2005年3月27日日曜日
死に打ち勝つ真の力
コリントの信徒への手紙一15・50~58
イースターおめでとうございます。
今日は、わたしたちの救い主、イエス・キリストのご復活をお祝いする日曜日です。
また今日は、「召天者記念礼拝」としてこの礼拝をささげています。生前教会員だった方々、教会でまたは牧師が葬儀を行った方々、そして教会墓地に埋葬された方々の、それぞれご遺族に、今日の礼拝にお誘いするご案内状をお送りしました。
その方々には、これから毎年ご案内状を差し上げることにしました。今日ご出席くださいましたご遺族の方々は、後ほどご紹介させていただきます。
大切な方を失うこと、その方と地上ではもう二度と会うことができないということは、本当に寂しいことです。つらいことです。心にも、体にも、痛みや苦しみを感じます。
しかし、だからこそ、わたしたちは、その痛みや苦しみのなかから、助け出される必要があります。十分にいやされる必要があります。
亡くなった方々のことなどは早く忘れたほうがよい、という意味ではありません。そんな冷たい話ではありません。忘れる必要はありませんし、忘れるべきでもありません。
ただ、恐れるべきことがあります。大切な人の死は、わたしたちを容易に絶望においやってしまうのです。死の恐怖とは、絶望の恐怖です。希望を失うとき、わたしたちは、生きていく気力を失うのです。
今日は最初に、ある一人の方をご紹介いたします。
その方は、約9年前に、当時まだ二十歳に満たないご家族を病気で失い、その数日後、牧師であるご主人をも失いました。
短い間に、その家族のうちの男性二人を失いました。遺されたのは、二人の娘さんたちだけでした。それは本当につらい体験だったと、ご本人から伺いました。何日間も全く何も手につかず、寝込んでしまった、とも言われました。当然のことだと思います。
しかし、ある朝のことです。「あ、洗濯物がたまっている」ということに気づかれたそうです。それで我に帰られました。わたしには、まだしなければならないことがある、ということに気づかれたのです。
今どき、家事は主婦の仕事であると呼ぶのは、完全に時代遅れです。しかし、その方にとって、家事は、一つの救いになりました。
そうです。わたしたちは、どんなに辛いことがあったとしても、また、どんなに大切な人を失ったとしても、毎日の生活を、淡々と生きていかなければなりません。そのことに気づかなければならないのです。
その方は、牧師のおくさんだったときは、もっぱら家庭内におられました。しかし数年前、国際協力機構(JICA)の試験に合格され、現在ブラジルで、スタッフとして働いておられます。わたしのところにも、この方の活躍の様子を伝えるメールが届きます。本当に素晴らしい働きを続けておられます。
この方を立ち直らせた力は何なのかを、お話ししなければなりません。
わたしたち人間が持っている底力のようなものでしょうか。そういうものが全く無いとは申しません。
しかし、おそらく、ご本人は、そうではありません、とお答えになるでしょう。
そこでこそ、わたしはクリスチャンです、とお答えになるでしょう。
わたしには信仰がある。信仰が、神さまが、わたしを立ち直らせてくれた、とお答えになるでしょう。
キリスト教とは、復活を信じる信仰です。イエス・キリストを信じて生きる者たちには、永遠の命が与えられ、永遠の神の国を受け継ぐ者とされるという信仰です。
大切な人々、ご主人と最愛のご長男は、今も神のみもとで永遠に生きている、という信仰が、この方を立ち直らせました。
事実、キリスト教信仰には、わたしたち人間を、死の恐怖から、絶望の恐怖から、救い出し、立ち直らせてくれる力があります。
先ほど、聖書から、使徒パウロの言葉をお読みしました。
「兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。」
ここでパウロが書いている「肉と血」の意味は、一つの解説を参考にして申し上げますと、「今この地上に存在している人間」のことであると言われます。
今この地上に存在している人間は「神の国を受け継ぐことはできない」とは、どういうことでしょうか。わたしたちは、だれひとり、天国に行くことができないのでしょうか。
もちろん、そういう意味ではありません。
ただ、しかし、ここでパウロが言おうとしていることは、今この地上に存在している人間であるところの「肉と血」は、このままで、今のままで、何の変化もなく、自動的に、機械的に、神の国を受け継ぐことができるわけではない、という意味です。
「朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません」は、「肉と血は神の国を受け継ぐことはできません」の言い換えです。朽ちるものは、肉と血です。朽ちないものは、神の国です。
「朽ちない」とは、永遠性を意味します。永遠の神の国です。わたしたちの人生の目標としての天国です。そこに受け入れられ、そこを受け継ぐ者になるためには、わたしたち自身が「朽ちないもの」へとつくり変えられる必要があるのです。
「わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今と異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。『死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。』」
パウロは、「神秘」について語っています。「奥義」とも「秘儀」とも訳すことができるミステリーという言葉です。それは、科学的に実証された事実というようなものではありません。むしろ、宗教的真実というべきものです。端的に「信仰」と呼ぶことができる何かです。
「わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません」と言われているのは、わたしたちは、いつまでも眠り続けるわけではない、ということです。わたしたちは、「永眠者」にはならないのです。
しかし、それは、すべての人間は死なない、という意味ではありません。いやむしろ、すべての人間は、一度は必ず、たしかに死ぬのです。そして、眠りにつくのです。
ところが、パウロの信仰は、パウロの語る神秘は、それで終わりではない、と語ります。一度はたしかに死に、眠りについた者たちが、しかし、今とは異なる状態へと、すなわち、永遠に朽ちない姿へとつくりかえられるべく、よみがえるのだ、と語るのです。
そして、そのようにして、わたしたちは、永遠に朽ちない神の国を受け継ぐ者になる、というのです。
ここで大切なことは、わたしたちが「今とは異なる状態に変えられる」とは、どのような意味であるか、ということです。
先ほどわたしは、「肉と血」は、このままで、今のままで、何の変化もなく、自動的に、機械的に、神の国を受け継ぐことができるわけではない、と申しました。
その意味は、そこに救いが必要である、ということです。「救われた肉と血」が、神の国を受け継ぐのです。
いまだに救われていないもの、救われていないところを持つものが、完全に救われているものになる、完全な救いを獲得することこそが、真の変化です。「今と異なる状態に変えられること」です。
そして、その救いとは、パウロによると、救い主イエス・キリストに結ばれることです。ただひたすら、そのことです。
そのために、わたしたちは、何をなすべきでしょうか。パウロは、次のように記しています。
「死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」
ここでパウロが教えている、わたしたちがなすべきことの第一は、「神への感謝」です。
わたしたちの神は、わたしたちの救い主、イエス・キリストを死者の中からよみがえらせることのできる全能の御力をもって、わたしたちを罪の中から救い出してくださいます。
罪の中からの救い、それこそが、神がわたしたちに与えてくださる尊い賜物であり、また宝物です。
プレゼントを贈ってくださった神への感謝の生活を送ることが、大切です。
パウロがここで教えている、わたしたちがなすべきことの第二は、「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励むこと」です。
神からわたしたちに与えていただける尊い賜物であり、宝物であるところの「罪からの救い」は、しかし、このわたし個人の確信として維持し続けることは、難しいものです。
この世の中に生きるとき、じつにさまざまな罪の誘惑が、わたしたち一人一人をめがけて襲いかかって来ます。
だからこそ、わたしたちは、その誘惑に負けることなく、「動かされないようにしっかり立つ」必要があるのです。
しかし、そのためには、どうしたらよいのでしょうか。わたしたちは、ひとりで信仰を維持することは、困難ですし、ほとんど不可能とさえ言えます。
パウロは、この手紙をコリントという町にある「教会」に宛てて書きました。そのため、この手紙の中に出てくる「あなたがた」とか「わたしの愛する兄弟たち」とは常に、第一義的に「教会」のことです。
この点から言うならば、「教会」の人々に対して、ここでパウロが、「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい」と書いているとき、その場合の「主の業」とは、第一義的に「教会のわざ」のことなのです。
ですから、ここでパウロが勧めていることは、主の業としての教会のわざに励みなさい、という意味であると理解できます。
わたしたちには、「教会」が必要です。
わたしたちの救い、すなわち、永遠に朽ちない神の国を受け継ぐことができる者へと、わたしたち自身がつくり変えていただけるのだ、という確信をもって生きること、としての信仰を、この地上で保ち続けるために、
そして、そのわたしたちが、その信仰に裏打ちされて、死の恐怖、絶望の恐怖から立ち直り、元気に、明るく、力強く、そして自由に生きていくために、
「教会」が必要なのです。
クリスチャンなら、だれでも、死を恐れることはないのか、絶望の恐怖を味わうことはないのか、と言いますと、決してそんなことはありません。そんなはずがありません。
しかし、だからこそ、わたしたちは、毎週日曜日には教会に集まり、恵みの神を賛美し、聖書の御言葉を通して、救い主イエス・キリストにおける神の救いについて繰り返し学び、熱心に祈るのです。
その賛美は、その御言葉の学びは、その祈りは、「無駄にならない」のです。
「こんなことやっていて何になるのか」と、思いたくなることもあるかもしれません。しかし、どうか、教会のわざに、主の業に、失望しないでいただきたいのです。
わたしたちは、死に打ち勝つ真の力を、教会から得るのです。
(2005年3月27日、松戸小金原教会イースター礼拝)
2005年3月13日日曜日
神の国とは何か
ルカによる福音書6・12〜26
関口 康
今日は少し長く、三つの段落を読みました。
最初の段落に書かれていることは、イエス・キリストが弟子たちの中から十二人を特別に選び、「使徒」と名付けられた、という出来事です。
この中で最も気になるのは、言うまでもなく、十二番目に名前を紹介されている「後に裏切り者になったイスカリオテのユダ」のことです。
関心を抱かざるをえないことは、イエスさまはなぜこのような人をお選びになったのか、ということです。
当然考えてよいことは、少しとげのある言い方をお許しいただきたいのですが、救い主の目は節穴だったのだろうか、ということです。
この人がのちに自分を裏切るかもしれない、ということをイエス・キリストは、この人を選ぶ前に見抜くことがおできにならなかったのか、ということです。
再来週の日曜日に、わたしたちは、イースターを迎えます。その前の週に当たる来週の日曜日から、教会の暦で言うところの受難週を迎えます。
イエス・キリストがエルサレムの町に入られたとき、エルサレムの町の人々は、歓迎の意を表しました。
ところが、そのわずか4日後に、イエスさまは、ユダの裏切りによって逮捕され、その翌日、十字架につけられて死に・・・いえ、殺されました。
こんなふうに考えることは許されないでしょうか。もしこのユダがイエスさまの弟子でなかったとしたら、イエスさまが十字架にかけられることはなかったかもしれない、と。
しかし、このユダを弟子としてお選びになったのは、間違いなくイエスさま御自身でした。
そうだとしたら、イエスさまは、この人の問題性を見抜くことができなかったという点で判断を誤った、と言われても仕方がないのではないか、と。
事実としてたしかに言いうることは、ユダの裏切りがなければ、イエスさまの十字架もなかった、ということです。イエス・キリストは、ご自分がお選びになった弟子によって、死の道を歩まれることになったのです。
この問題には、ただ一つだけ、解決の道が開かれています。わたしたちは、ユダを使徒の一人に選んだことについて、イエスさまを失敗者と呼ぶことはできません。
むしろ、わたしたちに開かれているただ一つの解決の道とは、こうです。
イエスさまが十字架についてくださったのは、わたしたちを罪の中から救うためでした。
それは父なる神ご自身の御心でした。
わたしたちを罪の中から救い出すために、父なる神は、御子イエス・キリストを十字架につけてくださったのです。
そうであるならば、ユダは、父なる神と御子イエス・キリストとによる、わたしたちを罪の中から救い出すというみわざとそのご計画の中で、使徒として選ばれたのです。
恐ろしい考えかもしれません。しかし、神さまというお方は、わたしたち人間には図り知ることのできない方法で、わたしたちを救いへと導いてくださるお方なのです。
今日お読みしました第二番目の段落に書かれていることは、大勢の弟子とおびただしい民衆が、イエスさまの教えを聞くために、また病気をいやしていただくために、集まってきた、という出来事です。
ここでも、イエスさまのみわざとして、二つのことが書かれています。教えることと、いやすことです。“みことば”と“ふれあい”です。
興味深いことは、この個所に書かれていることは、イエスさまが、人々に、触れられた、という話ではない、ということです。主と客が逆転しています。
人々が、イエスさまに、何とかして触れようとした、という話です。「群集は皆、何とかしてイエスに触れようとした」とあるとおりです。
イエスさまに触れるとどうなるか、についても次のように書かれています。
「イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。」
何が興味深いか、と言いますと、そこに実際に現実にいやしが起こったとされる“ふれあい”は、まさに「ふれ“あい”」であった、ということです。双方性と相互性がある、ということです。
イエスさまのほうから手を伸ばされたのでなくても、人びとのほうから手を伸ばしてイエスさまに触れたときにも、いやしが起こったのです。
その人々は、イエスさまのほうへと自分の手を伸ばし、イエスさまから自分のいやしを、自分で手に入れたのです。イエスさまから、力を奪い取ったのです。強奪したのです。
イエスさまから力を奪いに来た人々は、「大勢の弟子とおびただしい群集」です。イエスさまは、くたくたです。
それでも、人々は遠慮しません。イエスさまの教えを聞きたい、病気をいやしていただきたい、という強い願いを持っていたのです。
ここでわたしたちが考えるべきことは、わたしたち自身は、イエス・キリストの御言を聞きたい、病気をいやしてもらいたい、という強い願いや求めを持っているだろうか、ということです。
イエスさまがくたびれておられようと、全くお構いなし、というのは、まずいかもしれません。イエスさまの力を奪い取る、強奪する、というのも、やり方としてはひどいかもしれません。
しかし、今まさに苦しみの中にいる人が、「もしよろしければ、助けてくださいませんでしょうか」などと遠慮する必要はないのです。
ここから先はどうでもよい話ですが、わたしがこれまで経験した少し大きめの病気は、椎間板ヘルニアともう一つ、尿管結石です。
特に後者は、痛み始めると、待ったなしです。横になっていても、痛くて痛くて、バンバンと床を叩き始めます。ギブアップです。
病院に駆け込む。お医者さんと看護婦さんに、泣きそうな顔で、「この痛いの何とかしてください」とお願いする。そして、モルヒネを注射してもらって一件落着です。
何が言いたいか。助けを求めるとは、まさにそのようなことではないでしょうか、ということです。遠慮などしている場合ではないはずなのです。
イエスさまに対しても、です。父なる神に対しても、教会に対しても、わたしたちは、そうであってよいはずです。
どうか、あまり遠慮なさらないでください。悩みや苦しみを自分一人で抱え込まないでください。我慢しないでください。
そして、今日お読みしました第三番目の段落に書かれていることは、イエスさまが実際に語られた説教の内容です。
マタイによる福音書5章以下のほうが、有名かもしれません。同じ説教が紹介されています。
ただし、マタイの場合、イエス・キリストは、山の上で説教しておられます。そのため、この説教は「山上の説教」とか「山上の垂訓」と呼ばれてきました。
ところが、ルカの場合、イエスさまがおられるのは、山の上ではありません。わざわざ「イエスは彼らと一緒に山から下りて」(6・17)と書かれています。そのため、ルカ福音書のこの個所は、「平地の説教」と呼ばれています。
聖書学者たちの間で一致している意見は、ルカはマタイによる福音書を知っている、ということです。
そうであるならば、まるでルカは、マタイが書いたことを修正しているかのようです。イエスさまが説教をされた場所は、山の上でなくて、山の下である、ということを、わざわざ強調しているかのようです。
マタイとルカのどちらがより史実に近いか、というような問題は、問うてみたところで答えは出ません。そのようなことよりも、もっとわたしたちが考えてみるべきことがあります。
ルカはなぜ、マタイが書いていることをまるであからさまに否定しているかのように、イエスさまを山の上から引き下ろしているのか、その意図は何なのか、ということです。
マタイが描き出している、山の上にお立ちになって語るイエスさまのお姿は、モーセの姿に重ね合わせている、と言われます。モーセが神から律法を授かった場所は、シナイ山の上でした。
マタイによると、イエスさまは、山の上で「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(マタイ5・17)と語られました。
この場合の「律法」とは、モーセの律法のことです。そしてイエスさまは、この説教の中で、モーセの律法を廃止するために、わたしが来たのではない、ということを強調しておられます。
しかし、イエスさまの教えには、新しい律法も含まれています。かつてモーセが山の上で神から受けとった古い契約を、今やイエス・キリストが、またしても山の上で新しい契約として語りなおしておられるのです。
しかし、ルカの場合は、この説明が成り立ちません。成り立たないように、わざわざ、ルカ自身が仕向けているかのようです。
ですから、ルカには明らかに、マタイとは異なる意図があるのです。それでは、この「平地の説教」の意図は、何でしょうか。
結論的なことをいろいろと言う前に、説教の内容に触れておきたいと思います。
ここには、四つの幸福と四つの不幸が語られています。そして、この四つの幸福と四つの不幸の内容は、対になっています。
「貧しい人々は幸いである」に対しては、「富んでいるあなたがたは不幸である」と語られています。
「今飢えている人々は、幸いである」に対しては、「今満腹している人々、あなたがたは、不幸である」と語られています。
「今泣いている人々は、幸いである」に対しては、「今笑っている人々は、不幸である」と語られています。
「人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである」に対しては、「すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である」と語られています。
そして、気づかされることは、「今飢えている人々」、「今泣いている人々」という仕方で、「今」ということが明らかに強調されている、ということです。
先ほどわたしが申し上げた、今まさに苦しんでいる人々は、遠慮などしないし、遠慮する必要は全く無いですよ、という意味での「今」です。
切羽詰った思いをもって、イエスさまのもとに駆けつけている人々の「今」です。
そのような人々のために、イエスさまは、一肌も、いえ何肌も脱いでくださり、くたくたになっても付き合ってくださり、助けてくださるのです。
そういう方が、今、あなたがたの前にいるのだ。このわたしが、今、あなたがたと共にいるのだ。
「神の国はあなたがたのものである」。
このわたしの救いの求めに応えてくださる救い主が、このわたしの目の前に、手を伸ばせば届く距離に、そして実際に触れ合うことができ、強い力を受けとることができる場所に、立っておられる。
そのような場所、そのような現実を、イエスさまは「神の国」とお呼びになったのです。
そのような場所、そのような現実を、わたしたちは、持っているでしょうか。
わたしたちの教会は、わたしたちの家庭は、そのような場所になっているでしょうか。
そのように、わたしたちは、自分自身に問いかけてみるべきです。
わたしは、マタイの「山上の説教」とルカの「平地の説教」が矛盾しているとか、一方が正しくて、他方は間違っている、などと言いたいわけではありません。
ただ、強調点には明らかな違いがあります。ルカの強調は、距離の近さにある、と思われます。
イエスさまは、「祈るために」山に行かれた、と書かれていました(6・12)。一緒にいたのは、信頼できる少数の弟子たちだけでした。
心静かに祈ることができる場所にいつまでも留まっていることができるなら、それはそれで、とても幸いなことでしょう。
しかし、イエスさまは、わざわざ、山の上から下りてこられました。
「大勢の弟子たちとおびただしい民衆」の中でもみくちゃにされ、面倒なことに巻き込まれることが初めから分かっているような場所へと、あえて入っていかれたのです。
イエスさまと弟子たちの関係は、上から下に、というよりも、横並びです。
「神の国」は、空の上にあるのではなく、空中にあるのでもありません。
まさに今、苦しみの中にあり、助けを求めている人々の前に、現実として、あるのです。
(2005年3月13日、松戸小金原教会主日礼拝)
関口 康
今日は少し長く、三つの段落を読みました。
最初の段落に書かれていることは、イエス・キリストが弟子たちの中から十二人を特別に選び、「使徒」と名付けられた、という出来事です。
この中で最も気になるのは、言うまでもなく、十二番目に名前を紹介されている「後に裏切り者になったイスカリオテのユダ」のことです。
関心を抱かざるをえないことは、イエスさまはなぜこのような人をお選びになったのか、ということです。
当然考えてよいことは、少しとげのある言い方をお許しいただきたいのですが、救い主の目は節穴だったのだろうか、ということです。
この人がのちに自分を裏切るかもしれない、ということをイエス・キリストは、この人を選ぶ前に見抜くことがおできにならなかったのか、ということです。
再来週の日曜日に、わたしたちは、イースターを迎えます。その前の週に当たる来週の日曜日から、教会の暦で言うところの受難週を迎えます。
イエス・キリストがエルサレムの町に入られたとき、エルサレムの町の人々は、歓迎の意を表しました。
ところが、そのわずか4日後に、イエスさまは、ユダの裏切りによって逮捕され、その翌日、十字架につけられて死に・・・いえ、殺されました。
こんなふうに考えることは許されないでしょうか。もしこのユダがイエスさまの弟子でなかったとしたら、イエスさまが十字架にかけられることはなかったかもしれない、と。
しかし、このユダを弟子としてお選びになったのは、間違いなくイエスさま御自身でした。
そうだとしたら、イエスさまは、この人の問題性を見抜くことができなかったという点で判断を誤った、と言われても仕方がないのではないか、と。
事実としてたしかに言いうることは、ユダの裏切りがなければ、イエスさまの十字架もなかった、ということです。イエス・キリストは、ご自分がお選びになった弟子によって、死の道を歩まれることになったのです。
この問題には、ただ一つだけ、解決の道が開かれています。わたしたちは、ユダを使徒の一人に選んだことについて、イエスさまを失敗者と呼ぶことはできません。
むしろ、わたしたちに開かれているただ一つの解決の道とは、こうです。
イエスさまが十字架についてくださったのは、わたしたちを罪の中から救うためでした。
それは父なる神ご自身の御心でした。
わたしたちを罪の中から救い出すために、父なる神は、御子イエス・キリストを十字架につけてくださったのです。
そうであるならば、ユダは、父なる神と御子イエス・キリストとによる、わたしたちを罪の中から救い出すというみわざとそのご計画の中で、使徒として選ばれたのです。
恐ろしい考えかもしれません。しかし、神さまというお方は、わたしたち人間には図り知ることのできない方法で、わたしたちを救いへと導いてくださるお方なのです。
今日お読みしました第二番目の段落に書かれていることは、大勢の弟子とおびただしい民衆が、イエスさまの教えを聞くために、また病気をいやしていただくために、集まってきた、という出来事です。
ここでも、イエスさまのみわざとして、二つのことが書かれています。教えることと、いやすことです。“みことば”と“ふれあい”です。
興味深いことは、この個所に書かれていることは、イエスさまが、人々に、触れられた、という話ではない、ということです。主と客が逆転しています。
人々が、イエスさまに、何とかして触れようとした、という話です。「群集は皆、何とかしてイエスに触れようとした」とあるとおりです。
イエスさまに触れるとどうなるか、についても次のように書かれています。
「イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。」
何が興味深いか、と言いますと、そこに実際に現実にいやしが起こったとされる“ふれあい”は、まさに「ふれ“あい”」であった、ということです。双方性と相互性がある、ということです。
イエスさまのほうから手を伸ばされたのでなくても、人びとのほうから手を伸ばしてイエスさまに触れたときにも、いやしが起こったのです。
その人々は、イエスさまのほうへと自分の手を伸ばし、イエスさまから自分のいやしを、自分で手に入れたのです。イエスさまから、力を奪い取ったのです。強奪したのです。
イエスさまから力を奪いに来た人々は、「大勢の弟子とおびただしい群集」です。イエスさまは、くたくたです。
それでも、人々は遠慮しません。イエスさまの教えを聞きたい、病気をいやしていただきたい、という強い願いを持っていたのです。
ここでわたしたちが考えるべきことは、わたしたち自身は、イエス・キリストの御言を聞きたい、病気をいやしてもらいたい、という強い願いや求めを持っているだろうか、ということです。
イエスさまがくたびれておられようと、全くお構いなし、というのは、まずいかもしれません。イエスさまの力を奪い取る、強奪する、というのも、やり方としてはひどいかもしれません。
しかし、今まさに苦しみの中にいる人が、「もしよろしければ、助けてくださいませんでしょうか」などと遠慮する必要はないのです。
ここから先はどうでもよい話ですが、わたしがこれまで経験した少し大きめの病気は、椎間板ヘルニアともう一つ、尿管結石です。
特に後者は、痛み始めると、待ったなしです。横になっていても、痛くて痛くて、バンバンと床を叩き始めます。ギブアップです。
病院に駆け込む。お医者さんと看護婦さんに、泣きそうな顔で、「この痛いの何とかしてください」とお願いする。そして、モルヒネを注射してもらって一件落着です。
何が言いたいか。助けを求めるとは、まさにそのようなことではないでしょうか、ということです。遠慮などしている場合ではないはずなのです。
イエスさまに対しても、です。父なる神に対しても、教会に対しても、わたしたちは、そうであってよいはずです。
どうか、あまり遠慮なさらないでください。悩みや苦しみを自分一人で抱え込まないでください。我慢しないでください。
そして、今日お読みしました第三番目の段落に書かれていることは、イエスさまが実際に語られた説教の内容です。
マタイによる福音書5章以下のほうが、有名かもしれません。同じ説教が紹介されています。
ただし、マタイの場合、イエス・キリストは、山の上で説教しておられます。そのため、この説教は「山上の説教」とか「山上の垂訓」と呼ばれてきました。
ところが、ルカの場合、イエスさまがおられるのは、山の上ではありません。わざわざ「イエスは彼らと一緒に山から下りて」(6・17)と書かれています。そのため、ルカ福音書のこの個所は、「平地の説教」と呼ばれています。
聖書学者たちの間で一致している意見は、ルカはマタイによる福音書を知っている、ということです。
そうであるならば、まるでルカは、マタイが書いたことを修正しているかのようです。イエスさまが説教をされた場所は、山の上でなくて、山の下である、ということを、わざわざ強調しているかのようです。
マタイとルカのどちらがより史実に近いか、というような問題は、問うてみたところで答えは出ません。そのようなことよりも、もっとわたしたちが考えてみるべきことがあります。
ルカはなぜ、マタイが書いていることをまるであからさまに否定しているかのように、イエスさまを山の上から引き下ろしているのか、その意図は何なのか、ということです。
マタイが描き出している、山の上にお立ちになって語るイエスさまのお姿は、モーセの姿に重ね合わせている、と言われます。モーセが神から律法を授かった場所は、シナイ山の上でした。
マタイによると、イエスさまは、山の上で「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(マタイ5・17)と語られました。
この場合の「律法」とは、モーセの律法のことです。そしてイエスさまは、この説教の中で、モーセの律法を廃止するために、わたしが来たのではない、ということを強調しておられます。
しかし、イエスさまの教えには、新しい律法も含まれています。かつてモーセが山の上で神から受けとった古い契約を、今やイエス・キリストが、またしても山の上で新しい契約として語りなおしておられるのです。
しかし、ルカの場合は、この説明が成り立ちません。成り立たないように、わざわざ、ルカ自身が仕向けているかのようです。
ですから、ルカには明らかに、マタイとは異なる意図があるのです。それでは、この「平地の説教」の意図は、何でしょうか。
結論的なことをいろいろと言う前に、説教の内容に触れておきたいと思います。
ここには、四つの幸福と四つの不幸が語られています。そして、この四つの幸福と四つの不幸の内容は、対になっています。
「貧しい人々は幸いである」に対しては、「富んでいるあなたがたは不幸である」と語られています。
「今飢えている人々は、幸いである」に対しては、「今満腹している人々、あなたがたは、不幸である」と語られています。
「今泣いている人々は、幸いである」に対しては、「今笑っている人々は、不幸である」と語られています。
「人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである」に対しては、「すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である」と語られています。
そして、気づかされることは、「今飢えている人々」、「今泣いている人々」という仕方で、「今」ということが明らかに強調されている、ということです。
先ほどわたしが申し上げた、今まさに苦しんでいる人々は、遠慮などしないし、遠慮する必要は全く無いですよ、という意味での「今」です。
切羽詰った思いをもって、イエスさまのもとに駆けつけている人々の「今」です。
そのような人々のために、イエスさまは、一肌も、いえ何肌も脱いでくださり、くたくたになっても付き合ってくださり、助けてくださるのです。
そういう方が、今、あなたがたの前にいるのだ。このわたしが、今、あなたがたと共にいるのだ。
「神の国はあなたがたのものである」。
このわたしの救いの求めに応えてくださる救い主が、このわたしの目の前に、手を伸ばせば届く距離に、そして実際に触れ合うことができ、強い力を受けとることができる場所に、立っておられる。
そのような場所、そのような現実を、イエスさまは「神の国」とお呼びになったのです。
そのような場所、そのような現実を、わたしたちは、持っているでしょうか。
わたしたちの教会は、わたしたちの家庭は、そのような場所になっているでしょうか。
そのように、わたしたちは、自分自身に問いかけてみるべきです。
わたしは、マタイの「山上の説教」とルカの「平地の説教」が矛盾しているとか、一方が正しくて、他方は間違っている、などと言いたいわけではありません。
ただ、強調点には明らかな違いがあります。ルカの強調は、距離の近さにある、と思われます。
イエスさまは、「祈るために」山に行かれた、と書かれていました(6・12)。一緒にいたのは、信頼できる少数の弟子たちだけでした。
心静かに祈ることができる場所にいつまでも留まっていることができるなら、それはそれで、とても幸いなことでしょう。
しかし、イエスさまは、わざわざ、山の上から下りてこられました。
「大勢の弟子たちとおびただしい民衆」の中でもみくちゃにされ、面倒なことに巻き込まれることが初めから分かっているような場所へと、あえて入っていかれたのです。
イエスさまと弟子たちの関係は、上から下に、というよりも、横並びです。
「神の国」は、空の上にあるのではなく、空中にあるのでもありません。
まさに今、苦しみの中にあり、助けを求めている人々の前に、現実として、あるのです。
(2005年3月13日、松戸小金原教会主日礼拝)
2005年3月6日日曜日
安息日の主
ルカによる福音書6・1〜11
関口 康
今日は、二つの段落を読みました。あらかじめ申し上げておきたいことは、この二つの段落において扱われている主題は、同じである、ということです。
1節に「ある安息日に」と書かれています。また6節には「ほかの安息日には」と書かれています。描き出されているのは、いずれも「安息日」に起こった出来事であるということです。
旧約聖書の律法が定める「安息日」は土曜日です。そして、モーセの十戒の第四戒には、「安息日(あんそくにち)を覚えて、これを聖とせよ」(出エジプト記20・8、申命記5・12、いずれも口語訳聖書)と書かれています。新共同訳聖書では「安息日(あんそくび)を心に留め、これを聖別せよ」と訳されています。
そして、第四戒の続きには、「六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」と書かれています。
今日の個所、二つの段落にわたって問題になっていることは、まさに今の点です。
「安息日には・・・いかなる仕事もしてはならない」と定めているモーセの第四の戒めの真意ないし本意は何なのか、ということです。
「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは麦の穂を摘み、手でもんで食べた。」
そのときイエスさまの弟子たちは、おそらくお腹がすいていたのです。麦畑の中を通りながら、麦の穂を摘み、手でもんで食べた、というのです。
その麦畑は明らかに、弟子たち自身のものではなく、他人のものでした。しかし、彼らは、いわゆる盗みを働いたわけではありません。他人の麦畑から麦の穂を摘んで食べること自体は、許されていることでした。
ところが、です。彼らがしたことを、ファリサイ派のある人々が、強く批判しました。
「ファリサイ派のある人々が、『なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか』と言った。」
この人々が言った「安息日にしてはならないこと」とは、先ほどご紹介しましたモーセの第四戒の「安息日には・・・いかなる仕事もしてはならない」です。ファリサイ派の人々が不満に思ったのは、弟子たちが「麦の穂を摘み、手でもんで食べた」という点です。
彼らの考えによると、「麦の穂を摘むこと」は、農業という仕事における“収穫行為”に当たりました。また「手でもむこと」は、“脱穀行為”に当たりました。つまり、弟子たちは「仕事」をした、とみなされたのです。
ですから、彼らにとって、イエスさまの弟子たちがしていたことは、全くけしからんことであり、許しがたいことである、というふうに見えたのです。
しかし、どうでしょうか。ここでやや個人的な感想めいたことを言わせていただくなら、ずいぶん大げさな物言いであると思われてなりません。ささいなことに目くじらを立てるとは、まさにこのようなことを言うのではないでしょうか。
「イエスはお答えになった。『ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを取って食べ、供の者たちにも与えたではないか。』」
ここでイエスさまは、サムエル記上21・3〜6に記された出来事を引き合いに出しておられます。
ダビデ王とその軍隊が、さあこれから戦争に出かけよう、という場面です。「腹が減ってはいくさができぬ」とばかりに、何かを食べようとした。しかし、食べる物がなかったので、神殿の祭司のもとに行き、神殿に供えている聖別されたパンを食べさせてもらった、という物語です。
要するに、それは、ダビデたちが、お祭りの日に祭壇に置く“お供え物”のパンに手をつけた、という物語です。神の御前に聖別されたパンを、これから戦争に行くための軍人たちの腹ごしらえ、という目的に利用した、という物語です。
これは、聞く人によっては、非常にけしからん話であり、なんといかがわしいことか、と感じるような話です。しかし、そういうことが、旧約聖書の中に記されているのです。
ここでイエスさまが問題にしておられることは、「聖別された」とは、どういう意味か、ということです。
聖別されたパンを、ダビデたちは、「お腹がすいている」という理由で食べた。言うならば、これと同じように、「これを聖別せよ」と言われている安息日の過ごし方として「お腹がすいている」という理由で、麦の穂を摘み、手でもんで食べることの何が悪いのかと、イエスさまは答えておられるのです。
このイエスさまのお答えは、必ずしも、理路整然としたものではないかもしれません。しかし、ポイントは、はっきりしています。
「安息日には・・・いかなる仕事もしてはならない」という戒めを、「お腹がすいても、我慢しなさい」というように、拡大解釈してはならない、ということです。
また、もう一つ、別の観点から申し上げておきたいことがあります。ある注解者の言葉を読んで、ハッと気づかされたことです。
それは、そのとき弟子たちがしたことに対するファリサイ派の人々の批判には、イエスさまご自身がお答えになっている、ということです。
イエスさまという方は、弟子たちがしたことについて、誰かが抗議し、批判してくるときに、弟子たちに答えさせるのではなく、イエスさまご自身がお答えになる、そのようなお方である、ということです。
思い返していただきたいのは、シモン・ペトロがイエスさまの弟子になったあとに行われた二人の病人を、イエスさまがいやされたときのことです。
とくに二人目の病人(中風の人)をいやされる場面で、律法学者たちやファリサイ派の人々が「神を冒涜するこの男は何者だ」と心の中で考えはじめたとき、彼らの考えを知ったイエスさま御自身がお答えになっています。
また、レビが弟子になったあとに開かれた宴会の場面で、イエスさまの弟子たちが徴税人や罪人たちと食事をしていたことについて、またユダヤ教の断食規定を守らなかったことについて、ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちが抗議してきたときにも、イエスさまご自身がお答えになっています。
先週わたしは、イエスさまは弟子たちの行為を弁護されている、と申しました。イエスさまは、弟子たちの弁護士になってくださるのです。
もちろん、イエス・キリストの弟子であるとは、すなわち、イエス・キリストの教えに従って生きる人々であるということですから、教えを守る者たちの生き方についての責任は、教える者の側にある、と語ることができます。
しかし、たしかにそうではあっても、教える者たちの中には、その意味での責任をとらない人も、決して少なくないのです。ただ教えるだけであって、自分はその教えを守ろうとしないとか、自分の教えを守っている人が批判を受けたときには、弁護するのではなく、逃げてしまう、など。
イエスさまは、このような(厳しい言い方かもしれませんが)“無責任な”教師ではなかった、ということです。イエスさまは、批判する人々の前に立ちはだかって、弟子たちを守り、弁護してくださる、そういうお方なのです。この点は、特筆に価します。
「そして、彼らに言われた。『人の子は安息日の主である。』」
ここで「人の子」とは、イエスさま御自身のことです。ですから、「安息日の主」とは、イエスさま御自身のことです。
しかし、この意味については、注意が必要です。イエスさまは、安息日そのものを廃止するために来られた主ではありません。イエスさまの御言に、そのような意味は、ありません。
そうではなく、「安息日の主」の意味は、その日に礼拝され、讃美されるべき神御自身の御心を、自由なる意志をもって、実現されるお方である、ということに他なりません。
イエスさまが引き合いに出されたダビデの物語にも、そのことが当てはまります。
戦争をすることが正しいか間違っているか、ということは、問題にすべきことかもしれません。しかし、歴史的な事実として、そのとき戦争があり、それに参加せざるをえない人々がいた、ということまでを否定することはできません。
そういう場面において、です。お腹をすかしたままで戦いの場に人々を連れ出すことが、神の御心に適うことなのか、という問題です。そのような場面で、聖別されたパンだからという理由で、それを彼らに与えることができない、とする判断が、はたして、本当に神の御心に適うことなのか、という問題です。
ここで、わたしたち自身のことを考えることもできます。
わたしたちの信じるキリスト教安息日は、今日、まさに日曜日です。日曜日を、わたしたちは、聖別しなければなりません。
しかし、この聖別された今日の日、日曜日に、わたしたちは、どうなるのでしょうか。わたしたちは、何をするのでしょうか。
神さまに礼拝をささげること。
もちろん、そうです!
けれども、“ささげる”だけでしょうか。もっとはっきり言うなら、“奪われる”だけでしょうか。神さまから、豊かな恵みを、しっかりと“いただく”日でもなければならないのではないでしょうか。
日曜日にしっかり“いただく”ことがなくては、どうして、次の日からの仕事に、勇気と希望、喜びと感謝をもって、出かけることができるでしょうか。
「安息日の主」としてのイエス・キリストが、今日、この礼拝においても、わたしたちに、たくさんの恵みと力を与えてくださっているのです。
「また、ほかの安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに一人の人がいて、その右手が萎えていた。律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた。イエスは彼らの考えを見抜いて、手の萎えた人に、『立って、真ん中に出なさい』と言われた。その人は身を起こして立った。」
第二の段落の主題も、第一の主題と同じです。
しかし、今度は、律法の拡大解釈とは言えません。明確な仕事でした。治療ないし医療行為です。右手の萎えた人のその手をいやされる、という仕事を、安息日に、イエスさまがなさったのです。
「そこで、イエスは言われた。『あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。』そして、彼ら一同を見回して、その人に、『手を伸ばしなさい』と言われた。言われたようにすると、手は元どおりになった。ところが、彼らは怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った。」
このイエスさまの問いは、わたしたちにも、向けられています。問われていることは、安息日の目的は何か、ということです。
神さまに礼拝をささげること。
もちろん、そのとおりです!
しかし、ここで注意しなければならないことは、“ささげる”ということでわたしたちが意識していることは、多分に、わたしたち自身の行為である、ということです。この礼拝において、わたしたちが何をなすべきか、ということです。
“ささげる”という言い方が、どうしても、その点を意識させます。わたしたちの中から、わたしたちの側から、“出て行くもの”や“失うもの”を意識せざるをえません。
しかしながら、安息日において、そして、その日にささげられる礼拝において、わたしたちが、じつは、もっと関心を向けるべきことがあるのです。
それは、この礼拝において、神さまご自身が、わたしたちにしてくださること、わたしたちに与えてくださるものは何か、ということです。
イエスさまのお答えは、もちろん、「善を行うこと」です。「命を救うこと」です。そのことを、「人の子」と称せられる「安息日の主」イエス・キリストが、わたしたちに、してくださるのです。
そのために、安息日があります。キリスト教安息日としての「日曜日」があります。
神さまがわたしたちに恵みを、喜びを与えてくださるために、礼拝が、教会が、あるのです。
(2005年3月6日、松戸小金原教会主日礼拝)
関口 康
今日は、二つの段落を読みました。あらかじめ申し上げておきたいことは、この二つの段落において扱われている主題は、同じである、ということです。
1節に「ある安息日に」と書かれています。また6節には「ほかの安息日には」と書かれています。描き出されているのは、いずれも「安息日」に起こった出来事であるということです。
旧約聖書の律法が定める「安息日」は土曜日です。そして、モーセの十戒の第四戒には、「安息日(あんそくにち)を覚えて、これを聖とせよ」(出エジプト記20・8、申命記5・12、いずれも口語訳聖書)と書かれています。新共同訳聖書では「安息日(あんそくび)を心に留め、これを聖別せよ」と訳されています。
そして、第四戒の続きには、「六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」と書かれています。
今日の個所、二つの段落にわたって問題になっていることは、まさに今の点です。
「安息日には・・・いかなる仕事もしてはならない」と定めているモーセの第四の戒めの真意ないし本意は何なのか、ということです。
「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは麦の穂を摘み、手でもんで食べた。」
そのときイエスさまの弟子たちは、おそらくお腹がすいていたのです。麦畑の中を通りながら、麦の穂を摘み、手でもんで食べた、というのです。
その麦畑は明らかに、弟子たち自身のものではなく、他人のものでした。しかし、彼らは、いわゆる盗みを働いたわけではありません。他人の麦畑から麦の穂を摘んで食べること自体は、許されていることでした。
ところが、です。彼らがしたことを、ファリサイ派のある人々が、強く批判しました。
「ファリサイ派のある人々が、『なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか』と言った。」
この人々が言った「安息日にしてはならないこと」とは、先ほどご紹介しましたモーセの第四戒の「安息日には・・・いかなる仕事もしてはならない」です。ファリサイ派の人々が不満に思ったのは、弟子たちが「麦の穂を摘み、手でもんで食べた」という点です。
彼らの考えによると、「麦の穂を摘むこと」は、農業という仕事における“収穫行為”に当たりました。また「手でもむこと」は、“脱穀行為”に当たりました。つまり、弟子たちは「仕事」をした、とみなされたのです。
ですから、彼らにとって、イエスさまの弟子たちがしていたことは、全くけしからんことであり、許しがたいことである、というふうに見えたのです。
しかし、どうでしょうか。ここでやや個人的な感想めいたことを言わせていただくなら、ずいぶん大げさな物言いであると思われてなりません。ささいなことに目くじらを立てるとは、まさにこのようなことを言うのではないでしょうか。
「イエスはお答えになった。『ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを取って食べ、供の者たちにも与えたではないか。』」
ここでイエスさまは、サムエル記上21・3〜6に記された出来事を引き合いに出しておられます。
ダビデ王とその軍隊が、さあこれから戦争に出かけよう、という場面です。「腹が減ってはいくさができぬ」とばかりに、何かを食べようとした。しかし、食べる物がなかったので、神殿の祭司のもとに行き、神殿に供えている聖別されたパンを食べさせてもらった、という物語です。
要するに、それは、ダビデたちが、お祭りの日に祭壇に置く“お供え物”のパンに手をつけた、という物語です。神の御前に聖別されたパンを、これから戦争に行くための軍人たちの腹ごしらえ、という目的に利用した、という物語です。
これは、聞く人によっては、非常にけしからん話であり、なんといかがわしいことか、と感じるような話です。しかし、そういうことが、旧約聖書の中に記されているのです。
ここでイエスさまが問題にしておられることは、「聖別された」とは、どういう意味か、ということです。
聖別されたパンを、ダビデたちは、「お腹がすいている」という理由で食べた。言うならば、これと同じように、「これを聖別せよ」と言われている安息日の過ごし方として「お腹がすいている」という理由で、麦の穂を摘み、手でもんで食べることの何が悪いのかと、イエスさまは答えておられるのです。
このイエスさまのお答えは、必ずしも、理路整然としたものではないかもしれません。しかし、ポイントは、はっきりしています。
「安息日には・・・いかなる仕事もしてはならない」という戒めを、「お腹がすいても、我慢しなさい」というように、拡大解釈してはならない、ということです。
また、もう一つ、別の観点から申し上げておきたいことがあります。ある注解者の言葉を読んで、ハッと気づかされたことです。
それは、そのとき弟子たちがしたことに対するファリサイ派の人々の批判には、イエスさまご自身がお答えになっている、ということです。
イエスさまという方は、弟子たちがしたことについて、誰かが抗議し、批判してくるときに、弟子たちに答えさせるのではなく、イエスさまご自身がお答えになる、そのようなお方である、ということです。
思い返していただきたいのは、シモン・ペトロがイエスさまの弟子になったあとに行われた二人の病人を、イエスさまがいやされたときのことです。
とくに二人目の病人(中風の人)をいやされる場面で、律法学者たちやファリサイ派の人々が「神を冒涜するこの男は何者だ」と心の中で考えはじめたとき、彼らの考えを知ったイエスさま御自身がお答えになっています。
また、レビが弟子になったあとに開かれた宴会の場面で、イエスさまの弟子たちが徴税人や罪人たちと食事をしていたことについて、またユダヤ教の断食規定を守らなかったことについて、ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちが抗議してきたときにも、イエスさまご自身がお答えになっています。
先週わたしは、イエスさまは弟子たちの行為を弁護されている、と申しました。イエスさまは、弟子たちの弁護士になってくださるのです。
もちろん、イエス・キリストの弟子であるとは、すなわち、イエス・キリストの教えに従って生きる人々であるということですから、教えを守る者たちの生き方についての責任は、教える者の側にある、と語ることができます。
しかし、たしかにそうではあっても、教える者たちの中には、その意味での責任をとらない人も、決して少なくないのです。ただ教えるだけであって、自分はその教えを守ろうとしないとか、自分の教えを守っている人が批判を受けたときには、弁護するのではなく、逃げてしまう、など。
イエスさまは、このような(厳しい言い方かもしれませんが)“無責任な”教師ではなかった、ということです。イエスさまは、批判する人々の前に立ちはだかって、弟子たちを守り、弁護してくださる、そういうお方なのです。この点は、特筆に価します。
「そして、彼らに言われた。『人の子は安息日の主である。』」
ここで「人の子」とは、イエスさま御自身のことです。ですから、「安息日の主」とは、イエスさま御自身のことです。
しかし、この意味については、注意が必要です。イエスさまは、安息日そのものを廃止するために来られた主ではありません。イエスさまの御言に、そのような意味は、ありません。
そうではなく、「安息日の主」の意味は、その日に礼拝され、讃美されるべき神御自身の御心を、自由なる意志をもって、実現されるお方である、ということに他なりません。
イエスさまが引き合いに出されたダビデの物語にも、そのことが当てはまります。
戦争をすることが正しいか間違っているか、ということは、問題にすべきことかもしれません。しかし、歴史的な事実として、そのとき戦争があり、それに参加せざるをえない人々がいた、ということまでを否定することはできません。
そういう場面において、です。お腹をすかしたままで戦いの場に人々を連れ出すことが、神の御心に適うことなのか、という問題です。そのような場面で、聖別されたパンだからという理由で、それを彼らに与えることができない、とする判断が、はたして、本当に神の御心に適うことなのか、という問題です。
ここで、わたしたち自身のことを考えることもできます。
わたしたちの信じるキリスト教安息日は、今日、まさに日曜日です。日曜日を、わたしたちは、聖別しなければなりません。
しかし、この聖別された今日の日、日曜日に、わたしたちは、どうなるのでしょうか。わたしたちは、何をするのでしょうか。
神さまに礼拝をささげること。
もちろん、そうです!
けれども、“ささげる”だけでしょうか。もっとはっきり言うなら、“奪われる”だけでしょうか。神さまから、豊かな恵みを、しっかりと“いただく”日でもなければならないのではないでしょうか。
日曜日にしっかり“いただく”ことがなくては、どうして、次の日からの仕事に、勇気と希望、喜びと感謝をもって、出かけることができるでしょうか。
「安息日の主」としてのイエス・キリストが、今日、この礼拝においても、わたしたちに、たくさんの恵みと力を与えてくださっているのです。
「また、ほかの安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに一人の人がいて、その右手が萎えていた。律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた。イエスは彼らの考えを見抜いて、手の萎えた人に、『立って、真ん中に出なさい』と言われた。その人は身を起こして立った。」
第二の段落の主題も、第一の主題と同じです。
しかし、今度は、律法の拡大解釈とは言えません。明確な仕事でした。治療ないし医療行為です。右手の萎えた人のその手をいやされる、という仕事を、安息日に、イエスさまがなさったのです。
「そこで、イエスは言われた。『あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。』そして、彼ら一同を見回して、その人に、『手を伸ばしなさい』と言われた。言われたようにすると、手は元どおりになった。ところが、彼らは怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った。」
このイエスさまの問いは、わたしたちにも、向けられています。問われていることは、安息日の目的は何か、ということです。
神さまに礼拝をささげること。
もちろん、そのとおりです!
しかし、ここで注意しなければならないことは、“ささげる”ということでわたしたちが意識していることは、多分に、わたしたち自身の行為である、ということです。この礼拝において、わたしたちが何をなすべきか、ということです。
“ささげる”という言い方が、どうしても、その点を意識させます。わたしたちの中から、わたしたちの側から、“出て行くもの”や“失うもの”を意識せざるをえません。
しかしながら、安息日において、そして、その日にささげられる礼拝において、わたしたちが、じつは、もっと関心を向けるべきことがあるのです。
それは、この礼拝において、神さまご自身が、わたしたちにしてくださること、わたしたちに与えてくださるものは何か、ということです。
イエスさまのお答えは、もちろん、「善を行うこと」です。「命を救うこと」です。そのことを、「人の子」と称せられる「安息日の主」イエス・キリストが、わたしたちに、してくださるのです。
そのために、安息日があります。キリスト教安息日としての「日曜日」があります。
神さまがわたしたちに恵みを、喜びを与えてくださるために、礼拝が、教会が、あるのです。
(2005年3月6日、松戸小金原教会主日礼拝)
2005年2月27日日曜日
新しいぶどう酒
ルカによる福音書5・33〜39
関口 康
今日の個所は、先週の個所(5・27〜32)と、内容的に直接つながっています。
主イエス・キリストが、徴税人レビを弟子にしました。そのことを、レビは心から喜び、自分のためにパーティーを開きました。
そのパーティーには、レビの徴税人仲間がたくさん参加していました。そしてもちろんイエスさま御自身も参加しておられました。
また、明言されてはいませんが、パーティーには、レビよりも前に弟子になったシモン・ペトロやその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとヨセフも参加していたようです。
そして、そこでは、イエスさま御自身も、そしてイエスさまの弟子たちも、本当に楽しそうに、食べたり飲んだりしていました。
ところが、です。楽しそうにしていた彼らに、なにやら文句を言いたい人々が、現われました。
先週の個所では「ファリサイ派やその派の律法学者たち」が、つぶやきました。彼らはそのつぶやきを「イエスの弟子たち」にぶつけました。
今日の個所には「人々は」と書いてあるだけです。今度は、イエスさま御自身にモノを言う人々が、現われたのです。
「人々はイエスに言った。『ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。』」
先週の個所に出てくるファリサイ派の人々は、イエスさまが徴税人や罪人たちと一緒に飲んだり食べたりしていることに、疑問を持ちました。
朱に交われば赤くなる、と言います。彼らが思ったことは、あんな連中と一緒にいる、イエスというあの男は、あの連中と同類である、ということでしょう。
しかし、今日の個所に出てくる人々のクレームの内容は、ファリサイ派のものとは内容が異なるものです。イエスさまの弟子たちが「食べたり飲んだりしている」そのこと自体が問題である、というのです。
「ヨハネの弟子たち」とは、イエスさまに洗礼をさずけた、あのバプテスマのヨハネの弟子たちのことです。以前確認しましたように「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた」(マタイ3・4)、あのヨハネの弟子たちです。
ヨハネは、いわゆる禁欲主義者でした。そのようなものとして宗教をとらえ、実践した人でした。ただ、本当に何も食べないでいることは、いくらなんでも不可能ですので、「いなごと野蜜」というような人間が食べるようなものではないものを食べていました。そしてヨハネは、弟子たちにも、自分と同じような生活をさせていました。
ファリサイ派の弟子たちも、断食を行っていました。彼らは週に二回、断食をしていました(ルカ18・12)。月曜日と木曜日です。もちろん、宗教的な行為としての断食です。別の動機ではありません。自分自身の罪の悔い改めのしるしとして、断食の苦行をするのです。
ところが、イエスさまの弟子たちは、そんなことには全くお構いなしであるかのように、食べたり飲んだりしていました。
すると、彼らのその様子を見て、そういうのは、ちょっとおかしいのではないか、と問題に感じる人々が出てきたのです。そして、「あなたたち、もう少し真面目におやんなさい」と言いはじめたのです。
そのように考えたり言ったりする人々には、当然のことですが宗教というものに対する彼ら自身の前提理解があるわけです。宗教とは、本来こういうものであるべきである、という自分なりの理解があるのです。
宗教には、やはり、何らかの仕方で禁欲的な要素が必ずあるものだし、あるべきだ。盛大なパーティーを開いて楽しむだとか、自由気ままに食べたり飲んだりすることなど、宗教にはふさわしくない不謹慎な態度である。
そのような、宗教に対する前提理解が、この人々の中にあったのです。
じつは、そのような前提理解に立つ人々は、今でもいますし、決して少なくありません。わたしたちの教会なども、いつもどおり楽しくやっていますと、そのうち、そのような考えの人々から、いろんなことを言われてしまうかもしれません。
しかし、わたしは、たいていの場合、だれに対しても、「教会は、楽しいところですよ」と言います。事実、教会は、難行苦行を積みに来る修行道場ではありませんし、嫌々ながら、体を引きずってでも、来なければならない、というようなところではありません。あまり気難しく考えすぎる必要はないのです。
ですから、その意味で、ただし、その意味でだけ、わたしは時々、大いに誤解を恐れながらではありますが、その人々に、こう言います。「ぜひ、教会に遊びに来てください」と。
しかし、そう言いながら、わたしは、誤解されることを、内心で非常に恐れています。だれに誤解されることを恐れるのかと言いますと、最も恐れるのは、教会の皆さんの誤解です。
「わたしたちは、教会に、遊びに来ているわけではない」と言われてしまうことがあるからです。
ですから、これは、非常に難しい問題であると、わたし自身、痛感しております。
「そこで、イエスは言われた。『花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。』」
ここでイエスさまがしておられることは明らかです。イエスさまは、弟子たちが自由に食べたり飲んだりしていたこと、そのようにして人生を楽しんでいたことを、弁護しておられるのです。
はっきり言って、彼らは、そのとき遊んでいたのです。遊んでもよい場面でした。ところが、遊びというものは、とくに大人の遊びの場合は、時として、弁護される必要があるのです。
日本人は遊ぶことが下手である、と言われた時期があったと思います。今はどうでしょうか。変わってきた面と、少しも変わっていない面とがあるように感じます。
わたしも、どちらかと言えば、遊ぶことが下手です。すべてを仕事として考えてしまう傾向があります。
牧師の日曜日は労働日になりえます。休日も、お正月も、クリスマスも、牧師にとっては労働日になりえます。子どもたちが休みの日にこそ、仕事が集中します。一緒に遊んでやることが、なかなかできません。
それでは、それ以外の日の牧師は遊んでいるのかと言うと、そうだとも言えるし、そうでないとも言えます。ヒマそうにしていると思われるのが嫌だと、感じるときがあります。
わたしの尊敬する先輩牧師は、自分の手帳の予定欄が真っ黒でないと不安でたまらなくなる人でした。今日の予定は何もない、という日があると、無理やりでも何か仕事を探してきて、空欄を埋めようとしました。
わたしは、それほどではありませんが、その先輩牧師の影響を、いまだに引きずっているようです。わたしはヒマではない、と言いたくなります。
しかし、イエスさまは、弟子たちが遊んでいることを、弁護してくださいました。
彼らが自分の人生を心から喜び、楽しんでいる姿を、温かく見守ってくださり、彼らの生き方にケチをつけようとする人々に、反論してくださいました。
牧師だけの話にしないほうがよいと思います。皆さんの話です。わたしたちの話です。
「花婿」とは、イエスさまのことです。「花婿が一緒にいる」のは、お祝いの席です。イエスさまが共におられるところは、喜びに満ちあふれた楽しい場所であってよいのだと、イエスさま御自身が認めてくださったのです。
わたしたちの礼拝とは、何でしょうか。教会が主催する集会は、何でしょうか。ここはイエスさまが共にいてくださる場所なのですから、楽しんでよい場所なのです。
わたしたちの家庭での生活とは、何でしょうか。今日この礼拝が終わり、それぞれの家に帰ります。明日から職場に復帰します。そこにはイエスさまが共におられないのでしょうか。日曜日は天国、週日は地獄でしょうか。
そんなことはないのです。わたしたちは、教会生活だけではなく、日常生活、人生そのものを楽しんでよいし、楽しまなければならないのです。イエスさまは、いつも、わたしたちと一緒にいてくださるからです。
わたし自身も、何度となく、人から言われることがあります。「教会に通える人は、ヒマでいいですねえ」と。しかし、そんなことを言われても気にしないことです。イエスさまが、わたしたちを弁護してくださるのです。
「そして、イエスはたとえを話された。『だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。また、だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を破って流れ出し、皮袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れねばならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。「古いものの方がよい」と言うのである。』」
イエスさまのこのたとえ話が、前の話とどのように結びつくのかは、少し考える必要がありそうです。
二つのたとえ話の趣旨は、ほとんど同じ、と見てよいものです。
新しい服から破り取った布切れを古い服に継ぎ当てると、新しい服のほうをだめにするし、古い服のほうも新しい部分と古い部分とで、ちぐはぐになるだろう。
新しいぶどう酒を古い皮袋に入れると、発酵の力が強いので、その皮袋を破ってしまう。だからこそ、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れねばならない。
この二つのたとえ話の共通点は、明らかに、新しいものと古いものとの関係はどうあるべきかということです。
しかし、それでは、ここで言われている「新しいもの」とは、何でしょうか。「古いもの」とは、何でしょうか。
イエスさま御自身は、必ずしも、そのことをはっきりと定義しておられるわけではありません。
ただ、しかし、全く分からないという感じはしません。むしろ、状況としては、非常によく分かるものがあると感じます。
状況として想定しうるのは、レビの家で開かれていたパーティーの場面です。
そこにいた人々は、言うならば、「新しい」人々です。レビ自身も、またレビよりも少し前にイエスさまの弟子になったばかりのシモン・ペトロたちも、新しい道を歩きはじめたばかりの人々です。
レビの友人たちも、イエスさまの弟子にはなっていなかったとしても、イエスさまの存在を知り、少なくともイエスさまの語られる説教を耳にし、なんだかまだよく分からないことばかりだけれども、それまでは触れたこともなかったような新しい何かに触れ、何かを考えはじめた可能性のある人々です。
それに対して、「古い」人々とは、だれでしょうか。「古い」とは「新しい」の反対です。それはどういう人々か、想像してみていただきたいと思います。
イエスさまのお考えの要点は、どうやら、「古いもの」と「新しいもの」とを混ぜっ返してしまったり、一緒くたにしてしまったりしないほうがよい、というあたりにある、と見てよさそうです。
ただし、決して悪い意味ではありません。差別の意図はありません。
わたしたちのこととして考えてみると、よく分かるはずです。
たとえば、わたしは、洗礼を受けたばかりの方々や新しく松戸小金原教会のメンバーになってくださった方々に向かって、いきなり、日本キリスト改革派教会が定めている教会規程をすべてきちんと勉強してくださいとか、ウェストミンスター信仰告白のすべてを暗記してください、そうでなければ困ります、などとは言いません。
あるいはまた、先週洗礼を受けたばかりの人を、今週長老に選んだりはしません。
これは差別ではありません。教会生活、あるいは信仰生活にも、長い年月をかけた熟成の期間が必要なのです。
そして、そのようなことよりも、何よりも、むしろ、この意味での「新しい」人々に、教会として提供すべきことがあるのです。
それは、教会は楽しいところである、と知っていただくことです。その楽しさを十分に味わい、堪能していただくことです。教会に来てよかった、洗礼を受けてよかった、と喜んでいただくことです。
「あなたは洗礼を受けました。はい、それでは、来週から、週に二回、断食をしてください」と言われて、教会に来てよかったと喜んでくださる方が、おられるでしょうか。
わたしなら逃げます、と申し上げておきます。
今日の個所で学びうることは、イエス・キリスト御自身の伝道方針が、どういうものであったか、ということです。
(2005年2月27日、松戸小金原教会主日礼拝)
関口 康
今日の個所は、先週の個所(5・27〜32)と、内容的に直接つながっています。
主イエス・キリストが、徴税人レビを弟子にしました。そのことを、レビは心から喜び、自分のためにパーティーを開きました。
そのパーティーには、レビの徴税人仲間がたくさん参加していました。そしてもちろんイエスさま御自身も参加しておられました。
また、明言されてはいませんが、パーティーには、レビよりも前に弟子になったシモン・ペトロやその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとヨセフも参加していたようです。
そして、そこでは、イエスさま御自身も、そしてイエスさまの弟子たちも、本当に楽しそうに、食べたり飲んだりしていました。
ところが、です。楽しそうにしていた彼らに、なにやら文句を言いたい人々が、現われました。
先週の個所では「ファリサイ派やその派の律法学者たち」が、つぶやきました。彼らはそのつぶやきを「イエスの弟子たち」にぶつけました。
今日の個所には「人々は」と書いてあるだけです。今度は、イエスさま御自身にモノを言う人々が、現われたのです。
「人々はイエスに言った。『ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。』」
先週の個所に出てくるファリサイ派の人々は、イエスさまが徴税人や罪人たちと一緒に飲んだり食べたりしていることに、疑問を持ちました。
朱に交われば赤くなる、と言います。彼らが思ったことは、あんな連中と一緒にいる、イエスというあの男は、あの連中と同類である、ということでしょう。
しかし、今日の個所に出てくる人々のクレームの内容は、ファリサイ派のものとは内容が異なるものです。イエスさまの弟子たちが「食べたり飲んだりしている」そのこと自体が問題である、というのです。
「ヨハネの弟子たち」とは、イエスさまに洗礼をさずけた、あのバプテスマのヨハネの弟子たちのことです。以前確認しましたように「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた」(マタイ3・4)、あのヨハネの弟子たちです。
ヨハネは、いわゆる禁欲主義者でした。そのようなものとして宗教をとらえ、実践した人でした。ただ、本当に何も食べないでいることは、いくらなんでも不可能ですので、「いなごと野蜜」というような人間が食べるようなものではないものを食べていました。そしてヨハネは、弟子たちにも、自分と同じような生活をさせていました。
ファリサイ派の弟子たちも、断食を行っていました。彼らは週に二回、断食をしていました(ルカ18・12)。月曜日と木曜日です。もちろん、宗教的な行為としての断食です。別の動機ではありません。自分自身の罪の悔い改めのしるしとして、断食の苦行をするのです。
ところが、イエスさまの弟子たちは、そんなことには全くお構いなしであるかのように、食べたり飲んだりしていました。
すると、彼らのその様子を見て、そういうのは、ちょっとおかしいのではないか、と問題に感じる人々が出てきたのです。そして、「あなたたち、もう少し真面目におやんなさい」と言いはじめたのです。
そのように考えたり言ったりする人々には、当然のことですが宗教というものに対する彼ら自身の前提理解があるわけです。宗教とは、本来こういうものであるべきである、という自分なりの理解があるのです。
宗教には、やはり、何らかの仕方で禁欲的な要素が必ずあるものだし、あるべきだ。盛大なパーティーを開いて楽しむだとか、自由気ままに食べたり飲んだりすることなど、宗教にはふさわしくない不謹慎な態度である。
そのような、宗教に対する前提理解が、この人々の中にあったのです。
じつは、そのような前提理解に立つ人々は、今でもいますし、決して少なくありません。わたしたちの教会なども、いつもどおり楽しくやっていますと、そのうち、そのような考えの人々から、いろんなことを言われてしまうかもしれません。
しかし、わたしは、たいていの場合、だれに対しても、「教会は、楽しいところですよ」と言います。事実、教会は、難行苦行を積みに来る修行道場ではありませんし、嫌々ながら、体を引きずってでも、来なければならない、というようなところではありません。あまり気難しく考えすぎる必要はないのです。
ですから、その意味で、ただし、その意味でだけ、わたしは時々、大いに誤解を恐れながらではありますが、その人々に、こう言います。「ぜひ、教会に遊びに来てください」と。
しかし、そう言いながら、わたしは、誤解されることを、内心で非常に恐れています。だれに誤解されることを恐れるのかと言いますと、最も恐れるのは、教会の皆さんの誤解です。
「わたしたちは、教会に、遊びに来ているわけではない」と言われてしまうことがあるからです。
ですから、これは、非常に難しい問題であると、わたし自身、痛感しております。
「そこで、イエスは言われた。『花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。』」
ここでイエスさまがしておられることは明らかです。イエスさまは、弟子たちが自由に食べたり飲んだりしていたこと、そのようにして人生を楽しんでいたことを、弁護しておられるのです。
はっきり言って、彼らは、そのとき遊んでいたのです。遊んでもよい場面でした。ところが、遊びというものは、とくに大人の遊びの場合は、時として、弁護される必要があるのです。
日本人は遊ぶことが下手である、と言われた時期があったと思います。今はどうでしょうか。変わってきた面と、少しも変わっていない面とがあるように感じます。
わたしも、どちらかと言えば、遊ぶことが下手です。すべてを仕事として考えてしまう傾向があります。
牧師の日曜日は労働日になりえます。休日も、お正月も、クリスマスも、牧師にとっては労働日になりえます。子どもたちが休みの日にこそ、仕事が集中します。一緒に遊んでやることが、なかなかできません。
それでは、それ以外の日の牧師は遊んでいるのかと言うと、そうだとも言えるし、そうでないとも言えます。ヒマそうにしていると思われるのが嫌だと、感じるときがあります。
わたしの尊敬する先輩牧師は、自分の手帳の予定欄が真っ黒でないと不安でたまらなくなる人でした。今日の予定は何もない、という日があると、無理やりでも何か仕事を探してきて、空欄を埋めようとしました。
わたしは、それほどではありませんが、その先輩牧師の影響を、いまだに引きずっているようです。わたしはヒマではない、と言いたくなります。
しかし、イエスさまは、弟子たちが遊んでいることを、弁護してくださいました。
彼らが自分の人生を心から喜び、楽しんでいる姿を、温かく見守ってくださり、彼らの生き方にケチをつけようとする人々に、反論してくださいました。
牧師だけの話にしないほうがよいと思います。皆さんの話です。わたしたちの話です。
「花婿」とは、イエスさまのことです。「花婿が一緒にいる」のは、お祝いの席です。イエスさまが共におられるところは、喜びに満ちあふれた楽しい場所であってよいのだと、イエスさま御自身が認めてくださったのです。
わたしたちの礼拝とは、何でしょうか。教会が主催する集会は、何でしょうか。ここはイエスさまが共にいてくださる場所なのですから、楽しんでよい場所なのです。
わたしたちの家庭での生活とは、何でしょうか。今日この礼拝が終わり、それぞれの家に帰ります。明日から職場に復帰します。そこにはイエスさまが共におられないのでしょうか。日曜日は天国、週日は地獄でしょうか。
そんなことはないのです。わたしたちは、教会生活だけではなく、日常生活、人生そのものを楽しんでよいし、楽しまなければならないのです。イエスさまは、いつも、わたしたちと一緒にいてくださるからです。
わたし自身も、何度となく、人から言われることがあります。「教会に通える人は、ヒマでいいですねえ」と。しかし、そんなことを言われても気にしないことです。イエスさまが、わたしたちを弁護してくださるのです。
「そして、イエスはたとえを話された。『だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。また、だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を破って流れ出し、皮袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れねばならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。「古いものの方がよい」と言うのである。』」
イエスさまのこのたとえ話が、前の話とどのように結びつくのかは、少し考える必要がありそうです。
二つのたとえ話の趣旨は、ほとんど同じ、と見てよいものです。
新しい服から破り取った布切れを古い服に継ぎ当てると、新しい服のほうをだめにするし、古い服のほうも新しい部分と古い部分とで、ちぐはぐになるだろう。
新しいぶどう酒を古い皮袋に入れると、発酵の力が強いので、その皮袋を破ってしまう。だからこそ、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れねばならない。
この二つのたとえ話の共通点は、明らかに、新しいものと古いものとの関係はどうあるべきかということです。
しかし、それでは、ここで言われている「新しいもの」とは、何でしょうか。「古いもの」とは、何でしょうか。
イエスさま御自身は、必ずしも、そのことをはっきりと定義しておられるわけではありません。
ただ、しかし、全く分からないという感じはしません。むしろ、状況としては、非常によく分かるものがあると感じます。
状況として想定しうるのは、レビの家で開かれていたパーティーの場面です。
そこにいた人々は、言うならば、「新しい」人々です。レビ自身も、またレビよりも少し前にイエスさまの弟子になったばかりのシモン・ペトロたちも、新しい道を歩きはじめたばかりの人々です。
レビの友人たちも、イエスさまの弟子にはなっていなかったとしても、イエスさまの存在を知り、少なくともイエスさまの語られる説教を耳にし、なんだかまだよく分からないことばかりだけれども、それまでは触れたこともなかったような新しい何かに触れ、何かを考えはじめた可能性のある人々です。
それに対して、「古い」人々とは、だれでしょうか。「古い」とは「新しい」の反対です。それはどういう人々か、想像してみていただきたいと思います。
イエスさまのお考えの要点は、どうやら、「古いもの」と「新しいもの」とを混ぜっ返してしまったり、一緒くたにしてしまったりしないほうがよい、というあたりにある、と見てよさそうです。
ただし、決して悪い意味ではありません。差別の意図はありません。
わたしたちのこととして考えてみると、よく分かるはずです。
たとえば、わたしは、洗礼を受けたばかりの方々や新しく松戸小金原教会のメンバーになってくださった方々に向かって、いきなり、日本キリスト改革派教会が定めている教会規程をすべてきちんと勉強してくださいとか、ウェストミンスター信仰告白のすべてを暗記してください、そうでなければ困ります、などとは言いません。
あるいはまた、先週洗礼を受けたばかりの人を、今週長老に選んだりはしません。
これは差別ではありません。教会生活、あるいは信仰生活にも、長い年月をかけた熟成の期間が必要なのです。
そして、そのようなことよりも、何よりも、むしろ、この意味での「新しい」人々に、教会として提供すべきことがあるのです。
それは、教会は楽しいところである、と知っていただくことです。その楽しさを十分に味わい、堪能していただくことです。教会に来てよかった、洗礼を受けてよかった、と喜んでいただくことです。
「あなたは洗礼を受けました。はい、それでは、来週から、週に二回、断食をしてください」と言われて、教会に来てよかったと喜んでくださる方が、おられるでしょうか。
わたしなら逃げます、と申し上げておきます。
今日の個所で学びうることは、イエス・キリスト御自身の伝道方針が、どういうものであったか、ということです。
(2005年2月27日、松戸小金原教会主日礼拝)
2005年2月20日日曜日
徴税人を弟子にする
ルカによる福音書5・27〜32
関口 康
今日は、短く一段落だけをお読みしました。しかし、ここには、非常に多くの学ぶべき内容が語られていると感じます。
イエスさまが伝道活動を開始されてまもなくして取りかかられた、最も大きな仕事の一つは、御自身の弟子を集めることでした。
イエスさまが最初に伝道活動の拠点を据えられたのは、ガリラヤ湖にほとりに位置するカファルナウムという町でした。
その町で、イエスさまは最初の弟子シモン・ペトロとその兄弟アンデレ、またシモンの仲間であるゼベダイの子ヤコブとヨハネを弟子にしました。彼らは皆、ガリラヤ湖で仕事をしていた漁師たちでした。
しかし、イエスさまは、その後、この町から出て行かれます。27節に「その後、イエスは出て行って」と書いてあるとおりです。
何のために、イエスさまは、カファルナウムから出て行かれたのでしょうか。そのことが、次のように書かれています。
「その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。」
イエスさまがカファルナウムの町から出て行かれた目的は、レビという徴税人を弟子にするためでした。そのように言うと、少し変に思われるかもしれません。しかし、ぜひ次のようにも考えてみていただきたいのです。
カファルナウムは漁師の町でした。そのため、もしイエスさまが、伝道活動の最初から最後までずっとカファルナウムに留まり続けられたならば、イエスさまの弟子になる人々の多くは、もっぱら漁師とその家族、またその関係者に限られたのではないでしょうか。そんなふうにも考えることができるのです。
それが悪いと言いたいわけではありません。しかし、おそらく、イエスさま御自身が、漁師だけではなく、他の仕事をしていた人々をも、弟子に加えたい、と願われたのです。そのために、イエスさまは、カファルナウムを出て行かれたのです。
レビは徴税人でした。徴税人とは、どのような仕事であったかについては、後ほどご説明いたします。
それよりも前に、今申し上げておきたいことは、このレビこそが、わたしたちが持っている新約聖書の最初の書物であるマタイによる福音書を書いたマタイその人である、という事実です。
レビはマタイのことです。ですから、この人がイエスさまの弟子になったことは、その後じつに二千年間にわたるキリスト教会の歴史の中で、最も重大な出来事の一つであった、と語ることができるのです。
そのレビが収税所に座っているのをイエスさまがご覧になり、「わたしに従いなさい」と言われたところ、レビは「何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った」とあります。
レビは何を捨てたのでしょうか。もちろん、自分の仕事です。また、自分の立場や地位というべきものです。
イエスさまとの出会いが、彼の人生を変えました。それまで持っていたすべてのものを捨てることを、決心することができたのです。
「そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。」
レビは、イエスさまの弟子にしていただいたことを、本当に心から喜んだのでしょう。自分の家でイエスのために盛大な宴会を催しました。パーティーを開いたのです。
そして、そのパーティーには、当然のことながら、彼の徴税人仲間や他のたくさんの人々が集まってきました。
今わたしは「当然のことながら」と申しました。その意味は、レビがイエスさまの弟子になる前に徴税人だったから、ということだけです。昔からの仕事仲間が集まってきた、ということでしょう。
しかし、もう少しよく考えてみますと、はたしてこれが本当に「当然」と言えることかどうかには、微妙な問題も含まれているように思われます。
と言いますのは、レビが開いたパーティーは、イエスさまの弟子になったことをお祝いするためのものだったわけです。そうであるならば、そこに集まったレビの徴税人仲間は、はたして、そのお祝いの趣旨や意味をどれくらい正しく理解し、また、彼ら自身の喜びとすることができたのだろうか、ということについては、いくらか疑問が残るからです。
だって、そうではありませんか。
たとえば、わたしたちがイエスさまの弟子になるということは、具体的に言えば、洗礼を受けることです。あるいは、幼児洗礼を受けている人にとっては、信仰告白をすることです。あるいは、もっと直接的な意味で、教会の伝道者になるとか、牧師になる、というような場面のことを、思い起こすことができるわけです。
そのことを、わたしたち自身は、喜ぶでしょう。そして、わたしたちよりも前にイエスさまの弟子になった人々も、喜んでくれるでしょう。
ところが、まだイエスさまの弟子になっていない人々が、わたしたちがそうなったことを、本当に心から喜んでくれるでしょうか。
たとえば、わたしたちが洗礼を受けたときに、教会はお祝いします。それはわたしたちにとっては、非常に「おめでたい」ことですから。
しかし、たとえば、みなさんの中でどなたか、ご自分が洗礼を受けられたときに、教会以外の場所で、親戚や友人を集めてパーティーを開きました、とおっしゃる方がおられるでしょうか。そういう例は、あまり無いように思います。
開いてはならない、とか開く必要はない、という話ではありません。開くことができるなら、素晴らしいことです。しかし、実際には、そのような例は、ほとんどありません。それが、わたしたちの悲しい現実なのです。
ところが、レビは、そのような人々を集めることができたのです。これは、一つの才能であると思われてなりません。
しかしまた、ここでちょっと、思わず考え込んでしまうことがあります。それは、それでは、その日、レビが開いたパーティーに集まってきた人々の目的は何だったのだろうか、という点です。
彼ら自身もイエスさまの弟子の中に加えられた、という話ならば納得できます。しかし、そのようなことは、どこにも書かれていませんし、どうやらその様子は無いのです。
だとすれば、残されている可能性として考えられることが、三つほどあります。
第一の可能性は、彼らは、とにかく、とても義理堅い人々であった、ということです。仲間の誘いとあらば、そのパーティーの趣旨や内容は何であれ、とにかく必ず参加する、という人々であった、ということです。
第二の可能性は、こんなふうなことかと想像できます。レビは、かつての仕事仲間の中では、ボス格の存在であった。かつてのボスの命令に、子分たちは逆らえなかった。そういうこともありうると思います。
第三の可能性は、こうです。彼らは、単純にパーティーが好きだった、ということです。いわば、そこに出てくるごちそうやお酒だけが目当てだった。趣旨や内容などは、どうでもよい。主役さえ放ったらかし。とにかく、ただ自分たちが楽しければよい。そのような人々も、この世の中には、たくさんいます。
どの可能性が事実により近いかについては判断できませんし、もっと別の可能性があるかもしれません。
しかし、そのような判断よりも、興味深いことがあります。
それは、いずれにせよ、レビは、このようなタイプの人々を、自分がイエスさまの弟子になった、というそのことをお祝いするためのパーティーに“誘うことができる”、という独特の才能をもっていたのだ、ということです。
なぜ、このことが、わたしたちにとって興味深いことなのでしょうか。これを、わたしたち自身のこととして考えてみれば、分かるはずです。
おそらくレビは、この後、イエスさまの弟子として活躍するようになってからも、イエスさまが来てくださる集会に、そのような人々を再び誘うことができたに違いないのです。
そういう人々を集めてくることが、レビにはできたのです。これは、一種の才能なのです。わたしたちも、大いに見習わなければならないところではないでしょうか。
しかし、です。わたしたちは、ここまで来て、おそらく、ちょっと立ち止まりたくなるのだと思います。あるいは、ここまで来て、何か腑に落ちないものを感じはじめるのだと思います。
「ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。『なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。』」
「オイオイ、ちょっと、あなたたち、今行っているパーティーは、何の集まりなのかね?」と問いかけてくる人々がいました。それは、ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちであった、と紹介されています。
たしかに、その日のパーティーは、そのように人から言われたり、見られたりしても、おかしくないような人々の集まりだったのかもしれません。
問題は、徴税人の仕事とは、どのようなものであったか、です。これは、わりとよく知られた話です。
当時のユダヤの国は、ローマ帝国の支配下に置かれた属国でした。そのため、当然のことながら、ローマ帝国は、ユダヤ人たちから、非常に多額の税金を集めました。
その際ローマ帝国は、ユダヤ人たちから税金を集める仕事をする人々の多くを、ユダヤ人の中から選びました。レビもその一人だったわけです。
しかし、そうなりますと、徴税人たちは、いわば二つの国の橋渡しのような仕事をしていることになるわけですから、当然、非常に微妙な立場に置かれてしまうわけです。
ユダヤ人たちの中にもいろんな立場の人々がいたと言われますが、その中には、自分の国を支配しているローマ帝国を憎んでいる人々もいました。
とくにファリサイ派の人々は、ローマ帝国に対して敵対意識をもっていたと言われています。彼らは、宗教的に熱心な人々でしたから、ユダヤの国がローマ帝国の支配下から解放され、宗教的な自立を取り戻し、ユダヤ教の純粋性を回復したいと願っていました。
その人々からすれば、徴税人は、ローマ帝国に収める税金を集めるなどという、およそ許しがたい、けしからん行為をしている人々である、ということになるわけです。
また、徴税人の側にも問題があった、と言われます。
ローマ帝国に収める税金を集める際に多くの中間的な手数料を取り、それによって私財を肥やすこともしていたようです。そのようなことができる、ある種の特権を手にしていた人々である、と見ることができるのです。
そういうわけですから、その日、レビの家に集まっていた人々は、見る人によっては、もう本当に許しがたい、付き合いたくない、心から憎しみを感じるような人々でもあった、ということになるのです。
だからこそ、ファリサイ派の人々は、言いました。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか」と。
「イエスはお答えになった。『医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。』」
今日のわたしの話の中に、イエスさま御自身は、あまり登場しなかったかもしれません。しかし、決して忘れていたわけではありません。
レビの家の集まりの真ん中に、イエスさまがおられました。そして、その盛大な宴会を、イエスさま御自身も、心から楽しんでおられたのです。
ただ、イエスさまは、先ほどのファリサイ派の人々のような見方やその視線を、ご存じなかったわけではありませんでした。
言うならば、当然、そのように見られること、批判されることを承知の上で、覚悟の上で、イエスさまは、レビの家に入り、レビの徴税人仲間たちの真ん中で、和気藹々と、楽しいひとときを過ごしておられたのです。
ですから、イエスさまがしておられることは、ある意味で、挑戦であったということができるでしょう。
たとえば、日本の教会、わたしたちの教会の中で、わたしたちがごく普通の、というか率直な感覚として、牧師さんや長老さんたちには、ああいうところには、あんまり出入りしてもらいたくないなあ、と感じるような場所は、どこでしょうか。具体的な例を挙げていくと、必ずいろいろと語弊が出てきますので、やめておきますが。
たとえば、そういうところに、です。イエスさまが、どんどん遠慮なく入っていかれる。
そして、そこにいる人々と楽しく飲み食いしている。
そういうときには、わたしたちでも、ちょっと嫌な気持ちが起こってくるかもしれないのです。
しかし、それは、少なくともイエスさまの場合には明確な目的がおありになる、ということです。
ミイラ取りがミイラになりに行くためではありません。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」
ひたすら、このことのためです。
どちらかといえば、火中に栗を拾いに行くためである、と言うほうが当たっています。危ない橋を渡る、という面もあります。
それくらいのことをしなければ、ひとりの人を罪の中から救い出すことができない場合があるのです。
イエスさまがレビを弟子にされたことも、おそらく、そのためです。はっきり言って、レビは、ややアヤシイ人脈を持っている人でした。彼らの中にも、福音の種を蒔きに行くためです。
そのようなアブナイことは誰にでもできることではないかもしれません。
しかし、伝道には、この種の冒険や挑戦が伴うことも、ありうるのです。
(2005年2月20日、松戸小金原教会主日礼拝)
関口 康
今日は、短く一段落だけをお読みしました。しかし、ここには、非常に多くの学ぶべき内容が語られていると感じます。
イエスさまが伝道活動を開始されてまもなくして取りかかられた、最も大きな仕事の一つは、御自身の弟子を集めることでした。
イエスさまが最初に伝道活動の拠点を据えられたのは、ガリラヤ湖にほとりに位置するカファルナウムという町でした。
その町で、イエスさまは最初の弟子シモン・ペトロとその兄弟アンデレ、またシモンの仲間であるゼベダイの子ヤコブとヨハネを弟子にしました。彼らは皆、ガリラヤ湖で仕事をしていた漁師たちでした。
しかし、イエスさまは、その後、この町から出て行かれます。27節に「その後、イエスは出て行って」と書いてあるとおりです。
何のために、イエスさまは、カファルナウムから出て行かれたのでしょうか。そのことが、次のように書かれています。
「その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。」
イエスさまがカファルナウムの町から出て行かれた目的は、レビという徴税人を弟子にするためでした。そのように言うと、少し変に思われるかもしれません。しかし、ぜひ次のようにも考えてみていただきたいのです。
カファルナウムは漁師の町でした。そのため、もしイエスさまが、伝道活動の最初から最後までずっとカファルナウムに留まり続けられたならば、イエスさまの弟子になる人々の多くは、もっぱら漁師とその家族、またその関係者に限られたのではないでしょうか。そんなふうにも考えることができるのです。
それが悪いと言いたいわけではありません。しかし、おそらく、イエスさま御自身が、漁師だけではなく、他の仕事をしていた人々をも、弟子に加えたい、と願われたのです。そのために、イエスさまは、カファルナウムを出て行かれたのです。
レビは徴税人でした。徴税人とは、どのような仕事であったかについては、後ほどご説明いたします。
それよりも前に、今申し上げておきたいことは、このレビこそが、わたしたちが持っている新約聖書の最初の書物であるマタイによる福音書を書いたマタイその人である、という事実です。
レビはマタイのことです。ですから、この人がイエスさまの弟子になったことは、その後じつに二千年間にわたるキリスト教会の歴史の中で、最も重大な出来事の一つであった、と語ることができるのです。
そのレビが収税所に座っているのをイエスさまがご覧になり、「わたしに従いなさい」と言われたところ、レビは「何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った」とあります。
レビは何を捨てたのでしょうか。もちろん、自分の仕事です。また、自分の立場や地位というべきものです。
イエスさまとの出会いが、彼の人生を変えました。それまで持っていたすべてのものを捨てることを、決心することができたのです。
「そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。」
レビは、イエスさまの弟子にしていただいたことを、本当に心から喜んだのでしょう。自分の家でイエスのために盛大な宴会を催しました。パーティーを開いたのです。
そして、そのパーティーには、当然のことながら、彼の徴税人仲間や他のたくさんの人々が集まってきました。
今わたしは「当然のことながら」と申しました。その意味は、レビがイエスさまの弟子になる前に徴税人だったから、ということだけです。昔からの仕事仲間が集まってきた、ということでしょう。
しかし、もう少しよく考えてみますと、はたしてこれが本当に「当然」と言えることかどうかには、微妙な問題も含まれているように思われます。
と言いますのは、レビが開いたパーティーは、イエスさまの弟子になったことをお祝いするためのものだったわけです。そうであるならば、そこに集まったレビの徴税人仲間は、はたして、そのお祝いの趣旨や意味をどれくらい正しく理解し、また、彼ら自身の喜びとすることができたのだろうか、ということについては、いくらか疑問が残るからです。
だって、そうではありませんか。
たとえば、わたしたちがイエスさまの弟子になるということは、具体的に言えば、洗礼を受けることです。あるいは、幼児洗礼を受けている人にとっては、信仰告白をすることです。あるいは、もっと直接的な意味で、教会の伝道者になるとか、牧師になる、というような場面のことを、思い起こすことができるわけです。
そのことを、わたしたち自身は、喜ぶでしょう。そして、わたしたちよりも前にイエスさまの弟子になった人々も、喜んでくれるでしょう。
ところが、まだイエスさまの弟子になっていない人々が、わたしたちがそうなったことを、本当に心から喜んでくれるでしょうか。
たとえば、わたしたちが洗礼を受けたときに、教会はお祝いします。それはわたしたちにとっては、非常に「おめでたい」ことですから。
しかし、たとえば、みなさんの中でどなたか、ご自分が洗礼を受けられたときに、教会以外の場所で、親戚や友人を集めてパーティーを開きました、とおっしゃる方がおられるでしょうか。そういう例は、あまり無いように思います。
開いてはならない、とか開く必要はない、という話ではありません。開くことができるなら、素晴らしいことです。しかし、実際には、そのような例は、ほとんどありません。それが、わたしたちの悲しい現実なのです。
ところが、レビは、そのような人々を集めることができたのです。これは、一つの才能であると思われてなりません。
しかしまた、ここでちょっと、思わず考え込んでしまうことがあります。それは、それでは、その日、レビが開いたパーティーに集まってきた人々の目的は何だったのだろうか、という点です。
彼ら自身もイエスさまの弟子の中に加えられた、という話ならば納得できます。しかし、そのようなことは、どこにも書かれていませんし、どうやらその様子は無いのです。
だとすれば、残されている可能性として考えられることが、三つほどあります。
第一の可能性は、彼らは、とにかく、とても義理堅い人々であった、ということです。仲間の誘いとあらば、そのパーティーの趣旨や内容は何であれ、とにかく必ず参加する、という人々であった、ということです。
第二の可能性は、こんなふうなことかと想像できます。レビは、かつての仕事仲間の中では、ボス格の存在であった。かつてのボスの命令に、子分たちは逆らえなかった。そういうこともありうると思います。
第三の可能性は、こうです。彼らは、単純にパーティーが好きだった、ということです。いわば、そこに出てくるごちそうやお酒だけが目当てだった。趣旨や内容などは、どうでもよい。主役さえ放ったらかし。とにかく、ただ自分たちが楽しければよい。そのような人々も、この世の中には、たくさんいます。
どの可能性が事実により近いかについては判断できませんし、もっと別の可能性があるかもしれません。
しかし、そのような判断よりも、興味深いことがあります。
それは、いずれにせよ、レビは、このようなタイプの人々を、自分がイエスさまの弟子になった、というそのことをお祝いするためのパーティーに“誘うことができる”、という独特の才能をもっていたのだ、ということです。
なぜ、このことが、わたしたちにとって興味深いことなのでしょうか。これを、わたしたち自身のこととして考えてみれば、分かるはずです。
おそらくレビは、この後、イエスさまの弟子として活躍するようになってからも、イエスさまが来てくださる集会に、そのような人々を再び誘うことができたに違いないのです。
そういう人々を集めてくることが、レビにはできたのです。これは、一種の才能なのです。わたしたちも、大いに見習わなければならないところではないでしょうか。
しかし、です。わたしたちは、ここまで来て、おそらく、ちょっと立ち止まりたくなるのだと思います。あるいは、ここまで来て、何か腑に落ちないものを感じはじめるのだと思います。
「ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。『なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。』」
「オイオイ、ちょっと、あなたたち、今行っているパーティーは、何の集まりなのかね?」と問いかけてくる人々がいました。それは、ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちであった、と紹介されています。
たしかに、その日のパーティーは、そのように人から言われたり、見られたりしても、おかしくないような人々の集まりだったのかもしれません。
問題は、徴税人の仕事とは、どのようなものであったか、です。これは、わりとよく知られた話です。
当時のユダヤの国は、ローマ帝国の支配下に置かれた属国でした。そのため、当然のことながら、ローマ帝国は、ユダヤ人たちから、非常に多額の税金を集めました。
その際ローマ帝国は、ユダヤ人たちから税金を集める仕事をする人々の多くを、ユダヤ人の中から選びました。レビもその一人だったわけです。
しかし、そうなりますと、徴税人たちは、いわば二つの国の橋渡しのような仕事をしていることになるわけですから、当然、非常に微妙な立場に置かれてしまうわけです。
ユダヤ人たちの中にもいろんな立場の人々がいたと言われますが、その中には、自分の国を支配しているローマ帝国を憎んでいる人々もいました。
とくにファリサイ派の人々は、ローマ帝国に対して敵対意識をもっていたと言われています。彼らは、宗教的に熱心な人々でしたから、ユダヤの国がローマ帝国の支配下から解放され、宗教的な自立を取り戻し、ユダヤ教の純粋性を回復したいと願っていました。
その人々からすれば、徴税人は、ローマ帝国に収める税金を集めるなどという、およそ許しがたい、けしからん行為をしている人々である、ということになるわけです。
また、徴税人の側にも問題があった、と言われます。
ローマ帝国に収める税金を集める際に多くの中間的な手数料を取り、それによって私財を肥やすこともしていたようです。そのようなことができる、ある種の特権を手にしていた人々である、と見ることができるのです。
そういうわけですから、その日、レビの家に集まっていた人々は、見る人によっては、もう本当に許しがたい、付き合いたくない、心から憎しみを感じるような人々でもあった、ということになるのです。
だからこそ、ファリサイ派の人々は、言いました。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか」と。
「イエスはお答えになった。『医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。』」
今日のわたしの話の中に、イエスさま御自身は、あまり登場しなかったかもしれません。しかし、決して忘れていたわけではありません。
レビの家の集まりの真ん中に、イエスさまがおられました。そして、その盛大な宴会を、イエスさま御自身も、心から楽しんでおられたのです。
ただ、イエスさまは、先ほどのファリサイ派の人々のような見方やその視線を、ご存じなかったわけではありませんでした。
言うならば、当然、そのように見られること、批判されることを承知の上で、覚悟の上で、イエスさまは、レビの家に入り、レビの徴税人仲間たちの真ん中で、和気藹々と、楽しいひとときを過ごしておられたのです。
ですから、イエスさまがしておられることは、ある意味で、挑戦であったということができるでしょう。
たとえば、日本の教会、わたしたちの教会の中で、わたしたちがごく普通の、というか率直な感覚として、牧師さんや長老さんたちには、ああいうところには、あんまり出入りしてもらいたくないなあ、と感じるような場所は、どこでしょうか。具体的な例を挙げていくと、必ずいろいろと語弊が出てきますので、やめておきますが。
たとえば、そういうところに、です。イエスさまが、どんどん遠慮なく入っていかれる。
そして、そこにいる人々と楽しく飲み食いしている。
そういうときには、わたしたちでも、ちょっと嫌な気持ちが起こってくるかもしれないのです。
しかし、それは、少なくともイエスさまの場合には明確な目的がおありになる、ということです。
ミイラ取りがミイラになりに行くためではありません。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」
ひたすら、このことのためです。
どちらかといえば、火中に栗を拾いに行くためである、と言うほうが当たっています。危ない橋を渡る、という面もあります。
それくらいのことをしなければ、ひとりの人を罪の中から救い出すことができない場合があるのです。
イエスさまがレビを弟子にされたことも、おそらく、そのためです。はっきり言って、レビは、ややアヤシイ人脈を持っている人でした。彼らの中にも、福音の種を蒔きに行くためです。
そのようなアブナイことは誰にでもできることではないかもしれません。
しかし、伝道には、この種の冒険や挑戦が伴うことも、ありうるのです。
(2005年2月20日、松戸小金原教会主日礼拝)
2005年2月13日日曜日
地上で罪を赦す権威
ルカによる福音書5・12〜26
関口 康
今日は、二つの段落を、続けて読みました。最初の段落に書かれていることは、先週の説教の中でも、確認したことです。
それは、イエスさまの伝道活動には、説教の要素と、直接手を置いていやしのみわざを行う要素があった、ということです。“みことば”の要素と“ふれあい”の要素があったのです。
「イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と願った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。」
ここで分かることは、みことばとふれあいというこの二つの要素は、バラバラに切り離されてはならないものである、ということです。
イエスさまは、重い皮膚病にかかっている人の体に触れながら、「よろしい。清くなれ」と言われました。「清くなれ」という御言と共に、清めの出来事が起こりました。両者には密接な関係があるのです。
見方を変えて言いますと、イエスさまが実際になさったことは、“みことば”から離れた“ふれあい”、あるいは“みことば”を抜きにした“ふれあい”だけ、というようなものではなかった、ということです。
「言葉は要らない。ただ一緒に居てくれるだけでいい」というのはドラマのせりふです。イエスさまの伝道は、そういうものではなかったのです。
むしろ、事情はこうです。まず“みことば”が語られます。そして、その“みことば”が、“ふれあい”によって、一人一人の心と体において、実現するのです。
それは、言葉の具現化です。形のないものが、形のあるものとして、示されるのです。
重い皮膚病の人は、イエスさまに「主よ、御心ならば」と願いました。これをもう少し一般的に言い直せば、「主よ、もしよろしければ」となります。
「御心」とは、意志や願いを表す言葉です。ですから、これは「あなたが、わたしの体がいやされるように、と願ってくださるならば」という意味です。
しかし、イエスさまに「もしよろしければ」とお願いするのは奇妙です。わたしたちは、病院で「もしよろしければ、治してくださいませんでしょうか」と言うでしょうか。「いやです」とか言われてしまうと、どうなるのでしょうか。遠慮している場合ではありません。
ただ、この人は、遠慮していたというよりも、むしろ、もうすっかり諦めてしまっていたのではないか、と思われます。
もう治る見込みがない、こんなわたしでもよろしいでしょうか、というような気持ちがあったのではないでしょうか。
事実として、当時、重い皮膚病にかかった人は、治るまで、人々の中で一緒に生活することができませんでした。不治の病と認定されているものにかかってしまったら、二度と社会に復帰できないと、あきらめるほかはありませんでした。
しかし、イエスさまの答えは「よろしい」でした。「もしよろしければ」に対する「よろしい」です。「御心ならば」に対する「御心です!」です。
「そうです。あなたの体が清められることが、わたしの願いです!」という意味です。
「そうです。あなたは独りぼっちではなく、みんなの中で生活できるようになることが、わたしの願いです!」という意味です。
そして、イエスさまは、語られた御言どおりに、その人を清めることがおできになりました。
わたしたちの救い主は、言葉を現実のものとする力を持っておられるのです。
最初の段落については、ここまでにします。今日、主にお話ししたいことは、次の段落に紹介されている出来事です。
「ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。」
イエスさまが人々に教えておられました。「教える」の通常の意味は説教です。しかし、その日が安息日だったかどうかは、分かりません。
その場所は「家の中」であったと18節に記されています。安息日ごとに会堂で行われる礼拝ではないことは、明らかです。
マルコによる福音書の平行記事(マルコ2・1以下)を読みますと、どうやら、この「家」は、カファルナウムでイエスさまが滞在されたシモン・ペトロの家であると考えられます。要するに、家庭集会です。
ところが、そこに、ちょっとアヤシイ人々が座っていました。「ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから」来たファリサイ派の人々と律法の教師たちがいたのです。
こういうことは、時々あります。
わたしが神戸改革派神学校を卒業して、山梨栄光教会(当時甲府塩部教会)に赴任したのは、1998年7月でした。当時33才でした。
たしか、その7月か8月のことです。礼拝に、千城台教会の高瀬一夫先生が、出席しておられました。「お!」と、びっくりしました。
予告なしに突然来られました。夏休みで来た、と言われました。しかし、じつは、視察の意味で来られたようです。そのことを、あとで知りました。
このことは、ある面から言えば、必要なことです。新人教師が、でたらめなことを教えているかもしれません。それで本当に困ってしまうのは、教会であり、信徒です。
ですから、わたしは、この件に関して、否定的な面だけを強調するつもりはありません。
イエスさまのもとにぞろぞろと集まった教師たちの目的は、明らかでした。
最近ちまたで話題のイエスとかいう30才くらいの若い教師が、何を教え、何をしているかを、調査してみなければならない。もし何か問題があるようならば、ただちに活動を停止させる必要がある、と考えたのです。
わたしは今、東部中会の伝道委員会の書記です。中会所属伝道所の問安の仕事は、中会伝道委員の仕事です。伝道所の内部事情にも遠慮なく立ち入り、教師や教会員のしていることをチェックする仕事です。
ときには憎まれ役です。しかし、誰かがしなければならない、という意味で必要な仕事です。そのことを強調しておきます。
「主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。しかし、群集に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、『人よ、あなたの罪は赦された』と言われた。」
イエスさまは、いつもどおり、説教といやしのみわざを行っておられました。
ところが、その日は、いつもより、たくさん、人が集まっていたからでしょう、イエスさまに病気を治してもらいたくて連れてこられた人がイエスさまに近づくことができないという状況が生じました。
それは中風を患っている人でした。その人を連れて来た人々は、何とかしてイエスさまに近づかせたい一心で、その家の屋根瓦をはがし、上から床をつり降ろしたのです。
彼らがしていることは、メチャクチャです。しかし、イエスさまのみわざの本質をよくとらえている人々でした。
先ほどから申し上げていますとおり、イエスさまのみわざには、“みことば”の要素だけではなく、“ふれあい”の要素があるからです。近づくこと、直接さわっていただく必要があることを、彼らは、よく知っていたのです。
だからこそ、イエスさまは、「彼らの信仰」を称賛されました。イエスさまは、「彼らの信仰」をご覧になって、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われたのです。
しかし、あなたの「何の」罪が赦されたと、イエスさまはおっしゃっているのでしょうか。
他人の家の屋根瓦をはがすことも、立派な罪です。そのことでしょうか。
イエスさまの説教の最中に、家ごとガタガタ動かし、集まっている人々に迷惑をかけることも、立派な罪です。そのことでしょうか。
イエスさまに病気をいやしてもらいたくて行列をつくっている人々の前に無理やり割り込んで順番を狂わせてしまうことも、立派な罪です。そのことでしょうか。
別のことを考えるほうがよさそうです。もっと根本的な意味です。その人がそのときまで犯してきた罪、また、それ以後も犯し続けるであろう罪のすべてを、イエスさまは、お赦しになったのです。
そのようなこと、すなわち、地上で罪を赦すことができる権威を、イエスさまはお持ちになっているのです。
「ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」
ところが、律法学者たちの反応は、否定的なものでした。「罪の赦し」を口にするこの男は何者だと。神を冒涜する罪を犯しているのは、この男自身ではないかと。
しかし、よく考えてみると、この人々の反応は、大いに疑問が残るものです。
「ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」という考えそのものは、間違っているとは言えません。
ところが、彼らは、イエスさまが「あなたの罪は赦された」と語ることは間違っている、と考えたのです。
ここから、彼らの考え方がどのようなものだったかが見えてきます。
説教者に許されているのは、「神が罪を赦してくださる」と語ることだけである。ところが、「あなたの罪は赦された」と語ることは許されていないのだと。
それならば、説教者は、このように語らなければならないのでしょうか。
「わたしは、あなたの罪を赦すことはできません。もしかしたら、神は赦してくださるかもしれません。しかし、それはだれにも分かりません。“ただ神のみぞ知る”です」。
これはやはり、どう考えても、おかしな理屈です。彼らの言い分どおりに考えてみると、それでは、この人に「あなたの罪は赦された」という事実を伝えることができるのは一体誰なのか、という疑問が残るではありませんか。
「イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。『何を心の中で考えているのか。「あなたの罪は赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと、どちらが易しいか。』」
皆さんは、どちらが易しいとお感じでしょうか。「あなたの罪は赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと。イエスさま御自身は、何も答えておられません。
わたしが信頼している解説書の答えは、前者です。
ここでイエスさまが強調しておられるのは、「言う」という点です。「言う」とは、語ること、ここでは説教の意味です。
なるほど、「あなたの罪は赦された」と説教することは簡単です。「言う」だけならば、だれでも言えます。そうではないでしょうか。
ですから、イエスさまの意図は、それなのに、なぜ、というわけです。
言うだけならば、だれでもできる簡単なことなのに、言わない、言えない、言わせない。言ってはならないと禁じる人々がいる。
その人々は、簡単なことを難しく考え、事柄をややこしくするだけ。人々を単純に慰め、励まし、助ける言葉を語ることができない。
あなたがたは何をしに来たのか。目の前で苦しんでいる人にやさしい慰めの言葉を語ることもできないのかと、イエスさまは、御言の教師たちを抗議しておられるのです。
「『人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。』そして、中風の人に、『わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい』と言われた。その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。」
イエスさまは、“口だけの”お方ではありません。「言う」だけではなく、実行される。語られた言葉を実現され、形あるものとして具現化される。そのようなお方なのです。
教会に委ねられた仕事も、じつは同じです。
わたしたち教会に、イエスさまと同じだけのいやしの力が与えられているわけではありません。
しかし、だからと言って、説教だけが、聖書の説明だけが、教会の仕事ではありません。聖書の御言葉を実現し、具現化することが求められます。
たとえば、罪の赦しが、そうです。これを語ることは簡単であると言われます。しかし、「神があなたの罪を赦してくださる」と語るだけでは、不十分です。
イエスさまが弟子たちに教えられた“主の祈り”に「わたしたちの罪を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから」(ルカ11・4)とあります。
「わたしは、あなたを赦すことができません。しかし、神は、もしかしたら、あなたを赦してくださるかもしれません」というような屁理屈は、イエスさまの前では通りません。
わたしたちが、このわたしが、今ここで、この地上で、現実に、ひとの罪を赦さなくてはならないのです。
だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなければならないのです(マタイ5・39、ルカ6・29)。
(2004年2月13日、松戸小金原教会主日礼拝)
関口 康
今日は、二つの段落を、続けて読みました。最初の段落に書かれていることは、先週の説教の中でも、確認したことです。
それは、イエスさまの伝道活動には、説教の要素と、直接手を置いていやしのみわざを行う要素があった、ということです。“みことば”の要素と“ふれあい”の要素があったのです。
「イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と願った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。」
ここで分かることは、みことばとふれあいというこの二つの要素は、バラバラに切り離されてはならないものである、ということです。
イエスさまは、重い皮膚病にかかっている人の体に触れながら、「よろしい。清くなれ」と言われました。「清くなれ」という御言と共に、清めの出来事が起こりました。両者には密接な関係があるのです。
見方を変えて言いますと、イエスさまが実際になさったことは、“みことば”から離れた“ふれあい”、あるいは“みことば”を抜きにした“ふれあい”だけ、というようなものではなかった、ということです。
「言葉は要らない。ただ一緒に居てくれるだけでいい」というのはドラマのせりふです。イエスさまの伝道は、そういうものではなかったのです。
むしろ、事情はこうです。まず“みことば”が語られます。そして、その“みことば”が、“ふれあい”によって、一人一人の心と体において、実現するのです。
それは、言葉の具現化です。形のないものが、形のあるものとして、示されるのです。
重い皮膚病の人は、イエスさまに「主よ、御心ならば」と願いました。これをもう少し一般的に言い直せば、「主よ、もしよろしければ」となります。
「御心」とは、意志や願いを表す言葉です。ですから、これは「あなたが、わたしの体がいやされるように、と願ってくださるならば」という意味です。
しかし、イエスさまに「もしよろしければ」とお願いするのは奇妙です。わたしたちは、病院で「もしよろしければ、治してくださいませんでしょうか」と言うでしょうか。「いやです」とか言われてしまうと、どうなるのでしょうか。遠慮している場合ではありません。
ただ、この人は、遠慮していたというよりも、むしろ、もうすっかり諦めてしまっていたのではないか、と思われます。
もう治る見込みがない、こんなわたしでもよろしいでしょうか、というような気持ちがあったのではないでしょうか。
事実として、当時、重い皮膚病にかかった人は、治るまで、人々の中で一緒に生活することができませんでした。不治の病と認定されているものにかかってしまったら、二度と社会に復帰できないと、あきらめるほかはありませんでした。
しかし、イエスさまの答えは「よろしい」でした。「もしよろしければ」に対する「よろしい」です。「御心ならば」に対する「御心です!」です。
「そうです。あなたの体が清められることが、わたしの願いです!」という意味です。
「そうです。あなたは独りぼっちではなく、みんなの中で生活できるようになることが、わたしの願いです!」という意味です。
そして、イエスさまは、語られた御言どおりに、その人を清めることがおできになりました。
わたしたちの救い主は、言葉を現実のものとする力を持っておられるのです。
最初の段落については、ここまでにします。今日、主にお話ししたいことは、次の段落に紹介されている出来事です。
「ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。」
イエスさまが人々に教えておられました。「教える」の通常の意味は説教です。しかし、その日が安息日だったかどうかは、分かりません。
その場所は「家の中」であったと18節に記されています。安息日ごとに会堂で行われる礼拝ではないことは、明らかです。
マルコによる福音書の平行記事(マルコ2・1以下)を読みますと、どうやら、この「家」は、カファルナウムでイエスさまが滞在されたシモン・ペトロの家であると考えられます。要するに、家庭集会です。
ところが、そこに、ちょっとアヤシイ人々が座っていました。「ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから」来たファリサイ派の人々と律法の教師たちがいたのです。
こういうことは、時々あります。
わたしが神戸改革派神学校を卒業して、山梨栄光教会(当時甲府塩部教会)に赴任したのは、1998年7月でした。当時33才でした。
たしか、その7月か8月のことです。礼拝に、千城台教会の高瀬一夫先生が、出席しておられました。「お!」と、びっくりしました。
予告なしに突然来られました。夏休みで来た、と言われました。しかし、じつは、視察の意味で来られたようです。そのことを、あとで知りました。
このことは、ある面から言えば、必要なことです。新人教師が、でたらめなことを教えているかもしれません。それで本当に困ってしまうのは、教会であり、信徒です。
ですから、わたしは、この件に関して、否定的な面だけを強調するつもりはありません。
イエスさまのもとにぞろぞろと集まった教師たちの目的は、明らかでした。
最近ちまたで話題のイエスとかいう30才くらいの若い教師が、何を教え、何をしているかを、調査してみなければならない。もし何か問題があるようならば、ただちに活動を停止させる必要がある、と考えたのです。
わたしは今、東部中会の伝道委員会の書記です。中会所属伝道所の問安の仕事は、中会伝道委員の仕事です。伝道所の内部事情にも遠慮なく立ち入り、教師や教会員のしていることをチェックする仕事です。
ときには憎まれ役です。しかし、誰かがしなければならない、という意味で必要な仕事です。そのことを強調しておきます。
「主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。しかし、群集に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、『人よ、あなたの罪は赦された』と言われた。」
イエスさまは、いつもどおり、説教といやしのみわざを行っておられました。
ところが、その日は、いつもより、たくさん、人が集まっていたからでしょう、イエスさまに病気を治してもらいたくて連れてこられた人がイエスさまに近づくことができないという状況が生じました。
それは中風を患っている人でした。その人を連れて来た人々は、何とかしてイエスさまに近づかせたい一心で、その家の屋根瓦をはがし、上から床をつり降ろしたのです。
彼らがしていることは、メチャクチャです。しかし、イエスさまのみわざの本質をよくとらえている人々でした。
先ほどから申し上げていますとおり、イエスさまのみわざには、“みことば”の要素だけではなく、“ふれあい”の要素があるからです。近づくこと、直接さわっていただく必要があることを、彼らは、よく知っていたのです。
だからこそ、イエスさまは、「彼らの信仰」を称賛されました。イエスさまは、「彼らの信仰」をご覧になって、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われたのです。
しかし、あなたの「何の」罪が赦されたと、イエスさまはおっしゃっているのでしょうか。
他人の家の屋根瓦をはがすことも、立派な罪です。そのことでしょうか。
イエスさまの説教の最中に、家ごとガタガタ動かし、集まっている人々に迷惑をかけることも、立派な罪です。そのことでしょうか。
イエスさまに病気をいやしてもらいたくて行列をつくっている人々の前に無理やり割り込んで順番を狂わせてしまうことも、立派な罪です。そのことでしょうか。
別のことを考えるほうがよさそうです。もっと根本的な意味です。その人がそのときまで犯してきた罪、また、それ以後も犯し続けるであろう罪のすべてを、イエスさまは、お赦しになったのです。
そのようなこと、すなわち、地上で罪を赦すことができる権威を、イエスさまはお持ちになっているのです。
「ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」
ところが、律法学者たちの反応は、否定的なものでした。「罪の赦し」を口にするこの男は何者だと。神を冒涜する罪を犯しているのは、この男自身ではないかと。
しかし、よく考えてみると、この人々の反応は、大いに疑問が残るものです。
「ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」という考えそのものは、間違っているとは言えません。
ところが、彼らは、イエスさまが「あなたの罪は赦された」と語ることは間違っている、と考えたのです。
ここから、彼らの考え方がどのようなものだったかが見えてきます。
説教者に許されているのは、「神が罪を赦してくださる」と語ることだけである。ところが、「あなたの罪は赦された」と語ることは許されていないのだと。
それならば、説教者は、このように語らなければならないのでしょうか。
「わたしは、あなたの罪を赦すことはできません。もしかしたら、神は赦してくださるかもしれません。しかし、それはだれにも分かりません。“ただ神のみぞ知る”です」。
これはやはり、どう考えても、おかしな理屈です。彼らの言い分どおりに考えてみると、それでは、この人に「あなたの罪は赦された」という事実を伝えることができるのは一体誰なのか、という疑問が残るではありませんか。
「イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。『何を心の中で考えているのか。「あなたの罪は赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと、どちらが易しいか。』」
皆さんは、どちらが易しいとお感じでしょうか。「あなたの罪は赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと。イエスさま御自身は、何も答えておられません。
わたしが信頼している解説書の答えは、前者です。
ここでイエスさまが強調しておられるのは、「言う」という点です。「言う」とは、語ること、ここでは説教の意味です。
なるほど、「あなたの罪は赦された」と説教することは簡単です。「言う」だけならば、だれでも言えます。そうではないでしょうか。
ですから、イエスさまの意図は、それなのに、なぜ、というわけです。
言うだけならば、だれでもできる簡単なことなのに、言わない、言えない、言わせない。言ってはならないと禁じる人々がいる。
その人々は、簡単なことを難しく考え、事柄をややこしくするだけ。人々を単純に慰め、励まし、助ける言葉を語ることができない。
あなたがたは何をしに来たのか。目の前で苦しんでいる人にやさしい慰めの言葉を語ることもできないのかと、イエスさまは、御言の教師たちを抗議しておられるのです。
「『人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。』そして、中風の人に、『わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい』と言われた。その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。」
イエスさまは、“口だけの”お方ではありません。「言う」だけではなく、実行される。語られた言葉を実現され、形あるものとして具現化される。そのようなお方なのです。
教会に委ねられた仕事も、じつは同じです。
わたしたち教会に、イエスさまと同じだけのいやしの力が与えられているわけではありません。
しかし、だからと言って、説教だけが、聖書の説明だけが、教会の仕事ではありません。聖書の御言葉を実現し、具現化することが求められます。
たとえば、罪の赦しが、そうです。これを語ることは簡単であると言われます。しかし、「神があなたの罪を赦してくださる」と語るだけでは、不十分です。
イエスさまが弟子たちに教えられた“主の祈り”に「わたしたちの罪を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから」(ルカ11・4)とあります。
「わたしは、あなたを赦すことができません。しかし、神は、もしかしたら、あなたを赦してくださるかもしれません」というような屁理屈は、イエスさまの前では通りません。
わたしたちが、このわたしが、今ここで、この地上で、現実に、ひとの罪を赦さなくてはならないのです。
だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなければならないのです(マタイ5・39、ルカ6・29)。
(2004年2月13日、松戸小金原教会主日礼拝)
2005年2月6日日曜日
漁師を弟子にする
ルカによる福音書5・1〜11
関口 康
イエス・キリストは最初、おひとりで、伝道活動を開始されました。しかし、ひとりでできることには、限界があります。協力者が必要です。
なぜイエスさまに弟子が必要だったか。それは、イエスさまの伝道活動は“言葉”だけによるものではなかったからだ、と説明できます。
実際たしかに、イエスさまの伝道活動の内容は、説教(神の言葉を語ること)だけではありませんでした。
もし伝道が“言葉”だけでよいなら、たとえば、その言葉を手紙に書いて送るとか、書物にして配るという方法でも、いちおう事が足ります。メールを送っておけばよいのです。
しかも、その方法を使えば、ひとりから多くの人への情報伝達が、容易になります。
その場合は、かえって、ひとりのほうがよいかもしません。一人の権威ある者の署名がついているほうが、多くの人々に読んでもらえるかもしれません。
ところが、イエスさまの伝道活動には、明らかにもう一つの要素がありました。
苦しむ人々に手を置いていやすという要素です。物理的な距離において近づき、その相手の存在に触れることです。“ふれあい”の要素です。
これは、非常に効率の悪い方法です。いくらイエスさまでも、まとめて一度に、たくさんの人に手を置くことはできません。あくまでも、一人一人です。
人気の高い医師の前には行列ができます。同様に、イエス・キリストの前にも行列ができました。ところが、その人々とイエスさまが言葉を交わし、イエスさまが一人一人に手を置いていやすことができるのは、ほんのわずかな時間だったに違いないことは、容易に想像がつきます。
そのような場合は、どうしたらよいのでしょうか。考えられることは一つです。
イエスさまと全く同じ力、とは言えませんが、イエスさまと同じような力をもってイエスさまを助け、協力する人々が増やされることです。それ以外の道はない、と思われます。
「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群集がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群集に教え始められた。」
ここで分かることは、ガリラヤ地方でイエスさまの救いを求めて集まってくる人々は、「群集」と呼ばれる単位にまでふくれ上がっていた、ということです。
うれしい悲鳴を上げてよい場面かもしれません。しかし、危険な状況でもありました。
押し合って怪我人が出るかもしれません。イエスさま御自身が、怪我をされるかもしれません。
また、イエスさまの人気が高まってきたことを快く思っていない人々もいました。群衆の中には、そういう人々も紛れ込んでいる可能性がありました。
そこで、イエスさまがとられた方法は、ガリラヤ湖(ゲネサレト湖)に浮かぶ舟に乗り、その上から岸にいる群集に語りかけることでした。これならば、安全です。
たしかに言いうることは、集まる人が多くなれば、全員を視野におさめることができる距離が必要になる、ということです。
しかし、同時に起こることは、一人一人からの距離がどんどん遠くなっていく、ということです。何となく寂しいものがあります。
「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。シモンは、『先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう』と答えた。」
イエスさまが乗っておられたのは、シモン・ペトロの舟でした。シモンは漁師でした。イエスさまは、舟の上から岸にいる群衆への説教が終わった後、シモンに漁をするように言われました。
ところが、シモン・ペトロは、少し複雑な心境になったようです。イエスさまの言葉に対して、ちょっとだけですが、抵抗しています。
わたしは漁師です。漁をする専門家、プロフェッショナルです。イエスさま、あなたは伝道の専門家かもしれませんが、漁の専門家ではないはずです。
なるほど、あなたは、伝道のことではとても苦労しておられることをわたしは知っています。だからこそ、今日は、あなたをお助けしました。
しかし、あなたは、わたしたちの苦労を、ご存じでしょうか。あなたに漁の何がお分かりでしょうか。
そんなふうに言いたい気持ちが伝わってきます。自分の仕事にプライドを持っている人なら、誰でも同じようなことを感じるはずです。
ところが、ペトロは、言いました。「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」半信半疑であった、という説明も可能でしょう。しかし、この後のペトロの反応を見ると、少し違う感じもします。
「先生がそんなに言われるなら、一応やってみますけどね。たぶん駄目だと思いますよ。そこで黙って見ててくださいな」という気持ちがあったのではないでしょうか。
「そして、漁師がそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです』と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。」
たくさんの魚が網にかかったとき、ペトロは本当にびっくりしたのです。漁に関しては、だれにも負けないほどの豊かな経験と知識があるというプライドが、一瞬にして消し飛ぶのを感じたに違いありません。
ペトロは、イエスさまに恐れの心を抱きました。そして、「主よ、わたしから離れてください」と言いました。
「主」とは、主なる神を指しても使われる言葉です。しかし、この時点でペトロがイエスさまのことを主なる神であると告白していると考えるのは、少し早すぎるように思います。「先生」というくらいの意味です。
「わたしから離れてください」とペトロが思わず口走った理由は、分かります。おそらくペトロは、イエスさまとわたしとでは“住む世界が違う”と感じたのです。そのように説明している注解書があります。
ここでもペトロの複雑な心境を読み取ることができます。あなたとわたしは住む世界が違うとは、やや失礼な言い方でもあるはずです。
イエスさま、あなたのような方に、わたしの領域に踏み込んでこられると、困ります。はっきり言って、わたしの商売は上がったりです。
わたしは、罪深い人間です。罪深い人間には、それなりに、生きる場所があるのです。
あなたは、あなたの道を行ってください。わたしは、わたしの道を行きます。
このように言いたい気持ちが、伝わってくるのです。
ここでも問題になっていることは、距離の問題です。「わたしから離れてください」とは、わたしの領分に近寄らないでください、という意味です。
たしかにイエスさまは、ペトロに近づいてこられました。ところが、ペトロは「主よ、わたしから離れてください」とお願いします。
かたや、イエスさまに何とかして近づき、イエスさまに手を置いていただき、いやしていただきたいと願っている人々が、たくさんいたにもかかわらず、です。
おかしなものです。イエスさまに近づいていただいて喜ぶ人もいれば、イエスさまに近づいてこられると困る人もいるのです。
触れられてうれしい人と、触れられると「あっち行け」と追い払う人がいるのです。
子どもたちが、そうです。機嫌のよいときは、ヨシヨシと頭をなでられると、喜びます。機嫌が悪いときに触られると、「うるせえな」と噛みついてくるか、ギャーと逃げ出します。まったく気分次第です。
しかし、イエス・キリストは、そういうときにこそ、あえて、その人の部屋の中に踏み込んでこられることがあるのです。
わたしを一人にしておいてください、と言いたくなるような場面でも、イエスさまは、御自身の判断で近づいてこられることがあります。
がっかりしていた気分のペトロに、イエスさまは、あえて近づき、心の中に踏み込んでこられたのです。
「すると、イエスはシモンに言われた。『恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。』そこで、彼らは舟を陸に上げ、すべてを捨ててイエスに従った。」
ペトロが語った「わたしから離れてください」の意味は、あなたとわたしは住む世界が違う、ということである、と先ほど申し上げました。
ところが、イエスさまは、そのようにお考えになりませんでした。
あなたは漁師である。だから、これからあなたは“人間をとる漁師”になるのだ、と言われました。
「漁師をやめなさい」とは言われていません。それどころか、「あなたは漁師であり続けなさい」と言っておられるのです。
そもそも、このような言い方が成り立つのは、イエスさまにとっては、伝道の仕事と、ペトロたちがしていた漁師の仕事とは、同じ世界の中で営まれる、互いによく似た仕事である、とお考えになっていたからです。
もしイエスさまが、宗教の仕事は、世間の仕事とは、次元が違う。全く別世界の、別次元の事柄であるというふうにお考えになっていたとすれば、「人間をとる漁師」という表現は出てこなかったはずです。
シモン・ペトロ、あなたとわたしは、同じ世界に生きている。あなたが魚を集めているのと同じように、わたしは、人間を集めている。それは別の話ではないのだと。
それは、イエスさまも、御自身のことを「人間をとる漁師」であるとお考えになっていたからこそ出てくる言葉です。
もちろん、今は、何でも平等が当たり前の時代ですから、ここでイエスさまがペトロにおっしゃっていることも当然のこととして受けとめていただけると思います。
しかし、当時はまるで違っていたというべきです。これからたくさん出てきますが、当時の宗教家たち、律法学者やファリサイ派と呼ばれた人々は、自分たちは、他の人々とは住む世界が違うと思い込んでいました。
宗教と世間は次元が違うのだと。
イエスさまがお求めになった“ふれあい”は、まさにこの点で、当時の宗教家たちとは全く違っていたのです。
それどころか、イエスさまは、ペトロの職場にもぐりこみ、ペトロの仕事に口を出し、挙句の果てに、ペトロの心の傷に遠慮なくお触りになりました。
そして、あなたは「人間をとる」漁師になれ、と命令されたのです。漁師の仕事を続けなさい。ただし、とるものは違いますよ、と言われたのです。かなり大胆なやり方です。
しかし、どうでしょうか。そのようにでもしなければ、新しい人生を始めることができない人もいるのです。
他人の領分に踏み込み、痛いところに触ることには、もちろん、タイミングの問題があります。
しかし、教会に通っている家族や友人が、キリストの「キ」の字を言うだけで、腹が立ったり、耳をふさいだりしていた人が、ある日ある瞬間に、変わることがあります。
それは、たいていの場合、その人にとって「誰にも触れられたくない」と思ってきた何かに触られたときです。ひとは、そのとき初めて、自分の問題、自分の悩みに深く気づかされ、救いを求めはじめるのです。
ですから、わたしは、少しもあきらめていません。誰のこともあきらめていませんし、あきらめてはならないと思っています。皆さんも、どうか、あきらめないでください。
ただし、今は、イエス・キリストと直接お会いすることはできません。イエスさまは、聖霊において、教会の働きを通して、この世に生きるすべての人々に近づいてこられます。
イエスさまの弟子たちが、イエスさまと全く同じ力ではありませんが、イエスさまと同じような力を与えられて、この世界の人々に触りに行きます。
そのとき、救いといやしが起こるのです。
わたしたちの心も、そのようにして変えられたのです。
(2005年2月6日、松戸小金原教会主日礼拝)
関口 康
イエス・キリストは最初、おひとりで、伝道活動を開始されました。しかし、ひとりでできることには、限界があります。協力者が必要です。
なぜイエスさまに弟子が必要だったか。それは、イエスさまの伝道活動は“言葉”だけによるものではなかったからだ、と説明できます。
実際たしかに、イエスさまの伝道活動の内容は、説教(神の言葉を語ること)だけではありませんでした。
もし伝道が“言葉”だけでよいなら、たとえば、その言葉を手紙に書いて送るとか、書物にして配るという方法でも、いちおう事が足ります。メールを送っておけばよいのです。
しかも、その方法を使えば、ひとりから多くの人への情報伝達が、容易になります。
その場合は、かえって、ひとりのほうがよいかもしません。一人の権威ある者の署名がついているほうが、多くの人々に読んでもらえるかもしれません。
ところが、イエスさまの伝道活動には、明らかにもう一つの要素がありました。
苦しむ人々に手を置いていやすという要素です。物理的な距離において近づき、その相手の存在に触れることです。“ふれあい”の要素です。
これは、非常に効率の悪い方法です。いくらイエスさまでも、まとめて一度に、たくさんの人に手を置くことはできません。あくまでも、一人一人です。
人気の高い医師の前には行列ができます。同様に、イエス・キリストの前にも行列ができました。ところが、その人々とイエスさまが言葉を交わし、イエスさまが一人一人に手を置いていやすことができるのは、ほんのわずかな時間だったに違いないことは、容易に想像がつきます。
そのような場合は、どうしたらよいのでしょうか。考えられることは一つです。
イエスさまと全く同じ力、とは言えませんが、イエスさまと同じような力をもってイエスさまを助け、協力する人々が増やされることです。それ以外の道はない、と思われます。
「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群集がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群集に教え始められた。」
ここで分かることは、ガリラヤ地方でイエスさまの救いを求めて集まってくる人々は、「群集」と呼ばれる単位にまでふくれ上がっていた、ということです。
うれしい悲鳴を上げてよい場面かもしれません。しかし、危険な状況でもありました。
押し合って怪我人が出るかもしれません。イエスさま御自身が、怪我をされるかもしれません。
また、イエスさまの人気が高まってきたことを快く思っていない人々もいました。群衆の中には、そういう人々も紛れ込んでいる可能性がありました。
そこで、イエスさまがとられた方法は、ガリラヤ湖(ゲネサレト湖)に浮かぶ舟に乗り、その上から岸にいる群集に語りかけることでした。これならば、安全です。
たしかに言いうることは、集まる人が多くなれば、全員を視野におさめることができる距離が必要になる、ということです。
しかし、同時に起こることは、一人一人からの距離がどんどん遠くなっていく、ということです。何となく寂しいものがあります。
「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。シモンは、『先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう』と答えた。」
イエスさまが乗っておられたのは、シモン・ペトロの舟でした。シモンは漁師でした。イエスさまは、舟の上から岸にいる群衆への説教が終わった後、シモンに漁をするように言われました。
ところが、シモン・ペトロは、少し複雑な心境になったようです。イエスさまの言葉に対して、ちょっとだけですが、抵抗しています。
わたしは漁師です。漁をする専門家、プロフェッショナルです。イエスさま、あなたは伝道の専門家かもしれませんが、漁の専門家ではないはずです。
なるほど、あなたは、伝道のことではとても苦労しておられることをわたしは知っています。だからこそ、今日は、あなたをお助けしました。
しかし、あなたは、わたしたちの苦労を、ご存じでしょうか。あなたに漁の何がお分かりでしょうか。
そんなふうに言いたい気持ちが伝わってきます。自分の仕事にプライドを持っている人なら、誰でも同じようなことを感じるはずです。
ところが、ペトロは、言いました。「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」半信半疑であった、という説明も可能でしょう。しかし、この後のペトロの反応を見ると、少し違う感じもします。
「先生がそんなに言われるなら、一応やってみますけどね。たぶん駄目だと思いますよ。そこで黙って見ててくださいな」という気持ちがあったのではないでしょうか。
「そして、漁師がそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです』と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。」
たくさんの魚が網にかかったとき、ペトロは本当にびっくりしたのです。漁に関しては、だれにも負けないほどの豊かな経験と知識があるというプライドが、一瞬にして消し飛ぶのを感じたに違いありません。
ペトロは、イエスさまに恐れの心を抱きました。そして、「主よ、わたしから離れてください」と言いました。
「主」とは、主なる神を指しても使われる言葉です。しかし、この時点でペトロがイエスさまのことを主なる神であると告白していると考えるのは、少し早すぎるように思います。「先生」というくらいの意味です。
「わたしから離れてください」とペトロが思わず口走った理由は、分かります。おそらくペトロは、イエスさまとわたしとでは“住む世界が違う”と感じたのです。そのように説明している注解書があります。
ここでもペトロの複雑な心境を読み取ることができます。あなたとわたしは住む世界が違うとは、やや失礼な言い方でもあるはずです。
イエスさま、あなたのような方に、わたしの領域に踏み込んでこられると、困ります。はっきり言って、わたしの商売は上がったりです。
わたしは、罪深い人間です。罪深い人間には、それなりに、生きる場所があるのです。
あなたは、あなたの道を行ってください。わたしは、わたしの道を行きます。
このように言いたい気持ちが、伝わってくるのです。
ここでも問題になっていることは、距離の問題です。「わたしから離れてください」とは、わたしの領分に近寄らないでください、という意味です。
たしかにイエスさまは、ペトロに近づいてこられました。ところが、ペトロは「主よ、わたしから離れてください」とお願いします。
かたや、イエスさまに何とかして近づき、イエスさまに手を置いていただき、いやしていただきたいと願っている人々が、たくさんいたにもかかわらず、です。
おかしなものです。イエスさまに近づいていただいて喜ぶ人もいれば、イエスさまに近づいてこられると困る人もいるのです。
触れられてうれしい人と、触れられると「あっち行け」と追い払う人がいるのです。
子どもたちが、そうです。機嫌のよいときは、ヨシヨシと頭をなでられると、喜びます。機嫌が悪いときに触られると、「うるせえな」と噛みついてくるか、ギャーと逃げ出します。まったく気分次第です。
しかし、イエス・キリストは、そういうときにこそ、あえて、その人の部屋の中に踏み込んでこられることがあるのです。
わたしを一人にしておいてください、と言いたくなるような場面でも、イエスさまは、御自身の判断で近づいてこられることがあります。
がっかりしていた気分のペトロに、イエスさまは、あえて近づき、心の中に踏み込んでこられたのです。
「すると、イエスはシモンに言われた。『恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。』そこで、彼らは舟を陸に上げ、すべてを捨ててイエスに従った。」
ペトロが語った「わたしから離れてください」の意味は、あなたとわたしは住む世界が違う、ということである、と先ほど申し上げました。
ところが、イエスさまは、そのようにお考えになりませんでした。
あなたは漁師である。だから、これからあなたは“人間をとる漁師”になるのだ、と言われました。
「漁師をやめなさい」とは言われていません。それどころか、「あなたは漁師であり続けなさい」と言っておられるのです。
そもそも、このような言い方が成り立つのは、イエスさまにとっては、伝道の仕事と、ペトロたちがしていた漁師の仕事とは、同じ世界の中で営まれる、互いによく似た仕事である、とお考えになっていたからです。
もしイエスさまが、宗教の仕事は、世間の仕事とは、次元が違う。全く別世界の、別次元の事柄であるというふうにお考えになっていたとすれば、「人間をとる漁師」という表現は出てこなかったはずです。
シモン・ペトロ、あなたとわたしは、同じ世界に生きている。あなたが魚を集めているのと同じように、わたしは、人間を集めている。それは別の話ではないのだと。
それは、イエスさまも、御自身のことを「人間をとる漁師」であるとお考えになっていたからこそ出てくる言葉です。
もちろん、今は、何でも平等が当たり前の時代ですから、ここでイエスさまがペトロにおっしゃっていることも当然のこととして受けとめていただけると思います。
しかし、当時はまるで違っていたというべきです。これからたくさん出てきますが、当時の宗教家たち、律法学者やファリサイ派と呼ばれた人々は、自分たちは、他の人々とは住む世界が違うと思い込んでいました。
宗教と世間は次元が違うのだと。
イエスさまがお求めになった“ふれあい”は、まさにこの点で、当時の宗教家たちとは全く違っていたのです。
それどころか、イエスさまは、ペトロの職場にもぐりこみ、ペトロの仕事に口を出し、挙句の果てに、ペトロの心の傷に遠慮なくお触りになりました。
そして、あなたは「人間をとる」漁師になれ、と命令されたのです。漁師の仕事を続けなさい。ただし、とるものは違いますよ、と言われたのです。かなり大胆なやり方です。
しかし、どうでしょうか。そのようにでもしなければ、新しい人生を始めることができない人もいるのです。
他人の領分に踏み込み、痛いところに触ることには、もちろん、タイミングの問題があります。
しかし、教会に通っている家族や友人が、キリストの「キ」の字を言うだけで、腹が立ったり、耳をふさいだりしていた人が、ある日ある瞬間に、変わることがあります。
それは、たいていの場合、その人にとって「誰にも触れられたくない」と思ってきた何かに触られたときです。ひとは、そのとき初めて、自分の問題、自分の悩みに深く気づかされ、救いを求めはじめるのです。
ですから、わたしは、少しもあきらめていません。誰のこともあきらめていませんし、あきらめてはならないと思っています。皆さんも、どうか、あきらめないでください。
ただし、今は、イエス・キリストと直接お会いすることはできません。イエスさまは、聖霊において、教会の働きを通して、この世に生きるすべての人々に近づいてこられます。
イエスさまの弟子たちが、イエスさまと全く同じ力ではありませんが、イエスさまと同じような力を与えられて、この世界の人々に触りに行きます。
そのとき、救いといやしが起こるのです。
わたしたちの心も、そのようにして変えられたのです。
(2005年2月6日、松戸小金原教会主日礼拝)
2005年1月30日日曜日
苦しむ者を助ける
ルカによる福音書4・31〜44
関口 康
今日は、少し長く、三つの段落を読みました。イエス・キリストは、故郷のナザレでは受け入れられませんでした。ルカの記述によりますと、その後、ガリラヤ地方のカファルナウムという町に移り、そこに伝道の拠点を据えられました。
その後カファルナウムは、イエスさまにとって「自分の町」(マタイ9・1)と呼ばれるほどに、まさにイエスさまの町になりました。他の町の人々に出かけて行かれても、またカファルナウムに帰ってこられるのです。
カファルナウムでイエスさまがお住まいになった場所は「シモンの家」(4・38)であると考えられています。カファルナウムには、イエスさまがペトロ(岩)という名前を授けた漁師シモンと弟アンデレの家があったのです。
イエスさまは、シモンの家にいわば居候(いそうろう)されて、その家族の人々と共に食事をされたり、寝泊りされていたのです。
そして、安息日(土曜日)ごとに、カファルナウムの会堂で行われる礼拝の中で、聖書の御言を解説する仕事(説教)をされました。そのことについて、次のように書かれています。
「イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。」
ところが、その会堂に、おそらく毎週通ってきていた一人の男が、イエスさまに向かって、大声で、次のように叫んだのです。
「ところが会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。『ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。』」
腹を立てているようです。イエスさまがなさった説教の内容が、気に食わなかったのでしょうか。イエスさまが語られた説教の内容がどのようなものであったかは、紹介されていません。
この男性以外の人々の反応については「非常に驚いた」とだけ書かれています。大いに喜んだとは書かれていません。
しかし、「その言葉には権威があった」と書かれています。マルコは、さらに、もう一つのことを付け加えています。「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」(マルコ1・22)。
とくに気になるのは「律法学者のようにではなく」という点です。これは明らかに、イエスさまの説教に対する一つの評価です。律法学者の説教との比較があります。
イエスさまの説教には、権威があった。しかし、律法学者の説教には、権威がなかった、ということです。
カファルナウムに「会堂」がありました。それは当然、その会堂で働く律法学者たちも、同じ町の中に住んでいた、ということです。建物だけがあったわけではありません。
そして、その律法学者たちも、イエスさまがカファルナウムに来られる前からずっと、その会堂で、安息日ごとに、説教をしてきたはずです。
イエスさまの説教を聴いて騒いでいた人は「汚れた悪霊に取りつかれた男」と呼ばれています。この人は、その日だけの出席者ではなく、以前から出席していたはずです。
しかし、律法学者たちの説教は、この人から「汚れた悪霊」を追い出すことができなかった、ということです。彼らの説教は、そのような権威を持っていなかったのです。
もっと突っ込んで言うならば、彼らの説教には、人の心の中にあるものを、善きものに変える力がなかったのです。人の心の中に、悪霊に代わる聖なる霊を注ぎ込むことができなかったのです。
「イエスが、『黙れ。この人から出て行け』とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。人々は皆驚いて、互いに言った。『この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。』こうして、イエスのうわさは、辺り一帯に広まった。」
イエスさまの説教は、人の心を変える力を持っていた、ということです。汚れた悪霊は、追い出されました。その人の心は、イエスさまの御言を耳にしたその日から、変えられたのです。
「イエスは会堂を立ち去り、シモンの家にお入りになった。シモンのしゅうとめが高い熱に苦しんでいたので、人びとは彼女のことをイエスに頼んだ。イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。
「シモンの家」が、カファルナウムでのイエスさまの滞在場所であったと考えられるということは、先ほど申し上げたとおりです。ただし、その家に住んでいたのは、「シモンのしゅうとめ」であった、と書かれています。
「しゅうとめ」の意味は、もちろん、夫ないし妻の母親のことです。つまり、シモンは、そのときすでに結婚していて、おくさんがいたのです。子どもがいたかどうかは、分かりません。
また、その家がシモンの妻の実家だったのか、それとも、シモンの家でおしゅうとめさんも生活していたのかも、分かりません。アンデレも一緒に住んでいるようですので、シモンの家なのかもしれません。
それはともかく、シモンのおくさんのお母さんが、高い熱に苦しんでいたので、イエスさまが「枕もとに立って、熱を叱りつけられた」ところ、熱が下がり、彼女はすぐに元気になって、一同をもてなした、というのです。
興味深いですが、ややぎょっとさせられる点は、イエスさまが「熱を叱りつけられた」というところでしょう。
先ほどの「汚れた悪霊」の場合も、そうでした。「この人から出て行け」とイエスさまが命ぜられた相手は「悪霊」でした。悪霊に取りつかれている本人ではないかのようです。
現代のわたしたちには、奇異に感じられるところです。「熱、出て行け!」とでも言うのでしょうか。
しかし、いろいろと考えさせられる内容もあります。少し大げさに聞こえるかもしれませんが、ここには間違いなく、イエスさまの、また聖書全体の、基本的な人間理解がある、と言いうるのです。
たとえば、わたしたちが何かの病気にかかっているとき、かかっているあなたが悪い、と言われると、非常につらいものがあります。
あなたの不注意だ、と言われるのは、ある意味で仕方がないところもあります。
しかし、“天罰”だとか“神の審き”だとか“罪への報い”だとか、そのあたりのことが言われはじめると、だんだんと嫌な気持ちになってきます。結局わたしが悪いのか、と感じます。
実際には、そうではないわけです。イエスさまは、そのことをよく知っておられるのです。悪霊と呼ばれる何かにせよ、病気にせよ、それが取り除かれたら、その人は健康になり、元気になるのです。
人間自身は、本来的に善きものなのです。悪いのは病気なのです。この理解が非常に大切です。
ですから、わたしたちも、「病気よ、出て行け」と言ってよいのです。苦しんでいる人々に向かって、追い討ちをかけるべきではないのです。
「日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た。イエスはその一人一人に手を置いていやされた。悪霊もわめき立て、『お前は神の子だ』と言いながら、多くの人々から出て行った。イエスは悪霊を戒めて、ものを言うことをお許しにならなかった。悪霊は、イエスをメシアだと知っていたからである。 」
カファルナウムで、イエスさまは、多くの人々の病気をいやされました。そのようにして、多くの苦しむ者たちを助けてくださいました。
今日の個所に記されている、イエス・キリストが“苦しむ者をお助けになる”方法には、大きく分けて、二つの要素があると言えます。
第一の要素は、御言(みことば)を語られることです。権威ある御言によって、悪霊や病気を、その人の中から追い出されるのです。
第二の要素は、「一人一人に手を置くこと」です。その人の体に直接御自身の手で触ってくださるのです。
わたしたちも、「病気の手当てをする」と言います。「手を当てること」こそが、手当てである、ということは何となく分かります。
シモンのしゅうとめの場合も、イエスさまが彼女にさわっておられます。
ルカは書いていませんが、マタイは、「イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした」(マタイ8・15)と書いています。
マルコも、「イエスがそばに行き、手をとって起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした」(マルコ1・31)と書いています。
少しずつ違っています。しかし、大切な点は、イエスさまの体が、シモンのしゅうとめの体のどこかに触れていることです。
これから先、わたしたちは、ルカによる福音書をずっと学んでいきますが、お気づきになるであろうことは、この「ふれあい」の場面が何度も出てくる、ということです。
ルカだけではなく、マタイにも、マルコにも、たくさん出てきます。じつは、この「ふれあい」が、イエスさまのみわざの性質を正しく理解するために非常に重要なキーワードである、と語ることができます。
それは何なのかを、今ここでズバリと語ることは、難しいのでやめておきます。時間をかけて少しずつお話ししていきます。
しかし、この「ふれあい」こそが、イエス・キリストというお方を正しく理解するために、また聖書の福音そのものを正しく理解するために、間違いなく重要な点であるということを指摘しておきたいと思います。
ただ、一つの点だけ語っておきます。
ここには、明らかに、物理的・精神的な“距離”の問題がある、ということです。“距離感覚”の問題、と言ってもよいかもしれません。
もしイエスさまが用いられる手段が、本当にただ「御言」(みことば)だけであるというならば、その御言を書き記した手紙ないし書物、たとえば聖書を読んでもらうだけで、とりあえず用が済んでしまうのです。
今では、ラジオとかテレビとかインターネット、電話やファックスなどを使えば、どんなに物理的な距離が離れている人であっても、言葉の内容を正しく伝えることができます。
テレビ電話などを使えば、その言葉を語っている表情まで、リアルタイムで伝えることができます。
しかし、本当にそれだけでよいのでしょうか。決定的に足りないものがあるのではないでしょうか。
一緒にいること、近づいていること。
手と手をつなぎ、体と体がふれあうこと。
現実のこの世界における現実の救いには、必ず、そのような要素が求められるのです。
このあたりのことを考えることができるのが、イエスさまが実践された「ふれあい」という問題です。
これは、非常に興味深い、またある意味で、非常に深刻な問題であると思います。
「朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。群集はイエスを探し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた。しかし、イエスは言われた。『ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。』そして、ユダヤの諸会堂に行って宣教された。」
カファルナウムの人々は、イエスさまには、いつまでも一緒にいてもらいたい、と願いました。当然の気持ちであると思います。
イエスさまに触れていただけば、病気でも何でも治ってしまうというのですから。こんなに有難いことは、他にないわけです。
しかし、イエスさまは、「ほかの町にも」神の国の福音を告げ知らせなければなりませんでした。じつは、ここにも、物理的な“距離”の問題があります。
他の町にも行かなければならないとイエスさまがおっしゃるのは、そこに行かなければ、その町の人々に“触れる”ことができないからです。
そのため、イエスさまのおっしゃる「神の国の福音を告げ知らせる」は、ただ言葉だけによるものではない、ということが確認される必要があります。
言葉の大切さについては、どれだけ強調しても足りないくらいです。しかし、繰り返すようですが、言葉だけならば、書物を配布すればよいのです。
メールを書いて送れば済むのです。
しかし、あれほどまでに手紙をたくさん書いたパウロでさえ、「何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるようにと、願っています」(ローマ1・10)と書きました。
物理的な移動の必要性を訴えたのです。
言葉だけでは、どうしても伝わらないものがあるからです。
言葉だけでは、じつは、“救い”も起こらないのです。
(2005年1月30日、松戸小金原教会主日礼拝)
関口 康
今日は、少し長く、三つの段落を読みました。イエス・キリストは、故郷のナザレでは受け入れられませんでした。ルカの記述によりますと、その後、ガリラヤ地方のカファルナウムという町に移り、そこに伝道の拠点を据えられました。
その後カファルナウムは、イエスさまにとって「自分の町」(マタイ9・1)と呼ばれるほどに、まさにイエスさまの町になりました。他の町の人々に出かけて行かれても、またカファルナウムに帰ってこられるのです。
カファルナウムでイエスさまがお住まいになった場所は「シモンの家」(4・38)であると考えられています。カファルナウムには、イエスさまがペトロ(岩)という名前を授けた漁師シモンと弟アンデレの家があったのです。
イエスさまは、シモンの家にいわば居候(いそうろう)されて、その家族の人々と共に食事をされたり、寝泊りされていたのです。
そして、安息日(土曜日)ごとに、カファルナウムの会堂で行われる礼拝の中で、聖書の御言を解説する仕事(説教)をされました。そのことについて、次のように書かれています。
「イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。」
ところが、その会堂に、おそらく毎週通ってきていた一人の男が、イエスさまに向かって、大声で、次のように叫んだのです。
「ところが会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。『ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。』」
腹を立てているようです。イエスさまがなさった説教の内容が、気に食わなかったのでしょうか。イエスさまが語られた説教の内容がどのようなものであったかは、紹介されていません。
この男性以外の人々の反応については「非常に驚いた」とだけ書かれています。大いに喜んだとは書かれていません。
しかし、「その言葉には権威があった」と書かれています。マルコは、さらに、もう一つのことを付け加えています。「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」(マルコ1・22)。
とくに気になるのは「律法学者のようにではなく」という点です。これは明らかに、イエスさまの説教に対する一つの評価です。律法学者の説教との比較があります。
イエスさまの説教には、権威があった。しかし、律法学者の説教には、権威がなかった、ということです。
カファルナウムに「会堂」がありました。それは当然、その会堂で働く律法学者たちも、同じ町の中に住んでいた、ということです。建物だけがあったわけではありません。
そして、その律法学者たちも、イエスさまがカファルナウムに来られる前からずっと、その会堂で、安息日ごとに、説教をしてきたはずです。
イエスさまの説教を聴いて騒いでいた人は「汚れた悪霊に取りつかれた男」と呼ばれています。この人は、その日だけの出席者ではなく、以前から出席していたはずです。
しかし、律法学者たちの説教は、この人から「汚れた悪霊」を追い出すことができなかった、ということです。彼らの説教は、そのような権威を持っていなかったのです。
もっと突っ込んで言うならば、彼らの説教には、人の心の中にあるものを、善きものに変える力がなかったのです。人の心の中に、悪霊に代わる聖なる霊を注ぎ込むことができなかったのです。
「イエスが、『黙れ。この人から出て行け』とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。人々は皆驚いて、互いに言った。『この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。』こうして、イエスのうわさは、辺り一帯に広まった。」
イエスさまの説教は、人の心を変える力を持っていた、ということです。汚れた悪霊は、追い出されました。その人の心は、イエスさまの御言を耳にしたその日から、変えられたのです。
「イエスは会堂を立ち去り、シモンの家にお入りになった。シモンのしゅうとめが高い熱に苦しんでいたので、人びとは彼女のことをイエスに頼んだ。イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。
「シモンの家」が、カファルナウムでのイエスさまの滞在場所であったと考えられるということは、先ほど申し上げたとおりです。ただし、その家に住んでいたのは、「シモンのしゅうとめ」であった、と書かれています。
「しゅうとめ」の意味は、もちろん、夫ないし妻の母親のことです。つまり、シモンは、そのときすでに結婚していて、おくさんがいたのです。子どもがいたかどうかは、分かりません。
また、その家がシモンの妻の実家だったのか、それとも、シモンの家でおしゅうとめさんも生活していたのかも、分かりません。アンデレも一緒に住んでいるようですので、シモンの家なのかもしれません。
それはともかく、シモンのおくさんのお母さんが、高い熱に苦しんでいたので、イエスさまが「枕もとに立って、熱を叱りつけられた」ところ、熱が下がり、彼女はすぐに元気になって、一同をもてなした、というのです。
興味深いですが、ややぎょっとさせられる点は、イエスさまが「熱を叱りつけられた」というところでしょう。
先ほどの「汚れた悪霊」の場合も、そうでした。「この人から出て行け」とイエスさまが命ぜられた相手は「悪霊」でした。悪霊に取りつかれている本人ではないかのようです。
現代のわたしたちには、奇異に感じられるところです。「熱、出て行け!」とでも言うのでしょうか。
しかし、いろいろと考えさせられる内容もあります。少し大げさに聞こえるかもしれませんが、ここには間違いなく、イエスさまの、また聖書全体の、基本的な人間理解がある、と言いうるのです。
たとえば、わたしたちが何かの病気にかかっているとき、かかっているあなたが悪い、と言われると、非常につらいものがあります。
あなたの不注意だ、と言われるのは、ある意味で仕方がないところもあります。
しかし、“天罰”だとか“神の審き”だとか“罪への報い”だとか、そのあたりのことが言われはじめると、だんだんと嫌な気持ちになってきます。結局わたしが悪いのか、と感じます。
実際には、そうではないわけです。イエスさまは、そのことをよく知っておられるのです。悪霊と呼ばれる何かにせよ、病気にせよ、それが取り除かれたら、その人は健康になり、元気になるのです。
人間自身は、本来的に善きものなのです。悪いのは病気なのです。この理解が非常に大切です。
ですから、わたしたちも、「病気よ、出て行け」と言ってよいのです。苦しんでいる人々に向かって、追い討ちをかけるべきではないのです。
「日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た。イエスはその一人一人に手を置いていやされた。悪霊もわめき立て、『お前は神の子だ』と言いながら、多くの人々から出て行った。イエスは悪霊を戒めて、ものを言うことをお許しにならなかった。悪霊は、イエスをメシアだと知っていたからである。 」
カファルナウムで、イエスさまは、多くの人々の病気をいやされました。そのようにして、多くの苦しむ者たちを助けてくださいました。
今日の個所に記されている、イエス・キリストが“苦しむ者をお助けになる”方法には、大きく分けて、二つの要素があると言えます。
第一の要素は、御言(みことば)を語られることです。権威ある御言によって、悪霊や病気を、その人の中から追い出されるのです。
第二の要素は、「一人一人に手を置くこと」です。その人の体に直接御自身の手で触ってくださるのです。
わたしたちも、「病気の手当てをする」と言います。「手を当てること」こそが、手当てである、ということは何となく分かります。
シモンのしゅうとめの場合も、イエスさまが彼女にさわっておられます。
ルカは書いていませんが、マタイは、「イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした」(マタイ8・15)と書いています。
マルコも、「イエスがそばに行き、手をとって起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした」(マルコ1・31)と書いています。
少しずつ違っています。しかし、大切な点は、イエスさまの体が、シモンのしゅうとめの体のどこかに触れていることです。
これから先、わたしたちは、ルカによる福音書をずっと学んでいきますが、お気づきになるであろうことは、この「ふれあい」の場面が何度も出てくる、ということです。
ルカだけではなく、マタイにも、マルコにも、たくさん出てきます。じつは、この「ふれあい」が、イエスさまのみわざの性質を正しく理解するために非常に重要なキーワードである、と語ることができます。
それは何なのかを、今ここでズバリと語ることは、難しいのでやめておきます。時間をかけて少しずつお話ししていきます。
しかし、この「ふれあい」こそが、イエス・キリストというお方を正しく理解するために、また聖書の福音そのものを正しく理解するために、間違いなく重要な点であるということを指摘しておきたいと思います。
ただ、一つの点だけ語っておきます。
ここには、明らかに、物理的・精神的な“距離”の問題がある、ということです。“距離感覚”の問題、と言ってもよいかもしれません。
もしイエスさまが用いられる手段が、本当にただ「御言」(みことば)だけであるというならば、その御言を書き記した手紙ないし書物、たとえば聖書を読んでもらうだけで、とりあえず用が済んでしまうのです。
今では、ラジオとかテレビとかインターネット、電話やファックスなどを使えば、どんなに物理的な距離が離れている人であっても、言葉の内容を正しく伝えることができます。
テレビ電話などを使えば、その言葉を語っている表情まで、リアルタイムで伝えることができます。
しかし、本当にそれだけでよいのでしょうか。決定的に足りないものがあるのではないでしょうか。
一緒にいること、近づいていること。
手と手をつなぎ、体と体がふれあうこと。
現実のこの世界における現実の救いには、必ず、そのような要素が求められるのです。
このあたりのことを考えることができるのが、イエスさまが実践された「ふれあい」という問題です。
これは、非常に興味深い、またある意味で、非常に深刻な問題であると思います。
「朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。群集はイエスを探し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた。しかし、イエスは言われた。『ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。』そして、ユダヤの諸会堂に行って宣教された。」
カファルナウムの人々は、イエスさまには、いつまでも一緒にいてもらいたい、と願いました。当然の気持ちであると思います。
イエスさまに触れていただけば、病気でも何でも治ってしまうというのですから。こんなに有難いことは、他にないわけです。
しかし、イエスさまは、「ほかの町にも」神の国の福音を告げ知らせなければなりませんでした。じつは、ここにも、物理的な“距離”の問題があります。
他の町にも行かなければならないとイエスさまがおっしゃるのは、そこに行かなければ、その町の人々に“触れる”ことができないからです。
そのため、イエスさまのおっしゃる「神の国の福音を告げ知らせる」は、ただ言葉だけによるものではない、ということが確認される必要があります。
言葉の大切さについては、どれだけ強調しても足りないくらいです。しかし、繰り返すようですが、言葉だけならば、書物を配布すればよいのです。
メールを書いて送れば済むのです。
しかし、あれほどまでに手紙をたくさん書いたパウロでさえ、「何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるようにと、願っています」(ローマ1・10)と書きました。
物理的な移動の必要性を訴えたのです。
言葉だけでは、どうしても伝わらないものがあるからです。
言葉だけでは、じつは、“救い”も起こらないのです。
(2005年1月30日、松戸小金原教会主日礼拝)
2005年1月23日日曜日
故郷に帰る
ルカによる福音書4・16〜30
関口 康
イエスさまは、伝道のみわざを始められた後、御自身が生まれ育った故郷であるナザレの町にお帰りになりました。今日の個所に記されているのは、そのときの話です。
「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。」
ナザレがどこにあるかは、新共同訳聖書の巻末付録の地図「6 新約時代のパレスチナ」をご覧ください。ガリラヤ湖の西南西あたりに位置する、小さな町です。
今はイエスさまゆかりの地として、観光地になっています。受胎告知教会(1969年完成)があります。わたしも一度だけ、連れて行ってもらったことがあります。
そのナザレで、イエスさまが「いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった」とあります。
「会堂」とは、ユダヤ教の礼拝堂、シナゴーグです。ユダヤ教の安息日は土曜日です。彼らは、土曜日ごとに会堂に集まり、今わたしたちがしているのと同じような礼拝を行います。土曜礼拝です。
その礼拝の中で、イエスさまが、聖書の御言を朗読され、その御言についての説教を行われたのです。
当時のシナゴーグでの礼拝の内容は、次のようなものだったと伝えられています。
まず最初に、信仰告白です。
告白される内容は、申命記6・4〜5です。「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」。
最初の「聞け」がヘブライ語でシェマーと言います。シェマー・イスラエル〔聞け、イスラエルよ〕です。それでこの告白はシェマーと呼ばれます。
次に、お祈りがささげられます。
そして、その次に、聖書の御言が朗読されます。しかし、聖書と言っても、もちろん、わたしたちの言う「旧約聖書」です。
当時の聖書は、大きな巻物の形をしていました。「預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになった」(17節)と書いてあるとおりです。
このとき、イエスさまは、預言者イザヤの書をお読みになりました。
旧約聖書には三つの部分があると、昔から考えられてきました。第一部が律法(トーラー)、第二部が預言者(ネビーム)、第三部が諸書(ケスビーム)です。
この場合の「律法」は、旧約聖書の最初の五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を指します。これらが「モーセ五書」と呼ばれてきました。
シナゴーグでの礼拝では、律法と預言者の両方から御言が選ばれて朗読されました。おそらくこの日も、イザヤ書の朗読が行われる前に、律法の部分も朗読されたのです。
そして、その後、その聖書の御言についての説教、あるいは自由なお話が行われました。それらが、礼拝の最も基本的な要素でした。
ちなみに、当時、律法と預言者の朗読に続いて、聖書の御言の解説としての「説教」を行う“権利”を持っているのは、ユダヤ人の男性だけでした。
わたしが調べた注解書に、そのように書かれていました。説教を行うことは、わたしたちの権利なのです。
こういうことを、わたしは今まで、あまり真剣に考えたことがありませんでしたが、権利という言葉に、とても感銘を受けました。
説教は、義務だからとか、責任だからとか、嫌々ながら、というようなものではないのです。
しかし、それ以外の人々、つまり、すべての女性とすべての異邦人には、その権利が与えられていなかったことも、事実です。
また、説教の方法は、聖書の御言を前から少しずつ読みながら、順々に説き明かしていく、“連続講解説教”(lectio continua)という方法でした。
今日の個所で、イエスさまが会堂の中でしておられることは、まさに当時の礼拝の順序に沿っていることであると、理解できるのです。
イエスさまが、その日、どのような説教を行われたのかについても、非常に興味深いものがありますので、ぜひ見ておきたいと思います。しかし、その前に一つ、とても気になることがありますので、そこに戻ります。
それは、ごく小さなことです。はたして、イエスさまは、ナザレに来られたその足で、まっすぐに会堂に向かわれたのだろうか、ということです。
イエスさまがナザレの会堂に入られたのは「安息日」であったことについては、ルカが明記しています。ですから、問題は、イエスさまのナザレ到着日も、シナゴーグでの礼拝が行われたのと同じ「安息日」であったかどうか、です。
わたしは、イエスさまがナザレに到着されたのは安息日の当日ではなく、その数日前ではなかっただろうかと考えております。
それがどうしたのか、と言いますと、イエスさまがナザレに来られた目的は、シナゴーグで説教される、ということも含まれていたとは思いますが、おそらくもう一つの目的があったはずだ、と思われてならないのです。
単純に、イエスさまが幼少時代を過ごされた故郷に帰られること、つまり、御自身の実家に帰省されることも、ナザレ行きの目的だったのではないでしょうか。ここが、わたしには、非常に気になる点なのです。
イエスさまは当時、三〇才前後で、独身であられました。父はヨセフ、母はマリアです。もしかしたら、当時、父ヨセフは、すでに亡くなっていたかもしれない、という話があります。
マルコによる福音書6章の平行記事の中で、イエスさまが「この人は、大工ではないか。マリアの息子ではないか」(マルコ6・3)と呼ばれています。
その理由は、父親ヨセフが、そのときすでに亡くなっていて、長男のイエスさまが大工の跡継ぎをすることになっていたからだ、というのです。
だから、「この人(イエスさま)は、大工の子ではないか」ではなく、「(すでに)大工ではないか」なのです。
マルコは、イエスさまの兄弟の名前も紹介しています。ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン、また妹たちもいました。
その家にお帰りになることも、このときのイエスさまのナザレ行きの目的に加えてよいと思われるのです。
「『主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。』」
ここで明らかなことは、イザヤ書61・1、42・7、29・18などが織り交ぜられた仕方で朗読されているということです。
そして、イザヤ書の中で「主の霊がわたしの上におられる」とか「主がわたしに油を注がれた」とか「主がわたしを遣わされたのは」と語られている中の、この「わたし」とは、もちろん、預言者イザヤ自身のことです。
ところが、イエスさまは、このイザヤの言葉に基づいて、次のように語られました。
「イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた。」
「この聖書の言葉」とは、預言者イザヤの言葉です。そして、「今日、あなたがたが耳にしたとき」とは、もちろん、イエスさまが説教しておられるシナゴーグでの礼拝のときです。
まさにそのとき、この御言が実現したのです。イエスさまが、この御言を語られたときに、実現したのです。捕らわれている人に解放が、目の見えない人に視力の回復が、圧迫されている人に自由が、現実として与えられたのです。
このように語られる説教は、いいなあ、と思います。「そうかもしれませんねえ」とか、「そうなるといいですねえ」というような、ぼんやりした説教は、元気がありません。聴いていて、だんだん寂しくなります。
イエスさまのように断言的に語られる御言は、たいへん力強く、神の栄光と権威に満ちたものとして、そこにいた人々の心に響き渡ったのです。ナザレの人々は、イエスさまを「ほめた」のです。
ところが、そこで問題が起こりました。
「皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。『この子はヨセフの子ではないか。』 」
先ほどわたしは、イエスさまのナザレ行きの目的には、ご実家に帰省されることが含まれていたはずだ、と申し上げました。その点がかかわってきます。
「この子はヨセフの子ではないか」。大工のせがれではないか、ということです。
父ヨセフは亡くなっていたかもしれないということも、すでに申しました。長男なら、亡くなった父親の仕事の跡継ぎをしなければならないはずだという気持ちも、この言葉に含まれていた可能性があるのです。
また、ナザレの人々は、イエスさまのことを、赤ちゃんだった頃から知っていました。
「あの可愛かったイエスちゃん、よくぞご立派になられました。どうぞ、ゆっくりして行ってくださいな」というような思いで、目を細めながら、イエスさまのことを見ていたに違いないのです。
わたしも、以前働いていたある教会で、夏休みをいただいて、実家に帰省するとき、年配の方々から「お母さんのオッパイを、たくさん吸ってきてくださいね」と言われて、とても恥ずかしい思いをしたことがあります。
全く何の悪気もない言葉であるとは思いましたが、何とも言えない気持ちになりました。
また、もちろん、ナザレには、子どもの頃一緒に遊んだ友人たちもいたでしょう。おれたちは、お前の過去を知っているぞと。泣きべそ、弱虫、悪ふざけ、など。
一般的に言って、今日でも、宗教の仕事に携わる者たちは、必ずと言ってよいほど、この種の反応を受けることを覚悟しておかなければならないと思います。
その人々には、少しも悪気はないのです。親愛の情の表れであると思います。
しかし、実際に、そのような目で見られて、また、そのような言葉を聞かされてしまうとき、神の御言を語る者たちの多くは、語るべき言葉を失ってしまうのです。
その場を支配している空気は、要するに、緊張感が全く無い、ということです。いわば“甘え”です。
そのような場においては、神の御言を語る者が、神御自身から遣わされている、ということが意識されるのが、非常に難しいのです。
そして、そこで起こる最大の問題は、その意味での“緊張感”が全くないような場所では、“信仰”が成り立たない、ということです。そこで語られる御言が「神の御言」として聴かれる、ということが起こらないからです。
「イエスは言われた。『きっと、あなたがたは、「医者よ、自分自身を治せ」ということわざを引いて、「カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ」と言うにちがいない。』そして、言われた。『はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ』」。
イエスさまは、やはり、とても嫌な気持ちになられたのだと思います。ナザレの人々に向かって、たいへん厳しい言葉を語られました。
「預言者」とは、神の御言を語る者たちの総称です。説教者、教師、牧師も広い意味での「預言者」です。
ここでイエスが語られている言葉の要点は、神の御言を語る者たちは、自分の故郷だけをひいきするようなことは、決してしない、ということです。
私どもの教会の長老たちが、主日礼拝の牧会祈祷の中で、「牧師は、ひとによく語るのではなく、御言に忠実に語ることができるように」と毎回祈ってくださいます。
この祈りの言葉を聞くたびに、本当に感謝しつつ、いろいろと考えさせられます。「ひとによく語る」とは、どういうことだろうかと。
牧師なら誰でも、できるだけ多くの人々に喜んでもらえるような話をしたいと願うわけです。しかし、そのような人を喜ばせるような説教をしてはならない、と言われているわけです。
地元の利益を追求するだけとか、特定の人々の利益を優先するだけの説教などは、おそらく、そういうものに該当するわけです。説教者に求められていることは、「御言に忠実に語ること」なのです。
ところが、それを聞いたナザレの人々は、たいへん怒りました。ある意味で、当然予想される反応でした。イエスさまを殺そうとまでしました。
イエスさまは、ナザレから「立ち去られました」。そして、その後、二度と、ナザレにはお帰りになりませんでした。マタイによる福音書19・29の御言が思い起こされます。
「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。」
イエスさま御自身が歩まれ、イエスさまに従う者たちにも歩むように命ぜられている道は、家族や故郷の人々を軽んじることでは、決してありません。
むしろ、逆です。家族や故郷が“救われる”ために、なしうることを行うことです。
わたしたちの愛する人々が救われるために、神の御言が必要なのです。そのために必要なことは、神の御言が“神の”御言として語られ、聞かれることです。
そのために、御言葉を語る者たちは、誰よりも先に、“甘えの構造”の中から抜け出る必要があるのです。
(2005年1月23日、松戸小金原教会主日礼拝)
関口 康
イエスさまは、伝道のみわざを始められた後、御自身が生まれ育った故郷であるナザレの町にお帰りになりました。今日の個所に記されているのは、そのときの話です。
「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。」
ナザレがどこにあるかは、新共同訳聖書の巻末付録の地図「6 新約時代のパレスチナ」をご覧ください。ガリラヤ湖の西南西あたりに位置する、小さな町です。
今はイエスさまゆかりの地として、観光地になっています。受胎告知教会(1969年完成)があります。わたしも一度だけ、連れて行ってもらったことがあります。
そのナザレで、イエスさまが「いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった」とあります。
「会堂」とは、ユダヤ教の礼拝堂、シナゴーグです。ユダヤ教の安息日は土曜日です。彼らは、土曜日ごとに会堂に集まり、今わたしたちがしているのと同じような礼拝を行います。土曜礼拝です。
その礼拝の中で、イエスさまが、聖書の御言を朗読され、その御言についての説教を行われたのです。
当時のシナゴーグでの礼拝の内容は、次のようなものだったと伝えられています。
まず最初に、信仰告白です。
告白される内容は、申命記6・4〜5です。「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」。
最初の「聞け」がヘブライ語でシェマーと言います。シェマー・イスラエル〔聞け、イスラエルよ〕です。それでこの告白はシェマーと呼ばれます。
次に、お祈りがささげられます。
そして、その次に、聖書の御言が朗読されます。しかし、聖書と言っても、もちろん、わたしたちの言う「旧約聖書」です。
当時の聖書は、大きな巻物の形をしていました。「預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになった」(17節)と書いてあるとおりです。
このとき、イエスさまは、預言者イザヤの書をお読みになりました。
旧約聖書には三つの部分があると、昔から考えられてきました。第一部が律法(トーラー)、第二部が預言者(ネビーム)、第三部が諸書(ケスビーム)です。
この場合の「律法」は、旧約聖書の最初の五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を指します。これらが「モーセ五書」と呼ばれてきました。
シナゴーグでの礼拝では、律法と預言者の両方から御言が選ばれて朗読されました。おそらくこの日も、イザヤ書の朗読が行われる前に、律法の部分も朗読されたのです。
そして、その後、その聖書の御言についての説教、あるいは自由なお話が行われました。それらが、礼拝の最も基本的な要素でした。
ちなみに、当時、律法と預言者の朗読に続いて、聖書の御言の解説としての「説教」を行う“権利”を持っているのは、ユダヤ人の男性だけでした。
わたしが調べた注解書に、そのように書かれていました。説教を行うことは、わたしたちの権利なのです。
こういうことを、わたしは今まで、あまり真剣に考えたことがありませんでしたが、権利という言葉に、とても感銘を受けました。
説教は、義務だからとか、責任だからとか、嫌々ながら、というようなものではないのです。
しかし、それ以外の人々、つまり、すべての女性とすべての異邦人には、その権利が与えられていなかったことも、事実です。
また、説教の方法は、聖書の御言を前から少しずつ読みながら、順々に説き明かしていく、“連続講解説教”(lectio continua)という方法でした。
今日の個所で、イエスさまが会堂の中でしておられることは、まさに当時の礼拝の順序に沿っていることであると、理解できるのです。
イエスさまが、その日、どのような説教を行われたのかについても、非常に興味深いものがありますので、ぜひ見ておきたいと思います。しかし、その前に一つ、とても気になることがありますので、そこに戻ります。
それは、ごく小さなことです。はたして、イエスさまは、ナザレに来られたその足で、まっすぐに会堂に向かわれたのだろうか、ということです。
イエスさまがナザレの会堂に入られたのは「安息日」であったことについては、ルカが明記しています。ですから、問題は、イエスさまのナザレ到着日も、シナゴーグでの礼拝が行われたのと同じ「安息日」であったかどうか、です。
わたしは、イエスさまがナザレに到着されたのは安息日の当日ではなく、その数日前ではなかっただろうかと考えております。
それがどうしたのか、と言いますと、イエスさまがナザレに来られた目的は、シナゴーグで説教される、ということも含まれていたとは思いますが、おそらくもう一つの目的があったはずだ、と思われてならないのです。
単純に、イエスさまが幼少時代を過ごされた故郷に帰られること、つまり、御自身の実家に帰省されることも、ナザレ行きの目的だったのではないでしょうか。ここが、わたしには、非常に気になる点なのです。
イエスさまは当時、三〇才前後で、独身であられました。父はヨセフ、母はマリアです。もしかしたら、当時、父ヨセフは、すでに亡くなっていたかもしれない、という話があります。
マルコによる福音書6章の平行記事の中で、イエスさまが「この人は、大工ではないか。マリアの息子ではないか」(マルコ6・3)と呼ばれています。
その理由は、父親ヨセフが、そのときすでに亡くなっていて、長男のイエスさまが大工の跡継ぎをすることになっていたからだ、というのです。
だから、「この人(イエスさま)は、大工の子ではないか」ではなく、「(すでに)大工ではないか」なのです。
マルコは、イエスさまの兄弟の名前も紹介しています。ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン、また妹たちもいました。
その家にお帰りになることも、このときのイエスさまのナザレ行きの目的に加えてよいと思われるのです。
「『主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。』」
ここで明らかなことは、イザヤ書61・1、42・7、29・18などが織り交ぜられた仕方で朗読されているということです。
そして、イザヤ書の中で「主の霊がわたしの上におられる」とか「主がわたしに油を注がれた」とか「主がわたしを遣わされたのは」と語られている中の、この「わたし」とは、もちろん、預言者イザヤ自身のことです。
ところが、イエスさまは、このイザヤの言葉に基づいて、次のように語られました。
「イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた。」
「この聖書の言葉」とは、預言者イザヤの言葉です。そして、「今日、あなたがたが耳にしたとき」とは、もちろん、イエスさまが説教しておられるシナゴーグでの礼拝のときです。
まさにそのとき、この御言が実現したのです。イエスさまが、この御言を語られたときに、実現したのです。捕らわれている人に解放が、目の見えない人に視力の回復が、圧迫されている人に自由が、現実として与えられたのです。
このように語られる説教は、いいなあ、と思います。「そうかもしれませんねえ」とか、「そうなるといいですねえ」というような、ぼんやりした説教は、元気がありません。聴いていて、だんだん寂しくなります。
イエスさまのように断言的に語られる御言は、たいへん力強く、神の栄光と権威に満ちたものとして、そこにいた人々の心に響き渡ったのです。ナザレの人々は、イエスさまを「ほめた」のです。
ところが、そこで問題が起こりました。
「皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。『この子はヨセフの子ではないか。』 」
先ほどわたしは、イエスさまのナザレ行きの目的には、ご実家に帰省されることが含まれていたはずだ、と申し上げました。その点がかかわってきます。
「この子はヨセフの子ではないか」。大工のせがれではないか、ということです。
父ヨセフは亡くなっていたかもしれないということも、すでに申しました。長男なら、亡くなった父親の仕事の跡継ぎをしなければならないはずだという気持ちも、この言葉に含まれていた可能性があるのです。
また、ナザレの人々は、イエスさまのことを、赤ちゃんだった頃から知っていました。
「あの可愛かったイエスちゃん、よくぞご立派になられました。どうぞ、ゆっくりして行ってくださいな」というような思いで、目を細めながら、イエスさまのことを見ていたに違いないのです。
わたしも、以前働いていたある教会で、夏休みをいただいて、実家に帰省するとき、年配の方々から「お母さんのオッパイを、たくさん吸ってきてくださいね」と言われて、とても恥ずかしい思いをしたことがあります。
全く何の悪気もない言葉であるとは思いましたが、何とも言えない気持ちになりました。
また、もちろん、ナザレには、子どもの頃一緒に遊んだ友人たちもいたでしょう。おれたちは、お前の過去を知っているぞと。泣きべそ、弱虫、悪ふざけ、など。
一般的に言って、今日でも、宗教の仕事に携わる者たちは、必ずと言ってよいほど、この種の反応を受けることを覚悟しておかなければならないと思います。
その人々には、少しも悪気はないのです。親愛の情の表れであると思います。
しかし、実際に、そのような目で見られて、また、そのような言葉を聞かされてしまうとき、神の御言を語る者たちの多くは、語るべき言葉を失ってしまうのです。
その場を支配している空気は、要するに、緊張感が全く無い、ということです。いわば“甘え”です。
そのような場においては、神の御言を語る者が、神御自身から遣わされている、ということが意識されるのが、非常に難しいのです。
そして、そこで起こる最大の問題は、その意味での“緊張感”が全くないような場所では、“信仰”が成り立たない、ということです。そこで語られる御言が「神の御言」として聴かれる、ということが起こらないからです。
「イエスは言われた。『きっと、あなたがたは、「医者よ、自分自身を治せ」ということわざを引いて、「カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ」と言うにちがいない。』そして、言われた。『はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ』」。
イエスさまは、やはり、とても嫌な気持ちになられたのだと思います。ナザレの人々に向かって、たいへん厳しい言葉を語られました。
「預言者」とは、神の御言を語る者たちの総称です。説教者、教師、牧師も広い意味での「預言者」です。
ここでイエスが語られている言葉の要点は、神の御言を語る者たちは、自分の故郷だけをひいきするようなことは、決してしない、ということです。
私どもの教会の長老たちが、主日礼拝の牧会祈祷の中で、「牧師は、ひとによく語るのではなく、御言に忠実に語ることができるように」と毎回祈ってくださいます。
この祈りの言葉を聞くたびに、本当に感謝しつつ、いろいろと考えさせられます。「ひとによく語る」とは、どういうことだろうかと。
牧師なら誰でも、できるだけ多くの人々に喜んでもらえるような話をしたいと願うわけです。しかし、そのような人を喜ばせるような説教をしてはならない、と言われているわけです。
地元の利益を追求するだけとか、特定の人々の利益を優先するだけの説教などは、おそらく、そういうものに該当するわけです。説教者に求められていることは、「御言に忠実に語ること」なのです。
ところが、それを聞いたナザレの人々は、たいへん怒りました。ある意味で、当然予想される反応でした。イエスさまを殺そうとまでしました。
イエスさまは、ナザレから「立ち去られました」。そして、その後、二度と、ナザレにはお帰りになりませんでした。マタイによる福音書19・29の御言が思い起こされます。
「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。」
イエスさま御自身が歩まれ、イエスさまに従う者たちにも歩むように命ぜられている道は、家族や故郷の人々を軽んじることでは、決してありません。
むしろ、逆です。家族や故郷が“救われる”ために、なしうることを行うことです。
わたしたちの愛する人々が救われるために、神の御言が必要なのです。そのために必要なことは、神の御言が“神の”御言として語られ、聞かれることです。
そのために、御言葉を語る者たちは、誰よりも先に、“甘えの構造”の中から抜け出る必要があるのです。
(2005年1月23日、松戸小金原教会主日礼拝)
2005年1月16日日曜日
荒野の誘惑
ルカによる福音書4・1〜15
関口 康
本日、これから学びますのは、イエス・キリストがヨハネから洗礼を受けられた"後"、そして、ガリラヤ地方で伝道を開始される"前"の出来事です。
それは、イエス・キリストが荒れ野で悪魔から誘惑を受けられた、という出来事です。
「さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を"霊"によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。」
「"霊"によって引き回され」とあります。"霊"とは、聖霊なる神の意味です。つまり、イエスさまが荒れ野に行かれたことも、そこで悪魔から誘惑を受けられたことも、すべては、神御自身の意図されるところであった、ということです。
なぜ、そんなことを、神がなさるのでしょうか。この問題には、触れないでおきます。これを話すには、多くの時間が必要です。
しかし、一点だけ、申し上げておきます。父なる神が、聖霊によって、イエス・キリストに試験を受けさせたのです。そう考えるしかありません。
イエスさまが受けられた試験の方法は、こうです。
最初に、いわゆる断食修行のようなことをします。四十日の間、何も食べずに生活します。すると当然、お腹がすいてきます。そのとき、悪魔から誘惑の言葉が聞こえてくる。それにどう答えるか、という問題です。
「そこで、悪魔はイエスに言った。『神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。』 」
これが第一の試験問題です。
「神の子なら」とは、もちろん「もしあなたが神の子ならば」です。仮定の表現であると、当然、感じられます。
しかし、ここでの悪魔の意図は、あなたは、もしかしたら、神の子でないかもしれない、ということではありません。
その意味ならば、悪魔の意図は、お前が神の子かどうかの証拠を見せよ。それはお前が不思議な力を持っているかどうかで分かるのだが、という話になります。
しかし、そういう話ではないのです。なぜなら、悪魔は、イエスさまが神の子であることを、初めから知っているからです。
悪魔が問題にしているのは、その点ではなく、むしろ、イエスさまが“神の子”であることの真の意味は何か、ということです。つまり、父なる神に従順な“子ども”であるとは、どのようなことにおいてか、ということです。
もう少し説明が必要でしょう。悪魔の問いかけの核心は、神の子が従うべき"父なる神の御心"とは何なのか、ということです。
聖書の解説書を読むと、いろいろと興味深いことが書いてあります。わたしが読んだのを一つ紹介しますと、ここでルカは「石」を単数形で書いている。しかし、マタイは複数形である、というのです。
「何だろう?」と思って、もう少し先を読むと、その単数形の意味として考えられるのは、ルカはイエスさまの目の前にある具体的な一つの「この石」の具体性を強調しているのだ、などというのです。なるほど、と思いました。
この線で考えると、問題は、より明確になります。
自分の目の前にある「この石」を、自分自身の空腹を満たすために用いることが、神の子のなすべきことなのか、ということです。
自己満足になることだけをして、それで事足れりとすることが、父なる神の御心なのか、ということです。
あらら、なんとなく、わたしたちにとって耳の痛い話になってきました。
神がお喜びになるのは、そのようなことなのか。自分さえよければ、それでよいのか、ということです。
「自分さえよければ、それでいいんだよねえ」と、悪魔はイエスさまに、誘いの言葉をかけてきたのです。
「 イエスは、『「人はパンだけで生きるものではない」と書いてある』とお答えになった。」
イエスさまは、聖書の御言を引用されました。旧約聖書の申命記8・3の御言です。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」
これはモーセの言葉です。エジプトから脱出し、荒れ野の四十年の旅を経て、約束の地カナンを目前に見ているイスラエルの民に向かって、モーセが語った言葉です。
マタイによる福音書4章の平行記事ではこの御言のすべてが引用されていますが、ルカは前半部分だけを引用しています。
それは、ルカがこの個所で、イエス・キリストとはどのようなお方であるのか、ということについて語ろうとしている意図と関係していると思われます。
「人はパンだけで生きるものではない」というこの点には明らかに、パンも大切であるという意図が込められています。
パンは要らない、という話には、決してなりません。神の御子は、パンの大切さを否定するために地上に来られた、という話にも、決してなりません。
パンの大切さとは、わたしたちの日常生活の大切さです。毎日の食べ物を得るために、わたしたちは、汗水たらして働くのです。
牧師にはそんな話をしてもらいたくない、と言われたことがあります。武士は食わねど高楊枝。牧師も食わねど高楊枝だ、と。宗教家が世間的な話をするな、と言われました。そういう考えもありうるかもしれません。
でも、ここはどうかご理解いただきたいのです。イエス・キリストは、わたしたちが毎日食べるパンの意味と価値を、一度も否定されたことがありません。ただの一度もないのです。
しかし、です。その次に言いうることとして、たしかに、わたしたちは「パン"だけで"生きるものではない」のです。そのことも事実であり、真実です。
この申命記の御言は、モーセが語ったものであると、先ほど申しました。モーセの意図は、非常にはっきりしたものです。
わたしたちは、荒れ野で何をし、何を見てきたのか。パンだけを食べ、パンだけを見てきたのか。
そうではないはずだ。荒れ野の中でこそ、神さまの御言が、いかに信頼できるものであるかを見てきたではないか、ということです。
イエスさまは、悪魔に心を売り渡すつもりは、全くありませんでした。
自分自身の欲望や利益のためだけにあなたの力を使ったらどうだい、という悪魔の挑発に乗ることは、神のお喜びになることではないことを、お示しになりました。
パンも大切であるが、パンより大切なものがある。神の御言に従うことである。そして、神の御言こそが、人と世界に真の生命を与える真の力であるということを、イエスさまは示されたのです。
「更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。『この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。』 」
これが、第二の試験問題です。この問題の落とし穴は、二つほどあります。
第一の落とし穴は、ここで悪魔自身が、世界のすべての国々の一切の権力と繁栄を支配しているのは、このわたしである、と語っている点にあります。
なぜ、この点に落とし穴がありうるか、と言いますと、わたしたちが日常的に体験しているこの世界の現実は、ほとんど確実に、まさにこのとき悪魔自身が語ったとおりであるかのように感じられるものだからです。
暴力があり、殺人があり、戦争がある。そのような邪悪で・不気味な力が、この世界には、満ち満ちているではないか、と。これは、ごく普通の人が誰でも感じることです。この感覚にどう応えるのか、が問題なのです。
第二の落とし穴は、ここで悪魔が「だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる」と誘っていることにあります。
もちろん、こんなのウソに決まっています。しかし、悪魔が世界の支配者であるという点には、現実の世界がそのように感じられるときには、ある独特の説得力が生まれてしまうのです。
だからこそ、その悪魔を尊敬し、崇拝し、手を結ぶことこそが、世界を支配するための唯一の道であるかもしれない、という思いも生じうる。この点が、ごく普通の感覚を持つ人々にとって落とし穴になりうるのです。
実際、当時のユダヤを支配していたのは、ローマ皇帝を中心に形成されたローマ帝国でした。彼らの圧倒的な軍事力が、今の全ヨーロッパを、政治的に支配していました。
彼らに抵抗し、自国の独立を求めることなど、まさに無駄な抵抗にすぎない。無力感と失望が、ユダヤ社会全体を支配していた時代だったのです。
「イエスはお答えになった。『「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と書いてある。』」
イエスさまの答えは、毅然としたものでした。ただし、相手の議論の土俵に乗ってやりあうのではなく、ここでも、ただ、聖書の御言を引用されただけでした。
「拝む」とは、礼拝することです。礼拝の対象は真の神のみであって、まさか、悪魔ではありえない。神の子であり、救い主であるものが悪魔と手を結ぶことをしてよいわけがない。
そのことを、ただ聖書の御言によって、語っておられるだけです。
「そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。『神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。「神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。」また、「あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。」』」
これが第三の、そして最後の試験問題です。「エルサレム神殿の屋根の端」から飛び降りてみろ、というのです。天使が守ってくれますよ、というのです。
「エルサレム神殿の屋根の端」の場所はどこかについては、いくつかの意見があります。
神殿の周りを囲む塀の上ではないかと考える人もいますし、エルサレム神殿の南東に位置するキデロンの谷のことではないかと考える人もいます。
西暦三世紀に活躍した神学者エウセビウスが書いた『教会史』は、日本語に翻訳されています。
それによると、イエスさまの兄弟ヤコブは、ユダヤ教の律法学者やファリサイ派の人々によって、エルサレム神殿の塔から突き落とされ、縮絨工(しゅくじゅこう)の棒〔毛織物を叩いて圧縮する道具〕でめった打ちされて死んだ」とされています(エウセビウス『教会史?T』、秦剛平訳、山本書店、1986年、79ページ)。
エルサレム神殿には、そのような「塔」があったのです。
この誘惑の意図は、もしあなたが「神の子」と呼ばれたいならば、魔術師のように何か人を驚かせることをしなければならないでしょう、ということです。
高いところから飛び降りても大丈夫。天使が助けてくれました、というアクロバット演技を見せつければ、誰もが「この方こそ神の子メシアである」と認めるだろう。
それくらいのスゴイことをしなければ、誰も納得しませんよ、と言いたいのです。
しかし、これに対しても、イエスさまは、聖書の御言をもってお応えになりました。
「イエスは、『「あなたの神である主を試してはならない」と言われている』とお答えになった。」
神の子は、魔術師ではありません。人を驚かせるようなことをする必要は、全くありません。
神の子に求められるのは、まさに父なる神の子どもとして、子どものように従順に神の御心にかなった歩みをすることだけです。
わたしたちも、そうです。教会も、そうです。神の御心は、ひとを救うことです。
教会の目的は、ひとをびっくりさせることではありません。神は、教会を通して、わたしたちが喜んで感謝して毎日を生きていくことができるように、恵みと助けを豊かに与えてくださるのです。
また、「あなたの神である主を試す」とは、神さまに試験を受けさせることを意味します。
しかし、これは逆さまでしょう。わたしたちに試験を受けさせるのは、神です。試験を受けるのは、わたしたちです。勘違いしてはなりません。
イエスさまは、すべての試験に合格しました。そして、伝道者としての歩みを始められました。
(2004年1月16日、松戸小金原教会主日礼拝)
関口 康
本日、これから学びますのは、イエス・キリストがヨハネから洗礼を受けられた"後"、そして、ガリラヤ地方で伝道を開始される"前"の出来事です。
それは、イエス・キリストが荒れ野で悪魔から誘惑を受けられた、という出来事です。
「さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を"霊"によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。」
「"霊"によって引き回され」とあります。"霊"とは、聖霊なる神の意味です。つまり、イエスさまが荒れ野に行かれたことも、そこで悪魔から誘惑を受けられたことも、すべては、神御自身の意図されるところであった、ということです。
なぜ、そんなことを、神がなさるのでしょうか。この問題には、触れないでおきます。これを話すには、多くの時間が必要です。
しかし、一点だけ、申し上げておきます。父なる神が、聖霊によって、イエス・キリストに試験を受けさせたのです。そう考えるしかありません。
イエスさまが受けられた試験の方法は、こうです。
最初に、いわゆる断食修行のようなことをします。四十日の間、何も食べずに生活します。すると当然、お腹がすいてきます。そのとき、悪魔から誘惑の言葉が聞こえてくる。それにどう答えるか、という問題です。
「そこで、悪魔はイエスに言った。『神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。』 」
これが第一の試験問題です。
「神の子なら」とは、もちろん「もしあなたが神の子ならば」です。仮定の表現であると、当然、感じられます。
しかし、ここでの悪魔の意図は、あなたは、もしかしたら、神の子でないかもしれない、ということではありません。
その意味ならば、悪魔の意図は、お前が神の子かどうかの証拠を見せよ。それはお前が不思議な力を持っているかどうかで分かるのだが、という話になります。
しかし、そういう話ではないのです。なぜなら、悪魔は、イエスさまが神の子であることを、初めから知っているからです。
悪魔が問題にしているのは、その点ではなく、むしろ、イエスさまが“神の子”であることの真の意味は何か、ということです。つまり、父なる神に従順な“子ども”であるとは、どのようなことにおいてか、ということです。
もう少し説明が必要でしょう。悪魔の問いかけの核心は、神の子が従うべき"父なる神の御心"とは何なのか、ということです。
聖書の解説書を読むと、いろいろと興味深いことが書いてあります。わたしが読んだのを一つ紹介しますと、ここでルカは「石」を単数形で書いている。しかし、マタイは複数形である、というのです。
「何だろう?」と思って、もう少し先を読むと、その単数形の意味として考えられるのは、ルカはイエスさまの目の前にある具体的な一つの「この石」の具体性を強調しているのだ、などというのです。なるほど、と思いました。
この線で考えると、問題は、より明確になります。
自分の目の前にある「この石」を、自分自身の空腹を満たすために用いることが、神の子のなすべきことなのか、ということです。
自己満足になることだけをして、それで事足れりとすることが、父なる神の御心なのか、ということです。
あらら、なんとなく、わたしたちにとって耳の痛い話になってきました。
神がお喜びになるのは、そのようなことなのか。自分さえよければ、それでよいのか、ということです。
「自分さえよければ、それでいいんだよねえ」と、悪魔はイエスさまに、誘いの言葉をかけてきたのです。
「 イエスは、『「人はパンだけで生きるものではない」と書いてある』とお答えになった。」
イエスさまは、聖書の御言を引用されました。旧約聖書の申命記8・3の御言です。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」
これはモーセの言葉です。エジプトから脱出し、荒れ野の四十年の旅を経て、約束の地カナンを目前に見ているイスラエルの民に向かって、モーセが語った言葉です。
マタイによる福音書4章の平行記事ではこの御言のすべてが引用されていますが、ルカは前半部分だけを引用しています。
それは、ルカがこの個所で、イエス・キリストとはどのようなお方であるのか、ということについて語ろうとしている意図と関係していると思われます。
「人はパンだけで生きるものではない」というこの点には明らかに、パンも大切であるという意図が込められています。
パンは要らない、という話には、決してなりません。神の御子は、パンの大切さを否定するために地上に来られた、という話にも、決してなりません。
パンの大切さとは、わたしたちの日常生活の大切さです。毎日の食べ物を得るために、わたしたちは、汗水たらして働くのです。
牧師にはそんな話をしてもらいたくない、と言われたことがあります。武士は食わねど高楊枝。牧師も食わねど高楊枝だ、と。宗教家が世間的な話をするな、と言われました。そういう考えもありうるかもしれません。
でも、ここはどうかご理解いただきたいのです。イエス・キリストは、わたしたちが毎日食べるパンの意味と価値を、一度も否定されたことがありません。ただの一度もないのです。
しかし、です。その次に言いうることとして、たしかに、わたしたちは「パン"だけで"生きるものではない」のです。そのことも事実であり、真実です。
この申命記の御言は、モーセが語ったものであると、先ほど申しました。モーセの意図は、非常にはっきりしたものです。
わたしたちは、荒れ野で何をし、何を見てきたのか。パンだけを食べ、パンだけを見てきたのか。
そうではないはずだ。荒れ野の中でこそ、神さまの御言が、いかに信頼できるものであるかを見てきたではないか、ということです。
イエスさまは、悪魔に心を売り渡すつもりは、全くありませんでした。
自分自身の欲望や利益のためだけにあなたの力を使ったらどうだい、という悪魔の挑発に乗ることは、神のお喜びになることではないことを、お示しになりました。
パンも大切であるが、パンより大切なものがある。神の御言に従うことである。そして、神の御言こそが、人と世界に真の生命を与える真の力であるということを、イエスさまは示されたのです。
「更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。『この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。』 」
これが、第二の試験問題です。この問題の落とし穴は、二つほどあります。
第一の落とし穴は、ここで悪魔自身が、世界のすべての国々の一切の権力と繁栄を支配しているのは、このわたしである、と語っている点にあります。
なぜ、この点に落とし穴がありうるか、と言いますと、わたしたちが日常的に体験しているこの世界の現実は、ほとんど確実に、まさにこのとき悪魔自身が語ったとおりであるかのように感じられるものだからです。
暴力があり、殺人があり、戦争がある。そのような邪悪で・不気味な力が、この世界には、満ち満ちているではないか、と。これは、ごく普通の人が誰でも感じることです。この感覚にどう応えるのか、が問題なのです。
第二の落とし穴は、ここで悪魔が「だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる」と誘っていることにあります。
もちろん、こんなのウソに決まっています。しかし、悪魔が世界の支配者であるという点には、現実の世界がそのように感じられるときには、ある独特の説得力が生まれてしまうのです。
だからこそ、その悪魔を尊敬し、崇拝し、手を結ぶことこそが、世界を支配するための唯一の道であるかもしれない、という思いも生じうる。この点が、ごく普通の感覚を持つ人々にとって落とし穴になりうるのです。
実際、当時のユダヤを支配していたのは、ローマ皇帝を中心に形成されたローマ帝国でした。彼らの圧倒的な軍事力が、今の全ヨーロッパを、政治的に支配していました。
彼らに抵抗し、自国の独立を求めることなど、まさに無駄な抵抗にすぎない。無力感と失望が、ユダヤ社会全体を支配していた時代だったのです。
「イエスはお答えになった。『「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と書いてある。』」
イエスさまの答えは、毅然としたものでした。ただし、相手の議論の土俵に乗ってやりあうのではなく、ここでも、ただ、聖書の御言を引用されただけでした。
「拝む」とは、礼拝することです。礼拝の対象は真の神のみであって、まさか、悪魔ではありえない。神の子であり、救い主であるものが悪魔と手を結ぶことをしてよいわけがない。
そのことを、ただ聖書の御言によって、語っておられるだけです。
「そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。『神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。「神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。」また、「あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。」』」
これが第三の、そして最後の試験問題です。「エルサレム神殿の屋根の端」から飛び降りてみろ、というのです。天使が守ってくれますよ、というのです。
「エルサレム神殿の屋根の端」の場所はどこかについては、いくつかの意見があります。
神殿の周りを囲む塀の上ではないかと考える人もいますし、エルサレム神殿の南東に位置するキデロンの谷のことではないかと考える人もいます。
西暦三世紀に活躍した神学者エウセビウスが書いた『教会史』は、日本語に翻訳されています。
それによると、イエスさまの兄弟ヤコブは、ユダヤ教の律法学者やファリサイ派の人々によって、エルサレム神殿の塔から突き落とされ、縮絨工(しゅくじゅこう)の棒〔毛織物を叩いて圧縮する道具〕でめった打ちされて死んだ」とされています(エウセビウス『教会史?T』、秦剛平訳、山本書店、1986年、79ページ)。
エルサレム神殿には、そのような「塔」があったのです。
この誘惑の意図は、もしあなたが「神の子」と呼ばれたいならば、魔術師のように何か人を驚かせることをしなければならないでしょう、ということです。
高いところから飛び降りても大丈夫。天使が助けてくれました、というアクロバット演技を見せつければ、誰もが「この方こそ神の子メシアである」と認めるだろう。
それくらいのスゴイことをしなければ、誰も納得しませんよ、と言いたいのです。
しかし、これに対しても、イエスさまは、聖書の御言をもってお応えになりました。
「イエスは、『「あなたの神である主を試してはならない」と言われている』とお答えになった。」
神の子は、魔術師ではありません。人を驚かせるようなことをする必要は、全くありません。
神の子に求められるのは、まさに父なる神の子どもとして、子どものように従順に神の御心にかなった歩みをすることだけです。
わたしたちも、そうです。教会も、そうです。神の御心は、ひとを救うことです。
教会の目的は、ひとをびっくりさせることではありません。神は、教会を通して、わたしたちが喜んで感謝して毎日を生きていくことができるように、恵みと助けを豊かに与えてくださるのです。
また、「あなたの神である主を試す」とは、神さまに試験を受けさせることを意味します。
しかし、これは逆さまでしょう。わたしたちに試験を受けさせるのは、神です。試験を受けるのは、わたしたちです。勘違いしてはなりません。
イエスさまは、すべての試験に合格しました。そして、伝道者としての歩みを始められました。
(2004年1月16日、松戸小金原教会主日礼拝)
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