2014年2月22日土曜日

日記「『発話しにくいこと』と『真理・真実でないこと』は区別しなくてはならない」

私は、ごく最近、ある場所で  「発話しにくいこと(Things that are difficult to speech)と真理・真実でないこと(Things that are not truth)は区別しなくてはなりませんよね?」 と言いました。

どのような文脈で、私がこういうことを言ったのかについては、まさしく「発話しにくいこと」なので、今は書きません。その代わり、もう少し発話しやすい例を一つ挙げておきます。

太った人(私のことです)に「太ってますね」と言うのは、ある人たちにとっては「発話しにくいこと」かもしれません。しかし、それがいくら「発話しにくいこと」だからといって、実際の私は「太っていない」のかと言うと、決してそんなことはありません。たしかに太っています。

しかし、その「発話しにくいこと」と「真理・真実でないこと」とが混同されていることがあるような気がします。

「失言」というのは、「発話しにくいことを発話してしまった場合」と、「真理・真実でないことをあたかもそうであるかのように虚偽的に発話してしまった場合」とがあるのかな、ということも考えさせられました。しかし、後者は「失言」とは呼ばれないかもしれません。分かりません。

これ、ここ数日の「政治」の話ではありませんので、悪しからず。「あの子は大事な場面で必ず転ぶ」とか「戦後教育はマインドコントロール」とか言っているあの人たちを庇う意図などは一ミクロンもありません。

私はオブラートに包んでも言えないクチです。思っていることの1割も口にできません。だけど心の中では思っていますので、もっと悪いですよね。ズケズケ物を言えるのは牧師たちだけです。相手が先輩であろうと恩師であろうと、牧師相手なら「あなたの説教は異端です」とかくらいまで言えます。

だけど、牧師以外の人たちには全く言えません。だから、はっきり言われたことありますよ、「あなたは『生かさず殺さず』なんですね」と。それは自覚ありますし、終始一貫、そうです。ネットでもリアルでも、ぼくの基本は「生かさず殺さず」です。だから友達少ないんでしょうね(涙)。