2017年8月31日木曜日
サブカル語翻訳の限界(下)
(上から続く)
私も日本基督教学会の末席を汚す一会員だが、キリスト新聞社『ミニストリー』最新号(34号、2017年8月)掲載拙文「サイボーグ009にみるロゴス・キリスト論の諸相」(「空想神学読本」)を学術論文としてカウントする考えはないので諸氏の御安心を請う。全力で書いたのでご一読いただきたい。
前にも書いたが、雑誌は「旬の」特集記事や「著名人の」連載記事がもちろんメインだが、それだけでなく、表紙でも宣伝してもらえず広告にも載らないような「埋め草」の部分が意外に重要なのだ。埋め草をサラサラと書けるライターが編集部にとって意外に貴重なのだ。私は「うめくさサラ」と名乗りたい。
あまり遠い過去にしすぎると傷つく方がおられるので控えめに言うが、「かつて」ある世代の人々が口を開けば戦争の話になった。幼少期の体験が焼き付いているからだ。それと同じことが、我々の世代にとってはマンガやアニメだし、今の生徒・学生たちにとってのネットに当てはまるとしか言いようがない。
「お花畑」という罵倒語をよく見かけるが、必ずしも事実ではない。まぶたを閉じれば腕も足も破壊されたマジンガーZや憎々しいバルタン星人を彷彿する人は、おそらく少なくない。過度にトラウマになるようなものは有害指定されて見せてもらえなかった(見たかったわけではない)。それの何が悪いのか。
たぶん今の20代以下の人たちは、60歳になろうと70歳になろうと、まぶたを閉じればピカチューとサトシとロケット団を彷彿するのではないか。あったかい温泉につかりながら「ポケモンゲットだぜ」と口ずさむのではないか。オトナになるとそういうのは一切忘れて演歌をうたうようになるのだろうか。
戦争体験を語り継ぐことが悪いと思っているのではない。血と死の場に居合わせた人だけがこの世のリアルを知っていて、そうでない人はそうでないかのような言われ方には承服できないと思っているだけだ。端的に言ってそれは事実ではない。それぞれの世代のそれぞれのリアルがある。互いに尊重すべきだ。
しかし今書いたことのすべてが私に当てはまるわけではない。戦争のことではない。まぶたを閉じればマジンガーZやバルタン星人を彷彿しないわけではない。しかし、アブラハムやモーセやサムエル、イエス・キリストやパウロやステファノ「も」彷彿する。アニメの主題歌だけでなく讃美歌「も」彷彿する。
その状態を正確に言葉にするのは不可能だが、マンガやアニメや特撮の登場人物と「聖書の」登場人物が同一の地平に共存しているかのようだ。だから私個人に限っては(他の人はそうではないという排他的な意味はない)聖書や宗教を無理にサブカル語に翻訳する必要を感じない。一元化する必要を感じない。
通時性と共時性の関係でいえば、「過去」に属する(?)聖書の登場人物や出来事を「現在」に属する(?)サブカルの登場人物や出来事へと翻訳する必要を見出すのは両者を通時的にとらえている人々であると思われるが、両者が共時的に共存しているかのような感覚を持っている人に翻訳の必要はないのだ。
今書いていることにマンガやアニメや特撮の制作者の意図は全く関係ない。聖書の登場人物や出来事とサブカルの登場人物や出来事が共時的に共存しているかのような感覚を持っている人にとっては両者を一元化する必要がないと言っているだけだ。イエス・キリストとマジンガーZが同一地平上に立っている。
嫌われることを覚悟せざるをえないが、ロックやパンクで「神の愛」を歌うのを聞くのが苦手だったりする。これも理由は似ている。一元化する必要を感じない。ロックやパンクは「人の愛」を歌っていてくれるのがいちばん安心する。アニメの主題歌とロックとパンクと讃美歌は別ジャンルだと私には思える。
長くなったので結論を急ぐ。聖書や宗教のサブカル語翻訳にせよ、ロックやパンクで「神の愛」を歌うことにせよ、そこで行われる一元化の前提理解として「聖書」と「現在」は共存しえない対立関係にあるという思想が潜んでいると私には思える。それが私にとって最大の疑問だ。対立関係ではないと思うよ。
対立関係だと思っているから一方が他方を打ち消そうとする。「聖書」か「現在」か、「神の愛」か「人の愛」か、「讃美歌」か「ロック」か。どちらもどちらも大好きよ私の心は決められない(恋のアメリカンフットボールby Finger5)と思うから無理やり一元化しようとする。なんでそうなるの。
戦争のことにも触れておく。「戦争体験の美化」という言葉まで持ち出すと反発を避けられそうにない。戦場に立ち会ったことや、目の前で人が亡くなったことがリアルでないとは言わない。しかし、それを追体験することが無体験世代に求められているのだろうか。もし求められているとしたら、どうやって。
ネットであやしげな殺人動画などを見始めて「これがリアルだ」とか思い込むのは激しく危険なことだし、そういう問題ではないとしたら、だったらどうするのかという話になるだろう。徴兵制を言う人たちが戦場のリアルを知らないから今の子どもはだめだ、などという。それは違うと私は当然思うし、言う。
ちなみに私の父はナチス台頭の年生まれだ。敗戦の年に小学6年生だった世代。戦場や軍隊の体験があるのはもう少し上の世代の人たちだ。その人たちの体験や証言を否定する意図は毛頭ない。無体験世代の我々の「リアル」も、その人たちの「リアル」と比較して何ら遜色ないぜよと言いたがっているだけだ。
2017年8月30日水曜日
「日本基督教団信仰告白の研究」を完成させたい
| 「日本基督教団信仰告白の研究」(1995年、未完成) |
「日本基督教団信仰告白の研究」と題する約1万字の文章が手元にある。1995年に私が書いた。当時30歳。日本基督教団南国教会(高知県南国市)の牧師だった頃。未完成のまま放置した。1997年に日本基督教団を離れ、2016年に日本基督教団に戻った。しかし私には元々こういう関心があった。
その関心は途絶えたことがない。さすがに日本基督教団の外にいたときに「日本基督教団信仰告白の研究」を書こうとは思わなかったが、絶えず念頭にあった。そして今は正真正銘、日本基督教団教師である。20年以上眠らせていた未完成稿を全面的に書き直し、なんとか完成にこぎつけたいと今願っている。
「日本基督教団信仰告白の研究」を書いた1995年の私がまだ知らなかったのはファン・ルーラーを含むオランダのプロテスタント神学である。私は1997年からファン・ルーラーの研究を始めた。これらはすべて私の中で連動している。どのような関係にあるかを今後明らかにしていく必要があるだろう。
2017年8月29日火曜日
サブカル語翻訳の限界(上)
どこかで読んだことのほぼ受け売りだが、マンガにせよアニメにせよ流行音楽にせよ共通の記憶を持っているのは実は狭い範囲の人たちでありそれ以上ではないのでサブカルベースで語り合うことには限界があるというのはそのとおりだ。私が子どもと一緒に見たビーロボカブタックの話も通用する範囲は狭い。
ビーロボカブタックの登場人物が、高円寺くん、吉祥寺くん、荻窪くん、三鷹さん、小金井さんとすべてJR中央線の停車駅の名前であることや、カブタックがスーパーモードからノーマルモードへと戻るとき「もとに戻っちゃったカブー」と言うことなどは、私は今でもニヤニヤできるが、知らない人は多い。
マスクがトンボの形の審判ロボ、キャプテントンボーグの決め台詞が「一つ贔屓(ひいき)は絶対せず、二つ不正は見逃さず、三つ見事にジャッジする」であることなどは、私にとっては忘れることがありえないほどの強烈な記憶であり、今や私の座右の銘ですらあるが、知らない人が多いので閉口する他ない。
聖書や宗教をサブカル語に翻訳することは悪くない。しかし、上記のような限界があるので、期待するほどの広がりも深まりも起こらない。分かる人には分かるが、分からない人には分からない。書かずもがなのことではあるが、「翻訳者」がこういう自覚を持っていないわけではないことは、分かってほしい。
しかしもうひとつ書いておこう。限界があるからといって、「ほら見たことか。言わんこっちゃない」と、その努力をしたことがないし、しようとしない人が、努力している人の試みを否定するのを支援する意図は私にはない。おそらくそれが最悪の帰結である。できることはなんでもやってみようではないか。
それを言ったらおしまいよかもしれないが、日本の宗教界がピンチなことは事実だが、まずはお寺でも教会でもせめて中学生以下に理解できる平易な日本語でお経なりお祈りなりするようになるだけで、人の興味を取り戻せるのではないか。強固な電磁バリアを張ったままで来い来いと言われましてもねという。
やってるよと言われるかもしれないが、そうだろうか。もう何年も行く機会がないが仏式の葬儀。そのほぼ最初から最後まで少なくとも私には意味不明の外国語のお経を唱え続けられて興味を持てと言われても少なくとも私には無理である。最近は違うのだろうか。最初から最後まで意味が分かる言葉だろうか。
文語の主の祈りや交読文や讃美歌を大事にしている教会がある。それが悪いと責める意図はない。しかし私自身ずいぶん長く教会生活を送ってきたつもりだが、いまだにただ音声として発しているだけの部分がないとは言えない。意味や気持ちは後からついてくるから分からぬまま唱え続けろ式で大丈夫なのか。
意味など分からないほうが高尚で権威を感じて「ありがたい」から宗教らしさがあっていいという感覚は理解できないわけではない。しかし、そういうのはピンチの回避をする気など全くなく、次の世代、次の時代にこれを残す意思もない、悠長で自己都合だけの人たちの考えだと言われても仕方がないだろう。
この点から考えると、聖書や宗教のサブカル語翻訳は一方の極から他方の極へのジャンプのように思えてならない。一方の極端に意味不明な領域から他方の極端に意味不明な領域への飛び移り。これもサブカル語翻訳者や企画者に対する批判ではない。私自身もするので。しかし「普通」はないのかとよく思う。
(下に続く)
2017年8月27日日曜日
共に生きる喜びを!(蒲田教会)
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マタイによる福音書14章13~21節
関口 康(日本キリスト教団牧師)
「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。『ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。』イエスは言われた。『行かせることはない。あなたがたが彼らに食べるものを与えなさい。』弟子たちは言った。『ここにはパン五つと魚二匹しかありません。』イエスは、『それをここに持って来なさい』と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。」
蒲田教会のみなさま、おはようございます。関口康と申します。今日の礼拝に説教者としてお招きいただき、ありがとうございます。どうかよろしくお願いいたします。
先ほど林先生に、私の「これまで」をご紹介いただきました。そのとおりの歩みをしてきました。自分の意識としてはまっすぐ進んできたつもりです。しかし、もしかしたら紆余曲折しているようにも見えるでしょう。解釈は皆さまにお任せいたします。
しかし、自分の話ばかりで申し訳ありませんが、現在の私が無任所教師であることと、来年度以降の任地が決まっていないことは厳然たる事実です。今のままでいいと思っているわけではありません。とても焦っています。初対面の皆さまに個人的なことをお願いするのは心苦しいですが、私のためにお祈りいただきたいです。
しかし、今日選ばせていただいた聖書の箇所は私のこととは関係ありません。林先生からご連絡をいただきましたとき、ちょうど私が個人的に読んでいた聖書の箇所でした。いろいろと考えることの多い箇所でした。分からないことだらけでした。それで、私が皆さんに問題の答えをお教えするというのでなく、皆さんに答えを教えていただきたいと思って、この箇所を選ばせていただきました。
とても有名な箇所です。四つの福音書のすべてに並行記事が出てきます。このようなことをイエス・キリストが確かになさったということを、二千年前の教会は、確実な事実として受けとめたのです。
そして私も、そしてきっとみなさんも、このような出来事が起こったということについて、あるいは少なくともこのようなことが聖書に記されているということについて、そのこと自体を疑う気持ちはないと思います。この出来事の核心部分は、19節以下に書かれていることです。
「そして(イエスは)五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお与えになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった」(19~21節)。
最後の言葉には引っかかるものがあります。なぜ「女と子供」は「別」なのでしょうか。なんだか腹が立ちます。しかし、大人の男性だけが食べて、女性と子どもたちは食べさせてもらえなかったという意味ではありません。当時の人の数え方だったようです。そうだとすると、ますます腹が立ってくるわけですが。
しかし、これで分かるのは、群衆の人数は五千人ではなかったということです。五千人の倍の一万人か、あるいはそれ以上の人がいたということです。そして、それだけの人々にイエスさまが「五つのパンと二匹の魚」(19節)を分けてくださったということが今日の箇所に記されていることです。そして、これと同じ出来事が、新約聖書の四つの福音書のすべてに記されています。
しかし、逆の言い方をすれば、今日の箇所にも、他の三つの福音書にも、いま私が申し上げたこと以上のことは書かれていないのです。そのことが私には重要なことだと思えます。
この箇所に何が書かれていないかといえば、たとえば次のようなことです。「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱えると五つのパンは五千個のパンになり、二匹の魚は二千匹の魚になったので、イエスはそれを弟子たちに配り、弟子たちはそれを群衆に与えた」というようなことです。そのようなことはどこにも記されていません。
いやそんなことはないという反論があるかもしれません。「すべての人が食べて満腹した」(20節)と書いてあるではないか。「残ったパンの屑を集めると、十二の籠がいっぱいになった」(20節)と書いてあるではないか。「五つのパンと二匹の魚」を五千人なり一万人なりの人に分けた結果としてそのようなことが起こるはずはないではないか。やはりパンと魚は物理的に増えたのだ。そうであるとしか考えようがないではないかという反論は、当然ありえます。
しかし、そういう話になりますと、これまた当然のように、反対の方向から反論が起こるでしょう。それは、イエス・キリストの祈りには五つのパンを五千個のパンに増やし、二匹の魚を二千匹の魚に増やす力があったのか、どんな恐ろしい魔法を使ったのかという反論です。不思議な呪文を唱えるとイエスさまの手の中から次々湧き出す五千個のパンと二千匹の魚。一世一代のマジックショーです。
そのどちらも受け入れられないと考える人々の多くがたどり着く結論が、この物語そのものが比喩のようなものであって現実には起こらなかったことだということだと思います。大切なことは、このような出来事が現実に起こったかどうかではなく、この物語を通して著者が教えようとしていることの意味は何かを考えることである、と。
そのように考えることができるだけの根拠は今日の箇所にもあります。たとえば数字です。「五つのパンと二匹の魚」の「5」と「2」を足すと「7」になる。「7」は聖書では完全数を表す。つまり、これは神の恵みの完全性を示している、というような説明を聞いたことがあります。
また、残ったパン屑が「十二の籠」いっぱいになったとある。「12」はイスラエル十二部族を表す。イエス・キリストが自分の弟子を12人選び、使徒と名付けたこともイスラエルが十二部族であることと関係ある。つまりこれは神の民である教会を表す。つまり「パン屑が十二の籠にいっぱいになる」(20節)とは、教会に人がいっぱい集まるようになることを意味するというような説明です。
そして「魚」。原始キリスト教会の時代から「イエス・キリスト、神の子、救い主」という意味のギリシア語の頭文字を組み合わせた「イクスース」が「魚」を意味する。迫害を受けて地下に潜ったキリスト者たちが「イクスース」を暗号にして連絡を取り合った歴史もあるという説明です。
つまりそれは、うんと誇張した言い方になるかもしれませんが、要するにこの「五つのパンと二匹の魚」を「五千人に分けた」という出来事はそもそも現実に起こったわけではなく、あくまでも比喩なのだとする読み方です。こういう摩訶不思議な物語を作った人々がいて、この物語を通して読者に何かを伝えようとしているだけだ、という読み方です。
私はそういう読み方が完全に間違っていると思っているのではありません。間違っていると思っているから小ばかにするような言い方で皮肉っているだけだろうと思われそうな言い方をわざとしていますが、私にその考えはありません。比喩の物語である可能性を完全に否定するつもりはありません。
先ほど林先生からご紹介いただきましたとおり、私と林先生は同じ時期(1980年代後半)に神学生をしていました。林先生は日本ルーテル神学大学(現「ルーテル学院大学」)、私は東京神学大学でした。二つの大学は「東京都三鷹市大沢3丁目10番地」まで一緒で、ルーテル学院大学が「20号」、東京神学大学が「30号」です。
林先生は当時の私を覚えておられないようですが、私は当時の林先生を覚えております。そして、当時のルーテルの神学生の特に男性の方々を大方存じております。それは、私の妻がとても美人で、妻がルーテルの男の人に取られてしまうのではないかと、いつも気が気でなかったからです。
冗談はさておき、いま私が林先生と同じ時期に神学生をしていたということをお話ししましたのは、神学校で学んだことが時期的に重なっているということです。ルーテルの神学教育がどのようなものであったかの詳細までは私は分かりませんが、大差はないと思います。ほとんど同じだと思います。
なぜいま私はこういう話をしているのかと言いますと、今日の聖書の箇所ひとつをとっても、それについてどのような考えや感覚をもって読むのかという点で林先生がお考えになるかもしれないことと矛盾するようなことを私が申し上げることはありえないということです。神学的バックグラウンドがほとんど同じです。その意味で皆さんに私の話をぜひ安心してお聞きいただきたいと願っています。
その前提の上で申し上げることですが、私は今日の箇所に記されていることについて、イエスさまが物理的にパンと魚の数をお増やしになったことと、これが比喩の物語であることとは矛盾しないと考えています。
「五つのパンと二匹の魚」を、たとえ五千人であろうと、一万人であろうと、それ以上の人数であろうと、そのすべての人に「分けること」は物理的に可能ですし、なんら難しいことではありません。小学生でも分かる話です。物理学者にきっと証明していただける話です。そこには奇跡の要素は全くないし、不思議な呪文を唱える必要も一切ありません。なぜそのように言えるかは、ぜひ考えてみてください。
しかし、どうしてでしょうか、わたしたちはどうしても「それは無理である」と考えてしまいます。私も同じです。弟子たちがイエスさまに「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」と言ったように「これしかない。これでは足りない」とどうしても考えてしまいます。
しかし、問題はここから先です。今日の箇所で気になることがあります。
弟子たちがイエスのそばに来て「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう」(15節)と言ったら、イエスさまから「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べるものを与えなさい」(16節)と返ってきました。
それで弟子たちが「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」(17節)と答えたら、イエスさまが「それをここに持って来なさい」(18節)と言われたわけです。
私が気になるのは、そのように言われたときの弟子たちの反応です。彼らはもしかしたらがっかりしたかもしれません。せっかくこれからイエスさまと我々弟子たちの13人で「五つのパンと二匹の魚」を分け合って食べようと思っていたのに、それが無くなってしまうではないかと。
そこに何も無かったわけではないのです。「五つのパンと二匹の魚」はあったのです。「これしかない、これしかない」と言いながら、それだけは自分たちがしっかり確保して、抱え込んで、決して他人と分かち合おうとしない貯えを持っていたのです。私も二千年前のイエスさまの弟子たちに文句を言いたくなります。なんと狡猾で、ケチくさい、特権意識の持ち主たちなのかと。
貧富の差がどんどん拡大しているのは外国の話ではなく、日本の話です。ワークシェアリングは一向に進みません。失業者は増加するばかりです。いま私は毎月ハローワークに行っていますので、状況が分かります。
なぜでしょう。「これしかない、これしかない」と言いながら決して他人と分け合おうとしないものを抱え持っている人々がいるからです。「これしか」なくても、何も持っていない人よりははるかにましです。どうしてそれを分かち合うことができないのでしょうか。
教会はどうでしょうか。キリスト者たちはどうでしょうか。「無任所教師の私に仕事を恵んでください」と言いに来たのではありません。しかし、今の私の姿を見て何かを考えてくださる方がおられるなら幸いです。
「共に生きる喜び」はそこにあるものをみんなで分かち合うことから始まります。ほんの一握りの一部の人々が多くのものを抱え込むのではなく、すべての人に十分に配分されることが必要です。これが聖書の教えです。
(2017年8月27日、日本キリスト教団蒲田教会 主日礼拝)
| 日本基督教団蒲田教会(東京都大田区蒲田1-22-14) |
2017年8月26日土曜日
教義学は「意外に」役に立つ
| ファン・デン・ブリンク、ファン・デア・コーイ共著『キリスト教教義学』(2012年) |
組織神学と教義学は元は同義語だったし、今も無理に区別する必要はない。いずれにせよ目標は「世界の体系的(システマティック)把握」であり、構造主義のようなものに近い。数学が苦手なくせに言わないほうがよさそうだが、世界の立体幾何のようなものとも言える。教義学とは本来そういうものなのだ。
組織神学ないし教義学などなくても、世界も教会も、特に支障なく普通にやっていけると私も思うし、無用の長物だと言われればそれまでだ。しかし、一見つながりがなさそうに見える「あれ」と「これ」の関係は何かを世界の全体構造の中で体系的に考え、結びつけるような作業が求められるときに役に立つ。
たとえていえば、背中がかゆいのに孫の手が見つからない場合、ハサミやねじ回しの先で背中をかいてよいかどうかを考えるときなどに役に立つ。逆に言えば、組織神学ないし教義学の役割はそれ以上のものではないので、「うちの教義学はすごい」的に鼻にかけたり心酔したりするようなものではありえない。
誤解されているかもしれないのは、教会の「教義」といえば各教団の売りとなるピンポイントの看板教説だけを指すと思われている可能性である。「教義」はそういう場合があるが、教義学は違う。「ゆりかごから墓場まで」は個人史だが、「天地創造から終末まで」の世界史を視野に収めるのが教義学である。
個人史の場合を考えてみると分かる。ひとりの人間の人生にとっての「売り」は何か。世界に羽ばたいたことか、大きな業績を上げたことか。それもあろう。しかし、生まれたばかりのときのあどけない笑顔も、足も腰も立たず目も開けられないのに孫や友人に最後の力で見せる笑顔も、大きな「売り」だろう。
世界史だってそうだ。世界史の「売り」は何か。ノーベル賞をとった人か、スポーツ国際大会の金メダル受賞者か。それもあろう。しかし「その他大勢」は世界史の雑草かごみくずか。見向きもされない存在なのだからきっとそうだろうと達観するのは勝手だが、ひとりで達観してほしい。他者まで巻き込むな。
ネットでも紙媒体でもニュースや新聞を見ると、行ったこともない国の直接会うことがありえないような人と、自分が「体系的に結び付けられる」体験をすることが、だれでもあるはずだ。その人と私は、たぶん関係ない。関係ないが、気になる。そこですでに「関係づけ」が始まっている。組織神学の出番だ。
なぜこの人は、私より不幸そうなのに、これほどまでに肯定的な言葉を語り、行動的に生きているのか。なぜ私は、客観的に見れば何不自由ない生活をしているのに、これほどまでに否定的な言葉を語り、身動きがとれないのか。その違いは何か。こういうことを考えるときに教義学ないし組織神学は役に立つ。
なぜ役に立つと言えるのかといえば、なんだかんだ言っていても、人が考えることのほとんどすべては最終的に、それは「必然」か「偶然」かとか、「運命」か「自由選択」かという問題に行き着くからである。その問いを考えているとき人の心はすこぶる宗教的になっている。否、「教義学者」になっている。
2017年8月24日木曜日
「人生の微分」なら実践している
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| 「美肌効果抜群コラーゲンたっぷりとろとろ牛すじカレー」製作中(8月22日) |
字にするのも恥ずかしいが、私は小学生の算数から学習障害だったかと思うほど苦手だった。中学以上の数学はからきし。私は「微分」の数学的意味をいまだに説明できない。しかし「人生の微分」は実践している。千円で10食分の極上カレーをグレードを落とさずに作るにはどうしたらよいかを考えている。
過日ツイッターで「算数の掛け順」にこだわる教育が算数を苦手にするという話題を見かけた。それで思い出したのが、小1の算数でそれをやられたことだ。45年前だ。「解き方を黒板に書け」と言われて書いたら「掛け順が違う」と言われた。そのとき先生に反論した記憶がある。結果は同じじゃないかと。
もちろん先生は、小1の私の反論などまさか受け付けるはずはなかった。みんなの前で叱られた。そのときの問題までは覚えていないが、たぶん「8×5=」と「5×8=」の答えは同じだからどっちでもいいだろと言うに近いことを言い張った気がする。ただ叱られて凹まされた。爾来、算数が苦手になった。
今さら「掛け順論争」に参戦したいわけではないし、強いて言えばなぜ私が算数も数学も苦手なのかの言い訳をしたいだけだが、それもどうでもいい。それより言いたいのは「すべての道はローマに通じる」という格言に近い。真理への経路は一つでなくいくらでもあるし、どんなに大回りしても構わないのだ。
数学ができる人をうらやましいと思っている。たとえすべての道がローマに通じているとしても、だからといって私はどこに行くにしても、そこまでの最短ルートを知りたくないと思っているわけではない。バスや電車やガソリンをいかに安く済ませ、かつ遅刻しないように渋滞しにくい道はどこかを知りたい。
私にとってはまるきりブラックボックス以外の何ものでもないパソコンにしても、かつてとは比較にならないほどの速度の演算や大容量の記録装置のお世話になっているのはひとえに数学ができる人たちのおかげであることも分かっている。いくら感謝してもしきれない。批判や皮肉など言う意図は皆無である。
しかし、それはそれだ。最短ルートを知り、最小コストで最速・最大のパフォーマンスを期待することは素晴らしいことだが、何がなんでもその道でなければ「ローマ」(カギカッコをつけておくとする)に辿り着けないわけではない。のんびり行きたい人も、そもそも行かない人もいるし、いてもよいはずだ。
あとは、そうねえ、昔の話なのか今も同じなのか、地方の学校だったからか都会の学校も同じなのかは私にはよく分からないが、「数学ができる人」と「頭がいい人」[ママ]がほぼ常に同義語として語られていた(私の偏見ではないと思う)のが、いちいち気に障るものがあった。黙っているしかなかったが。
私の書き込みが「妙に細かい」ことを懸念してくださる方々がおられる。今日は牛肉が100グラム98円だとか、鶏むね肉なら100グラム50円台で買える日があるとか。「人生を微分する」とはこれだと思っている。「神の御心」を語る人間だからこそ、人生には「細部」があると、あえて言いたくなる。
2017年8月23日水曜日
『ミニストリー』第34号「空想神学読本」に拙文が掲載されました
2017年8月22日火曜日
『福音と世界』9月号をお贈りいただきました
2017年8月20日日曜日
悲しみには肯定的な意味がある(阿佐谷東教会)
コリントの信徒への手紙二7章8~10節
関口 康(日本基督教団教師)
阿佐谷東教会の皆さま、おはようございます。礼拝で説教させていただくのは、ちょうど1年ぶりです。今年もお招きいただき、心から感謝いたします。今日もどうかよろしくお願いいたします。
今日お話ししようと思って準備してきましたのは説教題のとおりです。「悲しみには肯定的な意味がある」という趣旨のことを使徒パウロが書いています。しかし、なぜこのテーマを阿佐谷東教会の皆さまにお話ししようと思ったかについて具体的な動機があるわけではありません。坂下道朗先生とはネット上のやりとりはありますが、お会いする機会がありません。ですから私は、貴教会の内部のことは全く存じません。ピントの外れた抽象的な話になってしまわないかを心配しているほどです。
しかし、言い方は乱暴かもしれませんが、わたしたちにとって「悲しみ」の問題はその規模や状況の大小の差こそあれ日常茶飯事であり、普遍的な問題です。いま悲しみの中になくても明日そうなるかもしれません。そのことを考えれば、わたしたちは常に悲しみと隣り合わせで生きている身であることを自覚しつつ、悲しみの日に備えて生きていかなければなりません。
しかし私は、たったいま自分で言ったばかりのことを次の瞬間に否定するようなことを言います。それは、今日の箇所に出てくる「悲しみ」は一般的な意味の「悲しみ」とは異なるものであるということです。その区別をパウロが今日の箇所にはっきり書いています。「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」(10節)。
ここでパウロは「神の御心に適った悲しみ」と「世の悲しみ」をはっきり区別しています。そして、パウロがその中に肯定的な意味を見出している「悲しみ」は前者(神の御心に適った悲しみ)のほうであって、後者(世の悲しみ)のほうではありません。「世の悲しみ」のほうは「死をもたらす」とあるとおり否定的な意味しかないし、そもそも意味はないとパウロは考えています。
ですから私もパウロと同じように考えたいと願っています。今日の説教題の「悲しみには肯定的な意味がある」の「悲しみ」も、すべての悲しみを指しているわけではなく、多くの悲しみの中に肯定的な意味を持つ悲しみがいくらか含まれているというような意味で理解していただきたいと願います。すべての悲しみに必ず肯定的な意味があるという意味ではありません。もしそういう誤解を招くだけの説教題だったとすればお詫びしなくてはならないし、付け替える必要があると思います。
しかし、そうは言いましても、パウロがしている二種類の悲しみ(?)の区別とその意味を正しく理解することは、わたしたちにとって非常に難しいことだと私は感じます。しかも、二種類の悲しみ(?)には当然のことながら共通点があります。それは「悲しみ」であるという点で両者は全く同じであるということです。
「悲しみ」は人の心の中に生まれる否定的な感情です。自分の存在や行為が否定され、生きる意味や望みを見失いそうになっている心の状態です。その点においては、「神の御心に適った悲しみ」であろうと「世の悲しみ」であろうと、少なくともそれをわたしたちが感じるときの主観的感覚は同じです。そして、私たちの心は体とダイレクトにつながっています。心の苦痛と体の苦痛は同じです。
あるいは、もしかしたら苦痛の度合いにおいては、前者(神の御心に適った悲しみ)のほうが後者(世の悲しみ)よりも強く激しく感じるかもしれません。なぜなら「神の御心に適った悲しみ」とは「神がもたらした悲しみ」を指しているからです。それは対人関係で生じた悲しみではなく、神との関係で生じた悲しみです。もっと言えば「神が私を悲しませた」ことを意味しています。そんなことに誰が堪えられるでしょうか。しかし、パウロが書いているのは明らかにそういう意味です。
しかも、難しい問題がまだ残っています。「神の御心に適った悲しみ」なるものの出どころは論理的に考えれば、当然「神」です。しかし、今日の箇所にパウロが書いているのは「あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません」(8節)ということです。
これで分かるのは、私はたった今「神の御心に適った悲しみ」とは「神が私を悲しませた」ことを意味すると言ったばかりですが、パウロはそのように一方で言いながら、別の一方で、あなたがたを悲しませたのは私であるとも言っているということです。
どういうことでしょうか。パウロは神でしょうか。パウロがだれかを悲しませることと、神がだれかを悲しませることとは同じでしょうか。そんなことを言っていいのでしょうか。最も厳しい言い方をすれば、パウロは自分が何かやらかして相手を悲しませたことを都合よく神のせいにしているだけではないでしょうか。そのような批判を受けたときに、パウロはどう答えるのでしょうか。
そして、その問題もさることながら、ここで最も大切な問題は、パウロは何をしたのかということでしょう。「あの手紙によってあなたがたを悲しませた」と彼自身がはっきり書いています。つまり、パウロがだれかを悲しませることになった原因は彼自身が書いた手紙だったということです。パウロは何を書いたのでしょうか。その手紙はどこにあるのでしょうか。
いま皆さんに開いていただいているのはコリントの信徒への手紙二(第二の手紙)です。新約聖書に二つ収められているコリントの信徒への手紙には解釈上の難しい問題があります。聖書学者たちの意見によれば、パウロがコリント教会の人々に宛てて書いた手紙はもっと多くありました。その中で現在まで残っているのが新約聖書に収められた二つの手紙です。
しかし、このいわゆる第二の手紙はパウロがコリント教会に対して二番目に書いたものではありませんし、第一の手紙と第二の手紙の間に少なくとももう一つの、あるいは一つ以上の手紙が書かれました。また、この第二の手紙は一度にすべて書きおろされたものではなく、もともと何通かだった手紙が後で一つの手紙として編集された形跡があります。そして、そのいくつかの手紙の中に、いわゆる「涙の手紙」が含まれています。
しかも、そのいわゆる「涙の手紙」をわたしたちが読むことは可能であると言われています。実はいま私たちが開いている第二の手紙の10章から13章までが「涙の手紙」の一部であろうと聖書学者たちは考えています。10章から13章までを、ぜひおうちで読んでみていただきたいです。
はっきり言えば、かなり辛辣な言葉が記されています。明らかに感情的で、けんか腰です。皮肉と嫌味と攻撃性に満ち満ちています。これほどあからさまに攻撃的な手紙を送り付けておいて、この中にあなたがたへの愛情を読み取ってもらいたいというのは、求めすぎの感があるほどです。
もちろんパウロには相手に対する愛情はありました。しかし、だからこそ言わなければならないことがある、ここで自分が躊躇することは相手のためにならないと、彼を強い決心に駆り立てたものがありました。パウロとしては、もしこれで関係が終わるとしても、それはそれでやむをえないという覚悟で書いていると、私は思います。それほどの決定的な内容です。
もともとパウロはコリント教会の事実上の設立者でした。しかし、その後パウロはコリントを離れ、別の地で伝道を始めました。ところが、その後、コリント教会の中にいろいろな問題が発生し、混乱しはじめました。そこでパウロは第一の手紙をコリント教会に送りました。そして、その後パウロは自らコリント教会に足を運んで訪問したのです。
しかし、その訪問が失敗に終わりました。パウロが来たことに腹を立てた人々がパウロを名指して非難しはじめました。その人々はパウロが来ることで自分たちの居場所を失うことを恐れたのです。そういうわけで、パウロの二回目の訪問が問題の解決になるどころか、かえって火に油を注ぐ結果になりました。
それでパウロは強い決意をもって「涙の手紙」を送りました。その内容の一部が先ほど申し上げたとおり10章から13章までにあります。それは非常に激しい手紙でした。その手紙を読んだコリント教会の人々の多くは傷つき、そして反省しました。それを知ったパウロは、コリント教会に三度目の訪問をしようとしましたが、パウロが行く前にテモテから、コリント教会が悔い改めたという知らせを受けました。その知らせを聞いたパウロは喜び、私たちが手にしているこのいわゆる第二の手紙を書いたのです。そういう経緯であるとご理解ください。
このような背景があるということを理解しなければ、この箇所にパウロが書いていることの意味を理解することは全く不可能です。ここに書いていることだけを読めば、相手が悲しんだという事実があるのに「私は後悔しない」と言っている。サディストではないかと言われかねません。しかし、パウロはサディストではありません。しかし、どのように説明すれば理解していただけるでしょうか。
パウロがこの箇所で強調している「神の御心に適った悲しみ」は「取り消されることのない救いに通じる悔い改め」をもたらしたというただ一つの理由ゆえに、パウロは「悲しみ」に肯定的な意味を見出しています。その手紙を私が書いたからあなたがたは悔い改めたではないか。もし私があの手紙を書かなかったら、あなたがたはずっと変わらない調子で、教会の中で分裂し続け、問題は解決しなかっただろう。だけど、私の手紙で問題が解決したではないか。だから私は手紙を書いたことを後悔しないのだ。それがパウロの主張です。
しかし、私の今日の説教の最終的な結論は、だから私たちもパウロと同じようにしましょうということではなく、ちょうど正反対のことです。この箇所に記されていることはよくよく慎重に扱う必要があります。「ああなるほどそうか、どんなに厳しいことを言って相手を傷つけても、それによって相手が悔い改めるならば、そうするほうがいいのだ。厳しい言葉をどんどん言って、相手を傷つけ、悲しませましょう。パウロもそう言っているではないか」とわたしたちが考え、そのとおり実行することは極力避けるべきです。
それはなぜかといえば、先ほど申し上げたとおり「神の御心に適った悲しみ」と「世の悲しみ」は、どちらも「悲しみ」であることには変わりがないからです。それは、人間の心の中に起こるきわめて否定的な感情であり、生きる意味や望みが完全に絶たれてしまったかのように感じることさえある、痛みと苦しみを伴う感情です。そのような感情を相手の心に故意に引き起こすことについては、どれだけ慎重であっても慎重すぎることはありえません。
そしてもうひとつ理由を挙げるとすれば、これも先ほど申し上げたことですが、二種類の悲しみ(?)を厳密に区別できるようになるためには多くの時間がかかるからです。それは、長い年月をかけて教会生活を続け、聖書と教理を徹底的に学ばないかぎり決して理解できないでしょう。
どんなに厳しいことを言っても、それが悔い改めにつながるから悲しみには肯定的な意味があるというのは、信仰において成熟した人々の間だけで成り立つ議論です。未熟な人を相手にそういうことをしてはなりません。それは教会が壊れていく原因になります。
なぜなら、教会には必ず、成熟した人もいれば、そうでない人もいるからです。教会が「伝道する」とはそのようなことです。教会が信仰的に成熟した人たちだけの集まりになるなら、伝道していないのと同じです。教会はそういうところであってはならないのです。常に必ず未熟な人が共にいるのが教会です。
ですからわたしたちは、教会では、言いたいことがあってもできるだけ我慢しましょう。もし我慢できなくなったら、そこで大きく深呼吸をして言いたいことを飲み込むくらいでちょうどいいです。
「そういうふうに関口が言っていた」と坂下先生に報告しておいてください。よろしくお願いいたします。
(2017年8月20日、日本基督教団阿佐谷東教会 主日礼拝)
2017年8月18日金曜日
「日本のプロテスタント各教団の規模」と「各教団の思想的な左右」の関係について
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| イメージ図 |
これはあくまでもたとえだが、上も下も「日本のプロテスタント各教団の規模」と「各教団の思想的な左右」の関係を私が勝手に言いたがっているイメージ図。上だろうと思っている人が多い気がするが、実際は下である。右は右で、左は左でまとまれるのではないかと思われがちだが、現実はそうはいかない。
鋭い方はこのイメージ図だけでピンと来るものがおありだろうが、私見によれば、そもそも少なくとも日本のプロテスタント各教団はいわゆる「政党」と比較される存在ではなく、むしろ「行政区」(の住民)と比較されるべき存在である。各「行政区」(の住民)の中には当然「右」の人も「左」の人もいる。
私が勝手に描いたイメージ図の意図を別の角度から言い直せば、上の図は70年前からの30年後(1970年代)くらいまではかろうじて成立していたかもしれないが、今は全く成立しない。ほとんどもっぱら下の図に移行している。昔の記憶は通用しないので、大幅に更新される必要がある。
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