2017年8月24日木曜日

「人生の微分」なら実践している

「美肌効果抜群コラーゲンたっぷりとろとろ牛すじカレー」製作中(8月22日)

字にするのも恥ずかしいが、私は小学生の算数から学習障害だったかと思うほど苦手だった。中学以上の数学はからきし。私は「微分」の数学的意味をいまだに説明できない。しかし「人生の微分」は実践している。千円で10食分の極上カレーをグレードを落とさずに作るにはどうしたらよいかを考えている。

過日ツイッターで「算数の掛け順」にこだわる教育が算数を苦手にするという話題を見かけた。それで思い出したのが、小1の算数でそれをやられたことだ。45年前だ。「解き方を黒板に書け」と言われて書いたら「掛け順が違う」と言われた。そのとき先生に反論した記憶がある。結果は同じじゃないかと。

もちろん先生は、小1の私の反論などまさか受け付けるはずはなかった。みんなの前で叱られた。そのときの問題までは覚えていないが、たぶん「8×5=」と「5×8=」の答えは同じだからどっちでもいいだろと言うに近いことを言い張った気がする。ただ叱られて凹まされた。爾来、算数が苦手になった。

今さら「掛け順論争」に参戦したいわけではないし、強いて言えばなぜ私が算数も数学も苦手なのかの言い訳をしたいだけだが、それもどうでもいい。それより言いたいのは「すべての道はローマに通じる」という格言に近い。真理への経路は一つでなくいくらでもあるし、どんなに大回りしても構わないのだ。

数学ができる人をうらやましいと思っている。たとえすべての道がローマに通じているとしても、だからといって私はどこに行くにしても、そこまでの最短ルートを知りたくないと思っているわけではない。バスや電車やガソリンをいかに安く済ませ、かつ遅刻しないように渋滞しにくい道はどこかを知りたい。

私にとってはまるきりブラックボックス以外の何ものでもないパソコンにしても、かつてとは比較にならないほどの速度の演算や大容量の記録装置のお世話になっているのはひとえに数学ができる人たちのおかげであることも分かっている。いくら感謝してもしきれない。批判や皮肉など言う意図は皆無である。

しかし、それはそれだ。最短ルートを知り、最小コストで最速・最大のパフォーマンスを期待することは素晴らしいことだが、何がなんでもその道でなければ「ローマ」(カギカッコをつけておくとする)に辿り着けないわけではない。のんびり行きたい人も、そもそも行かない人もいるし、いてもよいはずだ。

あとは、そうねえ、昔の話なのか今も同じなのか、地方の学校だったからか都会の学校も同じなのかは私にはよく分からないが、「数学ができる人」と「頭がいい人」[ママ]がほぼ常に同義語として語られていた(私の偏見ではないと思う)のが、いちいち気に障るものがあった。黙っているしかなかったが。

私の書き込みが「妙に細かい」ことを懸念してくださる方々がおられる。今日は牛肉が100グラム98円だとか、鶏むね肉なら100グラム50円台で買える日があるとか。「人生を微分する」とはこれだと思っている。「神の御心」を語る人間だからこそ、人生には「細部」があると、あえて言いたくなる。