2008年9月7日日曜日

福音は今日も前進し続けている


フィリピの信徒への手紙1・1~11

「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。わたしがあなたがた一同についてこのように考えるのは、当然です。というのは、監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです。わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。」

今日からまたしばらくの間、新約聖書の一つの書物を続けて学んでいきます。先週まで一年半かけて使徒言行録を学んできました。使徒言行録の後半部分の主人公であった使徒パウロが書いた手紙です。「フィリピの信徒への手紙」と呼ばれるものです。

フィリピの人々とパウロとの関係が始まった様子については、使徒言行録16・11以下に記されていました。それは第二回伝道旅行の最中のことでした。フィリピは「マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市」と紹介されていました。パウロ、シラス、そしてテモテがこの町に数日間滞在しました。するとこの町で、ティアティラ市出身の紫布商人リディアという女性に出会い、このリディアが家族と共に洗礼を受けました。

しかしまた、この町で占いの霊に取りつかれている女奴隷にも出会いました。同じことを何度も繰り返して言う女奴隷にパウロがたまりかねて大きな声で怒鳴りつけてしまいました。すると、この女性から悪霊が出て行って、占いの仕事をやめてしまいました。そうすると、この女性の主人たちが金儲けの望みを失ったことを知って逆上しました。彼らがパウロとシラスを役人に引き渡し、牢獄に入れられるという事態にまで発展しました。

しかしまた、その牢獄の中で不思議なことが起こりました。突然大地震が起こり、牢の戸がすべて開き、鎖が外れてしまいました。囚人たち全員が逃げてしまったと思った看守が自害しようとしたところ、パウロが大声で止めました。囚人たちが一人も逃げなかったことに恐れを抱いた看守が、パウロとシラスの前に来て「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」と尋ねたところ、二人が言った答えは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」というものでした。それで看守と家族が洗礼を受け、神を信じる者になりました。

大急ぎでおさらいしました。だいたい以上のことが、使徒言行録を通してわたしたちが学ぶことができた、パウロとフィリピの町との最初の出会いの様子です。これ以上のことは分からないと言うべきです。重要な点は、フィリピの町でパウロたちが何人かの人々に洗礼を授けていることです。しかも家族単位で。

リディアとその家族、看守とその家族、他にもおそらく大勢の人々がパウロから洗礼を受けました。やがてパウロたちは別の町に移動します。しかし、パウロたちがいなくなった後もフィリピの町のキリスト者たちは、彼ら自身の信仰生活を続けたことでしょう。考えてよさそうなことは、この手紙は、使徒言行録に紹介されていたこの人々に宛てて書かれたものであるということです。

「洗礼を受ける」とはどういうことでしょうか。もちろん救われることです。キリスト者になることです。そしてキリスト教会のメンバーになることです。そしてまた、とくにその町で最初に洗礼を受けた人々は、その町に立つべき教会の土台になるべき人々です。その人々の信仰のうえに教会が立ち上がるのです。

反対のご意見があるでしょうか。「そんなに単純ではありませんよ。その町で最初に洗礼を受けた人々が、それ以後も変わらず忠実に信仰生活を続けていく。そして、その人々の信仰が土台になって、そこに教会が立ち上がる。そんなふうな単純明快な三段論法で物事が進んでいくのだとしたら、誰も苦労しませんよ」と。

「現実は違います。その町で最初に洗礼を受けた人とか、その教会の最初のメンバーというような人が、今、何人残っているのでしょうか。『心が燃えたのは、最初だけでした。熱は冷め、炎は消えてしまいました』。そのように言い残して教会から立ち去ってしまった人々がどれほど大勢いるかを、牧師さんは知らないのでしょうか」と。

もちろん私はよく知っています。知っているからこそ――意地悪ではありませんが――あえて言うのです。信仰生活をやめてしまった人々、教会から立ち去った人々を裁くために言うのではありません。その人々の後ろ姿を涙しながら見てきた、それでも信仰生活に踏みとどまり、教会から立ち去らなかった人々を励まし、力づけるために言うのです。

はっきりしていることが一つあります。それは、もしそこに誰もいなくなったら教会は無くなるのだということです。今しているのは教会の建物の話ではありません。イエス・キリストを救い主と信じる人々の群れの話です。教会とは人の集まりです。信仰をもって生きる人の集まりです。もしそこに信仰をもって生きる人々が一人もいなくなったら教会は無くなります。跡形もなく消え去ります。それは、その町の礼拝が無くなるということです。福音とその伝道が無くなるのです。その町のなかで新しく洗礼を受けて救われる人々も当然のことながら、いなくなります。少なくとも、しばらくは途絶えます。福音は前進せず、中座もしくは後退してしまうのです。

やや気になることがあります。それが何を意味するかはともかく、この手紙の中には、他のパウロの手紙(たとえばローマの信徒への手紙など)に記されているような仕方で、宛先の教会のメンバーの名前が全く記されていないという点です。

リディアや看守の名前をこの手紙の中に探しても見つかりません。その人々がフィリピの教会のメンバーとして残っていたのかどうかがはっきりしません。残っていたのかもしれませんが、残っていなかったのかもしれません。そのときパウロがフィリピからあまりにも遠くにいたために、フィリピの教会にどのような人々が属しているのかを把握できない状態だったのかもしれません。いずれにせよはっきりしていることは、この手紙にはフィリピの教会員の名前が出てこないということです。個人情報はどこにも記されていないのです。

しかしそれにもかかわらず、私にとって興味深く感じる要素がまだ残っています。それは、この手紙の最初の部分にパウロが書いている「あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっている」という言葉、とくに「最初の日から」という表現です。

「最初の日から」という表現が興味深く感じるのは、次のような理由によります。事柄を厳密に考えたときに、この「最初の日」は、フィリピで最初にだれかが洗礼を受けた日のことか、それともフィリピに独立した一つの教会が設立された日のことかを、きちんと考えてみる必要があります。この問題がわたしたちの教会の課題へと絡んでくるのです。

それは松戸小金原教会のことをお考えいただくと、きっとお分かりいただけることです。わたしたちは、再来年2010年に「教会設立30周年」を迎え、そのお祝いをしようと計画しています。しかし、実際にこの町で伝道が開始されたのは、もっと前のことです。北米キリスト改革派教会の宣教師がこの町に来たのは、30年前ではありません。もっと前のことです。どの出来事をもって「最初の日」と定めるか、どの時点から年数をカウントするかによって、やや大げさに言えば、その後の歴史の描き方が大きく変わって来るのです。

来年2009年に迎える「日本プロテスタント宣教150周年」についても同じようなことが当てはまります。この歴史の数え方に異論を唱える人々が現にいます。今から150年前に起こった出来事は、アメリカからプロテスタントの宣教師が日本に来て伝道を開始したということです。しかし、実際に日本に初めての「教会」が設立されたのはその数年後です。宣教師の来日の日からではなく教会設立の日から数えるべきではないか。このような異論が50年前の「日本プロテスタント宣教100周年」のときに提起され、その議論がいまだに続いているのです。

どちらでもよいことでしょうか。私自身は、うるさいことを言うつもりはありません。そして今このことを申し上げているのは、あくまでも、今日の聖書の御言葉を正しく理解するための一つの例えとして持ち出しただけです。厳密に考えてみる必要がありそうだと申し上げているのは、パウロの言葉の意味は何かという点です。

パウロは、何をもって「最初の日」と言っているのでしょうか。パウロがフィリピの町で最初に洗礼を授けた日でしょうか。そうである可能性を完全に否定することはできないでしょう。しかしもう一つの可能性は、この町に「教会」が設立された日です。私自身は、後者の可能性のほうが高いのではないかと考えています。

その根拠の一つは、すでに先ほど触れました。「最初の日」について語られているからには当然言及されてもよさそうな人々の名前、すなわち、使徒言行録にははっきりと名前が出てくるリディア、また看守のことが、この手紙のなかには全く出てこないという点です。

もう一つの根拠は、この手紙の書き出し部分です。「フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ」です。この中の、とくに「監督たち」と「奉仕者たち」という表現です。この「監督」は、わたしたちが「小会」と呼んでいる教会会議のメンバーである「牧師」および「長老」に該当します。「奉仕者」は、執事のことです。この「監督」と「奉仕者」がいずれも複数形で記されているのは、まさに複数の教会役員によって構成された小会なり執事会なりの存在があったことを示しています。

わたしたち改革派教会が強く主張することは、小会の設立が教会の設立であるという点です。そこにキリスト者が一人いるだけでは、そこにまだ教会は成立していないということです。最少でも牧師が一人、長老が二人いる、合計三名の小会議員がいるところに初めて「教会」が存在すると、わたしたちは信じてきたのです。

今日、私が「最初の日」の意味に強くこだわった理由を、最後に申し上げておきます。現実の教会においては、最初に洗礼を受けた人々、あるいは最初の教会員たちがだれ一人欠けることなく信仰生活を送り続けるということは、全くないとは言えませんが、ほとんどありません。残念ですが、それが現実です。

しかし、わたしたちは、このことに落胆すべきではないと申し上げたいのです。パウロは、フィリピのキリスト者に向かって「あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっている」と書いています。その意味は、最初の日から今日まで、福音が前進し続けてきたし、これからも前進し続けているということです。

なぜそのように言えるのでしょうか。その理由は次のように説明できるでしょう。最初の日から今日まで、福音が前進し続けてきたのは、フィリピにその日まで「教会」が存在し続けてきたし、それ以後も存在し続けていくであろうからです。そのことをパウロは神に感謝し、喜んでいるのです。

教会においては個人的な出たり入ったりはある。それが現実です。しかし時代が変わり、人が入れ替わり、牧師が交代していくとしても、そこに「教会」が立ち続けているかぎり、福音は前進し続けていくのです。

(2008年9月7日、松戸小金原教会主日礼拝)