが、日本の宗教界がピンチなことは事実だが、まずはお寺でも教会でもせめて中学生以下に理解できる平易な日本語でお経なりお祈りなりするようになるだけで、人の興味を取り戻せるのではないか。強固な電磁バリアを張ったままで来い来いと言われましてもねという。

やってるよと言われるかもしれないが、そうだろうか。もう何年も行く機会がないが仏式の葬儀。そのほぼ最初から最後まで少なくとも私には意味不明の外国語のお経を唱え続けられて興味を持てと言われても少なくとも私には無理である。最近は違うのだろうか。最初から最後まで意味が分かる言葉だろうか。

文語の主の祈りや交読文や讃美歌を大事にしている教会がある。それが悪いと責める意図はない。しかし私自身ずいぶん長く教会生活を送ってきたつもりだが、いまだにただ音声として発しているだけの部分がないとは言えない。意味や気持ちは後からついてくるから分からぬまま唱え続けろ式で大丈夫なのか。

意味など分からないほうが高尚で権威を感じて「ありがたい」から宗教らしさがあっていいという感覚は理解できないわけではない。しかし、そういうのはピンチの回避をする気など全くなく、次の世代、次の時代にこれを残す意思もない、悠長で自己都合だけの人たちの考えだと言われても仕方がないだろう。

この点から考えると、聖書や宗教のサブカル語翻訳は一方の極から他方の極へのジャンプのように思えてならない。一方の極端に意味不明な領域から他方の極端に意味不明な領域への飛び移り。これもサブカル語翻訳者や企画者に対する批判ではない。私自身もするので。しかし「普通」はないのかとよく思う。

(下に続く)