2014年11月8日土曜日
日本におけるファン・ルーラー研究はまだ始まったばかりです
先日ご紹介した、オランダの古書店から購入した古書に挟まっていた1955年の新聞の切り抜きに次の文章が書かれていました。
(原文)
Prof. van Ruler is een Gereformeerd theoloog, die eens heeft geschreven, dat alle kleinodien van het klassieke Calvinisme hem dierbaar zijn. De theocatie en het Psalmgezang, het Oude Testament en de praedestinatie.
(拙訳)
ファン・ルーラー教授は「古典的カルヴァン主義の宝のすべてを愛している」と書いたことがある改革派神学者である。それはセオクラシー、詩編歌、旧約聖書、予定論のことである。
「ファン・ルーラー研究会最終セミナー」(2014年10月27日)の講演の中で石原知弘先生が明言されたことは「ファン・ルーラーは伝統的で保守的なカルヴァン主義の線をしっかり守っている」ということでした。私も石原先生のおっしゃるとおりだと思っています。
しかし、そのファン・ルーラーの神学は、しばしば「端的に面白い」と評されてきました。ユーモアとギャグ満載でオチまでついている。
カルヴァン主義とか改革派と聞けば「固い」だ「暗い」だ「苦しい」だと言われることが多い。しかし、ファン・ルーラーは真逆である。だからといって彼の神学が歪んでいたわけではないし、伝統から逸脱していたわけでもない。
それどころか、カルヴァン主義なり改革派なりこそが、もともと「端的に面白い」ものだったのではないかと思わせてくれる何かが、ファン・ルーラーの神学の中にあります。これは私の意見です。
カルヴァン主義の影響力の大きさについては、私などが声を大にして言わなくても、多くの歴史家が立証してきたことです。
ならば、話は単純です。「固い」「暗い」「苦しい」「つまらない」ものが世界的に影響を及ぼすものになるだろうかと考えてみると、どうも違うような気がする。
本来「端的に面白い」ものだったかもしれないそれを「固い」「暗い」「苦しい」「つまらない」ものにしたのは誰かという犯人探しをしたいわけではありません。そんなことをしても、だれも幸せになりません。
私が願うのはそのような猟奇的なやり方ではなく、「ありのままのカルヴァン主義」「ありのままの改革派」こそが「端的に面白い」と言わしめたいだけです。
そして、そのためにファン・ルーラーが多くの人に読まれるようになってほしいということだけです。小さな小さな願いです。
しかし、私にできることは非常に限られています。そろそろ限界だ(というか、とっくに限界を超えている)と思っています。
カール・バルトの『教会教義学』が吉永正義先生と井上良雄先生の二人で訳されたのはすごいことだと思っています。
しかし、その名誉をいささかも毀損しない意味で申し上げますが、あの翻訳よりも30年くらい前から日本のバルト研究の蓄積がありました。それなしに吉永先生と井上先生がいきなり、という話ではありません。
現時点での日本におけるファン・ルーラー研究は、日本におけるバルト研究の1930年代くらいの状況に似ていると思います。まだ始まったばかりです。というか、まだ始まっていないと言えるかもしれないほどです。
なので、これからいくらでも新規参入できます。今の20代、10代の方々、ぜひ取り組みを始めてください。よろしくお願いいたします。
【追記】
ちなみに、ファン・ルーラーの神学を取り上げた過去の神学博士号請求論文の中で最大規模の一冊を書いたのは、P. W. J. ファン・ホーフというユトレヒト大学とナイメーヘン大学(オランダの上智大学)を卒業したカトリック神学者です。