「これは神の御心なのか」。この問いを避け通す説教者は、不誠実だと言われても仕方がないかもしれない。
なぜなら、「牧師ならば、説教者ならば、この問いには当然答えてくれるだろう」と答えを待っている(と思われる)人がいる。また、「これには意味がある」と言って無理やりこじつけた「意味」を語る説教者の言葉に傷ついたり悩んだりしている人がいることも、分かっていた。だから、いつかきちんと決着をつける必要があるとは思っていた。
「これは偶然である」と考えるからといって、「意味を問うてはならない」と言いたいのではない。そんなふうに禁じられても、問う人は問うし、答えが欲しい人は答えが欲しいのだ。その気持ちを理解することが必要だ、という話ならばよく分かる。その問い方は、生きている場所や位置にも当然関係しているだろう。
いま気になっていることは、直接被災地にいない人々のこと、あるいは事実上何の対応もできない(または「できなかった」)人たちのことだったりする。被災地で苦しんでいる人のことを気にしていないという意味ではないが、被災地のために何もできない(または「できなかった」)ということを気に病んでいる人たちのこと、あるいは、早くも記憶から消えそうになっていることを気に病んでいる人たちのことが気がかりなのだ。
かなり自戒をこめていえば、こういうときに「行動あるのみ。現地に行くのみ。現場にこそイエスは赴かれる」という信仰に突き動かされて「動ける」人と、必ずしもそうでない人がいる。 私は4月18日から20日まで宮城県内の被災地・被災教会のお見舞いに行くことができたが、委員会活動であるという「意味づけ」があったからだということを否定できない。
生まれ故郷であるとか、親戚や友人がいるとか、一度でも行ったことがあるとか、なんらかの思い出があるとか、その他どんなことでもいいから自分自身との関連性ないし連関が見出せることであるならともかく、そうでない場合は「意味」を持続しにくいと感じる人は少なくないと思うのだ(いま書いたことは私自身のことではない)。
あとはやや言いにくいことだが、「毎月11日に祈ろう」、「半年後の9月11日が日曜日なので何かしよう」、「毎年3月11日に何かしよう」というふうに、「11日」ということに意味づけを図ろうとする人たちがいる。「そういうのが全部駄目とは申しませんが、教会のやり方としてはあまりにも俗っぽ過ぎませんか」と、私はある委員会で発言した。そのことも公開しておくことにしよう。
私がつい「あちらも、こちらも」両方立てようとするのは、なんだかドラマのセリフみたいだが、「もうだれも教会からいなくなって欲しくない!」と、いつも思っているからだろう。20年も牧師やっていると、いろんな人を傷つけ、失ってきた。反省、反省。
牧師や長老や教会全体に文句があって、なんだかんだ、いろいろと噛みついてきても構わないから(「構わない」は「スルーする」の意味ではない)、とにかく教会にとどまってほしいのだ。
しかし、「教会にとどまる」は「毎週日曜日の礼拝に出てこい。出てこない奴は去れ」という意味ではない。「教会の礼拝や諸集会のアタマ数や献金の口数や金額が少なくなってもらっては困る」という意味でもない。私に限っては、それはありえない。そんな要求をするくらいなら、パウロの言葉を借りれば「死んだ方がまし」(新約聖書 コリントの信徒への手紙一9・15)だと本気で思う。
そんなことではなくて、表現するのが難しいのだが、「あなたには教会が必要です」という感じのことが言いたいのだ。
そう、古いネタで申し訳ないが、むかし中村雅俊さんが歌っていた「人はみな、ひとりでは生きてゆけないものだから」みたいなことだと思う。いまググったら、あの歌のタイトル、「ふれあい」というそうだ、初めて知った。
「ひとりで信仰を保つのは無理ですよ」みたいなことが言いたい。「信仰者には信仰共同体が必要です」と言いたいんだと思う、たぶん私はね。
ちなみに、こんなことを書きながら思い出していることは、もう完全にうろ覚えの状態だが、美少女戦士セーラームーン(古いね)の最終話みたいな状況の中で主人公の月野うさぎが「もうだれも死なせない。私が世界を守る!」みたいなことを言ったセリフだったりする。
私はね、上手な言い方をすれば「守備範囲が広い」人間なのだ。セーラームーンは、子どもたちと一緒に観た。おじゃ魔女ドレミとかもね。「オタク目線」ではなくて「親目線」でね。
と書いているうちに、もう見つかってしまった。インターネット恐るべし。 子どもたちと一緒に観たのは、どうやらこれだ。土曜日なのに、久しぶりに見入ってしまった。正確に書けば、「劇場版 美少女戦士セーラームーンR」のラスト10分間くらいのクライマックスシーンだ。
主人公が言ったのは、「みんなは私が守ってみせる!」(1:05)、「お願い、銀水晶!もっと私に力を貸して!みんなを守れる力を!だれもひとりにしない力!」(1:22)、「もう、だれもひとりにしない!」(3:48)だった。
これ、何度観ても泣けますね。いやマジで。
2011年7月2日土曜日
私はあえて「偶然」と呼びたい
3月11日以来、意図的に避けてきた話題がある。「これは神の御心なのか」という、だれもが問う問いへの答えである。
もちろん私も自分なりに「意味」を考えてきた。しかし公言しないできた。ブログでも、説教でも、この一点に関しては沈黙してきた。
しかし、そろそろ言ってもいいだろう。現時点での結論は「偶然」である。
私は、改革派教会が歴史の中で教え続けてきたところの「予定論」ないし「聖定論」を心から確信している者であるが、だからこそ、結論は「偶然」である。
周知のとおりハイデルベルク信仰問答(16世紀)には「天にいますわたしの父の御旨でなければ髪の毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます」(問1の答え)と書かれている。この線で考えていけば、あらゆる出来事は「神の御心」なのであって、例外はない。
しかし、ウェストミンスター信仰告白(17世紀)には、明らかに異なるニュアンスが加えられている。
ウェストミンスター信仰告白3・1には、「神は、全くの永遠から、ご自身のみ旨の最も賢くきよい計画によって、起こりくることは何事であれ、自分にしかも不変的に定められたが」と言いつつ(ここまではハイデルベルク信仰問答と同一線上に立っている)、間髪いれず、「それによって、神が罪の作者とならず、また被造物の意志に暴力が加えられることなく、また第二原因の自由や偶然性が奪い去られないで、むしろ確立されるように、定められたのである」と書かれている。
これで分かることは、改革派教会の信仰と神学は「神の永遠の聖定」(God's eternal decree)を主張してきたからといって「第二原因」(second causes)としての「自由」(liberty)や「偶然性」(contingency)を否定してきたわけではないということである。
教会の教えは歴史の中で発展していくものである。その発展を「変化」と呼ぶことに私は躊躇がない。
我々にとってこのたびの地震と津波と原発事故と近隣住民の被ばくは、「神の御心」という言葉をもって何が何でも無理やり甘受しなければならないものではない。
そして、「神」(God)は「罪の作者」(author of sin)ではない。
この国、この時代、この状況、この地域に我々が立ち会ったことは「たまたま」であり、つまり、あくまでも「偶然」なのであって、このこと自体には何の意味も必然性もないのだと我々自身が告白することは、反キリスト教的な考えではないし、非改革派的な教えでもないのである。
私が岡山に生まれ育ったことは、全くの「偶然」である。東京と神戸で勉強したことも、高知と福岡と山梨の教会をめぐり歩いてきたことも、そしていま松戸に住んでいることも「偶然」である。そうであるならば、いま松戸がホットスポットになっているらしいことも「偶然」なのであって、そのこと自体は何の意味もないし、必然性もない。
だから、言い方は乱暴かもしれないが、逃げたい人は逃げてもいいし、とどまりたい人はとどまってもよい。どちらを選択するにせよ、そのこと自体は(たとえそれが「信仰に基づく」忠告であっても)誰から責められるべきことでもない。
我々は「偶然」から「偶然」へと、飛び石をまたぎ続けることが許されるのだ。
もちろん私も自分なりに「意味」を考えてきた。しかし公言しないできた。ブログでも、説教でも、この一点に関しては沈黙してきた。
しかし、そろそろ言ってもいいだろう。現時点での結論は「偶然」である。
私は、改革派教会が歴史の中で教え続けてきたところの「予定論」ないし「聖定論」を心から確信している者であるが、だからこそ、結論は「偶然」である。
周知のとおりハイデルベルク信仰問答(16世紀)には「天にいますわたしの父の御旨でなければ髪の毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます」(問1の答え)と書かれている。この線で考えていけば、あらゆる出来事は「神の御心」なのであって、例外はない。
しかし、ウェストミンスター信仰告白(17世紀)には、明らかに異なるニュアンスが加えられている。
ウェストミンスター信仰告白3・1には、「神は、全くの永遠から、ご自身のみ旨の最も賢くきよい計画によって、起こりくることは何事であれ、自分にしかも不変的に定められたが」と言いつつ(ここまではハイデルベルク信仰問答と同一線上に立っている)、間髪いれず、「それによって、神が罪の作者とならず、また被造物の意志に暴力が加えられることなく、また第二原因の自由や偶然性が奪い去られないで、むしろ確立されるように、定められたのである」と書かれている。
これで分かることは、改革派教会の信仰と神学は「神の永遠の聖定」(God's eternal decree)を主張してきたからといって「第二原因」(second causes)としての「自由」(liberty)や「偶然性」(contingency)を否定してきたわけではないということである。
教会の教えは歴史の中で発展していくものである。その発展を「変化」と呼ぶことに私は躊躇がない。
我々にとってこのたびの地震と津波と原発事故と近隣住民の被ばくは、「神の御心」という言葉をもって何が何でも無理やり甘受しなければならないものではない。
そして、「神」(God)は「罪の作者」(author of sin)ではない。
この国、この時代、この状況、この地域に我々が立ち会ったことは「たまたま」であり、つまり、あくまでも「偶然」なのであって、このこと自体には何の意味も必然性もないのだと我々自身が告白することは、反キリスト教的な考えではないし、非改革派的な教えでもないのである。
私が岡山に生まれ育ったことは、全くの「偶然」である。東京と神戸で勉強したことも、高知と福岡と山梨の教会をめぐり歩いてきたことも、そしていま松戸に住んでいることも「偶然」である。そうであるならば、いま松戸がホットスポットになっているらしいことも「偶然」なのであって、そのこと自体は何の意味もないし、必然性もない。
だから、言い方は乱暴かもしれないが、逃げたい人は逃げてもいいし、とどまりたい人はとどまってもよい。どちらを選択するにせよ、そのこと自体は(たとえそれが「信仰に基づく」忠告であっても)誰から責められるべきことでもない。
我々は「偶然」から「偶然」へと、飛び石をまたぎ続けることが許されるのだ。
2011年6月30日木曜日
これでもあなたはファン・ルーラーをイロモノ扱いするか
もうそろそろ、いいだろう。ひとことだけ言わせてほしいことがある。
物心つく頃からずっと探して来たのは、尊敬できる教師だ。「真の権威者」と言ってもいい。「絶対的な」服従などは、もし求められても、決してやらない。この私にそのような態度は似合わないし、いまだかつてやったことがない。隷属などは、相手が誰であれ真っ平だ。そういうのが嫌だからこそ、このご時世の中で(このご時世にもかかわらず)「神」なるものを信じてきたし、神が人に与える「自由」を信じてきた。
しかし、私が長年苦悩してきたことは、「神」は私の教師ではない、ということだ。「教師は神ではない」は正しい命題であるが、「神は教師ではない」も正しい。言葉にすれば陳腐になるが、究極的な(≠絶対的な)真理をその根拠と共に適切に提示し、納得させてもらえる教師が欲しかった。
「金八先生」とか「ごくせん」の話をしたいのではない。私がまさに物心つく頃から一度も切れ目なく関わり続けてきた「キリスト教」の話であり、「教会」の話だ。「説教」の話と言ってもいい。やや傍観者的な言い方をすれば「ぼくの日曜日をハッピーにしてくれる人」だ。「来るんじゃなかった」という暗澹たる気分ではなく、「今日はここに来ることができて、本当によかった」と感謝しながら帰宅することができる、そのような礼拝を作り上げることができる説教者だ。
こういう話をしなければならないときは、自分のことを棚に上げることが許されなければならない。「自分がそういう説教ができるようになってから言え」という弾圧に屈するつもりはない。
私には尊敬できる説教者がいなかった。「真似したい」と思える人がいなかった。何度礼拝に出席しても、言われていることに納得できなかった。それは地獄の日々だった。
何度も書いてきたつもりだが、生まれてこのかた、日曜日の礼拝を病気以外の理由で欠席したことはない。日曜日に礼拝を欠席するほどの病気にかかった正確な回数などは分からないが、ほぼ間違いなく、両手の指で数えられるくらいしかないはずだ。そういう人生を45年も続けてきたことが、ただそれだけが、私の矜持なのだ。
しかし、納得できない、分からない。論理的な筋道を追いながら聞いていると、ところどころ、耐えがたくおぞましい矛盾があり、ごまかしがあり、隠蔽があり、行きすぎた美化があり、「丸めこみ」がある。そのうち聞いていられなくなる。眠たくなってしまうのだ。
説教で重要なことは「論理」だ。笑顔でなくても、美声でなくても、原稿から目を上げて礼拝出席者の顔を見ながら語ることができなくても、そんなことはどうでもいい。論理が破綻している説教は聞けない。座っている椅子を蹴っ飛ばして退室したくなる。あの説教を聞くための時間は無駄だと、あらかじめ分かっている礼拝には、なるべく行きたくない。
愚痴が長くなった。ここから先は明るい話だ。尊敬できる教師が「見つかった」話だ。
それは、私にとってはファン・ルーラーである。やっと巡りあえた。だから、今の私は安堵している。
しかし、これまでは、オランダ国内はともかく、国際的に見れば、ファン・ルーラーの知名度は低かった。それにはさまざまな事情が絡んでいることも分かっている。多くの嫉妬を買い、妨害されてきた人でもある。その理由も、今の私なら分かる。彼の「論理」が、あまりにも魅力的だからだ。こういうふうに言えたらどんなに胸がすくかと多くの人がもどかしく感じてきたことを、躊躇なく明快に語る。こういう説教者に、私は出会ったことがなかった。しかし、その人がいた。ファン・ルーラーだ。
悔しいことが二つある。一つは、これまでの神学の多くの村民たちが、ファン・ルーラーを「イロモノ」扱いしてきたことだ。「ファンタスティックな神学者だ」などという。しかし、ファン・ルーラーの神学はとりたててファンタスティックなわけではない。彼はただ、彼の教会と彼の社会を念頭に置きながら、冷静にコツコツと学問をしているだけだ。
もう一つある。言うまでもなくファン・ルーラーのテキストは「オランダ語」なのだが、それを読みもしないで彼を批判しようとする神学者がいまだに少なくないということだ。テキストを読まずに論評するというのは、風評のようなものを根拠にして学問する態度に等しいわけだから言語道断だろう。そういうことをファン・ルーラーに関しては「してもよい」と思っているのは、彼を「イロモノ」扱いしている証拠だろうし、要するになめているのだ。
なめたければ、なめても構わない。ファン・ルーラーをこれからも「イロモノ」扱いし続けたければ、それも構わない。しかし、その態度はこれからは、その人自身の恥となるだけだ。そのうち身にしみて分かる日が来るだろう。
このような私の考えを「ファナティック」と呼びたければ、それもどうぞご自由に。尊敬できる権威者のもとに立つとは、しばしばそのようなものだ。
「あなたには尊敬できる人はいないのか」と、聞き返したい。いるんだよ。うじゃうじゃと。ヒトのことだけ言えないはずだ。
もう少しだけ核心に踏み込んでおこう。私のほうが遠慮する理由は、もはや何もない。
権威の座にある(と周囲から見られている)人が根拠薄弱なことを書き散らすとき、後進の者たちがどれくらい迷惑するかということを、丸十年以上痛感し、苦汁を飲んできた。
ただ、こちら側の根拠も薄かった。それはまるで死海文書の発見にも近いありさまで、ファン・ルーラーの「膨大な量の」未公開テキストが、宝の山のように眠っている、という話だけを聞かされていた。
だから、それらのテキストの公開を待つべきだ、ファン・ルーラーについて「本を書く」ことができるのはテキスト公開の後だ、そうでなければ学問的に無責任の謗りを免れない、ということは、我々(あえて「有識者」と自称させていただく)の間では分かっていたことであった。
ところが、つい最近も、ファン・ルーラー(彼らは「ファン・リューラー」と表記する)を大々的に取り上げた章を含む「本」を出版なさった方がいる。そこで、またしても彼は、自分自身はファン・ルーラーのオランダ語のテキストは読んでいないと断りつつ、(なんと尊大にも)“一定の評価”をした上で、批判する。
もうダメだろう。この恥知らずな態度はいつか厳しく断罪されるべきだと、私は考えている。
物心つく頃からずっと探して来たのは、尊敬できる教師だ。「真の権威者」と言ってもいい。「絶対的な」服従などは、もし求められても、決してやらない。この私にそのような態度は似合わないし、いまだかつてやったことがない。隷属などは、相手が誰であれ真っ平だ。そういうのが嫌だからこそ、このご時世の中で(このご時世にもかかわらず)「神」なるものを信じてきたし、神が人に与える「自由」を信じてきた。
しかし、私が長年苦悩してきたことは、「神」は私の教師ではない、ということだ。「教師は神ではない」は正しい命題であるが、「神は教師ではない」も正しい。言葉にすれば陳腐になるが、究極的な(≠絶対的な)真理をその根拠と共に適切に提示し、納得させてもらえる教師が欲しかった。
「金八先生」とか「ごくせん」の話をしたいのではない。私がまさに物心つく頃から一度も切れ目なく関わり続けてきた「キリスト教」の話であり、「教会」の話だ。「説教」の話と言ってもいい。やや傍観者的な言い方をすれば「ぼくの日曜日をハッピーにしてくれる人」だ。「来るんじゃなかった」という暗澹たる気分ではなく、「今日はここに来ることができて、本当によかった」と感謝しながら帰宅することができる、そのような礼拝を作り上げることができる説教者だ。
こういう話をしなければならないときは、自分のことを棚に上げることが許されなければならない。「自分がそういう説教ができるようになってから言え」という弾圧に屈するつもりはない。
私には尊敬できる説教者がいなかった。「真似したい」と思える人がいなかった。何度礼拝に出席しても、言われていることに納得できなかった。それは地獄の日々だった。
何度も書いてきたつもりだが、生まれてこのかた、日曜日の礼拝を病気以外の理由で欠席したことはない。日曜日に礼拝を欠席するほどの病気にかかった正確な回数などは分からないが、ほぼ間違いなく、両手の指で数えられるくらいしかないはずだ。そういう人生を45年も続けてきたことが、ただそれだけが、私の矜持なのだ。
しかし、納得できない、分からない。論理的な筋道を追いながら聞いていると、ところどころ、耐えがたくおぞましい矛盾があり、ごまかしがあり、隠蔽があり、行きすぎた美化があり、「丸めこみ」がある。そのうち聞いていられなくなる。眠たくなってしまうのだ。
説教で重要なことは「論理」だ。笑顔でなくても、美声でなくても、原稿から目を上げて礼拝出席者の顔を見ながら語ることができなくても、そんなことはどうでもいい。論理が破綻している説教は聞けない。座っている椅子を蹴っ飛ばして退室したくなる。あの説教を聞くための時間は無駄だと、あらかじめ分かっている礼拝には、なるべく行きたくない。
愚痴が長くなった。ここから先は明るい話だ。尊敬できる教師が「見つかった」話だ。
それは、私にとってはファン・ルーラーである。やっと巡りあえた。だから、今の私は安堵している。
しかし、これまでは、オランダ国内はともかく、国際的に見れば、ファン・ルーラーの知名度は低かった。それにはさまざまな事情が絡んでいることも分かっている。多くの嫉妬を買い、妨害されてきた人でもある。その理由も、今の私なら分かる。彼の「論理」が、あまりにも魅力的だからだ。こういうふうに言えたらどんなに胸がすくかと多くの人がもどかしく感じてきたことを、躊躇なく明快に語る。こういう説教者に、私は出会ったことがなかった。しかし、その人がいた。ファン・ルーラーだ。
悔しいことが二つある。一つは、これまでの神学の多くの村民たちが、ファン・ルーラーを「イロモノ」扱いしてきたことだ。「ファンタスティックな神学者だ」などという。しかし、ファン・ルーラーの神学はとりたててファンタスティックなわけではない。彼はただ、彼の教会と彼の社会を念頭に置きながら、冷静にコツコツと学問をしているだけだ。
もう一つある。言うまでもなくファン・ルーラーのテキストは「オランダ語」なのだが、それを読みもしないで彼を批判しようとする神学者がいまだに少なくないということだ。テキストを読まずに論評するというのは、風評のようなものを根拠にして学問する態度に等しいわけだから言語道断だろう。そういうことをファン・ルーラーに関しては「してもよい」と思っているのは、彼を「イロモノ」扱いしている証拠だろうし、要するになめているのだ。
なめたければ、なめても構わない。ファン・ルーラーをこれからも「イロモノ」扱いし続けたければ、それも構わない。しかし、その態度はこれからは、その人自身の恥となるだけだ。そのうち身にしみて分かる日が来るだろう。
このような私の考えを「ファナティック」と呼びたければ、それもどうぞご自由に。尊敬できる権威者のもとに立つとは、しばしばそのようなものだ。
「あなたには尊敬できる人はいないのか」と、聞き返したい。いるんだよ。うじゃうじゃと。ヒトのことだけ言えないはずだ。
もう少しだけ核心に踏み込んでおこう。私のほうが遠慮する理由は、もはや何もない。
権威の座にある(と周囲から見られている)人が根拠薄弱なことを書き散らすとき、後進の者たちがどれくらい迷惑するかということを、丸十年以上痛感し、苦汁を飲んできた。
ただ、こちら側の根拠も薄かった。それはまるで死海文書の発見にも近いありさまで、ファン・ルーラーの「膨大な量の」未公開テキストが、宝の山のように眠っている、という話だけを聞かされていた。
だから、それらのテキストの公開を待つべきだ、ファン・ルーラーについて「本を書く」ことができるのはテキスト公開の後だ、そうでなければ学問的に無責任の謗りを免れない、ということは、我々(あえて「有識者」と自称させていただく)の間では分かっていたことであった。
ところが、つい最近も、ファン・ルーラー(彼らは「ファン・リューラー」と表記する)を大々的に取り上げた章を含む「本」を出版なさった方がいる。そこで、またしても彼は、自分自身はファン・ルーラーのオランダ語のテキストは読んでいないと断りつつ、(なんと尊大にも)“一定の評価”をした上で、批判する。
もうダメだろう。この恥知らずな態度はいつか厳しく断罪されるべきだと、私は考えている。
2011年6月28日火曜日
鼻血が出そうです
ああ、ちょっと興奮しすぎて鼻血が出そうだ。
ついさっきのこと、ドアチャイムが鳴り、戸を開けたら「ゆうパックです」と郵便配達員。「え?何か注文したっけ。お金あるかな」と不安になりながら受けとった小包にオランダ語の文字が!
待ちに待った『A. A. ファン・ルーラー著作集』(オランダ語版)第四巻の「上」と「下」が、やっと届きました。タイトルは「キリスト、聖霊、救済」です。
内容はスゴイ、ひたすらスゴイ。筆舌に尽くしがたいものがあります。魅力的なテーマ、圧倒的な筆致。翻訳を志す者の腕が鳴る、と言いたいところですが、今度こそ心折られそうです。
敵う相手ではありえないと最初から分かっていましたが、それでも何とか数ミリでも近づきたい、ものにしたいと食らいついてきたつもりなのですが、これほどのレベルの差を見せつけられると、どうしようもない。
でもね、こうなったら、まあ、私なりの草野球を楽しむことにしますよ。そして、最後までゼッタイにあきらめない。私があきらめないことが誰かの励ましになるかもしれない。今の日本に私のような馬鹿が一人くらいいても許されるだろう。そう思うことにします。
はいはい分かりましたよ、訳しますよ。
待ってろよ、日本。見てろよ、ファン・ルーラー。
ついさっきのこと、ドアチャイムが鳴り、戸を開けたら「ゆうパックです」と郵便配達員。「え?何か注文したっけ。お金あるかな」と不安になりながら受けとった小包にオランダ語の文字が!
待ちに待った『A. A. ファン・ルーラー著作集』(オランダ語版)第四巻の「上」と「下」が、やっと届きました。タイトルは「キリスト、聖霊、救済」です。
内容はスゴイ、ひたすらスゴイ。筆舌に尽くしがたいものがあります。魅力的なテーマ、圧倒的な筆致。翻訳を志す者の腕が鳴る、と言いたいところですが、今度こそ心折られそうです。
敵う相手ではありえないと最初から分かっていましたが、それでも何とか数ミリでも近づきたい、ものにしたいと食らいついてきたつもりなのですが、これほどのレベルの差を見せつけられると、どうしようもない。
でもね、こうなったら、まあ、私なりの草野球を楽しむことにしますよ。そして、最後までゼッタイにあきらめない。私があきらめないことが誰かの励ましになるかもしれない。今の日本に私のような馬鹿が一人くらいいても許されるだろう。そう思うことにします。
はいはい分かりましたよ、訳しますよ。
待ってろよ、日本。見てろよ、ファン・ルーラー。
原発停止は「ヒステリックでポピュリズムのヒットラー」ではないと思う
原発を停止させると「ヒステリックでポピュリズムのヒットラー」だと言われなくちゃならないなら、ヒステリックでポピュリズムのヒットラーでもいいや、という気分に襲われます。でも、そういう言葉で突っかかって来る人たちの形相を見ると、彼らこそヒステリックでポピュリズムのヒットラーだよな、と実際思います。
あえて名指しすれば、石原伸晃氏は慶應義塾大学文学部、前原誠司氏は京都大学法学部の卒業生のようですが、彼ら(もしくは彼らの原稿を書いている部下たち)に「現代西洋政治思想史」を教えた教師はだれなのかを知りたいところですね。その教師たちの歴史感覚が全くダメでしょう。
谷垣禎一さんはクリスチャンだそうですね。でも、どこの教会に通っておられるのでしょうか。そういう話は聞いたことありません。政治的立場はともかく石破茂さんのほうが教会とのつながりを公言している分だけ、その面がはっきり見えるので、「議論が成り立つかも」という信頼感がありますね。
政治家が(特に宗教的な意味での)信条を貫くのが難しいことはよく分かります。ただ、私の考えはやや過激すぎるきらいがあるので公言を控えめにすべきだと自覚していますが、政治家の仕事が世のルールを作ったり変えたりすることであるならば、政治家として信条(信仰!)を貫くことができる社会にすることこそがクリスチャン政治家の仕事ではないかと思いたいのですけどね。
あえて名指しすれば、石原伸晃氏は慶應義塾大学文学部、前原誠司氏は京都大学法学部の卒業生のようですが、彼ら(もしくは彼らの原稿を書いている部下たち)に「現代西洋政治思想史」を教えた教師はだれなのかを知りたいところですね。その教師たちの歴史感覚が全くダメでしょう。
谷垣禎一さんはクリスチャンだそうですね。でも、どこの教会に通っておられるのでしょうか。そういう話は聞いたことありません。政治的立場はともかく石破茂さんのほうが教会とのつながりを公言している分だけ、その面がはっきり見えるので、「議論が成り立つかも」という信頼感がありますね。
政治家が(特に宗教的な意味での)信条を貫くのが難しいことはよく分かります。ただ、私の考えはやや過激すぎるきらいがあるので公言を控えめにすべきだと自覚していますが、政治家の仕事が世のルールを作ったり変えたりすることであるならば、政治家として信条(信仰!)を貫くことができる社会にすることこそがクリスチャン政治家の仕事ではないかと思いたいのですけどね。
2011年6月26日日曜日
「笠地蔵」さま、ありがとうございます
あれれ、昨日と今日続いたことですが、わが家に「笠地蔵」が来てくれるようになりました。
ただし現代版なので、モチは郵便ポストに届きます。しかも、そのモチにはオランダ語や英語がたくさん書いてあるんです。本の形をしていましてね。どうやらその内容はキリスト教とか神学とか、そういうことが書いてるようなんです。
でも、なんと困ったことに、そのモチが入った封筒には名前が書いてないんです。手紙も入っていない。「ありがとうございます」って、お礼が言えないじゃないですか。切手の消印は押されているので、どこで投函したかは分かるんですけどね。
でも、ほんと、たくさん送ってくださって申し訳ないです。大事にします。もちろん字の部分は読ませていただきますね。
オランダ語のモチで、もし「もう要らない」という方は、私のところに送ってくださると、とてもありがたいです。
〒270-0021 千葉県松戸市小金原7-21-11 松戸小金原教会 関口 康 (電話 047-342-1576)
ただし現代版なので、モチは郵便ポストに届きます。しかも、そのモチにはオランダ語や英語がたくさん書いてあるんです。本の形をしていましてね。どうやらその内容はキリスト教とか神学とか、そういうことが書いてるようなんです。
でも、なんと困ったことに、そのモチが入った封筒には名前が書いてないんです。手紙も入っていない。「ありがとうございます」って、お礼が言えないじゃないですか。切手の消印は押されているので、どこで投函したかは分かるんですけどね。
でも、ほんと、たくさん送ってくださって申し訳ないです。大事にします。もちろん字の部分は読ませていただきますね。
オランダ語のモチで、もし「もう要らない」という方は、私のところに送ってくださると、とてもありがたいです。
〒270-0021 千葉県松戸市小金原7-21-11 松戸小金原教会 関口 康 (電話 047-342-1576)
2011年6月22日水曜日
聖書学と教義学の関係について
聖書学と教義学の関係という問題については、ファン・ルーラー自身が書いた「聖書学との比較における教義学の方法と可能性」というドンピシャの論文があります。だいぶ前に最初のほうだけ訳しましたが、多忙にかまけて放置したままです。非常に重要な論文であることは間違いありません。
その論文に「教義学から聖書学へという順序もある」という興味深いテーゼがあります。「教義学の土台となっている聖書学」という、多くの人はおそらくこのように考えてきたであろう順序の逆、つまり「聖書学の土台となっている教義学」という順序もあるのだということをファン・ルーラーは明言しています。
実際問題として、私もそのとおりだと考えています。教義学の土台が「聖書」であることは確実ですが、しかし「聖書学」ではないと思います。「聖書学」こそが非常に独善的(ドグマティック)であることが十分にありえます。教義学は聖書学に幻惑されすぎないほうがよいと、私はファン・ルーラーを読みはじめるよりもずっと前から考えてきました。聖書学だけが進歩していて教義学はいつも後追いしているというような見方は(そのような見方がもしあるとしたら)、完全な事実誤認であるし、教義学というものをなめすぎなんです。教義学が不動で不自由な体系だったことなど、いまだかつて一度もないですよ。そう思い込んでいる人がいるとしたら、教義学をちゃんと学んだことがないんです。
教義学をさらに豊かに展開していくために、「聖書学」(≠聖書)の力を借りる必要なんか無いですよ。ていうか、そういう教義学ならば、もうずいぶん前から始まっているし、そろそろもう十分やっただろ、という域に達しつつあるんです。その典型がモルトマンですよ。モルトマンの最初期の論文は「神義論」とか「聖徒堅忍論」とかきわめて保守的な改革派教義学を題材にしたものでしたが、そこから出発して、現代の聖書学との徹底的な対話を経て、現在の彼の神学がある。たとえば日本キリスト改革派教会は、あのモルトマンの神学のようなものでやれるでしょうか。私にはとても信じがたい。
「聖書が教義学を支える」は当然の話です。しかし「聖書学が教義学を支える」という関係にはないと言っているだけです。もしそういうふうに言い張る聖書学者がいるのだとしたら(いるかどうかは知りません)、その聖書学者自身が「神学」の何たるかをそもそも誤解しているのか、そうでなければ学生たちを罠にかけているかのどちらかなんです。まさか後者ではないと信じたいので、たぶん前者なのでしょうね。困った話です。
誤解を避けるために付言すれば、「聖書が教義学を支える」と書きましたが、教義学を支えるのは聖書だけではありません。教会の伝統も、十分な意味で教義学の根拠です。それは歴史でもあり、哲学でもある。人間の理性的判断や素朴な感情、あるいは屈託ない空想や怪しげな妄想までも含みます。それらのものを排除するならば、教義学は成り立ちません。聖書テキストが明示していない事柄についても、教義学は遠慮なく踏み込み、独自の論理を展開することができます。それが禁じられるなら、教義学の存在意義はありません。
教義学の役割は、「神」をめぐるあらゆる問いや悩みをもつ人間に寄り添い、不断に対話することです。「○○という事件が起こった。△△という災害が発生した。それは神の裁きか。それは神の罰か。神とは何ものか」。このような問いを前にして、もし教義学者が「聖書に書いていないことについては沈黙する」という態度を貫くだけだとするなら、ただ愛想を尽かされるだけで、その人は二度と教義学者の部屋を訪ねようとしないでしょう。
反論や反発を予想しながら先回りして書いておきますが、「教義学を支えるのは聖書だけではない」と言うとたちまち「それはプロテスタントの聖書原理(sola scriptura)に反する」という意見が出てくる。しかし、そのまさに「プロテスタントは○○である」というテーゼこそがドグマティックなものです。もし聖書学者が「プロテスタントは『聖書のみ』である」というドグマを暗黙の前提にしながら自説を展開するならば、皮肉なことに、その聖書学者は悪い意味での独善論者に陥っているのです。
それに、これは前にも書いたことがありますが、プロテスタントの聖書原理(sola scriptura)そのものは、なんら単独で立っているわけではなく、「恵みのみ」(sola gratia)や「信仰のみ」(sola fidei)などと共に立っています。面白いことに、プロテスタントには「のみ」(solo)が、最低でも三つもあるんです。数学的論理に立つとすれば、「のみ」は一つでなければならないはずですがね。しかも、これら三つの「のみ」は互いに緊張関係にある。一元化できないんです。こういう矛盾を楽しむところに教義学の面白さがあるんじゃないでしょうか。
その論文に「教義学から聖書学へという順序もある」という興味深いテーゼがあります。「教義学の土台となっている聖書学」という、多くの人はおそらくこのように考えてきたであろう順序の逆、つまり「聖書学の土台となっている教義学」という順序もあるのだということをファン・ルーラーは明言しています。
実際問題として、私もそのとおりだと考えています。教義学の土台が「聖書」であることは確実ですが、しかし「聖書学」ではないと思います。「聖書学」こそが非常に独善的(ドグマティック)であることが十分にありえます。教義学は聖書学に幻惑されすぎないほうがよいと、私はファン・ルーラーを読みはじめるよりもずっと前から考えてきました。聖書学だけが進歩していて教義学はいつも後追いしているというような見方は(そのような見方がもしあるとしたら)、完全な事実誤認であるし、教義学というものをなめすぎなんです。教義学が不動で不自由な体系だったことなど、いまだかつて一度もないですよ。そう思い込んでいる人がいるとしたら、教義学をちゃんと学んだことがないんです。
教義学をさらに豊かに展開していくために、「聖書学」(≠聖書)の力を借りる必要なんか無いですよ。ていうか、そういう教義学ならば、もうずいぶん前から始まっているし、そろそろもう十分やっただろ、という域に達しつつあるんです。その典型がモルトマンですよ。モルトマンの最初期の論文は「神義論」とか「聖徒堅忍論」とかきわめて保守的な改革派教義学を題材にしたものでしたが、そこから出発して、現代の聖書学との徹底的な対話を経て、現在の彼の神学がある。たとえば日本キリスト改革派教会は、あのモルトマンの神学のようなものでやれるでしょうか。私にはとても信じがたい。
「聖書が教義学を支える」は当然の話です。しかし「聖書学が教義学を支える」という関係にはないと言っているだけです。もしそういうふうに言い張る聖書学者がいるのだとしたら(いるかどうかは知りません)、その聖書学者自身が「神学」の何たるかをそもそも誤解しているのか、そうでなければ学生たちを罠にかけているかのどちらかなんです。まさか後者ではないと信じたいので、たぶん前者なのでしょうね。困った話です。
誤解を避けるために付言すれば、「聖書が教義学を支える」と書きましたが、教義学を支えるのは聖書だけではありません。教会の伝統も、十分な意味で教義学の根拠です。それは歴史でもあり、哲学でもある。人間の理性的判断や素朴な感情、あるいは屈託ない空想や怪しげな妄想までも含みます。それらのものを排除するならば、教義学は成り立ちません。聖書テキストが明示していない事柄についても、教義学は遠慮なく踏み込み、独自の論理を展開することができます。それが禁じられるなら、教義学の存在意義はありません。
教義学の役割は、「神」をめぐるあらゆる問いや悩みをもつ人間に寄り添い、不断に対話することです。「○○という事件が起こった。△△という災害が発生した。それは神の裁きか。それは神の罰か。神とは何ものか」。このような問いを前にして、もし教義学者が「聖書に書いていないことについては沈黙する」という態度を貫くだけだとするなら、ただ愛想を尽かされるだけで、その人は二度と教義学者の部屋を訪ねようとしないでしょう。
反論や反発を予想しながら先回りして書いておきますが、「教義学を支えるのは聖書だけではない」と言うとたちまち「それはプロテスタントの聖書原理(sola scriptura)に反する」という意見が出てくる。しかし、そのまさに「プロテスタントは○○である」というテーゼこそがドグマティックなものです。もし聖書学者が「プロテスタントは『聖書のみ』である」というドグマを暗黙の前提にしながら自説を展開するならば、皮肉なことに、その聖書学者は悪い意味での独善論者に陥っているのです。
それに、これは前にも書いたことがありますが、プロテスタントの聖書原理(sola scriptura)そのものは、なんら単独で立っているわけではなく、「恵みのみ」(sola gratia)や「信仰のみ」(sola fidei)などと共に立っています。面白いことに、プロテスタントには「のみ」(solo)が、最低でも三つもあるんです。数学的論理に立つとすれば、「のみ」は一つでなければならないはずですがね。しかも、これら三つの「のみ」は互いに緊張関係にある。一元化できないんです。こういう矛盾を楽しむところに教義学の面白さがあるんじゃないでしょうか。
聖書学の成果を組織神学者は神学の発展に生かしているか
本日のことですが、一人の親しい先生からファン・ルーラーについてのご質問をいただきましたので、それにお答えしました。スカイプのチャット上のやりとりなので、文体はやや雑ではありますが、もしかしたら多くの方々が疑問に思っておられることかもしれませんので、質問者の許可を得て、ブログに公開させていただきます(公開用に若干編集しました)。
【質問】
聖霊論を論じた神学者は数々いますが、例えばファン・ルーラーの場合、バルトを超えようとした背景があると聞いています。他の神学者も、何かしらの背景は当然あります。
私が最近疑問に思っていることは、例えばファン・ルーラーなどの組織神学者が聖書学・聖書神学の発展をきちんと有効活用しているのかどうかです。言い換えれば、聖書学・聖書神学がきちんと組織神学に生きているのかどうかという単純な疑問です。もし私が誰かに聞かれたら、あれこれと周辺的なことを答えると思いますが、きっとストレートに答えられないと思います。
たとえばファン・ルーラーだったら、その時代の(あるいは彼が依拠した)聖書学・聖書神学のどの部分が彼の聖霊論の発展に貢献したのか。その点、関口先生はどんなふうにお考えになっているか質問をさせてください。
何となく最近の聖書学の進歩をあまり活用せず、過去の聖書学・聖書神学にたっている気がするのです。例えばファン・ルーラーが聖霊論を発展させたといっても、その発展のきっかけになっているのが聖書学・聖書神学ではなく、神学者のライバルだったり、時代の政治家だったり、それは正しく悪いことではないのですが、そればっかりのようなところが気になるのです。
【回答】
私はファン・ルーラーのことしか答えられませんが、彼の博士論文『律法の成就』(副題:神の啓示と現実存在との関係についての教義学的研究。出版年1947年)のほぼ半分(ページ数)は、純粋に聖書学・聖書神学的な考察です。
また、ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部でいちばん最初に教えたのは聖書学(旧約聖書学)でした。そして、その成果としてまとめられたのが、邦訳もある『キリスト教会と旧約聖書』です。
ファン・ルーラーの場合、確かに「バルト越え」の要素があると言えばありますが、これについては正確に理解していただく必要があります。
(1)ファン・ルーラーが子どもの頃から通っていた教会に赴任してきた若い牧師ハイチェマこそが、オランダ国内でいちばん最初にバルトにかぶれた神学者だった。そのハイチェマ牧師の影響をファン・ルーラーはギムナジウム時代に受けた。なぜならファン・ルーラーの信仰告白準備会(カテキズム)をハイチェマが担当したから。しかし、ハイチェマはその後、その教会を辞任し、フローニンゲン大学神学部の教授になる。
(2)幼い頃から「牧師になりたかった」ファン・ルーラーがギムナジウムを卒業してすぐに入学したフローニンゲン大学神学部の教義学の教授がハイチェマだった。それでファン・ルーラーは引き続き「バルトかぶれの」ハイチェマの影響下で神学教育を受ける。
(3)しかし、ファン・ルーラーはフローニンゲン大学を卒業後、牧師になってから、「ん?どうも変だな」とハイチェマを、そしてハイチェマの背後にいるバルトを疑いはじめる。バルトでは教会の現場の問題が解決しないと気づく。
(4)しかし、自分を教えた神学部の教授たちは「バルト狂」ばっかり。それで仕方なく、ファン・ルーラーは独学を始めた。孤独な独自研究によって新しい道を切り開かざるをえなかった、
というわけです。
しかし、ファン・ルーラーの「独学」は、実に徹底的でした。組織神学において徹底的だっただけではなく、聖書学においても徹底的でした。
『キリスト教会と旧約聖書』の日本語版はぜひとも購入して読んでいただきたいのですが、オランダの著名な旧約聖書学者フリーゼンも評価したことで知られる、非常に純粋で高度な聖書学論文です。ファン・ルーラーは、ヘブライ語とギリシア語がずば抜けてよくできましたし、フォン・ラートなども読み抜いていました。
『キリスト教会と旧約聖書』のテーマは、ある意味でものすごく単純なものです。要するに「旧約聖書をキリスト教会の書物として読みつつ、しかし同時に、旧約聖書を旧約聖書として読むとはどういうことか」を問うものだと言ってよいです。バルトのように「イエス・キリスト」というただ一点をめざすことだけが目標であるような書物として旧約聖書をとらえるのか、それとも、そうでないのか。
ただし、このコンテキストで登場するバルトは、ファン・ルーラーにとっては「ライバルだから叩く」という意図をもつ引用ではありません。「変なことを言ってるおっさん(バルト)がいるけど、あんまり気にしないでね」と、学生たちを諭しているだけです。
というわけで、本当に私はファン・ルーラーのことしかお答えできませんが、お尋ねくださった「聖書学の成果を組織神学者は神学の発展に生かしているか」という問いに対しては、ファン・ルーラーに限っては「ご心配なく!」と断言できると思っています。
何度もしつこく書くようですが、とにかく『キリスト教会と旧約聖書』読んでみてください。あの本が分からないと、ファン・ルーラーは分からない。それくらい重要かつ貴重な本です。
ファン・ルーラーに組織神学と聖書神学との両方の講義や著書があることについても、一応説明しておきます。
ファン・ルーラーの時代の正確な情報はつかみ切れていませんので若干憶測が交じりますが、彼らの場合、国立大学の神学部の中に「旧約聖書の教授」や「新約聖書の教授」がいても、それはもう純粋に歴史的・批評的・学問的な見地からのそれで、カトリックもプロテスタントもないし、一部はキリスト教かどうかさえ分からない面もあったかもしれない。
でも、そのような中でファン・ルーラーは「オランダ改革派教会担当教授」という肩書きを与えられて、教義学も倫理学も弁証学も、旧約聖書学も新約聖書学も、説教学も宣教学も礼拝学も、教会規程もカテキズムも教える教授だったんです。それはファン・ルーラーだけがそうだったわけではなく、ファン・ルーラーの頃からイミンク先生あたりまで続いた、長い間の制度でした。
この「オランダ改革派教会担当教授」という役職(ポスト)は、学問でのし上がってきたような人が就く所ではなく、オランダ改革派教会の大会が選挙でえらぶ純粋に「教会的な」教授職だったので、大学の教授会では「疎ましい」存在だったんです。だから、ファン・ルーラーもユトレヒト大学で教えはじめた最初の頃に「教授会の全員から無視される」という陰湿な仕打ちを受けたと、ファン・ルーラーの伝記(短い論文ですが)に書いてあります。
【質問】
聖霊論を論じた神学者は数々いますが、例えばファン・ルーラーの場合、バルトを超えようとした背景があると聞いています。他の神学者も、何かしらの背景は当然あります。
私が最近疑問に思っていることは、例えばファン・ルーラーなどの組織神学者が聖書学・聖書神学の発展をきちんと有効活用しているのかどうかです。言い換えれば、聖書学・聖書神学がきちんと組織神学に生きているのかどうかという単純な疑問です。もし私が誰かに聞かれたら、あれこれと周辺的なことを答えると思いますが、きっとストレートに答えられないと思います。
たとえばファン・ルーラーだったら、その時代の(あるいは彼が依拠した)聖書学・聖書神学のどの部分が彼の聖霊論の発展に貢献したのか。その点、関口先生はどんなふうにお考えになっているか質問をさせてください。
何となく最近の聖書学の進歩をあまり活用せず、過去の聖書学・聖書神学にたっている気がするのです。例えばファン・ルーラーが聖霊論を発展させたといっても、その発展のきっかけになっているのが聖書学・聖書神学ではなく、神学者のライバルだったり、時代の政治家だったり、それは正しく悪いことではないのですが、そればっかりのようなところが気になるのです。
【回答】
私はファン・ルーラーのことしか答えられませんが、彼の博士論文『律法の成就』(副題:神の啓示と現実存在との関係についての教義学的研究。出版年1947年)のほぼ半分(ページ数)は、純粋に聖書学・聖書神学的な考察です。
また、ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部でいちばん最初に教えたのは聖書学(旧約聖書学)でした。そして、その成果としてまとめられたのが、邦訳もある『キリスト教会と旧約聖書』です。
ファン・ルーラーの場合、確かに「バルト越え」の要素があると言えばありますが、これについては正確に理解していただく必要があります。
(1)ファン・ルーラーが子どもの頃から通っていた教会に赴任してきた若い牧師ハイチェマこそが、オランダ国内でいちばん最初にバルトにかぶれた神学者だった。そのハイチェマ牧師の影響をファン・ルーラーはギムナジウム時代に受けた。なぜならファン・ルーラーの信仰告白準備会(カテキズム)をハイチェマが担当したから。しかし、ハイチェマはその後、その教会を辞任し、フローニンゲン大学神学部の教授になる。
(2)幼い頃から「牧師になりたかった」ファン・ルーラーがギムナジウムを卒業してすぐに入学したフローニンゲン大学神学部の教義学の教授がハイチェマだった。それでファン・ルーラーは引き続き「バルトかぶれの」ハイチェマの影響下で神学教育を受ける。
(3)しかし、ファン・ルーラーはフローニンゲン大学を卒業後、牧師になってから、「ん?どうも変だな」とハイチェマを、そしてハイチェマの背後にいるバルトを疑いはじめる。バルトでは教会の現場の問題が解決しないと気づく。
(4)しかし、自分を教えた神学部の教授たちは「バルト狂」ばっかり。それで仕方なく、ファン・ルーラーは独学を始めた。孤独な独自研究によって新しい道を切り開かざるをえなかった、
というわけです。
しかし、ファン・ルーラーの「独学」は、実に徹底的でした。組織神学において徹底的だっただけではなく、聖書学においても徹底的でした。
『キリスト教会と旧約聖書』の日本語版はぜひとも購入して読んでいただきたいのですが、オランダの著名な旧約聖書学者フリーゼンも評価したことで知られる、非常に純粋で高度な聖書学論文です。ファン・ルーラーは、ヘブライ語とギリシア語がずば抜けてよくできましたし、フォン・ラートなども読み抜いていました。
『キリスト教会と旧約聖書』のテーマは、ある意味でものすごく単純なものです。要するに「旧約聖書をキリスト教会の書物として読みつつ、しかし同時に、旧約聖書を旧約聖書として読むとはどういうことか」を問うものだと言ってよいです。バルトのように「イエス・キリスト」というただ一点をめざすことだけが目標であるような書物として旧約聖書をとらえるのか、それとも、そうでないのか。
ただし、このコンテキストで登場するバルトは、ファン・ルーラーにとっては「ライバルだから叩く」という意図をもつ引用ではありません。「変なことを言ってるおっさん(バルト)がいるけど、あんまり気にしないでね」と、学生たちを諭しているだけです。
というわけで、本当に私はファン・ルーラーのことしかお答えできませんが、お尋ねくださった「聖書学の成果を組織神学者は神学の発展に生かしているか」という問いに対しては、ファン・ルーラーに限っては「ご心配なく!」と断言できると思っています。
何度もしつこく書くようですが、とにかく『キリスト教会と旧約聖書』読んでみてください。あの本が分からないと、ファン・ルーラーは分からない。それくらい重要かつ貴重な本です。
ファン・ルーラーに組織神学と聖書神学との両方の講義や著書があることについても、一応説明しておきます。
ファン・ルーラーの時代の正確な情報はつかみ切れていませんので若干憶測が交じりますが、彼らの場合、国立大学の神学部の中に「旧約聖書の教授」や「新約聖書の教授」がいても、それはもう純粋に歴史的・批評的・学問的な見地からのそれで、カトリックもプロテスタントもないし、一部はキリスト教かどうかさえ分からない面もあったかもしれない。
でも、そのような中でファン・ルーラーは「オランダ改革派教会担当教授」という肩書きを与えられて、教義学も倫理学も弁証学も、旧約聖書学も新約聖書学も、説教学も宣教学も礼拝学も、教会規程もカテキズムも教える教授だったんです。それはファン・ルーラーだけがそうだったわけではなく、ファン・ルーラーの頃からイミンク先生あたりまで続いた、長い間の制度でした。
この「オランダ改革派教会担当教授」という役職(ポスト)は、学問でのし上がってきたような人が就く所ではなく、オランダ改革派教会の大会が選挙でえらぶ純粋に「教会的な」教授職だったので、大学の教授会では「疎ましい」存在だったんです。だから、ファン・ルーラーもユトレヒト大学で教えはじめた最初の頃に「教授会の全員から無視される」という陰湿な仕打ちを受けたと、ファン・ルーラーの伝記(短い論文ですが)に書いてあります。
2011年6月21日火曜日
ペンネームが欲しい
気が散っている証拠だと思いますが、このところ妙な考えがいろいろと浮かんできます。昨夜アップした「短編小説」も大混乱状態の表れだと見ていただけば、そのとおりですから。
ちなみに、昨日は「東関東中会 東日本大震災被災教会緊急支援特別委員会」でした。書記を仰せつかっているので、連日メールのラッシュです。
朝早くから起きて議案書作成。とんでもなく分厚くなった書類のホッチキスどめが終わったのが午後四時頃でした。
すぐに自動車に飛び乗って、会議が行なわれる稲毛海岸教会(千葉市)まで、高速を使っても約一時間半の道を、捕まらない程度のスピードでぶっ飛ばす。夕食は、会場近くのセブンイレブンで買った380円の幕の内弁当を、車内で食べました。
会議の開始は午後六時。出席者は12名。午後十時近くまでやっていました。帰宅は深夜零時過ぎ。家族は就寝後でした。
でも、これしき、まさか苦労でも何でもありません。大震災(地震、津波、原発事故)の被災地の方々に、ほんの少しでもお役に立ちたいと願う一心です。
しかし、こういうとき、自分がどういうバランス感覚の持ち主なのかは評価しづらいのですが、とにかくなんやかんやと書きたくなるところがあって困ります。
まあ、もちろんね、こういうときはたわいない(「他愛無い」は当て字ですよと辞書にかいてあります)ことしか書けないのですが、あのね、「他愛」(たあい)のあることなんか書けるかよ、というか、そういうこと(他愛のあること)を書きうる時間が残されていることを「ひま」と言うのであって、そういうことを書くこと自体が「仕事」だろ、と言いたくなります。
でも、そう、たわいないことを書きたいときのペンネームが欲しくなりますね、こういうときは。
先週火曜日から木曜日までは浜名湖畔の研修施設で二泊三日の缶詰会議でしたが、八か月ぶりに会った人たちから口々に「太った、太った」の大合唱。
ちっ、あのね、その人たちにも言いましたが、私の45年の人生の中で痩せてたときなんて数分も無いんだってーの。何を言われてんだか分かんないのですよ、実際問題としてね。通り魔に遭った気分ですね。
それはともかくね、傍目から見ると(八か月前より)太ったらしいので、「肉口 康」とか「肉 愚痴屋 寿司」とかね、そういうペンネームもいいかなと、冷や汗をたらしながら、朝から考えているところです。
もう、どうでもいいや。
先々週からカラ咳止まらんしね(放射能の影響でないことだけを望む)。今日も書類の山との戦いです。どれくらい減らせるんでしょうか。げほんげほん。
ちなみに、昨日は「東関東中会 東日本大震災被災教会緊急支援特別委員会」でした。書記を仰せつかっているので、連日メールのラッシュです。
朝早くから起きて議案書作成。とんでもなく分厚くなった書類のホッチキスどめが終わったのが午後四時頃でした。
すぐに自動車に飛び乗って、会議が行なわれる稲毛海岸教会(千葉市)まで、高速を使っても約一時間半の道を、捕まらない程度のスピードでぶっ飛ばす。夕食は、会場近くのセブンイレブンで買った380円の幕の内弁当を、車内で食べました。
会議の開始は午後六時。出席者は12名。午後十時近くまでやっていました。帰宅は深夜零時過ぎ。家族は就寝後でした。
でも、これしき、まさか苦労でも何でもありません。大震災(地震、津波、原発事故)の被災地の方々に、ほんの少しでもお役に立ちたいと願う一心です。
しかし、こういうとき、自分がどういうバランス感覚の持ち主なのかは評価しづらいのですが、とにかくなんやかんやと書きたくなるところがあって困ります。
まあ、もちろんね、こういうときはたわいない(「他愛無い」は当て字ですよと辞書にかいてあります)ことしか書けないのですが、あのね、「他愛」(たあい)のあることなんか書けるかよ、というか、そういうこと(他愛のあること)を書きうる時間が残されていることを「ひま」と言うのであって、そういうことを書くこと自体が「仕事」だろ、と言いたくなります。
でも、そう、たわいないことを書きたいときのペンネームが欲しくなりますね、こういうときは。
先週火曜日から木曜日までは浜名湖畔の研修施設で二泊三日の缶詰会議でしたが、八か月ぶりに会った人たちから口々に「太った、太った」の大合唱。
ちっ、あのね、その人たちにも言いましたが、私の45年の人生の中で痩せてたときなんて数分も無いんだってーの。何を言われてんだか分かんないのですよ、実際問題としてね。通り魔に遭った気分ですね。
それはともかくね、傍目から見ると(八か月前より)太ったらしいので、「肉口 康」とか「肉 愚痴屋 寿司」とかね、そういうペンネームもいいかなと、冷や汗をたらしながら、朝から考えているところです。
もう、どうでもいいや。
先々週からカラ咳止まらんしね(放射能の影響でないことだけを望む)。今日も書類の山との戦いです。どれくらい減らせるんでしょうか。げほんげほん。
短編小説「腹が立つほど楽しい毎日」
今日一日、私はどのように過ごしたでしょうか。
午前中ずっと布団の中にいました。もうとにかく、こんこんと。目覚まし時計の爆音も聞こえないほどに。あはは、目覚まし時計、一個も持っていませんけどね。
しかし、そのあいだ、ひたすら考え続けました。眠っているときの私が最も哲学者なのです。「学問は人が何もしていないときこそ進歩する」と誰が書いていたかは忘れました。
アルコールは飲みません、全くね。ついでにいえば、入眠剤も飲まない。かわりに口にするのは、ひたすらウーロン茶です。一日二リットル、毎日二リットル。私のからだから福建省の香りがすると、よく言われます。
水がわりです。水は放射能で汚染されているからです。蛇口から出てくるものは常に毒薬です。
起きたのは午後一時でした。最初にしたことは欠伸です。次にしたことは背伸びです。その次は大便。
それから風呂に入りました。丸一時間、湯ぶねで泳いでいました。死ぬほど生ぬるいんですけどね。だって、夜じゅうポタポタと、蛇口から毒薬が落ち続けていましたから。握力が弱いんです。だから水道代が毎月高い。
パソコンの電源ボタンを押したのは午後三時でした。その直前にコンビニまで自動車を走らせて、「しゃきしゃきレタス」サンドイッチと、サラダと、「焙煎ごま」ドレッシングと、またウーロン茶を買ってきて、それらを頬張り、がぶ飲みしながらアルファベットばかりの初期画面を眺めていました。
そして何をしたか。何もしませんでした。メールは一通も来ませんでした。来るはずないじゃないですか。だって、世のため人のために働いてないんだもの。だれも私に期待していない。期待されても困るんです。だって、何もできないんだもの。
気が付いたら午後七時でした。テレビをつけました。また放射能の話です。怖くなったので、すぐに消しました。
しんとした室内に「ごそごそ」というおぞましい音が響きました。どうやら鼠が住んでいるんです。まあ、でも天井裏にいてくれるので、私の人生にはとりあえず関係ありません。家族の一員だとは思わないけど、死んでほしいとも思わない。「どうぞ、ご自由に。」
元気が出てきたのは午後十時を過ぎる頃でした。これから何をなすべきかと、卸したての大学ノートを開き、鉛筆の先をなめました。おっと、こういう場合は消しゴムが必要だよね、と急に思い立ち、またコンビニまで自動車を走らせました。書斎の机のうえには、ノートと、消しゴムと、命より大切な一枚の写真。
こんな感じの充実した一日でした。だれにも会わず、何もしませんでした。
おやすみなさい。さようなら。
(必ず誤解する人がいるので一応書いておきますが、フィクションですからね、これは。ここ数日、仕事の合間に村上春樹さんの小説を読んでいるので、ちょっとだけ触発されました。そろそろ病気かもしれません。)
午前中ずっと布団の中にいました。もうとにかく、こんこんと。目覚まし時計の爆音も聞こえないほどに。あはは、目覚まし時計、一個も持っていませんけどね。
しかし、そのあいだ、ひたすら考え続けました。眠っているときの私が最も哲学者なのです。「学問は人が何もしていないときこそ進歩する」と誰が書いていたかは忘れました。
アルコールは飲みません、全くね。ついでにいえば、入眠剤も飲まない。かわりに口にするのは、ひたすらウーロン茶です。一日二リットル、毎日二リットル。私のからだから福建省の香りがすると、よく言われます。
水がわりです。水は放射能で汚染されているからです。蛇口から出てくるものは常に毒薬です。
起きたのは午後一時でした。最初にしたことは欠伸です。次にしたことは背伸びです。その次は大便。
それから風呂に入りました。丸一時間、湯ぶねで泳いでいました。死ぬほど生ぬるいんですけどね。だって、夜じゅうポタポタと、蛇口から毒薬が落ち続けていましたから。握力が弱いんです。だから水道代が毎月高い。
パソコンの電源ボタンを押したのは午後三時でした。その直前にコンビニまで自動車を走らせて、「しゃきしゃきレタス」サンドイッチと、サラダと、「焙煎ごま」ドレッシングと、またウーロン茶を買ってきて、それらを頬張り、がぶ飲みしながらアルファベットばかりの初期画面を眺めていました。
そして何をしたか。何もしませんでした。メールは一通も来ませんでした。来るはずないじゃないですか。だって、世のため人のために働いてないんだもの。だれも私に期待していない。期待されても困るんです。だって、何もできないんだもの。
気が付いたら午後七時でした。テレビをつけました。また放射能の話です。怖くなったので、すぐに消しました。
しんとした室内に「ごそごそ」というおぞましい音が響きました。どうやら鼠が住んでいるんです。まあ、でも天井裏にいてくれるので、私の人生にはとりあえず関係ありません。家族の一員だとは思わないけど、死んでほしいとも思わない。「どうぞ、ご自由に。」
元気が出てきたのは午後十時を過ぎる頃でした。これから何をなすべきかと、卸したての大学ノートを開き、鉛筆の先をなめました。おっと、こういう場合は消しゴムが必要だよね、と急に思い立ち、またコンビニまで自動車を走らせました。書斎の机のうえには、ノートと、消しゴムと、命より大切な一枚の写真。
こんな感じの充実した一日でした。だれにも会わず、何もしませんでした。
おやすみなさい。さようなら。
(必ず誤解する人がいるので一応書いておきますが、フィクションですからね、これは。ここ数日、仕事の合間に村上春樹さんの小説を読んでいるので、ちょっとだけ触発されました。そろそろ病気かもしれません。)
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