昨日(3月16日)、西新井教会の林牧人先生(上)を2年半ぶりにお訪ねしました |
しかし、その私は「ファン・ルーラー主義者」ではありません。「主義者」を名乗れるほど多くのテキストを読んでいませんし、仮にすべてのテキストを読破できても「主義者」になれないでしょう。テキストを忠実に読むことを志す人たちを「主義者」呼ばわりするのは愚かです。研究の妨害さえ意味します。しかし、その私は「ファン・ルーラー主義者」ではありません。
「主義者」にならなければテキストが読めないわけではない。内容に魅了されることはもちろんあります。しかし、神学研究が職務に含まれる者(牧師はそれ。だから牧師志願者は神学全体を履修する)は読書を楽しんでいるわけでもない。砂を噛むようであろうが、読むべきテキストは読まなくてはならない。
昨年10月に解散しましたが「ファン・ルーラー研究会」という名称を考えたのは私です。何度となく「この名称を変えたほうがいいかもしれませんね」と世話人になってくださった方々と相談しましたが、そのたびに「このままでいい」という結論でしたので、私の個人的な趣味や主義の域は超えていました。
しかし、私の自覚は「ファン・ルーラーを研究している」ではなく「組織神学に取り組んでいる」でした。世界でも日本でも無視され、ちょっとでも話題になるや否や、寄ってたかって叩かれるファン・ルーラーを「無視しない」組織神学に取り組むことが日本の伝道と教会形成の益になる、というものでした。
いわばそれだけのことですので、「無視しない」人が増えてくれれば私は別のことを始めます。次は何するかで迷っているのですが、「カール・バルト研究会」は今ちょっとお休みしていて申し訳ないのですが、ほかもいろいろやりたいです。
真面目な話、「ジョン・ウェスレー研究会」は、ぜひやりたいです。