講演「ファン・ルーラー研究の過去・現在・未来」 |
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(2015年3月9日、アジア・カルヴァン学会、日本カルヴァン研究会合同講演会、青山学院大学)
関口 康
序
このたびは、ファン・ルーラーについての講演の機会を与えていただき、感謝いたします。
私はこれまでに、日本カルヴァン研究会[1]では「新約聖書は旧約聖書の巻末語句索引か――ファン・ルーラーがカルヴァンから学んだこと」[2]という研究発表をしました。アジア・カルヴァン学会[3]では、「ファン・ルーラーの三位一体論的神学における創造論の意義」[4]という研究発表をしました。
日本基督教学会関東支部会[5]で「A. A. ファン・ルーラーの『差異論』の動機:キリスト論と聖霊論の関係」という研究発表をしました。2013年と2014年、鈴木昇司先生が、担当しておられる立教大学の全学共通カリキュラムの宗教改革史講義[6]に、ゲストスピーカーとして私を招いてくださいました 。講義のテーマは「現代プロテスタント神学の一断面」でした。神学全体(聖書神学、歴史神学、組織神学、実践神学)における組織神学の位置を説明する中でカール・バルトとファン・ルーラーの関係を扱いました。2013年度の聴講生は約170名でした。
しかし、講演の経験はほとんどないです。日本基督教団改革長老教会協議会教会研究会[7]で「ファン・ルーラーにおける人間的なるものの評価」[8]という講演をしました。先月、思想とキリスト教研究会の講演会[9]で「ファン・ルーラー研究の意義」という講演をしました。
雑誌やブログに書いてきたことを含めて、講義であれ、研究発表であれ、講演であれ、その内容は私の中ではすべてつながっていることですので、そのうち本にしなければという思いがないわけではありません。しかし、それは容易なことではありません。
1999年2月20日に友人数名と共に結成したインターネットグループ「ファン・ルーラー研究会」は2014年10月27日に解散しました。解散時の会員数は108名でした。15年半で得た成果は、日本語で読めるファン・ルーラーの研究文献が増え、彼の知名度が日本で高まったことです[10]。研究会の解散は研究の終わりを意味しません。我々はこれまでの成果を発展させる形でこれからも研究を継続します。
本講演の目標は、日本でファン・ルーラー研究を志す人(もしそういう人がいれば)にとって有益な情報を提供することに絞ります。とくに主眼をおきたいのは「日本において」という点です。
Ⅰ 世界のファン・ルーラー研究の「過去」
本講演のテーマ「ファン・ルーラー研究の過去・現在・未来」は野村信先生のご指示に従ったものです。しかし、「日本において」を主眼点に置くにしても、ファン・ルーラー研究の出発点は日本国内ではありませんので、まずは世界の流れから見ていきます。
世界のファン・ルーラー研究の流れを知るための必携書は、ユトレヒト大学図書館発行『ファン・ルーラー教授文庫総目録』(1997年)[11]です。ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])が遺した全著作(論文、説教、エッセイなど)および過去のファン・ルーラー研究のタイトル、初出年月日、掲載個所、原稿形式(手稿、タイプ稿など)を記した全297頁の目録です。
『総目録』の巻頭付録に「ファン・ルーラー教授略伝」があります。それによると、アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラーは、1908年12月10日、オランダのアペルドールンに生まれました。パン配達業の父の長男として生まれ、家族と共に幼少期から地元のオランダ改革派教会(Nederlandse Hervormde Kerk)に通い、地元のギムナジウムを卒業後、フローニンゲン大学神学部で学びました。
大学卒業後、オランダ改革派教会の二つの教会(クバート、ヒルファーサム)の牧会経験を経て、ユトレヒト大学神学部の「オランダ改革派教会担当教授」に任命されたのは1947年です。神学博士号請求論文『律法の成就』のサブタイトルが「啓示と存在の関係についての教義学的研究」[12]であるように彼の主専攻は教義学ですが、ユトレヒト大学神学部で教えたのは、教義学だけでなく、キリスト教倫理、オランダ教会史、信条学、礼拝学、教会規程など幅広いものでした。
政治に対する著作や発言も多く、キリスト教政党「プロテスタント同盟」(Protestantse Unie)の結党趣意書を起草する役割を担いました。1970年12月15日に62歳で現職のまま心臓発作で突然死去するまでの23年間、教会、大学、ラジオ、書斎、家庭内から、オランダ国内外の教会と社会に大きな影響を及ぼしました。
著作を通しての影響力は、今日に至るまで持続しています。2007年からオランダで新しい『ファン・ルーラー著作集』(dr. A. A. van Ruler Verzameld Werk)の刊行が始まりました。彼の存在と神学が決して忘れ去られていないことを物語る巨大な規模の著作集です。現在第4巻まで配本されています。全巻揃えば、おそらくカール・バルトの『教会教義学』と同規模かそれ以上の頁数になりそうです。
ファン・ルーラーについての博士論文は、1960年代から書かれ始めました。『総目録』(1997年)に記載されているのは9作ですが[13]、1997年以降も書かれています[14]。博士論文の著者の国籍はオランダ、ドイツ、アメリカ、南アフリカ、ナミビアと広範囲です。その中には自国で神学教授として活躍した人が多くいます。組織神学の観点からだけでなく、宣教学や牧会学や礼拝学の観点からの取り組みが多くあります。あるいは他の著名な神学者(F. D. E. シュライアマッハー、アブラハム・カイパー、パウル・ティリッヒ、ユルゲン・モルトマンなど)との比較においてファン・ルーラーの神学の特質を明らかにしているものがいくつかあります。カトリック神学者による博士論文もあります。
博士論文以外にも多くの研究書がファン・ルーラーの神学のために献げられました。またユルゲン・モルトマンやルードルフ・ボーレン、最近はアブラハム・ファン・ド・ベークやヘリット・イミンクら世界的に著名な神学者が、自身の著作の中でファン・ルーラーの存在と神学を高く評価しています。2008年12月10日、ファン・ルーラー生誕100年を記念してアムステルダム自由大学で「国際ファン・ルーラー学会」が開催され、約200名の研究者が集結しました[15]。日本人3名が出席しました。
Ⅱ 日本のファン・ルーラー研究の「過去」
しかし、日本の状況は全く異なります。日本の「過去」にファン・ルーラー研究と呼べるものは、ほとんどありません。かろうじてあったのは、ファン・ルーラー言及です。多いとは言えませんが、時々言及されました。しかし、残念なことに、そのいくつかはファン・ルーラーのテキストを読んでいないことがはっきり分かるファン・ルーラー批判です。以下、二つの例を挙げておきます。
第一の例は、岡田稔著『改革派教理学教本』(新教出版社、1969年)です。これは日本の教義学書としては初めてファン・ルーラーの存在と神学に言及された記念すべき一書です。岡田先生はキリストの昇天についてのファン・ルーラーの教説へのG. C. ベルカウワーの批判を、ベルカウワーの教義学研究シリーズ『キリストのみわざ』(1953年)[16]英語版(1965年)に基づいて紹介しています。しかし、ファン・ルーラーのテキストへの言及は、見当たりません。
「ベルカワーは、バン・ルーラーがキリストの昇天を改革派神学者はキリストの地上教会からの分離として考えると説くことに対して、必ずしもそれのみを高調してはいない。たとえば、カルヴィンはキリストが去られたことは留まっておられる以上にわれらのためにより大きな祝福だと言っている(…)。彼らは世を去った後決して教会を淋しさの中に捨て置かず、慰め主を送ることを約束された。使徒行伝1章9節の注釈では、ローマ教会の説を反駁して、昇天による分離を主張しつつも、身体で一緒にいなくなっても、交わりは続けると言っておられると説明している。ハイデルベルク信仰問答も同じことを語っている(46、47)。だから改革派神学がアクセントを分離の方へ置くとは言えぬという。…しかしバン・ルーラーの見解はやはりバルト、クルマン、ドッドらの考えに近いところがある。キリストの再臨と共に開始される本当の終末界と、キリストの昇天によって始まるペンテコステ的聖霊活動によるキリストの王国とを二つの円としてとらえると、昇天の真の意味は弱められる。聖霊の救済活動は上げられたキリストが父と共に地上に送られたものと見るコンスタンティノープル信条の追加句(フィリオクエ)の線で理解されねばならぬ」[17]。
この点についてベルカウワーがファン・ルーラーを批判したことは事実です。しかし、言うまでもないことですが、ベルカウワーはファン・ルーラーの論文を読んでいます。ファン・ルーラーが自説の論拠として挙げた聖書やカルヴァンやハイデルベルク信仰問答や他の神学者の発言をすべて調べ、ファン・ルーラーの主張を打ち崩そうとしています。その手続きを経た上でベルカウワーが指摘しているのは、ファン・ルーラーには「フィリオクェ」に対する躊躇(aarzeling)があるという点です[18]。
このベルカウワーの姿勢は尊敬できます。しかも、ここで重要であると思われるのはベルカウワーとファン・ルーラーは所属教派が異なる関係であり、はっきりいえばライバル関係であったことです。年齢も近く、ベルカウワー(1903年6月8日生まれ)とファン・ルーラー(1908年12月10日生まれ)は5歳差です。ベルカウワーはGereformeerde Kerken in Nederlands(訳せば「オランダ改革派教会」)の教師であり、アムステルダム自由大学神学部の組織神学教授でした。
そのベルカウワーが「キリストの昇天」についてのファン・ルーラーの主張を強く批判し、さらに「フォリオクェ」への躊躇を指摘するために、自身の主著である教義学研究シリーズの一冊のなんと11頁分を献げています。ベルカウワーの当該書『キリストのみわざ』出版年が1953年であることから推察できるのは、当時50歳のベルカウワーが、45歳のユトレヒト大学神学部教授ファン・ルーラーの影響力に強い警戒心を持っていたのではないかということです。
しかし、仮に百歩譲ってファン・ルーラーが「フィリオクェ」に「躊躇」を持っていたことは否定できないとしても、だからといってベルカウワーの側の意見だけを紹介して済ませるのは、フェアではありません。しかも、岡田先生がしているのは、ベルカウワーの著作の英語版からの孫引きです。ベルカウワーが「躊躇」(aarzeling)という表現でファン・ルーラーに敬意を表している(と私には読める)ニュアンスが汲み取られていません。
しかし、岡田先生の読者にとってファン・ルーラーは、ニカイア・コンスタンティノーポリス信条とカルヴァンとハイデルベルク信仰問答から逸脱し、バルト、クルマン、ドッドの考えに近い人です。
第二の例は、佐藤敏夫著『救済の神学』(新教出版社、1987年)です。これは日本の教義学書としては初めてファン・ルーラーについての独立したパラグラフが設けられた記念すべき一書です。しかし、そのパラグラフのタイトルは「ヴァン・ルーラーの行き過ぎ」[19]でした。
「こういう問題との関係において、一つの問題提起をしているとみられるのは、ヴァン・ルーラーである。彼にとって終末は創造の完成ではなく、原初的完全の回復にすぎない。この原初的完全は罪によって失われている。キリストはこの原初的完全を回復するために来たのである。…しかし、ヴァン・ルーラーにとって、キリストにおける神という特殊な形態は、あくまで罪という事態に対する緊急措置(Notmaßnahme)である。キリスト教もまた同様に緊急措置である。文化にキリスト教の刻印が押されていることが問題ではなく、原初的完全の回復としての栄光の王国が問題である。したがって、終末と共にキリストの役割は終わるのである。…さしあたりそれは個人主義的な偏向とは反対のもう一つの極端であることを、指摘しなければならない。ここでは、キリストの十字架は神の国の陰にかくれてしまっていると言ってよい。そして神の国、永遠の王国、フマニテートという概念が前面に出る。たしかに福音の主題は神の国とされているが、キリストの到来は罪のための緊急措置にすぎなくなっている」[20]。
佐藤先生はかろうじてファン・ルーラーのドイツ語版の論文から引用した一文を添え、当該論文のタイトルを第2章注8に記しています。この点はファン・ルーラーのテキストに全く触れないで批判する岡田先生よりは、まだましです。しかし、その文章の引用個所の頁番号の明示はなく、代わりに「ヴァン・ルーラーの著作の多くはオランダ語で、ドイツ語版は多くはない。なお、これについてのモルトマン、H. ベルコフらのコメントがある」[21]と書いておられます。しかし、佐藤先生は「これについてのコメント」をモルトマンやヘンドリクス・ベルコフがどこに書いているのかを明示していませんので、検証のしようがありません。容易に推測できるのは、佐藤先生のファン・ルーラー批判はモルトマンやベルコフからの(引用元不明の)孫引きだろうということです。
しかも、佐藤先生が書いておられることは正確ではありません。ファン・ルーラーが主張したのは「終末と共にキリストの役割は終わる」ではなく「終末においてキリストの受肉は解消されるだろう」ということです。それは異なる命題です。こういうこともファン・ルーラーのテキストに取り組めば分かることです。あるいは逆に、もし二つの命題を同一視しなければならないとしたら、キリストの役割は受肉だけなのかという問いが残ります。しかし、佐藤先生の読者にとってファン・ルーラーは「行き過ぎた神学者」のラベルが貼りついたままです。
いま申し上げていることを、私はずっと前から考えてきました。どうして日本の神学者はファン・ルーラーを、読みもしないで批判するのかが疑問でした。そしてその疑問を抱いていた頃に(それは1993年です)、近藤勝彦先生の『歴史の神学の行方』(教文館、1993年)を読みました。
「彼(ファン・ルーラー)の神学思想についての研究書や学位論文がオランダではすでに幾つかあるようであるが、それらも多くは手にいれるに困難な状況である。そこで、ここでは敢えて限られた文献によって論ずることにならざるを得ない。本格的なファン・リューラーの研究、あるいはさらに本格的なオランダ神学の研究が、将来に起きることを期待したい。本論文は、そのための一つの刺激となり得れば、大変幸いなことであると思っている」[22]。
私は当時、この近藤先生の提案に心から賛同しました。新しい神学的ミッションの遂行が必要だと思いました。そして近藤先生が「将来に起きることを期待」している「本格的なファン・リューラー研究、あるいはさらに本格的なオランダ神学の研究」に、もし可能なら、私が取り組まなければならないと考えました。それが1993年です。また、別ルートで、やはり同じ1993年に高崎毅志先生から「ファン・ルーラーの神学を勉強しろ。神戸の牧田吉和先生から教えてもらえ」と励まされました。しかし、近藤先生が「困難」を訴えておられるほどのことをすぐに実現できるとは思いませんでした。
1997年4月から1998年6月までの1年3ヶ月間、私は神戸改革派神学校に入学し、牧田吉和先生と市川康則先生から「改革派教義学」のすべて(序論、神論、キリスト論、救済論、教会論、終末論)を学びながら[23]、牧田先生のご指導のもとファン・ルーラーについての卒業論文を書きました。そして上記の新しい神学的ミッションに取り組むことを決心した1993年の6年後、1999年2月に「ファン・ルーラー研究会」が生まれました。オランダ語のテキストを読むことにこだわり抜いた研究会でした。
語弊を恐れず言えば、日本における「本格的な」ファン・ルーラー研究は、1999年の研究会結成と共に始まりました。上に縷々述べたことも、岡田先生や佐藤先生への個人的な苦言ではありません。私の意図は、神学研究におけるフェアネスはどうすれば確保しうるのか、テキストを読まないで批判する人々のアンフェアな姿勢をどうすれば正すことができるのかについてのささやかな問題提起です。
Ⅲ ファン・ルーラー研究の「現在」と「未来」
「現在」と「未来」の話をする時間がほとんど無くなりましたので、一括してお話しいたします。しかし、正直に言えば、話すことがないのです。とくに「日本において」は、ファン・ルーラー研究の「現在」も「未来」も、だれからもどこからも与えてくれはしないということです。「未来」があるかどうかの一切はファン・ルーラーのテキストを読むことにかかっています。そして、それが日本語に訳されるなり、日本語の研究書が多く出版されるなりすることが必須の前提条件です。
しかし、彼の文章を日本語に翻訳するためにはオランダ語の知識があるということだけでは済まず、神学の基礎を学び、さらに改革派教義学や信条学やオランダ教会史などを学ぶ必要があります。そうでないかぎり、彼のテキストは全く理解できません。それはオランダ語のハードル以上です。
私が最も期待しているのは、オランダのアペルドールン神学大学に2008年から2013年まで留学し、ファン・ルーラーとノールトマンスについてオランダ語で書いた修士論文で「最優秀賞」(Cum laude)を受賞して(これは日本史的快挙です)帰国した石原知弘先生の存在です。石原先生(1973年、岡山生まれ)は現在、日本キリスト改革派園田教会牧師で、神戸改革派神学校の組織神学(改革派教義学)非常勤講師です。石原先生にもっと研究に集中できる時間を差し上げることができれば、石原先生を軸にして日本のファン・ルーラー研究は大きく回転し、飛躍的に前進していくでしょう。
青山学院大学 青山キャンパス(東京都渋谷区渋谷) |
[1] 第21回例会、2012年6月25日、青山学院大学青山キャンパス。
[2] この講演を基にして書いたのが、関口康「新約聖書は旧約聖書の『巻末用語小辞典』か―旧約聖書と新約聖書の関係についてのA. A. ファン・ルーラーの理解」『改革派神学』第39号、神戸改革派神学校、2012年、95頁~109頁です。
[3] 第9回講演会、2013年3月11日、立教大学池袋キャンパス。
[4] 2014年度例会、2014年3月14日、東京女子大学。
[5] 2013年度「キリスト教の歩み」、2014年度「キリスト教と思想」。
[6] 2013年6月27日、7月4日、池袋キャンパス。2014年6月26日、新座キャンパス。
[7] 第8回研究会、2008年6月30日、日本基督教団洗足教会。
[8] この講演を基にして書いたのが、関口康「ファン・ルーラーにおける人間的なるものの評価」『季刊教会』第73号、日本基督教団改革長老教会協議会、2008年、10~18頁です。
[9] 2015年2月16日、日本キリスト改革派東京恩寵教会。
[10] 別紙「日本語で読めるファン・ルーラー研究文献リスト」を参照してください。ファン・ルーラー研究会を結成した1999年頃は、日本語で読める研究文献はほとんどありませんでした。
[11] Inventaris van het archief van prof. dr. Arnold Albert van Ruler [1908-1970], Utrecht Universiteitsbibliotheek, 1997.
[12] A. A. van Ruler, De vervulling van de wet: Een dogmatische studie over de verhouding van openbaring en existentie, Nijkerk, 1947.
[13] 『ファン・ルーラー教授文庫総目録』(1997年)に記載されている「博士論文」は以下の9作です。
Bernd Päschke, Die dialogische Struktur der Theokratie bei A. A. van Ruler, Göttingen, 1961.
Benjamin Engelbrecht, Agtergronde en grondlyne van die teokratiese visioen: ’n Inleiding tot die teokratiese teologie van prof. A. A. van Ruler, 1963.
J. H. P. van Rooyen, Kerk en staat: een vergelijking tussen Kuyper en Van Ruler, 1964.
A. N. Hendriks, Kerk en ambt in de theologie van A. A. van Ruler, 1977.
Paul Roy Fries, Religion and the Hope for a truly human existence: an inquiry into the theology of F. D. E. Schleiermacher and A. A. van Ruler with questions for America, 1979.
P. W. J. van Hoof, Intermezzo: kontinuiteit en diskontinuiteit in de theologie van A. A. van Ruler: Eschatologie en kultuur, 1974.
J. J. Rebel, Pastoraat in pneumatologisch perspectief: een theologische verantwoording vanuit het denken van A. A. van Ruler, 1981.
L. Westland, Eredienst en maatschappij: een onderzoek naar de visies van A. A. van Ruler, de Prof. Dr. G. van der Leeuw-stichting en de beweging Christenen voor het socialisme, 1985.
Christo Lombard, Adama, thora en dogma: die samehang van de aardse lewe, skrif en dogma in die teologie van A. A. van Ruler, 1996.
[14] 1997年以降に書かれた「博士論文」には次のような作品があります(すべては把握できていません)。
J. M. van ’t Kruis, De Geest als missionaire beweging: een onderzoek naar de functie en toereikendheid van gereformeerde theologie in de huidige missiologische discussie, 1997.
Garth Hodnett, Ontology and the New Being: The Relationship between Creation and Redemption in the Theology of Paul Tillich and A. A. van Ruler, 2000.
Allan J. Janssen, Kingdom, Office, and Church, A Study of A. A. van Ruler’s Doctrine of Ecclesiastical Office, 2006.など。
[15] 「国際ファン・ルーラー学会」(Internationale Van Ruler congres)の講演集が出版されています。
Dirk van Keulen, George Harinck, Gijsbert van den Brink (red), Men moet telkens opnieuw de reuzenzwaai aan de rekstok maken: Verder met Van Ruler, Boekencentrum, Zoetermeer, 2009.
掲載順に、ファン・ド・ベーク、ロンバルト、ファン・デン・ブロム、ファン・デア・コーイ、ド・フリース、ファン・ケウレン、ファン・アセルト、モルトマン、イミンク、ファン・デン・ブリンク、ファン・デン・ヒューベル、オプ・トホフ、ブリンクマン、ジャンセンが寄稿しています。
[16] G. C. Berkouwer, Studies In Dogmatics, The Work of Christ, Eerdmans, 1965, p. 213-222. 原著オランダ語版の当該箇所はG. C. Berkouwer, Dogmatische Studien, Het werk van Christus, J. H. Kok, Kampen, 1953, p. 231-242.
[17] 岡田 稔『改革派教理学教本』新教出版社、1969年、244~245頁。
[18] G. C. Berkouwer, Het werk van Christus, p. 239.
[19] 佐藤敏夫『救済の神学』新教出版社、1987年、53~55頁。
[20] 佐藤敏夫、同上書、同上頁。
[21] 佐藤敏夫、同上書、55頁。
[22] 近藤勝彦『歴史の神学の行方 ティリッヒ、バルト、パネンベルク、ファン・リューラー』教文館、1993年、238~239頁。
[23] 現在刊行中の牧田吉和・市川康則共著『改革派教義学』(一麦出版社)の全内容を、私を含む当時の学生たちは、共著者のお二人から、生で講義していただきました。