2013年10月10日木曜日

紀要論文の初校が届きました


ある学会の紀要に掲載予定の拙論「A. A. ファン・ルーラーの神学思想の特質」の初校が、編集長経由で出版社から送られてきましたので、さっそく校正中です。 

やや恥ずかしい話ですが、ゲラが届くとほっとするのです。「あ、ホントに掲載してもらえるんだ」という実感がやっと湧いてきます。 

ぼくは、大学や神学校など学術機関の後ろ盾を持っていない市井の人間ですので、これまでに、自分で頼み込んで掲載してもらった論文が多くあり、掲載不許可の通知をいただいたことも何度かありました。 

骨のある編集長にも出会いました。某誌にぼくの論文が掲載されたあと、「なんであんなの載せたんだ」とクレームがあったそうですが、毅然と対応してくださいました。 

市井の人間は権力に弱いので、初校が届くと、ぼくごときの見解を採用する勇気をもってくださった編集長を「拝み」はしませんが(ぼくクリスチャンですので)「尊敬」します。 

編集長さま、ありがとうございます。

2013年10月9日水曜日

「比較教義学」の問題点―同じ趣旨のことをノーマルモードで書いてみませんか

どなたのブログだったか忘れましたが、それほど前でもない頃に読んだ記憶があるのですが、自分の教団・教派に疑問や批判を持っている人や、かつて異端に属していた人にとっては「組織神学」は役に立つが、そうでない人にとってはそうでない、という旨の書き込みがあって、「なにそれ?」と思いました。

おっしゃりたいことの趣旨が全く理解できないとも思わないのですが、「組織神学」の意義ってその程度のものなのかなあ、とことん落ちぶれたもんだなあ、まあいいけど、と思った次第です。

この件のぼくの問題意識は「アンチ神学」の問題と直接関係しています。「そもそも神学は学問なのか」(学問ではないのではないか)という誹謗をどうかわすかの問題は横に置いといて、学問の本質を「批判」に見いだすことの正当性を十分評価しつつも、「批判だけなのか」という問いが、ぼくにはあります。

「混せず、変せず、分かたれず、離れず」のようにすべてを否定形で提示する神学のプレゼン方法も、あるといえばあります。「我々は保守ではなく、リベラルでもなく、日和見でもない。ならば我々は何か。保守でもなく、リベラルでも日和見でもない者である。」 ただの同語反復ですが、すべてを「否」で自己紹介する。

「否」ではなく、打ち消しの言葉ではなく、「我々はこれである」とポジティヴに自己紹介することがもっとできないものだろうかと、ぼくはしばしば考えこんでいます。

これはどこかに前にも書いたことがありますが、いくつかの教団・教派の神学書を並べて読むと、面白いことに気づかされます。改革派の(古い)本には、「我々は一方のカトリックの極端と、他方の再洗礼派の極端とを排した、中庸の道を歩んでいる」という旨、書かれていることがあります。

ルーテル教会の(古い)本には「我々は一方のカトリックの極端と、他方のカルヴァン主義の極端とを排した、中庸の道を歩んでいる」と書かれています。「我々はAでもないし、Bでもない」というプレゼンは、Aの人とBの人への当てこすりが必ず含まれているので、だいたいハナからケンカ腰の論述です。

「我々はAでもないし、Bでもない」というプレゼンの方法を好んで採用してきた時代の「組織神学」は、嫌われて当たり前です。学問というよりプロパガンダだ、と思われても仕方ないです。Google Earthが出る前の、紙の世界地図のように、自国を中心に描いて「世界の中心」を示しているだけです。

「我々はAでもないし、Bでもない」というプレゼン方法を採用したがる組織神学には、ヘーゲルの弁証法の影響を受けた時代の教会と神学から受け継いだ要素があるはずです。なにせ「正・反・合」ですからね。「我々はAの極端の弱点と、Bの極端の弱点の両方を克服した、最強の教団だ」と言いたいのです。

しかし、それってどうなんでしょうかと、今さらながら考え込んでしまうのです。他者(とりわけキリスト教界「内部」の他者)との比較においてのみ自分の優位性を主張できると思い込んでいるタイプの神学を持つ教団・教派。なんとなく見苦しいし、みっともない。なんで比較なんだろうと思ってしまいます。

「宗教学」は正確には「比較宗教学」(comparative religion)だと昔習いました。「我々はAでもないし、Bでもない」と比較と否定で自己提示する教義学は、いわば「比較教義学」(comparative Dogmatics)です。この表現はすでに用いられているようです。

それで、ぼくが言いたいことは何かといえば、今書いている意味での「比較教義学」は、どれほど緻密な研究や論述に支えられているとしても、「それは学問の衣を着たプロパガンダである」という批判に耐えられないのではないか、ということです。

「バトルモードでなければ文章を書くことができない(そうでなければ勢いがつかない)」という人は、牧師や神学者の中には多い気がするのですが(ぼくもそうかも)、「同じ趣旨のことをノーマルモードで書いてみませんか」と言いたくなることがあります。ケンカ腰の言葉ではなく、ポジティヴな言葉で。

人のやっていることにケチつけているときはものすごく饒舌である。しかし、「自分のやっていることをポジティヴに紹介してみなさい」と言われると、ほとんど何も言えなくなってしまう、というような状態では寂しいかぎりです。何かのアンチだけで生きているような人たちの結末は、寂しいものです。

「比較教義学」などは全く無価値であると言いたいのではありません。しかしそのような提示方法は、むしろ教理史のほうに近いものなのですから、「組織神学」というより「歴史神学」のカテゴリーです。「組織神学」と「歴史神学」は対立関係にはありませんが、それぞれ固有の役割がある別々の部門です。

そして「組織神学」は、ぼくの考えでは、もっと穏やかな学問です。自分の立場をポジティヴな言葉で精密に紹介することに向いている学問です。暗闇でナイフを振り回して、だれかれなく自分以外のすべての人に無差別に切りかかるようなやり方は「組織神学」にふさわしくありません。

2013年10月8日火曜日

ファン・ルーラーのどこが面白いの?(第1回)

「ファン・ルーラーのどこが面白いの?」とか「ファン・ルーラーの神学の特徴は一言でいうと何なの?」とか、よく聞かれます。そういう質問にサッと応えられるようになることが研究者の務めだと思うので、面倒くさがらずに応えてきたつもりです。でも、一言でいうのは難しいことですね。痛感します。

意外に思われるかもしれませんが、ファン・ルーラーの神学は、彼が所属した「オランダ改革派教会」の伝統的・古典的なそれでした。古いか新しいかと問われればたぶん「古い」ほうに近いと言えそうですし、派手か地味かでいえば「地味」のほうです。彼自身が流行を追いかけた形跡はないです。

ファン・ルーラーが勉強熱心で博学だったことは、確実です。欧州の伝統校、ユトレヒト大学の教授をつかまえて「博学でした」と評すること自体が失礼の極みなのですが、彼の家は「本で」立っていたと言われますし、読んだ本から得た膨大な情報は、カード式情報整理箱で管理していたりしました。

ファン・ルーラーは、ヒムナシウム(ギムナジウム)の時代は数学が得意でした。特に立体幾何が好きでした。また、後に大学教授になる友人ザイデマと一緒に、ヒムナシウム時代に(!)カントの純粋理性批判やジンメルの本を読んだりしていたほど哲学への強い関心を持っていました。

ファン・ルーラーが学んだフローニンゲン大学神学部に提出した卒業論文のテーマも、神学そのものではなく、哲学に関するものでした。ヘーゲル、トレルチ、キルケゴールの歴史哲学の研究をまとめて神学部を卒業しました。大学卒業後、トレルチについての博士論文を書こうとしましたが、それは挫折しました。

なぜファン・ルーラーがそれほどまでに哲学に関心を持っていたのかという問いに応えるのは容易ではありませんが、一つ思い当たるのは、とにかく彼が「政治」に関心を持っていた、ということです。「政治」の一般性は、狭義の「神学」の特殊な論理だけで解くことはできません。「哲学」がどうしても必要です。

このあたりで、事情通の方はピンとくるものがあると思います。ファン・ルーラーがオランダ改革派教会の人であったとすれば、彼の学生時代(1920年代)のオランダにはすでにアブラハム・カイパーとヘルマン・バーフィンクが築いた「新カルヴァン主義哲学」があったはずだ。それとの関係はどうなのか。

その問いに短くお応えしておきます。なんと驚くべきことに、ファン・ルーラーはヒムナシウム時代から、ということは、大学入学前からカイパーとバーフィンクの本を読んでいました。しかし、特にカイパーには終生満足しませんでした。「哲学」の一般性を装った「宣教」をしているだけだと見抜いていました。

「宣教」をすることが悪いと、ファン・ルーラーが考えたわけではありません。「哲学」の一般性を装い、外見上「中立」で「無私」であるかのように振る舞いながら、実は「宣教」でした、というカムフラージュ(偽装)がアンフェアであると、彼は考えました。むしろ、堂々と「宣教」すればいいのです。

ひるがえって今日の教会の状況を考えてみますと、「宣教」の方法に関する最近の流行でもある一つの傾向は、少なくとも外見上は「一般性、中立性、無私性」を装いながら人に近づき、そこから徐々に「キリストへと」導くというやり方です。それを「帰納的方法」(inductive method)と言います。

キリスト教宣教における「帰納的方法」は間違っていると、ぼくが言いたいわけではありません。「帰納的方法」は、今の時代の要請に基づいて生み出された方法です。それは従来の「演繹的な」宣教論に対する批判を内包しています。「押しつけがましさ」を嫌う現代人に「帰納的方法」は必要です。

しかし「帰納的方法」にはやはり問題があります。最大の問題は、「それは偽装ではないのか」という問いかけがあった場合、きちんと答えることが難しいのではないだろうかということです。「宣教目的があるなら、あると最初から言ってくれればよかったのに」と言われたとき、どう答えるのでしょうか。

もっとも、今書いているようなことは誰でも容易に気づくことであり、まして、誠実さを看板に掲げている教会は「偽装」の嫌疑をかけられることにはとても耐えられませんので、「帰納的方法」はあくまでも「演繹的方法」の補助ないし補完として位置づけているケースが、実際にはほとんどだと思います。

もう少し図式的に言い換えれば、今日「帰納的方法」を採用する教会でも、多くの場合「演繹的方法」を捨てたうえで「帰納的方法」を採用したわけでなく、両方同時に採用しているということです。演繹のベクトルと帰納のベクトルは正反対ですから、両方同時に採用することによって「往復運動」が起こるのです。

このあたりでファン・ルーラーに話を戻します。いま書いた意味の「往復運動」(英語でback-and-forth movement)をまさに重んじる神学を考えたのがファン・ルーラーであると申し上げておきます。それは「神の啓示」と「人間と世界の存在」の相互関係を問い続ける神学でした。

「相互関係」(英語でreciprocity)という語をファン・ルーラーは繰り返し用いましたが、「相互関係」と言う以上、「演繹のベクトル」(神から人へ)と「帰納のベクトル」(人から神へ)の両方を備えていなくてはなりません。一方通行ではなく、双方向性が確保されなくてはなりません。

ただし、「神」と「人間」は対等の関係ではなく、両者には無限の差があり、主と僕の関係でもありますので、単なる「相互関係」でもない。それは、あくまでも「神」の主権のもとにある「神律的相互関係」(theonomous reciprocity)であると、ファン・ルーラーは考えました。

2013年10月7日月曜日

「ファン・ルーラー著作集を実現する会」というツイッターのアカウント(@aaavanruler)を取得しました

まだ年末になっていませんので「自主規制中」ですが、「楽しいやりとりは禁欲する」という線を守りつつ、お知らせだけさせていただきます。

「ファン・ルーラー著作集を実現する会」という名前のツイッターのアカウント(@aavanruler)を取得しました。ぜひフォローをお願いします。

Dit is een mission impossible.

2013年10月6日日曜日

自分を見つめなおしてみませんか

ローマの信徒への手紙7・13~25

「それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。『内なる人』としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。」

今日の個所にパウロが描いていることは、一言でいえば、彼自身の心の中での葛藤であると考えることができます。何度も繰り返されているのは「わたし」という言葉です。この「わたし」に抽象的な意味はなく、具体的なパウロ自身のことであると考えるのが自然です。パウロは自分の心をじっと見つめているのです。そして、その中にあるのは何なのかを、ありのままに描いているのです。

パウロが自分の心の中に見つけたものは大きく分けると二つです。一つは「善をなそうという意志」(18節)です。それが「ある」と言っています。

パウロは、善いことをしたいと願っているのです。悪いことをしたいと願っているわけではないのです。善いことをしたいのです。しかし、「それを実行できない」(18節)というのです。「自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをする」(15節)と書いています。「自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」(19節)とも書いています。

だから彼は「わたしは、自分のしていることが分かりません」(15節)という結論にたどり着きます。心と体がちぐはぐで、ばらばらの状態であることを、正直に告白しています。

そして、だからこそパウロは、自分の心の中に見いだすもう一つは「罪」であると言っているのです。「もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです」(17節)。

しかしこれは、考えれば考えるほど問題に満ちた発言であることは間違いありません。なぜ問題に満ちているのでしょうか。罪を犯して誰かを傷つけてしまった人が「この罪は私が犯したのではなく、私の中に住んでいる罪が罪を犯したのである」と言ったとしても、そのような言い訳を誰が理解し、受け容れてくれるだろうかということを考えてみれば、この発言のどこに問題があるかをご理解いただけると思います。「私ではなく、私の中の罪が罪を犯したのだ」などと言おうものなら、「何をわけの分からないことを言っているのか。あなたがやったんだろう」と言われるだけでしょう。支離滅裂の苦しい弁明でしかないと言われても仕方がありません。

しかし、そのことはパウロ自身もよく分かっています。自分が支離滅裂なことを書いているということをはっきり自覚しています。だからこそ彼は、とても苦しんでいます。深く激しく葛藤しています。しかし、自分が書いていることがめちゃくちゃであることをはっきり自覚したうえで、それでも彼が声を大にして主張したいと願っているに違いないことは、このわたしの心の中に「善をなそうという意志」はあるのだ、あるのだ、ということです。

彼は善いことをしたいのであって、罪を犯したいわけではないのです。罪を犯せばどういうことになるのかを知っているからです。それは、死ぬということです。罪の支払う報酬は死です。罪の先に待っているのは、地獄の恐怖と苦しみです。罪を犯して、まんまと大金をせしめた、人を出し抜いた。それで幸せになる人はいないのです。

そのことをパウロは、律法を通して学んできました。律法とは聖書です。罪を犯してはいけないということは、パウロにとっては聖書を通して子どもの頃から教えられてきたことでもあります。彼は聖書のみことばを専門的に研究してきた人でもあり、人に教える立場にあった人でもあります。

しかし、そのことと、彼自身が罪を犯してしまう弱さや欠けを持っているということとは別問題であると、彼は自覚しています。聖書のみことばをよく学び、よく知っていることと、聖書のみことばを生きることとは、必ずしも一致しないのです。

どちらのほうが大切かという議論を、私自身はパウロの中に見たことはありません。そういうことは考えない人だったのではないかと思っています。わたしたちが考えれば、だいたいのところ、聖書を一生懸命勉強するばかりで行いが伴わない人になるよりも、聖書の勉強はそこそこにして、そんなことよりも罪を犯さない正しい生き方を貫く人になるほうが善いに決まっている、というような結論に至るのではないかと思います。しかし、パウロにはそういうたぐいの議論に積極的に乗ろうとする様子は見られません。聖書を勉強することは大事なことです。知識があることは悪いことではありません。

そして、今日の個所にパウロが書いていることは、最初に申し上げたとおりパウロ自身の心の中での葛藤を描いたものであると考えることができますが、しかしそれは彼だけの話ではなく、すべての人に当てはまることであると彼が考えていることも明らかです。聖書を勉強するかしないかという問題は、その人が罪を犯すか犯さないかということと、必ずしもぴったり結びつかない面があります。そうであるならば、聖書を勉強すること自体は罪ではないのです。

そのことをパウロは述べています。「それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない」(13節)。「善いもの」とは律法であり、聖書です。聖書を学ぶことは罪なのか、そんなことはありえないと言っているのです。

しかしまた、そのパウロは、聖書をよく学んでいる人と聖書を学んでいない人の違いを知っています。それは、「これが神の御心である。これが正しい生き方である」ということを聖書を通して知らされていればいるほど、その善悪の基準と自分自身の姿を照らし合わせてみると、自分はいかにその基準から遠い生き方をしているかを知っているか、知らないかの違いであるということです。短く言えば、自分の中に罪があることについて、葛藤したことがあるか、したことがないか、の違いです。

だから、教会に来ると苦しくなる、という人がいるかもしれないとしても、それはある意味で当然のことでもあるのです。それは、わたしたちが病院に行って、医師の目で診てもらって、「ここに病気がある」と指摘されると、自分がまだ自覚していなかったところまで知ってしまってがっかりすることがあるのと似ています。レントゲンや超音波で調べられると人間の目では見えないところまで見えてしまいます。

だから病院には行かないという選択肢も、わたしたちにはありうると思います。すべてが見えてもそのすべてを治せるわけではないからです。ある意味で、という断り書きを付けておきますが、「ここに病気がある」ということをはっきりと自覚したうえで、その病気とうまく付き合いながら生きていくということも、わたしたちにはありうると思うのです。切って開いてそれを取り除くことができる病気と、できない病気があるからです。

それでは罪の場合はどうなのか、ということを、よく考えてみなければなりません。聖書を学ぶと「ここに罪がある」とはっきり自覚させられる面があります。それは「罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです」(13節)とパウロが書いているとおりです。しかし、それでは「ここに罪がある」と指摘された人は、その罪をただちに取り除くことができるのかというと、そうではないとパウロは言っているのです。

「わたしではなく、わたしの中に住んでいる罪」が罪を犯しているのだ、と彼が言っていることの意図は、このわたし自身と、「わたしの中に住んでいる罪」とは別々のものではあるのだけれども(なぜなら、このわたしの中に「善をなそうという意志」はあるのだから)、しかし、両者はからみあい、混ざり合っているので、どこからは自分で、どこからは罪なのかを区別できないほどの状態になっているのだ。だから、それは完全に取り除くことはできないのだ、ということです。

「それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。『内なる人』としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります」(21節以下)とパウロは書いています。これもみな同じことの繰り返しです。善人としての自分と、悪人としての自分との区別がつかない。切り離すことができない。まるで多重人格者のようだ。

これは、わたしたちにとって慰めになることでしょうか、それともがっかりするばかりでしょうか。パウロは「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」と、まるで絶望の叫びのようなことまで書いています。

しかし、彼は絶望していません。むしろ希望に満ちています。「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします」(25節)と、感謝の言葉さえ述べています。

パウロは絶望してはいません。なぜでしょうか。彼にとって救いとは、自分の中の罪の部分が完全に取り除かれることを意味していないからです。

救われるとは、完璧に清い人間になることではありません。むしろ、自分には救い主が必要であると自覚し、その救い主に助けてもらうことが救いです。自分の力で何とかしろ、すべては自己責任であるとは言っていません。自分には助けが必要である、それほどに弱い人間であると自覚し、助けてもらうことが救いです。パウロはそのことを言いたいのです。

(2013年10月6日、松戸小金原教会主日礼拝)

2013年10月5日土曜日

再会の日を楽しみにしていてください

みなさん、ありがとうございます。

「自主規制」の理由は、書いたとおりです。

「ぼくにとってのネット活動が一円の収入にもつながらないこと」

が理由なので、その問題の解決策を探るための休止です。

早い話、

「収入につながるようなネット活動」をめざします。

「関口康 ステマ化計画」です。

それが何を意味するのかは、再会後のお楽しみ、ということで。

ワルイ話でもクライ話でもありませんので、

そのことだけは、どうかご信頼ください。

ぼくひとりなら、飲まず食わずでも言論活動続けられるんですけどね。

修学期の最終段階を目前にした子どもたちを前にすると、

そうも行かなくなりました。

それも、あと数年で過ぎ去る(子どもたちの修学期と共に終わる)

ごくわずかな一過性のことなのですけどね。

そして、(なるべくポジティヴな語調で書いておきますが!)

ぼくらが味わっている苦労は、

ぼくだけのことではなく、牧師だけのことでもなく、

おそらくは現在と将来の多くの家庭にとっての大問題でもある

と思っています。

なので、

この時期をぼくらが何とかして乗り越えることができたなら、

今度は

ぼくらが「これから苦労する方々」を物心両面で助け、支える側に回ることができる

と信じています。

苦労の中で、いろんなノウハウを身につけていますからね。

「最強の牧師」としてカムバックしますよ(たぶんね)。

みなさんのご多幸をお祈りしています。それでは、また。

2013年10月5日

関口 康

2013年10月4日金曜日

謹告

がっかりさせてしまうかもしれませんが、やっぱりお伝えしておきます。

まだこれからどうなるかは分かりませんが、

年末くらいまでを一応のめどにして、ネット活動を自主規制してみます。

ぼくにとってのネット活動が一円の収入にもつながらないことが理由です。

牧師のくせにお金のことなど問題にしたくはないのですが、

子どもたちの教育費に死ぬほどお金がかかる時代に

牧師として召され、かつ家族がいることを、後悔したくはないのです。

「ネットをやめたら収入が増えるのか」と問われると答えに窮しますが、

「試しにやめてみる」というくらいの意味です。

パソコンは仕事に使いますので、メールのやりとりは続けますし、

「カール・バルト研究会」も続けます。

しかし、「楽しいやりとり」は禁欲します。

お聞き苦しいことばかりですが、どうかお許しください。

2013年10月3日木曜日

日記「トンバルデンィヴの『論概學哲』にプチ興奮しています」


学生時代に購入し、読まずに放置していた岩波文庫をパソコンで拡大して読んだら、けっこう面白い内容であることが分かり、プチ興奮しているところです。

トンバルデンィヴの『論概學哲』の部一第(と表紙に書いているのだ)です。初版が1936年(昭和11年)の岩波文庫版です。速水敬二、高桑純夫、山本光雄訳です。

以下、「序論」の中から引用します。ただし、漢字や仮名を新しくしたり、文章表現を現代的なものに変えました。また、読みやすく改行を多くしたり、句読点の位置や数を変えたりしました。

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ヴィンデルバント『哲学概論』序論より

事実、この意味で難解なのは哲学ではなくて、学校臭味を洗い落して周囲の生きた思索と自由に接触し得ないような、どこか欠陥のある著者としての哲学者たちであろう。

彼らの晦渋も、ある意味では言い逃れの立たぬものではない。彼らが、それ自体としては断じて抗議される言われのない権利や要求をしばしば用いすぎたのは確かである。

言うまでもなく、学的に形成された概念を日常生活の不正確な表現や俗語から区別するために、それに独自の名称を与え、これによってできるだけ混同や乱用を防ぐことは、場合によっては必要である。

そしてこの目的のためには、経験が教えるように、また心理学で容易に説明しうるごとく、死語から取られた外来語が最も適している。けだし、これらの語は、何か独立なかつ自分のうちに固定したものとして、現代の言葉の流れから明瞭に区別されるからである。

我々はかかる術語をつくることを科学者、解剖学者、生物学者等々には常に何の躊躇もなく許している。しかるに、このことは哲学者にはとかく禁じられがちで、哲学者がこの権利を用いすぎれば、快くは思われない。

このことは哲学から見れば不都合ではあるが、善く考えれば気持ちの悪いことではない。なぜというに、哲学者の取り扱う事物が誰にでも関係をもち、従ってまた誰もが近づきうるものであり、またそうならなくてはならないし、このためにはまた誰にでもただちに理解される言葉で言い表されなくてはならぬ、という考えがそこに現れているからである。

ただし、この考えは全く正しいものとは言えない。むしろ哲学に対してこそ、まさにそれが常識になじまれた事物を取り扱うという理由で、この考えを与えられたままの粗雑、不正確から学問上使用できる概念にまで改造するという全く特別な課題が存するのである。

ゆえに哲学にとっては、自らの労作の成果に哲学製というスタンプを押すことは常に権利であり義務であろう。ただし哲学概論にはこの実際上通用していない術語への手引きという課題が同時に生じてくる。

ところで、術語の最も深い音色は、それの根底をなすモチーフを生ぜしめた問題を熟考してのみ始めて理解される。ゆえにこの概論においてぜひなされるべきは、この問題やそれの学的取り扱いに精通することこれである。

ただし、これがためには特別な前提や才能は必要でなく、ただ根気強い自己訓練と真面目な思索があればよい。そしていかなる場合にも一つのこと、すなわちあらゆる先入見を放棄することが絶対に必要である。

自分自身ですでに考えておいたことを哲学から聞かんと要求し、あるいは単に期待するごとき人には今さら哲学の研究でもあるまい。従ってすでに一つの世界観をもち、かついかなる場合にもあくまでそれを信じていこうと決心した者は己が身のために哲学を全然必要としない。換言すれば、彼にとって哲学は、信じている上に実際証明されたという名誉が与えられる贅沢を意味するにすぎない。

この関係は、それが通例適用されがちな宗教上の独断的意見についてのみ言われることではない。むしろ、特に指摘しなければならぬことだが、日常の世界観や人生観のうちにすでに流布しているものに哲学で再会しようと思っている多数の人々の前提について何よりもまず主張されうる。

「この人は正しい。これは私がいつも主張してきたところだ」というようなことを口にするかの大衆の人気を博するのはもとより容易であるが、ただし、実際決して名誉ではない。これはたとえば、詩人の言うように、公衆の口に合う雑炊である。

およそ哲学を真面目にやろうとするほどの者は、哲学の光で世界や人生が今まで見えていたとは別な姿になることを覚悟しなければならぬ。必要な場合には、哲学に入門したとき持っていた前提を犠牲に供する心構えがなくてはならないのである。

2013年10月2日水曜日

コレコレ、みなさん、「教会の高齢化」を嘆くでない

ぼくが教会の中の具体的な話を書き始めると、

特定のだれそれさんの話だと分かってしまうので、

そういうことは書かないのですが、

まあ、べつに悪い意味で書くわけではないので、

ちょっとだけ許してくださいね。

70歳になって洗礼を受けてまもなく10年経つ方が

「若い人、教会来ないですね」と、よくつぶやかれるのです。

ぼくの父と同い年(1933年生まれ)の方です。

そのときぼくは、

反論のような意味では全くないのですが、

「○○さん(その方)も70歳まで教会来られませんでしたよね?」

と笑いながら言うことにしています。

ぼくは、教会は「一生もの」だと思っていますので、

一生のうちの、どの時点かで教会に深くかかわる時期と、

ちょっと遠ざかってしまう時期とあることは、

ある程度やむをえないことだと、考えています。

一生の間、全く同じテンションで教会に通い続けることができる人は、

「一人もいない」とは言いませんが、たぶん少ないです。

ぼくが松戸小金原教会に来て来年3月でちょうど10年になるのですが、

この10年間で洗礼を受けてくださった方の

多く(「ほとんど」と言っても過言ではない)が、

70歳以上の方です。

それが悪いなんてことは、ありえないです。

コレコレ、みなさん、

「教会の高齢化」を嘆くでない。

ぼくはポジティブですよ。

ウェルカム、アラセブ、アラエイティ、アラナイのみなさん\(^o^)/

日常の中で己が「職人芸」を見いだす(何を大げさな)


日本ヘルダー学会紀要『ヘルダー研究』第18号(2013年)を、

論文を執筆なさった先生からお贈りいただきましたので、

いまお礼のメールを書いていました。

メールですので、字数などを考えないで書きましたが、

3時間ほどかけて書き終えて(偉い先生宛てのメールを書くのは緊張します)、

それを送信したあと字数を数えてみたら、

毎週の礼拝説教原稿のフォーマット(A4判コピー用紙で40字×40行)の、

ピッタリ1頁分でした。

よく、学校の教員を長年続けておられる方々が、

一コマの講義の長さ(たとえば90分)が、カラダで分かるとおっしゃいますよね。

ぼくも何年か前から、毎週の週報を印刷するとき、

ぱっとつかんだ用紙の枚数が、

印刷すべき枚数(たとえば80枚なり100枚なり)とピッタリ、ということが

けっこう増えてきました。

ちょっとエラそうな言い方をお許しいただけば、

こういうのを「職人芸」と言うんですよね。

まだまだ修行が足りませんけどね。