2009年9月29日火曜日

本サイトからの引用についての注意事項

本サイト開設の目的には、できるだけ多くの方々にファン・ルーラーの文章を読んでいただき、この神学者の息づかいやひらめきに直接触れていただきたいという願いが少なからず含まれています。「読んでいただきたい」と願っているからこそこのようなことをしているのですから、論文への引用や読書会や学校教材などへの利用については歓迎いたします。



ただし、本サイトに掲載しているすべての文章(訳文、解説、その他)は関口康の(その時点での)私案であり、試案であり、提案であるという意味での「未完成品」です。すべての文章を予告や断りなしに随時、修正・変更していきます。



そのため、本サイトから引用していただける場合には、事前に必ず関口までご連絡くださいますようお願いいたします。ご連絡くださった方にはその時点での最新版(案)をお送りいたします。



メール送信 (関口 康)



2009年9月28日月曜日

待望と成就(1978年)

A. A. van Ruler, Verwachting en voltooiing, 1978.

1. 三位一体神学の必要性(1956年)
2. 神の国と歴史(1947年)
3. キリスト説教と神の国説教(1957年)
4. 教会はそれ自体目的でもある(1966年)
5. エキュメニカル運動における原理的問題(1961年)
6. 終末論の光における伝道の根本問題(1950年)
7. 宣教奉仕の神学(1953年)
8. 中等教育と準備的高等教育のキリスト教化(1953年)
9. 聖書、国家、教会(1948年)
10. 神の憐れみと義(1960年)
11. 権威(1958年)
12. 神学における人間性(1966年)


「オランダ紀行 神学者ファン・ルーラーの足跡を訪ねて(2008年12月8日~12日)」の画像を公開しました

Schipol02_3記憶がかなり怪しくなってきていることもあり、昨年12月のオランダ旅行の報告文の続きを書くことになるべく早く取り組まねばならないと焦っています。今年の前半とにかく多忙を極めていたことに加えて、先般のパソコンクラッシュによって喪失したデータの中にオランダ旅行に関する部分(写真類を含む)がかなり多くあったことで意気消沈していたことが、旅行記執筆の続行を困難にしていた大きな原因でした。



しかし、私の弱い脳内で溶解させてしまってはせっかくの好機に得た情報を無駄にしてしまうことになります。不幸中の幸いは、旅行のすべてに同行してくださった石原知弘先生(写真左。日本キリスト改革派教会教師、現在アペルドールン神学大学修士課程在学)が私よりもはるかに明晰な記憶と写真類のデータを保持してくださっていることです。



このたび石原先生から写真を送っていただくことができました。文章は後から書くとして、とにかく写真だけを公開することにしました。



なお、「付録 オランダの風景」に付した写真は、松戸小金原教会の前任牧師、澤谷 實(さわや みのる)先生が2001年2月にオランダを旅行なさったときにお撮りになったものです。澤谷牧師は2002年7月に55才で亡くなられました。



■ オランダ紀行 神学者ファン・ルーラーの足跡を訪ねて(2008年12月8日~12月12日)



2008年12月8日(月)



アムステルダム



2008年12月9日(火)



ユトレヒト
ヒルファーサム
アムステルダム中央駅



2008年12月10日(水)



国際ファン・ルーラー学会
スピーチ全文



2008年12月11日(木)



アペルドールン
カンペン
クバート
フラネカー
フローニンゲン
石原知弘先生



2008年12月12日(金)



ユトレヒト大学図書館
ライデン
アムステルダム
スキポール



付録



オランダの風景



付録 オランダの風景

撮影 澤谷 實 (前 日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師) ※無断転載はお控えください。



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2009年9月27日日曜日

三位一体の神


ヨハネによる福音書8・21~30

「そこで、イエスはまた言われた。『わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。』ユダヤ人たちが、『「わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない」と言っているが、自殺でもするつもりなのだろうか』と話していると、イエスは彼らに言われた。『あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。「わたしはある」ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。』彼らが、『あなたは、いったい、どなたなのですか』と言うと、イエスは言われた。『それは初めから話しているではないか。あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。』彼らは、イエスが御父について話しておられることを悟らなかった。そこで、イエスは言われた。『あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、「わたしはある」ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしも、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。』これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた。」

今日の個所に至って、ヨハネによる福音書の難解さが絶頂点に達すると言うべきかもしれません。一回や二回読むだけで「分かった」と言える人は少ないでしょう。ユダヤ人たちを含む大勢の人々の前でイエスさまがおっしゃっていることは何でしょうか。三つほどのポイントを挙げてみます。

第一のポイントは、「わたしは去って行くが、わたしの行く所にあなたがたは来ることができない」ということです。イエスさまは、どこに行かれるのでしょうか。それははっきりしています。イエスさまが「わたしの行く所」とおっしゃっているのは「父なる神のみもと」です。そのところにわたしは行くことができるが、あなたがたは行くことができないと言っておられるのです。

第二のポイントは、「わたしは上のものに属しているが、あなたがたユダヤ人たちは下のものに属している」ということです。補足として、あなたがたは「この世」に属しているが、わたしは「この世」に属していないと語られています。つまり「この世」が「下のもの」です。そして「上のもの」とは「下のもの」の反対ですので、「この世」の反対。ということは「あの世」のことかとお考えになる方も多いでしょう。しかし「あの世」とは何でしょうか。それはどこにあるでしょうか。今申し上げることができるのは、イエスさまのおっしゃる「この世」の反対は我々のイメージする「あの世」とは本質的に違うものであるということです。

ここで第一のポイントに絡みます。イエスさまにとって「この世」の反対は「あの世」というような所ではなく常に「父なる神のみもと」なのです。聖書の中で「天」ないし「天国」が意味することは常に「神がおられるところ」です。ですから、わたしたちはこのイエスさまの言葉を衝撃をもって聞かなければなりません。「父なる神のみもと」としての「天」もしくは「天国」に行くことができるのはイエスさまおひとりだけであって、他の誰も行くことができないと言われているのです。

第三のポイントは「わたしはある」という不思議な言葉の中に隠されています。これは何でしょうか。「わたしはある」という日本語はありません。支離滅裂な響きを感じます。しかし、イエスさまのおっしゃっていることが支離滅裂であると言いたいわけではありません。あるいは、新共同訳聖書の日本語がおかしいと言いたいのでもありません。イエスさまは確かに「わたしはある」と言われたのです。ただし、その意味は、当時の人々にとっても、今のわたしたちにとっても、よほど詳しい説明でも受けないかぎり全く理解できそうもないようなことを、イエスさまはお話しになっているのです。

これから申し上げることはいま挙げた三つのポイントに共通している問題に対する答えです。三つのポイントをまとめていえば、イエスさまがこれから行かれるところは父なる神のみもとであるが、そこに行くことができるのはイエスさまひとりだけであって、他の誰も行くことができない。そして、そこにイエスさまが行かれたときに初めて、イエスさまこそが「わたしはある」という存在であるということがイエスさま以外の人々に分かるということです。

ここで考えてみたいことがあります。それは、なぜわたしたちはこのイエスさまのお話を難しいと感じるのかというその理由ないし原因です。私にはすぐ思い当たります。それは主に第一のポイントと第二のポイントにかかわることです。

皆さんの中にも、「父なる神のみもとに行くことができるのはイエスさまだけであって、他の誰も行くことができない」という言葉を聞くと躓きを感じるという方がおられないでしょうか。手を挙げてくださいとは申しませんが、おそらくきっとおられるはずです。なぜでしょうか。私自身も含めて多くのキリスト者が長年聞いて来た教会の説教の中で「わたしたちが死んだら父なる神のみもとに行くのだ」ということを繰り返し教えられてきたからです。その教えが間違っているわけではありません。しかしそれにもかかわらず、「父なる神のみもと」に行くことができるのはイエスさまだけであって、他の誰も行くことができないのだというようなことを言われてしまいますと、「それでは我々はどこに連れて行かれるのか」という点で不安を感じたり、反発を覚えたりする人が出てくるわけです。それは無理もないことです。このイエスさまのお話を理解できない理由ないし原因は、わたしたちがこれまで聞いて来た説教の内容とは違うことが語られているように感じるという点にあるのではないだろうかと、私には思われるのです。

しかし、ここから先は励ましと慰めの言葉です。どうかご安心ください。わたしたちも間違いなく「父なる神のみもと」に行くことができます!「どこに連れて行かれるのだろうか」と心配することは全くありません。ただしそれはイエスさまがおっしゃっているのとは違う意味です。どこが違うのか。イエスさまの行かれる所と、わたしたちが行く所とは、同じ「父なる神のみもと」であっても、違う所なのだということです。ますますややこしい話をしてしまっているかもしれませんが、事情は今申し上げたとおりです。誤解を恐れず言えば、「父なる神のみもと」には二種類あるということです。イエスさまが行かれる所と、わたしたちが行く所は、違う所なのです。

しかし、どう違うのでしょうか。その説明をするためには、第三のポイントにかかわる答えを先に申し上げる必要があります。第三のポイントとはイエスさまがおっしゃる「わたしはある」とは何のことかという問題でした。すぐに答えを言います。このイエスさまの言葉には、明らかに旧約聖書的背景があります。お開きいただきたいのは出エジプト記3・13~14です。次のように記されています。

「モーセは神に尋ねた。『わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、「あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです」と言えば、彼らは、「その名は一体何か」と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。』神はモーセに、『わたしはある。わたしはあるという者だ』と言われ、また、『イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。』」(出エジプト記3・13~14)

はっきり言います。イエスさまはこの出エジプト記の個所を念頭に置きながら、御自身を指して、このわたしこそが「わたしはある」と呼ばれるものであるとおっしゃっているのです。つまりイエスさまは「わたしは神である」とおっしゃっているのだということです。

このイエスさまの御言葉は、当時の人々の耳には、ほとんど間違いなく衝撃的な言葉として響いたはずです。イエスさまのお姿はどこからどう見ても、ただの人間にしか見えなかったはずです。そのイエスさまが「わたしはある」、すなわち「わたしは神である」とはっきりおっしゃったのですから、この言葉の旧約聖書的な背景を知っていた人々の中に驚かなかった人はいなかったはずです。または、驚くというよりは激しい怒りを抱いた人々も少なくなかったはずです。ただの人間に過ぎないこの男が「わたしは神である」と最悪の暴言を吐き、神を著しく冒瀆したと見た人々は多かったでしょう。

しかし、これは信仰の事柄であると、申し上げなければなりません。ここでわたしたちが全く否定できないことは、イエスさまはたしかに「わたしはある」とおっしゃることによって「わたしは神である」と明言されたということです。そして、そのことを聞いてひたすら激しく怒り、拒絶し、最悪の冒瀆罪を犯したとみなして断罪するか、それともイエスさまのおっしゃるとおりであると信じるかは、あれかこれか、二者択一の事柄であるということです。

わたしたちキリスト者と代々のキリスト教会は、イエス・キリストを「神」と信じる信仰に立っています。つまりイエスさまが御自身を指して「わたしはある」と言われたことを否定するのではなく肯定する信仰に立っています。イエス・キリストは神なのです。この点を譲ることはできません。

そしてこの点から、先ほど触れたまま、まだ答えの出ていない問題に帰ります。同じ「父なる神のみもと」でも、イエスさまが行かれる所と、わたしたちが行く所は違うという問題です。どう違うのでしょうか。これもすぐに答えを言います。イエスさまは神です。神の御子であり、御子なる神です。そのイエスさまが「父なる神のみもと」に行かれるという意味は、神としてのイエスさまが本来の姿にお戻りになるということです。つまり、本来「神」であられるイエスさまが、まさに神になられること、それがイエスさまの父なる神のみもとへの帰還の意味であるということです。

しかしそれに対して、わたしたちが「父なる神のみもと」に行くという場合には、わたしたち自身が神になるわけではないという点が全く違います。わたしたちは死んでも神にはなりません。地上の人生においてどれほど立派な働きをしても、だからといってわたしたち自身が神になるわけではありません。わたしたちが父なる神のみもとに行くときに起こることは、永遠に神に仕える者になられるということです。その場合、わたしたちが仕える神は三位一体の神です。そこには父なる神がおられ、御子なるイエス・キリストがおられ、聖霊なる神がおられます。

ただし、三人の神さまであるとお考えにならないでください。ある神学者の説明を借りて言えば、三位一体の神は「1+1+1=1」(足し算)ではなく「1×1×1=1」(掛け算)なのだ、ということです。しかし、こんな言い方ではますます分かりません。別の言い方をすれば、おひとりの神が地上の人間に対して三回、異なる姿でかかわってくださったのだ、ということです。

わたしたちに問われていることは、あなたはこのことを信じるかということです。あなたはイエス・キリストは「わたしはある」と称される神御自身であるということを信じるか、ということです。

(2009年9月27日、松戸小金原教会主日礼拝)

嫌いな人

こういうことを字に書くのは、記憶に間違いが無ければ、生まれて初めてのことです。本邦初公開(?)です。

私には「嫌いな人」がいます。ただし、特定の誰かのことを言いたいのではなく、「嫌いなタイプの人」のことです。

それは「脅迫する人」です。

私は本来、冷たい人間です。近くにいる方々は、多かれ少なかれ、私からそのようなものを感じるはずです。すぐバレるような、露骨な冷たさがあります。「岡山県人」であることもいくらか関係している可能性があります。

私の持っている「冷たさ」の中身は「私は誰をも支配しないし、支配したくない。しかしその代わりに、誰からも支配されたくない」という打ち消しがたい感情に根ざしています。オランダ人にも、これに近い感情があるらしいと聞いたことがありますが、定かではありません。

ともかく他人との距離の取り方がかなり遠いほうであると、自覚しています。

しかし、「脅迫する人」はしばしば、決して入られたくない距離に土足で踏み込んできます。これが困る。

しかも、本来他人との距離をかなりとっていると自覚している私を「脅迫」する人の多くが取る方法は、逆説的ではありますが、「辞める」という方法です。

我々の仕事の本質部分に「団体運営」という側面がありますので。

「辞める」という仕方での(一種独特の)脅迫を受けやすい立場にいると自覚しています。

困ってしまうのは私が本来冷たい人間であるということです。

その意味は、「辞める」という仕方での脅迫が実は全く通用しない人間であるということです。私相手に「辞めるカード」を突き付けても、暖簾に腕押し、ぬかに釘です。「どうぞご自由に」と言いそうになります。もちろんそんなことはその人の前では口が裂けても言いませんが。

私はかつて「辞めた」人間です。重大な決意をもって「離脱」しました。それゆえ私自身には「辞める」と言い張る人々を引きとめる力も資格もありません。

しかし、どうか誤解なきように。

私は、あの「離脱」によって、誰をも脅迫していません。私の「離脱」によって脅迫を感じた人は一人もいなかったはずです。

なぜなら、これは断言できますが、当の本人がそのような意図を全く持っていなかったからです。他ならぬ私自身が、幼い頃から今日に至るまで、「辞任」や「離脱」(という言葉)を《脅迫のカード》として利用するというようなやり方を最も忌み嫌う種類の人間だからです。

特定の誰かのことだと思われると困るのですが(誰から聞いたか忘れてしまいました)、これまで耳にしてきた中でいちばん不愉快に感じられた《論理》は、「わが教会は『あのリベラルな』教団から離脱して作られたものである。それゆえ、もし今後わが教会がリベラルになっていくならば、そのときはこの私が離脱するのみである」というものです。

そのような《論理》(聞いているとため息が出る三段論法)を、自分自身の体と心で現実の「離脱体験」をしたことがない(または「なさそうな」)人の口から聞くと、私には耐えがたいものがあります。

ただし、その場合には、「どうぞご自由に」とは思いませんし、言いません。「やれるものならやってみろ」とも思いませんし、言いません。

「離脱経験者」である私には何かを語る力や資格はありませんし、その人の前に立ちふさがって張れるほどの頑強な体もありません。

できるのは、「辞めないでください」と泣きながら訴えることくらいです。

しかし、その人の服をつかんで引っ張ることまではできない。実際に辞められた後、泣き寝入りするばかりです。

ここまで書いてきて、「嫌いな人」とは私自身のことのような気がしてきました。

「泣き寝入り」も脅迫の一種だと考えるとすれば。

「誰をも支配したくない代わりに誰からも支配されたくない」という感情も離脱行為の一種だと考えるとすれば。

自己嫌悪のかたまりです。



はじめのことば

Kubbart



クバート教会(オランダプロテスタント教会)



関口 康 (日本キリスト改革派松戸小金原教会)



2009年9月14日



「ファン・ルーラー研究会」(1999年2月20日結成)と共に日本語版『ファン・ルーラー著作集』の刊行を目指して日夜努力してきました。翻訳も出版も全く未経験で、何の知識も無い状態から出発しました。多くの方々のご協力とご指導をいただきながら、少しずつ少しずつ前進してきたつもりです。



しかし、まだ思うような形になりません。そもそも「ファン・ルーラー」の名前が日本では依然としてほとんど知られていないため、いきなり訳書を世に問うてもただ無視されるだけであることは目に見えています。翻訳作業と同時進行でこの人物の生涯と神学思想をさまざまな角度から紹介し、興味を抱いていただくことにも取り組まなくてはなりません。そんなことをしているうちに10年という歳月が経過してしまいました。焦る気持ちを抑えながら地味に地道に、良質の翻訳を目指して頑張っています。



インターネット版を公開する意図は、ひとえに翻訳者の「弱さ」にあります。完成品を読んでいただくほうがよいに決まっています。しかし、翻訳を生業にしておられる方々ならばともかく、私の場合は牧師の仕事の傍らで続けていることですので、翻訳のほうは断続的な作業しかできません。そして、一冊の訳書が仕上がるまでがきわめて長期にわたるため、たとえ断片的なものであっても何らかの公開の場を持たないかぎり道半ばでくじけてしまいそうになります。私の切なる願いは「みなさま、この弱い者をどうか励ましてください」ということです。



インターネット版「ファン・ルーラー著作集」に「ファン・ルーラーを独占したい」などの意図は一切ありません。この稀有な神学者は誰にも独占されたがらないでしょう。目標は日本語版『ファン・ルーラー著作集』なのです。多くの方々との一致や協力なくして、どうして実現できましょうか。私はこの夢を実現するために必要なすべてのことを考えていきたいと願っています。



本サイトからの引用についての注意事項



2009年9月25日金曜日

Facebookのファン・ルーラーのプロフィールを更新しました

フェイスブック(Facebook)の「Arnold Albert van Ruler」のページの中にあるファン・ルーラーのプロフィール(ホームページ、自己紹介、趣味・興味)を以下のように書きました。字句修正をアメリカの友人Tim Hawes氏が引き受けてくださいました。



N118410887796_4263_2Arnold Albert van Ruler (Facebook)
http://www.facebook.com/pages/Arnold-Albert-van-Ruler/118410887796



Arnold Albert van Ruler



ホームページ:
http://www.aavanruler.nl



自己紹介:
I was born in Apeldoorn, Netherlands, on 10 December 1908. After graduating from the Gymnasium Apeldoorn and the University of Groningen (Rijksuniversiteit Groningen), I became a pastor of the Dutch Reformed Church (Nederlandse Hervormde Kerk). I served at two local churches (Kubbard and Hilversum). After World War II, in 1947, I became a professor at Utrecht University, Faculty of Theology (Rijksuniversiteit Utrecht, faculteit van Godgeleerdheid). During my lifetime, I wrote many books and essays. The publication project of my new Collected Works (Verzameld Werk) started in September 2007.



趣味・興味:
I love Soccer (playing and watching) and Billiards.



'We need to enjoy our life itself more than to ask the meaning of our life.' (A. A. van Ruler)



まだ始めたばかりのSNSです。ご関心のある方は仲間に加わっていただけると嬉しいです。しかし、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)というものが神学研究においてどのように使用しうるかを試験している段階ですので、参加を強制・強要するような気持ちは全くありません(ある程度のパソコン能力がないと、「重荷」を増やしてしまうだけかもしれません)。



『ファン・ルーラー著作集』刊行の背景と目的

アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラーは20世紀において最も強い影響力を持ったオランダのプロテスタント神学者の一人である。彼の名前はしばしばK. H. ミスコッテとO. ノールドマンスと共に一息で並び称されてきた。しかしこの二人とは異なり、ファン・ルーラーの文書遺産はまだ十分には公開されていない。その状況を変えようではないか、そのために学術的責任を負いうる新しい『ファン・ルーラー著作集』を出版するために努力しようではないかと提案されたのは世紀の変わり目の頃である。それ以後数年の間、その思いがプロテスタント神学者たちの中に行き巡っていた。オランダ神学学術研究院の委嘱に基づいて実施された予備調査の結果、これは真の大事業になっていくに違いないが、まさに骨を折る価値のある事業であるということが明らかになった。非常に多くの未発表文書や研究途上の資料断片がユトレヒト大学図書館のファン・ルーラー文庫の中で眠ったままである!すでに公刊されてきたものとは別の大量のテキストがざくざく掘り出されている。



2005年春、この大規模な事業に着手することが決定された。この新しい著作集のねらいはファン・ルーラーの手で執筆されたすべての文書を収録しうるものではないが、全体としてみれば結局、数千ページに及ぶテキストを何巻かに分けて公刊することになるだろう。テキストは主題ごとに時系列的に並べられる。そのようにしてファン・ルーラーの思想のあらゆる主題がいかなる仕方で年代的に発展を遂げて行ったかを明らかにしていく。オランダ神学学術研究院がブーケンセントルム出版社との提携によって進めてきた本事業は先般開学されたオランダプロテスタント神学大学に継承された。われわれが願っていることは、この事業が多くの人々にとって、ファン・ルーラーの神学思想を鋭く見極め、それによって真の豊かさを得るための刺激でありたいということである。



定評あるファン・ルーラーの「聖書黙想集」の再版は、この事業とは別に各巻ごとに行う。この事業の一環として聖書黙想集シリーズの予約注文ができるパンフレットを発行する。さらに、関連事業としてニュースレターの発行や研究会開催案内なども行う。




2009年9月20日日曜日

暗闇の中を歩かないために


ヨハネによる福音書8・12~20

「イエスは再び言われた。『わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。』それで、ファリサイ派の人々が言った。『あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。』イエスは答えて言われた。『たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。』彼らが『あなたの父はどこにいるのか』と言うと、イエスはお答えになった。『あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。』イエスは神殿の境内で教えておられたとき、宝物殿の近くでこれらのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。」

先週の個所の続きではなく、一段落分飛ばしました。飛ばした段落は学ぶ必要がないと考えているからではありません。その逆です。8章1節から11節については、10月18日(日)の特別伝道礼拝のときにお話しいたします。そのときまで大事にとっておきますのでお楽しみに。

さて、今日の個所には、わたしたちの救い主イエス・キリストがおそらくは御自分のことを指差しながら、「わたしは(が)世の光である」と「再び」語られたと書かれています。

ここで気になるのは「再び」という断り書きです。あらかじめ申し上げておきたいことは、これはこだわる価値のある言葉であるということです。この「再び」の意味は、「わたしは世の光である」という言葉をイエスさまが以前に一度お語りになり、それと同じ言葉をもう一度繰り返されたということではありません。ヨハネによる福音書の中でこの言葉は、ここに初めて登場します。

それではこの「再び」の意味は何でしょうか。高い可能性をもって言えることは、イエスさまが「再びエルサレム神殿の境内にお立ちになって言われた」ということ、つまり、イエスさまが以前語ったのと同じ言葉を繰り返されたということではなく、以前お立ちになったのと同じ状況にもう一度戻ってこられた、ということです。

教師が「再び」教壇に立つ。音楽家が「再び」ステージに立つ。たとえばこのように語られるときの「再び」には、しばしば特別な意味が込められています。そのことは特に、その人が様々な意味での反対や妨害、中傷誹謗、深い悩みや絶望の中にあり、一度は立ったあの場所にもう一度立つことがきわめて困難であるような状況があるという場合に当てはまります。

そのとき込められている特別なニュアンスは、「しかし、それにもかかわらず、再び」です。しかし、それにもかかわらず、あらゆる困難を乗り越えて、再び同じ場所に立って語る。もしこの意味だとすれば、「イエスは再び言われた」の「再び」には、イエス・キリストの不屈の闘志が表現されているのです。

現に、イエスさまがエルサレム神殿の境内でお語りになっている最中にも、それを聞いている人々から何だかんだと口を挟まれ、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられ、説教が妨害されていた様子が分かります。しかし、それにもかかわらず、イエスさまは「再び」語られるのです。このこと自体がわたしたちにとっては励ましであり慰めです。イエスさまは、めげない、凹まない。どんなに激しく妨害されても引き下がらない。イエスさまとはそのような方なのです。

さて、そのような不屈の闘志をもってイエスさまがお語りになった言葉が「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(8・12)というものでした。この御言葉の字義的な内容を説明させていただきます。

「世」とは、世界のすべてです。神が創造なさったもののすべて、すなわち、わたしたちが生きている地上の世界の全体を指しています。今日「地上」という言葉を使いますと「地球」のことであると思われてしまうことがありますが、それは誤解です。地球だけではなく宇宙も含まれます。「世」とは文字通りの「天地万物」のことです。

哲学的に「存在そのもの」と言っても間違いではありません。文学的に「生きとし生けるもの」と言ってもよいかもしれませんが、「生きている」とは見えないもの、たとえば石や岩のようなものは含まれるのかというような疑問が起こるかもしれません。その答えとしては、「とにかく全部だ」と言うしかありません。神が創造された一切です。それが「世」です。

その「世」の「光」がこのわたしであると、イエス・キリストはお語りになりました。考えるべき一つの点は、その光はどこを輝かしているのかということです。狭い意味での「教会」に属している人々だけでしょうか。そうではありませんと言わなければなりません。「世」とは「とにかく全部」だからです。「とにかく全部」としての「世」においては教会の内側と外側の区別がありません。

イエス・キリストの光はむしろ教会の外側に立っている人々をこそ照らすのです。まだ神を知らず、神の恵みも救いも知らないときに「何かの光がこのわたしを照らしている」と知る。その光の明るさを感じ取った人々が教会へと導かれてくるのであって、逆の順序ではありません。

しかし、「光」という言葉は、言えば言うほど抽象的な響きを感じなくもありません。イエスさまが光であり、その光が世を照らすとは、具体的に言うと何のことでしょうか。いますぐに申し上げることができますことは、「光を照らす」とはやはり「向き合うこと、かかわること」というようなことと深く関係しているでしょうということです。少なくともイエス・キリストの顔と目が「世」の方向へと向いているということと関係しているでしょう。「わたしは世の光である」と言われるイエスさまの目が世を見ておられず、そっぽを向いておられるということがあるとしたら甚だしい矛盾でしょう。世のことにはまるで興味が無いイエスさま。これでは話が成り立たないでしょう。

そしてその場合は言うまでもなく、ただ遠くから眺めているだけということでは済まないでしょう。いちおう関心はあるが、手も足も出さない。近づかないし、直接的な関係を持とうとしない。それは、イエスさまの光が世を照らしているというのとは正反対の状態でしょう。やはり「かかわる」という次元の事柄が必ず関係しているでしょう。

少しまとめておきます。ここで分かることは、イエスさまは世に関心を持っておられる方であるということです。そして、ただ関心を持っておられるというだけではなく、世に対して直接的な関係をお持ちになる方であるということです。世に接近し、接触し、介入なさる救い主、それがイエスさまです。そして、そのことが、イエスさまが御自分を指して「わたしは世の光である」とおっしゃっていることと深く関係しているのだということです。

さらに、もう少し掘り下げて考えておきたいことがあります。それは、「光」にも二種類あるということです。

一方に、否定的で攻撃的で批判的な光というものがあります。警察や少年補導員が、暗闇に隠れて悪さをしている人々を照らしだす懐中電灯のようなものを想像していただくとよいでしょう。それがその人々の仕事なのですから、私はこれを悪い意味で言っているのではありません。しかし、イエスさまが「わたしは世の光である」と言われているときの意味が「このわたしイエス・キリストは闇夜に蠢(うごめ)く怪しい人々を捜しだすための懐中電灯である」という意味だろうかと考えてみる。そのときには、「たぶんそういうことではないだろうなあ」と考えるほうが当たっているだろうと申し上げているのです。

徹底的に悪を裁くこと、隠れた事実を探り当てて明るみに出すこと。それ自体は悪いことではなく、むしろ善いことです。徹底的に善いことであり、完璧なほどに正しいことです。完璧な善が存在し、そのような善が悪を裁く。それは悪いことであるどころか、最も善いことであり、絶賛に値するほど素晴らしいことです。

しかし、わたしたちは、ここでこそ立ち止まらなければなりません。はたしてイエス・キリストは否定的で批判的な光であるというだけでしょうか。世界の暗闇に紛れて働く悪の存在を徹底的に洗い出し、その罪を責め立てるためだけにイエス・キリストは来られたのでしょうか。そのような側面が全く含まれていないとは申しません。しかし、いま問うているのは「それだけでしょうか」ということです。

それだけではないでしょう。世を照らす救いの光としてのイエス・キリストの光は、わたしたちが置かれている日常の現実を温かく受け入れてくださる、希望と喜びにあふれた光でもあるでしょう。イエス・キリストはこの世界を肯定してくださり、同情してくださり、受容してくださる方でもあるでしょう。わたしたちは一面的な理解に陥ってはならないのです。

わたしたちが陥りやすい過ちは、他人については厳しく裁き、自分については甘く裁くということです。これは誰でも陥ります。ですからこのことについては互いに責めることもできません。しかし、そのことを認めたうえでなお言わなければならないことは、過ちは過ちであるということです。それが本当の意味での落とし穴であり、我々の人生を根本的な暗闇に陥れている部分でもあるということです。世を裁くこと、他人を徹底的に責めること、完全な正義感のもとに立って他人を断罪すること、そのことこそがわたしたち自身の人生を自ら暗くしてしまっている場合があるのです。

暗闇の中を歩かないためにわたしたちにできることは、いま申し上げたことのちょうど反対です。わたしたちが生きている世界の現実、わたしたち自身の現実を肯定することです。わたしたちの人生を喜びと感謝を持って肯定し、受容することです。

こんなことは無理であると思われるでしょうか。私はそうは思いません。この世界の現実と自分の人生を受け入れることはわたしたちに可能なことです。イエスさまが次のように語っておられます。

「あなたは、兄弟の目の中にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」(マタイによる福音書7・3~5)。

わたしたちに必要なことは「わたしは神の憐みによらなければ立つことさえできない罪人である」ということを徹底的に自覚することです。そのことは、自分の目の中に「丸太」があると認識することでもあるのです。それができたとき、わたしたちは、他人に対して少しは優しくなれるでしょう。

(2009年9月20日、松戸小金原教会主日礼拝)