2009年8月9日日曜日

らくだは針の穴を通れない ~誰のための人生か~


ルカによる福音書18・18~30

「ある議員がイエスに、『善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか』と尋ねた。イエスは言われた。『なぜ、わたしを「善い」と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。「姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え」という掟をあなたは知っているはずだ。』すると議員は、『そういうことはみな、子供の時から守ってきました』と言った。これを聞いて、イエスは言われた。『あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。『財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。』これを聞いた人々が、『それでは、だれが救われるのだろうか』と言うと、イエスは、『人間にはできないことも、神にはできる』と言われた。すると、ペトロが、『このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました』と言った。イエスは言われた。『はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。』」

今日は千城台教会の講壇に初めて立たせていただきます。皆さんに開いていただいた聖書の個所には、共観福音書のすべてに紹介されている出来事が記されています。共観福音書とは、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書のことです。つまり、わたしたちが新約聖書というこの形の本を開いて読んでいきますと同じ話を三度繰り返して読むことになるわけです。これは三度でも何度でも繰り返して読む価値がある、大変重要な話であるということにしておきましょう。

登場人物は、イエスさまの他には、二人います。一人は「議員」と呼ばれています。ユダヤの最高法院(サンヘドリン)の議員です。もう一人はイエスさまの弟子のペトロです。しかし今日は、時間の関係で「議員」のほうに絞ってお話しいたします。

最初に考えていただきたいことは、彼が「議員」であったということの意味です。彼が属していたユダヤの最高法院(サンヘドリン)は、当時のユダヤ社会を支配していた最高権力者会議です。その会議はわずか70人で構成されていました。より正確に言えば議長と副議長を含めた72人であったとも言われています。

一つの国をたった72人で支配する。想像するだけでぞっとするものを私は感じます。ひとりの支配者による独裁政権とは違います。しかし、少数者が権力を握って離さない状態がそこにあり、権力のほとんど一極集中と言ってよい状態があったと考えることができるでしょう。

つまり、ここに出てくる「議員」は、そのまさに最高権力者会議のメンバーズリストに名を連ねていた一人であるということです。この点は要チェック事項です。なぜなら、彼が「議員」であったというこの点は、イエスさまとこの人の言葉のやりとりを理解する上でかなり重要な意味を持っていると思われるからです。ぜひ考えてみていただきたいことは、この「人」と話しをすることは、事実上その「国」と話しをするということに等しいということです。いまの日本の国会議員722人(衆議院480人、参議院242人)が日本国民を代表する存在になりえているかどうかは不明です。しかし、あの人々がそうなりえているかどうかはともかく、あの人々こそが、日本国民を代表する存在にならなければならないはずです。それが「議員」の役割でしょう。

その「議員」がイエスさまのところに来て、一つの質問をしました。「何をすれば、永遠の命を受け継ぐことができるのでしょうか」。この質問の意図をわたしたちがおそらく最も理解しやすいであろう言葉で言い換えるとしたら「どうすれば天国に行けるのでしょうか」です。その場合の「天国」とはいわゆる死後の世界です。わたしたち人間が死んだあとに行く場所のことです。つまり、この「議員」はイエスさまのところに来て何をしているのかというと、要するに、自分の死後の相談をしているのです。彼が心配していることは、自分の死後の行く先です。

しかも、ここでこそチェックしておきたいことは、マタイによる福音書の中でこれと同じ出来事を紹介している記事の中で、この議員が「青年」と呼ばれている点です(マタイ19・20)。どうやら彼は若い人でした。つまりこれは、若い人が自分の死後の行く先を心配している話であるということです。高齢者がそのような心配を抱くという話であれば、まだ理解できるものがあります。同情に値します。しかし、この議員にはこの地上でしなければならないことが、まだまだたくさん残っていた。その彼が、自分の死後の行く先が心配になってイエスさまのもとに相談に来たという、考えてみるとかなり奇妙な情景を思い浮かべることができそうなのです。

その彼に対して、イエスさまが最初にお答えになったことは、「姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え」という掟をあなたは知っているはずだ」です。これはモーセの十戒の特に後半部分です。いわゆる隣人に対する愛の戒めです。地上生活を正しく営むための倫理の命題と言ってもよいものです。すると、この議員は「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言いました。おそらく彼は、子どもの頃から高度の宗教教育を受けて来たのです。わたしは間違ったことをしてこなかった。神さまから嫌われる理由は無い、と言いたかったのでしょう。

ところが、です。イエスさまは彼に「あなたに欠けているものがまだ一つある」とお続けになりました。「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

注目していただきたいのは、イエスさまが彼に欠けているものは「一つ」であると言っておられることです。しかし実際には二つのことをおっしゃっているようにも読めます。それは「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやること」と「わたしに従うこと」の二つです。しかしこの二つが「一つ」であると言われていることが重要です。イエスさまは、御自身に従うことと、持っている物を換金して貧しい人々に分けてやることとは、同じ一つのことであると言っておられるのです。

この話を聞いて、彼は「非常に悲しんだ」と記されています(24節)。マタイとマルコには「悲しみながら立ち去った」と記されています(マタイ19・22、マルコ10・22)。そして、彼が悲しみながら立ち去った理由も共観福音書のすべてに記されています。「大変な金持ちだったから」です。

しかし、どうでしょう。私はこの結末を読むたびに、「ちょっと待った!」と彼を後ろから呼びとめたくなります。そしてこの人に「あなたはイエスさまに何を相談しにきたのですか」と聞いてみたくなります。他にもたくさん問うてみたいことがあります。小一時間、問い詰めたい思いです。

あなたは確かに金持ちなのかもしれません。若いのに多くの財産を持っている。その財産が自分で稼いだものなのか、親から受け継いだものかは問わないでおきましょう。しかしどうしても気になることがあります。それは、「どうしたら永遠の命を受け継ぐことができるのか」というあなたの問いの中心にある事柄はただ単に自分の死後の行く先だけなのでしょうかということです。どうやらあなたは、ともかく自分だけは地上で幸せな人生を送り、さらに死んだあとまでも天国で幸せに暮らしたいと願っておられるようです。しかし、そのあなたの周りには地上の苦しみを味わっている国民が大勢います。いやしくも「議員」を名乗っているあなたの視野に国民の姿は全く入っていないのでしょうか。全く無視ですか。あなたは自分さえ良ければいいのですか。

そして最後に一つ付け加えたいことは「あなたの求めている天国には、お金は持っていけませんよ」ということです。あるいは「お金で天国を買うこともできませんよ」とも言ってみたい。このようなことを言いながら、だんだん腹が立ってくるかもしれません。

しかし、今申し上げたことはすべて私の考えです。イエスさまが同じことをお考えになったかどうかは分かりませんし、腹を立てられたかどうかも分かりません。しかし、断言できることがあります。それは、イエスさまがこの議員に対しておっしゃったことは大変厳しい内容をもっているということです。そしてその際どうしても無視できないことは、彼が国民の代表者であるべき人であったということです。彼が本当はしなければならないことは、自分の死後の心配などそっちのけで、国民の日常生活を心配することであったということです。この私の見方は間違っているでしょうか。

続けてイエスさまがおっしゃっていることは、ユーモアというよりは痛烈な皮肉です。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」このイエスさまの御言葉の解釈をめぐって必ず問題になるのは、「財産のある者が神の国に入ること」は「難しいことであるが可能なことである」ということなのか、それとも「全く不可能なこと」なのかという点です。

それで必ず問題になるのが「らくだが針の穴を通ること」は「可能」か「不可能」かという点です。驚くべきことに「可能」であると解釈する人々がいます。ただし、その解釈には特殊な手続きが必要です。その人々は、「針の穴」とは実はエルサレム神殿の一つの門の名前であるとします。ところが、その門は狭く窮屈なので、らくだたちは身をかがめて通る必要がある。しかし、全く通れないわけではない。求められるのは頭を下げること、すなわち謙遜な態度で通ることであると。

しかし、私が信頼を置いている注解書は、そのような解釈は無理であると主張しています。イエスさまがおっしゃっているのはラビたちも用いた誇張表現である。イエスさまが用いられた誇張表現の例としては「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」(マタイ7・3)などを挙げることができると。

私に言えることは、素朴に読めば「らくだは針の穴を通れない」としか読めないということです。そして、イエスさまが彼に語ろうとなさったことはこうであると私は理解します。もしあなたの視野と関心の中に「貧しい人々」が全く入っていないならば、あなたがた「議員」に託されているこの国が「神の国」になることは「不可能」である。従って、あなたは「神の国」に入ることはできない。

この話をわたしたちにとっての希望のメッセージとして受け取るためには、いま申し上げたことをちょうど正反対に言い直せばよいだけです。つまり、「財産のある人々」は「貧しい人々」の現実に目を向けなさいということです。これは使徒パウロがローマの信徒への手紙(14~15章)に書いている「強い者が弱い者を担うべきである」という教えにも共通しています。逆はありえません。弱い者が強い者を担うことはできません。強い者、あるいは財産を持っている人々が全力を尽くして弱い者、貧しい人々を助け、共に生きる道を探らなければならないのです。

(2009年8月9日、日本キリスト改革派千城台教会主日礼拝)


2009年8月8日土曜日

「国旗・国歌法 成立10年 踏み絵としての斉唱」の論旨に賛成

今日の朝日新聞の朝刊(13版)の文化欄(25面)に掲載されている「国旗・国歌法 成立10年 踏み絵としての斉唱」という記事を読みました。まことにそのとおりと思いましたので、連帯の意志を表します。



この記事は東京都の公立小学校に勤めるキリスト者の音楽教員(59歳)の苦悩を紹介しています。記者は磯村健太郎氏です。



「君が代の歌詞は天皇制をたたえる内容であり、入学・卒業を祝う場にはそぐわないと思っている。有無を言わせずに強いられると、まるで天皇を『神』とする宗教のように感じてしまう。君が代のピアノ演奏を命じられることは棄教を迫られるのに等しく、思想・良心の自由とともに、いわば信教の自由の問題にもかかわる問題であるという」。



「それでも、心は揺れた」とあります。「戒告と減給の処分を計4回受けたが、次に予想される停職1ヵ月の処分は避けたかった。定年を来春に控えた彼女にとって児童と過ごす時間は宝物のよう。わずかの間でも引き離されるのは耐えられなかった」。



心は「揺れない」わけではなく「揺れる」。これは信仰の弱さの表れであるとか、首尾一貫性の無さであるというような冷酷な言葉で批判的に追及されるべきことではありません。日本で公務に就いているキリスト者たちの思いを正しく表しているものと思いました(私が生まれる前からキリスト者であった我が両親も公務員でしたので、微妙なニュアンスまで手に取るように分かります)。



「そこで05年4月以降は入学式と卒業式の当日、休みを取ったり、君が代斉唱が終わったあとに途中入場したりした。式典で起立や演奏を拒否したのではないため、処分はなかった。しかし『私は子どもたちを式場に残したまま逃げたのです』と自分を責め続けている」。



そして、この記事は次の言葉で締めくくられています。「(校長の職務)命令に痛みを感じる者がわずかでもいる限り、その心に思いを巡らすことが民主主義には決定的に大切であるはずだ」。



日の丸・君が代の問題は、「信教の自由」という観点から見られるときこそ、問題の核心が端的に姿を表します。我々キリスト者が「信教の自由」を主張するときには、強い自戒と反省の思いを抱いています。なぜならそれは、欧米の歴史の中では主として「キリスト教会の(悪しき)政治的支配力から解放されたい」という市民の願いによって獲得されたものでもあるからです。そのことを我々教会の者たちは、知らずにいるわけではありません。



しかしまた、我々には「そうであるからこそ」言えることもあると思っているのです。「宗教を有無を言わせずに強いられること」に耐えがたい思いを抱き、徹底的に抵抗することこそが(「古代」や「中世」の人間ではなく)「近代」ないし「現代」の人間の特徴であるということをおそらくどこよりも誰よりも深く自覚しているのはキリスト教会自身なのです。



最近は少しぐらいは傾向が変わってきているらしいと聞くことがあるのですが、私の幼い頃(「昭和」で言えば40年代から50年代にかけての記憶)の日本にはキリスト教に対する偏見や反発が非常に強くありました。その中で私は教会の日曜学校をほとんど休んだことがない人間でしたが、それこそまるで常に被告人席に座らされているかのような気分に苛まれながら、小さく丸まって生きていました。マイノリティとしての悲哀を味わった、というようなどこかしらC調な言い方では説明し尽くせないほどの精神的なダメージを少なからず負いながら生きていました。



もちろん、立場を逆にしてみれば、キリスト教が支配的な国の中では、他の宗教の人々が小さく丸まって生きることを強いられていた(いる)かもしれない。しかし、まさにそのときにこそ「民主主義」が本来の機能を発揮すべきです。民主主義が許さないのは、特定の宗教・思想・信条を「国家ないし警察権力をもって」有無を言わさず強制することです。現在の日本の公立学校の教員たちに強いられていることは、まさにそれです。



私自身は「右翼」でも「左翼」でもないと思っています。というか右翼の人からも左翼の人からも違和感を覚えられる存在に見えるでしょう(「中道」でもないので宇宙人に見えるかもしれません)。しかし、現在の日本政治のあり方に対しては手放しに肯定している面(いろんな点で便利になり、生活していくことにほとんど不自由を感じていないゆえに)と、根源的な次元で否定している面(日の丸・君が代などを強制しようなどという、ありえないほどいかがわしい面が残り続けているゆえに)とがあります。



私は日本国内からほとんど出たことがありませんが、ふだんは「日本の」旗や歌とは全く無関係なところで生活していますので(はっきり言ってどうでもいいと思っているところがある)、「国旗・国歌」なるものに関して「ポジティヴな代案」を提出できる立場にはいません。独立国家には自国のシンボルとなる旗や歌が必要不可欠なのだという言葉を聞いても何の説得力も感じませんが、何が何でも必要であるということであるならば、天皇賛美(それは宗教です)につながらない全く別のものに変えてほしいと願っています。



だんだん自分の身の上話になってしまいました。すみません。この記事をお書きになった磯村健太郎氏にも感謝します。



拡散はまずい、収斂せよ

TwitterとFacebookを始めてみて一週間経ちました。今の感想は微妙です。



意識がどんどん拡散していくのを実感しました。いま「実感」と書きましたが、正しくは「痛感」です。パソコンの前にいるときには、メールと、ブログと、mixiと、Twitterと、Facebookと、ついでにWassrというのも加わって6ポイントを順繰りにチェックし続けている状態になり、小さなパニックでした。メールの返信やブログの更新に支障をきたすほどでした。



もう少し慣れれば変わってくるものがあるのかもしれませんが、いまの状態のままが続くようだと私のキャパを超えます。「ダメだこりゃ」です。パソコンの命は「いかに一極集中しうるか」にかかっていると考えている私としては、意識が拡散されていく方向へと自分を追いこんでしまうことは、ポリシーに反します。



まあ、もう少し実験したり様子を見たりしてみたいとは思っていますが、結局はメールとブログだけのところまで戻ってしまいそうな気がしています。



欲を言えば、本当は私はそろそろネットから・・・いえ、これは言わないでおきます。



2009年8月7日金曜日

理想と現実

ちょっと大げさなタイトルを付けました。先ほどのことですが、Facebookにファン・ルーラーに関するページが無いことが分かりましたので、さっそく新設しておきました。表題は「Arnold Albert van Ruler」です。興味がある方はぜひ探してみてください。



この話題、「Facebookが何のことか分からない」という方は無視してくださって結構です。私としても、新しいページを設置はしましたが、「管理人」のようなことを自任するつもりは全くありません。ぜひいろいろ教えてください、という気持ちです。



それに、Facebookに期待したいのは、何と言ってもやはり「国際的な」関係構築でしょう。日本語のやりとりにはあまり向いていない感じです。外国語のコミュニケーションが得意でない私は、ただ傍観するのみです。



ところで、これはまだ私見ですが、「ファン・ルーラー研究会」(Van Ruler Translation Society)を今後どのように続けていくべきかを考えています。



いまからちょうど10年前(1999年)にメーリングリストの形でスタートした研究会ですが、メーリングリストを介しての神学議論は、あまりにもダイレクトすぎるからでしょう、心理的にショックが大きすぎるものがあることを互いに認識し、現在はメールのやりとりを停止しています。



しかし、ファン・ルーラー研究会そのものは解散したわけでも消滅したわけでもなく、今でも存続しています。我々の最終目標である日本語版『ファン・ルーラー著作集』(仮称)の出版が実現するまで、研究会は存続するでしょう。とはいえ、メーリングリストでのやりとりを再開することはかなり難しいだろうと私は考えています。



それではどうするか。最も理想に近いのは、FacebookのようなSNS(ソーシャルネットワークサーヴィス)を利用したやりとりかなと思っています。ただし我々の研究会の本質は「翻訳会」(Translation Society)ですから、もっぱら日本語でやりとりできるSNSであることが重要な意味を持ちます。



mixiが利用できるかと少し期待しましたが、匿名性が高く、馴染まないものがあると分かりました(mixiそのものを批判しているのではありません。「ファン・ルーラー研究会」の活動の場にはなりにくいと言っているだけです)。



どうしたものかと悩んでいます。



脱稿

ストライキしていたわが脳みそくんを叱咤激励しながら、ようやく今日、一つの原稿を書き上げて編集者に送ることができました。ファン・ルーラーについて書いたものですが、ある大学の出版会が発行する教材誌に掲載していただける予定です。しかし、この安堵感も束の間、もう一つ、ピリピリしながら待たれている原稿が残っています。がんばらねば。


2009年8月6日木曜日

それではブログとは何なのか

Twitterに自分のアカウントを登録し、他の何人かのつぶやきのフォローを始めました。勝間和代さんのつぶやきが非常に面白くてハマり気味です。「仕事ができる人ほど多くつぶやく」という命題を思いつきました。「つぶやきが少ない人は仕事ができない」という逆命題が真理かどうかは不明です。



Twitterを始めてから考えさせられたことは、「これ(Twitter)とブログの違いは何だろうか」ということです。単に字数が140字に制限されているだけで、ブログと同じだろうと予想していましたが、実際に始めてみると明らかに何か違うものを感じます。チャットとも全く違います。



いろんな見方があることは尊重します。しかし現時点の私の率直な感想を書きとめておきますと、伝統的な意味での「日記」(diary)というカテゴリーに最も近づいたのが、実はこのTwitterではないかと思いました。



前にも「ブログは『日記』ではありえない」というタイトルのもとに書いたことがあるとおり、このブログに「関口 康 日記」と名付けているにもかかわらず、これを「日記」であると考えることは私にはどうしてもできません。前に書いたことの趣旨は、「日記」には個人情報など「最高機密事項」を書くことがありうるが、不特定多数に閲覧可能なブログというこの場所にそういうことを書くことはありえないだろうということでした。



この点ではTwitterも同じです。Twitterに「最高機密」を書いてしまう愚に陥らないように気をつけなければなりません。しかし、この点(最高機密をこんなところに書いてはならないこと)を除いては、Twitterは、私のカテゴリー表の中では限りなく「日記」に近いものです。どうやら私は、こういうものを長年求めていたのです。



しかし、今書いたことが分かった時点でふと考えさせられたことは、「それではブログとは何なのか」です。



さっそく私の中で始まってしまったのは、短くつぶやきたいときはTwitter、長くつぶやきたいときはブログ、というふうな使い分けです。それは明らかに、Twitterとブログはベツモノであると私の感性が認識した証左です。



ブログに一行、二行といった短い文章しか書かないと、どうも見てくれが悪い。ある程度の分量を書かないと、格好がつかない。これに対してTwitterの字数制限は140字ですから、分量ある文章を書きたくても書けません。



まだ確信には至っていませんが、ひょっとしたらこんな(↓)感じかな、とも思いました。



Twitterに書くのは「歌詞」、ブログに書くのは「その歌詞の解説」。



う~ん、違うか。



2009年8月5日水曜日

当然の成り行き

いま相当スランプです。何も書きたくないし、何も考えたくない。わが脳みそがご主人さまに逆らってストライキを起こしています。



原因は分かっています。今年の前半ものすごく忙しかったですから。昨年立てた予定では、のんびり過ごす一年のはずでした。それが、あれよ、あれよ。予定外の仕事がどっかんどっかん目の前に積み上げられて行きました。



「150年に一度」とか「500年に一度」という仕事ばかりで、未体験ゆえの手探り作業の連続でしたので、十分な働きができたかどうかは分かりませんが(どの程度が「十分な」働きなのかが比較する前例が無いので分からない)、とにかくみんなで力を合わせてやり遂げました。



その喧噪状態から「解放された」と言える状態にやっとなったのが先週の土曜日でした。



案の定、今週はがっくりです。頭の中に力がわき上がって来ません。脳みそが偉そうにどっかりあぐらをかいて「おれは何も考えないぞ」と腕組みしながら頑張っています。



しかし、ありゃりゃ、私がその状態になった途端に私設ブログのすべてのアクセス数が急激にダウンしております。昨日は今年前半の好調時の2割ほどのアクセスしかありません。



書き続けるかぎり、読んでいただけるものもある。書けなくなったら読者も失う。当然の成り行きですが、「人生とは厳しいものである」と、わが貧しき脳のかい主が、恨めしそうにつぶやいています。



2009年8月2日日曜日

キリストの肉と血


ヨハネによる福音書6・41~59

「ユダヤ人たちは、イエスが、『わたしは天から降って来たパンである』と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。『これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、「わたしは天から降って来た」などと言うのか。』イエスは答えて言われた。『つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者の書に、「彼らは皆、神によって教えられる」と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。』それで、ユダヤ人たちは、『どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか』と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。『はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。』これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。」

いまわたしたちは、ヨハネによる福音書の6章を学んでいます。わたしたちの救い主イエス・キリストが五つのパンと二匹の魚で五千人の空腹を満たしてくださいました。またその後イエスさまは湖の上を歩いて行かれ、嵐の中の弟子たちを励ましてくださいました。そしてイエスさまは弟子たちの前で「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」と言われました。

これらの話は全部つながっています。そのように読むことができます。どのようにつながっているかを説明するのは難しいことではあります。きちんと納得していただけるほどきちんとお話しすることは、今日はできません。キーワードだけを申し上げておきます。それは、先週も用いた表現ですが、「イエス・キリストとの距離感」です。あるいは「親密度」と言っても構いません。言いたいことは「近づくこと」であり「距離がないこと」です。

友人、恋人、夫婦、親子と、いろんな人間関係がありますが、満足や納得が得られる関係になっていくためにどうしても必要なことは、「近づくこと」です。「距離がないこと」です。この「距離感」という点が、6章で紹介されているイエス・キリストと群衆との関係、ないしイエス・キリストと弟子たちとの関係においても問題になっていると考えられます。そのような言葉が書かれているわけではありませんが、事柄をよく考えてみれば、そのようなことだと分かっていただけるはずです。

「食べる」とは、口の中に入れることです。外のものを中に入れることです。そして、その日そのときまではこのわたしと縁もゆかりも無かったものが、このわたしの中に入り、このわたしと一体化することです。言葉にすると大げさな言い方になってしまうかもしれませんが、そこで起こっていることをじっくり考えていただくと、大げさでも何でもなく、そのとおりのことが起こっていることに気づいていただけるでしょう。

イエスさまがお求めになったのは、イエスさまの肉を食べるということであり、イエスさまの血を飲むということでした。「もうやめてください。勘弁してください」と大きな声で言いながら耳をふさぎたくなるようなことをイエスさまは言われました。しかしわたしたちがそのような感想を述べたくなるのは、イエスさまがお考えになっていることとは全く異なる事柄を思い浮かべているからです。

しかしそのことがイエスさまから求められているのですから、イエスさまを信じて生きようとしている者たちはイエスさまのその求めに何とかして応えなければなりません。イエスさまの肉を食べること、イエスさまの血を飲むことを達成しなければなりません。

それは、繰り返しますが、事柄の内容からすれば、イエスさまとの距離感の問題です。イエスさまを、このわたしの中に入れることです。あるいは、入っていただくことです。このわたしとイエスさまが一体化することです。イエスさまとこのわたしは一つの存在として永遠に離れない関係になっていると、信じることができる状態に達することです。肉を食べ、血を飲むとはそういうことです。

今日の個所は、イエスさまが御自分を指して「天から降って来たパンである」とおっしゃったことにユダヤ人が反発したという話から始まっています。あいつはヨセフの息子ではないか。あいつの父ちゃんも母ちゃんもよく知っている。なんであいつが「わたしは天から降って来た」などと言ってるんだ。バカじゃないだろか。デタラメも休み休みに言えと、小馬鹿にして笑っている人あり、むきになって怒っている人ありの状況だったと思われます。

しかし、このような反発の仕方にはいろいろな問題を感じさせられます。まず何よりも先に言えることは、イエスさまは事実を述べておられるのですから、それを笑ったり怒ったりすることは失礼に当たるという点があります。しかし、それだけではなく他にもいろんなことを考えさせられます。

その一つは、「天から降って来る」という言葉づかいを否定してしまうならば、宗教など一つも成り立ちようがないということです。聖書において「天」とは、神がおられるところを意味しています。ですから「天から降って来る」とは「神のもとから来る」とか「神によって遣わされる」と言うことと同じです。これを笑ったり怒ったりしはじめるとしたら宗教は成り立ちません。教会も牧師も存在する意義さえありません。

しかし他方でわたしたちは、逆の方向を向いている「天に昇っていく」という言葉のほうは、使いたくて使いたくて仕方がありません。宗教や信仰というようなものを全くもっていないし、信じてもいないと言っているような人々でも「天国に行きたい」という願いをもっているはずです。「ご冥福をお祈りいたします」などとも言う。冥福の「冥」は冥土の「冥」でしょう。「冥土」とはどこでしょうか。聖書で言うところの「天国」のようなところでしょう。そういうところがあるということ、そういうところにわたしたち人間が行く日が来るということは、非常に多くの人が認めたり願ったりしています。

しかし、その反対の方向の話になると、急に心を閉ざす人がいる。自分や他人が「天に行く」話は受け入れても「天から来る」人の話は受け入れない。よく考えてみれば、二つの話は本質的にほとんど違いがないということにお気づきいただけるはずです。事柄の中心にあることは天と地の関係です。すなわち、天上なるものと地上なるものとの関係、神とこの世界との関係です。天と地の間には相互関係があり、行ったり来たりできる関係があります。両者の間にコミュニケーションがあるのです。行くことができるなら、来ることもできるでしょう。「天から降って来た」という言葉を聴いて笑う人々は、宗教や天国といったすべてのことを否定しているのと同じなのです。

イエスさまが、パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを割いてお渡しになりました。「パンを割いて弟子たちに手渡すこと」を、わたしたちの教会でも行っています。礼拝の中で行うあの聖餐式です。聖餐式のたびに牧師が読む言葉は「これはわたしの体です」、「これはわたしの血です」というイエスさまのみことばです。このみことばをイエスさまは、十字架にかけられる前の夜、弟子たちにパンとぶどう酒を手渡されながら言われました。そのときイエスさまが願っておられたことは、御自身の命を与えてくださることでした。イエスさまは愛する弟子に御自身の命を与えてくださったのです。

そしてとても大事なことは、イエスさまが愛してくださったのは今から二千年前の弟子たちだけではなく、その後の長い歴史の中でイエスさまを信じる信仰をもって生きてきたすべての人でもあり、これからイエスさまを信じて生きていこうとしている人でもあるということです。その中にはここにいるわたしたちももちろん含まれているのです。ですから、聖餐式のたびにわたしたちが知ることができるのはイエスさまの深い愛です。わたしたちはイエスさまに愛されているのです。

「わたしは神さまを信じている」と自覚できる人は、洗礼を受けましょう。また、幼児洗礼を受けている人の場合は、信仰告白をしましょう。そうすることによって、神さまが喜んでくださいます。そして洗礼を受けた人、信仰告白をした人は「聖餐式」に参加しましょう。

聖餐式はお祝いです。お祝いのときに暗い顔をしていることはマナー違反です。お祝いの席には明るい笑顔で参加しなければなりません。イエスさまは、わたしたち罪人が本当は受けなければならなかった神の罰を身代わりに受けてくださいました。イエスさまがわたしたちの代わりに十字架にかかってくださり、死んでくださったことによって、わたしたちの罪がゆるされました。わたしたちは、イエス・キリストが十字架の上で示してくださった愛によって救われたのです。わたしたちに求められることは、それらのことを喜びつつ聖餐式に参加することです。

聖餐式では、パンとぶどう酒が配られます。今日はとくに、ぶどう酒の話をします。前にもお話ししたことがありますように、ぶどう酒の代わりにぶどうジュースを用いている教会も、たくさんあります。どちらでなければならないという決まりはありません。大切なことはお酒かジュースかではなく、色であると言われます。イエスさまは「これはわたしの血です」と言われながら、ぶどう酒を配られました。それは、ぶどう酒が血の色の飲み物だったからです。

「赤い飲み物ならなんでもいいのか。たとえばトマトジュースでもいいのか」というような質問が出てくるでしょうか。難しい問題です。イエスさまが最後の晩餐のときに用いられたのが「ぶどう酒」だったので、教会は伝統的にぶどうを用いて来たのです。そしてぜひ安心してほしいことは、わたしたちの教会の聖餐式のぶどう酒は「これはわたしの血です」と言いながら配られるものであっても、血なまぐさい臭いがするわけではないということです。聖餐の食卓には、ぶどうのさわやかで豊かな香りがあふれています。それは、人の心を幸せにする、祝いの席にふさわしい香りです。

(2009年8月2日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年7月31日金曜日

FacebookとTwitterを始めました


友人に勧められて、Facebook(フェイスブック)とTwitter(ツィッター)を始めました。こればかりは全くもって時流に乗せられた格好です。「もうね、どうぞどこでも連れてってくださいな」という気持ちです。でも、しばらくは面白く使えそうだと予感しています。昨日だったか「ビル・ゲイツ氏がFacebook(フェイスブック)を退会した」というニュースが流れていましたので、ある人々にとってはすでに用済みのツールなのかもしれません。

Facebook(フェイスブック)
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2009年7月26日日曜日

わたしが命のパンである


ヨハネによる福音書6・30~40

「そこで、彼らは言った。『それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。「天からのパンを彼らに与えて食べさせた」と書いてあるとおりです。』すると、イエスは言われた。『はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。』そこで、彼らが、『主よ、そのパンをいつもわたしたちにください』と言うと、イエスは言われた。『わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。』」

今読みましたのは、ヨハネによる福音書に記された、イエス・キリストの御言葉です。これは弟子たちとの会話の中で語られたものです。弟子たちが「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」とイエスさまに願いました。「そのパン」とは、この直前に語られている「神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである」(33節)を指しています。つまり、弟子たちがイエスさまに願ったのは、天から降って来て世に命を与える神のパンです。しかも、ここで「パン」とは人間の食べ物の総称です。それは日々の糧であり、生活必需品です。またそれは、人間の命そのものと呼んでもよいものです。わたしたちの命を支える力と言い直しても構いません。

ここで考えさせられることは、わたしたちは毎日何を食べて生きているのだろうかということです。かつてイエス・キリストは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と語られたことがあります(マタイ4・4)。しかもそれは旧約聖書の申命記8・3からの引用でした。つまり、旧約聖書と新約聖書とに共通している教えは、人間はパンだけを食べて生きているのではないということです。言い方を換えれば、わたしたちの命を支える力としての食べ物は八百屋で材料を買ってきて台所で調理して食卓に並べられる、あの品々だけではないということです。

それならば、わたしたちに必要なものは何でしょうか。イエスさまは「神の口から出る一つ一つの言葉」の必要性を強調されました。そしてまた、今日の個所で語られていることは、さらに一歩踏み込まれています。それは「神の口から出る一つ一つの言葉」の具体的な内容であると言ってもよい。それこそがまさに「わたしが命のパンである」というイエスさまの御言葉に集約されている内容です。つまり、「神の口から出る一つ一つの言葉」とは「命のパン」そのものとしてのイエス・キリスト自身であるということです。

ここで少し整理しておく必要がありそうです。イエスさまが弟子たちに教えていることをまとめて言えば、要するに、あなたがたの食べ物はこのわたし自身であるということであることが分かります。「このわたしがあなたがたの食べ物である」と言っておられるのです。もっとはっきり言えば「このわたしを食べなさい」と言っておられるのです。

この件に関してイエスさまが明言しておられる最もはっきりした言葉が、6・55以下に出てきます。「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」。

これは少し冷静に考えれば、そんなことができるはずはないと、誰もが思うようなことです。弟子たちの目の前に立っておられたイエスさまの姿は、どこから見ても、一人の生きた人間でした。人間の姿をしたイエスさまが弟子たちに向かって「わたしの肉を食べなさい」とか「わたしの血を飲みなさい」などと言われている様子は、奇妙で不気味なものです。心の底からぞっとするという気持ちを持つ人がいてもおかしくないようなことを、イエスさまはおっしゃっています。

事実、この話をイエスさまがなさった直後に弟子の多くが感じたことは「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」ということでした(6・60)。このような話をイエスさまがなさったばかりに弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった、と記されています(6・66)。

しかし、ここでわたしたちは、イエスさまがこのことをいわゆるたとえ話としておっしゃったわけではないということも理解しておくべきです。たとえ話という言葉を聞いてわたしたちが通常思い浮かべることは、それは事実でも現実でもない空想であり、作り話(フィクション)であるということでしょう。ところが、イエスさまがおっしゃっていることは、その意味でのたとえ話ではありません。もっとリアルなことです。事実であり、現実です。わたしたち人間は本当にイエスさまを食べることを求められているのです。

しかし、もしそうであるならば、わたしたち人間が次に問題にしなければならないことは、わたしたちはイエスさまをどのような方法で食べればよいのだろうかということです。イエスさまの食べ方は何かと問わねばなりません。しかしこうなりますと、いよいよ不気味な話になっていくでしょう。イエスさまの体のどの部分は美味しいとか、どの部分は苦いとかいうようなことをまともな顔で語り合うことは、ほとんど不可能です。だからこそ、わたしたちはつい、このイエスさまのお話はたとえ話であると考えたくなるのです。

しかし、わたしたちはここでよく考えてみるべきです。たしかに「イエスさまを食べる方法は何か」と言われると、わたしたちはほとんどお手上げ状態です。しかしそれではわたしたちはイエスさまのおっしゃりたいことの結論部分まで全く分からないと感じるでしょうか。いや、そんなことはない、と言える要素も残っているのではないかと私には思われます。

答えを導き出すためのヒントは、先ほど引用した6・56の御言葉です。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」。ここで教えられていることは、わたしたちがイエスさまを食べる方法ではなく、むしろイエスさまを食べた結果です。イエスさまを食べた人は「いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」。

つまり、その結果として起こることは要するに、その人がイエスさまの所有物になり、かつイエスさまがその人の所有物になるということです。わたしがイエスさまのものとなり、かつイエスさまをわたしのものにすることです。それは、誤解を恐れずに言えば、イエスさまの私物化とさえ呼ぶことができることでもあります。もちろんそれはほとんど誤訳であるというべきです。しかし、たしかにそれは誤訳なのですが、しかし、限りなく真理に近い誤訳であるというべきです。

別の観点を持ちこんでおきます。私がいま語ろうとしていることは、わたしたち人間とイエスさまとの距離感に関することであると表現し直すことができます。わたしたちが私物化という言葉を使うときは99%悪い意味で使います。しかしそのようにでも言わないかぎり決して縮まらない距離があります。イエスさまを食べて私物化する。腹の中におさめてしまうことによってイエスさまとわたしが一体化する。そのとき初めてイエスさまとわたしたちの距離がゼロになるということが起こるのです。

そのときこのわたしとイエスさまはたしかに全く一体化しています。ここまではわたし、ここからはイエスさま、というふうに区別することができない状態にあるでしょう。食べるとはそういうことです。お腹の中に入ったもの、胃袋の中で消化されはじめたものをこのわたしと区別して考えることはできません。それはわたしです。大根であろうと人参であろうと、牛肉であろうと豚肉であろうと、いったんそれがお腹の中に入った時点でそれはわたし自身なのです。

イエスさまとわたしたちの関係においてもまさにそのような一体的な関係になることが求められています。今「わたしたち」と言いました。それは第一義的にはイエスさまの弟子である者たちです。イエスさまを救い主と信じる信仰を持って生きる者たちです。もし皆さんの中にイエスさまの存在に対していまだに赤の他人のような感覚しか持てないままでいる方々がおられるとしたら、その方々はまだイエスさまのことを食べておられないのです。その方々にとってのイエスさまは、食べる前の、口の中に入れる前の、大根や人参、牛肉や豚肉のままです。調理はすでになされているかもしれない。しかし、まだその料理を味わっておられないのです。

ところが、イエスさまは、わたしの肉を食べなさいと言われ、わたしの血を飲みなさいと言われています。つまり、イエスさまは弟子たちに対して、このわたしをあなたのものにしなさいと言われているのです。わたしがあなたになりますから、あなたはわたしになりなさいと言われているのです。

この個所を読む人々の中に、ここでイエスさまが「わたしが命のパンである」と言われているのは聖餐式のパンを指していると理解したがる人々がいます。しかしその理解に私は反対します。聖餐式は全く関係ないと申し上げたいわけではありません。しかしここで問題になっていることは聖餐式のことだけではありません。それは事柄の矮小化に通じます。聖餐式のあの小さなパンを食べさえすればイエスさまを食べたことになるでしょうか。私はそうは思いません。そのような理解をイエスさま御自身が否定しておられます。イエスさまは「わたしが命のパンである」と言われているからです。

それでは、日曜日の礼拝に出席することだけで事が済むでしょうか。それもイエスさまが否定しておられます。「パン」とは毎日食べるものの総称だからです。その意味では「命のパン」と訳すことは誤訳とは言えないとしても、やはり事柄の矮小化に通じる要素を提供してしまっていると言わざるをえません。

「命」とはライフ、すなわち「生活」です。そして「パン」は食べ物全体、すなわち「糧」です。イエス・キリストは日常生活を支える糧です。わたしたちは毎日イエスさまを自分のものとする必要があり、日々一体化すべきです。そのようにしなさいと、イエスさま御自身がわたしたちイエスさまを信じて生きる弟子である者たちに命じておられるのです。

そのためにわたしたちにできることは何でしょうか。ここから先は月並みな言い方しかできません。聖書をとにかく毎日読むことです。あるいは毎日の祈りの中でイエスさまと交わり続けることです。そのときイエスさまとの距離がゼロになります。それこそが「イエスさまを食べること」なのです。

(2009年7月26日、松戸小金原教会主日礼拝)