2015年3月17日火曜日

ジョン・ウェスレー研究会はぜひやりたいです

昨日(3月16日)、西新井教会の林牧人先生(上)を2年半ぶりにお訪ねしました
「ファン・ルーラー、ファン・ルーラー」と、18年も言い続けた私です。日本の社会はもちろん、教会ですらほとんど誰も口にしない、たまに言及されても「20世紀最大の神学者」を徹底的に批判した危険人物か、「喜び」を強調するファンタスティックな神学者かという扱いでしかない神学者の名前です。

しかし、その私は「ファン・ルーラー主義者」ではありません。「主義者」を名乗れるほど多くのテキストを読んでいませんし、仮にすべてのテキストを読破できても「主義者」になれないでしょう。テキストを忠実に読むことを志す人たちを「主義者」呼ばわりするのは愚かです。研究の妨害さえ意味します。しかし、その私は「ファン・ルーラー主義者」ではありません。

「主義者」にならなければテキストが読めないわけではない。内容に魅了されることはもちろんあります。しかし、神学研究が職務に含まれる者(牧師はそれ。だから牧師志願者は神学全体を履修する)は読書を楽しんでいるわけでもない。砂を噛むようであろうが、読むべきテキストは読まなくてはならない。

昨年10月に解散しましたが「ファン・ルーラー研究会」という名称を考えたのは私です。何度となく「この名称を変えたほうがいいかもしれませんね」と世話人になってくださった方々と相談しましたが、そのたびに「このままでいい」という結論でしたので、私の個人的な趣味や主義の域は超えていました。

しかし、私の自覚は「ファン・ルーラーを研究している」ではなく「組織神学に取り組んでいる」でした。世界でも日本でも無視され、ちょっとでも話題になるや否や、寄ってたかって叩かれるファン・ルーラーを「無視しない」組織神学に取り組むことが日本の伝道と教会形成の益になる、というものでした。

いわばそれだけのことですので、「無視しない」人が増えてくれれば私は別のことを始めます。次は何するかで迷っているのですが、「カール・バルト研究会」は今ちょっとお休みしていて申し訳ないのですが、ほかもいろいろやりたいです。

真面目な話、「ジョン・ウェスレー研究会」は、ぜひやりたいです。