2016年12月11日日曜日

最後の希望の光(千葉若葉教会)

ルカによる福音書2章8~14節

関口 康

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」

プロテスタントの教会にもいろいろありますが、「ふだんは教会暦のことなど全く無視しているのに、クリスマスとイースターとペンテコステばかり騒ぐのはいかがなものか」という意見が昔から根強くあることを皆さんもご存じだと思います。私もどちらかといえばそちらの影響を強く受けている人間ですので、アドベントになってもクリスマスになってもポカンとしているほうです。皆さんのお考えと違うようでしたらお許しください。

イエス・キリストの降誕の出来事を描いた聖書の箇所は、教会では何度も何度も読まれますので、さすがに聞き飽きたと思われる方が多いと思います。私も過去51年間教会生活をしてきましたので、50回はクリスマス礼拝をささげました。そのたびに同じ聖書の箇所が読まれますのでうんざりするのですが、今年の私はちょっと違います。新しい視点が与えられたという思いでいます。

新しいと言ってもそれほど新しくもないのですが、それは私にとっては新しい、とても新鮮な視点です。まだ先々週の12月2日金曜日に古書として入手して読み始めたばかりの本ですが、ドロテー・ゼレ先生の『神を考える 現代神学入門』(三鼓秋子訳、新教出版社、1996年)に書かれていることを読んで与えられた、私にとってはとても新しい視点です。

ゼレ先生は、ドイツで生まれ、アメリカのニューヨーク・ユニオン神学大学で教え、再びドイツに戻って活躍した女性の神学者です。1929年生まれとのことで、私の親とほぼ同世代の方です。そして、2003年に73歳で亡くなられました。

『神を考える』の日本語版の出版は1996年です。ちょうど20年前です。原著ドイツ語版の出版は1990年ですので26年前です。1990年といえば、私が東京神学大学大学院を修了して高知県の日本基督教団の教会の伝道師として仕事を始めた年です。当時の私は24歳で、現在51歳です。その頃のことを思い返すと、懐かしいと言えば懐かしい。しかし、教会と神学の歴史の長さを考えれば、ゼレ先生の神学はまだまだ新しい考え方です。

ゼレ先生の著書の日本語版は『神を考える』以外に、『苦しみ』(西山健路訳、新教出版社、1975年)、『働くこと愛すること』(関正勝訳、新教出版社、1988年)『幻なき民は滅びる 今、ドイツ人であることの意味』(山下秋子訳、新教出版社、1990年)などがあります。私が最初に購入したのは『苦しみ』ですが、ずっと前に購入しましたが全く理解できず、放置していました。しかし、やっと理解できるようになりました。ゼレ先生が何を言おうとしているのかが分かるようになりました。

そういうわけで今日は、聖書そっちのけでゼレ先生の本をずっと読んでいたい気持ちですが、そうも行かないと思いますが、今日はゼレ先生の文章を長めに引用することをお許しいただきたく願っています。以下のように記されています。

「一つ聖書の例を引いて、いろいろな神学的伝統における解釈の多様性を明らかにしてみたい。その例として、イエスが処女マリアから生れたという話を考えてみよう。正統主義は、この話を字句通りそのまま解釈する。イエスは処女から生れたのである。この教義的な表明は、アメリカのファンダメンタリストたちからは五つの根本的信条の一つとまでされ、信仰的財産に修正を加えようとする今世紀初めの自由主義的試みに対抗した」(65頁)。

解説の必要があるでしょうか。「正統主義」とか「ファンダメンタリスト」と呼ばれているのは聖書解釈の「保守的な」立場の人々です。「今世紀初め」は今では「前世紀の初め」です。引用を続けます。

「保守的な福音絶対主義の人たちの間では、処女降誕の教えはキリスト教信仰の本質的な構成要素とされ、これがなければ信仰は告白されることができない。この人たちにとって、信仰を決定する意味を持つのは戦争や大量虐殺の手段に対する態度ではなく、恐らく処女降誕の教えであろう」(65~66頁)。

ゼレ先生はこれを皮肉で書いておられるのではありません。全く書いてあるとおりです。「保守的な福音絶対主義の人たち」は、名指しは避けますが、つい最近まで私の身近なところにいましたので、私も肌感覚で分かります。真面目な人々ですが、ぞっとするところを持っています。引用を続けます。

「そこへ自由主義的な批評家がやって来て、聖書を開き、新約聖書の最も重要な記者はこの話を全く知らないか、或いは述べていないということを確認する。マルコはその福音をイエスが既に三十歳のときの受洗から書き始め、子供時代のことについては何も述べていない。マルコにとっては処女マリアに何があったのか、イエスがどのようにして生れたのかは、重要なことではなかった。ヨハネはイエスをずっと神のもとにおき、誕生の話を深く考えてはいない。それはパウロも全く同じである」(66頁)。

これは解説の必要はないでしょう。他の箇所にはっきり書かれていますが、「自由主義的な批評家」というのは、ゼレ先生が卒業したドイツのゲッティンゲン大学神学部や他のドイツの大学の神学者を指しています。引用を続けます。

「諸宗教をそれぞれの文脈において比較する、自由主義神学の副業であるいわゆる宗教史学派の助けを借りて、自由主義神学は処女降誕が古代ではかなり広まっていたモチーフであることを発見した。人々は好んで重要な人物や偉大な英雄が、処女から生れたと言ったのである。この各地で見られるモチーフは、父親が誰であるかはっきりとわかっている人でも、処女から生れたといわれるほど広く語られた。例えばソクラテスの父親も母親も私たちはよく知っているが、彼が死んで四百年のちには、処女降誕が語られた。ソクラテスの神性をより一層明らかに表すことができると考えたからである。したがってこのモチーフはユダヤ教ではなく、ヘレニズムに端を発したものであった。ヘブライの聖書は預言的に『おとめ』について語っている(イザヤ7・14)。そしてこのモチーフがルカの報告となって、教会史の中に入り込んできた。性や女性を敵視する響きは、聖書にはない」(66頁)。

「処女降誕物語」のヘレニズム起源説については、青野太潮先生も近著『最初期キリスト教思想の軌跡』(新教出版社、2013年)に書いておられます。ソクラテスが処女から生れたという話が実在することを知っている方々は、同じような話が聖書の中に紛れ込んできたことを証明できると考えておられます。私も特に異存はありません。しかし、ゼレ先生の意見は、ここから先です。

「私は18歳のときに持ったキリスト教への疑念を思い出すことができる。私が砕くことができなかった石(一番大きなものではなかったが、しかし一つの石であった)の一つが、私には理解できないこの処女降誕であった。なぜこのことを信じなければならないのか、解らなかった。処女から生れたイエスのほうが、父親がいるイエスよりも立派だというのか。それが私の救い、罪と悲しみからの解放に何の役に立つのか、私は理解しなかった。この信仰的財産がヘレニズム的解釈の一つに過ぎず、私がキリスト者であることにとって本質的なことではないということを自由主義神学を通して知ったとき、私がどんなに解放されたと感じたかを、今でもはっきりと覚えている。自由主義のパラダイムは、人間をしばしば信仰の躓きから解放してくれた」(66~67頁)。

しかし、ここでゼレ先生のお話は終わりません。ここから先が最も大事です。

「しかし、ラテン・アメリカの解放の神学では全く違っている。処女降誕のモチーフは不必要なものとされるのではなく、解放闘争の中へと組み込まれている。決定的なことは、解放者は貧しい人々の間でこの世に生れたということである。ラテン・アメリカでは多くの人々が未婚の母から生れ、父親を知らない。保護や援助を当てにすることができないまま、子どもを生む若い女性がいるという状況がごく普通なのである。彼女は困難に陥っており、恐らくエリサベトのような年上の女友達に助言を求めるだろう。彼女は見捨てられ、不貞を罰せられるのではないかと不安に思っている。これらはすべて私たちの社会にもある正常な状況である。この状況は解放の神学では次のように受け入れられている。マリアは私たちのうちの一人であり、彼女は光を、解放者を、救済者を生んだと。彼女に受胎を告げる天使は、『ソレンチナーメの農民の福音書』では、『反体制的』と見られている。『そしてマリアもまた、この知らせを聞くと、すぐに反体制的になる。彼女は地下組織に加わったかのように感じていたのではないかと思う。解放者の誕生は、秘密にされていなければならない』」(67頁)。

どうでしょうか。全く受け入れられないでしょうか。私はとても魅力を感じる解釈です。

「これはこの物語への全く新しい近づき方である。貧しい人たちから、しかも貧しい人々に属する女性という最も貧しい人々の立場から考えているという点で、全く異なっている。このような意味で、処女降誕の話が自由主義のように不必要なものとして批判されるのではなく、正統主義的パラダイムとつながりを持ちつつ、しかし同時に、貧しい人たちから、そして貧しい人たちのためにという新しい解釈の枠組みの中で、新しく解釈されている。そこからは性への敵意と支配ではなく、反体制と抵抗が伝わってくる。自由主義神学にとって処女降誕は、取り去ってしかるべき躓きの石である。解放の神学にとってそれは、一個のパンである」(68頁)。

今日開いていただいた聖書の箇所は処女降誕には直接関係ありませんが、まさに「貧しい人たちのもとで、貧しい人たちのために」イエス・キリストがお生まれになったことが分かるように記されている箇所です。この最も大切な視点の意味を教えてくれたゼレ先生の著書に感謝しつつ、皆さんにもご紹介したいと願った次第です。

明日(12月12日)は学校礼拝で私が説教します。そこでも私はこのことを話したいと考えています。

イエス・キリストは「貧しい人たちのもとで、貧しい人たちのために」お生まれになりました。イエスの両親も、イエスの誕生を祝いに来た羊飼いたちも、貧困と孤独の中にいた人々でした。イエスが最初に寝かされたのは、家畜小屋の飼い葉桶でした。夜通し働いていた羊飼いたちを明るく照らしたのは、夜空の星と「主の栄光」でした。後者はもしかしたら「マッチ売りの少女」(アンデルセン作)が最期に見た光のようなものかもしれません。

学校礼拝で話そうと思っているのは次のようなことです。「私は貧しくもないし、孤独でもない」と思える人は幸いです。しかし、そうでない人々のことを深く考え、真剣に向き合うことができないような心の持ち主であるなら不幸です。そのことをクリスマスが、そしてイエスがあなたに問いかけています。どういうふうに聞いてもらえるでしょうか。

イエス・キリストは、貧しい人々にとっての最後の光、最後の望みです。「私は貧しくないから関係ない」でしょうか。「私が貧しくなることはありえない」でしょうか。そんなことはないのではないでしょうか。そのようなことを考えながら過ごすアドベントでありたいと願います。

(2016年12月11日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会 主日礼拝)

2016年12月10日土曜日

12月10日はファン・ルーラーの誕生日です


12月10日になると毎年書いていたことを、今年は書き忘れるところだった。12月10日は、20世紀中盤のオランダで活躍した組織神学者アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])の誕生日。今年で生誕108年となる。

8年前の2008年12月10日にアムステルダム自由大学で開催されたファン・ルーラー生誕100年記念「国際ファン・ルーラー学会」から招待状が届いたので出席した。私は初めてのオランダ。出席者200名中日本人3名。再来年2018年に生誕110年記念国際学会が開催されることを期待したい。

初めてのオランダでもっと写真を撮ればよかったと、後悔先に立たず。数が少ないので同じものを繰り返し公開するしかない。自慢の一枚は、宿泊先ホテルのすぐ近くだった国立美術館の前での写真。フェルメール展をしていたが一顧だにせず、石原知弘牧師と二人でファン・ルーラーゆかりの地めぐりをした。

2016年12月5日月曜日

今日の反省

お恥ずかしいことに今朝は寝坊してしまった。仕事には間に合ったので事なきを得たが、いつもより2時間も長く眠ってしまい、文字通り飛び起きた。毎朝ケータイのアラームで目を覚ますが、昨夜うっかりコートのポケットに入れたまま寝込んでしまったので、アラーム音が聞こえなかったことが原因だった。

それでもなんとか自力で目を覚ますことができて助かった。起きがけの半覚醒状態で見ていた夢の中で私がしゃべっていた。ぐっすり眠ってよく休んだ脳で、ものすごくよく考えて、理路整然と必死にしゃべっていた。実際に声をあげていた。内容は書けないが、はっきり覚えている。相手の顔まで覚えている。

このような状態に何か医学的な病名のようなものがあるのだろうかと今ふと考えた。午前0時には寝たはずなので、途中一度も起きずに7時間は眠っている。「熟睡後半覚醒状態真剣思索大声寝言症」だろうか。いや真面目に。その自分の大きな声で目が覚めた。自分の声がケータイのアラーム代わりになった。

今のケータイを使いはじめて4年半になる。何の不自由もない。ツイッターはできなくされたが(プリインストール版アプリが終了したため)、フェイスブックはできるし、写真も撮れるし、目覚ましになるし、計算機にもなる。なにより頑丈だ。コンクリート地面に何度落としたことか。全くびくともしない。

ケータイに限らず、どんなものでも基本、壊れるまで使う。ものを大切にする人間であるわけでなく、新しいのを買いに行くのが面倒なだけだ。買い物という行為を苦手としている。なので、壊れたときは困ってしまう。重い腰をあげて新しいのを手に入れるまで、一時的にそれが「無い」状態に陥ってしまう。

ゼレさんの『幻なき民は滅ぶ』が届きました

本日(2016年12月5日月曜日)、ゼレさんの『幻なき民は滅ぶ 今、ドイツ人であることの意味』(山下秋子訳、新教出版社、1990年)が郵便受けに届く。古書で入手。私にとっては4冊めの蔵書。1990年といえば私が東京神学大学大学院を修了して高知県の教会の伝道師になった年。26年前。

ゼレさんの神学に言及しているファン・ルーラーの論文が古いほうの著作集(Theologisch Werk)にあるのを見たことがあるのでそれを捜すも、推定1トンの平積み蔵書に埋もれて見つからない。なんという不覚。もはや慟哭の境地。研究者を名乗る資格なしだ。冬休みになったら本棚を買う。

2016年12月4日日曜日

ゼレさんの『働くこと愛すること』が届きました

本日(2016年12月4日日曜日)、ゼレさんの『働くこと愛すること 創造の神学』(関正勝訳、新教出版社、1988年)が郵便受けに届く。古書で入手。私にとっては3冊めの蔵書。ゼレさんはすでに物故者だが(2003年死去)、私の親の世代の人(1929年誕生)。心からの敬意をもって読む。

新松戸幸谷教会の主日礼拝に出席しました

今日(2016年12月4日日曜日)は日本基督教団新松戸幸谷教会(千葉県松戸市)の主日礼拝に出席させていただきました。「その光はまことの光」と題する吉田好里牧師のアドヴェント説教は、息を呑む素晴らしさでした。聖歌隊の賛美が美しかったです。聖餐式にも与りました。ありがとうございます。

2016年12月2日金曜日

ゼレさんの『神を考える』を読みはじめました

本日(2016年12月2日金曜日)ゼレさんの『神を考える』(三鼓秋子訳、新教出版社、1996年)を古書で入手。ずいぶん前に買った『苦しみ』(西山健路訳、新教出版社、1975年)に続くやっと2冊めの蔵書。まだまだ。今年の流行語大賞に「ゼレってる」でエントリーしよう。今年はもう終わったか。ゼレ研ぜひいつか。

ゼレさん素晴らしい。じんじん響く。

「テキスト・文脈・神の民は、組織神学の最も基本的な概念である。組織神学はこれら三つの要素すべてを顧慮しなければならず、どれか一つが他のものより優位であると言うことはできない。文字と伝統をいわば不動のものとして繰り返すだけで、このテキストが現在の文脈の中で言おうとしていることを明確に発言しない神学は、神の民に対して担っている課題を果たしていない。信仰の主体である神の民に関連する、テキストと文脈の間の対話がなければならないのである。」
(『神を考える』15ページ)

これも素晴らしい。ずばりそのとおり。

「正統主義は自らの文化的な制約に対して、独特の蒙昧さを持っている。結婚、子どもの教育、労働の倫理に関する正統主義の理解は、これらを美化して批判しない。その結果、ドイツ・キリスト者に対して向けられたバルメン宣言が、今日、新正統主義と保守主義が混じり合う中で、次のように解釈される可能性がある。

教会の側からの政治的な参加は、どんなものであれ非難されなければならない。イエス・キリストはこの世のあらゆる体制を超えて立っている。彼に与するということは、この世の戦いには関わらないことを意味する。キリスト者であることは、政治的な問題に実際に関わることから一定の距離を置くことである。キリストは神の唯一の言葉であるから、すべての体制は―それが社会主義であろうと資本主義であろうと―キリストと同一視されることはできない。イエス・キリストはすべてを超えている。教会はこの世から距離を置き、いわゆる『終末論的条件』を守らなければならない。バルメン宣言の第二の命題が『この世の神なき束縛からの喜ばしい解放』を告げているなら、この告白の保守的な解釈は、バルメンの歴史的文脈から明らかな幾つかの束縛だけではなく、この世の束縛すべてがそれ自体神なきものであると仮定する。文脈の欠如が神学の原則へと高められてゆく。その他の保守派の人たちは、新正統主義のキリスト中心主義を、エキュメニカル運動の解釈学的アプローチと『世界が教会の議題を決定する』という主張に反対するために利用したのである。」
(『神を考える』27~28ページ)

全15章中の最初の1章と2章を読了。40ページ進む。これほど興奮しながら読める、得心が行く組織神学は久しぶりだ。目が疲れてきたのでこれにて。

ドロテー・ゼレ『神を考える』を入手する


【ドロテー・ゼレ『神を考える』を入手する】

本日ドロテー・ゼレの『神を考える』(新教出版社、1996年)を古書で入手。ずいぶん前に買った『苦しみ』(新教出版社、1975年)に続くやっと2冊めの蔵書。まだまだ。今年の流行語大賞に「ゼレってる」でエントリーしよう。今年はもう終わったか。ゼレ研ぜひいつか。

ゼレさん素晴らしい。じんじん響く。

「テキスト・文脈・神の民は、組織神学の最も基本的な概念である。組織神学はこれら三つの要素すべてを顧慮しなければならず、どれか一つが他のものより優位であると言うことはできない。文字と伝統をいわば不動のものとして繰り返すだけで、このテキストが現在の文脈の中で言おうとしていることを明確に発言しない神学は、神の民に対して担っている課題を果たしていない。信仰の主体である神の民に関連する、テキストと文脈の間の対話がなければならないのである」(『神を考える』新教出版社、1996年、15ページ)。

2016年12月1日木曜日

聖霊の「注ぎ」についての私見の続き

日本語訳の聖書で聖霊について「注ぐ」という言葉が何度も使われているのはそれ以外に訳しようがない原語が用いられているからだと思うので、私も「注ぐ」を用いないわけではないということは繰り返し申し上げている。私の関心は、聞く人の耳にどう聞こえるか、読む人の目にどう読めるかということだ。

「注ぐ」というとどうしても聖霊は水や油のような液体なのかと連想させるものが出てきてしまうがそれでよいかが気になる。また「注ぐ」というとどうしても聖霊それじたいの主体性よりも「聖霊」以外のだれかが「注ぐ」という行為を行うことをイメージさせてしまうものが出てきてしまうがそれでよいか。

「父なる神が、イエス・キリストにおいて、聖霊を」という文脈でなら「注ぐ」でよいとも思うが、聖霊もまた(相対的に)自立した主体性をもつ存在であると考えるなら、聖霊おんみずからがご自分のほうから人間存在の内部に潜り込んでくださることをイメージできる訳語のほうがよいのではないかと思う。

たとえば、テトスへの手紙3章6節のギリシア語には「注ぐ」や「流す」という意味以外に「授ける」という意味がある。「授ける」ならまだましである。「注ぎ」も「満たし」もそれ自体は意志をもたない非人格的な物質のイメージに通じるものがある。三位一体をもっとまじめに考えなくてはだめだと思う。

うまく表現する自信はないが、私がもうひとつ気になるのは、「注ぐ」という言葉につきまとう(と私には感じられる)、注ぐ主体と注がれる客体との関係が、前者にとっての後者が「従属的な」関係であるように感じることである。これを言うのも、三位一体がまじめに考えられていない気がするからである。

「注ぐ」と言うではないかとご指摘いただいた「愛情」にしても、「視線」にしても、「力」にしても、注ぐ主体から発せられる客体ではあると思うが、しかしそれは、それ自体が(相対的に)自立した人格的主体性を持っているものではなくて、あくまでも、注ぐ主体の人格的主体性に従属するものであろう。

父なる神と聖霊の関係やキリストと聖霊の関係はそういうものだろうか。「注ぐ」より「出る」に近いのではないか。「親から子どもが生まれる」や「出る」はありだが、「親から子どもが注がれる」とは言わない。御父と聖霊の関係は親子ではないが、異なるペルソナをもつ両者を言うなら「注ぐ」はまずい。

「聖書解釈から教義が生まれた」という歴史的順序はそのとおりだが、その教義に「教会の聖書解釈」は拘束されている。三位一体の教義に「聖書」は拘束されていないかもしれないが、「教会の聖書解釈」は拘束されている。この話題の出発点は、私が説教で「聖霊をもつ」という語を用いたことからだった。

私が説教で「聖霊をもつ」という語を用いたのに対して、「聖霊」には「注ぐ」と言うほうがいいのではないかというご指摘を受けた。私に問われているのは「教会の聖書解釈」だった。その返答として私は「聖霊」について「注ぐ」という表現を使うのは意図的に避けていると言い、その理由を説明した次第。

聖霊について「注入、注ぎ」(infusio)という語を用いることにプロテスタンティズムは批判的だったと、ティリッヒが『組織神学』第3巻(私の東神大の学部4年の卒業論文のテーマだった)に書いているのを読んだことが、私がこの問題を考えはじめたそもそものきっかけだったことを思い出した。

なぜプロテスタンティズムがそうなのかといえば、ティリッヒによると、「注ぎ、注入」(infusio)という語には「魔術的・物質主義的こじつけ」(magic-materialistic perversion)があるからだそうだ(ティリッヒ『組織神学』第3巻、英語版では115ページ)。

しかし、ティリッヒが言っているから、とか、プロテスタンティズムがどうだから、とか、三位一体が、とか私が言うのは、私が「聖霊」に「注ぎ」という語を用いることを意図的に避けていることの理由ないし自己弁護を言っているだけであって、自分の立場や考えが絶対に正しいと言いたい思いは全くない。

パウロが三位一体を考えていたかどうかという問いかけは、イエスはキリスト教の創始者だったか、とか、カントがドイツ観念論の哲学者だったか、という問いに似ている。ちなみに、イエスはキリスト教の創始者であり、カントはドイツ観念論の哲学者だったというのは高校の倫理の教科書の言い方である。

11月27日日曜日の説教で私は「あなたがたが子であることは、神が、『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります」(ガラテヤ4章6節)は、御子だけの霊ではなく、御子の霊を送った御父の霊でもあるので「御父と御子の霊」としての「聖霊」だと述べた。

パウロの時代に「三位一体」(trinity)という用語は存在しなかった。それはそのとおりである。しかし「御父と御子の霊」としての「聖霊」は前二者と同格のペルソナを持っているという理解は少なくとも西方教会の伝統を受け継ぐ「教会」、そしてもっと多くの「教会」の聖書解釈の基本線である。

その基本線に私も拘束されている。その意味は、「父・子・聖霊なる三位一体の神」を”信奉”する日本基督教団信仰告白の”影響下”にある教団の教師である私は拘束されている、というくらいかもしれない。いま書いた一文に2回使用したダブルクオーテーションはやや皮肉である。大真面目の皮肉である。

2016年11月29日火曜日

聖霊の「注ぎ」についての私見

聖霊について「注ぐ」という語を用いることは、私もするが、慎重な思いを持ち続けている。なぜ「注ぎ」とか「注入」という語を聖霊について用いるのかといえば、ラテン語の神学概念infusio Spiritus sanctiのinfusioを「注入、注ぎ」と訳すことになっているからである。

しかし「注入」はともかく「注ぐ」と耳で聞けば、ほとんどの人は「液体的な物質のようなものを流し込む」というイメージでとらえる。「注入はともかく」と書いたのは、「注入」の場合は「風船に空気を注入する」とは言うので、かろうじて気体のイメージまでは許容範囲のようだと言えそうだからである。

しかし「風船に空気を注ぐ」とは、通常の日本語の感覚では言わないだろう。このようなことを私は考えるので(組織神学専攻者の脳内はだいたいいつもこんな感じだ)、聖霊については「注ぐ」とか「注入する」という言い方を、全く用いないわけではないが、なるべく避けるようにしている。

その代わり「聖霊が人の中に入ってくださり(こちらのほうがinfusio=いわゆる「注入」)、住み込んでくださる(こちらがinhabitatio=いわゆる「内住」)」という言い方を、説教では、するようにしている。神学論文でどう書くかについては、これまた別問題としていつも悩む。

それにしても組織神学者、こと教義学者の中に「我々は世間から顧みられない。流行らない。面白がられない。そもそも学問として認めてもらえない」というようなことをつぶやく人が、昔から多い。19世紀生まれの教義学者バーフィンクもそういうことを書いている。ぶつぶつ言いながら営む学問のようだ。