ルカによる福音書5・27〜32
関口 康
今日は、短く一段落だけをお読みしました。しかし、ここには、非常に多くの学ぶべき内容が語られていると感じます。
イエスさまが伝道活動を開始されてまもなくして取りかかられた、最も大きな仕事の一つは、御自身の弟子を集めることでした。
イエスさまが最初に伝道活動の拠点を据えられたのは、ガリラヤ湖にほとりに位置するカファルナウムという町でした。
その町で、イエスさまは最初の弟子シモン・ペトロとその兄弟アンデレ、またシモンの仲間であるゼベダイの子ヤコブとヨハネを弟子にしました。彼らは皆、ガリラヤ湖で仕事をしていた漁師たちでした。
しかし、イエスさまは、その後、この町から出て行かれます。27節に「その後、イエスは出て行って」と書いてあるとおりです。
何のために、イエスさまは、カファルナウムから出て行かれたのでしょうか。そのことが、次のように書かれています。
「その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。」
イエスさまがカファルナウムの町から出て行かれた目的は、レビという徴税人を弟子にするためでした。そのように言うと、少し変に思われるかもしれません。しかし、ぜひ次のようにも考えてみていただきたいのです。
カファルナウムは漁師の町でした。そのため、もしイエスさまが、伝道活動の最初から最後までずっとカファルナウムに留まり続けられたならば、イエスさまの弟子になる人々の多くは、もっぱら漁師とその家族、またその関係者に限られたのではないでしょうか。そんなふうにも考えることができるのです。
それが悪いと言いたいわけではありません。しかし、おそらく、イエスさま御自身が、漁師だけではなく、他の仕事をしていた人々をも、弟子に加えたい、と願われたのです。そのために、イエスさまは、カファルナウムを出て行かれたのです。
レビは徴税人でした。徴税人とは、どのような仕事であったかについては、後ほどご説明いたします。
それよりも前に、今申し上げておきたいことは、このレビこそが、わたしたちが持っている新約聖書の最初の書物であるマタイによる福音書を書いたマタイその人である、という事実です。
レビはマタイのことです。ですから、この人がイエスさまの弟子になったことは、その後じつに二千年間にわたるキリスト教会の歴史の中で、最も重大な出来事の一つであった、と語ることができるのです。
そのレビが収税所に座っているのをイエスさまがご覧になり、「わたしに従いなさい」と言われたところ、レビは「何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った」とあります。
レビは何を捨てたのでしょうか。もちろん、自分の仕事です。また、自分の立場や地位というべきものです。
イエスさまとの出会いが、彼の人生を変えました。それまで持っていたすべてのものを捨てることを、決心することができたのです。
「そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。」
レビは、イエスさまの弟子にしていただいたことを、本当に心から喜んだのでしょう。自分の家でイエスのために盛大な宴会を催しました。パーティーを開いたのです。
そして、そのパーティーには、当然のことながら、彼の徴税人仲間や他のたくさんの人々が集まってきました。
今わたしは「当然のことながら」と申しました。その意味は、レビがイエスさまの弟子になる前に徴税人だったから、ということだけです。昔からの仕事仲間が集まってきた、ということでしょう。
しかし、もう少しよく考えてみますと、はたしてこれが本当に「当然」と言えることかどうかには、微妙な問題も含まれているように思われます。
と言いますのは、レビが開いたパーティーは、イエスさまの弟子になったことをお祝いするためのものだったわけです。そうであるならば、そこに集まったレビの徴税人仲間は、はたして、そのお祝いの趣旨や意味をどれくらい正しく理解し、また、彼ら自身の喜びとすることができたのだろうか、ということについては、いくらか疑問が残るからです。
だって、そうではありませんか。
たとえば、わたしたちがイエスさまの弟子になるということは、具体的に言えば、洗礼を受けることです。あるいは、幼児洗礼を受けている人にとっては、信仰告白をすることです。あるいは、もっと直接的な意味で、教会の伝道者になるとか、牧師になる、というような場面のことを、思い起こすことができるわけです。
そのことを、わたしたち自身は、喜ぶでしょう。そして、わたしたちよりも前にイエスさまの弟子になった人々も、喜んでくれるでしょう。
ところが、まだイエスさまの弟子になっていない人々が、わたしたちがそうなったことを、本当に心から喜んでくれるでしょうか。
たとえば、わたしたちが洗礼を受けたときに、教会はお祝いします。それはわたしたちにとっては、非常に「おめでたい」ことですから。
しかし、たとえば、みなさんの中でどなたか、ご自分が洗礼を受けられたときに、教会以外の場所で、親戚や友人を集めてパーティーを開きました、とおっしゃる方がおられるでしょうか。そういう例は、あまり無いように思います。
開いてはならない、とか開く必要はない、という話ではありません。開くことができるなら、素晴らしいことです。しかし、実際には、そのような例は、ほとんどありません。それが、わたしたちの悲しい現実なのです。
ところが、レビは、そのような人々を集めることができたのです。これは、一つの才能であると思われてなりません。
しかしまた、ここでちょっと、思わず考え込んでしまうことがあります。それは、それでは、その日、レビが開いたパーティーに集まってきた人々の目的は何だったのだろうか、という点です。
彼ら自身もイエスさまの弟子の中に加えられた、という話ならば納得できます。しかし、そのようなことは、どこにも書かれていませんし、どうやらその様子は無いのです。
だとすれば、残されている可能性として考えられることが、三つほどあります。
第一の可能性は、彼らは、とにかく、とても義理堅い人々であった、ということです。仲間の誘いとあらば、そのパーティーの趣旨や内容は何であれ、とにかく必ず参加する、という人々であった、ということです。
第二の可能性は、こんなふうなことかと想像できます。レビは、かつての仕事仲間の中では、ボス格の存在であった。かつてのボスの命令に、子分たちは逆らえなかった。そういうこともありうると思います。
第三の可能性は、こうです。彼らは、単純にパーティーが好きだった、ということです。いわば、そこに出てくるごちそうやお酒だけが目当てだった。趣旨や内容などは、どうでもよい。主役さえ放ったらかし。とにかく、ただ自分たちが楽しければよい。そのような人々も、この世の中には、たくさんいます。
どの可能性が事実により近いかについては判断できませんし、もっと別の可能性があるかもしれません。
しかし、そのような判断よりも、興味深いことがあります。
それは、いずれにせよ、レビは、このようなタイプの人々を、自分がイエスさまの弟子になった、というそのことをお祝いするためのパーティーに“誘うことができる”、という独特の才能をもっていたのだ、ということです。
なぜ、このことが、わたしたちにとって興味深いことなのでしょうか。これを、わたしたち自身のこととして考えてみれば、分かるはずです。
おそらくレビは、この後、イエスさまの弟子として活躍するようになってからも、イエスさまが来てくださる集会に、そのような人々を再び誘うことができたに違いないのです。
そういう人々を集めてくることが、レビにはできたのです。これは、一種の才能なのです。わたしたちも、大いに見習わなければならないところではないでしょうか。
しかし、です。わたしたちは、ここまで来て、おそらく、ちょっと立ち止まりたくなるのだと思います。あるいは、ここまで来て、何か腑に落ちないものを感じはじめるのだと思います。
「ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。『なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。』」
「オイオイ、ちょっと、あなたたち、今行っているパーティーは、何の集まりなのかね?」と問いかけてくる人々がいました。それは、ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちであった、と紹介されています。
たしかに、その日のパーティーは、そのように人から言われたり、見られたりしても、おかしくないような人々の集まりだったのかもしれません。
問題は、徴税人の仕事とは、どのようなものであったか、です。これは、わりとよく知られた話です。
当時のユダヤの国は、ローマ帝国の支配下に置かれた属国でした。そのため、当然のことながら、ローマ帝国は、ユダヤ人たちから、非常に多額の税金を集めました。
その際ローマ帝国は、ユダヤ人たちから税金を集める仕事をする人々の多くを、ユダヤ人の中から選びました。レビもその一人だったわけです。
しかし、そうなりますと、徴税人たちは、いわば二つの国の橋渡しのような仕事をしていることになるわけですから、当然、非常に微妙な立場に置かれてしまうわけです。
ユダヤ人たちの中にもいろんな立場の人々がいたと言われますが、その中には、自分の国を支配しているローマ帝国を憎んでいる人々もいました。
とくにファリサイ派の人々は、ローマ帝国に対して敵対意識をもっていたと言われています。彼らは、宗教的に熱心な人々でしたから、ユダヤの国がローマ帝国の支配下から解放され、宗教的な自立を取り戻し、ユダヤ教の純粋性を回復したいと願っていました。
その人々からすれば、徴税人は、ローマ帝国に収める税金を集めるなどという、およそ許しがたい、けしからん行為をしている人々である、ということになるわけです。
また、徴税人の側にも問題があった、と言われます。
ローマ帝国に収める税金を集める際に多くの中間的な手数料を取り、それによって私財を肥やすこともしていたようです。そのようなことができる、ある種の特権を手にしていた人々である、と見ることができるのです。
そういうわけですから、その日、レビの家に集まっていた人々は、見る人によっては、もう本当に許しがたい、付き合いたくない、心から憎しみを感じるような人々でもあった、ということになるのです。
だからこそ、ファリサイ派の人々は、言いました。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか」と。
「イエスはお答えになった。『医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。』」
今日のわたしの話の中に、イエスさま御自身は、あまり登場しなかったかもしれません。しかし、決して忘れていたわけではありません。
レビの家の集まりの真ん中に、イエスさまがおられました。そして、その盛大な宴会を、イエスさま御自身も、心から楽しんでおられたのです。
ただ、イエスさまは、先ほどのファリサイ派の人々のような見方やその視線を、ご存じなかったわけではありませんでした。
言うならば、当然、そのように見られること、批判されることを承知の上で、覚悟の上で、イエスさまは、レビの家に入り、レビの徴税人仲間たちの真ん中で、和気藹々と、楽しいひとときを過ごしておられたのです。
ですから、イエスさまがしておられることは、ある意味で、挑戦であったということができるでしょう。
たとえば、日本の教会、わたしたちの教会の中で、わたしたちがごく普通の、というか率直な感覚として、牧師さんや長老さんたちには、ああいうところには、あんまり出入りしてもらいたくないなあ、と感じるような場所は、どこでしょうか。具体的な例を挙げていくと、必ずいろいろと語弊が出てきますので、やめておきますが。
たとえば、そういうところに、です。イエスさまが、どんどん遠慮なく入っていかれる。
そして、そこにいる人々と楽しく飲み食いしている。
そういうときには、わたしたちでも、ちょっと嫌な気持ちが起こってくるかもしれないのです。
しかし、それは、少なくともイエスさまの場合には明確な目的がおありになる、ということです。
ミイラ取りがミイラになりに行くためではありません。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」
ひたすら、このことのためです。
どちらかといえば、火中に栗を拾いに行くためである、と言うほうが当たっています。危ない橋を渡る、という面もあります。
それくらいのことをしなければ、ひとりの人を罪の中から救い出すことができない場合があるのです。
イエスさまがレビを弟子にされたことも、おそらく、そのためです。はっきり言って、レビは、ややアヤシイ人脈を持っている人でした。彼らの中にも、福音の種を蒔きに行くためです。
そのようなアブナイことは誰にでもできることではないかもしれません。
しかし、伝道には、この種の冒険や挑戦が伴うことも、ありうるのです。
(2005年2月20日、松戸小金原教会主日礼拝)