ルカによる福音書4・31〜44
関口 康
今日は、少し長く、三つの段落を読みました。イエス・キリストは、故郷のナザレでは受け入れられませんでした。ルカの記述によりますと、その後、ガリラヤ地方のカファルナウムという町に移り、そこに伝道の拠点を据えられました。
その後カファルナウムは、イエスさまにとって「自分の町」(マタイ9・1)と呼ばれるほどに、まさにイエスさまの町になりました。他の町の人々に出かけて行かれても、またカファルナウムに帰ってこられるのです。
カファルナウムでイエスさまがお住まいになった場所は「シモンの家」(4・38)であると考えられています。カファルナウムには、イエスさまがペトロ(岩)という名前を授けた漁師シモンと弟アンデレの家があったのです。
イエスさまは、シモンの家にいわば居候(いそうろう)されて、その家族の人々と共に食事をされたり、寝泊りされていたのです。
そして、安息日(土曜日)ごとに、カファルナウムの会堂で行われる礼拝の中で、聖書の御言を解説する仕事(説教)をされました。そのことについて、次のように書かれています。
「イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。」
ところが、その会堂に、おそらく毎週通ってきていた一人の男が、イエスさまに向かって、大声で、次のように叫んだのです。
「ところが会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。『ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。』」
腹を立てているようです。イエスさまがなさった説教の内容が、気に食わなかったのでしょうか。イエスさまが語られた説教の内容がどのようなものであったかは、紹介されていません。
この男性以外の人々の反応については「非常に驚いた」とだけ書かれています。大いに喜んだとは書かれていません。
しかし、「その言葉には権威があった」と書かれています。マルコは、さらに、もう一つのことを付け加えています。「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」(マルコ1・22)。
とくに気になるのは「律法学者のようにではなく」という点です。これは明らかに、イエスさまの説教に対する一つの評価です。律法学者の説教との比較があります。
イエスさまの説教には、権威があった。しかし、律法学者の説教には、権威がなかった、ということです。
カファルナウムに「会堂」がありました。それは当然、その会堂で働く律法学者たちも、同じ町の中に住んでいた、ということです。建物だけがあったわけではありません。
そして、その律法学者たちも、イエスさまがカファルナウムに来られる前からずっと、その会堂で、安息日ごとに、説教をしてきたはずです。
イエスさまの説教を聴いて騒いでいた人は「汚れた悪霊に取りつかれた男」と呼ばれています。この人は、その日だけの出席者ではなく、以前から出席していたはずです。
しかし、律法学者たちの説教は、この人から「汚れた悪霊」を追い出すことができなかった、ということです。彼らの説教は、そのような権威を持っていなかったのです。
もっと突っ込んで言うならば、彼らの説教には、人の心の中にあるものを、善きものに変える力がなかったのです。人の心の中に、悪霊に代わる聖なる霊を注ぎ込むことができなかったのです。
「イエスが、『黙れ。この人から出て行け』とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。人々は皆驚いて、互いに言った。『この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。』こうして、イエスのうわさは、辺り一帯に広まった。」
イエスさまの説教は、人の心を変える力を持っていた、ということです。汚れた悪霊は、追い出されました。その人の心は、イエスさまの御言を耳にしたその日から、変えられたのです。
「イエスは会堂を立ち去り、シモンの家にお入りになった。シモンのしゅうとめが高い熱に苦しんでいたので、人びとは彼女のことをイエスに頼んだ。イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。
「シモンの家」が、カファルナウムでのイエスさまの滞在場所であったと考えられるということは、先ほど申し上げたとおりです。ただし、その家に住んでいたのは、「シモンのしゅうとめ」であった、と書かれています。
「しゅうとめ」の意味は、もちろん、夫ないし妻の母親のことです。つまり、シモンは、そのときすでに結婚していて、おくさんがいたのです。子どもがいたかどうかは、分かりません。
また、その家がシモンの妻の実家だったのか、それとも、シモンの家でおしゅうとめさんも生活していたのかも、分かりません。アンデレも一緒に住んでいるようですので、シモンの家なのかもしれません。
それはともかく、シモンのおくさんのお母さんが、高い熱に苦しんでいたので、イエスさまが「枕もとに立って、熱を叱りつけられた」ところ、熱が下がり、彼女はすぐに元気になって、一同をもてなした、というのです。
興味深いですが、ややぎょっとさせられる点は、イエスさまが「熱を叱りつけられた」というところでしょう。
先ほどの「汚れた悪霊」の場合も、そうでした。「この人から出て行け」とイエスさまが命ぜられた相手は「悪霊」でした。悪霊に取りつかれている本人ではないかのようです。
現代のわたしたちには、奇異に感じられるところです。「熱、出て行け!」とでも言うのでしょうか。
しかし、いろいろと考えさせられる内容もあります。少し大げさに聞こえるかもしれませんが、ここには間違いなく、イエスさまの、また聖書全体の、基本的な人間理解がある、と言いうるのです。
たとえば、わたしたちが何かの病気にかかっているとき、かかっているあなたが悪い、と言われると、非常につらいものがあります。
あなたの不注意だ、と言われるのは、ある意味で仕方がないところもあります。
しかし、“天罰”だとか“神の審き”だとか“罪への報い”だとか、そのあたりのことが言われはじめると、だんだんと嫌な気持ちになってきます。結局わたしが悪いのか、と感じます。
実際には、そうではないわけです。イエスさまは、そのことをよく知っておられるのです。悪霊と呼ばれる何かにせよ、病気にせよ、それが取り除かれたら、その人は健康になり、元気になるのです。
人間自身は、本来的に善きものなのです。悪いのは病気なのです。この理解が非常に大切です。
ですから、わたしたちも、「病気よ、出て行け」と言ってよいのです。苦しんでいる人々に向かって、追い討ちをかけるべきではないのです。
「日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た。イエスはその一人一人に手を置いていやされた。悪霊もわめき立て、『お前は神の子だ』と言いながら、多くの人々から出て行った。イエスは悪霊を戒めて、ものを言うことをお許しにならなかった。悪霊は、イエスをメシアだと知っていたからである。 」
カファルナウムで、イエスさまは、多くの人々の病気をいやされました。そのようにして、多くの苦しむ者たちを助けてくださいました。
今日の個所に記されている、イエス・キリストが“苦しむ者をお助けになる”方法には、大きく分けて、二つの要素があると言えます。
第一の要素は、御言(みことば)を語られることです。権威ある御言によって、悪霊や病気を、その人の中から追い出されるのです。
第二の要素は、「一人一人に手を置くこと」です。その人の体に直接御自身の手で触ってくださるのです。
わたしたちも、「病気の手当てをする」と言います。「手を当てること」こそが、手当てである、ということは何となく分かります。
シモンのしゅうとめの場合も、イエスさまが彼女にさわっておられます。
ルカは書いていませんが、マタイは、「イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした」(マタイ8・15)と書いています。
マルコも、「イエスがそばに行き、手をとって起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした」(マルコ1・31)と書いています。
少しずつ違っています。しかし、大切な点は、イエスさまの体が、シモンのしゅうとめの体のどこかに触れていることです。
これから先、わたしたちは、ルカによる福音書をずっと学んでいきますが、お気づきになるであろうことは、この「ふれあい」の場面が何度も出てくる、ということです。
ルカだけではなく、マタイにも、マルコにも、たくさん出てきます。じつは、この「ふれあい」が、イエスさまのみわざの性質を正しく理解するために非常に重要なキーワードである、と語ることができます。
それは何なのかを、今ここでズバリと語ることは、難しいのでやめておきます。時間をかけて少しずつお話ししていきます。
しかし、この「ふれあい」こそが、イエス・キリストというお方を正しく理解するために、また聖書の福音そのものを正しく理解するために、間違いなく重要な点であるということを指摘しておきたいと思います。
ただ、一つの点だけ語っておきます。
ここには、明らかに、物理的・精神的な“距離”の問題がある、ということです。“距離感覚”の問題、と言ってもよいかもしれません。
もしイエスさまが用いられる手段が、本当にただ「御言」(みことば)だけであるというならば、その御言を書き記した手紙ないし書物、たとえば聖書を読んでもらうだけで、とりあえず用が済んでしまうのです。
今では、ラジオとかテレビとかインターネット、電話やファックスなどを使えば、どんなに物理的な距離が離れている人であっても、言葉の内容を正しく伝えることができます。
テレビ電話などを使えば、その言葉を語っている表情まで、リアルタイムで伝えることができます。
しかし、本当にそれだけでよいのでしょうか。決定的に足りないものがあるのではないでしょうか。
一緒にいること、近づいていること。
手と手をつなぎ、体と体がふれあうこと。
現実のこの世界における現実の救いには、必ず、そのような要素が求められるのです。
このあたりのことを考えることができるのが、イエスさまが実践された「ふれあい」という問題です。
これは、非常に興味深い、またある意味で、非常に深刻な問題であると思います。
「朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。群集はイエスを探し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた。しかし、イエスは言われた。『ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。』そして、ユダヤの諸会堂に行って宣教された。」
カファルナウムの人々は、イエスさまには、いつまでも一緒にいてもらいたい、と願いました。当然の気持ちであると思います。
イエスさまに触れていただけば、病気でも何でも治ってしまうというのですから。こんなに有難いことは、他にないわけです。
しかし、イエスさまは、「ほかの町にも」神の国の福音を告げ知らせなければなりませんでした。じつは、ここにも、物理的な“距離”の問題があります。
他の町にも行かなければならないとイエスさまがおっしゃるのは、そこに行かなければ、その町の人々に“触れる”ことができないからです。
そのため、イエスさまのおっしゃる「神の国の福音を告げ知らせる」は、ただ言葉だけによるものではない、ということが確認される必要があります。
言葉の大切さについては、どれだけ強調しても足りないくらいです。しかし、繰り返すようですが、言葉だけならば、書物を配布すればよいのです。
メールを書いて送れば済むのです。
しかし、あれほどまでに手紙をたくさん書いたパウロでさえ、「何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるようにと、願っています」(ローマ1・10)と書きました。
物理的な移動の必要性を訴えたのです。
言葉だけでは、どうしても伝わらないものがあるからです。
言葉だけでは、じつは、“救い”も起こらないのです。
(2005年1月30日、松戸小金原教会主日礼拝)