2006年2月26日日曜日

「今週の説教メールマガジン 第100号感謝号」記念巻頭言

佐々木冬彦 (作曲家・ハープ奏者)



関口先生、メールマガジン100号おめでとうございます!



私は一介の音楽家に過ぎず、説教学だとか最先端の神学について、よく知りません。ですので、もしかしたら的外れなことを書いてしまうかもしれませんが、そのようなところがありましたらどうかお許しください。



正確な数は数えてはいませんが、私はこの15年程の間に、約500くらいの教会(もちろんさまざまな教派)から招かれて、ハープの演奏をして来ました。そして、おそらく300人くらいの牧師の礼拝説教を聴いて来ました。これは、普通(?)のクリスチャンではちょっと経験できないことではないでしょうか。説教演習などではなく、いずれも、第一線の牧会現場で奮闘している牧師たちの、真剣勝負の礼拝説教です。ですから、おこがましいことを書かせていただくとしたら、私は説教に関してはけっこう耳が肥えているのではないかと思っています。(こう書くとやはりおこがましいですね・・・。)



だからと言って、私はこの場で「今まで出会った牧師の中で、関口康は説教者ベスト何番!」などと順位をつけるつもりはありませんし、そのようなことはするべきではないと考えています。それでも、是非ここで書かせていただきたいことは、「関口先生の説教はとても良いです!」ということです。ついでにこの場をお借りして、「関口先生は根っからの牧会者・説教者です!」ということも皆さんにお伝えしておきたいです。



私が演奏奉仕先の教会で、そこの牧師さんから「佐々木さんの教会の牧師は何と言う先生ですか」と尋ねられて、「関口康先生です」と答えますと、婉曲的にですが「関口康と言うのは○○研究会などをやっている、書斎にこもった神学オタク牧師じゃないですか」というような反応をしばしば感じることがあります。それほどまで関口先生の神学研究活動が認知されていると言うことは喜ばしいのですが、「ちょっと誤解されているな」と残念に思います。



関口先生は書斎にこもりきりの牧師ではありません。私を含め、教会員の相談に親身に乗ってくださり、またわれわれのために文字通り東奔西走しておられます。私から見ますと、もう少し書斎にこもらせて、じっくりと執筆活動をさせてあげたいな、と感じるほどです。



関口先生は確かに神学に大変造詣の深い先生です。でも関口先生の説教をお聴きいただけばわかると思うのですが、関口先生が日夜研鑚している神学は、論文を書くための神学でもなければ、神学オタクのためのスコラ的神学でもありません。むしろ、自分の羊の魂を守り、励まし、養い、生かす、そんな説教と牧会をするための神学だと思います。



少なくとも私は、関口先生の説教によって何度か危機を乗り越えてきました。迷っているときには強く背中を押されたこともありました。決して大げさでなく、「ボクの人生を変えた説教」と言える説教もありました。



今、松戸小金原教会の朝の礼拝ではルカによる福音書からの説教が続いています。正直言って、自分ひとりで福音書を読んでいても、イエスさまの言葉の意味や意図がよくわからなかったり、奥が深すぎてどのように受け留めたらよいのか途方に暮れてしまうところが多々あります。しかし、関口先生の言葉でイエスさまの言葉を解説していただくと、とても「腑に落ちる」のです。



どちらかというと、関口先生は説教でそれほど明確に「適用」を語りません。しかしその分私は、いかにそのみことばを自分の人生に適用したら良いか、魂のインスピレーションがかき立てられます。どのように生きたらよいか教えられ、進むべき方向が示され、また疲れているときには慰められます。ときに厳しい言葉もありますが、それでも関口先生の説教は「裁き、怖れさせる説教」ではなく、いつも「励まし、生かす説教」です。



現在インターネットで上では、関口先生の礼拝説教を音声でも聴くことができます。私は個人的には、メルマガで原稿を読むよりは、実況録音した音声で聴く方がずっと良いと感じています。(原稿の方は公開する前に手が入れられ、練り上げられているのでしょうが。)



でも、いくらパソコンで説教が読めたり聴けたりしても、私はより多くの方に是非、松戸小金原教会の礼拝で、「ナマ」で関口先生の説教を聴いていただきたいと願っています。音楽も説教もナマが一番です。



関口先生、今後ともよろしくお願い致します。



(日本キリスト改革派松戸小金原教会会員)



死に至るまで忠実であれ ~スミルナ教会へ~


ヨハネの黙示録2・8~11

天に挙げられたイエス・キリストから、地上の教会へと書き送られた手紙の第二番目は、スミルナの教会に宛てたものでした。

歴史上のスミルナ教会についてわたしたちに分かっていることは、ほとんど何もありません。わたしが調べたかぎりでは、スミルナという町は、当時の世界の中で最も美しく、かつ最も豊かなものであった、と書いている本があったくらいです。

美しく豊かな町。しかし、それならば、教会の人々も、なんとなくのんびり、ほんわかとしていたのかと言えば、そうではなかったと考えられます。教会は、キリスト教信仰に反対するユダヤ人たちとの間で、まさに生死をかけた戦いをしていました。そして、その中で、彼らは「貧しさ」を体験していた、というのです。

「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。」

イエス・キリストは、あなたがたスミルナ教会は、貧しいけれども豊かである、と言われています。とても微妙な言い方です。わたしには、この御言葉の中には、精神的な意味と物質的な意味との二つの意味が込められているように思われてなりません。

精神的な意味とは、あなたがたは、物質的には貧しいかもしれない。しかし、神さまの祝福のもとにあるので、精神的には豊かである、というようなことです。このように理解することも、もちろん、できるでしょう。

しかし、わたしには、そのようなことだけではないように思われてなりません。物質的な意味もある。物質的な意味とは、あなたがた一人一人は、じつは、物質的にはまことに豊かな生活をしている。しかし、それにもかかわらず、あなたがたの「教会」は、物質的な貧しさの中にある、ということです。

そういうことは実際には起こりうる、ということは、皆さんは、よくご存じでしょう。教会は、今も昔も、教会員の献金で支えられてきました。そこでどうしても言わざるをえないことは、教会にささげられる献金の額は、教会員一人一人の持ち物の多さと、必ずしも完全に一致するわけではない、ということです。

お金持ちばかり集まれば大きな立派な教会ができる。そうでない人々の集まりは、常に小さくて、みすぼらしい教会にしかならない、ということでしょうか。そんなことはありえない、というのが、わたしたちの体験上の知識ではないでしょうか。

実際問題として、教会の豊かさや大きさは、会員一人一人の持ち物の多さとは、必ずしも一致しません。一致するのは会員一人一人の信仰の熱心です。しかし、それだけでしょうか、ということも申し上げておかねばならない点です。

一人一人の熱心はある。十分すぎるほどにある。しかし、たとえば、家族の中でわたし一人が教会に通っています、という場合は、どうでしょうか。家族のほかの人々は、わたしが教会に通うのも、教会に献金することも、一切反対であり、場合によっては、わたしが教会に通ったり、献金したりするのを強く引きとめ、妨げようとするという場合もあります。

西暦一世紀の教会の文脈において、ユダヤ人の反対という問題が紹介されている場合、そこで考えなければならないことは、自分の家族の中に反対者がいた、ということです。そのようなことは、十分にありえたことです。

そして、それは、わたしたち現在の日本の教会の状況、すなわち、日本プロテスタント伝道一六〇年の状況と似ているところがあります。実際、このことは、わたしたちの多くにとって、身に覚えのあることではないでしょうか。

しかも、この問題は決して単純なものではありません。なぜ単純でないかと言いますと、たとえば、家族に猛烈に反対されたという場合、わたしたちは、それでも何が何でもどこまでも、絶対に自分の信仰の立場を押し通すことが必要であると思われる場合と、そこであまり無理しないほうがよいのではないかと思われる場合とがあると、言わざるをえないからです。

いずれにせよ、明らかなことは、どちらがよいか、というようなことは、第三者が何事かをとやかく言えるようなことではない、ということです。各自がよく祈って判断すべきことです。信仰の立場を何が何でもどこまでも押し通すことができなかった人を、わたしたち人間同士で裁きあうことはできないのです。

しかし、それでもなお、です。わたしは、ここで話を終わらせるわけには行きません。

イエス・キリストは、どうでしょうか、ということを考えてみる必要があります。迫害と誘惑の中にあったスミルナ教会を、わたしたちが、ではなく、イエス・キリストが、どのような言葉で励まし、力づけておられるのでしょうか。わたしたちは、そのことに関心を持たなければなりません。

「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。」

これは、どうか、厳しい裁きの言葉として受けとめ、かつ拒絶しないでいただきたいところです。

「一度死んだが、また生きた方」であられるイエス・キリストが「死に至るまで忠実であれ、そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」と言われているのは、裁きの言葉としてではなく、励ましの言葉として、語っておられます。

言うならば、その道は、わたし(キリスト)も通った道である、ということです。

体験者は語る、です。

死んで損はしなかった、ということです。

信仰に生き、かつ死んだ者には、復活のいのちを与えられるのだ、ということです!

(2006年2月26日、松戸小金原教会主日夕拝)

2006年2月19日日曜日

「放蕩息子と喜びの祝宴」

ルカによる福音書15・11~32



今日はかなり長く読みました。すべてひとつながりです。途中で切ることができません。



「また、イエスは言われた。『ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、「お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください」と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。』」



主な登場人物は、三人です。お父さんと、二人の息子です。三人とも名前は紹介されていません。今日は便宜的に「父親」、「兄息子」、「弟息子」と呼んでおきます。



弟息子が父親に向かって、「わたしが頂くことになっている分け前をください」と言いました。これはやはり、倫理的ないし道義的に問題のある、また、論理的にも成り立たない物言いなのだと言わざるをえません。



ここで彼が主張している財産分与は、本来ならば父親が死んだときに行われるものです。つまり、この弟息子は、まだ生きている父親に「あなたが死んだことを前提にして、おれの分け前をよこせ」と言っているわけです。早い話、「オヤジ頼むからもう死んでくれ」と言っているのと、ほぼ同じです。道義的な問題性は明白です。父親に何の恨みがあるかは知りませんが、言ってよいことと悪いことがあります。



また、彼の主張は、よく考えると、論理的にも成り立たないものです。父親が死んだときに貰える分、と言いましても、まだ父親は元気に生きているわけです。現役で働いていたかどうかは分かりませんが、どうやら、この家には多くの従業員がいて、父親は一族会社のオーナーのようですから、収入をいまだに得ていたと考えてよいでしょう。



そうだとするならば、です。父親の財産は、その人が生きているかぎり、常に変動していくものでしょう。もしかしたら、明日、急に事業が成功して、莫大な財産をさらに手にするかもしれません。あるいは、全く反対に、何か大きな失敗や挫折があって、この父親自身が明日、突然、無一文になってしまうかもしれません。そういうことは、十分起こりうることです。



それにもかかわらず、です。この弟息子は「オヤジが死んだときにおれが貰えるはずの分け前をよこせ」と言っているわけです。しかし、たとえばの話ですが、彼がもし、それを貰った後で、父親の会社が大成功を収め、現在父親が持っている財産がさらに増えたらどうなるか。それはもう彼のものではありません。そういうことを、この息子は考えもしない。



父親が生きているかぎり、明日何が起こるか、何が変わるか、誰にも分からないのです。そのことが分からない。想像力に根本的な欠如があるのです。論理的にもおかしなことをしているのです。



ところが、です。この父親は、黙ってなのか、何かを言いながらかは分かりませんが、この弟息子に要求どおりの財産を手渡してしまいます。やめておいたほうがよかったような気がします。たとえ子どもであっても、手渡してよいものと悪いものがあります。



案の定、弟息子は、受け取った財産の全部を換金して、外国に行き、兄息子の指摘によりますと「娼婦どもと一緒に」父親の身上を食いつぶし、財産を無駄使いしてしまいます。



留学なども含めて、外国旅行というのは、この種の危険がいっぱいであると言われます。外国では非日常の開放感を味わい、気持ちが大きくなると言われます。見ず知らずの人々の中では何をしてもよいという錯覚に陥るようです。また、誘惑も多い。現地の言葉を理解できないなど不安要素が少なくない。その上、自分が稼いだのでもないお金などを持っていますと、すぐに見破られ、格好の鴨にされてしまいます。あやしい人々が近づいてきて、あっという間に、全財産を“使い果たさせる”。



この弟息子にも、もちろん大きな責任があります。しかし、少しくらい考えてあげてもよさそうな点があるとしたら、この世界の中には、甘ったれたコドモを鴨にして、全財産を巻き上げてしまう人々がいる、ということです。危ないと分かっているのに、恐いもの見たさで近づくのは、やめるべきです。



「『何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。』」



彼は、文字どおりの無一文になりました。さらに追い討ちをかけるように飢饉が起こりました。それでも、彼には、住まわせてもらえる家と仕事が、辛うじて与えられました。これはラッキーと言うべきでしょう。家のない生活は、わたしたちにとっては、ただちに死を意味する、と言っても、決して言い過ぎではないはずです。



ただし、です。そうかと言って、まともな給料がもらえるわけではなく、三度の食事があるわけでもない。「豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかった」というのは、非常に実感のこもった表現であるように感じますが、イエスさま御自身にこれと同じような体験がおありだったのかどうかなど、そのあたりは全く知る由もありません。



「『そこで、彼は我に返って言った。「父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』と。」



「彼は我に返って言った」とあります。ここで「我に返る」という言葉は、文字どおりの意味があるだけです。自分自身に立ち返るとか、自分自身の本来あるべき姿を思い出すというようなことだけです。たとえば、「回心した」というような意味までは、ありません。



実際、彼が「我に返って」思い出したことは、自分がそこで生まれ育った父親の家です。なぜ、この話の中に一度も母親の存在が言及されていないのかということ自体は謎です。ただ、もちろん確たることは言えませんが、この話の中心にあるのが財産分与という問題であるということが関係しているのではないか。その家の財産の持ち主としての父親です(当時の話です)。母親がいたかどうかは、この話の趣旨とは直接関係ないことです。



それはともかく、実際問題、彼が「我に返って」思い出したことは、よく読みますと、彼の父親の存在そのものではないように読めてなりません。



「我に返った」彼が思い出したのは、父親自身ではなく、父親の財産です。「大勢の雇い人がいる」とか「有り余るほどのパンがある」とか。彼の頭に浮かんでいるものは、雇い人であり、パンです。父親の顔でも姿でもない。この甘ったれ息子は、父親の持ち物を、相変わらず当てにしているだけです。



しかし、これは、いくらなんでも、ありえない話でしょう。彼はすでに、彼自身の分け前については、すべて受け取ったはずです。そのことを彼自身で主張しました。そして、父親も、彼自身の申告に基づいて財産分与を行ったわけです。



このことが何を意味するかは、すぐにお分かりいただけるでしょう。つまり、それは、この時点において父親の家には、この弟息子に残されているものは、何一つない、ということです。水一滴もありません。だからこそ、兄息子のほうは、弟が帰って来たことに、非常に腹を立てたわけです。お前の分はもうどこにもないはずだ。残りは全部わたしのものだ、と考えたに違いありません。



しかし、自分に都合のよいようにばかり考えるこの弟息子は、すでに自分の分はすべて持って出たはずの父親の家を思い出し、父親の財産を思い出し、そこに帰りたいと考え、帰るためにはどうしたらよいのか、そのための作戦を練りはじめるのです。



彼が思いついた作戦は、二つある、と見ることができます。



第一は、とりあえず謝罪しておきましょう、ということです。彼の謝罪文には「わたしは天に対しても、お父さんに対しても罪を犯しました」と書き込まれました。「天」とは、神さまのことです。お父さんは、自分に財産を与えてくれた人であり、家族の代表者です。神様と家族の前で謝罪すること。



第二は、息子としてではなく、雇い人の一人にしてほしい、ということです。わたしは自分の実家の中で元のように扱ってもらえるとは思っていない。自分の分け前は全部持ち出し済みであることについては、もちろん承知している。でも、雇い人ならば別でしょう、と。賃金をいただけないでしょうか、というわけです。これは、ただ卑屈という以外に、表現のしようがありません。しかし、彼が父親とその家族に対してしてきたことを考えると、なるほど、そのような言い方をもってしか自分の家に帰ることができる道が開かれていくことは、ありえないようにも思います。



何度も言うようですが、まだ生きている父親に向かって「わたしの分け前をよこせ」と言ったのは、他ならぬ彼自身です。その願いに父親が応じた以上、父親の家の中に、彼が受け取ってよいものは、水一滴も残っていないはずである、ということです。ですから、なるほど、彼が家に戻れる可能性はただ一つ、雇い人の一人になる、ということしかない、というのは、論理的には、納得の行く話です。



しかし、彼の父親は、こんなバカ息子の屁理屈には一切乗らなかったというのが、この話の一つの結末です。



「『そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。」しかし、父親は僕たちに言った。「急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」そして、祝宴を始めた。』」



論理的に考えていくならば、この弟息子の考えていることのほうが、正しいのかもしれません。しかし、こんなのは、はっきり言って、全くの屁理屈です。



自分の息子が“雇い人の一人”になりうるでしょうか。自分の息子に“賃金”を払うのでしょうか。父親の会社に息子が就職する、というのは、よくある話です。しかし、これはそういう話ではありません。考えなければならないことは、もしその子どもが仕事をうまくできなかったり、気に入らなくなったら、クビにするのでしょうか、ということです。会社をクビにすることはありえます。しかし、“家をクビにする”のでしょうか。そんなことを、どんな親がするのでしょうか。皆さんは、そういうことをなさるでしょうか。



この弟息子が犯した最大の罪は、放蕩の限りを尽くしたこと自体でも、財産を無駄使いしてしまったこと自体でもないように思われてなりません。彼の最大の罪は何か。父親の心の中をおしはかることができなかった、ということです。父親が、彼のことについて、何を思い、どれだけ思っているかを全く想像すらできなかった、ということです。



だからこそ、わたしを雇い人にしろだの、賃金を支払えだのと、くだらないことを考えたのです。そういう言葉こそが、父親の心をいちばん深く傷つけるものだ、ということが分かっていなかったところに、彼の最大の罪があるのです。



父親としては、前半の謝罪についてはともかく、後半の雇い人うんぬんの話は聞きたくありません。だから、この弟息子が準備した文章の中の「もう息子と呼ばれる資格はありません」に続く「雇い人の一人にしてください」の部分を、父親自身がさえぎっていることが、お分かりいただけるはずです。ああ、うるさい、もう黙れと言いたいかのようです。「雇い人にしてください」?そんなことは、父親にとって、子どもからいちばん言われたくない、いちばん腹が立つ言葉なのです。



父親としては、自分の息子が帰ってきたという、ただそのことがうれしかっただけです。そのことを単純に喜ぶことは、父親には許されていると思います。それは、なんだかんだというような屁理屈では、説明できないものです。



「『ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。「弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。」兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。」』」



父親の態度を、兄貴は理解できません。兄貴は非常に腹を立てます。彼の言い分には、ある程度説得力があります。しかし、肝心なことを忘れています。



兄息子がすっかり忘れてしまっていることは、自分の父親の子どもは、一人ではなく、二人いる、ということです。どんな子どもでも、親にとっては、永遠に子どもです。兄弟同士は、早くいなくなってほしいと願ったり、邪魔だと思ったりするのかもしれませんが、それは子どもの論理であって、親の論理ではありません。



ですから、ここでも当てはまると思われることは、兄貴のほうも、父親の心の中をおしはかることができないという点で罪を犯しているのだ、ということです。



想像力が根本的に欠けているのです。自分のことしか考えていないのです。このたとえ話に出てくる「放蕩息子」は、一人ではなく、二人である、と言われるゆえんが、ここにあるのです。
 
「『すると、父親は言った。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しむのは当たり前ではないか。」』」
 
これこそが、“親の論理”です。論理的には、明らかに、飛躍があり、無理があります。財産分与というある意味で純粋な契約関係上の事柄からすれば、弟息子にはもはや何一つ残されていないことは、明らかです。しかし、そういう契約だとかややこしいことを全部すっ飛ばしてしまう何か、理屈では説明できない何かが親子の関係の中にはあるのです。



それと同じように、とイエスさまは、おっしゃろうとしているのです。これは、イエスさまのたとえ話です。イエスさまが、この話を通して何をお話しになろうとしているのかが、最後に問われなければなりません。



イエスさまの意図は、より直接的に言えば、イエスさまが、徴税人や罪人たちと一緒に食事をしておられたことに文句を言ってきたファリサイ派や律法学者たちへの反論です。



弟息子は徴税人や罪人たち、兄息子はファリサイ派や律法学者たちです。そして父親は、神さまです。神さまの前で、あなたたちは兄弟ではないか、ということでしょう。似たり寄ったりだ、という言い方も成り立つでしょう。それなのになぜ、兄が弟を見下したり、よけものにしたり、差別したりするのか。そんなことをしてはならない、ということです。



しかし、です。そのような問題の解決には、いろいろな難しい要素がある、ということは、わたしたちもよく知っているところではないでしょうか。



しかし、だからこそ、というべきでしょう、イエスさまが、このたとえ話を通じて最もわたしたちに伝えようとしておられるのは、この兄弟の両方の父親の心の中にあるものは何かということを、想像力をうんと働かせて考えてみよ、ということではないでしょうか。



それは、別の言葉で言い換えますと、先ほど申し上げた“親の論理”を、よく理解せよ、ということです。どんな子どもであっても、自分の子どもがせっかく帰ってきたのだから、「祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前である」という“論理”です。この“親の論理”が、神さまの論理でもあるのです。



神さまは、子どもたちが神の家に帰ってくることを、ただひたすら首を長くして待っておられます。しかも、真面目に生きてきた人だけが救われるのではなく、罪人にこそ救いが必要なのです。



そして、見落としてはならないことは、弟息子も兄息子も、父の前では同じ“放蕩息子”なのだ、ということです。



罪人を救うために、神は、イエス・キリストを地上に遣わしてくださったのです。



(2006年2月19日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年2月12日日曜日

「見失った羊を見つけ出すまで」

ルカによる福音書15・1~10



今日は、二つの段落を続けて読みました。記されているのは、いずれも、イエスさまのたとえ話です。内容的にとてもよく似ている、二つのたとえ話です。



「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、『この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている』と不平を言いだした。」



ここに紹介されているのは、この二つのたとえ話をイエスさまがお話しになったときの状況です。ここに登場する「徴税人や罪人」は、当時の世間の人々から嫌われていました。



ところが、です。イエスさまは、そのような人々のことが好きだったのだと思います。こんなふうに言いますと、誤解されるかもしれません。しかし、そういうふうにしか表現できないような何かを感ぜざるをえません。



徴税人や罪人とイエスさまとの関係については、ルカによる福音書においてすでに一度、非常にはっきりと記されていました(ルカ5・27〜32参照)。イエスさまは、彼らと一緒に食事をしておられたのです。



ところが、です。そういうイエスさまの態度に不満を感じる人々が、文句を言ってきた。その人々に対して、このたとえ話が語られたのです。



「そこで、イエスは次のたとえを話された。『あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。』」



最初に申し上げておきたいことは、これとよく似た話がマタイ福音書(18・10〜14)にも出てくるのですが、両者を比較すると、明らかに異なる点があると言わざるをえない、ということです。



どの点かと言いますと、マタイが「ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば」(マタイ18・12)と書いているところを、ルカは「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば」(ルカ15・4)と書いているという点です。この中で異なる部分は、二つあります。



第一は、百匹の羊を持っているのは「ある人」なのか、「あなたがた」なのか、です。



第二は、その中の一匹が「迷い出た」のか、それとも「見失った」のか、です。



第一の相違点から考えられることは、ルカはここでイエスさまの御言葉を、読者自身の体験に照らし合わせて考えるようにと読者に訴えているに違いないということです。これは、どこかの誰かの話ではなく、赤の他人の話でもない。あなたがた自身のことである。そのように考えながらこの個所を読んでくださいと、ルカが訴えているのです。



第二の相違点から考えられることは要するに、一匹の羊を捜しに行く責任の所在はどこにあるかということを、ルカがはっきりさせようとしているに違いない、ということです。



「迷い出た羊」であるならば、迷った責任の一端は、いわばその羊自身にもあると言わざるをえません。もしそうであるならば、すべては自己責任なのだから、飼い主が捜しに行くことにも限度がある、という言い方も、全く不可能ではないはずです。



ところが、ルカの記述は、明らかに違います。その一匹の羊を「見失った」のはあなたがた自身です。勝手に迷子になった羊の責任など取れるはずがないというような言い逃れは一切通用しません。見失ったあなたがた自身に、全責任があるのです。



このようなことをわたしが申し上げるとき、マタイとルカのどちらが歴史的イエスさまの真正の言葉であるか、ということを問いたいわけではありません。申し上げたいことは、今日の御言葉を読むときのチェックポイントがどこにあるのか、ということだけです。



チェックすべき第一の点は、わたしたちがこの個所を読むときには、自分自身の問題として受けとめるべきである、ということです。第二の点は、落とし物や失くしものをしてしまった責任は、それを落としたり失くしたりしたわたしたち自身にある、ということについては、言い逃れの余地はない、ということです。



しかし、です。今申し上げました二つの点は、このたとえ話の中でイエスさまがお語りになっていることの中心部分でも強調点でもありません。大切なことは、もっと別のことです。ただし、先ほど申し上げたことにも、間違いなく関連しています。



大切であると思われることは、今日の個所で重要なポイントは、やはり、その一匹の羊は、勝手に迷子になったのではなく、あなたがたが見失ったのだ、という点です。



もしそうであるならば、その羊を捜しに行く責任は、あなたがたにあるのではないかとイエスさまが言われているという点は、どうしても避けて通ることができません。九十九匹を野原に残してでも、です。見失った一匹を、あなたがた自身が捜し回りに行くべきではないでしょうかと、イエスさまは明らかに言われているのです。



しかし、です。これでもまだ、このイエスさまのたとえ話の中心部分に届いているとは思えません。責任とかいう言葉を聞くだけで重苦しくてつらいと感じるばかりです。



そして、実際、このイエスさまのたとえ話の強調点は、だれかの非を責めることにあるわけではないと思われて仕方ありません。迷子になった側が悪いのか、それとも見失った側が悪いのかというような議論は水かけ論です。意味がないし、いつまでも終わりません。イエスさまの強調点は、そこにはないのです。



それではどこに強調点があるでしょうか。それは5節から7節までに三回繰り返されている「喜び」という言葉です。また、今日は十分にお話しすることができません、第二のたとえ話(15・8〜10)の中にも二回繰り返されている「喜び」という言葉です。



「『あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、「無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください」と言うであろう。言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。』」



以前からお話ししておりますことは、聖書の中で繰り返されている言葉には強調がある、ということです。



来週お話ししますいわゆる放蕩息子のたとえ話の強調点も「喜び」です。わたしがいつも参考にしている注解書はルカ15章の1節から32節までの全体のタイトルを「喜びについての三つのたとえ話」[*]としています。



大切なことは“だれが悪いか”ではなく、“何が喜びか”なのです。



「『そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください」と言うであろう。』」



これは、まさにわたしたち自身の体験に照らし合わせてみれば、よく分かる話なのだと思います。落とし物や失くしものをしたとき、なかでも非常に大切なものである場合には、いちばんあわて、傷つき、精神的に落ち込むのは、他ならぬ当の本人です。自分のしたことがいかにひどいことかを知っているのは、本人です。



しかも、です。「羊」と、次のたとえ話に出てくる「銀貨」の共通点がもしあるとしたら、それは、第三者の手に渡ってしまった場合に、持ち主の手に返って来る可能性は、ゼロに等しい、ということでしょう。



たとえばの話ですが、皆さんの中に道に落とした一万円札が返って来たという経験をお持ちの方がおられるでしょうか。財布の中にでも入っていれば、可能性はゼロとは言えないかもしれませんが、実際にはほとんどの場合、戻ってくることはありません。



そんなときにわたしたちが感じることは、何とも言えない悔しさです。自分が落としたのですから「あなたが悪い」と言われても仕方がないのですが、「盗られた」というような思いが去来するものです。



しかし、です。わたしたちの体験の知るところによりますと、そういうときに限って、周りからいろんな言葉で責められたり、叱られたりするものです。追い討ちをかけられ、ますます傷つくのです。



しかし、だからこそ、というべきでしょう。それが大切なものであればあるほど、一生懸命に捜します。捜す気になれないようなものは、大切ではないのかもしれません。



捜して、捜して、捜して、です。そのときのわたしたちの状態の特徴としてはっきり言いうることは、ほとんど周りが見えていない、ということです。捜そうとしているそのものだけに、全神経とすべての関心が集中してしまっています。



「九十九匹を野原に残して」というのは、その九十九匹が大切ではないということではありません。しかし、ここでなぜか「ごめんなさい」と謝りたくなるのですが、捜しものをしているときの精神状態の特徴は、視野が狭くなること、周りが見えなくなることなのです。



「九十九匹」とは、99パーセントです。「9割9分大丈夫です」と言えば「ほとんど確実です」というほどの意味になるでしょう。その99パーセントをいわば放っておいてでも、1パーセントの事柄に集中するわけです。よく言えば、集中力が高まっている状態ですが、悪く言えば、視野が狭くなっている状態です。精神のバランスも崩れています。



そして、その結果として喜びの大団円を迎えることができたとき、すなわち、その捜しものが見つかったときに、そこにあるのは何か。



「喜び」である、とイエスさまは、語っておられます。緊張が解けたあとの、ちょっとした狂喜乱舞です。



イエスさまによりますと、見つけた人は、「喜んでその羊を担ぐ」のだそうです。冷静に考えますと、どんな小さな羊でも実際には結構重いと思うのですが、重さとかそういうことはあまり感じないほどに、すっかり大はしゃぎの状態になる、ということでしょう。



次に、「友達や近所の人々を呼び集めて、『・・・一緒に喜んでください』と言う」のだそうです。今の日本にこういうことをする人がいるだろうかと思わなくもありませんが、それはともかく、イエスさまの意図としては、我を忘れて大はしゃぎしている人の様子を描こうとされているようです。キャッキャとした状態です。



「『言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。』」



「このように」とは、たとえ話を通して明らかになったように、ということでしょう。何が明らかになったのでしょうか。それは、はっきりしていると思います。



イエスさまが徴税人や罪人たちに近づき、一緒に食事をし、彼らと仲良くなること。



そのようにして、徴税人や罪人たちがイエスさまの仲間に加わること。



それらはすべて、だれよりも先にイエスさま御自身がお喜びになるためであり、また、イエスさまと共に生きる者たちが喜びに満たされるためであり、そしてその大きな喜びが「天」にあり、「神の天使たち」までもが喜ぶためである、ということです。



もちろんイエスさまは、御自分の仲間が増えることを本当にお喜びになります。しかし、それは、悪い意味で政治家的に、自分の支持者が増えて自分の権力が増し加わる、というようなことをお喜びになるということではありえません。イエスさまは、そんなことには全く関心がありません。



罪の泥沼の中から救い出された喜びを、真心と感謝をもって分かち合うことができる、仲間が増えること。



それだけが、それだけが、イエスさまの喜びであり、わたしたち自身の喜びなのです!



[*] Drie gelijknissen over de blijdschap.



(2006年2月12日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年2月5日日曜日

「弟子の条件」

ルカによる福音書14・25〜35



今日の個所には、どう考えてもえらくたいへんなことが記されております。できるだけ誤解が残らないように、きちんと理解される必要があります。そのため、今日は25〜27節の御言葉に集中してお話しします。そのことを、あらかじめお断りしておきます。



「大勢の群集が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。『もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。』」



イエスさまが「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても」と言われています。これは、イエスさまがこの御言葉をお語りになった場面として紹介されている「大勢の群集が一緒について来たが」という点に対応していると考えられます。



つまり、このときイエスさまは、御自身の目の前にいた、イエスさまと一緒についていこうとしていた大勢の群集に向かって、条件または試験問題を出されたのです。



イエスさまとしては、だれかが弟子となり、御自身のあとについて来ることについて、そのこと自体を拒むおつもりはないはずです。なぜなら、イエスさまは「わたしについて来なさい」という言葉をペトロや他の弟子に向かって語っておられるからです(マタイ4・18〜22、マルコ1・16〜20)。



ところが、です。ここでイエスさまが語っておられることは、明らかに次のようなことです。



「どうぞわたしについて来てくださって結構です。ただし、条件があります。それは、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹、そして自分自身(新共同訳「自分の命」)を“憎むこと”です。もしこの試験問題をクリアできる人ならだれでも、わたしの教会に入門することができます」と。



しかし、どうでしょうか。この条件には、だれが考えても、引っかかるものがあります。それは、言うまでもないことですが、なぜ「憎ま」なければならないのか、という点です。



なんてことをおっしゃるのか、と思います。わたしたちの心の中のタブーに触れるものがあります。わたし自身も、なんだかとても気に障る言葉が語られているような気がしてなりません。



とりあえず確認しておきたいことは、以下の点です。



第一は、これは誤訳ではない、ということです。ギリシア語の原文を見ましても、ここで使われているのは「憎む」としか訳しようのない言葉であることは、明らかです。



第二は、少しほっとした気持ちになれるものです。ある解説によりますと、ユダヤ人の言語体系の中で「憎む」とは「愛する」という言葉の反対語であるというのです。そして、そもそもユダヤ人の言語は白か黒かがはっきりしていると言われます。「光」の反対は常に「闇」です。「真実」の反対は常に「虚偽」です。両者の中間がないのです。



ちょうどそれと同じように、と言いうるようです。ユダヤ人の言語体系の中で「愛する」の反対は、常に「憎む」です。両者の中間の状態を表わす言葉がないのです。



しかし、たとえば、わたしたちの日本語は、そうではありません。「愛する」か、そうでなければ「憎む」か、そのどちらかしかないというような極端な二者択一は、少なくとも日本語の感覚とは異なります。日本語は、むしろ、このあたりのことについて非常に微妙なニュアンスを言い表すことができる、非常に繊細な言語であると言えるはずです。



しかし、この点でわたしたちが認めるべき単純な事実は、イエスさまはユダヤ人であるということです。イエスさまは、ユダヤ人の言葉で語っておられるのです。



第三は、ちょっとややこしいのですが、どうしても避けて通ることができない説明です。それは、イエスさまの御言葉の中に出てくる「憎む」(ミセオー)という言葉は、旧約聖書の申命記21・15〜17に出てくる「疎んじる」(サーネ)という言葉を背景としているものである、ということです。



そこにあるのは、いわゆる“長子の特権”に関する規定です。ある人に二人の妻があり、一方は愛され、他方は疎んじられた。しかし、両方とも子供を産んだ場合、疎んじられたほうの妻の子供が長子(夫にとって最初に生まれた子供)である場合は、たとえ夫の愛情がその妻に対しては著しく欠けているとしても、財産相続の権利は疎んじられた妻の子供(長子)のほうにある、という規定です。



この規定において重要な点は「疎んじられた妻」も妻であり、その妻の子供もその夫の確かな子供である、ということです。その子供たちは正当な財産相続の権利を持ちます。なかでも長子は他の子供たちよりも二倍の分け前が与えられなければならない、それほどまでに重要な存在であり続けるのです。



まさに今申し上げた意味を申命記21・15〜17の「疎んじる」は含みます。そして、これが今日の個所でイエスさまが「憎む」と言っておられる意味でもある、ということです。



ですから、ここではっきり言いうることは、イエスさまが語っておられるのは、わたしたちが日本語で「憎む」という言葉で思い浮かべる様子とはいくらか異なる何かである、ということです。「疎んじる」というニュアンスが、最もよく当てはまるのです。そして、そのとき大事なことは、まさに「疎んじられている妻」も妻である、ということです。



以上三点が、この個所でイエスさまが語っておられる「憎む」という言葉の意味を理解するために重要な点です。



しかし、“それにしても”です。あるいは、“そうであればますます”というべきかもしれません。たとえ、このような説明をされても、わたしたちは、そう簡単に受け入れることはできないと感ぜざるをえないでしょう。



なぜならば、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹、そして自分自身を「愛さないこと」が、イエスさまの弟子となることの条件である、と言われているのですから。何とも言えない難しさを感じます。



なぜ“何とも言えない難しさを感じる”のでしょうか。わたしが申し上げたいことは、ほとんど間違いなく、実際の場面においては複雑な心理状態に置かれるであろう、というほどの意味です。



なぜそうなのか。なんとなく言葉にしづらいことです。しかし、この際はっきり言っておきます。



それは何かと言いますと、家族と自分自身を「憎むこと」すなわち「愛さないこと」は、ある面からすれば、わたしたちにとって、もしかしたら“いとも簡単なこと”であり、じつは“今すぐできるかもしれないこと”であり、“さっさとやってのけることができるかもしれないこと”であるということを、だれも完全には否定しきれないであろう、ということです。



だって、そうでしょう。大きい・小さいは別として、ほとんど毎日のように、わたしたちの家庭内には、なんらかのトラブルがあります。家族を憎むこと、あるいは「疎んじる」ことは、そうすることができないどころか、むしろ、いとも簡単にできてしまう可能性があります。だからこそ恐いという面があるのです。



しかし、です。わたしたちは、いくらなんでも、やはり、「家族を憎め」と言われることには、非常に大きな抵抗を感じます。ところが、今日の個所でイエスさまは、その条件をクリアできなければ、わたしの弟子ではありえないと言われているわけです。どうしたらよいのでしょうか。



わたしにも確たることは言えません。しかし、ひょっとしたら、こういうふうに考えてみることができるのではないかという可能性の線が全く見えていないわけでもありません。



それはどういう線かといいますと、今日申し上げてきたことの中にヒントを出してきたつもりです。すでにお気づきかもしれませんが、先ほど「憎む」の意味として申し上げた「愛さないこと」は「疎んじること」の意味を持っている。しかし、疎んじられた妻も妻である、というあの話こそがヒントです。



すっきり理解していただけるかどうかは不安です。まず申し上げておきたいことは、わたしたちは、たとえそれがイエスさまからの命令であっても、「家族を憎むこと」は、普通の感覚では、できないし、してはならないことである、と感じる、ということです。



しかし、いわばギリギリの線で、わたしたちに、できることがあるかもしれない。それは、平たく言えば“優先順位”の問題である、ということです。



ただし、優先順位という考えを持ち込むとき、非常にドライでさばさばした話になってしまう危険があることは、注意すべきです。まさに「愛されている妻」と「疎んじられている妻」の話です。二人の妻(?)の間に優先順位がある、という話です。



どういうことでしょうか。これも言葉にしづらい話ですが、わたしたちが気づくべきことは、この地上の世界に生きているかぎり、わたしたちは、ひとつの瞬間においては同時に二つ以上の場所に立つことはできず、また同時に二つ以上の仕事に取り組むことはできない、ということです。



イエスさまは「ひとは二人の主人に兼ね仕えることができない」とお語りになりました。わたしたちは、ひとつの大きな決断をもって、ひとつの選択肢を選ばざるをえないということが、ありうるのです。



ですから、愛する相手も、その瞬間にはひとりだけです。それがわたしたちの現実です。そうであるならば、そのときわたしたちにとって重要なことは優先順位である、ということです。



イエスさまを愛し、イエスさまに従うか。それとも、家族を愛し、家族に従うか。この選択肢を選ぶ必要がない人は幸いであるというべきです。しかし、わたしたちの現実は、それほどうまく行くばかりではないということも事実です。



「あなたはイエスさまとわたし、教会と家族のどちらを愛しているの?」と問われる場面は実際にありうることです。そのような選択の場面は、わたしたちの人生においては一度ならずある。そのように言わざるをえません。



最後にわたしの話をさせていただきます。わたしもキリスト者家庭に生まれ育った人間としてご他聞に漏れず、教会がとても嫌になってしまった時期を経験しました。いわゆる思春期の頃、中学生・高校生くらいの頃です。とにかく教会に行きたくない、と感じたものでした。



しかし、そのとき、わたしの両親が全く動じませんでした。「お前の好きにしたらよい」とは、決して言いませんでした。わたしよりも教会を選んでいるように見えました。そのことがわたしにとっては良いことであったと、今にして思います。



これは一般論にすることはできないかもしれません。あくまでも、わたしの場合です。わたしの両親は、わたしの意志よりも神の意志を選んでくれました。そう思えたときに、わたしは両親を尊敬することができましたし、その意志に従う気持ちになりました。伝道者になろうと思ったのも、その頃です。



逆の言い方も、わたしにはできます。ただし、一般論ではありません。



もしそのときわたしの両親が、わたしを第一にし、キリストを第二にするような態度をとったならば、わたしは両親を尊敬できなかったかもしれず、教会から離れてしまったかもしれません。



譲らないほうがよいときもあるのです!



これ以上のことは、今日は申し上げないでおきます。



(2006年2月5日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年1月29日日曜日

「人々を我が家に充たしめよ」

ルカによる福音書14・15~24



今お読みしましたこの個所は、先週学んだ個所の続きです。時間的にも場所においても全く同じところにイエスさまがおられるのだということを、まず確認しておきます。



「食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、『神の国で食事をする人は、何と幸いなことでしょう』と言った。」



「これ」とは何でしょうか。それは先週の個所の全体でもあり、「これ」の直前に書かれていることを指していると考えるべきでしょう。



先週の個所に書かれていたことは、次のようなことでした。



安息日に最高法院の議員の家でパーティーが開かれました。そのパーティーにイエスさまも招かれ、多くの人々と共に食事をしておられました。ところがイエスさまは、ある人に水腫(水ぶくれ)ができているのをご覧になると、食事の席であったにもかかわらず、すぐに治療してあげました。



そして、もうひとつ、イエスさまがなさったことは、そこに集まっている人々にとってはなんとも聞き捨てならないような、とても引っかかる言葉をお語りになった、ということです。毒気の効いた言葉を語りはじめられたのです。



とくに先週の個所の最後の部分で、イエスさまは「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちもあなたを招いてお返しをするかもしれないからである」と言われました。



こういう言葉を、イエスさまは、明らかに、同じ場所に招かれていた主人の友人、兄弟、親類、近所の金持ちがたくさん集まっている前で、その人々に当てこするような仕方で、お語りになったのです。



そして、イエスさまが続けておっしゃったことは、「宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる」(14・13〜14)ということでした。



「食事を共にしていた客の一人」が「これ」を聞いた。そしてイエスさまに「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言ったわけです。



この反応は、何を意味するのでしょうか。二つの可能性が考えられます。



第一の可能性は、イエスさまのみことばに感銘を受けたので、同意ないし賛成の意思を表明している、というものです。



第二の可能性は、これは、イエスさまの言葉を聞いて大いに気分を害されながら、何かひとこと言い返してやりたい、というような気分から発せられた、皮肉まじりの鋭い切り返しの言葉である、というものです。わたしは第二の可能性のほうが正しいと考えております。思い浮かぶのは、次のような意図です。



「イエスさま、あなたの話はごもっともです。あなたがお教えになる神の国(天国)は、とてもおよろしいところのようです。しかし、それは天国のお話です。あちらの世界の話です。それは、こちらの世界には当てはまりません」。



この人が言おうとしているのは、どうやらこのあたりのことです。実際このような言い方は、わたしたち自身も、いろんな場面で耳にするものです。ここでわたしたちがとくに気づく必要があると思われるのは、「神の国」ないし「天国」という言葉で、わたしたちは、どんなことをイメージしているか、という問題です。



「そこで、イエスは言われた。『ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、「もう用意ができましたから、おいでください」と言わせた。すると皆、次々に断った。最初の人は、「畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください。」と言った。ほかの人は、「牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください」と言った。また別の人は、「妻を迎えたばかりなので、行くことができません」と言った。僕が帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。「急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。」』」



16節以下は、たとえ話です。このたとえ話に最初に登場する「主人」とは、自分の家で大がかりなパーティーを計画した人です。「大勢の人を招き」とありますから、おそらく、何枚もの招待状を書き、あるいは直接出会ったとき誘いの言葉をかけたのだと思います。



考えてみたいことは、招待状を書いているとき、あるいは誘いの言葉をかけているとき、この主人はどんな気持ちだったでしょうか、ということです。それは、ちょうど、わたしたちの教会で、年に一度、特別伝道集会のチラシを約五千枚も印刷して、この町の人々に配布しているときに味わう気持ちと似ているのではないかと思います。



また、この主人は、招待した人々に喜んでもらうためにいろいろと趣向を凝らし、プログラムを作り、出しものを考案し、ごちそうのメニューを考えるなどして、すべての準備を整えたのだと思います。



そのとき、その人は、どんな気持ちだったでしょうか。それはちょうど、わたしたちの教会で、年に四回、クリスマス、イースター、教会バザー、お元気会(振起日)のとき、みんなで美味しいごちそうを持ち寄って、パーティーを行う、そのための準備をしているときに味わう気持ちと似ているのではないかと思います。



さて、宴会の開始時刻になりました。そこで主人はしもべを送り、招いておいた人々に「もう用意ができましたから、おいでください」と言わせました。



ところが、です。その人々が次々に断った、というのです。そして、その不参加には、それぞれの理由がつきました。畑を買ったので見に行かなければならない。牛を買ったので調べに行かなければならない。妻を迎えたばかりなので行くことができない。



しかし、ここに挙げられているような理由は、はっきり言いますと、あとから付けたものである、ということです。



招待されていた、ということは、少なくとも一ヶ月や二ヶ月、あるいはもっと前からのお約束であったということです。当日に突然持ちかけられたような話ではないのです。それに対し、畑を買うとか、牛を買うという話も、結婚するという話も、突然起こるようなことではなく、ある程度の計画性が必要なことばかりだからです。



そして、最も理解に苦しむのは「妻を迎えたばかり」という理由です。これが断る理由になるでしょうか。彼なりの根拠は、おそらく旧約聖書の次の戒めだろうと考えられます。「人が新妻をめとったならば、兵役に服さず、いかなる公務も課せられず、一年間は自分の家のためにすべてを免除される。彼はめとった妻を喜ばせねばならない」(申命記24・5)。



しかし、パーティーは「兵役」でしょうか、「公務」でしょうか。兵役も公務も、共通点は強制的な面がある、ということでしょう。パーティーは、強制でしょうか。



主人は「怒った」と書かれています。無理もないことだ、と言わざるをえません。この「怒り」は、わたしたちにはよく理解できるものです。教会は礼拝だけではなく、楽しいパーティーもするからです。



できるだけ多くの人々に喜んでもらいたい。神さまの恵みをみんなで分かち合いたい。いわばただそれだけの目的のために、心をこめていろんな計画をして、招待状も出して、美味しいごちそうを作ります。寒い部屋は暖めて、暑い部屋は涼しくして、多くの人が来てくださるのを待っているからです。



しかし、だれも来ない。いろんな理由をつけて。だれかのために作った料理を、自分で食べる。冷めた料理を一人で片付ける。これほど虚しいことはない。そのことを、わたしたちはよく知っています。



もちろん、わたしたちは、そういう場面でも怒る必要はないと思います。怒ったところで、何の意味もありません。しかし、イエスさまのたとえ話に出てくるこの主人の気持ちは、わたしたちには、痛いほど分かります。この“痛いほど分かる”ということが大切であると思います。



そこで、この主人が思いついたことが、前回の個所にも出てきましたが、「貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人を連れて来なさい」ということでした。その趣旨は、「お返しができない人々だから」(14・14)と、イエスさまはおっしゃっています。少し引っかかる要素があることは否めませんが、理解できない話ではありません。



「『やがて、僕が、「御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります」と言うと、主人は言った。「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。」』」



まだ席が余っている、という知らせが主人のところに届きました。ここで気づきたいことは、この主人は非常にたくさんの席を用意していたようである、ということです。準備する座席の数の多さは、主人の期待のあらわれであり、それは信仰、あるいは祈りと言うべきものです。



だからこそ、主人は言いました。「無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ」と。



この願いの意図は、何でしょうか。「あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない」とも言われています。あの人々が「座らせてください。参加させてください」と今さら言い出しても、もう席はありませんというほどに、多くの人々でこの家をいっぱいにしてください、ということでしょう。



このたとえ話におけるイエスさま御自身の意図は、何でしょうか。わたしは、これは、15節の人への“反論”と見ます。なぜ“反論”かと言いますと、「神の国の食事をする人」は、必ずしも15節の人が言うように「なんと幸いなことでしょう」とだけ言われるようなものではない、と言わざるをえない、ということを、明らかにしておられるからです。



「神の国の食事」には座れない人もいる、ということです。ただし、神さまが座らせてくださらない、という話ではありません。招きはきちんとなされています。招かれているのに、自分から断るのです。神さまの責任にすることはできません。



「神の国の食事」に招かれていない人は一人もいません。そこにはだれでも参加できるのです。



ところが、です。「だれでも参加できるところには、参加する意義がない」と言い出す人々がいます。だれが上席に座るべきかとか、お返しがどうとか、その種のルールがきちんと守られているようなところならば参加する意義がある。しかし、だれでも参加できるような場所は嫌だなあ、と感じる人がいるのです。



しかし、イエスさまはここで明らかに、そのような考え方や生き方をする人々にとっては、非常に厳しい言葉をお語りになっています。わたしたちは、少なくとも“教会”の中に、そのような考え方を持ち込むべきではないと思います。



教会は、だれでも参加できます。どういう人だから参加できるとか、参加できない、というようなことは、全くありません。しかし、わたしたちの教会は“だれでも参加できる”ゆえに“安っぽい”わけではありません。それは皆さんが証言してくださることでしょう。



最も重要なことは、祝宴の主催者の心を思いはかることです。



どういう思いでこの集まりを開こうとしているか、です。



どういう思いで人々を招き、どういう恵みを準備しようと心に決めておられるか、です。



そのことを、わたしたちは、よく思いめぐらす必要があると思います。



(2006年1月29日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年1月22日日曜日

「キリスト教の哲学」

ルカによる福音書14・1~14



今日の説教には、かなり大げさなタイトルを付けました。しかし、難しい話をする意図は、全くありません。だれにでも分かっていただける話をいたします。ここで「哲学」とは、わたしたちがよりよく生きるための知恵、というほどの意味です。それ以上でもそれ以下でもありません。



今日開いていただきましたルカ福音書14章は、よく読みますと、たいへん興味深いことが書かれていることに気づきます。それは1節から24節までイエスさまはずっと同じ場所におられるということです。その場所は1節に記されています。「ファリサイ派のある議員の家」です。「イエスは食事のために・・・お入りになった」と書かれています。



考えられるのは、次のような状況です。ある日・あるとき、ファリサイ派のある議員が、自分の家で宴会を開いた。「議員」とは、最高法院の議員です。国会議員であり、その意味での政治家です。「食事」とは、政治家が開くパーティーです。そのパーティーに大勢の人々が招待されていた。その大勢の招待客の中にイエスさまもおられた、ということです。



ですから、気づくべき第一の点は、今日の個所のイエスさまの御言葉は、パーティーの席での“テーブルトーク”であるということです。“テーブルスピーチ”ではありません。テーブルスピーチは、いくらかかしこまった「挨拶」や「演説」のことでしょう。しかし、テーブルトークは「雑談」です。これは、宴席での自由な歓談であり、おしゃべりである、ということです。



また、わたしたちが気づくべき第二の点は、次のことです。イエスさまがおられるこの場所は「ファリサイ派のある議員の家」でした。そこで宴会が開かれ、大勢の人々が招待されていました。ところが、です。そのような場所にあって間違いなく最も目立っているのは、明らかにイエスさまである、ということです。



これは、よく考えてみたいことです。そこは、イエスさまにとっては、他人の家です。宴会の主催者はその家の主人であるファリサイ派の議員です。この宴会の趣旨ないし目的もイエスさまのためではありません。あくまでもイエスさまは、客人の一人です。しかし、それにもかかわらず、その宴会に集まっていた人々の関心は、明らかにイエスさまに集中していたことが分かります。まさに「人々はイエスの様子をうかがっていた」のです。



ですから、考えられることは、その場に漂っていたものは、なんともいえぬ異様な雰囲気だったのではないだろうかということです。12節以下ではイエスさまは、パーティーの主催者に対してまで、いろいろと注文を付けておられます。



「安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。『安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。』彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。」



初めの段落でイエスさまがしておられることは、宴会に参加していた一人の病気の人をいやされた、ということです。



「水腫」とは水ぶくれのことです。これを治すために最も手っ取り早い方法は、小さな穴を開けてつぶすことです。そのようなことをイエスさまは、他人の家で、パーティーの席で、なさったのです。



そうなると、わたしたちが気づくべきことは、イエスさまがしておられることの問題は、「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか」という点でもありますが、それと同時に、「他人の家の食事の席でひとの病気を治すことは許されているか、いないか」という点でもある、ということです。こういうことはテーブルマナーに反するのではないかという疑いが出てきて当然でしょう。



しかし、それをイエスさまはなさったわけです。なさったということは、そうすることは許されている、ということを、イエスさまは確信しておられる、ということです。



「そして、言われた。『あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。』彼らは、これに対して答えることができなかった。」



このイエスさまのお言葉の中で気になるのは「自分の息子か牛が」と、「息子」と「牛」、人間と家畜が同列に並べられているように読めるところです。



しかし、言わんとしておられることは、理解できます。あなたにとって最も大切な存在、かけがえのない存在、価値ある存在、これこそが「自分の息子」であり、「牛」の意味です。そして、もちろん、最も大切な存在が井戸に落ちたら、だれだって、すぐに引き上げるでしょう、そうではないのでしょうか、というのが、イエスさまのお言葉の趣旨です。



そうであるならば、です。イエスさまがここで明らかに問題にしておられるのは、この宴会に客人として招かれている一人一人は、どういう存在なのか、ということです。



来ても・来なくても、どうでもいいような存在なのですか、ということです。大勢いる中の、頭数の一人なのですか、ということです。



しかも、いま、その人が困っている。何かつらい思いでいる。具体的な痛みや苦しみを感じている。そういう人を、あなたがたは、放っておけますか、ということです。律法が、あるいはテーブルマナーが、いま助けを必要としている人を、いま助けることについて、あなたの行く手をさえぎる理由になりますか、ということです。



そこにいた人々は、イエスさまの問いかけに答えることができませんでした。その答えはあまりにもはっきりしすぎていたので答えることができなかったのでしょうか。そうかもしれません。



しかし、少し意地悪な言い方かもしれませんが、もし答えがはっきりしているなら、はっきりと答えるほうがよい。黙っていないほうがよいのです。



「イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。『婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、「この方に席を譲ってください」と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、「さあ、もっと上席に進んでください」と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。』」



このイエスさまの御言葉が非常に辛らつなものであることは明らかです。イエスさまはこのお話を「招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて」話し始めておられます。その人々に向かって、そのようなところに座るべきではない、なぜなら、あなたよりも身分の高い人が招かれているかもしれないではありませんか、という話をしておられるのです。ということは、この話の裏側にあるものは、あなたよりも身分の高い人が、事実として存在します、ということについての暗示である、ということです。



しかし、この話には、ユーモラスで痛快な面もあります。わたしたちがこの人生において大きな恥をかかないで生きていくために必要なルールは何か、ということが語られています。それは、あなたは末席に座りなさい、そうすれば、この宴会の主催者が、あなたを上席に連れて行ってくれるでしょう、ということです。



わたしが時々興味をもって読むビジネス雑誌などに書かれていることは、評価とは常に「他人目線」であるということです。自己評価が高くても、他人から評価されないような仕事は意味がない。反対に、自己評価が低くても、他人から評価されればその仕事は完了したと言いうる、というのです。



ここでイエスさまが語っておられることも、ほとんど同じようなことです。自分の価値は、自分で決めるものではなく、他人が決めるものだ、ということです。



教会にも同じことが当てはまるでしょう。わたしたちは、自分がしていることをあまり自画自賛しないほうがよいのです。わたしたちがしていることを教会の外側の人々が見ています。家庭の中でもわたしたちがしていることが見られています。それは厳しい目でもあるでしょう。しかし、冷静な評価も期待できる場合もあるでしょう。



教会は信頼できると思っていただけたら、次のステップが期待できます。教会の存在も、わたしたちの信仰生活も、よい意味での「他人目線」に任せたらよいのです。



「また、イエスは招いてくれた人にも言われた。『昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。』」



これも辛らつな言葉です。「友人も、兄弟も、親戚も、近所の金持ちも呼んではならない」と言われているわけですが、逆に言えば、これは、いまイエスさまの目の前にいる人々がファリサイ派の議員の友人たちであり、兄弟たちであり、親戚たちであり、近所の裕福な人々だったことの何よりの証拠であるということです。こんな人たちを招いてはならないと言っておられるわけです。ずいぶんな言い方だと思います。



また、いまの点に対する、もう一つの点として、イエスさまが障碍を持つ人々のことを引き合いに出しておられるのも、なんとなく引っかかるものがあるといわざるをえません。乱暴な言い方があることは、否定できません。



ただ、しかし、イエスさまがおっしゃろうとしておられる意図は理解できるはずです。要するに、ひとを祝宴に招待したい者は「お返し」という言葉に集約されるようなもの、見返りとか、報いとか、その種の下心を、一切持つべきではないということです。見返りを求めず、下心を持たず、施しなさい、与えなさいということです。



ここでこの人々のためにどれくらい出資したら、あとでこの人々からいくら返って来るだろうとか、そのような計算高い生き方が絶対的に悪いなどと、わたし自身は言うつもりはありません。しかし、いま大切なことは、わたしの意見ではなく、イエスさまの御意見です。



イエスさまの目からご覧になると、そのような生き方は底の浅いものであり、どこかに破れが出てくるし、なんとなくみっともない。そういうものと観られているのです。



今日の個所の内容は、じつに単純で、分かりやすいものです。また、もちろん、とても厳しいものでもあります。



たとえば、いま目の前に実際に困っている人がいるのに、いろんな掟に縛られて身動きがとれないでいる、というような人間の姿は、じつは、他ならぬこのわたし自身である、ということに気づかされるかもしれません。



また、「わたしは常に上席に座るべきである」と思い込んでしまう傲慢からわたしたちを救い出してくれるものが、このイエスさまの御言葉にはあります。



ただ、わたしが感じることは、今日の個所のイエスさまの御言葉は、だれにでも分かる話である、ということです。全く理解できません、と言い張るような人は、そんなに多くないように思うのです。



わたしたち人間には良心というものが与えられています。そして、イエス・キリストは良心の主です。イエスさまは、わたしたちに、無理難題をふっかけてこられるようなお方ではありません。むしろ、当たり前のことを「当たり前である」と、語っていただける、そういう方なのです。



しかし、同時に、イエスさまの御言葉には、わたしたちの罪、傲慢の罪を根本的に打ち砕く力があります。



イエスさまに従って生きるとは、なによりも、傲慢の罪から救われ、謙遜な者につくりかえられていくことなのです。



(2006年1月22日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年1月15日日曜日

「今日も明日も次の日も」

ルカによる福音書13・31~35



「ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。『ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。』」



「ちょうどそのとき」は、文字どおりに理解すべき言葉です。10・21や13・1に同様の表現が出てきます。



これは、先週の個所の冒頭に記されている「イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた」というところを直接受けています。つまり、これは、イエスさまが町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた、ちょうどそのとき、という意味である、ということです。



ちょうどそのときに、です。ファリサイ派の人々が何人か、イエスさまに近寄って来て、「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています」と言ったのです。



「ヘロデ」とは、当時のユダヤの国の領主、ヘロデ・アンティパスのことです。国王と言いたいところですが、当時のユダヤの国はローマ帝国の支配下に置かれた属国でしたので、ヘロデに与えられていたユダヤの国を治める権力は、絶対的なものではなく、相対的なものにとどまっていました。



そのヘロデがイエスさまの命を狙っていたというわけです。そのことをファリサイ派の人々が、イエスさまに直接伝えてきたのです。



しかし、ちょっと気になることがあります。それは、ファリサイ派は、これまでも、これからも、イエスさまの前に現れるときには常に“敵”として現れてくる相手である、という点です。しかし、ここでファリサイ派の人々は、イエスさまに対して、親切なことを言っているように読めなくもありません。「あなたは、ヘロデの魔の手から逃げなさい」と勧めているのですから。



しかし、ここはそれほど単純な話でもなさそうです。これは全くの八百長試合であると考える人々がいます。二つの可能性があります。第一は、彼らはヘロデと共謀しているという説です。第二は、彼らが「ヘロデがあなたを殺そうとしている」といううわさを捏造したという説です。共謀説と捏造説です。



ヘロデとファリサイ派に共通している点は、イエスさまの存在が、とにかく邪魔である、ということです。



ヘロデは、とにかく権力者であったわけです。たとえ人を殺してでも自分の支配権力を守りたいほうの人でした。イエスさまがユダヤの国の中でいろんなわざを行い、多くの人々から人気を集めているということをうわさに聞いて、そのような存在は、一刻も早く殺さなければならないと考えたというのは、いかにもありそうな話です。



ファリサイ派も、この点では同じような状況にありました。とくにイエスさまはまさに“ちょうどこのとき”エルサレムに向かって進んでおられました。イエスさまの旅の目的地は、エルサレムであり、その中心にあるエルサレム神殿です。イエスさまがエルサレムに近づいてこられること、エルサレム神殿に乗り込んでこられることを最も嫌がったのが、ファリサイ派であると言ってよいでしょう。あるいは律法学者、祭司長といった人々です。



なぜ嫌がったかと言いますと、イエスさまがこの人々のことを強く激しい言葉で批判されたからです。



エルサレムから遠い場所、たとえばガリラヤ地方などでどんな騒ぎが起ころうと、無視できる。しかし、自分たちのお膝もとで騒ぎを起こされるのは困る、と考えたのではないでしょうか。



だから、ファリサイ派の人々は、なんとかしてイエスさまをエルサレムに近づかせないようにするために、ヘロデの名前を持ち出したのである、というのが捏造説です。あるいはまた、事実としてヘロデがそのように言っていたので、そのことを伝えてなんとかして、イエスさまに、別の道を行かせようとしたのだ、というのが共謀説です。



わたしは、捏造説か共謀説が正しい。親切説は違うだろうと、考えております。



「イエスは言われた。『行って、あの狐に、「今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える」とわたしが言ったと伝えなさい。』」



イエスさまは、彼らの勧めを、事実上きっぱりとお断りになっています。



新共同訳聖書を読むだけでは分からない点ですが、ここでイエスさまがお語りになっている「行って」と、ファリサイ派の人々がイエスさまに言った「立ち去ってください」とは、同じ言葉が使われています。



つまり、ここでイエスさまが採っておられる態度は、「あなたのお言葉をそのままお返しいたします」というやり方です。立ち去らなければならないのは、わたしのほうではなく、あなたがたのほうですよ、と。



これは、間違いなく、けんかの方法です。とてもピリピリした、緊張感の漂う言葉のやりとりです。



イエスさまは、ヘロデを「あの狐」と呼んでおられます。おそらく、ずるがしこい奴、というほどの意味でしょう。しかし、わたしが感じるのは、イエスさまはファリサイ派の人々にも、あなたがたも狐の仲間である、と言っておられるような気がする、ということです。



最大限に譲歩するならば、ファリサイ派の人々が親切な気持ちで言ったのだと考えることが絶対的に間違いであるとは言い切れません。しかし、イエスさまのお答えで明らかなことは、イエスさまご自身は彼らの言葉が親切心から出ているものだというふうには全く考えておられない、ということです。



イエスさまがヘロデに伝えようとされた言葉は、「今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える」というものでした。意味深長です。また、理解するのが難しい言葉でもあります。とくに気になるのは、「三日目にすべてを終える」という点でしょう。これは、何を意味するのでしょうか。



言語学的に見ると、ここに出てくる「三日目に」という言葉の一般的な意味は、「とくに定まっていないが、あまり長すぎない期間」とか「まもなく」とか「すぐに」というほどのことなのだそうです。



しかし、イエスさまがおっしゃる「三日目に」には、明らかに別の特別な意味があると見るべきです。ここで思い起こすべきことは、やはり、イエスさまが十字架にかけられた後、三日目に死人の中からよみがえられたという、あの復活の出来事です。



といいますのは、「三日目にすべてを終える」と語られている中の「すべてを終える」とは、ここでは「目標(ゴール)に到達する」という意味で語られているからです。「三日目にゴールインする」です。



イエス・キリストがこの地上に来てくださった目的ないし目標は、この地上に神の国を打ち立てることです。そして、そのために、イエスさまを信じて生きる人々が、イエス・キリストの十字架上の贖いのみわざによって、神の御前に義とされ、正しく生きることができるようにつくりかえられる。悪霊が追い出され、病気がいやされ、その人々の人生において真の喜びと慰めが与えられる、そのような世界をおつくりになることです。



それが、イエスさまの、いわばゴールです。「三日目」とは、イエスさまが死人の中からよみがえってくださる日です。



しかし、イエスさまのゴールは、十字架ではなく、復活でもなく、ひとが救われることです。イエスさまは、ひとを救ってくださるために、何でもしてくださるのです。それが、イエスさまの地上の生涯の目標です。



とにかく、そこまでわたしは行くのだ。「今日も明日も」行くのだと、イエスさまは、宣言されているのです。



「『だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。』」



繰り返し思い起こしたいことは、このときのイエスさまは、エルサレムに行かれる旅の途中であった、ということです。その旅の途中、ファリサイ派が現れて、「立ち去りなさい」などと、いずれにせよイエスさまにとっては余計な要らぬお節介を言って、事実上行く手を阻もうとした、ということです。



それに対して、です。イエスさまは、いや、わたしは、「今日も明日も、その次の日も」自分の道を進んで行かなければならないのだと、言われているわけです。



エルサレムに行くこと。エルサレムで死ぬこと。そして、エルサレムでよみがえること。これこそがわたしの旅の目標であると、イエスさまは語っておられるのです。



なぜイエスさまは、ここまで覚悟しておられるのか、その意味は何なのかと、思わされます。しかし、それは、はっきりしています。



イエスさまは、エルサレムで、何かをおっしゃりたいのです。エルサレム神殿の住人に向かって、そこにいる当時の宗教的・政治的・精神的指導者たちに向かって、厳しい批判の言葉をお語りになる決心をしておられるのです。



イエスさまが、そのような重大な決意をされてまで、エルサレム神殿の住人たちを批判しようとしておられるのは、何のためか。その目的も、はっきりしています。



それは、ただひたすら、彼らに対し、真の信仰と真の悔い改めを求めることです。それ以外の目的はない、というべきです。



エルサレム神殿は、当時のユダヤ教の総本山であり、また、彼らの神学校(律法学校)でもありました。そこを厳しく批判することがどのような意味を持っているかという点は、おそらくすぐに理解していただけるでしょう。



わたしたちの神戸改革派神学校は、たいへん健全に運営されていると思っております。わたし自身の中に、今の神学校を批判する意図はありません。



しかし、ここでわたしは、一般論として考えておくべきことがあると感じています。



それは要するに、神学校には、本当に厳しい批判を常に受けなければならないほどに、責任がある、ということです。



神学校は、教団・教派の思想的・信仰的中核をなす存在です。その神学校がおかしなことを言い出したり、聖書や教理の理解において間違いを犯すとか、道徳的に乱れるなど。



そういうことが起こるときには、その教団・教派全体がおかしくなっていき、多くの信仰者が道に迷い、苦しむことになるのだ、ということです。



彼らが狂うと、全体が狂います。神の民すべてが、道を誤るのです。



エルサレム批判・神殿批判の本質は、そのあたりにある、と考えることができるのです。



「『エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、「主の名によって来られる方に、祝福があるように」と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。』」



イエスさまは、エルサレムの罪を嘆かれています。ここでイエスさまは、はっきりと、エルサレムが預言者たちを殺した、と語っておられます。



イエスさまも、そうなのです。イエスさまは、ヘロデに殺されるわけではありません。ポンティオ・ピラトでもありません。エルサレムに殺されるのです。



エルサレムは、多くの人々にとって、あの三蔵法師と孫悟空たちがそこに行けばどんな夢もかなうと信じて行こうとした天竺(てんじく)のような場所、理想郷、ユートピアのような場所に見えていたに違いないのです。



しかし、イエスさまの目からご覧になると、実態は違っていました。そもそも、地上にユートピアなどは、存在しません。そこにいる人が罪の影響を少しも受けていない、と言いうる場所は、地上のどこにも存在しないのです。その事情は、エルサレムも同じです。



だからこそ、エルサレムも罪から救われなければなりませんでした。



だからこそ、イエスさまは、エルサレムで死ななければならなかったのです。



(2005年1月15日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年1月8日日曜日

「狭き門より入れ」

ルカによる福音書13・22~30



今日からまた、アドベントの期間に中断していましたルカによる福音書の学びを、再開したいと思います。



「イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。すると、『主よ、救われる者は少ないのでしょうか』と言う人がいた。」



ここに出てくるのは、イエスさまが伝道旅行の途中に出会われた一人の人物です。この人が「救われる者は少ないのでしょうか」と、イエスさまに質問しました。



この人は、おそらくユダヤ人ではないかと考えられております。なぜなら、この問いは、当時のユダヤ教のいわゆるラビ文書と呼ばれるものの中に、さまざまな答えを伴いつつ、たくさん出てくるということが、確認されているからです。そのことを、この人は知っていたと思われるのです。



この問いは、より正確に言い直しますと、「救われる者は少ないのでしょうか、それとも多いのでしょうか」というものです。



ただし、「救われる者」とはどういう意味か、という点につきましては、当時からすでにさまざまな解釈がありました。だからこそ、さまざまな答えの可能性も出てくるわけです。



今ここで、当時のユダヤ教における「救われる者」という言葉の意味として考えられていたものをすべて並べて説明することはできません。しかし、ここで最も考えられる意味は、この世界の終末において実現する“神の国”の中に入ることができ、“天上の祝福”を受けとることができる者、ということです。



イエスさまに対してこの問いを投げかけたこの人物の意図も、またそれに対してお答えになったイエスさまの意図も、この意味であったと考えることが許されるでしょう。



ですから、わたしが申し上げたいことは、わたしたちは、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」とは、すなわち、神の国に入ることができる人は少ないのでしょうかという意味であり、また、天上の祝福を受けとることができる人は少ないのでしょうか、という意味である、と理解してよい、ということです。



「イエスは一同に言われた。『狭い戸口から入るように努めなさい。』」



これがイエスさまのお答えです。ただし、「救われる者は少ないのでしょうか、それとも多いのでしょうか」という質問に対するストレートな答えとは言えないように思います。



ストレートな答えとは、「少ないです」か「多いです」かです。しかし、イエスさまは、そのようにはお答えになっていません。イエスさまのお答えは、全くストレートではありません。いくらか変化球が投げられている、と観ることが可能です。



まず注目していただきたいのは、ここでイエスさまは、われわれ人間が入るべき場所のことを「狭い戸口」と呼んでおられる、ということです。



ただし、これはルカによる福音書の場合です。似たような言葉が、新約聖書の中にもう一個所出てきます。それはマタイによる福音書7・13です。「狭い門から入りなさい」。



しかし、このマタイの「狭い門」とルカの「狭い戸口」とは異なる意味である、という解釈があるということを、このたび調べておりまして、知りました。



「門」と「戸口」は違う、ということは、考えてみると、なるほど、そのとおりです。マタイの意味での「門」は、エルサレムの町の周囲に建てられた壁についているものですので、その意味は“町への入り口”です。それに対してルカの意味の「戸口」は、明らかに“家の入り口”です。「町」と「家」とでは、規模が全く違います。イメージできる内容も全く違う、というべきです。



しかし、わたしは今ここで、イエスさまが実際におっしゃったことは「門」であるか、それとも「町」であるか、そのどちらが正しいかというような話をしたいわけではありません。わたし自身は、どちらでもありうるし、内容的には両方正しい、と考えております。



今ここで申し上げたいことは、わたしたちが学んでおりますルカによる福音書は、ここでイエスさまが語っておられることを通して、読者に対して何を伝えようとしているのか、という点です。



この点についておそらく考えられますことは、ここでルカが「狭い戸口」という言葉で“家の入り口”を指し示しているとき、その“家”とは、おそらく“教会”のことである、ということです。イエス・キリストを救い主と信じる仲間の集まりとしての“教会”のことです。



つまり、「狭い戸口」とは、すなわち“教会の入り口”のことである、ということです。そのように考えることが、最も自然です。



ただし、もちろん、「戸口」という言葉自体は象徴的な意味です。教会の建物の話をしているわけではありません。そうではなくて、教会の仲間に加わる、ということです。教会の礼拝に出席すること、また、教会の諸活動に参加することです。「狭い戸口から入る」というのは、そういう意味である、と考えることができます。



そして、もう一点、皆さまに、イエスさまの御言葉の中で注目していただきたいところがあります。それは「努めなさい」という点です。



これは表現としては明らかに「努力しなさい」とか「奮闘しなさい」という意味であり、また「献身しなさい」というほどまでの、きわめて強い意味が込められている言葉です。



ですから、この点からも、「狭い戸口」の意味が教会である、という主張を、支えることができると思います。



考えられることは次のことです。ここでイエスさまが語られているのは、“狭い戸口から入るように努力しなさい”ということであり、その意味は、あなたがたは、イエス・キリストを救い主と信じる教会の仲間に加わり、かつイエス・キリストを通して示された神の愛をこの地上に実現するために、努力し、奮闘し、献身しなさいということです。



ところが、です。とても気になる言葉が、続いています。



「『言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。』」



今わたしは、ここでルカが書いている、イエスさまが語られた御言の中の「狭い戸口」とは“教会”のことであると申し上げたばかりです。それは、“教会”という狭い戸口から入って、その中にとどまることがどうしても必要である、ということに他なりません。



そしてまた、このイエスさまの御言は、ある人物が投げかけてきた質問への答えである、という点も、見逃せません。質問の内容は「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」というものでした。イエスさまの御言は、これに対するストレートな答えではないかもしれません。しかし、それは質問への答えであるということも、確かに言いうることです。



そうであるならば、です。イエスさまの答えの中に少なくとも含まれていると思われることは、 ひとが“教会”というこの「狭い戸口」の中へと入る目的は、“救われるため”である、ということです。そのように理解していただけると思います。



しかも、もちろん、教会の中にただ“入った”というだけではなく、それだけで終わりではなく、そこに参加し、信仰をもって共に生きる仲間と出会い、常に神の御前にあって感謝と喜びの人生を送る、ということまで行き着くことが必要です。そのために努力し、奮闘し、献身することが必要なのです。



ところが、です。イエスさまは、その“狭い戸口”には「入ろうとしても入れない人が多い」ということを、よくご存じです。これはどういう意味なのか、ということをわたしたちは、よく考えてみる必要があると思います。



とくに、わたしがよく考えてみなければならないと感じるのは、これは、裁きの意味であろうか、それとも慰めの意味であろうか、という点です。



裁きの意味はないと語ることはできないと思われます。なぜなら、25節以下のたとえ話は、とても厳しい裁きの面を持っていることは否定できないと思われるからです。ただし、今日は25節以下については時間の関係で残念ながら詳しくお話しすることができません。



しかしまた、わたしは「入ろうとしても入れない人が多い」というイエスさまの御言に、慰めの意味を読みとることもできるのではないかとも、考えております。少なくとも文法的な観点からその意味での理解を妨げることは、できません。



ここから先は、ぶっちゃけた話になってしまうことを、お許しください。それは何かと申しますと、わたしたちがいくらか長い人生、またいくらか長い信仰生活を送ってきますと、“教会”というものに心底からうんざりさせられる瞬間に立ち会うことがある、ということは、紛れもない事実である、ということです。



分かりやすく言わせていただくならば、わたしたち教会に属している者たちのおそらくすべてが、一度ならず、まさにこの教会というものが、すっかり嫌になってしまった、ということを体験したことがある、ということです。



そんなことは一度もない、と言える人がいるでしょうか。一人もいないと言いきれるかどうかは分かりませんが。



その場合に、です。



「入ろうとしても入れない」というのは、そのように感じている人々の心の中には、主なる神に対する不信仰だとか、人生に対する不誠実だというような簡単で一面的な裁きの言葉だけでは決して片付けることのできない、むしろ、もっと深刻で、とても悩ましい、非常に複雑な要素が、そこに働いているかもしれないということを考えざるをえない、ということです。



日曜日の朝、教会に行かなくちゃと、頭と心では分かっている。しかし、体が動かない。起き上がることも、立ち上がることもできない。



あの牧師の長々とした説教を聞かされるのかと思うと、うんざりする、という人もいるでしょう。でも、それはまだ症状としては軽いほうです。それは、みんなが感じていることだからです。



症状として重いのは、やはり、あの人この人の問題です。人間関係です。人間に出会うこと、人の交わりに入ることは、それ自体とても疲れることです。忍耐と寛容が必要です。



人間は、必ずと言ってよいほどに、けんかするからです。競争もします。ねたんだり、足を引っ張り合ったりします。「あの人間関係に入ることが“救い”である」と言われるとぞっとする、という体験は、だれにでもあるのです。



しかし、それは、わたしたちにとっては、言うまでもなく、どう考えても健全なことではありません。きわめて不健全なことです。だからこそ、わたしたち自身が、真剣に考えなければならないことがあると思います。



それは、何よりも先に、「入ろうとしても入れない人」が多いという事実を、わたしたち自身が認める、ということです。



イエスさまの時代にも、そのような人々がたくさんいた、と考えることができそうです。なぜイエスさまが当時の律法学者や祭司長や長老たちをあれほどまでに激しい言葉で批判されたのかを考えてみると分かります。



それは、ユダヤ教の教会は悪くて、キリスト教の教会は正しい、という話ではありません。教会の中には人を躓かせる要素がある、ということは事実である、ということです。



しかし、それは放っておいてよいわけではなく、正されなければならない点です。わたしたち改革派教会の標語を持ち出すならば、「教会は、常に御言葉によって改革され続けなければならない」のです。



しかしまた、いわば同時に、わたしたちは、教会の中に入ること(礼拝に出席し、教会の諸活動に参加すること)が“救い”にとって必要不可欠である、ということをも認める、ということです。



どうすればよいのでしょうか。道は、おそらく一つしかないと思われます。



それは、「入ろうとしても入れない人」に教会を無理強いすることではありません。そのようなやり方では、ちっともうまく行かないでしょう。



そんなことではなく、わたしたちに求められていることは、「入ろうとしても入れない」人々のために、わたしたちみんなが祈り、配慮し、その人々を受けいれることです。



わたしたち改革派教会の者たちが「教会政治」というなんだかとっても厳めしい言葉を用いて語ろうとしている真の意図は、まさにこの点です。「入ろうとしても入れない人」への祈りと配慮です。



「教会政治」の真意は、裁きではなく、慰めであり、配慮であり、救いです。このことが十分に理解されていないところで行われる「教会政治」は凶器です。とくに“戒規”は、時と場合によっては本当に危険な凶器です。



わたしが願っていることは、多くの方々に教会に来ていただきたい、ということです。ただそれだけを願っております。



(2006年 1月 8日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年1月1日日曜日

われらの主、イエス・キリスト


ヨハネによる福音書1・14

「言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

今日は新年礼拝です。日曜学校と合同でこの礼拝をささげています。子どもたちが前のほうに座ってくれています。もっとも、松戸小金原教会の礼拝には、いつも子どもたちがたくさんいますので、座り方が違うだけで、メンバーはいつもと同じです。

しかし、この機会に心したいことは、わたしたちにとって大切なことは、やはり、自覚的かつ積極的に子どもたちを礼拝に招くことであるということです。小さい頃に神さまを深く知ることが大切です。人生がそれで変わると言っても、決して過言ではありません。

日曜学校の子どもたち、今日は、新年礼拝に来てくれて、ありがとうございます。日曜学校では、今「使徒信条」を学んでいます。今日もそれを勉強したいと思います。

まず、使徒信条(口語訳)を、みんなで読みましょう。

「わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして、全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。」

この使徒信条は、大昔からわたしたち、キリスト教の教会が大切にしてきた言葉です。

聖書の中にこのままの言葉が直接出てくるわけではありません。しかし、聖書に書かれていることを要するに短い言葉で言うと何か。あるいは、聖書の中に書いてある神さまとはどういうお方なのかということを要するに短く言うとどれくらいになるかというと、この使徒信条くらいにまとめることができる。そういうものとして、わたしたちキリスト教の教会が、昔から重んじてきたものです。

この中で今日とくに学びますのは「わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます」という部分です。

松戸小金原教会日曜学校の豆テキストに書いている言葉を読みましょう。

・ 「言」とは神の子、イエスさまのことです。
・ 神さまがわたしたちと同じような体をもった人間としてこの世界に来てくださったのです。
・ それはわたしたちの罪を救うためにどうしても必要な方法だったからなのです。

このとおりです。わたしたちが信じるイエス・キリストとはどういうお方なのかといいますと、要するに「言が肉となった」(ヨハネによる福音書1・14)というお方なのだ、ということです。

イエスさまは、“神人間”(かみにんげん)です。もともと神さまでした。神さまである方が、人間になってくださったのです。

でも、あまり変なものを想像しないでください。イエスさまは、わたしたちと全く同じ人間です。悲しければ涙も流されるし、疲れたらお休みになるお方です。

しかし、もちろん違いもあります。全く同じだったら、神の子とか救い主とは言えないと思います。このことを理解するためには、わたしたちのほうから考えていくと、よいでしょう。

みんなの学校の友達の中に「神さま」と呼ばれている人はいませんか。「あの人は○○の神さまだ」と。

いまは、テレビなどを見ていますと、毎日のように、必ずどこかに「○○の神さま」が出てくると言ってよいほどだと感じています。野球の神さま、テニスの神さま、エンタの神さまとか、漫画の神さまとか。

人間は“神さま”になりたがっている、ということです。また、だれかを“神さま”と呼びたがるのだ、ということです。

ところが、イエスさまは、この点では正反対であるというこの点が、決定的な違いなのです。わたしたち人間が神さまになりたがる、あるいは、だれかを神さまと呼びたがる。しかし、イエスさまというお方はもともと神さまだったのに、人間になりがってくださった方なのです。

イエスさまは、もともと神さまのお方なのですから、人間の世界に来る必要は、本当はなかったのです。神さまなのですから、立派なお家に住んでいてもいいし、温かい部屋にずっと居てもいいし、おいしいものをたくさん食べて何不自由ない生活をいつまでもしていても全然構わない、そういうお方なのです。

ところが、そういう神さまであられるお方が、人間になられたのです。わたしたちのこの世界に来てくださったのです。それがイエスさまのお姿なのです。

日曜学校の生徒たちにわたしがいつも期待していることは、やはり、これから一生懸命勉強して、いろんな力やわざや知識を身につけてほしい、ということです。そして、それを、世のため・人のために役立てることができるようになってほしい、ということです。

ただ単なる自己満足や贅沢のためだけではなく、むしろ、この世の中で困っている人々を助ける仕事をするために役立ててほしい、ということです。

イエスさまは神さまのお家に住んでいた方なのですから、それなのに人間の世界に来てくださったのですから、ご自分は損しておられるのです。本当は楽をすることができるのに、わざわざ損をしてくださって、みんなを助けてくださったのです。

ここから先は、大人の皆さんにも、ぜひ聞いておいていただきたいことです。

子どもたちは大人のことを見ているのだと思います。父親のこと、母親のこと、社会のこと、教会のことをものすごく冷静に見ているのだと思います。

そして、その姿を真似するのだと思います。大人たちが自分の利益とか自己満足とか、ただそれだけのために、あるいは自分の贅沢のためだけに生きているということであるならば、それを見て子どもも同じように真似するのだと思います。

でも、逆も然りであると申し上げておきたいと思います。わたしたちが自分はちょっとくらい損をしても、世のため・人のため、そして神さまのために身を粉にして働くことができるということであれば、そういう大人を子どもたちも見習うのだと思います。

今年一年間がどのようなものになるかは分かりません。しかし、わたしたちもぜひそういうふうにならせていただきたいのです。

「早く神さまになりたい」というのではありません。その逆です。

神の御子イエスさまが、人間になられたのです。

イエスさまは、神の御子であられるのに、わたしたちの世界に来てくださったのです。

わたしたちも、イエスさまのように、世のため・人のために働かせていただけるものになりたいと願います。

(2006年1月1日、松戸小金原教会主日礼拝)