ルカによる福音書13・31~35
「ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。『ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。』」
「ちょうどそのとき」は、文字どおりに理解すべき言葉です。10・21や13・1に同様の表現が出てきます。
これは、先週の個所の冒頭に記されている「イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた」というところを直接受けています。つまり、これは、イエスさまが町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた、ちょうどそのとき、という意味である、ということです。
ちょうどそのときに、です。ファリサイ派の人々が何人か、イエスさまに近寄って来て、「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています」と言ったのです。
「ヘロデ」とは、当時のユダヤの国の領主、ヘロデ・アンティパスのことです。国王と言いたいところですが、当時のユダヤの国はローマ帝国の支配下に置かれた属国でしたので、ヘロデに与えられていたユダヤの国を治める権力は、絶対的なものではなく、相対的なものにとどまっていました。
そのヘロデがイエスさまの命を狙っていたというわけです。そのことをファリサイ派の人々が、イエスさまに直接伝えてきたのです。
しかし、ちょっと気になることがあります。それは、ファリサイ派は、これまでも、これからも、イエスさまの前に現れるときには常に“敵”として現れてくる相手である、という点です。しかし、ここでファリサイ派の人々は、イエスさまに対して、親切なことを言っているように読めなくもありません。「あなたは、ヘロデの魔の手から逃げなさい」と勧めているのですから。
しかし、ここはそれほど単純な話でもなさそうです。これは全くの八百長試合であると考える人々がいます。二つの可能性があります。第一は、彼らはヘロデと共謀しているという説です。第二は、彼らが「ヘロデがあなたを殺そうとしている」といううわさを捏造したという説です。共謀説と捏造説です。
ヘロデとファリサイ派に共通している点は、イエスさまの存在が、とにかく邪魔である、ということです。
ヘロデは、とにかく権力者であったわけです。たとえ人を殺してでも自分の支配権力を守りたいほうの人でした。イエスさまがユダヤの国の中でいろんなわざを行い、多くの人々から人気を集めているということをうわさに聞いて、そのような存在は、一刻も早く殺さなければならないと考えたというのは、いかにもありそうな話です。
ファリサイ派も、この点では同じような状況にありました。とくにイエスさまはまさに“ちょうどこのとき”エルサレムに向かって進んでおられました。イエスさまの旅の目的地は、エルサレムであり、その中心にあるエルサレム神殿です。イエスさまがエルサレムに近づいてこられること、エルサレム神殿に乗り込んでこられることを最も嫌がったのが、ファリサイ派であると言ってよいでしょう。あるいは律法学者、祭司長といった人々です。
なぜ嫌がったかと言いますと、イエスさまがこの人々のことを強く激しい言葉で批判されたからです。
エルサレムから遠い場所、たとえばガリラヤ地方などでどんな騒ぎが起ころうと、無視できる。しかし、自分たちのお膝もとで騒ぎを起こされるのは困る、と考えたのではないでしょうか。
だから、ファリサイ派の人々は、なんとかしてイエスさまをエルサレムに近づかせないようにするために、ヘロデの名前を持ち出したのである、というのが捏造説です。あるいはまた、事実としてヘロデがそのように言っていたので、そのことを伝えてなんとかして、イエスさまに、別の道を行かせようとしたのだ、というのが共謀説です。
わたしは、捏造説か共謀説が正しい。親切説は違うだろうと、考えております。
「イエスは言われた。『行って、あの狐に、「今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える」とわたしが言ったと伝えなさい。』」
イエスさまは、彼らの勧めを、事実上きっぱりとお断りになっています。
新共同訳聖書を読むだけでは分からない点ですが、ここでイエスさまがお語りになっている「行って」と、ファリサイ派の人々がイエスさまに言った「立ち去ってください」とは、同じ言葉が使われています。
つまり、ここでイエスさまが採っておられる態度は、「あなたのお言葉をそのままお返しいたします」というやり方です。立ち去らなければならないのは、わたしのほうではなく、あなたがたのほうですよ、と。
これは、間違いなく、けんかの方法です。とてもピリピリした、緊張感の漂う言葉のやりとりです。
イエスさまは、ヘロデを「あの狐」と呼んでおられます。おそらく、ずるがしこい奴、というほどの意味でしょう。しかし、わたしが感じるのは、イエスさまはファリサイ派の人々にも、あなたがたも狐の仲間である、と言っておられるような気がする、ということです。
最大限に譲歩するならば、ファリサイ派の人々が親切な気持ちで言ったのだと考えることが絶対的に間違いであるとは言い切れません。しかし、イエスさまのお答えで明らかなことは、イエスさまご自身は彼らの言葉が親切心から出ているものだというふうには全く考えておられない、ということです。
イエスさまがヘロデに伝えようとされた言葉は、「今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える」というものでした。意味深長です。また、理解するのが難しい言葉でもあります。とくに気になるのは、「三日目にすべてを終える」という点でしょう。これは、何を意味するのでしょうか。
言語学的に見ると、ここに出てくる「三日目に」という言葉の一般的な意味は、「とくに定まっていないが、あまり長すぎない期間」とか「まもなく」とか「すぐに」というほどのことなのだそうです。
しかし、イエスさまがおっしゃる「三日目に」には、明らかに別の特別な意味があると見るべきです。ここで思い起こすべきことは、やはり、イエスさまが十字架にかけられた後、三日目に死人の中からよみがえられたという、あの復活の出来事です。
といいますのは、「三日目にすべてを終える」と語られている中の「すべてを終える」とは、ここでは「目標(ゴール)に到達する」という意味で語られているからです。「三日目にゴールインする」です。
イエス・キリストがこの地上に来てくださった目的ないし目標は、この地上に神の国を打ち立てることです。そして、そのために、イエスさまを信じて生きる人々が、イエス・キリストの十字架上の贖いのみわざによって、神の御前に義とされ、正しく生きることができるようにつくりかえられる。悪霊が追い出され、病気がいやされ、その人々の人生において真の喜びと慰めが与えられる、そのような世界をおつくりになることです。
それが、イエスさまの、いわばゴールです。「三日目」とは、イエスさまが死人の中からよみがえってくださる日です。
しかし、イエスさまのゴールは、十字架ではなく、復活でもなく、ひとが救われることです。イエスさまは、ひとを救ってくださるために、何でもしてくださるのです。それが、イエスさまの地上の生涯の目標です。
とにかく、そこまでわたしは行くのだ。「今日も明日も」行くのだと、イエスさまは、宣言されているのです。
「『だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。』」
繰り返し思い起こしたいことは、このときのイエスさまは、エルサレムに行かれる旅の途中であった、ということです。その旅の途中、ファリサイ派が現れて、「立ち去りなさい」などと、いずれにせよイエスさまにとっては余計な要らぬお節介を言って、事実上行く手を阻もうとした、ということです。
それに対して、です。イエスさまは、いや、わたしは、「今日も明日も、その次の日も」自分の道を進んで行かなければならないのだと、言われているわけです。
エルサレムに行くこと。エルサレムで死ぬこと。そして、エルサレムでよみがえること。これこそがわたしの旅の目標であると、イエスさまは語っておられるのです。
なぜイエスさまは、ここまで覚悟しておられるのか、その意味は何なのかと、思わされます。しかし、それは、はっきりしています。
イエスさまは、エルサレムで、何かをおっしゃりたいのです。エルサレム神殿の住人に向かって、そこにいる当時の宗教的・政治的・精神的指導者たちに向かって、厳しい批判の言葉をお語りになる決心をしておられるのです。
イエスさまが、そのような重大な決意をされてまで、エルサレム神殿の住人たちを批判しようとしておられるのは、何のためか。その目的も、はっきりしています。
それは、ただひたすら、彼らに対し、真の信仰と真の悔い改めを求めることです。それ以外の目的はない、というべきです。
エルサレム神殿は、当時のユダヤ教の総本山であり、また、彼らの神学校(律法学校)でもありました。そこを厳しく批判することがどのような意味を持っているかという点は、おそらくすぐに理解していただけるでしょう。
わたしたちの神戸改革派神学校は、たいへん健全に運営されていると思っております。わたし自身の中に、今の神学校を批判する意図はありません。
しかし、ここでわたしは、一般論として考えておくべきことがあると感じています。
それは要するに、神学校には、本当に厳しい批判を常に受けなければならないほどに、責任がある、ということです。
神学校は、教団・教派の思想的・信仰的中核をなす存在です。その神学校がおかしなことを言い出したり、聖書や教理の理解において間違いを犯すとか、道徳的に乱れるなど。
そういうことが起こるときには、その教団・教派全体がおかしくなっていき、多くの信仰者が道に迷い、苦しむことになるのだ、ということです。
彼らが狂うと、全体が狂います。神の民すべてが、道を誤るのです。
エルサレム批判・神殿批判の本質は、そのあたりにある、と考えることができるのです。
「『エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、「主の名によって来られる方に、祝福があるように」と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。』」
イエスさまは、エルサレムの罪を嘆かれています。ここでイエスさまは、はっきりと、エルサレムが預言者たちを殺した、と語っておられます。
イエスさまも、そうなのです。イエスさまは、ヘロデに殺されるわけではありません。ポンティオ・ピラトでもありません。エルサレムに殺されるのです。
エルサレムは、多くの人々にとって、あの三蔵法師と孫悟空たちがそこに行けばどんな夢もかなうと信じて行こうとした天竺(てんじく)のような場所、理想郷、ユートピアのような場所に見えていたに違いないのです。
しかし、イエスさまの目からご覧になると、実態は違っていました。そもそも、地上にユートピアなどは、存在しません。そこにいる人が罪の影響を少しも受けていない、と言いうる場所は、地上のどこにも存在しないのです。その事情は、エルサレムも同じです。
だからこそ、エルサレムも罪から救われなければなりませんでした。
だからこそ、イエスさまは、エルサレムで死ななければならなかったのです。
(2005年1月15日、松戸小金原教会主日礼拝)