2011年3月21日月曜日

自称「専門家」の耐えがたい軽さ

福島原発の情報の中に、自分は専門的研究をし、専門的仕事に就いていたという観点から「素人による憶測」を揶揄する思い上がった文章を見かけます。見れば、たかだか16年の経験知。牧師の中にもたまにいますが、神学校に6年在学し牧師を10年したくらいで「専門家」を名乗れば失笑を買うだけです。

それに、往々にして、自称「専門家」こそ、あるいは「メーカー(のメンバーだった人)」こそが、同業者庇い合いをしますし、事実の隠ぺいや火消しに躍起になるものです。自称「専門家」だからこそ信用できない、という見方はできませんか。

マスコミの言うことを鵜呑みにするのは間違いだくらい素人でも知っていることです。しかし、マスコミが突っ込まなければ逃げ切りを図ろうとする東電幹部や政治家もいるでしょう。マスコミを小馬鹿にする人にはマスコミの追及を恐れている人も多い。べつにマスコミの肩を持ちたいわけではありませんが。

今の福島原発を怖ろしいと感じている人の中には、マスコミが煽っているから、ではなく、何が起こっているかが分からないから気色悪いと感じている人は多い。どういう研究をなさった方か知らないが、専門家でない連中は常にマスコミに踊らされているだけだと言いたげな上から目線が恐ろしく耐えがたい。

それに、なんだかこの人が書いていることを読むと、今の福島原発はオートマティックに大丈夫だと言っているかのようですが、ふざけるなと言いたい。まさに今、死の覚悟をして復旧作業や放水作業に当たっている人たちの努力なしにも、大丈夫なんですか。

こういう人の書いていることをそれこそ鵜呑みにして、「ほら、もうすっかり大丈夫だ。放射能など恐くない。こんなに大丈夫なのに、どうしてクリスチャンのボランティアはどんどん福島や仙台に入らないのか。我々はとっくに入ったよ。臆病だなあ」と言いたげな人の怖ろしいほどの軽さが耐えがたいです。

ボランティアの足を引っ張りたいわけではありませんので、念のため。復興を願う思いは多くの人と同じです。私の言葉を冷静に読んでいただけば、真意を理解していただけると信じています。