2005年8月7日日曜日

善いサマリア人

ルカによる福音書10・25~37


今日の個所に記されているのは、イエス・キリスト御自身が語られた、有名なたとえ話の一つです。


イエスさまは、このたとえ話を通して、わたしたちに、何を教えようとしておられるのでしょうか。そのことを考えながら読んで行きたいと思います。


ルカは、まず、イエスさまがこのたとえ話を語られた状況はどのようなものであったかを明らかにすることから始めています。


「すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。『先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。』」


「ある律法の専門家」とは、いわゆる律法学者のことです。聖書のみことばを研究する、ユダヤ教の神学者のことです。


その人がイエスさまに、試験問題を出しました。「試す」とは、試験することです。その問題は、永遠の命を受け継ぐ方法は何か、というものでした。


ところが、です。イエスさまは彼の質問にお答えにならず、逆にイエスさまのほうから質問し返されました。質問するのは、あなたではなく、わたしであると、言われたいかのようです。


「イエスが、『律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか』と言われると、彼は『「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」とあります。』イエスは言われた。『正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。』しかし、彼は自分を正当化しようとして、『では、わたしの隣人とはだれですか』と言った。」


なぜ、彼は「自分を正当化」しなければならなかったのでしょうか。この点をどう理解するかが、今日のポイントです。


それは、次のように説明できると思われます。


この律法学者がイエスさまの問いかけに応じて引き合いに出した二つの戒めは、聖書にはそう書いてある、と言っているだけです。


しかし、この二つの戒め自体は、彼自身にとっては、永遠の命を受け継ぐ方法ではなかったのです。


そうではなくて、むしろ、彼自身の答えは、この二つの戒めのうちの一つ、すなわち、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という戒めのほうだけを選ぶことだったのです。


「神を愛しなさい」という戒めは、言うならば、宗教的熱心が問われることです。これに対して、「隣人を愛しなさい」という戒めは、一種の博愛主義が問われることです。


律法学者は、この二つの戒めは必ずしも両立するものではない、と考えていたのです。答えは、どちらか一つなのだと。


そして、彼自身は、律法の専門家、宗教の専門家、ユダヤ教の神学者として、「神を愛しなさい」という戒めこそが、永遠の命を受け継ぐ方法である、という答えを持っていたのです。これは、ある意味で、当然のことと言えるでしょう。


ところが、です。イエスさまの答えは、この律法学者自身が期待したものとは、大きく異なっていたのです。だからこそ、彼は「自分を正当化」しなくてはならなくなりました。


イエスさまの答えは、「あなたの隣人を愛しなさい」という戒めのほうも、守らなくてはならない、ということであった。それで、律法学者は困ってしまったのです。


「神を愛すること」と「隣人を愛すること」、すなわち、宗教的熱心と博愛主義とは必ずしも両立するものではないと、この律法学者が考えていたに違いない、という点につきましては、さらに説明が必要でしょう。


しかし、その説明は、このたとえ話をご説明させていただく中で、することができると思いますので、今は触れないでおきます。


「イエスはお答えになった。『ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。』」


このたとえ話の中に出てくる「ある人」が置かれていた状況は、「エルサレムからエリコへ下って行く途中」でした。


この人がエルサレムで何をしていたのかということについては、何も語られていません。ただ一つ、思い当たることは、やはり、エルサレムには神殿があり、そこで行われていた礼拝に出席していた人ではないか、ということです。


そして、その後、当然、自分の家に帰ろうとしていた。ところが、その帰り道で、追いはぎに遭ってしまった、ということではないか、ということです。


彼は、半殺しの目にあい、自分の力では動くことができない状態で、道端に放置されてしまいました。


ところが、です。そこで登場するのが「ある祭司」です。宗教の専門家です。その祭司が、彼を見つけましたが、道の向こう側を通って行ってしまったのです。


この祭司についても、「その道を下って来た」とあります。つまり、それは、エルサレムからエリコに向かう下り道です。これで分かることは、この祭司も、たしかにエルサレムにいた、ということです。


この祭司も、エルサレム神殿で行われていた礼拝に参加していたのではないでしょうか。ただし、祭司の場合は、礼拝を司る側として、聖職者として、宗教の専門家として、です。


そのような人が、なぜ、目の前にいる、半殺しにされて、道端に放置されている人を、見殺しにしたのでしょうか。「道の向こう側」を通って行ったのでしょうか。


彼の気持ちを見抜くためのヒントは、やはり、この祭司が「エルサレムからの下り道」を歩いていた、という点にあると思われます。


祭司の仕事は、神殿での奉仕です。宗教の仕事です。彼は、自分のなすべき仕事は十分果たした、と感じていた。心も、体も、ぐったりと疲れていたのではないでしょうか。


そういうときに、です。この祭司は、自分にはもはや、通りがかりに出会った、たしかに困っているようだが、全く見知らぬ赤の他人を、助け起こすことができるだけの、気力も体力も残っていない、と感じたのではないでしょうか。


だから、道の向こう側を通って行った。つまり、ここでイエスさまが問題にされていることは、宗教の専門家である祭司が行うべき仕事の“質”というよりも、むしろ“量”であると思われます。


たとえ祭司であっても、です。一人の生身の人間であり、彼のこなしうる仕事の量には、限界がある。だからこそ、彼は、自分の限界を越えたわざを避けて通ろうとした。それで、半殺しの目にあっている人を、見殺しにしてしまったのではないでしょうか。


祭司の次に通りかかった「レビ人」も、道の向こう側を通って行ってしまいました。


レビ人の仕事は、神殿において祭司の仕事を助けることです。ですから、彼らについても、祭司と同じことを考えることができると思われます。


レビ人たちも、自分の仕事に疲れていたのではないでしょうか。だから、通りがかりに出会った、困っている人を助けるだけの、気力も体力も残っていなかった。


これは、わたしたちにとって、とてもよく分かる話であると思います。


ここでこそ、先ほど触れました問題を思い起こしていただくのがふさわしいと思います。


それは、イエスさまに試験問題を出した律法の専門家が、「神を愛しなさい」という戒めと「隣人を愛しなさい」という戒めの二つを引き合いに出した。しかし、最も大事な戒めはどちらか一つであって、両方ではない、と考えていたのではないか、という問題です。


彼が「自分を正当化」しようとしたことの理由を、イエスさまは、はっきりと見抜いておられたに違いありません。


今、あなたが考えていることは、まさに、今、わたしが語っているたとえ話に出てくるこの祭司やレビ人と同じではないか、ということです。


宗教の専門家たちは、「神を愛すること」、すなわち、宗教の事柄が大切であると考える。そのことは、もちろん、そのとおりである。


しかし、だからと言って、そのあなたがたが「隣人を愛すること」を軽んじてよいかというと、そんなことはありえない。


気力や体力の限界など、言い訳にならない。


そのことを、イエスさまは、教えておられるのです。


「『ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。』律法の専門家は言った。『その人を助けた人です。』そこで、イエスは言われた。『行って、あなたも同じようにしなさい。』」


「サマリア人」とは、当時のユダヤ人たちが忌み嫌っていた民族の名前です。ですから、イエスさまの意図は、「たとえサマリア人であっても」ということです。


あなたがたが最も嫌っているサマリア人であっても、もしこういうふうに、通りがかりに出会った、困っている人を助けることができる人がいるならば、です。


道の向こう側を通って行こうとするあなたがたよりも、はるかに優れているではないか。そのように、イエスさまは、おっしゃりたいのです。


実際、たとえば、このたとえ話は、わたし自身にとっても、たいへん耳が痛い、いえ、耳だけではなく、頭も、お腹も、痛くなるような話です。


毎週日曜日の夜、わたしは、いくらか不機嫌な顔をしています。そのことを、わたしの家族は、よく知っております。はた迷惑で申し訳ないと思いながらも、家族の前で不機嫌な顔をしているわたしがいます。


気力と体力の限界を痛感させられます。


日曜日は、牧師が最も不機嫌でありうる日でもあるのです。


しかし、だからといって、その牧師が、たとえ日曜日の夜であっても、です。


家族や友人たち、また助けを求めてくる人々のことを拒んでもよい、と言いうる理由は、ありません。


もちろん、これは、牧師だけの話ではないでしょう。


皆さんの中にも教会と仕事、また教会と家庭の両立、というような問題に悩んでいる方々がおられるはずです。実際、教会が皆さんの家庭にたいへんなご負担をおかけしているのではないかと、心苦しく思うことが、しばしばあります。


しかし、です。わたしたちは、「神を愛すること」と「隣人を愛すること」とを両立させなければなりません。そのように、イエスさまが命じておられるからです。


そうなると、わたしたちには、他の人々よりも、二倍の気力、二倍の体力、二倍の時間が必要である、という話になるかもしれません。


眠るひまもない。休むひまもない。真面目に考えると、死んでしまいそうだ、とお感じになる方もおられるでしょう。


しかし、ここでぜひ、みなさまに御理解いただきたいことがあります。それは、イエスさまのこのたとえ話は、明らかに、ここに出てくる律法学者への反論として語られているものである、ということです。


文脈から切り離して、このたとえ話を読んではならない、ということです。


律法学者が自分を正当化するために「神を愛すること」は「隣人を愛すること」よりも重要である、と語ったのと同じように、偏った考え方をする人々を戒めるために、このたとえ話は、語られているのです。


「神は大好きだが、人間は嫌いである」とか「教会の奉仕には誠実で熱心だが、家庭や社会では、ぶっきらぼうである」というようなことでは、やはり、困るのです。


神学者は神学だけやっておればよい、ということはありません。牧師は聖書の勉強だけをし、説教だけをしておればよい、というわけには行かないのです。


わたしたちは、神と人間の両方を、同時に、等しい重さをもって、重んじなければならないのです。


そして、両方を重んじることは、わたしたちにとって可能なことです。イエスさまは、次のように言われていました。


「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れるものは、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」(ルカ9・48)。


「この子供」も、隣人の一人です。「この子供を受け入れる」とは隣人を愛することです。イエス・キリストの名のために隣人を愛することは、イエス・キリストを愛することであり、イエス・キリストの父なる神を愛することです。


この点から言えば、「隣人を愛すること」こそが「神を愛すること」である、ということになります。


今、目の前にいる、今、助けを求めている人を、今、助けること。


そのことを、神は喜んでくださる。よきサマリア人がしていることは、それである。


わたしたちも、このサマリア人のように、隣人を愛さなければならない。


そのことを、イエスさまは、教えておられるのです。


(2005年8月7日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年8月1日月曜日

いつも喜んでいなさい

テサロニケの信徒への手紙一5・16~22

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスに置いて、神があなたがたに望んでおられることです。霊の火を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。」

今日わたしたちは、Hさんの前夜式を執り行うために、ここに集まっております。

ご本人とおくさまの御意向で、ここには、ごく親しいご友人がたと、松戸小金原教会の者たちだけがおります。それでも、このように盛大な葬送の儀となりました。ご参列くださいました皆さまに、心より感謝申し上げます。

林さんの在りし日をしのびつつ、静かなひとときを過ごしたいと思います。

先ほどお読みしましたテサロニケの信徒への手紙一5・16~22は、今から約二千年前に活躍した、いにしえのキリスト教伝道者、使徒パウロが書き残した言葉です。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」。

このみことばは、たいへん有名です。教会生活が長い方ならば、どなたでもよく知っていますし、わたしの愛唱聖句であると決めておられ、記憶しておられる方も多いものです。

しかしまた、このみことばは、たしかにそういうものではありますけれども、つまり、とても有名で、また多くの人々によく知られており、記憶されている、そういう御言葉ではありますけれども、そのことと同時に、次のような面を持っている御言葉でもあります。

それはどういう面かといいますと、このみことばは、わたしたちにとっては、厳しいと感じられ、またつらいと感じられるものでもある、という面です。

その理由は、はっきりしていると思います。

わたしたちは、「いつも喜んで」などいないからです。

「絶えず祈って」などいないからです。

「どんなことにも感謝」などしていないからです。

そのため、このみことばは、そのようなわたしたちの欠点や短所をズバリと指摘する、そのような、厳しくて、つらい言葉でもある、ということです。

わたしたちの現実は、まさに正反対ではないでしょうか。

「いつも怒っている」

「しょっちゅう祈りを忘れる」

「年がら年中、不平不満をつぶやいている」

この事情は、クリスチャンである者たちであっても、それほど変わりはしません。大差はないと思います。

それでも、です。クリスチャンである者たち、すなわち、キリスト教信仰というものを受け入れて生きている者たちは、この件に関して少しくらいはマシなところもあるかな、と思えるところもある、と言いうる点を、ひとつだけ申し上げさせていただきます。

それはどの点かといいますと、クリスチャンは、まさにこの「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」という聖書の御言葉といつも向き合いながら生きている、という点です。この御言葉を思い出すたびに、「あ、いけない」と反省し、喜ぶ努力をはじめようとするのが、クリスチャンです。

実際、わたしたちは、聖書のみことばに接するたびに、自分の顔やかたちが、今、どのようなものであるか、ということに、ハッと気づかされます。

気づいたほうがよいと思います。なぜなら、だれだって、友達がほしいでしょう。また夫や妻、親や子供や兄弟がいる人は、できるものなら、そういう人々と仲良くしていたいと思うでしょう。だれだって、ひとりで居ることは、さびしいものです。

そういうときに、です。あの人はいつも怒っているし、喜びも感謝もない。神に対しても人に対しても、不平や不満をつぶやいている。そういう人には近づきたくないと、だれでも感じるはずです。自分自身のこととして考えてみれば、分かっていただけるはずです。

ですから、やはり、わたしたちが、自分の顔やかたちが、今どのようなものであるかに気づくことは非常に大切なことです。そのときクリスチャンである者は、聖書のみことばに接するたびに、自分の姿に気づかされるのです。

今日は、Hさんの在りし日をしのぶために、わたしたちは、集まっています。

わたしと林さんとのお付き合いは、決して長いとはいえない、全くそうではない、ごく短いものでした。しかし、林さんがどう思われたかは分かりませんが、わたしは、本当に素晴らしい、深いお付き合いをさせていただいたと感じております。感謝しております。

今年の6月19日(日)には、入院されていた国立がんセンター東病院の一室で、Hさんの洗礼式を執行することができました。もちろん、Hさんご本人の願い出によります。幼い頃には教会に通っていたのだ、と言われました。しかし、戦争のどさくさの中で、洗礼を受けるきっかけを失ってしまった。だから今、洗礼を受けたいのだ、と。

Hさんが洗礼を受けたいという願いを持っておられる、というお話を、わたしは最初、この教会の中では最も親しい関係にある長谷川和子さんを通して、伺いました。

そこでわたしは、林さんの気持ちを確かめるために、Hさんの病室に参りましたところ、最初じっと黙っておられ、それから少し頭を下げ、ひょいっと、頭を前に出されました。そして「お願いします」と言われました。両眼を失明されている林さんは、そのときすぐに洗礼式が始まると思われたようです。

「いや、そうではなくて・・・」と、そこから少し説明をさせていただきました。洗礼を受けるには、少しの準備が必要である。本来ならば、きちんと教会に通っていただいて勉強会を開くことになっております、と申し上げました。「それは、そうですね」とすぐに理解し、納得してくださいました。しかし、林さんの場合には、特別に、ごく短い期間で準備させていただきました。

そして、先ほど申し上げましたように、6月19日(日)に洗礼式を行いました。Hさんがクリスチャンになられました。わたしもうれしかったです。感謝しました。感動しました。

Hさんはとても明るい方でした。洗礼を受けられる前のHさんのことを存じ上げませんので、比較して申し上げるわけではありません。しかし、洗礼を受けられ、クリスチャンになられたことを、林さんは、とても喜んでくださっていたと、信じております。

病院では、いろんなお話をさせていただきました。話題が豊富でした。プロ野球の話、お好きだった旅行や山登りの話、政治や経済の話など、いろいろでした。

またHさんは、とても優しい方でした。いつも、いろいろと配慮してくださるのです。先週の土曜日、いちばん最後にお話しくださったことは、「この部屋の温度は何度ですか」ということと、「牧師さんは夏休みにどこに行かれますか」ということでした。

緩和ケア病棟におられましたので、痛みはないのです。痛みがないということが、これほどまでに人の心を落ち着かせ、平安にするのかと思わされました。わたしも、もし自分が同じ病気にかかったら、この緩和ケアというのをしてもらいたいと、本当に思いました。

ベッドの上ですが、起き上がって、自由に何でも食べることができますし、話すことができます。トイレに行ったり、顔を洗ったりすることも、直前まで御自分でしておられました。

しかし恐ろしい面もある、と言わなくてはなりません。それは、ただひとつ、終わりが突然訪れる、ということです。この点は、緩和ケアというものの運命であると思います。

先週の木曜日、ということは、まだたったの四日前です。とてもお元気だったそうです。ところが、その翌日から突然、がくっと力が抜けた感じになられました。

土曜日の午後、病室に伺いました。わたしたちの質問に「イエス」ならば首を縦にふられ、「ノー」ならば右手を横にふられました。帰り際に「そろそろ帰ります」と言いましたら、手を伸ばして握手を求められましたので、させていただきましたところ、まだ力がありました。最後の力だったようです。

Hさんの笑顔が、忘れられません。わたしたちは今、Hさんの生涯が祝福に満ちたものであったことを喜び、感謝しつつ祈るべきです。そう言うと、Hさんには「いや、わたしも、いろいろと苦労しましたよ」と言われると思いますが。

もちろん、そうなのです。

祝福に満ちた人生には、苦労があるのです!

すべてを忍び、すべてを受け入れ、すべてを感謝し、すべてを喜ぶことができる人は、かならずや、いろんな苦労を体験しておられるのです。

一人の立派な人生の先輩を天に見送ることができた幸いを、感謝したいと思います。

(2005年8月1日、葬儀説教、於 松戸小金原教会)


2005年7月31日日曜日

贖いの契約

ルカによる福音書10・17~24


今日の個所には、とても印象的な言葉が、繰り返し出てきます。それは「喜び」です。


「七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。『主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。』」


彼らは「喜んで」帰って来ました。喜んでいる理由は明白です。もちろん、彼らの使命を果たすことができたからです。


彼らは、イエス・キリストのお名前を使うことによって、人々の心の中から悪霊を追い出すことができたのです。


「イエスは言われた。『わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。』


彼らの喜びの報告をお聞きになったイエスさまも、彼らと一緒に喜んでくださっているようです。


「イエスさまが、喜んでくださった」というように、はっきりと書かれてはいません。しかし、彼らの報告内容を、肯定的に評価してくださっていることは、明らかです。


「サタンが稲妻のように天から落ちる」とか「蛇やさそりを踏みつける」などの言葉は、ユダヤ教の伝統に由来する表現であると言われています。


しかし、イエスさまは、明らかに、これらの表現を、象徴的な意味で用いておられます。これらすべての表現は、彼らが人の心の中から悪霊を追い出すことができた、という一点を表わしています。


人の心の中から悪霊を追い出すこと、そして、いわばその代わりに聖霊を注ぎこむこと。そのために、まだ洗礼を受けていない人々に、洗礼を授けること。それこそが、まさに、イエスさまによって遣わされた弟子たちに委託された、重要な使命なのです。


ところが、イエスさまのお答えには、続きがあります。


「『しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。』」


ここでイエスさまが問題にしておられることは、弟子たちが喜んでいる理由は何か、という点です。


七十二人の弟子たちは、「悪霊さえもわたしたちに屈服します」という点を喜びました。ところが、イエスさまは、そのことを喜んではならない、と言われています。喜びどころが違う、というわけです。


なぜ彼らは、この点を喜んではならないのでしょうか。その理由は記されていません。


しかし、これは、わたしたちにとって分かりにくい話でも、身に覚えのない話でもありません。むしろ、よく分かる話であり、身に覚えのある話です。


悪霊がイエスさまの弟子たちに屈服したのは、彼らがイエスさまのお名前を使ったからです。彼ら自身の名前によるのではなく、また、彼ら自身の力によるのでもありません。


「悪霊がわたしたちに屈服する」ということを喜ぶ人々が陥りやすい罠は、そのことをなしえたのは、自分自身の力であると、いつのまにか、思い込んでしまうことでしょう。


教会の中でこの種の罠に最も陥りやすいのは、牧師たちであると思います。


教会の成長を自分の業績のように考えてしまう。いつのまにか、神の栄光ではなく、自分自身の栄光を表わすために、わざをなす。


そのようなことは間違いであると、イエスさまは、注意しておられるのです。


「『むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。』」


あなたがたの喜ぶべきことは「あなたがたの名が天に書き記されていること」であると、イエスさまは、語られています。


このわたしの名前が天に書き記されているとは、このわたし自身が天国の住人であることの証拠としての名簿に名前を書き記されている、ということです。


そのことをこそ喜びなさい、と言われているわけです。


これで分かることが、少なくとも二つあります。


第一点は、イエスさまの弟子たちは、いわば誰よりも先に、自分自身がまず天国の住人であるという自覚と喜びに満たされていなければならない、ということです。


「わたしは天国に迎え入れられるかどうか分かりません。でも、どうぞ、あなたは天国に行ってください」というような伝道の言葉は成り立ちません。それは奇妙な言葉です。


「わたしは、たしかに救われています。だから、どうか、あなたも救われてください」と語るべきです。そのことを、すなわち、このわたしが救われているということを、伝道者たちは、だれよりも先に、喜びをもって語るべきです。伝道には、この喜びが必要なのです。


第二点は、先ほど触れたことです。イエス・キリストの御名を宣べ伝えることが命ぜられている者たちは、自分の力で、人を天国に連れて行くのではない、ということです。


自分の名前を自分の手で天の名簿に書くことができる人は、誰もいません。伝道者たちもまた、自分の力ではなく、神御自身の力、また救い主の力によって、天国の名簿に名を記していただいた者である、という自覚と喜びを持たなくてはならないのです。


「そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした』」。


ここでもまた「喜び」という言葉が出てきます。イエス・キリスト御自身の喜びです。


この喜びは、弟子たちの喜びとは明らかに異なるものです。まさに、喜びどころが違うものです。


弟子たちには、はっきり言って、勘違いがありました。悪霊がわたしたちに屈服した。わたしたち自身が、悪霊に打ち勝った。もしそう思っているならば、それは誤解であると、イエスさまは、厳しく注意されました。


イエスさまの喜びは、御自分の力を誇るものではありませんでした。


神の御子イエス・キリストに、地上における救いのみわざに必要かつ十分な全権を委任された天地の主、父なる神をほめたたえるものでした。


イエスさまは、救いのみわざの実現によって輝きはじめた栄光を、御自身にではなく、父なる神にお返しになりました。


イエスさまはそのようなお方である、ということに、わたしたちは、魅力を感じます。もしイエスさまが、そうではなく、いつも自分を誇るようなお方であるならば幻滅です。


しかし、です。そうは言いましても、ただ一つの点だけ、わたしたちが誤解してはならないことがあると思われます。


それは、神の御子イエス・キリスト御自身は、父なる神さまに栄光をお返しになりますが、しかし、父なる神さまは、御子イエス・キリストに救いにかかわる一切の全権を委任されているのだ、ということです。


そのことを、イエスさまは、次に語っておられます。


「『すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。』」


父なる神さまが御子イエス・キリストに、救いにかかわる一切の全権を委任されている、というこの真理を、わたしたち改革派教会は、伝統的に「贖いの契約」と呼んできました。


それは、父なる神と御子キリストとの間に、一つの厳粛な契約関係がある、という教えです。


その契約の内容は、父なる神が救うこと(贖うこと)を決意され、そのような者としてお選びになった人々を、御子イエス・キリストにお委ねになった、というものです。


この教えは、わたしたちにとって、きわめて重要な意義を持っています。少しも大げさではなく、キリスト教信仰の根幹にかかわる教えです。


なぜならば、この教えの核心は、父なる神の御心をわたしたちが知り、かつ信じる道は、ただ一つ、神の御子イエス・キリストを通してだけである、ということにあるからであり、だからこそ、わたしたちは、イエス・キリストを通して神を知る、というただ一つの道を通らなくてはならないからです。


そして、なぜこのことが、キリスト教信仰の根幹にかかわるのかということを一言するならば、キリスト教信仰の一切がイエス・キリストにかかっているからです。


たとえば、です。イエス・キリストを抜きにした、ただ単なる神信仰というようなものは、キリスト教の信仰ではない、ということです。


もっと単純に言って、「キリストの出てこないキリスト教」などは、ありえない、ということです。


それどころか、むしろ、正反対に、キリスト教のすべてはキリストにかかっている、と言わなくてはなりません。


「それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。『あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。』」


ここでイエスさまが語っておられる「あなたがたが見ているもの」、また「あなたがたが聞いているもの」とは何でしょうか。


多くの預言者や王たち、すなわち、旧約聖書の登場人物、そしてまた神の民イスラエルに属する多くの人々が待ち望んできた救い主(メシア)であるイエス・キリスト御自身である、と答えることも可能だと思います。


しかし、もう少し広げたところで考えておくほうが、よさそうです。言うならば、それは、イエス・キリストを通して実現した救いのみわざのすべてです。


また、そのみわざは、イエス・キリストの弟子たちによっても行われました。


ですから、それは、イエスさまの弟子たちを通して、さらに、弟子たちの集まりとしての教会において実現した救いのみわざのすべてです。


それを見ることができ、救いの喜びを味わうことができる人々の「目」は、幸いであると言われています。


わたしたちも、今、それを見ています。わたしたちの「目」は、幸いなのです!


(2005年7月31日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年7月24日日曜日

神の国の進展と拡大

ルカによる福音書10・1~16


今日の個所に描かれているのは、わたしたちの救い主イエス・キリストの宣教活動によって地上に打ち立てられていく「神の国」の進展と拡大の様子は、どのようなものであったか、ということです。


「その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。」


この個所を読みますと、ルカによる福音書の最初から順々に学んでこられました皆さまには、すぐにピンと来るものがあるでしょう。


これまでに、これとよく似たことが書いてあったはずだ、ということです。もちろん、それは、9章のはじめです。


「イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、次のように言われた」(9・1〜3)。


たしかに、よく似ています。イエスさまによる弟子の派遣という点で、全く同じことがなされています。


しかし、違っているところもあると感じます。違っている第一点は人数です。前者は十二人、後者は七十二人です。


最初に行われたのは、十二使徒自身が悪霊追放という救いのわざを行うための権能委託と派遣です。


そして今日の個所で行われているのは、十二使徒とは別に、七十二人の弟子たちを特別にお選びになることです。


違っている第二点は、イエスさまが、十二人には「権能をお授け」になりましたが、七十二人については「任命された」ということです。


人数が違っている理由として考えられるのは、最も単純に言うなら、イエス・キリストの弟子仲間全体の人数が増えてきた、ということです。


当時のイエスさまの弟子仲間全体の数が「12+72=84人」しかいなかったわけではありません。もっとたくさんいました。少なく見積もっても、一万人以上はいたと考えられます。


しかしイエスさまは、多くの弟子たちの中から、「12+72=84人」を特別な弟子としてお選びになったわけです。


彼らが特別な弟子として選ばれた目的は、最も大きく分けて二つあります。


第一の目的は、少なくとも当時一万人以上はいたと思われる、イエス・キリストの弟子仲間全体を世話し、配慮することです。言ってみれば、内向きの働きです。それを、わたしたちは、一応、「牧会」という言葉で呼ぶことができるでしょう。


しかし、目的はそれだけではありません。少なくとも第二の目的があります。それはいわば外向きの働きです。


イエスさまの弟子仲間をまとめながら、外に向かって、つまり、いまだイエスさまの弟子仲間に加わっていない人々に向かって福音を宣べ伝えることです。


そのようにして、今よりさらにもっと多くの仲間を、イエスさまの弟子仲間に加えていくための働きです。つまり、それは要するに「伝道」です。


ですから、考えられることは、「牧会」と「伝道」を効果的に行っていくために、イエスさまは、多くの弟子たちの中から、特別な弟子をお選びになった、ということです。


そのような働きに就くべき人の数が増えてきた、ということは、弟子仲間の規模が拡大したので、そのお世話係の数も増やすべきだ、ということも、理由としては十分です。


たとえば、わたしたち日本キリスト改革派教会は、現在、まさに約一万人の教会です。牧師の数は約百三十人。じつは、これだけでは、まだ足りていません。実際に牧師不在の教会が、いくつかあります。牧会のわざに携わる人の数が、もっと増やされる必要があります。


しかし、です。先ほど申し上げましたとおり、イエスさまが特別な弟子をお選びになった目的は、内向きのお世話係が少ない、ということだけではなかった、というべきです。


そこには必ず外向きの理由がなければなりません。さらに多くの人々を、イエスさまの弟子仲間に加えていくために、「伝道者」の数が増やされなければならないのです。


しかし、十二人の場合と七十二人の場合とで違っていることの第二の点、つまり、前者は「権能を授けられた」が、後者は「任命された」ということが、ここにかかわってくると思われます。


七十二人の弟子たちは、先に選ばれた十二人の弟子たちのように「使徒」と呼ばれるものではありませんでした。おそらく彼らは、使徒たちを助け、かつ、いわば使徒に準ずる働きをなす人々であった、と考えられます。


ただし、なぜ「72」という数字なのか、という点については、一つの説明の仕方があります。それを手短にご紹介いたします。


そのヒントは、創世記10章にあります。そこに出てくる、箱舟物語で有名なノアの子孫の数が、ちょうど70人います。これが70の民族の先祖となったのです。


それが、さらに、イエスさまの時代に広く用いられていたギリシア語訳(七十人訳)の旧約聖書では、ノアの子孫が72人であったように書いてあるのです。


つまり、72という数字は、イエスさまの時代のユダヤ人たちにとっては、全世界の民族の数字を意味していた、というわけです。


すなわち、十二使徒はイスラエル十二部族の数に相当し、七十人ないし七十二人は世界の民族の数に相当する、というわけです。


そこからまた、イスラエルの人々にとって、七十という数字が、いろんな場面で役割を果たしはじめます。


とくに、イエスさまの時代に実在したイスラエルの最高法院(サンヘドリン)の議員の数は、七十人に議長(大祭司)を加えた七十一人だった、と言われています。


イスラエルの最高権威者集団であり、最高議決機関としての「最高法院」は、そのようなものとしてまさにイスラエル国家全体を支配していました。


その最高法院こそが、イエスさまを十字架につけるための不当な裁判をも行ったのです。つまり、イエスさまにとっていわば直接「敵」となった人々の数が、七十一人であった、ということです(ただし、イエスさまが彼らを「敵」としたわけではなく、彼らがイエスさまを「敵」としたのですが。)


イエスさまも「神の国」の建設のために、七十二人の弟子をお選びになりました。これが暗示していることは、イエスさまの宣教活動は、文字どおりの「国づくり」を意味していた、ということです。


ただし、それは、イスラエルの国家体制を打ち倒して、別の新しい国家を生み出す、という意味ではありません。もっと暗示的な意味です。


イエス・キリストが地上に打ち立てられる「神の国」は、まさに一つの霊的イスラエルなのです。


「そして、彼らに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。』」


ここでイエスさまが「収穫」という言葉で語っておられる事柄は明らかに、福音の宣教ないし伝道との関連で理解されるべきことです。


つまり、「収穫」の意味は、神の御子イエス・キリストへの信仰を告白し、キリストの体なる教会の一員になる人々を集めることです。


つまり、そのように、イエスさまを信じて、イエスさまの弟子になりたいと願っている人々が、ここでの「収穫」の意味です。


その「収穫」は「多い」とイエスさまは語っておられます。しかし、「働き手が少ない」のだ、と。


おそらく、わたしたちの周りにも、必ずや、そういう人々がいるはずです。


教会にはまだ一度も来たことがない。礼拝に出席したこともない。イエス・キリストへの信仰を告白したこともない。


しかし、そういう人々の中にも、心の中で、教会というところに、じつは関心がある。礼拝にも、じつは行ってみたい。信仰というものを、持てるものなら、持ってみたい、と考えている人々がいる。


そのような人々のことも、「収穫は多い」というこのイエスさまの御言葉の中に、間違いなく、含まれています。


ところが、その人々に実際に接し、可能なかぎり語り合い、教会と礼拝と信仰についてのお勧めをする、そのような役割を果たす人の数が少ない、と言っておられるのです。


しかしまた、実際には、そのような役割を果たす人々について、イエスさまは、「それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」とも語っておられます。


なるほど、たしかに、実際の伝道には、危険がいっぱいです。


文字どおり「噛み付いてくる」人々が必ずいます。「この世の中で何が嫌いかと言ってキリスト教ほど嫌いなものはない」と言って怒られることがあります。たじたじすることが何度もあります。


また、わたしたちが純粋で熱心であればあるほど、そういうわたしたちの姿を冷ややかに見て、笑う人々がいます。


しかし、そのことを、イエスさま御自身が、よく分かっておられます。イエスさまこそが、わたしたちの最も良き理解者であられる、ということが、わたしたちにとっての慰めです。


別にわたしたちは、何一つ、ここで悪いことをしているわけではないのですから、堂々としておればよいのです。


そして喜びと確信をもって、多くの人々に「教会に来てください。イエスさまを信じてください」とお勧めできるようになりたいものです。


イエスさまが、わたしたちの伝道を助けてくださっています。また、伝道に伴う苦労を理解してくださっています。それでよいではありませんか。


ただし、「わたしはまだ、『収穫のための働き手』と呼ばれるには、ふさわしくない」と感じている方々は、皆さんの中にもおられるはずです。


そのことも、イエスさまは、よく分かっておられます。


だからこそ、特別な弟子をお選びになり、良い意味での「専門家」を、公的かつ正式に「任命」されたのです。


イエスさまは、七十二人の弟子たちに、次のようにお命じになりました。


「財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、「この家に平和があるように」と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、「神の国はあなたがたに近づいた」と言いなさい。」


これも、十二使徒の派遣の際にイエスさまがお語りになった御言葉と、よく似ています。


しかも、今回は、「働く者が報酬を受けるのは当然だからである」というようなことを、ずいぶんはっきりと、また少しも遠慮なく、語っておられます。


イエスさまが言わんとしておられることは、良い意味での “プロ意識”を持ちなさい、ということでしょう。


そのことを、あなたがたは、少しも恥じるべきではないし、また、だからこそ、あなたがたは、伝道のために全生活をかけなさいと、イエスさまは彼らに命じておられるのです。


(2005年7月24日、松戸小金原教会主日礼拝)


2005年7月17日日曜日

イエスの弟子になるとは

ルカによる福音書9・46~62


今日は四つの段落を続けて読みました。明らかに共通しているテーマがあります。


それは「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負ってイエスの弟子になるとは、何を意味するのか」というテーマです。


しかし、このテーマは9章の初めから一貫しているものである、と理解することができます。


9章の初めには、十二使徒の派遣という出来事が記されていました。イエスさまが十二人を呼び集められて、「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能」をお授けになりました。そして、次のように言われました。


「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持って行ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい。」(ルカ9・3〜5)


ここで「旅」とは、明らかに「伝道の旅」です。弟子たちは、なぜ、伝道の旅に「何も持って行ってはならない」のでしょうか。


考えられる答えは、イエスの弟子である者は、旅先でとどまることが許された家から、すべてのものを得なさい、ということです。


伝道も一つの仕事です。伝道は彼らの職業です。これが否定されるべきではありません。


しかしまた、だからこそ、イエスさまの弟子たちに託された仕事の責任は重い、ということでもあります。


これは、今日「牧師」と呼ばれている者たちだけに限られる話ではありません。教会の存在全体にかかわることです。


そしてルカは、9章の初めからずっと、「イエスの弟子になるとは、何を意味するか」というテーマについて書いています。


イエスさまは、弟子たちに、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」と言われました。


イエスさまの弟子である者は、自分を捨てなくてはなりません。しかし、その意味は、自分の主体性や個性を塗りつぶさなくてはならない、ということではありません。


主体性や個性は、むしろ百パーセント確保されるべきです。しかし、その上で言わなければならないことは、わたしの生きる目的は、わたしのためではない、ということです。


イエスさまの弟子たちは、自己目的的に生きるべきではなく、「イエス・キリストのために」生きるべきであり、そしてイエスさまの御心に従って、「隣人を愛するために」生きるべきである、ということです。


山の上でイエスさまが栄光に輝くお姿に変貌されたとき、モーセとエリヤが現れました。ペトロが仮小屋を三つ建てましょうと提案しましたところ、イエスさま以外の二人の姿が見えなくなり、そして雲の中から声が聞こえてきました。「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」。


イエスさまの弟子である者は、イエスさまの御声だけに、忠実に聞き従わなければならない、ということです。


悪霊にとりつかれた男の子の病気を、弟子たちはいやすことができませんでした。そのことを、イエスさまはたいへん不満に思われ、「いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか」と、お叱りになりました。


イエスさまの弟子である者は、イエスさまから託された仕事を、忠実に果たさなくてはならない、ということです。


ところが、です。イエスさまの弟子である者は、時に、よからぬことを考えはじめることがありえます。イエスさまの御声に聞き従うのではなく、別の声に従って動きはじめることがありえます。


その結果、イエスさまから託された仕事を、忠実に果たすことができないということが、起こりうるのです。


「弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、言われた。『わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。』」


「自分たちのうちでだれがいちばん偉いか」と、彼らはなぜ、このようなことに関心を持ちはじめたのでしょうか。


弟子たち側の言い分として考えられるのは、現実の教会は、あからさまに言って、人間の・人間による・人間のための人間的な集まりである、ということでしょう。


その中に、立場の違いや秩序や政治がある、ということは、当然のことであり、避けがたい、ということでしょう。


しかし、イエスさまは、彼らの議論をお嫌いになりました。痛烈な皮肉もあると思われます。


一人の子供を立たせて、「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」、また「あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である」と言われました。


そんな議論をしているあなたがた大人よりも、この子供のほうが偉い、と言われたのです。


そのことと共に、ここでイエスさまが問題にされていることとしてもう一つ思い当たることは、彼らの視線、あるいは、彼らの関心の向かうところは、どこなのか、という問題です。


教会に限らず、どこでも当てはまるであろうことは、自分自身や他人の順位というようなことばかりが気になる人は、結局、いつも自分のことにしか関心がない人だ、と言われても仕方がない、ということです。


イエスさまの弟子たちが持つべき関心は、自分自身のことであってはならないでしょう。


わたしたちが持つべき関心は、神の救いと具体的な助けを必要としている、わたしたちの隣人でなければなりません。そして、その中でも、とくに、最も小さな人々、最も弱い人々でなければなりません。


「自分を捨てる」とは、自分のことばかり気にするのではなく、目を外に向けることなのです。


「そこで、ヨハネが言った。『先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせようとしました。』イエスは言われた。『やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。』」


この話の意図も、先ほどの話と、基本的構造において同じである、と言えます。


イエスさまの弟子の一人ヨハネが、イエスさまのお名前を利用して、イエスさまの弟子たちと同じような仕事を行っているが、弟子の仲間に加わらないのを不愉快に思い、その人の仕事をやめさせました。しかし、イエスさまは、そのヨハネを、おとがめになった、という話です。


これは微妙な要素を含んでいる話である、と感じます。しかし、イエスさまの意図は、はっきりしています。ここでも問題は、弟子たちの視線、ないし関心の向かうべきところは、どこであるべきか、ということです。


「微妙な要素を含んでいる」と申しました理由は、そもそも、教会の伝道の目的の中に「イエスさまの弟子仲間を集めること」は、含まれているはずだ、ということです。


たとえば、教会にたくさん人が集まるようになることは、そもそも、教会が地上に存在する目的にかかわることです。


教会の存在理由は、「洗礼を授けること」です。そして、それはただちに、イエスさまの弟子を集めることを意味します。他のどの団体も、ひとに「洗礼を授けること」はできません。他のどの団体も、「ひとをキリスト者にすること」ができないのです。


しかし、です。ここに、さらなる問題が生じます。


わたしたちは、教会に集められました。はい、それでは、その次に、わたしたちは、何をするのでしょうか。わたしたちは、ただ集まるだけでよいのでしょうか。


とにかく集まること、集めること自体が、教会の存在理由でしょうか。そうである、とも言えます。しかし、それだけではない、とも言わなければなりません。


少なくとも、もう一つの目的があります。それは、教会に集められたイエスさまの弟子たち自身の手によって、救いのわざが行われることです。


そして、ここから先は、かなり危険な要素が入り込んでくるように思われるのですが、それでも、イエスさまのご意思に従うならば、次のように語らなければなりません。


「イエスさまの弟子たちを集めること」と「弟子たちの手によって神の救いのみわざが行われること」。その二つのうち、教会の存在理由という観点から見て、どちらがより重要であるか、と問うてみるならば、その答えは、どうやら、後者である、ということです。


たしかに言いうることは、重要なことは、だれがそれをするかではなく、それが現実に行われること、つまり、人が現実に救われることが重要である、ということです。


その場合に、です。


イエスさまの弟子でない人々が、イエスさまの弟子たちがしていることの真似事をしてみたときに、イエスさまの弟子と同じようなこと、あるいは彼ら以上のことができてしまった(?)場合は、それをやめさせる必要はないと、イエスさまは教えておられるのです。


厳しい言い方かもしれませんが、ヨハネのような考えは、悪い意味での“縄張り争い”や“自意識過剰”に通じることです。イエスさまは、そのような考え方をお嫌いになったのです。


「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、『主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか』と言った。イエスは振り向いて二人を戒められた。そして、一行は別の村に行った。」


この段落の意図も、基本的に同じと言えます。多くの説明は不要でしょう。


たしかにイエスさまは、「だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい」と言われました。


しかし、だからと言って、イエスさまは、「その町を焼き滅ぼしてよい」とまでは言われませんでした。それは一種の暴力ですから。


イエスさまの御心は、敵を愛することです。そして、神の救いがこの地上に実現することです。暴力によって滅ぼしてしまっては、身も蓋もありません。


「一行が道を進んで行くと、イエスに対して、『あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります』という人がいた。イエスは言われた。『狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。』そして別の人に、『わたしに従いなさい』と言われたが、その人は、『主よ、まず、父を葬りに行かせてください』と言った。イエスは言われた。『死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。』また、別の人も言った。『主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。』イエスはその人に、『鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない』と言われた。」


この段落に語られていることもまた、イエスさまの弟子である者たちに求められていることは何かということです。具体的には、「自分を捨てること」の意味は何かです。


「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」という人に対してイエスさまは、「人の子には枕する所もない」とお答えになりました。それでもよいのか、という問いかけでしょう。


たしかに、伝道は、彼らの仕事であり、職業です。しかし、その目的は、自分の生活の糧や、自分が安心して眠ることができる場所を確保するためだけ、というようなことでは、ありえません。


もしそのように考えている人がいるならば、それは違いますと、イエスさまは、はっきりとおっしゃるのです。教会の存在と伝道は自己目的的であってはならない、ということの具体例であると言えるでしょう。


「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」という人には、「あなたは行って、神の国を言い広めなさい」とお答えになりました。


「まず家族にいとまごいに行かせてください」という人には、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」とお答えになりました。


どのように解釈してよいか、かなり迷う言葉です。わたしたちにとって、家族は、最も大切なものです。他の何かと天秤にかけられるようなものでは、ありえません。


ところが、です。現実の場面においては、イエスさまのおっしゃることの意味が、よく分かることがあります。


わたしたちが「家族」というものに悪い意味で束縛されてしまうときには、伝道することも、信仰をもつことさえも、困難になる、ということがありえます。


冷たい言い方に響いてしまうかもしれませんが、それがわれわれの現実です。これは、わたし説教者が言っていることではなくて、イエスさまがおっしゃっていることであると、どうかお考えいただきたく願います。


わたしたちは「出家」という言葉を使いません。


しかし、イエスさまは、弟子であるすべての者たちに、「家を出ること」を求めておられるのです。


(2005年7月17日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年7月10日日曜日

信仰といやし

ルカによる福音書9・37~45


今日の個所に紹介されていますのは、わたしたちの救い主イエス・キリストが、一人の男の子の病気をいやしてくださった、という出来事です。


それはどのようにして起こったのか、この出来事の持っている意味は何かというあたりのことを考えながら、読み進めていきたいと思います。


「翌日、一同が山を下りると、大勢の群集がイエスを出迎えた。」


「翌日」とあります。何の翌日かといいますと、これは間違いなく、先週学びました、イエス・キリストが山の上で祈っておられるときに、栄光に輝くお姿に変貌されたというその出来事が起こった日の翌日、ということです。


今日の個所に紹介されている、イエス・キリストが一人の男の子の病気をいやしてくださった、というこの出来事は、マタイによる福音書(17・14〜18)にも、マルコによる福音書(9・14〜27)にも紹介されています。


そして、じつをいいますと、今わたしたちが開いておりますルカによる福音書とあわせた三つの福音書において、この出来事に関して共通している点があります。


それは、三つの福音書のどれも、この男の子の病気のいやしという出来事が起こったのは、イエス・キリストのいわゆる山上の変貌ということが起こった、その次であるというこの点です。


ただし、この点について、マタイとマルコは、この二つの出来事の間にある時間の経過については、とくに記しておりません。しかし、ルカだけが「翌日」ということを明らかにしています。


これは考えてみれば当たり前のことです。


イエスさまと三人の弟子たちは、山に登っておられたわけです。


それがどの山か、ということは聖書のどこにも記されていませんが、マタイとマルコは「高い山に登られた」と書いています。先週、わたしは、もしかしたらヘルモン山かもしれない、という説があることをご紹介いたしました。


ヘルモン山も、高い山です。文字どおり「登山」という言葉が、当てはまります。


高い山に登るのは一苦労です。だからこそ、ペトロたちは、ひどく眠かったという話が、先週の個所に出てきました。山を登ってきた足も体も、疲れていたのです。


それではイエスさまはお休みにならなかったのか、というと、そんなことはないと思います。栄光のお姿に変貌されたのちに、イエスさまもお休みになったのです。


そう考えてみますと、「翌日」という言葉の意味が、分かるような気がします。


時間的に続いているようで、続いていない。夜という時間を通り過ごすことにおいて、一度切れる。ぐっすり休み、新しい力に満たされて、立ち上がる。


そのようなイエスさまと弟子たちの姿を、思い浮かべることができます。


そして、山を下りました。すると、また大勢の群集が、イエスさまを取り囲みました。イエスさまには、十分に休息することができる時間がありません。


「そのとき、一人の男が群集の中から大声で言った。『先生、どうかわたしの子を見てやってください。一人息子です。悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。』」


この男の子の病気について、マタイは「てんかん」と、はっきり記しています(マタイ17・15)。マルコとルカは病名を記しておらず、病状の説明だけをしています。


引きつけが起きる。倒れる。口から泡を吹く。マルコは「歯ぎしりする」とも書いています(マルコ9・18)。


今では、それは、脳の慢性的な病気であると言われています。薬を飲んでコントロールできるようになった、と言われています。


しかし、それはごく最近のことです。長い間、治らない病気とされてきました。イエスさまの時代には、「悪霊が取りついた結果」と見られていました。


そのように説明するしかなかった、といいますか、そんなのは全く何の説明でもないわけです。原因不明のことは何でも「悪霊」と、説明にならない説明をするしかなかったのです。


イエスさまに助けを求めたのは、この男の子のお父さんでした。「先生、どうかわたしの子を見てやってください」と。


この父親は、この男の子を「わたしの子」と呼んでいます。「一人息子です」とも言っています。


わたしの子、たった一人の子が、病気で苦しんでいます。どうか見てやってください。助けてください。


これは、この父親の悲痛な叫びです。しかしまた、力強い叫びでもあると思います。


ここで少し、残念な話をしなくてはなりません。すべての人に当てはまる話ではない、ということを、あらかじめはっきりお断りしておきます。


ただ、しかし、世の父親の中には、自分の子どもが生まれつきの障害をもっていることが分かった途端に、妻子を置いて出て行くケースがあります。子どもの現実と向き合うことができない父親がいます。


しかし、この父親は違いました。


この子はわたしの子どもである。わたしのたった一人の、かけがえのない子どもである。


そのことを、イエスさまの前で、強く訴えました。


「わたしの子」と呼んでいる、その一言に、この父親の子どもに対する深い愛情を読み取ることができるように思われます。


ところが、です。この父親は、その心の中に、大きな不満を抱えていました。そして、イエスさまに向かって、助けを求めているようでもありますが、同時に一つの大きな苦情を述べたい気持ちをもっていました。


「『この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できませんでした』」。


「お弟子たち」とあります。原文には「あなたの弟子たち」と書かれています。


イエスさま、あなたの弟子たちは、一体、何なのですか、と言いたいのです。


「わたしの」大切な一人息子の病気を、「あなたの」弟子たちは、治すことができませんでした。それは「あなたの」責任です、と言いたいのです。


これは決して、この父親の言いがかりとは言えません。弟子たちを育て、訓練する責任は、たしかに、イエスさまにあります。


イエスさまは、十二人の弟子たちに「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能」をお授けになりました(ルカ9・1)。免許皆伝が行われました。


そして、彼らは、実際の現場に出て行って、イエスさまから授かった力を用いて、助けを求めてきた人を助けようと試みました。


とくに、このとき、イエスさまは、三人の弟子たちと共に山に登っておられたわけですから、イエスさまの留守中、自分たちだけで何とかして、この男の子の病気を治そうと努力したのだと思います。


ところが、弟子たちは、悪霊に打ち勝ち、病気をいやすことができる力を、不覚にも、まだ持っていませんでした。助けを求めてきた人を、助けることができなかったのです。


こういうときに空しい気持ちになるのは、助けを求めた人と求められた人との、両者です。


これが欲しいと願って入った店に、それがなかったということが三回続くと、その店には二度と行かないと心に誓うのが、わたしたちです。


診てもらっても治らない医者のところには、二度と行かないと心に誓うのが、わたしたちです。


この父親も、自分のかけがえのない一人息子の病気を治すことができないイエスさまの弟子たちなど、二度と信用しない、と心に誓いはじめていたのではないでしょうか。


しかし、それでも、弟子たちではなく、イエスさまご自身ならば、何とかしてくださるかもしれないと、まさに最後の望みを抱きつつ、この父親は、イエスさまのところに来ていたに違いありません。


最後の望み、と言いますのは、イエスさまとその弟子たちに頼ることを、「これで最後にしよう」という意味です。それは、非常に重大な決意です。


「これで最後にしよう」という決意は、抱くほうも、抱かれるほうも、本当に辛いものです。


わたしたちの教会生活においても、長い年月の間には、時として、そういう思いを抱くほどに追い詰められることがあると思います。


「これで最後にしよう」。今日、もし恵みを感じることができなかったならば。


「これで最後にしよう」。今日、もし喜びを感じることができなかったならば。


そこには、お互いの真剣勝負があります。イエスさまの弟子として生きる道は、甘えた気持ちだけでは、乗り越えていくことができそうもありません。


「イエスはお答えになった。『なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。』」


イエスさまは、激しくお怒りになりました。もちろん、弟子たちに対して、です。教師として、弟子たちを育て、訓練する責任において、です。


なんとだらしない、なんと無力で、みじめな結果だろうか、と。あなたがたに足りないのは、「信仰」である、と。


おそらく、弟子たちは、震え上がる気持ちで、そしてまた、自分自身のあまりの無力さに打ちのめされる気持ちで、イエスさまのお言葉を聞いたに違いありません。


このとき、イエスさまが激しくお怒りになりながら、お話しになったことの中に、たいへん気になる言葉が出てきます。


「いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。」


このお言葉は、反対の方向から言い直しますと、「わたしは、あなたがたと、いつまでも永久に、一緒にいることができるわけではない」ということでもあります。


「先生、ごめんなさい。わたしたちには、できませんでした。先生がやってください」と言って、弟子たちが、自分の責任を放棄し、自分が本当はしなければならなかったことを、イエスさまに丸投げしてきたときには、いつでも、イエスさまは、我慢して弟子たちの尻拭いをすることになるわけです。


しかし、そういうことができるのも、今のうちだけであって、いつまでも永久に、そのようにできるわけではない、ということを、イエスさまは、ここではっきりおっしゃっています。


それは、もちろん、イエスさまが、これからエルサレムにお入りになり、そこで不当な裁判をお受けになり、十字架にかけられて死ぬ(殺される)ということを、強く自覚しておられたからです。


ご自身の死ということを強く自覚しておられたがゆえに、弟子たちの体たらくが、我慢できなかったのです。いつまであなたがたの面倒を見なければならないのか、と。


とはいえ、それはまた、明らかに、言葉の裏側に、弟子たちに対する愛情も込められている、と言ってよいものでもあるでしょう。「もちろん、わたしがあなたがたと一緒にいることができる間は、面倒をみることができるのだけれどね」と。


また、もう一つのことも、思い当たります。イエスさまが、この先、助けの御手を差し伸べたいと願っておられる相手は、もはや、弟子たちではありえない、ということです。


なぜなら、今やイエスさまの弟子たちは、いわばイエス様の側に立って、イエスさまと共に、世の多くの人々を助けるわざに就いているはずだからです。


イエスさまが助けたいと願っておられるのは、弟子たちではなく、世の多くの人々です。


少しひどい言い方に聞こえてしまうかもしれませんが、イエスさまは、いつまでも永久に、弟子たちの面倒など、見てくださいません。


そんなことをしているよりも、一人でも多くの世の人々を助けたい、とお考えになります。


イエスさまというお方は、そういうお方なのです。


「『あなたの子供をここに連れて来なさい。』」


このように、イエスさまは、この父親にお命じになりました。


「あなたの」大切な子どもを助けることができなかった「わたしの」弟子たちの無力をお詫びしたい、という不甲斐ないお気持ちを、持っておられたのではないでしょうか。


そして、イエスさまが、弟子たちの代わりに、この男の子の病気をいやしてくださいました。


しかし、本当は、この子の病気をいやすことは、弟子たち自身がしなければならないことだったのです。


(2005年7月10日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年7月3日日曜日

山上の変貌

ルカによる福音書9・28~36


「この話をしてから八日ほどたったとき」


「この話」とありますのは、前回学びました個所に記されている、イエス・キリスト御自身がお語りになった、神の言葉の説教のことです。


前回の個所でイエスさまは弟子たちに、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」とお語りになりました。


イエス・キリストの弟子として生きることを決心し、約束したすべての者たちは、自分を捨てなければなりません。そして日々、自分の十字架を背負わなければなりません。


「自分を捨てる」とは、自分のために生きるのをやめるということです。自分のために生きることをやめて、イエス・キリストのために生きることを始めるのです。イエス・キリストのために命を失う者は、自分の命を救うことになるのです。


キリストのために生きること、それはただちに父なる神の御心を行うことを意味します。またキリストに従うことは、父なる神に従うことを意味します。イエス・キリストは、父なる神の御子であり、地上において父なる神の御心を示す役割を担われるお方だからです。


イエス・キリストに従わない者は、父なる神にも従っていません。それは、神に背いて生きるのと同じです。神に背いて生きることを、聖書は、端的に「罪」と呼びます。神に従わない人生を送る人は、救われていません。


わたしたちの救いとは、イエス・キリストにおいて御自身を現された父なる神に従って生きる人生を送ることなのです。


このことは、わたしたちにとって、いくぶん困惑させられることでもあります。


イエス・キリストに従って生きる者たちには自分を捨てること、そして、日々、自分の十字架を背負って生きることが求められます。それこそが救いの道であると言われるわけですが、なんと厳しい道でしょうか。わたしたちは、この厳しさに耐えられるでしょうか。


しかし、です。ここで間違いなく言いうることは、わたしたちの前に差し出されている選択肢は二つである、ということです。


イエス・キリストに従って、自分を捨て、自分の十字架を背負って生きる、救いの道に進むか。それとも、自分を捨てることなく、自分の十字架を背負おうとしない、滅びの道に進むか、です。


どちらを歩むのもいやだ、と感じる人が多いのではないでしょうか。どちらの道であれ、結局、厳しいではないか。もっと楽な道はないのか、と探しはじめるのではないでしょうか。


あれか・これかの二者択一などは、したくありません。どちらでもない、第三の道を探したくなるのが、わたしたちです。


しかし、イエス・キリストは、こう言われました。


「わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。」


要するに、第三の道はない、ということです。


イエス・キリストを恥じるとは、イエス・キリストをいわば相対化することです。絶対視しないこと、距離をおくことです。


それは、他にもいろいろとある、いくつかの道の中の一つとして、イエス・キリストに従う道を見ることです。


わたしにとって大切なのは、イエス・キリストだけではない、キリスト教だけではない、教会だけではないと考えて、距離を置き、それなりの付き合い方をすることです。


熱心であること、近づきすぎることが、恥ずかしいのです。


ところが、そのようにイエス・キリストを恥じる人を、イエス・キリストは恥じる、と言われています。


イエス・キリストを信じるか・信じないか、あるいはまた、イエス・キリストに従って生きるか・従わないかには第三の道はありません。


もう一つ、先週触れることができなかったのは、9・27の御言葉です。


「確かに言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国を見るまでは決して死なない者がいる。」


これは解釈が難しい言葉です。イエス・キリストの弟子たちの中の誰かが終末における神の国の実現の日まで長生きする、というふうにも読めます。しかし、そういう意味ではありません。


イエス・キリストに従い、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って生きる者たちはすべて、神の国を見ることができる、という意味です。


ところが、その一方で、イエス・キリストに従わない者たちがいる。その人々は神の国を見ることができない、という意味です。


問われていることはイエス・キリストに従うか・従わないかです。ここでも、道は二つに一つである、ということが語られているのです。


「この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。」


イエスさまは、祈られるときには、しばしば、山に登られました。


しかし、なぜ山に登られたのかという理由が記されている個所を、わたしは知りません。山がお好きだったから、とか、都会の喧騒を離れて静かな場所に行かれたかったから、というようなことが明記されている個所を探しても、見つかりません。


また、この個所で、イエスさまが三人の弟子たちを連れて登られた山がどの山だったか、ということも、記されていません。


一説によりますと、ヘルモン山ではないかと考えられています。ガリラヤ湖よりも北にある、高さ二千七百メートルほどの山です。山頂に雪が積もる山です。


しかし、山の名前が記されていない、ということが、尊重されるべきかもしれません。どの山でこの出来事が起こったかということは、問題になっていません。


大切なことは、どの山で起こったかではなく、それが山で起こった、ということです。


山という場所が、聖書の中で重要な役割を果たしてきた、ということは、よく知られています。モーセが十戒の二枚の石の板を神さまからいただいたのも、山でした。


山に神が住むという、いわゆる山岳信仰は、世界各地にあります。聖書の場合は、山だけに神さまが住んでおられる、と信じられているわけではありませんので、いわゆる山岳信仰と一緒くたにすることはできません。


しかし、山で神に祈り、山で神に出会うという場面が、聖書の中には多く出てきます。牧師たちの中にも、山が好きという人が、時々います。


「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。」


山の上でイエスさまが、栄光に輝くお姿へと変貌された。これが、この個所が証言している最も大切なことです。


そして、変貌されたイエスさまは、モーセとエリヤという二人の旧約聖書的英雄たちと語り合っておられました。


興味深いのは、この二人とも、シナイ山(ホレブ山も同じ)で主なる神の御声を聴いたという共通点を持っていることです。


モーセのシナイ山での出来事は、出エジプト記19章以下に記されています。エリヤのシナイ山での出来事は、列王記上19・8以下に記されています。


要するに、山に関係がある人々、と呼ぶことができる二人が、イエスさまの御前に現れた、と語ることができます。


この二人が、イエスさまの御前で話し合っていた話題は、たいへん深刻なものでした。イエスさまがエルサレムで遂げようとしておられる最期は、どうなるのか、ということでした。


なぜ、モーセとエリヤなのでしょうか。先ほどは、山に関係がある人々、と呼ぶことができる二人、と申しました。しかし、おそらくそれだけではありません。


彼らは旧約聖書的英雄である、とも申しました。間違いなく言いうることは、この二人は、旧約聖書に記されている数多くの登場人物の中でも、最も有名で、また最も尊敬されている、最も代表的な人々である、ということです。


この二人こそ旧約聖書を文字どおり代表する人々である、と語ることができます。彼らの存在は、いわば旧約聖書の存在そのものである、とさえ言えます。


だからこそ、彼らは、イエス・キリストの最期の姿を、知っていました。旧約聖書は、救い主メシアの最期を知っています。


この二人、モーセとエリヤがイエスさまの御前に現れて、イエスさまと語り合いました。この出来事の意味は、明白です。


イエスさまは、彼らの証言、旧約聖書的証言を確認し、御自身がこれからエルサレムの町に入っていかれ、十字架の死の日を迎えるための備えをしておられたのです。


「ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。『先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。』ペトロは、自分でも何を言っているか、分からなかったのである。」


ここに描かれている弟子たちの姿は、なんともこっけいです。


彼らの先生であるイエスさまが、これからエルサレムで起こる御自身の十字架上の死について決心と覚悟を固め、備えをしているときに、弟子たちが寝ぼけているというのですから。


「ペトロは、自分でも何を言っているか、分からなかったのである」と書かれています。寝ぼけて訳の分からないことを口走ってしまった、ということでしょう。


ペトロの提案は、イエス・キリストのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ、全部で三つの仮小屋を建てましょう、というものでした。


何のための「仮小屋」でしょうか。幕屋(テント)と訳すことも可能な、宿泊のための仮設住宅です。


ペトロの意図は、たぶん次のことです。せっかくモーセ先生とエリヤ先生が来てくださったのですから、すぐに帰ってしまわれないように、こちらで宿泊していただきましょう、と言いたかったのではないでしょうか。精一杯のもてなしのつもりだったのだと思われます。


ところが、このペトロの提案は、雲の中から聞こえてきた声によって退けられました。それは、父なる神の声です。


「ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。すると、『これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け』と言う声が雲の中から聞こえた。その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時はだれにも話さなかった。」


父なる神が弟子たちにお示しになったことは、イエス・キリストに聞きなさい、ということでした。


モーセとエリヤの姿は、消えました。イエスさまとモーセとエリヤとの三人が横並びの関係にあるのではない、ということが示された、と言えます。


ペトロに悪気はありませんでした。しかし、彼の提案は、まるで、イエスさまとモーセとエリヤとを横に並べようとするものでした。この提案が、退けられたのです。


その理由は最初に申し上げたことです。道は二つに一つしかないからです。


この三人を横に並べて考えることができるとするならば、イエスさまを選ばなくとも、モーセかエリヤを選ぶだけでも、救われる道があるかのようです。


しかし、第三の道はありません。


イエス・キリストに従うか・従わないか。


この二つの道だけが、いえ、じつは、ただ一つの道だけが、弟子たちに示されたのです。


(2005年7月3日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年7月2日土曜日

『日本の説教 第13巻『田中剛二』(日本キリスト教団出版局、2004年)

田中剛二(一八九九~一九七九年)は、広島県三原市に日本基督教会教師の次男として生まれた。神戸神学校卒業後、日本基督教会教師となり、高知教会にて十二年余多田素牧師のもと副牧師として働いたのち、アメリカのプリンストン神学校とウェストミンスター神学校に留学。帰国後神港教会牧師になる。第二次大戦終結の翌年の日本基督改革派教会の創立大会(一九四六年)より二年遅れの一九四八年、四九才の田中は「私の教団離脱は私の悔い改めである」と記した理由書を教団に提出、神港教会と共に新教派に加入した。

田中は比類なき賜物を持ち、神港教会牧師として、改革派教会の教師として、神戸改革派神学校教授として、国内屈指の名説教者として、二児の父として、高潔な人格者として働きぬいた。多くの協力者にも恵まれ、歴史的改革派信仰および厳正な長老主義教会政治に立脚する新教派形成をリードすることにおいて日本プロテスタンティズムの全体的発展に貢献した第一人者であったと言って間違いない。カルヴァン研究をふくむ主要著作を収録した『田中剛二著作集』全四巻(神港教会刊、新教出版社発売、一九八二~一九八六年)は不朽の輝きを持っている。

この田中剛二牧師の説教集がこのたび「日本の説教」第一三巻として出版されたことを、わたし評者は心より喜ぶ者である。内容はテサロニケの信徒への手紙一の講解説教である。聖書への密着度や釈義的明晰性には活躍中から定評が高かった。だからこそ、時代を越えて読まれる価値もある。時事問題への言及は、全く見当たらない。

しかし田中の説教は「教会形成」を目指すものであった(安田吉三郎氏の解説より)。たとえば、次のように語られている個所がある(傍点は評者による)。

「わたしたちは、〔原始教会の〕その姿が、今日の教会の姿とどんなに大きく違っているかということを、痛感させられ〔ざるをえない〕のです。〔しかし〕これが、改革派教会の開拓伝道でなければなりません。」(二五頁)。

「わたしたちはみな、信仰と愛と望みについて学び、また、それらを与えられています。これがわたしたちを、神港教会という、キリストの教会たらしめているもの…なのです」(三四頁)。

このような言い回しでさえ極めて少ない。しかし、田中の説教は「わたしたち改革派教会」「わたしたち神港教会」をキリストの教会として建て上げてゆく言葉を語ることにおいて、真に具体的かつ現実的なものであった。常に模範としたい説教の姿がある。

(『季刊 教会』、日本基督教団改革長老教会協議会、第59号、2005年夏季号掲載)


2005年6月26日日曜日

己が十字架を負いて従え

ルカによる福音書9・18~27


今日、これからわたしたちが学びます最初の段落に記されておりますのは、わたしたちの救い主イエス・キリストとその弟子たちとの間で実際に交わされた、一つの会話です。


「イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。」


これは少し不思議に思われる言葉です。イエスさまは「ひとりで」祈っておられました。しかし、その場には、「弟子たちが共にいた」とも記されています。


少し不思議に思われることがあります。それは、そのとき祈っておられたのはイエスさまだけであった、という意味だろうか、という点です。


ただひとり、イエスさまだけが祈っておられたのであって、弟子たちは祈っていなかった、という意味でしょうか。


もしわたしたちがここに書いてあることを文字どおり受けとるならば、そういうことになるでしょう。つまり、弟子たちは、祈っておられるイエスさまと共にいながら、しかし、彼ら自身は祈っていなかった、というふうに読めます。


弟子たちは、イエスさまがひとりで何事か熱心に祈っておられる姿を、少し距離を置いたところから見守っていた、という様子を、想像することができるかもしれません。それ以上のことは、言えません。


「そこでイエスは、『群集は、わたしのことを何者だと言っているか』とお尋ねになった。弟子たちは答えた。『「洗礼者ヨハネだ」と言っています。ほかに、「エリヤだ」と言う人も、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいます。』イエスが言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』ペトロが答えた。『神からのメシアです。』」


イエス・キリストとは何者か。どういうお方であるのか。この重要な問いを、ここではイエスさま御自身が、弟子たちに問うておられます。


当時からすでに、いろんな答えがあったことが分かります。「洗礼者ヨハネだ」と言う人がおり、また「エリヤだ」と言う人がおり、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人がいました。


「洗礼者ヨハネ」とは、イエスさまに洗礼を授けた、あのヨハネです。「エリヤ」とは、旧約聖書・列王記上17章以降に登場する、偉大なる預言者です。「だれか昔の預言者」が、だれのことかは分かりません。


もちろん、ヨハネも、エリヤも、このときには、いません。すでに亡くなっている人、神のみもとに召されている人が、生き返ったのだ、それがイエスという人だと、町の人々が、うわさしていたのです。


このことについては、先週学びました個所にも記されていました。領主ヘロデがイエスさまについてのうわさを、全く同じように聞いていました(ルカ9:7〜8)。


つまり、領主ヘロデが聞いていたのと全く同じ内容のうわさを、弟子たちも聞いていた、ということでしょう。これが意味していることには、二つほどの可能性が考えられます。


一つの可能性は、領主ヘロデとイエスさまの弟子たちは、それぞれの生活圏としている場所が、全く同じうわさを聞くことができるほどに、近かったのではないか、ということです。


もう一つの可能性は、領主ヘロデが政治権力者に特有の地獄耳を持っていたのでないか、ということです。自分の側近たちを町の中に遣わし、自分にとって不利になるようなことならば、どんな小さなことでも情報を収集していた可能性があります。恐怖政治には必ずつきものの、一種のスパイ活動です。


どちらの可能性にせよ、ここで明らかなことは、イエスさまというお方について、町の人々が、いろいろなうわさをしていた、ということです。


しかも、興味深いことは、そのうわさの内容は、「洗礼者ヨハネ」であれ、「エリヤ」であれ、ユダヤ人たちの中では、非常に大きな尊敬を集めた、偉大な人物だった、ということです。


その偉大な人物の生まれ変わりだというのですから、そのうわさをしている人々は、イエスさまのことも、偉大な人物である、と認めていた、ということです。


そしてまた、その同じうわさを聞いたヘロデも、イエスさまの存在が非常に気になり、会ってみたいと思うようになったというのですから、その存在の大きさそのものは、彼も認めざるをえなかった、ということが、分かります。


イエスさまご自身の宣教の目的は、ヘロデのような人を、その権力の座から引き降ろし、その代わりにご自身がヘロデの座に着く、というようなことにあったわけではありません。しかし、結果として、ヘロデが非常に不安を感じるほどに、イエスさまの存在は、大きなものとなっていた、ということが、分かります。


そのことは、おそらく、イエスさまの弟子たちにとっては、うれしいことだったのではないでしょうか。イエスさまの宣教活動の進展と拡大が進んでいくことを、彼らは、自分のことのように喜んでいたに違いありません。


ところが、イエスさまご自身はどうであったか、と考えてみますと、今日の個所を読むかぎり、いくらか微妙な、といいますか、はっきり言えば、とても困った気持ちを持っておられたのではないか、と思われます。


そのように言いうる根拠は何かといいますと、あとでもう一度触れますが、21節に書かれていることです。「イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じた」。


イエスさまのうわさが広まることで、ヘロデのような人々が動きはじめるということを、イエスさまは、よくご存じであった、ということです。


しかし、それは非常に困ることです。ヘロデのような人々に動いてもらっては、困る。なぜなら、そういう人々は、必ずイエスさまのお働きの邪魔をしてくるのですから。


今、イエスさまの助けを必要としている人々が、大勢いるわけです。


それこそ、順番待ちしているような人々が、たくさんいる。今か今かと、イエスさまが来てくださるのを、待っている人々が、たくさんいる。


待ちきれなくて、あるいは、自分に順番が回ってくることはないと考えて、どさくさに紛れて、イエスさまの服に触れるだけでもかまわないと、手を伸ばしてくる人さえ、いる。


イエスさまのご関心は、その人々を、ただ助けることだけです。その救いのみわざを、イエスさまとしては、邪魔されたくなかったはずです。


イエスさまの目的は、ご自身の名前が、あるいは存在が広く知られることにあったわけではありません。


むしろ、ご自身は、できるだけ隠れておられたかった。逃げたり隠れたりする、という意味ではなく、です。今、助けを求めている人々を、今、助ける、ということができなくなるのを、避けたい、とお考えになったのです。


しかし、そのこととは別に、イエスさまは、弟子たちに対して、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問われました。それに対して、ペトロが答えました。「神からのメシアです」と。


これはペトロの信仰告白、あるいはキリスト告白と呼ばれます。イエスさまが弟子たちにお求めになったのは、信仰です。


はっきり言えば、イエスさまは、ご自身の名前が広く知れ渡ることについて、信仰ではない仕方で、町の人々の、ただうわさ話にされてしまうことを、嫌がられたのです。そんなことは、イエスさまにとっては、少しもうれしいことではなく、むしろ、たいへんお困りになることだったのです。


「イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、次のように言われた。『人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。』」


イエスさまは、ペトロがイエスさまに対する正しい信仰を告白したのちに、そのことをだれにも話さないようにお命じになりました。その理由として考えられることは、先ほど申し上げましたとおりです。


そして、イエスさまは、御自分の身の上に日増しに近づいている危険を、よくご存じでした。


ここで「人の子」とは、イエスさまご自身のことです。人の子は必ず、多くの苦しみを受けるのだ、と。長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺されるのだ、と。


ここで興味深いこと、といいますか、おそるべきこと、注目すべきことは、イエスさまを排斥し殺すのは、「長老、祭司長、律法学者」、すなわち当時のユダヤ教の指導者たち、宗教の専門家たちである、とイエスさまが認識しておられた、ということです。


宗教が、教会が、罪を犯すのです。これは本当に困ったことです。


なぜ、そういうことになるのか、といいますと、一言で言うならば、要するに、ねたみです。宗教家が、教会の指導者が、自分の立場や地位を守るために、イエスさまにねたみを抱き、殺すのだ、ということです。


このイエスさまの予言は、現実のものとなりました。


「それから、イエスは皆に言われた。『わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。』」


イエスさまは、弟子たちに「わたしに従いなさい」と言われました。


ただし、条件があります。「自分を捨てること」、そして「日々、自分の十字架を背負うこと」です。その道は、決して容易いものでも、軽いものでもありません。


「自分の十字架を背負う」とは、何でしょうか。説明は、どこにもありません。「十字架」とは、死刑台のことです。自分の死刑台を日々背負って歩きなさい、というのですから、常に死の覚悟をもって歩め、自分の犯した罪や受けるべき罰を強く自覚せよ、ということではないでしょうか。


「自分を捨てなさい」とは、何でしょうか。それは、自分のために生き、自分のために死ぬことの正反対です。


そうです、イエスさまが求めておられるのは、キリストのために生きること、キリストのために死ぬことです。その決意と覚悟をもって、キリストに従うことです。


しかし、それは、キリストの弟子たちにとっては、なんら悲壮なことではありません。


イエスさまは、「わたしのために命を失う者は、それを救うのである」とも言われました。


キリストのために苦労すること、キリストのために死ぬことは、まさに生きることであり、命が救われることである、ということです。


これは、わたしたちにも、当てはまることです。


今、助けを求めている人を、今、助けること。


そのことのために苦労することができる人々は、幸いです。


それは、イエスさまと同じ道を、イエスさまのあとに従って、歩むことです。


邪魔が入るのは困ります。しかし、ねたみや迫害をおそれては、何もできません。


前進あるのみです。


一歩一歩、前に進んで行きたいと思います。


(2005年6月26日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年6月19日日曜日

五つのパンと二匹の魚

ルカによる福音書9・1〜17


関口 康


今日は三つの段落をお読みしました。実際にこのように続けて読んでみますと、三つの段落には何らかの関連がある、ということが分かります。


第一の段落に記されていますことは、イエスさまが十二人の弟子たちを呼び集められ、「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能」をお授けになり、そして、神の国を宣べ伝え、病気をいやすためにお遣わしになる、という出来事です。


要するに、それは、主イエス・キリストによる、弟子たちの、この世に向かっての派遣、という出来事です。


第二の段落に記されていますことは、領主ヘロデがイエスさまとその弟子たちのうわさを聞いて、イエスというその人に会ってみたいと考えはじめた、という出来事です。


そして、第三の段落に記されていますことは、イエスさまの周りに集まってきた男性たち五千人(ただし成人のみと思われます)、そしておそらく女性や子どもたちを合わせると一万人とも考えられる数の群集がお腹をすかせていたので、イエスさまが、十二人の弟子たちに命じて、五つのパンと二匹の魚だけで、すべての人々を満足させた、という出来事です。


この三つの段落に記されている三つの出来事には、何らかの関連性がある、とわたしには思われます。


それを一言で言いますならば、それは、要するに、その日そのときに至るまでイエスさまが宣べ伝えられてきた「神の国」というものが、次第に進展と拡大を見せ、いよいよもって、多くの人々に大きな影響を与えていく様子が、明らかにされている、ということです。


第一の段落に記されている、イエスさまの、弟子たちに対する、力と権能の付与ないし授与の意味は、神の国の進展と拡大という流れの中で考えていくと、よく分かることです。


別の言い方をしますならば、イエスさまというこのお方の伝道の方法は、どのようなものであったか、ということを考えると、よく分かることであるとも言えます。


それは要するに、救いを求めてイエスさまのもとに訪れる一人一人に対し、あるいはまた、たとえ自分の足でイエスさまのもとに来れなくとも、だれか人を介して、イエスさまのもとに助けを求めてくる一人一人に対して、ひとつずつのみわざを行ってくださる、という方法です。


イエスさまは、一人一人に近づき、一人一人に語りかけ、一人一人に手を置き、一人一人のために祈り、ひとつずつのみわざをなしてくださいます。イエスさまというお方は、そういうお方です。


不特定多数の人々に向かって、「神の恵み」を、一人一人の顔も見ることをせず、一人一人の状況も何ら知らずして、ただばらまき、それだけで事の一切を済ませる、というようなやり方の、ちょうど正反対、とお考えいただくことも、できると思います。


今であれば、テレビという手段があります。そこで、神の御言としての説教を語る。そうすれば、一度に何百万人、何千万人という不特定多数の人々に聖書の御言葉を宣べ伝えることができる、というふうに考え、実際にそのようにしている人々がいます。


わたしは、そのようなやり方に反対したいがために、今、このようなことを申し上げているわけではありません。いろいろな伝道の方法がある、ということは、否定されるべきではありません。


とはいえ、どう控えめに考えてみましても、そのようなやり方は、やはり、イエスさまご自身の伝道の方法とは、相当隔たりがある、と言わざるをえません。


わたしたちがこのルカによる福音書を学びはじめた最初の頃に、わたしが繰り返し強調してお話ししておりましたひとつのことは、イエスさまの伝道には、“みことば”の要素と共に“ふれあい”の要素がある、ということでした。そのことを、ここでも、思い返していただきたいです。


もし、この伝道というわざが、ただ言葉だけによる、というのなら、それこそテレビのような方法、あるいは、著名な牧師や神学者の説教集で、事が足ります。


ところが、実際には、そうではない。伝道は、言葉の伝達に終わらない。そこには必ず“ふれあい”の要素が必要なのです。


要するに、伝道者たちは、苦しみの中で救いと助けを求めている一人一人に“さわりに行く”必要があるのです。そのことなしには、真の意味で、言葉がひとに伝わる、ということさえ、起こらないのです。


しかし、だからこそ、次のこともまた、語られなくてはなりません。


だからこそ、イエスさまは、弟子たちをお選びになり、その弟子たちに、ひとを救い、助けることのできる力と権能を、お授けになるのです。


それは、何のためでしょうか。


神の国の進展と拡大に伴い、イエスさまに助けを求めてくる人々の数も増えてきました。


しかし、イエスさまは、おひとりです。


その人々、その一人一人に、イエスさまが一度に同時にかかわることは、おできにならないし、そのようなことはなさらないのです。


そのように、わたしは、先週申し上げました。


いわば、その代わりに、です。


イエスさまは、御自身がなさるみわざが弟子たちを通しても行われるように、つまり、その弟子たちを通して多数の人々に、一度に同時に救いのみわざが行われるように、弟子たちに、力と権能をお授けになるのです。


弟子たちのなすわざは、イエスさまのみわざと全く同じとは言えないかもしれませんが、イエスさまが弟子たちにお与えになった力と権能のゆえに、彼らもまた、救いのみわざを行うのです。


このように考えますと、今日お読みしました個所の第一の段落に記されている事柄は、神の国の進展と拡大に伴う出来事である、ということを、ご理解いただけるのではないかと思います。


第二の段落に記されている、領主ヘロデがイエスさまのうわさを聞いて、イエスさまに会いたくなった、というのも、やはり同じように、イエスさまが宣べ伝れられた神の国の進展と拡大に伴う出来事であった、と理解することができます。


「領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った」とあります。なぜヘロデは「戸惑った」のでしょうか。おそらく、なんらかの圧力を感じ、身の危険を感じたのです。


ヘロデは、いわゆる政治家です。神の国ではなく、ヒトの国、人間の国の支配者です。かたやイエスさまは、神の国の支配者として、王として、この地上に来てくださいました。しかし、そのことは、ヘロデに圧力や身の危険、不安をもたらすことになりました。


ここで考えるべき問題は、はたして、イエス・キリストが王としてお立ちになる神の国は、ヘロデのような人が支配するヒトの国、人間の国と競合するものであろうか、ということでしょう。


はっきり言いうるひとつの点は、イエスさまは、ヘロデのような人に圧力をかけるために、神の国の福音を宣べ伝えられたわけではない、ということです。


イエスさまは、地上の一国の王になるために来られた方ではありません。そのようなことが、イエスさまが父なる神のみもとから来られた理由や目的ではありません。


しかし、それにもかかわらず、ヘロデは、イエスさまの動きに「戸惑い」を覚え、不安を感じました。それはおそらく、自分の支配が崩れるかもしれない、という不安でしょう。


地上の権力者は、いつでもそういうことを考えます。その支配のあり方が独裁的なものであればあるほど、自分の地位や立場を脅かすことになるかもしれない存在を許すことができません。


そう、そのような人々は、自分の思い通りにならないものの一切の存在を、許すことができないのです。


この点については、ヘロデの嗅覚は、なるほど、たしかなものであった、ということができそうです。


イエスさまも、イエスさまの弟子たちも、まさに神の国に生きる者たちとして、ヘロデのような人の思い通りにはなりません。


神の国とは、神の御言葉によって立つ国です。不法や不正を許しません。


わたしたちの救い主は、正義と公正の主です。その方が来てくださるとき、不法や不正によって成り立っている地上の国とその支配者は、打ち砕かれるのです。


第三の段落に記されている、イエスさまのみもとに集まった一万人以上とも考えられる群集のお腹を、イエスさま御自身が、弟子たちの働きを用いて、五つのパンと二匹の魚をもって満たされる、ということもまた、同じように、神の国の進展と拡大に伴う出来事であった、と理解することができます。


イエスさまの十二人の弟子たちは、イエスさまに「群集を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです」と言いました。彼らは、ごく普通の、当たり前の判断をしたにすぎません。


ところが、イエスさまは「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお命じになりました。


今、群衆を解散させる必要はない、ということです。イエスさまの御言葉を聞いた人々が食べ物を得ることは、彼らの責任ではなく、あなたがた弟子たちの仕事である、ということです。


これは明らかに、第一の段落に記されている、イエスさまが、その弟子たちに対して、人々をいやす力と権能をお与えになった、という出来事に関連しています。


人々をいやす、というのは、ただ単に、今、いわゆる病気にかかっている人々の、その病気をいやす、ということに、とどまりません。


おそらくもっと広い意味です。お腹がすいている人のそのお腹を満たすことも、立派にいやしです。十分な意味でのいやしのひとつです。


それができるように、イエスさまは、弟子たちに、力と権能をお与えになったのです。


ところが、弟子たちは、「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり」と、至極もっともらしい、しかし、ちょっと情けないことを言いはじめます。わたしたちにはできません、と。


しかし、イエスさまは、彼らとは全く違うことを、お考えになりました。そして、そのお考えどおりになさいました。


「イエスは弟子たちに、『人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい』と言われた。弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。」


わたしは、ここで、ものすごく単純なことを申し上げたいと思います。


それは、イエスさまは、純粋な意味で「分けて食べる」ということを、お考えになり、そのようになさったのだ、ということです。


イエスさまは、「分けて食べる」ということを、なさいました。そうすると、パンと魚の量が、増えました。理由は、分かりません。神の奇蹟と呼ぶほかはありません。


この個所を読む人々の中には、そのとき集まっていた群衆が、じつは、それぞれお弁当を隠し持っていたので、増えたのだ、というような、きわめて合理的で、身も蓋もない話にしてしまう人々も、いるようです。


しかし、わたしたちは、そのような説明で納得できるでしょうか。なんだか嫌な気分にさせられます。


まさか、そんな話ではないはずです。イエスさまは、まさに純粋に、そしてごく単純に「みんなで分けて食べる」ということを、実践なさったのです。それ以上でも、それ以下でも、ありません。


ただ、しかし、ひとつの点だけ、いくらか合理的な話もしておきます。


今日のこの個所の話は、ひとりで食べる食事を体験したことがある人(おそらく、ここにおられる皆さんすべて)ならば、きっと、理解していただけるのではないか、ということです。


おいしくないです。さびしいです。どんなにたくさんあっても、どんなに高級な食材が使われていても、ひとりの食事は味気ない。おそらく、このことは、多くの人々に了解していただけることではないでしょうか。


食事とは何か、を考えさせられます。それは、わたしたちの日常生活全体を考えることでもあります。


少し大げさに言わせていただくならば、わたしたちが何のために生きるのか、という問いそのものを考えることでもあります。なぜなら、わたしたちが仕事によって手にするものの多くは、わたしたちの食べるもののために消えていくからです。


イエスさまと共に生きること、そして、イエスさまを信じる人々と共に食卓を囲む喜びを味わったことのある人々は、きっと、その問いの答え――食事とは何かという問いの答え――を知っています。


おそらく、わたしたちにとって、食事の満足は、その量や味だけで、得られるものではありません。


信仰が必要です。


賛美の祈りが必要です。


みんなで分け合うこと、


そして、楽しい語らいが必要です。


イエスさまと共に生きること、それは、イエスさまと共に、またイエスさまを信じる人々と共に食卓を囲むことでもあります。


それが、それこそが、神の国なのです!


わたしたちは、日常生活の中で、神の国を真に体験することができるのです!


(2005年6月19日、松戸小金原教会主日礼拝)