このところ更新が滞っていて非常に心苦しく思っているのは、私設ブログ「今週の説教」のことです。原則として毎週日曜日の礼拝説教の生原稿を掲載していくことにしているのですが、ままなりません。「『明日しよう』と考えた瞬間にその仕事は永久にたなざらしになる」とビジネス指南書に書いてあることが見事に的中しているブザマさです。
誰から求められたわけでもなく自分の意思といささかのサービス精神とで始めたことですから、自分のペースでやっていけばよいことです。しかし、別の観方をすれば、自分に対して自分で立てたルールを自分で破っているようなものですから一種の自己矛盾の状態でもあるわけで、大変よろしくない状態であると自覚しています。でも、まあ、できないんだから仕方がない。いろいろ忙しくなってしまって、手が回らないです。
ところで、「今週の説教」も、この「関口 康日記」も、「A. A. ファン・ルーラー著作集」も、アットニフティ社の「ココログ」というサービスを利用させていただいているのですが、私にとってはとても有難いと感じる機能がついています。
それは「人気記事ランキング」という機能です。各ブログ上に公開してありますので、どなたでもご覧いただけます。
この機能についての詳しい説明は割愛しますが、要するに、ブログ上に自分で書いた記事についてのアクセスランキング表を自動的に生成してくれる機能です。
これがなぜ私にとって有難いのかといえば、この「人気記事ランキング」の中に、自分の説教を改善していくためのヒントがあふれていると思うからです。
ちなみに、「過去4か月」のアクセスランキングは、次のとおりです。
1位:「わたしはまことのぶどうの木」
2位:「らくだは針の穴を通れない~誰のための人生か~」
3位:「徴税人ザアカイ」
4位:「苦難の僕―受難週―」
5位:「狭き門より入れ」
6位:「善いサマリア人」
7位:「マルタとマリア」
8位:「わたしが命のパンである」
9位:「いつも喜んでいなさい」
10位:「主の祈り」
もちろん「人気記事ランキング」という表現そのものには軽薄な印象というものを払拭しきれないものがあります。そういうことはよく分かっているつもりです。しかし、このランキング表を見て私が思うことは、「ネット上の評価は、容赦なく客観的であるゆえに、信頼できる」ということです。
ともかくはっきり分かることは、これらの説教が選ばれた(というより「残された」)理由です。自画自賛をするつもりなどは毛頭ありませんが、このランキング表に「残った」説教は、私自身の記憶の中にも鮮明に残っているものばかりです(「今週の説教」に掲載している説教は、現在「301件」です)。
そのことが分かると次に何が分かるのかといえば、説教者である私が、今の時代の中で・21世紀の日本の中で・日本語で「聖書の言葉を解説する」とはどういうことを意味するのかが分かる。今の時代に生きている聴き手側の人たちが、聖書や教会、あるいは牧師と説教とに対して、どのようなことを求めているのかが分かります。
大衆迎合(ポピュリズム)のようなことをしてみせようという話ではありません。そもそも「説教」というものは、説教者だけで成り立つものではありえず、説教を聴いてくださる方々と共に作り上げていくものなのですから、聴き手側の評価や視点を客観的に表示するための何らかの方法が必要だったのです。しかし、そのための適切な方法が、インターネットが普及する以前には見当たりませんでした。
それで、いわば仕方なく、先輩牧師たちや神学校の説教学の教授だったような人たちが「あなたの説教は良い」だの「悪い」だのと講評するのを茶坊主たちがうんうん肯いて聴く勉強会のようなものが、ちょっとした流行を見せるようにもなりました。しかし、それってどれ程度まで客観性なるものが確保できているのでしょうか。「良い」だ「悪い」だ言う聴き手側の基準や根拠は何でしょうか。私にはよく分かりません。「前世紀的な」営みであるような気がします。
私のやり方が正しいかどうかは不明です。しかし、茶坊主にだけはなりたくなかったので、その種の勉強会には関わらないようにしてきました。しかし、上記のとおり、このところ身辺が多忙をきわめているため、ブログの更新すらままならなくなってきました。こういうときはむしろ、高名な先生のもとに通って指導を乞うほうが手っ取り早くてラクかもしれないなと考えなくもありません。「そろそろ白旗を上げようかな」と、すっかり弱気になっている今日この頃です。
2011年7月16日土曜日
もう国民は官僚を恐れはしない(1) 平成教育委員会
確たることなどは知る由もありませんし、すでに一部では論じ尽くされた観方かもしれません。しかし、私にもちょっとだけ言わせてください。ここ数年のわが国における政治と市民との絶望的な乖離の原因について、私が現時点で考えていることは、それほど複雑な話ではありません。
旧来の概念としてのいわゆる「エリート」とそれ以外の人々との知性ないし知識の差が、実はもはやほとんど無くなってきている。そのため、早い話が、国民の中に「エリート」を畏怖する思いが薄らいできている、あるいはほとんど皆無である。しかし、そういう状態では、政治というものは成り立たない。なぜなら、政治とは「上に立つ人」(と称する人たち)が、それ以外の人たちを「支配する」ことであるゆえに。そのため、何とかして、無理やりにでも、その「差」を作り出そうと、旧来の政治体質を受け継ぐ官僚たちが躍起になってきたに違いないのです。
とくに利用されてきたのはテレビでしょう。象徴的なのは約10年前から始まった「平成教育委員会」(フジテレビ)。出演者についてやたら「あなたは何々大学卒業だから」、「あなたは優秀な経歴の人だから」といった口上を繰り返すことで、その大学の卒業生、その経歴の人は「スゴイ」という価値観を国民に植えつける。おそらくその何々大学からは相当な額の広告料がテレビ局側に支払われてきたに違いないわけですが、大学側もテレビの圧倒的な影響力を利用する。そして、それらの大学を卒業した政治家や官僚の「スゴサ」をアピールし、それ以外の人々との「大差」があるかのように演出する、といった次第です。
でも、出演者たちが答えてるのって、(すみません、「たかが」と言わせていただきますが)「クイズ」なんですけどね。クイズができる人がスゴイ人、なんですかね。私にはよく分かりません。
そして、そのようにして、実はあまりスゴクない人たちが「おれたちはスゴイんだ、スゴイんだ」を言いたいがために、「スゴイ学校」や「スゴイ経歴」を無理やり創出したうえで、そのルートを通り抜けてきた人たちを特別扱いし、政治空間をまるでその人たちの秘密クラブのようなものとする。そのようにして政治空間をできるだけブラックボックス化し、アンタッチャブルなものにし、あたかも恐怖の対象であるかのように演出する。
という既定路線にそったやり方を、これからも半永久的に続けて行けると思っていたら、今年3月11日が訪れた。
爾来、それまでの無理やりなブラックボックス化によって不可視化されていた政治空間が、外側からでも次第に見えるようになってきた。その可視化の流れをユーチューブやフェイスブックやツイッターやユーストリームなどが後押しした。彼らが「隠し通せる」と思い込んできたことが、もはや隠しきれなくなった。
「なんだよ、あの連中、ウソばっかりだし、恫喝しか能がない人たちの集まりだし、逃げ口上だけは人一倍上手だが、人の弱さや悲しみに対する深い配慮や想像力、あるいは普遍的な良心に裏打ちされているような真の知性や教養が無い」ということが、一部の有識者だけではなく、国民の多くの知りうるところとなってきた、というのが、2011年7月16日現在の日本国内の精神状況ではないでしょうか。
旧来の概念としてのいわゆる「エリート」とそれ以外の人々との知性ないし知識の差が、実はもはやほとんど無くなってきている。そのため、早い話が、国民の中に「エリート」を畏怖する思いが薄らいできている、あるいはほとんど皆無である。しかし、そういう状態では、政治というものは成り立たない。なぜなら、政治とは「上に立つ人」(と称する人たち)が、それ以外の人たちを「支配する」ことであるゆえに。そのため、何とかして、無理やりにでも、その「差」を作り出そうと、旧来の政治体質を受け継ぐ官僚たちが躍起になってきたに違いないのです。
とくに利用されてきたのはテレビでしょう。象徴的なのは約10年前から始まった「平成教育委員会」(フジテレビ)。出演者についてやたら「あなたは何々大学卒業だから」、「あなたは優秀な経歴の人だから」といった口上を繰り返すことで、その大学の卒業生、その経歴の人は「スゴイ」という価値観を国民に植えつける。おそらくその何々大学からは相当な額の広告料がテレビ局側に支払われてきたに違いないわけですが、大学側もテレビの圧倒的な影響力を利用する。そして、それらの大学を卒業した政治家や官僚の「スゴサ」をアピールし、それ以外の人々との「大差」があるかのように演出する、といった次第です。
でも、出演者たちが答えてるのって、(すみません、「たかが」と言わせていただきますが)「クイズ」なんですけどね。クイズができる人がスゴイ人、なんですかね。私にはよく分かりません。
そして、そのようにして、実はあまりスゴクない人たちが「おれたちはスゴイんだ、スゴイんだ」を言いたいがために、「スゴイ学校」や「スゴイ経歴」を無理やり創出したうえで、そのルートを通り抜けてきた人たちを特別扱いし、政治空間をまるでその人たちの秘密クラブのようなものとする。そのようにして政治空間をできるだけブラックボックス化し、アンタッチャブルなものにし、あたかも恐怖の対象であるかのように演出する。
という既定路線にそったやり方を、これからも半永久的に続けて行けると思っていたら、今年3月11日が訪れた。
爾来、それまでの無理やりなブラックボックス化によって不可視化されていた政治空間が、外側からでも次第に見えるようになってきた。その可視化の流れをユーチューブやフェイスブックやツイッターやユーストリームなどが後押しした。彼らが「隠し通せる」と思い込んできたことが、もはや隠しきれなくなった。
「なんだよ、あの連中、ウソばっかりだし、恫喝しか能がない人たちの集まりだし、逃げ口上だけは人一倍上手だが、人の弱さや悲しみに対する深い配慮や想像力、あるいは普遍的な良心に裏打ちされているような真の知性や教養が無い」ということが、一部の有識者だけではなく、国民の多くの知りうるところとなってきた、というのが、2011年7月16日現在の日本国内の精神状況ではないでしょうか。
2011年7月15日金曜日
次善(セカンド・ベスト)としての「教会の政治的態度決定」を要望いたします
今週の私はいつになく、自分自身が実際に所属していた教団と、その中で実際に味わった過去の経験と、そして私の記憶の中でいまでも元気に生き続けている何人かの重要な登場人物とに対して、きわめて否定的ないし攻撃的なスタンスに立っているということを否定しないでおきます。
あれだけのことを書いた上で今さら白を切るつもりはありません。もし必要あれば、自分が書いたことについてはどのような責任でもとらせていただきます。
しかし、今週書いたこと(特に火曜日に書いた「1983年のアナーキスト」)は、いまだかつて一度もきちんとした形で文章にしたことがないことばかりでしたし、また、このことはもう二度と書かないつもりです。あとにも先にも、こういうのは私の人生の中で一回かぎりです。
そして、語弊なるものをやや恐れつつ言わせていただけば、私は日本基督教団の人々を今でも心から愛しています。いまだかつて日本基督教団の人々を憎んだことなどない。「日本基督教団というシステム」はとことん駄目だと私は思いましたが(「私は」ね)、中身(住人ですね)は実に素晴らしかった。
私が日本基督教団の人々を今でも愛していることは、現実の私を知っているすべての人が証言してくれるはずです。考えてみれば(考えてみなくても)、こんなの当たり前のことですよね。同じキリスト者であることは間違いないですから。
そして、上に書いた「日本基督教団というシステム」に対する失望の件も、私には(「私には」です)耐えることができませんでしたが、その思いを日本基督教団の方々自身に押しつけるつもりなどは全くありません。「耐えられなかった」のは、私の弱さゆえであって、日本基督教団の皆さんのせいではない。何でもかんでも他人のせいにするほど落ちぶれてはいないつもりです。
そして、「日本基督教団というシステム」には最大の長所があるということも分かっているつもりです。それは要するに「スケールメリット」でしょう。これはまた語弊を恐れながら書かなくてはならないことですが、私がいま書いていることの趣旨は、日本におけるキリスト教の他の教団・教派と比較してみたときに、ヒトとカネの力において最もスケールが大きいのが日本基督教団でしょうということです。
そしてそのことは、まさに今の状況の中でこそ、期待すべきことですよね。「日本基督教団というシステム」が実際に持っているそのスケールメリットを、世のため・人のため、そして被災地の復旧・復興のために惜しみなくふんだんに用いていただくのでなければ、これからの日本の中でキリスト教について語ることは、本当にもう、どうしようもないほど恥ずかしいことになってしまうでしょう。
もちろん小規模の教派もがんばりますよ、ていうか、もうすでに必死で全力でがんばってますよ。でも、まるで「スケール」が違いますからね、日本基督教団は、他と比べて。皮肉とか嫌味とかじゃなくて、事実として「日本最大のプロテスタント教団」なのですからね。
私が日本基督教団に対してこの面での期待をもっていることには、ここに繰り返し書いてきたことが当然関わっています。それは「日本にはオランダやドイツには存在する『キリスト教民主党』(Christian Democratic Party)というものが存在しない」ということです。
キリスト者である政治家が日本には全く存在しないわけではなく、実はけっこうたくさんいるのです。しかし、その人々の「信仰に基づく決断」を一政党としてのアクションという仕方で現実政治の場において生かすことができるようなシステムが、今の日本にはまだ存在しません。いま書いたことはだれもが知っている事実です。
しかし、私が言いたいことは、ここから先のことです。
実際問題としても、神学の問題としても、我々は「教会は政治にかかわるべきではない」というような屁理屈をいつまで通せると思っているのでしょうか。その屁理屈はちょうど、もし日本にキリスト教主義の保育園や幼稚園や学校や社会福祉施設が存在しなかったとしたら、日本の教会は日本の子どもたちの教育や社会福祉にはかかわらなくてもよい、と言っているのと同じような理屈です。
もしキリスト教主義の学校が存在しないなら、教会が子どもたちをキリスト教主義で教育するしかないでしょう。それと同じように、もし我々の国にキリスト教政党が無いのであれば、教会が政治に取り組むしかないでしょう。
私自身の考えでは、日本にヨーロッパ型の「キリスト教民主党」が誕生することが最善の選択肢です。しかし、それは今の様子では百年先でも二百年先でも不可能です。現時点では悪い妄想にすぎません。
だからこそ、《現時点では》「教会が」政治と社会問題に対して徹底的に取り組まなければならないのです。それは「最善」(ベスト)ではないかもしれませんが、「次善」(セカンド・ベスト)ではあるのです。
そして、教会が政治に取り組むこと、つまり、(20世紀のオランダのバルト主義者が実際に用いた表現を借りていえば)「教会の政治的態度決定」(Politieke stellingsname van de kerk)において不可欠な要件は、政治に取り組むその教団・教派・教会の「スケールメリット」が確保されていることです。規模の小さな教団・教派からは逆立ちしても出てこないほど多くのヒトとカネの力が、教会が政治に取り組むためには必要なのです。
こういう話をするとすぐに「教会よ、お前もか」と罵倒される。「結局は金まみれ、利権まみれか」と軽蔑されるのかもしれない。しかし、被災地の復旧・復興という課題を前にすると、今の日本の教会がいかに乏しく惨めであるかを、否が応でも見せつけられる。人もいない、お金もない。これで何ができるのか。
私にとっては、その言葉を聞いたほとんど最初の日から全く不思議でならなかったのです、「教会は伝道すべきである。しかし、政治にかかわるべきでない」とは何のことなのだろうか、ということが。
「教会は伝道すべきである」とは、信者の人数を増やすべきであるという意味であることは分かる。
「しかし、政治にかかわるべきでない」というのであれば、人数が増えた教会が政治的に無関心(ノンシャラン)であることを意味するわけだから、つまりそれは、完全なる現実逃避へと向かっていくように、という呼びかけではないだろうかと。
「日本最大のプロテスタント教団」の皆さまにおかれましては、東日本大震災以降のわが国においては、これまで以上にもっと真剣に、日本の政治に直接目を向けていただき、一つ一つの問題に全力で取り組んでいただくことを謹んで要望いたします。これこそが、そしてこれだけが元日本基督教団教師であった者としての唯一かつ最後のお願いです。
貴教団が「日本最大」であることのメリットは、どこをどう間違えてもまさか貴教団に所属している人たちの自己満足のためではないはずです。まして、それは「日本最大教団における最大教会」の人たちの(それ自体は意味不明な)優越感のためではありえないはずです。
日本にキリスト教政党ができるまでは、日本基督教団に「事実上のキリスト教政党のようなもの」としての役割を果たしていただく他はないのです。
私はいま、このことを一度言いました。生まれて初めて文字にしました。もう二度と言いません。これで終わりにします。
あれだけのことを書いた上で今さら白を切るつもりはありません。もし必要あれば、自分が書いたことについてはどのような責任でもとらせていただきます。
しかし、今週書いたこと(特に火曜日に書いた「1983年のアナーキスト」)は、いまだかつて一度もきちんとした形で文章にしたことがないことばかりでしたし、また、このことはもう二度と書かないつもりです。あとにも先にも、こういうのは私の人生の中で一回かぎりです。
そして、語弊なるものをやや恐れつつ言わせていただけば、私は日本基督教団の人々を今でも心から愛しています。いまだかつて日本基督教団の人々を憎んだことなどない。「日本基督教団というシステム」はとことん駄目だと私は思いましたが(「私は」ね)、中身(住人ですね)は実に素晴らしかった。
私が日本基督教団の人々を今でも愛していることは、現実の私を知っているすべての人が証言してくれるはずです。考えてみれば(考えてみなくても)、こんなの当たり前のことですよね。同じキリスト者であることは間違いないですから。
そして、上に書いた「日本基督教団というシステム」に対する失望の件も、私には(「私には」です)耐えることができませんでしたが、その思いを日本基督教団の方々自身に押しつけるつもりなどは全くありません。「耐えられなかった」のは、私の弱さゆえであって、日本基督教団の皆さんのせいではない。何でもかんでも他人のせいにするほど落ちぶれてはいないつもりです。
そして、「日本基督教団というシステム」には最大の長所があるということも分かっているつもりです。それは要するに「スケールメリット」でしょう。これはまた語弊を恐れながら書かなくてはならないことですが、私がいま書いていることの趣旨は、日本におけるキリスト教の他の教団・教派と比較してみたときに、ヒトとカネの力において最もスケールが大きいのが日本基督教団でしょうということです。
そしてそのことは、まさに今の状況の中でこそ、期待すべきことですよね。「日本基督教団というシステム」が実際に持っているそのスケールメリットを、世のため・人のため、そして被災地の復旧・復興のために惜しみなくふんだんに用いていただくのでなければ、これからの日本の中でキリスト教について語ることは、本当にもう、どうしようもないほど恥ずかしいことになってしまうでしょう。
もちろん小規模の教派もがんばりますよ、ていうか、もうすでに必死で全力でがんばってますよ。でも、まるで「スケール」が違いますからね、日本基督教団は、他と比べて。皮肉とか嫌味とかじゃなくて、事実として「日本最大のプロテスタント教団」なのですからね。
私が日本基督教団に対してこの面での期待をもっていることには、ここに繰り返し書いてきたことが当然関わっています。それは「日本にはオランダやドイツには存在する『キリスト教民主党』(Christian Democratic Party)というものが存在しない」ということです。
キリスト者である政治家が日本には全く存在しないわけではなく、実はけっこうたくさんいるのです。しかし、その人々の「信仰に基づく決断」を一政党としてのアクションという仕方で現実政治の場において生かすことができるようなシステムが、今の日本にはまだ存在しません。いま書いたことはだれもが知っている事実です。
しかし、私が言いたいことは、ここから先のことです。
実際問題としても、神学の問題としても、我々は「教会は政治にかかわるべきではない」というような屁理屈をいつまで通せると思っているのでしょうか。その屁理屈はちょうど、もし日本にキリスト教主義の保育園や幼稚園や学校や社会福祉施設が存在しなかったとしたら、日本の教会は日本の子どもたちの教育や社会福祉にはかかわらなくてもよい、と言っているのと同じような理屈です。
もしキリスト教主義の学校が存在しないなら、教会が子どもたちをキリスト教主義で教育するしかないでしょう。それと同じように、もし我々の国にキリスト教政党が無いのであれば、教会が政治に取り組むしかないでしょう。
私自身の考えでは、日本にヨーロッパ型の「キリスト教民主党」が誕生することが最善の選択肢です。しかし、それは今の様子では百年先でも二百年先でも不可能です。現時点では悪い妄想にすぎません。
だからこそ、《現時点では》「教会が」政治と社会問題に対して徹底的に取り組まなければならないのです。それは「最善」(ベスト)ではないかもしれませんが、「次善」(セカンド・ベスト)ではあるのです。
そして、教会が政治に取り組むこと、つまり、(20世紀のオランダのバルト主義者が実際に用いた表現を借りていえば)「教会の政治的態度決定」(Politieke stellingsname van de kerk)において不可欠な要件は、政治に取り組むその教団・教派・教会の「スケールメリット」が確保されていることです。規模の小さな教団・教派からは逆立ちしても出てこないほど多くのヒトとカネの力が、教会が政治に取り組むためには必要なのです。
こういう話をするとすぐに「教会よ、お前もか」と罵倒される。「結局は金まみれ、利権まみれか」と軽蔑されるのかもしれない。しかし、被災地の復旧・復興という課題を前にすると、今の日本の教会がいかに乏しく惨めであるかを、否が応でも見せつけられる。人もいない、お金もない。これで何ができるのか。
私にとっては、その言葉を聞いたほとんど最初の日から全く不思議でならなかったのです、「教会は伝道すべきである。しかし、政治にかかわるべきでない」とは何のことなのだろうか、ということが。
「教会は伝道すべきである」とは、信者の人数を増やすべきであるという意味であることは分かる。
「しかし、政治にかかわるべきでない」というのであれば、人数が増えた教会が政治的に無関心(ノンシャラン)であることを意味するわけだから、つまりそれは、完全なる現実逃避へと向かっていくように、という呼びかけではないだろうかと。
「日本最大のプロテスタント教団」の皆さまにおかれましては、東日本大震災以降のわが国においては、これまで以上にもっと真剣に、日本の政治に直接目を向けていただき、一つ一つの問題に全力で取り組んでいただくことを謹んで要望いたします。これこそが、そしてこれだけが元日本基督教団教師であった者としての唯一かつ最後のお願いです。
貴教団が「日本最大」であることのメリットは、どこをどう間違えてもまさか貴教団に所属している人たちの自己満足のためではないはずです。まして、それは「日本最大教団における最大教会」の人たちの(それ自体は意味不明な)優越感のためではありえないはずです。
日本にキリスト教政党ができるまでは、日本基督教団に「事実上のキリスト教政党のようなもの」としての役割を果たしていただく他はないのです。
私はいま、このことを一度言いました。生まれて初めて文字にしました。もう二度と言いません。これで終わりにします。
2011年7月14日木曜日
原曲に合わせて歌えるように修正しました
昨日アップしたGod Save the Queenの日本語訳にはいろいろ問題があることは分かっていますが、とりあえず最後の部分だけ書き直しました。
原詩では
No future no future
No future for you
No future no future
No future no future for me
と同じ言葉が繰り返されているのですが、そこは工夫の為所です。
終末 崩壊 絶望 くに
終末 崩壊 絶望 おれ
終末 崩壊 絶望 くに
終末 崩壊 絶望 おれ
と直してみました。
これなら原曲に合わせて歌うこともできるはずです(「歌ってください」と奨励しているわけではありませんよ!)
原詩では
No future no future
No future for you
No future no future
No future no future for me
と同じ言葉が繰り返されているのですが、そこは工夫の為所です。
終末 崩壊 絶望 くに
終末 崩壊 絶望 おれ
終末 崩壊 絶望 くに
終末 崩壊 絶望 おれ
と直してみました。
これなら原曲に合わせて歌うこともできるはずです(「歌ってください」と奨励しているわけではありませんよ!)
2011年7月13日水曜日
God Save the Queenを訳してみました
本当のことをいえば、S. ピストルズの曲を聴くのは、私にとっても久しぶりなんです。それこそ30年ぶりじゃないかな。ひとえにYoutubeのおかげです。
聴いていた当時(高校生でした)は、意味など何も分からず、ただ雰囲気と音量ばかりに魅了されていましたが、いま改めて歌詞を読むとなかなか興味深いですね。
それでさっそく、たいへん大急ぎではありますが訳してみましたのでご紹介いたします。ネット上にいろんな人の試訳が見つかりましたので、それらも参考にしました。逐語訳にしませんでしたので、原意を知りたい方は英語テキストを直接お読みください。
純粋に翻訳の題材として非常に優れています。そして、神学が真剣に考えるべきテーマが潜んでいます。
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女王陛下バンザーイ (神のご加護を)!
God Save the Queen
作詞 S. ピストルズ 訳 関口 康
女王陛下バンザーイ(神のご加護を)!
この国はファシズムでーす
愚民化政策していまーす
水爆どこかに隠してまーす
女王陛下バンザーイ(神のご加護を)!
あの人は人間ではありませーん
この国の野望に未来などありませーん
何が欲しい
何が必要だ
そういうことはもう言わないでくださいまし
だって
あんたらに未来はないんだからさ
あんたらマジで もうダメだから
女王陛下バンザーイ(神のご加護を)!
だからそう言ってるじゃないすか
わたしらは
「神がかった」女王をお慕い申しているんすよ
女王陛下バンザーイ(神のご加護を)!
ツアー客はお金くださーい
でも、あのおばちゃんは見かけ倒しでーす
この国の歴史は素敵でーす
狂ったパレードとかあるよー
おお主よ、あわれみたまえ
すべての罪をゆるしたまえ
でも「未来がない」ってことは「罪もない」ってことだよな
おれたちは捨てられた花
官僚機構の妨害者
でもな、今のおれたちが、あしたのお前らなんだよ
女王陛下バンザーイ(神のご加護を)!
だからそう言ってんでしょうが
うちらの女王は
「神」とかに助けてもらわなきゃいけないやつだってね
女王陛下バンザーイ(神のご加護を)!
「神」とかマジでありえねえ
こんな国には夢も希望もありませーん
終末 崩壊 絶望 くに
終末 崩壊 絶望 おれ
終末 崩壊 絶望 くに
終末 崩壊 絶望 おれ
(原詩)
God save the queen
The fascist regime
They made you a moron
Potential H-bomb
God save the queen
She aint no human being
There is no future
In englands dreaming
Don't be told what you want
Don't be told what you need
There's no future no future
No future for you
God save the queen
We mean it man
We love our queen
God saves
God save the queen
'Cos tourists are money
Our figures head
Is not what she seems
Oh god save history
God save your mad parade
Oh lord god have mercy
All crimes are paid
When there's no future
How can there be sin
We're the flowers in the dustbin
We're the poison in your human machine
We're the future you're future
God save the queen
We mean it man
We love our queen
God saves
God save the queen
We mean it man
And there is no future
In englands dreaming
No future no future
No future for you
No future no future
No future no future for me
No future no future
No future for you
No future no future
No future no future for you
オリジナルデザインTシャツ
今日は夕方6時半からつい先ほどまで、東関東中会の「東日本大震災被災教会緊急支援特別委員会」の部門会議を行いました。被災地への訪問団派遣の計画等を決めてきました。じっくり腰を据えた長期の支援を行うための体制が整いつつあります。今日届いたばかりの、ボランティアスタッフ用オリジナルデザインTシャツを見て、感動しました。
オリジナルデザインTシャツ作成の意図は(1)被災地に入るときの身分証明(ID)になること、(2)被災地に行けない人たちにも買っていただくことで参加意思を表わせること、(3)販売益をボランティアの活動費に充てること、です。
Tシャツは一枚2,000円です。色はネイビーブルー。サイズは六種類(S、XS、M、L、XL、XXL)ありますが、XLは予約完売、XXLは残り僅少です。

前

後

ロゴ(前)

ロゴ(後)
オリジナルデザインTシャツ作成の意図は(1)被災地に入るときの身分証明(ID)になること、(2)被災地に行けない人たちにも買っていただくことで参加意思を表わせること、(3)販売益をボランティアの活動費に充てること、です。
Tシャツは一枚2,000円です。色はネイビーブルー。サイズは六種類(S、XS、M、L、XL、XXL)ありますが、XLは予約完売、XXLは残り僅少です。
前
後
ロゴ(前)
ロゴ(後)
1983年のアナーキスト(下)
文章のタイトルは、だいたいは、全体を書き終えてから付けるようにしています。「上」までのところを書き終えたとき、いかにも「にわか村上春樹読者」らしいタイトルを思いつきました。
しかし、いくらなんでも、あの「上」で、話を終わらせるわけには行かない。ただちに「下」を続ける必要があります。
いちばん重要なことを、まだ書いていません。永倉牧師は「康(やすし)」という名前を、生まれたばかりの私のために考えてくださった名付け親なのです。
さんざん憎まれ口も叩いてきましたが、まだそう長くもない私の生涯の中で、あまりにも決定的すぎる意味をもつ、最も重要な人(の中の重要すぎる一人)であることは間違いありません。
そして、彼の言っていることは、なるほど何ひとつ嘘ではないのです。すべて事実でした。なるほど「日本最大の教会」だったのかもしれませんし、今でもそうなのかもしれません。
しかし、私は、それがたとえ事実であったとしても、このような尊大な言葉を、幼少の頃からお世話になった恩師の口からは聞きたくありませんでした。
「上」にいろいろ書き連ねた恩師の経歴や発言は、個人的に聞いたことを暴露しているわけではありません。すべては日曜日の礼拝の説教の中で語られた言葉です。200とも250とも言っていた大勢の出席者の前で。「公の」場で。
それに、半世紀以上も年齢差のある、まるで「雲の上」のような先生から、どうして「個人的に」話をお聞かせいただける機会があったでしょうか。
愕然とさせられた言葉を挙げていけば枚挙にいとまがありませんが、さすがにこれ以上はやめておきます。もう、とっくの昔に時効ですしね。
そして、私のほうも悪いことをしました。これはすでに、いろんなところに書いてきたことです。東京神学大学を受験するために所属教会の牧師の推薦書が必要だったため、牧師室を訪ね、「私は先生のようになりたいです」と、心にもないことを言いました。そのとき先生は喜んで推薦書を書いてくださいました。本当に申し訳ありませんでした。
しかし、そのとき言ったもう一つの言葉は偽りなき本心でした。「私は教会の便所掃除のような仕事がしたいです」と言いました。「それなら牧師になりたまえ」と、ちょっと笑いながら温かい目を向けてくださいました。
あれからもう、28年も経つのですね。また夏がめぐってきました。掃除のほうはあまり得意でない、とてもだらしない人間のままですが、おかげさまで、今でもなんとか牧師を続けています。
(とりあえず完)
しかし、いくらなんでも、あの「上」で、話を終わらせるわけには行かない。ただちに「下」を続ける必要があります。
いちばん重要なことを、まだ書いていません。永倉牧師は「康(やすし)」という名前を、生まれたばかりの私のために考えてくださった名付け親なのです。
さんざん憎まれ口も叩いてきましたが、まだそう長くもない私の生涯の中で、あまりにも決定的すぎる意味をもつ、最も重要な人(の中の重要すぎる一人)であることは間違いありません。
そして、彼の言っていることは、なるほど何ひとつ嘘ではないのです。すべて事実でした。なるほど「日本最大の教会」だったのかもしれませんし、今でもそうなのかもしれません。
しかし、私は、それがたとえ事実であったとしても、このような尊大な言葉を、幼少の頃からお世話になった恩師の口からは聞きたくありませんでした。
「上」にいろいろ書き連ねた恩師の経歴や発言は、個人的に聞いたことを暴露しているわけではありません。すべては日曜日の礼拝の説教の中で語られた言葉です。200とも250とも言っていた大勢の出席者の前で。「公の」場で。
それに、半世紀以上も年齢差のある、まるで「雲の上」のような先生から、どうして「個人的に」話をお聞かせいただける機会があったでしょうか。
愕然とさせられた言葉を挙げていけば枚挙にいとまがありませんが、さすがにこれ以上はやめておきます。もう、とっくの昔に時効ですしね。
そして、私のほうも悪いことをしました。これはすでに、いろんなところに書いてきたことです。東京神学大学を受験するために所属教会の牧師の推薦書が必要だったため、牧師室を訪ね、「私は先生のようになりたいです」と、心にもないことを言いました。そのとき先生は喜んで推薦書を書いてくださいました。本当に申し訳ありませんでした。
しかし、そのとき言ったもう一つの言葉は偽りなき本心でした。「私は教会の便所掃除のような仕事がしたいです」と言いました。「それなら牧師になりたまえ」と、ちょっと笑いながら温かい目を向けてくださいました。
あれからもう、28年も経つのですね。また夏がめぐってきました。掃除のほうはあまり得意でない、とてもだらしない人間のままですが、おかげさまで、今でもなんとか牧師を続けています。
(とりあえず完)
2011年7月12日火曜日
1983年のアナーキスト(上)
何を隠そう、昨日の記事にご登場いただいた「教会批判者」のモデルは、私です。
時は西暦1983年(昭58)8月某日。Wikipediaによると、清原・桑田の一年生コンビの力でPL高校が甲子園で全国優勝(2度目)した夏。当時の私は高校3年生(17才)。その日は教会主催の高校生夏期修養会に出席していました。
その日そのときに私の胸に強く迫った「論理」の全行程こそが、昨日書いたことでした。翌1984年(昭59)4月には東京神学大学(東京都三鷹市)の学生寮での生活を開始することになります。
高3当時はレッド・ツェッペリン以上にS.ピストルズにハマっていたアナーキスト少年Sは、0才から18才まで通った教会の老牧師を「講壇から引きずりおろす」ために「自分が牧師にならねばならない」という妄想(ですね、これは)にとりつかれ、神学校の門を叩いたのでした。ここで言いたいことは「高校生の考えることなんて、その程度の浅はかなものだ」ということです。
あまりにも具体的な状況を詳述しすぎると、「出身教会を恨んでいるのかこの人は」というだけの話だと誤解されかねません。しかし別にそういうことではない(憎んでいるわけでも恨んでいるわけでもない)と思っている私としては、これ以上のことを書くことに、いささかの躊躇と迷いがあります。
でも、う~ん、そうですね、行きがかり上、私の出身教会に登場してもらわないかぎり、この先の話を続けることができそうもありません。それは、私の人生の最初の20年間を全く支配していたというほかに表現しようがない何ものかなのですから。ほんとうに私は恨んでなんかいませんので、この点はぜひご理解ください。
その教会の名前は「日本基督教団岡山聖心教会」といいます。
当時の牧師は永倉義雄氏(現在は故人)。その教会は現在、義雄氏の二男が主任牧師、義雄氏の孫が副牧師を務める、純粋な世襲教会になっています。私がいた頃の礼拝出席者は200とか250とか言っていました。所在は岡山市の中心地ですが、第二次大戦時の大空襲を免れて焼け残った江戸時代の武家屋敷の家屋を買い上げ、床の間つきの畳の部屋に座布団を敷きつめて正座して礼拝するという、いろんな意味で「痛い」教会でした。
「私の出身教会」と書かざるをえませんが、しかし、自分の手で門を叩いた記憶も事実もありません。教会員になったのが最も古いのは母で、母の実家から徒歩約五分のところに第二次大戦直後に開設された教会でした。父は群馬県前橋市の出身者ですが、岡山聖心教会に父は大学時代に洗礼を受けた教会からの紹介で通うようになりました。こういう事情ですので、岡山聖心教会は、私にとっては「不可避的な関係」ではありましたが、自分の明確な意思をもって通いはじめたものではありません。
日本基督教団の場合、必ず問われるのは「そこは教団の中の何派の教会なのですか」ということに決まっていますので、その件にも触れておきます。以下はすべて永倉牧師自身が語ったことです。
若い頃に受洗した教会は日本聖公会であったが、その後救世軍に移籍し、救世軍士官学校を卒業。救世軍の教会の牧師になるが、山室軍平氏と対立して救世軍を脱退。戦前の日本聖教会(ホーリネス系)に移るが、1941年(昭16)に日本基督教団に合流し、教団第九部に属する日本基督教団南京(ナンキン)教会の牧師になる。戦時中は「ホーリネス(教団六部・九部)弾圧」の対象となり、南京で逮捕・抑留。戦後は日本への引揚隊の隊長となり、帰国。そのときの帰国仲間を中核とする教会を立てようという機運が起こり、岡山聖心教会ができた。ところが、永倉牧師は戦後の日本基督教団の中で「ホーリネス系」の中にとどまることを不服として、ホーリネスの群れを脱退。その後は「無教派・無信条の教団主義」を自称するようになる。
そして私が生まれたのが1965年(昭40)。つまり戦後20年。岡山聖心教会の設立から数えても約20年。牧師は当時70台。教会附属の幼稚園を三つ(当時)持っていましたので、世間では大規模幼稚園の「理事長」として知られたからでもあるでしょう、私がいた頃には毎週日曜日に上記のとおり200とか250とかの人が(武家屋敷にね)集まる教会となり、教会の会計は「年間予算7千万」だと言っていました。たぶん今もそんな感じのままだと思います。教団年鑑には書いてあるはずです。
そのような中、永倉牧師がしょっちゅう用いていたレトリックを、その三段論法を、いまだに忘れることができません。彼は繰り返しこう言いました。
「岡山聖心教会は日本基督教団における最大の教会である。そして日本基督教団は日本最大のキリスト教団である。それゆえ岡山聖心教会は『日本最大の教会』である」。
私のキャパシティ(別名「堪忍袋」)を超えはじめたのは、この三段論法を彼が繰り返すようになった頃からです。1983年のアナーキストはNo future for you !と『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』の歌詞を大声で叫びながら、倒さなければならない相手は教会の「外」ではなく「内」にこそいる、と確信していたものでした。若かったですね。
(「1983年のアナーキスト(下)」に続く)
時は西暦1983年(昭58)8月某日。Wikipediaによると、清原・桑田の一年生コンビの力でPL高校が甲子園で全国優勝(2度目)した夏。当時の私は高校3年生(17才)。その日は教会主催の高校生夏期修養会に出席していました。
その日そのときに私の胸に強く迫った「論理」の全行程こそが、昨日書いたことでした。翌1984年(昭59)4月には東京神学大学(東京都三鷹市)の学生寮での生活を開始することになります。
高3当時はレッド・ツェッペリン以上にS.ピストルズにハマっていたアナーキスト少年Sは、0才から18才まで通った教会の老牧師を「講壇から引きずりおろす」ために「自分が牧師にならねばならない」という妄想(ですね、これは)にとりつかれ、神学校の門を叩いたのでした。ここで言いたいことは「高校生の考えることなんて、その程度の浅はかなものだ」ということです。
あまりにも具体的な状況を詳述しすぎると、「出身教会を恨んでいるのかこの人は」というだけの話だと誤解されかねません。しかし別にそういうことではない(憎んでいるわけでも恨んでいるわけでもない)と思っている私としては、これ以上のことを書くことに、いささかの躊躇と迷いがあります。
でも、う~ん、そうですね、行きがかり上、私の出身教会に登場してもらわないかぎり、この先の話を続けることができそうもありません。それは、私の人生の最初の20年間を全く支配していたというほかに表現しようがない何ものかなのですから。ほんとうに私は恨んでなんかいませんので、この点はぜひご理解ください。
その教会の名前は「日本基督教団岡山聖心教会」といいます。
当時の牧師は永倉義雄氏(現在は故人)。その教会は現在、義雄氏の二男が主任牧師、義雄氏の孫が副牧師を務める、純粋な世襲教会になっています。私がいた頃の礼拝出席者は200とか250とか言っていました。所在は岡山市の中心地ですが、第二次大戦時の大空襲を免れて焼け残った江戸時代の武家屋敷の家屋を買い上げ、床の間つきの畳の部屋に座布団を敷きつめて正座して礼拝するという、いろんな意味で「痛い」教会でした。
「私の出身教会」と書かざるをえませんが、しかし、自分の手で門を叩いた記憶も事実もありません。教会員になったのが最も古いのは母で、母の実家から徒歩約五分のところに第二次大戦直後に開設された教会でした。父は群馬県前橋市の出身者ですが、岡山聖心教会に父は大学時代に洗礼を受けた教会からの紹介で通うようになりました。こういう事情ですので、岡山聖心教会は、私にとっては「不可避的な関係」ではありましたが、自分の明確な意思をもって通いはじめたものではありません。
日本基督教団の場合、必ず問われるのは「そこは教団の中の何派の教会なのですか」ということに決まっていますので、その件にも触れておきます。以下はすべて永倉牧師自身が語ったことです。
若い頃に受洗した教会は日本聖公会であったが、その後救世軍に移籍し、救世軍士官学校を卒業。救世軍の教会の牧師になるが、山室軍平氏と対立して救世軍を脱退。戦前の日本聖教会(ホーリネス系)に移るが、1941年(昭16)に日本基督教団に合流し、教団第九部に属する日本基督教団南京(ナンキン)教会の牧師になる。戦時中は「ホーリネス(教団六部・九部)弾圧」の対象となり、南京で逮捕・抑留。戦後は日本への引揚隊の隊長となり、帰国。そのときの帰国仲間を中核とする教会を立てようという機運が起こり、岡山聖心教会ができた。ところが、永倉牧師は戦後の日本基督教団の中で「ホーリネス系」の中にとどまることを不服として、ホーリネスの群れを脱退。その後は「無教派・無信条の教団主義」を自称するようになる。
そして私が生まれたのが1965年(昭40)。つまり戦後20年。岡山聖心教会の設立から数えても約20年。牧師は当時70台。教会附属の幼稚園を三つ(当時)持っていましたので、世間では大規模幼稚園の「理事長」として知られたからでもあるでしょう、私がいた頃には毎週日曜日に上記のとおり200とか250とかの人が(武家屋敷にね)集まる教会となり、教会の会計は「年間予算7千万」だと言っていました。たぶん今もそんな感じのままだと思います。教団年鑑には書いてあるはずです。
そのような中、永倉牧師がしょっちゅう用いていたレトリックを、その三段論法を、いまだに忘れることができません。彼は繰り返しこう言いました。
「岡山聖心教会は日本基督教団における最大の教会である。そして日本基督教団は日本最大のキリスト教団である。それゆえ岡山聖心教会は『日本最大の教会』である」。
私のキャパシティ(別名「堪忍袋」)を超えはじめたのは、この三段論法を彼が繰り返すようになった頃からです。1983年のアナーキストはNo future for you !と『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』の歌詞を大声で叫びながら、倒さなければならない相手は教会の「外」ではなく「内」にこそいる、と確信していたものでした。若かったですね。
(「1983年のアナーキスト(下)」に続く)
この文章に「献身のすすめ」というタイトルを付けておきます
さっきから何度も出るのは、ためいきばかりです。教会の中で起こる問題のほぼ9割9分9厘が牧師の弱さや罪や欠けに端を発していることは火を見るよりも明らかなのだから、教会の体質を良い方向に「変えたい」と願っている人は、その人自身が牧師になる以外に無いんじゃないのかね、と思うんですよ。いま書いていることは、これを読んでくださっている「あなた」に言ってることです。
日本の教会ってね、一部を除くほとんどは、建物は小さいし、組織は弱いし、動員力もお金も無いしでね、傍目からみれば「ごっこ遊び」してるようにしか見えないんでしょうけどね。でもね、これはこれでね、湾岸署の署長さんのセリフを借りれば、「できそこないでも命張ってんだ!」と言いたい面がありますよ。
教会の外に立っている人が教会のことを何と言おうと、それは仕方無いことですよ。人の口に戸は立てられない。でも、教会の悪口を先頭に立って言うのはたいてい教会の中の人ですし、教会の中で中途半端に責任を負っているような感じの人。ひたすらブザマですよ。「あなた自身が教会でしょーが?」と言ってあげたいですよ。
教会の悪口を言っちゃあいけないって言ってるんじゃないですよ。まさか、どう間違ってもそんなことを私が言うはずが無い。正反対ですよ。中途半端な論評なんかでは教会というのはビクともしやしないんだから、教会の体質を変えたければ、教会のど真ん中に入って行く以外どうしようもないじゃん、と言いたいだけです。
教会のど真ん中ってね、まさか、教団・教派や個々の教会の「役員会」のことじゃないですよ。そんなふうに思っている人は、誤解してるんです。教会の役員たちの悪口を言ってみたところで、何も変わりゃあしませんよ。それじゃあその人自身が選挙で選ばれて役員になれば教会の体質が変わるのかといえば、たぶん変わらない。かえって前よりもっと悪くなるんじゃないかな、教会の悪口を言いたいためだけに教会の役員になった、というだけならね。
それでは「教会のど真ん中」はどこ、あるいは何なのでしょうね。この問題の答えは、しばらく書かないでおきますよ。私の結論はいつも単純すぎて拍子抜けさせてしまうので、ちょっとくらい勿体をつけてからにしますね。
日本の教会ってね、一部を除くほとんどは、建物は小さいし、組織は弱いし、動員力もお金も無いしでね、傍目からみれば「ごっこ遊び」してるようにしか見えないんでしょうけどね。でもね、これはこれでね、湾岸署の署長さんのセリフを借りれば、「できそこないでも命張ってんだ!」と言いたい面がありますよ。
教会の外に立っている人が教会のことを何と言おうと、それは仕方無いことですよ。人の口に戸は立てられない。でも、教会の悪口を先頭に立って言うのはたいてい教会の中の人ですし、教会の中で中途半端に責任を負っているような感じの人。ひたすらブザマですよ。「あなた自身が教会でしょーが?」と言ってあげたいですよ。
教会の悪口を言っちゃあいけないって言ってるんじゃないですよ。まさか、どう間違ってもそんなことを私が言うはずが無い。正反対ですよ。中途半端な論評なんかでは教会というのはビクともしやしないんだから、教会の体質を変えたければ、教会のど真ん中に入って行く以外どうしようもないじゃん、と言いたいだけです。
教会のど真ん中ってね、まさか、教団・教派や個々の教会の「役員会」のことじゃないですよ。そんなふうに思っている人は、誤解してるんです。教会の役員たちの悪口を言ってみたところで、何も変わりゃあしませんよ。それじゃあその人自身が選挙で選ばれて役員になれば教会の体質が変わるのかといえば、たぶん変わらない。かえって前よりもっと悪くなるんじゃないかな、教会の悪口を言いたいためだけに教会の役員になった、というだけならね。
それでは「教会のど真ん中」はどこ、あるいは何なのでしょうね。この問題の答えは、しばらく書かないでおきますよ。私の結論はいつも単純すぎて拍子抜けさせてしまうので、ちょっとくらい勿体をつけてからにしますね。
2011年7月9日土曜日
「創造論VS進化論」というクマンバチの巣についての雑感
このところ「創造論VS進化論」という、聞くたびにうんざりしてきた話題に関するツイートがやたら来るなあと思っていたら、どうやらこれですね。埼玉医科大学の准教授氏が言い放ったという 「聖書は正しく、進化論は間違い。日本人は騙されている」が、クマンバチの巣をつついてしまったようです。
この件について議論したい気持ちなどは私には全くありません。しかし、今の原発問題(特に利権問題)と絡めて考えると、さかのぼれば19世紀から懲りずに続けられてきた「創造論VS進化論」という議論の本質が見えてくるような気がするのは私だけだろうかと考えなくもありません。
いま書いたことをもう少しだけ説明しておきます。今は「聖書利権」(?)というようなものは、世界のどこを見回しても、もはや死滅しているというか、ほとんど皆無の状態なので、「創造論叩き」は「マルクス主義叩き」同様、一種の弱い者いじめみたいなものです。
他方、「進化論利権」(?)はまだあるというか、この理屈で世界が回っている感が無きにしもあらずです。世界はいかようにも多様に解釈しうるはずなのに。この既定路線に立たなければ学界から締め出されるとか、そういうのは科学的でも学問的でもないと思わなくもない。
私は、創造論は「詩」(ポエム)みたいなものだととらえています。しかし、「だからそれは非科学的なのだ」と責め立てられるのはあんまりですよねとも思う。進化論そのものというより「進化論利権」のようなものとしては、とくに新薬の開発とかの場合、「モルモットに効くのだから人間にも効く(はずだ)」というような、まるで人間と他の動物との間の区別は全く無いかのような、あまりにもシームレスすぎる関係性の論じ方とかね。
あとは「ウルトラマンガイア」の中心テーマのように扱われた「環境破壊をするような人間は環境によって滅ぼされて淘汰されるほうがよい」というウルトラマンアグルの考え方も、人間と他のあらゆるものとの関係をあまりにも連続的に考えすぎる思想傾向の産物であるといえなくもない。人間と他者との関係には「連続性」も、限りなく100%に近いと思うほどある。しかし、「非連続性」もあるのだと言えないといけない。人間が「獣化」しすぎることを、科学ないし学問の名のもとに援護・補強するのは、それはそれで危険です。
うちの長男は、幼稚園くらいの頃に教会の本棚から手に取った「子ども聖書物語」のようなもので「世界は神が創造された」という話を素朴に受けとめていましたが、小学校の高学年か中学に入った頃かに「これまで考えてきたことが一気に崩れ去った」と初めて自分から口を開いて言いました。そのとき「で、お前はどっちなの?」と私が尋ねると、「う~ん、『両方言える』でいんじゃね?」と答えました。こいつは大物になりそうだと、バカ親の親バカ心が発動しました。
もうひとつ加えるとしたら、改革派教義学の伝統的な議論の中では、「創造」(Creation)の概念は「摂理」(Providence)の概念と一対の関係にあるものとして扱われなければ意味をなさないものだとみなされてきました。「創造」とは最初の瞬間の出来事としての「つくること」。他方の「摂理」は最初の「創造」が行なわれた後の全時間における出来事としての「まもり、ささえ、そだてること」。
たとえば、我々にとっての出産ないし誕生は、神学的にいえば「創造」というカテゴリーで説明されてはならず、「摂理」というカテゴリーで説明されなければならない。なぜなら、もし我々が「創造」というカテゴリーで出産ないし誕生を説明してしまうと、事実上「我々の両親は神である」と言っているのと同じことになってしまう。しかし、我々はどう間違っても「子どもを創造した(つくった)」わけではないし、あるいは「両親がおれ/あたしを創造した(つくった)」わけではない。
自分の赤ちゃんを前にして「おれが/あたしが、こいつをつくった」とでも思っているから、虐待しようが何しようが、創造者なるおれ/あたしの思いのままだと考えている(ごめんなさいね、ちょっと言わせてもらいますが)バカ親が少なくないのではないかと感じられる昨今。あるいは、自分のペットにもつけないような(これも言わせてもらえば)恥ずかしい名前を、自分の子どもにつける親もいる。
「人間よ、なんじはいかなる意味でも創造者ではありえないし、なんじの子どもはなんじのペットではありえない」ということをトコトン言い続けるためにこそ、「創造」と「摂理」の区別、あるいは「創造」と「出産」(ないし「誕生」)との概念上の区別を厳密にする必要がある。つまり、今日においてこそ創造論を欠くことはできないと思われてならない。
「創造」というカテゴリーは、思春期の子どもたちが親に向かってよく言う(ことになっている)「おれをつくってくれと頼んだ憶えはネエ!」という言い分を一部理解しつつ、「おれ/あたしが、お前をつくったわけじゃネエ!」という親側からの反論に微妙な根拠を提供するためのマクラコトバとして意味をもちうる、と言いたいだけです。
ちなみに、いま書いた、「おれ/あたしが、お前をつくったわけじゃネエ!」という親側のセリフに続く言葉は、「お前をつくったのは神さまだからね」ではありませんからね。「おれ/あたしはお前を産んだだけだ。産むことと造ることとは全く違うことなんだよ。文句あるか?」ですからね。
19世紀から前世紀にかけての「創造論VS進化論」という押し問答は、まさに利権問題としてとらえれば、よく分かる。各国の文科省(に相当する公的機関)と学校教育における「キリスト教利権」と「非キリスト教利権」のヘゲモニー争いでした。この論争の当事者たちにとって「聖書の解釈」という点こそマクラコトバにすぎませんでした。
本当に議論はしたくありません。しかし、「創造論は詩(ポエム)である」と書いたことについてだけは、異論が吹き出す可能性が高いので、先回りして書いておきます。
私の意図は「それは詩にすぎない」(It's only a poem)というふうに、それを低く評価することではありません。それは詩をバカにしすぎています。そういうのは全世界の全歴史における歌や音楽を全否定するのと同じ態度を意味しているわけですから、とんでもないことです。私に言わせてもらえば、創造論の詩を、ジミー・ペイジの奏でるダブルネックのイバニーズに合わせて、ロバート・プラントにシャウトしてもらいたい。それくらいの思いです。
しかしまた、「創造論は詩(ポエム)である」と私が受けとるもう一つの意味として言っておきたいことは、やはり、時と場所と状況をわきまえた語り方というのがある、ということです。
あくまでもたとえばの話ですが、我々の住んでいる国(まあ日本ですが)のプリンスとプリンセスが初めての子どもを産んだとき、マスコミの前で言った言葉は「コウノトリが来てくれた」でしたよね。「聖書とキリスト教の創造論は非科学的である」とか言ってつっこむ人たちには、あのプリンスの言葉にもつっこめよと言いたいですね。詩歌(しいか)の表現を用いて語るほうが適切な場面というのが、我々の人生にはあるのです、明らかにね。
でも、逆の言い方をすれば(逆かどうかは微妙ですが)、もしあの場面、あの状況でわが国のプリンスが「いやー、じつは、おれとこいつ(隣に座っていた人)があれをしたら、これができちゃったんですよ」と言えたか(Could he say that?)。そういう言葉づかいが「科学的」なのか。そうとは言えないと思うのですよ。
改革派神学の筋道の中で「進化」(evolution)というカテゴリーをどこに位置づけられるかといえば、おそらく「摂理」のところでしょうね。「摂理」は「創造」と共に「聖定」の枠組みの中に置かれます。創造は「第一の聖定」、摂理は「第二の聖定」ですから。
しかし、某准教授氏が言い放った「人間優越論」のような考え方は、改革派神学には全くそぐわないですね。改革派神学は、人間に対して全被造性(whole creativity)の一要素というくらいの位置づけしか与えて来なかったと思います。しかし、そうは言っても「上か下か」(優位か劣位か)という区別ではなく、両者(人間と世界)の非連続性(discontinuity)については、改革派神学はむしろ強調してきたはずです。
繰り返しますと、改革派神学の筋道からいえば「創造」が第一の聖定で、「摂理」が第二の聖定なのですが、後者「摂理」の中に「進化」を位置づけることは、それほど問題ではないはずです。しかし問題は、「創造」のほうは否定して「摂理」だけを残し、その上で「摂理」の中に「進化」を位置づけてしまうとどうなるかです。そのとき我々は、誰によっても(または何によっても)造られなかった世界が過去・現在・未来を通じて永久に存在し続けている状態、ということを想定せざるをえません。
その場合には、この世界には「はじまり」(beginning)が無いし、するとまた当然「おわり」(end)も無い。そうなると、すぐさま「終わりなき日常を生きろ」みたいな話になっていくのかどうかは分かりませんが、途方もない気持ちにさせられることは確かですね。私は某准教授氏がいうような意味での進化論否定論の立場にはいませんが、「詩(ポエム)としての創造論」まで否定されると、私などは「終わりなき日常」のプレッシャーに耐えかねて世界の外側へと飛び出していきたくなるような気がします(「死にたくなる」という意味です)。
というわけで、私自身はアメリカなどの福音派の事情は(そういう教会に通ったことがないので体験的知識がゼロであるという意味で)全く知らないのですが、相手を組み伏せるような議論を好まない福音派の人たちがいるなら、その人たちとだけは仲良くできそうです。
「創造論」の基本命題は「世界を創造したのは神である」というものであることは間違いありませんが、逆命題的に言い直せば、「もし世界が永遠に存在しているのではなく、何かあるいは誰か(どなたか)によって『はじめられた』ものであるならば、この世界を『はじめた』存在を『神』と呼ぶことにしよう」というあたりのことでもあるわけなので、「この世界にははじまりも終りもない」と言い張る科学者でもないかぎり、いま書いた意味での「創造論」を否定するほどの理由はないはずなのです。
しかし、そうは言っても、感覚的にいえば、カトリックや福音派の立場に全く同意できるとは思えない。彼らがとにかく嫌うのは、医学などの生命科学や物理学などが絶対的な自立性を持って優位性を主張しはじめ、神学部の営みを「非学問的」などと決めつけて罵倒してくるような場面でしょう。神学部の側も適当にスルーしておけばいいのに、売られたケンカを買おうとする。こうした彼らの神学的な勇ましさは「諸学は神学の婢(ancilla theologiae)である」と言えていた数百年前の時代の名残かもしれませんね。
この件について議論したい気持ちなどは私には全くありません。しかし、今の原発問題(特に利権問題)と絡めて考えると、さかのぼれば19世紀から懲りずに続けられてきた「創造論VS進化論」という議論の本質が見えてくるような気がするのは私だけだろうかと考えなくもありません。
いま書いたことをもう少しだけ説明しておきます。今は「聖書利権」(?)というようなものは、世界のどこを見回しても、もはや死滅しているというか、ほとんど皆無の状態なので、「創造論叩き」は「マルクス主義叩き」同様、一種の弱い者いじめみたいなものです。
他方、「進化論利権」(?)はまだあるというか、この理屈で世界が回っている感が無きにしもあらずです。世界はいかようにも多様に解釈しうるはずなのに。この既定路線に立たなければ学界から締め出されるとか、そういうのは科学的でも学問的でもないと思わなくもない。
私は、創造論は「詩」(ポエム)みたいなものだととらえています。しかし、「だからそれは非科学的なのだ」と責め立てられるのはあんまりですよねとも思う。進化論そのものというより「進化論利権」のようなものとしては、とくに新薬の開発とかの場合、「モルモットに効くのだから人間にも効く(はずだ)」というような、まるで人間と他の動物との間の区別は全く無いかのような、あまりにもシームレスすぎる関係性の論じ方とかね。
あとは「ウルトラマンガイア」の中心テーマのように扱われた「環境破壊をするような人間は環境によって滅ぼされて淘汰されるほうがよい」というウルトラマンアグルの考え方も、人間と他のあらゆるものとの関係をあまりにも連続的に考えすぎる思想傾向の産物であるといえなくもない。人間と他者との関係には「連続性」も、限りなく100%に近いと思うほどある。しかし、「非連続性」もあるのだと言えないといけない。人間が「獣化」しすぎることを、科学ないし学問の名のもとに援護・補強するのは、それはそれで危険です。
うちの長男は、幼稚園くらいの頃に教会の本棚から手に取った「子ども聖書物語」のようなもので「世界は神が創造された」という話を素朴に受けとめていましたが、小学校の高学年か中学に入った頃かに「これまで考えてきたことが一気に崩れ去った」と初めて自分から口を開いて言いました。そのとき「で、お前はどっちなの?」と私が尋ねると、「う~ん、『両方言える』でいんじゃね?」と答えました。こいつは大物になりそうだと、バカ親の親バカ心が発動しました。
もうひとつ加えるとしたら、改革派教義学の伝統的な議論の中では、「創造」(Creation)の概念は「摂理」(Providence)の概念と一対の関係にあるものとして扱われなければ意味をなさないものだとみなされてきました。「創造」とは最初の瞬間の出来事としての「つくること」。他方の「摂理」は最初の「創造」が行なわれた後の全時間における出来事としての「まもり、ささえ、そだてること」。
たとえば、我々にとっての出産ないし誕生は、神学的にいえば「創造」というカテゴリーで説明されてはならず、「摂理」というカテゴリーで説明されなければならない。なぜなら、もし我々が「創造」というカテゴリーで出産ないし誕生を説明してしまうと、事実上「我々の両親は神である」と言っているのと同じことになってしまう。しかし、我々はどう間違っても「子どもを創造した(つくった)」わけではないし、あるいは「両親がおれ/あたしを創造した(つくった)」わけではない。
自分の赤ちゃんを前にして「おれが/あたしが、こいつをつくった」とでも思っているから、虐待しようが何しようが、創造者なるおれ/あたしの思いのままだと考えている(ごめんなさいね、ちょっと言わせてもらいますが)バカ親が少なくないのではないかと感じられる昨今。あるいは、自分のペットにもつけないような(これも言わせてもらえば)恥ずかしい名前を、自分の子どもにつける親もいる。
「人間よ、なんじはいかなる意味でも創造者ではありえないし、なんじの子どもはなんじのペットではありえない」ということをトコトン言い続けるためにこそ、「創造」と「摂理」の区別、あるいは「創造」と「出産」(ないし「誕生」)との概念上の区別を厳密にする必要がある。つまり、今日においてこそ創造論を欠くことはできないと思われてならない。
「創造」というカテゴリーは、思春期の子どもたちが親に向かってよく言う(ことになっている)「おれをつくってくれと頼んだ憶えはネエ!」という言い分を一部理解しつつ、「おれ/あたしが、お前をつくったわけじゃネエ!」という親側からの反論に微妙な根拠を提供するためのマクラコトバとして意味をもちうる、と言いたいだけです。
ちなみに、いま書いた、「おれ/あたしが、お前をつくったわけじゃネエ!」という親側のセリフに続く言葉は、「お前をつくったのは神さまだからね」ではありませんからね。「おれ/あたしはお前を産んだだけだ。産むことと造ることとは全く違うことなんだよ。文句あるか?」ですからね。
19世紀から前世紀にかけての「創造論VS進化論」という押し問答は、まさに利権問題としてとらえれば、よく分かる。各国の文科省(に相当する公的機関)と学校教育における「キリスト教利権」と「非キリスト教利権」のヘゲモニー争いでした。この論争の当事者たちにとって「聖書の解釈」という点こそマクラコトバにすぎませんでした。
本当に議論はしたくありません。しかし、「創造論は詩(ポエム)である」と書いたことについてだけは、異論が吹き出す可能性が高いので、先回りして書いておきます。
私の意図は「それは詩にすぎない」(It's only a poem)というふうに、それを低く評価することではありません。それは詩をバカにしすぎています。そういうのは全世界の全歴史における歌や音楽を全否定するのと同じ態度を意味しているわけですから、とんでもないことです。私に言わせてもらえば、創造論の詩を、ジミー・ペイジの奏でるダブルネックのイバニーズに合わせて、ロバート・プラントにシャウトしてもらいたい。それくらいの思いです。
しかしまた、「創造論は詩(ポエム)である」と私が受けとるもう一つの意味として言っておきたいことは、やはり、時と場所と状況をわきまえた語り方というのがある、ということです。
あくまでもたとえばの話ですが、我々の住んでいる国(まあ日本ですが)のプリンスとプリンセスが初めての子どもを産んだとき、マスコミの前で言った言葉は「コウノトリが来てくれた」でしたよね。「聖書とキリスト教の創造論は非科学的である」とか言ってつっこむ人たちには、あのプリンスの言葉にもつっこめよと言いたいですね。詩歌(しいか)の表現を用いて語るほうが適切な場面というのが、我々の人生にはあるのです、明らかにね。
でも、逆の言い方をすれば(逆かどうかは微妙ですが)、もしあの場面、あの状況でわが国のプリンスが「いやー、じつは、おれとこいつ(隣に座っていた人)があれをしたら、これができちゃったんですよ」と言えたか(Could he say that?)。そういう言葉づかいが「科学的」なのか。そうとは言えないと思うのですよ。
改革派神学の筋道の中で「進化」(evolution)というカテゴリーをどこに位置づけられるかといえば、おそらく「摂理」のところでしょうね。「摂理」は「創造」と共に「聖定」の枠組みの中に置かれます。創造は「第一の聖定」、摂理は「第二の聖定」ですから。
しかし、某准教授氏が言い放った「人間優越論」のような考え方は、改革派神学には全くそぐわないですね。改革派神学は、人間に対して全被造性(whole creativity)の一要素というくらいの位置づけしか与えて来なかったと思います。しかし、そうは言っても「上か下か」(優位か劣位か)という区別ではなく、両者(人間と世界)の非連続性(discontinuity)については、改革派神学はむしろ強調してきたはずです。
繰り返しますと、改革派神学の筋道からいえば「創造」が第一の聖定で、「摂理」が第二の聖定なのですが、後者「摂理」の中に「進化」を位置づけることは、それほど問題ではないはずです。しかし問題は、「創造」のほうは否定して「摂理」だけを残し、その上で「摂理」の中に「進化」を位置づけてしまうとどうなるかです。そのとき我々は、誰によっても(または何によっても)造られなかった世界が過去・現在・未来を通じて永久に存在し続けている状態、ということを想定せざるをえません。
その場合には、この世界には「はじまり」(beginning)が無いし、するとまた当然「おわり」(end)も無い。そうなると、すぐさま「終わりなき日常を生きろ」みたいな話になっていくのかどうかは分かりませんが、途方もない気持ちにさせられることは確かですね。私は某准教授氏がいうような意味での進化論否定論の立場にはいませんが、「詩(ポエム)としての創造論」まで否定されると、私などは「終わりなき日常」のプレッシャーに耐えかねて世界の外側へと飛び出していきたくなるような気がします(「死にたくなる」という意味です)。
というわけで、私自身はアメリカなどの福音派の事情は(そういう教会に通ったことがないので体験的知識がゼロであるという意味で)全く知らないのですが、相手を組み伏せるような議論を好まない福音派の人たちがいるなら、その人たちとだけは仲良くできそうです。
「創造論」の基本命題は「世界を創造したのは神である」というものであることは間違いありませんが、逆命題的に言い直せば、「もし世界が永遠に存在しているのではなく、何かあるいは誰か(どなたか)によって『はじめられた』ものであるならば、この世界を『はじめた』存在を『神』と呼ぶことにしよう」というあたりのことでもあるわけなので、「この世界にははじまりも終りもない」と言い張る科学者でもないかぎり、いま書いた意味での「創造論」を否定するほどの理由はないはずなのです。
しかし、そうは言っても、感覚的にいえば、カトリックや福音派の立場に全く同意できるとは思えない。彼らがとにかく嫌うのは、医学などの生命科学や物理学などが絶対的な自立性を持って優位性を主張しはじめ、神学部の営みを「非学問的」などと決めつけて罵倒してくるような場面でしょう。神学部の側も適当にスルーしておけばいいのに、売られたケンカを買おうとする。こうした彼らの神学的な勇ましさは「諸学は神学の婢(ancilla theologiae)である」と言えていた数百年前の時代の名残かもしれませんね。
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