2014年11月20日木曜日

ファン・ルーラーという神学者は『知りませんでした』では済まされないほど巨大な存在でした

『ファン・ルーラー教授文庫目録』(ユトレヒト大学図書館、1997年)

オランダの古書店から購入を予定している本(本日支払完了しました)は『アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー教授文庫目録』(ユトレヒト大学図書館、1997年)です。

これが発行された1997年に私も購入しましたので、17年前の購入ということになります。頻繁に利用し、ボロボロになりましたので、2冊めの購入に踏み切ることにしました。

ユトレヒト大学図書館がこの『文庫目録』(1997年)を作成するに至った経緯は、以下のとおりです。

1970年12月15日にファン・ルーラーが突然亡くなりました。62歳の若さでした。ユトレヒト大学神学部教授の現職のままの、心臓発作による、まさに突然死でした。

ファン・ルーラーの死後、彼の書斎に残された膨大な蔵書は、その後約20年間は妻J. A. ファン・ルーラー=ハーメリンク(法学博士、改革派教会長老)が厳重に保存していましたが、1990年代初頭に妻が要介護の状態になった頃、子どもさんたちの手でユトレヒト大学図書館に寄贈されたもの以外は、古書店にほとんど売却することになりました。

しかし、寄贈の際に、ユトレヒト大学図書館の人々が驚愕したそうです。ファン・ルーラーの書斎の中に、非常に大量の未出版の手書き原稿やタイプ原稿が眠っていたことが分かったからです。

それで同図書館は『ファン・ルーラー教授文庫目録』を作成することにしました。この『目録』は出版されたファン・ルーラーの本やパンフレットだけではなく、1990年代になってから「見つかった」未出版の原稿のタイトルと日付と発表場所が分かるように整理してくれているものです。

簡単に言えば「ファン・ルーラーの全著作のカタログ」ですが、それが297ページもあります。それは複数の神学者による巻頭論文や索引等の巻末付録を含むページ数ではありますが、ものすごい量であることは間違いありません。

あえて「権威主義的な」言い方をさせていただけば、ファン・ルーラーは、これほどまで分厚い『文庫目録』を、オランダで古い方から2番めのヨーロッパ有数の伝統校であるユトレヒト大学の図書館が出しているほどの神学者なのです。

日本ではいまだにほとんど名前が知られていないファン・ルーラーですが、「知りませんでした」では済まされないほど巨大な存在だったと、私は声を大にして言わせていただきます。

しかし、これまで日本で「ファン・ルーラー」の名前が知られてこなかったのは、ある意味で当然というか自然のことですので、ほとんどの人が同じです。

それは、当時のオランダでそういう言葉づかいで議論されていたという意味ではありませんが、今ちょうど議論になっている「G(グローバル)型大学」と「L(ローカル)型大学」という話と関連づけることができそうな話です。

カール・バルトの流行は、日本を含めて世界的なものでした。当時の世界トップの(国立大学系の)神学部だと思われたベルリン大学神学部のアードルフ・フォン・ハルナック教授のもとで学んだ一人でありながら、そのハルナックを激烈に批判した新進気鋭の神学者、というような感じの売り込み方がいくらでもできそうな、まさに「G型神学者」がカール・バルトでした。

そのことをバルト自身もかなり意識していたようで、彼の本は、どの国の、どの教派・教団の人でも読めるような内容を目指していたところがありました。だから、どの国でも売れるし、どの教派・教団の人にも読まれました。

しかし、その反面、バルトの神学は「ローカルな局面」(このたび文科省でプレゼンした某氏の言い方を借りれば「Lの世界」)でどの程度通用し、どの程度意味を持つのかということは、本当はもっと問題にされなければならないはずでした。

深井智朗先生が明言しておられましたが、バルトはバーゼル大学神学部の教授になってからは、日曜日は教会に行かなくなりました。日曜日に教会に通わない『教会教義学』(バルトの主著のタイトル)の著者でした。それってどうなのでしょうか。

「Gの世界」では売れるかもしれませんが、各個教会(ローカルチャーチ)での生きた営みのない、抽象的な教会論が展開されていたにすぎないものだ、と言われても仕方ないではありませんか。

しかし、「Lの世界」に徹しようとする神学者の書く本は「Lの世界」の人にしか読まれず、「Gの世界」では読まれない。ファン・ルーラーは「Lの世界」の神学者だったのです。

だから、バルトが売れている間は、日本の人に知られることはありませんでした。

教会が「Gの世界」ばかりを見ている間は、バルトは売れ続けるでしょう。

しかし、そのような教会のあり方が行き詰まったら、その先にファン・ルーラーの神学の需要が起こるでしょう。

私は、その日を待っている最中です。