2009年6月7日日曜日
イエス・キリストの声を聞く
ヨハネによる福音書5・19~30
「そこで、イエスは彼らに言われた。『はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。』」
先週の個所に記されていましたのは、わたしたちの救い主イエス・キリストが、エルサレム神殿の羊の門の傍らにある「ベトザタ」と呼ばれる池のそばに横たわっていた三十八年も病気で苦しんでいた人をいやしてくださったという出来事でした。
それはもちろん、わたしたちからすれば、喜ぶべき、素晴らしい奇跡的なみわざでした。ところが、そこにイエスさまが行ってくださったそのみわざを喜ばなかった人々がいました。ユダヤ人たちでした。彼らはその人がいやされたことを喜ぶどころか、その出来事を理由にイエスさまのことを迫害しはじめたのです。
彼らがイエスさまを迫害することを決意した理由は、二つありました。
第一の理由は、イエスさまがそのいやしのみわざを安息日に行われたことです。安息日にはいかなる仕事もしてはならないと律法に定められている。それにもかかわらず、この男は仕事をした。それがけしからんというわけです。また、イエスさまは、三十八年も病気で苦しんでいた人をいやされたとき、その人に「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」と言われ、その人はそのとおりにしました。しかし、安息日に床を担いで歩くことは律法で許されていないというわけです。そのようなことをしているその人もけしからんことをしているし、それをその人にしなさいと言ったイエスさまもけしからんことをしている。これは大問題であると、彼らは騒ぎ始めたのです。
しかし、第二の理由がありました。その点が今日の個所に直接関係しています。それはイエスさまがユダヤ人たちの前で「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」(5・17)とおっしゃったことが理由です。このときイエスさまが神さまのことを御自分の「父」と呼ばれたことがけしからんというわけです。なぜこれがユダヤ人たちの気に障ったのかといえば、父なる神の子どもは神であるということを彼らは知っていたからです。つまり、神を「父」と呼ぶその人は、自分を神と等しい者であると言っているのだと、彼らは受け取ったのです。
イエスさまが「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」とおっしゃったことは、なるほどたしかに、ユダヤ人たちにとっては刺激的で挑戦的な言葉として響いたことでしょう。なぜなら、その日は安息日だったからです。
安息日は休みの日であって仕事をする日ではないとユダヤ人たちは理解していました。この理解そのものが間違っているわけではありません。ところがイエスさまは、安息日はわたしの父が仕事をなさる日である、だからわたしも仕事をするのだとおっしゃったわけです。イエスさまのおっしゃっていることも間違っていません。
安息日の意義はただ布団をかぶって休むというようなことだけにあるのではありません。もちろん旧約聖書には、父なる神は六日間で天地万物の創造を成し遂げられ、七日目に「神は御自分の仕事を離れ、安息なさった」(創世記2・3)と記されています。しかし問題は、その場合の「安息」の意味です。神は布団をかぶって休まれたのでしょうか。どうやらそういう意味ではないのです。
七日目に神がおとりになった「安息」の意味は、御自身が創造された天地万物をお喜びになり、楽しまれたということです。あるいは、お祝いなさったということです。つまり、神は七日目に天地万物の完成祝賀パーティーをなさったのだと考えることができるのです。
喜び楽しむこと、あるいは祝うことが仕事かどうかは微妙です。仕事というよりは遊びかもしれません。しかし、それは、何もしないで布団をかぶってただ休むということとは違います。喜び楽しむという働き、祝うという働きに就くことです。
イエスさまがこの安息日に三十八年も病気で苦しんでいた人をいやされたことは、仕事でしょうか、それとも遊びでしょうか。これについてはいろんな問い方ができるでしょう。人助けは仕事でしょうか、遊びでしょうか。福祉のわざは仕事でしょうか、遊びでしょうか。
このような問い方自体が間違っているかもしれません。「遊びである」と言いますと、ますますけしからんという話になるかもしれません。しかし長年の苦しみから解放されたその人にとっては、病気をいやしていただいたその方が行ってくださったことは、遊びではないと言われるかもしれませんが、喜びではあったでしょう。この点が重要なのです。
安息日に苦しんでいる人を助けること、苦しんでいる人を喜ばせること、一緒に楽しむことは、父なる神の御心にかなったことなのです。そのことをイエスさまは、この出来事を通して多くの人々の前でお示しになったのです。
今申し上げた話が今日の個所の内容につながっています。イエスさまが「彼ら」(ユダヤ人たち?)におっしゃったことは「子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである」(19~20節)ということでした。
ここで言われていることは、神の御子イエス・キリストが地上に来てくださった理由であり、また地上で行われるみわざの目的です。イエスさまは父なる神の御心を行うために来てくださったのです。そして、その場合の父なる神の御心とは、短く言えば人助けです。世のため・人のために意味のあること、役に立つこと、助けになることを行うことです。苦しんでいる人をその苦しみから解放すること、その人を喜び楽しませること、またその人と共に喜び楽しむことです。
イエスさまは次のようにも言われました。「また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える」(20~21節)。
神の御子の地上におけるお働きの目的は「死者に命を与えること」であると言われています。この「死者」の意味の中には、肉体的・生物学的に死んでいる人のことも含まれていると言うべきですが、それだけではありません。神の御前で罪を犯している人のこと、つまり、すべての命の創造者なる神との関係が崩れ壊れている人のことも含まれています。その人々が神の御前に立ち返り、新しい命を与えられて生きること、新しい人生を始めることも、言葉の正しい意味での「復活」なのです。
イエスさまが安息日ごとに会堂で聖書の御言葉を説き明かす説教をなさっていたということは、今学んでいるヨハネによる福音書のこれまでの個所にはそのような表現ではまだ記されていませんが、他の福音書にはそのようにはっきりと記されていたことを思い起こしていただけるでしょう。
安息日は大昔から今日に至るまで聖書のみことばを聞く日です。牧師が毎週日曜日に行う説教は仕事でしょうか、それとも遊びでしょうか。「遊びである」と言われると、牧師たちにとってはちょっと困る面もあります。しかしもしこれが皆さんにとって面白くもおかしくもないものになってしまっているとか、何の助けにもならないとか、聞いているだけで不愉快になるというようなものになってしまっているとしたら、牧師たちは相当反省しなければなりません。
牧師たちの説教とイエスさま御自身の説教は根本的に違うものであると言われるなら、そのとおりです。牧師の説教は仕事であると、わたしたち牧師たちがただ言い張るばかりであるとしたら、牧師たちこそが安息日についての戒めの最大の違反者であるということになるでしょう。
説教、そして礼拝は喜び、楽しみ、命を与えるものでなくてはなりません。その意味での遊びでなければなりません。月曜日から土曜日までのあいだに会社や社会や家庭でくたくたに疲れてきた人々が日曜日に教会に来るとますます疲れるということになっているとしたら、それこそが安息日の戒めを破ることであり、それこそが端的に罪です。
疲れは取り去られなければなりません。病気はいやされなければなりません。安息日に病気をいやすだなんてけしからんとか、いやされた人が床を担いで歩くだなんてけしからんとか言いだした人々は、何を考えていたのでしょうか。そのような言い方は、神さまの御心の正反対です。安息日に人の喜びや楽しみを奪うこと、せっかく元気になった人からその元気を再び取り去ること、笑顔を奪い、ますます悲しみと絶望に追いやること。そのようなことは、宗教の風上にも置けない!悪魔的であるとさえ言えます。
イエスさまは続けておられます。「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである」(24~26節)。
ここで言われていることも先ほどから申し上げていることの繰り返しです。イエスさまが安息日になさったことは、人々に命の言葉を語ることでした。その言葉には死者を生き返らせる力がありました。
私も時々、ぞっとするほど疲れていることがあります。生ける屍とはまさにこのことかと感じるほどに。まるでぼろ雑巾のように横たわるしかない時があります。ぐっすり休めばまた立ちあがることができるという時ももちろんありますが、心が疲れているというときには眠ることができない場合もあります。けしからん牧師ですが、本当は家族の前で見せてはならないようなしかめ面をしていることも、ままあります。
そのようなときに、です。私が再び立ち上がることができるのは、聖書の御言葉があるからです。私には命の創造者なる神の御言葉があります。父なる神の御心を地上において忠実に果たされたし、今も忠実に果たし続けておられる永遠の神の御子イエス・キリストの御言葉があります。これがあるから私は立つことができる。生きることができるのです。心に喜びが取り戻される。笑顔が回復されるのです。
そのことを牧師と教会は繰り返し体験しています。そのことを多くの人々に知っていただくために、私は今日もここに立っているのです。
(2009年6月7日、松戸小金原教会主日礼拝)
2009年6月6日土曜日
著書なきカキビト
昨日の遅い時刻に、私の部分はごく短いものですが私にとっては初めてのハードカバー付きの本(共著)の原稿の校正ゲラを、やっと出版社に送り返すことができました。珍しく締め切りを守りました。一昨日は別の原稿を書き、掲載誌の編集者に送りました。
私のブログの更新が止まっているときは、惰眠をむさぼっているわけではなく(そういうときもある)、たいていの場合、この種の原稿書きやゲラ校正に没頭しているときです。
お恥ずかしいことに、原稿にとらわれはじめると他の何も手につかなくなります。三度の食事はとりますが、他のことはほぼ抜け落ちていく。日常生活がおろそかになる。「このままでは人間として失格者だ」と危機感を抱き、「早く脱稿せねば」と自分を追い立てる。その繰り返しです。
ところで、共著の出版社から「執筆者略歴を書いてください」と求められたとき、私にはそこに記すべき「著書」も「訳書」もないということに、今さらながら気づかされました。
ナーバスになっているわけではありません。ただ、インターネットをアウトプット先にする書き物の量は多いほうだと自覚しております。この面ではかなり苦労も味わいました。自分で言うのも何ですが、これだけ書くことに苦労してきた人間に未だに一冊の「著書」も「訳書」もないだなんて、なんだか変な話だなあと自嘲気味に笑ったまでです。
でも、別に構わないんです。私の目標は「本を書くこと」自体ではないからです。「本を書くこと」は、目標のための有力な手段であり通過点ではあります。しかし、何が何でも必ずそこを通らねばその先に進んでいけないというほどではありません。
私の書き物は、急行列車の窓から一瞬見えた女性に一目ぼれするようなものです。まばたきしている間に視認できない距離に至る。次の瞬間にはどんな人だったか忘れてしまうほどの微妙なデータです。こんなものはなかなか「本」の形にはなりません。
あるいは、それは引き出しにしまいこんでいる大量のスナップショットです。整理すれば何かの価値が生じるかもしれないと感じつつ、整理のために費やす時間が勿体ないと思えて、未整理のまま次の仕事に没頭しはじめてしまうのです。
2009年5月31日日曜日
三十八年も苦しんだ人が癒されたのに
ヨハネによる福音書5・1~18
「その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で『ベトザタ』と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、『良くなりたいか』と言われた。病人は答えた。『主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。』イエスは言われた。『起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。』すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。『今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。』しかし、その人は、『わたしをいやしてくださった方が、「床を担いで歩きなさい」と言われたのです』と答えた。彼らは、『お前に「床を担いで歩きなさい」と言ったのはだれだ』と尋ねた。しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。『あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはならない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。』この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。イエスはお答えになった。『わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。』このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。」
今日の個所に記されている話を読むたびに、深く考えさせられてきたことがあります。それは、わたしたちの人生は単純なものではないということです。人生にはいろんな要素が複雑に絡み合っているのです。
あらすじは単純です。エルサレムで祭りが行われていたので、イエスさまがエルサレム神殿まで来られたところから始まります。イエスさまはエルサレム神殿の北東に位置する「羊の門」(神殿祭儀の中で犠牲としてささげられる羊を通らせるための門)の傍らにある「ベトザタ」という池と、その脇にある五つの回廊まで来られました。そしてイエスさまは、そこに横たわっていた大勢の人々をご覧になりました。その人々は「病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人など」であったと記されています。
そして、その中には「三十八年も病気で苦しんでいる人」(5節)がいました。すると、イエスさまは、その人の前に立ち止まられ、またおそらくはしゃがみこまれて話をお始めになったのです。イエスさまが質問なさったのは「良くなりたいか」(6節)でした。もし皆さんがこの人だったら、どのように答えるでしょうか。あるいは立場を逆にして考えてみることもできます。もしわたしたちの前に三十八年も病気で苦しんできた人がいたら、その人とどのような会話をするでしょうか。そのようなことをいろいろ考えながらお聞きいただくと、この話をより身近なものに感じていただけるでしょう。
それで注目していただきたいのは、この人の答えです。この人が答えたことは、「はい、良くなりたいです」ではありません。「いいえ、良くなりたくありません」でもありません。イエスさまが問われたことは「良くなりたいか」ですから、求められている答えは「はい」か「いいえ」です。しかし、この人はストレートな答え方をしていません。明らかにはぐらかしています。いろんな要素が複雑に絡み合ったような答え方をしています。突然話しかけてきた通りがかりの人に対して、素直な気持ちになれなかったのかもしれません。
この人は次のように言いました。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」
この人が言っていることをわたしたちは笑ったり批判したりするのではなく、なるべくこの人の立場に立って理解する必要があります。しかし、どうしても言わざるをえないことは、この人はイエスさまの問いかけにきちんと答えていないということです。この人はイエスさまの問いかけに答えていません。彼が口にしたことは、自分の病気が三十八年も治らない原因をこの人なりに考え抜いてきた結論です。
それは、要するにこうです。「あの池の水に触れると、わたしの病気は治るんだそうです。しかし、わたしはその水に触れることができません。だれもあの水にわたしを触れさせてくれません。だから、わたしの病気は治らないのです。つまり、わたしの病気が治らないのは、わたしのせいではないのです」。
イエスさまがこの人に「良くなりたいか」と言われたとき、この人のことを責める意図はなかったと私は思いますが、いかがでしょうか。しかしこの人は、まるで体と心が敏感に反応するように、「わたしは今、この通りがかりの人〔イエスさま〕から責められた!」と感じたのです。実際にこれまで、何度となく責められてきたからではないでしょうか。だから、「わたしの病気が治らないのはわたしのせいではない」ということをイエスさまの前で必死になって語ろうとしました。自分の身を守ろうとしました。
わたしたちはどうでしょうか。病気の話でなくてもいいでしょう。たとえば「今わたしは幸せではない」と感じている方。「このような状態に陥っている原因は、わたしのせいではない」と言いたい方がおられませんでしょうか。
「あなたはいつでもわたしのことを責め立てる。しかし、あなたにわたしの何が分かるのか。あなたはわたしの何を知っているのか。わたしの今の姿はこれまで体験してきた実にさまざまな要素が複雑に絡み合ってきた結果なのである。『良くなりたいか』とか突然聞かれても、『はい』か『いいえ』のどちらかで答えられるような単純な人生を送ってこなかったのである」と。
この人が何か必死になって、自分の身を守ろうとしている姿は、わたしたちにとって、決して理解できないものではないはずです。
しかも、ここにまた、もうひとつの複雑な要素が絡んできます。その要素とは、この人が口にしている「あの池の水に触れると病気が治る」という点は、ある解説によりますと、当時のユダヤ人たちは信じていなかったことであるというものです。
なるほどわたしたちは旧約聖書を読んでおりますときに「神殿の池の水に触れると病気が治る」というような話が出てくるのを見たことがありません。むしろわたしたちはそのような話には非常に違和感を覚えます。「迷信的である」と直感的に分かります。ユダヤ人も同じでした。迷信とか魔術とか占いとか、その種のことをユダヤ人は嫌っていたのです。
この人は自分で言っていることを本当に信じていたのでしょうか。この人がそのことを信じていたか信じていなかったかによって、この個所の理解は全く違うものになっていくでしょう。もし信じていた場合は、この人は自分の病気が治らない原因を、自分をあの池の水に触れさせてくれない周りの人々のせいにしていることになります。そうなりますと、「この人は、大人のくせにひどく甘えた、自立できない人間である。なんとけしからん」という話になっていくでしょう。そのようにして結局わたしたちはこの人を責めはじめることになるでしょう。
しかし、彼自身もそのようなことを本気で信じてはいなかったという場合もありうるというのです。その場合は、別の結論を用意しなければなりません。私が考えた別の結論は次のようなものです。すなわち、この人は自分の病気が治らない原因を周りにいるすべての人のせいにしているようである。しかし、そうすることによって、特定の誰かの責任が問われることを避けていたのではないかということです。
すぐに思い当たるのは、たとえば「この人の親は何をしているのか」というような責め方がありうるということです。ヨハネによる福音書9章に出てくる次の問いかけのように。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」(ヨハネ9・2)。
また「医者は何をしているのか」です。そして宗教的な次元で「神は何をしているのか」です。この人がこのような状態のままでいることを、親たちや医者たちは、あるいは神は、何もしないで、手をこまねいて放置していたのでしょうか。そうだったかもしれませんが、そうでなかったかもしれないではありませんか。
もしかしたらこの人は、自分の病気が治らない原因を、周りの人々から、それはあなたの親のせいであるとか、医者のせいであるとか、神のせいであると言われることを、最も嫌がっていたかもしれません。しかし、自分のせいでもない、とも言いたい。だからこそ、あの池の水に触れさせてくれない誰かのせいにした。それは、もしかしたら、自分の近くにいる人々をかばう気持ちの表われだったかもしれないではありませんか。
わたしたちの人生は、単純ではなく、複雑なのです。わたしたちがいちばんしてはならないことは、病気の人を責めることです。責めることでその人の病気が治るのなら話は別ですが、そのようなやり方では、おそらく何の解決にもなりません。
この点でイエスさまは違いました。イエスさまが言われたことは「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」(8節)ということでした。そしてまた「あなたは良くなったのだ」(14節)ということでした。原因を探って責めたりはなさいませんでした。勇気をもって新しい一歩を歩みだすことができるように、励ましてくださったのです。
しかし、「もう、罪を犯してはならない」(14節)とも言われています。これはどういうことでしょうか。ぜひ安心していただきたいことは、イエスさまは、この人の病気の原因はこの人が犯した罪にあると言っておられるわけではない、ということです。そのような結び付け方は間違っていると、この福音書の9章でイエスさまが明言しておられます。
ところが、です。この人がイエスさまによって癒されたこと、床を担いで歩き始めたことを快く思わなかった人々がいました。ユダヤ人たちです。三十八年も苦しんできた人が癒されたのに、です。この人々は、そのことを喜ばず、なぜ安息日なのに床を担いでいるのかとか、お前の病気を治したのは誰なのかと責めるばかりでした。もっとましなことが言えなかったのかと思わずにはいられません。そして、ヨハネが記していることは、この出来事をきっかけにして、ユダヤ人たちのイエスさまへの迫害が始まったということです。
わたしたち教会の者たちは、このユダヤ人のような愚かさに陥るべきではありません。人のあらさがしをすること、他人を責めることは簡単です。また、ずばり原因を分析してみせることは必要かもしれませんが、それで問題が解決するわけではありません。複雑な人生を送っている人々を単純すぎる言葉で傷つけることは間違っています。
この個所を今日、ペンテコステの日に取り上げることができたことを幸いに思います。キリスト教会は、このユダヤ人のように、人を責めるために立てられたのではありません。そんなものは教会ではありません。わたしたちのなすべきことは、イエスさまのように、人を助けること、励ますこと、その人の立場に立って考え抜くことです。そのような慰めと励ましに満ちた教会を築いていくことです。
(2009年5月31日、松戸小金原教会主日礼拝)
いわば「距離感と影響力の関係」のようなこと(5)
しかし、です。これまで書いてきたことには大きな穴があるということを知らずにいるわけではありません。
厳然たる歴史的な事実は、あの新約聖書のパウロ書簡こそは、まさに典型的に、私が最下位に置いた「10.私信メール」に分類されるべきものであるということです。
しかし、しかし。そのパウロ書簡がもちえた「永続的影響力」たるや!(以下省略)
パウロ書簡は、今でいえば、たとえば「ローマの信徒へのメール」さながらであり、「コリントの信徒へのメール」さながらです。
複数教会の間で回覧されていたという点からいえば純粋に「私信」とまでは呼べないかもしれませんが、ほぼ確言できることは、それは「狭い範囲におけるメディアによるコミュニケーション」というに限りなく近いものであるということです。
すなわち、いうならば、「同質の宗教的確信ないし明文化された・または不文律である信仰箇条(信仰告白)において一致した(狭い)宗教的コミュニティ内部の回覧文書としてのパウロ書簡」です。
もしそういうものであるとパウロ自身が認識していなかったとしたら、「いっそのこと自ら去勢してしまえばよい(アソコを全部ちょんぎっちまえ!)」(ガラ5・12)のようなブッチャケ下ネタまでは、たぶん書かなかったでしょう。
とはいえ、このことと同時に考えさせられたこともあります。
それは、パウロ書簡の「永続的影響力」が発生したのは、歴史的に見れば、少なくとも「パウロ死後」のことでしょうし(パウロ個人に対するキリスト教的偉人としての評価の発生)、何より教会による「正典化」が決定的な意義をもったでしょうし(新約諸文書に対する崇敬の発生)、キリスト教のローマにおける「国教化」も大きいでしょう(キリスト教宗教の政治的影響力の確立)ということです。
それは結果論かもしれませんが、我々現代人が知っているのは、まさに結果です。「そもそもパウロ書簡には、これが書かれた当初から永続的影響力があったのだ」と自信をもって堂々と語ることができるのは、歴史と現在における聖書の不動の地位を知っているからです。
問題にするほどもないかもしれないことは、我々自身が書いたメール(≒はがき、手紙)が今から二千年後には、現在のパウロ書簡と同等の地位を有していることがありうるかどうか、です。
199X年、A牧師がB長老にメールを送りました。そのA牧師が200X年には、その教会(教団)の大会議長(教団議長)になりました。201X年、その教会(教団)は、新党「日本キリスト教民主党」の支持母体となり、A牧師は衆議院議員になりました。202X年、同党党首であるA元牧師は、日本国総理大臣になりました、とさ。
たとえば、こんなふうなことが起こったとしたら、199X年にA牧師がB長老に送ったメールには国宝級の価値が発生する、かもしれません。
2009年5月30日土曜日
いわば「距離感と影響力の関係」のようなこと(4)
そして、ここに特に書いておきたいことは、このような「紙媒体へとつなげていきたい」とする明確な戦略的意図(ストラテジー)を有するという意味で「トータルな」観点から見たインターネットのあり方です。
「影響力の永続性」という観点から見れば、(個人レベルの)インターネットメディアとしては、おそらくブログが最高位ではないでしょうか。というか、ブログはほとんど飽和点に近いものであるような気がしています。そして(もちろん異論はありえますが)メールマガジン、SNS(mixi等)、メーリングリスト、私信メールと続くでしょう。これはちょうど人間関係の「距離感」において遠いほうからだんだん近づいてくる順序であると私には思われますが、どうでしょうか。逆からいえば、人間関係が「ベタなもの」、つまり、濃密であるが狭い範囲にとどまるもの(影響力は小さい)をより下位のほうに置き、そこから次第に「公共的なるもの」(影響力は大きい)を獲得していく順序を辿ってみたつもりでもあります。「このような観点や問題の立て方自体が間違っている」という意見があれば、それを尊重すること、やぶさかではありません。
この中に「匿名掲示板」を含めない(含めたくない)理由は、まさに「匿名」だからです。匿名であることが悪いと言いたいわけではなく、匿名の文筆活動を「わたしの言葉」の中にカウントすることは難しいと思っているだけです。
また、(ブログとは区別される)「ホームページ」というのは、どのように評価すればよいかが、よく分かりません。イベント情報などの告知板としては十分すぎるほどの効果を発しうると思いますが、宗教的・歴史的・社会的・文化的な意味での「永続的な影響力」なるものを「ホームページ」に期待できるでしょうか。無理ではないかと感じられてなりません。
いわば「距離感と影響力の関係」のようなこと(3)
そして、ここから先はやや脱線気味のことですが、私の狭い範囲の体験から言いうることは、前記ランキング表(案)のうち4(定期刊行物での発表)から10(私信メール)までは、執筆者は無給ないしマイナス(自費持ち出し)であるということです。ぎりぎり4(定期刊行物での発表)には謝礼程度のものがつく可能性がありますが、よほど著名な雑誌や紀要ならばともかく、多くの現実はほとんど無給に等しいと言ってよいでしょう。
この点が重大な意味を持ちはじめるのは、「それによってお金(給料ないし謝礼)を受け取っている働きは『仕事』であるが、そうでないもの(お金にならない働き)は『遊び』である」ということを悪い意味で確信している人々に出会うときです。
その人々にとっては、4から10までは(悪い意味での)「遊び」なのです。1から3までが「仕事」です。私に言わせていただけば、これから先の時代においては、4から10までのことに真剣に(仕事同然に)取り組んだことがない人は、1から3までに進んでいくことができません。そのように断言してよいと思っています。
しかしまた、1(著作集)は別格扱いですが、2(文庫・新書)と3(単行本)の場合であっても「売れる」または「当たる」まではマイナス(持ち出し)であるということは明白です。私自身は、1から3までの体験がまだありません。上記の価値観を持つ人々からみれば、すべて「遊び」でした(ごめんなさい)。つまり、私は、文筆活動によって儲けたという経験(=研究活動費を得たこと)が、まだ一度もないのです。しかし、だからこそ、「売れない」または「当たらない」執筆者の気持ちがよく分かるつもりでいます。
1(著作集)の実現は、「売れた」または「当たった」ことがある文筆家だけに許されている特権でしょうし、すでに十分な支持者(読者)を得ている人の王冠でしょう。もちろん、なかにはその作家自身の持ち出しで作られる「著作集」もあるかもしれませんが、支持者によって結成された「著作集刊行会」などが資金面を支えるのではないでしょうか。
しかしお金の問題は一瞥するだけにして横に置きます。前記ランキング表(案)に電気信号媒体のもの(ブログ、メールマガジン、SNS、メーリングリスト、私信メール)と紙媒体のもの(著作集、文庫・新書、単行本、定期刊行物、私家版)とをわざわざ混在させている意図は、どちらであってもそれらの媒体によって出回るものは我々自身が発するコトバであり、我々が書くモジであることに変わりはないという点を明らかにしたいからです。
異なるのは、書き手の側からいえば「見せ方」(プレゼンテーション)、読み手の側からいえば「見え方」(外観、外見、見てくれ)だけです。いかなる媒体を用いるにせよ、紛れもなくそれは、わたしが発したコトバであり、わたしが書いたモジであり、すなわち「わたしの言葉」であることに変わりはないのです。
ところが、この「見せ方」ないし「見え方」によって「影響力」という点が全く変わってくるわけです(ここに「お金のかけ方」という点も重要な要素として加わってくるでしょう)。
「わたしの言葉」に確信を抱いており、それに大きな(そして「永続的な」)影響力を期待したい人は、「見せ方」に力を注がなければならない。そのように、改めて思うのです。
いわば「距離感と影響力の関係」のようなこと(2)
コトバの持つ「影響力」の中には、一時的・瞬間的なものと永続的なものとがあるわけです。前者は、たとえば経済効果(一時的な景気回復など)のようなことには役立つと思います。しかし、私の関心はそちらのほうではなく、後者の面です。すなわち、宗教的・歴史的・社会的・文化的な永続性を持つ「影響力」です。
また、個人のレベルで取り組むことができるものに限って考えています。テレビやラジオや映画などのような数億、数十億、数百億といったお金をかけて営まれているマスメディアの話は、別世界の話です。
文筆活動というものを以上の意味での「永続的影響力」が高い順に並べていくとしたら、こんなふうになるのではないでしょうか。ただし、これはまだ何ら厳密な話ではなく、ただの思いつきです。
■ 個人レベルで取り組める文筆活動ランキング―「永続的影響力」が高い順―(案)
1.著作集(ハードカバー、ケース付)
2.文庫・新書(ソフトカバー付)
3.単行本(ハードカバー付、またはペーパーバック)
4.定期刊行物(雑誌、紀要、新聞など)で発表された文書(論文、随想など)
5.ブログ(画像やPDF版やMP3音声などを含めてよい)
6.メールマガジン
7.SNS(mixi等)
8.メーリングリスト
9.私家版の印刷物(コピー、リソグラフなど)
10.私信メール(手書きのハガキや手紙も含めてよい)
立場や見方によって異なる順位がありうると思います。しかし、いずれにせよ、このように並べるとほぼ明白に見えてくることは、(当たり前の話ですが!)この意味での「影響力」と上記の意味での「距離感」とはちょうど反比例の関係にあるようだ、ということです。
いわば「距離感と影響力の関係」のようなこと(1)
mixi(ミクシィ)というのを始めたのが昨年8月ですから、あと二ヶ月で丸一年も続けて来てしまった格好になります。関口康日記(ブログ)を始めたのは昨年1月ですから、こちらはまもなく一年半。メールは、「パソコン通信」(PC-VAN)を始めた1996年夏から数えると十三年。
ついでに言えば、メーリングリストの管理は「ファン・ルーラー研究会」を始めた1999年2月から数えれば、まもなく十年半。メールマガジンは「今週の説教メールマガジン」を発行し始めたのが2004年9月ですから今秋で五年になります。
最初は慣れないことや馴染めないことだらけでしたが、私なりの目標を定めて続けているうちに、これらを使うコツというか、ツボというか、落としどころというか、もっとはっきりいえば「ビジネスモデル」のようなことが、まだ何となくぼんやりとではありますが、少しずつ見えてきたような気がしています。もちろんすべてのことに当てはまることではありますが、体験してみなければ分からないことの典型的な一つがこれ(インターネット!)ではないかと思わされています。
最近とくに腹におさまるものが出てきたのは「距離感と影響力の関係」とでも言いうるようなことです。思いついてみれば、こんなこと誰でも分かる当たり前の話であると気づくのですが、実際に体験してみるまでは思いつきもしませんでした。
「距離感」というのは人間関係のことです。近く感じる人と遠く感じる人。相手のすべてとは言えなくても相手の多くを知ることができる関係と、知ることができない、または知る必要がない、あるいは知るべきではない関係。
「影響力」ということで言いたいのは、ある人が発するコトバが、主として肯定的(ポジティヴ)な意味での感化を及ぼし、共鳴を引き起こす力と、その範囲。ただし、私が考える「影響力」には永続性という点が含まれます。
遊び人の発想(2)
前にも書きましたとおり、ノートパソコンに入っていたデータのほとんどは会議録とか名簿のようなものではありません。そのような教会関係のデータのほとんどは、それをプリントアウトして教会役員なり教会員なりに配布します。そして最終的には記録誌にして製本します。その時点でデジタルデータそのものは、役割を終えるのです。
それが時代遅れなのかどうかの判断は難しいものですが、教会の世界は依然として、なんらペーパーレス社会ではありません。ペーパーにしてなんぼの世界なのです。
もちろん、データファイルとしてパソコン内に保存しておくほうが便利だと思えるものもあります。毎年行っている行事などの場合は、前年に行ったことが「ひな型」になりますので、前年のデータファイルが残っていれば、ゼロから作り直す必要がなくなる。
しかし逆にいえば、それらのファイルは「ひな型」としての価値しかないものです。ゼロから作り直す必要がないので便利、というだけのことです。上記のとおり、データの内容は、プリントして配布し、さらに記録誌を作成した時点で役割を終えます。後生大事に保存しておく必要は何もありません。しかし、このたび復旧しえた95%のデータは、この部分です。
遊び人の発想(3)
失った5%の中身は何だったか。それは、説教や論文や翻訳などの「下書き」(未発表文書)です。それらのうちで「下書き以上、ペーパー化未満」のものの多くはブログ上にさらしてきましたので(つまりそれはデジタルデータが(ウェブ上にであれ)存在するということですので)、すべてセーフです。
しかし、未発表文書の中には、最近のものだけではなく、十二、三年前から「下書き」のままのものも含まれています。古くからの「下書き」の中にはペーパーとしてプリントアウトしてファイリングしてあるものも結構あるのですが、プリントアウトした後にもちょこちょこと(数行分とか数単語分とかの程度を繰り返し)書き直していますので、「最新版」は常にパソコン内にあるという状態になっています。
そのような微妙な書き直し(いわゆるマイナーチェンジというやつです)は、「あ!」とひらめくものがあるたびに行ってきたものですが、そのたびにバックアップ用の外付けハードディスクがブンブン回りはじめますとパソコン全体がフリーズしそうになったり、動きが遅くなります。私のパソコンは会社に備え付けられているような立派なものではなく、自費で買える程度の性能の低いものですから。そのため、ふだんはバックアップ用の外付けハードディスクは外しているのです。
「大切だと思っているのなら、なぜバックアップしていなかったのか」と詰問されると答えに窮するものがあるのですが、その理由は大体ここに書いたようなことです。