2008年2月10日日曜日

「恐れるな、語り続けよ」

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「今週の説教メールマガジン」が第200号を迎えました!



「今週の説教メールマガジン 第200号感謝号」記念巻頭言 高瀬一夫先生



使徒言行録18・1~11(連続講解第45回)



日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康





「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退却させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。『あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。』パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。』パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。」



パウロが「アテネを去った」と記されています。この「去った」という表現は、単なる移動の事実を示しているというよりも、もっと強い意味を持っています。「退却した」です。あるいは「引き上げた」とか「遠ざかった」です。「すごすごと」あるいは「しおしおと」あるいは「しょんぼりして」という言葉を付け加えたくなるような表現です。



どうしてパウロはしょんぼりしているのでしょうか。その事情は先週学んだとおりです。第二回伝道旅行の出発時にはパウロと共にシラスとテモテの二人がいました。しかし途中でパウロは一人になってしまいます。そしてパウロはたった一人でギリシアの首都アテネに行き、そこで説教しましたが、その結果はあまり思わしいものではありませんでした。



大都会のど真ん中に、一人で立つ。どれほど大きな声を張り上げて何を語ったとしても、まともに耳を傾けてくれる人がいない。何を言っても無駄。取りつく島がない。きっかけがつかめない。なすすべがない。そのことを深く痛感し、気落ちして元気なく、その場を後にする。そうしたパウロの心境が「去る」というこの一言に集約されているのです。



パウロの語り方のほうにも問題があったということを先週申し上げました。皮肉や嫌味がたくさん含まれている言葉を、けんか腰で語る。気負いがあったのではないでしょうか。「わたしは大都会アテネの異教主義を相手に一人で戦っているのだ」というような意味での気負いです。しかし、皮肉交じりのけんか腰の言葉は人の気持ちを逆なでするものです。素直に聞いてくれる人は少ないでしょう。



パウロという人は、よくも悪しくも強い人でした。彼の強さには「悪しくも」と言わなければならない面があったと思われるのです。



自分が信じていることを、どんな場所でもはっきりと語ることができました。それは良い面でしょう。しかし、場をわきまえるとか、相手の状況を配慮するというような面に少し欠けるものがありました。要するに、遠慮がないのです。デリカシーというようなものもちょっと足りない。配慮するとか遠慮するというようなことを考えたり実行したりすること自体が罪であると思っているようなところがありました。当たって砕けろ式のやり方で体当たりする。あるいは、真理の重くて固い石を、だれかれかまわず投げつけてしまうようなところがあったのです。そして、相手が間違っていたり、こちらの思い通りにならなかったりした場合は、すぐ怒る。腹を立てる。こういう人は、わたしたち日本人がいちばん苦手とするタイプかもしれません。



しかし、そのようなパウロの態度も、伝道旅行の中で遭遇する体験の中で、ほんの少しずつですが、変わっていったと感じられる面もあります。今日の個所からその変化を示すことはできませんが、今後の学びの中で見ていきたいと願っています。



パウロはコリントに移動しました。そしてコリントでも「安息日ごとに会堂で」御言葉を宣べ伝える仕事をしました。しかし、この町でパウロの活動に新しい要素が付け加わりました。コリントに住んでいたアキラとプリスキラというユダヤ人夫婦の家に住み込んで、彼らと一緒にテント造りの仕事に取り組んだというのです。



ただし、気になることがあります。それは、パウロとアキラの「職業」が同じであったという表現です。結論から言いますと、これは誤訳であると私は考えています。なぜなら、パウロの職業は「伝道」だからです。それは私の職業が「牧師」であることと同じです。伝道だの牧師だのは「職業」ではないという考えもあることを私は知っています。しかしそれは非常に大きな誤解です。パウロの場合も、彼の「職業」はテント造りのほうであり、伝道のほうは副業もしくは奉仕であるということではありませんでした。もしこの個所をそのように誤解する人が出てくるとしたら、これは明らかな誤訳なのです。



私がいつも拠り所にしている注解書を調べましたところ、私の理解を助けてくれる言葉が見つかりました。それによりますと、ここで「職業」と訳されている言葉(テクネー)の意味は、むしろ「技術」(テクニック)ないし「能力」(スキル)であるということです 。つまりここに書かれていることは「パウロの職業はテント造りであった」という意味ではなく、「パウロはテント造りの技術を持っていた」という意味であると理解すべきなのです。



ただ、しかしまた、「職業」という日本語がいわゆるお金を稼ぐ手段というようなことをもっぱら意味する言葉であると理解されているような場所や人々の中では、伝道が「職業」であるという話は、なかなか通じないというか、かえって非常に誤解される面があるかもしれません。「伝道」そのものは営利事業ではありえないからです。



パウロがなぜ、コリントの町でテント造りの仕事に取り組んだのか、その事情や動機についての詳しい説明はどこにもありません。しかし、思い当たることは、一つしかありません。要するに、食べるお金、あるいは宿を借りるお金にも窮する状況に陥ったのです。それ以外の理由は考えられません。



シラスとテモテから離れて一人でいたということがおそらく関係していたのでしょう。アキラとプリスキラの家に「住み込んだ」とは「居候(いそうろう)させてもらった」ということでしょう。居候も、何もしないでいると肩身が狭い。「仕事をさせていただきますので、どうか食べさせてください、しばらく住まわせてください」という話になったのだと思います。そこでパウロは、どこかで身に付けた「技術」ないし「能力」を活かすことを考えた。それがテント造りであったと見ることが可能です。



伝道の仕事に就いている者たち、牧師たちも、その種の苦労を味わうことがあります。笑いながらお話しできるようなことばかりではありません。心底つらい思いをすることがあります。しかしその体験には「人生の良い経験をさせていただきました」と感謝すべき面もあると思っています。そのような体験があるゆえに、お金のこと、生活のことで苦労している人々の気持ちを理解し、共感し、同情することができます。生活が完全に破たんすると、人はどのような思いになるのかということを、多くの伝道者は知っているのです。



シラスとテモテが、やっとコリントに来てくれました。それでパウロの状況が好転したようです。シラスとテモテがどこかで献金を集めてきてくれたのかもしれません。「パウロは御言葉を語ることに専念した」と記されていることの意味は明らかです。テント造りの仕事をやめたということです。そして安息日だけ御言葉を語るという生活をやめたということです。そのようにして毎日御言葉を語る者になったということです。つまりパウロの本来の「職業」としての伝道に専念できるようになったということです。この点を考えても、テント造りをパウロの「職業」と翻訳することは誤訳であると言わざるをえません。



しかし、です。パウロが力強く語れば語るほど、抵抗勢力のいきおいも増してきました。そこでパウロはどうしたか。腹を立てたり大きな声で怒鳴ったりしたでしょうか。どうもそうではなさそうです。もっとも「服の塵を振り払った」は「足の塵を払い落す」(12・51)と同じく、敵対する人々を呪う行為です。しかし、抵抗するユダヤ人たちを力づくで組み伏せようとするのではなく、「今後、わたしは異邦人の方へ行く」と宣言するに至りました。



ユダヤ人たちと向き合うのと比べると、異邦人に伝道するほうが容易かったでしょうか。まさかそんなことはありえません。たしかにユダヤ人たちは、聖書の神を信じていました。ユダヤ人たちが信じなかったのは、イエスがキリストであるという点です。それに対して異邦人たちはどうだったか。異邦人たちは聖書の神を信じていないから、白いキャンバスの上に新しい絵を描きはじめることができたかというと、そんなことはなかったわけです。異邦人たちは別の神を信じていました。別の思想、別の哲学に対して、確信を持っていました。ユダヤ人たちはパウロの宣べ伝える言葉を聞くと腹を立てました。しかし、異邦人たちは嘲笑ったのです。どちらの道も容易いものではなかったのです。



パウロは、お世話になったアキラとプリスキラの家に別れを告げ、次にコリントの会堂の隣にあったティティオ・ユストという人の家に住ませてもらうことになりました。会堂の隣に住むのはやはり都合がよいことです。会堂は「人が集まる」場所だからです。伝道とは「人に伝える」わざだからです。神の言葉の説教は、人のいない空中に向かって語られるものではありません。そこに大勢の人が集まっている場所で語られるものなのです。



コリントの町で、パウロは、おそらく、夜眠っているときに夢を見たのです。そして、その夢の中で救い主イエス・キリスト御自身の声を聞いたのです。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。」おそらくこれは、すべて、そのときのパウロの心の中にあった思いに反対する言葉ではないかと思われます。おそらくパウロは恐れていました。語るのをやめよう、黙っていよう、こんなことを続けて何になるのかと、何度も思ったのです。繰り返し落胆と失望を味わっていたのです。多くの反対や抵抗、あからさまな攻撃、誤解や偏見、中傷誹謗、とくにアテネでの失敗やそこで受けた嘲笑、さらにコリントにおける生活上の苦労や行き詰まり。これらのことで、ほとんど心折れそうになっていたのです。



その中でパウロが見た夢、そしてその夢の中で聞いたイエス・キリストの励ましの声が、だれよりもパウロ自身を救う力になったことは、間違いありません。



わたしたちも同じです。伝道はわたしたちの熱意や勇気だけで続けられるものではありません。イエス・キリスト御自身の励ましの言葉だけが、わたしたちを支えているのです。



(2008年2月10日、松戸小金原教会主日礼拝)



「今週の説教メールマガジン 第200号感謝号」記念巻頭言

高瀬一夫 (日本キリスト改革派千城台教会牧師)



関口先生、そして松戸小金原教会の皆様、「今週の説教メールマガジン第200号」、おめでとうございます。



説教は語る者より、聞く者の聞き方のほうが大きな力となります。聞いてくださる方があって語る者は励みにもなり、支えられている感謝で毎週語ることが許されているのです。説教者は、説教を聴いてくださるお一人お一人のお顔を思い浮かべながら、みことばに聞き、用意をします。



ほとんどの牧師はその説教を公表していません。語り終えるとそれで全てが終わります。私も説教を文書化することをしておりません。しないのではなく、出来ないのです。真剣に学び、教えられ、また神様が語れと命じておられることを文書化しなければならないと、いつも思っています。しかし、なかなか出来ないでおります。私の知人・友人の方々は、語るだけでなく、それを文書化し、さらに多くの人々に公表すべきであると言われます。でも、できない自分を恥ずかしく思っています。



ところが、関口先生は教会内で公表なさるだけではなく、ホームページやブログで広く公表されておられます。このお働きはとても勇気のいることであり、また大変な努力を必要とする仕事です。毎週毎週欠かさずに説教を公表するということは至難の業であります。私は「文章を書くことは恥をかくこと」といわれたことがあります。確かに、文字にしてしまいますと、語った説教と違うイメージが勝手に読む人々によって抱かれ、誤解され、批判されることがあります。それでもなお書き続けられることを200回も続けられたことに敬服いたしております。



このお働きは常人には出来ないことです。強靭な意志と、人並みはずれた努力と、そして神様がその業を励ましてくださり、健康を祝福してくださることによって実現したと思っています。



関口先生はとても多忙なお方です。教会の牧師としてだけでなく、お子様たちの通っておられる学校のPTAのお働き、地域の方々と共に「九条の会」などにも積極的にかかわっておられます。また中会内の働きにも重責を担っておられます。そして何よりもファン・ルーラー研究者・翻訳者としての働きや、カルヴァン学会などの働きをしておられます。



時々、先生からメールをいただくことがあるのですが、夜中の2時、3時に発信しておられることがあります。いつ寝ておられるのだろうと思っています。こんなに忙しい先生なのに説教を毎週欠かさず公表されておられることは真に驚異的です。この「今週の説教 メールマガジン200号」は、先生の血のにじむような忍耐と努力の結晶であると思っています。



私は書斎で疲れたとき昼寝をしますが、以前、先生の説教を子守唄にしてきながら寝ていました。そのことを先生にお伝えしたのが今回のお祝いの言葉を書くように依頼された理由でしょうか。真に失礼とは思いますが、そんな不真面目な聞き方でも「聞いてくださることがありがたい」とおっしゃる先生の心の広さを感心しています。



先生の説教にはところどころ先生と親しく交わっているものにだけに分かる先生の癖がはっきりと現れています。それを感じるものとして説教を聞かせていただいておりますと、本当に楽しくなります。



そして先生の説教は、先生でなければ語れない大胆さ、福音の力強さ、説得力の豊かさを感じます。この様に先生を用いていてくださる神様の御名を心からほめたたえたいと思っています。



200号は単なる通過点です。300号500号1000号をと先生なら出来ると思います。がんばってください。先生の健康のため祈ります。そして先生を支えておられる松戸小金原教会の信徒のお一人お一人の上に神様の祝福がたくさんありますように祈ります。



最後にこのメールマガジンをいつも読んでおられる方々に心から感謝いたします。暖かいお励まし、お祈りが背後にありますこと、感謝です。今後も先生のこのお働きのためぜひお祈りをお願いいたします。



心からのお祝いの気持ちを文章にしました。本当におめでとうございました。そしてこれからもがんばってください。先生のために祈ります。御名をほめたたえつつ。
 
(2008年2月7日 記す)



2008年2月9日土曜日

エール


テサロニケの信徒への手紙一5・16~18

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」

ご結婚おめでとうございます。心からお祝いを申し上げます。御両家の方々にもお慶びを申し上げます。お二人の結婚式の司式をさせていただくことができますことを嬉しく思っています。

多くの人々が認めてくださることは、結婚はゴールではない、スタートであるということです。人生には苦しいことも悲しいこともあります。そのときに一人ではなく二人、そしてこれから生まれてくる子どもたちと一緒に苦しみや悲しみの時を乗り越えていくことができるのは、本当に幸いなことです。

時には、わたしたち自身が周りの人を傷つけてしまったり、多くの人を悲しませてしまったりする、その原因になってしまうこともあります。しかし、そのようなときも一人ではなく二人。お互いに厳しいことを言い合わなければならないときもありますが、しかしまた、お互いの弱さを認め合い、赦し合うことができます。

何もかも自分一人で抱えこみ、自分一人で決着をつける。そのような人生には気楽な面もあるかもしれませんが、さびしいと感じる面も必ずあるはずです。一人でいることはわたしたちの成長の段階の中では必要なことでもあります。しかし、わたしたちはいつまでも一人で生きられるわけではない。助けを必要としている存在なのです。

新郎のお名前「信悟」の信は、信じるの信です。新婦のお名前「睦子」の睦は、仲睦まじいの睦です。とても良いお名前をそれぞれのご両親から授かったお二人です。それぞれのご両親が長い時間をかけてお二人を育ててくださいました。そのご家族の思いを、これからも大切にしなければなりません。そして、どうぞ、お二人がお互いを信じ合うことができ、いつまでも仲睦まじくありますように。

さて、お二人がこれから幸せな人生を送って行かれるためにお勧めしたいことを申し上げます。それが、先ほどお読みしました聖書のみことばです。

「いつも喜んでいなさい。」そんなことができてたまるかと言われることがあります。いつも喜んでいるだなんて人生を甘く見ている証拠ではないか、と。しかし、そこで少し立ち止まって考えてみてほしいことがあります。それは「もう一人ではない」ということです。いつまでも不機嫌な顔をしていると家族が迷惑しますということです。一人ならばいつまででも不機嫌な顔をしていてください。どうぞご自由に!しかし、せめて家族みんながいるところでは笑ってください。みんなを幸せにすることを考えてください。ぜひそのことを心がけてください。

私は教会の牧師ですからこういうことはよく分かるのです。教会の中で不機嫌な顔をしている牧師は迷惑な存在です。「何かあったんじゃないか?」と心配していただいたりご機嫌をとっていただいたり。周りの人々に気を使わせてしまいます。同じことがすべての人に当てはまるのだと思っています。自分一人でいるときにはどんなに不機嫌でも構いません。しかし、家族のみんなの前では笑っていてください。周りのみんなを幸せにしてください。ぜひお願いいたします。

「絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」祈りというのはもちろん宗教の次元の話です。結婚生活というのは、とにかく二人で力を合わせて、両方の実家から独立して頑張って生きることです。しかし、私も経験してきたことですが、若い二人にはお金もありませんし、力もない。生きていくための十分な知恵もない。そのような中で子供を育て、家計を切り盛りしていかねばならない。すぐに行き詰ってしまいます。

それでも、そこですぐに実家に頼るのか、それとも、もう少し二人だけでがんばってみようと思うのかで、結果は大きく違ってくるでしょう。しかし、二人だけで頑張ると言っても、どうしたらよいのか頭を抱え、途方に暮れるときが来る。それが現実です。

しかし、そのようなときにぜひ考えてもらいたいことは、二人で一緒に天におられる神に祈ってみてくださいということです。途中の話を全部省略して結論だけ言いますが、神さまが必ず助けてくださいます。神さまに祈ってください。そうすれば、必要なものはすべて必ず与えられます。お二人は、祈りによって危機的な局面を乗り越えていけるでしょう。

実は「今日まで内緒にしておいてください」と言われていました。新婦の職場である歯科医院の方々が来てくださっています!職場のみんなに迷惑をかけたくないと遠慮しておられたようですね。「四年も頑張って働いてくれた大切な仲間の結婚式に行かないわけにはいかない」と一時休診して駆けつけてくださいました。

本当に素晴らしい方々がお二人の周りにおられます。今日集まってくださった皆さんがそうです。職場の皆さんも、もちろん御両家も、たくさんの友達も、そして教会も、お二人をお助けします。

安心して、勇気をもって、これからの新しい人生を歩み出してください!祝福をお祈りいたします。

(2008年2月9日、結婚式説教、於 松戸小金原教会)

インターネット時代における教義学研究の新しい可能性

今週は終始、心定まらず、脳内もクリアでなく、首や肩や腰に張りや痛みを感じながら過ごしました。理由ははっきりしています。先週中に一回、今週中も一回(昨夜)行った夜なべ仕事(脱稿が朝になる夜通しの書き物)が心身にダメージを与えているという、ただそれだけのことです。しかし今日は、教会で結婚式です。若い二人の晴れ舞台に、司式者が寝ぼけた顔をしているわけにはいきませんので、気合いを入れてがんばりたいと思います。



ところで。今週書いてきたことに強いてタイトルをつけるとしたら、大げさかもしれませんが「インターネット時代における教義学研究の新しい可能性」というようなことかなと思っています。最初からこういうことを書こうと決めて書いてきたわけではありません。なんとなくこういう方向に来てしまいました。しかし、インターネットの出現は、我々の教義学なり神学なりの研究のあり方を根本的に変えていかざるをえない、その意味で劇的ないし革命的な変化の可能性を示してくれるものであったと、私は感じています。



「感じています」と書くのは、変化後の実現形態をまだ見ていないからです。しかし、私自身がインターネットを約11年ほど利用してきて分かってきたことは、「これはかなり使える」ということです。とりあえず二点、教義学研究にとってのインターネットの利点を書きとめておきます。



第一は「これはとにかく《文字》(もじ)を伝えるツールである」ということです。換言すれば、これは《文字》を“言質”(げんち)として獲得しうるツールです。「言った・言わない」という不毛な論争を終結させうるツールです。この点が教義学研究に有効なのです。



私の長年の確信は「神学、とりわけ教義学というものは、それが学問(Wissenschaft)と呼ばれるものであるかぎり、《文字》のテキストをとにかく根拠にするものである」ということです。「立ち話や噂話、風説や流言飛語などをデータとみなす」、あるいは「行間を読む」とか「言外の意図を探る」というような仕方で、空中を漂う(文字化されていない)コトバを根拠にして学問としての教義学を営むことは、限りなく不可能に近いことであり、あるいは、たとえいくらか可能な部分が存するとしても、そのようなものはなるべく邪道とみなし、排除すべきであるという感覚を、私はずっと持ち続けてきました。この私の感覚に対して、インターネットというこのツールは、かなり大きな充足感を与えてくれるものでした。とにかく世界中の《文字》をかき集めて来てくれる。すなわち、「学問」(Wissenschaft)の根拠になりうるものをかき集めて来てくれる。これと同じことを期待できるインターネット以外のツールは、現時点では存在しません。



第二は、「インターネットを通しての買い物、とくに古書の購入は非常にスムーズで快適なものである」ということです。私はインターネットを利用しはじめてから約11年の間にオランダ語の神学書を中心に、非常に多くの古書を買い集めてきました。自慢するわけではありませんが、もしかしたら、今や私は、古書の情報を入手し、それをすみやかに購入するという一点においては、現地に留学中の人よりも上手かもしれません。



まだまだあると思いますが、また少し頭がぼうっとしてきましたので、ここまでにしておきます。



2008年2月8日金曜日

私が説教をインターネットで公開している理由(2/2)

すべての説教をインターネット上に公開しはじめてからは、「言った・言わない」のたぐいは一切無くなりました。私の説教を耳で聴いてくださる方々に対し、《文字》(もじ)による「言質」(げんち)を提供すること。もし何か問題を感じる言葉が私の口から発せられた場合には、私の書いた《文字》のテキストに基づいて、その問題点を具体的に指摘していただけるようにすること。それが「今週の説教メールマガジン」発行の第二の、しかしこれこそが本当の、心底からの動機でした。



つまり、二つの動機とも、いうならば自己防衛的な側面の強い発想から出たものであったということです。よくいえば危機管理です。すべての説教を《文字》として公開することが、自分自身を防御し、かつ教会を混乱に陥らせないための最も有効な方法でもあると知りました。それと似たようなことは、我が国の総理大臣でさえ今や熱心に行っていることです。



第三の動機として伝道目的という点を挙げるべきかもしれませんが、この点はあまり事実でも真実でもありません。あとから取って付けたような動機です。「ブログを読みました。メールマガジンを購読しています。それで教会に通ってみたくなりました。洗礼を受けたいと願うようになりました」と申し出てくださった方は、199回メールマガジンを発行してきて一人もおられません。当然だと思っています。一時期は音声まで公開していましたが、公開作業が面倒になって(すべて私一人で行っています)、やめてしまいました。「インターネットで関口牧師の説教を聞きました。それで心動くものがありましたので、教会に通いたくなりました」と来てくださった方もゼロです。



私はそういう現実の前で少しもがっかりしません。そもそも最初の動機ないし目的が伝道という点にあったわけではなかったからです。最初から期待していないことについては、落胆も失望もありません。問題をいくらか局限化してみるとしたら、「そもそも“信仰”は電気信号に変わりうるものか」、あるいは「“聖霊”とは光ファイバーを介して伝達されうるものか」というような(半分以上は冗談のような、しかし深く考えはじめると意外に難しい)《教義学的問い》として成り立つと思っています。私はこれらの問いに対して、今のところ、きわめて否定的な考えを持っています。



毎日毎日、とことんハードに利用しているからこそ思うことです。はっきり言えば、「インターネットは伝道目的には向いていない」と考えています。牧師にとっても教会にとっても、持ち出すものばかり多く、返ってくるものはほとんどありません。「お前の考えは間違っている」と、どなたかにこの私を説得してもらいたいくらいです。



私が説教をインターネットで公開している理由(1/2)

夜なべ仕事で原稿を書き、編集者に送りました。少し仮眠して、午後は土曜日の結婚式の会場設営です。うれしく思っていることは、来週2月10日(日)の礼拝説教を掲載して配信する予定の「今週の説教メールマガジン」が「第200号感謝号」であること。「第100号感謝号」のときは佐々木冬彦さんに「記念巻頭言」を書いていただきました。来週の「第200号感謝号」にも、私の恩人である方に「記念巻頭言」を書いていただく予定です。その原稿を実はすでに昨日読ませていただき、その中に記されている本当に温かくありがたいお言葉に、大いに励まされました。



「教会的実践」(kerkelijke praxis)とは、少なくとも牧師たちにとっては「毎日の実践」あるいは「日常の現実」です。しかし、キリスト者である多くの人々にとってのそれは、かなりの部分は「日曜日の実践」に限られたものであり、その意味での「日曜日の現実」でしょう。そういう認識には行きすぎの面がありますが(なぜなら我々は日曜日だけキリスト者であるわけではなく、すべての日においてもキリスト者であり続けているからです)、しかし、すべてが間違っているわけではないと思います。



牧師たちは、日曜日以外も我々なりに一生懸命働いています。しかし、もし我々牧師たちが「日曜日の仕事」に失敗しているとしたら、我々が日々取り組んでいる仕事への評価(評価という言葉をあえて用います)も得られないでしょう。回りくどい言い方をやめて率直に言いなおすとしたら、「日曜日の礼拝説教において教会員や礼拝出席者に苦痛や負担を与えるばかりの牧師は、他のどのような点や面に秀でているとしても、牧師として正当な評価を受けることはありえない」ということです。



「今週の説教メールマガジン」の発行を思い立った動機は、純粋に伝道目的というだけのものではありませんでした。第一の動機は、「日曜日『にも』こういう仕事をしています」と知ってほしい人々に、私の現実を伝えることでした。この点は書きはじめると長くなるので、今は省略します。



第二の動機は、第一の動機よりもさらにネガティヴなものです。牧師として駆け出しの頃、説教の言葉や内容が定まらず、神学的方向性も一定せず、それゆえ、自分が語ろうとしている事柄の意図を十分に伝えきれないもどかしさのうちで彷徨っていた時期に教会の人たちとの間に繰り返し起こったトラブルは、要するに「言った・言わない論争」でした。



「関口牧師よ、あなたは説教の中でこう言った。あの言葉で私は深く傷ついた。これ以上この教会で信仰生活を続けることはできそうもない。」



「いや、私はそんなことは言っていない。あなたを傷つけるようなことを牧師であるこの私がなぜ言わねばならないのか。」



「いや、間違いなくあなたは言った。あれは明らかに、私に対する当てこすりだ。あんなことをみんなの前で言う牧師には、とてもついて行けない。」



「いや、私は言わない。あの言葉の意図は、別に当てこすりなどではない。」



「いや、言った。当てこすりに決まっている。あなたはそういうことをする人だ。」



こういうのを水かけ論というのだと思いますが、果てしないまでの虚しさを伴う不毛なやりとりであることは間違いありません。あの虚しい「言った・言わない論争」を繰り返さないためにはどうしたらよいかをずっと考えてきて、ようやく辿り着いたのが「説教全文のインターネット公開」だったのです。



実践的教義学に不可欠な要素としての「教会的実践」(2/2)

そしてまた、もう一つ書いておきたいことは、教会活動に伴うドタバタ的要素に対して主体的に関わったことがない人々、あるいは関わる気がない人々が書く「教義学」は空虚であるということです。



教会のためにドタバタしたことがあり、今まさにドタバタし続けている人にだけ、「教義学」を書く資格があるのです。「教義学」は真空の中で生み出される抽象論ではないし、そのような抽象論は「教義学」ではありえません。「このクソ忙しいのに、書けるかそんなもん!」と年がら年中キレそうになりながら、それでも忍耐強く外国語の書物を読み解き、豊かで美しい言葉を駆使してコツコツと文章を書いていき、塵を集めて山とする人こそが教義学者にふさわしいのです。私がお世話になった教義学者たちは、すべてそういう方々でした。



また、今しがたは、少し遠慮する意味で「最低限、教会役員(教師・長老・執事)」と書きました。しかし、「実践的教義学」の場合は、繰り返し書いているとおり、教義学と実践神学の合体形ないし統合形態なのですから、それを構成する要素の中には、従来の実践神学が扱ってきた諸学科、すなわち「説教論」や「牧会論」や「宣教論」や「礼拝論」などが、すべて含まれているのです。そう考えてみたときに思い当たるのは次の問いです。すなわち、はたして一度として「説教」や「牧会」のわざを主体的・責任的・そして専門的な立場で行ったことがない人、あるいは「宣教ないし伝道」や「礼拝」の活動にこれまた主体的・責任的・そして専門的に参加したことがない人に「実践的教義学」の“執筆”が可能だろうかという問いです。



私の結論は「それはどう考えても無理である」というものです。「実践的教義学」は、ギリギリで「長老」、現実的には「教師」、そしてなるべくなら「牧師である教師」が書くべきものであると思われるのです。「執事」を締め出す意図は必ずしも明確なものではありませんが、私の見方では、「教義学を執筆しうる執事」はぜひとも「教師」か「長老」に任職されなおすべきです。



「牧師である教師の教義学」の良い例は、カルヴァンの『キリスト教綱要』です。あの書物は、よく知られているとおり、初版から最終版までの改訂作業の間にページ数がどんどん膨れ上がって行ったものです。なぜ膨れ上がったのでしょうか。理由は明白です。まさにあの『キリスト教綱要』こそがカルヴァン自身の「教会的実践」の記録そのもの、とくに幾度も繰り返された様々な論争の記録そのものだったからです。継続的で忍耐強い「教会的実践」こそが汲めども尽きせぬ泉のように「実践的教義学」に豊かな話題を提供し続けるのです。問題と論争の矢面に立たないかぎり決して書くことのできない言葉が「教義学」には不可欠なのです。



実践的教義学に不可欠な要素としての「教会的実践」(1/2)

今日は入院している方のお見舞いや、週末に行われる結婚式の準備などで、バタバタしていました。今夜中に仕上げなければならない原稿もあります。新年から始めようとしたカントの『純粋理性批判』の読書も、「実践的教義学」の構想も、さらなるダイエットのためのウォーキングも、米倉涼子さんも伊東美咲さんも、永年続けてきたファン・ルーラーの翻訳も、どこかに吹き飛んでしまいます。



これでいいのだと、開き直っています。牧師の「実践」(praxis)の実態は、まさにドタバタです。尊敬する先輩牧師から、「牧師の仕事と学問研究は『あれか・これか』だよ」と諭された言葉を忘れることができません。本当にそのとおりだと痛感するものがあったからです。しかし、しかし、しかし、です。私の思い描く「実践的教義学」にどうしても不可欠な要素は「教会的実践」(kerkelijke praxis = イミンク先生が好んでお用いになる言葉)です。「教会的実践」とは無関係な「実践的教義学」は概念矛盾であり、全く無意味・無価値・無効です。また「実践的教義学」の“執筆”という点に専門的に取り組むことが許される“資格”なるものがもしあるとしたら、それは最低限「教会役員」(改革派教会の場合は「牧師・長老・執事」の三職 munus triplex)である人。すなわち、「教会」の運営や管理に対して法的ならびに道義的な責任を負っている人。「教会役員」以外の人を締め出すのは、意地悪や差別で言っていることではなく、教義学を執筆する資格を得たい人は「教会役員」になるべきであると言っているのです。少しきつい言い方をお許しいただきたいのですが、「教会」に対して第三者的・傍観者的なスタンスに立ち、無責任な批判を繰り返すような人には「実践的教義学」を、また「教義学」ないし「組織神学」の執筆を担当する資格はありません。



もちろん「神学」ないし「教義学」には《教会を批判する機能》が認められて然るべきです。いかなる批判をも受ける必要なく立ちうる無謬・無誤の教会など地上には存在しません。批判なきところに改善も改革もありえません。



しかし、その批判はそのまま批判者自身にも向けられるべきです。批判者自身は無傷でいられるというわけではありません。なぜなら、教会がそういうものではありえないように、批判者自身もまた、無謬・無誤の存在ではありえないからです。「教義学」を執筆する資格を持っているのは、神学それ自体が持っている批判力によって「教会」の受ける傷はどれほど深く甚大なものであるかを自ら体験的に知る機会を得たことがあり、かつ明確に自覚している人のみです。



教義学者よ、あなた自身は、なんら「神」ではない。「人間」なのです。



2008年2月6日水曜日

「肉声の教義学」としての実践的教義学(2/2)

そして、このように考える場合の「実践的教義学」の形式(form)もしくは形態(Gestalt)として私の心に思い浮かぶのは(これをどのように表現したらよいのだろう?)要するに「肉声の教義学」(dogmatica in viva vox)のようなものです。18歳の少年が体験した「温かい血の通う人格が介在している教義学の学び」のあり方を(閉ざされた教室の外側で)再現する必要を感じています。



そうなるとやはり、大いに利用できるのは、このインターネットであるはずです。「サイバー大学」のようなものの是非が問われていることは、分かっているつもりです(問題性が明るみに出たあとから言わないほうがよいかもしれませんが、最初からあやしげものだと感じていました)。インターネットに限界があるのは当たり前。しかし、それを言うなら、旧来の書物の形態にはもっと限界があります。書物の形態に絶望しているわけではありません。「一冊の書物を書きあげたことも出版したこともない人間が、また負け惜しみ言ってやがる」とでも思われているほうが、よほど楽な気持ちになれます。しかし、誰も買おうとしないし、読もうとしないもの(書物としての「教義学」のことです)に、何を期待できるというのでしょうか。文字も、音声も、そして映像さえも届けることができ、更新も、修正も容易にスムーズに行うことができるインターネット(ブログやメールマガジンやメーリングリストなど)を「実践的教義学」の発信元として利用することは、間違っているでしょうか。最低でも、人々が書物を自分の力で読めるようになるまで励まし助ける役割くらいは果たせるのではないかと思うのです。



もしそこに書かれている言葉が、何度も読み返すべき価値があり、したがって、いつでも持っておきたいと認められるものになれば、著者の死後に書物にしていただけるかもしれません。(営利事業を行わないことを旨とする)牧師たちの書き物は、本質的にそのようなものであると、私は理解しています。



「肉声の教義学」としての実践的教義学(1/2)

今週はとくに目標を定めずに書き始めましたが、なんとなく、教会や牧師のインターネット利用の是非というような話題に向かってしまったようです。というか、かなりの部分は愚痴のような話でした。もう少しお上手な言い方をすれば、改革的であろうとすると必ずぶつかる様々な障壁があるので簡単には進んでいかないという話。



「インターネット利用」は、私の中で「実践的教義学」の構築という課題とも大いに結びついています。「実践的教義学」とは教義学と実践神学の合体形であり、従来実践神学に属してきた説教学、牧会学、宣教学、礼拝学などの諸学科を教義学、とくに「聖霊論」(pneumatologie)の枠組みの中で取り扱うことを目指そうとするものです。それは従来の実践神学へのチャレンジを意味していると同時に、従来の教義学の全面的な見直しと根本的な再構築を要請するものであることは、言うまでもありません。



そしてその上で、それらの作業が目指している目標は、教義学なり実践神学なりの「学」(Wissenschaft)ないし「理論」(theoria)を問いなおすということで終わるものではありえず、まさに「実践」(praxis)そのものとしての「説教」や「牧会」や「宣教」や「礼拝」そのものの改革です。教義学が変われば、説教や牧会が変わる。教会の宣教や礼拝のあり方が変わる。そのような(もちろん良い意味での)変化や改革を期待しているわけです。



しかしまた、それで終わるのでもない。「実践的教義学」の目標が「説教の改革」や「牧会の改革」などに終わってしまうのであれば中途半端であり、道半ばであり、半分のフラストレーションを抱え込んだままです。なぜなら、「説教」にせよ「牧会」にせよ、その他の実践的課題にせよ、それらのものはどこまで行っても手段(mean/ middel)にすぎないものであって、目的(purpose/ doel)ではありえないからです。



それでは、それらの目的は何か。「人間」です。説教が変わり、牧会が変わる。それによって本当に変わりうるのは、その説教、その牧会を通して神の真理と恩恵を受領した人間そのもの、すなわち我々自身です。途中のプロセスをすべて省いて短く言えば、「教義学が変われば、あなたが変わり、わたしが変わる」のです。生活が変わり、人生が変わる。社会が変わり、世界が変わる。そこまでの変化、改革を求めるのが「実践的教義学」の道です。



その夢は余りにも大きすぎて途方に暮れるようなものかもしれませんが、さりとて全く無駄で無意味な夢でもないはずです。