2008年1月18日金曜日

長寿者を賞した短命首相

詳しい事情を書くのは控えますが、昨日、私は生まれて初めて、「百歳」の方のもとに総理大臣から届く賞状というものをこの目で見させていただきました。金色の額縁が輝いていました。それを今、教会でお預かりし、飾ってあります。美しい花も会堂内にたくさん飾られています。総理大臣は、安倍晋三氏の名前です。この賞状は将来希少価値が出るかもねと、何人かと顔を見合わせて笑いました。百年もの命を生き抜いてこられた立派な方々に「賞」を授与するエライ立場の人が、あれほど短命では。ここは笑ってよい場面か、怒るべきかはよく分かりません。話はうんと飛びますが、希少価値とかタイミングという点で書いておきたいことは、現在の参議院議長の江田五月氏は私の卒業した高校の大先輩であるということです。「私は今の参議院議長と同じ学校の卒業生である」と胸を張って(そんな胸は張らんでよい)言えるようになりました。中学校の割と近い(が三学年上であるようで重なっていない)先輩としては、水道橋博士氏と甲本ヒロト氏と中川智正氏がおられる(先輩ですので敬語表現)ようです。どの方も国民的有名人ですが、どの方とも面識は全くありません。私にはどんなに間違っても「国民的有名人になりたい」というような願いなどはありませんし、そのような願いは持つべきではないと考えておりますが、自分の取り組んでいることや、その内容については、広く知られてほしいなあと願っております。私は伝道者なのですから。「道を伝える者」なのですから。国民的に有名な「参議院議長」と「お笑い芸人」と「パンクロッカー」と「受刑者」とを先輩に持つ者としては、この方々とは表現形態は全く異なりますが、「道を伝える者」自身ではなく、その者が伝える「道」そのものが国民的に有名になっていくことを願っております(もしこの願いをもたないような伝道者がいるとしたら、その人の存在意義は何なのでしょうか)。しかし、そのためにはどうしたらよいのでしょうか。何もできないまま短命に終わるのか。頭を抱えるばかりです。



2008年1月17日木曜日

ある書簡

このたびの会堂移転(というよりも新会堂建築)は、はっきり言えば50年に一度のチャンスであると思われます。50年後の教会を見通しながら、会堂を建てねばなりません。そのために必要であると確信する会堂の大きさは、余裕で150人、詰めて200人は入ることができる大きさです。建材はハリボテでもいいので、できるだけ大きなもの。願わくば天井が高いもの。そういう会堂がよいと私は考えています。

今の人数に見合った規模のものを建てると、どうなるか。伝道者が替わり、ぐんぐん成長し始めたときに、「人間が入るところがない」ということで困り果ててしまうのです。実際、ある先生は「あまりの会堂の小ささ」に絶望的な苦しみを味わっておられます。伝道者は必ず替わるのです。今は伸びていなくても伝道者が替われば飛躍的に伸びる教会もあるのです。そのことを私はいつも自分に言い聞かせています。

私が願っているのは○○地区です。できれば病院の窓から見える高い十字架の塔が欲しいところです。「病院伝道」などと銘打つ必要は全くありませんが、「あの地域に行くとなんだか救われた気がする」と感じてもらえるような建て方が、新しい町の雰囲気作りに永続的に貢献できるように思います。

ただし教会が「葬儀会場」の機能ばかり果たしているような印象を、とくに病院に入院しておられる方々に対して与えるようでは困ります(象徴的な意味で申しております)。説教においては、人生の喜び、生きる希望、そして感謝の生活(ハイデルベルク信仰問答の第三部!)を熱心に語り、また(付近が静かな時間帯には)入院している方や家族の方々の心に届くような賛美の声を鳴り響かせたいところです(機械的な鐘の音ではなく、人間の心から発せられた賛美の歌声をです)。

ある先生が危惧されていた「農村的特徴を持つ地域住民との関係」という点は、私にとってはあまり問題ではないと感じられます。あのような大きな病院があると、教会の姿を目にする人々の範囲が非常に広くなります。悪い意味で「ごく限られた近隣地域の人々とのお付き合い」だけに縛られないで済むのではないかと思います。また今は何と言ってもインターネットの時代です。農村の人々もネットをふんだんに活用し、あらゆる情報を入手しています。「農村的うんぬん」という判断は、いつまでも変わりえない要素ではありません。

病院との関係はもちろん間接的な事柄です。シンボリカルな要素であり、雰囲気や印象のたぐいです。しかし、そういう空気のような要素が教会の伝道にとっては非常に重要です。「聖霊」はロジカルなもの(「屁理屈」と翻訳しておきます)だけでは捉えきれません。風のような、空気のような要素が必ず伴うものです。駅前などの人通りが多いところがよいというだけならば、典型的な商業主義の発想です。しかし、教会はコンビニエンスストアではありません。商業主義は、流行ると栄えるかもしれませんが、廃れるときもあるものです。

「信仰」とは流行り廃れを超えたところで成り立つものであると、私は信じています。また、狭い道の脇に立てられた、普通の住宅と見間違えるような建物にも賛成できません。階を増やして人がたくさん入れるようにしても駄目です。そのような建物を、それこそ地方都市の人々は「教会」として認識しません。外には高い塔があり、内側は天井が高い開放的なスペースがある。それが「教会」です。

私は岡山県岡山市の出身者ですが、そちらの雰囲気や状況(東京からの距離感など含む)が岡山市に酷似しているので、だいたい分かります。ちなみに、岡山市は今年中に「政令指定都市」になることを目指しているようです。

また、ある先生がおっしゃったとおり、教会には「サナトリウム」の要素があります。サナトリウムが、人ごみのど真ん中にあるでしょうか。せっかく治りかけの病気がますます悪化しそうです。少し人目を避けて入ることができる、静かで落ち着いた場所に教会は建てられるべきです。

以上の考えを、私は、よほどのことがないかぎり変更しないことにします。「よほどのこと」とは先生御自身が明確に反対なさる場合です。それ以外の場合は変更しませんので、そのようにカウントしていただけますとうれしいです。


2008年1月16日水曜日

SOHOとしての牧師

一時期盛んに語られた「SOHO」(Small Office/ Home Officeの略、「在宅ワーク」と訳されることがある)という言葉を、最近はあまり聞かなくなったような気がします。もう使われていないのでしょうか。要するに、自宅で「仕事」をしている人々の様子を示す言葉です。

「牧師は仕事をしていない」という全く落胆させられる誤解が生じるのは、電車やバスなどに乗って職場通いをするという意味での「通勤」という行為をしていない牧師が多い(なかには「通勤している牧師」もいます)ことにも一因があるのではないかと思われます。

牧師の仕事は、もしそう言ってよいならば、いわば「SOHO」です。たとえば、今日も牧師室で(今ここで)、今かかわっている三つほどの委員会の仕事をしました。非常に多くのメールのやりとりをしました。その中で、委員会会議の日程を調整し、開催通知を発行し、いくつかのクレームを処理し、深々と謝罪もし、そしてまた重要な相談や決定を行いました。電話も数件かかってきました。具体的な内容は書けません。

最近の例でいえば、「神学校を紹介してほしい」、「結婚式の司式をしてほしい」、「現在通っている教会とうまく行っていない」、「教会の建物をお借りしたいのですが」、「疲れた」、「どうすれば死ねるのですか」など。

それらはいずれも教会員からの電話ではありません。ほとんどが予告なく突然、また初めて電話してこられる方々です。「電話帳で」あるいは「ネットで」連絡先を知りました、と言ってかけてこられるケースが多い。

その中には、当然のことながら、二つ返事で了承できない依頼も少なくありません。どうしたら相手を怒らせずに断るかで、神経を使います。

もちろんその中に「電話を光ファイバーに変えませんか」、「畳の張り替えをしませんか」、「屋根の塗り替えをしませんか」、「新しいコピー機に買い替えませんか」などの電話はひっきりなし。「そういうのはもう二度とかけてこないでください」と大きな声で言って、がしゃりと切ってしまったことも何度かあります。

今日一日に限っては、教会のチャイムを鳴らしてドアの中に入ってこられたお客さんは一人もいませんでした。直接顔を合わせたのは妻子だけです。それはそれは静かな一日でした。聞こえるのは(電話以外は)石油ストーブの燃える音と、私が打つキーボードの音くらいです。BGMは気が散るので、ほとんどかけません。牧師室には(まさか)テレビはありません。

電車にもバスにも自動車にも乗っておりません。歩いた距離は牧師館から教会までの10メートルくらいです(この点は反省しなければなりません。後ほどウォーキングに行こうと思います)。

しかし、です。私は今日一日だけでも非常に大勢の人とのコミュニケーションを行いました。昼食は食パン一枚かじっただけです。ゆっくり食べている時間がありませんでした。今の時間はなんだか心も体もぐったりしています。肩こりと偏頭痛と腰痛には最近再び悩まされています。

「六本木ヒルズのオフィスから地上を見下ろすと、世界を征服した気分になる」という趣旨の発言をした人がいました。そういう人の目から見ると、牧師は何に見えるでしょう。しかし、この地上の世界には実に様々な形態の「仕事」があるのだということを、多くの人々に知ってもらいたいと願っています。

我々牧師たちも、もしかしたら「宗教家」と呼ばれなければならない存在なのかもしれませんが、まさか「読書と瞑想」だけをしているわけではありません。説教の原稿だけを書いているわけではありません(説教の手を抜いているという意味ではありません)。

大学や神学校のようなところで教鞭をふるっている牧師、ラジオやテレビの番組に出演している牧師、附属の幼稚園や保育園や福祉施設の理事長をしている牧師、政治家になったり各種政治運動に参加していたりしている牧師だけが忙しく立ち働いていて、それ以外の牧師は「遊んでいる」わけではありません。

「何を御冗談を」と言いたくなります。言葉の正しい意味での「労働者」なのだと自覚しています。


2008年1月15日火曜日

家族との時間

今日は休日(成人の日)、家族で「イオン」に行きました。家族で、と言っても息子は友人たちと別行動でした。休日までカントは読みません。聖書も読みません。神学書も読みません。新聞もニュースも見ません。携帯電話は一応持って出かけましたが、自動車の中に置きっぱなしでした。そういう日があってもよいと信じています。しかし、です。私という人間はなんと哀れで面白味のない人間なのでしょう!「イオン」での私の行き先は書店、そして買ったのはカントの『純粋理性批判』(岩波文庫)の下巻でした。学生時代には間違いなく買ったはずなのですが、この一冊だけが見つかりません。学校を卒業して以来とにかく引っ越しばかりしていましたので、どの時点かは分かりませんが、失われてしまったようです。帰宅後は結局、メールが気になってパソコンを開き、ニュースを読み、テレビのスイッチを入れ、いろんなことが気になりだしました。昨日の説教で自分が語ったことが気になり、聞きながら難しそうな顔をしておられた方の姿を思い起こし、それではどう語れば納得していただける言葉になりえたのだろうかと考えはじめる。聖書を開き、昨日の説教原稿を読み直し、教会員一人一人の姿と状況を(祝福と平安を祈る思いの中で)確認する。それと共に、繰り返し読んできた神学書のあの言葉、この言葉を思い起こす。買ってきたばかりのカントの本も開いてみたくなる。「篠田英雄訳」という検索語でネットを調べてみると「誤訳が多い」だの「読みにくい」だのとさんざん叩かれてきたものであることを知る。出版や学者の世界のことは私のような一般人には知る由もありませんが、自分たちの翻訳のほうが優れていると主張したいがために(という動機が見え隠れする)、先人の取り組みをめちゃくちゃに批判し、読者の関心を自派の出版物のほうへと誘導していく(ように感じられる)やり方は、なんとなくえげつないし、いやらしい。加えて、「篠田訳」を叩いている人々が「あちらよりもこちらのほうが正確で読みやすい」と勧めている別の訳本は、価格を調べると、だいたいどれも「篠田訳」よりも割高であるという点も気になります。割安ならば「買ってみようかな」と動く食指もあるのですが、なんとなく言葉巧みに割高なほうへと誘導されているように感じると(現場の事実はそのようなものではないのかもしれませんが、部外者がその文面から率直に感じるところを言えば)急に興ざめするものがあります。「誤訳叩き」など、それこそ誰でも(私でも)できることです。篠田英雄氏に対して何の個人的な恩義も関係もない人間でありながら、自分が金を払って買った本が多くの人々からこっぴどく叩かれていたことを知ると、心底嫌な気分にさせられます。こうして結局、休日もいつもと同じようになっていく自分自身に気づかされます。「もう少し人生を楽しまなければ」と思い、書店で『フランス風家庭料理の作り方』などをパラパラめくってみましたが、「無理!」とすぐ閉じてしまいました。家族との精神的な距離をうまくとれる人が、うらやましいです。今年は「家族との時間」について真剣に考えてみたいです(「考える」だけに終わるかもしれません)。


2008年1月14日月曜日

牧師は「雇われて」いない

牧師の仕事に関しては、もう一つ、一刻も早く払拭されることを願ってきた、とんでもない誤解があります。その誤解とは「牧師を雇う」という表現です。



牧師たちはだれからも、あるいはどこからも「雇われて」いません。牧師は教会によって「招聘」されます。しかし、牧師と教会の関係は「雇用契約」に基づくものではありません。少なくとも改革派教会の考え方においてはそうです。また日本の宗教法人法の規定においてもそうです。



牧師たちは「雇用」されていませんので、「失業」という言葉も当てはまりません。事実、雇用保険に加入することができませんので、失業手当はありません。これは、私が日本基督教団の教師を退任し、日本キリスト改革派教会に加入した際に体験したことですから、明言できることです。



宗教法人法の規定において牧師は「宗教法人代表役員」です。法の理念において「法人の代表役員」とは、強いて言えば「雇用する側」の代表者です。「雇用する人」が「雇用される」ことはありえません。また「牧師を雇用する」という観念そのものを教会は持つべきではありません。教会は会社とは根本的に性質が異なるからです。



「牧師は仕事をしていない」という先述の誤解は、「会社勤務」や「賃金労働」のみを「仕事」と称することを許してきた時代遅れの判断に依拠するものと思われます。たとえば、会社勤務や賃金労働をしていない主夫ないし主婦に「無職」という失礼な呼称を強いてきた前時代的思想は一刻も早く葬り去られるべきです。「お前は誰の稼ぎのおかげで食っていると思っているのか」などの暴言は今や犯罪以外の何ものでもありません。主夫ないし主婦は、他方の配偶者に「雇用」されているわけではありません。



同様に、牧師たちもまた、「お前は誰の稼ぎのおかげで食っていると思っているのか」などという暴言に苛まれなければならない存在ではありません。



日曜日の仕事

この日記は、原則として毎日書くことにしました。三日以上日記を続けることができたためしがない人間による、新たな挑戦です。と思っていたら、昨日はさっそく書くことができませんでした。パーフェクトに毎日書くのは無理のようです。

日曜日が最も忙しい職業です。日曜日だけ牧師をするというわけではなく、毎日牧師をしています。牧師でない日は、(引退するまでは)一日もありません。「『日曜日の人』と言われることを恥と思うな」と学生時代に教えられた言葉を励みに、この仕事を1990年から続けてきました。

いまだに大真面目な顔で(そしておそらく善意の様子で)「牧師さんて、『お仕事』はしておられないんですよね?」と訊ねられることがあります。私が「牧師の仕事」という言葉を発すると、「『仕事』ではない。牧師の場合は『奉仕』と言うべきである」と、(ちょっと怖い顔で)わざわざご丁寧に正してくださる方にさえ実際に出会ったことがあります。何をおっしゃりたいのかはよく分かりませんが、これを私は間違いなく「仕事」であると捉えていますし、わざわざ「仕事でなくて奉仕」などと正される筋合いにはないし、「牧師は仕事をしていない」とか言われると、「何を言ってやがる」と憤懣やるかたない思いになります。

プロバイダとの契約やネットの通販を利用する際に申込者の職業を明かすことを求められる場合がありますが、とくに国内のサイトの場合、プルダウンメニューやボタンの中に「牧師」という選択肢を見つけることは皆無に等しく、やむをえずいつも「その他」を選択しなければならないことを、なんだかとても不愉快に思っています。「そっかー、オレたちって、『その他』なのかー」と、不幸な現実を突きつけられて、がっかりします。

「サラリーマン牧師」という極めつけの言葉を聞くと(関口はそうであるという意味で、私に面と向かってこのようなことをおっしゃる方に出会ったことは一度もありませんが)、私自身はうれしくなりますが、通常サラリーマンと呼ばれている方々に対して失礼な言い方に思えて申し訳ない気持ちになります。「サラリーマン」がなぜ批判的な意味で用いられるのでしょうか。そのような言葉の背景にどのような哲学があるのかが気になります。

牧師たちは汗も水も流していないとでも思われているのでしょうか。ぞっとするような誤解です。私がしていることは間違いなく「仕事」です。十分な意味で、汗も水も流して(または「たらして」)おります。

我々が「職業としての牧師」であることに徹すること、すなわち、我々がこの仕事の専門性を徹底的に追求していくことは、長い目で見ると教会の信頼性を高めることにつながります。それこそが、牧師たちが社会と教会にとって真に役立つ存在になっていけるための道であると信じています。


2008年1月13日日曜日

「宣教と経済」

http://sermon.reformed.jp/pdf/sermon2008-01-13.pdf (印刷用PDF)



使徒言行録16・16~24(連続講解第41回)



日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康





今日お読みしました個所の出来事が起こった町の名はフィリピ(12節)です。フィリピではすでにリディアがパウロの話を聴いて信仰に導かれ、家族と共に洗礼を受けました。ですから、今日の個所に登場するのは、パウロたちがフィリピに来て二番目に出会った、特筆すべき人物であるということになります。



その人は「占いの霊に取りつかれている女奴隷」と呼ばれています。この女性もまた、パウロたちとの出会いの中で一つの救いを体験いたしました。次のように記されています。



「わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。『この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。』彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。『イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。』すると即座に、霊が彼女から出て行った。」



この女性に取りついていた「占いの霊」とはどのようなものであったかについて分かることを申し上げておきます。原文には「ピュトンの霊」と記されています。ピュトンとはギリシア神話に登場する蛇の名前です。この蛇はデルフィ(デルポイ)という名の神託所を守護する存在でしたが、アポロンという名の神によって殺されたと伝えられています。アポロンによって殺された蛇の霊が「占いの霊」です。



そして、その霊に「取りつかれている」この女性が占いを語る方法は、口を動かさずに語る、いわゆる腹話術でした。つまりこの女性は、腹話術を使っていろんな占いの言葉を巧みに語っていた人であると考えることができるのです。



しかも、ここに二点とても気になることが記されています。第一はこの女性が「女奴隷」として紹介されていることです。第二はこの女性が「占いをして主人たちに多くの利益を得させていた」と書かれていることです。この二つの点は当然互いに関係し合っています。考えてよさそうなことは、この女性は、主人たちの奴隷として金もうけをさせられていたのであり、おそらくその金銭収入はもっぱら主人たちのものとされるのであり、彼女自身にはほとんど得るものはなかったであろう、ということです。無理やり仕事をさせられ、収入はすべて巻き上げられ、挙句の果てに捨てられる。そのような、考えてみればとてもかわいそうだとも言いうる存在、それが今日の個所に出てくる女性です。



この女性に対して(より正確にはこの女性に取りついている「霊」に対して)パウロが語った言葉は、「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」というものでした。すると、即座に霊が彼女から出て行くという出来事が起こりました。これは文字通り霊が出て行ったのだと考えるべきです。しかしまたそのことが同時に意味することは、この女性は、もはやそれ以上、主人たちのもとで腹話術師として働くのをやめたということであり、また、はっきり言えば、人をだます占いの言葉を語るのをやめたということでもあるわけです。



つまり、この女性に起こった出来事の本質ないし核心は、彼女の奴隷状態からの「解放」です。また、人をだまして金もうけをしようとする罪と悪の力からの「救出」です。この意味での「解放」と「救出」こそが救いです。そのような出来事がパウロたちとの出会いによって、そしてイエス・キリストの福音を宣べ伝える彼らの言葉によって、彼女の身に起こったのです。



しかし、この女性がその仕事をやめたとなりますと、少し心配な面が出てきます。それは、この後この女性はどうなったのだろうかということです。主人たちに殺されるのではないだろうか、殺されるまでは行かなくても相当痛い目にあわされるのではないだろうかと考えざるをえません。どこかに逃げることができたのか、それともパウロたちの仲間に加わり、彼らの庇護のもとに置かれる存在になったのか。いずれにせよ、この女性の身柄は安全な場所に保護されないかぎり、大きな危険にさらされたであろうことは、ほぼ違いありません。しかし、そのあたりのことは、残念ながら何も記されていません。



むしろ、ここに記されているのは、この主人たちが腹立ちまぎれに向けた攻撃の矛先はパウロたちであったということです。



「ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。」



ここにたしかに記されていることは「金儲けの望みがなくなってしまった」ということです。ですから、この女性が占いをやめたという点は、確実に言いうることです。そして主人たちは、彼女が占いの仕事をやめるに至った原因は、パウロたちキリスト教の連中が来たことにあると見て、逆恨みした。つかまえて役所に連れて行った。これが今日の個所のあらすじです。



これを読みながら、いろいろ考えさせられることがあります。何よりもまず思うことは、この主人たちはこの女性を働かせて得る収入だけで生きていたのだろうかということです。自分たちは遊んで暮らしていたのだろうか。もしそうだとしたら、かなり問題のある人々であったと考えざるをえません。



あるいは、あまり乱暴にあるいは断定的にあれこれ言ってしまわないで、もう少し丁寧に考えてみる必要があるかもしれません。デルフィの神託所は、今でもそうだと思いますが、町の観光名所でした。日本でいえば、古来の神社仏閣のようなところです。そして、この女性はまさに神のお告げを語る巫女でした。彼女はそれなりに訓練を受けていた可能性があります。他の女性あるいは男性では簡単に替わることができない特別な訓練を受け、能力を与えられた人であった。その訓練にもそれなりに費用がかかった。その人が突然、仕事をやめた。我々のこれまでの苦労が水の泡だ、という思いが主人たちの心に起こった。そのように考えてみることができるかもしれません。



そして、私はまだ、パウロたちの側が彼女に対して行ったことの詳しいところは述べておりません。17節以下に書かれていることです。この女性が、パウロたちの後ろについて来て、「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」と叫んだ。それを何日も繰り返すのでパウロとしては「たまりかねて」(18節)、先ほど紹介しました言葉、「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」とパウロのほうも、おそらく大声で怒鳴りつけたのです。



以前私はこの使徒言行録の学びの中で「パウロ先生はすぐ怒る」ということをいくらか批判的な観点から申し上げたことがあります。おそらく思い起こしていただけるはずです。何かあると、すぐに腹を立て、大きな声で怒鳴りつける。向かう相手を威圧する。けんか腰で語る。そのようなパウロの怒りっぽい性格と、第一回伝道旅行の際パウロとバルナバの助手として同行したヨハネ・マルコが伝道旅行の途中でエルサレムに逃げ帰ったこと、その後もパウロと行動を共にしなくなったこととは、もしかしたら関係あるかもしれない、とまで申し上げました。



女性が言っている「この人たちは、いと高き神の僕で、救いの道を宣べ伝えている人々です」という点は、でたらめではなく、事実ではありませんか。事実を事実として言っているだけです。もちろんたしかに、同じことを何度も繰り返し言われたり、ところ構わず大声で叫ばれたり、どこにでもつきまとわれたりすると、気の短い人なら、いらいらして怒鳴りつけるかもしれません。そう、おそらくパウロは、とても気の短い人だったのです。



この女性が、その後どうなったかについては何も書かれていないと、先ほど申しました。「占いの霊が彼女から出て行った」という点は、記されていることですので確実に言えることです。しかし、「パウロたちの仲間に加わった」とも書かれていません。大声で怒鳴りつけられた人の仲間になろうと思うでしょうか。パウロのやり方には何の問題もなかったと言えるでしょうか。伝道とは怒鳴りつけることでしょうか。こういうことも、タブーにしないで、一つ一つ丁寧に考えてみる必要があると思います。



しかし、それらのことをよく考えてみた上で、やはり最も大きな問題は、パウロたちが結果的に町の人々から嫌われ、捕まえられ、役所に連れて行かれることになってしまった真の理由ないし原因です。それは、事実として、パウロの語った言葉によってこの女性が占いの仕事をやめたことによって「金もうけ」ができなくなったこと、すなわち「経済的損失」を被る人々が現れた、ということです。



これは、パウロたち自身の意図するところではなかったはずです。つまり、パウロたちは、その町の人々が、あるいはその中の特定の人々がどのような仕方で収入を得ていたのかというあたりの詳しい情報を知り抜いた上で、故意に、あるいは意図的に他人の不利益を生じさせるように立ち回ったわけではなかったはずです。すべては結果として生じたことです。いわば、全くのとばっちりを受けたのです。



しかし、逆の方向に考えてみますと、そのような機会にこそ、パウロたちは、おそらく非常に多くのことを学んだに違いないとも思われるのです。わたしたち人間たちは、経験をとおしてさまざまな学習をする存在です。パウロたちも人間です。旅先で遭遇するさまざまな出来事、またその中でいろんな痛い目に会うたびに彼らが学んだであろうことは、彼らが宣べ伝えているイエス・キリストの福音は、結果として、思わず知らず、社会的に大きな影響ないし波紋を呼び起こすものでもあったのだ、ということです。



一人の人が救われ、洗礼を受け、教会員になる。信仰生活を始める。それによってその人自身は喜びと感謝の生活を始めることができるでしょう。しかしまた、それによって、別の人々のもとには不利益が生じることがありえます。その人々の不満や激怒、さらには攻撃や迫害の原因を、わたしたちのキリスト教信仰そのものが生み出すことがありうるのです。「その結果がどうなるかなんて、全く分かりませんでした」と言うだけでは済まされない問題もある、ということです。



しかし、です。今申し上げていることを私は、「だから伝道などすべきではありません。洗礼を受けることも教会生活を始めることも、できそうにもありません。そのようなことは現実的には不可能です」というような意味で言っているわけではもちろんありません。そのようなことを、この私が言うはずがありません。事実は正反対です。わたしたちには“結果責任”までとる必要があると申し上げているだけです。



わたしたちの伝道と受洗と教会生活の開始によって不利益を生じる人々がどこにおり、その人々がどのような感情を抱き、どのような反応を起こすかということを、あらかじめ十分かつ徹底的に考え抜く必要があると言っているだけです。



そして、その人々に対してできるだけ丁寧に説明し、理解を求めることが必要であると言っているだけです。



何を言っても全く理解していただけない場合があります。その場合はどうするか。



洗礼を受け、信仰生活を始めるのを思いとどまれとは決して言いません。そうではなく、そのときから始まるあらゆる試練を覚悟し、腹をくくる必要があると言っているだけです。



イエス・キリストが「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない」(マタイ10・38、ルカ14・27)と言われたとおりです。



(2008年1月13日、松戸小金原教会主日礼拝)



2008年1月12日土曜日

「世間におもねる神」と「世間に挑戦する神」

この日記をカント読書録に終始させないために、別の話題も書いておこうと思いました。昨夜は少年補導員の仕事の後、新しく始まったばかりの「エジソンの母」というタイトルのテレビドラマの第一回を見ました。主演は伊東美咲さん。

母に育てられている子供が転校先の小学校で教師を質問攻めにする。「1+1はなんで2なの?」から始まって、いろいろ。クラスの子供たちは最初「こいつはバカだ」「バカだ、バカだ」とはやし立てるが、転校生なりの発想に基づく説明にだんだん納得させられ、「教科書に書いてある」とか「他の子たちのことも考えて」という理由で転校生の質問をまともに取り上げようとしない教師たちに子供たちが反発しはじめる。興味深く見ました。

「空気を読めない」「常識が足りない」などの言葉が子供たちのユニークな発想を妨げているかもしれない、将来の天才博士の芽をつぶしているかもしれないということへの反省を促そうとしてくれているのかなと、とりあえず受けとめました。

神学の問題も同時に考えました。現代の代表的神学者の一人A. A. ファン・ルーラーは、牧師や神学者の仕事を指して「余計なものとして生の外側に立っているように見える永遠の見張り番」と呼びました。今の言葉で言い直せば、牧師や神学者は「KY」の一種と見られても仕方ない存在であるということになるかもしれません。

しかし、ファン・ルーラーは、牧師や神学者はまさに「生の外側」から、「最初の問い」を諸学と世界に向けて「不断に投げかける」存在なのだとも言っています。なるほど考えてみれば「空気を読んで世間におもねる神」(?)には違和感が無くもありません。「常識にとらわれた世間に向かって常にラディカルに最初の問いを投げかける神」(!)のほうが、我々が現代神学を通して教えられてきた神です。

しかし、です。私は、ここで話を終えるべきではないだろうとも感じます。「世間におもねる神」(?)と「世間に挑戦する神」(!)は対立関係にあるのでしょうか。葛藤は当然あるでしょう、しかしどちらか一方が真理で、反対は誤謬であると常に判断しうるのか。事柄は単純ではなさそうだと、「エジソンの母」の続きに期待しながら考えさせられました。

木曜日に始まった「交渉人」(主演 米倉涼子さん)も見ました。今春は面白そうなテレビドラマが並び、久々にわくわくしています。

このように書くと、カントばかり読み、テレビばかり見ているのかと思われそうです。現代の牧師たちも、少しは「空気を読む」努力をしているのです、ということにしておきます。


カントの「創造論」と「終末論」

今夜は少年補導員の仕事をしてきました。二時間ほどで終わりました。牧師室に引きこもって読書ばかりしているわけではないつもりです。

「カントを読み解くコツ」に一点補足しておこうと思いました。カントの著作の中に「教義学の観点から見て面白いもの」があると書いた点に関することです。それは内容を読めばすぐに分かることです。

「人類の歴史の憶測的起源」(1786年)は、旧約聖書のモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の釈義であり、その内容は教義学における「創造論」に対応するものです。

「万物の終わり」(1794年)は、新約聖書のヨハネ黙示録の釈義であり、教義学における「終末論」に対応するものです。

「理論と実践」(1793年)については、これと教義学の直接的な対応関係を語ることにはいくらか難しい面がありますが、強いて言うとしたら「教義学序論」との対応関係を考えることができそうですし、さらに、「神学諸科解題(ないし神学百科)」における教義学と実践神学の関係の問題などを考えていくために大いに参考になりうるものです。

するとどうなるか。たしかに言いうることは、カントには少なくとも彼なりの「創造論」があり、また彼なりの「終末論」があったのだということです。この意味に限って言えば「カントは一種の教義学者であった」と語ることができそうです。

そして驚かされることは、カントの「創造論」と「終末論」の内容は、教会の伝統的聖書解釈から逸脱しているものであると言われるならばもちろんそのとおりかもしれませんが、どうしてどうして、現代人的感性をもって読めばけっこう面白いものであるということです。

また、間違いなく重要な指摘もあります。一例を挙げておきます。

「人類の最初の歴史を上述のように説明することは、人間にとって有益であり、また教訓や改善にも役立つのである。かかる説明によって我々に明らかにされるのは、次の二事である。第一は、人間に重くのしかかる数多くの害悪があるからといって、その責任を摂理に帰してはならない、ということである。また第二に、人間は自分の犯した過ちを人類の先祖の原罪に帰するいわれはない、ということである。この祖先の犯したのと同様の過ちを犯す性癖のようなものが、原罪によって子孫に遺伝されている(しかし人間が自分の意志に従って為すところの行動に、遺伝的なものが随伴する筈はない)と考えるのは誤解であって、人間は自分の犯した過失から生じたところのものを、まさしく彼自身の所為と認め、従ってまた彼の理性の濫用から発生した一切の害悪については、その責めをすべて自分自身に帰せねばならない」
(カント「人類の歴史の憶測的起源」『啓蒙とは何か 他四篇』篠田英雄訳、岩波文庫、1974年改訳版、79ページ)。

カントが言っていることに、わたしたちは腹を立ててはならないのだと思います。

彼の言いたいことは、「神の摂理」(providentia Dei)や「原罪」(peccatum originale)などの教義学的概念を一種の殺し文句のように持ち出して事足れりとすることはできないということです。教会の教義用語を、真理探究における《思考停止》の言い訳や、道義的ないし社会倫理的な問題における《責任回避》の隠れ蓑にしてはならないということです。

カントの指摘しているこの点は、「現代の」教義学においては、当然顧慮されるべき重要な要素です。

カントを読み解くコツ

手書きの手紙なら年に二、三通も書けば多いほうだった人間が、メールを始めた途端、年に千件以上も送信するようになりました。たぶんそれと同じことがブログにも当てはまるのではないかと予感しています。日記というものを書くことができない人間でした。まさに文字通り三日以上続けることができたためしがありません。しかしブログなら続くかもしれない。そのような気持ちでいます(先のことは分かりませんが)。

さて、カントには「面白くない著作群」と「面白い著作群」の両方があると私には思われます。前者としては、三つの《批判書》(『純粋理性批判』・『実践理性批判』・『判断力批判』)やそれらの批判作業によって獲得された新しい哲学的認識論に基づく《体系書》としての『道徳形而上学』があります。後者としては、彼が雑誌や新聞などに寄稿したいずれも比較的小規模の論文があります。

社会的具体性をもっているという意味で面白いのは「啓蒙とは何か」(1784年)や「世界公民的見地における一般史の構想」(1784年)や「永遠平和のために」(1795年)などです。また、教義学の観点から見て面白いのは「人類の歴史の憶測的起源」(1786年)や「万物の終わり」(1794年)や「理論と実践」(1793年)などです。

うれしいことに、それらの多くがかなり以前から日本語に訳されています。今や私のような初学者にも容易に近づくことができるようになったのは、先人たちの血の滲むような努力あってのことです。

ところで、『純粋理性批判』を読みはじめて分かってきたことの一つは、カントの読み方にはコツがありそうだということです。それは、上記の二種類の著作群の前者と後者、つまり「面白くない著作群」と「面白い著作群」との両者の間を行ったり来たりしながら読むほうが良さそうだということです。

そのように、両者を「同時に」読むこと(この「同時に」は厳密な言い方ではありませんが)によって得られる恩恵はたくさんあると思います。何より、「面白くないもの」を読み続けることには、人間の通常の精神にとって耐えがたいものがあるからです。「面白いもの」と「面白くないもの」を行ったり来たりすることが精神のバランスを保つためにも良さそうですし、飽きないためのコツでしょう。

また両者を「同時に」読んで得られる恩恵の第二点は、月並みな言い方かもしれませんが、カントの哲学は、それが「哲学」であるかぎり、単なる抽象的で味気ない数字や記号の羅列のようなものであったはずはなく、むしろ、きわめて現実的で具体的な事実や危急の事態の中で考え抜かれた実践的思索でもあったのだ、ということを味わい知ることができることです。

とはいえ、もちろん、私の立てる「面白いもの」と「面白くないもの」の区別そのものは、個人の主観であり、独断論であり、憶測であり、趣味・嗜好の問題であると付け加えておくほうがよさそうです。「理論」(theoria)が面白いと感じられる人にとっては前者のほうが「面白い著作群」でしょうし、私のように「実践」(praxis)のほうにより多くの関心を抱き続けている人間にとっては逆の判断になる、という消息ではないかと愚考します。