2011年5月6日金曜日

イラク戦争についての「クリスチャン同盟」(オランダ)の公式見解

2003年3月20日木曜日

武力手段を伴うイラクに対する強制的武装解除が、今夜開始されました。外交的努力は失敗に終わり、サダム・フセイン自ら、究極的最後通告を下に置いたため、残念ながら、戦争は明らかに回避不可能になりました。

この時点でのわれわれの思いは、特にイラクの国民に対して向けられています。クリスチャン同盟(ChristenUnie)は、一般市民の犠牲者をできるだけ出さないこと、また、この行為がすみやかに終結されることを望み、かつ祈ります。

われわれは頭と心をもって共に生きており、この軍事行動にかかわる兵士たちとその家族と共に生きています。

もちろんわれわれは、国際的テロリズムとの戦闘に寄与したアフガニスタンにおけるオランダ人兵士たちや、その国民をイラクの不測のロケット攻撃から防御しなければならなかったトルコにおけるオランダ人兵士たちのことも思い起こします。

この武装解除行為をもってイラク国民が自由にされること、そこに真の平和と安定が訪れ、国際正義が開花することこそが、われわれの切なる望みであり、祈りです。クリスチャン同盟は、オランダがイラク難民の救助活動を支援し、かつ戦後の国家再建に寄与することこそが非常に重要である、と考えています。

クリスチャン同盟下院議員団

2003年3月19日水曜日

「われわれは、誰も望んでいない戦争の前夜に立っている」。そのようにブッシュ大統領は演説しました。

まさしくそのとおりです。同時にわれわれは、サダム・フセインのような独裁者がその中で思いのままに振舞うことができないような安全な国際社会を望んでいます。

これらのことは、常に調和するものではありません。キリスト教同盟は、奇跡が起こることを祈っています。しかし、戦争は、残念ながら回避できないものになったようです。

米英によるイラク攻撃は、正当化されるものでしょうか。クリスチャン同盟は、この難しい問いについて、3月18日の火曜日に一つの答えを出さなければなりませんでした。

それは容易ではありませんでした。それどころか、非常に難しいものでした。

戦争は恐ろしいものです。サダム・フセインは12年にわたってイラクを平和的なやり方で武装解除すべきでしたが、この時までそのことを拒んできました。イラクは中東ならびに全世界の平和にとっての危険です。

そのため、われわれの考えでは、国連第 1441号決議が最終手段としての軍事的介入の法的根拠です。アンドレ・ルーフート党議員団長は、下院での議論の中で、クリスチャン同盟の立場をまとめて説明しています。

原文はクリスチャン同盟(CU)ホームページ掲載

(関口 康訳)

イラク戦争についての「キリスト教民主同盟」(オランダ)の公式見解

バルケネンデ首相が2003年3月20日の対イラク戦闘行為開始後に発表した談話

関口 康訳

今夜、米国、英国、オーストラリアは、サダム・フセイン政権に対する戦闘行為を開始しました。それはわれわれが非常に長い間できるだけ防ぎたいと願ってきたことです。この戦争については、国際的にも、我が国の中でも、異なる思いがあります。オランダに住む非常に多くの人々はサダム・フセインに対して武器をとることを擁護すべきかどうかという問いと格闘しています。戦争は激しい感情を呼び起こします。わたしはそのことを理解しています。

だれもが平和で安全な世界を求めています。人々は、政治においても社会においても、平和で安全な世界のために労し、またそのために祈っています。

平和とは傷つきやすいものです。一つの政権が長期にわたって脅迫と恐怖政治の道を選んできたことは明白です。国際社会は、国際協定に我慢と忍耐を要求し、脅迫を取り除くことを試みているのです。

我慢強いことは立派なことでありえます。しかし、限度が無いわけではありません。なぜなら、そのとき、正義と平和の根拠が危機に瀕するからです。

サダム・フセインは、正義と平和にとって大きな危険です。この点では、世界のほとんどすべての国が一致しています。

彼は二度にわたって隣国を襲撃しました。彼は隣国に対して 、また自国に住むクルド人たちに対して、化学兵器を使用しました。非常に多くの人々が、彼の恐怖政治の犠牲者になりました。そして彼は、国際社会が繰り返し彼とかわしてきた協定を真剣に受け止めませんでした。

国際連合は、12年もの間サダム・フセインに対し、何よりまず、自ら武装解除することを呼びかけてきました。国際社会は、12年間の長きにわたる我慢と根気強さとをもって、その解決のために働きかけてきました。国連の安全保障理事会は、彼に協力してもらうために17の決議を採択しました。

昨年11月には、第1441号決議をもって、最後のチャンスを彼に提供しました。その決議は直接的な協力を求めるものであり、それ以外の場合は深刻な結果がもたらされるであろうというものでした。そしてサダムは、耳を傾けることを再び拒否しました。彼は今なお、大量の生物化学兵器が備蓄されている場所を申告していないのです。

われわれは、国際連合という方法によって解決を見出すために、あらゆることをしてきました。しかし、その方法は―12年間付き合った後―今週で終わりを迎えました。

これまでに多くの人々が国際法秩序の重要性について指摘してきました。そして、その指摘は正当なものです。しかし、その法秩序にとってふさわしいことは、正義を長年にわたって堂々と踏みにじってきた人々が際限なく無罪放免されるわけではない、ということでもあるのです。

そのため、オランダは、サダム・フセインに対抗すべく開始された戦闘行為に政治的支援を与えます。自由と安全こそが最高の目的なのです(そして、それはイラク国民自身にとっての自由と安全でもあります)。

オランダに軍事協力を行う意思はありません。オランダ人男女を戦場に投入するとすれば、それは議会や社会の中に幅広い支持があった場合に限られます。

今や戦闘行為は開始されました。しかし(願わくば即座に)武器の音が鳴り止む時が来ます。そのときわれわれは、イラクに住む人々を彼らの国の再建をもって助けるために、われわれの資力をみんなで用いていかねばなりません。

今日起こった出来事は、われわれすべての者たちに強い印象を与えました。われわれの心と頭は、このことで一杯です。誰もがそれを、それぞれの仕方で注視しました。われわれが自らの見方や意見を互いに分かち合うことが大切です。それが効果的でありえます。感情的にもなりえます。しかし、他者の意見を尊重することが常に大切です。なぜなら、この尊重こそが、われわれの民主主義の根拠だからです。

われわれは島国ではなく低地(ネーデルラント)で生活しています。国際的な緊張の時代には用心が必要です。政府は人々の安全のために予防措置を講じ、打ち立て、オランダにおける予測をできるかぎり確かなものにしてきました。絶対的な確かさを確保することは、われわれのような開かれた社会においては不可能です。しかし、可能な限りの措置は取りました。

今やわれわれの思いは、何よりもまず、イラク国内と周囲にいる人々の傍らにあります。そして、もちろん、この戦争行為にかかわる人々の家族の傍らにもあります。わたしは、武力行使についてはすみやかに終わりを迎えてほしいと、全身全霊から望んでいます。罪なき人の命を大切にすること。そして、危害を限定することです。

平和と安全、それと共に、われわれにとってより良き未来がもたらされることだけを、わたしは望んでいます。

キリスト教民主同盟(CDA)ホームページ掲載


ニューブランズウィック神学校教授会の「四旬節にあたってのジョージ=ブッシュ大統領への書簡」

(これは、2003年3月20日イラク戦争勃発の直後に米国ニューブランズウィック神学校教授会が発表したブッシュ大統領宛の書簡です。市川康則氏(神戸改革派神学校教授)と田上雅徳氏(慶應義塾大学法学部助教授)の共訳で、キリスト新聞2003年4月14日付に掲載されました。)



大統領閣下



大統領閣下、わたくしどもは閣下がキリスト者としての信念を堅く持っていらっしゃることを、よく存じ上げております。それゆえわたくしどもは閣下を、アメリカ大統領としてだけでなく、信仰と洗礼と希望においてわたくしどもと結ばれたひとりの兄弟(エフェソ4:5)としても思い浮かべながら、以下、謹んで申し上げることにいたします。わたくしどもは良きアメリカ国民として、同胞の安全および世界の諸国民の解放について、深い関心を閣下と共にするものであります。わが国が安全と平和を達成し、世界中の人々が男であれ女であれ人権を享受するに至る最も確かな道は、わたくしどもキリスト者が諸国民の主にして平和の君と恭しく呼ぶお方によって示されている、キリスト者としてわたくしどもはそう確信しております。閣下、閣下は神によって強大な権力を委ねられており、それはおそらく、人類がこれまで誰一人として知ることのなかったものでありましょう。それゆえわたくしどもはこの四旬節にあたり祈ります。わたくしどもの主がより大いなる力を行使したもうこと、そのことを閣下が思い起こされますように。そしてまた、ここで想起されたことが、御自身の掌中にある権力を閣下が行使なさるときの指針となりますように。



閣下はご自身が、平和を追求することにかけては平和主義者であると、事ある毎に言明してこられました。そしてわたくしどもは、閣下のお言葉が嘘偽りのないことを認めるのにやぶさかではありません。また第2次世界大戦が例証するごとく、その名に値する平和に至るためには武力衝突が不可避となる状況もありうるのだということを、わたくしどもは理解しております。不幸なことですが、二つの悪を目の前にしたとき、戦争がより小さな悪となることもあり得ましょう。



しかし現在のイラクとの紛争は1940年代のそれと比較できるものではありませんし、また、当時効果のあった対策も現在の状況には適用不可能です。戦争は平和を招来いたしません。米国がイラク侵攻によって残すであろう恐るべき負の遺産は、ほぼ間違いなく、侵攻以前の状況よりも悪いものに違いありません。この戦争の結果見込まれ得るものがあるとすれば、それは、アメリカとその同盟国に対する激しい憎悪、テロリスト組織のネットワーク拡大、不安定で一触即発の中東情勢、イスラエル・パレスチナ間の紛争解決の泥沼化、国連の機能不全ないし崩壊の可能性、我々の子・孫・ともすれば曾孫の世代にまで及ぶ過重な負債であります。当面の事柄を考えてみましても、アメリカの戦争テクノロジーを突きつけられている現状の中で、イラク国民がいま被っているこの世の終わりを思わせるような恐怖は測り知れず、また不当なものです。このイラクとの戦争は、公正で持続可能な平和を約束するものではありません。この戦争は決して正当化され得ないのです。それは主によって祝福されることはなく、むしろ裁かれるでありましょう。



わたくしどもはサダム=フセインの野蛮な専制政治を遺憾に思いますし、閣下と同じく、イラクにおける体制の変革を望んでおります。それゆえわたくしどもは閣下に強く訴えるのです。どうか閣下が直ちに戦闘を終結させ、いま体制変革を実現可能ならしめる他の方針のいずれかを採用し、そしてイラク国民に自由をもたらしてくださいますように。閣下のなされた選択は誤りであるとわたくしどもは堅く信じておりますが、にもかかわらず、閣下と同胞、そしてわが軍隊のために引き続きお祈り申し上げることは誓約いたします。と同時にわたくしどもは、主に命じられておりますように、わたくしどもの「敵」のために祈り続けることでしょう。そしてまた、閣下と閣下の政府とが戦争を中止なさるよう、わたくしどもは引き続き強く訴えていく所存です。わたくしどもはキリストへの信仰に駆り立てられて、まさにかく為すものであります。



ニューブランズウィック神学校教授会
ニュージャージー州ニューブランズウィック



ジョン・コークリー         ハックジュン・リー
ポール・R・フリーズ        リチャード・E・スターン
ルネ・S・ハウス          ベス・ラニールタナー
ノーマン・J・キャンスフィールド デーヴィッド・W・ワーンダー
マーク・クラーイ          ヴァージニア・ワイルズ



ご案内:ニューブランズウィック神学校教授会は、読者がこの声明書に署名してくださるようお願い申し上げます。お名前を裏面にご記入ください。写しをブッシュ大統領に送付いたします。



私たちはニューブランズウィック神学校の声明書に同意します:
[以下、名前を書く欄]



最後の署名なさった方はこの署名用紙をニューブランズ神学校、ポール・R・フリーズ教授にご返送ください。(神学校所在地:17 Seminary Place / New Bruswick, NJ 08901 / U. S. A.)



第5回神学セミナー報告

2007年9月10日(月)、11日(火)、「ファン・ルーラー研究会第5回神学セミナー」を盛会のうちに行うことができました。テーマ「ファン・ルーラーの教会論」、会場・日本キリスト教団頌栄教会(東京・下北沢)。温かいご理解とご協力をいただきました皆様に厚く御礼申し上げます。



P9100006_2 (右・牧田吉和、左・関口 康)





■ ダウンロード





○ 主題講演 牧田吉和氏 (ファン・ルーラー研究会顧問、日本キリスト改革派山田教会牧師)



「ファン・ルーラーにおける“喜びの神学”」



○ 研究発表 関口 康氏 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)



「伝道と教会形成、そして神学――A. A. ファン・ルーラーの『教会的実践』の軌跡――」



○ 案内ポスター



「ファン・ルーラー研究会神学セミナーのお知らせ」





P9100007



牧田吉和先生による第5回神学セミナー主題講演「ファン・ルーラーの“喜びの神学”」の音声(MP3)をお楽しみいただけます。00~08のプレイボタンをクリックしてください(英語版サイトもご覧ください)。



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主題講演のレジュメ(PDF)は、ここをクリックするとダウンロードしていただけます。



米国ファン・ルーラー学会報告

Aavanruler



「国際ファン・ルーラー学会」が以下の日程で開催された。



日時 2007年10月5日(金)午前9時~午後4時



会場 ニューブランズウィック神学校 改革派教会センター(アメリカ合衆国ニュージャージー州)



主題 「すべてを新たに――ファン・ルーラーの三位一体神学の探究――」



この学会は、プリンストン神学校の「アブラハム・カイパーセンター」とニューブランズウィック神学校との共催で行われた。ファン・ルーラーの翻訳に関するパイオニアたちが結集した。



ディルク・ファン・ケーレン氏(オランダプロテスタント神学大学)



ジョン・ボルト氏(カルヴァン神学校)



ポール・フリーズ氏(ニューブランズウィック神学校)



ハリー・デア・ネーデルランデン氏(クリスチャンクーリエ誌)



アラン・ジャンセン氏(ニューブランズウィック神学校)



クリフフォード・アンダーソン氏(プリンストン神学校)



連絡先 Joanne Noel at jnoel@nbts.edu or 732-247-5241 ext. 112.



ニュースソース
http://www.nbts.edu/inc/upcomingevents.cfm



改革派同盟との「婚約」

K. ファン・デア・ツヴァーク/関口 康訳

「父は敬虔な人間というよりも、現実主義者であり、喜び楽しむ人でした」(ケース・ファン・ルーラー)

私の父は改革派教会連合(Gereformeerde Bond)の正会員ではありませんでしたが、かつて自ら表現したように、改革派同盟(Gereformeerde Bond)の「婚約者」であった。

「父は改革派同盟にかなり接近していましたが、メンバーではありませんでした。改革派同盟が父の神学の地上志向性(wereldse orientatie)に共感してくださらなかったのです。父自身は改革派の父祖たちの伝統に明確に立脚していたのですが」。

故A. A. ファン・ルーラー教授のご子息、ケース・ファン・ルーラー氏は、お父上の有名な論文である「ウルトラ改革派とリベラル派」を思い起こして、こう述べておられるのではない。当時、ケース氏はすでに家を出ておられた。伝聞によると、ファン・ルーラーは、この論文を書き終えた後、 アパートの書斎で思案しながら、妻に向かって、「これで終わりだ」(Het is af.)と言った、という。

「父は、時折、他の人々がリベラル派と呼んでいるものに反対しなかったこともあります。しかし、彼自身がリベラル派の陣営に身を置くことはありませんでしたし、リベラル派になったこともありませんでした」。

ケース・ファン・ルーラー氏(1944年生まれ)は、幼少期をヒルファーサムで過ごされた。その後、ユトレヒトに転居。そこはお父上が大学教授になった場所である。

「父は家族の中で、際立った位置を占めていました。しかし、たいてい家を留守にしていました。たくさんの説教を日曜日にしていましたので、家にいなかったのです。国中を駆けずり回っていました。時折、わたしたちも同行しました」。

「当時の男女の役割分担の通念に従って、父もボスでした。私の母は陰に立ち、とりわけ父の死後、自分を発展させました。彼女は後半生に法律を学び、とりわけ教会とオランダ改革派教会(NHK)の大会運営上の発展に貢献しました。とりわけ彼女は、父の著作集を出版するために貢献しました」。

書 斎

ファン・ルーラーは、仕事の大部分を自宅の書斎で行った。われわれ子どもたちは、そこを「至聖所」と呼んでいた。

「書斎の中で出来事が起こりました。とにかくそこは、わたしたちにとって閾(いき)のようなものがありましたので、わたしたちが書斎に入ることは滅多にありませんでした。父はすぐれた蔵書家でした。とても多くの書物を読みました。家全体が本で立っているようなものでした。神学、哲学、政治、歴史、文学、あるいは工学さえ、すべてにおいて遅れをとりたくなかったのです。父は非常に広範な関心を持っていました。ある専門家の方がわたしたちのフロアを訪ねてくださったとき、父は歩み寄り、互いに行き詰まっていることがどの点なのかを、知りたがりました。父は、当時人気があった教授のタイプではありませんでした。自分自身を人間以上のところに置くことがありませんでした。むしろ、誰とでもよく話すことができました」。

二年前に「目録」が出版されたユトレヒト大学図書館内のファン・ルーラー文庫は、「残念ながら」処分したものであると、息子のケース氏は語る。

「父はいつも、本のカードを作っていました。そして、しょっちゅう学生たちに貸し出していました。カード式索引を非常に詳しく調べ上げ、本の詳細をカードに書き込んでいました。今日のオランダ改革派教会常任書記長のバース・プレシール氏〔現在はオランダプロテスタント教会常任書記長〕が、少し前、われわれ家族にこのカード式索引を提供してくださったことを知っています」。

几帳面

ファン・ルーラーは几帳面であった。朝食後、たいていのことが行われた。読書、執筆、面談、物事の準備、講義の準備と実施、そしてとくに接待。

「父はかつて毎年、たいていすべての学生たちを、小グループで二週間、夕べのディナーと居間での集いに招待していました。たいてい、神学的テーマについてのディスカッションを行い、それから当然、ぐいっと一杯、うまいのを飲んでいました」。

ファン・ルーラーは、あのH. ヨンカー教授のように、一度脅迫を受けたことがある。1951年にオランダ改革派教会『教会規程』が施行されたとき、K. H. ミスコッテ教授とは仲良くできないことが明白となった。

「『またミスコッテだよ』と、教会規程に関する苦痛な会議にミスコッテ氏が返り咲いたとき、父は言いました。両者は個性があり、それぞれに全く独創的な見方を持っていました。同じように難しい関係が、G. C. ファン・ニフトリク教授との間にもありました。しかし、ふだんは支持者の群れに囲まれていました。その人々は日曜日にも父を追いかけていました」。

テレビ

ファン・ルーラーは、かつて、「聖化の本質はアヤックスとフェイエノールトの試合を喜び楽しむことにもある」というジョークで、読者にショックを与えたことがある。

「父にとって、とくに後半生において、テレビを見ることは一種の気晴らしでした。当時、健康がすぐれず、時おり仕事を休む必要がありました。テレビを見るとしたら、 ほとんどはサッカーを見ていました」。

ファン・ルーラーは、創造に対するポジティヴな姿勢で知られている。彼の見方において、救いは地上で体験するものであり、神の国は地上の諸形態の中でかたちづくられるのである。ここにファン・ルーラー神学の核心がある。喜び楽しむことは、彼の思想と行為における一つの重要な側面である。

「父にとって、創造は本質的に善きものでした。創造のすべてが恩恵と聖霊と共に働くのです。父は敬虔な人間でもありました。しかし、それよりもっと現実主義者でした。神秘主義も、父の思想の中で重要な位置を占めていました。父は敬虔な人間でした。しかし、敬虔さそのものに基づいて、まさにその点で、きわめて豊かな思想を持っていました。彼は、お決まりの表現以上の言葉で、自分の信仰を表現しました」。

休暇は、家庭生活にとって忘れることができないものである。ケース氏は、ユトレヒトの家庭がルンテレンに旅行したときのことを、今でも覚えている。

「自転車に乗って、スーツケースを後ろに載せて。父は大自然を謳歌しました。運転免許証を取得する前に、一台の自動車を買いました。自動車で森に行き、そこで散歩したかったからです」。

憂 鬱

最晩年において、ファン・ルーラーは、憂鬱な時期を過ごしもした。

「父の肉体は頑強なものではなく、胃の病気を持っていました。とくに教会規程を作成していた時期に、胃痛を何度も体験しました。1951年には胃潰瘍にかかり、そのとき胃の一部が切除されました。しかし父は自分で自分の面倒を見ることができるという意外な才能の持ち主でした。心筋梗塞をわずらった後、 もっと憂鬱な時期を過ごすことになりました。自分に無理を強いなければならず、体を酷使しすぎて健康を害してしまいました。憂鬱なときにも、力みながら、そこにいました。時折、食卓でも、何日も続けて黙り込んでいることがありました」。

「父は、多くのことを語らねばならず、またそれを善い言葉にすることができました。AVROのためのラジオ説教は、非常に高く評価されました。わたしたちは時折、ユトレヒトからラジオ局があるヒルファーサムへ行く道に同行しました。父は最初自転車で、後に自動車で行くようになりました。ラジオの前で10分間語り、それから再び帰途につきました」。

父は、キリスト教放送局のためには語らなかったが、AVROのためには語った。この点も、この神学者の特徴である。

「父は、聖書のメッセージが広範に取り上げられなければならないことに気づき、それが全国民に届くことを願いました。この点にセオクラシー(神政政治)の理念が非常にかかわりを持つのです。第二次大戦後、セオクラシーは、父によってそれまでとは違うものにならなければなりませんでした。そのために、キリスト教放送は一般の放送に座を譲らなければなりませんでした。私の父は、心とはらわたの中で一人のセオクラット(神政主義者)であり続けたのです」。

(1999年4月27日、改革主義日報 © Reformatorisch Dagblad

ファン・ルーラー研究会の活動内容

[原典講読] メーリングリストを用いて、ファン・ルーラーの論文や説教の輪読会を行います。関連文献の紹介、ディスカッション、各種情報交換も行います。メーリングリストが研究会活動の中心です。



[資料収集] ファン・ルーラー研究に必要な諸文献(オランダ語、ドイツ語、英語、アフリカーンス語など)の収集を行います。またオランダプロテスタント神学全般(聖書、歴史、組織、実践など)に関する文献収集も心がけます。



[研修活動] ファン・ルーラー神学に関心を持つ人々を広く求めるために、年1回をめどに、公開シンポジウムを計画します。第1回シンポジウムは、2001年9月3日日本キリスト改革派園田教会で行われました。



[出版活動] 国内外のファン・ルーラー研究者の諸論文を集めた研究誌の定期刊行を計画します。また、将来的には日本語版ファン・ルーラー著作集の出版を計画します。原典に忠実で良質の翻訳をめざすために、多方面の分野で活躍している監修スタッフによるチェック方式を採用します。



[語学研究] 日蘭修好400周年(2000年)を機に、日本国内でもオランダ文化やオランダ語そのものへの関心が高まりつつあります。オランダの「神学」を学ぶことは、オランダ文化、ひいてはヨーロッパ・アメリカの文化を根源的次元において学ぶことでもあります。本研究会では、こうした文化研究に必須の語学研究をも扱っていきます。



ファン・ルーラーの言葉:「主なる神は、まさにヨハン・クライフである」

1999年4月28日 C. ファン・リムプト

1951年に改定されたオランダ改革派教会『教会規程』作成の最も重要な立役者であったA. A. ファン・ルーラー(1908〜1970年)は、神学者としては、ほとんど評価されてきませんでした。バルトとミスコッテが、ユトレヒトの教義学者〔ファン・ルーラー〕を、てっとりばやく、神学競技場の周辺へと、追い払ってしまったからです。

しかし、そのことは、ファン・ルーラーの諸見解が、何の影響力も持っていなかった、ということを物語るものではありません。フローニンゲン大学で教義学と倫理学を教えているL. J. ファン・デン・ブロム教授は、この「地上的実在の神学者」〔ファン・ルーラー〕から講義を受けることができるたびに、教科〔の内容〕を変更していたほどです。

「ファン・ルーラーは、信仰というものを、日常生活の中に引き入れました。彼のヴィジョンは、人生においてあなたの心が動かされうるものになるために、あなたの信仰と信仰的体験とが相互に関係づけられなければならない、というものでした。ある日、彼は、その手に一本のバラを持って、講義室に入ってきました。彼は、鼻を近づけて匂いをかぎ、そしてこう言いました。『神の国の香りがする』。日常的な現実に接近する方法や、創造と神の国についての語り方は、非常に驚かされるものであり、独創的なものでした。彼は、ベーテュウェ地方の花開く果樹園など、実在におけるあらゆる美しいものを、神の臨在として、見ていました。創造者の表現としての創造を、彼は体験しました。彼はそこで、何に逆らうことがあるのでしょうか?」。

ファン・ルーラーは、自らの神学思想におけるこの地上性(aardsheid)という点を、生のあらゆる側面において、矛盾無く貫き通しました。そのように、物質的な実在というものが肯定的に評価されなければならないことを、非常に強調しました。ファン・ルーラーは、次のように語りました。「物質とは、超越性に対峙するところの被造的実在の、基礎構造である。だからこそ、それは、鼻であしらうことができないものである」。

ファン・デン・ブロムは、ファン・ルーラーの諸見解が、より正統主義的な学生たちに対して、時おりどれほどショックを与えるものであったかを、今も懐かしく思い起こすそうです。

「たとえば、ファン・ルーラーは、セックスに関する事柄について、全くオープンかつ正直に語りました。地上的存在は楽しむためにある、と語りました。あなたは人間として、あなたの望むとおりにすればよいのです、と。あなたはセックスにおいても充分に楽しめばよいのです、と。セックスをするときには、まさにあなたが『真っ裸で神の御前に立つ』あの瞬間と同じように、互いに開けっぴろげの真っ裸になり、まさにあなたの素っ裸を与えればよいのです、と。ですから、ファン・ルーラーは、性体験こそ結婚の本質である、とも語りました。彼の見方では、残りの部分である教会での結婚式や、市役所に出す婚姻届は、事務的な処理以上の何ものでもありませんでした」。

確かな意味で、ファン・ルーラーは、一人のセオクラット(神政主義者)でした。とはいえ、その理念によって彼は、聖書の独裁によって統治される社会を目指していたわけではありません。ファン・デン・ブロムは、次のように証言しています。

「ファン・ルーラーは――キリスト教主義学校を除いても―― そこで文化が聖書によって形成されているような公共の国家というものを擁護したいと願っていました。彼は、聖書の目指すところや、正義と公平などに関する聖書的概念が、社会において再び議論可能なものにならなければならない、と考えていました。全ヨーロッパにとって、聖書は再び、文化を形成するための重要な要素にならなければなりませんでした。私見によれば、ファン・ルーラーは、事実上の『政治神学』に取り組んだのです。彼は『政治とは聖なる事柄』であり、『政治的行為は信仰の頂点』であるとさえ呼びました。信仰とは、まさに政治のようなすべての人間的な現実と共にあるものだ。それゆえ、政治は十字架よりも重要なのだ、とさえ語りました」。

「多くの神学書は、十字架のところで終わっています。これについて、ファン・ルーラーは、とりわけキリスト論が中心に置かれていた(バルト主義的な)一時代の只中で、彼の聖書理解をもって、また神が三位一体であることについての強調をもって、全く異なることを考えなければなりませんでした。ファン・ルーラーは、旧約聖書というものを高く評価し、新約聖書のほうは単なる巻末語句解説に過ぎないものと呼びました。そのことによって、彼は、新約聖書のほうは単に個々人や諸グループにとって重要なものに過ぎないが、旧約聖書のほうはすべての生にとって、すなわち、トータルな現実にとって重要である、と言いたかったのです。そこで、あなたは、正義と不義についての概念、また政治や人間の所産についての概念を見出すのです、と」。

「この視座において、ファン・ルーラーは、イエスの十字架の死を、本来的には必ずしも必然的ではないという意味で、一つの『緊急措置』に過ぎないと呼びました。それは一枚のスナップショットである、と。その次に、聖霊が、われわれを再び旧約聖書へと連れ戻し、そこでわれわれは広漠とした生に遭遇するのである、と。ファン・ルーラーは、人間を最も責任ある存在として、見ていました。十字架は、〔人間が神によって〕受容されていることの確証として、その背後から見ることさえ許されているのだ、と。しかし、それは、とりわけ前を見ること、すなわち、可視的な創造において形成されるべき神の国というものを、見るのでなければならない、と見ていました」。

神を三位一体として語ることによって、神の内なる位格的関係の一要素がそこに生じます。ファン・ルーラーにとって全く重要であったことは、次のことです。彼によると、われわれ人間について語るときにも、神との相互関係において語らなければなりません。そのように、天においても、地においても語らなければならない、とファン・ルーラーは考えたのです。

御父が御子と共に何かを持っているように、御子が御父と共にあり、御父と御子が御霊と共にあります。逆に言えば、そのとき三位一体の神もまた人間と共に働くべきであり、人間は神と共に働くべきであり、人間は互いに共に働くべきなのです。

このイラストのために、ファン・ルーラーが当時用いた実際的なメタファー(比喩)は、再び正統主義者たちの度肝を抜くものです。ファン・ルーラーは、次のように語りました。

「主なる神は、まさしくヨハン・クライフです。クライフがプレイするためには、21人の他の人間が必要です。そのように、神もまた、人間を必要としており、そのとき彼は、良いプレイを行うのです。一人の者が他の者たちから信頼されつつ、誰もが自分自身の役割を果たすのです」。

そのような相互プレイにおいて、人間存在の固有の役割が過小評価されてはならない、とファン・ルーラーは見ていました。全知全能の神は、最も重要である。しかし、「このわたし」としての人間も、依然として存在するのであり、「わたし」は、このわたし自身を擁護しなければならないのです。

そのようにして、(御子だけではなく)三位一体の神は、このわたしと共に何かをしてくださるが、神がこのわたしの罪を大きなブラシで洗い落としてくださるわけではないのです。それは、第一に、このわたしが責任を取らなければならないことを意味します。このわたしはまさに責任をもって生きなければならず、またそのとき、このわたしは、生を一新することを意図してくださる聖霊の助けと共に、生における働きに就かねばならないのです。

ファン・ルーラーの見解において、キリスト教信仰とは、あなたはあなたが望むように生きてよいと語る、まさに一つの自尊心の表現です。ファン・デン・ブロムによると、それは、実存主義と虚無主義とが興隆を極めていた時代(1960年代)においては、非常にすがすがしい考え方でした。

存在が灰色の悲惨な出来事になるという体験に対峙して、ファン・ルーラーは、あなたの存在はすでに一つの奇跡と呼ばれてもよいものであり、あなたはなお望むように生きてよい、というヴィジョンを語りました。

人生を充分に楽しむために、また「神の物語に形態を与える意図を持つ現実において」何かを生み出すために、ファン・ルーラーは、もっと多くの理由を見出すのです。

ファン・ルーラーはまた、その視座において、教会の役割についても語りました。

彼は教会をここ、すなわち、地上において神の国が打ち立てられるために、人間の現実へと向かってくる、神の遠大な運動の下部として見ていました。彼は次のように語りました。

「内側にいなければならないのはわれわれのほうではなく、むしろ、世界のほうこそが内側にいなければなりません。教会は――われわれが神から授かる――われわれのアイデンティティではなく、また終着点でもありません。教会は、神の国へと至る途上における、単なる一手段であることのほうが望ましいのです」。


知らなかったことが恥ずかしい(番外篇)

「番外篇」とするのは、最初に「だれを責めるつもりもない」と約束したからである。しかし、ちょっとだけ責めたくなった。ただし、ほんのちょっとだけ。

ある方が寄せてくださったコメントの中に、「修正した訳もあまり良くないのではないかと思う。故郷の言葉を話している主体について誤解をしてしまう可能性があるから」と書かれていた。

これは私も全く同感であった。いちばん最初、昨日の午前中の祈祷会のときに懸念を覚えたのは、まさにこの点だったのだ。

新共同訳の現在の訳のように使徒言行録2・6から「彼ら」という(ギリシア語原典には明記されている)主語さえ隠してしまい、「話されている」などと受動形でぼんやりと訳してしまうと、私の拙い日本語感覚から言わせていただけば、まるで都会の雑踏の中に響く不特定多数の入り乱れた音声を客観的ないし傍観者的に描写しているかのように読めてしまう。

そうなると、「故郷の言葉」を話している主体として考えられる対象が、

��1)「(11人の)使徒たち」(奇跡性レベル100%)ではないばかりか、

��2)「(120人ほどの)兄弟たち」(奇跡性レベル50%)でもなくなり、

��3)「天下のあらゆる国からエルサレムに帰って来た信心深いユダヤ人」(奇跡性レベル0%)あたりまで

拡大して読んでしまう人たちが出てくるのではないかと、心配になったのである。

「外国生活をしてきた人たちが外国語をしゃべった」なんて、当たり前の話以外の何ものでもない。そういう「誤読」を誘発してしまわないだろうかと思ったのである。

しかし私自身は、いかなる翻訳聖書の擁護者でもない。一つの特定の立場に立っていないし、他の特定の立場を批判する意図が全くない。この点も「誤読」されたくない。

日本キリスト改革派教会も、日本聖書協会とも新日本聖書刊行会とも公平な関係を築いてきた。どちらの利益代表にもならない。この教派のそういうところが、いたく気に入っている。

2011年5月5日木曜日

知らなかったことが恥ずかしい(解決篇)

昨日書いたことをFacebookに貼りつけたり、小分けにしてTwitterに流したり(回転寿司みたいでした)したところ、かなりの方々が関心を寄せてくださり、貴重なコメントをいただくことができた。その方々に心から感謝している(ありがとうございました)。以下は、コメントしてくださった方々への私からの返信内容を、ただし、書いたとおりではなくその主旨を、ざっとまとめたものである。

日本聖書協会ホームページの「新共同訳聖書 訂正箇所一覧」を見たのは、昨日が初めてだった。日本聖書協会が聖書を訂正していくプロセスそのものを批判するつもりは私にはないが、訂正箇所がこんなに多かったとは知らなかった。

多くの読者が知らないうちに「いつの間にか」すり替えられていくこの雰囲気は、あの茂木健一郎氏でおなじみの「アハ画像」のようで、若干のダマサレタ感は否めない。せめて理由を公示して訂正してもらいたいものだ。「聖書は世界のベストセラーである」という決めゼリフは日本聖書協会も言ってきたはずだ。この本の影響力の大きさを考えれば、一般の新聞で公示されてもよいのではないかと思うくらいである。

また私自身は、従前の解釈(聖霊に満たされた使徒たちが突然、習ったこともないはずの外国語を話しだした)が間違っていると言いたいのではない。私の問いは、日本聖書協会が使徒言行録2・6から「使徒たち」を取り除いた理由は何かという点だけである。「使徒」を取り除いても従前の解釈は不動であると判断したからなのか、それとも、解釈の幅を広げたかったのか、どちらだろうかと思っただけである。

訂正の理由として「原語により厳密に合わせた」という点がおそらく第一に挙げられることになるのは当然だろう。しかし、「使徒」を取り除くと、やはり文意が変わってしまわないだろうか。そこに若干の疑問はあった。「文意は変わっていない」というコメントをいただいた。それなら私は安心である。しかしまた、もし文意が変わらないのなら、日本語訳聖書の100年越しの伝統を忽然と棄てる理由が分からないとも思った。なぜ今さらなのか?学術的厳密性へのこだわりなのか?次の大改訂まで待てないほどのことなのか?

「新共同訳和英対照(1998年版)の英文では、all of them heard the believers talking in their own languagesで、believersは1節で『一同』と訳されている」という有難いコメントもいただいた。「信者」(believers)と「使徒」(Apostles)を、聖書はわりとはっきり区別する。やはり文意は変わったのだろうか。

文意は変わったのだと、言い切ってくださった方もおられた。「いろんな国の言葉を語り始めた」のは「(11人の)使徒たち」ではなく「(120人ほどの)兄弟たち」であるというふうに日本聖書協会側の解釈が変わったと受けとめてもよいかという私の質問に「そうだと思う」と答えてくださった。

もしそれが事実ならば、やはりかなり重大な訂正である。私に言わせていただくと、従来の教義学の「聖霊論」などは全面的な書き換えが求められるのではないかと思うほどの大改訂である。こういう箇所が「いつの間にか」すり替えられているようでは困る。

しかし、原典には「彼ら」と書いているだけである。「(120人ほどの)兄弟たち」と明確に特定できるほどの根拠のほうも見当たらない。もちろん、保守的(?)に考えれば、「(イスカリオテのユダを除く11人の)使徒たち」でなければ「(120人ほどの)兄弟たち」しか選択肢は残らないとは思う。

かくいう私は、それが「(120人ほどの)兄弟たち」である可能性を疑いたいのではなく、「彼ら」のすべてが7節の「人々」が言うとおり「皆ガリラヤの人」だったかどうか、また「皆ガリラヤの人」と呼ばれた「(120人ほどの)兄弟たち」の一人も外国語を学んでいなかったかどうかが怪しくなるのではないかと感じるのである。

そして、怪しくなったらなったで、私は構わない。より合理的な解釈の可能性が開けるだけである。「皆ガリラヤの人ではないか」は「人々」(7節)の台詞(カギカッコ内の発言)である。アホな言い方をお許しいただけば、「人々」が「(120人ほどの)兄弟たち」全員の出自を厳密にチェックしたわけではない(たぶん)。しかし私は、より奇跡性の強い従前の解釈を否定したいわけではなく、さりとて、より合理性の強い解釈を警戒しているわけでもなく、事実はどちらだろうと思っているだけである。

私はどっちでもいいとか言うと、無責任な感じになるだろう。しかし、私自身は「とにかくテキストに従うのみだ」と思っている。「テキスト」と言っても新約聖書の場合はギリシア語原典だけが唯一のテキストだと思っているわけではなく、たとえそれが(不完全な)日本語訳聖書であっても、それと自分自身(読者自身)が直接向き合っているかぎり、一つの決定的なテキストではあると、とらえている。

テキストに書いてあることに基づいて議論する、という姿勢を教わったのは左近淑先生(故人)だった。左近先生の旧約緒論の講義を受けたのは、クソがきだった、まだ19歳のときである。「旧約の学問というのは、テキストに縛られてやるものだというのが、わたくしの立場です。ですからテキストが言っていないことは言いたくても言ってはいけない」(『左近淑著作集』「第三巻 旧約聖書緒論講義」、教文館、135ページ)という言葉は、今でも耳に焼き付いている。

少しまとめよう。

使徒言行録2・6の場合、昨日からの私自身の調べと何人かの方々からのコメントを集約すると、ギリシア語原典が「彼ら」と書いているだけのところを日本語訳聖書100年越しの伝統が「使徒」と断定してきたので、おそらく何らかのミスリードが起こってしまっていた。それを日本聖書協会がおそらく大きな決断をもって修正した、という筋書きのように思える。そして、私の感覚では、「使徒」と特定すると事の奇跡性・異常性は強化されるが、特定をやめて「彼ら」とすると奇跡性・異常性はやはり緩和されるものがある。

上にも書いたが(この読み方にこだわるつもりは全くない)、「彼ら」を誰であるとも特定しないことによって、「(11人の)使徒たち」である可能性が薄れるが、他方の「(120人ほどの)兄弟たち」は「皆ガリラヤの人」(2・7)と呼ばれてはいるが、その中に外国語を学んだことがある人や外国生活をしたことがある人が一人もいなかったのだろうかとか、そういう想像力(妄想?)を働かせる余地が出てくると思う。イマジネーションの遊びの余地があることは、我々の読書に楽しみを増やす。

何度も言うのは誤解されたくないからであるが、私自身が聖霊降臨(ペンテコステ)の奇跡性・異常性を否定したがっているわけではない。「テキストが言っていないことは言いたくても言ってはいけない」という、今は亡き恩師の言葉を思い返しているだけである。

文語訳時代の訳者は、親切心のようなことから「解釈的な意訳」(真山光弥氏の表現だそうです)をしてくださったのかもしれないが、アリガタ迷惑だった可能性大のようだ。