2013年12月21日土曜日

50年くらい前の日本のほうが今より良かったのかもしれませんね


これで今日の最後にします。

「屋根裏から出てきました」と貴重なものを見せていただきました。

ぼくは東京オリンピック(1964年)の翌年に生まれました。

50年前くらいの日本のほうが今より良かったのかもしれませんね。

んなこと言っても意味ないことですが。

2013年12月20日金曜日

アマゾン速いなあ(感動)


今日もなんだか調子に乗って更新頻度が高くなってしまいましたので、そろそろやめますが、

昨日アマゾンでポチッと注文した本(左)が、もう今日届きました。

ロラン・バルト『エクリチュールの零度』(ちくま学術文庫、1999年)

アマゾンに拍手!

キリスト新聞最新号の1面に「ファン・ルーラー研究会」発起人が登場!


キリスト新聞最新号(2013年12月25日号)1面にクリスマス説教と共に紹介されている清弘剛生先生は、

ぼくが今日メーリングリストの廃止という悲報をお知らせした「ファン・ルーラー研究会」をぼくと一緒に立ちあげてくださった共同発起人です。

マジレスしますが、清弘先生のおかげで今のぼくがあります。大の恩人です。

さっき開いた紙面にドーンと清弘先生が登場して、腰が抜けました。

清弘先生、これからもよろしくお願いいたします。

「ファン・ルーラー研究会」メーリングリスト終了のお知らせ

たった今、以下のメールを「ファン・ルーラー研究会」のメーリングリストに送信しました。

寂しいかぎりです。

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ファン・ルーラー研究会の皆さま、こんにちは。関口です。

という書き出しのメールを送ることができなくなって、どれくらい経つでしょうか。

本当に申し訳なく思っています。心からお詫びいたします。

このたび、yahooグループから「サービス終了のお知らせ」が届きました。

来年(2014年)5月28日(水)午後3時(予定)をもって、

yahooグループ(メーリングリスト)の全サービスが終了するとのことです。

それに伴い、ファン・ルーラー研究会の過去ログも、名簿も、すべて消去されます。

1999年2月20日の結成以来、15周年を迎えようとしているこのメーリングリストですが、

これも一つの定めのような気がします。

ファン・ルーラーの神学の研究と翻訳は、

私自身は、細々とではありますが、継続しています。

また、オランダのアペルドールン神学大学に5年間留学しておられた石原知弘先生は

無事帰国されました。

石原先生が同神学大学に提出された

ファン・ルーラーとノールトマンスを比較する修士論文は

「最優秀賞」(cum laude)を受賞されました。日本の神学史に覚えられるべき快挙です。

日本キリスト教会の栗田英昭先生は、同教会神学校の紀要『教会の神学』誌に

ファン・ルーラーについての研究論文をずっと書き続けておられます。

ファン・ルーラー研究会メーリングリストの15年は、

無駄でも無意味でもなく、多くの豊かな実を結んでいると、私は信じています。

日本語版『ファン・ルーラー著作集』はいまだに実現しませんが(申し訳ございません)、

主の御心ならば、我々の願いは叶えられるでしょう。

皆さまのこと、決して忘れません。みなさま、これまで本当にありがとうございました。

2013年12月20日

関口 康

2013年12月19日木曜日

これが『零度のエクリチュール』ですか、ロラン・バルト先生?

「アドベントなのに何やってんの?!」

と叱られそうですが、

30年前ほど前に買ったロラン・バルトの『零度のエクリチュール』(みすず書房、1971年)を引っ張り出して読みなおしています。

フランス語をちゃんと習ったことがないので、著者の思想を一度もまともに理解できたためしはないのですが、

なんと言ったらよいのか、

そう、たとえば、facebookだとかツイッターだとかブログみたいなところ、

原稿用紙ではないところにかなりの面で衝動的に書きなぐる言葉(これがパロールですかね)というのは、

ロラン・バルトのいう「零度のエクリチュール」のようなものかな、違うかな、など考えてみています。

30年前にはfacebookもツイッターも無かったので、そういう読み方をすること自体がありえないことでした。

ネット時代にロラン・バルトを再読する。

アドベントなのに、道草くってます。どうもすいません。

この本を買ったのは1985年前後だと思います。浅田彰さんのブームがあって、こういう本が書店にあふれていました。流行に遅れまいとカッコつけて買ったものです。

ゼンゼン理解できませんでしたけどね。

あ、でも赤鉛筆の線が見つかったりするので一応読んだんだなと。

2013年12月17日火曜日

「黙想」ってね、目つぶってうーんて唸ってるだけじゃ意味ナイですよ

リアルのぼくをご存じの方は、

「○○依存者」というようなものとぼくはかけ離れているということを、

どなたもご存じです。

ぼくは「依存」しないし、してないです。

ネットを多用していることは認めますが、

どのみちパソコンで作成している文書を、オフラインで書いて、

そのままオンラインでネット上に公開しているだけです。

しかも、ぼくがネットに公開していることといえば、

説教原稿、外国神学書の私訳・超訳、自作料理の写真、時事の話題、

くらいです。

つまり、ですね、

ぼくがネットに書いていることは、

戦後の教会で流行してきた「説教黙想(メディテーション)」と、

本質的に同じだと思っているのです。

伝統的な神学用語で言えば「信仰の適用」(application of fath)です。

戦後の「黙想運動」の方々がいま生きておられたら、

ぼくが考えていることに、きっと同意してくださると思います。

ファン・ルーラーも「黙想集(メディテーション)」を多く出版しました。

「黙想」ってね、目つぶってうーんて唸ってるだけじゃ意味ナイですよ。

むしろ目を開けて、世界の現実を凝視しなくちゃ。

教会員一人一人の顔と願いを思い浮かべる「だけ」でも意味ナイです。

それだけだと、「伝道する気ない牧師だ」と責められても仕方ない。

だって「伝道」とは教会の外にいる人たちを教会の内へと招待すること。

そうだとしたら、「黙想」にとって不可欠なことは、

(今はまだ)教会の外にいる人たちの関心を徹底的に知り、

その「関心」と、聖書のみことばとの関係を徹底的に考え抜くことです。

その「黙想」のプロセスをすっ飛ばしてしまったら、

伝道の熱心は「空を打つような拳闘」(Ⅰコリ9:26)に浪費するばかりです。

平たく言えば、教会の声は世間に届かない。

「届ける気がないんでしょ」と、すぐに見抜かれてしまいます。

おっと、

(Ⅰコリ9:26)というのも暗号っぽかったですね。すみません。

新約聖書のコリントの信徒への手紙一9章26節のことです。

2013年12月15日日曜日

家畜小屋の中で救い主がお生まれになりました

ルカによる福音書2・1~14

「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」

いまお読みしました聖書の個所は、毎年クリスマスが近づくたびに、またはクリスマス礼拝当日に読んできた個所です。ここに記されていることの中で最も大切なことは、わたしたちの救い主イエス・キリストがお生まれになった場所はどこなのか、ということです。それを示す言葉がキーワードです。

そのキーワードは「飼い葉桶」です。飼い葉桶があるのは家畜小屋です。つまりイエスさまは家畜小屋の中でお生まれになりました。

言うまでもないことですが、家畜小屋は人間の住む場所ではありません。まさか当時、人間の住む場所はどこにもなかったという話ではありません。「宿屋には彼らの泊まる場所が無かったからである」(7節)と記されています。宿屋はあったのです。しかし、彼らの泊まる場所がなかったのです。

ローマ皇帝アウグストゥスの命令で当時ローマ帝国の支配下にあったユダヤ王国の人々がそれぞれ自分の町へ帰って住民登録をしなければならなくなりました。ユダヤ人たちは遠い町への移動を強いられ、国じゅうは蜂の巣をつついたような状態になり、宿屋はどこも満室でした。だからイエスさまは家畜小屋でお生まれになりました。人間の住む場所ではないところでお生まれになったのです。

この個所を改めて読みながら考えさせられたことがあります。それは、ローマ皇帝アウグストゥスにとっては、自分の下した命令によって動かす人々がどんな目にあおうと、どんな苦しみを味わおうと、そんなことはどうでもよかったに違いないということです。

ヨセフとマリアにとって、初めての子どもをそのような場所で産まなければならなかったことは、悲劇という以外に表現しようがないことだったに違いありません。しかし、そのようなことは現実に起きます。

一国の権力者の目から見れば、国民一人一人はまるで飛行機の上から地上を見るとそこに見えるごま粒のように小さい人間の姿かもしれません。しかし、その人々も確かに人間です。ごまではありませんし、家畜でもありません。

国民一人一人の姿がちゃんと人間として見えているならば、一つの命令を下す場合でも、その結果、国民の一人一人がどのような目にあうのかということを丁寧に考えるでしょう。だれ一人不幸にならず、少なくとも人間として尊重されるように配慮がなされる政治を行うでしょう。

しかし、そのようなことに全く関心を持たない、国民の一人一人がどうなろうと関係ないと思っているような政治家は、ただのファシストです。

先週は、ユダヤの国のヘロデ王の悪党ぶりをお話ししました。これで分かることは、イエスさまがお生まれになったときのユダヤの王も、そして今日の個所に登場するローマ皇帝アウグストゥスも、ファシストだったということです。

悪党が政権を握ると国民は不幸になります。イエスさまがお生まれになったのは、まさにそのような時代でした。ほんの一握りのファシストのとりまきたちが政治的・軍事的に大多数の国民を支配し、国民の富を独占する。それによって国の中に経済格差が起こる。貧しい人々は苦しみを味わうばかりです。そういうことが現実に起こるのです。

そのようにして生み出される貧しい人々の代表的な存在が、今日の個所に登場する「ベツレヘムの羊飼い」です。

羊飼いたちは「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をして」(8節)いました。彼らは「野宿」をしていました。野外生活者です。「夜通し」働いていました。夜に寝ないでする仕事です。そして、年がら年中付き合っているのは「羊の群れ」でした。人間相手の仕事ではありません。彼らが過酷極まりない労働に従事していたことは間違いありません。

しかし、その仕事は誰かがしなければならないことです。羊の肉は人の食用にされますし、毛皮は人のために用いられます。羊飼いの仕事をする人がいなければ、多くの人は困ります。しかし、過酷な仕事ですので、だれもが嫌がります。人気がある仕事ではありえない。楽な就職先はあっという間に無くなる。競争に強い人が勝ち取る。最後に、いちばんつらい仕事として羊飼いの仕事が残る。

しかも、ベツレヘムの羊飼いたちはユダヤ人であると考えられます。しかし、ユダヤ人であれば、アウグストゥスからの命令で、自分の町に帰り、住民登録をしなければならなかったはずなのですが、羊飼いたちはそのようなことをしていなかったと思われる。なぜそうなのか。彼らは住民登録の対象外であるとみなされていたからです。それは国民の数に入っていないことを意味します。政府からも行政からも、事実上、人間扱いされていないということです。いつどこで死のうが殺されようが関係ない。生活保護の対象外です。

その彼らに主の天使が現れました。そして「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」(10~12節)と教えてくれました。

何が「あなたがたへのしるし」でしょうか。それは、もちろん「飼い葉桶」です。それが置かれている、人間の住む場所ではない家畜小屋の中で、「あなたがたのために」、つまり、「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしている」あなたがた羊飼いたちのために、今日救い主がお生まれになった、と主の天使が教えてくれたのです。

「今日」というのですから、主の天使がこの羊飼いたちに救い主の誕生を教えてくれたのは、新聞の号外のようなものです。ニュース速報です。誰よりも先にあなたがたに伝える。あなたがたのような「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしている」人々にこそ、真っ先に伝える。あなたがたが日々生活しているのと同じ場所で、あなたがたと同じ姿で、あなたがたのために、救い主がお生まれになった。その救い主は、あなたがたの側についてくださる。味方になってくださる。あなたがたの苦しみを共に担ってくださり、共に苦しんでくださる。それが救い主イエス・キリストである。そのことを主の天使が教えてくれたのです。

そして、その天使に天の大軍が加わり、神への賛美が始まりました。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(14節)。そして、羊飼いたちは、イエスさまがおられる場所、飼い葉桶のある家畜小屋にたどり着きました。そして、彼らは、「見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(20節)と書かれています。

この羊飼いたちはイエスさまに初めてお会いして何をしたのでしょうか。イエスさまに対する礼拝であり、賛美です。先週と先々週学びましたマタイによる福音書には東の国の占星術の学者たちが、イエスさまのもとにやってきたことが記されていました。彼らはひれ伏してイエスさまを拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。占星術の学者たちはイエスさまにお会いして何をしたのでしょうか。それもまたイエスさまに対する礼拝であり、賛美です。

羊飼いたちと学者たちよりも前にイエスさまにお会いした人たちのことは、聖書には記されていません。おそらく彼らがいちばん最初です。もちろんヨセフとマリアのほうが彼らよりも前だと言えば、そのとおりです。あとは、家畜小屋にいたかもしれない動物たちのほうが前だと言えば、そうなるかもしれません。

しかし、動物たちのこととイエスさまの両親のことはともかく、イエスさまのもとに集まり、世界の歴史の中で初めてイエスさまを礼拝し、賛美した人として聖書に記されているのは、ユダヤ人の中で人間扱いされていなかったベツレヘムの羊飼いたちと、ユダヤ人たちからは異邦人であるという理由で軽蔑されていた東の国の占星術の学者たちでした。彼らに共通しているのはユダヤの社会の中で差別されていた人たちだ、という点です。

繰り返します。世界の歴史の中でイエス・キリストを最初に礼拝したのは、ユダヤ人たちから差別されていた人たちでした。ユダヤ人とは聖書の御言葉をよく学び、よく知っている人たちのことだということは、繰り返し申し上げてきました。しかし、そのような人たちは、生まれたばかりのイエスさまを礼拝しませんでした。それどころか、ユダヤ人であったヘロデに至っては、律法学者や祭司長の聖書知識を悪用して、イエスさまを見つけ出して殺すことを図ったということまで記されています。あるいは、ユダヤ人たちの多くは、その後、イエスさまが十字架の死に至るまで、イエスさまを憎みました。

いま私が申し上げているのは、ユダヤ人という民族の人のすべてが悪いという話ではありません。ユダヤ人差別をしているのではありません。あるいは、聖書の知識を持っている人のすべてが悪いという話ではありません。そのようなことを私が言うはずがありません。聖書を学ぶことは大切です。それは世界の知識の中の最高かつ最良の知識です。

しかし、ヨーロッパに古いことわざがあります。「最良のものが堕落すると、最悪のものになる」。最高に価値ある存在が堕落すると最悪の結果を生み出すのです。たとえば、聖書の知識を悪用すれば最悪の結果を生み出すのです。イエスさまを十字架につけて殺した人々は、世界中で誰よりも聖書の御言葉をよく知っていた人たちなのです。

わたしたちはどうでしょうか。イエスさまのもとで最初に行われた礼拝に集まった人たちのような人を、わたしたちの礼拝に積極的に招かなければなりません。今のわたしたちの教会に、そのような人がどれくらいいるでしょうか。夜通し働いている人、社会から差別されている人、聖書の御言葉を知らない人。その人々のために、救い主イエス・キリストはお生まれになったのです!

(2013年12月15日、松戸小金原教会主日礼拝)

2013年12月13日金曜日

牧師動静 2013年12月12日(木)

はー、やっと終わったー。計画どおりには進まないです、人生は。

牧師動静 2013年12月12日(木)

午前6時

起床

午前7時

外出(行き先は特定秘密)

午前8時

朝食(パン、コーヒー)

午前8時30分

外出(行き先は特定秘密)

午前9時

メールチェック

午前10時

教会の印刷機が古くなってエラーが多発するようになりましたので、このたび新しい印刷機に交換しました。フルカラー印刷もできる機種です。LANやUSBでつなげばパソコンのプリンターとしても使えます。事務機器取り扱い業者の方と、プリンターのメーカーの方と、運送業者の方々といろいろ打ち合わせ。納品後、ぼくひとりでパソコンとの接続方法など学習。

正午

昼食(昨日の残りもの)

午後1時

教会員のご家庭での「サロン」に出席。平均年齢80歳くらいの全員女性の集会。今日は出席者少なく、ぼくを含めて5人。今日はキリスト者率高く、ぼくを含めて3人が松戸小金原教会の教会員。話題はいつもながら、社会、政治、教育、宗教、世相など多岐にわたるもので、美味しいお菓子と紅茶をいただきながら、非常に盛り上がりました。とにかく全員が完全に一致したのは「どんなことがあっても戦争だけはしてはならない」ということでした。「戦争でわたしたちがどんなに苦労したかを、多くの人に知ってもらいたい」とおっしゃっていました。

午後4時

Facebookに「今日の活動記録」(旧版)を書きました。

午後5時

外出(行き先は特定秘密)

午後5時30分

教会の新しい印刷機を教会のパソコンにつなぐためのLANケーブルとスイッチングハブを購入(PCデポ松戸店)

午後6時

帰宅。アマゾンの運送業者が来る。サンタさんのプレゼント(掃除機)を受けとる。

午後6時30分

LANケーブルとスイッチングハブの取り付け作業

午後7時

スーパーでお買い物

午後7時30分

夕食づくり

午後8時

夕食(キーマカレー)

午後9時

子どもたちと一緒にフジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした」を観る。新・食わず嫌い王決定戦が「ももクロVSマーくん(楽天の田中将大投手)」。結果は引き分け。

午後10時

サンタさんのプレゼントで掃除
風呂掃除
皿洗い
洗濯

午前0時30分

「つかれたー」とか言ってる(いま)

午前1時

就寝予定(おやすみなさい)

2013年12月11日水曜日

カルヴァンの「来たるべき永遠の生への瞑想」と「殉教」との関係を考えています(その2)

いま、小宮山裕一先生がチャットで話しかけてくださったので、応答していました。

小宮山先生によると、

「来たるべき永遠の生への瞑想」の議論をカルヴァン自身の病弱や死期の悟りのようなものと結び付けるカルヴァン研究者がおられますよ、とのことでしたので、次のようにお応えしました。

以下、コピペ。

ぼくもそのことを全く考えなかったわけではありませんが、もしそれが事実であれば、カルヴァンという人は、自分の病気や死という彼の個人的なことを普遍的な神学命題にまで引き上げた人だという感じになってしまうと思うのですが、それでいいのでしょうかねと疑問が残ります。

「殉教」は個人の問題ではなく教会の問題であり、共同体の問題です、よね。だけど、「病気」は、個人の問題だと思うのです。

「来たるべき永遠の生への瞑想」についてのカルヴァンの綱要のテキストを何度も繰り返し読んでみていただくと、教会員への、あるいはすべてのキリスト者への呼びかけのような言葉であることが分かると思います。

自分が病気だから、自分がもうすぐ死ぬかもしれないから、教会員に対して「地上の生を軽んじろ」と勧める牧師って、なんだか変だと思いませんか。他人を巻き添えにしないで、じぶんひとりで死んでくださいと、ぼくなら言いたくなりますよ。

だけど「殉教」という理由なら、話は噛み合うような気がするんです。肉体を滅ぼすことができても魂を滅ぼすことができない者たちを恐れるな、という線で理解できるのではないかと。

カルヴァンの「来たるべき永遠の生への瞑想」と「殉教」との関係を考えています

ツィンツェンドルフの本を読むか、

それとも、

1933年から1941年までのオランダとドイツのプロテスタント諸教会の本を読むかで迷い、

結局、カルヴァンの『キリスト教綱要』を読んでいるという

迷走っぷりです。


以下、引用。

「だからこそ信仰者は、この死すべき生を評価する際に、それ自体としては悲惨以外の何ものでもないことを弁え、いよいよ快活に一層よく用意のできた者として、来たるべき永遠の生への瞑想に自己の一切を委ねるという目標を持たなければならない。」

「比較して見ると、現世の生は無視して差し支えないのみならず、来たるべき生と対照的に、徹底的に軽んじまた忌避しなければならないものである。」

「天上の生と比べるならば、地上の生は疑いなく容易に軽んじられ踏み躙らるべきものである。」

「いずれにせよ、我々はこの世を飽き飽きするもの、あるいは憎いものとして関わり、それが終わることを願うのであるが、主の御旨であればここに留まる覚悟を決め、倦怠を覚えることがあっても一切の呟きや短気を断ち切っていなければならない。」

「したがって、生きるのも死ぬのも主のため、ということが我々に似合っているとすれば、己れの生と死の境目を主の意志決定に委ねなければならない。」

「死を求める熱心に燃えて絶えずそれを瞑想し、来たるべき不死の生の故にこの世の生を軽んじ、これが我々を罪の隷属の下に置いていることを思い、主が良しと見たもう時にはいつでも放棄できるように願うべきである。」

以上は、渡辺信夫先生によるカルヴァン著『改訳版 キリスト教綱要』(新教出版社)の第3篇第9章4節から抜粋させていただいたものです。

いわゆる「来たるべき永遠の生への瞑想」(meditatio futurae vitae)についてカルヴァンが論じている部分です。

ぼく流の超訳でまとめれば、

「ぼくたちは生きているのが嫌で嫌でたまらない。一刻も早く死にたいんだけどと願いながら、まだ死なせてもらえないのは主の御心のようなので、それならばと仕方なく生きてはいるが、死ぬと決まったら早く早くと願うべきである。そのようにしてぼくたちは人生と世界を徹底的に無価値なものとみなし、天上の生だけをひたすら夢見るべきである。」

というような話だと思います。(違うって言えますか?)

このカルヴァンの思想が、ぼくにとっては堪えがたいものでした。

つい先週くらいまで。

はっきり言えば、この部分に限ってカルヴァンは、まるでグノーシス主義者然としているとさえ感じていました。

ファン・ルーラーもこのカルヴァンの「地上の生を軽んじろ」という教えをひどく嫌っていました。

ですが、ふと気づかされるものがありました。

カルヴァンが「早く死にたい」理由というか、動機というか。

彼が「この世の生を軽んじろ」と主張する理由というか、動機というか。

今さら何を、と言われそうですが、

カルヴァンのそれは「殉教」の覚悟というか、決意そのものですよね。

カルヴァンのことを良く思わない人たちは、カルヴァンと言えばセルヴェ処刑に加担した、良心の迫害者のように扱いたいのでしょうけれど、

カルヴァンも十分な意味で迫害を受けた人だし、いつでも殉教の可能性はあった人です。またカルヴァンの教え子たちは、非常に過酷な迫害を受けました。

まだ学術的な根拠などはありませんが、

カルヴァンの「来たるべき永遠の生への瞑想」(meditatio futurae vitae)を「殉教」との関係で読み直してみると、ぼくの中の抵抗感が少しは緩和されるものがあるかもしれないなと思い直しているところです。

でも、ぼくは「早く死にたい」とは思わないです。

迫害者側に寝返るくらいなら死んだ方がましだとは思いますが...。

あ、これか!