2014年6月22日日曜日

すべての民よ、主を賛美せよ

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
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ローマの信徒への手紙15・7~13

「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。『そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、あなたの名をほめ歌おう』と書いてあるとおりです。また、『異邦人よ、主の民と共に喜べ』と言われ、更に、『すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ』と言われています。また、イザヤはこう言っています。『エッサイの根から芽が現れ、異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける。』希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」

今日もお開きいただいているローマの信徒への手紙の14章1節から今日お読みしました15章13節までの間に書かれていた一連の話題は、教会の中で信仰の強い人が信仰の弱い人を受け入れなければならないし、背負わなければならないということでした。弱い人が強い人を背負うことはできません。それは物理的に不可能です。強い人が弱い人を背負うのです。その逆はありません。

しかし、先週も申し上げましたが、この強い人と弱い人の関係は完全に不動の状態で固定化されているわけではないということも忘れられてはならないことです。「私は弱い。常に弱い。永久に弱い」と言い張り続ける。自分は常に必ず永久に背負ってもらう側である。他の人を背負うことなどは永久にありえない。そのような位置に頑として座り続け、動かないということでは、困るのです。

そして、ただ困るというだけではなく、現実にはありえないことです。背負う、背負うと言っても、いろんな背負い方があります。だれかのことを気にかける。心配する。祈る。これらのことも十分な意味で背負うことです。それもしない。私は自分のことだけで精一杯である。他のだれのことも関心を持つことさえできないというようなときは、わたしたちの人生の中で実際にありうると思います。他の人の話を聞くだけでも辛い。そういうときはわたしたちの人生の中に何度となく訪れるものでもあります。しかし、一生そうでしょうか。永久にそうでしょうか。

しかし、私はこのように言いながら、「たとえばの話」というような仕方で、単なるたとえ話として引き合いに出すには問題があまりに大きすぎると思いながら、しかし、わたしたちの視野から決して失われてはならない方々のことを思い浮かべています。それは生まれつきの重い障がいをもった方々のことです。他の人を背負うことが難しい方は実際におられます。そのような方々は教会の交わりに入ることができないでしょうか。それは、ひどい話です。

そしてまた、これは3回目か4回目くらいの繰り返しの話になっていることですが、わたしたちが初めて教会に来たときのことを思い出してみてほしいわけです。初めから信仰が強かったという人はだれもいませんでした。そのことを考え合わせると分かって来ることは、わたしたちは基本的に教会に背負ってもらうために来るのであって、初めからだれかを背負うために来ることは考えにくい、ということです。

このことを私が何度も繰り返し申し上げることには理由があります。初めて教会に来られる方々や、これから教会生活・信仰生活を始めようとしておられる方々に対して、教会にはこんな負担がある、あんな負担があるというような話をすることになれば、そもそも教会生活・信仰生活を始めることができないとお考えになる方が多いだろうと思うからです。教会の中にある負担の面ばかりを強調するようなことをすれば、これから信仰生活を始めようとしている人たちの行く手をさえぎることになると思うからです。

それは当然のことではないでしょうか。逆の立場に立てば分かることだと思うのです。わたしたちが教会に通いはじめた頃に、やれ、教会にはこんな負担があるだ、あんな負担があるだということを初めから言われて、それでも、教会に通い続けます、洗礼を受けます、信仰を持ちます、と思えたでしょうか。無理だったと思うのです。

私もまだ若いほうですので、まだまだ背負ってもらいたいと思っているところがあります。しかし牧師の仕事をしている者でもありますので、背負ってもらう側というよりは、なるべくなら背負う側にいなければならないわけで、両方の立場の人たちの気持ちが分かるつもりです。被害者意識のような意味で言うのではありませんが、板挟みの状態にあることを自覚しています。

しかし、とにかくはっきりしていることは、初めて教会に来る人が、教会の中の何かを、あるいはだれかを背負いに来るということは、ほとんど考えにくいことだということです。そのようなことのために教会に来る人は、ほとんどいません。

わたしたち自身を含む、すべての人が、背負ってもらうために教会に来たのです。そのことを忘れないようにしましょう。そしてまた、だれもが教会に受け入れられたのです。わたしたちの存在は、教会にとって、最初は違和感があったと思います。違和感がある存在が、神の憐れみによって教会へと受け入れられたのです。

そもそも聖書など読んだことがない。お祈りなどしたことないし、賛美歌など歌ったことがない。使徒信条とか主の祈りとか十戒とか言われても「何それ」と思うだけ。ハイデルベルク信仰問答とかジュネーヴ詩編歌とか言われても宇宙の話でも聞いているかのような気分。改革派教会とか言われると何か恐ろしい団体であるかのように感じる。大勢の人が集まるような場所が苦手だったという人もおられたと思う。実際のわたしたちは、そのあたりから出発しているはずです。もうお忘れになったでしょうか。

すべては教会に来てから学んだことです。教会の中で知ったことです。その学ぶことも、知ることも、教会の中に受け入れられて初めて起こることです。もちろん教会に受け入れられるときに準備のための勉強会があります。しかし、勉強会の趣旨は、十分学んでいただき、十分知っていただいた人だけを教会は受け入れます、ということではありません。なぜなら、それは不可能なことなのです。たとえば、聖書は教会の外に立っていくら読んでも決して理解できない書物です。なぜなら、聖書は教会の内部のことについて書かれた書物だからです。

賛美歌も、祈りも、同じです。教会の内部の言葉で歌い、祈ります。教会の中に加えられなければ決して理解できません。ですから、すべてがよく分かった人だけを教会は受け入れます、ということをいくら言っても、無理なことなのです。聖書も、賛美歌も、祈りも、教会の中に入らなければ理解できないものだからです。

そして、そのような仕方で、実際にはほとんど何も知らない、何もできない、何も持っていない人を受け入れること、背負うことが、神がわたしたち教会に委ねられたわざとしての「伝道」ということの具体的な内容です。そのことを教会が嫌がったり面倒くさがったりするのであれば、伝道なんて進んでいくわけがありません。

わたしたち自身がもともと面倒くさい人だったのです。何も知らない、何もできない状態で教会の門をくぐったのです。もうお忘れになったでしょうか。

わたしたちでいえば、初めから日本キリスト改革派教会のことがよく分かっている人だけに教会に来てもらいたいなどと言いはじめたら、その教会は伝道をする気がないのと同じです。それは伝道ではありません。他の教会の信徒の方に転入していただくというだけのことです。

しかし、だからといって、わたしたちは、背負え、背負えと言われても悲鳴をあげるばかりでこれ以上背負うことはできないと感じている。そのことも、私はよく分かっているつもりです。

今日開いていただいている個所の最初にパウロが書いていることは、次のことです。「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」(7節)ということです。

私は、この御言葉を、わたしたちが抱えている悩みの解決の糸口になると思いながら読みました。ここに書いてあることは、14章の初めからの繰り返しでもあります。しかし、違いもあります。それは「あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」と書かれているところです。

14章の最初に書かれていたのは「信仰の弱い人を受け入れなさい」でした。15章の最初に書かれていたのは、「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきである」でした。どちらも「教会」は、(信仰の)強い者の立場に位置づけられています。そのことが明らかに前提されています。

ですから、わたしたちは悲鳴を上げたくなります。「教会に長年通っているわたしたちも弱いですよ」と言いたくなります。「牧師も長老も執事も、みんな弱い人間ですよ」と言いたくなります。「受け入れてもらい、背負ってもらいたいのは、こちらのほうですよ」と言いたくなります。

じつは、その気持ちをパウロはよく分かっているのです。だからこそ、「あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」と書いているのです。

ここで重要な言葉は「互いに」です。これは、原文でも強調されている言葉だと言ってよいものです。文字どおりの相互関係です。現実の教会においては、一方は常に受け入れる側であり続け、他方は常に受け入れられる側であり続けるという状態が固定されているということはありえないのです。

これから私が言うことを耳で聞くと屁理屈を言っているように聞こえてしまうかもしれませんが、よく聞いてください。「互いに相手を受け入れる」とは言い換えれば「互いに相手に受け入れられ合う」ということです。

教会においては、全員が「受け入れられている」のです。わたしたちを本当に受け入れてくださっているのは、イエス・キリストおひとりだけです。面倒くさいわたしたちを我慢して受け入れてくださっているのはイエスさまおひとりだけです。そのことを忘れないようにしましょう。

そして、そのようにして互いに受け入れ合う、あるいは「互いに相手に受け入れられ合う」ことによって立つ教会の目的は、「すべての民が主を賛美すること」にあります。

「割礼ある者たち」とはユダヤ人で、ユダヤ人以外の人を「異邦人」と呼ぶ。パウロの時代の教会が直面した課題は「ユダヤ人キリスト者」と「異邦人キリスト者」との仲違いでした。生まれたときから聖書を学んできたユダヤ人と、そうでない異邦人との仲違いは、今の時代のわたしたちの教会の中でも似たようなことが起こりうるのです。

しかし、わたしたちは互いに相手を受け入れなければなりません。いえ、互いに相手に受け入れられ合おうではありませんか。それが、それだけが、わたしたちの今の苦境を乗り越える道です。

(2014年6月22日、松戸小金原教会主日礼拝)

2014年6月15日日曜日

聖書から忍耐と慰めを学びましょう

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂

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ローマの信徒への手紙15・1~6

「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。『あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった』と書いてあるとおりです。かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。」

ローマの信徒への手紙の学びを先週は(ペンテコステで)中断しましたが、今日から再開します。途切れ途切れになりますと文脈が分かりにくくなっているかもしれませんので、これまでお話ししてきたことを少しずつ振り返りながら、話を前に進めていきたいと願っています。

しかし、振り返るのはずっと前からというわけにはいきません。話が長くなります。振り返るのは、直前の14章の最初です。そこに「信仰の弱い人を受け入れなさい」(1節)と書かれています。信仰の弱い人を受け入れるのは教会です。この文章の省略されている主語は教会です。教会は信仰の弱い人を受け入れなければなりません。そのことを使徒パウロがローマの教会に書き送っているのです。

なぜ教会は信仰の弱い人を受け入れなければならないのでしょうか。その理由についてはもうすでに繰り返しお話ししてきました。私が最も力を込めて申し上げてきたことは、わたしたち自身のことを思い出してみてくださいということです。

だれ一人として初めから信仰の強い人はいませんでした。そのような人がおられるならお会いしたいです。私が知らないだけでしょうか。そうかもしれません。しかし、実際にはそのような人は一人もいません。いまだかつて地上に存在したことがありません。ですから、すべての人に教会が必要です。「信仰の弱い人を受け入れる教会」がすべての人に必要です。

それで今日お読みしました個所の冒頭、ローマの信徒への手紙15・1に書かれていることは、いま申し上げたのと同じことの繰り返しのようでもありますが、実は一歩先に進んでいます。「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません」(1節)。

ここに来てパウロは「わたしたち強い者は」と言うのです。「強い者」とは信仰の強い者のことです。問題になっているのは信仰です。しかし、そうなりますと、わたしたちは次のことに気づかされます。

先ほど申し上げたことは、すべての人は最初から強い信仰を持っていたのではなく、弱い信仰の状態から、あるいはそもそも信仰など全く持っていない状態から出発したのだということです。しかし、それは出発点ではありますが、いつまでも同じ状態にとどまり続けているわけではないということ、その信仰は教会の中で強められていくものであるということがパウロの言葉から分かります。

パウロは「わたしたち強い者」、つまり「わたしたち信仰が強い者」と言います。信仰が弱かった者や、信仰をもっていなかった者が、教会の中で、この個所でパウロが呼びかけている「わたしたち(信仰の)強い者」の側に立つ者へと次第に変えられていくということが起こるし、起こらなければならないということが分かるのです。

「本当にそうでしょうか」ということは問うておく必要があるかもしれません。わたしたちの信仰は、教会の中で強められてきたでしょうか。最初と今と何も変わっていやしない。かえってますます弱まるばかりだとお感じになっている方は、きっとおられるでしょう。教会に責任があると言われても仕方がありません。教会に何年通っても何も変わらなかった。何も得るものはなかった、ということであれば、教会に責任があります。そうであるとしか言いようがありません。

しかし、私が今申し上げていることに、犯人探しの意図はありません。だれが悪い、だれが問題だと言いたいのではありません。パウロが書いていることもそのような意味ではありません。

同じ言葉をもう一度読みます。「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません」と書かれています。

「強くない者」とは裏返せば「弱い者」ということになり、これもまた「信仰の弱い者」のことです。それは、先ほどから申し上げていることからいえば、教会に初めて来られた方や、まだ信仰を持っていない方のことです。あるいは信仰生活を始めてまもない方。あるいは教会の礼拝には長年通っているけれども、聖書の中身や教会の教えになじめない、納得がいかない。従うことができない。家族や親戚、会社、地域社会などの様々なしがらみから自由になることができない。そういった方々のことだと考えることができます。

そういう方々を受け入れる側に立っているのが「わたしたち強い者」です。あるいは、受け入れるというだけではなく、「強くない者」すなわち「信仰の弱い者」のその弱さを担う側に立っているのが「わたしたち強い者」すなわち「信仰の強い者」であるということになります。

あまり図式化しすぎますと、教会の中に二重構造があるような印象を抱かせてしまうことになるかもしれません。しかし、ある意味でそうだと認めざるをえないところがあります。教会の中に信仰の強い人と弱い人がいる。強い人は受け入れる側であり、弱い人を背負う側である。弱い人は受け入れられる側であり、強い人に背負ってもらう側である。完全に切り分けてしまいますと、わたしたちがすぐに考え始めてしまうのは、私はどちら側なのだろうかということでしょう。そして、だいたいの人は、私は弱い人の側だ、というふうに考えるでしょう。そのほうが楽ですから。

しかし、パウロの言っていることは、なるほどたしかに、教会の中に二重構造があるような印象を与えてしまいかねないことではあります。しかし、内容をよく読めば、その構造は変わっていくものであるということが分かります。弱い人はいつまでも弱いままではない。強い人になっていくのだ、ということが分かります。受け入れられる側から受け入れる側に、背負われる側から背負う側へと、わたしたち一人一人の信仰が、教会の中で変わっていくのです。

そしていま私は「教会の中で変わっていく」と申し上げました。弱い者から強い者へと変えられていく。それはどのようにして起こるのでしょうか。答えは単純です。最初は弱くても、とにかく教会の中に留まり続けることによって、自分よりもっと弱い人が新しく教会に来るようになります。その様子は、学校や会社で新入生や後輩が入って来るのに似ています。その自分よりももっと弱い人を、まがりなりにも受け入れ、背負うことを始める。そしてそれを続けていくことによって、自分の信仰が鍛えられる。それが、強くなるということの意味です。わたしたちの信仰が強くなっていくための方法はそれだけだと言っても過言ではありません。

受け入れる側、背負う側に立って、実際に受け入れ、背負う。そのことを続けていくと、だんだん強くなる。鍛えられるということです。最初から、まだ弱いうちから、どんと重いものを背負える人はいません。そういうことをすると体を痛めますし、心が折れてしまいます。最初は、軽いものから背負えばいいのです。重量挙げの話をしているような感じになっていますが、まさにそのようなことを考えればよいと思います。だんだん重さが増してきます。もう無理だと思った時点で、ギブアップしても構いません。持っているバーベルを前に放り投げればいい。そうしないと、最悪、死にます。しかし、耐えられるところまでは耐えてみる。

スポーツでも勉強でも、みな同じです。練習あるいは訓練によって、人は強くなっていくのです。信仰の訓練は教会の中で行われます。それは「信仰の弱い人を受け入れ、背負う」という訓練です。逆に言えば、それをしようとしないならば、その訓練を遠ざけ、逃げるならば、わたしたちの信仰はいつまで経っても強くなりません。とても厳しいことを言っているようですが、実際パウロは厳しいことを言っているのだと思います。

だからこそ、「自分の満足を求めるべきではありません」という話につながります。これは「自分の喜びを求めるべきではない」と訳すこともできます。教会は自分の満足あるいは自分の喜びを求める場所ではないというわけです。

このようなことを正面から言われてしまいますと、わたしたちは本当に教会から逃げ出したくなってしまうのですが、しかしパウロは教会とはそういう場所だとはっきり言っています。ショックな面があります。パウロがテサロニケの信徒への手紙一5・16に書いている「いつも喜んでいなさい」というあの有名な言葉と矛盾しているではないかと言いたくなるほどです。もしかしたら本当に矛盾しているのかもしれません。しかし、理解できない話ではないと思うのです。

おそらく最も分かりやすい例は、結婚や出産だと思います。喜びの要素が最初から全くないような結婚や出産は考えにくいものです。そのようなことが成立するのは、なかなか難しいことだと思う。しかし、現実の結婚、現実の出産や子育ては、ものすごく苦しい面や大変な面を必ず持っているはずです。例外はないと思います。こんなはずではなかったと後悔したことがない人はいないでしょう。自分にはなかったと思う方は、忘れておられるだけです。

それと教会は同じだと考えることができます。「いつも喜んでいなさい」と言われていることも真理です。しかし、だからといって自分の満足、自分の喜びを求めるためだけに教会に通うわけではないし、神を信じるわけでもないということも、わたしたちにとっての真理です。教会の中で、また信仰生活の中で、ただ楽しいことだけを追い求め、自分に負担がかかること、嫌なこと、つらいことからは全部逃げ出すというのであれば、わたしたちの信仰に成長はありません。

隣人を愛するとは、隣人の重荷を背負うことでしょう。自分は背負ってもらうだけで、隣人の重荷は背負いません、背負えませんでは、愛は成立しません。その意味では、教会はわたしたちにとって、つらいところでもあるのです。それは否定できません。

そのことをパウロははっきり書いています。はっきり書かれすぎていて、読むのがつらいほどです。しかしそれをパウロはローマのキリスト者に伝えようとしています。教会にはつらい面があります。自分の満足、自分の喜びを得られない場所であり、それを得るべきでない場所でもあります。しかし、忍耐しましょう。忍耐を重ねていけば、あなたの信仰は強くなります、とパウロは言いたいのです。

その忍耐のために、パウロはイエス・キリストのお姿を思い起こします。「キリストも御自分の満足をお求めになりませんでした」(3節)。キリストの生涯は、つらいばかりの生涯でした。ほぼ苦痛、ほぼ忍耐の生涯でした。そのキリストに倣いましょう。

また、パウロは聖書の価値を思い起こします。「わたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです」(4節)。イエス・キリストのお姿が聖書に描かれています。弱い人を受け入れ、背負う苦しみから逃げ出さず、耐えるために、わたしたちは聖書を学ぶのです。

(2014年6月15日、松戸小金原教会主日礼拝)

2014年5月4日日曜日

恐れるな、語り続けよ

日本キリスト改革派草加松原教会 礼拝堂

日本キリスト改革派草加松原教会 主日礼拝説教(2014年5月4日)

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使徒言行録18・1~11

「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。『あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。』パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。』パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。」

今日、私が草加松原教会で説教させていただくことになりましたのは、代理牧師の櫻井良一先生に私から無理に頼み込んだからです。私のほうから櫻井先生に直接お電話して説教者のローテーションに加えていただきました。そのことを皆様にお許しいただきたく願っています。

私は、ちょうど10年前の2004年4月に松戸小金原教会に転任しました。その前は山梨栄光教会の牧師でした。私は草加松原教会と同じ東部中会に属していました。松戸小金原教会も、10年前は東部中会の教会でした。しかしその2年後の2006年に東部中会から東関東中会が分離しました。それ以降は、草加松原教会と松戸小金原教会は別の中会の所属になりました。

しかし私は、今でも東部中会に心を残しています。私にとっては当然のことだと思っているのですが、東部中会の教会のことが心配で心配でたまりません。

しかし、このことは実際に体験してみなければ分からないことだったのですが、中会が分かれるということは、私にとっては情報が全く入らなくなることを意味していました。東関東中会の私には、東部中会の教会のことが本当に何も分からなくなりました。

私にとって草加松原教会は、10年以上前から特別な思いを抱いてきた教会です。この教会の会員のOさんは山梨栄光教会のご出身の方です。Oさんは仕事の休みで山梨のご実家にお帰りになるときには必ず山梨栄光教会に出席してくださり、草加松原教会のことを教えてくださいました。

また、これもやはり山梨栄光教会に関係する話なのですが、私が山梨栄光教会にいた頃の日曜学校の生徒の一人がこの教会の出身教師になったK先生です。独協大の学生時代のK先生からこの教会のことをいろいろと教えていただいたことをよく覚えています。

また、S長老をはじめこの教会の何人かの方々には東部中会の定期会や臨時会、また夏期信徒修養会など、あるいは定期大会といった場所でお会いする機会があり、とても親しくしていただきました。草加松原教会の皆様にお会いするたびに、私は励まされてきたのです。

しかし、中会が別になり、ほとんど全く東部中会の情報が私の耳に入らなくなりました。そして、ある日突然、草加松原教会が今は牧師がいない状態だというような話を、風の便りのような形で知らされ、ただただ驚くばかりでした。

しかし、中会の違いが大きな壁のようにも感じられ、草加松原教会のお話をうかがっても、驚くことしかできず、心配することしかできず、どうしたらいいのか分からない状態がずっと続きました。何かお手伝いできることはないだろうかと、ずっと考えていましたが、ただ考えているだけでした。

昨年の夏に一週間の夏期休暇を教会からいただいたとき、平日でしたが、車を飛ばしてこの教会の前まで来たことがあります。

外環道を使えば、松戸から草加までは一時間弱です。今日は日曜日で、出勤ラッシュがありませんので40分ほどで着きました。松戸と草加は、すぐ近くです。日本キリスト改革派教会としては、三郷教会を挟んで、草加松原教会と松戸小金原教会は「隣の隣」の教会です。

しかし、中会が違うゆえに何もできない。手をこまねいているしかない。そのような歯がゆい思いをずっと持ちながら、今日まで過ごしてきました。

それでとうとう我慢できなくなり、櫻井先生に頼みこんで説教をさせていただくことにしたのです。これは私の本当の気持ちです。

先ほどお読みしました聖書の個所、使徒言行録18・1~11は、たいへん僭越な言い方ではありますが、草加松原教会の皆様をなんとかしてお励まししたいその一心で選ばせていただきました。

イエスさまが幻の中で使徒パウロの前にお姿を現わしてくださいました。そして、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」(9~10節)という力強い励ましの言葉を、パウロに語りかけてくださいました。

これと全く同じ御言葉を、イエスさまは今日、草加松原教会の皆様おひとりおひとりに語りかけてくださっています。

しかしこのように申し上げますと、疑問を感じる方がおられるかもしれません。もちろんいろんな疑問が考えられるわけですが、私自身も考えさせられたことがあります。それは次のような疑問です。

パウロのようなきわめて突出して英雄的な個人が経験したイエス・キリストとの出会いの出来事を、他の誰にでも当てはめることができるのだろうかという疑問です。

たしかにパウロは英雄的な伝道者でした。いかなる迫害をも恐れず、孤立を恐れず、主のご命令とあれば、どこにでも行く、何でもする。そのようなことができた人です。そのパウロのような生き方や働き方は、他のだれでも真似できるようなものではありません。

パウロのような人だったからこそ、イエスさまは彼自身の幻の中に現れてくださって「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」と語りかけてくださったのであって、それと全く同じ言葉をイエスさまがわたしたちにも語りかけてくださっていると考えるのは間違っているのではないか、という疑問です。

しかし、私の結論は、そのように考えることは間違っていないというものです。パウロが経験したイエスさまとの出会いの出来事について、この個所の前後に書かれていることをよく読めば分かることは、このときパウロは実際にはかなり追い詰められていて、ある意味どうしようもない苦境にあり、もう伝道をやめてしまおう、伝道者であることをやめてしまおうという決心に至る一歩手前のところに立たされていたのではないかと考えられる、ということです。

「パウロはアテネを去ってコリントへ行った」(1節)と書かれていますが、パウロのアテネ伝道は事実上失敗だったと、多くの人が否定的に評価しています。詳しい説明をするいとまはありませんが、「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った。それでパウロはその場を立ち去った」(17・32)と記されている点は重要です。パウロのアテネ伝道は、町の人からあざ笑われ、あしらわれたものでした。

その次に「しかし、彼について行って、信仰に入った者も、何人かいた」(17・33)とも書かれていますので、パウロのアテネ伝道は失敗だったと断定的に評価することまではできないのではないかと主張する人もいます。しかし、いずれにせよ、アテネを去りコリントへ行ったときのパウロは相当がっかりした気持ちを抱き、残念な思いをかかえていました。聞く耳を持たないアテネの人々の前から逃げるような格好で立ち去ったのです。

しかも、コリントに到着したパウロは、今日の個所に書かれているとおり、アキラとプリスキラというユダヤ人夫婦の家に住まわせてもらい、この夫婦がしていたテント造りの仕事を一緒にしながら伝道することになりました。この個所に基づいて、伝道者パウロは教会からはお金を一切受け取らず、もっぱらテント造りの収入だけで伝道したのだと説明する人がいますが、本当にそうでしょうか。

たしかにパウロはコリントの信徒への手紙一9章に「わたしとバルナバだけには、生活の資を得るための仕事をしなくてもよいという権利がないのですか」(6節)と書いていますし、その後の個所に「しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした」(12節)と書いています。しかし、これはある意味でコリント教会に対する一種の批判として書いていることです。実際のパウロは、どの教会からも経済的な支援を全く受けなかったわけではありません。他の手紙には、教会の人々の献金と彼自身に対する経済的支援への感謝の言葉が書かれています。

そのことを考えますと、パウロのコリント伝道がテント造りの副業収入だけで続けられたということについても、それは彼にとっては必ずしも喜ばしいことではなかったとも考えられます。むしろ、経済的に追い詰められて、他にどうしようもなくなって、そうせざるをえなかったということのほうが近いのではないかと思われるのです。

そして、そのパウロの重苦しい状況に追い打ちをかけたのが、コリントのユダヤ人たちからの迫害です。「彼らが反抗し、口汚くののしった」(6節)と書いてあるとおりです。そのユダヤ人たちの態度にパウロは激怒しました。服の塵を振り払って、「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く」(6節)と言い放ちました。

要は、パウロはキレたのです。「伝道者はキレてはいけない。牧師はキレてはいけない」と、よく言われます。私も最近だんだん怒りっぽくなり、キレやすくなっていることを深く反省しています。伝道が思うように行かず、経済的にも追い詰められる。それに追い打ちをかけるように、容赦ない批判を浴びせられ、攻撃される。こういうことが続きますと、人はキレやすくなります。

しかし、キレた牧師はそのことだけで失格者と言われてしまう。「伝道者としても、キリスト者としても、人間としても失格者である」というような負の烙印を押されてしまうのです。

しかし、このようなことは、パウロでなくても、狭い意味での伝道者あるいは教会の牧師でなくても、多くの人が体験することではないでしょうか。そして、そのような場面に実際に出くわし、自分自身がそのようなことを体験するとき、わたしたちは、それでも伝道を続けていこう、聖書に基づく神の御言葉を語り続けよう、説教をしようという思いを強く維持し続けることができるでしょうか。それは不可能であるとまでは言いませんが、非常に難しいことではないかと思うのです。

ですから、幻の中でパウロがイエスさまの御言葉を聞いたこの出来事には一つの背景があると考えられます。それはどういう背景なのか。このイエスさまの御言葉を聞く直前までパウロが抱いていた思いは、すべてこの御言葉の正反対だったのではないか、ということです。

彼は恐れていました。語り続けることは不可能だと確信しそうになっていました。もう黙ろう、と思いはじめていました。書くのもやめだ、断筆宣言だ、というようなことまで考えていたかもしれません。孤立感を深めていました。経済的にもじり貧でした。誰も助けてくれない。主は本当にわたしと共にいてくださるのだろうかと、疑いの思いが去来するほどでした。この町には、自分に敵対する人しかいない。伝道者の言葉を受け容れ、イエスさまへの信仰を受け容れる人などほとんどいないと、絶望しかかっていました。

そのパウロの、逆の意味での確信、悪いほうの確信を打ち砕く言葉を幻の中でイエスさまが語ってくださったのです。そのように理解することが可能です。

先ほどから幻、幻と言っていますが、パウロが眠っている間に夢でも見たのでしょうか。その夢の中にイエスさまがご登場なさったのでしょうか。ある意味そのとおりかもしれません。しかし他方で、わたしたちは「伝道のヴィジョン」という言葉をよく使います。この意味でのヴィジョンも幻です。

わたしたちが「伝道のヴィジョン」という言葉を使うときにだいたい考えていることは、実際はまだそのことは目に見える現実になっていないけれども、将来そのようになっていくことを望み、希望をもって計画を立て、その計画を実行に移すことです。

パウロにも、わたしたちと同じ意味での伝道の計画、伝道のヴィジョンがなかったわけではありません。彼は、その場限り、思いつき、行き当たりばったり、成り行き任せ、無軌道、無計画の伝道をしていたわけではありません。結果的に自分の思うように行かなかったこと、計画どおりに事が進まなかったことはいくらでもあるのですが、だからといって無計画だったということではありません。

それでは、わたしたちの伝道のヴィジョンのほうは、それは単なる計画であって、それはつまり、予定は未定であって決定ではないというようなことを言えば済まされるようなことなのでしょうか。あるいはまた、それは自分たちの人間の思いで立てた計画だから実現しなかったのだ、計画など最初から立てなければよかったのだ、というような総括で済まされるようなことなのでしょうか。

そうではないはずです。わたしたちの「伝道のヴィジョン」は、多くの人の熱心な祈りの中で立てられたものであり、聖書の教えに基づき、神の御心に従って立てられた主の計画であり、そのようにして与えられた希望であるはずです。もしそうであるならば、わたしたちの教会にかつて与えられた「伝道のヴィジョン」の中で、その幻の中で、イエスさまは、今でも強く語りかけてくださり続けていることを信じることができるはずです。

「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」。

このイエスさまの言葉が、わたしたちの「伝道のヴィジョン」の中でも強く響き渡り続けています。この言葉は、パウロという突出した英雄的な個人だけに語られているものではなく、すべての教会に語りかけられています。

しかもそれは、わたしたちでいえば、中会とか大会という単位へと語りかけられているのではありません。この御言葉は、一つ一つの教会、各個教会、この教会、そして、わたしたち一人一人に語りかけられているのです。


2014年2月24日月曜日

カール・バルト先生の「全くネイティヴの発音でない」英語講義に慰めを覚えます



これはカール・バルト先生(スイス人)の英語での講義の音声です。

全くネイティヴの発音ではないことに慰めを覚えます。

まるでぼくらの英語みたい。

そんなもんですて。

ネイティヴじゃない人がネイティヴの発音ができないことを笑うな。

ぼくは岡山生まれだけど、

岡山弁のネイティヴの発音ができない人を笑ったりはしない。

かえって、とってつけた岡山弁を偽装的にしゃべる人はイヤだと思う。

どの町の出身者でも同じようなことを感じてるんじゃないの。

なんで英語だけネイティヴ発音を求めるの?

で、できない人を笑うの?  

演劇やるなら別だけど、大切なのは言いたい内容を正確に伝えること。

発音なんかどうでもいいよ。

自信がなきゃ、完全原稿配ればいいだけ。

2014年2月22日土曜日

日記「『発話しにくいこと』と『真理・真実でないこと』は区別しなくてはならない」

私は、ごく最近、ある場所で  「発話しにくいこと(Things that are difficult to speech)と真理・真実でないこと(Things that are not truth)は区別しなくてはなりませんよね?」 と言いました。

どのような文脈で、私がこういうことを言ったのかについては、まさしく「発話しにくいこと」なので、今は書きません。その代わり、もう少し発話しやすい例を一つ挙げておきます。

太った人(私のことです)に「太ってますね」と言うのは、ある人たちにとっては「発話しにくいこと」かもしれません。しかし、それがいくら「発話しにくいこと」だからといって、実際の私は「太っていない」のかと言うと、決してそんなことはありません。たしかに太っています。

しかし、その「発話しにくいこと」と「真理・真実でないこと」とが混同されていることがあるような気がします。

「失言」というのは、「発話しにくいことを発話してしまった場合」と、「真理・真実でないことをあたかもそうであるかのように虚偽的に発話してしまった場合」とがあるのかな、ということも考えさせられました。しかし、後者は「失言」とは呼ばれないかもしれません。分かりません。

これ、ここ数日の「政治」の話ではありませんので、悪しからず。「あの子は大事な場面で必ず転ぶ」とか「戦後教育はマインドコントロール」とか言っているあの人たちを庇う意図などは一ミクロンもありません。

私はオブラートに包んでも言えないクチです。思っていることの1割も口にできません。だけど心の中では思っていますので、もっと悪いですよね。ズケズケ物を言えるのは牧師たちだけです。相手が先輩であろうと恩師であろうと、牧師相手なら「あなたの説教は異端です」とかくらいまで言えます。

だけど、牧師以外の人たちには全く言えません。だから、はっきり言われたことありますよ、「あなたは『生かさず殺さず』なんですね」と。それは自覚ありますし、終始一貫、そうです。ネットでもリアルでも、ぼくの基本は「生かさず殺さず」です。だから友達少ないんでしょうね(涙)。

2014年2月21日金曜日

「飼い慣らされたネムイ神学」がぼくの理想です

たぶん何度となく書いてきたことですが、

聖書も、教会の教義も、そして説教も、教会という重くて硬い鎖にしっかりとつながれているとき初めて、凶暴化をある程度防ぐことができると、私は信じてきました。

だって、言い方は乱暴になってしまいますけどね、実際問題として「神」とか語っちゃうわけですからね。鎖につながれていない存在が「神」とか言っちゃうのは危険すぎるわけです。

そして、その話を耳を澄ましてよく聞けば、「神」とか語っているその本人自身が「ぼく/あたしが神だ~、ぼく/あたしが神だ~」と言ってる話なんだな、これは、と感じてしまうケースは多々あります。そういうふうにならないために、聖書、教義、説教は「教会」につながれていなければならない。

しかし、そういう「教会」にがんじがらめにされた聖書、教義、説教は、まあその、なんて言うか、あんまり面白いものではないです。保守的で、事務的で、無難。結論は予定調和で、驚嘆する要素はほとんど皆無で、だいたいネムイ。

まあ、そんなもんですよ、と言いたいだけです。

「飼い慣らされたネムイ神学」が、ぼくの理想です。

あ、ほんとにネムクなりましたので、今夜はこれにて。

2014年2月16日日曜日

あの宮台真司さんも出ている『ミニストリー』誌にぼくが出ています

次世代の教会をゲンキにする応援マガジン

『ミニストリー』2014年冬号(キリスト新聞社)が、

見開き2ページも使って、ぼくの写真付きで

カール・バルト研究会を紹介してくださいました。

ありがとうございます。

でもって、この記事の中で、

ぼくは「電脳牧師」だそうです。

別の場所で、「ブロガー牧師」と紹介されたこともあります。

もうね、ナニ牧師でもいいや。

『ミニストリー』誌、初めて手に取りました。

申し訳ないことに、触ったことがなかったです。

でもこれ、けっこう面白いです。驚くほど面白い。

ええっ、「あの」宮台真司さんが出てる。すごい!

この内容で「1,575円」(税込)は安いぞ。いいね!

2014年2月14日金曜日

フレッド・サンダース氏の「キリスト論は聖霊論ではない(A. A. ファン・ルーラー)」という文章の一部を訳しました

リンク先の記事の前半3分の1くらいを訳してみました。

誤訳や読みこみすぎのところがあるかもしれませんが、あくまでもご参考までに、という程度でお許しください。

しかし、訳してみて分かったことは、サンダース氏の見方、そしてサンダース氏が紹介しているオランダの二人の神学者の見方には、同意できるところと、同意できないところがある、ということです。

ファン・ルーラーのことに限っては「あとだしじゃんけんだ」というようなことは言われたくない私ですが、彼らが指摘している点については、私もずいぶん前から気づいていました。しかし、私の見方は、彼らが言っていることよりも、あと一歩先のことです。彼らの指摘だけでは不十分だと、私には思えます。

私の見方は、3月24日(月)の「日本基督教学会関東支部会」(会場・東京女子大学)で申し上げます。それまでは、な・い・しょ、です。

フレッド・サンダース氏は、現在、米国バイオラ大学の組織神学の助教授です。

出典URL
http://www.patheos.com/blogs/scriptorium/2009/07/christology-is-not-pneumatology-aa-van-ruler/

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「キリスト論は聖霊論ではない」(A. A. ファン・ルーラー)

フレッド・サンダース

『組織神学国際雑誌』(International Journal of Systematic Theology)最新号でヘイスベルト・ファン・デン・ブリンク氏とシュテファン・ファン・エルプ氏が、20世紀のオランダの神学者による三位一体論的神学の再発見への貢献が欠如していたことを嘆いている。 論文のタイトルは「神が三位一体であることを無視しているのか――オランダ神学における三位一体論について」である。彼らは次のように述べている。「いくつかの重要な教理史的な研究書を除けば、20世紀オランダのプロテスタント神学において三位一体論とその影響について論じた本は一冊も出版されなかった」。この点はオランダのカトリック教会のほうがましだったと彼らは証言する。ファン・デン・ブリンク氏とファン・エルプ氏の報告によれば、オランダの有力なすべての神学者は三位一体論を無視し、放置した。あるいは自己目的に適応するようにねじ曲げ、大胆に再解釈した。あるいは完全に否定した。

二人の論者はアーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])も取り上げている。しかし、彼らはファン・ルーラーを、影響力のあるオランダの神学者ではあるが、三位一体論自体に関心があったわけではなく、自己目的のために三位一体論を利用した神学者の一例として取り上げている。それで私は驚いた。これまで読んできたファン・ルーラーの本は三位一体論の諸命題で満ちていたからである。ファン・ルーラーがしばしば述べたことは、「キリスト論的神学だとか、聖霊論的神学だとか、そのようなものはあってはならない。キリスト論も聖霊論も神学全体の中の部分にすぎない。我々の目標は三位一体論的神学であるとしか言いようがない」ということであった。

しかし私は、ファン・デン・ブリンク氏とファン・エルプ氏の指摘を受けて、ファン・ルーラーの文章を自分で確かめた。それで分かったことは、ファン・ルーラーが実際に関心を持っていたのは神学の包括性(comprehensiveness)の問題であったということである。彼は三位一体論のカテゴリーを、神学の包括性を獲得する方法であると考えていたのだ。彼が好んで用いた言葉は「○○だけではなく(not only)、△△もまた(but also)」である。彼が願ったことは、なるべく広く網を張ることであり、より多くの知識や情報を獲得することだったからである。二人の論者は、ファン・ルーラーの方法を「三位一体論的拡張」(trinitarian spreading)の技法であるとみなす。そして、この点こそが「ファン・ルーラーは自己目的のために三位一体論を利用した神学者である」という彼らの指摘の根拠になっている。「開放的な多様性において、ありとあらゆることが未解決のままであり続けること」を確保することがファン・ルーラー自身の計画でもあったということが、「三位一体論的神学の必要性」という彼の論文を読むと分かる。多くの現代的な神学者がいまだにそうであるように、ファン・ルーラーは、多様性(三位!)についてのきわめて抽象的な概念が同時に究極的に一致すること(一体!)に興奮を覚えた人である(ちなみに私は、現代神学者たちの三位一体論の捉え方は間違っていると考えている)。そして彼は、三位一体の神存在に秘められた「区別性と関係性」という概念を発見した。その線に沿ってどこまでも進んでいけばよい。そうすれば、「三位一体論的発想法」(trinitarian thinking)という大いなる関心事に辿り着くだろう。しかしそれは、三位一体論そのものについて考えることではないのである。

ファン・ルーラーは依然として、読むと非常に刺激を受ける本を書いた神学者である。彼の株価は今後数十年で上昇するだろうと私は予想する。彼の著作集を出版し続ける愛読者がいる。英語や日本語に翻訳されている。あなたは二色の蛍光ペンを用いて彼の本を読むことができる。そのペンの一本は、彼の全作品に見つかる燦然と輝く黄金の命題をチェックするために用いればよい。もう一本は、これもまた彼の本のすべてのページの至るところに散りばめられた、ひどく間違っていて危険極まりない言葉をチェックするために用いるべきだ。ファン・ルーラーの三位一体論についての発言が三位一体論そのものとは異なる関心によって動機づけられていたことを指摘してくださったファン・デン・ブリンク氏とファン・エルプ氏に、感謝を申し上げたい。

2014年2月13日木曜日

日本基督教学会関東支部会(3月24日)の研究発表に加えていただきました

2014年3月24日(月)「日本基督教学会関東支部会」(会場 東京女子大学)の研究発表に加えていただきました。


拙論掲載誌『途上』第28号の広告が出ています

『途上』第28号の広告です。

「キリスト新聞」第3301号(2014年2月15日付け)の一面に掲載されています。

拙論「A. A. ファン・ルーラーの神学思想の特質」も掲載されています。

税込1,785円です。ぜひお買い求めください。