2008年9月28日日曜日

今の苦しみは神の恵みとして与えられている


フィリピの信徒への手紙1・27~30

「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。そうすれば、そちらに行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、わたしは次のことを聞けるでしょう。あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはないのだと。このことは、反対者たちに、彼ら自身の滅びとあなたがたの救いを示すものです。これは神によることです。つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです。」

フィリピの信徒への手紙を続けて学んでいます。今日の個所には、パウロがこれまでに書いてきたことのまとめ、または結論があります。

「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」。これは丁寧な解説が必要な言葉です。「ひたすら」(モノン)の意味はオンリーです。「ただそれだけ」とか「唯一」と訳すこともできます。あなたがたの歩むべき道は、ただ一つです。他の道、別の道はありません。そのようにパウロは言っているのです。

ここで「ふさわしい」とは、一致しているという意味です。ここでパウロが強く勧めているのは、キリストの福音に一致している生活です。「福音」の意味は喜びの知らせです。キリストが与えてくださった喜びの知らせ、これが「キリストの福音」です。キリストの福音にふさわしい、福音に一致している生活とは、喜びの生活です。キリストに救われたことを喜ぶ生活です。感謝と賛美に満たされた生活です。

そしてまた、「福音」とは知らせであるという点を重んじるならば、それは明らかに言葉という形を取った何かです。福音とは、イエス・キリストの救いを伝える言葉です。その言葉に一致している生活が「福音にふさわしい生活」です。

その言葉が書かれているのは、もちろん聖書です。ですから、それは“聖書の言葉”に一致している生活であると、説明することができるでしょう。しかしまた同時に、聖書の言葉を噛み砕いて解説する“説教の言葉”を加えてもよいでしょう。聖書と説教の言葉に一致している生活、それが「福音にふさわしい生活」です。

パウロは、この手紙を書くよりも前に、フィリピの町で伝道しました。つまり、その町で説教を行ったことがあります。そのとき彼らに伝えた言葉、彼らをイエス・キリストへの信仰に導いた言葉、それをいつまでも大事にしてほしいという願いがパウロにあったと考えることは不可能ではないでしょう。

しかしまた、パウロは、かつて行った説教だけではなく、このように手紙を書くことによってもフィリピの信徒たちを励ましています。その意味で“手紙の言葉”も、キリスト者たちが一致すべき「キリストの福音」のうちに加えてもよいでしょう。

パウロがこの手紙を書いているのは獄中に監禁されている状態だったからでもあります。もしこのとき監禁されておらず、自由に活動することができたなら、すぐにでもフィリピの町に飛んで行きたかったのです。しかし、そうすることがパウロにはできませんでした。手紙を書く仕事は伝道者たちにとって、やむをえずしていることでもあります。私も今は年間二千通くらいのメールを書くようになりました。飛んで行けるものなら、行きたい。今すぐ行きたい。しかし、行くことができないので、やむをえず、手紙であるいはメールで、こちらの考えや気持ちを伝えるのです。

27節の後半にパウロが「離れているにしても」と書いている言葉は意味深長です。物理的距離において遠く離れている人々との連絡は手紙を用いるほかはありません。私は自由に動くことができない。監禁状態に置かれている。しかしたとえそうであっても、あなたがたに伝えたいことがあり、またあなたがたから聞きたいことがあります。あなたがたはキリストの福音にふさわしい生活を送っているでしょうか。イエス・キリストをとおして与えられた救いの喜びの知らせに一致している生活を送っているでしょうか。そうであることを心から願っているし、もしそうでない状態にあるならば、今すぐにでもその状態に立ちかえってほしい。そのことを願いながら、パウロはこの手紙を書いているのです。

そして、その意味での喜びの生活とは、やはり、教会との関係を抜きにして考えることはできないものであると私は信じています。パウロはこの手紙を個人に宛てて書いているのではなく教会に宛てて書いています。

それが意味することは、この手紙を最初に読んだであろう人々は、教会に通っていた人々であるということです。これ以上のことは言わなくてもよいことかもしれません。しかし、パウロが知っている人々の中で、すでに教会に通うのをやめてしまっていた人々は、この手紙が届いたことを知ることができなかったに違いないということも考えさせられます。「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」というパウロの言葉のなかに「ひたすら教会に通い続けてください」という点が含まれていると考えることは、決して間違いではありません。パウロが願っている、フィリピ教会の人々が一致すべき言葉は、聖書の言葉、説教の言葉、そして手紙の言葉であると、先ほど申し上げました。しかし、それらすべてをひっくるめて“教会の言葉”でもあると語ることが許されるでしょう。

今年の夏休み中の日曜日、わたしたち家族は、神戸の神港教会の礼拝に出席しました。神戸改革派神学校で学んだ一年半のあいだ会員籍を置かせていただいた教会であり、長女の幼児洗礼を授けていただいた教会でもあります。11年ぶりでした。牧師は交代し、三名の長老が亡くなられ、三名の若い長老へと交代していました。しかし、ほとんどの方々は11年前のままでした。もちろん11歳ずつ年齢を重ねておられましたが、それはわたしたち家族のほうも同じです。

わたしたちが体験的に知っている教会の中での人間関係というのは、まさにそのようなものです。久しぶりにその教会の礼拝に出席したとき、再びお会いすることができる人々がいるのです。ふだんは遠く離れていてなかなか会うことができなくても、教会との関係、礼拝との関係が続いているかぎりにおいて、キリスト者同士の関係が続いていくのです。逆に言えば、教会との関係、礼拝との関係が切れてしまったら、二度とお会いすることができない場合もあるのです。

わたしたちはなぜ、教会に通い続けなければならないのでしょうか。それはもちろん、わたしたち自身の信仰を維持するためでもあるでしょう。そのこと自体は重要なことです。しかし、わたしたちは自分のことにしか関心がないようであってはならないと思います。わたしたちが教会に通う目的の中には、ここに定期的に顔を出すことによって、この体を持ち運んでくることによって、ここに集まる多くの人々を励まし、力づけることができるのだという点が含まれていなければならないと思います。

わたしたちは、自分のためだけに教会に通うのではなく、同じ教会に通っている人々のためにも、また遠くの教会に通っている人々のためにも通うのです。このわたしが毎日の生活の中でさまざまな苦しみに遭いながらもイエス・キリストへの信仰を捨てないで保ち続けているというその事実を多くの人々に見てもらうためにも通うのです。信仰を捨ててしまいたくなるほどのひどい苦しみを味わっている人々を励ますためにも通うのです。

しかし、です。この事柄にはもう一つの面があるということをわたしたちは無視すべきではありません。繰り返しますと、パウロはこのとき監禁されている状態にありました。もしかすると、いわゆる「教会に通うこと」ができる状態になかったかもしれないのです。教会の礼拝の中で、多くの人々の前で、説教を行うことができる状態になかったかもしれません。本当は顔を出したいのに!本当は体を持ち運んで行きたいのに!そうすることができないことを残念に思い、苦にしていたかもしれません。

教会のなかには、通いたくても通うことができない事情に置かれている人々もいます。その人々のことを、わたしたちは、あまり事情を知らないままで厳しく裁くようなことがあってはなりません。パウロが書いている「離れているにしても」という語の意味を繰り返し深く考えぬく必要があります。今このとき教会から、あるいは礼拝から「離れている」人々のすべてが、信仰を捨てた人であるわけではないのです。

監禁状態の中でパウロはこの手紙を書きました。何のためでしょうか。「離れている」(!)フィリピの教会の人々を励ますためです。「あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはない」。このように書いているとおりのことをパウロは信じていましたし、またそうであることを心から願っていました。

「反対者」とはイエス・キリストの救いを否定する人々のことであり、聖書のキリスト教的解釈を否定し、キリスト教的説教を否定する人々のことです。そしてそれはキリスト教会の存在そのものを否定し、人々が教会に通うことに反対する人々のことです。その人々に反対されても、ひどい目に遭わされても、この福音、この信仰へと固くとどまり続けることを、パウロは「戦い」と呼んでいます。

わたしたちの戦いは、こちらから攻撃をしかけるとか、けんかを売るというようなことではありません。それは大きな誤解です。わたしたちにとっての戦いとは、わたしたちが信仰をもって教会に通うこの喜びの生活をせっかく続けていこうとしているのに、それを何とかしてやめさせようとする力が働くときに、これをやめないで続けていくことです。妨害にも誘惑にも負けないで、神から与えられた喜びを、ひたすら喜び続けることです。

それが「反対者たちに、彼ら自身の滅びとあなたがたの救いを示す」とパウロは書いています。これも誤解がないように。わたしたちが反対者たちを滅ぼすわけではありません。教会に通っていない人々に向かって、死を宣告しなければならないわけではありません。正反対です!

わたしたちのなすべきことは、「わたしたちが味わっているこの喜びを、どうぞあなたも味わってください」と勧めることだけです。「この喜びを失ったら、わたしは生きていくことができないのです」と、迫力満点に語ることだけです。「ここに教会がある」ということ、そして「ここにこの教会が無くなってしまったら、わたしはもはや生きていくことができないのです」ということを、迫力をもって語ることによって、教会を守り続けることだけです。さらに加えて言えば、福音なしに、信仰なしに、教会なしに生きている人々の将来を心配しつつ、祈ることだけです。それ以上のことは、わたしたちにはできません。

「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」と書いています。この意味は、これまでお話ししてきたことでお分かりいただけるはずです。神の恵みとしてわたしたちに与えられている「キリストのための苦しみ」とは、要するに、わたしたちがこの信仰生活を続けること、そしてこの教会の存在を維持し続けることに伴う苦しみであるということです。

毎週の礼拝に通い続けることにも、多くの苦しみが伴います。この私自身も毎週の説教を準備することが楽しくて楽しくて仕方がないというだけでもなく、毎回それなりの苦労を味わっています。もちろん、聴いていただくのも一苦労でしょう。

しかし、この苦しみこそが神の恵みです。苦しみを与えてくださる神が、わたしたちをこの苦しみを耐え抜くことができる者へと成長させてくださっています。そのことを感謝をもって受け入れようではありませんか!

(2008年9月28日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年9月21日日曜日

わたしたちは生きて何をなすべきか


フィリピの信徒への手紙1・21~26

「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。こう確信していますから、あなたがたの信仰を深めて喜びをもたらすように、いつもあなたがた一同と共にいることになるでしょう。そうなれば、わたしが再びあなたがたのもとに姿を見せるとき、キリスト・イエスに結ばれているというあなたがたの誇りは、わたしゆえに増し加わることになります。」

使徒パウロのフィリピの信徒への手紙を続けて学んでいます。これまで二回の学びの中で明らかになった点が一つあります。それはパウロにとっての優先順位は何かという問題にかかわることでした。

この手紙は、獄中に監禁された状態で書かれています。パウロを監禁状態に置いたのは、もちろん彼の迫害者たちです。しかしパウロを苦しめていたのは迫害者たちだけではありませんでした。彼が獄中にいることを喜ぶキリスト者、なかでもそのような伝道者がいるということをパウロは知っていました。パウロが熱心に伝道してきたことを見て「ねたみ」を感じ、「争いの念」からキリストを宣べ伝えている人々がいるというのです(1・15)。おそらくその人々は、パウロが監禁されている今こそ我々の伝道のチャンスであるという考えをもったのです。

しかしパウロは、そのことを熟知したうえで、「だが、それがなんであろう」(1・18)と書きました。彼らの伝道の動機など私には関係ない。「口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのだから、わたしはそれを喜んでいます」(同上)と書いています。ここから分かることはパウロにとっての優先順位は何かということであると私は申しました。彼にとって重要なことは、とにかくキリストが宣べ伝えられることでした。そのことこそが優先順位の第一位でした。

途中は省略いたします。それでは最下位は何か。間違いなく言えることは、最下位は彼自身の存在であったということです。パウロ自身の生活であり、彼の命そのものでした。それを彼はいちばん後回しにしました。私の命などどうなってもよい。そのように考えていたことが、はっきりと伝わってきます。

しかしそのことをわたしたちが、パウロはこのとき自暴自棄の状態に陥っていたのだというふうに理解することは、たぶん間違っています。パウロは自暴自棄などということとは最も縁遠い人でした。パウロは自分のことに関しては、いつもどこか冷静です。しかし彼は自分のことをいつもいちばん後回しにするのです。キリストと教会を、常に優先順位の上位に置き続けるのです。そのことは、今日の個所にも明確に表われています。

「わたしにとって、生きるとはキリストである」(1・21)とはどういう意味でしょうか。パウロが書いているとおりに訳すとたしかにこうなりますが、日本語としては省略しすぎです。パウロの真意を読み解く鍵は、一つ前の節です。「どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願っています」(1・20)。これで分かることは、「生きるとはキリストである」とは「わたしパウロが生きることによってキリストが公然とあがめられる」という意味であるということです。

「公然とあがめられる」という語を直訳しますと「大きなものとされる」ということです。キリストが大きなものとされるとは小さなもの、取るに足りないものとみなされ、無視されることの反対です。パウロが生きているかぎり彼の口から出てくる言葉は常にキリストであり、キリストにおいて啓示された神御自身の教えです。また、彼の行いにおいて示されるのも常にキリストであり、キリストにおいて啓示された神御自身の戒めです。

ですから、「わたしにとって生きるとはキリストである」を別の言葉で言い換えるなら、わたしが生き続けるかぎりキリストを宣べ伝え続けるのだということです。キリストを礼拝し続けるのであり、キリストを説教し続けるのだということです。

それは礼拝と説教の継続であり、そしてそれはもちろん信仰の継続です。わたしが生きているかぎり、それをやめてしまうことはありえない。それで殺されようとも、監禁されたまま死んでしまおうとも、です。

そしてまたもちろんパウロは、自分自身が宣べ伝えているキリストの言葉に自ら従って生きることを忘れることはありません。パウロの言葉と行いは一致していました。だからこそ、敵対する人々から迫害もされたわけです。迫害者の目的は、信仰者から、信仰そのものと信仰生活とを奪い去ることにあるからです。

しかし、今日の個所には、今申し上げたことと共に、もう一つの強調点があり、それが私の心を悩ませます。それは、パウロが「わたしにとって・・・死ぬことは利益です」と書いている点です。明らかにパウロが書いていることは、「生きること」と「死ぬこと」のどちらを選ぶべきかが「分からない」ということであり、「この二つのことの間で板挟みの状態」であるということです。そして、さらに一歩進んで「一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい」と書いている点です。

激しい苦しみの中にいたでありましょうパウロ先生に向かって文句をつけたいわけではありません。しかし正直に言えば、こういうことはなるべくなら書かないで欲しかったという思いが私のうちにないわけではありません。こういうことを考えることは誰でもあるでしょう。考えてはいけないとは申しません。しかし、考えることと書き残すこととは別です。書かれた言葉は独り歩きします。大きな誤解を生みだす火種にもなりかねません。

「生きること」と「死ぬこと」は、はたして本当にわたしたち人間を「板挟み」にするでしょうか。どちらを選ぶべきかが「分からない」などということが、本当にありうるでしょうか。「この世を去ること」のほうが「はるかに望ましい」というようなことを、どうして言えるでしょうか。「生きること」のほうが、良いに決まっているではありませんか!「この世にとどまる」ほうが、はるかに望ましいに決まっているではありませんか!

パウロ先生、あなたほど強い方がそのような弱音のようなことをお書きになりますと、あなたよりもはるかに弱いわたしたちが弱音を吐くことができなくなるではありませんかという思いが去来しないわけではありません。それは、オトナとコドモ、あるいは親子の関係にも当てはまります。オトナであり親である人々がコドモたちの前で弱音を吐きますと、彼らは困ってしまいます。弱音を吐くことも、甘えることもできなくなります。

また私は、わたしたちはパウロがこのように書いている言葉を、決して誤解してはならないとも思います。パウロが書いていることは、死ぬことを選び、この世を去りさえすれば、そこにはいつもキリストが共にいてくださるということではありません。「生きるとはキリストである」と書いているではありませんか!

キリストが共にいてくださるのは何も“死後の世界”というようなところでだけではありません。「地上の人生は地獄そのものであり、地上には何の良いこともない。だから、わたしたちはここから一刻も早く立ち去るべきであり、死んで向こうに行けばキリストにお会いできる。だからわたしは早く天国に行きたい!早く死にたい!」というふうにわたしたちは決して考えるべきではありません。死んだらだれでも自動的に天国に行けるわけでもありません。そのような信仰をパウロが持っていたわけでもありません。

パウロが書いていることの意図は、わたしたちキリスト者は、今ここで、この地上で、すでにキリストにお会いしているのであり、その意味でわたしたちは、この地上において、生きながらにして、すでに神の国の喜びを十分に味わっている者たちであり、その喜びは死によって奪い去られるものではありえないということです。キリストと共に生きる生活は、今ここで、地上に生きているこのときからすでに始まっているのであり、その生活はたとえ人生の終わりを迎えても永遠に続くものであるということです。つまり、パウロの確信は、地上と天国の連続性であり、キリストとこのわたしの関係の連続性です。

しかしまた、それはもちろん、キリストとの関係という点が明確であるかぎりにおいて、という断り書きをつけておかなければならないことでもあるでしょう。キリストのことは全く信じることができないが、天国の喜びだけは味わいたいという人がおられるかもしれません。しかし、そのようなことは、事実として無理な話であると言わねばなりません。

なぜなら、わたしたちがこの地上において天国の喜びを味わうことができるのはキリストを信じる信仰があるからです。わたしたちが正直な感覚としては地獄のなかにいるとしか思えないような苦しみを味わっているときにも、それに耐えることができ、絶望しないで生きていくことができるようになったのは、キリストがわたしたちの身代りに死んでくださり、わたしたちの罪を赦し、わたしたちのどうしようもない弱さをかばってくださったことを信じることができるからです。

キリストを信じない人は、自分の罪が赦されるものであることを信じることができないはずです。そのとき、その人はどうするのでしょうか。自分は罪など犯していないと思いこみ、開き直って生きるか。そうでなければ、犯した罪の結果に怯え、苦しみ、不安と絶望のどん底をはいずりまわって生きるかのどちらかしかないように思われてなりません。罪を犯さない人は一人もいないからです。すべての人が自分の犯した罪の結果を背負って生きていかなければならないからです。

もちろんわたしたちの人生は苦しいものです。しかし、死ねば苦しみから逃れられる。地上の苦しみから逃れるためにこの世を去ることのほうがはるかに望ましい、というようなことをパウロが書いているわけではありません。なぜなら、パウロの苦しみはキリストと共に生きることから生まれる苦しみだからです。迫害の苦しみとはそのようなものです。

それはある意味で、たとえば、自分が望んで結婚し、子供をもうけて家庭を築くことにも苦しみが伴うことに似ています。自分が望んだ学校に進学し、あるいは自分が望んだ会社に就職し、そこで勉強や仕事の苦しみを味わうことにも似ています。人生には嫌なことがあります。どうしようもない苦しみが続くばかりです。しかしそこですべてを投げ出し、すっきりし、せいせいして、それで「私はすっかり楽になりました」と言ったところで、何の解決もないし、喜びもありません。パウロはそのことをよく知っている人なのです。

パウロはそのことをよく知っているからこそ「肉にとどまること」、そして「あなたがたの信仰を深めて喜びをもたらすこと」を続けようとするのです。「わたしが再びあなたがたのもとに姿を見せること」ができる日を待ち望むのです。

日曜日ごとの礼拝は、教会につらなるわたしたちにとっては、その意味での出会いの場でもあります。「この礼拝が人生最後の礼拝になるかもしれない」。わたしたちはそのような緊張感をもって集まっています(このようなことはうんと冗談めかして語るべきことかもしれませんが、しかし紛れもない事実です!)。しかし、です。また会うことができた。顔と顔を合わせ、手と手を合わせて、互いに励まし合い、心を通わせ合うことができた。そのことを本当に喜び、感謝することができるのが教会であり、日曜日ごとの礼拝です。

人生に絶望するくらいなら、教会に通いましょう。わたしたちは生きて教会に通うべきなのです。教会の人間関係に絶望するということが実際にはあるかもしれません。しかしそれは、通う教会を間違えているのです。どこの教会にも通ったことがないままで、または教会に通うことをやめて、自分の部屋に引きこもって、一人で絶望しないでください。体がほんの少しでも動くなら、自分の部屋・自分の家・自分の砦から出てきてください。

教会にはパウロのような人がいます。自分のことはいつも後回し。どうしたらあなたを助けることができるのか、どうしたらあなたが喜んで生きることができるようになるのかということばかりに関心をもち、常に前傾姿勢であなたを迎えてくれる人がいるでしょう。

(2008年9月21日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年9月20日土曜日

牧師だって仕事をしている

今週もいろいろありました。

15日(月)10:30 東関東中会信徒研修会(日本キリスト改革派船橋高根教会:千葉県船橋市)
      18:00 グループホームに入所している方を敬老訪問
16日(火)13:00 日本基督教学会第56回学術大会 総会及び講演会(関東学院大学:神奈川県横浜市金沢区)
17日(水)10:30 松戸小金原教会水曜礼拝でウェストミンスター小教理問答講解
      16:00 千葉市内のキリスト教書店で季刊『教会』誌の最新号を購入
18日(木)13:00 来客(1名、一緒に夕食)
19日(金)午前  予定されていた委員会が一週間延期されることになり、出席予定者に緊急連絡
      午後  たまったメールに返信し、依頼された仕事に一つ一つ取り組む

来週の予定は以下のようになっています。

22日(月)18:00 カルヴァン生誕500年記念集会実行委員会(東京都内某所)
23日(火) 9:00 日本ルーテル神学校一日神学校(東京都三鷹市)
24日(水)10:30 関東甲信越静地区宗教法人実務研修会(千葉県教育会館:千葉県千葉市)
25日(木)午後  来客(2名)
26日(金)13:30 東関東中会とCRCミッションの宣教協力委員会(新浦安伝道所:千葉県浦安市)

ブログに書いて来たことのなかには「牧師の仕事」というカテゴリーのもとに整理できる文章が多くあるということに改めて気づかされます。「関口よ、お前は結局、自分のことにしか関心がないのだ」と非難されるだけかもしれませんが、そのようなひどい言われ方にはなるべく聞く耳を持ちたくないわけで、決してそんなことではなくて、私ができるだけ多くの人に知っていただきたいと本当に単純にひたすら願っていることは、「われわれ牧師も仕事をしているんですよ」ということです。「牧師とかいうあの連中は、日曜日だけ仕事をしていて、あとは何もせずにぶらぶらしている奴らだ」とか何とか思われているとしたら、それはかなり大きな誤解ですよと言いたいのです。誰かから後ろ指をさされなければならないような生き方はしていません。42才の牧師が上記くらいのペースで仕事をこなしているのですから、50才台、60才台の牧師たちの忙しさは尋常なものではないのだろうというくらいに思い巡らしていただくほうが、事実に即しています。


2008年9月14日日曜日

福音のために苦しむことは惨めではない


フィリピの信徒への手紙1・12~20

「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。」

先週から使徒パウロのフィリピの信徒への手紙を学びはじめました。先週学びましたのは、手紙の書き出しの部分でした。パウロは、祈りのなかでフィリピのキリスト者のことを思い起こしながらこの手紙を書いています。

パウロが神に感謝していることは、彼らが「最初の日から今日まで福音にあずかっている」(5節)という点でした。「福音にあずかっていたのは最初のうちだけでした。しかし、そのうち福音から離れてしまいました」と、そのような道を彼らが辿っていないことをパウロは神に感謝しています。月並みな言い方ですが「継続は力」なのです。教会生活は続けることに意義があります。途中でやめないこと、人生の最期まで続けることが重要なのです。

しかしまた、先週の個所で私がやや強調気味にお話ししましたことは、この手紙のなかにはフィリピの教会に属していたであろう人々の名前が全く出てこないという点でした。個人情報はどこにも記されていません。ともかくはっきりしていることは、パウロがこの手紙を書き送り、呼びかけている相手は「あなた」ではなく「あなたがた」であるということです。

その意味を考えました。結論は、この手紙のなかでパウロは「最初の日から今日まで」福音にあずかってきたと言いうる人々と、必ずしもそうとは言えない人々、すなわち教会生活を途中でやめてしまった人々とを明確に区別していないように見えるということです。

教会生活を途中でやめてしまってもよいという話には決してなりません。しかしパウロはそのことをこの手紙の中では問題にしていません。教会がとにかく存続し続けてきたこと。個人的な出たり入ったりはあったかもしれない。しかし、それでも、とにかく教会の灯は絶やされることなく輝き続けてきたこと。そのことを、パウロは神に感謝しているのです。

そのようなパウロの姿勢ないし態度は、はたして本当に正しいものなのだろうかという点は別の問題として扱う必要があるかもしれません。私が考えさせられることは、今申し上げているようなパウロの態度は、現代人の感覚とはかなりずれるだろうということです。何が言いたいか、お分かりいただけるでしょうか。

現代人とはわたしたちです。わたしたちの多くは、「教会」を重んじるべきか、それとも「個人」を重んじるべきかと問われるならば、迷わず「個人」を選ぶはずです。そして、最優先事項はおそらく「自分自身」です。「教会が存続していけるかどうか」という点よりも、教会の中のあの人この人が教会生活を続けているかどうか、「個人」の生き方がどうか。また誰よりも自分自身、つまり「このわたし」の生き方がどうかのほうがはるかに重要であると考えるでしょう。「個人」より「教会」を優先するというようなことは、わたしたちにとっては、ほとんどありえないことであり、奇異な感覚を持つだけでしょう。

私が今このようなことを申し上げていることには、もちろん理由があります。これから学ぼうとしている今日の個所にも、方向性において同じ、あるいは少なくとも「似ている」と言いうる言葉が書かれているからです。その点に話を進めて行きたいからです。

今日の個所にパウロが書いている言葉は、多くの人々に衝撃を与えてきたものであると言ってよいでしょう。第一に分かる衝撃の事実は、この手紙を書いているときのパウロは、監禁されていたということです。ただし、どこに監禁されているかは記されていませんし、はっきりとは分かりません。それが分からないということは、この手紙がどこでいつごろ書かれたものであるかもはっきりとは分からないということを意味しています。諸説あり、定説はありません。私はパウロがローマに監禁されていた頃に書かれたものではないかと考えていますが、別の答えもありうるでしょう。

衝撃を感じる第二点は、監禁されていたパウロは、しかしそのことを彼自身は、「福音の前進に役に立った」と書いている点です。パウロは監禁されているのです。彼は明らかに苦しみを感じています。監禁されても苦しくないということはありません。苦しいのです。しかしパウロは、自分自身が今まさに感じている苦しみを、否定的にではなく、肯定的にとらえていたのです。少なくともそのように読める言葉を書いています。

しかし、自分の苦しみを肯定的にとらえるとは、どういうことでしょうか。負け惜しみでしょうか。開き直りでしょうか。当てこすりとか皮肉のたぐいでしょうか。そのような可能性を全く否定することはできないかもしれません。パウロもまた人間だったわけですから、周りの人々に愚痴をこぼしたくなることもあったでしょうし、誰かに向かって痛烈な当てこすりを言いたくなるときもあったでしょう。しかし、注意すべきことは、わたしたちの手元にあるのは彼が書いた言葉だけであるということです。言葉の裏側を読み取ることには限界があります。詮索しすぎることは控えなければなりません。

そして、よくよく考えてみれば、パウロが言っていることはたしかな真実であることが分かります。パウロが監禁されていることによって、その監禁は「キリストのためである」ということが多くの人に分かる。これは事実です。

使徒言行録の説教のなかで何度かお話ししたことは、迫害をやめてもらう最も手っ取り早い方法は、信仰を捨てることであるということです。迫害者たちの目的は、信仰を捨てさせることなのですから。信仰者が信仰を捨てた時点で、迫害者たちの目的は達成するのです。

しかし、パウロは監禁されている。彼が信仰を捨てないからです。どんな目にあっても、激しい苦しみのなかに置かれても、このわたしの救い主イエス・キリストから離れることができない。その信仰を貫いているがゆえに、パウロは監禁されている。彼が監禁されているのは彼が信仰を捨てていない証拠であるということが、多くの人々に分かる。そのことを信じることができたので、パウロは、自分の苦しみ、不幸な境遇を肯定的にとらえることができたのです。

第三に分かることは、私自身は今日の個所全体の中で上から二番目に衝撃を感じることです。パウロによると、自分が監禁されているこのとき、福音の伝道をしている人々の中には「不純な動機」で取り組んでいる人々がいるということです。読むたびに、ええーっと驚かされます。

パウロから見ると、その人々は「ねたみと争いの念にかられている」(15節)のであり、「自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようとしている」(17節)のです。これが何を意味するかを特定することはできません。しかし、ある程度想像がつきます。福音を宣べ伝えること、つまり「伝道」を、純粋に商売のようなものとしてとらえていた人々がいたのではないでしょうか(「商売」をおとしめる意図はありません)。

あの教会には、人が何人集まっているか。財政規模はどれくらいか。そのようなことが重要でないわけではありません。しかしそのことばかりに関心があり、他のことにはまるで関心が向かないというのでは困ります。そういう感覚をもった人々から見ると、パウロの姿がまるで商売敵(がたき)のように見えていたのではないでしょうか。

「パウロの伝道集会、パウロの教会には、いつもたくさんの人が集まる。でも、うちの教会にはちっとも集まらない。あいつが捕まってくれた。今がうちの教会にとって絶好のチャンスである」………想像するだけで、なんだかだんだん馬鹿馬鹿しくなってきます。

パウロは、教会というものに属している、いろんな種類の人々のことを熟知していた人です。そしてまた、パウロは、教会のなかの光の部分だけではなく、陰の部分、あるいは闇の部分をも熟知しており、またそのことを率直に言葉にし、書き残した人なのです。

キリストを宣べ伝えていた人は、もちろんキリスト者です。不純な動機のキリスト者がいるとパウロは言っているのです。わたしはユダヤ人や異邦人から苦しめられているだけではない。キリスト者たち、教会員たちからも苦しめられているのだと言っているのです。

しかし、第四に分かること、これが私にとっては今日の個所で最も大きな衝撃を受けた点です。18節の言葉です。「だが、それがなんであろう」(!)と記されています。「口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます」。

伝道を商売のようなものととらえ、パウロの存在を商売敵のように見て、あいつが監禁されている今こそ我々のチャンスであると、ここぞとばかりに奮闘しはじめた人々がいた。しかし、動機が不純かどうかはどうでもよいことだと言っているのです。「喜んでいる」と書いています。「とにかく、キリストが告げ知らされているのですから」と。

ここで今日最初のほうでお話しした点に戻ります。パウロの考えは、現代人の感覚とはずれるだろうというあの話です。現代人の多くは「教会」か「個人」かどちらかを選べと言われたら、迷わず「個人」を選ぶでしょう。しかしパウロは違います。パウロならば、迷わず「教会」を選んだでしょう。そのことは今日の個所、とくに今問題にしている個所からも明らかにすることができると思われるのです。

わたしは迫害者たち、なかでもユダヤ人たち、あるいは異邦人たちからこんなに苦しい目に遭わされているけれども、自分の苦しみがキリストのため、福音のため、教会のために役に立っていることを「喜びます」と語ることができたパウロ。

そしてまた、本来は迫害者などではありえない、むしろパウロにとっては仲間であり、味方であるはずのキリスト者たち、しかも、福音の伝道に携わる伝道者たちが「ねたみや争いの念」から福音を宣べ伝えている。そのことをなんとも言えない気持ちで見てはいる。しかし、そのこともまた、キリストのため、福音のため、教会のために役立っていることを「喜びます」と語ることができたパウロ。

このパウロにとっての優先順位はどうであったかを考えさせられます。何よりも「教会」、次に「個人」。自分自身のことなどは最後の最後だったのではないでしょうか。そのようなパウロの姿を思うとき、「わたしたちが弱音を吐いている場合ではない!」と思わされます。

「このわたし」を犠牲にし、「個人」を犠牲にしてでも「教会」を優先するという選択肢を選ぶことは極めて困難な時代に生きているわたしたちです。しかし、キリストのために、福音のために、教会のために苦しむことは惨めなことではありません。キリスト教信仰は「自分のことしか考えないこと」の正反対です。自分のことはいちばん後回しにすることが求められる場面があります。そこにこそ、つまずきがあるかもしれません。しかし報いも必ずあります。わたしたちの人生に、神の恵み、救いの喜びが豊かに降り注ぐでしょう。そのように信じようではありませんか。

(2008年9月14日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年9月13日土曜日

断言しえないことを断言しない勇気をもて

「説教において問いを発し続けること」とは、「釈義に集中すること」(とくにバルト的なる何か)に似ている面もありますが、私のなかでは明確に区別されています。聖書の歴史的・文法的釈義に終始するばかりで適用に至らないような言説を「説教」と呼ぶことはできません。「説教において問いを発し続けること」の意味として私が考えているのは、次のようなことです。釈義においても適用においても多様性を認めること。事柄(ザッヘ!)をあまりにも一義的・一面的・一元的に単純化しすぎないこと。我々をとりまく複雑怪奇な生のリアリティに可能なかぎり寄り添って考えぬくこと。実は土曜日の夜に手早くでっち上げただけの「不用意な説教」によって、難しい状況の中で日々戦い傷ついている人々の心をさらに傷つけ、追い打ちをかけることによって、彼/彼女の足を無意味に引っ張るようなことだけはするまいと心に誓うこと。宗教的権威を笠に着て、高い位置から「教会的常識」を押しつけて、それで「自分の役目は完了した」などと夢にも思わないこと。自分が語った言葉はもしかしたら教会的でも常識的でもないかもしれないと常に警戒し、十分に反省・吟味すること。人類が日々体験しているあらゆるリアリティを単純な図式の中に押し込めて思考停止する(させる)ようなバカにだけはならない(させない)ことです。換言すれば、口ごもるべき場面で口ごもること。分からないことを「分からない」と語ること。曖昧にしか語りえないことを曖昧に語ること。断言しえないことを断言しない“勇気”を持つことです。 たとえそれが「神の言葉」(verbum Dei)と称される説教の言葉であっても、です。



2008年9月7日日曜日

福音は今日も前進し続けている


フィリピの信徒への手紙1・1~11

「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。わたしがあなたがた一同についてこのように考えるのは、当然です。というのは、監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです。わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。」

今日からまたしばらくの間、新約聖書の一つの書物を続けて学んでいきます。先週まで一年半かけて使徒言行録を学んできました。使徒言行録の後半部分の主人公であった使徒パウロが書いた手紙です。「フィリピの信徒への手紙」と呼ばれるものです。

フィリピの人々とパウロとの関係が始まった様子については、使徒言行録16・11以下に記されていました。それは第二回伝道旅行の最中のことでした。フィリピは「マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市」と紹介されていました。パウロ、シラス、そしてテモテがこの町に数日間滞在しました。するとこの町で、ティアティラ市出身の紫布商人リディアという女性に出会い、このリディアが家族と共に洗礼を受けました。

しかしまた、この町で占いの霊に取りつかれている女奴隷にも出会いました。同じことを何度も繰り返して言う女奴隷にパウロがたまりかねて大きな声で怒鳴りつけてしまいました。すると、この女性から悪霊が出て行って、占いの仕事をやめてしまいました。そうすると、この女性の主人たちが金儲けの望みを失ったことを知って逆上しました。彼らがパウロとシラスを役人に引き渡し、牢獄に入れられるという事態にまで発展しました。

しかしまた、その牢獄の中で不思議なことが起こりました。突然大地震が起こり、牢の戸がすべて開き、鎖が外れてしまいました。囚人たち全員が逃げてしまったと思った看守が自害しようとしたところ、パウロが大声で止めました。囚人たちが一人も逃げなかったことに恐れを抱いた看守が、パウロとシラスの前に来て「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」と尋ねたところ、二人が言った答えは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」というものでした。それで看守と家族が洗礼を受け、神を信じる者になりました。

大急ぎでおさらいしました。だいたい以上のことが、使徒言行録を通してわたしたちが学ぶことができた、パウロとフィリピの町との最初の出会いの様子です。これ以上のことは分からないと言うべきです。重要な点は、フィリピの町でパウロたちが何人かの人々に洗礼を授けていることです。しかも家族単位で。

リディアとその家族、看守とその家族、他にもおそらく大勢の人々がパウロから洗礼を受けました。やがてパウロたちは別の町に移動します。しかし、パウロたちがいなくなった後もフィリピの町のキリスト者たちは、彼ら自身の信仰生活を続けたことでしょう。考えてよさそうなことは、この手紙は、使徒言行録に紹介されていたこの人々に宛てて書かれたものであるということです。

「洗礼を受ける」とはどういうことでしょうか。もちろん救われることです。キリスト者になることです。そしてキリスト教会のメンバーになることです。そしてまた、とくにその町で最初に洗礼を受けた人々は、その町に立つべき教会の土台になるべき人々です。その人々の信仰のうえに教会が立ち上がるのです。

反対のご意見があるでしょうか。「そんなに単純ではありませんよ。その町で最初に洗礼を受けた人々が、それ以後も変わらず忠実に信仰生活を続けていく。そして、その人々の信仰が土台になって、そこに教会が立ち上がる。そんなふうな単純明快な三段論法で物事が進んでいくのだとしたら、誰も苦労しませんよ」と。

「現実は違います。その町で最初に洗礼を受けた人とか、その教会の最初のメンバーというような人が、今、何人残っているのでしょうか。『心が燃えたのは、最初だけでした。熱は冷め、炎は消えてしまいました』。そのように言い残して教会から立ち去ってしまった人々がどれほど大勢いるかを、牧師さんは知らないのでしょうか」と。

もちろん私はよく知っています。知っているからこそ――意地悪ではありませんが――あえて言うのです。信仰生活をやめてしまった人々、教会から立ち去った人々を裁くために言うのではありません。その人々の後ろ姿を涙しながら見てきた、それでも信仰生活に踏みとどまり、教会から立ち去らなかった人々を励まし、力づけるために言うのです。

はっきりしていることが一つあります。それは、もしそこに誰もいなくなったら教会は無くなるのだということです。今しているのは教会の建物の話ではありません。イエス・キリストを救い主と信じる人々の群れの話です。教会とは人の集まりです。信仰をもって生きる人の集まりです。もしそこに信仰をもって生きる人々が一人もいなくなったら教会は無くなります。跡形もなく消え去ります。それは、その町の礼拝が無くなるということです。福音とその伝道が無くなるのです。その町のなかで新しく洗礼を受けて救われる人々も当然のことながら、いなくなります。少なくとも、しばらくは途絶えます。福音は前進せず、中座もしくは後退してしまうのです。

やや気になることがあります。それが何を意味するかはともかく、この手紙の中には、他のパウロの手紙(たとえばローマの信徒への手紙など)に記されているような仕方で、宛先の教会のメンバーの名前が全く記されていないという点です。

リディアや看守の名前をこの手紙の中に探しても見つかりません。その人々がフィリピの教会のメンバーとして残っていたのかどうかがはっきりしません。残っていたのかもしれませんが、残っていなかったのかもしれません。そのときパウロがフィリピからあまりにも遠くにいたために、フィリピの教会にどのような人々が属しているのかを把握できない状態だったのかもしれません。いずれにせよはっきりしていることは、この手紙にはフィリピの教会員の名前が出てこないということです。個人情報はどこにも記されていないのです。

しかしそれにもかかわらず、私にとって興味深く感じる要素がまだ残っています。それは、この手紙の最初の部分にパウロが書いている「あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっている」という言葉、とくに「最初の日から」という表現です。

「最初の日から」という表現が興味深く感じるのは、次のような理由によります。事柄を厳密に考えたときに、この「最初の日」は、フィリピで最初にだれかが洗礼を受けた日のことか、それともフィリピに独立した一つの教会が設立された日のことかを、きちんと考えてみる必要があります。この問題がわたしたちの教会の課題へと絡んでくるのです。

それは松戸小金原教会のことをお考えいただくと、きっとお分かりいただけることです。わたしたちは、再来年2010年に「教会設立30周年」を迎え、そのお祝いをしようと計画しています。しかし、実際にこの町で伝道が開始されたのは、もっと前のことです。北米キリスト改革派教会の宣教師がこの町に来たのは、30年前ではありません。もっと前のことです。どの出来事をもって「最初の日」と定めるか、どの時点から年数をカウントするかによって、やや大げさに言えば、その後の歴史の描き方が大きく変わって来るのです。

来年2009年に迎える「日本プロテスタント宣教150周年」についても同じようなことが当てはまります。この歴史の数え方に異論を唱える人々が現にいます。今から150年前に起こった出来事は、アメリカからプロテスタントの宣教師が日本に来て伝道を開始したということです。しかし、実際に日本に初めての「教会」が設立されたのはその数年後です。宣教師の来日の日からではなく教会設立の日から数えるべきではないか。このような異論が50年前の「日本プロテスタント宣教100周年」のときに提起され、その議論がいまだに続いているのです。

どちらでもよいことでしょうか。私自身は、うるさいことを言うつもりはありません。そして今このことを申し上げているのは、あくまでも、今日の聖書の御言葉を正しく理解するための一つの例えとして持ち出しただけです。厳密に考えてみる必要がありそうだと申し上げているのは、パウロの言葉の意味は何かという点です。

パウロは、何をもって「最初の日」と言っているのでしょうか。パウロがフィリピの町で最初に洗礼を授けた日でしょうか。そうである可能性を完全に否定することはできないでしょう。しかしもう一つの可能性は、この町に「教会」が設立された日です。私自身は、後者の可能性のほうが高いのではないかと考えています。

その根拠の一つは、すでに先ほど触れました。「最初の日」について語られているからには当然言及されてもよさそうな人々の名前、すなわち、使徒言行録にははっきりと名前が出てくるリディア、また看守のことが、この手紙のなかには全く出てこないという点です。

もう一つの根拠は、この手紙の書き出し部分です。「フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ」です。この中の、とくに「監督たち」と「奉仕者たち」という表現です。この「監督」は、わたしたちが「小会」と呼んでいる教会会議のメンバーである「牧師」および「長老」に該当します。「奉仕者」は、執事のことです。この「監督」と「奉仕者」がいずれも複数形で記されているのは、まさに複数の教会役員によって構成された小会なり執事会なりの存在があったことを示しています。

わたしたち改革派教会が強く主張することは、小会の設立が教会の設立であるという点です。そこにキリスト者が一人いるだけでは、そこにまだ教会は成立していないということです。最少でも牧師が一人、長老が二人いる、合計三名の小会議員がいるところに初めて「教会」が存在すると、わたしたちは信じてきたのです。

今日、私が「最初の日」の意味に強くこだわった理由を、最後に申し上げておきます。現実の教会においては、最初に洗礼を受けた人々、あるいは最初の教会員たちがだれ一人欠けることなく信仰生活を送り続けるということは、全くないとは言えませんが、ほとんどありません。残念ですが、それが現実です。

しかし、わたしたちは、このことに落胆すべきではないと申し上げたいのです。パウロは、フィリピのキリスト者に向かって「あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっている」と書いています。その意味は、最初の日から今日まで、福音が前進し続けてきたし、これからも前進し続けているということです。

なぜそのように言えるのでしょうか。その理由は次のように説明できるでしょう。最初の日から今日まで、福音が前進し続けてきたのは、フィリピにその日まで「教会」が存在し続けてきたし、それ以後も存在し続けていくであろうからです。そのことをパウロは神に感謝し、喜んでいるのです。

教会においては個人的な出たり入ったりはある。それが現実です。しかし時代が変わり、人が入れ替わり、牧師が交代していくとしても、そこに「教会」が立ち続けているかぎり、福音は前進し続けていくのです。

(2008年9月7日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年9月6日土曜日

説教の改善方法について

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「説教の塾」は苦手



日本には、とても有名な「説教の塾」があることを、私ももちろん知っています。そこのいちばん偉い塾長さんに私も直接教えていただいたことがあります。ただし、私が教えていただいたのは、「ドイツ語Ⅱ」と「実践神学概論」だけです。説教そのものを教えていただいたことは一度もありません。ちょうど私が在学している頃に教授をお辞めになりました。辞職の理由などは全く知る由もありませんでしたし、興味もありませんでした(いまだにそうです)。そんな感じでしたから、牧師になってから7年くらい経ったころ福岡県内で開かれた講演会でお目にかかったとき、「あのー、関口と申します」と名乗りましたところ、あのギョロッとした眼で睨まれて「知ってるよ!」と(ニヤッと笑って)返され、ちょっと感動したことを、今も忘れることができません。でも、私はその「説教の塾」には参加したことがありませんし、参加する気にはちょっとなれません。説教の塾そのものには直接参加したことがないので、そこでどんなことが行われているかについて、正確なことは知りません。しかし、なされていることはだいたい分かります。私はあのような場所には参加したくありません。初めから「批判してやろう」という意図をもって座っている人々の前で説教者たちが一人また一人と「血祭り」にあげられていく姿を見ることに耐えがたい思いをもつからです。この問題点に関しては私自身がこのようにずっと感じてきたという面と、イミンク先生がハイデルベルクグループの説教学に対して発した批判からの受け売りという面とがあります。説教は、あんなふうな酷い仕方で吊るし上げられるべきではない。そう思っています。



説教の改善方法



私の考えでは、説教に対する批判的なレスポンスは、第三者がいない場所でその説教者個人に対して「そっと」伝えられるべきです。それに、説教は「塾」に通っても良くなるとは思えません。説教を良くするために最も効果的であると現時点で私が考えている方法は(それを私は実践しているわけですが)、自分の説教原稿をブログやメールマガジンなどですべて公開し、さらに可能なら説教の音声や映像までもネット上で公開し、とにかくできるだけ多くの人々の耳と目の前にさらすことです。ただし、ブログの場合は、コメントの欄は閉じておく。メールアドレスのみ公開しておき、「ご意見・ご感想がありましたらメールでお寄せください」と書いておく。そうすれば、心ある方々は必ず意見や感想を寄せてくださいます。また、「これは多くの方の耳と目の前にさらすものにするのだ」という明確な意識と自覚のもとに取り組まれた説教は、分量や表現、さらにもちろん内容的な質や深みの面で真剣なものになっていくはずです。説教を悪くする最も大きな原因(であると私が確信しているの)は、少人数の教会のなかで、耳の肥えた出席者たちが「またか」という顔で睨みつけ、または目を閉じている中で「どれほど努力しても、どうせ今日限り、この場限りのものである」という惨めな思いの中で(何となく適当に)書き下ろされた原稿を読み上げることに慣れてしまうことです。言い方を換えれば、自分自身の説教に価値を見いだせなくなることです。毎週の原稿執筆に意味を見いだせなくなることです。牧師であること、説教者になったことの目的意識を失い、自信を無くすことです。そのような説教者たちを、ここぞとばかりに「血祭り」にあげるべきではない。かえって逆効果です。



説教のカジュアル化は「教会の私物化」に通じる



「説教の塾」について私が考えていることは神学校での説教演習には全く当てはまりません。神学生の説教演習は「演習」であって、なんら「実戦」ではありません。自動車教習所のなかで運転のマネゴトをしているのと、(法に基づく)免許を取得して運転しているのとでは、意味が全く違います。また、私にとっては説教への指導をネガティブな言い方で行うか、ポジティブに言うかというようなこと自体は関係ありません。私が申していることは「なんぴとも牧師の説教を批判すべきでない」というようなことでは決してありません。むしろ批判は徹底的になされるべきです。ただし「リンチ」や「吊るし上げ」や「糾弾」のような仕方ではなく、正規の「教会法廷」(church court)において、正規の「信仰規準」(confession or standard)に則って、それはなされるべきです。説教の口調という点も、私にとってはほとんど問題ではありません。カジュアルの反対はフォーマルでしょうか。もちろん礼拝出席者の人数や会堂の様式(天井が高いチャペルか普通の民家かなど)によって説教の口調が変わって来ることは当然ですが、私自身はできるだけフォーマルに、またパブリシティを重んじて語るよう心がけています。説教をカジュアルに語ることは礼拝空間の「私物化」、ひいては教会そのものの「私物化」に通じます。その道を私は歩むことができません。いずれにせよ、「まるで友人同士であるかのように(実際はそうではないにもかかわらず)馴れ馴れしく語ることだけはするまい」と心に誓っています。説教者と礼拝出席者との(批判的)距離感を重視しています。電車やバスのなかで携帯電話を使用することが嫌がられるのと同じように、公共の場に私的で一方通行のおしゃべりの声が響きわたっているのは、不愉快極まりないものです。礼拝も然りです。緊張感のない即興(アドリブ)を交えたおしゃべりで、ひとさまの貴重な時間を無駄に使わせるような愚に陥ることを最も恐れています。私は昔から「教会が大嫌い」でした。教会はすぐにでも「私物化」されやすいからです。しかし私は牧師になりました。「教会の私物化、または私物化されやすい教会」と徹底的に戦うために牧師になりました。



「日本の説教はアメリカの教会より30年遅れている」という批判は当たっていない



「知的」か「実践的」かという点については、「教理的」か「倫理的」かという区別に置き換えて考えることができるでしょうか。これについては、あれか・これかに陥らないように、なるべく両方のバランスを重んじているつもりです。しかし私自身は、強いて言えば前者(知的ないし教理的)の要素を重んじるようにしています。後者(実践的ないし倫理的)の要素は、語らないわけではありませんが、いくらか抑え気味に語ることにしています。そして、説教において私は、最初から最後まで「問い」を発し続けます。「答え」は決して語りません。それ(答え)を私は知らないし、いろんな可能性があると思うし、「答え」は説教を聴く一人一人が自分で出すものであると信じているからです。私のような説教と、それを裏打ちしている説教学が「30年前のアメリカ状態」かどうかは、アメリカに一度も行ったことがないので分かりません。しかしまた、「30年前のアメリカ状態」という(おそらくは批判的な意味が込められている)表現が実際に何を意味するかは、そのように言っている人々に聞いてみなければなりませんが、なんだか非常に大雑把で乱暴すぎると感じるし、かなり意味不明です。また、そもそも私は、アメリカを基準にして「あの国で行われていることに比べて日本は遅れている」と語るロジックはステレオタイプだと考えておりまして、そのような言葉には聞く耳をもたないことにしています。それに、30年前のアメリカはある部分においては「ヒッピーブーム」だったでしょうし、「神の死の神学」や「革命の神学」や「聖書の非神話化」や「キリスト教の非宗教化」が流行していた頃ですし、「人間ジーザス教」への傾向が進んでいた頃です。かたや、伝統的な制度的教会(institutional church)のあり方に対するそのような破壊的流れに反対する動きもありました。もしかしたら、「30年前のアメリカ状態」という表現を批判的な意味で用いる人々は、当時の流行に乗らないで伝統的な制度的教会のあり方に固執した(ように見えた)人々を指して言っているのかもしれません。教会とそこで語られる説教は「テレビよりも退屈」でしょうか。私の感覚は相当違います。テレビほどステレオタイプな存在は他にありません。ステレオタイプは退屈です。説教者は、彼らよりも自由に(非制約的に)語ることができます。



説教は人心掌握術ではない



どうしてでしょう、言葉尻をつかまえて何かを言いたいわけではありませんが、先生のお考えのなかに「説教とは人心掌握術(マインド・コントロール・テクニック)である」という点が見え隠れしているような気がしてなりません。「聞く人にとって一番わかりやすい言葉を語る」。「聞く人が一番リラックスして心を開く言葉を語る」。「標準語よりも方言のほうが聞いた事を受け入れやすい」。「娯楽番組に慣れ親しんだ人々を30~40分惹きつけ続けて語らなければならない」。私の感覚から申しますと、この手の“配慮”は、相手にとっては余計なお世話であるし、相手をナメている態度です。自分は常に上にいて、周りのすべての人をみくだしている態度です。「オマエたちのように何にも分かっていない連中のところまで、オレサマが降りて行ってやる。柔らかく噛み砕いて教えてやる。ありがたいと思え」と言っているようなものです。「いや、わたしは決してそんなことを言っているわけではない」と、こちらがいくら言っても、相手の耳と心にはそのように響きます。私なら、そのような説教に吐き気をもよおします。椅子を蹴っ飛ばして出て行きたくなります。その礼拝に出席してしまったことを生涯後悔し、二度とその教会に近づくことはないでしょう。すべて逆ではないでしょうか。「説教者が、自分が実際には何を語っているのか、自分が語っている言葉を自分で理解できているのか、自分で理解できていないままの言葉を語っていないかを、徹底的に吟味して語る」。「説教者が一番リラックスして、自分が喜びと感謝をもって受け入れている福音の真理を、(準備不足の言い訳でしかないようなアドリブまじりのフリートークでお茶を濁すのではなく)落ち着いて丁寧に語る」。「方言が用いられることによってその方言を用いる人々以外の人々が“心理的に締め出される”ことがないように、できるだけ標準語を語る」。「1、2分おきに『ギャハハ』と爆笑(の録音音声)が聞こえる(ように仕組まれている、アメリカナイズされた)テレビの娯楽番組(のステレオタイプ的な盛り上げ術)に飽き飽きした人々に、聖書と向き合いつつ物事を落ち着いてじっくり考えるための、静かな時間を提供する」。



説教の核心は現代用語で置き換えうるか



「マインド・コントロール」ではなくて「配慮」であると言われるかもしれません。私もつい先ほど、「そのような“配慮”は・・・余計なお世話である」と書きました。先生が「配慮」しておられることが良く分かるからこそ、その「配慮」の内実を問うているのです。先生は「教会用語は、一般的な用語に置き換えて語らなければ現代人に伝わらない」とお考えのようですが、もちろんそのとおりの面があることを、私も了解しています。しかし、熟達した説教者であればだれでも、教会用語を教会用語のまま、説教において語ることはしません。教会用語をその時代に理解可能な言葉で定義しようとします。初めて教会に来た人に「言葉が難しくてさっぱりわからなかった」と言わせてしまう説教者がいるとしたら、その説教者はこの定義(definition)に失敗しているのです。ところが、もっと大きな問題は、この先です。「神」は、どの現代用語で言いなおすことができるでしょうか。「罪」は、「救い」は、「終末」は、現代のどの用語で正しく置き換えることができるでしょうか。「もちろんできますよ」とお答えになるかもしれません。しかし、私が問いたいのは、「その言いなおし、その置き換えは、神学的・内容的に正しいものでしょうか」という点です。この問いの意図は、こうです。説教者自身は「自分が用いた譬えは絶妙であった。ウケタ(=笑いと関心を獲得しえた)」と満足できたかもしれない。しかしまさにその譬えそれ自身が、説教を聴いている人々を途方もない誤謬や異端へとミスリードしてしまっている可能性があるのではないでしょうかということです。「聖書の言葉は現代用語へと容易く置き換えうる。我々は分かりやすく語りうる」と考えている説教者がいるとしたら、その人は、現代人をナメていないのだとすれば、神学をナメているのです。



正しい情報が伝えられることを願う



あるいはまた、もし先生がおっしゃっていることが私の言う「教会用語をその時代に理解可能な言葉で定義すること」と同じことであるとしたら、日本の説教者と教会と神学校はすべてそのことに日夜、汗と涙を流しながら真剣に取り組んでいます。「30年前のアメリカ状態」とか「知的であるが実践的でない」などというような(それ自体は意味不明な)印象批評は全く当たりません。日本の状況についてのそのような誤解と悪意に満ちた情報を先生に吹き込んでいる人々には、その考えを直ちに撤回していただきたきたいと強く願っています。もしそれが神学校の教授のような人であるとしたら、そのようなことを学生たちに吹き込んでいる教授やその神学校の学的権威を私は決して認めません。なんとつまらないことを教えている人々なのでしょうか。ウェブ上で聴くことができると言われる先生のメッセージをいまだに聴かないでいるのは、私の申し上げていることが(まだ一度もお目にかかったこともない)一個人としての先生のお考えを批判しようとしているものではないことを明らかにしたいからです。



「日本の教会」のイメージは一律ではない



私は42年間「日本の教会」と付き合ってきましたが、先生の存在をこのたび初めて知りました。先生も私をご存じなかったと思います。つまり、これまではお互いの間に接点は無かったということであり、「日本の教会」と一口に言っても、付き合ってきた人の範囲や関係は違っていた。先生が付き合ってこられた「日本のキリスト者」と私が付き合ってきた「日本のキリスト者」とは違っている。耳にしてきたコメントも違う。だから、「日本の教会」あるいは「日本のキリスト者」に対して抱いているイメージも違う。結論はそういうことでよろしいのではないでしょうか。先生は先生なりの方法で御自分の畑を耕す。私は私なりの方法で自分の畑を耕す。それで良いのではないでしょうか。私は、「自分の説教を聴いてください」などと、同じ仕事をしている相手に押しつけたりはしません。そういうことができてしまう先生とは、持っているエートスもかなり違うようです。内容は何であれ、他人から何かを強く押しつけられることは苦手です。先生が説教なさる相手は、私ではなく、御自身の教会の方々ではないでしょうか。私には「日本の教会」を庇う責任がありますので、批判や侮辱に接すると、聞くに堪えないものがあります。



「改善点の指摘」は自分自身に向けるべきである



それとも、このたびお書きになったことが「吹き込まれたこと」ではなく御自身の考えであるとおっしゃるなら、先生御自身にはっきりとお伝えせねばならなくなります。日本の教会を「客観的に」眺めて、どうぞ論評し続けてください。ただし、先生のような、狭い見聞(聞きかじりだとか)に基づく無責任な評論家の言葉には、誰も耳を傾けないでしょう。説教についての考え方の違いは、私なりに説明させていただきました。ほとんど正反対とも言いうる説教理解の持ち主であると分かりました。それはそれで尊重します。しかし、先生の説教(とその理論)も完璧なものではないでしょう。もしそのこと(先生の説教は完璧なものではないこと)をお認めいただけるようでしたら、御自身の説教をどうぞとことん改善していただけばよいのであって、赤の他人の説教の改善の必要性を力説しなくてもよいでしょう。もし先生が仮にも説教者ならば、「改善点の指摘」は、他人に向けるのではなく、自分自身に向けるべきです。そこが余計な御世話だと思っているのです。「説教を向上する一番の方法は、優れた説教者の説教を聞くことである。牧師が他の牧師から学ぶ姿勢を忘れたら成長しない」とおっしゃっている点は、同意いたします。しかし、文脈から読み取るに、先生は御自分が「優れた説教者」であると思っておられるご様子です(それ以外にどのように読めるでしょうか)。この点があきれます。ある意味大したものです。しかしおそらくは先生のパーソナリティに起因する何かではなく、出身教会か神学校あたりで身につけられた何かではないかと感じます。この種の勘違いに陥っている人を他にもたくさん知っているからです。しかしまた、まさにこの点が先生と私の間の決定的なギャップを作りだしています。私も「優れた説教者の説教」ならば喜んで聴きますが、へんに自信過剰なだけの、押しつけがましい、見知らぬ説教者の言葉を聞くつもりはありません。謹んでお断りいたします。もう十分でしょう。ひとまず終わりにしましょう。



mixiに自己紹介文を書きました

mixiに自己紹介文を書きました。

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関口康(せきぐちやすし)です。千葉県松戸市の教会で牧師をしています。

mixiにログインできるようになることを長年憧れていましたが、だれも誘ってくれず寂しく思っていました。悔しかったので、友人に「私を誘ってください」とお願いして無理に入れてもらいました。

空気は、私なりにかなり慎重に読み切ったうえで、どうしたら「読めないやつだ」と思ってもらえるかをいつも考えています。

昔から、修学旅行のときは同室の人のなかで最後の最後まで起きていて、全員眠ったのを確認してから自分もねるという感じの人間でした。

そんな私ですが、どうかよろしくお願いいたします。

でも「マイミク」という四文字を見ると、中川翔子さんが「ギザ」とか言っているのを見るときにも感じる気恥かしさを覚えます。「あ、また見ちゃった」という感じ。穴があったら入りたい気持ちになります。

その昔「マンモスノリピー」とか言っていた人に対しては感じなかった思いなので、私もそれだけ年齢を重ねてしまったのでしょう。

それと、年齢とは関係ないかもしれませんが、女性については21年間、ただ妻だけに特化して愛してきましたので、女性とのメールのやりとりがちっとも盛り上がらないことを、ちょっとだけ苦にしています。



2008年9月5日金曜日

mixiのプロフィールに追加しました

mixiのプロフィールに「好きな音楽」、「好きな映画」、「好きな本、マンガ」を追加しました。

かなり古いものも含まれていますが、とくに昔のものは私の性格形成に影響を与えたとさえ言いうるものをピックアップしました。

「好きな音楽」は、レッド・ツェッペリン、ZARD、コブクロです。

「好きな映画」は、007シリーズ、ミッション・インポッシブル、白バラの祈りです。

「好きな本、マンガ」は、笑われそうですがマンガのほうだけ書きました。サイボーグ009、ONE PIECEです。とくにONE PIECEの第41巻は、何度読んでもボロ泣きします。

これで分かってしまうかもしれませんが、私が好きになるものに共通している要素があるとしたら、(こんなことを言葉にするのは初めてですが)、「自分にしか関心がない」の対極に立つ、「輝くような勇気をもってこの世界を背負って生きようとするカッコよさ」をもった存在です。

ちなみに、私の妻もそういうカッコいい人です。私の最愛の存在です。

若干の修正

とはいえ、「フィクサー」だなんて古めかしい(子どもの頃よく読んだカッパブックス的な)言葉を持ち出してしまったことを、他にもっとピッタリの言葉が思いつかなかったために使っただけとはいえ恥ずかしく思っています。ふつうは隠れている存在を「フィクサー」というのでしょうけれども、今の政治を裏から動かしているらしい存在は、それほど隠れてもいないようにも見えるというか誰もがよく知っている感じでもあるので、「フィクサー」という表現は当てはまらないかもしれません。今の日本政治にとっての最も危険な存在と思えるのは、与党の一翼を担っている宗教系政党です。我々キリスト教会も間違いなく宗教団体ですが、あのような人々の行き方に与するものではありません。私が夢見ている、数十年後か次世紀に生まれるであろう「日本のキリスト教政党」も、今の与党の宗教系政党とは明確に異なる道を進むべきだと信じています。

そこはかとない日本

「福田内閣メールマガジン」の最終号についてもう一つ気になっていることは、福田氏が書いた政治哲学の内容です。「太陽と海と伊勢神宮」の三つが「永遠の今」であると。「永遠の今」という字を見て20世紀の神学者パウル・ティリッヒを思い起こした日本のキリスト者は多いでしょう。しかし私の関心はそちらではなく、なぜ福田首相は最後の言葉に「伊勢神宮」を選んだのかです。右傾化を読み取る人は少なくないでしょう。でも、私は何か違うものを感じました。福田氏に踏めなかった「踏み絵」があるというメッセージではないか。そんな気がしました。日本は今後どこへ向かっていくのでしょうか。そこはかとない日本を前にして、黙っていることができず、しきりと何かを書きたくなる私がいます。



「46週間内閣」の謎

本日配信された「福田内閣メールマガジン」の最終号は「第46号」でした。短命の一言に尽きる内閣でした。



この短さがあまりにも気になりましたので「安倍内閣メールマガジン」の最終号を見ましたところ、ちょっとびっくりしたことは、こちらも「第46号」であったことです。もちろん偶然の一致でしょうけれども、なんとなく不可解なものが残ります。



5年続いた「小泉内閣メールマガジン」の最終号は「第250号」でした。原則的に毎週木曜日の午前7時きっかりに配信されてきた(ように見える)彼らのメールマガジンです。つまり二つの内閣のメールマガジンの最終号が「第46号」であることの意味は、彼らの政権がきっかり46週間で幕を閉じ(させられ?)ているということです。共に「46週間内閣」であったということです。



この数字的な一致の理由は、それほど多くはないような気がします。おそらくは安倍氏が首相になる前に、安倍氏自身でも福田氏自身でもない(そしてもしかすると自由民主党の内部にいるのでもない)第三者が、政権交代についてのアジェンダを作成したのではないか。そのアジェンダを忠実に実行する秘密チームのようなものがあるのではないか。「まずは安倍に46週間、次は福田に46週間、そして次は○○、その次は○○」というような何かが。



政治にかかわる人々がその種のアジェンダを作成することや、その種のプランナーたちがいることは当然といえば当然のことですが、問題はそのような何らかのアジェンダが「忠実に」実行されてしまうこと自体です。最高権力者であることになっている(はずの)首相自身を一週間の狂いもなしに(きっかり46週間!)「忠実に」従わせるアジェンダと、それを実行するための秘密チームが存在するとしたら、それはほとんど「恐怖政治」と呼んでもよいような何かです。



もしこの推測が当たっているとしたら、福田氏の辞意表明の「唐突さ」の意味と、辞意表明中の「悔し涙」の意味、あるいはまた、そもそも政権担当中からの福田首相の「やる気のなさ」や「無表情」の意味がうまく説明できるようになります。福田氏から麻生氏への「禅譲の密約」というようなたぐいのものは、あったかもしれませんが、それはあくまでも個人レベルの話であり、自由民主党内部の話です。



私が気になっているのは、そんな小さな話ではありません。もっと気持悪い何か、戦慄を覚えるような何かです。安倍氏と福田氏の「任期」をちょうど46週間にしておくことで(「46」という数字そのものには意味はないように今のところは感じられます)、この「任期」を一国の最高権力者に守らせたことを暗に国民に悟らせようとしたフィクサーの意図を感じます。一種の犯行声明に近いものです。



2008年9月4日木曜日

この思い、日記には書いておきます

日本キリスト改革派教会における女性教師・女性長老の「実現」のために未だになされていないことは、大会の議決権をもつ人々による、同志の議員連盟(議連)をつくることです。いまや議論は出尽くしています。お互いの腹の探り合いをしている段階は終わっています。その意味で、賛成・反対それぞれの議連をつくるときがすでに来ているのではないかと私自身は感じています。私自身は女性教師・女性長老の「実現」を願っている者ですので、そのグループが結成されたときは、喜んで参加させていただきます。

2008年9月3日水曜日

「田村でも金、谷でも金、母でも金」みたいでちょっと嬉しい

ちょっとだけ自慢させてください(日記のなかで誰に自慢するつもりだい?)。



「今週の説教」という語で検索した場合の結果として、私の説教サイトを探り当ててくれる順位がついに、グーグルでも第1位、ヤフーでも第1位、MSNでも第1位になりました!(本日現在です。この順位は日々変動しています)。



この検索結果は、私にとっては奇跡の瞬間芸のようなものですので、今日の日付を記念すべく書きとめておきます。



時々チェックしているうちに気づいたことは、各検索サイトの検索結果の上位にランクインしているのが、私(日本キリスト改革派教会牧師)のサイトと、日本カトリック教会の神父さんのサイトと、日本福音ルーテル教会の牧師さんのサイト。



つまり、うんと単純化して言えば、「カトリック、ルーテル、改革派」で三つ巴の競争(?)をしているように見えるということです。



まるでこの三者が16世紀っぽい説教競争を21世紀のインターネット内で再現しているかのように見えて、面白いです。



ただし、残念ながら、各検索サイトにおける順位が何を意味しているのかを、私は知りません。上記三つの検索サイトごとに結果が微妙に違っているところを見ると、それぞれの検索サイト会社が各自で持っている何らかの統計結果を反映しているのではないかと想像できます。



2008年9月2日火曜日

インターネット時代における「帝王教育」の不可能性

「福田首相辞意表明」のニュースを見ながらもう一つ考えさせられたことは、福田さんが流した涙の原因です。

本来なら、今こそ泣きたいのは、自分の国の首相が突然職務を放棄することで大恥をかいた国民です。それなのに福田さんはまるで自分が被害者でもあるかのように泣き出す。

こともあろうに悔し紛れにひとりの記者をつかまえて、「私は自分を客観的に見ることができる人間である。あなたとは違うんです」。

元首相であった父のもとで受けたであろう何らかの「帝王教育」が、福田さんに極度の自己愛を抱かせたのではないでしょうか。

そう言えば安倍さんも、辞めるとき泣きました。心神喪失状態に陥りました。「お前は他の人間と違う特別な人間である」という自意識を幼い頃から植え込まれていたからではないでしょうか。

しかし、それは、このインターネット時代においてはもはや不可能な自意識であるはずではないでしょうか。

皇室の子どもたちの将来も心配です。自分たちに対する批判的なブログも見たことがないような「帝王」たちは、これからは、無知の謗りを免れないことになりはしないでしょうか。

このインターネットが存在するかぎり、現代社会における宗教と政治の「世俗化」は不可逆的に進行していくでしょう。

この流れを堰き止めることはもはや不可能であると私は考えています。好むか好まざるかにかかわらず、我々はこの「世俗化」に向き合い、かつ付き合っていかざるをえません。


日本語の誤り(3/3)

私の知るかぎり、「第二の人生としての牧師生活」を志す方々の多くは、(少なくとも外見上は)謙遜な方々ばかりであり、周りから見れば「牧師になるにふさわしい」と認めてもらえそうな方々ばかりです。しかし、その人が謙遜であることと、批判を向けにくい相手であることとは別です。日本キリスト改革派教会には牧師の70才定年規定がありますので、「第二の人生」を迎えた人は、そこから牧師の道をめざすことはできません。そういうのは概念矛盾だと考えている牧師たちが多いはずです。ここから先はまるで私の自己弁護みたいに響いてしまうかもしれませんが、本来「牧師」は(かつてのヨーロッパでは)ギムナジウムと大学を卒業したらすぐになって、そこから退職までずっと続けるもの、つまり純粋に「職業」だったはずです。しかしそれが日本の教会では(時々なぜか改革派教会の中でも)いつのまにか「牧師は職業ではない」とか言われ、すっかり誤解され変質してしまっています。「牧師は職業だと思いますけど」と返すと、「サラリーマン牧師めが!」と罵倒され白眼視されるケースまであります(「サラリーマン牧師」という物言いを批判的な意味をこめて語ることはサラリーマンの方々に失礼です)。「牧師の身分」という表現を(これは改革派教会にも少なからず)さらっと使う人がいます。 しかし牧師は「身分」(ステータス)でしょうか。全くの誤解です。いつから日本のプロテスタント教会はカースト制度さながらの縦社会になったのでしょうか。牧師は純粋に「職務」(オフィス)であり、その意味での「職業」です。「牧師の身分」という言葉を悪気なしに使っている人まで批判するつもりはありません。しかし、こういうのも私は「日本語の誤り」であると考えています。レトリックが決定的に不足しているのです。



日本語の誤り(2/3)

とはいえ、これはあくまでも日本キリスト改革派教会の場合です。他の教団・教派には必ずしも当てはまらない部分があるでしょう。各個教会の牧師の暴走・迷走を訴え出る「法廷」(長老主義の場合は「中会」や「大会」)が存在しない、または機能していない場合、教会役員はじめ教会員が何らかの「自衛手段」を持つべきは当然のことです。 また、「神学校出たての老牧師」の場合なども難しいケースです。「先輩牧師に育ててもらう」と口では言えても、「初めから老牧師である人の先輩がどこにいるのか」という悩みが生じます。この理由から、私は、他の仕事を定年退職した後に「第二の人生を主にお献げしたい」という(それ自体はまことに敬意に値すべき)理由で牧師になろうとする高齢者たちに対して(やっかみとかではなく)非常に大きな疑問を持っています。 そういう人々の多くが、どこかしらアンタッチャブルな存在になってしまうからです。要するに、だれも「彼/彼女」を批判することができません。なかでも自分がそこで長年「教会役員」を務めてきた教会に自ら「牧師」として赴任する老牧師の場合などは、ほとんど確実にそうなります。 しかし「アンタッチャブルな牧師」だなんて全くの概念矛盾です。だってその人が「神の言葉」を語ろうっていうのですから。想像するだけで空恐ろしいものがあります。



日本語の誤り(1/3)

「教会が牧師を育てる」という言葉を聞くことがあります。しかしこれは、私に言わせていただけば、どう考えても日本語の間違いです。百歩譲っても。また長老主義においては「牧師」と「長老」は「霊的に同格である」と規定されているとしても、です。(少なくとも改革派教会の)牧師は「教師」です。「教師が生徒を育てる」は日本語として正しいと思いますが、「生徒が教師を育て」ますか? これって今どき流行りの「モンスターチルドレン」ではないでしょうか(「モンスターペアレンツ」は、もう古いようです)。私の信じるところは、牧師を「育てる」のは、(なるべく同じ中会の)「先輩牧師」か、そうでなければ(神学校の)「指導教授」です。このように書くのは、「教会員が牧師の批判をしてはならない」という意味では(まさか)ありません。批判は、大いにすべきです。しかし、牧師批判を「あなたを育てるために、してあげている」と言われると我々はかなり困ります。そのようなことをこの私に対して面と向かって言った人はまだいませんが、もし言われたときには「そう言いたければ、あなたも教師(牧師)になってください。あなたは私の教師ではありません」と言い返そうと思っています。



野党のコメントにひねりが欲しい

「福田首相辞任表明」をネットで知り、うげぇーと思ってテレビをつけました。ものすごく腹が立ったのは、福田首相が辞任表明の途中で、時々、うっと来ていたところです。「泣くなよ!」・・・え、それとも、自分はみんなから支持されているとでも思っていたのか? 私はてっきり、福田さんは、自分は支持されていないことが分かっていて、それでも「これが自分の仕事だから」という理由で続けているのではないかと思っていました。その種の(やや悪質ではあるが興味深い)図太さを持っているのではないかと感じていました。それならば敬意に値します。しかし突然辞める。辞意表明の最中に泣く。この人は究極の勘違い総理大臣だったのだと、今夜やっと分かりました。こういう人を総理大臣にもつことは国民の恥です。もう一つ。腹こそ立ちませんが、いかにもバカっぽく見えたのは、野党党首たちの、判で押したような、つまらないコメント。もう少しクセ球を投げる野党を見てみたいんです、私は。あえて名指ししますが、典型的にあの福島みずほさんのように(鳩山さんや志位さんもほとんど同じですが)バッティングセンターのピッチングマシーンのようなコメントしか出てこないと、どんなに速度ある球でも、目が慣れてくると、どんな素人でも打ち返せるようになるんです。加えて思ったことは、総理大臣をポイっと辞める人って何のために政治家になったんだろうかということです。総理大臣って政治家になった人たちにとっては究極目標じゃないんですかね(違うのか?)。総理大臣が、現職のまま「周囲の圧力で」死ぬなら、本望じゃないんですかね(これも違うのか?)。もし「周囲の圧力で」辞めるということだとしたら、「総理大臣としては死ねません」ということかと思えてなりません。極端に自己愛が強いだけの人だったのかもしれません。「この内閣は続くかも」と思っていた私の、人を見る目の無さも痛感。今、かなり不愉快です。