2017年1月10日火曜日

書斎の本の説明


画像の説明、左上から。一列目古代教父、アウグスティヌス、トマス・アクィナス、リュースブルク、ルター、カルヴァン、ウェスレー、二列目バルト、三列目ノールトマンス、ミスコッテ、ベルカウワー、ティリッヒ、ボンヘッファー、カイパー、バーフィンク、四列目ファン・ルーラー、現代神学、辞書類。

ノールトマンス(Noordmans)、ミスコッテ(Miskotte)、ファン・ルーラー(Van Ruler)は、20世紀オランダ改革派教会(Nederlandse Hervormde Kerk)の「三大神学者」(derde grote theoloog)と呼ばれている存在。

ノールトマンス、ミスコッテ、ファン・ルーラーが20世紀に属した「オランダ改革派教会」(NHK)は今は存在しない。もうひとつのオランダ改革派教会(GKN)とオランダ福音ルーテル教会とNHKが合同して「オランダプロテスタント教会」(PKN)として現存する。「三大」神学はPKNに継承。

「改革された(英語でもドイツ語でもオランダ語でも過去形で表現する)教会」を名乗るかぎり16世紀に縛られているイメージを保持し続けてしまう。「プロテスタント教会」だって何かにプロテストしていると言いたいのだろうと見られてしまうかもしれないが、歴史的名称としては他に名乗りようがない。

プロテスタント教会の神学は、カトリック教会、オーソドックス教会に次ぐいわば「第三の」神学なので、すべてをカバーしうるような蔵書は個人的には不可能であるにしても、どうしても相対的に蔵書量が多くなってしまうと言えると思う。「第三の」神学は前二者を「包括する」という自負を持つがゆえに。

1月5日(木)千葉県北西部(現住所の柏市含む)震度3以上(震源地福島M5.8)でピクリともしなかった。東日本大震災のとき千葉県北西部は震度4だが、当時の住所地(松戸市)の本棚から1冊も本は落ちなかった。震度5以上の経験はないが、その場合はうちだけではなく首都圏全体の問題だと思う。

説教もまた「言葉」であるかぎり、それなりの結果責任は生じるので、何らかの根拠に基づいて語らざるをえない。それが蔵書が増えていく理由。単なる蔵書趣味ではないつもり。

2017年1月9日月曜日

書斎の本棚の大幅な並べ替えをしました

今日(2017年1月9日月曜日)は、先週金曜日の時点ではただランダムに突っ込んだだけだった書斎の本棚の大幅な並べ替えをしている。満を持して始めたものの、片付けているのか散らかしているのか分からない状況がえんえんと続いている。だが、そろそろ時間切れだ。このままだと寝るところがない。


とりあえず寝られる場所は確保できたので書斎整理終了。今日で休みは終わり。明日から多忙。次の書斎整理は来年かも。地震の心配はしている。今日もひどく重い全3巻の『へメーネ・フラチー』という呪文の本が足に落ちて痛かった。『夜中にラーメンを食べても太らない技術』の本を久しぶりに見つけた。


今夜で終わる年末年始の休暇を振り返って思うのは、過去に例がないほど最も体を動かした休暇だったのではないかということだ。ほとんど書斎に引きこもりっぱなしだったが、1年前からの懸案だった書斎整理に取り組めた。これからはいろんな質問に迅速に対応できる。いちおうこれでも「先生」なので。

2017年1月8日日曜日

神があなたの行く道を教える(豊島岡教会南花島集会所)

ローマの信徒への手紙8章28~30節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。」

おはようございます。日本基督教団教務教師の関口康です。今日もよろしくお願いいたします。

豊島岡教会南花島集会所で前回説教させていただいたのが昨年11月13日ですので、2ヶ月前です。そのあいだに日曜日は7回ありました。それぞれ私がどこにいたかを明かします。

まず千葉市の日本バプテスト連盟の教会に3回。そのうち2回は私が説教しました。先週1月1日は千葉県いすみ市の日本基督教団上総大原教会で説教しました。元日の朝に片道200キロ離れた教会に車で行きました。残り3回は松戸市の日本基督教団小金教会、新松戸幸谷教会、そして千葉市の西千葉教会の主日礼拝に出席しました。

本来でしたら、どこかひとつの教会に落ち着いて、続けて礼拝に出席すべきであることは分かっています。ふらふらしているように思われるのは、よいことではありません。しかし、少しわがままな言い方をお許しください。今のような教会生活は、私にとって生まれて初めての貴重な経験なのです。

私は昨年11月に51歳になりました。51年、教会に通ってきました。前回申し上げたとおり、私の父は日本基督教団松戸教会で60年前に洗礼を受けました。母は岡山市内の日本基督教団の教会で洗礼を受けました。その両親の二男として生まれ、その後ずっと教会に通ってきました。そして高等学校を卒業してすぐに東京神学大学に入学し、大学院を卒えてすぐに日本基督教団の教師になりました。それが27年前です。当時は24歳でした。

それ以降はずっと教会で説教する立場にいました。それは他の牧師の日曜日の礼拝説教を聴く機会がほとんどなくなったことを意味します。しかし、今は違います。自分が説教を担当させていただく日曜日以外は、毎週違う教会に行き、他の牧師の礼拝説教を聴かせていただいています。それは私にとって大きな恵みです。そして私にとって貴重な学びの機会でもあります。

大きな声では言えないことですが、と言いながら大きな声で言っていますが、高校を卒業するまで18年も通った教会の牧師の説教は全く理解できませんでした。

それは単に私が子どもだったからだという面ももちろんあるとは思いますが、それだけではありません。そんなふうにだけ言うと、子どもをばかにしていることになります。中学生、高校生には聖書についても、あらゆるものごとについても十分な理解力があります。それは私がいま高校生を相手にしながら思うことでもあります。

その教会に18年も通いました。生まれたときから。私はその教会の附属幼稚園の卒園生でもあるのです。それでも全く理解できませんでした。何を言っているのかが分からなかったのではありません。納得できませんでした。内容を受け容れることができませんでした。教会に行くたびに「違う、違う、そうじゃない」と首を横にふり続けていました。

だから、自分が牧師になろうと決心しました。高校を卒業してすぐに東京神学大学に入学することを決心した理由は、自分の眼前のこの牧師の代わりに私が説教すべきであると本気で思ったからです。そういうことを考える高校生もいるのです。

ですから私は、教会の説教が理解できないことで苦しんでいる人の気持ちがとてもよく分かります。深く同情します。

はっきり言っておきますが、説教が理解できないのは、聴く側の人の聴き方の問題ではありません。勉強不足だから、自分の知識が足りないから理解できないというのでもありません。100パーセント、説教者の側の問題です。これは感情に任せて言っていることではなく、厳密に考えて申し上げていることです。

どうしてそうだと言えるのでしょうか。それは、私の先生でもある加藤常昭先生が、私が東京神学大学の学生だった30年前から言っておられたし、その後もずっと加藤先生の十八番になっている話と関係しています。東京神学大学の先生たちの話は、私の心に深く刻まれています。

加藤先生が繰り返しおっしゃるのは、ゲアハルト・エーベリンクというドイツの神学者が、日本語版も出版されている『キリスト教信仰の本質』(飯峯明訳、新教出版社、第一版1963年、第二版1983年)という本の冒頭に書いていることです。

そこにエーベリンクが書いているのは「興味」という言葉の意味の説明です。英語のインタレスト、ドイツ語でもインタレッセです。それはラテン語のinter-esseである。そして、その文字通りの意味は「~の間にあること、そのそばにいること、その事柄のもとにあること、その事柄にかかわること」であると書いています(同上書11ページ)。

そのうえでエーベリンクが続けていることを加藤先生がまとめておっしゃいます。それは、何かに興味や関心を持つことができるかどうかは、結局のところ「自分に関係があるかどうか」に尽きるということです。

高校で授業をしていると、てきめんに分かります。生徒は「自分に関係ある」と感じているところでは目を覚ましています。「自分に関係ない」と感じた瞬間から居眠りを始めます。教壇から見ていると、とてもよく分かります。全員が目を覚ますときがあります。それは「これはテストに出ます」と言うときです。テストと無関係な生徒は、学校にはひとりもいないからです。

エーベリンクの言葉を一箇所だけ引用させていただきます。愛とは何か、死とは何かなどのことが問題になっているときに、人の心の中に起こる反応について書いているところです。

「このような問いを取り扱うとき、たといわたし自身があらわに話題になっていないときでも、事実的にはわたし自身が話題になっているのと全く同じことが、語られていることになる。つまり、そこでかかわってくる問いは、わたし自身につき当たっている問題であるからであり、わたし自身がそれらの問いの中で現われてき、そこでわたし自身が問われているからである」(同上書、12ページ)。

この中に出てくる「わたし自身につき当たっている問題」というのは、今の若者ことばの「刺さる」です。べつに若者だけが使っていることばでもないのですが、若者たちが使う場合は「グッと来る」というような意味です。グッと来る言葉や、グッと来る音楽が「刺さる」と言います。

それは「自分に関係ある」ということです。「私の話をしてくれていると感じる」ということです。そのときに興味がわく、関心を抱く。興味や関心とは、それ以上でもそれ以下でもないのです。

私が高校生のときに考えたことと、エーベリンクの話がストレートに結びつくわけではありません。しかし18年聴き続けても理解も納得もできなかった説教は、私の心には「刺さり」ませんでした。

そういうわけで、私はいま教えている高校生の中からぜひ私と同じ志を持つ生徒が出てきてくれることを願っています。いまお笑いになった方は、私が言おうとしていることがお分かりになったからでしょう。

そうです。私がワケの分からない授業とワケの分からない説教を続ければ、「あの教師を教壇から引きずり下ろして自分が聖書の授業をする。チャペルの講壇から引きずり下ろして自分が説教をする」と言い出す生徒が出てきてくれるのではないかと期待しています。

しかし、今日はこのままずっと私の話だけしてこの説教を終わらせようとしているわけではありません。先ほど朗読していただいた聖書の箇所と今までお話ししたことが深い次元で関係していると思っているので、かなり長く自分のことを話させていただきました。

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(28節)と書かれています。

この箇所は時々誤解されるところがあるので、気をつけなくてはなりません。「御計画に従って召された者たち」とはキリスト者のことです。教会のことです。狭い意味で牧師、説教者になった者たちだけのことではありません。

その者たち、すなわちキリスト者のことを、神は「前もって知っておられ」、「御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められ」(29節)、そして「神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになった」(30節)とまで書かれています。

これだけを読むと、なんだかまるでベルトコンベアに載せられて自動的にキリスト者が製造される工場のようなものを思い浮かべる人が出てくるとも限りません。

すべては神の御計画。人間の側の意思も決断も一切関係なし。我々の悩みも苦しみもすべて神のたなごころ。手のひらの上でころころと転がされているだけ。我々が苦しんでいる姿を、山のあなたの空遠くから、神がニヤニヤ笑いながら見おろしておられる。そういうふうなイメージでとらえる人が出てくるかもしれません。

しかし、それは全く違いますから。そのような話ではありませんから。完全な誤解ですから。どうかご安心いただきたいし、もし誤解しておられるようでしたら考えを改めていただきたいです。

どう言えば理解していただけるのかは難しいところではあります。あまり説得力はありませんが、ひとつの点を言えば「神を愛する者」と書かれていることは重要です。

ベルトコンベア式で考えれば、我々は「神を愛する者」ではなく「神を愛させられている者」(?)と奇妙な受動形を使って言わなくてはならないでしょう。もしキリスト者の存在を、自分の意思が働く要素はなく、100パーセント完全に神のコントロール下で動かされているようにとらえるのであれば。

しかし、それは違いますから。全くの誤解ですから。そこに人の意思は必ずあります。決断も当然あります。我々自身の主体性があります。そこにはまた必ず葛藤があり、悩みがあります。

「万事が益となる」の「万事」に、それら一切が含まれます。「あの牧師を講壇から引きずり下ろさなければならない」という苦渋に満ちた決心が含まれます。その後の長年にわたる苦闘がすべて含まれます。

神がすべての道を備えてくださいます。わたしたちの行く道を教えてくださいます。しかし、その道の上を歩いていくのは、あくまでも私自身です。それらすべてが「共に働く」のです。

ローマの信徒への手紙8章28節は、私が高校を卒業して東京神学大学に入学することになったときに、私の母が送ってくれた言葉です。「この御言葉を大事にしなさい」と教えてくれました。

(2017年1月8日、日本基督教団豊島岡教会南花島集会所 主日礼拝)

2017年1月6日金曜日

書斎整理とりあえず完了

今日(2017年1月6日金曜日)でとりあえず書斎整理に一区切りつけることにした。思い立って動き始めたのが先週金曜日の12月30日だったので、一週間もかかった。ほぼ自室に引きこもりっぱなしの年末年始となった。少しは生活感が出てきたと思う。生息はしていたが、ちょっと進化した気がする。


2017年1月5日木曜日

スタンドの皆さん、アリーナを見守ってください!

2017年1月5日20時30分撮影
今日(2017年1月5日木曜日)も起床直後から、自宅(借家)書斎の整理をしている。週末も冬休みの終わりも近づいているので、今日でなんとか決着をつける。かくして今日も書斎は大混乱状態。「これは創造のための破壊なのだ」とか「これはルービックキューブなのだ」とか自分に言い聞かせている。

「しゃべる目覚まし時計」を利用するようになって、朝の目覚めもさることながら、時報をしゃべってくれるのがありがたい。一向に行動を起こせずどうするこうすると悶々とするばかりの中、無駄情報が多いのでかえって煩わしいテレビではない相手が時報をしゃべってくれると背筋が伸びる。やる気が出る。

「しゃべる目覚まし時計」が時報をしゃべってくれたので、背筋は伸び、やる気が出たが、あれれ力が出ない。「顔が汚れて力が出ない」はアンパンマンだが、顔は起きてすぐに洗ったぞ。そうか、朝から何も食べていなかった。何か食べなくちゃ。家族の冬休みは終わったので、さびしくひとりでお昼ごはん。

「今日でなんとか決着をつける」と書いたが、だんだん不機嫌になってきたので、書斎整理終了。製本組の偉い方々は全員スタンドに上がっていただいた。しかし、真の戦いはこれから。30年前からの自筆系未製本組が全部ある。パンドラの箱。砂上の楼閣。スタンドの皆さん、アリーナを見守ってください!

書斎の広さ(狭さ)の問題がもっぱらの理由ではあるが、このたび思い切って、「ファンダメンタリスト」の皆さまとの決別の意思をこめて「閉架送り」とさせていただいた。書斎の押し入れに押し込んだだけだが。ひもで縛って資源ごみに出すことまではできずにいる。それでも気持ちのうえですっきりした。

2017年1月4日水曜日

たこ焼きパーティーと書斎整理の一日

今日(2017年1月4日水曜日)も午前中からずっと、自宅(借家)の書斎の本の整理をしている。書斎内で散らばっていた遠い過去の哲学者や神学者の全集や、何巻もある長大な著書などを全部集めて巻数順に並べなおしていると、「分霊箱を集めてヴォルデモートを復活させようとしている」錯覚に陥る。

(♫ ラスボス出現の曲~)
だれじゃ、わしの本を分霊箱だ、わしをヴォルデモートだ言っておるのは。


うちでたこ焼きパーティー。ウィンナー焼きや、モチーズ焼き(おもちとチーズ)も。くるりんぱと上手に焼いてくれたのは妻と娘。ありがとう。


たこ焼きパーティーで心が満たされて、書斎の本の整理を続ける気力がなくなった。本棚をさらに追加購入しに行かなければと考えていたが、今日はあきらめた。ただ、こういうことは休み中しかできないのであまり悠長でいられない。平積みカオス状態の本は役に立たないが、きちんと並べるだけで生き返る。


本日の書斎の本の整理作業はこれにて終了。現在21時。60パーセントというところか。でもゴールのイメージがかなり見えてきた。ナニずっと付き合ってきた本だ。住む場所、置き場所が変わっただけでガタガタ言うな。1年間ばらばらのまま放置して申し訳ない。これからは自由に遊んでもらえるだろう。


我々の職務にとって重要なことは、部屋がきれいに片付いていることそれ自体ではない。その時々に必要な情報を得るために、信頼すべき情報源にいかにスムーズにアクセスしうるかである。ヤン・ファン・セキ・グーチ


いまはっと気づいたが、うわあ、今日はついに家の玄関の外に一歩も出なかった。風呂に入って、下着を着替えて、ひげを剃ったのに。今日したのは、家族でたこ焼きパーティーと、書斎の本の整理だけだ。それを写真にとってフェイスブックとツイッターで報告しただけだ。なんという一日。でも楽しかった。

2017年1月3日火曜日

夜露死苦

今日(2017年1月3日火曜日)の午後は近所のホームセンターで新しい本棚を買い、書斎の本の整理に取り組んだ。片付いたとはとても言えないが、15時から21時まで6時間立ちっぱなしで続けたので疲れた。これにて作業を終了する。その間もずっとガーネット・クロウさんの曲に励まされていた。

今日がんばって片付けたので、1年前の入居後初めて6畳間の半分の畳を見ることができた。それがうれしくて写真を撮りまくっている。四半世紀かけて購入した本はこれだけ。牧師の中では少ないほうだ。自慢げに言うが厳選して購入してきた。ほとんど古書で購入。新本を定価で買ったことはほとんどない。


安かったらしく家族が都内のデパ地下でいろいろお惣菜を買ってきてくれたので、これでみんなで夕食。なかなか美味しかった。妻の料理のほうが美味しいと思ったが。正月気分も今日までは許されていいだろう。そろそろ切り替えていかなくては。休みが終わり次第いきなりエンジン全開するので。夜露死苦。


2017年1月2日月曜日

疑惑のマウス

年末から変だと思っていたが、疑惑が確信に変わりつつある。どうやらマウスが壊れている。1回クリックすると2回押したことになるようで、「いいね」が取り消しになる。それで、いろんな方の記事にカチカチカチカチ「いいね」を押し続けている。たくさん通知が届いてしまっている可能性があり、申し訳ない。


基本的に1年前と何も変わっていない書斎机の画像を公開。著名な神学者にならって「変更しえないものを受容する平常心、変革すべきものを変革する勇気、両者を識別しうる賢さをください」と祈る日々。


とはいえ、変わったところが全くないわけではない。最も大きな変化として、ガーネット・クロウさんを毎日聴くようになったこと、「しゃべる目覚まし時計」に起こしてもらうようになったこと、血圧降下剤を毎日服用するようになったことの3点を挙げることができる。


夜空を見上げると、妙に寝そべった三日月と金星の関係。輝きは他の星々を圧倒しているが、デザイン的には不気味なアンバランスさを感じる。にやりと笑っているようでもあり、泣いているようでもあり。もうちょっとなんとかならないかと、無理なことを言いたくなる。


今夜は家族で水炊きを楽しんだ。なんといっても高知馬路村ポン酢しょうゆでいただくのが好き。27年前から6年間高知県の教会で働いたときからずっと愛用。たっぷり野菜、ほくほく鶏肉、しらたき、焼き豆腐によくからむ。最後におもちをひとり1個ずつ。おお、のびるのびる。にゅう~ん。あったまる。

2017年1月1日日曜日

教会の使命いまだ已まず(上総大原教会)

エレミヤ書1章4~8節、使徒言行録22章17~21節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「主の言葉がわたしに臨んだ。『わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた。』わたしは言った。『ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。』しかし、主はわたしに言われた。『若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す』と主は言われた。」

「『さて、わたしはエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、主にお会いしたのです。主は言われました。「急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである。」わたしは申しました。「主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を迫害したり、鞭で打ちたたいたりしていたことを、この人々は知っています。また、あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです。」すると、主は言われました。「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。」』

あけましておめでとうございます。日本基督教団教務教師の関口康です。上総大原教会の新年礼拝にお招きいただき、ありがとうございます。どうかよろしくお願いいたします。

しかしまた、私が今日ここに立たせていただいているのは、上総大原教会の前任者の石井錦一先生が昨年7月4日に突然亡くなられたため現在この教会の牧者が失われた状態であることを同時に意味しています。皆さまのお気持ちを思うと、胸が苦しくなります。

私も石井先生にはいろいろお世話になりました。最初にお会いしたのは13年前の2004年4月です。私は当時、日本基督教団ではなく日本キリスト改革派教会の教師でした。2004年4月に松戸市の日本キリスト改革派教会の牧師になりました。そのとき松戸教会におられた石井先生を表敬訪問したのが最初の出会いでした。

その後、石井先生から「関口くんの歓迎会をするので来てください」というお電話をいただきました。集まっていたのは松戸市内の超教派の牧師がたでした。その後も石井先生とは何度もお会いし、温かいアドバイスをいただきました。

私の父の出身教会が松戸教会です。60年前に父が千葉大学園芸学部(千葉県松戸市)で学んでいたとき、松戸市内で行われた賀川豊彦先生の伝道集会に誘われ、そこで信仰を与えられ、まもなく松戸教会で洗礼を受けました。父は大学卒業後、就職で岡山市に移り住みました。私は岡山で生まれました。

父にとって信仰のふるさとは松戸教会です。それは同時に、私の信仰のルーツが松戸教会であることを意味しています。父に洗礼を授けてくださったのは石井先生の前任者の黒岩先生でしたが、石井先生は私の父が松戸教会の出身者であることをとても喜んでくださいました。

その石井先生と最後にお会いしたのは一昨年2015年5月8日でした。私はもともと日本基督教団の教師でしたが、一昨年2015年までの19年間は日本キリスト改革派教会の教師でした。その私が再び日本基督教団の教師に戻ることを決心したときにも石井先生に相談させていただきました。そのときも石井先生は親身になって私の言葉に耳を傾けてくださいました。

しかし、それほどまでお世話になった石井先生が昨年7月4日に亡くなられたことを、私はしばらくのあいだ全く知らずにいました。昨年7月の時点では、私はすでに日本基督教団の教師であり、東京教区千葉支区の教師でしたが、私には知らせていただけませんでした。それで石井先生の葬儀に馳せ参じることができませんでした。

現在の私は高等学校で聖書を教える教員です。月曜日から金曜日までの朝8時半から夕方5時半までが勤務時間です。千葉支区教師会には出席できていませんし、千葉支区主催の行事にも出席できていません。しかし声を大にして言わせていただきます。私は日本基督教団東京教区千葉支区の教師です。ぜひ皆さまのお仲間に加えていただきたく心から願っています。

さて、その私が今日、上総大原教会の主日礼拝で、しかも新年礼拝で説教をさせていただく機会を与えられました。この教会をお訪ねするのも千葉県いすみ市に足を踏み入れるのも初めてです。全くの初対面の皆さまにどのようなお話をさせていただこうかと考えましたが、なんとか心が定まりました。ここはなんといっても、とにもかくにも「伝道」の話をさせていただこうと思いました。

この教会だけではありません。日本基督教団だけではありません。すべての教会が大きな悲鳴をあげています。伝道不振に喘いでいます。キリスト教だけではありません。宗教が弱っています。まるで役割を終えてしまったかのように。そして、なんたることか、教会や牧師たちが、まるでそのことが自分たちに定められた動かしがたい運命であるかのように受け容れ、自分たちの終わりの日が来るのを無抵抗にじっと待っているかのようです。

冗談ではありません。教会を勝手に終わらせないでください。このように言うのは、だれかを非難したいわけではありません。私自身にも責任があります。教会を勝手に終わらせてはなりません。

教会はだれのものでしょうか。そのことをわたしたちは何度も自分に問いかけなくてはなりません。教会はわたしたちのものでしょうか。ある意味で、そのとおりです。わたしたちの教会はわたしたち自身が守っていかなければなりません。

しかし、教会はわたしたちのものでしょうか。それだけでしょうか。もしそうだとしたら、教会がうまく行かなくなったら、さっさと閉じて山分けでもするのでしょうか。冗談ではありません。教会は神のものです。イエス・キリストのものです。その意味では教会はわたしたちのものではありません。そのことをわたしたちは決して忘れてはなりません。

教会に与えられている使命についても同じことが言えます。わたしたちはイエス・キリストを勝手に殺してはなりません。「もう大昔に死んだ人だろう」と、わたしたちまでが言うべきではありません。そんなのは信仰ではありません。イエス・キリストは生きておられます。そしてその生きておられるイエス・キリストから教会に、日々新しい使命が与えられ続けています。

もちろん「現実的に考えること」も大事です。しかしそこでわたしたちは屁理屈を言い続けてよいと思います。「現実」とは何を意味するのか、その定義を示してみよと、問い続けることが必要です。その問いの答えは単純なものではありえないからです。

名指しなどは避けますが、隠退した牧師のような人々が「教会の店じまいをしなくてはならない」とか言い出すことがあります。冗談ではありません。そのような言葉を聞くたびに非常に嫌な気持ちになります。教会は神のものです。イエス・キリストのものです。勝手に私物化しないでください。

初めてお訪ねした教会で、しかも新年礼拝というおめでたい場所で、なんだか腹立ちまぎれのような話をしているようで申し訳ありません。しかし私の気持ちはなんとか皆さんを励ましたいだけです。その一心で今日ここに立たせていただいています。

今日、皆さんに開いていただいた聖書の箇所は2箇所です。この教会では旧約聖書と新約聖書の両方を朗読しておられることが事前に分かりましたので、そのように選ばせていただきました。旧約聖書のエレミヤ書1章と、新約聖書の使徒言行録22章です。

2つの箇所に登場するのは、預言者エレミヤと使徒パウロです。両者に共通する要素があります。そのひとつは、御言葉を語るようにと、エレミヤは神から、パウロはイエス・キリストから命ぜられていることです。

しかし、それだけではありません。共通している要素がもうひとつあります。エレミヤもパウロもその命令をはっきり断ります。神から「しなさい」と言われたことを「いやです」とお断りするのがエレミヤとパウロの共通点です。

「はい分かりました」と二つ返事でお引き受けするというようなあり方とは全く違います。しかも彼らは、なぜ断るのか、なぜ自分はその働きにふさわしくないのか、その理由を具体的に挙げました。その点がふたりとも共通しています。

しかも彼らが挙げた理由はどちらも非常に客観的でした。説得力を感じるものでもありました。彼らが挙げた理由を聞くと、おそらく多くの人が納得したことでしょう。それは彼らが自分の姿を客観的に冷静に見つめていたことを意味しています。

エレミヤは、「わたしは若者にすぎません」と言いました。それを聞けば「たしかにそれはそうですよね。若い人には無理ですよね」と多くの人が納得しただろうと思います。

パウロは、自分がもともとキリスト教の迫害者であり、キリスト者をつかまえては殺して回っていた人間であることを多くの人に知られていることを理由に挙げて、そんな私は今さらイエス・キリストの福音を宣べ伝える働きにはふさわしくないということを言おうとしました。それもおそらく多くの人が納得できる理由です。「それはたしかに無理ですよね。やめておいて正解です」と認めてもらえる理由だと思います。

しかし、それではなぜ私は今日、伝道の話をするために、この2つの箇所を選ばせていただいたのでしょうか。皆さんにはきっともうお分かりでしょう。

私が申し上げたいのは、もしわたしたちが伝道をやめてしまい、教会をあきらめてしまおうとするならば、そのための理由もまた、客観的にあげていけばいくらでも見つかるし、どれも非常に説得力のある材料になるに違いないということです。

数え上げればきりがありません。「少子高齢化です」、はいそのとおりです。「経済不況です」、はいそのとおりです。「社会全体の宗教離れです」、はいそのとおりです。すべては客観的に正しいし、説得力があります。もはや何の反論もできません。

しかし、それが何なのでしょうか。それがどうしたというのでしょうか。そのような理由をいくら客観的に分析し、どれほど説得力をもって言おうとしても、わたしたちが教会をあきらめ、伝道をやめる理由にはなりません。「恐れるな」と言われ、「わたしがあなたを遣わすのだ」と言われ、「あなたを遣わしているのは、このわたしなのだ」と言われる方が生きておられるかぎり。

私はいま学校の教員ですので、学校が取り組んでいる客観的で学問的な社会分析といった次元のことを軽んじる意味で申し上げているわけではありません。そういうことも大事です。しかし、最終的には、そういうのは全くどうでもいいことです。

どれほど自分の姿と社会の姿を冷静に見つめ、客観的に分析しようとも、それはわたしたちが伝道をやめ、教会をあきらめる理由にはなりません。そのような理由など教会には存在しないからです。なぜなら、教会は神のものであり、イエス・キリストのものだからです。

私は、自分の伝道がうまく行ったと思えたことはありません。どこに行ってもうまく行かず、失敗だらけで、いくつもの教会を転々とし、そのたびに家族を泣かしてきた者です。そのような者が申し上げていることですから、全く説得力がない話であることは自覚しています。「こうしたら伝道はうまくいく」、「こうしたら教会は成長する」という話は私にはできません。そのことをお詫びしたい気持ちです。

本音をいえば、逃げ回りたい気持ちがないわけではありません。自分にはふさわしくないとお断りする理由をあげていけば、いくらでもあります。現実的に考えていくと、とても乗り越えられそうにない高すぎるハードルはいくらでも見つかります。

しかし、主のご命令ですから従います。教会をあきらめることができません、伝道をやめることができません。そういう感じでよいのだと思っています。

もう一回言いましょうか。わたしたちがどれほど客観的に正しく、説得力のある理由を探してきても、教会をあきらめ、伝道をやめる理由にはなりません。教会は神のものであり、イエス・キリストのものですから、わたしたちが勝手にあきらめ、勝手にやめることはできないものだからです。

上総大原教会の歩みがこれからも主に守られますようにお祈りさせていただきます。支区・教区・教団の交わりの中で、私もお祈りとお支えの仲間に加わらせていただきます。

(2017年1月1日、日本基督教団上総大原教会 新年礼拝)

千葉県いすみ市を初めてお訪ねしました

千葉県いすみ市をお訪ねするのは今日が初めてでした。上総大原教会の主日礼拝(新年礼拝)の開始時刻の2時間前にいすみ市に到着。いすみ市のことを何も知らずに説教するのは失礼なことだと思い、1時間かけて市内めぐりをしました。元日の早朝から多数のサーファーががんばっている姿に感動しました。

元日の早朝から多数のサーファー
千葉県立大原高等学校
いすみ鉄道 JR大原駅