昨夜は、というか今朝未明は、久しぶりに夜なべ仕事でした。昨日の昼過ぎから今朝4時まで、ぶっ通しで頼まれ原稿を書いていました。自由気ままに書いてよいものではなく、型にはまったようなことを書く仕事だったので、疲れました。風呂に入って3時間ほど眠り、7時から二人の子どもたち(中二男、小五女)を学校へと送り出しました。生ゴミを出そうと集積所に向かったところ、第三木曜は「生ゴミの日」ではなく「陶磁器・ガラス類の日」であることが分かり(そういう知識に疎いのだ)、人目を避けながらスゴスゴ引き下がってきました。そしてその後は食器洗いと洗濯物干しをしました。・・・と、家事に協力する夫をアピールしてみせていますが、つい最近まではすべてを妻に任せきりでした。今は後悔と反省の日々です。妻は、自分の夫が最近やっと協力的になったことを喜んでくれていますが、その分自分が楽になったと考える人間ではなく、その分自分がもっと世のため人のために働くことができると新しい仕事を見つけてきます。二人ともまだ若いので(?)無理が利くうちはやれるだけやったらいいと思っています。私がファン・ルーラーから学んでいる終末論は、その構造において(形而上学的・心霊主義的な)「上」をめざすものではなく、(時間的・歴史的・地上的な)「前」をめざすものです。似たようなことをモルトマンが「水平的終末論」の名で発表しましたが、モルトマンの終末論が少なくともその着想と構造をファン・ルーラーから得ていることは明らかです。しかし、ファン・ルーラーとモルトマンには決定的な違いがあります。それを詳しく書きはじめると長くなるのでやめますが(いま寝不足で頭がぼんやりしているので)、ファン・ルーラーが「前」を強調することの最も根本的な動機は、聖書(特にパウロ書簡)と使徒信条において鮮明に告白されている「からだのよみがえり」(この肉体の復活!)という点を真剣に受けとめることにあります。話を強引に結びつけたいわけではありませんが、わたしたちが少し無理するくらいがんばって仕事して、それで何人かの人に喜んでいただけるなら、疲れも痛みもある意味で心地良いと感じられます。しかし、私は「上」のミクニに早く入れてもらいたいとは思わない!そういうことを考えないのは私が「まだ若い」からではない!「上に逃げる」つもりは全くないという意味です。カルヴァンは《来るべき生への瞑想》(meditatio futurae vitae)を「上」のことを思いめぐらすという意味で語ったかもしれませんが(現にカルヴァンはその文脈で「地上の生を軽んじよ」と勧めています)、私はこの点だけはカルヴァンに(そしてアウグスティヌスにも)従うことができません。私の人生が(一度)終わった後の行き先は「上」ではなくて「前」です。私の《来るべき生への瞑想》にはマテリアルなイメージが必ず伴います。この私がもう一度「地上に」復活するのです!終末的世界には「新しい天」だけではなく「新しい地」があるのです(もし「地」がマテリアルなものでないとしたら、それは一体何なのでしょうか)。この点を信じないならば、キリスト教信仰にはほとんど価値がありません。
2008年5月11日日曜日
地上の教会の存在理由
コリントの信徒への手紙一6・19~20
「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」
今日はペンテコステ礼拝です。今から約二千年前、この地上にキリスト教会が誕生したことを記念する日です。今日確認しておきたいことは、この地上に教会が存在する理由は何かということです。教会とは端的に言って何でしょうか。わたしたちが毎週教会に通う理由は何でしょうか。
今日開いていただきました聖書の個所に書かれていますことは、ある一つの文脈の中で語られたものです。その文脈は、問題としてはかなり深刻なことです。事柄の核心は教会に属する人々の中で起こった人間関係上の道徳的な問題です。夫婦や家族の正しい関係を破壊する不貞や不倫の関係が、教会に属する人々の中で起こった。そのことが、教会全体に混乱や不信感をもたらしている。そのことを使徒パウロが、ある面では腹を立てながら、別の面では何とかしてその問題を解決し、教会全体の良好な関係を回復しようと願いつつ、問題の核心部分に踏み込んで厳しい意見を述べているところです。
15節あたりから読んでみますと、そのことがはっきり分かるように書いています。
「あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。キリストの体の一部を娼婦の体の一部としてもよいのか。決してそうではない。娼婦と交わる者はその女と一つの体になる、ということを知らないのですか。『二人は一体となる』と言われています。」
これは二千年前に実在した一つの教会の中で、実際に起こった出来事について書かれていることです。キリスト者の中に娼婦と呼ばれる人々と関係を結んでいる人がいる。それは本当に恥ずかしいことであり、神の前で犯された罪です。その罪がどれくらい重いものであるのかを説明するためにパウロが語っていることは、あなたがたの体は「キリストの体の一部」である、ということです。その体を「娼婦の体の一部」にしてもよいのか、と問うています。あなたがたが娼婦の体の一部になるということは、キリストの体を娼婦の体に結びつけることを意味しているではないか、ということです。
パウロが語っていることは、もちろん、言うまでもなく、あなたがたはそういうことをしてはならない、ということです。それは、あなたがた自身の体を汚すことであり、またキリストの体を汚すことである、ということです。
「しかし、主に結び付く者は主と一つの霊になるのです。みだらな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです」。
「あなたがたがキリストの体の一部である」と言われていることは、ただ単に体の一体性ということだけではなく、霊の一体性という点を必ず含みます。また「一部」という点を強調しすぎないほうがよいでしょう。「あなたがたはキリストの体である」と言い切っても構いません。あなたがたは、体も霊もキリストと一つになっている。そのような者なのだから、あなたがたはみだらな行いを避けねばならない、とパウロは語っています。
なぜ今、私はこのような聖書の個所を引き合いに出しているのでしょうか。今日お話ししていますことは、地上の教会が存在する理由は何かということです。
地上の教会は、救い主イエス・キリストを信じる信仰をもって生きている人々の集まりです。しかし、今日の個所でパウロが明らかにしていることは、救い主イエス・キリストを信じる信仰をもって生きるとは、ただ単に、聖書というこの書物を勉強してわたしたちの教養の一部とするとか、キリスト教という歴史的宗教についての知識をもって生きるというようなこととは明らかに次元が異なる事柄であるということです。
私は今申し上げたようなことは無意味だとか無価値だと考えているわけではありません。聖書を勉強することも、キリスト教について知識を得ることも重要なことです。しかし、わたしたちが教会に通う理由、あるいはこの教会のメンバーになる理由、そしてそもそもこの地上に教会が存在する理由は、それだけなのかというと、決してそれだけではないと言わざるをえないのです。
勉強すること、知識を得ることも重要です。しかし、わたしたちの場合は、それだけで終わるわけではなく、強いて言えば、少なくとももう一歩先に進んでいかなければなりません。教会で学んだこと、教会で得た知識を、そのとおり実践するということを、少なくとも始めなければなりません。しかしまた、それだけでもありません。キリスト教の理論を実践するというだけでは、まだ主導権は自分の側に握られています。わたしが勉強したことを、わたしが実践に移す、というだけです。その場合の関心は、どこまで行っても、わたしの生き方という点に限定されています。厳しく言えば、自己中心的です。
しかし今日の個所でパウロが語っていることは、そのようなこととは明らかに違います。あなたがたの体は、キリストの体の一部である。主に結びつく者は、主と一つの霊になる。これはどういうことかというと、誤解を恐れずに言えば、わたしたちは今や、いわば地上を歩くキリスト自身になっているということです。今はわたしたち自身が、地上の教会が、いわばキリストであるということです。
もちろんこのように言うだけでは、非常に大きな誤解を生むでしょう。もう少し事柄を正確にお伝えする必要があるでしょう。わたしたち自身が三位一体の神に属する神の御子キリストであるわけではありません。あるいは、わたしたち自身が十字架の上で全人類の贖いのみわざを行なったわけではありません。その意味では、わたしたち自身はキリストではありません。正確に言えば、わたしたちはキリストの代理者にすぎません。
しかし、たしかに言えることは、わたしたちは今や、地上におけるキリストの代理者であるということです。法律的な書類を書くときに弁護士にお世話になったことがある方にはピンと来る話だと思いますが、本人の代理者である弁護士は、まさに全権を委任されています。代理者の押す印鑑は、本人の押す印鑑と同じ意味や重さを持っています。
わたしたちの存在、地上の教会の存在が、今やいわば地上を歩くキリストであると私が申し上げていることも、ある意味で、そのようなことです。
すぐに理解していただけそうな例から言いますと、たとえば、田舎の教会で牧師などをしていますと、その町の中にもその市の中にも教会が一つしかない、というところが実際にあります。改革派教会ということになりますと、一つの県の中に一つしかないところはたくさんあります。そういうところにおりますと、その教会が、その教会員が、その牧師が、その町の中ではキリストです。その町の人々は、その教会、その教会員、その牧師を見て、「ああ、キリストはこういうものか」と見るのです。あんなのがキリストなら、私はとてもついていけないと見る人もいます。もちろん反対もあります。あのようなキリストなら、わたしは信じる。ついていける。すべてをささげて一生お従いできる。
なぜわたしたちは、みだらな行いをしてはならないのでしょうか。わたしたちの体は、もはや自分自身のものではなく、キリストの体の一部になっているからです。「の一部」という点をことさらに強調する必要はありません。わたしたちは「キリストの体」です。「体」を強調する必要さえありません。「わたしたち自身がキリスト」なのです。わたしたち自身が地上を歩くキリストそのものになっているのです。「どうかわたしたちのことは見ないでください。キリストだけを見てください」という言い訳は通用しないのです。わたしたち自身の立ち居振る舞いのすべてが、キリストの存在を地上に映し出しているのです。
「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」。
ここに、今日お話ししたい最も重要な事柄が語られています。わたしたちの存在、地上の教会の存在が、いわば地上を歩くキリストであると語ることのできる根拠がここに語られています。注目していただきたいのは「あなたがたの体」、すなわち、わたしたちの体は「神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿」であるという点です。
教会は、救い主イエス・キリストを信じる信仰をもって生きている人々の集まりであると申しました。その教会に集まるわたしたちの体には、聖霊が宿っています。聖霊とは、神御自身です。聖霊がわたしたちの体に宿っているとは、神御自身がわたしたちの体の中に住んでおられるということです。神が住んでおられる場所が神殿です。神殿は遠い外国に立っている歴史的な建物ではありません。今わたしたちが礼拝を行っているこの建物でもありません。わたしたち自身のこの肉体、この存在そのものが聖霊なる神が宿っておられる神殿であると、パウロは語っているのです。
そのような清く貴くあるべきもの(聖霊の神殿としての人間の体)を、わたしたち自身の行いで汚してよいはずがないのです。もちろん実際には、わたしたちは何度も繰り返し罪を犯します。信仰をもって生きている人々も罪を犯します。パウロが今日の聖書の個所で強く批判している相手も、教会に属し、信仰をもって生きている人々です。キリスト者は罪を犯すことはないし、うそをつくことはないし、失敗も落ち度も無い、完璧な人間であるということは、事実ではないし、そのように語ること自体がうそになります。
しかし、だから駄目だと諦めるべきではありません。また、わたしたちは、地上の教会がキリストの代理者であるということを、あまり重苦しく考えすぎる必要もありません。パウロがわたしたちの体を「神殿」にたとえてくれていることは、わたしたちにとっての慰めでもあります。
神殿とは、なんと言ってもやはり、第一義的には、建物のことです。わたしたちが毎日住んでいる自分の家も建物です。建物は、放っておくと、すぐにほこりがたまり、ごみが出てきます。放っておくと、です。きれいにするためには掃除をすればよいのです。
忙しいときには、掃除するひまなどないかもしれません。そういうときは「四角い部屋を丸く掃く」というやり方も許されるかもしれません。しかし、全く放っておくことだけは避ける。そうすることを心がけるだけで、状況は少しずつでも改善していくでしょう。
今お話ししていることは、建物の掃除の話だけではありません。わたしたちの心と体の問題です。わたしたちが犯す罪の問題です。罪のない人間は一人もいない、というのが、聖書の教えです。わたしたちは、ちり一つ無い真空の中に生きているわけではありません。罪も悪も絶えず横行している複雑な社会の中に生きていますので、その影響を全く受けずに生きていくことは難しい面もあります。
しかし、だからこそ掃除をするのです。わたしたちの教会は「改革派教会」と言います。繰り返し聞かれることは「何を改革するのですか」ということです。その答えははっきりしています。わたしたち自身を改革するのです。教会を改革するのです。わたしたち自身、そして教会自身もまた、放っておくと汚れてくるのです。ほこりもごみも溜まってきます。だからこそわたしたちは「常に改革し続ける教会」でなければならないのです。16世紀の宗教改革の目的は、新しい教会を作ることではなく、「教会の大掃除」をすることであったと評する人がいます。そのとおりだと思います。
救い主イエス・キリストを信じる信仰によって、わたしたちが罪の中から救い出され、喜びと感謝をもって生きるようになること。
そのために自分の罪を告白し、赦しの恵みに与ること。
そのようにして自分の心と体の中身の掃除を定期的に行うこと。
それこそが地上の教会の存在理由であり、わたしたちが毎週教会に通う理由なのです。
(2008年5月11日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年5月4日日曜日
ヘブライ語で話す
使徒言行録21・27~22・5
パウロは、ついにユダヤ人たちに捕まりました。パウロがエルサレムに行くとこういう目に遭うことは火を見るより明らかだったにもかかわらず、来てしまいました。
多くの人がパウロ先生、どうかエルサレムにだけは行かないでくださいと言って、涙を流し、必死になって止めたのです。ところがパウロは死んでもいいとか、命など惜しくないとか言い張って、人々の言葉に耳を傾けようとしませんでした。
ここに至って、一つの仮定が成り立つ条件がほぼ整ったと言えるでしょう。その仮定とは何か。パウロはユダヤ人に自分を捕まえさせるために、もっとはっきり言えば、わざと捕まるために、エルサレムに行ったのではないかということです。
パウロはなぜ、そのような危ないことをするのでしょうか。命知らずの危険行為は、勇敢ではなく迷惑です。パウロは何を考えているのでしょうか。
「七日の期間が終わろうとしていたとき、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕らえ、こう叫んだ。『イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れて込んで、この聖なる場所を汚してしまった。』彼らは、エフェソ出身のトロフィモが前に都でパウロと一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思ったからである。それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。」
パウロがユダヤ人に捕まえられた場所は、エルサレム神殿の境内でした。パウロは逃げも隠れもしませんでした。人目につかないところに潜伏していたわけではなかったのです。
パウロを見つけたユダヤ人たちは、「全群衆を扇動して」彼を捕えました。彼らはたった一人のパウロを捕まえるために全群衆を動かそうとしたのです。パウロも生身の人間です。一人のパウロに数千人か数万人の群衆が襲いかかって来たら、ひとたまりもありません。あっという間に捕まって、神殿の境内から引きずりだされ、すべての門が閉ざされました。
人々が門を閉ざした理由は、これからパウロの処刑を始めるためです。神殿で人間を殺すことは神殿を汚す行為に当たります。だから人々はパウロを神殿の外に連れ出し、すべての門を閉ざしたのです。
「彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、守備大隊の千人隊長のもとに届いた。千人隊長は直ちに兵士と百人隊長を率いて、その場に駆けつけた。群衆は千人隊長と兵士を見ると、パウロを殴るのをやめた。千人隊長は近寄ってパウロを捕らえ、二本の鎖で縛るように命じた。そして、パウロが何者であるのか、また、何をしたのかと尋ねた。しかし、群衆はあれやこれやと叫び立てていた。千人隊長は、騒々しくて真相をつかむことができないので、パウロを兵営に連れて行くように命じた……。」
それはユダヤ人たちによるパウロの処刑が開始される寸前の出来事でした。ローマ軍の守備大隊の千人隊長の耳にエルサレムの混乱の様子が伝えられました。千人隊長の名前はクラウディウス・リシア(23・26、24・22)です。
この後だんだん分かってくることですが、このリシアはパウロの命を助けるために決定的な役割を果たす人物であり、バランスのとれた好人物でした。この人がパウロのもとに駆けつけると、群衆はパウロへの暴行をやめました。泣く子も黙る鬼軍曹、見るからにおっかない人だったのかもしれません。
そして、千人隊長リシアは、パウロを二本の鎖で縛るように命じ、この人は誰なのか、この人が何をしたのかとみんなに聞きました。するとみんな口々にいろんなことを言うのですが、結局何を言っているのか分かりませんでした。
おそらく群衆の多くは、自分が何を言っているのか分かっていなかったのです。ほとんどは野次馬であり、目の前の騒動を面白がっていただけでした。月並みな言い方ですが、群集心理というのは本当に恐ろしいと感じます。声の大きい人の言葉に引きずられ、自分の言葉や行いの意味を知らないまま一人の人間を殺してしまうことがありうるのです。
だからこそ、そのような場面に千人隊長リシアが登場してくれたことが、パウロの命を助けることになりました。リシアはとても賢い人でした。彼がパウロに鎖をかけたことも、頭に血が上っている人々を冷静にするための行動であったと見ることができます。
「パウロは兵営の中に連れて行かれそうになったとき、『ひと言お話ししてもよいでしょうか』と千人隊長に言った。すると、千人隊長が尋ねた。『ギリシア語が話せるのか。それならお前は、最近反乱を起こし、四千人の暗殺者を引き連れて荒れ野へ行った、あのエジプト人ではないのか。』」
もちろんまさか、いくらパウロでも、この危機的な状況の中にリシアのような人が登場することまであらかじめ計算していたわけではなかったでしょう。しかしリシアの登場によってパウロは大きなチャンスを得ました。パウロはリシアに「ひと言お話ししてもよいでしょうか」とギリシア語で願いました。これがリシアを驚かせることになったのです。
リシアが驚いた理由は、少なくとも二つあったと考えられます。
一つは「こいつは何者だ?」と単純に驚いたのだと思います。そこで起こっている騒動は、外から見るとユダヤ人同士の喧嘩のようなものに見えたはずです。みんなから殴り倒されて被害を受けているこの男も当然ユダヤ人のはず。普通のユダヤ人は、ギリシア語など話せません。
ギリシア語はローマ帝国の共通語、いわば標準語でした。イエスさまやペトロたちは、ヘブライ語の方言であるアラム語を話していました。
しかし、このユダヤ人はギリシア語を話せるではないか。かなり高度な教育を受けた教養あるユダヤ人ではないか。そのような人がなぜ多くの人々に囲まれて、ひどい暴力を受けているのか。このあたりの点にリシアは疑問を抱いたに違いありません。
またもう一つは、リシアが語っているように、最近起こったクーデターの首謀者で指名手配中の容疑者がギリシア語を話せるエジプト人だと聞いているが、それがこの男なのかと疑いました。エジプト人のくせにユダヤ人のふりをしてこんなところに紛れ込んでいたのかという点に驚いたのです。
「パウロは言った。『わたしは確かにユダヤ人です。キリキア州のれっきとした町、タルソスの市民です。どうか、この人たちに話をさせてください。』千人隊長が許可したので、パウロは階段の上に立ち、民衆を手で制した。すっかり静かになったとき、パウロはヘブライ語で話し始めた。」
しかし、パウロはもちろん確かにユダヤ人でした。パウロが生まれた「タルソス」は、よく知られているとおり、現在のトルコの位置にある古い町です。ローマ帝国キリキア州の首都でした。そこで生まれた人はすべてローマ帝国の市民権を持っていました。
パウロはその町に住むユダヤ人の家庭に生まれました。ですからパウロは幼い頃からギリシア語を話していましたし、家庭の中ではユダヤ人としてヘブライ語を学んでいました。日本人でも、外国生まれの人の多くが日本語とその国の言葉の両方を学ぶように、パウロもそのような教育を受けていたのです。
さらに一説によると、パウロはヘブライ語とギリシア語だけではなくラテン語も学んでいたと言われています。この説明が正しいとしたら、伝道者パウロは、三つの言語を自由自在に操ることができる豊かな賜物に恵まれていた人だったことになるでしょう。
そして、その賜物がパウロの力強い武器になりました。千人隊長に向かってギリシア語で語ることによって、この人に信頼してもらうことができました。「この人たちに話させてください」という願いを許可してもらうことに成功しました。
そして、千人隊長の許可を得て、強い後ろ盾をもらったパウロは、ユダヤ人の群衆の前に堂々と立ち、手で制してみんなを黙らせて(ここは私の大好きな場面です!)、すべてのユダヤ人たちが理解できるヘブライ語で演説を始めたのです。
この点について最も単純なことから申し上げますと、やはり、語学の学びは重要であるということが分かります。
パウロは、まさに今にも殺される最悪の状況の中にいましたが、彼の語学力によってその状況をひっくり返すことができました。ローマ人である千人隊長にはギリシア語を、ユダヤ人たちにはヘブライ語を語りました。それによってパウロは、千人隊長の信頼を獲得することができましたし、興奮したユダヤ人たちを静まらせることができたのです。
しかし、パウロがユダヤ人に対して「ヘブライ語で」語ったことには、もう一つの重要な意味が込められていると思われます。
「『兄弟であり父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください。』パウロがヘブライ語で話すのを聞いて、人々はますます静かになった。パウロは言った。『わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。」
パウロの演説のうち今日取り上げた部分でとくに重要なのは、パウロが「ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受けた」と言っている点です。
なぜこの点が重要なのでしょうか。それははっきりしています。ガマリエルこそは当時のユダヤ教団最大の律法学者であり、ユダヤ教団とユダヤ社会にあって最大・最高の尊敬を集める存在だったからです。
また、ガマリエルが教鞭をふるったエルサレムの律法学校は、すべての律法学者が通った学校であり、ユダヤ人にとっては最大・最高の尊敬の対象であったからです。
千人隊長が泣く子も黙る鬼軍曹だったとしたら、ガマリエルのもとで最高の教育を受けたパウロは、泣く子も黙る最高の知識人として、すべての人が一目置く存在だったのです。
パウロがわざわざ「ガマリエルの弟子」であることを語っていることには、いまエルサレム神殿にいるどんな律法学者にも、学識や経歴においては「負ける気がしない」と言いたい気持ちが込められていたかもしれません。
パウロは自分がそういう人間であることを、エルサレムの真ん中で、群衆の真ん中で、みんなに聞こえる大きな声で、あえて語りました。それは、かつてそのような者であったわたしパウロがキリスト教信仰に生きる者になりましたと伝えたいからです。ユダヤ人の皆さん、どうかイエス・キリストを信じてくださいと訴えたかったからです。
パウロは、リシアが与えてくれたチャンスを全ユダヤ人に対する伝道の機会として用いました。そのためにパウロは、意識的に「ヘブライ語で」語ったのです。
パウロはなぜ、危険を承知でエルサレムに来たのでしょうか。そうです、このチャンスを得るために来たのです。
中国の格言は「虎穴に入らずんば 虎児を得ず」です。
パウロの場合は「エルサレムに入らずんば 愛する同胞ユダヤ人を得ず」です!
(2008年5月4日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年4月27日日曜日
言葉の限界
使徒言行録21・17~26
今日の個所からは、いつもよりは少し、皆さんにとって分かりやすく親しみやすい話ができるのではないかと自分で期待しています。今日の個所から取り上げたいと願っていることは、おそらくわたしたちがほとんど毎日のように体験していることではないだろうかと感じるからです。
それは要するにこうです。こちらが言っていることがあちらに通じない。善意で語っていることが悪意に受けとられる。言葉の壁があるということです。言葉の限界を感じるということです。そのことを使徒パウロが繰り返し体験しました。そのような歯がゆい思いを味わったのです。
「わたしたちがエルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。翌日、パウロはわたしたちを連れてヤコブを訪ねたが、そこには長老が皆集まっていた。パウロは挨拶を済ませてから、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した。これを聞いて、人々は皆神を賛美し、パウロに言った。『兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、「子どもに割礼を施すな。慣習に従うな」と言ってモーセから離れるように教えているとのことです。いったい、どうしたらよいでしょうか。彼らはあなたの来られたことをきっと耳にします。』」
パウロは三回にわたる伝道旅行を終えて、ついにエルサレムに到着しました。多くの人々がパウロのエルサレム行きに反対していましたが、パウロはそれを押し切ってエルサレムに行きました。するとそこでパウロを待ち受けていたのは、多くの人々がパウロについて聞かされてきた悪い噂を、彼自身が聞くという出来事でした。
パウロにそれを伝えたのは、ヤコブでした。すでに多くのユダヤ人がキリスト者になりましたが、その人々があなたパウロについて聞かされているのは、あなたが異邦人たちに教えていることは「モーセから離れるように」という由々しい、けしからん教えであるということです。
ヤコブの言葉から察しうることは、わたしたち自身はあなたパウロがそのようなことを教えていると考えているわけではありませんというニュアンスです。しかし、あなたの教えがそのように誤解されている以上、誤解を解く責任があなた自身にあります。そのようにヤコブが考え、パウロに伝えた様子が記されています。
ユダヤ人たちの間に広まっていた悪い噂の内容は、パウロは異邦人たちに対し、「子供に割礼を施すな。慣習に従うな」と教えているということでした。しかし、このようなことをパウロは教えていません。パウロが教えたのは、人が救われるのは割礼を受けることによるのではなく、イエス・キリストを信じる信仰によるということでした。またイエス・キリストを信じる信仰は神の恵みであり、聖霊なる神の賜物として与えられるものであるということでした。
そしてもう一つそこに加えられるべき要素がありました。異邦人たちがキリスト教信仰を受け入れ、教会の仲間に加えられるときに求められる条件は、割礼ではないということでした。
なるほどたしかにパウロは、伝道旅行の中で出会った「割礼を受けなければ救われない」と教える人々の間違った考えに対して反対しました。そして、そのことをパウロは、使徒言行録15章に記されているとおり、エルサレムで行われた教会会議において多くの人々の前で主張した結果、それが教会会議の正式な決定事項になりました。それによってパウロの意見は、彼の個人的な主義主張ではなくなり、全キリスト教会の意思となったのです。
しかしそれにもかかわらず、です。時間の流れが何かを狂わせてしまったのでしょうか、パウロの居ない間に話があらぬ方向に捻じ曲げられてしまったのでしょうか、原因はよく分かりませんが、とにかく非常におかしなことになってしまいました。教会会議の決定がいつの間にか、パウロの個人的な意見であるかのようにみなされていました。またパウロが語ってもいないことを、彼が語ったことであるかのように伝えられていました。
自分が語っていない言葉の責任をとることなどは、本来は無理な話です。しかし、自分の居ない間に「これはあの人が言ったことだ」という噂が独り歩きしていた。とる必要もない責任を、いつの間にか押しつけられている。そのことにパウロは気づかされたのです。
同じようなことは、皆さんもおそらく体験したことがあると思います。言ってもいないことを「言った」と言われる。してもいないことを「した」と言われる。そのときわたしたちは、非常に不愉快な思いにとらわれます。しかしまた、一方で、火のないところに煙は立たないこともわたしたちは知っています。話をよく聞いてみると、その噂の発端の部分には、たしかにわたしたちが語ったり行ったりしたことが含まれている場合があります。だからこそ、話がややこしくもなるのです。
パウロの場合は、人が救われるのは割礼によるのではなく、イエス・キリストを信じる信仰によるということについては、たしかに語りました。それがいつの間にか「パウロはモーセから離れるようにと教えている」という話に変わっていた。そこに働いているのは一種の拡大解釈です。パウロ自身がたしかに語った最初の言葉が、それを聞いた人々の耳の中で、脳の中で、心の中で、パウロが一度も語ったことのない言葉へと変換され、拡大解釈されてしまったのです。
牧師の仕事などをしておりますと、このようなことは日常茶飯事です。幸いなことに、松戸小金原教会に来てからは、そういうことに悩まされることは無くなりました。しかし、以前はよくありました。「関口先生は説教の中でこう言った」。そのように言われるときはたいてい批判です。しかも、実際には言っていないことを「言った」と言われる。そして「あの言葉に傷つきました」と言われるのです。
詳しい内容を紹介することは控えます。説教で「神さまはおひとりです」と語りました。すると午後電話があり、「関口先生は私に離婚しろと言った」とおっしゃるのです。ご夫婦で宗教が違っていたからです。「いえ、まさか私がそんなことを言うはずがありません」とお答えしましたが、聞き入れてくださいません。すぐにお宅に行き、じっくり話す時間を持ちましたが納得していただけず、その日から半年ほど礼拝にいらっしゃいませんでした。
そのときはっきり分かったことは、我々の言葉には限界があるということでした。人間が“神の言葉”を語ることなどそもそも不可能であると痛感させられた場面でした。人間の言葉には限界があります。もちろん“説教”にも限界があるのです。
「神さまはおひとりです」と語ると「離婚しなさいと言われた」と聞かれるのですから。パウロの場合は「人が救われるのは、割礼によるのではなく、イエス・キリストを信じる信仰による」と語ると「モーセから離れろという意味なのか」と聞かれたのですから。
いろんな例があります。「わたしたちの教会は改革派教会です」と語ると「他のグループを否定している」と反発されることがあります。「信仰をもって生きることはわたしたちの喜びです」と語ると「信仰のない人間を裁いている」と言われることがあるのです。
もちろん配慮は必要でしょう。私も、自分の語った言葉や語っていない(!)言葉で人を傷つけてしまった(らしい)ことがありますので、表現の仕方を工夫するなどの方法で解決できる問題があるならば、いくらでもそうしたいと願うばかりです。
そして、「言った・言わない」という空しい論争を避けるために今の私がしていることは、すべての説教をインターネットで公開することです。私の場合、インターネットで説教を公開しているのは「伝道のため」ではありません。「言った・言わない」という押し問答をしたくないからです。そのためには、私が書いた文章を多くの方の目で見ていただくことが最も単純な方法であると確信しているからです。これ以外の動機は私にはありません。自分で書いた言葉には責任をとることができます。間違っていれば訂正いたします。
私の説教は、インターネットを通じてではなく、できるだけナマで(ライヴで)聞いていただきたいと願っています。キリスト教信仰は、同じ空間と時間を共有し、顔と顔、目と目を合わせて、人格的な触れ合いを通してでないかぎり、決して伝わらないものです。
「『だから、わたしたちの言うとおりにしてください。わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活している、ということがみんなに分かります。また、異邦人で信者になった人たちについては、わたしたちは既に手紙を書き送りました。それは、偶像に献げた肉と、血と、絞め殺した動物の肉とを口にしないように、また、みだらな行いを避けるようにという決定です。』そこで、パウロはその四人を連れて行って、翌日一緒に清めの式を受けて神殿に入り、いつ清めの期間が終わって、それぞれのために供え物を献げることができるかを告げた。」
ヤコブがパウロに勧めたことは、あなたパウロがこれからしなければならないことは、あなたについての噂は「根も葉もない」ことであることを明らかにすること、すなわち、誤解を解くことであるということでした。
このヤコブの勧めは、パウロの性格を考えると、おそらく、かなり理不尽に感じたのではないかと思われます。噂など放っておけばよい。どうぞご自由に!言いたいことを言いたい放題、言わせたらよい。わたしには関係ない。そのように言いたい気持ちがパウロの中に全く無かったと考えることは難しいと思います。
パウロは、だいたい、いつもけんか腰でしたから。自分の言葉や行いについて弁解することや、人におもねっているように見られかねない態度をとることは最も恥ずかしいこと、あるいはもっと強く言えば、最も屈辱的なことと感じたのではないかと思われるのです。
同じような場面で、イエスさまは、ほとんどの場合、いえ、すべての場合と言ってよいほどに、弁解も弁明もなさいませんでした。十字架の上にはりつけにされたときでさえ。イエスさまの口から、人におもねる言葉が発せられたことは、一度もありませんでした。この点は、わたしたちキリスト者たちにとって、人の前で弁解や弁明をすること、自分のことを理解してもらうために言葉を尽くして語ることに躊躇や抵抗を感じる理由になって来たのではないかと思われるのです。
しかし、パウロはヤコブの勧めを受け入れました。このときパウロが心の中でどのようなことを考えていたかは分かりません。しかし、とにかく受け入れました。その理由は、はっきりしています。パウロが伝道したかった相手は、彼の同胞であるユダヤ人たちです。そのパウロがユダヤ人に伝道するためには、どうしてもユダヤ人のキリスト者たちの助けが必要だったからです。
ユダヤ人のキリスト者がたどった道は、ユダヤ教からキリスト教への道でした。パウロ自身も同じ道をたどりました。これから信じる人たちも同じ道をたどります。そのため、これから信じる人々に伝道するために、「その道を通ってわたしも救われました!」と語る信仰者の生きた証しが必要なのです。
愛する同胞が救われるためには、自分のプライドなどどうでもよい。「この命すら決して惜しいとは思わない!」(20・24)。この一点の動機が、パウロを突き動かしたのです。
(2008年4月27日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年4月24日木曜日
「日本の神学書」評(1/2)
日本で出版される「神学書」と呼ばれているものの多く、とりわけ「組織神学」に関するそれ、なかでも「教義学」に関するそれは、たとえていえば、あの『家庭の医学』(時事通信社)のようなものばかりであると感じてきました。『家庭の医学』はとても立派な書物であり、私自身、大変重宝しています。が、しかし、あれを百回熟読しても「医師」を名のることはできないと思いますし、(法的な意味での)「医療行為」を行うこともできません。日本の組織神学の書物の現実も、それと限りなく似ているものがあると言わざるをえません。見かけるのは総論と概説ばかり。教会史的・神学思想史的鳥瞰図が紹介されている便利なものは増えてきましたが、所詮、歴史は歴史です。過去のだれそれさんが何をどのように主張し、それがその後の歴史においてどのような影響を及ぼしたかは、知識や教養のたぐいとしては、いくらあっても困ることはありません。しかしまた、だからといって、そのあたりのことがどれだけ詳しく書かれてあっても、そのうちだんだん「だから何?」(So what?)という不快な気分になってきます。不断の日進月歩を続けているのは医学も教義学も同じです。最新の状況に対応できる最新の知識と技術を手にしている人が真の専門家と呼びうるでしょう。21世紀の人々に16世紀や17世紀の人間が語った言葉をただ伝言するだけなら、「それは昔話である」と認識されても仕方がないでしょう。教義学は、教会の歩みが続くかぎり、社会と教会の関係が続くかぎり、いえ、神に造られた人間が存在し続けるかぎり、日進月歩を続けていきます。もちろん「改革派教義学」も、事情は全く同じです。「改革派教義学」が16世紀の宗教改革期に始まったものであることは否定しませんが、「17世紀に完成された」と語ることはできません。21世紀の今日に至るまで、それは完成しておらず、日々変化し、絶えず試行錯誤がなされています。なぜそのような変化が起こるのでしょうか。私が特に考えていることは、「神の啓示を人間が受信する場合、我々人間は、それをとりわけ意識と感性という皿の上で受けとめようとする」という点です。意識と感性は・・・ほら、今この瞬間にも変化し続けているではありませんか!「聴く耳」が絶えず変化していくのですから、「語る口」のほうもその変化に対応せざるをえなくなるでしょう。マスコミの影響力も大きいです。神学と説教がポピュリズム(大衆迎合主義と訳しておきます)に陥ることへの警戒心は、当然のことのように私も持っています。しかし他方で、私にとっての深刻な問題は、神学と説教において「受けを狙う」必要はないけれども、だからといって同じようなフレーズを繰り返すばかりでは「飽きられてしまう」ということです。20年前に私もそこにいた説教学の講義の中、教授によって発せられた「居眠りを誘発する説教は神学的に正しいか」という問いかけに、今なら確信をもって答えることができそうです。「人間はどうしたら啓示を認識することができるだろうか」という問いを前にしたとき、我々は、人間の意識と感性などの側面を無視するような態度をとるべきではありません。その側面を無視するような神学は、少なくとも「改革派神学」ではありません。
「日本の神学書」評(2/2)
ファン・ルーラーは、自分より上と見た相手、とくに国際的影響力を甚大と見た相手に対しては、歯に衣着せず、容赦なく批判した人です。そのファン・ルーラーが、こともあろうに、マルティン・ルター、ヘルマン・コールブルッヘ、カール・バルトの三人をつかまえて、「ルター、コールブルッヘ、バルトのような教義学者はモノマニー(偏執)の危険に陥りかねない」(A. A. van Ruler, VW, deel 1, 92)と言い放っていたということを最近知りました。もちろんそれは、ルターがもっぱら「義認論」を、コールブルッヘがもっぱら「恩恵論」を、バルトはもっぱら「キリスト論」を、一点集中的に過度に強調して語ったことを指しています。水戸黄門の印籠のように!○○の一つ覚えのように!「義認」や「恩恵」や「キリスト」が重要でないと語るキリスト者が多くいるとは思いたくありません。しかしだからこそ、そこが罠にもなるのです。誰も反論できない重要な事柄を一つだけ前面に掲げ、あとは数の力に任せて突進してくる相手に反対するのは容易なことではありません。最近では「日本プロテスタント宣教150周年」というワンフレーズがやたらと目につくようになりました。しかし、「同語反復」や「ワンフレーズポリティクス」は、今日の我々のごく常識的な認識においては、まさに洗脳の方法でもあり、大衆扇動の手段でもあるでしょう。「我々もあれと同じことをやりますか?」(そんなことは恥ずかしくて私にはできそうもない)という問いが残るのです。私は、(改革派的・キリスト教的)教義学の各論を、各領域に固有な原則に立って(同語反復や一元論的偏執に陥らないで)、とことんまで突き詰めて論じている書物を、ファン・ルーラーのもの以外に見たことがありません。医学の知識は皆無なのでとんちんかんなことを考えているのかもしれませんが、たとえば「眼科医の論理」と「耳鼻科の論理」と「産婦人科医の論理」と「泌尿器科医の論理」は同じでしょうか。同じ論理や視点をどの分野にも等しく当てはめることができるのでしょうか。それは無理であろうと私には感じられます。お腹が痛いときに眼科で診てもらおうと思う人は、たぶんいません。教義学においてさえ、啓示論と聖書論とキリスト論と聖霊論と終末論は、それぞれ異なる論理や視点を持っているのです。オルガンとピアノとハープとヴァイオリンとトランペットを「音楽」の一言で括った途端に「あはは、大雑把ですね」と笑われるのと同じように、キリスト論の論理で聖書論や教会論や宣教論を解こうとしたり、キリスト論の論理で聖霊論を説明しようとすることは大雑把すぎるし、議論の内容としては全くお話しにならないものです。総論や概説のようなものだけを読んで「キリスト教が分かりました」と語ることはできません。ミクロ的視点を持つべき専門家たちは、各論に固有な論理を尊重しなければなりません。何でもかんでも一緒くたにすることは、端的に言って暴論なのです。それとも、各論の専門家レベルのミクロ的知識や議論を「書物の形態」に期待することは無理というべきでしょうか。「売れる本」でありさえすれば、それで良いのでしょうか。
『ファン・ルーラー著作集』第二巻、配本開始!
昨日のことですが、わが家に新しい『ファン・ルーラー著作集』(Verzameld Werk)の第二巻が届きました。第二巻のタイトルは「啓示と聖書」(Openbaring en Heilige Schrift)です。昨年日本語版が出版された『キリスト教会と旧約聖書』のオリジナル版(オランダ語版)が収録されています!(日本語版はドイツ語版に基づく重訳です)。また、驚くなかれ、ファン・ルーラーがまだ22才、まだフローニンゲン大学の神学生であった1930年にTaphという名の神学研究会(学生サークル)で行なった神学講演、「神学的認識論における三位一体論的思惟」(Het trinitarisch denken in de theologische kenleer)が収録されています。この講演は次のように始まっています。「神学的認識論において啓示の主観的側面が問われる場合は、次のように問われる。神の御言葉はどうしたら我々へと(tot ons)語られうるものとなり、かつ聴かれうるものとなるのだろうか。人間はどうしたら啓示を認識することができるのだろうか」。このとき意識されているのは、もちろんカール・バルトです。第二巻は全518ページです。編者ディルク・ファン・ケーレン博士の丁寧な解説と厳密な校注がしっかりと付いています。オランダプロテスタント神学大学で「ファン・ルーラー神学講座」を担当なさっているH. W. ドクネイフ名誉教授がこのたびの新しい著作集の刊行を「オランダの国民的事件だ!」と言って絶賛なさったことが伝えられています。評判と期待どおりの最高傑作に仕上がっています。今の私の悩みは「わたしはなぜもっとオランダ語をスラスラ読めないのか。なぜもっと上手な日本語に訳せないのか」ということに尽きます。イライラ焦る気持ちばかり募ります。我々の最重要課題である日本の伝道や教会形成は、安直なハウツー本や(質・量共に)薄くて軽い教理解説書程度のものを読むだけで果たしうるものではありません。私は「日本の伝道と教会形成のためにファン・ルーラーを読まねばならない理由がある」と信じて、(多くの事を犠牲にして)読んでいます。
『ファン・ルーラー著作集』第二巻 収録論文リスト
第一部 啓示論と認識論
神学的認識論における三位一体論的思惟
神学原理(principium theologiae)としての聖書
自然と恩恵
接合点
神学的認識の限定性
自然神学と啓示神学
自然神学の問題のもう一つの側面
第二部 聖書論
聖書の権威と信仰の確かさ
信仰の土台としての聖書
啓示・聖書・伝統(神学的問題としての正典)
聖書論(locus de scriptura sacra)の意義
聖書台としての聖書
聖書の権威と教会
聖書との交わりの形成
第三部 旧約聖書論
アモスとホセア
アブラハムと二十世紀
旧約聖書の意義(1)
新約聖書における旧約聖書論
旧約聖書の意義(2)
旧約聖書の成就
キリスト教会と旧約聖書
第四部 学問的文脈における聖書黙想
開講礼拝説教
開講礼拝説教
マグニフィカート
2008年4月23日水曜日
神学の役割としてのネーミング
(「自分の手で辞書をめくれ!」にいただいたコメントも再び本編で―)
コメントごもっともです。ありがとうございます。ご指摘いただいた「意識化できない背景知」や「ふるまい」なる要素は、おそらくは《文化》ないし《習慣》の一種と言い換えうるものでしょう(こんなカビ臭い表現しか持ち出せないことを悔しく思います。なるべくなら現代思想のブリリアントな用語なども巧みに使いこなせるようになりたいものです)。そしてまた、そもそも問題にしておられたことは、「神学のセンス」が涵養される場としての「キリスト者家庭」ということでした。牧師になる・ならないは別の問題でした。教会史における「神学」の歴史的起源という問題を考えてみても、おそらくは会堂ないし各家庭における「神礼拝の体験的現実」のほうが「神学」の成立よりも先行していたに違いない。まさかいくらなんでも、まず何よりも先に純粋理論としての「神学」が存在し、それが神礼拝にかかわるすべての体験的現実を産出したという順序ではありえないでしょう(そのようなことが起こりえたのは、おそらく天地創造の最初の一瞬だけです)。その意味では、「神学」の役割は、理論よりも先行する(社会と教会における宗教的な)体験的現実の一つ一つに「名前をつけていくこと」(ネーミング)でもあるだろうという点に思い至ります。私などもたしかに、クリスマスやイースターやペンテコステの(神学的・教理的)意味など知らない頃からそれらを祝っていましたし、物心つく頃から「日曜日の朝は教会に行くものだ」ということが習慣づけられていました。「わたしはなぜクリスマスやイースターやペンテコステを祝わねばならないのか」とか「わたしはなぜ日曜日の朝は教会に行かねばならないのか」というようなことが真剣な意味で《問題》になったことは、私の場合、実を言うと、いまだかつて一度もありません。ですから、そのあたりまで遡って問い詰めて来る人を前にすると答えに窮してしまうところが私にはあります。「まあ慣れてください、あっはっは」とか言って、ごまかしてしまいます。しかし、逆のほうから言わせていただけば、私にとっては、盆も・暮れも・初詣も、桃の節句も・端午の節句も、お焼香も・お清めの塩なども、全く無縁でしたし、ただひたすら違和感のみを覚える《異文化》にすぎません。そのようなことが行われている場面に立ち会うたびに、それこそ一から十まで「なぜこのようなことを、このわたしがしなければならないのか」という疑問だらけです。やり方も知らないし、興味もありません。私は(二週間を除いては)日本から一歩も外に出たことがない人間なのですが、時々「あなたは日本人としての常識がない」と言われることがあります。そう言われるときは返す言葉がないので、たいてい黙ってやり過ごします。また、そういうときに「まあ慣れてください、あっはっは」とでも言って適当に受け流してくれる人がいればまだ救われるものがあるのですが、たいていは睨みつけられるか、あるいは白眼視されることが多かったため(日本人て何でこうなんですかね?私も正真正銘の日本人ですが)、そういう場所に行かずに済むものならできるだけ行きたくないという気持ちをわりと幼い頃から持っていたことを正直に白状しておきます。他の宗教に対する軽蔑や差別意識などは微塵もないのですが、強い違和感があるということは否定しがたい事実です。西日本(岡山県岡山市)出身の私が生まれて初めて(国鉄時代の)上野駅のホームで立ち食いうどんを注文したときに「どんぶりの底が見えないほど黒々としたうどんつゆ」を見た時に感じたのと同じくらいの違和感とショックを、他の宗教に対して感じます。この国の右翼的なタイプの人から見れば、私などは「究極の左」か「左の外」(?)にいる人間に見えるかもしれません。はっきり自覚していることは、「神学」を自分で学ぶことによってこの位置に立ちえたという順序ではなく、この位置でずっと長らく生きてきた私にとって「神学」は安住の地であったという順序です。もし私が「神学なしでは生きていけない」と語る場合は、常にこの意味です。「カナンの言葉」を失うと、私の日常会話が成り立たなくなるのです。
2008年4月22日火曜日
インターネットのオモシロ体験
これも一つの自虐ネタですが、インターネットの世界で体験する面白い出来事を書きとめておきます。GoogleやYahooなどの検索サイトで「関口康」をサーチすると、本来ならば私のごとき低く小さな存在とは競い合う関係にありえない高く大きな舞台でご活躍中の「関口康」さんと、私とが、どこかしら競い合っているかのように見える格好でヒットすることに気づきます。泣く子も黙る輝かしい経歴と実力をお持ちであることを拝察しうる方です。外見もスマートでイケメン。周囲の人から「王子さま」と呼ばれてこられた方ではないかと勝手な想像をめぐらすばかりです。私よりも17歳も年上でいらっしゃるのに、私のほうがよほど「じいや」に見えるだろうと感じます。かなり高い蓋然性をもつ推測として言いうることは、私のサイトを見に来てくださる方々の中には、かの「関口康」さんのところに行こうとして間違ってこちらに来てしまわれた方も少なからずおられるだろうということです。こういうことをブログに書きますと、これがまた検索サイトに引っかかってどなたかの目にとまることになり、そのうちかの「関口康」さんもこれをお読みになるときがくるかもしれないと思うと、あまり迂闊なことは書けません。もし可能でしたら、ご本人のお近くにおられる方々には、「千葉県松戸市に住んでいる同姓同名の改革派教会の牧師が、関口社長のことを陰ながら尊敬し、応援しております」とお伝えいただきたくお願い申し上げます。
2008年4月20日日曜日
殉教の覚悟
使徒言行録21・1~16
使徒パウロはミレトスでエフェソの長老たちへの別れの言葉を語った後、エルサレムをめざして歩き始めました。パウロのうちにはっきり自覚されていたのは「殉教」の二文字でした。わたしはエルサレムで殉教するという覚悟をパウロは持っていました。しかし、そのような覚悟をパウロが持っているということを、パウロの周囲にいた人々は、とても嫌がったのです。その様子が今日の個所からありありと伝わってきます。
「わたしたちは人々に別れを告げて船出し、コス島に直航した。翌日ロドス島に着き、そこからパタラに渡り、フェニキアに行く船を見つけたので、それに乗って出発した。やがてキプロス島が見えてきたが、それを左にして通り過ぎ、シリア州に向かって船旅を続けてティルスの港に着いた。ここで船は、荷物を陸揚げすることになっていたのである。わたしたちは弟子たちを探し出して、そこに七日間泊まった。」
パウロの旅行の経路につきましては、実際に現地に行ったことがない私には正しく説明することができません。新共同訳聖書の巻末付録の地図「8 パウロの宣教旅行2,3」をご覧いただきたいと申し上げる他はありません。この地図を見るかぎり、ミレトスからティルスまでは、ずっと船に乗って地中海を渡っていたようです。
そのことよりも、今日は、これまでにまだ一度も触れていない問題に触れておきたいと思います。それは、使徒言行録において今日の個所を含めて四か所出てくる「わたしたちは」から始まる文章(16・10~17、20・5~15、21・1~18、27・1~28・16)の問題です。「わたしたちは」という文章を書いたのは、誰なのでしょうか。その人はなぜこのように書いたのでしょうか。この問題は、多くの聖書注解者によって取り上げられ、論じられてきたものです。
ともかく一つだけはっきりしていることがあります。それは「わたしたちは」と書いているのはパウロ自身ではないということです。しかし、パウロでないとしたら、誰なのでしょうか。すぐに思い至るのは、パウロと同行した弟子の誰かであるということでしょう。もしそう考えてよいとしたら、16・10~17に「わたしたち」と書いたのは第二回伝道旅行の際のパウロの同行者であるシラスとテモテのどちらかです。しかし、使徒言行録はルカによる福音書を書いたのと同じ著者ルカが書いたと考えられるものです。そちらのほうを立てると、だれが「わたしたち」と書いたかが分からなくなるのです。
十分な時間がありませんので、ただちに結論的なことを申します。現在の聖書注解者が概ね了解している見方を紹介しておきます。それは、使徒言行録における「わたしたち」は、読者を聖書の世界の中に、またパウロの伝道旅行の中に巻き込むために著者が用いた文学的手法であるということです。
こういう見方を紹介する意図は、この問題に良い意味であまり深くかかわる必要はないでしょうということをご理解いただきたいからです。著者ルカがパウロの伝道旅行に同行していたかもしれないという可能性や、シラスかテモテが書き残した日記のようなものを著者が利用したかもしれないという可能性も、完全に否定することはできません。しかし、それよりもはるかに単純で納得できるのが「これは文学的手法である」という可能性です。
読者の中に、もちろんわたしたち自身も含まれています。そうだとすれば、わたしたち読者は、まさにパウロと共に船に乗り込み、彼と共に旅行しているという思いを持つこと、また、殉教を覚悟しているパウロの心の中身を思いめぐらし、かつ共感しながらこの個所を読むことが重要なのです。
「彼らは“霊”に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言った。しかし、滞在期間が過ぎたとき、わたしたちはそこを去って旅を続けることにした。彼らは皆、妻や子供を連れて、町外れまで見送りに来てくれた。そして、共に浜辺にひざまずいて祈り、互いに別れの挨拶を交わし、わたしたちは船に乗り込み、彼らは自分の家に戻って行った。」
パウロたちはティルスに到着しました。しかしそこで出会ったのは、パウロの旅を応援する人々ではありませんでした。正反対です。そこで出会ったのは、パウロのエルサレム行きに反対し、なんとかして行く手を阻もうとする弟子たち(キリスト者たち!)でした。
しかし、ティルスの人々が反対した理由は明らかでした。パウロには死んでもらいたくなかったのです。生きてもらいたかったのです。ですからそれはもちろん全くの善意から言っていることなのであって、決して悪意を持っていたわけではありませんでした。
「彼らは“霊”に動かれていた」とあります。“霊”とは聖霊なる神です。つまり彼らは、聖霊なる神御自身に導かれて、パウロの行く手を阻もうとしたのです。この点は重要です。なぜなら、彼らが“霊”に動かされてパウロに真剣に問うたことは、あなたの殉教は神の御心にかなっているものではないのではないか、ということに違いなかったからです。
ここでわたしたちが考えたい問題は、同じひとりの神が別々の人に対して、相矛盾する別々の言葉をお伝えになるだろうかということです。同じひとりの神がパウロに対しては「エルサレムに行って殉教しておいでなさい」と言われる。他方で、ティルスのキリスト者に対しては「パウロがエルサレムに行くとそこで殉教しかねないので、阻止しなさい」と言われる。もしそれが事実であるならば、そのような神とはいったいどういう神なのかという点に疑問を持つ人々が現われても、おかしくないでしょう。
しかしパウロは先へと進んで行きました。反対する人々の声に耳を貸そうとしませんでした。パウロはやはり強情な人だったのでしょうか。人を人とも思わず、人の善意を理解せず、また聖霊なる神の導きさえも無視して、自分勝手な判断に基づいて、物事を強引に進めて行く人だったのでしょうか。そのような面があったかもしれないということを否定することはできそうにありません。
ところが、そのようなパウロを見て、ティルスの人々がとった行動には、胸を打たれるものがあります。妻子を連れて町外れまで見送りに来てくれた。ひざまずいて祈り、別れの挨拶をしてくれた。いくら止めても止まらないパウロを見限るのではなく、恨みごとを言うのでもなく、すべてを神に委ね、祈りをもって送り出す彼らの姿は、とても立派です。
ところで、ここでも注目していただきたいのは、「わたしたち」です。ティルスの人々がパウロのエルサレム行きに反対したとき、「しかし、わたしたちはそこを去って旅を続けることにした」と書かれています。ここで分かることは、この時点において「わたしたち」は、ティルスの人々の側ではなく、パウロの側に立っているということです。ところが、次の段落において変化が見られます。この変化に注目することが重要であると思われます。
「わたしたちは、ティルスから航海を続けてプトレマイスに着き、兄弟たちに挨拶して、彼らのところで一日を過ごした。翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。この人には預言をする四人の未婚の娘がいた。幾日か滞在していたとき、ユダヤからアガボという預言する者が下って来た。そして、わたしたちのところに来て、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った。『聖霊がこうお告げになっている。「エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す。」』わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ。」
パウロ一行は、カイサリアに住んでいたフィリポの家に泊まりました。そこにアガボという預言者が来て、パウロがこれから受ける苦難の様子を預言しました。
そうしますとこのとき、先ほど申し上げた変化が起こります。「わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ」とあります。「わたしたち」は、ティルスの人々が反対したときには、パウロの側に立っていました。ところが、その同じ「わたしたち」が、アガボの預言を聞いた途端に、今度はパウロの側に立つことをやめて、パウロのエルサレム行きに反対しはじめたのです!
ここで考えておきたいことは、この変化の意味です。先ほど私は、使徒言行録における「わたしたち」は、読者を聖書の世界の中に、あるいはパウロの旅の中に巻き込むための文学的手法であると申しました。しかし、それは一つの可能性であって、絶対的に確実なことではありません。とはいえ、わたしたちにとって大切なことは、誰が書いたかということよりもむしろ、この変化が起こったことをわざわざ読者に知らせようとしている使徒言行録の著者の意図は何かということです。
はっきり分かることは、この時点においてパウロは完全に孤立するに至ったのだ(!)ということです。ティルスでは、そこに住んでいたキリスト者たちが、パウロに強く反対しました。しかし、その反対を押し切って旅を続けました。ところが、カイサリアに至ると、とうとう「わたしたち」までが、パウロに反対しはじめました。
このことを、次のように整理して申し上げることができます。パウロは、聖霊なる神に導かれたティルスの人々にも逆らい、また預言者アガボの言葉を信じた「わたしたち」にも逆らうことになりました。その結果、パウロに味方してくれる人は、ついに誰もいなくなったのです!
「そのとき、パウロは答えた。『泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。』パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、『主の御心が行われますように』と言って、口をつぐんだ。」
パウロは、どんな反対があっても、完全に孤立することになっても、エルサレムに行くことをやめませんでした。ここに、彼の生きざま、そして彼の信仰がはっきりと示されています。「主イエスの名のためならば」というただ一つの動機だけがパウロの背中を押してやまなかった様子が伝わってきます。わたしたちは、このようなパウロの生きざまと信仰をどのように理解すればよいのでしょうか。二つの点だけ申し上げておきます。
第一に、私はやはり、ティルスの人々が聖霊なる神の導きによってパウロに反対したという点を重視したいと願っています。殉教すること自体、死ぬこと自体は、神の御心ではないのです。死んでもよい人、殺されてもよい人などは一人もいません。殉教こそが神の御心であると語ることは、わたしたちには不可能です。神の御心は生きることです。なんとしてでも生き延びることです。「どうぞ死になさい」と勧めるような神がいるとしたら、そんなのは神ではないのです。
第二に、しかし、パウロの立場を最大限に尊重するならば、次のように申し上げることができます。パウロには、たとえどんなに反対されても、彼一人が孤立することになっても、エルサレムに行かねばならない理由があったのだということです。同胞であるユダヤ人、神の民イスラエルを、真の救い主イエス・キリストを信じる信仰へと導くためです。エルサレムへ行く道は、彼にとってはどうしても避けて通ることができなかったのです。迂回路(バイパス)はなかったのです!
(2008年4月20日、松戸小金原教会主日礼拝)