2006年2月26日日曜日

「今週の説教メールマガジン 第100号感謝号」記念巻頭言

佐々木冬彦 (作曲家・ハープ奏者)



関口先生、メールマガジン100号おめでとうございます!



私は一介の音楽家に過ぎず、説教学だとか最先端の神学について、よく知りません。ですので、もしかしたら的外れなことを書いてしまうかもしれませんが、そのようなところがありましたらどうかお許しください。



正確な数は数えてはいませんが、私はこの15年程の間に、約500くらいの教会(もちろんさまざまな教派)から招かれて、ハープの演奏をして来ました。そして、おそらく300人くらいの牧師の礼拝説教を聴いて来ました。これは、普通(?)のクリスチャンではちょっと経験できないことではないでしょうか。説教演習などではなく、いずれも、第一線の牧会現場で奮闘している牧師たちの、真剣勝負の礼拝説教です。ですから、おこがましいことを書かせていただくとしたら、私は説教に関してはけっこう耳が肥えているのではないかと思っています。(こう書くとやはりおこがましいですね・・・。)



だからと言って、私はこの場で「今まで出会った牧師の中で、関口康は説教者ベスト何番!」などと順位をつけるつもりはありませんし、そのようなことはするべきではないと考えています。それでも、是非ここで書かせていただきたいことは、「関口先生の説教はとても良いです!」ということです。ついでにこの場をお借りして、「関口先生は根っからの牧会者・説教者です!」ということも皆さんにお伝えしておきたいです。



私が演奏奉仕先の教会で、そこの牧師さんから「佐々木さんの教会の牧師は何と言う先生ですか」と尋ねられて、「関口康先生です」と答えますと、婉曲的にですが「関口康と言うのは○○研究会などをやっている、書斎にこもった神学オタク牧師じゃないですか」というような反応をしばしば感じることがあります。それほどまで関口先生の神学研究活動が認知されていると言うことは喜ばしいのですが、「ちょっと誤解されているな」と残念に思います。



関口先生は書斎にこもりきりの牧師ではありません。私を含め、教会員の相談に親身に乗ってくださり、またわれわれのために文字通り東奔西走しておられます。私から見ますと、もう少し書斎にこもらせて、じっくりと執筆活動をさせてあげたいな、と感じるほどです。



関口先生は確かに神学に大変造詣の深い先生です。でも関口先生の説教をお聴きいただけばわかると思うのですが、関口先生が日夜研鑚している神学は、論文を書くための神学でもなければ、神学オタクのためのスコラ的神学でもありません。むしろ、自分の羊の魂を守り、励まし、養い、生かす、そんな説教と牧会をするための神学だと思います。



少なくとも私は、関口先生の説教によって何度か危機を乗り越えてきました。迷っているときには強く背中を押されたこともありました。決して大げさでなく、「ボクの人生を変えた説教」と言える説教もありました。



今、松戸小金原教会の朝の礼拝ではルカによる福音書からの説教が続いています。正直言って、自分ひとりで福音書を読んでいても、イエスさまの言葉の意味や意図がよくわからなかったり、奥が深すぎてどのように受け留めたらよいのか途方に暮れてしまうところが多々あります。しかし、関口先生の言葉でイエスさまの言葉を解説していただくと、とても「腑に落ちる」のです。



どちらかというと、関口先生は説教でそれほど明確に「適用」を語りません。しかしその分私は、いかにそのみことばを自分の人生に適用したら良いか、魂のインスピレーションがかき立てられます。どのように生きたらよいか教えられ、進むべき方向が示され、また疲れているときには慰められます。ときに厳しい言葉もありますが、それでも関口先生の説教は「裁き、怖れさせる説教」ではなく、いつも「励まし、生かす説教」です。



現在インターネットで上では、関口先生の礼拝説教を音声でも聴くことができます。私は個人的には、メルマガで原稿を読むよりは、実況録音した音声で聴く方がずっと良いと感じています。(原稿の方は公開する前に手が入れられ、練り上げられているのでしょうが。)



でも、いくらパソコンで説教が読めたり聴けたりしても、私はより多くの方に是非、松戸小金原教会の礼拝で、「ナマ」で関口先生の説教を聴いていただきたいと願っています。音楽も説教もナマが一番です。



関口先生、今後ともよろしくお願い致します。



(日本キリスト改革派松戸小金原教会会員)