2015年3月28日土曜日

よく分からない人たち

古本ばかり増え続ける本棚

「牧師さんはしゃべりのプロだと思いますけど」という枕詞をつけたうえで話したことに文句付けられることがたまにありますけど、はて「牧師さん」は「しゃべりのプロ」なんですかね。素朴な疑問。その枕詞を聞くたびに、いやーな気分になるんですよね。はいはい、まあそれでもいいですけどね、ははは。

もう時効なほど昔の話になったので書いていいと思いますが、原稿とか録音とか依頼してくるので受けて書いたりしゃべったりしたら書き直せ録り直せと言われたり、全く違う文章に書きなおされてこれでいいですねとか言われたら「もうしませんので二度と依頼しないでください」と誰でも普通言いますよね。

依頼というのは、そういうものでしょうに。もちろん立場は尊重しますよ。私の書くことしゃべることが違うと思うなら、お気に入りのことを書いたりしゃべったりしてくれる人たちにやってもらえばいいだけのこと。それでいいじゃないですか。でも、そういう態度が気に食わないのか。よく分からないです。

まだいますね、よく分からない人。他人のブログの編集長になっちゃう人。あれは書くべきでないこれは書くべきでない。誤字脱字とか差別語不快語とか事実誤認などの指摘であれば真摯に耳を傾けますが、思想信条レベルのことで編集長のように振る舞われてしまうと、腹は立ちませんが、ひたすら呆れます。

昔は、雑誌や紀要の編集長は大権力者だったかもしれませんけどね。古い感覚なら、苦労して書いた論文やエッセイをあの雑誌あの紀要に載せてもらえて初めてデビューなのかもしれない。でも今は自分のブログに書いてfacebookやツイッターで広報して「いいね」押してもらうほうがよほど名誉です。

ある雑誌(名前は伏せます)は全国の店頭で5冊売れたそうです。作った人たちは「5冊も売れたとも言える」とか苦しいことを言っておられましたが、私はぞっとしました。ブログに書いてfacebookやツイッターで広報すれば、全く同じ内容のものを少なくとも100人200人に読んでもらえます。

ブログに何千万字だか何億字だか書いてもそれがお金になることはありません。でも自費でやるか会費を集めるかして、雑誌の印刷に多額のお金を注ぎ込んで、でも売れず、自宅の倉庫か自室のダンボールの中に眠らせたままであるのと、どっちが得か、よ~く考えてみよう(大昔の欽ちゃんのCMの口真似)。

結局なんなんですかね。「お前がデビューできるかどうかの鍵はおれが握っているんだから、おれの言うこと聞け」みたいなことでも妄想しているのか。要らないし、そういう鍵は。その扉もう開いてるし。というか、そんな扉もうないし。逆に、だれにも読まれない雑誌や紀要に埋もれるほうが、むしろ悲劇。

いま書いているのは喩え話ですからね。比喩の一種です。どの雑誌だろうか、どの紀要だろうかというような詮索は無用です。たぶんすべてハズレです。たぶん知らない方だと思います。だからもう時効だと最初に書いたとおりで、ずっと昔の話ですので、差し障りのない範囲内で書かせていただいたまでです。