2017年8月2日水曜日

真に突き抜けた人は謙虚だ

もちろん「教会」こそがお互いの学歴の自慢大会の場になっていたりする現実も、私はよく分かっています。「くっだらないなあ」と内心ではいつも思っていますが、いちいち目くじらを立てずに適当にお付き合いしています。でも、その自慢大会の中で傷ついている教会員がいることを絶対に忘れないように。

それに、大学でも高校でも「学校」には必ず多くの卒業生がいます。自分だけが卒業したわけではなく非常に多くの「自分と同じ学歴」の人々がいます。自分の学歴を卑下することは「自分と同じ学歴」の人々を貶め、傷つけることを意味します。そういうことを牧師や神学生が率先してすべきではありません。

私は「学歴コンプレックス」は全く持っていませんよ。だって、そういうのを競うレースから降りたのですから。競い合っている人たちを軽蔑するつもりはありませんが、降りる権利がある。マウンティンガー・ゼットみたいな人から距離を置く自由がある。パラダイムシフトですよ。世界が別様に見えますよ。

ここから先は言いにくいことですが、ポスドクで仕事がなくて高校に教えに来る非常勤の先生がたがいますが(聖書科ではない)、生徒の評判が良い先生も良くない先生もいる。自分の学歴を鼻にかけているのが伝わってしまう先生は後者(評判悪い)。そういうオーラを全く感じない先生は前者(愛される)。

今書いたことで私が言いたいのは「学歴コンプレックスを持っていないこと」と「自分の学歴を鼻にかけること」は全く違うことだ、ということです。その違いを説明するのは難しいことですけどね。私が生徒から愛される教員だったとは思いませんが、「どういう先生は嫌われるか」だけはよく分かりますよ笑

すでに始まっていると思いますが、予備校は消滅する可能性があるでしょう。そうでなくても少子化で、大学全入時代で、しかもネットが発達してきて、予備校に行ってもどのみちビデオ講義で、それと同じネット環境が各自宅に完備されている時代ですから。予備校の「功罪」が問われる日が来るでしょうね。

予備校の先生がたを傷つける意図で書いていることではありませんので悪く思わないでくださいね。というか、ご自分たちがいちばんよく分かっておられることだと思う。だって賢い方々だもの。学校の先生がたも同じ。賢いから先生してるんでしょ。自分の道は自分で切り開けよと、周りの人は思ってますよ。

まあ、ここから先は暴言のたぐいですが、中途半端な人がいちばん人を見くだしますよね。自分よりほんの少しでも劣っていると見える(主観の問題)人を見さげ続けることで自分の位置を確認し続けるというか。自信の無さがよく表れている証左じゃないですかね。真に突き抜けた人はそんなことしませんよ。

そう。そのマーチ、マーチのオンパレード。ひとくくりにしすぎですよねえ。MARCHの一校一校ゼンゼン違うだろうと思う。33年前に私がレースから降りた理由も「医学部」か「法学部」かどちらか選べというような進路指導の声を耳にしたから。何それと思った。偏差値教育の空虚さをそれで察知した。