2011年3月15日火曜日

被災地にボランティアに行こうとしている方々へ

ことさらに不安を煽る意図などは一切ありませんが、やや批判を恐れながら申せば、今回の事態は、阪神大震災のときとは性質が違うものがある、と感じています。

大きな違いは、第一に、阪神のときにはほとんどの人が使っていなかったインターネット(携帯電話、スマートフォン含む)が今は多くの人に使われていること、そして第二に、今回は原子力発電所がすでに「爆発」(首相発言)している、ということです。

私は、阪神大震災の反省と教訓は最大限に生かされなければならないと確信している一人ですが、当時の経験に基づく判断をはるかに上回るものが今回求められているのではないかと愚考いたします。いま書いたことをもっとはっきり言い直せば、「阪神大震災のときはこうだったから、今回もきっとこうだ」という判断だけでは済まないものがあるのではないかということです。

今はインターネットがあるということは、誤った情報だけでなくさまざまな情報を選ぶことができるという意味では大きな利点であると思います。いま首都圏(私が住んでいる地域も含む)で起こっている物資の買い占めは、言ってみれば小さなパニックの一種と言えなくもありませんが、ガソリンスタンドの前に長蛇であっても整然と並んで、自分の給油の順番を待っている人たちの表情は比較的落ち着いていますので、「パニック」とまでは言えないのではないか。

それより心配なのは、やはり原発事故です。首相が言っていることは、20キロ圏内は全面退避、30キロ圏内は自宅待機ですが、それは、31キロくらいまでなら東京方面から自動車を走らせて近づいても大丈夫だ、という意味ではないと思います。30キロ圏内の人々が今すぐ自動車に乗って逃げなければならないほどの影響は今のところ無いので、どうか落ち着いてください、パニックを起こさないでくださいという意味だと思います。つまりそれは、直接の被災地におられる方々への「落ち着いて行動してください」という呼びかけなのであって、直接の被災地にいない者たちへの「近づいてもゼンゼン平気だよ」というメッセージではないのだと思います。

そして、言うまでも無いことですが、放射性物質というものは、空気や風で拡散されるものです。それは、おそらく同心円的に、不可逆的に「広がって行く」ものです。被災地にボランティアに行きたい気持ちは私にも強くありますが、一人でできることは少ない(ほとんどない)わけですから、行くなら一人ではなく、おそらく必ず多くの人と共に行く。その際、私は牧師なので、何らかの責任者となって行く。しかしその結果、その人たちを放射性物質にさらす危険度の高い地域にあえて近づけることになる。それはできないと、私は考えています。

せめて原発事故が完全に鎮静化し、首相による「安全宣言」がなされるまで、外部から(不用意に)近づかないほうがよいのではないでしょうか。しかし、「それこそがイエスさまの示された愛なのだ」ということであれば、黙って見守るしかありません。それはそれで尊重します。