2005年7月10日日曜日

信仰といやし

ルカによる福音書9・37~45


今日の個所に紹介されていますのは、わたしたちの救い主イエス・キリストが、一人の男の子の病気をいやしてくださった、という出来事です。


それはどのようにして起こったのか、この出来事の持っている意味は何かというあたりのことを考えながら、読み進めていきたいと思います。


「翌日、一同が山を下りると、大勢の群集がイエスを出迎えた。」


「翌日」とあります。何の翌日かといいますと、これは間違いなく、先週学びました、イエス・キリストが山の上で祈っておられるときに、栄光に輝くお姿に変貌されたというその出来事が起こった日の翌日、ということです。


今日の個所に紹介されている、イエス・キリストが一人の男の子の病気をいやしてくださった、というこの出来事は、マタイによる福音書(17・14〜18)にも、マルコによる福音書(9・14〜27)にも紹介されています。


そして、じつをいいますと、今わたしたちが開いておりますルカによる福音書とあわせた三つの福音書において、この出来事に関して共通している点があります。


それは、三つの福音書のどれも、この男の子の病気のいやしという出来事が起こったのは、イエス・キリストのいわゆる山上の変貌ということが起こった、その次であるというこの点です。


ただし、この点について、マタイとマルコは、この二つの出来事の間にある時間の経過については、とくに記しておりません。しかし、ルカだけが「翌日」ということを明らかにしています。


これは考えてみれば当たり前のことです。


イエスさまと三人の弟子たちは、山に登っておられたわけです。


それがどの山か、ということは聖書のどこにも記されていませんが、マタイとマルコは「高い山に登られた」と書いています。先週、わたしは、もしかしたらヘルモン山かもしれない、という説があることをご紹介いたしました。


ヘルモン山も、高い山です。文字どおり「登山」という言葉が、当てはまります。


高い山に登るのは一苦労です。だからこそ、ペトロたちは、ひどく眠かったという話が、先週の個所に出てきました。山を登ってきた足も体も、疲れていたのです。


それではイエスさまはお休みにならなかったのか、というと、そんなことはないと思います。栄光のお姿に変貌されたのちに、イエスさまもお休みになったのです。


そう考えてみますと、「翌日」という言葉の意味が、分かるような気がします。


時間的に続いているようで、続いていない。夜という時間を通り過ごすことにおいて、一度切れる。ぐっすり休み、新しい力に満たされて、立ち上がる。


そのようなイエスさまと弟子たちの姿を、思い浮かべることができます。


そして、山を下りました。すると、また大勢の群集が、イエスさまを取り囲みました。イエスさまには、十分に休息することができる時間がありません。


「そのとき、一人の男が群集の中から大声で言った。『先生、どうかわたしの子を見てやってください。一人息子です。悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。』」


この男の子の病気について、マタイは「てんかん」と、はっきり記しています(マタイ17・15)。マルコとルカは病名を記しておらず、病状の説明だけをしています。


引きつけが起きる。倒れる。口から泡を吹く。マルコは「歯ぎしりする」とも書いています(マルコ9・18)。


今では、それは、脳の慢性的な病気であると言われています。薬を飲んでコントロールできるようになった、と言われています。


しかし、それはごく最近のことです。長い間、治らない病気とされてきました。イエスさまの時代には、「悪霊が取りついた結果」と見られていました。


そのように説明するしかなかった、といいますか、そんなのは全く何の説明でもないわけです。原因不明のことは何でも「悪霊」と、説明にならない説明をするしかなかったのです。


イエスさまに助けを求めたのは、この男の子のお父さんでした。「先生、どうかわたしの子を見てやってください」と。


この父親は、この男の子を「わたしの子」と呼んでいます。「一人息子です」とも言っています。


わたしの子、たった一人の子が、病気で苦しんでいます。どうか見てやってください。助けてください。


これは、この父親の悲痛な叫びです。しかしまた、力強い叫びでもあると思います。


ここで少し、残念な話をしなくてはなりません。すべての人に当てはまる話ではない、ということを、あらかじめはっきりお断りしておきます。


ただ、しかし、世の父親の中には、自分の子どもが生まれつきの障害をもっていることが分かった途端に、妻子を置いて出て行くケースがあります。子どもの現実と向き合うことができない父親がいます。


しかし、この父親は違いました。


この子はわたしの子どもである。わたしのたった一人の、かけがえのない子どもである。


そのことを、イエスさまの前で、強く訴えました。


「わたしの子」と呼んでいる、その一言に、この父親の子どもに対する深い愛情を読み取ることができるように思われます。


ところが、です。この父親は、その心の中に、大きな不満を抱えていました。そして、イエスさまに向かって、助けを求めているようでもありますが、同時に一つの大きな苦情を述べたい気持ちをもっていました。


「『この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できませんでした』」。


「お弟子たち」とあります。原文には「あなたの弟子たち」と書かれています。


イエスさま、あなたの弟子たちは、一体、何なのですか、と言いたいのです。


「わたしの」大切な一人息子の病気を、「あなたの」弟子たちは、治すことができませんでした。それは「あなたの」責任です、と言いたいのです。


これは決して、この父親の言いがかりとは言えません。弟子たちを育て、訓練する責任は、たしかに、イエスさまにあります。


イエスさまは、十二人の弟子たちに「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能」をお授けになりました(ルカ9・1)。免許皆伝が行われました。


そして、彼らは、実際の現場に出て行って、イエスさまから授かった力を用いて、助けを求めてきた人を助けようと試みました。


とくに、このとき、イエスさまは、三人の弟子たちと共に山に登っておられたわけですから、イエスさまの留守中、自分たちだけで何とかして、この男の子の病気を治そうと努力したのだと思います。


ところが、弟子たちは、悪霊に打ち勝ち、病気をいやすことができる力を、不覚にも、まだ持っていませんでした。助けを求めてきた人を、助けることができなかったのです。


こういうときに空しい気持ちになるのは、助けを求めた人と求められた人との、両者です。


これが欲しいと願って入った店に、それがなかったということが三回続くと、その店には二度と行かないと心に誓うのが、わたしたちです。


診てもらっても治らない医者のところには、二度と行かないと心に誓うのが、わたしたちです。


この父親も、自分のかけがえのない一人息子の病気を治すことができないイエスさまの弟子たちなど、二度と信用しない、と心に誓いはじめていたのではないでしょうか。


しかし、それでも、弟子たちではなく、イエスさまご自身ならば、何とかしてくださるかもしれないと、まさに最後の望みを抱きつつ、この父親は、イエスさまのところに来ていたに違いありません。


最後の望み、と言いますのは、イエスさまとその弟子たちに頼ることを、「これで最後にしよう」という意味です。それは、非常に重大な決意です。


「これで最後にしよう」という決意は、抱くほうも、抱かれるほうも、本当に辛いものです。


わたしたちの教会生活においても、長い年月の間には、時として、そういう思いを抱くほどに追い詰められることがあると思います。


「これで最後にしよう」。今日、もし恵みを感じることができなかったならば。


「これで最後にしよう」。今日、もし喜びを感じることができなかったならば。


そこには、お互いの真剣勝負があります。イエスさまの弟子として生きる道は、甘えた気持ちだけでは、乗り越えていくことができそうもありません。


「イエスはお答えになった。『なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。』」


イエスさまは、激しくお怒りになりました。もちろん、弟子たちに対して、です。教師として、弟子たちを育て、訓練する責任において、です。


なんとだらしない、なんと無力で、みじめな結果だろうか、と。あなたがたに足りないのは、「信仰」である、と。


おそらく、弟子たちは、震え上がる気持ちで、そしてまた、自分自身のあまりの無力さに打ちのめされる気持ちで、イエスさまのお言葉を聞いたに違いありません。


このとき、イエスさまが激しくお怒りになりながら、お話しになったことの中に、たいへん気になる言葉が出てきます。


「いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。」


このお言葉は、反対の方向から言い直しますと、「わたしは、あなたがたと、いつまでも永久に、一緒にいることができるわけではない」ということでもあります。


「先生、ごめんなさい。わたしたちには、できませんでした。先生がやってください」と言って、弟子たちが、自分の責任を放棄し、自分が本当はしなければならなかったことを、イエスさまに丸投げしてきたときには、いつでも、イエスさまは、我慢して弟子たちの尻拭いをすることになるわけです。


しかし、そういうことができるのも、今のうちだけであって、いつまでも永久に、そのようにできるわけではない、ということを、イエスさまは、ここではっきりおっしゃっています。


それは、もちろん、イエスさまが、これからエルサレムにお入りになり、そこで不当な裁判をお受けになり、十字架にかけられて死ぬ(殺される)ということを、強く自覚しておられたからです。


ご自身の死ということを強く自覚しておられたがゆえに、弟子たちの体たらくが、我慢できなかったのです。いつまであなたがたの面倒を見なければならないのか、と。


とはいえ、それはまた、明らかに、言葉の裏側に、弟子たちに対する愛情も込められている、と言ってよいものでもあるでしょう。「もちろん、わたしがあなたがたと一緒にいることができる間は、面倒をみることができるのだけれどね」と。


また、もう一つのことも、思い当たります。イエスさまが、この先、助けの御手を差し伸べたいと願っておられる相手は、もはや、弟子たちではありえない、ということです。


なぜなら、今やイエスさまの弟子たちは、いわばイエス様の側に立って、イエスさまと共に、世の多くの人々を助けるわざに就いているはずだからです。


イエスさまが助けたいと願っておられるのは、弟子たちではなく、世の多くの人々です。


少しひどい言い方に聞こえてしまうかもしれませんが、イエスさまは、いつまでも永久に、弟子たちの面倒など、見てくださいません。


そんなことをしているよりも、一人でも多くの世の人々を助けたい、とお考えになります。


イエスさまというお方は、そういうお方なのです。


「『あなたの子供をここに連れて来なさい。』」


このように、イエスさまは、この父親にお命じになりました。


「あなたの」大切な子どもを助けることができなかった「わたしの」弟子たちの無力をお詫びしたい、という不甲斐ないお気持ちを、持っておられたのではないでしょうか。


そして、イエスさまが、弟子たちの代わりに、この男の子の病気をいやしてくださいました。


しかし、本当は、この子の病気をいやすことは、弟子たち自身がしなければならないことだったのです。


(2005年7月10日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年7月3日日曜日

山上の変貌

ルカによる福音書9・28~36


「この話をしてから八日ほどたったとき」


「この話」とありますのは、前回学びました個所に記されている、イエス・キリスト御自身がお語りになった、神の言葉の説教のことです。


前回の個所でイエスさまは弟子たちに、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」とお語りになりました。


イエス・キリストの弟子として生きることを決心し、約束したすべての者たちは、自分を捨てなければなりません。そして日々、自分の十字架を背負わなければなりません。


「自分を捨てる」とは、自分のために生きるのをやめるということです。自分のために生きることをやめて、イエス・キリストのために生きることを始めるのです。イエス・キリストのために命を失う者は、自分の命を救うことになるのです。


キリストのために生きること、それはただちに父なる神の御心を行うことを意味します。またキリストに従うことは、父なる神に従うことを意味します。イエス・キリストは、父なる神の御子であり、地上において父なる神の御心を示す役割を担われるお方だからです。


イエス・キリストに従わない者は、父なる神にも従っていません。それは、神に背いて生きるのと同じです。神に背いて生きることを、聖書は、端的に「罪」と呼びます。神に従わない人生を送る人は、救われていません。


わたしたちの救いとは、イエス・キリストにおいて御自身を現された父なる神に従って生きる人生を送ることなのです。


このことは、わたしたちにとって、いくぶん困惑させられることでもあります。


イエス・キリストに従って生きる者たちには自分を捨てること、そして、日々、自分の十字架を背負って生きることが求められます。それこそが救いの道であると言われるわけですが、なんと厳しい道でしょうか。わたしたちは、この厳しさに耐えられるでしょうか。


しかし、です。ここで間違いなく言いうることは、わたしたちの前に差し出されている選択肢は二つである、ということです。


イエス・キリストに従って、自分を捨て、自分の十字架を背負って生きる、救いの道に進むか。それとも、自分を捨てることなく、自分の十字架を背負おうとしない、滅びの道に進むか、です。


どちらを歩むのもいやだ、と感じる人が多いのではないでしょうか。どちらの道であれ、結局、厳しいではないか。もっと楽な道はないのか、と探しはじめるのではないでしょうか。


あれか・これかの二者択一などは、したくありません。どちらでもない、第三の道を探したくなるのが、わたしたちです。


しかし、イエス・キリストは、こう言われました。


「わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。」


要するに、第三の道はない、ということです。


イエス・キリストを恥じるとは、イエス・キリストをいわば相対化することです。絶対視しないこと、距離をおくことです。


それは、他にもいろいろとある、いくつかの道の中の一つとして、イエス・キリストに従う道を見ることです。


わたしにとって大切なのは、イエス・キリストだけではない、キリスト教だけではない、教会だけではないと考えて、距離を置き、それなりの付き合い方をすることです。


熱心であること、近づきすぎることが、恥ずかしいのです。


ところが、そのようにイエス・キリストを恥じる人を、イエス・キリストは恥じる、と言われています。


イエス・キリストを信じるか・信じないか、あるいはまた、イエス・キリストに従って生きるか・従わないかには第三の道はありません。


もう一つ、先週触れることができなかったのは、9・27の御言葉です。


「確かに言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国を見るまでは決して死なない者がいる。」


これは解釈が難しい言葉です。イエス・キリストの弟子たちの中の誰かが終末における神の国の実現の日まで長生きする、というふうにも読めます。しかし、そういう意味ではありません。


イエス・キリストに従い、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って生きる者たちはすべて、神の国を見ることができる、という意味です。


ところが、その一方で、イエス・キリストに従わない者たちがいる。その人々は神の国を見ることができない、という意味です。


問われていることはイエス・キリストに従うか・従わないかです。ここでも、道は二つに一つである、ということが語られているのです。


「この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。」


イエスさまは、祈られるときには、しばしば、山に登られました。


しかし、なぜ山に登られたのかという理由が記されている個所を、わたしは知りません。山がお好きだったから、とか、都会の喧騒を離れて静かな場所に行かれたかったから、というようなことが明記されている個所を探しても、見つかりません。


また、この個所で、イエスさまが三人の弟子たちを連れて登られた山がどの山だったか、ということも、記されていません。


一説によりますと、ヘルモン山ではないかと考えられています。ガリラヤ湖よりも北にある、高さ二千七百メートルほどの山です。山頂に雪が積もる山です。


しかし、山の名前が記されていない、ということが、尊重されるべきかもしれません。どの山でこの出来事が起こったかということは、問題になっていません。


大切なことは、どの山で起こったかではなく、それが山で起こった、ということです。


山という場所が、聖書の中で重要な役割を果たしてきた、ということは、よく知られています。モーセが十戒の二枚の石の板を神さまからいただいたのも、山でした。


山に神が住むという、いわゆる山岳信仰は、世界各地にあります。聖書の場合は、山だけに神さまが住んでおられる、と信じられているわけではありませんので、いわゆる山岳信仰と一緒くたにすることはできません。


しかし、山で神に祈り、山で神に出会うという場面が、聖書の中には多く出てきます。牧師たちの中にも、山が好きという人が、時々います。


「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。」


山の上でイエスさまが、栄光に輝くお姿へと変貌された。これが、この個所が証言している最も大切なことです。


そして、変貌されたイエスさまは、モーセとエリヤという二人の旧約聖書的英雄たちと語り合っておられました。


興味深いのは、この二人とも、シナイ山(ホレブ山も同じ)で主なる神の御声を聴いたという共通点を持っていることです。


モーセのシナイ山での出来事は、出エジプト記19章以下に記されています。エリヤのシナイ山での出来事は、列王記上19・8以下に記されています。


要するに、山に関係がある人々、と呼ぶことができる二人が、イエスさまの御前に現れた、と語ることができます。


この二人が、イエスさまの御前で話し合っていた話題は、たいへん深刻なものでした。イエスさまがエルサレムで遂げようとしておられる最期は、どうなるのか、ということでした。


なぜ、モーセとエリヤなのでしょうか。先ほどは、山に関係がある人々、と呼ぶことができる二人、と申しました。しかし、おそらくそれだけではありません。


彼らは旧約聖書的英雄である、とも申しました。間違いなく言いうることは、この二人は、旧約聖書に記されている数多くの登場人物の中でも、最も有名で、また最も尊敬されている、最も代表的な人々である、ということです。


この二人こそ旧約聖書を文字どおり代表する人々である、と語ることができます。彼らの存在は、いわば旧約聖書の存在そのものである、とさえ言えます。


だからこそ、彼らは、イエス・キリストの最期の姿を、知っていました。旧約聖書は、救い主メシアの最期を知っています。


この二人、モーセとエリヤがイエスさまの御前に現れて、イエスさまと語り合いました。この出来事の意味は、明白です。


イエスさまは、彼らの証言、旧約聖書的証言を確認し、御自身がこれからエルサレムの町に入っていかれ、十字架の死の日を迎えるための備えをしておられたのです。


「ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。『先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。』ペトロは、自分でも何を言っているか、分からなかったのである。」


ここに描かれている弟子たちの姿は、なんともこっけいです。


彼らの先生であるイエスさまが、これからエルサレムで起こる御自身の十字架上の死について決心と覚悟を固め、備えをしているときに、弟子たちが寝ぼけているというのですから。


「ペトロは、自分でも何を言っているか、分からなかったのである」と書かれています。寝ぼけて訳の分からないことを口走ってしまった、ということでしょう。


ペトロの提案は、イエス・キリストのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ、全部で三つの仮小屋を建てましょう、というものでした。


何のための「仮小屋」でしょうか。幕屋(テント)と訳すことも可能な、宿泊のための仮設住宅です。


ペトロの意図は、たぶん次のことです。せっかくモーセ先生とエリヤ先生が来てくださったのですから、すぐに帰ってしまわれないように、こちらで宿泊していただきましょう、と言いたかったのではないでしょうか。精一杯のもてなしのつもりだったのだと思われます。


ところが、このペトロの提案は、雲の中から聞こえてきた声によって退けられました。それは、父なる神の声です。


「ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。すると、『これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け』と言う声が雲の中から聞こえた。その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時はだれにも話さなかった。」


父なる神が弟子たちにお示しになったことは、イエス・キリストに聞きなさい、ということでした。


モーセとエリヤの姿は、消えました。イエスさまとモーセとエリヤとの三人が横並びの関係にあるのではない、ということが示された、と言えます。


ペトロに悪気はありませんでした。しかし、彼の提案は、まるで、イエスさまとモーセとエリヤとを横に並べようとするものでした。この提案が、退けられたのです。


その理由は最初に申し上げたことです。道は二つに一つしかないからです。


この三人を横に並べて考えることができるとするならば、イエスさまを選ばなくとも、モーセかエリヤを選ぶだけでも、救われる道があるかのようです。


しかし、第三の道はありません。


イエス・キリストに従うか・従わないか。


この二つの道だけが、いえ、じつは、ただ一つの道だけが、弟子たちに示されたのです。


(2005年7月3日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年7月2日土曜日

『日本の説教 第13巻『田中剛二』(日本キリスト教団出版局、2004年)

田中剛二(一八九九~一九七九年)は、広島県三原市に日本基督教会教師の次男として生まれた。神戸神学校卒業後、日本基督教会教師となり、高知教会にて十二年余多田素牧師のもと副牧師として働いたのち、アメリカのプリンストン神学校とウェストミンスター神学校に留学。帰国後神港教会牧師になる。第二次大戦終結の翌年の日本基督改革派教会の創立大会(一九四六年)より二年遅れの一九四八年、四九才の田中は「私の教団離脱は私の悔い改めである」と記した理由書を教団に提出、神港教会と共に新教派に加入した。

田中は比類なき賜物を持ち、神港教会牧師として、改革派教会の教師として、神戸改革派神学校教授として、国内屈指の名説教者として、二児の父として、高潔な人格者として働きぬいた。多くの協力者にも恵まれ、歴史的改革派信仰および厳正な長老主義教会政治に立脚する新教派形成をリードすることにおいて日本プロテスタンティズムの全体的発展に貢献した第一人者であったと言って間違いない。カルヴァン研究をふくむ主要著作を収録した『田中剛二著作集』全四巻(神港教会刊、新教出版社発売、一九八二~一九八六年)は不朽の輝きを持っている。

この田中剛二牧師の説教集がこのたび「日本の説教」第一三巻として出版されたことを、わたし評者は心より喜ぶ者である。内容はテサロニケの信徒への手紙一の講解説教である。聖書への密着度や釈義的明晰性には活躍中から定評が高かった。だからこそ、時代を越えて読まれる価値もある。時事問題への言及は、全く見当たらない。

しかし田中の説教は「教会形成」を目指すものであった(安田吉三郎氏の解説より)。たとえば、次のように語られている個所がある(傍点は評者による)。

「わたしたちは、〔原始教会の〕その姿が、今日の教会の姿とどんなに大きく違っているかということを、痛感させられ〔ざるをえない〕のです。〔しかし〕これが、改革派教会の開拓伝道でなければなりません。」(二五頁)。

「わたしたちはみな、信仰と愛と望みについて学び、また、それらを与えられています。これがわたしたちを、神港教会という、キリストの教会たらしめているもの…なのです」(三四頁)。

このような言い回しでさえ極めて少ない。しかし、田中の説教は「わたしたち改革派教会」「わたしたち神港教会」をキリストの教会として建て上げてゆく言葉を語ることにおいて、真に具体的かつ現実的なものであった。常に模範としたい説教の姿がある。

(『季刊 教会』、日本基督教団改革長老教会協議会、第59号、2005年夏季号掲載)


2005年6月26日日曜日

己が十字架を負いて従え

ルカによる福音書9・18~27


今日、これからわたしたちが学びます最初の段落に記されておりますのは、わたしたちの救い主イエス・キリストとその弟子たちとの間で実際に交わされた、一つの会話です。


「イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。」


これは少し不思議に思われる言葉です。イエスさまは「ひとりで」祈っておられました。しかし、その場には、「弟子たちが共にいた」とも記されています。


少し不思議に思われることがあります。それは、そのとき祈っておられたのはイエスさまだけであった、という意味だろうか、という点です。


ただひとり、イエスさまだけが祈っておられたのであって、弟子たちは祈っていなかった、という意味でしょうか。


もしわたしたちがここに書いてあることを文字どおり受けとるならば、そういうことになるでしょう。つまり、弟子たちは、祈っておられるイエスさまと共にいながら、しかし、彼ら自身は祈っていなかった、というふうに読めます。


弟子たちは、イエスさまがひとりで何事か熱心に祈っておられる姿を、少し距離を置いたところから見守っていた、という様子を、想像することができるかもしれません。それ以上のことは、言えません。


「そこでイエスは、『群集は、わたしのことを何者だと言っているか』とお尋ねになった。弟子たちは答えた。『「洗礼者ヨハネだ」と言っています。ほかに、「エリヤだ」と言う人も、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいます。』イエスが言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』ペトロが答えた。『神からのメシアです。』」


イエス・キリストとは何者か。どういうお方であるのか。この重要な問いを、ここではイエスさま御自身が、弟子たちに問うておられます。


当時からすでに、いろんな答えがあったことが分かります。「洗礼者ヨハネだ」と言う人がおり、また「エリヤだ」と言う人がおり、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人がいました。


「洗礼者ヨハネ」とは、イエスさまに洗礼を授けた、あのヨハネです。「エリヤ」とは、旧約聖書・列王記上17章以降に登場する、偉大なる預言者です。「だれか昔の預言者」が、だれのことかは分かりません。


もちろん、ヨハネも、エリヤも、このときには、いません。すでに亡くなっている人、神のみもとに召されている人が、生き返ったのだ、それがイエスという人だと、町の人々が、うわさしていたのです。


このことについては、先週学びました個所にも記されていました。領主ヘロデがイエスさまについてのうわさを、全く同じように聞いていました(ルカ9:7〜8)。


つまり、領主ヘロデが聞いていたのと全く同じ内容のうわさを、弟子たちも聞いていた、ということでしょう。これが意味していることには、二つほどの可能性が考えられます。


一つの可能性は、領主ヘロデとイエスさまの弟子たちは、それぞれの生活圏としている場所が、全く同じうわさを聞くことができるほどに、近かったのではないか、ということです。


もう一つの可能性は、領主ヘロデが政治権力者に特有の地獄耳を持っていたのでないか、ということです。自分の側近たちを町の中に遣わし、自分にとって不利になるようなことならば、どんな小さなことでも情報を収集していた可能性があります。恐怖政治には必ずつきものの、一種のスパイ活動です。


どちらの可能性にせよ、ここで明らかなことは、イエスさまというお方について、町の人々が、いろいろなうわさをしていた、ということです。


しかも、興味深いことは、そのうわさの内容は、「洗礼者ヨハネ」であれ、「エリヤ」であれ、ユダヤ人たちの中では、非常に大きな尊敬を集めた、偉大な人物だった、ということです。


その偉大な人物の生まれ変わりだというのですから、そのうわさをしている人々は、イエスさまのことも、偉大な人物である、と認めていた、ということです。


そしてまた、その同じうわさを聞いたヘロデも、イエスさまの存在が非常に気になり、会ってみたいと思うようになったというのですから、その存在の大きさそのものは、彼も認めざるをえなかった、ということが、分かります。


イエスさまご自身の宣教の目的は、ヘロデのような人を、その権力の座から引き降ろし、その代わりにご自身がヘロデの座に着く、というようなことにあったわけではありません。しかし、結果として、ヘロデが非常に不安を感じるほどに、イエスさまの存在は、大きなものとなっていた、ということが、分かります。


そのことは、おそらく、イエスさまの弟子たちにとっては、うれしいことだったのではないでしょうか。イエスさまの宣教活動の進展と拡大が進んでいくことを、彼らは、自分のことのように喜んでいたに違いありません。


ところが、イエスさまご自身はどうであったか、と考えてみますと、今日の個所を読むかぎり、いくらか微妙な、といいますか、はっきり言えば、とても困った気持ちを持っておられたのではないか、と思われます。


そのように言いうる根拠は何かといいますと、あとでもう一度触れますが、21節に書かれていることです。「イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じた」。


イエスさまのうわさが広まることで、ヘロデのような人々が動きはじめるということを、イエスさまは、よくご存じであった、ということです。


しかし、それは非常に困ることです。ヘロデのような人々に動いてもらっては、困る。なぜなら、そういう人々は、必ずイエスさまのお働きの邪魔をしてくるのですから。


今、イエスさまの助けを必要としている人々が、大勢いるわけです。


それこそ、順番待ちしているような人々が、たくさんいる。今か今かと、イエスさまが来てくださるのを、待っている人々が、たくさんいる。


待ちきれなくて、あるいは、自分に順番が回ってくることはないと考えて、どさくさに紛れて、イエスさまの服に触れるだけでもかまわないと、手を伸ばしてくる人さえ、いる。


イエスさまのご関心は、その人々を、ただ助けることだけです。その救いのみわざを、イエスさまとしては、邪魔されたくなかったはずです。


イエスさまの目的は、ご自身の名前が、あるいは存在が広く知られることにあったわけではありません。


むしろ、ご自身は、できるだけ隠れておられたかった。逃げたり隠れたりする、という意味ではなく、です。今、助けを求めている人々を、今、助ける、ということができなくなるのを、避けたい、とお考えになったのです。


しかし、そのこととは別に、イエスさまは、弟子たちに対して、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問われました。それに対して、ペトロが答えました。「神からのメシアです」と。


これはペトロの信仰告白、あるいはキリスト告白と呼ばれます。イエスさまが弟子たちにお求めになったのは、信仰です。


はっきり言えば、イエスさまは、ご自身の名前が広く知れ渡ることについて、信仰ではない仕方で、町の人々の、ただうわさ話にされてしまうことを、嫌がられたのです。そんなことは、イエスさまにとっては、少しもうれしいことではなく、むしろ、たいへんお困りになることだったのです。


「イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、次のように言われた。『人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。』」


イエスさまは、ペトロがイエスさまに対する正しい信仰を告白したのちに、そのことをだれにも話さないようにお命じになりました。その理由として考えられることは、先ほど申し上げましたとおりです。


そして、イエスさまは、御自分の身の上に日増しに近づいている危険を、よくご存じでした。


ここで「人の子」とは、イエスさまご自身のことです。人の子は必ず、多くの苦しみを受けるのだ、と。長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺されるのだ、と。


ここで興味深いこと、といいますか、おそるべきこと、注目すべきことは、イエスさまを排斥し殺すのは、「長老、祭司長、律法学者」、すなわち当時のユダヤ教の指導者たち、宗教の専門家たちである、とイエスさまが認識しておられた、ということです。


宗教が、教会が、罪を犯すのです。これは本当に困ったことです。


なぜ、そういうことになるのか、といいますと、一言で言うならば、要するに、ねたみです。宗教家が、教会の指導者が、自分の立場や地位を守るために、イエスさまにねたみを抱き、殺すのだ、ということです。


このイエスさまの予言は、現実のものとなりました。


「それから、イエスは皆に言われた。『わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。』」


イエスさまは、弟子たちに「わたしに従いなさい」と言われました。


ただし、条件があります。「自分を捨てること」、そして「日々、自分の十字架を背負うこと」です。その道は、決して容易いものでも、軽いものでもありません。


「自分の十字架を背負う」とは、何でしょうか。説明は、どこにもありません。「十字架」とは、死刑台のことです。自分の死刑台を日々背負って歩きなさい、というのですから、常に死の覚悟をもって歩め、自分の犯した罪や受けるべき罰を強く自覚せよ、ということではないでしょうか。


「自分を捨てなさい」とは、何でしょうか。それは、自分のために生き、自分のために死ぬことの正反対です。


そうです、イエスさまが求めておられるのは、キリストのために生きること、キリストのために死ぬことです。その決意と覚悟をもって、キリストに従うことです。


しかし、それは、キリストの弟子たちにとっては、なんら悲壮なことではありません。


イエスさまは、「わたしのために命を失う者は、それを救うのである」とも言われました。


キリストのために苦労すること、キリストのために死ぬことは、まさに生きることであり、命が救われることである、ということです。


これは、わたしたちにも、当てはまることです。


今、助けを求めている人を、今、助けること。


そのことのために苦労することができる人々は、幸いです。


それは、イエスさまと同じ道を、イエスさまのあとに従って、歩むことです。


邪魔が入るのは困ります。しかし、ねたみや迫害をおそれては、何もできません。


前進あるのみです。


一歩一歩、前に進んで行きたいと思います。


(2005年6月26日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年6月19日日曜日

五つのパンと二匹の魚

ルカによる福音書9・1〜17


関口 康


今日は三つの段落をお読みしました。実際にこのように続けて読んでみますと、三つの段落には何らかの関連がある、ということが分かります。


第一の段落に記されていますことは、イエスさまが十二人の弟子たちを呼び集められ、「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能」をお授けになり、そして、神の国を宣べ伝え、病気をいやすためにお遣わしになる、という出来事です。


要するに、それは、主イエス・キリストによる、弟子たちの、この世に向かっての派遣、という出来事です。


第二の段落に記されていますことは、領主ヘロデがイエスさまとその弟子たちのうわさを聞いて、イエスというその人に会ってみたいと考えはじめた、という出来事です。


そして、第三の段落に記されていますことは、イエスさまの周りに集まってきた男性たち五千人(ただし成人のみと思われます)、そしておそらく女性や子どもたちを合わせると一万人とも考えられる数の群集がお腹をすかせていたので、イエスさまが、十二人の弟子たちに命じて、五つのパンと二匹の魚だけで、すべての人々を満足させた、という出来事です。


この三つの段落に記されている三つの出来事には、何らかの関連性がある、とわたしには思われます。


それを一言で言いますならば、それは、要するに、その日そのときに至るまでイエスさまが宣べ伝えられてきた「神の国」というものが、次第に進展と拡大を見せ、いよいよもって、多くの人々に大きな影響を与えていく様子が、明らかにされている、ということです。


第一の段落に記されている、イエスさまの、弟子たちに対する、力と権能の付与ないし授与の意味は、神の国の進展と拡大という流れの中で考えていくと、よく分かることです。


別の言い方をしますならば、イエスさまというこのお方の伝道の方法は、どのようなものであったか、ということを考えると、よく分かることであるとも言えます。


それは要するに、救いを求めてイエスさまのもとに訪れる一人一人に対し、あるいはまた、たとえ自分の足でイエスさまのもとに来れなくとも、だれか人を介して、イエスさまのもとに助けを求めてくる一人一人に対して、ひとつずつのみわざを行ってくださる、という方法です。


イエスさまは、一人一人に近づき、一人一人に語りかけ、一人一人に手を置き、一人一人のために祈り、ひとつずつのみわざをなしてくださいます。イエスさまというお方は、そういうお方です。


不特定多数の人々に向かって、「神の恵み」を、一人一人の顔も見ることをせず、一人一人の状況も何ら知らずして、ただばらまき、それだけで事の一切を済ませる、というようなやり方の、ちょうど正反対、とお考えいただくことも、できると思います。


今であれば、テレビという手段があります。そこで、神の御言としての説教を語る。そうすれば、一度に何百万人、何千万人という不特定多数の人々に聖書の御言葉を宣べ伝えることができる、というふうに考え、実際にそのようにしている人々がいます。


わたしは、そのようなやり方に反対したいがために、今、このようなことを申し上げているわけではありません。いろいろな伝道の方法がある、ということは、否定されるべきではありません。


とはいえ、どう控えめに考えてみましても、そのようなやり方は、やはり、イエスさまご自身の伝道の方法とは、相当隔たりがある、と言わざるをえません。


わたしたちがこのルカによる福音書を学びはじめた最初の頃に、わたしが繰り返し強調してお話ししておりましたひとつのことは、イエスさまの伝道には、“みことば”の要素と共に“ふれあい”の要素がある、ということでした。そのことを、ここでも、思い返していただきたいです。


もし、この伝道というわざが、ただ言葉だけによる、というのなら、それこそテレビのような方法、あるいは、著名な牧師や神学者の説教集で、事が足ります。


ところが、実際には、そうではない。伝道は、言葉の伝達に終わらない。そこには必ず“ふれあい”の要素が必要なのです。


要するに、伝道者たちは、苦しみの中で救いと助けを求めている一人一人に“さわりに行く”必要があるのです。そのことなしには、真の意味で、言葉がひとに伝わる、ということさえ、起こらないのです。


しかし、だからこそ、次のこともまた、語られなくてはなりません。


だからこそ、イエスさまは、弟子たちをお選びになり、その弟子たちに、ひとを救い、助けることのできる力と権能を、お授けになるのです。


それは、何のためでしょうか。


神の国の進展と拡大に伴い、イエスさまに助けを求めてくる人々の数も増えてきました。


しかし、イエスさまは、おひとりです。


その人々、その一人一人に、イエスさまが一度に同時にかかわることは、おできにならないし、そのようなことはなさらないのです。


そのように、わたしは、先週申し上げました。


いわば、その代わりに、です。


イエスさまは、御自身がなさるみわざが弟子たちを通しても行われるように、つまり、その弟子たちを通して多数の人々に、一度に同時に救いのみわざが行われるように、弟子たちに、力と権能をお授けになるのです。


弟子たちのなすわざは、イエスさまのみわざと全く同じとは言えないかもしれませんが、イエスさまが弟子たちにお与えになった力と権能のゆえに、彼らもまた、救いのみわざを行うのです。


このように考えますと、今日お読みしました個所の第一の段落に記されている事柄は、神の国の進展と拡大に伴う出来事である、ということを、ご理解いただけるのではないかと思います。


第二の段落に記されている、領主ヘロデがイエスさまのうわさを聞いて、イエスさまに会いたくなった、というのも、やはり同じように、イエスさまが宣べ伝れられた神の国の進展と拡大に伴う出来事であった、と理解することができます。


「領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った」とあります。なぜヘロデは「戸惑った」のでしょうか。おそらく、なんらかの圧力を感じ、身の危険を感じたのです。


ヘロデは、いわゆる政治家です。神の国ではなく、ヒトの国、人間の国の支配者です。かたやイエスさまは、神の国の支配者として、王として、この地上に来てくださいました。しかし、そのことは、ヘロデに圧力や身の危険、不安をもたらすことになりました。


ここで考えるべき問題は、はたして、イエス・キリストが王としてお立ちになる神の国は、ヘロデのような人が支配するヒトの国、人間の国と競合するものであろうか、ということでしょう。


はっきり言いうるひとつの点は、イエスさまは、ヘロデのような人に圧力をかけるために、神の国の福音を宣べ伝えられたわけではない、ということです。


イエスさまは、地上の一国の王になるために来られた方ではありません。そのようなことが、イエスさまが父なる神のみもとから来られた理由や目的ではありません。


しかし、それにもかかわらず、ヘロデは、イエスさまの動きに「戸惑い」を覚え、不安を感じました。それはおそらく、自分の支配が崩れるかもしれない、という不安でしょう。


地上の権力者は、いつでもそういうことを考えます。その支配のあり方が独裁的なものであればあるほど、自分の地位や立場を脅かすことになるかもしれない存在を許すことができません。


そう、そのような人々は、自分の思い通りにならないものの一切の存在を、許すことができないのです。


この点については、ヘロデの嗅覚は、なるほど、たしかなものであった、ということができそうです。


イエスさまも、イエスさまの弟子たちも、まさに神の国に生きる者たちとして、ヘロデのような人の思い通りにはなりません。


神の国とは、神の御言葉によって立つ国です。不法や不正を許しません。


わたしたちの救い主は、正義と公正の主です。その方が来てくださるとき、不法や不正によって成り立っている地上の国とその支配者は、打ち砕かれるのです。


第三の段落に記されている、イエスさまのみもとに集まった一万人以上とも考えられる群集のお腹を、イエスさま御自身が、弟子たちの働きを用いて、五つのパンと二匹の魚をもって満たされる、ということもまた、同じように、神の国の進展と拡大に伴う出来事であった、と理解することができます。


イエスさまの十二人の弟子たちは、イエスさまに「群集を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです」と言いました。彼らは、ごく普通の、当たり前の判断をしたにすぎません。


ところが、イエスさまは「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお命じになりました。


今、群衆を解散させる必要はない、ということです。イエスさまの御言葉を聞いた人々が食べ物を得ることは、彼らの責任ではなく、あなたがた弟子たちの仕事である、ということです。


これは明らかに、第一の段落に記されている、イエスさまが、その弟子たちに対して、人々をいやす力と権能をお与えになった、という出来事に関連しています。


人々をいやす、というのは、ただ単に、今、いわゆる病気にかかっている人々の、その病気をいやす、ということに、とどまりません。


おそらくもっと広い意味です。お腹がすいている人のそのお腹を満たすことも、立派にいやしです。十分な意味でのいやしのひとつです。


それができるように、イエスさまは、弟子たちに、力と権能をお与えになったのです。


ところが、弟子たちは、「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり」と、至極もっともらしい、しかし、ちょっと情けないことを言いはじめます。わたしたちにはできません、と。


しかし、イエスさまは、彼らとは全く違うことを、お考えになりました。そして、そのお考えどおりになさいました。


「イエスは弟子たちに、『人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい』と言われた。弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。」


わたしは、ここで、ものすごく単純なことを申し上げたいと思います。


それは、イエスさまは、純粋な意味で「分けて食べる」ということを、お考えになり、そのようになさったのだ、ということです。


イエスさまは、「分けて食べる」ということを、なさいました。そうすると、パンと魚の量が、増えました。理由は、分かりません。神の奇蹟と呼ぶほかはありません。


この個所を読む人々の中には、そのとき集まっていた群衆が、じつは、それぞれお弁当を隠し持っていたので、増えたのだ、というような、きわめて合理的で、身も蓋もない話にしてしまう人々も、いるようです。


しかし、わたしたちは、そのような説明で納得できるでしょうか。なんだか嫌な気分にさせられます。


まさか、そんな話ではないはずです。イエスさまは、まさに純粋に、そしてごく単純に「みんなで分けて食べる」ということを、実践なさったのです。それ以上でも、それ以下でも、ありません。


ただ、しかし、ひとつの点だけ、いくらか合理的な話もしておきます。


今日のこの個所の話は、ひとりで食べる食事を体験したことがある人(おそらく、ここにおられる皆さんすべて)ならば、きっと、理解していただけるのではないか、ということです。


おいしくないです。さびしいです。どんなにたくさんあっても、どんなに高級な食材が使われていても、ひとりの食事は味気ない。おそらく、このことは、多くの人々に了解していただけることではないでしょうか。


食事とは何か、を考えさせられます。それは、わたしたちの日常生活全体を考えることでもあります。


少し大げさに言わせていただくならば、わたしたちが何のために生きるのか、という問いそのものを考えることでもあります。なぜなら、わたしたちが仕事によって手にするものの多くは、わたしたちの食べるもののために消えていくからです。


イエスさまと共に生きること、そして、イエスさまを信じる人々と共に食卓を囲む喜びを味わったことのある人々は、きっと、その問いの答え――食事とは何かという問いの答え――を知っています。


おそらく、わたしたちにとって、食事の満足は、その量や味だけで、得られるものではありません。


信仰が必要です。


賛美の祈りが必要です。


みんなで分け合うこと、


そして、楽しい語らいが必要です。


イエスさまと共に生きること、それは、イエスさまと共に、またイエスさまを信じる人々と共に食卓を囲むことでもあります。


それが、それこそが、神の国なのです!


わたしたちは、日常生活の中で、神の国を真に体験することができるのです!


(2005年6月19日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年6月12日日曜日

おそるな、ただ信ぜよ

ルカによる福音書8・40〜56


関口 康


今日の個所に描き出されておりますイエスさまのお姿は、一言で言うならば、たいへん忙しそうです。


「イエスが帰って来られると、群集は喜んで迎えた。イエスを待っていたからである。」


イエスさまは、休むひまがありません。旅先から帰ってこられた途端、たくさんの人々に囲まれてしまいました。そして、ただちに、次の仕事が飛び込んできました。


「そこへ、ヤイロという人が来た。この人は会堂長であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。十二歳ぐらいの一人娘がいたが、死にかけていたのである。」


非常に重い仕事です。会堂長ヤイロの娘は、そのとき十二歳だったというのです。


ルカが記している、会堂長がイエスさまに願った内容は「自分の家に来てくださるように」ということだけです。


しかし、マルコは、こう書いています。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」


もちろん、そういうことだと思います。十二歳で終わってよい人生などあるはずがないと、親ならば、そう考えるに決まっています。


どんな結果になろうとも、です。最後までもがき、助けを求めるでしょう。


イエスさまに来ていただきたい。娘の上に手を置いていただきたい。そうすれば、娘は助かり、生きる。そのことを、ヤイロは信じたのです。


その願いを聞いたイエスさまは、どうされたか。うれしいことに、ただちに腰を上げてくださいました。「旅行で疲れているので明日にしてください」とは言われませんでした。


もちろん、そうでしょう。人の死には「待ったなし」という面があります。


ところが、です。大急ぎでヤイロの家に向かおうとされている、そのイエスさまの行く手を阻むかのような事件が起こりました。


「イエスがそこに行かれる途中、群集が周りに押し寄せてきた。ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。イエスは、『わたしに触れたのはだれか』と言われた。人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、『先生、群集があなたを取り巻いて、押し合っているのです』と言った。しかし、イエスは、『だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ』と言われた。」


一つの仕事の途中に、全く違う別の仕事が入ってきた、という感じです。


「仕事」と呼んでしまうと、少し冷たく響いてしまうかもしれません。仕事だから仕方ない、という意味が生じてしまうかもしれません。


わたしは、決して、そういうことを申し上げたいわけではありません。しかし、一つの点だけ、ちょっと気になること、気にしておくべきことがあるのではないか、と感じています。


それは、ごく分かりやすく言うなら、イエスさまも人間であられる、ということです。


わたしたちの信仰告白によりますと、イエスさまは、まことの神ご自身でもあられますが、まことの人間、わたしたちと同じこの肉体を持つ人間として、この地上の世界に来てくださった方です。


イエスさまもまた、わたしたちと同じ人間性というものを持っておられます。


わたしたちと同じ、この肉体を持っておられます。


わたしたちと同じ、この空間と時間の枠組みの中で生きる、という地上的な制約の中に立っておられます。


そういうお方なのですから、ある意味でわたしたちと全く同じ、と考えてよい点もあるわけです。


今、この聖書の個所を読みながら、イエスさまとわたしたちとが全く同じだ、と考えてよい点があるとしたら、それは、ここです。全く違う二つの仕事を、全く同時に行うことはできない、ということです。


一人の女性が、イエスさまの服に触りました。


この人も、大きな苦しみを抱えて生きてきた人です。


なんとかしてこの苦しみから逃れたいと願ってきた人です。


イエスさまなら何とかしてくださる、と信じて、その手をイエスさまの服へと、伸ばしたのです。


もしかしたら、です。あまりよくない仮定の話かもしれません。しかし、もしかしたら、イエスさまは、どさくさに紛れてご自分の服に触った人のことを、無視することもおできになったかもしれません。


わたしは忙しい。しかも、今、わたしが向かっている行き先には、死を目前にしている小さな子どもがいる。通りがかりの人の求めにかまっている時間はない。


こういうふうに、これこそまさしく冷たい態度をとって、足ばやに先に進んでいくことも、おできになったかもしれません。


しかし、です。これは、やはり、あまりよくない仮定の話です。


イエスさまには、それがおできになりませんでした。立ち止まられ、振り返られました。そして、ご自分の服に触った人の姿を、一生懸命に探しはじめられたのです。


「女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。イエスは言われた。『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。』」


「女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し」と書かれています。なぜ隠そうとしたのでしょうか。なぜ震えているのでしょうか。なぜひれ伏すのでしょうか。


彼女は、何か悪いことをしたでしょうか。助けを求めただけです。イエスさまに助けていただきたかっただけです。


イエスさまがあまりにお忙しそうにしておられるので、自分のような者などにかかずらわっていただくのは申し訳ない、とでも考えたのでしょうか。


もしそういう理由であるとしたら、イエスさまは「それは違うよ」とおっしゃるのではないでしょうか。


イエスさまが、いつ、助けを求めてきた人を助けなかったでしょうか。「求めよ、さらば与えられん」は、イエスさまご自身の御言葉です。有言実行、ではないのでしょうか。


「今は忙しいので、今度にしてね」と、イエスさまは、言われません。イエスさまは、今、助けを求めている人を、今、助けてくださる、そういうお方なのです。


「イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。『お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。』」


もしかしたら、いえ、おそらく間違いなく、会堂長ヤイロは、イエスさまの到着が遅いことに、不満を感じたことでしょう。


十二歳の自分の娘が、今、亡くなった。もう危ない、ということは、イエスさまには、お知らせしたはずだ。


そしてイエスさまは、旅先から帰ってこられたばかりであったにもかかわらず、ただちに腰を上げてくださり、まっすぐにわが家に駆けつけてくださろうとした。


しかし、それにもかかわらず、あろうことか、イエスさまは寄り道された。途中で一件、別の仕事をお済ませになった。


そのせいで、とは言えないかもしれないけれども、イエスさまの到着が遅れ、娘の死の瞬間に間に合わなかった。


こういうときの遺族が、なんともいえない複雑な気持ちになる、ということは、わたしたちにも想像できるところではないかと思います。


もちろん、そうです。たしかに、イエスさまは、ある意味で寄り道されました。ヤイロの家に、わき目もふらず、まっすぐに行かれたわけではありませんでした。


しかし、どうでしょうか。わたしたちは、ここで何を、どう考えるべきでしょうか。


「十二年間も出血の止まらない」、「多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった」この一人の女性が、いわば最後の望み、最後の賭けとしてイエスさまに、いえ、イエスさまの服に伸ばした手を振り払ってでも、イエスさまは、ヤイロの家に、まっすぐに行くべきだったでしょうか。


ここでぜひ考えてみたいこと、考えてみていただきたいことは、人の不幸というものは、単純に比較することはできないものである、ということです。


「わたしの苦しみは、あなたの苦しみよりも大きい」と、苦しむ人ならば、だれでも、そう思います。しかし、じつは、みんな、そう思っているのです。


そして、残念ながら、というべきでしょうか、イエスさまは、まことの神ご自身であられると同時に、まことの人間でもあられます。この地上の時間と空間の枠組みの中で活動された、歴史上の一人物でもあられるのです。


その意味で、です。イエスさまは、一度に同時に、別の場所にいる別の人をいやす、ということは、なさいませんでした。冷たいと思われようとも、どう思われようとも、一人一人に対して、一つ一つのわざを、順を追ってなさるほかはありませんでした。


しかし、です。イエスさまは、ヤイロに言われました。


「イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。『恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。』」


こう語られたあとイエスさまは、そのお言葉どおり、現実に、ヤイロの娘を死の向こう側から呼び返してくださいました。


イエスさまは、一度に同時に、別の場所にいる別の人をいやすことは、なさらなかったかもしれません。


しかし、一人の人をいやされたのち、イエスさまは、すでに亡くなった人を、もう一度呼び返される、という大いなるみわざをもって、ヤイロの家族を慰めてくださったのです。


先ほど、冒頭で、人の死には「待ったなし」という面がある、と申しました。


しかし、イエスさまは、違います。


ヤイロの娘の死に「待った」をかけてくださった!


すでに亡くなっているヤイロの娘を、もう一度、呼び戻してくださった!


このような離れわざをもって、イエスさまは、ヤイロとヤイロの家族とを心から愛してくださったのです。


「恐れることはない。ただ信じなさい。」


イエスさまは、今も、わたしたちに、こう語りかけてくださっています。


(2005年6月12日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年6月5日日曜日

驚くべき救いの出来事

ルカによる福音書8・26〜39


関口 康


今日の個所に紹介されている出来事は、マタイによる福音書8・28〜34、そしてマルコによる福音書5・1〜20にも紹介されています。


ただし、マタイは、悪霊にとりつかれていた人は、二人いた、としています。それ以外の点は、だいたい同じです。この点だけ注意しておきたいと思います。


「一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。」


「ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方」とあります。カファルナウムの港から舟に乗ってガリラヤ湖をわたった向こう岸、舟から上がったところの町です。


今はフェリーが動いています。フェリーを降りたら、港の近くにピーターズフィッシュ(ペトロの魚)と呼ばれる魚の料理を食べさせてくれる食堂がありました。


そのように、今では観光地になっています。


バスガイドが、「この場所で、イエスさまが悪霊に取りつかれていた人から悪霊を追い出され、その悪霊が豚の群れに取りつき、その豚の群れが湖になだれ落ちていったのです」と、一つのなだらかな丘を指差して、見せてくれました。


そのように、今では、まるでごく普通の昔話のように、一つの語り種になっているのが今日の出来事です。


「この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。」


この男性を、変わった人だ、とか、かわいそうな人だ、というふうに見ることが妥当かどうか、そのような見方が正しいかどうかは、微妙です。


過去の彼の身に何があったのかというようなことは、何も知らされていません。


ただ、ほかの人々から見て、普通でないと感じられる格好をし、また普通の人なら住みたいとは思わないような場所に住んでいたことだけは、たしかです。


たとえば、今の日本の国の中で、この人と同じような格好をし、また同じような場所に住んでいる人がいたら、おそらく、ただちに警察の人が飛んで行って、事情を聞くなり、保護するなり、何らかの処置をするでしょう。


この人が、そのような何か特殊な事情を持った人である、と見られても仕方のないような格好、また生活をしていた、ということは、否定できません。


しかし、この人は、イエスさまを見ると、大声で何かを言いはじめた、ということが、次に記されています。


「イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。『いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。』イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。」


このような展開は、イエスさまならば当たり前だ、と考えることができるでしょうか。


たとえば、わたしたちならば、です。


この人のような、なんとなく近づきがたいところをもった人物に初めて出会い、その姿や様子を目の当たりにしたときに、どのような態度をとるでしょうか。


どうしても、つい、距離をとってしまうのではないでしょうか。


おそらくどうしても、まず最初に少し様子を見るだろうと思います。すぐに近づき、すぐに声をかけ、その人とかかわりを持とうとはしないのではないかと思います。


おそらく、わたしもそうです。牧師のくせに何だ、と思われるかもしれません。しかし、そうしてしまうであろうことを否定できません。


初対面の人、しかも、ある種の特殊性というものを持っていると感じられる人に対して、何のためらいもなく、即座にかかわることは、難しいことです。


ところが、イエスさまは、違いました。


実際、すぐに、この人から、「かまわないでくれ!(余計なお世話だ!)」という反応が返ってきました。


しかし、イエスさまは、そのような反応は、いわば全くお構いなしに、彼のふところの奥深くに入り込んで行かれたのです。「汚れた霊に男から出るように命じられた」のです。


「この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。イエスが、『名は何というか』とお尋ねになると、『レギオン』と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。」


イエスさまは、その人の名前をお尋ねになりました。「名は何というか」。


あなたの名前は何ですか。それは、一人の人との人格的な関係を始める、はじめの一歩です。


わたしたちの存在に、名前が付けられています。


名前を呼ばれるときに、それはわたしである、と気づく。


名前を尋ねられるときに、わたしの存在に関心を持っている人がいる、ということに気づく。


それが、わたしたちの名前の持つ役割、あるいは意義です。


通常、わたしたちの名前は、親たちが決めるものです。生みの親であるか、育ての親であるかはともかく、です。親の子に対する思いなども、名前にこめられています。


イエスさまは、その人の名前をお尋ねになることによって、その人との人格的かかわりを始めようとされました。


ここに、イエスさまの、人々に対する、基本的な姿勢がある、と言えます。


誰に対しても、です。


「かまわないでくれ、余計なお世話はごめんです。かかわらないでほしい」と言い出すことが分かっているような相手であっても、です。


これで分かることは、イエスさまは、この人のことを「恐ろしい人である」というふうには全く考えておられなかったに違いない、ということです。


「人を恐れる」という言葉には、いろんな意味が含まれていると思われます。


最も悪い意味は、誰かある人自身を悪魔であると見ること、あるいは悪魔的であると見ることです。


そのような見方は、本当に間違っているものです。そのように見てしまいますと、その相手とのかかわりを、完全に断ち切り、遠ざけてしまうことになるのです。


「そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。」


ここに書かれていることは、わたしたちにとって躓きに満ちたものである、ということは、ほとんど確実です。


悪霊がその人から出て行ったとか、その悪霊が豚に取りついたとか、その豚が死んだらその人が正気に戻ったとか、このようなことを、そのまま受け入れなさい、と言われると、多くの人々が困ってしまうでしょう。


わたしは、ここに書かれていることを読んで、現代のような医学も何もない時代の話という面があると考えることは、ある程度、許されるであろうと考えております。


この記事は、歴史的・時代的な制約を持っている、ということが認められて然るべきです。


しかしながら、次の二つのことは、しっかりと受けとめられなければなりません。


第一は、今日の個所の最後に語られているイエスさまの御言葉の中に出てくる点です。


「神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい」。この人の身に起こった出来事は「神がなさったこと」である、というこの点が、重要です。


悪霊が豚に取りついて云々、という一つ一つの描写の是非はともかく、その一切を「神がなさったこと」として受けとめることができれば、わたしたちとしては十分である、と思われるのです。


そしてまた第二に重要な点は、この人、つまり「悪霊に取りつかれている」と自他共に認めてきたこの一人の人が、イエスさまのみわざによって、正気に戻ったこと、自分自身を取り戻すことができたというこのこと、この結果そのものです。


途中のプロセスがどうであるかはともかく、です。


イエスさまも、これは「神がなさったこと」であるというこのこと、また結果そのものを重視されました。


イエスさまは、町の人々から出て行ってくれと言われたとき、あまり食い下がりませんでした。


イエスさまご自身は、その人から悪霊が出て、それが豚たちに取りついて、その豚たちが死んだら、この人が正気に戻ったのだ。


だから、わたしがしたことは、この人を助けるためだったのだとか、


だから、自分のしたことに間違いはないのだとか、


非難を受ける筋合いはないのだとか、


そういうことは何もお語りになりませんでした。


それどころか、町の人々に対しては、ほとんど何も言わず、再び舟に乗り、ガリラヤ湖をわたって、カファルナウムへとお帰りになりました。


これは神がなさったことである、ということ。また起こった出来事そのもの、この一人の人が、自分自身を取り戻すことができた、というこの出来事そのものに満足されました。それでご自分の役割は終わったとして、その町を立ち去られたのです。


「そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。『自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。』その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。」


この人は、自分の家に帰ることができたでしょうか。家族は、彼の帰りを待っていたでしょうか。そのようなことは、何も分かりません。


しかし、自分自身を取り戻し、自分の家に帰ること、自分の本来の姿に立ち返ること、これができるときに、ひとは「救い」の喜びを、静かに味わうのです。「救い」とは、特殊な出来事ではありません。


そのための道、この人がこの人らしさを取り戻す道を、イエスさまは、開き示してくださったのです。


安心して、わが家に帰ることができる。


そのことこそが、“驚くべき救いの出来事”なのです。


(2005年6月5日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年5月29日日曜日

突風を静める

ルカによる福音書8・16~25


関口 康


今日は、三つの段落を読みました。無理にこじつけるつもりはありません。ただ、ごく素直に読んでみて、これら三つの段落には、共通しているテーマがある、と思いました。


キーワードは「神の言葉」です。一言で言えば、神の言葉、すなわち、神の御子イエス・キリストがお語りになる御言葉を聴くわたしたち人間の態度は、どうあるべきか、ということです。


「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」


「だから、どう聞くべきかに注意しなさい」とあります。何を「どう聞くべきか」なのかと言いますと、ですから、これが「神の御言葉を」です。神の御言葉の聴き方に注意しなさい、ということです。


おそらくこれは、先週学びました、イエスさまの種蒔きのたとえ話から直接続いている話です。


イエスさまは、不特定多数の人々にはたとえ話で語られる一方で、弟子たちにはそのたとえ話の解説までお語りになりました。


多くの人々の前でたとえ話が語られている時点では、まだ隠されている部分が残されている。しかし、たとえ話に隠されている部分は、解説されることによってあらわにされる。


これでお分かりでしょう。たしかにイエスさまは、多くの人々の前でたとえ話を語られました。しかし、それで終わりにされたいのではありません。


たとえ話には、ある明確な“目的”ないし“目標”があるのです。たとえ話そのものは、その目的に到達するための単なる“手段”にすぎないのです。


「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の上に置いたりする人はいない」のです!


「入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く」のです!


イエスさまは、多くの人々がたとえ話の解説まで聴くことができる者、つまり、イエスさまの弟子に加わってもらいたいのです!


イエスさまのたとえ話の目的は、弟子仲間に「入って来る人」、加わる人を得ることです!


イエスさまともあろうお方が、多くの人には意味不明のたとえ話だけを語り、それで事足れりとする、というような乱暴なやり方で、終わられるはずがありません。


その言葉を聴いて、「それってどういう意味?」と質問してくる人々を、イエスさまは、待っておられるのです。


教会の伝道活動についても、同じようなことが言えます。


松戸小金原教会には、岩崎昭長老が運営してくださっているホームページがあります。現在までのアクセス数、なんと三万回を越えています。三万枚のチラシを配るに匹敵する、いやそれ以上の役割を、教会のホームページが担っています。


わたしも現在、純粋に教会の伝道活動の一環のつもりで、毎週の説教を、インターネットのホームページやメールを使って、不特定多数の人々に公開しております。


しかし、です。これはおそらく岩崎長老ご自身も納得してくださることだと思いますが、わたし自身は、ホームページのような方法で広く伝えることができる事柄は、本当にごくわずかなことである、と考えております。


心配してくださる方は、「説教の内容を全部公開してしまったら、わざわざ礼拝に集まる人が少なくなるのではないか」と言われます。


しかし、その点は、全く心配ご無用です。


今ここではっきり申し上げることができることは、書かれた文字や文章が伝えることのできるのは、わたしたちの教会活動全体の中では、ほんのごくわずかな要素にすぎないからです。


もちろん、教会の牧師も、教会自身も、イエスさま御自身ではありません。単純に比較することはできません。


しかし、牧師の説教の中にも、教会活動全体の中にも、直接会うことなしには、物理的距離において近づいていなければ、決して伝えることができない要素が、かならずあるのです。


手紙を書くことが、まさにそうです。ラブレターでも何でもいいです。「愛しています」と書いて送ったら、それで終わり、ということは、ありえません。


かならず次のアクションが必要です。実際に会うこと、そして、互いに愛し合うことが必要です。


イエスさまの弟子になることができた人には、イエスさまのお語りになる神の御言葉の真意が分かるのです。弟子になるまでは、その真意は、隠れたまま、秘められたままです。


ひとりで聖書を読んでも、ちっとも分からない、と言われます。無理もないことです。なぜなら、聖書は、イエス・キリストの体としての教会の中で読まれることによって、初めて理解できる言葉だからです。


聖書に記されているのは、教会の現実、そして信仰共同体としてのイスラエルの現実だからです。


教会の現実を共に体験しうる仲間に加わらなければ、聖書の御言葉は、単なる抽象的な宗教知識に留まるでしょう。


「さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群集のために近づくことができなかった。そこでイエスに、『母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます』との知らせがあった。するとイエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである』とお答えになった。」


ここに登場するのは、イエスさまの母と兄弟たちです。


イエスさまの母の名前は、マリアです。兄弟たちの名前は、ルカによる福音書には紹介されていません。


マタイによる福音書13・55とマルコによる福音書6・3には紹介されています。「ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ」です。また、複数の「姉妹たち」もいた、と書かれています。


父ヨセフが登場していないのは、なぜか、と問われることがあります。これについては、以前に一度お話ししましたように、父ヨセフは早く亡くなったのではないか、と考える人々がいます。もちろん、はっきりしたことは分かりません。


それはともかく、イエスさまの母と兄弟たちが、イエスさまのところに来たが、群集がいたので、近づくことができませんでした。


それで、彼らは、何とかしてイエスさまに近づくために、ある人にお願いして、イエスさまのほうから家族のところに近づいてくるようにと、伝えてもらった、というわけです。


家族なのですから、ある意味で、当然のことを言ったつもりだったのでしょう。


ところが、イエスさまは、そのような家族の要望を、事実上拒否されました。そして「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお語りになりました。


冷たいなあ、と感じる人が出てきても無理のない言葉でしょう。しかし、わたしたちは、このイエスさまの御言葉の真意を、よく考えてみる必要があると思います。


これも前に一度用いたことのあるたとえなのですが、たとえば、行列ができるほど有名な医者のことを、思い描いてみていただきたいのです。


多くの人々が、自分の順番を今か今かと待っている。そこに、その医者の家族が来て、わたしたちのことを先に診なさい、と言い出すとしたら、どうでしょうか。


あなたがたのことは後回しである、と言わなければならない場面も、現実にはあるのではないでしょうか。


またもう一つ、問題にされるべきことがあります。それは、そのときイエスさまがしておられたことは、「神の御言葉を語る」というお仕事であった、ということです。


逆の方向から、つまり、イエスさまの母や兄弟たちの立場から、考えてみると、どうでしょうか。


たとえば、わたしたちの子どもたちが、日曜学校の生徒が、将来、日本キリスト改革派教会の牧師になって、松戸小金原教会の礼拝で説教している。


それをわたしたちは、どれくらい“真面目に”聴くことができるでしょうか。“神の御言葉として”聴けるでしょうか。いろいろと難しい問題が生じるように思うのです。


しかし、です。もしそれが「神の言葉」として聴かれないならば、「説教」には何の意味もないのです。


この場面でイエスさまが母や兄弟たちを事実上拒絶されたことの意味は、このあたりにあると思われます。


わたしたちにとって「母や兄弟たち」は、たしかに、最優先されるべき人々です。


だからこそ、「神の言葉を聞いて行う人たち」こそが「わたしの母であり、わたしの兄弟」である、とイエスさまはお語りになったのです。


イエスさまのお気持ちを察する必要がある、と思います。


「ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、『湖の向こう岸に渡ろう』と言われたので、船出した。渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。弟子たちは近寄ってイエスを起こし、『先生、先生、おぼれそうです』と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。イエスは、『あなたがたの信仰はどこにあるのか』と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、『いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか』と互いに言った。」


なんとも興味深い話です。嵐の真っ只中にもかかわらず、イエスさまが、ぐっすり眠りこんでおられた、というのです。


強靭な神経の持ち主、とでも言うべきでしょうか。あるいは、堂々たる姿、でしょうか。


しかし、弟子たちのほうは、今にも死ぬのではないかと、悲鳴を上げていました。


そして、イエスさまをゆすって、起こします。「先生、先生、おぼれそうです」と。


弟子たちの悲鳴も聞こえなかったかのようにぐっすり眠っておられたイエスさまのほうも、悪かったと言えば悪かった・・・かもしれません。


しかし、考えてみれば、舟をこぐ仕事、そして、舟に乗っている人々を目的地まで安全に送り届ける仕事は、イエスさま御自身の仕事ではなく、弟子たちの仕事でした。


ご承知のとおり、イエスさまの弟子たちの中には、ガリラヤ湖で漁師をしていたペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネもいたのです。


彼らは、イエスさまをゆすって起こして、そのイエスさまに、何をお願いしようとしたのでしょうか。


そのとき、彼らのなすべきことは何だったのでしょうか。慌てふためき、動転し、混乱し、大騒ぎすることだったのでしょうか。


それとも、心を落ち着けること、冷静になること、自分たちが置かれている状況を冷静に見分けること、そして、正しい舵取りをすることではなかったでしょうか。


しかし、実際の彼らは、そうではありませんでした。死の恐怖に怯え、ギブアップするのみ。


眠っておられたのに弟子たちに起こされたイエスさまは、少し怒っておられるようです。風と荒波とをお叱りになりました。その途端、嵐は静まり、凪になりました。


そして、イエスさまは、弟子たちに対して、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われました。


このときのイエスさまも、少し怒っておられるようです。弟子たちが、イエスさまに叱られているようです。いえ、たしかに、叱っておられるのです!


イエスさまの御言葉は、湖の上で現実に起こっている「風と荒波」に向かって語られた言葉であることを疑う必要は、少しもありません。


しかし、その同じ御言葉は、弟子たちの耳にも、かならず聴こえたでしょう。


なぜなら、「聞く耳」が付いているのは弟子たちですから!


風と荒波に「聞く耳」は付いていませんから!


弟子たちの心の中で荒れ狂っていた「風と波」にも、いえ、まさにその「風と波」にこそ、「黙れ、静まれ」とお叱りになるイエスさまの御言葉が届いたに違いありません。


これは、おそらく何ごとにも当てはまることです。


自分のなすべきことをなしうるようになるために、わたしたちは、しっかり気を落ち着けて、正気になる必要があります。


気が動転しているときこそ、イエスさまの御言葉に耳を傾けることが大切です。


その意味で、彼らが、眠っておられたイエスさまをゆすって、目を覚ましていただいたのは、正解だったのです。


(2005年5月29日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年5月22日日曜日

種蒔きのたとえ

ルカによる福音書8・1~15


関口 康


今日からまた、ルカによる福音書の学びを再開いたします。


今日開いていただきました個所の最初の段落には、イエスさまの伝道活動の様子が記されております。


「すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」


ここで分かることが、いくつかあります。


第一は、イエスさまの伝道活動は、お一人ではなく、いつも仲間たちとご一緒であった、ということです。


「十二人」とは、イエスさまが弟子たちの中から特別に十二人をお選びになり、「使徒」と名付けられた、あの人々のことです(ルカ6・12〜16)。この十二人は――残念ながら、というべきでしょうか――全員男性でした。


しかし、イエスさまの伝道仲間は男性だけではありませんでした。女性もたくさんいました。


これが、ここで分かる第二のことです。つまり、イエスさまの伝道仲間には、男性だけではなく、女性もたくさんいた、ということです。


女性たちのうち、三人の名前が紹介されています。マグダラのマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、スサンナです。


このうちのマグダラのマリアと、二番目に紹介されているヨハナは、このように二人が並べられて紹介される個所が、ルカによる福音書の中にもう一個所あります。


それは、ルカによる福音書24・10です。イエスさまが、死人の中からよみがえられた。墓の中にはもうおられない、と知らせる二人の天使の声を聞いた何人かの婦人たちの中に、この二人がいました。


つまり、復活されたイエス・キリストの証人として、この二人の名前が紹介されているのです。


そして、もう一つ。ここで分かることの第三は、イエスさまの伝道旅行に同行した女性たちの働きを紹介する言葉として、「自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」というこの点が挙げられている、ということです。


ここで「奉仕」と訳されている言葉は、わたしたちの教会に「執事」という働きを負ってくださっている方々がおられますが、「執事」と「奉仕」とは同じ意味の言葉です。


教会活動の中で、主として経済的・実務的な側面を取り扱っていただく職務です。


実際問題として、もし教会から執事の働きが失われるなら、教会は、一歩たりとも前進できません。その重要な教会の執事的働きを、女性たちが担っていました。


もちろん、男性の執事もおられます。しかし、――ここでも再び、残念ながら、というべきでしょうか――聖書の時代には、使徒や長老として女性が選ばれることはありませんでした。


その分、執事の働きを女性が担う、という分業がなされていた、と考えることができます。


さて、その次の段落には、イエスさまが実際に語られた説教が、再び記されています。


再び、と申しましたのは、つい先ごろ、わたしたちは、このルカによる福音書6・20以下に記されている、イエスさまの説教(地上の説教!)を学んだばかりだからです。


「大勢の群集が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。『種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。』イエスはこのように話して、『聞く耳のある者は聞きなさい』と大声で言われた。」


これが、実際に多くの人々の前で、イエスさまの口から語られた説教の内容であった、ということです。表舞台で、会衆の前で、大きな声で語られた部分は、8節までです。


9節以下は、楽屋で、弟子たちの前だけで、小さな声で語られた部分です。要するに、いわゆる「楽屋話」(がくやばなし)です。


「大勢の群集」とは、要するに不特定多数の人々です。


その人々の前では、あるところまで語る。しかも「たとえ」を用いて語る。しかし、それ以上は語らない。それ以上のことについては、特定の少数の人々の前でだけ語る。


このような言葉の使い分けを、イエスさまともあろう方がなさったのだ、ということです。


ただ、しかし、そのことにはもちろん、明らかに何かの理由があった、と考えるべきであろうと思われます。


その理由について、イエスさま御自身は、次のように説明しておられます。


「弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。イエスは言われた。『あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、「彼らが見ても見えず、聞いても理解できない」ようになるためである。』」


イエスさまの弟子たちには「たとえ」の解説をしてくださる。しかし、それ以外の人々には、「たとえ」のまま、つまり、解説を加えずに語る。


その理由は、彼らが見ても見えず、聞いても理解できないようになるためである、と言われています。


要するに、イエスさまは、ある人々にとっては聞いても理解できない言葉を、わざと語っているのだ、ということになります。何となく、ひどいことを言われている気がしてきます。


しかし、イエスさまがこのようにされたことには理由があります。考えられることは、次のような理由です。


それは、このときすでに、イエスさまの身に危険が及んでいたのではないか、ということです。


イエスさまの言葉尻をとらえて、何とかしてイエスさまを捕まえ、殺そうとする人々が混ざり始めている、ということに、イエスさま御自身が、気づいておられたのではないでしょうか。


そのような人々に言葉尻をつかまえられないようにするために、イエスさまは「たとえ」をお用いになったのです。


また、今申し上げましたことのいわば裏側にある、と言いうる事柄として、イエスさまのお語りになる御言葉には、いわば常に、ある人々の急所を刺し貫くような非常に鋭い刀が隠されている、ということも、否定しえない事実として挙げておく必要があるでしょう。


イエスさまの言葉は、何も切ることができない鈍刀(なまくらがたな)ではありません。


それどころか、イエスさまの言葉は、常に、かならず、わたしたちの生命にかかわる重大な決断を迫るものです。


「聞く耳のある人」には、それが分かるのです! ああ、切られた、と感じます。


しかし、問題はその先です。


「よくも切りやがったな」と、わたしを切ったイエスさまを、憎み、恨むのか。


それとも、わたしに真実の言葉を語ってくださったイエスさまを愛し、イエスさまの前で悔い改め、イエスさまに従って生きていくことを決心するのか。


わたしたちは、舞台裏の楽屋でイエスさま御自身が語られた「たとえ」の解説を知っております。


「『このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結んだ人たちである。』」


この解説で明らかにされていることは、イエスさまが「たとえ」を用いて語られた説教の主旨は何なのか、ということです。


要するに、たとえ全く同一の神の御言葉が語られたとしても、その御言葉を聞く人々の態度や状況などによって、受けとられ方において全く違ってしまうということがありうるのだ、ということです。


道端のものとは、悪魔の誘惑が多いところで、神の御言葉を聞いた人のことである、ということです。


石地のものとは、聞いた御言葉の根が生えないので、しばらくは信じても試練に耐えられない、ということです。


茨とは、イエスさまによりますと、人生の思い煩いや富や快楽のことです。そういうものが、聞いた御言葉の種が実を結ぶに至るまで成長していくのを、妨害するのだ、ということです。


良い土地に落ちた種は、すくすくと順調に成長する。


ですから、これは、なるほど、聞き方によっては、裁きの言葉として受けとられかねません。


「わたしは良い土地である」と胸を張って、自信をもって語ることができる人は、今も昔も、それほど多くいるとは思えないからです。


むしろ、わたしたちの多くがすぐに考えてしまうことは、「わたしは道端です」、「わたしは石地です」、「わたしは茨にふさがれた地です」ということのほうでしょう。


そして、このように聞いてしまいますと、なるほど、たしかに、「ああ、わたしはイエスさまに裁かれた」と感じるのです。


しかし、それで終わりでしょうか。問題は、その先にあるのです。はたして、わたしの人生は、いつまでも、道端のままなのか、石地のままなのか、茨にふさがれたままなのか、です。


そうではない、と信じたいところです。イエスさまは、わたしたちを裁くために、この御言葉を語っておられるのではない、と信じたいところです。


いずれにせよ、語られているのは、神の御言葉です。それを受け入れることができない人々の事情を、イエスさまは、よくご存知です。いろいろな障害がある、ということを、よくご存じです。


だからこそ、「立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人」にわたしたち自身がならせていただけるように、イエスさまにお願いすることが大切です。


「聞く耳のある者」にならせていただきたいのです。


(2005年5月22日、松戸小金原教会主日礼拝)


2005年5月19日木曜日

「キリスト教の立場から」―「小金原憲法九条の会」第二回例会での発言―

このたび小金原に新しく誕生されました「憲法九条の会」で貴重な発言の機会を与えていただけるというお知らせをいただきましたとき、たいへん光栄に思いました。御厚意をいただきました皆様に心より感謝申し上げます。

しかし、どのようなことを語りうるか、皆様の御期待に副いうるかという点につきましては非常に大きな不安を持っておりますことを正直に白状しておきます。御期待に副えなかった場合はどうかお許しください。

私は昨年(2004年)の四月、松戸市小金原七丁目の「松戸小金原教会」の牧師として、他県から引っ越してきたばかりです。栗ヶ沢小学校に通う二児(小五男、小二女)の父でもあります。それ以前は高知県、福岡県、山梨県などで、やはり牧師をしておりました。出身地は岡山県岡山市です。牧師の子弟ではなく一信徒の家庭で生まれた者です。しかし、高校、大学を卒業してすぐにこの仕事に就きましたので会社勤めなどの体験はありません。

このような経歴の持ち主に対してはしばしば「世間知らずである」という目を向けられたり、そのように面と向かって言われたりすることがあります。なるほど、ある意味そうだと言えばそうなのかもしれません。最も苦手なことはお金の勘定です。

しかし、そのように見られたり言われたりすることには非常に強い抵抗感を覚えます。「そうではない!」と自己主張したくなります。「教会」といえども、間違いなく「人間の集まり」だからです。「教会」は世間の中に立っています。「世のため・人のために」教会は存在しています。それどころか「教会」は、良くも悪しくも、とにかく一つの「世間」そのものです。牧師は教会の中で十分な意味での「世間」を学ぶことができるのです。

たとえば、私が牧師として松戸に来るまでに携わってきた仕事には、家庭内争議の仲裁や離婚のお世話までありました。あるいはまた、牧師の通常の活動である「伝道」(わたしたちは「布教」という表現は用いません)や教育、結婚式やお葬式、病院や施設への慰問なども、わたしたちの場合、その場限りで終わることはほとんどありません。一人一人との間に長い期間を通して苦労して築き上げられていく信頼関係があるからこそ成り立つことです。

いろんな家庭に招かれて一緒に食事をする機会も多くあります。牧師の仕事は幸か不幸か「他人のプライバシーに首をつっこむ」仕事でもあります。いずれにせよわたしたちは浮世離れした場所へと逃避したり隠れたりということは一切していません。そうしたいという気持ちも全くありません。

どうか皆様のお仲間に加えていただき、お役に立てることが少しでもあるようでしたら何でもお申し付けいただきたいとひたすら願うばかりです。本日私がここで発言させていただくことについては、教会役員会の許可を得ておりますし、教会のみんなにも知らせております。もちろん喜んで送り出してくださいました。牧師の働きが「世のため・人のために」役立つことを、教会のみんなは喜んでくれるのです。

さて、しかし、本日私は、教会の宣伝をするためにここに参加させていただいたわけではありません。

今やわたしたちの国の中で、グラグラ揺れているどころか、実体としては全く骨抜きにされ、有名無実化されてしまったと言わざるをえない「日本国憲法第九条」とその平和主義を何とかして守りぬくために、私のような小さき者にできることがあるならば何でもさせていただきたいという一心で、参加させていただきました。

「 日本国憲法第九条

① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。                              」

なんと高貴な、そして、なんと美しい思想でしょうか!

平和の喜びを享受することこそが、全人類・全世界の希望であり究極目標であるということに、多くの異論があるのでしょうか。

その目標になんとかして到達しようと真に願う者たちにとって、「戦争」と「武力」は、国際紛争を解決する手段にはならず、かえって未解決の要素を増幅させ、世界を混沌に陥れる手段にこそなるのだということを、わたしたちは、60年前の事例を持ち出すまでもなく、ここ数年間に起こったさまざまな出来事を通して、身に沁みて確信していることではないでしょうか。

「今こそ戦争を始めるべきだ」と考えている人がこの国の中に何人いるのでしょうか。そのようなことは誰も望んでいないのではないでしょうか。ところが、今やわが国はこの「戦争」と「武力」を再び手にし、わがものとして自由に行使できるように道を整えようとしています。「戦争」と「武力」を「永久に放棄する」という約束を放棄し、破棄しようとしています。「誰も望まない戦争」を誰が始めようとしているのでしょうか。

私が日本国憲法第九条の平和主義を固く守るべきだと信じる第一の理由は、ここにあります。つまり多くの人々の願いは「戦争をしないこと」なのであって、わたしたちの思いはこの第九条に書かれているとおりの言葉で説明されるのがふさわしいということです。

教会で子どもたちにいつも教えているのは「約束は守ろうね」ということです。聖書は、約束を守ることができないことを指して「罪」と呼ぶのです。無意味で・無価値で・有害無益な約束ならば固く守る必要はないかもしれません。そのようなものに縛られるべきではないと言わなければならない場合もあります。

しかし、もう戦争はしません、もう武力を手にしませんという、これほど尊い約束を、なぜ破ろうとしているのでしょうか。全く理解に苦しみます。

またもう少し別の観点から申しますと、私が日本国憲法第九条の平和主義を固く守るべきだと信じているもう一つの理由として、この場においてはごく個人的な意見になるかもしれませんが、これがやはり、わたしたち教会の者たちにとっては、イエス・キリストと新約聖書の教えに一致している、ということにおいて重大な事柄として受けとめるべきであるということです。

「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイによる福音書5・9)

「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」(マタイによる福音書5・39)

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイによる福音書5・44)

「できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。」(ローマの信徒への手紙12・18~19)

「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」(ローマの信徒への手紙12・21)

新約聖書には他にもたくさんの平和に関する教えがあります。聖書において「平和」とは個人的な意味での「心の平安と喜び」と社会的な意味での「戦争のない状態」との両方がいわば同時に実現していることを示しています。

それでは、歴史の中の教会はいわゆる絶対平和主義の立場をとってきましたか、あるいはまた、完璧な意味での非暴力主義の立場をとってきましたかと問われるなら、必ずしもそうとは言い切れませんとお答えしなければなりません。

歴史の中ではむしろ教会こそが、キリスト教こそが戦争の当事者であり続けてきたのではないかと非難されることが多くあります。本当にそのとおりであると、恥じ入るばかりです。

日本の教会も、60年前の第二次世界大戦の際に軍部の指令に屈し、自ら信じる神にささげる礼拝の中で同時に「宮城遥拝」を行うことによって国民の戦意を奮い立たせることに加担しました。そのことを、わたしたちは深く反省しています。二度とそのようなことが起こらないよう不断の注意を払っています。

松戸小金原教会が所属する「日本キリスト改革派教会」は通常年一回開く大会(教派の最高決議機関)で靖国神社問題や日本国憲法の平和主義の堅持についてのステートメントを採択し、教会自身のある意味での「政治的態度決定」をしております。

もちろん、「教会」自体は「政党」ではありませんので、国会等の議席を獲得するための選挙運動などはしておりませんし、すべきでもないと考えております。

しかし、ドイツやオランダなどにある「キリスト教民主党」のような公党が今の日本には存在しない以上、思想的に近い立場の政党や市民運動を応援することが、教会として、またキリスト者としての政治的責任を果たして行く道であると信じております。

「小金原憲法九条の会」がこれからもますます発展していきますよう期待しております。

(2005年5月19日、小金原憲法九条の会第二回例会、於小金原市民センター)