2014年11月27日木曜日

日記「チャンスというのは自分でつかむものですよ(真顔)」

前に同じようなことを書いたことがあるような気がしますが、まあいつも同じようなことしか書いていませんのでお許しください。

来年50のすっかり老けこんだポンコツなので、「これからの方々への遺言」を書き始めようと、まじめに考え始めています。

何を書こうとしているかというと、まじめなタイトルをつけるとしたら、「論文の発表の仕方」のようなことです。

ただし、一般論ではなく、純粋に私の体験です。

私がこれまで書かせていただいた、まあまあ「学術的な」と評価していただけるかもしれないいくつかの論文が掲載された雑誌や書籍の「共通点」があるのです。

それは「周年もの」か「キリ番記念号」か「○○特別号」です。

(写真の説明:左から)

『三色旗』「特集 オランダ」慶応義塾大学通信教育部、2009年
『改革派神学』「第30号特別記念号」神戸改革派神学校、2003年
『改革派神学』「第34号牧田吉和校長退職記念号」同上、2007年
『改革派神学』「第35号神戸改革派神学校創立60周年特別記念号」同上、2008年
『新たな一歩を カルヴァン生誕500年記念論集』キリスト新聞社、2009年

拙論を掲載・収録していただいた雑誌・書籍に「共通点」があります

要するに「お祭り」に関係あるものばかりです。

これ、けっこう参考になると思うんです。

私みたいに致命的に「背景の弱い」人間にとって「発表の場」がないというのは、本当につらいことです。

私にとって、神学に関する「発表の場」といえば、基本的にはブログかfacebookかツイッターしかありません。本を出す金はないし、有力紙に連載記事を持てるほどの政治力もないし。学校関係からは危険人物視されているのかもしれないし。

そういう私のような「背景が弱い」が「発表の場」が欲しいという方は、けっこう多くおられると思うのです。そういう方にとって「周年もの」か「キリ番記念号」か「○○特別号」は、めっちゃチャンスです。

なぜそれが「チャンス」なのかといえば、そういうときの雑誌はふだんより分厚く作ることが多いので採用してもらえる投稿者の数が相対的に多い。

あとは、赤い文字とかで「○○記念号」と表紙に書かれている号は、通常の号よりもほんのちょっとだけ目立つ。メリットはそれくらいかな。ま、いいや。

自慢げに書かせていただきますが、私にとって唯一「ハードカバーつき」の本の中に収録していただいた論文「カルヴァンにおける人間的なるものの評価」は後にも先にもこれだけなのですが、

その(ハードカバー本としては唯一の!!)論文を、金子晴勇先生の『キリスト教霊性思想史』(教文館、2012年)に引用していただけました(この金子先生の本を私は今に至るまで買ってもないし、触ったこともないんですが)。

こんなことって、「カルヴァン」の「周年もの」の「500年」という「キリ番」をゲットできたからに決まってるじゃないですか。

「チャンス」っていうのはね、それはやっぱり「自分でつかむもの」なんですよ、たぶんね。ボケっとして待ってたって、来ない来ない。>チャンス

こんなこと、牧師が書く言葉じゃないかもしれませんけどね。「遺言」ですから。

というわけで「キリ番ゲット」、みなさんもぜひ狙ってくださいね。よろしく。